読者「遅かったじゃないか……」
待ちわびていた皆様、長らくお待たせしました。
またしても3万超えですのでお覚悟を。
せーの、「とんでもねえ、○○○○○○」
――急な話ですまないが、明日は家の用事が出来てしまってな。出来れば二日ほどパーティーを休ませては貰えないだろうか。
昨夕の事。クエスト終わりで食事をしていた中、ダクネスが突如雪葉達にそう言い出した。
どうしても無下には出来ない要り用であり、明朝にはアクセルを発たねばならないと添え足しながら頭を下げて。
無論雪葉達が快く彼女の頼みを承諾した事により、今日と明日は日がな一日休みである。
しかしそれは雪葉にとって僥倖とも言えた。何故なら親友ウィズとのひと時を過ごす時間が増えた事に他ならないからだ。
無論雪葉の足も嬉しさに乗じて自然と軽くなるというもの。
軽快な足取りでウィズ魔道具店へと着いた雪葉はゆっくりとドアを開く。
店内へ足を踏み入れた雪葉を迎えたのは、嗅ぎ慣れた様々な商品の匂い。変わらない陳列。相変わらず無骨なケースに厳重に保管され、カウンターの横に佇む目立つことこの上無いきたろう。
「いらっしゃいませ。本日はどのような商品を……あ、ユキハさん」
そして、来店したのが雪葉と分かるや輪を掛けて笑顔で迎える、ピンクのエプロンに身を包んだウィズ。
格好も相俟って、その姿は正に新婚の若奥様と言わんばかりの愛らしさに溢れている。
「ちょっと待っててくださいね。今温かいものを出しますから」
加えてすぐさまおもてなしを始める良妻ぶりに、何故身が固まらないと不思議な雪葉は、せっせとお茶を持ってきたウィズにお礼を告げながらそんな疑問を抱くのだった。
それから数分後。
雪葉とウィズはテーブルを挟んで対面し合い、取り留めのない話を交わしいた。
今は先日邂逅したシャコついて、雪葉がウィズにジェスチャーを混じえながら事の顛末を諄々と聞かせている。
「ええっ!? あのオウゴンハナシャコが、この街の近くの水源にいたんですか!?」
いつもおっとりとした姿からは想像もつかない剣幕で詰め寄ってくるウィズに雪葉はこくりと頷く。
「でも、あのモンスターは、本来この辺りには生息していないはず……あっ。そう言えば確か、随分前にある動物好きの貴族が、道楽で旅の土産に飼った水棲ペットを三日坊主で周辺の水源に放流したという話が冒険者の間で一時期持ちきりになってましたね。恐らくですけど、オウゴンハナシャコがその捨てられた内の一匹だったとか」
そう記憶を辿りながら推察を呟くウィズの言に、雪葉も聞き覚えがあると首肯で同意を示した。似た話を、この間ギルドで呑んだくれる他の冒険者達が酒の肴に便々と愚痴垂れていた様に記憶している。
まさか偶然耳にしたあの会話が、シャコと遭遇する暗示であったとは夢にも思っていなかったが。
まあ何にせよ、シャコの味は絶品だったと、この一言に尽きるだろう。
「やっぱりあなたもシャコミソ食べたんですね、懐かしいなぁ……。私も現役の頃に、仲間と一度だけ食べた事がありますが、翌日全員揃って宿屋のベッドから半日くらい動けなかったんですよね。まるで全身が筋肉痛みたいにピリピリして……正直、あれはかなりキツかったなぁ。でもやっぱり味が気になって仕方なかったので、結局食べちゃいましたけど」
懐古に浸り、染み染みと当時の思い出を語りながら面映ゆそうに毛先をクルクルと弄ぶウィズ。
雪葉や主人和真達は、アクアの魔法があったからこそリスクも無くシャコミソにありつけたものの、もしウィズ達同様に半日も身動きが取れなかったらと思うとゾッとしない。
「まあ最近では外来種の討伐依頼なども増加の傾向にあるみたいですから、この辺一帯の川や湖は、多少なりとも生態系が変わっているかもしれませんね。少し寂しい気もしますけど」
哀愁の漂う苦笑を浮かべ、在来種の生き物達を憐れむウィズに雪葉もたらればを打ち切り、相槌を打って同調の意を示す。
以前に主人和真からもそんな話を聞いた覚えがある。
最近の日本でも、外来種が生態系を崩す主な要因として
正直その時は生態系云々の話よりも
さて、歓談も一入に堪能した雪葉はふとある事を思い出し、ウィズは鑑定のスキルを持っていないかと不意に彼女へ切り出してみた。
「鑑定スキルですか? えっと……私はアークウィザードなので、そういったスキルは覚えられなくて……で、でもっ、私だって商人の端くれですっ。大体のアイテムや素材は頭に叩き込んでいますから大丈夫だと思います」
意気込んだように胸の前で拳を作るウィズに期待の眼差しを向けつつ、例の首飾りを懐から取り出した雪葉は彼女の目の前へと翳す。
左右に揺れる度、反射で眩く光る首飾りに目を丸くさせ、まじまじと眺めているウィズが問いかけるように呟いた。
「……随分綺麗な装飾のあしらわれた首飾りですね。これをどこで?」
勿論これは先日のクエストで冬将軍に勝利を収めた暁に賜ったあの雪の結晶が象られた首飾りである。
実を言うと、これが一体どういうものなのか聞きたかったのもウィズの下へ訪れた用件の一つなのだ。
しかし、雪葉個人としては不服な部分も多く、次の機会があると信じ、再戦を渇望して止まない。
「え? あの冬将軍に勝って、それで貰った? うわぁ……あなたはいつから人間をやめてしまったんですか……?」
ウィズが若干引き攣った表情で疑問を投げ掛けてきた。
さすがにその言い草は些か失礼では無いだろうか。幾らウィズといえども聞き捨てならない。
確かに身体能力が人外じみている自覚はあるが、人である事をやめたつもりは一度もないと雪葉は眉を顰める。
だがアンデッドの王たるリッチーから二度も人外呼ばわりされてはさすがに堪え、雪葉は一瞬人間である自信を無くしかけそうになった。
閑話休題。
この世界に関して、雪葉は圧倒的に知識が足りていない。
なので首飾りの詳細を知るため、魔道具関係に博識な人物を頼るに至ったわけだが、結果はこの通り、ウィズに白羽の矢が立った次第である。と言うより雪葉の少ない交友人数ではどう考えてもウィズしかいなかった。
「なるほど、この首飾りがどんなものか知りたいと。ですが、私も初めて見るアイテムなので……期待に応えられずすみません。何せ精霊が人に何かを与えるなんて事自体、前例が無いですし……あ、でも、もしあなたが預けてくれるなら、私頑張って調べますからっ!」
しょんぼりと俯いて自分の至らなさを嘆きつつも、検分の為に首飾りを自分に預けて貰えないかとウィズがそう真摯に打診してきた。
なにも答えを急いでいるわけではないし、ウィズさえ良ければじっくり調べて貰っても雪葉としては一向に構わない。
何より親友の申し出を雪葉が断わるはずもなく、即座に頷いてウィズに手渡す。
「い、いいんですか!? じゃあ、お言葉に甘えて……」
雪葉の承諾にほわほわと表情を綻ばせて目を輝かせて受け取ったウィズが非常に愛らしすぎるあまり、思わず口から湯水の如く本音がこぼれ出る。
可愛い。肌身離さず懐にしまっておきたいくらいにとても可愛らしい。特に笑った顔が飛び抜けて魅力的だ。
まあ普段から抜群に可愛いのは言うまでもないが、寧ろ何故いつもそんなに可愛いのか。
「い、いきなり何を言い出すんですか!? と言うかそんなに何度も連呼しないでください! お世辞とは言え、流石に恥ずかしくなるので……」
ウィズの言こそまさかである。友人におべっかを使って顔色を伺うほど雪葉は無粋ではないつもりだ。
これは嘘偽らざる心からの感想だと、恥ずかしそうにたじろぐウィズへきっぱりと言い返す。
「ほ、本当ですか? ありがとうございます。えへへ……」
ほんのり頬を染め、『秘蔵! 1ヶ月2枚まで!』と書かれたお菓子の袋を引っ張り来るあたりがなんとも微笑ましくいじらしい。
悦に浸って綻ぶ彼女の姿に、雪葉の心もついついほっこりと和らぐ。いつから癒しの王に転職したのだろうか。
とはいえ、そのお菓子の袋に書かれた殴り書きからは、ウィズの貧窮事情が察するに余りあるので、自分の数少ない楽しみを犠牲にするのはどうかやめて貰いたい。
「え、一枚だけでいいんですか? とても美味しいですよ?」
親友からの勧めであろうと雪葉は一枚で十分だと遠慮させてもらった。
ただでさえ良心が痛むのに、二枚目を貰った折には罪悪感で心がガリガリと削られそうだ。というか現に少し削れている。
「そうですか……なんだか気を遣わせちゃいましたね」
変な気遣いをしているのはウィズの方である。
第一これは自分の問題であるとウィズに言い切り、雪葉は申し訳なさそうに身を竦める彼女へ気に病む必要は無いと首を振った。
そんなウィズの正体は魔王軍の幹部の一人であり、アンデッドの頂点に立つリッチーである事を既に聞き知っている雪葉でさえ時折忘れ掛けてしまうほど温和を絵に描いたような彼女だが、正直雪葉としてはウィズの過去にとても興味をそそられてやまない。特に、本人が黒歴史と自称してそれ以上明言したがらない当時の姿には。
本人に気取られぬよう、その内諜報活動に乗り出して写真を入手する心算である。
ウィズには申し訳ないが、雪葉にとってそれは喉から手が出るほどのお宝も同然。踏み止まる理由などどこにも見当たらなかった。
「では、私が責任持って預かりますね。こう見えて、冒険者をやっていた頃はレアアイテムの収集なんかにも手を出していたので、久々に腕がなりますっ」
預かった首飾りを手に、よしっ、と雪葉の思惑も知らずに熱意を燃やすウィズへ、くれぐれも無理をしないよう念を押しつつ細やかに激励する。
「──あ、そうだ! あなたに渡したいものがあったんです」
徐に手を合わせたウィズが店の奥へと姿を消してから数分後、戻ってきた彼女の手には何やら淀んだ色のポーション瓶が一つ握られていた。
「見てくださいコレ! なんとモンスターが寄り付かなくなる凄いポーションなんですよ? その代わり、全身が一日中魚のように生臭くなるのが難点ですけど。本来であれば一本五十万エリスになるんですが、友人であるあなたに日頃のお礼ということで、どうぞ」
どうやら、また性懲りもなく廃品を新しく入荷していたらしい。というかそれはどう考えても臭いでモンスターが避けているだけに思えてならないのだが。
もはやウィズの商才は向き不向きで済む次元の話では無い気もするが、本人は自分の審美眼を露ほども疑っておらず、周りが指摘したところで所詮は犬に論語なのは火を見るよりも明らかだ。
ウィズの生活を潤す為にも出来るだけお得意様の復帰を急がねばと、彼女から苦笑いで曰くつき商品をタダで受け取った雪葉は今一度決意の火を胸に灯し、ギルドへ向かう事に決めたのだった。
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首飾りをウィズに託して店を跡にした雪葉は、先刻の決意どうり親友の生活を潤沢にする為の資金繰りにと確固たる意志でギルドへと足を進めている。
本格的な冬の到来を迎えた街は死んだ様な静寂に包まれ、人っ子一人ともすれ違わない光景は、かつて雪葉が全滅に追い込んだ廃村をどことなく想起させた。
こんな物騒な懐古を抱く辺り、雪葉の感性は誰に聞かせても顰蹙を買いそうな異常ぶりだが、日々死線を潜り抜けて来た雪葉に自覚があるかなど言わずもがな。非難の雨待った無しである。
そんな街中を横切って行くさなか、ふと橋の下の川縁で蹲る人影が雪葉の目にとまった。いや、正確には見つけてしまったと言うべきか。
セミロングの黒髪をリボンで二つに束ね、見覚えの深い真っ黒なマントを身に纏う十代半ば前後の少女が、裸足で膝を抱え込んだまま呆然と川の水を眺め耽っている。時折足下に転がる石を川へ投げ入れながら。
その悲観に暮れた赤一色に燃える瞳は、雪葉の姉を自称するあの傍若無人な頭のおかしい爆裂っ子を彷彿とさせた。似通った特徴から、恐らく少女も同じ紅魔族だろうと思われる。
唯一見た目の違いを敢えて挙げるなら、発育の良さが月とすっぽんと言ったところだろう。めぐみんを尊重し、敢えてどこがどうとは言及しないが。
少女は見るからに困り事を抱えている様子だ。そうでなければ、こんな寒空の下に裸足のまま入り浸るなど余り正気の沙汰とは言い難い。というか思いたくはない。
状況から察するに、川へ入らざるを得ない何かしらの災難があったのだろう。それにあの様子ではどうやら問題も未だに解決していないように見受けられる。
正直紅魔族に関しては当のめぐみんが何かと痛々しくて目も当てられないが、いと尊き領主から授かった『困っている人には手を差し伸べろ』との教えに従い、少女の下へと歩み寄った雪葉はここで何をしているのかと声を掛けてみた。
「えっ……? あっ、えっと……ちょっと、ヘマしちゃって……」
ちょっとにしてはかなり絶望の顔で川を見つめていたみたいだが、本当に些細なヘマをしただけなのだろうか。
傍から見ていた限り、何やら重大な問題と直面している様に思えるが。
「うぐっ……実は川の中にサイフを落としちゃったの……。うぅ、前々からコツコツ貯めてきたのに……」
目尻に涙を浮かべて訥々と経緯を語ってくれた少女の話を要約すると、どうやら彼女は宿からギルドに向かう途中、石ころに躓いてうっかりサイフを落としてしまい、それをどら猫が咥えて逃走。
すぐさま少女は追いかけていき、やっとの事で袋小路まで追い詰めたと思えば、突如上空からカラスが猫を急襲。サイフを手放して逃げ出した猫の代わりを務める様に今度はカラスがサイフを鷲掴みにして掻っ攫っていき、少女は再び追走を始める。
やがて、痺れを切らした少女が魔法でカラスを驚かせてサイフを開放させる事には成功したが、運悪くカラスが飛んでいたのは川の真上でそのままサイフは川ポチャ。
おまけに偶然魔法を目撃して駆け付けた衛兵からいたずら目的と誤解され、それに対して少女が弁解を行えばこんなクソ寒い中無駄足を踏ませるなと舌打ちまでされる始末。
ひょっとしなくても明らかに八つ当たりをされているし、間違っても衛兵がいち住民に対して口にすべき言葉では無かった。少女は訴えても良いだろう。
そして現在に至るとの事だがどうしたものか。これにはさしもの雪葉でも言葉に窮せざるを得ない。
普通であればこんな季節に外へ出てくる筈のないどら猫やカラスに出くわした挙句に落し物を持ち去らわれ、終いには衛兵から悪態をつかれ、もう泣きっ面に蜂もいいところである。
はっきり言って業が深いアクアと互角に渡り合えるぐらいには不憫極まりない。もしや少女は日頃からエリス教に聖戦の火種を撒き散らしているアクシズ教徒の一員なのだろうか。
ちなみに雪葉はアクシズ教徒からエリスの毒牙にかけられた哀れな子羊と思われており、迫害を受けるどころか凄い同情されている。
なのでアクセルの街でアクシズ教徒とすれ違えば必ず呼び止められ、アクシズ教徒の巣窟でもある水の都アルカンレティアに赴く事をしつこく勧められては知らぬ間に雪葉の懐へありったけの入信書を潜ませて行くのだから中々どうして侮れない。
あの思い返すほどに悍ましい手際には、不本意ながら目を見張るものがある。
信者達の話では、そこにアクシズ教の最高責任者であるアークプリーストがいるらしく、彼なら魔神エリスの寵愛などと言う口にするのも憚られるほど穢らわしい呪いを祓ってくれるだろうとの事だが、もはや女神エリスがアクシズ教徒から魔王よりも目の敵にされていてとても聞くに忍びなかった。
ゆえに少女がアクシズ教徒なら、雪葉は少女から出会い頭にしつこく勧誘されているか同情の涙を流される筈だし、エリス教の教区であるこの一帯で何かしらの侮辱行為に及んでいないのはどうも不思議でならない。根拠は一つ。それがアクシズ教徒たり得る所以だからだ。
正に悪質教極まれりとは誰が上手い例えを考えついたものか。
――ウラァ! 聖なる神罰を喰らいやがれぇ!
――ヒャッハー!
――あくしろよ、ショバ代出せやオラァン!
とまあ、あの様に投石して家の窓をぶち破ったり、エリス教徒に水風船を投げつけたり、先端に動物のフンを塗した木の棒で恐喝するなどの狼藉を働いている彼等こそが正真正銘のアクシズ教徒である。神罰を受けるべきは明らかに彼等の方だが。
果たせる哉、騒ぎを聞きつけた衛兵がすぐさま飛んで来るがアクシズ教徒達は捨て台詞を吐いて脱兎の如く逃げ去ってしまった。
最早アクシズ教の信者に関しては狂徒と呼ぶのが相応しいだろう。アルカンレティアにはあんなのが跳梁跋扈していると思うと実に嫌気が差す。
なので女神エリスによるアクシズ教徒への神罰の線は薄いだろうと雪葉は帰結した。
そもそも、あれほど親身に接してくれた大恩ある女神エリスが他宗教の信徒を罰するなどそれこそ驚天動地である。
仮に事実だったなら、雪葉は波風立てまいと目を背けるだろう。宗教同士のいざこざに首を突っ込めば十中八九碌な事にならないのは推して知るべしというものだ。
「で、でもっ、すぐに見つかると思うし大丈夫っ。それに、話を聞いてもらったから、お陰で気分が少し楽になったわ。ありがとうっ」
一連の経緯を語り終え、空笑いを浮かべる少女。
その言が単なる痩せ我慢である事など、雪葉は当然見抜いている。
雪葉のように耐寒訓練を受けているのなら多少頷けるが、身を抱えるように縮こまって震える彼女の様子から察するにそういうわけでもなさそうだ。
この時季の水温はさぞ体に堪えたに違いない。顔の血色も普段のウィズぐらいに青白いし、手足も霜焼けで赤くなりかけている。
流石にこれ以上は少女の命に危険が及びかねないので雪葉は捜索を中断するよう少女に告げた。
「えっ? でも、あれが見つからなかったら私お金無いし、そうなったら馬小屋に泊まるしか……」
馬小屋の不便さは雪葉もよく知るところである。
しかし少女に言いたいのはそういう事ではないのでふるふると首を振った。
「じゃあ、どうしたら──え」
サイフを失くした経緯を聞いた時点で既に乗りかかった舟だ。
諦観する少女の両肩を掴み、雪葉はそのまま彼女へ顔を近づけて行く。
「うぇっ、ふえぇ!? ちょ、ちょちょちょちょちょっと待って! なんで!? どうしていきなり!? こういうのはちゃんと順を追ってからだってお母さんが……」
あたふたと忙しなく身振り手振りを始めて赤面する少女。
何を言いたいのかさっぱり分からないがあまり動くと狙いが狂うのでじっとしている事はできないだろうか。遊び盛りの子供じゃあるまいし。
「で、でも……! やっぱりダメよこんなこと! だってどう考えたって初対面でそんな……き、キ…………うぅぅぅ……」
何とも歯切れの悪い少女のくぐもった呟きに痺れを切らしかけている雪葉が苛立ちに片目をひくつかせ、一層顔を真っ赤にした少女へこれが一番手っ取り早くて必要な事だと再度説得に掛かる。
「うぅ……わ、分かったわっ。だけど、少しだけ時間が欲しいの! せめて心の準備はさせて! …………よしっ。──スゥーッ……、ハァー…………は、はいっ!」
暫くぐずぐずと逡巡していた少女は漸く腹を決め、数回深呼吸を繰り返した後に思い切り目を瞑ると、ぎこちない動きで顔を上げた。
今からする事にそこまで覚悟が必要なものかと疑問を感じた雪葉だったがまあいい。大人しくなったのならこちらも早く事を済ませられるに越したことは無いのだから。
震える少女へ応えるように雪葉も再び顔を近づけ……彼女の首筋に鼻を添えて匂いを嗅いだ。
嗅ぎ終えた少女の匂いをしっかりと記憶した雪葉は草鞋と足袋を脱ぎ捨て、躊躇うことなく川の中に足を踏み入れて行く。
「………………あ、あれ?」
呆然と目を見開いた少女に目もくれず、覚えた匂いを頼りに鼻を利かせ、探し始めてから僅か一分足らずで位置を割り出した雪葉が川の中へやおら手を突っ込んで引き上げると、すっかり水の染み込んだずぶ濡れのサイフが握られていた。
何者も比肩にならないほど磨き上げられた雪葉の嗅覚を持ってすれば、川の中から物を探し当てるぐらいは朝飯前である。
「………………」
川縁へと上がった雪葉が戻ると、俯いた少女が先程よりも体をぷるぷると大きく戦慄かせている。
恐らくここまで貫いてきた寒さへの痩せ我慢にも限界が訪れているのだろう。雪葉は一刻も早くギルドで暖をとるよう促しながら彼女にサイフを差し出す。
「……──ッ!!」
すると、再び真っ赤に染まった顔を上げた少女がこれでもかと眉を吊り上げて雪葉を睨み、唐突に胸ぐらへ掴みかかってきた。
もしかしてこのサイフではなかったのだろうか。
「うわああああああんっ!! 酷いっ、酷すぎるわっ! こんなのってあんまりよっ! 私、凄い勇気出したのに! 恥ずかしいのとか、色々我慢した結果がこんな仕打ちだなんてっ! バカッ!! ペテン師ッ!! 鬼畜ッ!! スケコマシッ!! 返してっ! 私の覚悟を返してよおおおおおおおっ!!」
いきなり癇癪を起こして雪葉の体を揺らしてくる涙目の少女から糾弾される意味が分からず、心当たりが無い罵倒の嵐をぶつけられても雪葉は只々首を傾げる他なかった。
▼
ギルドに着いた雪葉と少女は酒場のテーブルに向かい合って座ったものの、場の雰囲気はとても鬱屈としている。
「ご注文は御座いますか?」
「…………」
「あ、あのぉ……」
怪訝な眼差しで注文を伺うウェイトレスの呼び掛けに対し、テーブルへ顔を突っ伏したまま沈黙を貫く少女。
代わって雪葉が仕方無く彼女の分も適当にメニューから見繕い、注文を伝える。
「以上でよろしいですか?」
復唱された注文に雪葉が相違無しと頷くと、恭しく頭を下げてその場を後にするウェイトレスは、去り際にちらちらと後ろ髪を引かれる様に雪葉達の方へ振り返りながら厨房の奥へと消えて行く。
店の中でこれだけ沈んだムードの客が居座っていては無理もないだろう。実際雪葉も目の前の少女にどう声を掛けたものか考えあぐねているぐらいだ。
「……さっきは本当に助かったわ。この時期に馬小屋なんて、冗談でも笑えないもの」
やがて、沈黙を破るように謝意を述べながら頭を上げた少女。
その目からは、言外にさっきの暴走は忘れろと言われている様で、薮蛇な真似はせず雪葉は黙って首肯で返す。
さて。感謝の言を受け取ったのは良いが、お互いにまだ名を名乗っていないのは自分の気のせいだろうか、と雪葉は暗に双方の自己紹介をしてはと少女へ勧めてみた。
「うっ……そ、そういえばまだ名乗ってなかったんだ……。コホンッ、わ……我が名はゆんゆん! アークウィザードにして、上級魔法習得を目指す者。やがては紅魔族の長となる者……!」
唐突に立ち上がってバサリと黒いマントを翻しながら見覚えのあるポーズで少女が名乗り終えると、ギルド内のスタッフの困惑を孕んだ視線が一斉に彼女へと突き刺さる。
「──ッ!! はうううう……やっぱりやるんじゃなかった……っ!」
衆目を集めた少女はすぐに座り込み、真っ赤な顔を伏せながら悔やむ様に臍を噛んだ。見事なまでの後悔先に立たずっぷりである。
そんな少女の心情を察したスタッフ達は何事も無かったようにゆっくりと顔を逸らし、再び業務へ取り掛かった。
やはりめぐみんと同じ紅魔族のようだが、彼女と違い目の前のゆんゆんと名乗った少女が辿々しく自己紹介を告げた所作は、めぐみんと比較すると正に月と鼈だ。
まさか紅魔族の中にもアレに抵抗を覚えるまともな感性を持つものがいたとは、内心驚きである。あちらにとっては逆にゆんゆんが異質の存在なのだろうが。
無反応はさすがに失礼なので、一先ず雪葉もぺこりと一礼して名乗り返す。
「あ、あれ? 私の名前を聞いても笑わないの? どうして……?」
既に初見のめぐみんから洗礼を受けている雪葉に然程の衝撃は無いが、紅魔族の風習らしいあの口上とポーズにはさしもの雪葉も少々辟易している。
おまけに名前がキラキラネームもかくやというほど個性の範疇から外れており、初めてめぐみんの名前を耳にした時は、主人和真を愚弄しているのかと疑ってかかったくらいだ。
しかも紅魔族からすれば、自分達以外の人間の方が変な名前をしているとはめぐみん当人からの弁である。つくづくアクの強い連中と言わざるを得ない。
さすがは魔王軍すらも忌避する、触れてはならぬ、関わってはならぬのアクシズ教と並ぶ二大禁忌である。
もしも双方が手を取り合えば、よもや魔王など取るに足らないのでは……いや、よく考えたら世界が滅びかね無いので雪葉は悍ましい邪推をすぐに消し去った。
故に常識的感性を持ったゆんゆんからすれば、周りの同族達の言動に常々頭を悩ませていた事だろう。誠に心中お察しする。
「な、何だろ……私、今凄い憐れまれてる?」
どうやら哀愁漂う笑みを浮かべた雪葉の反応が予想外だったのか、目を丸くさせながら独り言のように疑問を呟いたゆんゆんを尻目に、雪葉は淡々と自分について語っていく。
「え、あなた冒険者なの? でもさっき歳は十歳だって言ってた気がするんだけど……」
雪葉の自己紹介に困惑するゆんゆん。
大方そんな反応が返ってくるだろうと予想していたにせよ、口頭で一々受け答えをするのも手間に感じた雪葉は、ゆんゆんの疑問を一挙に解決出来る冒険者カードを彼女へ手渡した。
「わあ……カードは偽造出来ないから、本当に冒険者なんだ……──え、何これ。ステータスが殆ど計測不能? 忍者? 女神の……寵愛?」
これは不覚。まさか新たな疑問の種を増やす羽目になろうとは。
つくづく異例すぎる自分の難儀さに怨嗟をぶちまけたくなった雪葉が物憂げにうへえと声を漏らし、愕然と冒険者カードを見つめるゆんゆんに補足説明を加えかけたその時。
「──ええ!? それは本当ですか!? ……はいっ。…………はいっ。……ええ、すぐに取り掛かります。……はい、では」
突如ギルド内に響き渡った驚きの声に、雪葉とゆんゆんは何事かと振り向いた。どうやら声の主は受付カウンターにいたルナの様だ。
彼女はギルド内の全スタッフを呼び集め、何やら鬼気迫った表情で全員に何かを伝え始める。
「何かあったのかな? あの様子だと、あんまり良い話じゃなさそうな……」
ゆんゆんが囁くようにそう耳打ちしてきた。
彼女の言う通り、見るからにあの一帯だけが只事では無さそうな空気に包まれ、時折どよめきの声が聞こえてくる。十中八九穏やかな話では無いだろう。
こういうのはいつどこに興味を唆られるような強敵の情報が転んでいるとも限らない。斯様な事態なら尚の事気になるのが雪葉という人間である。
となればやるべきことは一つ、とばかりに雪葉はスタッフ達の方へどれどれと耳を傾けた。
「それは確かですか!? あの方の姪御様が少し前に連れ去られたというのは!」
「ええ、本当です。正門の衛兵からの連絡によれば、姪御様はどうやらダスティネス邸に馬車で向かっていたらしく、その道中で何者かの急襲を受けて攫われたと、傷を負った体でアクセルへやって来た従者が話していたそうです。もし彼女の身に何かあれば、もはやギルド内のみならずアクセル全体がどうなるか……」
「で、ですが、確かあの家は王都の騎士と並ぶ腕前の専属護衛を雇っていた筈では?」
「勿論護衛は付いていたそうです。しかし、誰も犯人の気配に気付くことなく立ち所に無力化され、今はアクセルの診療所に運ばれ治療を受けていると……」
思わぬ事実に、スタッフ全員から驚愕の声が上がる。
「なら、一刻も早くギルドから依頼を出しましょう! 街の冒険者全員に緊急クエストとして呼びかければ……」
「おいおい、さっきの話聞いてなかったのか? 姪御様が攫われた事は出来る限り公にするなっつうあのお方直々のお達しなんだろ? だったら少数パーティーで行ってもらうしか方法はねえ」
「そんな無茶な! 相手の正体や勢力だって分からないのに!」
「でもそうするしか無いでしょ。無理だろうがなんだろうが、あの方がやれと仰ってるんだから」
「それに、冒険者達が集まるのを待っている時間も惜しいですし……そもそも相手は、王都の騎士に並ぶ護衛を容易くあしらえる様な力を持っているんですよ? 対抗出来る冒険者なんて、このアクセルにいるでしょうか……?」
「ミツルギさんだ! 魔剣使いのミツルギキョウヤさんなら……」
「彼、別のクエストで遠征に出ているからここにはいない筈よ」
「くそっ! なんでこんな時に!」
どうやらああでもないこうでもないと終わりの見えない問答ばかりで中々結論がまとまらないらしい。スタッフ達の慌てぶりを見るに、余程の事態に晒されている事はなるほどよく分かった。
まあ、女子供というのは交渉ごとの脅迫材料や人質として利用するなら確かに御誂え向きであり、実際雪葉も当時お偉方から似たような人攫いや護衛の任務を何度か請け負った経験があるので、犯人の迅速な目利きと鮮やかな手際には少し興味を惹かれる部分もある。
いきなり攫われたその姪御もさぞ気の毒と思うが、彼女には雪葉と下手人を繋ぐ為の橋渡しとなってもらおう。助けるのはもののついでになるだろうが文句なら後で幾らでも聞き受ける所存だ。
人質の安否など二の次な雪葉は、スタッフ達の会話へ再び耳を澄ませた。
「どう考えてもここの冒険者じゃ手の打ちようがない。第一あのミツルギに並ぶ実力を持つ奴など……」
「ええと……一応、いるにはいるんですが……」
「じゃあすぐに呼びましょう! 街に放送をかけますか? それともみんなで探し回りますか?」
「いえ、そこに……」
他スタッフの問い掛けに口ごもりながら否やを告げたルナの視線が、他でも無い雪葉へと向けられる。これは願ってもない展開だ。
「……例の、あの方です」
『おおおっ!』
「え? え? どういうこと?」
細々と告げたルナとは反対に色めき立つスタッフ達の期待に満ちた眼差しが、一斉に雪葉へと注がれる。
一方で、状況が掴めていないのか頻りに雪葉とスタッフ達に視線を泳がせているゆんゆん。話の経緯を知らないのだから無理もない。
「そうか……頭のおかしい忍者がいたな」
「そうだ。アクセルには頭のぶっ飛んだ残忍天使がいるじゃねえか」
「ええ、頭のどうかしてる戦闘妖精がいたじゃない」
「ああ、頭のやばいのがいれば百人……いや、千人力だぜ!」
雪葉を目にするや、水を得た魚の如く気勢を上げるスタッフ達。
次第に指笛まで聞こえ始め、もはやさっきまでのどんよりとした雰囲気は何処へ行ったとでも問いたくなる変わり様だ。
それはそうと、中々愉快な冗談があちこちから聞こえてきたようだが、彼等は喧嘩でも売っているのだろうか。
「「……?」」
無言で見つめる雪葉の様子に違和感を感じ始めたスタッフ達との間に物々しい雰囲気が漂い始め、ギルド内がシン、と静まり返る。
時折外風がヒュルリと建物を撫でては静けさに拍車がかかり、互いが黙したまま見つめ合う時間だけが過ぎていく。
やがて、徐に口もとを弧に描いた雪葉は、何かを察して生唾を飲み込むスタッフ達にピシャリと言い放った。
首を出せ。
「え、なに!? いきなりどうしたの!?」
拳を作るようにパキパキと関節を鳴らし、後ずさるスタッフ達に迫ろうとする雪葉の肩を掴んで呼び止めるゆんゆんに物申す。
どうしたもこうしたもへったくれもない。
あんな不愉快極まりない異名で雪葉を煽り散らした輩へ直々にお礼参りをくれてやるのだ。
なあに心配は無用である。彼等が気絶する程度には力を抑えるつもりだから何も問題はない。
「何それ尚更安心出来ないわよ! ていうか普通に衛兵案件だから絶対やめて!!」
雪葉に引き摺られながらも正鵠を得た指摘を突き付けるゆんゆんに咎められ、雪葉はぴたりと足を止めた。
さすがに衛兵の世話になるのは勘弁願う。主人和真やウィズを悲しませるなど、合わせる顔が無くなってしまうではないか。
実に不服だが、主人達を天秤にかけられては背に腹はかえられぬ。ここは止む無しと彼等の軽挙を見逃すことした。
苛立ちを抑えて深く息を吐き、徐に顔を上げた雪葉が再び目を向ければ、怯えたスタッフ達は青ざめた顔で蜘蛛の子を散らすように持ち場へ逃げ戻り、残ったルナただ一人が苦笑いを浮かべていた。
その呆れた様な顔からは、他のスタッフ達に対する彼女の心労がひしひしと伝わってくる。
ルナは困り眉で雪葉達に歩み寄り、躊躇いがちに訥々と語り掛けてきた。
「他の者が失礼を働き申し訳ありません。後でよく言って聞かせておきますので……。それで、重ねて不躾なお願いなんですが……ある緊急のクエストを引き請けて頂けたらと思いまして……。差し支え無ければ、話を聞いてもらえませんか……? 出来たらそちらの方もご一緒に」
「え? わ、私も?」
自分を指差して聞き返すゆんゆんをよそ目に、雪葉は承諾の返答をルナに告げて詳細を説明するよう仰いだ。
「──……と、言うわけでして」
「つまり、大貴族の姪御さんを救出すればいいんですね? でも、私たちだけで大丈夫なんでしょうか……」
「誘拐犯の正体やはっきりとした実力が分からないので、今は何とも……。それに姪御様は今回お忍びでいらしていたらしく、あまり多くの方に知られる様な事態は自分の面目が立たないから絶対に避けろと、大貴族様から言伝がありまして……なので今回は緊急クエストではあるものの、あなた方お二人にお願い出来たらと思ったのですが……どうでしょうか?」
「いやどうでしょうと言われても、話を聞いてしまった時点でもう既に片足踏み入れちゃってますよね、これ……。断ろうにも断れないレベルの話なんですけど……」
ジト目で突っ込んだゆんゆんの言う通り、しれっと責任の片棒を担がせて退路を断ってきたルナの手口は正に名実共に一番を誇る受付嬢と言える策士ぶりだ。雪葉も実に感服せざるを得ない。
尤も、そうルナの事を持て囃している者の大半は下心見え見えで彼女に接して来る男性冒険者ばかりであり、終いには女性冒険者達にゴミを見るような目を向けられるまでが彼等のテンプレである。
「ねえ、どうする?」
悩ましそうに雪葉を見遣るゆんゆんの問いは、恐らく引き請けるか否かではなく、二人だけで大丈夫なのかと暗に嘆いているのだろう。
敵の詳細も不明な現状に不安を覚えるのも頷けるが、何より先方が出来る限り少数に留めろと厳命しているのだから、今のところ雪葉に増員の考えはない。
余談だが、雪葉が一人でクエストを請けるのはどうだろうと物は試しでルナに申し出た結果、凄まじい形相に変わった彼女から即座に両手でばつ印を作って却下された。
ガッデム。余程ベルディアの一件がトラウマになっているようだ。
「うぅ……凄い不安になってきたなぁ……あの、本当に私達二人だけで大丈夫ですか?」
「実を言うと、この人は危険に飛び込みたがる傾向があるので……えっと……」
「……ゆんゆんです。そんなに無鉄砲なんですか? この子」
「はい、どうしようもないくらいには……。ですから、ゆんゆんさんには監視役兼ストッパー役として彼に同行して頂きたいという理由もありまして……。どうか可能な範囲で構いませんので……」
「私、どっちも務め切れる自身無いんですけど……」
「……お二人のご健闘を祈っています」
「出来るだけ頑張ってみます……」
盛大に嘆息し合うルナとゆんゆんの憂慮だらけなやり取りをよそに、雪葉は一人まだ見ぬ敵に想いを馳せ、人知れず不敵に微笑んだ。
▼
入念に武装を調えた雪葉とゆんゆんは現在、誘拐犯が護衛達に置いていったという声明文を頼りにひたすら目的地へと向かっていた。
その内容とは、『近郊の丘にある城にて我等に抗う冒険者を待つ。時間は日没まで。来なければ人質の小娘は容赦なく殺す。又、そいつらが負けても人質に命は無い』というなんともざっくばらん且つ理不尽なものだ。まあ下手に出て要求する犯人もいないだろうが。
幸いアクセルの近郊にある城といえば、嘗てベルディアが根城にしていたあの古城以外には存在しないとルナが言っていたのでほぼ確定だろう。
それにしてもまたあの廃城である。あの辺境に佇む城には悪党を惹きつける魅力でもあるのだろうか、それとも雪葉があの城と何かしらの縁があるだけなのか。さすがにそれは嫌過ぎるが。
とはいえ、探す手間が大いに省けたのは僥倖だった。幾ら雪葉でも徒らに走り回って骨折り損のくたびれ儲けなど御免被りたい。忍者は無駄なく迅速かつ丁寧に、がモットーなのだ。
「そういえばあなたの自己紹介が途中になってたけど、忍者ってどんな職業なの? 私が覚えてる限りだと、冒険者マニュアルにそんな名前の職業は載ってなかった気がするんだけど」
両手を顔の前に翳し、吐息で温めているゆんゆんがそんな風に尋ねてきた。
少々具体性に欠ける質問で答えづらいが、端的に例えるならば盗賊やアサシンを掛け合わせた職業とでも思って貰えば想像がつきやすいだろう。要するに斥候や不意打ちに長けた戦法を主とするのが忍者の戦場における役割だ。
無論ベルディアとの闘い同様、正々堂々の勝負に於いても全く問題は無いが。
「うーん……忍者はよく分からないけど、スタッフの人達があれだけ期待しているんだからよっぽどあなたって強いんでしょ? ……頭がどうかはこの際置いとくとして」
少なくともアクセルの街で雪葉に並ぶ実力を有しているのはウィズぐらいのものだろう。後は目くそ鼻くそだ。
序でに言うと、頭がおかしいと言われた事に関しては実に腹立たしいし、雪葉は至って普通の価値観を持っていると自負している。下手人の顔はしっかりと記憶したので彼等に二度目は無い。
それはそうと、暇を持て余していた雪葉はともかく、ゆんゆんの方は本来ギルドにどんな用事があったのだろうか。
冬場のクエストは強力なモンスターしかいないのに、態々依頼を受けようとしていたのなら随分と殊勝なことだが。
「そ、そうじゃなくて、その…………を、募集してるから……毎日誰か来ていないか、確認を……」
小声でぼそぼそと囁いても、雪葉にははっきりと聞こえていた。
どうやらゆんゆんはパーティーの募集をしているようで、毎日ギルドへ通い詰めては応募者が来ていないか確認に訪れているのだと言う。
なるほど、道理で朝早くにギルドへ赴こうとしていたわけである。
一瞬、何故か雪葉の胸中にズシリと何かが重くのしかかった。
威圧とも違う未知の感覚に心がほんの少しざわついたが、恐らくまだ見ぬ敵に昂ぶる武者震いだろうとかぶりを振って邪念を払う。
そんな雪葉を尻目に、青菜に塩をかけたようなゆんゆんの語る声が徐々にくぐもっていく。
「もう貼り出してから数ヶ月経ったけど……誰も希望者がいないどころか、せっかく目を通されても、どうしてか皆見えないふりをして去って行くの……ここ最近はギルドに来る冒険者すら見かけないし」
なんとも不可解ではある。ゆんゆんは正真正銘のアークウィザード。つまりは上級職であるにも拘らず、数ヶ月に渡って一人も応募者が名乗り出てこないとはどういうことなのか。
本来であればアクセルの街の冒険者にとって上級職は稀少な存在。それこそアークウィザードという攻撃魔法に特化した遠距離型の超火力なら、喉から手が出るほどに引く手数多の筈なのだが。
とは言え、めぐみんという超弩級の例外であるならばその限りでは無いが、アクセルで爆裂魔法を覚えている逸材など自分くらいのものだとはめぐみん自身の弁である。
ゆんゆんの性格から見ても爆裂魔法にのめり込むような感じでは無さそうなので、未だソロというのは尚のこと疑問が拭えない。
一先ず、見る間に気落ちしていくゆんゆんの背中をポンポンと軽く叩いて励ましつつ、因みにどんな募集内容を記載したのか尋ねてみると、不意に頭を擡げたゆんゆんはいそいそとポケットから一枚の折り畳まれた紙を取り出し、ハイこれ、と雪葉に手渡してきた。
さて、一体どんな募り文句を記したのか紙を広げて目を通してみると。
『パーティーメンバーを募集しています。レベルや職業は問いません。優しい方、名前を聞いてもバカにしない方、年齢の近い方、話を聞いてくれる方であればどなたでも大歓迎です。出来ればクエストのみならず、休日でも一緒に過ごして下さると尚嬉しいです。──ギルド酒場の◼︎番テーブルにて、始業から終業までいつでもお待ちしています』
雪葉は目が霞んでいるのかもしれないと片腕で拭った。
しかし何度目を凝らそうと内容は変わらず、まるでこの文面が現実から目を背けるなとでも否定してくる様だ。
なんじゃこりゃ。ただただ酷い。
これではパーティーメンバーの募集ではなくただの友人の募集である。
それもギルドで一日中待ち続けているとか最早救いようが無いし、酒場のスタッフからすれば普通に迷惑な客だった。募集の文面は誰がどう見ても応募したくなる魅力が一つも無いどころか、完全にマイナス方面に作用しているとしか到底思えないが。
今までの先人達が黙殺して立ち去ったのもむべなるかなといったところだ。誰だってこんな地雷確定の紙を手に取りたくはないだろう。
「ど、どう……?」
おずおずと伺う声に振り向けば、キラキラと期待の眼差しを雪葉に注いでいるゆんゆん。
正直気が進まないが、ゆんゆんがあのギルドで来るはずのない応募者を一生待ち続ける事のないよう、雪葉は今ここで苦言を呈することに決めた。さもなくば、主人和真が涙ながらに聞かせてくれた、忠犬ハチ公の様な結末を彼女が迎えてしまいかねないと思ったのだ。
誰に任されたわけでもないのに、これまで受けてきたどんな任務よりも今が一番荷が重い。
雪葉は苦笑いを浮かべ、このクエストが終わったらギルドの掲示板にある貼り紙を外すようそれとなくゆんゆんに進言した。
「じゃ、じゃあ、私とパーティーを組んでくれるの……!? 本当に……!?」
一体ゆんゆんは何を言っているのか。雪葉はそんなこと一言も口にしていない。
はて、いつの間にゆんゆんとパーティーを結成したのだろう。
そういった方面の知識はさっぱりな雪葉だが、さすがにこれはおかしくないだろうか。誰が聞いてもゆんゆんの発言はぶっ飛んでいると口を揃えること請け合いである。
雪葉の思考を置き去りにする荒唐無稽なゆんゆんの強硬に呆れながらも、雪葉は申し訳ないが自分は既に他の者とパーティーを組んでいることをはっきりとゆんゆんに告げた。
「え? ──あっ…………そ、そうよね……私ってばつい舞い上がって…………ごめんなさい。助けてもらった分際で勝手にパーティーだとか、図々しいこと言っちゃってごめんなさい……やっぱり私みたいなのは、ソロがお似合いよね……」
ゆんゆんがいよいよご乱心である。誰もそんな事は言っていないというのに。
何やら途轍もなく曲解されていた。少々……いや、かなり面倒くさい。
流石にパーティーは組めなくとも、知人として偶に協力するぐらいならどうにかなると雪葉が言い添えると、即座に反応したゆんゆんが顔を上げて赤い目を爛々と光らせた。
その様子を目にした雪葉は、紅魔族の目が光るのは昂ぶっている時に顕れる生理現象なのだとめぐみんに無理矢理聞かされた事を思い出す。
「知人……知人……うん、分かったわっ。今日から私たちは知人ねっ! そう、知人!」
雪葉からの提案を噛みしめるように、にこにこと快諾するゆんゆん。
知人程度でそんなに喜ばれるのも何だかむず痒いが、彼女の心から嬉しそうな姿に、口を挟むのも無粋と感じた雪葉は人知れず言葉を飲み込んだ。
▼
あれからというもの、何故かゆんゆんは城までの道中やたら上機嫌に笑みを浮かべ、足取りも見違えるように軽くなった。ついでに雪葉へ話しかけてくる頻度も。
なんとも御し易いの一言に限る。願わくば彼女が不徳な輩に引っ掛かからん事を。
「あわわわわ……! 無理よ、あんなの絶対無理……っ! 私もう帰りたい……っ!」
そんなゆんゆんは現在、雪葉の背後で隠し切れる筈もない体をびくびくと懸命に縮こませ、城の正門に佇む二体の巨大ゴーレムを少し離れた所で見つめながら細々と弱音を吐き続けている。
これはもしかして見込み違いだったのだろうか。しかし練達した雪葉の目は確かにあのミツルギと渡り合えそうなゆんゆんの内に秘めた可能性を見抜いていたのだが。
かくなる上は彼女をゴーレムの下へ嗾ける他に証明する手段はないだろう。そうとなれば早速出陣あるのみである。
雪葉は怯えるゆんゆんの後ろに回り込むと一度しゃきっとするよう喝を入れ、躊躇いもなく淡々とゆんゆんに言い放った。
いけ、ゆんゆん。
「ねえ、後ろに回ってどうする──ちょ、ちょっと待って!! なんで執拗に私の背中を押してくるのっ!?」
是が非でも動かんと踏ん張るゆんゆんに対し、雪葉は説得を試みる。
ゆんゆんもアークウィザードなら、あんなゴーレム程度容易く粉砕出来るはずだ。なあに、勝手知ったる仲ではないからと言って変な遠慮をすることは無い。思う存分好きなだけ暴れまわるといい。
「嘘でしょ!? 一緒に戦ってくれないの!? だってあれどう見てもタイラントゴーレムじゃない! あのモンスターの適正レベル知らないの!? 40よ40!! 間違っても私たちみたいな駆け出しが挑むような相手じゃないわ!」
そう雪葉へ諭しながら抵抗を続けるゆんゆん。
だが遺憾ながら雪葉のよく知るあの頭のおかしい少女は爆裂魔法しか会得していない為、雪葉はアークウィザードの攻撃手段というものを爆裂魔法以外に於いて凡そ見たことが無かった。
――え? なぜ爆裂魔法だけなのか、ですか? フッ……いい事を教えてあげましょう。私たち紅魔族は、生まれながらに魔法へ高い適性を持った極めて優秀な部族であり、もはや魔法職のエキスパートと言っても過言ではありません。何より私たち紅魔族が追い求めるのは、派手さ、威力、カッコよさを兼ね備えた究極のロマン……つまり、攻撃魔法と呼べるものなど、この世で爆裂魔法以外に有り得ないのです! そもそも私が爆裂魔法と出会ったのは……。
どうやら爆裂魔法の言葉に引っ張られたせいかどうでもいい事を思い出してしまったようだが、まあそれはさておき。
雪葉はかぶりを振り、めぐみんから耳にたこが出来そうな程長々と聞かされた『爆裂魔法邂逅録』を記憶から払い飛ばした。
正直途中から目を開けたまま寝ていたので内容はからっきし覚えていないが。
何はともあれ、ゴーレム共が任務の邪魔立てをするというなら躊躇う理由はどこにも無い。それにゆんゆんの実力を図るには丁度良さそうな相手だ。
道中での話によれば、めぐみんと違いゆんゆんは多種多様な魔法をバランス良く覚えているとのこと。俄然雪葉の興が湧くのも無理はない。
というわけでゆんゆん、出番である。
「お願いだからあんまり押さないでっ! どうしてそんなに私を闘いさせたがるの!?」
どうしても何も、先程も言ったように雪葉は爆裂魔法以外の攻撃魔法がどんなものかと気になって止まない好奇心を単純に満たしたいからだ。
爆裂魔法がキワモノと言うのなら、本来あるべきアークウィザードの戦い方をゆんゆん自身の手で証明するのは当然の帰結だと思うが。
「え、ほんとに待って!? たったそれだけの為に私、闘わされそうになってるっていうの!? ていうか私まだ上級魔法は一つしか覚えてないんだけど!? それに前衛で誰かがひきつけてくれないと、あんなの私一人じゃ倒せっこないわ!」
ゆんゆん、耳の穴をかっぽじって聞くといい。
回避こそ最大の防御。当たらなければどうという事はないのだ。
「誰か助けてぇぇ! この子全然話が通じなああああい!」
わざわざ背中を押す発破を掛けてやったというのに、助けを請いながら泣き叫ぶゆんゆん。
何やら今の助言にどこか不服があるような物言いに聞こえるがどこがおかしかったのか。
「そんなの全部に決まってるじゃない! 第一そこまで見たいなら、クエストが終わった後で幾らでも見せてあげるから! だから今だけは本当に勘弁して!」
何が何でもゴーレムとの交戦を避けまいとゆんゆんは激しく首を振って拒み続ける。
これ以上しつこくこちらの事情を押し付けてもただの無理強いになるだけなので、やむを得ず断念する事にした。
まあ、雪葉も肩慣らしの相手を探していた所だったので取り敢えずは良しとしておき、仕方なくゆんゆんを退がらせて自分が前へと進み出ると、雪葉の接近に反応したゴーレム達が両手を組んで頭上へ掲げると、そのまま雪葉目掛けて勢いよく振り下ろされる。
悪いがのんびり相手をしている暇は無い。
雪葉は早々に一瞬で二体の頭を捻り取ると、ゆっくり倒伏するゴーレム達を尻目に、後ろで呆然と瞠目していたゆんゆんに向けて一丁上がりとばかりに親指を立ててみせた。
「スタッフの人達が言ってたこと、本当だったんだ……」
どん引きで後ずさるゆんゆんに何と失礼な言い草だ、と顔を顰めた雪葉は、予想外の敵の呆気なさに肩を落とすと興醒めとばかりに鼻白んだ。何とも他愛のない。
思いの外張り合いも無くすっかりやる気の削がれてしまった雪葉があーあ、と嘆息交じりでゴーレムの頭を後ろへ投げ飛ばすと、青ざめたゆんゆんを気にも掛けず、単身で躊躇なく城の中へと侵入して行った。
城から放たれる、一際強大な気配に胸を馳せながら。
「ちょ、ちょっと! 置いてかないでってばあ!」
「わぁ……いかにもって感じの雰囲気。暗いし、なんかじめじめしてる……」
城内へと足を踏み入れて早々、城の外見に似つかわしく古びた内装の大広間を見回しながら、雪葉の背中に引っ付いて見たままの感想を漏らすゆんゆん。
あまりくっつかれては流石に雪葉でも歩き難いのだが。
「そ、そんなこと言ったって……何処から襲われるか分からないじゃない……!」
「──その心配はいらねーぜ。こっちから出迎えに来てやったからな」
「──っ!? だ、誰!?」
突如、小馬鹿にした様な声に雪葉達は正面の大階段へと視線を向けた。
そこにいたのは、深緑の長丈ローブに身を包んだ、勝ち気な印象を受ける短髪の少女。頭の後ろで組んだ手には禍々しい杖を携えており、その目は自身で満ち溢れている。歳は見た目からして主人和真やミツルギと一緒のくらいだろうか。
雪葉達に向けられる敵意や風貌から見るに、件の救出対象である令嬢とは全く似ても似つかないのでどうやらこの少女では無いようだ。
序でにいえば、この少女は城外から感じたあの気配でも無い。誠に期待外れである。
確か、よくアクシズ教徒がこういった不本意な心境の時、毎回口癖のようにこう吐き捨てていた。
エリスの胸はパッド入り、と。
一人興の乗らない雪葉が内心怨嗟を嘆く中、ローブの少女が見下すような目で雪葉達を睨みながら口を開く。
「しっかし驚いたぜ。初心者しかいねえ辺境の地に、まさかこんな歯応えのあるヤツがいたとはな。タイラントゴーレム相手に無傷たぁ、なかなかどうして。……ん、そういやまだ名前言ってなかったか。 あたしはマルル。世にも珍しいドルイドの一人にして、これまた貴重な召喚術士ときたもんよ。ま、短い間だろうけどよろしくなっ」
「……どうしてこんなことを? 御令嬢を攫った目的はなに?」
「おいおい、勘違いしてもらっちゃ困るぜ。あれを攫ったのはあたしじゃなくてもう一人のヤツだかんな? ま、確かに協力はしたけど目的なんか知らん。そりゃこの計画を立てたもう一人のやつに聞いてくれ」
嘲笑気味に弁解するマルル。彼女の全身に雪葉が目を凝らしても確かに嘘をついた兆候は見受けられなかった。
となれば気配の正体がそのもう一人から発せられたものである事は最早言を俟たないだろう。俄然期待に胸が躍るというものだ。
何にせよ、彼女をどうにかしなければ、御令嬢のもとには辿り着けないという訳らしい。人質がいなければ、遠慮無く乱戦に持ち込んでいた雪葉だが今回はそうも行かない。
出来れば道を譲るか、大人しく投降してくれると有難いが。
「笑えねー冗談かましてんじゃねーよ。久しぶりに張り合いのある戦いが出来そうだってのに、わざわざ自分でおじゃんにするバカがどこにいんだっつーの。甘ちゃんなコトぬかしやがって、そんなに潰されてーかボケが」
「……っ!」
けんもほろろに取りつく島もないマルルの悪態に思わず杖を握りしめて生唾を飲むゆんゆん。
そんな要求を飲むくらいなら初めからこんなことを仕出かす訳もないのはゆんゆんも自明の理だろうが、それでも敢えてマルルにそう聞いたのだった。
さて、お望みの相手がマルルではない上に令嬢も別の階層にいる以上、最早この場に留まるつもりなど雪葉には毛頭無い。
既に気もそぞろな雪葉は内心ゆんゆんにマルルの相手を押しつけ、さっさと先へ進む腹づもりだ。
屋敷内の全てを範囲に収めて気配を探ると、なんとまあすぐに本命と思しき二つの気配を探り当てる事に成功。思わずほくそ笑む雪葉のにやけが止まらない。
幸先が良いのは何よりである。これも女神エリスの力だとしたら、いよいよ彼女の方へ足を向けては寝られないだろう。
ゆんゆんにはマルルをあてがっておき、代わりに本命の相手を雪葉が請け負うとしよう。
よもや完全にマルルを歯牙にも掛けていない雪葉は、ゆんゆんの肩に手を置き、大して悪びれた様子も無く一言だけ告げると、隠密を発動し忽然と広間から姿を消した。
「え? 今なんて──あれ!? 何処行ったの!?」
「おいおいコソコソと何を企んで──っておい、あのガキんちょどこ行きやがった!? ……まさか。いや、そんな筈はねえ! 俯瞰の加護を持つあたしの目から逃げられる訳が……んがーっ! もうめんどくせー!
苛立ちに髪を掻き毟るマルルが叫ぶように唱えると、大広間の一面に浮き出た魔法陣から種々とりどりのモンスターが現れる。
「そうら間抜けども、待ちに待ったお客様だ! 丁重にもてなしてやれ!」
「ね、ねぇ! ちょっと何処にいったの!? 私一人でなんて無理よお! お願い戻ってきてええええええ!!」
広間に響くゆんゆんの叫びに答える声は無かった。
▼
お楽しみを前に邪魔立てしてくる名も知らないモンスターの群勢を鎧袖一触とばかりに颯爽と蹴散らし終え、口笛を吹きながら愛刀を納めた雪葉の後ろには阿鼻叫喚の光景が広がっている。これを正に、兵どもが夢の跡、とでも詠むに違いない。
長い年月で風化しているとはいえ、少しは絢爛豪華な面影を残した折角の内装に魔物の濁り血や臓物が飛び散り、誰もが目を覆いたくなるような見る影も無い惨状であるにも拘らず、雪葉は良い運動になったと汗一つかいていない額を拭った。
思えばこれほど無双を振るったのはベルディアの前哨戦としてアンデッドナイトを相手に臨んだっきりだろうか。
強敵との死闘は勿論だが、数多の雑魚を一掃するのもまた違った爽快感を味わえるので、こういう一対多も雪葉にとっては堪らなく愉しいので病み付きになる。
何より極め付けは複数の首を斬り飛ばして血の花を咲かせた時。あれには得も言えぬ美しさがあると一家言持つくらいには何度見ても雪葉は飽きることが無い。
ルナ辺りに聞かせれば、またベルディアの調査報告の時と同様に卒倒するのだろうか。それは一興かもしれない。
そんな洒落にならない悪童ぶりを垣間見せた散策の果て、ついに目的の最上階に築かれた玉座の間へと辿り着く。
躊躇いもなく扉を開けた先には、長い桜色の髪に煌びやかなドレスを身に着けた少女が玉座に腰掛け、優雅に一人で紅茶を味わっていた。その姿は間違いなく救出対象である令嬢と合致している。
しかし何とも不可解な状況に思わず雪葉は首を傾げてしまう。
ギルドのスタッフによれば令嬢は攫われたと伝え聞いていたが、この待遇を見ても決して命の危険下に置かれている人質とは到底認め難い。寧ろ優遇のひとときを過ごしていたとしか思えないが。
「あら、可愛らしいお客様ね。それとも迷子かしら? ……いえ。大方伯父様か両親に私を連れ戻すよう遣いに寄越された、小さな冒険者様なのかしら」
口振りから察するに、こちらの事情は概ね筒抜けのようだ。おまけに雪葉へ見下す様な眼差しを向けてくる令嬢の刺々しい言い草は、言外に家には戻りたくないとでも訴えているようにも聞こえる。
「大広間にいたはずの用心棒をどう搔い潜って来たかは知らないけど、外のゴーレムを倒したということは、それなりの実力はあるようね」
高慢具合が鼻に付く隔意満々な令嬢の言動を受け流し、雪葉は彼女に自分達の助けは望んでいないのかと問い掛けてみた。
「さっきそう聞こえるように言った筈だけど? あんな所に戻るだなんて、死んだ方がまだマシってものよ。私はね、望んで攫われたの。貴方に分かる? 望まぬ習い事を強いられ、望まぬ相手と見合いをさせられる貴族の娘の気持ちがっ! ……もううんざりなのよ。あの両親にも伯父様にも、何も出来ない自分にも……っ!」
怒りの衝動に駆られるがまま徐ろにティーカップを壁に投げつける令嬢。ヒステリックな年頃なのだろうか。
パリンッ、と耳ざわりな音を立てて壊れたティーカップの惨状を目の当たりにした雪葉はあーあ、と物惜しむように小さく嘆く。
そんな雪葉を尻目に、令嬢が一度息を落ち着かせて再び語りだした。
「だから私は縋るしか無かった……正規のギルドじゃなく、闇ギルドの冒険者にね。知ってた? 闇ギルドは、普通のギルドでは出来ないようなクエストを可能な限り何でも依頼する事が出来るのよ。暗殺、誘拐、強盗、違法な狩猟……正に悪党どもの吹き溜まりね。で、どう? こんな欲に塗れた裏側を耳にした感想は」
生憎主人和真とウィズに関わりのない裏事情などに一切興味は無い。
端的に言えば、心底どうでもいいし勝手にやってろ、といった具合である。雪葉個人には闇ギルドを排除する理由もつもりも無い。
もし仮に正規ギルド側から仕事として依頼があれば、その時は容赦なく叩き潰す所存だが。
要するに此処も雪葉のいた日本と同様にお偉方、つまり一部の貴族が加担しているという事だろう。
資金は専ら貴族達の不法な援助によって賄われており、闇ギルドの冒険者は代わりに貴族達からの依頼を引き受け、互いに共存の関係を築き上げているといった具合に。
諸々の推測を述べた雪葉の言に目を細めた令嬢は僅かに感嘆の声を零し、雪葉に質問を投げかけてくる。
「へえ、子供にしては随分と察しが良いじゃない。それとも、実は貴方もそっち側だったりするのかしら」
興味深いわ、と掌を返す様に値踏みの視線を注いでくる令嬢に対し、答える義理も無いと突っぱねた雪葉は令嬢の依頼を引き受けた張本人であろうもう一人の居どころを率直に彼女に訊ねた。
「見た目の割に愛想が無いのね、そこはあまり可愛くないわ。何のつもりか知らないけど、お探しの相手はここにはいないわよ。恐らくだけど、広間の加勢にでもすっ飛んでったんじゃない?」
そう投げやりに答える令嬢。ならば本来の任務を遂行するだけである。
そちらがいくら拒もうと問答無用で連れ出す、と断言した雪葉の宣告に、令嬢は諦観の表情で溜息を零し椅子から立ち上がった。
「別に抵抗なんてしないわよ。どうせここまで来られた時点で覚悟は既に出来てたから。最後に悪態でもつけば少しは気が晴れるかと思ったけど、ほんの気休めにもならなかったわね。……さあ、どこへでも連れていきなさい」
両手を差し出して観念の意を示す令嬢の言を受け、殊勝な心掛けと頷いた雪葉もゆっくりと彼女に向かって歩を進める。
ふと頭を擡げた雪葉は、すっかり令嬢に言い忘れていたことがあったと途中で立ち止まりそう口にした。
「何かしら?」
騙し討ちとはこうするのだ。
「い、いきなり何の事──」
訝しげに顔を顰めた令嬢を尻目に、雪葉は振り向きざまに背後へと横蹴りをかます。
直後、凄まじい速度で繰り出された雪葉の脚が何かの感触を捉え、数瞬後に部屋の壁が大きな次々と音を立てて突き抜けていく。こうしてみると壁が独りでに自壊していくように見えるので何とも異様な光景である。
すんでのところで防がれた手応えに、ほう、と感嘆の声を零した雪葉は上出来とばかりにほくそ笑んだ。
「嘘だわ……こんなこと有り得ない」
目を見開いて後退さる令嬢へ、壁の向こうを眺める雪葉から忌憚の無い評価が彼女に下される。
あれで自分を騙せていると思っていたなら飛んだ笑い種である。努力の姿勢は買うが、目線を雪葉の背後に配りがちだ。加えて懸命に平静を装おうとするあまり手遊びや貧乏揺すりなどの不自然な挙動が厭でも目につく。更には声を乱すまいと意識し過ぎて台詞が棒読みになっており、この様にすぐ演技と見抜かれる。とはいえ、最後まで表情を崩さなかった事には少しばかり及第点を与えておこう。
ずばり、百点満点中五点。もはや演芸の道は諦めて他の可能性を探った方が良いと、令嬢に向けてやれやれと肩を竦めてみせた。
「い、いつから気付いて……」
それが強襲に失敗して雪葉に蹴り飛ばされたうつけを指しているのだとしたら、そんなもの城へ殴り込む前からとっくに気付いている。
どんな原理かは知らないが、自分に存在を気取られた時点で姿を隠そうが消そうが豆腐に鎹もしくは焼け石に水。
賽の河原で石を積んでいた方が幾らかマシというものだ。
「……ますます貴方が何者か分からなくなってくるわね。まるで子供の皮を被った化け物だわ」
令嬢の不躾なぼやきに、思わず振返る雪葉の眉が一瞬ピクリと上がった。これまた随分な言い草である。
一日で一度ならず二度までもこの言われよう。さすがの雪葉も腹に据えかねてきた。
今なら令嬢の顔に張り手を一発喰らわせても、彼女以外誰も雪葉を咎めはしない筈だ。
今度言ったら否応無くかまそう。そうしよう。
「まあ、今更貴方がどっちだろうとどうでもいいわ。どうせあの男には敵わないでしょうし」
そう令嬢が呟いた直後、ぽっかり吹き抜けた壁の向こうから漂い始めた殺気の方へ雪葉が向き直る。
目を凝らす視線の先に、一つの影が佇んでいた。この只ならぬ気配、今度こそ間違いなく屋敷の前で感じたものだ。
「……驚いたな。まさか始めから欺かれていたのがこちらの方だったとは。子供だからと侮っていたわけではないが、流石に予想外だったぞ」
肩に着いた壁の破片を払いながら姿を現した高身長の男。
目深に被った黒一色のフードと軽装に身を包んだその風体からはどうも雪葉と同じ様なにおいがする。体つきを見る限りただの盗賊職とは考えにくいがはてさて。
「ちょっと。高い金払ってるんだから金額に見合うぐらいの仕事をしてくれないと困るわ。仮にもあのミツルギに並ぶ実力なんでしょ?」
「……喧しいぞ小娘。指図するなと言ったはずだ」
「だったら早く倒してくれる? そっちこそ口を動かす前に手を動かしなさい。後は頼んだわよ」
男へそう言い残し、そそくさと逃げ出す令嬢。
何処へ行こうとも雪葉の手の平で転がっている事に変わりはないので精々一秒でも長く逃げ回っておくといい。どうせ捕まるのは一瞬なのだから。
「……全く、口の減らない御令嬢だ。受ける依頼は選んだ方がいいな。まあいい、任務が終わったらすぐに殺してやる」
心底物憂げに愚痴を零した男の目が、愛刀をチン、チン、と所在無げに挿抜していた雪葉へと向けられる。
「……まさか我が透魔族の誇るハイドをこうもあっさり見破られるとは。貴様、ただの冒険者ではないな」
男の問い掛けどおり唯の冒険者ではなく、忍者と冒険者という二足の草鞋を履いている主人和真の懐刀。それが今の雪葉だ。
しかし現在は諸事情により個人的な任務の依頼は一切引き請けていないので悪しからず。無論主人や親友からの頼み事であれば話を別に喜んで承るが。
「……忍者? 聞かない職業だな。先程の身のこなしや佇まいを見た限りでは、俺と同じアサシンのようにも見えたが」
アサシン。確か盗賊職から派生する上級職だったか。
ギルドの入り口付近に置いてある教本によれば、忍者とかなり似通った特徴や役割を持っていた様な気もする。
とはいえアサシン如きと一括りにされるのは不愉快なので非常にやめてもらいたい。
「……ふん。本来ならこのまま殺すところだが、ハイドを見破った貴様に敬意を表し、冥土の土産に教えてやろう。俺はヴィード。誇り高き透魔族唯一の生き残りだ。貴様に見破られたあのスキルこそ、我ら透魔族だけが使える秘伝の固有のスキルだったというのに、ああも容易く見破られては部族の名折れ。なんとも己が嘆かわしい。……さて、透魔族随一の俺のハイドを看破した最初で最後の冒険者よ。貴様の名を知りたい」
背中にこさえた二本のマチェットを構えた男へ、雪葉も応えるように愛刀を手にして名乗り返す。
「……いい名だ。覚えておこう」
戦闘準備がてらの手慣らしか、マチェットを振り回してステップを踏むヴィードが戦意と高揚で昂ぶっているのが十分に見て取れる。
やがて、準備を整えたヴィードは片方のマチェットを雪葉に向けて言い放つ。
「……改めて名乗ろう。俺の名はヴィード。透魔族の誇りにかけて、必ず貴様を葬る。若死にとは気の毒だが、悪く思うなよ」
雪葉に挨拶がてらの先制を喰らっておきながら、えらく大層な広言を述べたものだ。吐いた唾は飲めぬと言うのに。
そこまで豪語したからには、是非とも張り合いのある伯仲戦を展開してくれるのだろう。
「……相手にとって不足なし。いざ尋常に参らん!」
気炎を吐いて飛び込んでくるヴィードに対し、雪葉も不敵な笑みを浮かべて迎え討つのだった。
数分後、屋敷の広間へと向かう雪葉は二本の縄で全身を包むように縛られたヴィード──絶賛気絶中──と令嬢を引き回していた。
あれだけ大口を叩いていた割にヴィードは雪葉に一瞬で敗北を喫し、懸命に逃げ回っていた令嬢もヴィードを引き摺りながら追いかけて来た雪葉の手によって敢えなく捕縛。あまりの顛末に目もあてられないばかりか、これでは大した美談にもならない。
何とも呆気ない幕引きに雪葉は気落ちしてしまった。ヴィードの口上とポーズには対象の意欲を削ぐ呪いでも掛けられているのだろうか。
おまけに彼の十八番のハイドとやらは姿が見えなくなるだけで、気配も音も殺せていないお粗末ぶりときている。
雪葉からすれば自分が軽んじられていたとしか捉えようも無く、すっかり毒気を抜かれた気分だ。これで上級職のアサシンとはよくもまああれだけ昂然と宣えたものである。
前々から思っていたが、ギルドは上級職に昇格する方法や基準を見直すべきだと雪葉個人から是非とも提唱させてもらいたい。
冬将軍という超敵と対峙した分、今回の上げ落としは極めてショックが大きい。ぬか喜びも甚だしいあまり、女神エリスから賜った幸運の加護にも疑念が生まれつつあるくらいだ。
女神エリスに会うことがあれば、その時は文句の一つでもぶつけておこう。
デミット。
――んなっ……!? 仮にも女神に向かって何たる暴言……! そんな汚い言葉、誰が、あなたに教えたんですか!? まさか、サトウカズマさん!? それともアクシズ教徒の方から!?
頭に流れ込んできた女神エリスからの幻聴を聞き流し、のんびりとゆんゆんの下へ向かう雪葉の背中に令嬢から声がかかる。
「……ねえ。何かおかしい事に気付かない?」
はて。ヴィードを無力化した以上、さほど警戒の必要は無いと思うが。
正直令嬢が何をそんなに気に喰わぬ顔で雪葉を睨んでくるのか不思議でならない。主人和真が言っていた、俗に言うあの日なのだろうか。
「全然違うわよ! いい? 私は仮にも貴族の娘よ!? それがどうして犯罪者と同じ扱いで縛られているのか聞いてるのだけど! 分かったらさっさと解いて!」
高飛車に命令する令嬢に対し、上から見下ろす様に振り返った雪葉は軽く鼻で笑い飛ばす。
先程令嬢は自分の人生に嫌気がさし、自らを攫う様に闇ギルドへ依頼をしたと言った。
つまりは家を捨て、当然貴族の令嬢としての身分も捨てたのと同義。この扱いのどこに間違いがあろうと言うのか。
更に厳密には、雇い主は契約上によれば令嬢の伯父であり、娘の救出方法については何も明言されていない訳だが。
「そんなことまで一々依頼内容に加える必要ないでしょう!? 普通に考えて分からないの!?」
分かっていないのは令嬢の方である。
一度逃走を図った者が大人しくしている保証も無いのに、おいそれと手放しで自由に歩かせるなど愚の骨頂もいいところだ。
雪葉とて同じ轍を踏むつもりは無い。まあ別に取り逃がしてなどいないが。
有り体に言って、もしや令嬢は阿保なのだろうか。
ちなみにもがけばもがくほど余計にきつくなる忍者御用達の捕縛法なので抵抗はお勧めしない。
「い、言うに事欠いて、この私がアホですって……!? この私に向かってなんたる無礼……! 覚えてなさい! この屈辱、必ず晴らしてやるわ!」
それだけの大言をほざける元気があるなら重畳。
ギルドに戻った際は、是非とも口下手な雪葉に変わって事の成り行きを令嬢自らの口で語って貰おう。
そう令嬢との会話に区切りをつけ、雪葉は二人を引き摺る縄を背負い直し、ゆんゆんが待つであろう一階の大広間を目指すのだった。
「ちょ、痛っ! 階段の段差がお尻に当たって痛いのだけど! せめてレディの私だけでも階段で抱えるくらいの気遣いをなさい! ねえ! 話を聞きなさいったら!」
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道中鼻歌を口遊みながら一階へと戻ってきた雪葉の視線の先には、見るも無残に両断されたモンスター達の残骸がそこかしこに散見され、その中心では、膝を抱え込んでさめざめと泣くマルルと、彼女の背中を摩ってなぐさめるゆんゆんの姿が。
一体全体、彼女達の身に何があったのだろうか。
「あ、やっと戻ってきた! もう、一人であんなモンスター達と闘わされてすっごい怖かったんだから!」
両腕を上下に振りながらぷんすかと詰め寄って来たゆんゆんに対し、雪葉は大して悪気も無く薄ら笑いで自分の後頭部を撫でる。
それにしても、あれだけ自信に満ち満ちていたマルルが見る影も無く凋落している姿には、先程まで彼女を気にも留めていなかった雪葉も目を疑うほか無い。
雪葉は心当たりのありそうな目の前のゆんゆんに、マルルは一体どうしてしまったのかと聞いてみた。
「えっと……私もよくは分からないの。無我夢中でモンスターを倒してて、気が付いたらあんな風に……」
「……ふっざけんなよ。こんな初心者の地に紅魔族がいるなんて聞いてねーっつうの。あんなのが来るって初めから知ってりゃ、協力なんざしなかったってのに……グスッ」
悩ましげに経緯を語るゆんゆんの遥か後方から、マルルの不貞腐れた弱音が微かに雪葉の耳に届く。
余程自尊心を打ち砕かれたのだろう。無自覚なゆんゆんの態度が、よりマルルへ死体蹴りを打ち込んでいるようで見るに堪えない。
さすがは紅魔族。えげつない。
「そんなことより、姪御さんは大丈夫なの? 確かマルルの話だと、もう一人仲間がいるって事だったけど……」
不安そうに令嬢の安否とヴィードを指しているあろう伏兵の所在を憂うゆんゆんへ、雪葉は答えるように縛りあげた二人を彼女の前に投げ捨てる。
「いった! あなた、いい加減になさい! これ以上の無礼を働けばどうなるか分かってるんでしょうね!?」
「え……え? え? あれ、ちょっと待って? こっちの男の人が犯人なのは分かったけど、もう片方の人はどう見ても例の御令嬢よね? どうして縛られたままなの? すぐに解いた方がいいんじゃ……」
令嬢の文句に耳も貸さず、雪葉はつらつらと目の前の現状に困惑しているゆんゆんに事の顛末を説く。
「そんな……誘拐は芝居で、御令嬢が闇ギルドのメンバーを雇ってたっていうの?」
「そう、全て私の計画。というか、単なる腹いせよ。……そうね。無力な貴族令嬢の、せめてもの悪足掻きとも言えば少しは聞こえが良いかしら。本当は声明文にあった通り身代金を持って来たあなた達冒険者を倒してもらった後、そのお金で別の国に亡命する手筈だったのだけど……今となっては水の泡よ。主にあなたのせいでね」
自嘲めいたように鼻で笑ったかと思えば、忌々しそうな視線を雪葉にぶつけてくる令嬢の言葉に引っ掛かりを覚えた雪葉は腕を組んで記憶を掘り起こす。
今はのびているヴィードが先刻口にしていた、任務が果たせ次第令嬢を殺すという独白と雪葉達が目にした声明文の内容は、令嬢の言い分とはあからさまに差異が生じていた。
もしや、令嬢は初めからヴィードに化かされていたのではないだろうか。
「……なによそれ、私、そんなの……知らない」
雪葉の導き出した結論に戦慄きながらも受け入れまいと首を振り続ける令嬢の眼前に、これぞ証拠とばかりに雪葉が例の声明文を突きつけると、彼女は奪い取る様に声明文を手にし、食い入る様に中身を読み始める。
「ち、違う……私が頼んだ内容じゃない……ま、まさか……本当に私を……?」
その後、最後まで読み終えた令嬢は脱力した様にその場へへたれ込み、両手で自分の体を抱きながら震え出した。
所詮は箱入り娘が見切り発車で企てた計画。不徳な輩にとって、令嬢からの依頼はさぞ鴨葱だったに違いない。恐らく前払いを済ませていた時点で彼女はヴィードらにとって既に用済みだったのだろう。
これは不憫だ。さしもの雪葉も令嬢に心で南無南無と合掌を捧げてしまう程に。
しかしこれが非常な現実である。
いくら財を成そうとも、社会経験もまともに踏んでいない小娘が生意気に背伸びしようと安易に裏社会へ手を出した末路がこの有様。自業自得である事には変わりない。
「…………なによ。あなたの方がお子様のくせに」
絞り出すように放たれた令嬢の反論も、今の弱々しい語気では惨めさを更に助長しているだけであり、雪葉から返す言葉は何も無かった。
「あ、あの……」
「ヒック……グスッ……良いように私を利用する大人達に腹が立つ……っ! なにより……こんなに無力な自分が、悔しくて堪らない……ッ!」
城内には、咽ぶような少女の泣き声だけが響き続けた。
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アクセルの街への帰路は何事も無く、到着も早々に門の前でウトウトと舟を漕いでいた衛兵へ気つけ代わりに誘拐犯二人を押し付けた雪葉とゆんゆんは、拘束を解いた令嬢を連れて、ギルドで任務完了の報告を終えた。
途中、令嬢に対する雪葉の待遇についての報告を耳にしたルナが、突然頭を押さえながら倒れてしまったのは記憶に新しい。
その後、すぐさま令嬢の周りを囲んだギルド内の全スタッフ達が次々と土下座を披露して平謝りを始めていたが、彼等は何か不手際でもおこしていたのだろうか。
因みに雪葉がそのままゆんゆんに尋ねたら今までに類を見ない程のジト目を向けられた。解せぬ。
傷を負った使用人や護衛たちも大事には至らなかったらしく、すぐに令嬢からの謝罪を快く受け入れて迎えの用意をせっせと始める姿は雪葉からみても舌を巻く回復の早さだった。
気付けば外は夕暮れ。
道端に降り積もった雪が溶けて出来たであろう水面には、逆さまになったもう一つの街並みが映し出されており、思わず雪葉の口から感嘆の声が漏れ出る。いとおかし。
一連の騒動を企てた令嬢は、これから関係各所へ頭を下げて回るようだ。
何故か彼女は城で泣き終えて以降、牙を抜かれたようにすっかり大人しくなり、先程のスタッフ達の謝罪にも静かに応じ決して文句や不満を垂れることは無かった。
これには雪葉も精神支配でも受けたのかと邪推してしまうぐらいの驚きである。明日は槍でも降るのだろうか。
「ちょっと! 幾らなんでもそれは……」
「良いのよ別に。これまでの私を見ていた人からすれば無理もないわ。逆に、今はそのくらいの野次を飛ばされた方が、気が楽だもの」
揶揄う雪葉を嗜めかけたゆんゆんの言葉を途切らせた令嬢からまさかのお許しが雪葉へと下された。
続け様に、何やら意を決した様に俯いていた顔を上げた令嬢が、雪葉に向けて口を開く。
「私……今回の件で、色々と学んだわ。今の私じゃ、どう足掻いたって何も変えられないって事に…………だから決めたの。私は、現実から目を背けずに立ち向かうって。今から、少しずつ……ゆっくり、自分の夢……いいえ、野望を叶える為に、前を向くって。いずれは、この腐った貴族社会の風習をぶち壊してみせるわ」
毅然とした表情でそう宣言し、胸の前で拳を握りしめる令嬢。
だが、雪葉からすれば他人である彼女が何をどの様に目指そうともまったく関係が無いので、どうぞご勝手に、と一言だけ返す。
「……それもそうね。あなたに言っても意味は無いのだけれど……これは、自分なりの……そう、けじめかしらね。…………え、ええっと、その……」
そう言い終えたかと思えば、徐にもじもじと身を捩らせ、訥々と要領を得ない様子の令嬢に、雪葉はギルドの方を指差しながらこう告げた。
トイレならそこで借りればいい。
「違うわよ! ……な、名前…………教えなさい」
はて。名前を教えろとはこれまた唐突な要求をされたものだ。
隣にいる少女の名前はゆんゆん。これで満足いただけただろうか。
「誰がへんてこ部族の方を聞いたのよ! 貴方の名前を教えなさい!」
「ひ、酷いっ!?」
ゆんゆん、いとあはれなり。
「もう! 元はと言えば、あなたが素直に自分の名前を教えないで私の名前を出したからこんなことになったんでしょお!?」
ポカポカとこそばゆいゆんゆんの猛攻をシカトしつつ、雪葉は、まず令嬢自身が名乗ってから尋ねるのが世の常と令嬢に指摘を入れる。
生憎非常識な輩に名乗る名を雪葉は持ち合わせていない。
「言われてみればそうよね。まずこういう所から意識を変えて行かなければならないってことかしら……私はリリエーラ。アレクセイ・テルネス・リリエーラ。よくと覚えておきなさい」
スカートの裾を摘んで恭しくお辞儀するリリエーラは、さすが上流階級の娘に恥じぬ見事な所作であった。
暫く感服していた雪葉も、見様見真似で袴の裾を摘み、ぺこりと一礼ながらに自分の名を明かす。
ふと、隣から微かに聞こえて来る声に雪葉が顔を向けると、両手で口許を押さえたゆんゆんが顔を背けてクスクスと含み笑いをしている。何がそんなに可笑しかったのか。
「か、カーテシーはスカートの場合だけで大丈夫よ……。それに、貴方男なのでしょう? なら尚更やる必要なんてなかったのに……クスッ」
なんと。いみじくはづかしきかな。
令嬢からの説明ではたと気付いた雪葉は、顔を手で覆いしゃがみ込んだ。
「……おかげでなんだかスッキリしたわ。──じゃ、縁があったらまた会いましょう」
そう言い残した令嬢を乗せた馬車は、街の中央通りに向かって走り去って行く。
どうやら今日は当初の予定通り、ダスティネス邸とやらで一泊するとの事だが、どこかその名に唯ならぬ既視感を感じたのは、雪葉の気のせいだと思いたい。
なんにせよ、人騒がせな我儘娘の意識があれだけ変わっただけでも実のある任務だったと言えるだろう。
それなりの収益も見込めたのだ。今日はこの報酬金で食材を買い漁り、ウィズへの差し入れにする心算である。久しぶりの相席に、ウィズも首を横には振るまい。
振られたら雪葉はショックのあまり自害するが。
「はぁぁ……なんだか今日は凄い一日中だったなぁ……」
馬車に向けて小さく手を振る雪葉の横で、ゆんゆんは項垂れるようにため息を吐き尽くした後、雪葉へ気遣わしげな視線を送ってきた。
「で、でも……それ以上に、とっても……とっても楽しかったわ! だから、その…………ま、また、私と組んでくれたら、嬉しい……かな」
えへへ、と面映そうに頬を掻くゆんゆん。
もし妹がいたとしたらこんな感じだろうか、とゆんゆんの垣間見せたいじらしさに釣られ、雪葉にしては柄にもない事を思い描く。当のゆんゆんは雪葉より三つも歳上だが。
これが良くなかった。
――は? 何をほざいておっしゃいますのやら。あに様の妹は私をおいて他にいる訳がないでしょう? ヤっていいですか? そのふざけた脂肪を二つぶら下げたいかれビ○チ、斬り刻んでいいですか?
「あれ、なんだろ? 急に凄い寒気が……日が暮れて来たからかな?」
――入りました。この淫乱雌豚、私のブラックリストに入りました。きっとこの純粋を装ったカマトト演技とその見苦しい肢体で、いくつもの男を食い物にして来たに違いありません。違いない、違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない……。
あちゃー、と雪葉は顔を覆う。
即座に邪念波を振り払い、偶になら尽力する事をゆんゆんに約束する。
「え、ほんとにいいの! 私なんかと!? ほんとに!? お金出した方が良い!?」
真紅の瞳を爛々と輝かせて詰め寄るゆんゆんの勢いに飲まれて思わず後退った雪葉のただしお金はいらない、との釘差しに、ゆんゆんは、そっか……としょぼくれた。何故なのか。
――もし、そこのあに様。こんなアバズ○に情けをかける必要はありません。大金せしめてとんずらするのが吉です。
ええい喧しい。
これ以上此処に居ると、この毒電波が本当にゆんゆんへ危害を加えかねないので、彼女に用事を思い出したと伝え、暗に別れを打診する。
「じゃ、じゃあ、都合の良い時とか、気が向いたらでいいから、その時はここに! 居ない時は大抵ギルドにいるから! いつでも声掛けて! 私、あなたの良いように合わせるから!」
文字通りの都合の良い女を務めます宣言に、雪葉は苦笑いを浮かべて了承の意を返す。
ゆんゆんは不徳な輩に引っかかってしまいそうで、雪葉の内心はゆんゆんの先行きが不安で堪らなかった。
若干の後ろ髪を引かれる思いと葛藤しつつ、雪葉はゆんゆんへ手を上げながら別れの挨拶を告げる。
「ま、またねっ! ユキちゃん!」
思わぬ呼び掛けに、雪葉は盛大にすっ転んだ。
今回は結構難産だった……。