比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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妖怪星人編――88 千年後の君へ

 

【妖怪大戦争って、結局なんだったのじゃ?】

 

 世界の狭間で――狭間(はざま)の世界で。

 

 磔にされながら、蘆屋道満(あしやどうまん)安倍晴明(あべのせいめい)に問うた。

 

【冥土の土産に教えてくれんかの?】

「……別にお前は死ぬわけではないだろう?」

 

 殺せるものならとっくに殺している――と、冷たく淡々と言う青年に。

 まあ、そういうな――と、両手足を拘束されながらくつくつと笑う老爺は。

 

【これから長い長い時を、この何もない、誰もいない世界に封印されるのじゃから。お喋り好きの爺からすれば死刑も同然じゃ。じゃから最後に付き合え。答え合わせに。辻褄合わせに】

 

 それを、此度の妖怪大戦争の最終回にして説明回としよう――そう言って、封印されし黒幕は、己を打倒した星の戦士に問う。

 

【此度の妖怪大戦争編は、様々な勢力の、様々な者達の思惑やら使命やら野望やらが入り乱れ、複雑怪奇な物語となった。回収されていない伏線もあるじゃろう。忘れられた設定もあるじゃろう。最後くらいは、読者()の疑問に答える質問コーナーを設けたらどうじゃ?】

「………………」

 

 故に、蘆屋道満は、全てを見通す安倍晴明に問う。

 

 

 妖怪大戦争って、結局なんだったの?

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 昨晩、通り過ぎりの妖怪の軍勢が、それはもう暴れに暴れて、平安京を蹂躙したらしい。

 

 らしいというのは、その妖怪が何とも厄介なことに無力な民達を眠りの世界に誘うという能力を持っていたことで、気が付いたら貴族達は己らの屋敷で眠っていて、目が覚めたら京が崩壊していた――と、いうことになっていた。

 

 そんな報告を、紫式部(むらさきしきぶ)は、何故かボロボロになっていた藤原公任(ふじわらのきんとう)から聞いていた。

 

「――その妖怪の『誘眠』には、どうやら個人差があったみたいでな。効きにくい体質だったみたいなんだ、俺は。他には平安武士のお歴々は、さすがに妖怪のそういった姑息な異能への対策を施していたらしくて、源頼光殿を初め、みなさん命懸けで勇敢に戦ってくださったんだぜ」

 

 そう、公任は光る白馬の首を撫でながら言った。

 

 美しくも強大なその白馬は安倍晴明の式神――十二神将が一体らしく、昨晩は公任や道長を背に乗せて妖怪から逃げ回ってくれていたらしい。

 

「何故、起こしてくださらなかったのですか? そうすれば、我々も共に戦えていたのに」

「敵はあの黒炎上事件の時とは比べ物にならない強敵だった。『鬼の頭領』や『狐の姫君』本体までが出張ってくるほどに混沌とした戦場となった。俺達のような素人に毛が生えたような連中が出張っても武士達や陰陽師方の足を引っ張るだけだと判断したんだ。故に、下手に起こして回るより、晴明殿に守ってもらう方が安全と考えたわけだ」

 

 藤原行成(ふじわらのゆきなり)の言葉に、公任はすらすらと、まるであらかじめ用意されていた台本を読むように答えた。

 

 紫式部も行成も同じように違和感を覚えたが、ある程度の筋は通っていたのでそれ以上は突っ込めない。

 

 あの時と同じだ――土御門邸黒炎上事件と。

 

 自分達の知らない所で脚本は用意され、自分ら役者(キャスト)は己に許された部分の物語しか知らされることはない。

 

 そして、昨晩の戦争において、自分達は役者(キャスト)ですらなかった。

 

 故に、舞台にも上げられず、こうして残された結果だけを受け止めるしかない――ただ、それだけの話だった。

 

「一つだけ……聞かせて下さい」

 

 行成は、紫式部と一度だけ顔を合わせて――ゆっくりと、公任に問い掛ける。

 

「これで――よかったのですか?」

 

 平安京は壊滅に等しい被害を受けた。

 

 ()()()()()()()()()()()――『鬼の頭領』や『狐の姫君』をも退治し、()()()()()()()()()()()

 

 源頼光や頼光四天王を初め、主だった『人間』側の英雄も、()()()()()()()()()()

 

 得たものは多かったのかもしれない。だが、失ったものもまた、甚大な程に大きかった。

 

「……公任様。――道長(みちなが)様は……」

 

 紫式部は、そう心配げに問う。

 

 これだけの被害を齎した現政権の責任を問う声は大きいだろう。

 万全にして盤石の体制を築いた道長勢力にも――あるいは藤原勢力そのものに、暗雲が立ち込めるかもしれない。

 

 だが、紫式部の憂慮の先は、もしかしたら、そんなことではなくて――。

 

「――――ああ」

 

 公任は、紫式部と、行成と同じ方向へ――目を向けて。

 

 何もかもを、呑み込んで――言う。

 

「これで――よかったんだ」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 新土御門邸の一室にて、一人の女が、昼の月を見上げている。

 

 ずっと共に見上げ続けてきた月。これまでと同じく、遥か彼方に浮かぶ月を。

 

「………………」

 

 顔に皺を刻み込みながらも、柔らかい笑顔を浮かべた女は――月のように、変わらぬ笑顔を浮かべた女は。

 

「――おかえりなさい」

 

 そう、いつの間にか背後に立っていた、男に向かって、そう言った。

 

「……ああ――」

 

 男は――己の野望を支え続けてくれた、最愛の妻に対して、臆面もなく言った。

 

「――――ただいま」

 

 

 

 

 

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【つまりは――夢オチエンドということじゃな】

 

 蘆屋道満は愉快気に笑う。

 

 相も変わらず縛られたままで、ケラケラと――藤原サイドのエピローグを聞いて。

 

【紫式部や藤原行成――つまりは妖怪大戦争に参加しなかった貴族達には、そのように記憶操作が行われているのじゃな。崩壊している平安京は、源頼光ら武士達が、『鬼の頭領』や『狐の姫君』、そして平安京の全ての民を眠りの世界へと誘った『何か』と激戦を繰り広げた結果じゃと。微妙に嘘ではないから質が悪い!】

 

 日ノ本の妖怪勢力は大きく削れ、全国土に広がっていた妖力の充満も収まった。

 

 もう、一部の人間を除いて、一般市民には妖怪も見えなくなったことだろう。

 

 じゃが、そうなると、こんな当然の疑問が浮かんでくる――と、蘆屋道満は次なるエピローグを求めて、問う。

 

【その記憶操作の方法――そして、月に行った筈の公任や道長が、どのようにして平安京に帰還を果たしたのか。そのネタ晴らしを所望する!】

 

 蘆屋道満は、安倍晴明に語るよう求める。

 

 あの後――あの、『月の黒い球体の部屋』で。

 

 藤原道長(ふじわらのみちなが)は、黒い球体とどのような取引を交わしたのか、と。

 

 

 

 

 

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 赤から金へ――その色を正しいそれに戻すことに成功した月。

 

 その星の首都たる(みやこ)――その郊外。

 

 四方を壁に囲まれた里の中の、大きな城。

 

 その中の一室――かつては『子供部屋』と呼ばれていた、この星の『黒い球体の部屋』にて。

 

 吸血姫なき後、新たな月の姫(リーダー)となった輝夜(かぐや)と、月面を支配し守護する黒い球体・GANTZ――そして。

 

「……これで、よかったの?」

 

 月面に似合わぬ直衣(のうし)を身に纏う男――藤原道長は、黒髪の美女のその憂いた問いに応える。

 

「無論だ。己が提案した取引の結果なのだから」

 

 男の言葉に――女は、昨晩の光景を思い出す。

 

 藤原道長が黒い球体に提案した、その衝撃の取引内容。

 

 それは――。

 

 

 

 

 

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「私がこのまま月面に残ろう。リオン・ルージュの代役を、この私が、不足ながら務め上げようではないか」

 

 道長のその言葉に、真っ先に異を唱えたのはかぐやだった。

 

「な、何それ!? そんなのダメに決まっているでしょう!」

「確かに、私はこと戦に関してはずぶの素人だ。リオン殿のようにどんな状況においても勝利に導くなどということは出来まい」

 

 しかし、どんな星にも、リオン・ルージュのような『天才』がいるとは限らないだろう――そう、道長は黒い球体を見詰めながら言う。

 

「この黒い球体が対星人用防衛装置だというのなら、一人の天才がいなければまるっきり機能しないという仕様である筈がない。今は、これまでリオン・ルージュに依存していたが故に、他の戦い方を知らないだけだ」

 

 何事も経験だ――と、道長は言う。

 決して選ばれた才覚の持ち主ではなかった――だが、弛まぬ努力と、黒く燃やし続けた野心を胸に、人臣最高位にまで上り詰めた男は、己が半生を振り返りながら語る。

 

「無論、これまでのように犠牲無しとはいかないだろう。敗れる時もあるかもしれない。だが、それが『通常』で、これまでが『異常』なのだ。数を重ねれれば、必ず月の戦士達も理解する――自分で戦わなければ、自分で自分の命を守らなければ、戦わなければ、生き残ることは出来ないのだとな」

 

 それが、戦争なのだと、月の戦士も理解する――自分は、それまでの繋ぎ役だと。

 

「故に、私がかの吸血姫の代役を務めるのは、月の戦士達が一人前に育つまでの間のみだ。全員が未熟のままだと、流石に全滅の危険性も出てくる。だからこそ、それまでの間は、私がここで『もにたやく』を務めて、俯瞰で戦場を眺めながら指示し、現場はかぐや殿が纏め上げる。こういった体制を置けば、少なくとも全滅は逃れるだろう」

 

 ガンツよ――と、膝を折り、道長は真っ直ぐに黒い球体を見詰めながら言う。

 

「これが、本来の形だ。いや、これでも過保護が過ぎるくらいだろう。戦士が可愛いのは分かるが――」

 

 あまり――甘やかすな。

 

 そう言う道長に「――――ちがうッッ!!」と、かぐやは激昂する。

 

「……あ~、無論、安全圏から指示を出すのは月の戦士達が成長するまでだぞ。その後は、きちんと私も戦場に出るつもりだ。私も今や、ガンツの戦士(きゃらくたー)だからな」

「……ッ!? 違う……違うの、そうじゃなくて!!」

 

 かぐやは首を振って、瞳に涙を浮かべながら言う。

 

「だって、それじゃあ……これじゃあ……地球に帰れないじゃない!?」

 

 言っている本人が泣きそうな――否、はっきりと泣いている、その悲痛な叫びに。

 

 道長は――これまで見せなかった、苦い笑みを堪えたような顔で言う。

 

「……そうだな。お主を地球へ連れ帰るという、約束を守れなくてすまなかった」

「ちがうって言ってるでしょう!! 私じゃない――あなたの話をしているのよ!!」

 

 詰め寄るかぐやに、道長は立ち上がって、その両手を己の両手で包み込みながら言う。

 

「――よいのだ。初めから、俺は言っていた筈だぞ。私は、お前に逢いに、この月までやってきたのだと」

 

 お前と、ずっと一緒に居られるのだ。こんなに幸福な結末もない――そう、優しい笑みで、本当に幸せそうに言う道長に、かぐやは、彼の胸に顔を埋めながら言う。

 

「……奥さんは、どうするのよ。……京には、あなたの家族もいるでしょう?」

「……そう言った意味でも、私は運がいい幸福な男だ。傲慢にも、家族を泣かせる覚悟もしていたのだが――公任が、きちんとそちらも叶えてくれた」

 

 道長が見詰めるモニタには、白虎と天空、そして――藤原道長(ふじわらのみちなが)が映っていた。

 

 戦士(キャラクター)となって黒い球体の部屋に入る為に自害未遂をした道長の命を繋ぎ止めたことで、存在が許されたもう一人の道長(バグ)

 

 本来の――藤原道長。

 

 偽物(クローン)は、自分なのだと、女に触れる男は語る。

 

「……願わくば、彼らだけは、元の場所に帰してやりたい。彼らは私の野望に――子供の我が儘に、付き合ってくれただけなのだ」

 

 かつて、かぐや姫が地球に来られたように。リオンが地球に放り出されたように。

 

 地球から月ではなく、月から地球へのルートは存在するのではないかと、そう問う道長に、かぐやは俯きながら、ぽつりぽつりと告げる。

 

「……あるわ。でもその『回廊』は……直近でリオンが使用したから、もう古い(カプセル)しか残っていなくて――旧式だから、日ノ本のどこに堕ちるかも分からない」

「そこは問題ない。白虎と天空が同行すれば、日ノ本のどこに堕ちようとも、朝までには京に辿り着けることだろう」

 

 かぐやは、道長の胸に顔を埋めながら「……それに――」と、歯を食い縛って、吐き出すように言う。

 

()()()()()()()()()使()()()()の……だから――」

 

 その回廊を、『藤原道長』が通ったら――もう二度と、『藤原道長』には使用できない。

 

 つまり――と、そう言外に告げるかぐやに。

 

 道長は、更に強く、己の中に掻き抱くように、かぐやを己に押し付けて。

 

「――それこそ、問題ない。同じ人物が二人も現れたら、それこそ皆が混乱しよう」

 

 ありがとう、かぐや姫――道長は、そう言って、涙を己に染み込ませるかぐやをいつまでも抱き締めていた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そして、公任達をその『回廊』へと案内する為、泣き腫らした瞼のまま、かぐやが公任達の下へと転送されるのを、真っ暗な部屋のモニタで、道長は眺めていた。

 

 かぐやが白き虎ともう一人の道長(オリジナル)に何事かを告げると、公任は瞠目し――そして、何かを噛み締めるようにして、()()()の方を向き、遠吠えを上げる。

 

 その様に道長は苦笑して、そのままかぐやに連れられて何処かへ行く一行の後姿を、モニタからじっと眺め続けていた。

 

 じ、じじ――と、黒い球体の表面に、文字列が浮かぶ。

 

 それはいつか見たのと、同じ文字列だった。

 

 

――てめーたちは なにもの です ?

 

 

 道長は、そんなメッセージに、真っ暗な部屋で、ひとりごとのように答える。

 

「何者でもないさ。何者にかになれると思う程、流石の私も自惚れていない。……ただ、胸に宿る野心のままに、黒き炎に導かれるがままに、不可能を可能にしてきただけだ」

 

 いつか、私のような愚か者が、再びこの月を訪れるだろう――と、道長は言う。

 

「そうだな。何者かと聞かれれば、こう答えるのが適切だろう。我々は――愚者だ。不可能だと分かっていても挑戦し、何度も何度も失敗しながらも、いつかそれを可能に変えてしまう」

 

 それが、我々――地球人だ、と。

 

 藤原道長は、そう黒い球体に言った。

 

 

 

 

 

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【つまりは――こうして二人はいつまでも幸せに暮らしましたエンドというわけかの】

 

 蘆屋道満は、月面サイドのエピローグを、そう端的に纏めて言った。

 

【己が指揮官として月の黒い球体のミッションに参加する代わりに、平安京の住人達の記憶操作と認識操作を行ったわけか。流石に街々を直すことや、戦士(キャラクター)でもない民や戦士の命を蘇られせることは出来ぬから、ここら辺が落としどころかのぉ】

 

 そう考えると、藤原道長が二人となって、片方が地球に戻ってこれたのは、道長の言う通り僥倖であったな――と、道満は言う。

 

【『酒吞童子』は無事に封印に成功した。『茨木童子』も一緒に封印されるとは思わなかったが、あの状態では封印が解けても動けるかどうかは不透明じゃな。『頼光四天王』も共に千年の眠りへ着いたが――封印出来たからと言って、それで終わりというわけでは勿論、ない】

 

 外部から干渉できないような封印とはいえ、平将門の例を出すまでもなく、封印というのは――いつか必ず解けてしまうものだ。

 

 故に、その危険性を少しでも避ける為に、事後処理というものが必要になってくる。

 

【此度の妖怪大戦争においても、最低でも『黒炎上跡』と『山小屋跡』には、余人は近付けないようにする必要がある。『神社』を建立するにしても名分作りなど一苦労じゃろう。公任だけでは荷が重かったじゃろうからなぁ】

 

 後始末といえば、じゃ――と、蘆屋道満は言う。

 

【人間サイドの後始末は、藤原道長が()()()()()どうとでもなろう。では――】

 

 妖怪サイドはどうするのじゃ――と、ニタニタと笑いながら、小さな老爺は、無表情で己を見上げる若者を見遣る。

 

 もうずっと、何十年も、何百年も――若者であり続ける、目の前の男を。

 

【聞かせてもらおうか。此度の妖怪大戦争――結局の所】

 

 誰が――『妖怪の王』となった?

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「儂ら『百鬼夜行』は、これより――天下取りに乗り出す」

 

 怪異京――百鬼夜行屋敷にて、総大将ぬらりひょんは集結した幹部達に向かってそう宣言した。

 

「『鬼の頭領』と『狐の姫君』――二大巨頭を失い、『鬼』も『狐』もガタガタだ。その総数も大きく減らした。京にはもはや、俺ら『その他勢力』しか残ってねぇ」

 

 人間達の中には、妖怪が絶滅したなんて宣っていやがる奴等もいるみてぇだ――そうケラケラと笑いながら、ぬらりひょんは高笑いし、そして――表情を引き締めて言う。

 

「だからこそ、これは好機だ。人間達の目が届かねえ内に、この京を起点に日ノ本全土へ侵攻を開始する。『鬼』と『狐』の残党共、そんで今回の妖怪大戦争で日和見を決め込んでいた腰抜け共を電光石火で制圧し――」

 

 ぬらりひょんはドスを畳へと突き刺すと、その真っ黒な髪の中から、二列で向かい合う幹部共に告げる。

 

「――俺ら『百鬼夜行』が、日ノ本の妖怪を全て抑え込む」

 

 幹部達は、己が大将の号令に気勢を上げる。

 

 その姿は――正しく、王。

 

 妖怪の――王たる姿だった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 常夜の世界で美しく咲き誇る一本の枝垂れ桜。

 その枝に横たわるように、一人の男が木に背中を預けていた。

 

「…………」

 

 清流のような黒髪に、この桜の木のような桜色の髪が斑に混ざり合っている。

 

 己のそんな髪を摘まみ上げながら、屋敷から聞こえる気勢をどこか別世界のように聞いていると――。

 

「――何をいっちょ前に黄昏ているのかしら? この息子は」

 

 己のすぐ下から、そんな声が鴨桜の耳に届いた。

 

「ちょ、母さん!? 何やってんだ、あぶねぇだろ!」

「母親をおばあちゃん扱いするんじゃありません。まだこんな木登りを心配されるような歳じゃないわよ」

 

 それをいうならこんな木登りを嬉々としてするような歳でもないだろと、そんなことを息子が言う前に、「よっと!」と言いながら、鴨桜が横になっていた枝に同じように腰を下ろす。

 

「相変わらず、この桜は逞しいわね。大人二人が一本の枝に座ってもビクともしないんだもの」

「……はぁ。ったく、落ちねぇように気を付けろよ」

 

 鴨桜はそう言いながら腰を下ろすが、背中は幹に預けず、何かあったらすぐに助けられるような体勢で息を吐く。

 

 そんな息子を慈しむ眼差しで見詰めながら「……なにかあったの?」と、母親は息子に問い掛ける。

 

 息子は、そんな母親の視線に耐え切れないとばかりに目を逸らし「……随分とまあ、気合の入った声が響いているな」と話題をずらした。

 

「ええ、そうね。いいの? 未来の総大将様は、あそこに参加しないで」

「……親父が組の士気を上げる為の決起集会ってなら、俺がいない方が、半血(おれ)に変な感情を持っている奴を刺激しないでいいだろ?」

 

 同じような理由で、士弦や月夜や雪菜も参加していない。

 平太や詩希を連れて、混乱が収まらない街の警邏と称して遊びに出ているのだ。

 

 皆さんが怪異京を案内してくれるんですと、早朝の時分に、そう鴨桜に報告しにきた平太の幸せそうな笑顔と、それを見詰める詩希の幸せそうな笑顔は――思い出すだけで、鴨桜の頬も柔らかくなる暖かさだった。

 

「……随分と、思い切ったよな。親父のヤツ」

 

 これまで目立った野心を見せてこなかったぬらりひょんが、ここにきて天下を狙うと明確に宣言した。

 

 それに対し、ぬらりひょんに昔から付き従ってきた古参妖怪達は狂喜乱舞していることだろう。

 

 だが、その急な方向転換に冷めた目を向けているモノもいる――他でもない、息子であり二代目候補である鴨桜もまた、そのひとりだった。

 

 桜華は、そんな息子に微笑みを向けた後で、屋敷の方を見下ろす。

 

「――あの方しかいないのよ。『鬼の頭領』も、『狐の姫君』もいなくなった。でも、強い力は、それだけである程度の『抑止力』にもなっていた筈。それはがなくなったってことは、つまり……」

「強え奴がいるから大人しくしていた小せえ奴等が、これを機に暴れ出すかもしれないってことか」

 

 酒吞童子や茨木童子がいなくなったからといって、大江山から鬼がいなくなったわけでもない。

 頭がいなくなったことで、我こそが新しい鬼の頭だと名乗り出すモノもいるだろう。

 

 化生の前がいなくなったからといって、狐の勢力が一匹残らず潰えたわけでもない。

 姫がいなくなったことで、これを機に独立を果たすモノもいるだろう。

 

 大きく力を減らしたからといって――妖怪はまだ、そこにいる。

 闇がなくならない限り、その中で蠢き潜む怪異は生まれ続ける。

 

 百鬼夜行という妖怪組織が、平安京の裏側で、こうして動き出そうとしているように。

 

「でも、これはあの方がいうように、好機でもあるのよ。妖怪も、人間も、大きく力を減らした今こそが、二つの世界の均衡を保つ好機なの。このままあの方が日ノ本の妖怪を押さえることが出来れば――」

 

 そう言って、桜華は常夜の空を、狂い咲く桜を――そして、黒と桜の斑髪の息子を見詰める。

 

「――『人間』と『妖怪』が、争わずに共存できる世界が、実現できるかもしれない」

 

 桜吹雪の中で微笑む桜華という人間は、妖怪の世界で暮らす人間は、泣きそうにも、笑っているようにも見える、複雑な表情をしていた。

 

 もし、ぬらりひょんが天下統一を目指すのならば、平安京で生まれ育ち、平安京しか世界を知らない鴨桜も、きっと――外の世界を知ることになるだろう。

 

 鴨桜は、自分の手をゆっくりと見詰める。

 

「――母さん。俺は、今回の戦争で、初めて『あの力』を使った」

 

 母たる桜華から受け継いだ力。

 魂だけを、極楽浄土の世界へ送る異能。

 

「命を奪った感触が、まだこの手に残っている」

 

 どれだけ綺麗な言葉で取り繕っても――鴨桜は、羽衣を、殺したのだ。

 

「…………」

 

 桜華は、両親や兄弟にただ言われるがままに、その異能を使ってきた。

 

 ぬらりひょんに攫われるその日まで、自分は何も考えず、ただ魂が安らぎの地へ行けるようにと願っていた。

 

 もしかしたら、あの人達が自分の前に置いていた死体が――眠っているだけの只の人だった可能性もある。

 

 そんなことを思い出しながら、息子を見詰める母を。

 

 静かに見詰め返しながら――鴨桜は、ゆっくりと立ち上がる。

 

「……また、すぐに戦争が起こるかもしれない」

「……ええ。今度は妖怪同士で、また血を流すことになるかもしれない」

「だが、さっさと実現しねぇとな――その、争いのない世界って奴を」

 

 そう言って、鴨桜は桜の木を飛び降りる。

 

 黒と桜――人間と妖怪、その両方の血を流す――共存の象徴たる息子は。

 

「親父が言っていたからな。母さんと一緒に爺婆になって死ぬのが夢だと。そりゃあ、つまり、そんな大層な野望に、五十年も掛けられねぇってことだろ」

 

 つまり、それまでに――自分が。

 

 ぬらりひょんの息子であり、桜華の息子である自分が――ぬらりひょんが安心して後を任せられるような、立派な二代目にならなくちゃいけねぇってことだ、と。

 

 そう言って笑う息子に――悪戯っぽい笑みを浮かべて、母も桜の木から飛び降りる。

 

「ちょ、ま」

 

 鴨桜は慌てて降ってくる母を受け止める。

 魂を極楽浄土へ送る異能以外は只の人間である母は、当然ながら空を飛ぶことも、こんな高さを綺麗に着地することも出来ない。

 

 あぶねぇなと怒鳴ろうとした息子の鼻頭を、ちょんとつつきながら、母は笑う。

 

「私はまだそんな歳じゃないって言ってるでしょ。あなたが立派な二代目になるまで、六十年でも七十年でも、百年だって生きてあげるわよ」

 

 そう言いながら「でも受け止めくれてありがと!」と笑う母に、「……流石に百年は無理だろ」と息子は苦笑する。

 

 地面に下ろしてもらった母は、すくっと立ち上がって。

 

「……ゆっくりと大人になりなさい。期待しているわ――ぬらりひょんと人間(わたしたち)の息子!」

 

 そう言って、いつの間に観ていたのか、息子とくっつきすぎたことでご立腹なぬらりひょんの下に歩いていく母親を、そして、そんな妻を抱き締めながら息子を睨みつけてくる父親を見ながら。

 

 ぬらりひょんと人間の息子は溜め息を吐いて、桜吹雪と常夜の空を見上げながら――笑みを浮かべて。

 

 自身もゆっくりと、妖怪屋敷の中へと戻っていくのであった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

【つまり――おれたちの戦いはこれからだエンドというわけじゃな】

 

 妖怪サイド――百鬼夜行サイドのエピローグを聞いて、蘆屋道満はそう纏めた。

 

【妖怪世界の天下統一か。確かに、今こそがその最大の好機であることは否定せぬが――その道は、中々の修羅の道であろう】

 

 日ノ本最強の戦闘妖怪集団――『鬼』勢力は、酒吞童子や茨木童子を失って半壊状態であろう。だが、それはつまり大江山に残っていた鬼達は、茨木童子が纏め上げる以前の、誰の下にもつかない個人主義の妖怪として散開したということだ。

 

 日ノ本最大の妖怪集合集団――『狐』勢力は、確かに平安京へ送り込まれた妖怪達は化生の前に吸収されたことで全滅したといってもよいが、鞍馬山の天狗を代表して首長たる鞍馬のみが参戦していたように、その所属妖怪の全てが平安京に派遣されたわけではない。日ノ本の各地に残された残存勢力は、鴨桜の読み通り内部争いを初めてバラバラになるだろう。

 

 その他にも、ぬらりひょんの言った通り、妖怪大戦争を遠巻きに眺めて日和見を決め込んでいた勢力や、土蜘蛛のように覇権争いになど興味がないと唯我独尊を貫くモノなどもいただろう――それの他にも、まだ知られていない強力な妖怪が出現したり、誰も知らない強力な妖怪が誕生したりするかもしれない。

 

 正しく、百鬼夜行――彼等の戦いは、まだまだこれからなのだ。

 

【妖怪戦国時代、か。それはそれでまた面白いものが見れそうじゃな。『真なる外来種』が三体とも表舞台から姿を消し――ある意味では()()()()()()()()()()とも呼べるモノ達による、覇を争い行われる殺し合い】

 

 ふふ、心躍ると、心などまるでないような笑みを浮かべて言う――蘆屋道満。

 

 三体の妖怪星人――『真なる外来種』と共に来訪し、空っぽの『妖怪星人の器』を日ノ本にばら撒いた、全ての元凶にして黒幕にして物語綴(ストーリーテラー)たる怪物。

 

 老爺は、興味深い書物を眺めるように、地球の日ノ本という島国で繰り広げられる物語を鑑賞している。

 

 そんな、ある意味で最も『妖怪』といえる男を、晴明は無言で睨み付けていると。

 

【――そうじゃ。彼らにはいつネタ晴らしをするのじゃ。自分達が狐の呪いに罹っているということを】

 

 蘆屋道満が言う狐の呪いとは――妖怪・化生(けしょう)(まえ)が散り際に残した嫌がらせ。

 

 あの時、あの場所にいた全ての妖怪が罹患した――呪い。

 

【――『不老』の呪い。母が『不死』ならば娘は『不老』か。ぬらりひょんも愚かなことをした。挑発の意味があったのだとしても、馬鹿正直に己の本当の願いを吐露してしまったお陰で――その願いは、叶うことがなくなったのだから】

 

 妖怪は基本的には肉体が老化することはない。

 だが、無論、子供から成体に成長はするし――子供を作れば、己の血を次代へと継げば、生物として意義を果たしたとして、急速にその細胞は老化していく。

 

 ぬらりひょんは、既に子を成している。

 人間である妻――桜華と共に、老衰で逝くことを夢見ている。

 

 だが、それは果たされない願いなのだということを、蘆屋道満と、そして安倍晴明は、見透かしている。

 

【遠からず内に、あの平太という少年が、『箱』としての役割を果たしても、いつまでも座敷童にならずに幽霊のままであるということを訝しむモノが出てくるじゃろう。いや、あの賢しい童は己で気付くかな? その時、お前の下を訪れるであろう友人に、お主は何と言ってやるつもりかな】

「……………」

 

 つまり、これは、私達はまだ知らなかったエンドでもあるな――と宣う蘆屋道満に、安倍晴明は何も答えない。

 

 くつくつと、くつくつと、磔の老爺は本当に楽しそうに笑う。

 

 それにしても、皮肉なものじゃと、安倍晴明を真っ直ぐに見詰めて。

 

【奴等は此度の戦争で『不老』の呪いを受けた。それに引き換え、お主は此度の戦争で――遂に、『不老』から解放され――】

 

 老いることが、出来るのじゃからな。

 

 安倍晴明は、蘆屋道満のそんな言葉を受けて。

 

 ゆっくりと――その口を、開き始める。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「東西東西。

 

「楽しかったか。自分の思い通りにいかない舞台は。さぞかし新鮮で刺激的だっただろう。

 

「妖怪爺。否――全ての妖怪の生みの親。異星からの侵略者――蘆屋道満(あしやどうまん)

 

「確かに、完全無欠のハッピーエンドでなかったことは認めよう。そもそもが、お前が私――記憶を引き継ぐ星の戦士である『転生人間』の存在を感知したことで、私の『計画(プラン)』は崩れ始めた。

 

「人間の最大の弱点は、その寿命の短さだ。一代で出来ることはどうしても限界がある。まあ、それは人間がもつ最大の美しさであるのだが――お前のように、永劫の寿命を持つ『星の敵』に対抗するには、それは致命的な弱点だった。

 

「ある時は謎の陰陽師に、ある時は国を犯す毒たる怪僧に、変幻自在に姿を変えて――化けて出る貴様のような『侵略者』に対抗するには。

 

「私のように、何代にも渡ってそれをマークする戦士が必要だった。私のような『チート』を用いる戦士がな。

 

「しかし、『和気清麻呂(わけのきよまろ)』から『安倍晴明(あべのせいめい)』として転生を果たした時、まさか『真なる外来種』の子として生まれるとは予想外だったが、それに見合うだけの、否、それでも見合わないような『チート』がこの身に宿っていた時、確かに私は慢心していたのだろう。

 

「現在、未来の日ノ本全土に加えて果ては月まで見透かせる『全知』。どんな不可能も可能にする術式と呪力と妖力を備えた『全能』。こんな『(チート)』があれば何でも成し遂げられる――そう、私は驕っていた。

 

「己の『全知』を掻い潜って私の中に侵入し、己の『全能』を凌駕して私の中に留まり続ける――お前のような星の『癌』の策略に気付けなかったこと。これこそが、安倍晴明唯一にして最大の失態だ。

 

「これほどまでの『チート』が与えられるということは、そうでなくては打破できない『星人』がいるということだと、少し考えれば分かることだろうにな。

 

「結果として、私の寿命は延びた。『不老』の呪い――正しくその通りだが、これは私が使命を果たせなかったからだ。貴様という『癌』を野放しにしていることに対する星からの『(ペナルティ)』。これほどの『チート』を与えたのだから、必ず『安倍晴明(今世)』で決着(ケリ)を付けろというな。何一つ成し遂げられない、我が不甲斐なさの結果だ。

 

「だが、今、ここに私は、使命を成し遂げた。道満――貴様をこの狭間の世界に封印することに成功してな。

 

「ここは私が作り出した狭間の世界。私が見透かした光景が映し出される『星詠(ほしよみ)空間』だ。ネタ晴らしは楽しんでもらえたか? だが、お前がここから脱することはない以上、これはもはや只の映画鑑賞に他ならない。精々、貴様の暇つぶしになることを祈る。

 

「敢えてお前を『表』に現出させ、『力』を消費させ、油断しきった所で分離し異空間に閉じ込める。単純な策であったが、いつだってお前の最優先が『面白いこと』であったが故に用意した策だ。貴様としても満足のいく末路だと私は自負している。

 

「ああ。私は――俺も、満足だよ、道満。我が宿敵にして、我が半身。私の黒を、俺の闇を、担い続けてくれた愛しの怨霊よ。

 

「俺はこれから、貴様の言う通り老いるだろう。既に子を成している俺は、半妖といえど、数百年も生きるということはない筈だ。『狐』の後始末を終えたら、俺はきっと黄泉の国に行く。

 

「妹の待つ――極楽浄土へな。

 

「だが安心しろ。それでも、この狭間の世界は健在だ。我が星詠の映像(ビジョン)は見えなくなるだろうが、この世界は半永久的に揺るがないように作成した自信作だ。退屈を嫌う貴様にとっては、これこそが何よりの拷問になるかもな。そうであれば、俺も嬉しい。

 

「時代は変わる。此度のような星人戦争は、今後千年、この国では勃発しない。『真なる外来種』の影響が消失する以上、『模倣品』たる妖怪も衰退するだろうな。この国ではもう、『安倍晴明』を超える星の戦士は現れまい。

 

「だが、星人はこれからも、世界中に降り立っていくだろう。たかだか極東の島国で、これほどの星人戦争が勃発し、安倍晴明(これ)ほどの星の戦士が出現するのだ。流石の星の力もやがては枯渇し、星の英雄は生まれなくなる。

 

「そうなれば、いずれ地球も、月のように、黒い球体に頼らざるを得なくなるだろう。

 

「だが、それでも、それは地球の――我等の敗北を意味しない。

 

「道長様が、自ら月の戦士を育て上げることを選んだように――星の力なぞなくとも、人間は負けない。

 

「いつか、貴様も――本当の死を迎える時が、必ず来る。

 

「未来に芽吹く若者の才能が、必ずやお前の『不老不死』を砕くだろう。

 

「時代は、流れる。世界は変わる。

 

「忘れるな。お前がニタニタと眺めているこれは。

 

悪魔(おまえ)が死ぬまでの物語だ。

 

「――南北。」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 こうして、真っ暗になった狭間の世界で、悪魔の哄笑が響き渡る中――妖怪大戦争の幕は閉じた。

 

 

 

 その後――藤原道長(ふじわらのみちなが)は息子・頼通(よりみち)を摂政へと任じ、自らは妖怪大戦争の後処理に専念する為、政治の第一線を離れた。

 

 しかし、娘・威子を嫁がせた後一条天皇は、まるで何かに祟られるように早逝の憂き目に遭い、盤石に思えた道長率いる藤原北家勢力は、徐々に隆盛を失っていき。

 

 政治の中心から――『藤原』は、ゆっくりと外されていくことになる。

 

 

 

 やがて、『藤原』の摂関政治ではなく、上皇による『院政』が平安京のトレンドとなっていった。

 

 そんな中、国を傾けるほどの美貌を持ち、若き女性とは思えぬ博識ぶりで、鳥羽上皇の寵愛を受ける一人の女性が現れる。

 

 件の女性は――病に伏せる上皇の傍に侍るようになるが。

 

 やがて――とある陰陽師が、その本性を暴きに現れた。

 

 

 

 

 

 ゆっくりと、静かに息を引き取ろうとする鳥羽上皇(とばじょうこう)は、その痩せ細った手をゆっくりと持ち上げて宙を彷徨わせた。

 

「……玉藻(たまも)……玉藻は、いるか」

 

 金髪の美女は、その手を慈しむように握りながら、ゆっくりとその甲を己が頬に当てる。

 

「ここに居ります。……玉藻は、いつも上皇様の御傍に」

 

 鳥羽上皇は、その温もりに心から安堵したように、瘦せ細った頬を緩めて笑う。

 

「玉藻……お主と共に居れた幾ばくかの時は、この上なく幸福な時間であった――お主と、共に居れたことで」

 

 私は――『愛』というものを、知ることが出来た。

 

 鳥羽上皇の言葉に、玉藻(たまも)(まえ)は息を吞んで、頬に当てたしわがれた手を、己が涙で静かに濡らす。

 

「……玉藻も…………私も――ッ!」

 

 玉藻の前は、感情の昂りの余り――己が頭頂部に狐耳を、腰からは九本の尾を出現させているが、死に逝く鳥羽上皇はそれが目に入っていないか――それとも。

 

「私も――――あなたのお陰で、『()()――()()()()()――――ッッ!!!」

 

 ありがとう――『愛』しています。

 

 玉藻の前の――『狐の姫君』の、その愛の告白に。

 

「――――ああ……美しいなぁ……玉藻は」

 

 そう、静かに――鳥羽上皇は息を引き取った。

 

 暗い部屋の中で、ただ、玉藻の前の啜り泣く声が響く。

 

 やがて――部屋の戸が開き。

 

 老爺となった安倍晴明は、玉藻の前――かつて化生の前と名乗った、『狐の姫君』の転生体に向かって問うた。

 

「……お前は、愛する人に『呪い』を掛けなかったのだな。『狐』」

 

 涙を拭き、ゆっくりと立ち上がった玉藻の前は「……老いましたね。安倍晴明」と、その九本の尾を広げて言う。

 

 今ならば――胸を張って、こう言えると。

 

「私は――『葛の葉(おかあさま)』ではない。美しい――『愛』もあるのだと。鳥羽上皇(このかた)が教えてくれたから」

 

 それを穢すような真似はしないわ――と、泣き腫らした目で、真っ直ぐに晴明を睨む狐に。

 

「ならば、愛する男と共に逝くことを選ぶか?」

「残念だけれど、私はあのぬらりひょん(おとこ)とも違うのよ、『お兄ちゃん』」

 

 玉藻の前――『狐の姫君』は、その妖力を膨れ上がらせていく。

 

 晴明の背後に控えていた平安武士、陰陽師の軍勢に囲まれそうになろうとも、玉藻の前は真っ直ぐに晴明だけを見据えて言う。

 

「それでも私は――永劫を生きるわ! この『愛』は不滅だと、『葛の葉(はは)』の歪んだ愛よりも尊いのだと、この生命を以て証明する!!」

 

 安倍晴明によって正体が露見した玉藻の前は、その後、宮中を追われ、坂東の地まで逃亡し、那須の地で朝廷軍と事を構えることになる。

 

 一度目は八万もの人間軍を撃退するが、二度目の討伐隊によって敗北を喫し――『狐の姫君』は再び殺されて石となった。

 

 人間や妖怪を拒絶する猛毒を放つその石は『殺生石(せっしょうせき)』と呼ばれ、安倍晴明によって――二度と『狐』とならぬよう、京のとある場所で封印されることになった。

 

 

 

 

 

 そこは、かつて『葛の葉』が百年もの時を過ごした神秘郷『山小屋』の跡地であった。

 あれだけ拒絶する母親と同じ場所に封印するということに、安倍晴明の性格の悪さ(ロクデナシ)を垣間見た気がしたが、『狐の妖怪を封印する』という点において、既にこの場所以上に相応しいスポットはなくなっているのだと、一応は釈明した。

 

「すまないね、二代目くん。厄介なことを頼んでしまって」

 

 晴明は封印に同行してもらった、鴨桜に向かってそう言った。

 玉藻の前討伐軍の第二陣には、安倍晴明の指揮の下、こっそりと『援軍』が派遣されていて、鴨桜はその中の一体であった。

 

「……いや、あの『狐』にはうちも借りがあるからな。むしろ、ありがたかった」

 

 そう感情を押し殺しながら、努めて平淡に言う鴨桜に、晴明は再び謝罪の言葉を掛けようとしたが、それは自己満足に過ぎないと口を噤んだ。

 

 晴明のそんな感情を察したのか、あるいはさっさと用件を済ませて帰りたいのか、鴨桜は「それじゃあ――もう一個の用の方も済ましちまおうぜ」と晴明と相向かって、鴨桜は――その桜色の脇差を取り出す。

 

「……本当に、いいんだな」

 

 その切っ先を向けながら、鴨桜は無表情に言う。

 

 晴明はそんな鴨桜に微笑みかけて――鴨桜には、それが、いつかの誰かに重なって見えた。

 

「……ああ。随分と待たせてしまっているからね。最後の使命もこうして終えた今――死ぬのは、出来るだけ、早い方が嬉しい」

 

 そんな晴明に鴨桜は「……本当に、兄妹だな、お前ら」と言う。

 

「私はもう、十分に生きた。生き過ぎたくらいだ。……だから、どうか」

 

 安倍晴明(おれ)が、もう――必要とされない世界を望む。

 

 それを遺言に、安倍晴明を桜色の斬撃が襲い。

 

 美しい桜吹雪の幻覚と共に――『妹』と同じ場所で、安倍晴明は永遠の眠りに着いた。

 

「……どうか、穏やかな、いい死後(ゆめ)を」

 

 重く苦しい使命を果たした兄妹が――今度こそ、楽しい『生』を、謳歌出来ますようにと。

 

 兄も妹もその手で殺した、彼らと同じ半妖の青年は、静かに、瞑目しながら願った。

 

 

 

 

 

 そして、鴨桜と同じく、玉藻の前討伐軍第二陣には彼らも参加していた。

 

 真っ暗な夜道にて、腰に太刀を刷く墨色の浪人の肩に乗るのは、豪奢なドレスを身に纏う紅蓮髪の幼女だった。

 

「まさか、あの安倍晴明って人、僕達の居場所が分かるとは思わなかったよ。あの後、一度も平安京には寄らずに、この日ノ本中を旅していたっていうのに」

 

 今度は海を渡って大陸の方にでも行ってみようか。僕たち別に流水が苦手な吸血鬼じゃないしと、リオンが男の顔を覗くように言うと。

 

「……まあ、これで、あの戦争に関することでの心残りはなくなった。あの『狐』も、やっぱりもう完全に『葛の葉』じゃねぇって確認できたしな。……強いて言うなら――」

 

 そう言って、男は振り返る。

 

 墨色の浪人と紅蓮の幼女の背後には――髪をボサボサに伸ばしたボロ衣の青年がいた。

 

 かつての姿など見る影もない、ある意味では、あの妖怪大戦争の最大の被害者とも言える青年。

 

「あー、そういえば、君って結構な量の僕の灰と、一滴だけとはいえ血も吞んじゃったんだっけ? その上、烏天狗(からすてんぐ)? っていうのも身体の中に入り込んで――なんだかよく分からないことになってるねぇ」

 

 安倍晴明に引き合わされた時に、この青年の事情も聞いてはいるが、いかんせんリオンとしては自分のしでかしたことに自覚はないし、そもそも青年に対して余り興味もないので聞き流していた。

 

 男は、「リオンを……俺達を、憎んでいるか?」と、青年に向かって問い掛ける。

 

 青年は、ボサボサに伸びた髪の中から「……京四郎さんは――」と、問い掛けようとして。

 

「あ! 君、多分だけど、違う方の『きょうしろう』で呼んでいるでしょ!」

 

 リオンが男の肩からビシッと青年を指差して注意する。

 

「もう京四郎じゃないんだよ! まあ読み方は一緒なんだけど」

「……まあ、『京四郎』は、人間時代に、俺の弟子になってくれた奴の呼び名だったからな。他に適当な名も思いつかないから、俺の中で、字だけを変えて、同じ呼び方で名乗ってしまっているが」

 

 一々言い直す必要もないと男は思うが、リオンは自分と一緒に考えた名なので、積極的に言い触らしたいのだ。

 

「――『狂死郎(きょうしろう)』。()(くる)(おとこ)と書いて、狂死郎だ。これから俺は化物として生きていくんだ。人間を捨てるという意味を兼ねて、俺はそう名乗っている」

 

 そう名乗る、京四郎――もとい、狂死郎の言葉を聞いて。

 

 青年は、ああ――この人は、もう鬼なのだと悟る。

 

 英雄というのは、皆、こういう生物なのだろうか。

 

 全てを捨てる決断が出来る――時には、人間性すら、己の過去すら、切り捨てる。

 

 先程の玉藻の前討伐戦においても、狂死郎は人間達を影ながら大勢助けていた。

 人間が嫌いになったわけじゃない。人間を憎んでいるわけでもない。

 

 ただ――化物になった己を、受け容れているだけ。

 

 その牙を使って、もう彼はきっと、化物(じぶん)が生きる為に――人間(しょくりょう)も殺しているのだろう。

 

(……いつまでも、受け容れられない……自分と、違って――)

 

 俯く青年に狂死郎は問い掛ける。

 

「――俺達と一緒に来るか?」

 

 狂死郎の提案に、リオンは「えー」と露骨に不満を現していたが、狂死郎は真っ直ぐに青年だけを見詰めて、彼の決断を待っていた。

 

 いつまで経っても何も決められない、名無しの端役の懊悩を。

 

「………僕は、あなたのようには……まだ、なれません」

 

 やがて、ゆっくりと、その言葉を口にする。

 

 まだ、何も決められないと。

 自分は人間なのか、妖怪なのか、それとも――オニなのか。

 

 リオンを、狂死郎を――憎んでいるのか、恨んでいるのか。

 

 それすらも決められない己から目を逸らすように、リオンと狂死郎に背中を向ける。

 

「……そうか。じゃあ、まだどこかであったら、よろしく頼む」

 

 狂死郎は、そう言ってあっさりと、青年を切り捨てる。

 

 彼は、そういったことが出来る英雄で――今や立派な、化物だった。

 

 それを突き付けられた青年は、ゆっくりと歩き出そうとして。

 

「ねぇ――君の名前は?」

 

 狂死郎の肩から乗り出すように、まだ青年を見ていたリオンは、興味本位といった感じで問い掛けて。

 

(僕の――名前)

 

 そんなこと、もう何年も考えていなかった。

 

 自分の名前を呼んでくれる人など、もうこの世界の何処にもいないと思っていたから。

 

 そして、考える。

 確かに――人間の時の名前など、もう恥ずかしくて名乗れない。

 

 ふと――考えて、真っ先に、思いついたのは。

 

 自分の運命が変わってしまった――あの魔の森の決戦にて。

 

 目の前の英雄と同じ名前を名乗っていた誰か。

 

 自分を助けてくれた英雄――その記憶の中にいた、醜い怪物。

 

 僕はきっと、今、あの怪物のように醜悪なのだろう。

 

 だからこそ――そんな名前の方が相応しい。

 

「――百目鬼(どうめき)

 

 僕は、今後、そう名乗っていくことにします――と。

 

 名も無き青年――改めて、烏鬼(からすおに)百目鬼(どうめぎ)は、そう言って真っ暗な闇の中に消えていった。

 

 リオンと狂死郎はこの後に本当に海外旅行に出かけて、世界中を股にかけて様々な伝説を各地に残していくことになる。

 

 

 

 そして、玉藻の前の封印を最後に――妖怪の伝説はゆっくりと減少の一途を辿っていき。

 

 宮中では院政が崩壊して、時代の中心は――京から関東へ。貴族から武士へ移っていった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そして――時は流れていく。

 

 

 

 

 














――千年後――










「――あぁ。退屈じゃ。退屈――じゃった」

 蘆屋道満は、狭間の世界にて、すっかり慣れたという風に独り言ちる。

「長かった。本当に長かったのぉ。晴明の奴が死んでから、あの何の娯楽もない、映画が終わった映画館のような空間で、孤独に磔にされ続けるだけの千年間は――本当に、死んでしまうかと思ったくらい、退屈じゃった」

 だからこそ――うっかりと。

「――封印を解いてしまったわい」

 そう、日ノ本史上最強の星の戦士たる『安倍晴明』が、脱出不可能と称した戒めから脱け出した『悪魔』は、カカカと哄笑しながら呟く。

「最後の最後でミスをしたのぉ、晴明。何も言わなければ、このまま退屈に殺されてやったかもしれぬのに――あんな次回予告を残されては」

 今後千年、妖怪大戦争のような星人戦争は、この国では勃発しない――それはつまり、裏を返せば。

 千年後たる現在、再びあのような星人戦争(まつり)勃発(かいさい)されるということではないか。

「そんなもの、死ぬよりも観たいに決まっておろうが」

 面白いものが観たい――そんな欲求を原動力に、およそ千年掛けて、安倍晴明の封印から脱け出した『悪魔』は。

 千年前(ぜんかい)の勝者たる『妖怪王』を、およそ千年間に渡り妖怪の王として君臨し続けたぬらりひょんを、この『狭間の空間』へと引き摺り込んで殺害した道満は。

 ゆっくりと、再び黒い糸を引き――真っ黒な黒幕として、舞台の準備に取り掛かりながら。

「しかし、そろそろ『鬼の頭領』と、『狐の姫君』の封印が解かれる頃合いじゃ。奇遇にも、ある意味でタイミングはばっちしと言えるな」

 邪悪な愉悦に表情を歪める。
 持っとるのぉ、儂――と、くつくつと笑って、孤独な空間で宣言する。

 さあ――千年ぶりの、祭りの時間だ。

 今度の祭りには『安倍晴明』はいない。『藤原道長』もいない。

「さて――新たなる英雄(しゅじんこう)は誰かのぉ」

 楽しみじゃ、楽しみじゃと。真っ赤な血で両手を穢しながら。

 物語を綴る宇宙人は笑う。

 異星からの侵略者は、今も、嗤い続けている。





+++





 真っ暗な夜の中で、世界から浮いたように輝く白い京都タワーの上で。

 昼間の喧騒が嘘のように静まり返る、歴史ある街を――妖怪が、闊歩する街を。

「……………」

 腐った双眸で見下ろしながら、黒い光沢のある全身スーツの男が、Z型の大型銃を構えて屹立していた。

 そして、何の感慨もなく――いつものように、孤独に、呟く。

「――――さぁ」


 今日も(ミッション)――戦争をしよう(スタートだ)

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