比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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※今章は『比企谷八幡と黒い球体の部屋』【○○星人編-繋-】《Side Crossover――last ep》まで読了済であることが前提とした構成になっております。
ネタバレが嫌だという方は、先にそちらの方を読んでいただきたいなと思います。

※この物語はフィクションです。
 日本の平安時代を舞台にしていますが、実際の歴史、人物、事件、制度など異なる点がわんさか出てきます。
 この人物とこの人物が同じ時代にいるのはおかしくね? 
 そもそも平安京ってこういう設定なの? 
 など、様々な矛盾点がこれでもかと出てくるとは思いますが、この世界ではこうだったんだろうという寛容な心でスルーしていただけたら助かります。




悪いな――俺も、人間じゃあねぇんだ。


■■■■と黒い炎の戦争
妖怪星人編――① 半妖の鴨桜


 

 むかしむかし、今からおよそ千年ほどむかしのこと。

 

 日ノ本は妖怪で(あふ)れ返っていた。

 どこもかしこも暗く(くら)い、真っ暗闇。そしてその暗闇には決まって――妖怪が潜んでいた。

 

 徐々に徐々に、列島を真っ暗な闇で覆ってきた妖怪達は、遂に『人間』にとっての中枢にして中心地――平安京の内部にまで、その暗闇を広げつつあった。

 

 長い年月を掛けて、この日ノ本という島国を我が物としてきた『人間』は、この時、はっきりと追い詰められていた。

 

 しかし、この期に及んでも尚、この国を纏め、導く立場にある朝廷――貴族は、(まばゆ)く煌びやかな宮中の内部での権力闘争にのみ目を向け、自分達の足下にまで迫ったどろどろの暗闇を見ようともしていなかった。

 

 だからこそ、それは悲劇では無かった。

 この時代の日ノ本において、それは有り触れた光景だった。

 

 どこにでもあって、どこにでもありふれた、悲劇ですらない――死だった。

 

 その日、とある命が失われた。呆気なく、拍子抜けに、何の救いもなく、死を迎えた。

 

 今後千年、この国において最も大きな星人戦争であり続ける――第一次妖怪大戦争は、そんな小さな死によって幕を開ける。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 美しい水面に、月が映し出されていた。

 

 残念ながら綺麗な円形ではないものの、十分に丸みを帯びており、明日か明後日にでも荘厳な満月を拝むことが出来るだろう――月。

 

 そんな見事な月が描かれた雄大なる鴨川に、余りにも無粋な吐瀉物が注がれていくのを見て、その青年は思わず川に背を向けた。

 

「おろろろろろろろろろ」

 

 青年は、柵から身を乗り出すようにして吐き続ける横の男に対し、己の茶色の髪を掻き回して不快気に溜息を吐く。

 そして首に巻いた布で口元を押さえながら、吐き散らす男に向かって吐き捨てるように言った。

 

「……だから言ったんだ。お前が賭け事で勝てるわけがないだろう。毎度毎度、自棄(やけ)酒まで付き合わされる俺の身にもなれ」

 

 そう言いながら水の入った竹筒を差し出す悪友に、一通り胃の中の物を(酒も含めて)吐き出してすっきりしたのか、受け取った竹筒をぐいっと呷り、黒と桜の(まだら)模様の髪の男は地面に向かって霧のようにして水を吹き出す。

 

「――かッ! なぁに言ってやがんだ、士弦(しげん)。滅多に勝てねぇからこそ、勝てた時は震える程に(たかぶ)るんじゃねぇか」

「だったら一人で行けばいいだろう。賭場(とば)から追い出されるような外見年齢ではもうあるまい。中身は知らんが」

「俺はしっかり中身も成人してるっての。幼馴染みだろうが。それに寂しいことを言うなよ。一人で自棄酒してても不味くて酔えねえ」

「しっかり負ける前提じゃねぇか! もう二度と金輪際、お前と賭けには行かねぇからな!」

 

 もう何度目か分からない悪友の宣言に、もう一度水を呷って今度こそ飲み干した男は、ばんばんと友の背中を笑いながら叩いて、天に浮かぶ月を眺めた。

 

「……今夜は悪くない月だな。ツキはなかったが」

「お前のツキを基準したら、この京の空に満月が浮かぶ日など来ないな」

 

 まぁ、それはあながち冗談ではなくなるかもしれないが――と、士弦と呼ばれた男は首に巻いた布で口元を隠しながら呟く。

 

 斑髪の男は、その言葉に笑みを消して言った。

 

「さっき落雷みてぇな音が轟いたが、空は綺麗なもんだ。遂に天気までおかしくなりやがったか」

「……あながち冗談とは言い切れないのが恐ろしい。既に天変地異くらいはいつ起こっても不思議じゃないからな」

 

 目線だけを地上に戻しながら、斑髪の男は周囲を眺める。

 

 夜も深い時間帯とはいえ、辺りには人気が全くなかった。

 月明かりによって一寸先も見えないというわけではないが、電灯も整備されていないこの時代の夜は、やはりとても暗い。

 

 しかし、人間達が夜に外を出歩かなくなった最大の原因は――。

 

「よう、兄ちゃん。いけねぇなぁ、こんな夜更けに出歩いちゃあ」

 

 その時、突如――ぬっ、と、彼等の目の前が暗くなった。

 

 月が雲に隠れたわけではない。

 彼等の眼前に――正確には、斑髪の男の前に、見えない壁が現れたのだ。

 

 いや、それは本来ならば、人間には不可視の存在なのだろう。

 だが()()平安京では、()()日ノ本では、それは見えて当然の壁だった。

 

 壁の方もそれを理解しているのか、ギョロと己が身体に双眼を浮かび上がらせ、それを嫌らしく三日月型に歪めて、口もない分際でどこからともなく恐ろしい気な声を震わせる。

 

「こわ~い妖怪(お化け)が出るって、お(っか)さんから教わらなかったのかぁ?」

 

 ずずっと、その大きな身体を男達の方に寄せながら、目の前のお化け――()()・ぬりかべは言う。

 

「…………」

「…………」

 

 士弦と呼ばれた茶髪の男は露骨に大きく溜息を吐き、黒と桜の斑髪の男はぬりかべを無表情で見上げる。

 その様子を見て、ぬりかべは「ふふ、恐ろしくて声も出ねぇか」と巨体を震わせながら笑うと、斑髪の男は「――なぁ、一つ聞きてぇんだが」と、懐に手を入れ、口元を緩ませながら尋ねる。

 

「アンタは『()』か? それとも『()』か?」

 

 男の言葉に、一瞬だけ虚を突かれた様子のぬりかべだったが、すぐに「はは、愚かな人間共も、それくらいのことは知っているのか」と笑い、得意げに答える。

 

「俺様は化生(けしょう)(まえ)様の(しもべ)さ! この平安京は、もうすぐあの御方が統べる土地となる! あの御方に掛かれば、陰陽師共も! 武士共も! あの酒吞童子(しゅてんどうじ)すらも畏れるに足らん! よおく覚えておけ、人間! いや、貴様は此処で死ぬのだったな! ははははは!」

 

 そう笑いながらぬりかべは、その巨体をゆっくりと傾けさせていく。

 

「安心しろ! 貴様らの臓腑がそれなりに美味であるならば、あの御方に献上してやる! あのいと美しき御方の血肉になれることを光栄に思いながら死ね!」

「……あー、色々と言いたいことがあるんだが。とりあえず、最初に一個だけ」

 

 ドスッ、と。

 ぬりかべの身体を、まさしく壁の如き強硬な身体を、一振りの()()が貫く。

 

「…………は?」

 

 まるでぬりかべ自身の心を映しているような空白の時間が挟まれたが、それに構うことなく、斑髪の男の振るう黒柄の長ドスはそのままぬりかべの身体を真っ直ぐに上っていき、その肩(頭部がないのでそこが人間で言うところの肩なのかは不明だったが)の辺りから飛び出す。すると、奇妙にも壁から血液が噴き出した。

 

「な、な、なな、なぁぁああああああああ!!」

 

 悲鳴を上げるぬりかべに向かって、斑髪の男は足裏を押しつけながら、そのまま傾いてきた巨体を押し返すように蹴り上げた。

 

(わり)いな――()()()()()()()()()()()

 

 どすん、と、ぬりかべの巨体が倒れ伏せる。

 吹き出す血液も相まって、相当に注目を浴びたが――それを斑髪の男は一睨みで、闇の中からこちらを見ていた()()達を追い払った。

 

「……どうだった?」

「恐らくは、『鬼』と『狐』が半々といったところか。……京も、随分と物騒になった」

 

 斑髪の男は士弦の言葉を聞いて、その清流のように黒の中に、吹雪のように桜色が混ざり合った髪を振り乱す。

 

 士弦は、その幻想的な存在感を放つ幼馴染みにして悪友――そして、自らが所属する組織の総大将の息子である男を見詰めた。

 

(……人間じゃない、か)

 

 人間ではない――かといって、純粋な妖怪でもない存在。

 

 ()()――妖怪勢力が全盛期であるこの時代においても、限りなく珍しい存在であるその男は、自身が倒したぬりかべを踏みつけながら「ふん。『鬼』の残党共がうろつくくらいならまだしも……こいつら『狐』が京にやってきてからだ。京が――日ノ本が、ここまで暗くなったのは」と吐き捨てる。

 

 自身の妖怪としての存在感を消し、人間としての存在感を強めて、このぬりかべのような人間狩りに精を出している勢力の妖怪をおびき出す。ここ最近、この男が精を出している活動の一つだ。決まって賭け事に負けた時や父母に叱られた後などに実行する為、憂さ晴らしという面も強いのだろうが(士弦はそれが八割方を占めていると予想している)。

 

 それでも、血気盛んなこの二代目(候補)が、平安京の現状に憤りを覚えていることは事実だった。

 

「確かに、『鬼』と『狐』の勢力争いは佳境を迎えているという噂だ。近々デカい決戦があって、それに勝った方がこの京の、しいては日ノ本の支配権を手に入れるとか」

「はっ、支配してどうする? 人間達も滅ぼすのか? ()()()()()()()()()()()()。それが分からないくらいの阿呆なのか? 『鬼の頭領』も。『狐の姫君』も」

 

 そう吐き捨て、斑髪の男は再び暗い路地を――京の暗闇を、細めた瞳で見遣る。

 

 あそこからこちらを見ていたのは、『鬼』の勢力下の妖怪が半分、『狐』の勢力下の妖怪が半分。

 元から奴等の配下だった妖怪に加え、日ノ本の各地から、妖怪の、しいては日ノ本の行く末を左右する戦争に参加しようと、ここ最近に各陣営に加わった新参達が――今、この平安京には集結しつつある。

 

 それ以外の者は――その戦争に参加意思の無い妖怪は、戦争の数にすら数えられていない妖怪は、自分達とぬりかべの諍いを、誰も覗いてすらいなかった。

 

 人間達と同じように、夜に出歩くことすらせず、ただひっそりと、息を潜めていた。

 争いに巻き込まれないように――戦争に、巻き込まれないように。

 

 それが、今の平安京という場所だった。日ノ本という国だった。

 

 半妖の男は、強く舌打ちをし、苛立つように地面に倒れ伏せるぬりかべの屍体を、もう一度強く踏みつける――と。

 

「――鴨桜(オウヨウ)

 

 士弦が、己が相棒を制するように声を掛けた。

 

「派手にやり過ぎた。さっさとずらかるぞ。すぐに陰陽師が来る」

「……はっ。明るい宮中だけが自分達の世界の貴族様なんざあ、こんな路地裏の喧嘩なんて眼中にねぇだろ」

「奴等当人達は今頃意味も分からん宴の最中かもしれねぇが、陰陽師の式神は健気に警邏に勤しんでる。こういう屍体を貴族様の目が届く前に片付けて、平和な平安京を装うのが、現代の陰陽師共のお仕事なんだからな」

 

 名目上は、妖怪という災害から平安京を守る公共機関という位置付けにある『陰陽師』。

 いつだって事件が起こってから、その大半では事件が終わってから現れる、人間達の対妖怪防衛力に対して、鴨桜は嫌悪を隠そうとしなかった。

 

 そして、そんな存在に対して懇意な関係を築いているらしい――己が父親に対しても。

 

「…………」

「いくぞ。陰陽師だけならまだしも、最近流行の『侍』――特に、噂の『神秘殺し』とかに遭遇したら、俺等だけじゃあ真面目にあっさりと退治(ころ)されちまう」

 

 鴨桜はそれでも渋りを見せたが、最後には「……分かったよ」と言い、ぬりかべから足を退けて、そのままゆっくりと帰路につく。

 

 士弦はそんな相棒の態度に溜息を吐きながら、首に巻いた布で口を隠し、その横に並んで河川敷を歩いた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 妖怪と半妖は、夜な夜な夜道を歩く。

 こんなことを続けて何になる、と、大人達は、大人妖怪達は言う。

 

 鴨桜の父が連れる妖怪達は――『百鬼夜行』を名乗っている妖怪任侠組織だ。

 妖怪大将ぬらりひょんが率いる彼らは、口を揃えて口酸っぱく、若者達の夜遊びを窘め続ける。

 

(……何が、妖怪大将だ。そんな肩書き、今の京じゃあ、何の意味もない)

 

 ぬらりひょんと人間の間に生まれた半妖――鴨桜は、この平安京で生まれ育った。

 生まれてから平安京を一歩も出たことのない彼にとって、世界とは、日ノ本とはこの平安京が全てだ。

 

 だが、組の他の者達はそうではない。

 元々は地方の小さな妖怪組織であった『百鬼夜行』。

 今から百年前、何を思ったのか、日ノ本の人間達の中心地であり、この日ノ本で最も対妖怪戦力が集結しているこの平安京にひっそりと乗り込み、唐突に住処としたのだ。

 

 その『百鬼夜行』を率いる総大将が、鴨桜の父――妖怪・ぬらりひょん。

 彼はやがてこの平安京の地にてとある人間の女と出会い、愛し合った。――そして半妖である鴨桜が生まれることとなる。

 

 陰陽師の目を掻い潜りながらも、ひっそりと平安京の闇の中で潜み続け、時には人間達に紛れ込みながら、それなりに楽しい日々を送ってきた。

 

 しかし、年月を経るごとに、日ノ本を覆う妖気は見る見る内に濃くなり続け、夜はどんどん暗くなり続けていった。

 日ノ本の中心たる平安京もそれは例外ではなく――日ノ本に妖気が満ちていくごとに、難攻不落と呼ばれた平安京の結界を突破する妖怪が増えていき、続々と乗り込んでくるようになった。

 

 そんな外様妖怪と陰陽師の戦いが激化の一途を辿っていくごとに、ひっそりと平和に暮らしていた原住妖怪や人間の民達の平穏が脅かされていき――そして、ある日。

 

 とある『鬼』と、とある『狐』が、天下を争い平安京を挟んで対峙することとなった。

 

 国を滅ぼし得る大妖怪が――二体。

 我が物とすべく平安京へと攻め入る時を虎視眈々と狙い合っている今、事態は正に最悪を迎えようとしている。

 

「……このままじゃあ、不味い。そんなことは、誰もがきっと分かっている」

 

 鴨桜は、そう小さく呟く。

 鬼の一味と狐の一党の戦いは、最早、戦争と呼ぶべき様相を見せ始めていた。

 

 今までの小競り合い、鍔迫り合いですら、それに巻き込まれていた市井(しせい)の人間、京に住まう妖怪達の生活を、ここまで破綻させているのだ。

 

 このまま本格的に、それこそ両勢力の幹部連中がぶつかり合うような本戦の火蓋が切られれば――平安京は間違いなく火の海になる。

 

 そうなれば何も残らない。

 日ノ本の人の世は崩壊し、全てが広大な焼け野原になることもあり得る。

 

 そして、その地獄は、もういつ現実になってもおかしくないのだ。

 

「――ふざけるな。ここは、俺の故郷だ。俺の世界だ。余所者にこれ以上、好き勝手されてたまるかよ……ッ」

 

 鴨桜は怒りに任せて妖気を漏れ出させる。

 これが陰陽師に気取られたら不味いと、士弦は目を細めながら窘めた。

 

「お前が分かるくらいのことは、総大将は当然分かっている。だからあの方なりに、どうにかしようと動いているのだろう」

「それが陰陽師との飲み会だってのか? 人間に媚びを売ることが、妖怪大将のやるべきことなのかよ」

「総大将には、妖怪だの人間だのは関係ない。そんなこと――お前が一番よく知っているだろう」

 

 そう言って士弦は、降り散る寒桜のはなびらを手に取って立ち止まり、鴨桜を見る。

 

「……………」

 

 鴨桜は――妖怪の父親譲りの黒髪と、人間の母親譲りの桜髪が混ざり合う、斑模様の髪を持つ青年は。

 

 真っ暗な夜空と、舞う桜吹雪を見上げながら「……関係ねぇよ」と呟き、言う。

 

「……ここは、俺の故郷だ。俺の世界だ。……それを壊す奴は――全員、敵だ」

 

 鴨桜は、そのまま視線を隣の相棒に移す。

 

「親父をこれ以上、待つつもりはない。親父がやらねぇなら、俺が――」

 

 それ以上、言わせてはならない。

 士弦の瞳がスッと細まり、そのまま胸元に手を伸ばす。

 

 鴨桜も相棒のその動きを見て、ぬりかべを両断したドスに腕が伸びかける――が。

 

 

 その時、鴨桜の足に小さな衝撃があった。

 

 

 ずさっという音が響く。

 鴨桜と士弦が同時に目線を下ろすと、そこには痛々しく転んだ、みすぼらしい少年がいた。

 髪もボサボサで、頬も()け、手足も棒のように痩せ細っている。

 

 鴨桜は「……大丈夫か」と声を掛けて手を伸ばした。

 痩せこけた少年は手を取ると鴨桜に向かって「……ありがとう……ございます」と言って、笑顔を向けた。

 

「…………」

 

 そのままゆっくりと立ち上がり、闇の中に向かってふらふらと走り出そうとした少年に向かって、鴨桜は、もう一度、「……大丈夫か?」と尋ねた。

 

 少年は一度だけ立ち止まり、振り向いて。

 今にも消えてしまいそうな笑顔で言った。

 

「……行かなくちゃ。……ありがとう」

 

 少年はそのまま、ふらふらとした足取りで、京の闇の中に消えていった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 しばし、その少年の消えていった先を見ていた二人だったが、鴨桜はぽつりと士弦に言った。

 

「……アイツ、お前のことも見えてたな」

「……何を今更。これだけ妖気が濃いんだ。人間にだって、もう普通に妖怪が見えるようになって久しい」

 

 士弦は、それでも少年の消えていった先から目を逸らさない鴨桜に向かって言う。

 

「――今度は、『人間』に肩入れか?」

「…………」

「……俺は幹部の連中やお前程に、総大将が陰陽師と関係を持つのをとやかく言うつもりもない。桜華さん(人間の女)と結ばれたこともな」

 

 だが、と。

 士弦は一拍置いて、相棒に向かって言い放つ。

 

「俺達は――『妖怪』だ。人間の味方にはなれない」

 

 何も言い返さない鴨桜に、士弦は諭すように言う。

 

「妖怪は人間の『(おそ)れ』を糧に生きている。確かに、お前の言う通り、人間がいなくなれば妖怪は滅びるさ。だが、それは人間が動物や植物を食って生きているのと同じことだ。共存ではあっても、間違っても味方じゃない」

「…………分かってるさ」

「分かってんなら、()()()()()()()()()()()()()

 

 分かってんだろ。()()()()()()()()()()――士弦はそう言って、鴨桜の肩を掴む。

 

「お前は妖怪大将を継ぐ男だ。お前はそれを選んだ。お前は()()()を選んだんだ――そうだろ」

「…………あぁ。そうだ」

 

 分かり切ってることを大げさに言ってんじゃねぇ――そう言って鴨桜は、士弦の腕を振り払うようにして歩き出す。士弦はそれに何も言わずに横に並んだ。

 

「……ただ単に、俺の京が辛気くさくなってることに嫌気が差してただけだ」

「それこそ今更だ。平安京は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。貴族様が暮らす宮中以外の平民達は、とっくの昔に限界だ。毎日、どれだけの数が飢え死に、川に身投げしているか分からん」

 

 陰陽師の式神が毎夜毎夜の警邏で処理している死体は、妖怪に殺された者以上に、自ら命を絶った死体の方が多いかもしれない。

 それが平安京の、終わらされる前に終わっているかもしれない現状だった。

 

「……胸糞悪い」

 

 それが分かっているからこそ、人間の血を半分流す鴨桜は、貴族の人間達を、もしかすると鬼や狐よりも怒り嫌うのかもしれないと、士弦は思う。

 

「気分直しにもう一回賭場にでも行くか」

「ふざけろ。どれだけ過ちを繰り返す気だ」

「なら娼館にするか? いい女でも抱けば気分も晴れるだろ」

桜華(おうか)さんに言いつけてやろうか。……いや、あの人なら息子が大人になったと喜ばれるか」

「おいやめろ。女を抱くときに母親の顔が思い浮かぶとかどんな罰だ。勃つものも勃たねぇだろうが」

「なら月夜(つきよ)にするか」

「お前は俺を殺したいのか。そうなんだろう。どれだけ娼館に行きたくねぇんだ。だからお前はいつまで経っても童貞なんだ」

「ぶっ(ころ)

「上等だ。表出ろ」

 

 そう言って何故か足を止めて胸倉を掴み合う男達。

 近くに『百鬼夜行』の組員が居ればいつものことだと呆れるだろうが、質が悪いことにこの男達はいつも本人同士は至って真面目に殺し合っている。

 

 今も「何だ? 娼婦に童貞だってバレるのが怖いのか? 大丈夫だって相手は本職なんだ。嗤わずに笑顔で導いてくれるさ。一回行ってみろって。もしかしたら思わず惚れちゃうくらい相性ぴったりの娘と出会えるかもしれねぇだろ?」「死にてぇんだな? 死にてぇんだろ? それならそうとはっきり言えばいい! 俺はまだ自力で伴侶を得ることを諦めたりしない! 俺を優しく包み込んでくれる聖母系お姉さんはいつか俺の目の前に降臨すると信じている!」「妖怪が聖母系お姉さんを求めてんじゃねぇよ、このむっつりスケベ型童貞が!」と、今回も本人達だけは真面目に互いに対する殺意を膨れ上がらせていると。

 

「…………ん?」

 

 鴨桜はそれに気付いた。

 月明かりが眩い夜だから、きっとそれに気付けたのだろう。

 

 丸みを帯びた月を映した川面。

 その美しい月を台無しにするように――それは流れてきた。

 

 二人の男が互いの胸倉を掴み合ったまま鴨川に目を向ける――今度は少年ではなかった。

 

 仰向けに川をどんぶらこと流れてくるそれは、美しい月でも、大きな桃でもなく――小さな童女だった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 どうして自分が死んだのかはよく覚えていない。

 

 いつ死んだのかも、どこで死んだのかも、なぜ死んだのかも、全く覚えていない。

 

 ただ一つ覚えていたのは――自分が愛されていなかったということだけ。

 

 痛いと、寂しいと、怖いだけが全てで――だからいつも、渇いて、飢えて、欲しがっていた。

 

 だから――自分は――きっと――。

 

 

 

「…………んぅ?」

 

 目を開けると、そこは知らない場所だった。

 

 次に感じたのは、知らない匂い。

 丁寧に手入れをされている畳と、そして不思議な――花の香り。

 

「ここ……は?」

 

 段々と覚醒していくにつれ、ピントが合っていくように鮮明になっていく、知らない天井だけを映していた視界――そこに、ぬっと黒い影と白い影が覆い被さった。

 

「あ、起きた?」

「おはようございます。といっても、ここはいつも真夜中なんですけど」

 

 そこにいたのは、夜闇に浮かぶように妖しく瞳を輝かせた黒い女と、不気味な水色の髪と死に装束のような着物の白い女だった。

 

「きゃぁあああああああああ!!!」

 

 寝起きに真っ暗な部屋で見るには恐ろしすぎる光景に――童女は思わず悲鳴を漏らしながら後ずさりする。

 

「あわわわわわ、怖がらせてしまいましたかっ!?」

「だ~いじょぶよ。いくら猫が肉食だからって、取って食べたりしないから」

 

 いくらあなたが美味しそうでもねぇ――と、妖しく笑いながら舌なめずりする黒い女の仕草に思わず再び身体を震わせる童女。

 こらと白い女が黒い女を窘め、黒い女が別の意味で舌を出した辺りで、童女は改めて二人の女の姿を眺めた。

 

(……ん? 猫?)

 

 そう自称する通り、黒い女の頭部には――まるで猫のような両耳が生えていた。

 人間のような耳もあるのかは長い黒髪に隠れて見えないが、その代わりに、扇情的にはだけた黒い着物からは、猫のような尻尾も飛び出ていた。

 

 けたけたと笑う口元には獣のような鋭い牙も覗ける。そして、夜闇の中で、猫のように妖しく光る瞳――。

 

「――!?」

「さ、寒い寒い寒い! ちょ、雪菜! 漏れてる! 冷気漏れ出してる! 謝る! ふざけすぎたの謝るから! 猫は寒さに弱いの~!」

 

 ふと思考から我に返ると、白い女から白い霧のようなものが漏れ出していた。

 黒い女の言う通り、それは身を芯から凍えさせるように冷たく、寒い。その姿は、まだ童女の彼女でも――いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()彼女だからこそ知っていた。

 

「……雪……女?」

 

 童女の呟きに、白い女と黒い女は向き直る。 

 黒い女は、猫のようにいたずらっぽく笑って言う。

 

「にゃはは。その顔――やっぱり、あなたは()()()側なんだね。いや、にゃんだね」

「無理して猫っぽくしなくていいです、月夜さん。ふぅ、ごめんなさい、起きたばかりなのに騒がしくして。そう、あなたの言う通り――()()()()()()。雪女の雪菜(ゆきな)と言います」

 

 そう言って白い女は――氷のような水色の髪と、雪のように白い着物の妖怪は言う。

 自らが妖怪だと――怪異たる化物だと自白する。

 

「そして、こちらが――」

「月夜だよ。見ての通り、猫の――黒猫の妖怪。猫娘の月夜ちゃん。まぁ、正確にはもっとアレなんだけど、正式な学術的名称なんてどうでもいいよね。可愛ければそれで正義なんだからにゃ!」

 

 そういって猫手を顔の前で作り、にゃんと童女に向かってウインクする黒い女――化猫の月夜は。

 

 ぼんと、瞬きの間に、その姿を黒猫に変えた――化えた。

 猫耳に猫尾を着けた美少女から、どこにでもいる黒い毛並みが美しい黒猫に。

 

 童女はそれを呆然と見ながらも、先程までのように取り乱すことなく、ただ唾を飲み込んだ。

 

 黒猫はそんな童女の腰が抜けたように座り込んだ膝に手を、肉球を当てて、動物特有の無表情で、けれど、童女にはそれが先程のいたずらっぽい笑みに見えるそれを向けながら、黒猫のままで言った。

 

「それで――あなたは、(にゃ~に)?」

 

 童女は、もう一度、唾を飲み込んだ。

 

 辺りを見渡す。

 知らない場所。知らない部屋。知らない匂い。知らない空気。

 

 何も知らない童女は、目の前の雪女を、黒猫を見ると、そのまま俯き、ぽつりと、ただ一つ知っている――己の名前を明かした。

 

「…………わたしは…………詩希(シキ)

 

 俯き、力無く、無力な我が身を、蔑むように――己の正体を明かした。

 

「……座敷童の………シキ」

 




用語解説コーナー①

・千年前の日ノ本

 妖怪の全盛期であり最盛期。妖怪が存在するだけで周囲に放つ力――妖気の濃度が上がり過ぎることで、霊感のない一般市民にすら妖怪が目視できるようになってしまっている。
 
 中でも『鬼の頭領』が率いる『鬼』勢力と、『狐の姫君』が率いる『狐』勢力が二大勢力となっており、この二大勢力が『人間』の中心地たる平安京を挟んで睨み合っている為、一触即発の緊張状態が続いている。
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