翌々日。
昨日はせっかくの休日だと言うのにランサーとライダーによって耕された庭先の整備に骨を折っていたせいで私自身は何一つ行動が取れなかった。偵察に出ていたハサンの方でもめぼしい物は無かったようだし先が思いやられる。
今日はと言えばハサンを偵察にやった私は平素通りの生活を装い、つつがなく放課後までを過ごしていた。
不本意ながらクラスの役員をほぼ全て兼任しているためどうにも忙しい。
「いかんな。結構な時間だ」
窓の外は夕焼けに染まっている。
部活棟や校庭にはまだ人気があるものの、遠坂との協定には際どい時間帯になってしまった。
進学する気がない私にクラスの雑事が回ってくるのは避けがたく、文句は言えないのだが。
「っと、なんだ?」
殆ど隠す気の無い魔力の動きがあった。規模は小さいが、まともな魔術師なら気が付く。
心当たりは遠坂ぐらいだが、遠坂が魔術を行使する相手となると。
「桜、か?」
今日は衛宮の家に行くと言っていたような気がするからもう校舎にはいないと思う。そのまま食事を摂ることが多いので食材を買っていくのだそうだ。時間からして間違いない。
関わりたくはないがどうにも隠蔽が甘く、見過ごすわけにはいかない。嫌な予感を覚えつつも私は階段を降りていく。と、
「…………ほう」
鼻先を黒い呪塊が掠めていった。挨拶もなしに攻撃とは随分とにぎやかで結構な事じゃないか。
「待ちなさい────って、間桐先輩?」
「これは攻撃行為と取って構わないよな遠坂?」
半休止していた回路に意識を集中する。
遠坂に全力を見せるわけにはいかない。少ない魔力をやりくりする必要がある。
指差ししたまま固まっている遠坂から察するに種別はガンド。校舎の壁に生じた崩れからフィンの一撃に相当する物と考えられる。
人が減ってきた校舎とはいえ人払いの結界も敷かずにそんなものを連射するとは相当頭に血が上っているようだ。
連射。つまりシングルアクションか。恐らくは魔術刻印によるバックアップがあるのだろう。うらやましい。
即座にカバンへの概念・構造強化。一時凌ぎの盾とする。
有する武装のうち問題なく機能するのは体内の刻印虫三匹に加え、翅刃虫十匹と限定礼装『蟲の檻』・『蟲の匣』のみ。切り札とも言える蟲の左腕はハサン同様晒したくない。
それ以外の魔術は今の魔力量での使用は難しい。それにどうせ魔術戦では魔術刻印を持つ遠坂相手に分が悪い。
接近戦。それも肉体に主眼を置いた戦術が望ましい。
「──────蟲毒の壷で我は謳う──────」
体内に溶け込んだ蟲を擬似神経化し、刻印虫と直結。強制的に制御下に置き、更に神経網と肉体へ強化を施す。
単純出力で常人の四倍程度、反応速度では三倍程度を獲得してはいるが、全開ではない魔術回路ではこれが限度だ。彼我の距離を考えると接近戦に持ち込めるかは危うい。何しろ相手にはサーヴァントがある。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、何やる気になってんのよ!」
遠坂の狼狽は当然だ。私は切り札の一つを切っている。
まともな魔術師なら周囲のマナ総量の変化に気が付くはずだ。
限定礼装『蟲の檻』。マナを吸い上げオドへと編み直すだけの礼装だが、それだけで第一級の魔術行使だ。
遠坂の目で見れば、本来なら土地と直に契約した上で儀式魔術を経なければならない神秘を一瞬で為したように映るはず。
実のところ蟲の呼吸でマナを吸収、オドへと変化させた上で私に注ぎ込むだけのシンプルな作りなのだが、普通の人間が同じことをやると、蟲と自分のオドの差異で拒否反応を起こし、最悪ショック死する。
蟲に慣れすぎた間桐でなければ使えないのだ。
「何を言っている? お前の行為は魔術の秘匿に抵触する。排除は当然だと思わないか、遠坂」
「私は聖杯戦争してるの! あっちのへたれはマスター! いい?」
言われて遠坂が指差す方を見やる。
教室の入り口から頭だけを出した人物がいた。どうやらこっちの様子をうかがっている。特徴的な髪の色ですぐに思い当たった。
あれだけの傷を受けて生きていたらしい。ゴキブリか何かだろうか。人のことは言えないが。
「おや、衛宮じゃないか」
もちろんそんな思考はおくびにも出さず、知らないものとして振る舞う。
「はあ、えっとその、覚えてませんけど有難うございました」
何を言っているのかと頭を捻り、おとといの事を思い出す。
しかし衛宮の記憶は消してしまったはずだが。
「ああ、なるほど。遠坂から聞いたんだな」
「はい。あと今も」
衒いなく頭を下げられる在り方は好感が持てる。桜が気に入るのも頷けた。実直な人柄なのだろう。
もちろん何事につけ礼儀は大切だ。
だが、それも時と場合による。
「ストップ! で、まだ邪魔するって言うならわたしも考えるけど?」
この場に衛宮の態度はいまいちふさわしくない。
「それと魔術の秘匿を蔑ろにした点は別問題だ」
「それはあんただって────」
言いかけて気がついたらしい。
「もちろん人払いの結界は敷いてある。何か問題でもあるか、遠坂?」
「…………分かったわよ。で、要求は?」
「要求な、特に────」
ふと衛宮が縋るような眼でこっちを見ていることに気がついた。
「────そうだな、私は監督役ではないが、魔術に関わる者として公正に判断するとだ、遠坂がそこの衛宮を追い詰められたのは本来踏むべき手順である結界の敷設を疎かにしたためであるとも取れる」
「ちょっと────」
「もちろん、遠坂ならばその手順でも彼を追い詰めることは問題無かっただろうが、落ち度は落ち度だ。仕切り直し、もしくは無かったことにするのが妥当と判断する」
何故私がこんなところで手間を負っているのかはさっぱりだがこれで遠坂は引き下がるだろう。
この判断に逆らうなら私も敵に回るということ。この場は勝ちを収められても後のことを考えれば乗るしかない。
「オーケー、分かったわ。じゃあそういうことだから行きましょうか衛宮君」
見る者すべてがぞっとする笑みを浮かべ遠坂が衛宮の腕を掴む。
「待てよ遠坂、今のでこの場は終わりだろ?」
「ええ。もちろん。でも貴方には言っておきたい事が山ほどあるの。そういうわけでこれ、連れて行っていいわよね、間桐先輩?」
これ以上付き合う義理はないし、うちの学校には生徒間の交友を妨げるような了見の狭い校則などない。
「構わんぞ。魔術師の流儀、という意味では遠坂の振る舞いに私は一定の信頼を置いている」
「それはどうも。失礼しますわ」
去っていく遠坂とドナドナよろしく引っ張られていく衛宮。なんだか歪んだ高笑いが聞こえた気がしないでもない。
「何の騒ぎかと思えばあんたか」
不意に掛けられた声だったが、私は落ち着き払って振り向くことができた。
人払いの結界の敷設は完璧だったのだから、この声は魔道に関わる者の物でなければならない。
なにより私はその声をよく知っている。
「それは正確じゃないな沙条。騒ぎを起こしたのは遠坂と衛宮で私はその尻拭いだ」
いっこ下の後輩だから穂群原のブラウニーなどと揶揄される衛宮の事はよく見知っているはずだ。
遠坂については言わずもがな。家業の都合上面識がないはずがない。
「ふぅん、どうでもいいけどさ。学校でそういう事するのは遠慮して欲しいね」
皮肉っぽい言い草で誤魔化しているが紛れも無い本心だろう。
「同感だ。是非遠坂にも言ってやってくれ」
「わたし、あんたのそういうとこきらい」
そして私はというと、過去に共同で研究をしていたぐらいにはよく知っていて、
「そうは言うがしょうがないだろ。私のせいじゃないんだし。むしろ最も穏便な形で収めたぐらいだ。我ながら称賛に値する行動だったと思うぞ」
心置きなく無駄口を叩くぐらいには懇意にしている。
「…………………まあいいけどさ。聖杯戦争だっけ、さっさと終わらしてちょうだいよ。夜中に五月蝿くて敵わないわ」
「暴走族じゃあるまいしうるさいなんて事はないと思うが。そもそも私は参加者でもないしな」
沙条の迂遠な物言いの意図は察せるが、無関係の私には何を言うこともできない。
「………………新都のガス爆発、あれってさ」
「らしいな。教会の神父が愚痴っていた」
当然のように虚偽を混ぜる。
「ほんと、いい迷惑よね」
「全くな」
同調する他ない。私としても好みの手ではないし。
会話が途切れる。
「こんな時間まで学校に残って何してたんだ、沙条」
誰の目にも明らかな場繋ぎの言葉だ。
会話が途切れたというのに突っ立っているのだから二人とも悪い。
「図書館で調べ物。欲しい野草があってね」
「へぇ」
他に言いようもあったのだろうが、私は沙条に気を使ったりしない。
「興味ないなら聞かないでよ────薬、まだいいの?」
薬。まだ棚にいくらか残っていたように思う。
「もう少し残ってる。なくなったら貰いに行く」
「そう。それじゃあね」
「ああ、また。そのうち」
「はいはい」
ひらひらと手を振って去っていく沙条を見送り人払いの結界を解く。
なかなか立ち去らないと思ったら、薬のことを気にしていたようだ。妙に律儀なところがある。
数少ない友人と呼べる女。
「沙条はマスターじゃない、か」
間桐や遠坂とは大きく異る系統の魔術を伝える家の後継。その資格は十分だが、口ぶりから察するにそうではないだろう。
他人を騙してばかりいるのに、他人の言葉には信を置く矛盾に思わず唇が釣り上がる。
やっぱり私は歪んでいるようだ。
おはようございます。衛宮士郎です。
突然ですが、
「いったいどういうことか説明してもらえないか?」
「あら、間桐先輩。私はただ本当のことを言っただけですよ?」
家の空気が最悪です。
話は朝に遡る。
なんとか遠坂とセイバーの宿泊を藤ねえと桜に認めて貰ったのも束の間、遠坂の一言がこの大惨事を呼んだ。
曰く、間桐桜は暫くこの家に近寄るべきではない、と。
遠坂の言わんとすることは分かる。何しろ俺は聖杯戦争に参加することになったのだ。
当然この家も戦場になる可能性がある。
桜の安全を考えるなら、ここに置くべきではないということぐらい俺にも分かった。
ただ、その方法がまずい。
いくらなんでも俺と遠坂が恋仲だなどと思わせ振りな事を言って邪険にするのはあんまりだ。
最初は俺の怪我を気にして家の手伝いをしてくれただけ。それからは俺に料理を習っているだけ。
鈍いとからかわれることも有る俺だけど、それだけじゃない事にはなんとなく気がついている。
勘違いならそれでもいい。桜はいい子だし、もっと良い人と出会うこともあるだろうから。
だから俺にとって桜は妹分なんだけど、その、桜がどう思っているかという話であって。
結局桜は遠坂に反論出来ず、俺に助けを求めるように視線を逸らし、臆病者の俺は遠坂からの殺人的な視線につい同調してしまったのだった。
「だからそれをこの場で言ってみろ。場合によってはこの場でミンチに変えてやる」
「あら、随分と野蛮な言葉を使いますね。それに関係のない間桐先輩に一体何を教えなければならないというんですか?」
飛び出していった桜を追う資格など俺には無かったが、こうなることが分かっていたら、恥を忍んで呼び止めただろう。
玄関先であかいあくまと正面から対峙しているのは間桐皐月。桜の姉で、遠坂曰く、俺の命の恩人。昨日も遠坂に殺されかかったところを助けられた。
なし崩しに遠坂と同盟を組める事になった一因でもある。
つまり、魔術師なのだ、この人は。
普段あまり目立たない物静かな人だと思っていたが、例の伝説を鑑みればその気性が見た目通りではないことなど分かることだったし、今にも遠坂に掴みかかろうかというぐらい、間桐先輩は激していた。
「埒が開かんな。どちらにせよ桜を泣かした罪は償ってもらう」
「ご随意に。桜にも劣る貴女に出来るのならば、ですけどね」
振り返るように遠坂が背後に視線を走らせたのは、つまり私はサーヴァントを侍らしているぞという脅迫。
遅刻確定になったとはいえ、それはちょっとやりすぎだ。
気づいているのかいないのか、間桐先輩は一向にそれを気にする様子がない。
「結構。だが、忘れるな。私は何事も最後までやり遂げる質だ。泣こうが喚こうが止めはしない────衛宮もそれでいいな?」
人事のように二人の争いを眺めていたら、じろりと間桐先輩に睨まれた。
なんでさ。
「え、お、俺もですか?」
「当然だ。私は物分りが良い方だと自負しているからお前が不埒なまねをしたなどとは思わないが、客観的に考えてみろ。若い女がしょっちゅう出入りしている先輩の家から泣きながら走り出ていったんだぞ。それも朝っぱらからだ。下衆じゃなくても勘ぐる。そういう眼で桜が見られるなど、私には我慢ならんな」
…………ああ、やばい。状況が悪すぎる。
「俺は、その…………」
助けを求めようと遠坂に視線を送るが首を横に振られた。
「まあ、お前に桜を任せていいと思った私も間違っていた」
そこまで言われては言い返したくもなるが、しかし。
「で、本心はどこにあるんですか?」
先にも増して遠坂の顔は険しい。
「本心、だと?」
地の底から湧いてくるような声に、ピシッと空気に罅が入った。
「人払いと防音の結界を敷設しましたからどうぞ。どうせ今のうちに敵マスターの同盟を妨害しようという考えでしょう?」
間桐が魔術師の家系だということは聞いている。だけどそれは、
「いくらなんでも遠坂────」
「────く、ははは! これはいい。良くないが、仕方がない。
ああ安心したよ遠坂。お前は根っからの魔術師だ。そうだろうとも。なにせあの時臣の娘だ。これで桜も心置きなくお前を打ち倒せるだろう。
──────朝からすまなかったな。失礼する」
放心した。滾るような憎悪に身を貫かれる感覚。
遠坂も顔色を無くしている。
「…………一つだけ言っておく。私の知る限りだが、衛宮。桜はどんなに痛かろうが、死ぬほど辛かろうが、人前で泣いた事はない。私の前でさえ一度きり、だ。今日まではな」
去り際、振り返った間桐先輩が吐いた言葉は、まるで呪いそのものだった。
『大したものじゃないか皐月』
半ばからかうようなハサンの言い草は、私が本気で怒っていた事を知ってなだめているのだろう。
分かっている。彼らに対し怒りを抱くのは筋違いだ。
『まあ、これで間桐と遠坂の陣営の対立は必至だな』
『全くだ。しかしいざとなれば俺がいるとはいえ、よくサーヴァントの存在をちらつかされてひるまなかったな』
『あれは仕掛けてこないさ。私が参加者だと知っていれば躊躇いはしないだろうが、遠坂は妙に誇り高いところがある』
魔術師相手であれば魔術を以って捻じ伏せる。その矜持を私は信用している。
だからあの脅しはただの方便だという、計算だった。
『…………私はな、姉として桜には普通の幸せも味わって欲しかった』
それが自分では叶わない夢を背負わせるだけの一人よがりだったとしてもだ。
誰だって幸せになりたいに決っている。
『そうか』
私は最早普通を願えない。それが幸せだと思えない。だが、衛宮の家に行くようになってからの桜は、本当に自然に笑うようになったのだ。
切り替える。ここからは魔術師として動こう。
『遠坂と衛宮の同盟は明らかになった。加えて衛宮はすでに回復している。どちらかのサーヴァントに高度な治癒能力が備わっている可能性が高い。警戒は厚くする』
『他には?』
『可能ならば遠坂を暗殺する。桜には恨まれるかもしれないがな』
あれは邪魔だ。間桐が聖杯を手にする上で必ず私の前に立ち塞がる。
桜を焚き付けはしたし、桜の恨みを受け止めるにふさわしい人間であるようだが、肉親を殺せば、その事実は桜を苦しめ続ける事になるだろう。
桜は初めて私に泣き付いた。それはつまり私を利用してでも衛宮と離れたくないということ。奸計を巡らせ、誰かの道を捻じ曲げてまでその位置についた時、重りは少ない方がいい。
『少年の方はどうする?』
『魔術師としては三流だろう。暗殺が私の手によるものだと判明しなければ問題ない』
とは言え遠坂のサーヴァントはアーチャー。マスターが消えようと単独行動スキルが報復を可能とする。
私がマスターだと露見しないこと。アサシンの手によるものだと分からせること。桜のサーヴァントをライダーだと知らせておく事。
私が裏に居ることを悟られないためには、これだけの条件をクリアしなければならない。
『ハサン、働いてもらうぞ』
『心得た』
短い返事を心強く感じながら、私は遅い登校を果たした。
軽い自己嫌悪と、状況が動くまですることがないという閉塞感から、私は生徒会室で茶を飲んでいた。
わざわざ学校には来たものの、授業を受ける気分でもなかったのだ。
これでも去年までは書記としてなんやかんやと雑務を熟してきたのだから、備品の茶を飲むぐらいの事は許されよう。
他四陣営のうち、私のコントロールを受け付けるのはわずかに遠坂・衛宮陣営のみ。とはいえキャスターをバーサーカーに排除させるという計画の初動は動かし難く、こうして生徒会室にいるのもそのためだった。
「おや、間桐先輩ではないか。こんなところでサボって居眠りとは関心しませんな」
仮眠のつもりが本格的に寝入っていたようだ。私が目を開けた時には既に男は目の前に立っていた。
「…………そう言うな。私とてたまには疲れる。教室で眠るよりは周りに配慮した行動だろう、生徒会長?」
この生徒会室の主、柳洞一成である。
柳洞寺の次男坊。生徒会顧問の葛木も柳洞寺にやっかいになってはいるし、どちらともそれなりの縁故はあるが、一成の方が取っ付きやすい。
「そういうところは慎二と一緒ですね。姉である先輩が手本となる姿を見せないからあれはああなのです」
弁当箱を開きながら柳洞は愚痴る。
質素な弁当の中身を見ていて朝から何も食べていないことを思い出した。
「だいたいあの男は…………って何を見ているんです?」
「いや、腹が減ったなと思っただけだ。心配せずとも取ったりはしない」
安心したように食事を始めた柳洞を眺める。どことなく顔色が悪い。
陣地を組む以上、キャスターのマスターも柳洞寺にいるはずだ。
外部の人間である場合、柳洞寺の人間から身を隠す必要があるが、キャスターと違い霊体化出来ないマスターはその姿を住人から隠し通す事は難しい。
加えて食事だ。寝る場所も食い物も柳洞寺の外から手に入れる必要がある。
わざわざ買い出しに出るような間抜けはすまい。本気でキャスター討伐を考えれば、まずすることは柳洞寺に出入りする人間の観察だ。
マスターと踏んだ時点で殺してしまえばいい。
だから、その可能性は低い、と踏んでいた。
むしろ疑うべきは柳洞寺の関係者。そのとっかかりとして柳洞一成と会おうと。
しかし。
「柳洞、お前顔色悪いな」
「どうにもここ最近だるいのです」
自覚するほどに体調が優れないようだ。
「精進料理ばかり食っているからだ。肉を食え」
「生まれてこの方この手の料理ばかりです。それが原因とは思えない。風邪のひきはじめかもしれないですが。どうにも寺の皆も体調が振るわぬようだし」
「…………感染すなよ。私はいいがクラスメイトは受験を控えている」
「ここは俺の場所ですよ」
「知ってる────なあ柳洞、最近柳洞寺で変わった事はないか?」
「…………間桐先輩もそれを聞くのだな」
箸を止めて柳洞がじっとこちらを見た。
「も、というと?」
「あの女狐ですよ」
忌々しそうに柳洞が吐き捨てる。この男が品行方正な生徒会長らしからぬ言動をする相手となれば遠坂しかいない。
藪蛇だったか。遠坂も柳洞寺の龍脈には注目していて当然だ。
「遠坂が何を言ったか知らんが、私は寺の皆とお前が言ったからだ。お前一人ならただの風邪だろうが、皆となるとな。相当質の悪い風邪か、下手をすればインフルエンザだ」
「なるほど。確かにインフルエンザは良くない」
一応納得したらしく柳洞は手を動かし始める。
「葛木先生はどうだ? 授業はないから顔を見ないが」
「宗一郎兄は変わらず壮健です。ただまあ…………」
言葉を濁して茶碗を手に取る。空だったらしく、そのまま下ろした。
「なんだ?」
「…………最近どうも妙な女にひっかかったようでして。宗一郎兄の縁者というか、その、これは内密に頼みますが結婚するような事を言っているのです」
結婚。
一瞬馬鹿みたいに放心してしまった。
「まさかとは思うが葛木先生とか?」
「他に誰がいるというんですか。だいたいそういう言い方は宗一郎兄に失礼だ」
柳洞は立腹しているようだが、私は葛木を侮辱しているわけではない。
むしろあの寡黙さは好感が持てる。
「そうじゃない。皆あの人を寡黙で実直というが、私には枯れているように見える。だからそういうこととはかけ離れて見えるというだけだ────それに、事実なら世話になった師の結婚は祝いたいだろう?」
「たしかに。まあ寺に身を置いていることもあって、宗一郎兄も遠慮があるのかもしれないが」
なんにしろその女が十中八九キャスター、或いはそのマスターで間違いない。
柳洞に疲労があることから、外部の者がマスターで有ると踏んでいただけに、その女はマスターである可能性が濃厚だ。
魔術師は身内に甘い。例えば柳洞寺内部にマスターがいるなら、一成達から魂を吸い上げるような真似はすまい。
どちらにせよ葛木は洗脳下に置かれていると見るべきだろう。
「なんにせよ、一度顔ぐらいは見てみたいものだ。葛木先生が側においてもいいと思う女というのにはその、なんだ、興味が湧く」
「下世話ですよ、間桐先輩────顔の美醜をあれこれ言うのは好きませんが、美人ではありましたが。それは置いても宗一郎兄が選んだなら問題ないと俺は信じています」
その割には妙な女とか言っていたような気がするが。
「そうか。まあ、風邪だかインフルエンザだか知らないがお大事にな」
言って席を立つ。聞きたいことは聞けた。
傍観などと言っては居られなくなってしまったか。
何しろキャスター陣営は、私の環境に手を掛けた。
「おや、どこに行くんですか?」
「どうせ今日は授業に出る気もない。帰って昼寝の続きでもする」
息を吐くように嘘を吐いた。
足の向かう先は柳洞寺。
葛木の帰宅を狙って待てる場所の物色だった。
あれですかね、間桐って皆ヒスの気でもあるんですかね。