我が主君はひとでなし   作:昆布たん

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音速一刀流 雪葉


雪原の猛将 冬将軍


いざ尋常に 勝負!!



忠誠【捌】:冬の其方

「佐藤和真さん……。ようこそ死後の世界へ。私は、あなたを新たな道に案内する女神、エリス。この世界であなたの人生は終わったのです」

 

 目を開けた和真は神殿の中の様なところにいた。

 自分の身に何が起きているのかも分からぬまま、目の前の少女にそんな事を告げられる。

 

 ゆったりとした白い羽衣に身を包み、長い白銀の髪と白い肌。

 どこか儚げな美しさを持つ少女の顔にはどこか陰りが感じられた。

 見た目で言うならば、和真より若干年は下だろうか。

 エリスと名乗った女神の青い瞳が、呆然と立ち尽くす和真を哀しげに見つめていた。

 そんなエリスの姿を目にしつつ、和真は先ほどの言から自分が死んだ事を自覚する。

 

 この感覚には覚えがあった。

 和真があの世界へ行くきっかけとなった自称女神(アクア)に会った時も、確かこんな場面だったような。

 

 ──なるほど、俺はまた死んだのか。

 

 そう思った瞬間、和真の頰を熱い雫が伝い落ちていくのに気がついた。

 初めて死んだ時はこんな事など無かったように憶う。

 

 ああ、そうか──

 

 自分は大嫌いだと思い込んでいたあのろくでもない世界を、存外気に入っていたようだ。

 

 

 ▼

 

 

 ギルドへ向かう雪葉の頰を撫でるように冷たい風が吹きつける。

 どうやら冬の到来を報せてくれたようだが、隣の主人和真が肩を竦めながら震えているので正直ありがた迷惑なことこの上ない。

 

 ベルディア討伐から約一ヶ月あまり。

 未だにこの世界の文字を一つも書けず、雪葉は筆舌に尽くし難い歯痒さを痛感していた。

 古城の潜入調査任務の際に発覚してから、めぐみんやダクネスの献身的な識字教育を受けたにも関わらず、露ほどの成果も得られないとは此れ如何に。

 あの時のこちらを見つめる二人の憐憫を孕んだ視線が時折浮かんでは惨めさや怒りに任せ幾つもの筆を犠牲にしてしまったが、恐らくその数は十や二十ではきかないだろう。

 結局のところ、何を試そうが肩透かしを喰らう為、これ以上はお手上げとばかりに臍を噛む徒労に終わった訳だが。

 

「ふ、ふぇ……へっくしょい! あー、さっぶ……」

「なに? カズマったら風邪でも引いたの? どーでもいいけど、あんまりこっち向かないでくれる? 超神聖な女神である私に、あんたが飛ばした唾の一つでも付いてみなさい、ゴッドブロー喰らわすわよ」

 

 くしゃみをして自分の体を抱くように摩る和真に対し、しっしっと邪険そうに手を払いながら釘を刺すアクア。

 すぐさま雪葉も頭を切り替え、優先事項が同列一位である和真の体調を伺う。

 言わずもがな、同列の片割れは唯一無二の親友ウィズである。

 

「……ちょっと寒いだけだ。というかお前らこそ、そんな格好で平気なのか? 袖無いし薄着だし、見てるこっちが鳥肌立ってくるんだが」

「当然でしょ? この女神の証たる神器は、装備すれば最高の防御力が備わるだけじゃなく、状態異常だって全部無効化しちゃう超素敵アイテムなんだから! もちろん暑さ寒さにも耐性がつく、正に崇高な女神である私の為に誂えたような──ちょっ、いきなりなにすんのよ! そんなに強く引っ張らないでったら!」

「ふっざけんなよこの穀潰しのクソ女神! 上級職だの勇者候補だの、実際なんの役にも立ちやしないのにお前ばっかが良い様に持て囃されるわ、挙げ句の果てにこんなチートアイテム持ちやがって! それなのに俺は周りからゲスマだのクズマだの、果ては有能なパーティーに取り付く寄生虫呼ばわりだぞ! 止めはお前ら三バカどものお守りに尻拭いと来たもんだ! 少しぐらい俺に感謝して然るべきだろ! 分かったらさっさとそのヒラヒラを貸しやがれ! 第一バカは風邪なんか引かないだろうが!」

「ああ! またバカって言った! 二回も言った! 謝って! 私にバカって言ったこと、ちゃんと二回謝ってよ!」

 

 何やら癇に障った和真から羽衣を盗られまいと奮闘する涙目のアクアはともかく、齢二歳にして極寒の雪山に放り込まれた雪葉からすれば、この程度は寒さを覚える一助にすらなりえない。

 

 敬愛なる我が主人に自分などが気を遣って貰えるというのは大変身に余る光栄だが、同時に要らぬ心配を掛けさせてしまった事に気が咎めた雪葉は最敬礼ながらに謝辞を述べた。

 

「いや、お礼は分からんでもないが、別に謝ることじゃないだろ」

「グス……ッ、馬鹿じゃないもん……ちょっと楽天的なだけだもん……ッ」

 

 羽衣の強奪は諦めたのか、不貞腐れながら愚図るアクアを尻目に、和真が雪葉に向かって気にするな、と軽く手を振って見せる。

 

 なんと慈悲深いのだろう。

 今この時、主人より魔王討伐の命が下されたならば、雪葉は直ちに討伐へ赴く事も吝かではない。

 

「言っとくがそんな命令しないからな? また周りに見られたり聞かれでもして、下手な悪評広められたら堪らんし──……うーさむさむ。とりあえず、早く中に入ろうぜ。先にめぐみんたちも着いてるだろうし」

 

 さもあらん。主人と過ごすこのひと時が終わってしまうのは実に口惜しいが、いつまでも寒空の下に立たせておくなど愚の骨頂。

 ここで主人に従者失格だ、とでも言われようものなら雪葉は己の首を斬りとばして自害に甘んずるつもりだが。

 

「シャレにならんからまじでやめろ。おいアクア。いつまでもメソメソしてないで、さっさといくぞ」

「ひっく……グスッ……」

 

 和真に続き、頷いた雪葉も未だに咽び泣くアクアの手を引いてギルドの入口をくぐる。

 

 

 

 顔を合わせるや否や、矢継ぎ早に自分達の受けたいクエストを押し売りしてくるめぐみんとダクネスの提案を主人和真が即行で棄却し、一同は再び今日のクエストについて意見を交わし合う。

 無論、各々の希望を押し通そうとする話し合いなど収束の目処が立つわけも無く、これ以上アクア達女性陣の意見に耳を傾けていても徒らに時が過ぎて行くのは最早誰が見ても明らかなグダつきだった。

 結局和真がクエストボードから選ぶ事となり、現在掲示板の前で唸りながら手頃なクエストを吟味している所である。

 

 主人の厳命により、残りの者達で所在無さげの待ち惚けを強いられる中、アクアがやおら小声で話を切り出す。

 

「ねえ、私思うんだけど」

「どうしました、アクア?」

「カズマって、私たちがいる事のありがたみをぜんっぜん分かっていないと思うのよ」

「確かに。それは由々しき問題ですね」

「うむ。アクアの意見は私も常々感じていたところだ」

 

 めぐみんの返答に間髪入れず、ダクネスも腕を組んだままアクアの提言にこくりと頷く。

 ああ、また始まるのだろう。

 

 別段珍しい事ではない。

 女三人寄らば姦しいとのとおり、女性陣は顔を合わせようものなら不毛な話がおっ始まるので、よくもまあ懲りないものだと雪葉は頭を痛める。一体これで何度目だろうか。

 とはいえキワモノ達だけで野放しにしておくのも、それはそれで気掛かりを拭えないわけで。

 

 話の中身によっては主人和真へ即座に告げ口する事も辞さないつもりの雪葉だが、果たしてどんな議論が飛び交うやら。

 人知れずやれやれと嘆息した雪葉は静かに気配を絶ち、三人の話に耳をそば立てる。

 

「でしょ? だから今日のクエストで私たちがどどーんと活躍出来れば、あんぽんたんのカズマもきっと見直す筈だわ! それに今回は素晴らしい作戦も考えてあるの!」

「ほう、アクアにしてはいつになくやる気だな」

「で、どんな作戦なんですか?」

 

 珍しく意欲的な姿勢に目を丸くさせるダクネスとめぐみんを前に、アクアが自慢気に鼻を鳴らす。

 

「まず私がフォルスファイアで敵を挑発しておびき寄せるわ。そしたらダクネスの囮スキルで一箇所に集めて、止めにめぐみんの爆裂魔法で一丁あがりって寸法よ! どう? 凄く画期的な作戦でしょ?」

「……え、ええ……そうですね」

「ああ……い、良いんじゃないか?」

 

 はて。雪葉の記憶が間違いでなければ似た作戦をこれまで幾度となく目の当たりにしている気もするが、当のアクアはさも革新的な作戦を編み出してやったと言わんばかりにご満悦だ。

 一方のダクネスとめぐみんはしたり顔で見つめてくるアクアの言に正気を疑っているのか苦笑いを浮かべ、無関係である筈の雪葉も内心疑問の声を禁じ得ない程に彼女の提案は衝撃的であった。

 いっそ本当に先駆けた発想だと錯覚してしまいそうなアクアの驕り様は、めぐみん達が容喙の気も失せる程なのか二人の顔に掛かる翳りが目に見えて酷い。

 

「やっぱり二人も賛成してくれると思ってたわ! なんと言っても一週間かけて編み出した作戦だもの。女神の私が本気になればこれぐらい朝飯前……て、何で目を逸らしてるのよ! ほら、早く女神である私を崇めなさい! 今ならアクシズ教に特別待遇で入信させてあげてもいいわよ?」

 

 話の途中で目を逸らされた事に不満を漏らしながらも傲岸不遜に踏ん反り返って入信を勧めてくるアクアに対し、二人が鮸膠(にべ)も無く視線を戻す。

 

 危ない危ない。思わず開きかけた口を雪葉が直ぐに閉じられたのは幸いだろう。

 恐らく茶々を入れようものなら雪葉にも矛先が向けられ、執拗に入信を迫ってくる事は想像に難くない。

 あんな街中を駆け巡って声高らかにエリス教をこき下ろしたり、家々の郵便受けにありったけの入信書を詰め込んでとんずらするような偏屈集団への仲間入りなど、無論雪葉は全力の否一択である。

 触らぬ神に祟りなしとは正にこの事、と内心で吐露した雪葉は間一髪舞い降りた自分の英断に称賛を送りつつ冷や汗を拭った。

 

「……アクア。何度も言うようですが、いい加減その女神ごっこはやめませんか? 見ていてこっちまで痛々しいです」

「めぐみんの言う通りだ。エリス教徒である私が言うのもなんだが、いくらアクシズ教の女神様と同名とは言え、本人を騙るなどあまり褒められたことではないぞ?」

「ああもう、何度言えば分かるのよ! そうじゃなくて、私がアクシズ教の御神体になっている女神アクア! 水を司る女神アクアその人なんだってば!」

「「ていう夢を見たのか」」

「だからちっがうわよ!」

 

 悲しきかな。アクアが女神としての認知を二人から勝ち取ることは果たして叶うのだろうか。

 今のめぐみんとダクネスがアクアに向ける視線は、()()()()人に送る忌避感や憐憫を多分に含んだそれなので正直雪葉は望み薄かなと思っているが。

 

 どうやら今回も骨折り損の討論会は幕引きとなったらしい。

 特に主人へ悪影響を及ぼす可能性が無いと判断した雪葉は、気配を戻すと手元のジュースで喉を潤す。

 

「おーい、今日の良さげなクエスト選んで来たぞ」

 

 まるで無駄話が終わったタイミングを見計らったかのように、和真が一枚の張り紙をひらひらと翻しながら戻ってきた。

 

 さて、今回はどの様な任務だろうか。

 この世界には雪葉のまだ見ぬ生物や物の怪がごまんといるのだ。期待に胸が弾んでしまうのも無理はない。

 密かな欲を言えば、雪葉としては火山王をはじめとした張り合いの見込めそうな強敵の出現も望ましいところだがはたして。

 

 ほれ、とテーブルに置かれた張り紙の内容に和真以外の四人が目を通すと。

 

「ほう、雪精討伐ですか。それも一匹につき十万エリス、と」

「他の白狼とか一撃熊に比べたら、名前からしてそんなに強そうに聞こえなかったから選んでみたんだが、実際どうなんだ?」

「カズマの言うとおり、雪精はとても弱いモンスターです。雪深い雪原に多くいると言われ、剣で斬れば簡単に四散させることができます。ですが……」

「んじゃ、これでいいか」

 

 めぐみんの言葉を皆まで聞かず、和真はテーブルに置いた張り紙を再び手に取る。

 どうやら雪葉の腕試しは今日もぬか喜びに終わった様だ。本当に残念でならない。

 強敵とのご対面が先送りとなるのは確かに遺憾だが、主人が選んだものであれば雪葉に否やなどこれっぽっちも無かった。

 その分雪精達にはとことん雪葉の憂さ晴らしに付き合って貰うことになるが。

 

「雪精の討伐? 雪精は特に人に危害を与えたりしないけど、一匹倒す毎に春が半日早く来るって言われてるモンスターよ。その仕事を請けるなら、私も準備してくるわね」

 

 ちょっと待ってて、と言い残して立ち上がり何処かへ向かうアクア。

 どうやら先程の作戦会議で発破が掛かっているのかご機嫌に鼻歌まで口ずさんでおり、和真も物珍しそうに目を瞠っている。

 

「……アクアのやつ厭にやる気だな。俺がいない間になんかあったのか?」

 

 いつも通りの取るに足らない話だ。わざわざ主人の耳に入れておくほどのものではないだろう。

 雪葉は特には、と首を振り、和真が気にかける程の要り用な話ではない事を示す。

 

「そっか。ならいいんだが」

 

 じゃあ先に手続き済ませてくるわ、と受付へ足を運んで行く和真。

 そんな彼の背中を見届ける雪葉の横でダクネスがぽつりと独り言をこぼす。

 

「雪精か……」

 

 命を脅かしかねない程の強力なモンスターとの交戦を日夜渇望する被虐趣味な性騎士ダクネス 。

 彼女が何故か雪精という弱いモンスターへ心躍らせていることに違和感を覚えた雪葉だったが、準備から戻ったアクアの到着により疑問は終ぞ晴れぬまま雪精討伐へ出発した。

 

 

 ▼

 

 

 街から離れたところにある平原。

 アクセルではまだ確認されていないにも関わらずこの平原だけが雪で一面真っ白に輝き、思わず一同は再度確かめるように瞬きをしながら茫然と佇む。

 棒立ちする雪葉達の先で、ちらほらと手の平ほどの大きさの白く丸い塊がふわふわと宙を漂う姿を視界に捉える。

 おそらくあれが雪精だろう。

 

 念の為、練達した雪葉の洞察力で雪精の実力を計るも、街中の何処でも見かけるそこらの猫にすら劣った危険度に雪葉は思わず落胆の声を漏らす。

 弱い弱いとは聞いていたが、まさか野良猫以下とは雪葉もさすがに誤算だった。冒険者はおろか、下手すれば子供に棒切れを持たせたって狩り殺せそうなぐらいの貧弱ぶりとは。

 こんな無害そのものを体現する白玉達に何故一匹十万エリスもの懸賞金がかけられているのかなど雪葉の知ったことでは無いが、しかしこうも高額だと何か訳ありではないかと、雪葉の勘がそう告げてならない。

 

「……お前、その格好どうにかならんのか」

 

 そう呆れた視線を向ける和真の先には、捕虫網といくつかの小瓶を携える場違いな風貌のアクアが肩を回しながら気炎を揚げていた。

 

 セミ捕りに行くバカな子供じゃあるまいし……、とはげんなりした和真の呟き。

 もしアクアが本当に季節外れも甚だしい昆虫採集に興じようものなら、雪葉直々に折檻増し増しで躾けることもやむを得ないつもりだが。

 

 和真の問いを受け、甚だ不本意とばかりにアクアが顰めっ面で彼を睨み返す。

 

「これで雪精を捕まえて、この小瓶の中に入れておくの! で、そのまま飲み物と一緒に箱にでも入れておけば、いつでもキンキンのネロイドが飲めるって考えよ! つまり、冷蔵庫を作ろうってわけ! どう? 頭いいでしょう!」

 

 もはや最後の問い掛けが頭の悪い者の典型と言えなくもないが、一人として苦言を呈さないのは仲間であるアクアに対するせめてもの情けなのか。

 耳にしたのが雪葉のみなら一切慮ることなく異論を唱えていたかもしれないが、周りの空気を読まぬほど雪葉も無粋ではないつもりだ。

 

 それはそうと、三人で武功を挙げて和真を見返すという当初の目的がとっくにアクアの中から忘れ去られていた。

 

「……どうやら言い出しっぺは完全に忘れているようですね」

「ああ……。予想はしていたが、何とも遣る瀬無いものだな……」

 

 記憶から抜け落ちただけに収まらずよもや雪精捕りにご執心なアクアの後ろで、諦観の溜息を吐きながら空を仰ぎだしためぐみんとダクネスには雪葉も心より心中お察しする。

 ここはアクアが任務の標的を逸れなかっただけでも幸いと汲み取っておくべきだろうか。

 

「んで、お前は鎧どうした」

「んえ? あ、その……じゅ、準備中だ」

 

 和真からの思わぬ水を向けられ、間の抜けた声を上げてからどもるダクネス。

 どこか辿々しい様子の彼女も、私服姿に大剣を背中に携えただけのとても壁役を担う聖騎士とは思えない軽装姿である。

 唯一身につけた大剣ですら、パーティー内では既に言わずと知れた屈指のノーコンマエストロであるダクネスがいくら標的に向けて振るおうとも、あの腕前で成せる成果など最早言を俟たない。

 

 屈辱と悦楽の二律背反なもどかしさに息を荒げる姿がありありと雪葉の目に浮かぶようだ。武器が当たらないのならいっそステゴロで臨んだ方が少しはパーティーへ貢献出来るかもしれないというのに。

 

 とはいえ、例えアクア達が何もせずとも最悪パーティーで任務を遂行したという結果さえあれば、別にどれだけ雪葉の独壇場だったクエストになろうがギルドはあくまでパーティーの活躍として見なすだろう。

 ありていに言えば、報酬から借金の一部を天引きしてくれるなら雪葉としては彼女達がクエストをこなそうとこなすまいと歯牙に掛ける必要もないのである。

 

「……キャベツの時から大分経ってると思うんだが」

「いや、その…………そ、そう! キャベツ収穫の為に、めぐみんの爆裂魔法を受けただろう。思いの外あの時の損傷が激しくてな。なので修復にはまだ少し時間が掛かるらしい。……決して薄着で我慢大会をしてみようとか、あれの一太刀がどれ程の威力なのか確かめてみようとかそういうことではないぞ」

「おい、今ぶつぶつと後半何を言った」

「言ってない」

「言っただろ」

「言ってない」

 

 主人からの尋問にしれっと否定するダクネスだが、興奮を隠し切れないその息遣いが全てを物語っていた。

 

 

 

 意外な事に雪精討伐は苦戦を強いられている。

 何もしなければのろのろと漂うだけなのだが、己が身に危険が迫ると突然そそくさ逃げ回る雪精は中々に厄介なことこの上ない。

 主人らの得物を空振る音や苛立ちの声が雪葉の耳に届くことの何と虚しきものやら。

 

 さて、雪葉といえば何故か親近感を抱いた無数の雪精達から執拗に纏わり付かれていた。それも頭へ集中的に。

 何もせずとも向こうから近付いてくれるのは非常に好都合だが、しかし人の頭上にばかり群がるのはやめて貰いたい。雪葉の白髪を大きな仲間とでも誤認しているのか。

 主人が撫でる際いつでも極上の手触りを提供出来るよう今やこの髪は欠かさず入念な手入れを心掛けているのに、静電気でも生じて髪がパサついたら雪精達はどう責任を取るというのだ。

 

 鬱陶しさに痺れを切らした雪葉がまとめて愛刀で斬り払い雪精を次々と霧散させていく。ざっと十ハ匹程は一掃できただろう。

 

「くそ! チョロチョロとすばしっこいなコイツ!」

「四匹目の雪精捕ったー! カズマ、見て見て! 大漁よ!」

 

 どうやら他の面子もダクネスを除き、数は然程目ぼしくないものの着実に一匹は仕留めたか或いは捕まる事が出来たらしい。

 

「めぐみん! そっちへ行ったぞ!」

「合点! カズマ!」

「よし! やれ!」

 

 雪精達を追い回して来たダクネスからの合図を受けためぐみんは目の前の一匹を杖で叩きのめすと、主人和真による爆裂魔法の発動許可を得てから嬉々として呪文を唱えだす。

 

「原初に出ずるは混沌の災禍。祖に願うは万象一切の灰燼。我が力の頂きに座するは、空を貫き地を砕く、比類なき天上天下の根源也。爆ぜろ、爆ぜろ、爆ぜろ。暗澹たる闇をも飲み込む我が深紅の流出を以って、眼前に阻む白き世界を覆さん! 光れ! エクスプロージョン!!」

 

 冷たく乾いた空気の振動と共に耳を劈く程の轟音。目を瞑り顔を覆わねばならぬ程の風圧。雪原はおろか、地面すらも抉り抜いた深く大きな衝突孔。

 

 日に一度の爆裂魔法によって魔力を枯渇させためぐみんが雪の上にうつ伏せたまま、自分の冒険者カードを自慢気に見せて来た。

 

「八匹! 八匹やりましたよ。レベルも一つ上がりました!」

 

 相変わらずの規格外な範囲と威力に、流石の雪精も逃げる間も無く爆散したようだ。

 逃走対策の奇襲にしては過剰な火力と言えなくもないが。

 

 これで、主人和真が三匹、めぐみんが九匹、雪葉が十八匹の討伐総数は計三十匹。

 アクアが捕まえた分も数に加えると、合計三十四匹で三百四十万エリス。

 五人で割って、一人当たり六十八万エリスの配当となる。

 

 それにしてもここまで仕事が破格な容易さだと却って第六感がけたたましく警鐘を鳴らして来るので、雪葉としては出発前からの違和感が一向に拭えずなんとも苦々しい。

 こんなに割りの良いクエストなら、冬眠気質なアクセルの冒険者達が我先に飛びついたとしても可笑しくはないし、あのダクネスが悦びに浸る様なクエストであるとも思えないが。

 

 

 そんな独白を零しながら雪葉が顔を上げた十数メートル先で、いつの間にか佇んでいた()()は見紛う事なくじっとこちらを見据えていた。

 

 気配察知で探れば、ベルディアすら足下にも及ばない程の絶大な威圧感に、雪葉はすぐさま愛刀を構え直しながら対峙する。

 

 どうやら鰯網で鯨が捕れてしまったようだ。しかも相手にとって一片の不足なしとは雪葉にとって正に僥倖。

 この時雪葉は初めて女神エリスへと感謝の意を込めて祈りを捧げた。

 もしそれが刃を交えようというならば、久しぶりに伯仲の闘いが見込めそうな機会を逃すつもりなど雪葉には更々無い。

 

「……ん、出たな!」

 

 少し遅れて気付いたダクネスも大剣の持ち手を強く握り締めると、静かに佇むそれに振り向きながらほくそ笑んだ。

 なるほど、確かに彼女がこのクエストを一も二もなく快諾するわけである。

 

「な、なんだあれ……?」

 

 和真の握りしめた小剣は、持ち主の狼狽に呼応するかの様にカタカタと震えていた。

 その主人の足下付近には、雪原に顔を突っ伏したまま無言を決め込むめぐみん。

 

 はたして一行の視線を集めるそれは、雪葉や和真にとって覚えの深い風体であった。

 

「……カズマ。あれこそが冒険者達が冬にクエストを受けなくなる理由の正体。雪精達の主にして、冬の風物詩とも言われている……」

 

 アクアが一歩ずつ後ずさりながら、されど目をそらす事なく言葉を紡ぐ。

 

 全身を白く染め上げる重厚な鎧兜に、真っ白なキメ細かい陣羽織へ袖を通した鎧武者。その腰には冷気を纏う一本の打刀。

 総面の眼窩に覗かせる一対の光が青白く輝き、全身から漏れ出すように吐かれる悍ましい気炎。

 

「そう。冬将軍の到来よ」

「バカッ! こんな世界なんざクソ喰らえ! 人も食い物もモンスターも、皆揃ってクソッタレの大バカ野郎だ!!」

 

 高い金属音と共に鞘から抜刀された抜き身の打刀を煌めかせながら殺気を盛大に漂わせて迫り来る冬将軍へ相対する為、雪葉も愛刀を握りしめて駆け出した。

 

 

 ▼

 

 

 強い。

 結論から言えば、雪葉がこの世界に来てから遭遇した者達の中で、冬将軍は今までに類を見ない正真正銘の強者であった。

 十二分に雪葉を死に至らしめる技量を有し、無骨な鎧を纏う姿からは想像もつかぬ正確無比な剣捌きが、一瞬の隙も作らせない程に。

 

「ああっ!? わ、私の剣がっ……!?」

 

 正に今、襲い掛かる冬将軍の白刃を受け止めたダクネスの大剣がほぼ根元から叩き折られる。

 迷い無く振り払われた鋭い一閃。速さだけではなく、その腕前すら雪葉と比べてもなんら遜色がない。

 

 強敵上等と高揚する雪葉の背後で、小瓶を抱きかかえたアクアが何やら和真に説いていた。

 時折火の精霊は蜥蜴だの水が美しい乙女だのと飛び飛びの単語を耳にするが、生憎こちらはアクア達に目を掛けている余裕など無いので距離を取るか、もしくは早々に撤退して欲しいところだが。

 

「アクア! ここはユキハに任せて少しでも遠くへ……」

「それが出来たら最初からそうしてるわ。周りをよく見て」

 

 和真の提案に首を振るアクアの返答に、雪葉と和真が周囲へと目を凝らす。

 いつの間にやら雪葉達を中心に、横から吹き付ける様に雪葉達と冬将軍の周囲を阻む吹雪の壁。

 

「あれも冬の精霊の頂点に君臨する、冬将軍の力よ。あれに触れたら最後、高い耐寒の効果を付与された防具や神器でさえ意味を持たずに一瞬で凍りづけになって凍死するわ。もう、私たちに逃げ場なんてないの」

 

 ここから一人も逃すまいと辺りを囲む吹雪の壁を目にした雪葉は思わず舌打ちを禁じ得ず、内心臍を噛む。

 

 まさか武技のみならず知力にまで富む猛将とは御見逸れした。戦略に於いては相手の方が一、二枚上手のようだ。

 雪葉は決して自分の力に驕らず、冬将軍の実力を軽んじていたわけでもないが、流石にこれは予想外の言に尽きる。

 いや、冬の精霊を司る冬将軍ともなれば、雪を操るなど造作もないことは推して知るべし。これは完全に雪葉の浅慮と言わざるを得なかった。

 

 冬将軍の機嫌次第では、雪葉達パーティーの命など手の平の上と言うことだろう。まったく前門の虎後門の狼どころの次元の話では無い。

 

「つまりこいつは、日本からこの世界に来たどっかのアホが、冬といえば冬将軍みたいな乗りで連想したから生まれたのか? なんて迷惑なんだよ、どうすんだこれ。吹雪も操れる冬の精霊なんてどう戦えば──あれ、ユキハ?」

 

 ダクネスの横で投げやりに愚痴を吐き捨てながら剣を構えた和真の呼び掛けに応える事無く、雪葉は隠密の業を発動する。

 確実な奇襲を遂げるべく、雪の上に足跡が付かぬよう雪葉は爪先へ全神経を注いで足音も殺しつつ歩み出す。さながら路傍の石、或いは必然と漂う空気の様に。

 

 そのまま冬将軍の背後へ回ろうと足を進め、はたと気付く。

 

 隠密によって雪葉が匂いや音、果ては気配まで全ての知覚され得る要素を絶ったにも拘らず、冬将軍が脇目を振ることもなくまっすぐな視線をこちらへ向けているのだ。

 

 この時、雪葉は不覚にも歩みを止めて瞠目した。

 油断も慢心もしていない今のこれは、全身全霊で意識を張り巡らせた史上最高とも自負できるぐらいの隠密であるというのに。

 しかし現に冬将軍の眼差しは雪葉を捉えて離さず、俄かには信じ難い光景であるにせよ今の雪葉にこの状況を否定する術は無い。

 

 誰一人として見破れる者はいない、などと自惚れていた雪葉ではないが、現実に直面すればなるほど。それなりに抱いていた隠密への自尊心をここまで打ち砕かれる衝撃とは思わなんだ。

 最早隠密を続けていても糠に釘、と諦観した雪葉は潔く気配を戻す。

 

 それとほぼ同時、アクアが手にしていた小瓶の蓋を開け、せっかく捕まえた雪精達を解放する。一体何のつもりだろうか。

 

「カズマもユキハも聞きなさい! 冬将軍は寛大よ! きちんと礼を尽くして謝れば、見逃してくれるわ!」

 

 降り積もった雪原へとそのまま瞬時に平伏するアクア。

 

「DOGEZAよ! DOGEZAをするの! ほら、皆も武器を捨てて早くして! 謝って! カズマも早く、謝って!!」

 

 躊躇いもなく頭を地面に接地させるアクアの姿を信者たちが目にしたなら、彼等もこうべを垂れて終いには感涙に咽ぶかもしれない。それは実に滑稽な一齣になりそうだ。

 そして一方では、先程から微動だにせず死に真似を貫き続けるめぐみん。これには雪葉も拍手を送りたいと思うほど、忍者顔負けの素晴らしい偽装工作である。

 

 アクアが土下座を敢行したことにより、いよいよ残りの雪葉とカズマ、ダクネスの三人へと的を絞ったように無感情な視線を向け直してくる冬将軍。

 冷ややかで剣呑な冬将軍の威圧にあてられ、和真も慌てて土下座を行う。

 

 礼を尽くして冬将軍が矛を収め、主人和真への危害が無くなるならば地に額を擦りつけるなど雪葉にとって微塵も苦ではない。

 雪葉も静かな所作で愛刀を腰の鞘へと戻し、頭を下げようと膝を曲げた所で、思わずそちらを二度見した。

 

 アクアの啓発が届いていた筈だというのに、腰を落とす気もなく突っ立ったままのダクネスが冬将軍へと対峙を続けているではないか。

 

「おい何やってんだ、早くお前も頭を下げろ!」

 

 雪葉と同様に気付いた和真が忠告を飛ばすも、ダクネスは了承するどころか切り飛ばされた大剣を投げ捨て歯噛みながらに冬将軍を睨んでいる。

 

 全くもって主人の言はむべなるかな。

 ダクネスがこの状況で何を血迷っているのかとても理解に苦しむが、今は身の安全が最優先なのだ。特に主人和真の命は何に差し替えてでも。

 にも拘らず、主人の言に耳すら貸さぬとは無礼千万。一体何を以ってしてそこまで頑なに拒むのか。

 

「くっ……! 私にだって、聖騎士であるプライドがある! 誰も見ていないとはいえ、騎士たる私が、怖いからとモンスターに頭を下げる訳には──むきゅっ!?」

 

 そんな御託を聞いてる暇は無い。さっさとしろ。

 

 うだうだと今この場には必要の無い矜持を貫くダクネスの頭を掴んだ雪葉は瞬時に雪面へと抑えつけた。

 

「よ、よし。ナイスユキハ!」

「や、やめろお! くっ、下げたくも無い頭を無理やり下げさせられ、地に頭をつけられるとかどんなご褒美だ! ハアハア……。ああ、まるで万力で挟まれているかの様な後頭部の痛み……! 押しつけられた頰に染みる雪の冷たさ……! んんっ……! だ、だが時と場所を考えろ……! お前が私を痛めつけたくなる劣情に駆られてしまうのは仕方がないにしても、今は遊んでいる場合では──わぷっ」

 

 甚だ心外である。

 情欲に染めた瞳を向けてくる奴がどの口で宣うのか。

 雪葉は無言のまま、懲りもせず発情するダクネスの顔面を完全に雪の中へと突っ込む。頭を冷やすのに事欠かないこの環境はとても都合が良い。

 なに、たかが数分の間冬将軍が去るまでの辛抱など、クルセイダーである彼女ならそのくらい屁の河童だろう。特に根拠は無いが。

 

「ほろほひゅうがままはらはいどょうひょう……ほれはほれでまは……」

 

 真摯なオネガイが功を奏したのか、漸く素直に応じるダクネスを抑えつけたまま雪葉も静かに頭を下げて謝意を示す。

 土下座の間際に冬将軍の様子を伺うと、すでに刀を収め冷気も穏やかなものに変わっていた。

 

「カズマ、武器武器! 早く手に持ってる剣を捨てて!」

「っと、やべ」

 

 アクアの真に迫った警告に、慌てた和真が右手に把持する剣を投げ捨てる。

 咄嗟の判断であった為か、武器を手放した彼の頭が迂闊にも上がってしまう。

 

 間を置かず、冬将軍が鞘へ収めた鍔に左手を添え、親指を掛けて僅かに刀身を覗かせた音を聞き逃さなかった雪葉が愛刀を即座に取り出し雪面を跳ねる。

 

「──へ? あ……あっ、ぶねえぇぇ……!」

 

 冬将軍が振るった白刃が和真の首を捉えるすんでに、両者の間へ躍り出た雪葉が愛刀で冬将軍の一閃を阻む。

 そのまま冬将軍の腹を蹴り飛ばし、一度彼我の距離を開いて体勢を立て直す。

 

「わ、悪い助かった! お前も早く刀を捨てて……」

 

 和真が口を閉ざしたのも無理はない。

 主人の言に耳を傾ける事もなく、雪葉の目がまっすぐ冬将軍へと向けられているからだ。

 剣呑とした視線に明確な殺意を孕み、雪葉は殺気を余す事なく開放しながら愛刀を強く握り締めた。

 

 もう我慢の限界である。

 あれは主人の命を奪わんとする怨敵だ。一切の慈悲も与えず、確実に息の根を止めてやろう。

 

 

 ――ええ、ええ。とても良い心掛けです。

 

 

 はて。何やら怒りに身をやつすあまり、聞き知らぬ女の声が雪葉の頭に届いてしまったようだ。

 時折聞こえてくるエリス様の声とは違い、こちらは何処から艶やかで少し大人びた中にどこか妖しさを孕んだ印象を受ける。

 よもや知らない女の幻聴が聞こえてしまうほど、雪葉の精神状態はおかしくなっしまったのだろうか。

 

 

 ――まあっ、幻聴だなんて。其の様な酷いことおっしゃらないで下さい。わたくし心があまり強い方ではありませんので、どうか優しく(いたわ)って貰いたく存じます。

 

 

 やけに現実味を伴う怪異である。

 雪葉自身が起こした錯覚なのか、はたまた本当に何者かが語り掛けているのか今は白黒つけている暇はない。すぐにでも目の前の忌敵を討たねばならないというのに。

 

 

 ――ええ、心得ておりますとも。ですからお力になる許可を頂きたいと具申します。さすれば、必ずやあの愚かな白甲冑に目に物を見せられるとお約束しましょう。

 

 

 その申し出には是非も無い。

 主人に刃を向けたあの不届き者を制裁出来るのであれば、どんな手段であろうと雪葉が否やを示す理由など一つも無いのだから。

 この際何でもいいので、さっさとこの怪奇現象とのやり取りを打ち切って冬将軍を仕留めたいのだが。

 

 

 ――ええ、喜んで。この力、存分にお役立てください。

 

 

 くすくすとその声が笑った瞬間、雪葉の体の奥底から身に覚えのある感覚が湧き出す。そう、確か。

 

 

 ――お気付きになったようですね。ええ、そうですとも。憎きあの父親を仕留めた始祖の力です。しかしこの力は諸刃の剣。人の身による長時間の使用は体が保ちません。ですので、無理のないよう今回はほんの少しだけお貸ししました。

 

 

 雪葉の見た目に特に変化はない。

 あの時に比べても力は微々たるものだが、それでも冬将軍との決着をつけるには十分事足りるだろう。

 

 しれっと雪葉の過去を吐露した()()について今は問い質している時間もない。やるべき事は一つ、とっとと冬将軍を潰す事だ。

 

 周りの音一切を遮り、腰を落とした雪葉が両足へと力を込めて視界に映すは刀を構えて佇む冬将軍ただ一体。

 より確実で強力な一撃を加えようと雪葉が柄を逆手から順手に持ち変えて息を整えた直後、愛刀が唸るような音を立てながら刀身に見覚えの深い蒼炎を煌々と纏い始めた。どうやらこれも例の力の一端らしい。

 

 

 ――さあ。万物を斃して来た比類無きこの力、遠慮なくお振るいください。

 

 

 幻聴から掛けられた発破を合図に、雪葉は冬将軍へと向かい、思い切り地を蹴り出す。

 

 一瞬の間に接近した雪葉に刀を振り下ろす冬将軍。その速度が雪葉には走馬燈のように酷く緩慢に見えた。

 どうやら諸々の身体能力が格段に向上しているようだ。ならばまずはその得物を無力化させて貰おう。

 

 鋭く斬り払われた雪葉の一閃は冬将軍の刀の刀身を横から捉え、折れた刀身の先が空高く空中へと舞い上がっていく。

 

 次は右手。そして左手。

 すかさず斬撃を叩き込み、冬将軍の両手を斬りとばす。

 遥か後方へと飛んでいく両手は次第に実体を保てずゆっくりと消えさり、先程とは大化けした雪葉の猛襲に後退る冬将軍。

 

 さて、後は両足と首を残すのみ。次なる箇所へと狙いを定め、音も無く静かに一歩踏み出す。

 

 

 ――あら、もう時間切れのようですね。

 

 

 瞬間、雪葉の全身を前触れもなく壮絶な痛みと脱力が襲う。

 

 堪らず地面へと俯せに身を投げ出した雪葉は今までの訓練すら凌ぐ程の苦痛に思わず顔を歪ませた。

 一体何が起きたというのか。雪葉は事情を知り得る可能性が最も高そうな怪現象を呼びつける。

 

 

 ――むふふ……何て良い声で(うめ)くのでしょ──おほん。まあっ、何とおいたわしい。何処かお怪我はありませんか? 

 

 

 白々しい。言い直した所で労りの声が喜色塗れだ。

 そんなことよりも、まずはたった今雪葉の身に起きているこの状況に説明が欲しいところだが。

 

 

 ――先程も申し上げましたが、その力は諸刃の剣。使えば必ず代償を伴います。常人ならあまりに耐え切れず、死に至るぐらいには苛烈極まりない激痛なのですが……意識を保っていられるとはさすがです。ああ……、それにしても何という御姿。苦痛に歪むその面貌が途轍もなく堪りません……っ! 

 

 

 雪葉が窮地であるにも拘らず、ひとの苦しむ顔で臆面も無く悦びの声を上げるとはつくづく自由奔放で不躾な怪現象である。

 さて。幻聴曰く、力の代償とやらによって雪葉は今や元の木阿弥どころか苦境に立たされた訳だが、ここから先の事など頭の片隅にも無かったので無論五里霧中の手詰まりだ。

 

 殆ど力の入らぬ体に鞭を打ちながら振り返れば、頭を下げながらも雪葉へ頻りに呼び掛けている仲間達の姿。

 再び前を向けば、いつの間にやら両腕を再生させた冬将軍が物言わず雪葉を見据えたまま、左の腰に携える鞘へと権能で生み出した新たな一振りが納刀されていく。

 鞘へと収め終えゆっくりと歩み寄ってくる冬将軍の姿を前に、雪葉は歯を食いしばりながら力の入らない体をどうにか動かさんと歯をくいしばる。

 

 まだだ、まだ借金の返済を満了していない。主人の最期を見届けていない。ウィズとたくさん話したい。美味しい物を食べたい。まだ見ぬ場所や景色が見てみたい。

 何とも心残りがありすぎる。雪葉はまだ死ぬ訳にはいかないのだ。

 

 

 ――いくら足掻こうとしても詮無き事ですよ。少なくとも一日はまともに動けませんので。それに、もう十分為すべきことは果たせました。

 

 

 この怪異は雪葉に甘んじて死を受け入れろとでも言いたいのだろうか。それは断固として御免被るし、雪葉は出来る限り最後まで諦めずに抗うつもりだが。

 

 

 ――いえ、そうではなく……まあ、すぐにわかりますから。

 

 

 先程までの親身な態度で接して来ていた声と同じものとは思えない、偉く投げやりな声音で呟く怪異の要領を得ない言に、雪葉は眉が顰む。

 

 やがて、すぐ正面に辿り着くと雪葉を見下ろし、そのまま両手を胸の前まで掲げると、右手を上に、左手を下に添えながら何度も拍手を鳴らし始める冬将軍。

 これには雪葉も呆然としてしまう。

 

 暫く続けていた拍手を終えた冬将軍は、翳した左の掌へと雪葉達の周囲を囲んでいた吹雪を凝縮させていく。

 気付けば、冬将軍の殺気は知らぬ間に鳴りを潜め、眼窩に覗く瞳のような光も何処か穏やかそうに雪葉を見つめている。

 

「な、なんだ? 吹雪が止んだぞ?」

「しっ! まだ頭を上げちゃダメよ!」

「ハアハア……ちべたい……っ」

 

 どうやら主人達にも危害を加えられた様子は無いようだ。

 雪葉はほっと一息胸を撫で下ろす。

 

 すると、徐に膝をついた冬将軍が吹雪を集めた左手を雪葉に向けて差し出して来る。

 そこには、白銀に輝く雪の結晶が象られた直径五センチ程の首飾りが一つ。

 どうやら受け取れ、との事の様だが、一体どういう風の吹き回しだろうか。

 

 

 ――刀を折られた時点で、既に冬将軍の中で決着はついていたのです。あれは将軍である前に一人の武士。闘いの勝者に対する敬意の証を贈りたいのでしょう。受け取っておいて特に損は無いかと。

 

 

 様々な遺恨が残ってはいるが、相手に害意が無い上雪葉もまともに動けぬ身ではこれ以上の継戦が不毛なことは誰の目にも明らかだ。

 雪葉は渋々頷き、痛みでまともに動かせない手をぎこちなく伸ばす。

 冬将軍は雪葉が伸ばした掌へと首飾りを丁寧に載せると、全身を吹雪で包み込み、この場から姿を眩ませた。

 

 今回は仕留め損ねたが、必ずや主人に矛を向けた愚挙への天誅をくだして見せる。

 そう雪葉は消えた冬将軍へと一方的な誓約を結んだ。

 

 さて、少しばかり本来の思惑から外れた勝利ではあるが、一応この幻聴には雪葉からしっかりと謝意を示しておかなければならないだろう。

 雪葉は手短に心で謝辞を述べる。

 

 

 ――礼には及びませんが、他ならぬ貴方様からの感謝の言葉を無為になど出来るわたくしではありませんので、有り難く受け取らせて頂きますね。

 

 

 何とも掴み所のない怪異に、雪葉は頭を悩ます。

 雪葉の過去を知っている線から雪葉自身の生み出した幻覚では無いかとも疑っていたものの、冬将軍の意図を雪葉へ説いてきた事から察するにそういったわけでもないようだ。

 それに、()()は雪葉に始祖の力を貸したと言っていた。ならばこの怪異は雪葉の先祖に連なる者、或いは始祖その者という可能性が挙げられる訳だが、そこの所どうなのだろうか。

 

 

 ――あまり乙女を詮索するなど、野暮というものですよ。とはいえ、その内分かる事ですから今すぐどうこうと考える必要はありません。

 

 

 どうやら正体を吐くつもりは無いらしい。しかし雪葉としては一つだけどうしても聞いておかねばならない事がある。

 主人やウィズに仇なすものなのか、それとも味方なのか。

 

 

 ――少なくとも貴方様の味方です。わたくしはとうに貴方様へと全てを捧げた身ですから。──あら。どうやらこれ以上の現界は厳しい様ですね。……では、またの逢瀬を楽しみにしております。それまでご壮健を、わたくしの唯一にして愛しい()()()

 

 

 そう怪電波が言い終えると、言い様の無い感覚が消えたように雪葉の気分が少し軽くなった。

 結局何者かははっきりと分からぬままだったが、本人がその内分かる事だと言うのなら無理に雪葉から答えを求める必要もないだろう。

 

「おーい、大丈夫かー!」

 

 遠くから声を上げる和真の呼び掛けに雪葉が小さく頷くと、ダクネスが雪葉の下へと緩やかな駆け足でいの一番に辿り着く。

 

「さすがは私の見込んだ奴だ。騎士道精神にも劣らない、正に勇猛果敢な戦いぶりだったぞ」

 

 柔和な笑みを浮かべたダクネスがしゃがみ込み、そのまま雪葉の頭を優しく撫でる。

 何やら清楚然として誉めてはいるものの、その実見込んだ理由はとんでもなく不純な動機である事を知っている雪葉としては精々苦笑いでしか彼女の賞賛に応える事ができない。

 一言水を差そうかとも思った雪葉だが、頭の心地好さに免じて今回は不問としておく事にした。

 

「あの力、僅かな間とはいえかなり体を酷使するものの様だな。なんと羨ま──いや、凄まじい力だ。その様子だと、まともに体も動かせないのだろう? 私が負ぶってやる」

 

 これくらいお安い御用だ、と雪葉の返事も待たずに背中へと背負い込むダクネス。

 何故平素からこういった頼り甲斐のある一面を見せられないのか雪葉としてはとても理解に苦しむが。

 

 そこに後からトテトテと追い着いてきたアクアが雪葉の姿を間近に見るや、怪訝な目つきで告げてくる。

 

「ちょっとユキハ、あなた身体中から変な気配が漂ってるじゃない。ダクネス、一回そのままストップ」

 

 真剣な表情でダクネスに厳命したアクアは探偵もかくやあらんといったポーズを取りながら値踏みするような視線を雪葉の全身へ注ぐ。

 

「ふむふむ……あー、なるほど。見たところ、神の力を人なんかの体に無理矢理堕ろしたからこうなってるわけね。これじゃいくら高貴な女神の私でも治しようがないじゃないの。え、嘘。しかもこの神気、私よりも神格が高い奴の仕業? 何それすんごい納得いかないんですけど……」

 

 何やら珍しくぶつぶつと熟考に耽るアクア。

 そんな彼女の姿に違和感を示したダクネスが、雪葉を背負い直しながら訝しんだ様に問い質す。

 

「む、どうしたアクア。お前でも治せないものなのか?」

「認めたくはないけど、そういうこと。と言っても一日で治るものだし、命に関わることじゃないから大丈夫よ。まあ、それまでは体なんて殆ど動かせないでしょうけど」

「ふむ。ではギルドへ戻ったら、今日一日のユキハの世話について皆で検討せねばなるまい。カズマとめぐみんにも伝えておこう」

「じゃあ、私が二人に伝えてくるわ。ダクネスはこの子を背負ってるんだし、後からゆっくり来てちょうだい」

 

 和真達の下へと踵を返しながら、アクアが叫ぶ。

 

「カズマさーん! ちょっとー!」

「おいバカ、そんな大声出すな! また冬将軍が現れたどうすん──」

「「あ」」

 

 刹那。

 

 それはまだ消える事なく宙を舞っていたのだろう。

 上空から聞こえてくる落下音に雪葉が気付いた時には既に遅く、無情にも回転を加えながら落ちてきた刀身は、まさに今腰を上げようとしていた和真の首を胴体からいとも容易くすっぱりと分断し、雪原へ突き刺さると跡形も無く霧散した。

 

「どうやら冬将軍は立ち去ったようですね。どうでしたかカズマ、私の華麗な死んだフリ作戦…………は」

 

 漸く体を起こして隣の和真へと目を配った先で、ぼとりと落ちた彼の首と、断面から血煙を滾らせて倒れる胴体を間近で目撃し、絶句ながらに放心するめぐみん。

 

 人の首が飛ぶ光景など幾度もその目に焼き付けて来たはずの雪葉ですら、この時ばかりは眩むように視界が白んだ。

 

 

 ▼

 

 

 ──完全に思い出した。

 

「あの……。落ち着かれましたか?」

「あ……、すんません、取り乱して。情けないところを見せちゃいましたね」

 

 真っ白な神殿の中、女神エリスの前でみっともなく泣いた和真は、流石に恥ずかしくなり顔を逸らして涙を拭う。

 

「何も恥じる事などありません。大切な命を失ってしまったのですから……」

 

 しかし、女神エリスは憂いを帯びた表情で首を振ると、和真を案じるように諭しながらも悲しげに目を閉じた。

 

「あの、聞いてもいいですかね? 俺が死んだ後、仲間達がどうなってるか分かりますか?」

「大丈夫です。今のところ、お仲間の皆さんに危険はありません」

 

 右手を胸の前に添えながら柔和に微笑む女神エリスの言に、和真はホッと胸を撫で下ろす。

 そんな和真の姿を見て、女神エリスが悲しそうに目を伏せる。

 

「佐藤和真さん。せっかく平和な日本からこの世界に来てくれたのに、この様な事になり……。気休めにはならないかもしれませんが、日本へと転生する前に、せめて愚痴でも吐き出していかれませんか? こう見えて私、聞き上手なんですよ?」

 

 気遣わしげに和真へと打診し、照れ臭そうに笑う女神エリス。

 この時和真はふと思った。こういうヒロインが側にいて欲しかったんだけどな、と。

 

「……そうですね。じゃあお言葉に甘えて……愚痴、聞いてもらえます?」

「はい、私でよければ」

 

 

 それから和真は日本や異世界の出来事など関係無しに、女神エリスへここぞとばかりに愚痴を零し続けた。

 

 小学生の頃に結婚を約束していた幼馴染みが、時を経ていつの間にか不良の先輩と付き合っていた事。

 引きこもってから、偶に外へ出れば腫れ物に触る様な態度で接して来る近所の人達の事。

 情けない死に様を大衆に晒しながら無様に死んだ事。

 誰しもが一度は憧れる夢のファンタジー異世界で頼れる仲間達と協力しながらめくるめく冒険が待っていたかと思えば、おばかプリーストや一発屋ウィザードにドMクルセイダーと手を焼くどころか焼失しかねない程の問題児達に振り回され、日々抱いていた夢や希望が打ち砕かれていった事。

 

 日本もこの世界も、自分に一体何の恨みがあるのか。和真はただ、人並みの幸せや夢を願っていただけだというのに。

 軒並み平凡なステータスの中、唯一高いとされる幸運値も冒険者稼業ではほぼ何の役にも立たず、弱り目に祟り目どころの話では済まないレベルで災厄が降りかかってくるばかりだ。

 

 ほぼ和真が一方的に話し続けている中、女神エリスは適度な相打ちを挟みつつ、決して和真の意見に否定をせず真摯に耳を傾けてくれている。

 

「なんで、もう一人の仲間だけが唯一の良心ですよ。他の奴らと違って、いつも俺に文句も言わずについてきてくれて……良くも悪くも純粋で可愛い弟、みたいな存在ですかね……。もしそいつがいなかったら……いや、想像したくねえ……」

 

 雪葉のいなかった場合のパーティーの行く末など考えたくも無い和真は怖気を感じて体を震わせた。

 

「……ええ、とても優しい人ですから……」

「へ?」

「ああいえっ、何でもありません! ただのひとり言で……。すみません。あなたの愚痴を聞くと言った筈なのに……」

「謝んないで下さい。言いたいことはほとんど言い尽くしたし、流石にこれ以上女神様を付き合わせるのも、罰が当たりそうなんで止めときます」

 

 徐に謝罪する女神エリスに気を咎めないよう和真は愚痴もやめ時であった事を付け足す。

 嘘ではない。誰にも言えなかった事を吐き出した事で、不思議と和真の胸中はなんとも晴れやかな気分だ。

 これなら愚痴を零す前よりかは潔く転生に踏み切れるだろう。

 

「……ん?」

 

 ふと、和真は女神エリスの背後にある丸型のサイドテーブル上に置かれたものへと目が止まる。

 和真の見間違いでなければ、それは日本にいた頃ならばとても馴染みの深い、誰もが一度は目にした事がある()()に思えてならないが。

 

「あの、どうかされましたか?」

 

 無論、和真と対面する女神エリスが目線をずらした和真の姿に気付かない筈もなく、小首を傾げながらもの問う。

 

「あ、いえ、すみません。女神様もお金をためたりするのかなって……後ろのそれ、貯金箱ですよね?」

「はい。おっしゃる通り、これは貯金箱です。でも、貯めてるわけでは無いんですよ? 勿論中にお金は入っていますが、この先一エリスたりとも使うつもりはありませんから」

 

 えへへ、と右頰を掻きながら何故か気恥ずかしそうに笑う女神エリスの姿に、和真は心で叫んだ。

 

 ――よく分からんが可愛い過ぎる!! 

 

「……て、私の話は良いんですっ。それよりも──おほん。では、気を取り直して。……異世界から来られた勇敢な人。せめて私の力で、次は平和な日本で、裕福な家庭に生まれ、何不自由なく暮らせるように。幸せな人生が送れるような場所に転生させてあげましょう」

 

 仕事モードに切り替わった女神エリスの言葉に、ああ、そうかと思い出す。

 確か、死んだら天国で暮らすか、赤ん坊からやり直すのだったか。

 

 そもそも、この訳の分からない世界でもう一度人生をやり直せた事が異状だったのだ。

 短い間だったが、最後に少しだけ楽しめたと思っておこう。

 あの傍迷惑な連中や愛らしい弟分と会えなくなるのは、少しだけ。

 そう。ほんの少しだけ。いや、弟分の方はかなり寂しいが。

 

 そんな気持ちが顔に出ていたのか、和真の顔を見て女神エリスが哀しそうに目を伏せて和真へと右手を翳す。

 

 

《さあ帰って来なさいカズマ! こんな所で何あっさり死んでるの! まだ終わるには早いわよ!》

 

 

 それは突然聞こえて来たアクアの声。

 和真と女神エリスしかいないこの空間に、ドップラー効果を伴って大音量で響いてきた。

 

「ちょ、な、なんだ!?」

 

 堪らず和真は驚きの声が上げる。

 そして、アクアの声に驚いたのは和真だけでは無かった様だ。

 

「なっ!? この声は、アクア先輩!? 随分先輩に似たプリーストだなと思っていたら、まさか本物!?」

 

 女神エリスは目を見開き、信じられないといった表情を浮かべ、虚空を見つめて大きな声を上げていた。

 

《ちょっとカズマ、聞こえる? あんたの身体にリザレクションって魔法をかけたから、もうこっちに帰ってこれるわよ。今、あんたの目の前に女神がいるでしょう? その子にこっちへの門を出してもらいなさい》

 

 再び耳に届くアクアの声。

 まさか蘇生魔法すらも扱えるとは、さすがアークプリースト。ノータリンでもやる時はやってくれるらしい。

 

「おし、待ってろアクア! 今そっちに帰るからな!」

 

 声が向こうに届いているのかは分からないが、和真は虚空に向かって叫び返し、飛び跳ねて喜んだ。

 

「ちょ、ちょちょ、ちょっと待ってください! ダメですダメです、申し訳ありませんが、あなたはすでに一度生き返ってますから、天界規定によりこれ以上の蘇生はできません! アクア先輩と繋がっているあなたじゃないと、向こうの世界に声が届かないので、そう伝えては頂けませんか?」

 

 慌てた様子でアクアへの伝言を和真に依頼するクリス。

 喜びもつかの間、和真はとんだ肩透かしを喰らってしまう。

 

「おいアクア、聞こえるかー!? 俺って一度生き返ってるから、天界規定とやらで、もう生き返る事は出来ないんだってよー!」

《はあー? 誰よそんなバカな事言ってる女神は! ちょっとあんた名乗りなさいよ! 仮にも日本担当のエリートな私に、こんな辺境担当の女神がどんな口利いてんのよっ!!」

 

 実にやめてもらいたい。

 和真の目の前で、その辺境担当の女神様がそれはそれは引き攣った顔をしていらっしゃるのだ。

 

「えっと、エリスって女神様なんだけども……」

《エリス!? この世界でちょっと国教として崇拝されてるからって、調子こいてお金の単位にまでなっただけじゃ飽き足らず、いつも信者を等しく平等に愛していますとかほざいておきながら、ちょっと優しくされただけであの子に直接女神の恩恵を与えちゃうようなチョロ甘ショタの上げ底エリス!? ちょっとカズマ、エリスがそれ以上何かゴタゴタ言うのなら、その胸パッド取り上げてやり》

「わ、分かりましたっ! 特例で! 特例で認めますから! 今、門を開けますからっ!」

 

 アクアの喚き声を遮ると、エリスは顔を赤らめて指を鳴らした。

 それを合図に、和真の前に飾り気のない白い門が姿を現わす。

 

 しかし、今の和真はそれどころでは無かった。

 先程耳にしたアクアの言が、和真の頭の中を反芻しているからだ。

 

 そう、和真とアクアがあの少女と見紛うような少年と初めて出会った時の事。

 少年が登録した冒険者カードに記された、女神の寵愛という常時発動スキル。アクア曰く、あれは女神によって与えられる恩恵で、真に心を許した者にしか女神達が下賜する事は無いらしい。

 それも女神の加護ではなく寵愛。信頼を超え、特別な感情を抱いた相手に対する証であり、まあ、要するに女神が個人を特別扱いしていると言う、仮にも国教にまで上り詰めた女神にあってはならない諸行な訳で。

 目の前の女神エリスは、少なくともあの少年を憎からず思っているのだろう。当の少年が女神エリスをどう思っているかについては定かではないが。

 

 それにしてもこれは勘弁して欲しい。

 先程心で叫ぶぐらいには高揚してしまった和真の純情を返して欲しいくらいである。

 カップルのイチャつくサマをまざまざと見せつけられるなど言うまでもなく業腹だが、のっけからルートを叩き折られるというのも中々に残酷極まりない。まだ始まってすらいなかったというのに。

 

 再び幻想を木っ端微塵に砕かれた和真は胡乱な視線をエリスへと注いだ。

 

「さあ、これで現世と繋がりました。……まったく、こんな事普通は無いんですよ? 本来なら、魔法で生き返れるのは王様だろうがどんな人だろうが一回まで。……カズマさん、聞いてます?」

「キイテルキイテル」

「なんだか、いきなり投げやりになってませんか……? まあいいです」

 

 和真が遣る瀬無くなるのも無理はない。

 先程までちょっと良いかも、と気になっていた相手との進展が速攻で絶たれたのだから平静を装えと言うのが酷な話である。

 

 すると、エリスが次第にもじもじと手遊びを始め、気遣わしげな表情で和真の顔を窺う。

 

「……あの、現世へと帰る前に、一つだけお願いを聞いてもらえませんか?」

「断る」

「ええ!? そんなお願いです! 一言だけ、一言だけあの人に伝えて欲しいんです!!」

「あの人じゃ分からん」

「もう! 分かってる筈ですよ! 女の子に一々言わせるつもりですかっ?」

 

 なんと図々しい。そこら辺は先輩だというアクアに似たものがあるが。

 

 和真はげんなりしながら、渋々エリスの伝言を賜る。

 やがて、困った様に頬を掻いていたエリスはいたすらっぽく片目を瞑り、少しだけ嬉しそうに囁く。

 

「くれぐれも伝言、忘れないでくださいね? 後、ここでの事は、内緒ですよ?」

「ウン、ソダネ」

「あの、本当に分かってますか? ちゃんとあの人に伝言を──」

 

 エリスの文句を皆まで聞かず、和真は白い門を押し開けた。

 

 

 ▼

 

 

「チェンジ」

「上等よこのクソニート! そんなにあの子に会いたいなら、今すぐ会わせてあげようじゃないの!」

「や、止めろお! 死に戻った人間に乱暴するなよ暴力女神!」

 

 夢でも見ているのだろうか。

 

 意識を取り戻した雪葉の目に映ったのは、先程まで首を分断された筈の和真が五体満足で殴りかかるアクアを制止するいつもの姿だった。

 雪葉の直近の記憶に依れば、確か主人和真の首は空から落ちて来た刀身によって落命したように憶うが、一体彼が何故生きているのだろうか。無論雪葉としては万々歳だが。

 

 そんな二人をまあまあと宥めるダクネスに背負われた雪葉の横で、めぐみんが微笑を浮かべながら雪葉の髪を撫で掬って声を掛ける。

 

「おや、気が付きましたか? 私は死んだフリをしていたので、あなたの身に何が起きていたのか殆ど分かりませんでしたが、一連の出来事はダクネス達から聞きました。良くやりましたね」

 

 流石私の弟です、と自慢げに鼻を鳴らすめぐみん。

 いつから彼女の弟になっていたのかという野暮な事をつつく雰囲気でもない為、雪葉はされるがままに甘んじて紡ぎかけた言葉を飲み込んだ。

 

「ん、目が覚めたようだな。おい二人とも! ユキハが目を覚ましたぞ」

「お、大丈夫か? 俺? 俺はこの通り、アクアの蘇生魔法で首も繋がって元気全開だよ。首に傷跡すら残ってなくて、死んだのが嘘みたいに思えるけどな」

「そう! 有能なアークプリーストである私の手にかかれば、一人や二人蘇生するなんてお茶の子さいさいなんだから! ほら、私役に立ったんだから! ねっ? ねっ?」

 

 どうやらアクアの蘇生魔法によって息を吹き返したらしい。これには雪葉も天晴れ、とアクアに向けて賞賛ながらに微笑んだ。

 目と仕草で頻りに訴えながら待ち構えているアクアの要請を快諾し、雪葉は預けてきた彼女の頭を丹念に優しく撫でる。

 

「ほんじゃ、街に帰るか」

 

 和真の提案に、全員が揃って頷いた。

 

 

 ▼

 

 

 街へと無事帰投した雪葉達は、そのまま報酬を受け取る為ギルドへ向かう。

 

「しかし、小一時間で三十匹。三百万か……。稼ぎはでかいが、死んだのが割りに合わないな。あの冬将軍ってのは、火山王と同じ特別指定モンスターとか言ってたな。あいつには、どれだけの賞金がかかってるんだ? ダクネスの剣が一撃で折られたりだとか、雪葉が仕留めきれなかったとか、ハッキリ言って、五億の賞金首がかけられていたあのベルディアよりも強かったぞ」

「冬将軍は、雪精にさえ手を出さなければ無害なモンスターですからね。それでも、賞金は二億エリスほどかかっていた筈ですよ。魔王軍の幹部で、明確な人類の敵だったベルディアはその危険度から賞金が高かったのですが。冬将軍の場合、本来はあまり攻撃的ではないモンスターなのに二億もの賞金がかけられています。この破格の賞金はそれだけ冬将軍が強いって事なのですよ」

「…………」

 

 めぐみんの説明に黙り込む和真。

 

 よくよく思えば、街に寄付した火山王の報酬でなに不自由ない生活を和真へ進呈出来た事に最近気付いた雪葉だが、既に覆水盆に返らず。

 借金が無くなったら、雪葉は今度こそ和真とウィズの生活水準を上げるために奮闘する所存だ。

 

「……めぐみん、あいつを爆裂──」

「火山王の時にも説明したはずですよ。精霊の類は生来の魔法耐性があり、精霊達の王ともいえるあの二体ともなれば、そりゃあもう魔法防御力も凄いものです。どんな存在にもダメージを与える爆裂魔法でさえ一撃では不可能でしょうね。……というか、あんな怖いの相手に爆裂魔法を撃ちたくないです」

 

 めぐみんがあれらとの交戦を避けたがるのもむべなるかな。

 攻撃と防御のいずれも兼ね備えたあれらは、雪葉でさえも一筋縄ではいかない程の強者だ。

 今後は更なる強敵との戦いに向けて、より一層の力をつけて挑む事が必要となるだろう。

 女神エリスの言葉通り、この世界はどうやら雪葉に退屈などさせてはくれないらしい。無論雪葉には否やなど無いが。

 

「さっさとそいつを貸せ! 討伐してやる」

「ダメよ! この子は持って帰って家の冷蔵庫にするの! 夏場でもキンキンに冷えたネロイドが飲めるように……、いやよ、この子はいやあああ! もう名前だってつけてるのに殺させるもんですか! やめて、やめてー!! 助けてユキえもーん!」

 

 街の往来でひとの名前を叫ぶのは、流石の雪葉でも勘弁願いたい。

 何やら声のする方に雪葉が顔を向ければ、雪精が入った小瓶を懐に抱えて抵抗するアクアへ、小剣を取り出した和真が不敵な笑みで詰め寄っている。

 

「……どうするんだ?」

 

 背中に背負う雪葉へと振り返り、方針を請いてくるダクネス。

 いつもなら即決で主人和真の味方をするところだが、今回は蘇生へのお礼も兼ねてアクアの肩を持つ事としよう。

 溜息交じりで肩を竦めた雪葉は、必死に救難信号を発し続けるアクアの下へとダクネスの足を向けさせた。

 

 

 

 ギルドで精算を済ませ、借金から天引きされた報酬をそれぞれで分配する。

 少し早いが、主人和真のあまり無理をしたくないという意見も鑑みた結果、今日のクエストはこれで終いの運びとなった。

 その為、上々だった今回の稼ぎで宿に部屋を借りて早めに体を休める事に。

 一日での儲けにしては破格なのだろうが、いかんせん借金の額からみれば焼け石に水の為、どうにも手放しには喜びづらい。

 

 雪葉の当面の課題としては、何よりも自己研鑽だろう。

 今回の冬将軍との戦いで、雪葉と肩を並べるか若しくはそれ以上の強敵が存在する事が証明された。ならば雪葉はより過酷な鍛錬へと身を投じるだけである。

 一々迷う暇があるなら、力をつけるために一秒でも己を向上させた方が余程利口と言うものだ。

 

 そんなことを雪葉が考えていれば、いつの間にやら宿の前に到着していたらしい。

 

「ふふっ、この子は大事に育てて、夏になったら氷を一杯作ってもらうのよ。そして、この子と一緒にかき氷の屋台を出すの! 夏場の寝苦しい夜には一緒に寝て……! ……ねえめぐみん、この子って、何を食べるのか知らない?」

「雪精の食べ物なんてちょっと分からないですね? そもそも精霊って何かを食べるのでしょうか?」

「フワフワしていて、柔らかそうで、砂糖をかけて口に入れたら美味そうだな……」

 

 思考から意識を戻した雪葉の目の前では、女性三人が能天気な会話を繰り広げている。

 すると、宿のドアに手を掛けた和真がアクア達へ振り返り、それぞれの顔をじっと見つめ始めた。

 

「「「……?」」」

 

 視線に気付いた三人がキョトンとした表情で和真を見返す。

 

「……ハァ」

「「「あっ!!」」」

 

 徐に溜息を零した和真の姿にぎゃあぎゃあと騒ぎ出す三人を尻目に、彼は女性陣を適当にあしらいながら、ダクネスに背負われた雪葉の下へと回り込む。

 

「そうそう、エリス様からお前に伝言預かってたんだった。『あまり無理はしないでください』だってよ。……けっ、何でこんな役回りを俺がやらにゃいけないんだよ……」

 

 そう雪葉へと耳打ちをした後、和真は煤けた背中で宿のドアを開けるのだった。

 

 

 

 翌日。

 他のメンバーがギルドへと集合した中、指定の時間になってもアクアだけが姿を見せず、雪葉が様子を見に行く事になり彼女の部屋のドアをノックする。

 しかし、一向に在室を知らせる合図もない為、雪葉は痺れを切らしてドアを開いた。

 

 そこには、小瓶を抱えてさめざめと泣き続けるアクアの姿。

 肩を竦める雪葉の呼び掛けに漸く気付いたアクアが、涙で顔を濡らしながら徐に問いだす。

 

「どーじで……ッ、どーじで雪精じんじゃっだの……ッ?」

 

 そんなもの、考えるまでもなく単純明解である。

 悲しみに暮れるアクアに対し、雪葉は部屋の隅で煌々と燃える暖炉を一度横目に配り終えてから静かに答えた。

 

 

 ――生き物には自然が一番。




今回は超長らくな更新。
次回はなるたけ早めに出したい所。

ちなみに、めぐみんの詠唱は八割方自作。
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