比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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「――ごちそうさまでした」


寄生星人編――⑬

 

 大樹の傍を落下する、黒い流星があった。

 

 黒く燃焼する『彼女』だった。

 

 白縫(しらぬい)雪華(せっか)という化物が、人工の黒火を抑えることも出来なくなっている証拠だった。

 

 遂に、やっと、ようやく訪れた――『彼女』という化物の、死に時だった。

 

 白縫――不知火。

 

 雪女の身体を持つ化物に対して、皮肉な名を付けられたものだと思っていたが。

 

 存外、名に相応しい死に方が出来そうだと、黒火の中で『彼女』は――雪華は微笑んでいた。

 

 燃え盛る火の中――氷のように。

 

 儚く、雪の華のように――美しく。

 

 

 

 

 

+++ 

 

 

 

 

 

 着地した。

 墜落ではなく、正しく着地。

 

 黒く燃焼していようとも、雪氷の身体が刻一刻と溶けていようとも、数十メートルの高さから静かに着地することなど、この『化物』には容易かった。

 

 だから、この衝撃は、着地によるものではない。

 

 目の前の光景によるものだった。

 

 

『娘』が人を殺していた。

 

 

 そこには、首がない黒衣の死体と、背中が弾けた我が娘、静かに目を瞑って手を組んで氷の上に横たわる娘婿がいた。

 

「…………陽光(ひかり)

 

『母』の掠れた呟きに、『娘』はゆっくりと反応した。

 

 最期に殺すつもりだった。

 この燃え盛る身体でも、黒衣の一人くらい殺せると思っていた。

 

 そして、『娘』と、娘婿と、『彼』の死体に囲まれて、ゆっくりと死のうと思っていた。

 

 けれど――『娘』は、陽光は、生きていた。

 

 否――まだ、死んではいなかった、か。

 

「……おかえりなさい。お母さん」

 

 そういって、彼女は笑顔で出迎えた。

 

 全て――分かっている筈なのに。

 

 頭の良い彼女が、優れた能力を持つ彼女が、分かっていない筈がないのに。

 

「お母さん。私――人を殺しちゃった」

 

 そう言って、困った風に、笑う。

 

「――――ッッッ」

 

 何も言わない。

 

 陽光を撃った黒衣が、本来は『彼女達』を、化物を殺しにきた刺客であることに気付いている筈なのに。

 

 陽光は、雪華に――何も、言わない。

 

 もうすぐ死ぬというのに。巻き添えで殺されたというのに。

 

『娘』は、『母』に――何も、言わない。

 

「――――っっっ」

 

 燃え盛る黒火の中、雪華は一筋の涙を流した。

 雪女の涙は凍るという。だが、黒火の中では本当に凍ったのかは分からなかった。

 

『娘』は何も言わない。ただ、そんな『母』を見て、優しく笑うだけだった。

 

 どうして――と、思う。いっそ呪ってくれと、そう思う。

 

 こんなことになったのは、お前のせいだと。

 

 そう、事実を、ありのまま、ぶつけてくれと。

 

(……【私】が、いなければ)

 

 今宵、こんな戦争に巻き込まれることもなかった。

 

 照子が、豪雪が、そして陽光が――殺されることは、なかったのに。

 

(……【私】が……憧れなければ……)

 

 もっと早く、覚めなければならなかった。

 

 雪氷の身体を持つ身でありながら、温かい世界に憧れた。

 

 夜の世界に生きるものでありながら、太陽の陽射しに憧れた。

 

(……【私】が……【私】が………ッッ)

 

 分かりたいと、そう思ってしまった。

 

 笑い合いと思ってしまった。泣き合いたいと思ってしまった。怒り合いたいと思ってしまった。

 

 一緒にいたいと、一緒に生きたいと、思ってしまった。

 

 その結果が――これだと、いうのならば。

 

(………【私】は……なんという……化物だ……ッッ!!)

 

 全身に粘り着くような欲望に侵されて。

 全身に燃え盛るような憎悪に狂わされて。

 

 必死に、必死に、自分を守って。

 必死に、必死に、他者を傷つけて。

 

 浅ましく、悍ましく、禍々しく、恐ろしい。

 

 醜く、醜く、醜く、醜く、醜い。

 

「――――――ッッッッ!!!」

 

 黒火の中、凍らない涙を流す『彼女』は――【彼女】は。

 

 白縫雪華という、雪女の身体に寄生した、化物と化物を掛け合せて生まれた何かは。

 

 ポツリと、【彼女】という生命を表すような呟きを漏らした。

 

「……私は……人間に……なりたかった……ッッ」

 

 誰よりも化物だった【彼女】の、化物のような欲望が詰まっていたその言葉に。

 

「――お母さん」

 

 陽光は、まるで太陽の陽射しのような、柔らかな笑みを浮かべて。

 

「私を、殺してくれないかな」

 

 じゃなきゃ、私、死んじゃうよ。

 

 それが、『娘』の、最期の親孝行で――何よりの、親不孝だった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

――ああ。俺は死んだのか。

 

 

 真っ黒だった。まるで夜のように。だから、不思議と落ち着いた。

 

 

――……何にも、ないな。

 

 

 何もなかった。

 

 水も、木も、土も、空気も、何も、かも。

 

 

――……木になって死んだんだ。水くらいは、あってもいいとは思うが。

 

 

 だが――何も感じない。

 

 根は人間の下半身だったのだから土は勿論だが、周囲に幾らでもある筈の空気も、中を循環している筈の水も。

 

 生きているという感覚もない。

 

 死んでいるのだから当たり前だが。

 

 これは、死んでいるから何も感じないのか、それとも木々はこんな感覚で日々を生きているのか。

 

 何も感じないという、感覚で。

 

 それは――生きていると、言えるのか。

 

 

――……まぁ、生きてるって感覚を、死後に求めるのもどうかというものだ。

 

 

 元々【自分】は、【彼女】程に、生きてはいなかった。

 

 それは生存期間という意味ではなく、もっと別の意味での――生。

 

 だが、それは【彼】が特別だったのではなく、【彼女】こそが、特別だったのだ。

 

 寄生(パラサイト)星人という種族は、元々、生存執着の強い種ではなかった。

 そもそも種の構造からして欠陥を抱えた種族なのだ。繁殖能力を持たない以上、生存執着が生まれる筈もない。

 

 食欲はあった。生存本能のようなものもあった。

 死ぬことに拒否感はあったし、敵を殺してでも生き残ろうという程度の執着もあった。

 

 だが、生を楽しんでいるかといえば、そんなことは全くなく。

 ただ、生きているから生きているという、いわば惰性で生きていた。

 

 腹が減ったから人を喰ったし、殺そうとしてきたから殺した――まさしく、獣。

 

 そう、寄生(パラサイト)星人は、正しく寄生獣だった。

 

 淡々と、機械のように。

 そういった風にプログラムされているから、ただそれ通りに動く、そんな生物だった。

 

 誰かの気まぐれによって生み出され、突然変異的に発生し、そしてあっさりと絶滅する。

 歴史に残らず、記録にも残らず、只のバグとして処理される――きっと、そんな運命を辿る筈の種族だった。

 

 ただ一人、たった一体、突然変異の中の突然変異種――【彼女】が生まれるという、奇跡がなければ。

 

 

――……そうだな。きっと、アイツがいなければ、俺達はとっくの昔に滅びていた。

 

 

 その個体は、機械のように、獣のように生きていた同族達を、一つの大きな集団――種族にした。

 

 感情も持たず、仲間意識すら皆無で、個々の中で世界を完結させていた化物達を、独力で統率し、支配した。

 

 そうして只の寄生獣から、寄生星人という――()になった。

 

 

――……そうだ。俺達は化物(バケモノ)だが、決して獣(ケダモノ)ではなくなった。……少なくとも、【アイツ】だけは……。

 

 

 きっと、人間だった。

 

 そうだ――俺は、【アイツ】を人間にしてやりたかった。

 

 

――………………。

 

 

 結局、【彼女】程に、明確に感情に芽生えた個体はいなかった。

 

 一見すると氷のように無表情だが、実は誰よりも感情豊かな【彼女】の傍に居続けた同族程、感情らしきものは芽生えつつあったが、それを明確に感情と理解し、把握し、自覚出来たものは皆無だった。

 

 それに芽生えるものは――その殆どが、【彼女】に対する想いだけだった。

 

【彼女】に感謝するという想い。

【彼女】を守りたいという想い。

【彼女】の傍に居たいという想い。

 

 それは、果たして感情と呼べるのか。

 もしかしたら、女王蜂や女王蟻に尽くすようなものと変わらないのではないか――誰よりも【彼女】の傍にいて、彼等よりも少しは感情というものが理解しつつあった【彼】はそんなことを思わなくもなかったが、結果として、無粋なことは言わないことにした。

 

 少なくとも、【彼女】に尽くした彼等は――皆、幸せそうだったのだから。

 

 笑顔を浮かべるものもいた。

 寄生(パラサイト)星人という種族において、それがどれほど幸福なことか。

 

 

――……それに、俺も、アイツ等のことは何も言えまい。

 

 

 何故なら、【彼】もまた、抱いた感情は、得ることの出来た感情は――全て。

 

【彼女】に対する感情ばかりなのだから。

 

 そう――彼は、【彼女】を愛することが出来た。

 

 愛を知った。愛に生きた。愛に――死ぬことが出来た。

 

 

――……そうだな。愛する女が出来た。それだけで、俺は生きたと胸を張って言える。

 

 

 この何もない世界が、死後の世界だとして。

 

 化物であった己が、落ちた地獄というものなのだとして。

 

 これから先、このままこうして死に続けていくことになるのだとしても。

 

 

――この愛があれば、俺は決して、折れることはないだろう。

 

 

 大樹のようなこの愛は、死して尚も健在だった。

 

 ならば、怖いものなど、ある筈もない。

 

 

――[君は、強いね。]

 

 

 何もない世界の何処かから、こんな声が聞こえた気がした。

 

 

――[後悔はないの? やり残したことはないの? 心残りは、残さなかった?]

 

 

【彼】は迷わず答えた。

 

 

――ああ。お前のお蔭で、俺は楽しい“人生”を送った。感謝しかない。俺は、存分に生きたぞ。

 

 

 もし――あの時、[彼]が、【彼】に負けて、全身が寄生(パラサイト)星人という種が生まれたら。

 

 寄生(パラサイト)星人という種を残すことの出来る――繋ぐことの出来る、完全無欠の寄生(パラサイト)星人が誕生していたら。

 

 断言する。

【俺】はきっと、こんなにも素晴らしい生を送ることは出来なかった。

 

“半身”だからこそ――【俺】は【彼女】の『半身』になれたのだ。

 

 

――[そっか。]

 

 

 声は――[彼]の声は、柔らかく、温かく、優しかった。

 

 それは[彼]という生命が持つ魅力だったのだろう。

 きっと[彼]は、生きていたら、とても優しく、穏やかな青年へと成長したことだろう。

 

 だからこそ【彼】は、こんな風にぽつりと漏らしてしまった。

 

 

――……ああ。だが、一つだけ。

 

 

 否――この世界が、何もないこの世界が、『彼』の死後の世界だというのなら、ここにはきっと、【彼】と[彼]しかいない。

 

 だから、きっと初めから、誤魔化すことなど出来なかった。だって、『彼』は【彼】で、[彼]もまた『彼』なのだから。

 

 例え、どれだけ強がっていても――『自分』だけは、誤魔化せない。

 

 

――【アイツ】を、悲しませなくなかった。

 

 

 これは自惚れではなく、誰よりも【彼女】を見続けてきた、【彼】には分かる。

 

【自分】が死ねば、【彼女】はきっと悲しむだろう。

 

 誰よりも感情豊かな【彼女】は。誰よりも純粋な氷のような心を持つ【彼女】は。

 

 氷のように、傷ついたら傷ついた分だけ、その心を削ってしまう。

 

 だが、【俺】はもう、そんな【彼女】の傍にいて――大樹のように寄り添ってやることが出来ない。

 

 それだけが――それだけが。

 

 死ぬほど、心残りだった。

 

 そして、やはり声は、優しく、温かく、穏やかに言う。

 

 

――[だったら、こんなところで死んでる場合じゃないよね。]

 

 

 思い出す。

 

【俺】の宿主は、優しく、温かく、穏やかで――そして、とても強いのだと。

 

 

――全く、[俺]には敵わないな。

 

 

 だが、悔しいという感情を、【彼】は知らない。

 

 きっとこれは、誇らしいという気持ちだ。

 

 また一つ、【彼】は感情を知ることが出来た。

 

 

――だが、【俺】はもう死んでいる。

 

――[大丈夫、【君】は死んでない。【君】は死なない。]

 

 

 死ぬのは、[僕]だけだ。

 

 それはどういう意味なのか、【彼】にも直ぐに伝わった。いや、きっと初めから理解していた。ここは[彼]と【彼】の世界なのだから。

 

 

――……………。

 

 

 何と言っていいのか分からなかった。どんな感情を抱いているのかも分からなかった。

 

 少しだけ、【彼女】の気持ちが理解出来た気がした。

 

【彼女】はきっと、こんな感情をずっと抱えながら生きていたのだ。

 

 

――[何も言わなくていい。何も感じなくていい。僕も【君】には、感謝しかないから]

 

 

 何もなかった。

 親も、家族も、名前も。

 

 字も書けなければ、言葉も話せない。

 

 こうして今話しているのも、これまでずっと生きてこられたのも――全部、【彼】と出遭ったおかげだ。

 

【彼】が殺してくれたから。【彼】が生かしてくれたから。だから[僕]は、『彼』になれた。

 

 火影(ひかげ)(かぶと)という名前も。あんなに沢山の同族(かぞく)も。

 

 そして――愛も、教えてくれた。

 

 

――[だから、助けてあげて。『僕達』が愛した『彼女』を。]

 

 

 あぁ――[僕]も、存分に生きた。

 

 

――だから、【君】は、[僕]の分まで生きて。

 

 

 そして、何もない世界に――光が差す。

 

 これが最後の会話なのだと、【彼】は悟った。

 

 

――……火影(ひかげ)(かぶと)という名前は、[お前]にこそ相応しい。……さらばだ、兜。

 

 

 そして【彼】は――何もない、慣れ親しんだ影のような世界から、光の元へと、手を伸ばした。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 名も無き【彼】が目を覚ますと、そこには、真っ暗な空と、真っ白な雪が広がっていた。

 

「……………………」

 

 身体を起こすと、裸の上半身に少し雪が積もっていた。

 

 それにもう一度空を見上げると、真っ暗という程に暗いわけではない。黒は――段々と薄くなっていた。

 

 夜が明ける。夜が終わる。

 

 戦争が、終わろうとしている。

 

「……………………っ!?」

 

 立ち上がろうとした時――下半身が動かなかった。

 

 人間であった下半身が。[彼]であった下半身が。

 

 まるで、凍っているかのように、木であるかのように。

 

 死んでいるかのように――動かない。

 

「………………………」

 

 人間の身体は、寄生(パラサイト)星人にとっては生命力の補給庫であり、文字通りの命綱である。

 

 つまり、人間の身体の死は、寄生(パラサイト)星人の死にも直結する。

 

 故に、このままでは【彼】は、遠からず内に死亡する。

 人並み外れた生命力を持つ[彼]の死力によって、辛うじて生命を繋ぎ留めた【彼】であったが、それでも残された時間は、本当に僅かだ。

 

 だから、動かなくてはならない。

 

 例え、地べたを這いつくばってでも。

 

「…………」

 

 雪の中、氷の上を上半身裸で【彼】は這い進んだ。

 両肘を足代わりに、匍匐前進するように。

 

 立ち上がれないが故に【彼女】の正確な場所は分からない。それに、とてもではないが、この戦場は静かすぎる。

 

 戦争は終わっている――少なくとも、この戦場においては。

 

(……あの人間は死んだのか? 陽光と豪雪は? ……【アイツ】は――)

 

 だが、それでもこの足を――この手を止める理由はない。

 

 火影兜の名を託した――生命を託された[彼]と、約束をしたのだ。文字通りの生命の約束を。

 

 愛した女の為に生き返った男は、そして【彼女】の元へと辿り着いた。

 

「…………」

 

 野犬かと思ったのだ。

 

 静寂に包まれたこの戦場跡において、たった一つ響いていた“咀嚼音”。

 

 もしかしたら誰かが死んで、その死体を漁りに来た野犬がいるのではないかと。

 

 その喰らっている死体から、少しは状況が察せるのではないか――生き返ったばかりながら死に掛かっているこの状況では遠回りかと思ったが、この雪の中を闇雲に探すよりはと思い、その食事場を目指した。

 

 だが――本当は分かっていた。その咀嚼音の主の正体も。

 寄生(パラサイト)星人には、同族を感知する能力がある。だから、目にするまでもなく分かっていたのだ。

 

 この光景が、どれ程に悍ましいバッドエンドであるかを。

 

 

 そこでは、愛する女が、実の娘に貪り喰われていた。

 

 

 ガツガツと、がっついていた。

 

 まるで犬のように――まるで、獣のように。

 

 両手を地に付けて、四本足の姿勢で、屍体に顔をくっつけて――ガリガリと。

 

 白縫雪華の身体は凍り付いていた。真っ黒な火ごと凍り付いていた。

 

 全身黒く燃え盛った状態のまま、氷漬けにされていた――そしてそのまま食べられていた。

 

 ガツガツ、バリバリ、グチャグチャと。

 

 血を啜られ、肉を食い千切られ、黒火ごと呑み込まれていた。

 

「――社長」

 

 名も無き【彼】は声を掛けた。()()()()()()()()()()()()、無作法に。

 

 社長――と。

 

 雪ノ下陽光(ひかり)は貪り続ける。白縫雪華の物言わぬ死体を。

 

 もう一度、【彼】は。

 

 食事中の、()()()()()()()()()()()

 

「――社長!」

 

 バッ! ――と、顔を上げた。

 

 血が口元をべったりと汚して、涙が顔中をどろどろに汚して。

 

 あの美しかった、太陽のような笑顔を――否。

 

 あの美しい、見るモノ全てを恐怖させるような。

 

 人間離れした、まるで氷のような――微笑みを、浮かべて。

 

「――遅刻ですよ。……バカ」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 鬼怒川千三郎という男は、確かに優秀な戦士(キャラクター)ではあったが、それでも雪ノ下陽光を相手取るには力不足だった。

 

 本来――ならば。

 

 だが、この時の彼女は、目覚めたばかりの異能をコントロール出来ず、『母』から異質な力を受け継いだばかりで、そして尚且つ――愛する夫の死に嘆き悲しんでいた。

 

 およそ、ここまで条件が重なって初めて、鬼怒川千三郎は雪ノ下陽光に致命傷を与えることに成功した。

 

 しかし――それでも鬼怒川千三郎は、雪ノ下陽光に勝利するには至らなかった。

 

 短い銃身の黒銃――Xガンを陽光に向けた時、鬼怒川は真っ黒な憎悪を余りにも露骨に彼女に向けた。

 そも、憎悪や殺意を抑えることが出来るような()()の仕方をしたのならば、むしろ鬼怒川はここまで生き残ってはいなかっただろうが、こと雪ノ下陽光を相手取るにあたっては、それは致命的なまでの未熟だった。

 

 弱り切った陽光でも、悲しみに暮れていた陽光でも、それは反射的に反応してしまう程のものだった。

 

 つまり陽光は、銃口を向けられたその瞬間――豪雪の亡骸を庇い、そして、腹を守った。

 

 結果として――背中――肩甲骨の辺りの肉が弾け飛び、血が噴き出した――が。

 

 即死傷は、避けた。

 

 次の瞬間。

 激痛を堪え、叫び声を上げるよりも先に。

 

 氷の刃が鬼怒川の首を吹き飛ばしたのは、愛する夫の亡骸を壊そうとしたことへの妻としての怒りか。

 

 それとも――母の、怒りなのか。

 

 そして、激昂が去った瞬間、彼女の心を覆い尽したのは。

 

 人を殺してしまったことへと後悔の念――では、なく。

 

「……………」

 

 自分の、生命への、諦めだった。

 

 

 

 

 

 私を、殺してくれないかな。

 

「――じゃなきゃ、私、死んじゃうよ」

 

『娘』からの、そんな死刑宣告に等しい死亡宣告に。

 

『彼女』は――黒火の中で、凍り付いた。

 

「…………な――」

 

――何を言うのですっっっ!!!!!

 

 それは、恐らくは『彼女』の生涯で、最も激しい慟哭だった。

 

 だが、それでも陽光は、それを受けてもなお嬉しそうに微笑む。

 

 そして、駄々っ子をあやす母親のように、『娘』は『母親』に語り掛ける。

 

「……背中の傷、塞げないの。もう上手く氷が出せない。それぐらい、この傷は致命傷みたいなの」

「そ、それならば、『私』が塞ぎます! 『私』の、氷で――」

「――その、身体で?」

 

 陽光の言葉に、『彼女』は言葉を詰まらせた。

 

 既に黒火を抑えきれず、己が身体すらも凍らせることの出来ない『彼女』には、氷を生み出すことなど出来る筈もない。

 

「……いいの。例え、凍らせることが出来たのだとしても……私はお母さんに殺してもらうつもりだった。だって、お腹の中の子を助けるには、もう、それしかないから」

 

 そう言って、陽光は――我が、『娘』は。

 

 あの陽だまりの記憶のように――『自分』が初めて陽乃を抱いた時のように。

 

 美しい顔で――母親の顔で。

 

 そのお腹を撫でて、顔を上げて、『母』に言った。

 

「私を殺して、お母さん。そして――()()()()()

 

 私の代わりに――私になって――。

 

「――この子を、産んで」

 

 絶句――する。

 

 黒火に全身を燃やされているのに、寒くて冷たくて仕方がなかった。

 

(……この子は……アレだけの、情報で――)

 

 レジー博士が得意げに語っていた、寄生(パラサイト)星人という化物の特性。

 そして『彼女』は気付いていないが、陽光は車内で、濁眼の黒衣と『彼女』の会話も聞いていた。

 

 故に――陽光は、自らの生命を諦めた。そして、託すことを決めた。

 

 自分の生命を。そして、お腹の中の、新しい生命を。

 

「……例え、この傷を塞いだとしても、無理なの。身体が唐突に死に瀕したせいで、私の異能とお母さんの異能が同時に暴走し掛けてる。自分の意思じゃあ氷は出せないけれど、このままじゃあ、身体の中から凍り付いちゃう。……そしたら、この子は――助からない」

 

 陽光は『母』を真っ直ぐに見つめる。

 蒼白の顔で、冷や汗を流して、それでも表情は、微笑みのままで。

 

「――でも、こうすれば、『娘』と『母親』、()()()()()()()()()

「!? やめ――ッ!?」

 

 そして――雪ノ下陽光は。

 

 袖口に忍ばせていた、鬼怒川千三郎を葬った際に作り出した氷刃を――己の首に当てて、天を見上げた。

 

 しんしんと、降り積もる、真っ暗な夜の中でも輝く、真っ白な――雪を。

 

「――雪乃。この子の名前。きっと可愛い、女の子だから」

 

 そして――陽光の手に持つ氷刃が――小さく震えているのを、化物の視力は、逃さなくて。

 

「――――ッッッッ!!!! ァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」

 

 ザスッ、と。

 

 白縫雪華の身体が変化した黒火を纏う刃が、雪ノ下陽光の首を吹き飛ばした。

 

 

 こうして――『彼女』は、娘を殺した。

 

 

 そして、【彼女】は、娘の身体に移住し。

 

 

 そのまま――『雪ノ下陽光』は、[白縫雪華]という化物を殺した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 寄生(パラサイト)星人は、他種族の身体を乗っ取り、寄生する化物である。

 

 基本的には頭部を乗っ取り全身の支配権を獲得するが、首から下の身体も生存する為の栄養を作る為に必要不可欠な臓器として機能し続ける為、人間の身体が極端に損傷し機能停止した場合、寄生(パラサイト)星人は死に至る。

 

 だが、寄生(パラサイト)星人は、別の個体の頭部を斬り落とし、そこから別の個体の身体に移住することが出来る――そうして身体を乗り換えることで、生命活動を続けることが出来る。

 

 この寄生(パラサイト)星人の特性は、所謂一つの不老不死の実現の可能性を秘めており、レジー博士はその点においても寄生(パラサイト)星人に興味を抱いていた。

 

 だが、実のところ、この延命方法においては寄生(パラサイト)星人らしく色々な欠点や注意点がある。

 右手や顎など頭部以外の部位から頭部への移動は脳の複雑な支配方法が分からず不可能であったり、性別の違う身体に乗り移った際は雌雄の差異の操作方法が分からずに苦戦したりと、様々な問題と制限がある。

 

 いうならば、慣れ親しんだ自動車からいきなり別の車へと乗り換えるようなものだ。車ならば慣れるまで運転すればいいが、身体はそうはいかない。中には、操作を間違えれば異物と見做され排除されることもある。

 

 そういう意味では、人間と雪女の混血種(ハイブリッド)である雪ノ下陽光の身体は、相当に制御の難しい身体ではあったが――【彼女】は見事に陽光の身体を乗りこなしてみせた。

 

 身体を乗っ取り、移住したその瞬間。

 暴走していた二種類の異能を抑え込み、背中の傷を凍らせて、お腹の子を守ってみせた。

 

 こうして【彼女】は、娘の身体を完全に支配し、略奪し、寄生した。

 

「…………」

 

 だが、足りなかった。

 

 応急措置は済ませた。だが、それでも根本的な解決には至らない。

 

 今は無理矢理に抑え込んではいるが、生命を繋ぐだけならば耐えればいいが――お腹の子供を守る為には、母体の力が足りない。

 

 吸血鬼(オニ星人)が吸血によって栄養を――異能を支配する力を手に入れるように。

 

「………………ッッ」

 

 寄生(パラサイト)星人が異能を支配するには――同族の捕食が必要だった。

 

「―――――――ッッッッ!!」

 

 本来――寄生(パラサイト)星人には、制御しなくてはならないような異能などは殆ど存在しない。

 強いていうならば、栄養豊富な状態の方が、より複雑な形に変化出来るといった程度のものだ。暴走するような異能ではなく、つまりは食事をしなくても問題はない。

 

 が――【彼女】の場合は、特別だった。

 

 雪女の異能の制御方法は、大方の星人と同じように、技術と、精神力だ。

 だが、今はそれでどうにかなる問題ではない――ならば。

 

 幸運なことに――不運なことに、今や、雪ノ下陽光は、雪女であり、人間でありつつも、寄生(パラサイト)星人でもある。

 

 寄生(パラサイト)星人と同じように、宿主の同族を食すことで、異能を支配する能力を手に入れることが出来るのだ。

 寄生(パラサイト)星人としての栄養補給で――同族食いで、雪女の異能を支配する力が増幅可能であるということは、[前の身体(白縫雪華)]で検証済みだった。

 

 そして、目の前には、都合よく()()の頭部が転がっていた。

 

「―――――――ッッッッ!!! ――――――ッッッッ!!!」

 

 最早【彼女】には、人間らしい言葉を放つことすら出来なかった。

 

 分かっている。同族を食らうという意味ならば、雪女の異能を支配する栄養を獲得する意味では、そこに転がっている鬼怒川千三郎よりも、娘が愛した雪ノ下豪雪よりも、この身体の一部であった、雪女の血も混ざっているこの混血種の頭部を食らうことが最も手っ取り早い。

 

 そして、時は一刻を急いだ。

 

 絶対に嫌だと叫ぶ心を感じた。

 

 だが、それと同時に、最早これは無意味な感傷だと凍り付く心もあった。

 

 既に娘は死んだ。他ならぬ(じぶん)が殺した。

 この頭部は既に只の頭部であり、頭部以外の何物でもない。

 

 喋らないし語らないし考えないし感じない。只の物体だ。

 

 ならば、それを食らうことに何の抵抗があろうか。

 

 娘の頭部を食らうことが、娘の願いを叶えるのに最も合理的だ。

 

 そう判断してしまう自分が、何よりも化物なのだと感じた。

 

 そして、【彼女】は、数年ぶりに――人間を食した。

 

 ガツガツ。ムシャムシャ。ゴリゴリ。ゴクゴク。

 

 雪ノ下陽光は食べた。雪ノ下陽光を食べた。

 

 ポロポロと涙を零しながら――その涙は雫の形で凍った。

 

 頭蓋を噛み砕き、脳漿を啜り呑んで、頭髪を喉に詰まらせて、眼球を舌の上に転がせた。

 

 そして、一口一口、しっかりと味わい、やがて小さく微笑んだ。

 

(……ああ。【私】は化物だ)

 

 娘を殺して、娘の首を刎ね飛ばして、娘の身体を奪い、娘の生命を奪い――挙句の果てに、娘の頭部を食べている。

 

 こんな化物は他にいない。世界で最も――醜い、化物だ。

 

(ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい)

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい」

 

 やがて【彼女】は、謝罪の言葉を口にしながら娘を食べ続けた。

 凍り付く涙をポロポロと零し、けれどその表情は氷のように無表情で。

 

 そして、娘を食べ終わると、そのままかつての自分の身体へと――白縫雪華の亡骸へと飛び掛かった。

 

 頭部を失いながらも黒く燃え続けるその身体を、一睨みで瞬時に凍らせて。

 

 だが、案の定、氷の膜の中で黒火は燃え続けていたが、構わず氷塊のまま両手で収まる食べ易いサイズに――[彼女]を、砕いた。

 

「――――ッッッ!!!」

 

 瞬間――まるで己が身体を砕かれたかのように、表情を歪めた【彼女】は。

 

「…………ごめん、なさい」

 

 と、謝りながら。

 

 口元を真っ赤に濡らして、表情を氷のように凍らせて。

 

 そのまま、獣のように、白縫雪華という名前だった身体を。

 

 何十年物間、己が身体として共に生きてきた生命を。

 

 思う存分、貪り尽した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 名も無き【彼】は、そんな【彼女】を傍で見ていた。

 

 ごめんなさい、ごめんなさい――と。

 

 ぶつぶつと、うわごとのように呟きながら、氷の無表情でかつての己が身体を食べ続ける【彼女】を。

 

「…………」

 

 彼のやることは、決まっていた。

 

 

 

 

 

「……………ごめん……なさい……ごめん……なさい……」

 

 自分は何をしているんだろう。

 

 何も分からなかった。何も分からなかった。何も分からなかった。

 何も分かりたくなかった。何も分かりたくなかった。何も分かりたくなかった。

 

 ただ――食べた。

 

『娘』を食べた。もう二度と、人間を食べないと決めていたのに。

[彼女]を食べた。もう二度と、[彼女]を殺さないと決めていたのに。

 

 ただ食べた。一口ゴクリと嚥下する度に、自分が化物だと思い知らされているような気がした。

 

 化物め。化物め。化物め。化物め。化物め。

 

 食べる食べる食べる食べる食べる食べる食べる。

 

 自分が化物に染まっていく。真っ暗に染まっていく。

 

 夜が終わろうとしているのに。空すら黒から青へと変わっていくのに。

 

 これが罰だというのなら、自分はどれだけの罪を犯したのだろうか。

 

 化物なのに、化物なのに、化物なのに――光を求めたからだろうか。

 化物なのに、化物なのに、化物なのに――人間に憧れたからだろうか。

 

 その結果――全てを失って。全てを殺してしまって。

 

 闇の中に、暗い夜の中に、『娘』と、[彼女]の、味と共に。

 

(……ごめん……なさい……ごめん……なさい……)

 

 暗くて、寒くて、冷たい――吹雪の中に――(ひとり)

 

(…………いやぁ)

 

 食べて。食べて。食べて――食べ終わって。

 

 最後の一口までしっかりと呑み込んで。最後の一片までしっかりと――生命に代えて。

 

 そして――何かを、殺された。

 

 化物化物化物化物化物化物化物化物化物化物化物化物化物化物化物。

 

「…………誰か……」

 

 青く染まり掛けている空から降って来た、小さな雪が、頬に落ちる。

 

 化物は、か細く、死にそうな声で呟いた。

 

 

「……………たすけて」

 

 

 ザシュッ――と。

 

 人を殺す音が聞こえた。

 

 

【彼女】は振り返る。口元を血で汚し、涙で濡らした顔で――そこでは。

 

【彼】が――人を殺していた。

 

 雪ノ下豪雪を殺していた。

 

 そして、雪ノ下豪雪となっていた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 寄生(パラサイト)星人は身体を変えることが出来る――まるで人が住居を変えて引っ越しをするように。

 

 だが、寄生(パラサイト)星人にとって身体とは、生命力を作る為の器官であり機関である為――生命活動が停止している死体を新たな母体とすることは出来ない。そんなことをしても死ぬだけであり、文字通りの自殺行為である。

 

 だが、それは――【彼】という特別個体においては、また少し話が変わってくる。

 

 通常の寄生(パラサイト)星人とは違い、首から下にまで侵食の手を伸ばすことの出来る【彼】は、例えその宿主が死んでいようと――寄生することが出来る。その死んでいる器官を、呑み込み、塗り替え、寄生細胞体に――己が色に染め変え、置き換えることが出来るからだ。

 

 極端な話をすれば、既に生命体として成体に成長した【彼】は、あのまま上半身だけでも生存することは可能だったのかもしれない。通常の寄生(パラサイト)星人と違い、上半身を丸ごと手に入れている【彼】は、心臓も肺も胃も腸も、当然脳も手に入れているのだから。

 

 だが、それでも【彼】は、[彼]が死んで、死に掛けていた。

 

 それはつまり、全身を寄生細胞体に塗り替えることが出来る程の力を持つ【彼】でさえも――あくまで、()()星人であるということなのかもしれない。

 

 寄生(パラサイト)星人という種族そのものが、何かに寄生することで初めて生存することが出来るという――前提の生命だという話なのかもしれない。

 

 閑話休題。

 

 兎にも角にも、例え【彼】だとしても、何かに寄生しなければ生存し続けることは出来ないという話であり、更に【彼】は、それが死体だとしても寄生することが可能だという話でもあって――そして。

 

 そんな【彼】の前に、雪ノ下豪雪という人間の死体があったという話でしかなかった。

 

「…………」

 

 迷わなかった。

 

 這いつくばった姿勢のままで、首から上を化物のように裂かせた。

 

 そして、そのまま刃を作り出し――振るう。

 

 

 

『――眩しくないのか、お前』

 

 かつて、雪ノ下邸の大きな庭で。

 

 太陽の陽射しが降り注ぐ中、無表情の白縫雪華と満面笑顔の雪ノ下陽光が遊ぶのを。

 

 まるで日陰を求めるようにして木陰へとやってきて眺めていた雪ノ下豪雪少年に、同じく木陰で木の世話をしていた火影兜が、そう尋ねたことがあった。

 

 己の誕生の場所でもあるこの雪ノ下邸に、数えるのも馬鹿らしくなるほどに来訪している豪雪だが、顔を合わせることも滅多になく、ましてや話し掛けられることも初めてな大人の男に、声こそ上げなかったものの、露骨に驚き、少々警戒心も露わにしていた。

 

 だが、これは後にそんな少年の記憶からも薄れ消えるような、そんな他愛もない過去の一幕に過ぎない。

 少なくとも、豪雪少年にとっては、そんな程度の特別でも何でもない、思い出にすら残らないようなワンシーンに過ぎない、とある日の話だ。

 

 豪雪少年の警戒の目線には気付いているが、何も気付いていないかのように何も言わない火影。

 だが、火影は豪雪の横を離れようとはせず、彼と同じく雪華と陽光の方を眺めていた。

 

 火影にもよく分かっていなかった。

 雪華から、なるべく家人の印象には残らないように立ち回れと言われていて、その言葉通りにこれまで重要人物達はおろか下っ端のメイドにまで接触を最小限にしていたというのに、気が付いたら、この少年に自分から声を掛けていた。

 

 問いかけた言葉も、意味が分からない。自分でも分からない。

 眩しいからこうして木陰に来たのかもしれない。だが、この薄暗い蔭の中でも、この少年は眩しそうに目を細めていた。まるで自分のように。

 

『……眩しいよ』

 

 豪雪少年はそう言った。薄暗い陰の中、表情に影を差しながら。

 

『……だったら、どうして離れない?』

 

 眩しいモノの傍にいても、影が差すだけなのに。

 輝くモノの近くにいても、自分を暗くするだけなのに。

 

 光をずっと浴び続けたところで、己が光を放てる日など、来る筈がないのに。

 

 なのに、どうして、こんなにも惹き付けられてしまうのだろうか。

 

 豪雪少年は、眉を寄せたまま、目を細めたまま、自嘲するように笑った。

 

『……しょうがないよ。だって、綺麗なんだもん。好きにならずにはいられないよ』

 

 火影兜は、同じく自嘲するように――笑った。

 

『豪雪ー! 何をやってるの! こっちに来なさいよぉ!』

 

 陽射しの中から陽光が陰の中の豪雪に向かって手を振る。

 

 豪雪は苦笑と共に立ち上がり――隣に誰もいないことに気付いた。

 

 木の幹の裏から火影は、陽光と豪雪の無邪気な会話に耳を傾け、そして粛々と職務に戻った。

 

『もう。いい? これからは黙っていなくなってはダメよ。ずっと私の傍にいなさい』

『……はいはい。例え、火の中だろうと水の中だろうと……光の中だろうと、闇の中だろうと――』

 

――ずっと陽光の傍にいるよ。

 

 それは、少年にとって、余りにも当たり前のことに過ぎなかった。

 

 だからこれは、思い出にすら残らない、あったかもしれない会話だった。

 

 

 

(………お前なら、きっとこうすることを望むだろう?)

 

 そして――だからこそ、【彼】は。

 

 新たな寄生先に――雪ノ下豪雪を選んだ。

 

 数十年ぶり二度目の寄生となるが、やはり容易く侵食は首下の身体まで及んだ。

 見る見る内に寄生細胞体に作り変えられていく。胸に空いた致命傷となる大穴も、そこにあった内臓も含めて新品同然に作り変えられ――そして。

 

 今度は意図的に、上半身までで侵食を止めた。

 

「………………」

 

 そこにどんな意味があったのかは分からない。多分、【彼】にも、全部は分からない。

 

 だけど、きっと、こうするべきだと思ったのだ。こうしなくては駄目だと思えたのだ。

 

 雪ノ下豪雪(かれ)の身体を引き継ぐには。火影兜(かれ)の生命を受け継ぐには。

 

 雪ノ下陽光(ひかり)の――【彼女】の――傍に、寄り添うには。

 

 こうしなくては、相応しくないと、思えたのだ。

 

「……あな、た…………何を………どう、して?」

 

 口元を血でドロドロに濡らして、涙で顔をボロボロに汚して、呆然とこちらを見遣る【彼女】に――【彼】は。

 

 背中を向け、膝を折り――そして、豪雪の頭部を前に。

 

 両手を合わせて、目を瞑る。

 

「――いただきます」

 

 そして、大きく口を開けて、咀嚼した。

 

「な、な、何をしてるの!?」

「礼儀だ」

 

 バク、がつ、ゴリ、ごく――【彼】は豪雪を食べていく。

 

 雪ノ下豪雪の顔のまま、雪ノ下豪雪を食べていく。

 

 寄生星人の本性(すがお)ではなく、化けの皮を被ったままで。

 

「俺は、これから雪ノ下豪雪として生きていく。コイツの身体で、コイツの顔で、コイツの人生を受け継いでいく。コイツの生命を――受け継いでいく。……だから、これは礼儀だ」

 

 本来、寄生(パラサイト)星人の食事は、一口で豪快だ。

 

 頭部を丸ごと喰らいついて、そのまま放置する。

 吸血鬼のように灰になったりせず、そのまま遺体(たべかす)を放置するモノもいる程で、惨殺事件として表沙汰になりかけたことも多い。

 

 だから、これは礼儀だ――そして感謝だ。

 

 只の捕食ではなく、これは食事だ。

 

 生命に感謝し、生命を受け継ぐ――これは、儀式だ。

 

「だからお前も……そうしたんだろう」

 

 口元を真っ赤に汚して。綺麗な顔を涙でボロボロにして。

 

 一口一口、苦しみながら。それでも味わって――嚥下して。

 

 自分が化物だと思い知らされながら。自分が真っ暗になっていくことを思い知らされながら――それでも。

 

 全てを受け継ぐために。全てを――生命に代える為に。

 

「――ごちそうさまでした」

 

 血に濡れた口で、【彼】は、両手を合わせて、頭を下げた。

 

 感謝していた。

 失われた生命に。奪った生命に。糧となった生命に――感謝の念を抱いて、両手を合わせ、誓っていた。

 

「――()()

 

 そして、背を向けたまま、【彼】は――雪ノ下豪雪は、言った。

 

「――幸せにする」

「っ!?」

 

 そして、かつて、雪ノ下豪雪が、雪ノ下陽光に誓ったように。

 

 雪ノ下豪雪は、今、再び、雪ノ下陽光に、雪の中で誓った。

 

 立ち上がり、振り向いて――白に囲まれた世界で、プロポーズした。

 

「幸せになろう。ずっと、お前の傍にいる」

 

 陽光は、愛する男に抱き付いた。

 

 口付けをする。ファーストキスは、血の味がした。

 

 深く、深く、口付けをする。

 血の味がする。生命の味が広がる。それはきっと、化物だけが分かる味だった。

 

「………………」

 

 そして、二人は、唇を離し、見つめ合い。

 

 手を繋いで、そのまま真っ直ぐ――車へと向かった。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 まるでヴァージンロードを歩き、教会の出口へと向かっているかのように。

 

 扉を開けると、そこには――雪ノ下陽乃が、小さく丸まって眠っていた。

 

 まるで守られるかのように、綺麗な氷のドームの中に。

 きっとあの子が作り出したのだろう――娘を守る為に。死後も、これほど美しく残る程に、生命を懸けて。

 

 それを、陽光は指先一つで儚く破壊する。そして、未だ眠り込む彼女を、そっと優しく抱き上げた。

 

「――お母さんですよ」

 

 全身が切り刻まれたかのように、何かに激痛が走った。

 

 だが、氷のような微笑みで、それを押し殺した。殺すのは、化物の何よりの得意技だった。

 

 豪雪は妻の肩を抱く。そして、二人、車外に出て、家路へと歩き出した。

 

 明るむ空。だが、青はまだ薄黒く、雪はしんしんと降り注ぐ。

 

 お腹の中を蹴られた感覚。雪が再び、彼女の頬に落ちて、涙の跡を冷たく濡らした。

 

 二つの無垢なる生命を抱えながら、悍ましい真相を雪の下へと隠し。

 

 例え、この身体を苦痛と共に溶かすだけだと、思い知らされても。

 例え、この心を鈍痛と共に軋ませるだけだと、思い知らされても。

 

 例え、己が決してそこには相応しくない、暗く冷たい世界が住処の化物なのだと――身にも、心にも、この上なく思い知らされても。

 

 それでも――それでも――それでも――還らなくてはならない。

 

 雪ノ下陽光として。雪ノ下豪雪として――化物共は、帰還する。

 

 新たな化けの皮と共に、化物の中の化物は。

 

 己が身体を灼く陽射しの中へ――光の世界へ。

 

 真っ暗な絶望と、二つの輝く生命を抱えて。

 




 ××××年×月×日

 今日、私は、人間に捕獲された。

 故郷を失った。母親を失った。生きる術を失った。父親は知らなかった。

 右も左も人工物の、この檻の中のような人里で、私は死に行くはずだった。

 雪が降らないこの街は、私にとっては異境で、魔境だった。

 そんな中に、私は、ひとりぼっちで、生きていかなければならなくなった。
 こんな中で、私は、ひとりぼっちで、死んでいかなければならないのだと思っていた。

 荒れ果てた街。腐り果てた民家。
 雨露さえ凌げないこの場所に、どれだけ居座り続けただろう。

 遠からず死ぬことは分かっていたけれど、それはこの場所から一歩でも外に出たって、同じだ。

 ここは異境。ここは魔境。私のような化物にとって、ここは化物の巣窟だ。

 人間という、この世で最も恐ろしい生物の世界。

 そんな所で殺されるくらいなら、私はこの廃墟で死にたい。

 お母さんと暮らした、この家で死にたい。

 でも、神様は化物の願いを叶えてくれない。お母さんと一緒に死にたかっただけなのに。

 みんなみんな殺されたのに、私だけ何故か生かされて。

 その上、私の前に、恐ろしい化物を連れて来た。

 人間の名前は――雪ノ下厳冬。

 その名前の通り、厳冬の雪のような真っ白な髭を生やしながら、燃えるような生命力を持った、人間という化物。

 私は、今日、雪ノ下厳冬に捕獲された。

 そして、処女を奪われ、女にされた。

 私は泣いて、叫んで、呪った。

 雪ノ下厳冬を。人間という化物を。そして神様を。この世界を。

 この恨みは忘れない。この殺意を、私は忘れない。

 死ぬのは止める。私は生きる。生きて、生きて、絶対に復讐してやる。

 もう、負けるのは嫌。負ける側でいるのは嫌。私は強くなる。絶対に。絶対に。

 私は――人間になる。










――そこまで読んで、比企谷八幡は、一先ずこの日記(ものがたり)を閉じた。



白縫雪華と黒い衣の戦士――BADEND
                    
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