比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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幸せにしたいと――きっと、そう願ったんだ。


妖怪星人編――② 座敷童の詩希

 座敷童(ざしきわらし)

 家屋の座敷、蔵などにいつのまにか住み着いているとされる――妖怪。

 

 主に子供の姿をしているといわれており、悪戯好きで、誰も居ない部屋から物音が聞こえてきたり、子供達が複数人混ざって遊んでいるといつの間にか一人増えているといった現象があると、そこには座敷童がいると畏れられていた。

 

 だが、住み着いた家に富や幸福を齎すとされる伝承もあり、地域によっては精霊と同一視され――時には、神として信仰を受けることもあるという。

 

「――で? そんな神様が、何をどうしたら水死体の如く川を漂流するなんてことになるんだ?」

 

 水死体の如く漂流していた童女――神様と同一視されることもある妖怪――座敷童の詩希(シキ)は、その言葉を呆然と聞いた。

 

 桜のはなびらと共に降ってくる、それこそ神様から語り掛けられるような、その言葉を。

 

 それほどまでに神秘的な光景だった――神を秘しているが如き光景だった。

 まるで吹雪のようにはなびらが舞っているのに、誇るように満開に咲いている、一本の枝垂(しだ)れ桜。

 

 その花の中に、まるで桜の木の化身のように、桜に秘される神様のように、幹に身体を預けて枝の上に座り込み、こちらを見下ろす一人の青年。

 

 清流のような艶やかな黒髪に、桜色の髪が斑のように混ざり込んでいる。

 その余りにも美しく、余りにも神秘的で――余りにも、現実的ではない光景に、詩希は、ただただ圧倒されるばかりだった。

 

「――ハッ。現実的? そんな言葉を、俺等のような存在が口にするほど、滑稽なことはねぇな。間抜け顔の神様ちゃんよぉ」

 

 斑髪の青年は、口を開けて呆けたままの詩希を、そう豪快に笑い飛ばす。

 すると、木の上の青年よりも距離としては近い位置にいる、桜の木の幹に背を預ける、首元に布を巻いた青年が、口元を隠すようにその布を持ち上げながら、詩希に向かって言った。

 

「……桜が咲いているのがそんなに疑問か?」

「え! あ、あの……その……」

 

 唐突に声を掛けられて思わず肩を硬直させる詩希。

 実のところ、その光景の美しさと神秘さにただただ言葉を失っていただけなのだけれど、そう問い掛けられると、改めてそこにも疑問を覚えた。

 

 確かに、いくら美しくとも、いくら神々しくとも、今の時期に桜が咲いているのはおかしい。

 自分が漂流していたという川の水も身も凍るような冷たさだったことを思い出す。

 どれだけ素晴らしい桜だろうと、どれだけ凄まじい桜だろうと、この真冬の時期にこれほど見事に咲き誇る筈がない。

 

「冬に咲く寒桜というのもあるがな。少なくとも、この桜はそういった特殊な事情で咲いているわけではない。いや、特殊という意味なら――この桜自体も、恐らくは()に咲く他のどんな桜よりも特殊なのだが――この場所、この空間、この世界こそが、何よりも特殊なんだ」

 

 首元に布を巻いた青年――士弦は、そう詩希に向かって思わせぶりに言う。

 自身の言葉の悉くに首を傾げる童女に「月夜や雪菜から何も聞いてはいないのか?」と尋ねると、童女は目つきの鋭い年上の男の迫力に怯えながらも「……こ、この桜の木の所に……わたしを助けてくれた人がいるから行ってきなさいとだけ……」としどろもどろに答える。

 

 士弦はチッと舌打ちをすると「……仕事を増やしやがって」と呟き(その呟きと舌打ちに詩希がまた怯えているのも気付かず)ながらも、しぶしぶと説明を始めようとして――。

 

「――ここは、平安京の“裏”だ」

 

 再び、桜の木の上から言葉が降ってくる。

 

 詩希が見上げると、どこからともなく、風が吹いた。

 より一層、空間全てを包み込むように桜のはなびらが舞う。

 

 隙間から漏れ出す満月の月明りが、その斑模様の男を、なお一層に美しく照らした。

 その光景は、やはり、詩希には神秘そのものに思えた。

 

 自分などよりも余程――神様のように見えた。

 

「表の世界が人の世なら、ここは人ならざるものたちが住まう――裏の世界」

 

 妖怪の――世界。

 一年中桜が狂い咲き、欠けることなき満月が浮かび、永遠に日が昇ることのない常夜の異界。

 

「そう――ここは、俺達の、お前の世界だ。怪異たる化物」

 

 化物――そう自分を呼ぶ男の顔は、不敵な、それこそ座敷童を彷彿とさせる、いたずらっぽい笑顔だった。

 

 桜吹雪の中に男は消える。

 そして、次の瞬間――斑模様の青年は、みすぼらしい和装の童女の背後に立っていた。

 

「座敷童の詩希つったか? ようこそ、夜の世界へ。俺はお前を歓迎する」

 

 妖怪大将を継ぐ男――ぬらりひょんの息子――鴨桜は、迷い込んだ童女に手を伸ばした。

 

「さあ、聞かせてもらおうか。神様が真冬の川で漂流する羽目になった、その厄介事の詳細を」

 

 相棒たる士弦は、そんな絵に描いたように面白がっている鴨桜に頭を抱えた。

 

 鴨桜という男は、表の世界でも裏の世界でも、関わる妖怪、人間達から信頼を獲得することに長けている。

 

 人間の血が半分流れる半妖でありながら、頭の固い幹部連中ですら、『百鬼夜行』を継ぐのは鴨桜だと、口に出さないが認めているモノがいるくらいだ。

 

 女と賭け事に目がなく、自由気儘のトラブルメーカー。

 父親譲りのカリスマ性に、母親譲りの天真爛漫さ。

 

 そして何よりも――鴨桜は、この京の街を愛している。

 

 そんな男が、目の前に転がっている、目の前に流れ着いてきたぷんぷんに匂い立つ事件の香りを、黙って見過ごすことなど、ある筈がなかった。

 

 今も面白がっている瞳の奥には、冷静にこの事件の黒幕への推理を走らせ、その何者かに対する怒りが渦巻いている。

 

 士弦はまた厄介事だと溜息を吐きながらも、いつものことかとすぐに諦め、鴨桜が作る流れに身を任せることにした。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 泣きじゃくるボロボロの服装の男の子を、それよりも少し年上の、けれどやはり子供と呼ぶのが相応しい年齢の少女が困り顔で宥めている。

 

「いやだよぉぉ、行かないでよ、お姉ちゃぁああん!」

「……ごめんね。ごめんなさいね。それでも……お姉ちゃんは行かなくてはならないの」

 

 そう言いながら泣きじゃくる男の子の頭を撫でて、両手を握って、膝を折って座り込みながら目線を合わせる少女。

 一見すると姉弟の別れのように見えるシーンを、童女は少し離れた場所から眺めていた。

 

「……あの子も律儀ね。わざわざお別れを言いたいだなんて」

「無理もないですよ。私達、座敷童にとっては、あの少年のように私達を慕って想いをくれる存在こそが、なによりの生きる糧なのですから」

「…………ふっ。生きる糧、ね」

 

 童女の横に立つ、年上の、しかしやはり少年を慰める少女と同じく子供にしか見えない外見の少女達は、目の前の別れのシーンをそうそれぞれに語る。

 両者とも、その表情は暗く、瞳は悲しげだ。

 

 童女は膝を抱えるように座り込んだ姿勢でそんな二人を一度見上げて、再び少女と男の子の別れのシーンに目線を戻す。

 

 生きる糧――確かに、そんな言葉は、恐ろしく皮肉が効いている。思わず鼻で笑ってしまう程に。

 

「……………」

 

 座敷童――家屋に人知れず住み着き、家族に紛れ込む妖怪。

 

 決まって子供の姿をしている彼等の正体は――愛されなかった子供達の幽霊だ。

 正確には、愛されずに死した子供の幽霊が、座敷童という妖怪になる。

 

 寂しがり屋で、遊びたい盛りだった子供達が――その思いが、その飢えが、満たされなかった子供達の無念が。

 死してなお、その未練を強く残した『魂』が現世に残り続けた結果、生前に憧れた愛溢れる家庭へと導かれ、住み着く――住み憑くのだ。

 

 そして、妖怪となる程に求めたものを与えてくれた恩返しとして、その住み着いた家に幸福を齎す――それが、座敷童という妖怪の特性。

 

 だが、そんな幸福のみを齎す存在が妖怪と呼ばれるわけがない。

 与えるだけの存在――そんなものは、神様だろうとありえない。

 

 与えるものとは――奪うものでもある。

 それは神様だろうと、妖怪だろうとも変わらない。

 

 愛に飢えた子供達の妖怪――座敷童。

 死してなお、愛を求めた子供である彼等は、その出自故に――愛を失うことを、何よりも恐れる妖怪でもある。

 

「……あの子は、これからどうなるの?」

 

 童女は、ぽつりと、ぽっかりと空いた空洞のような瞳を、親しい少女との別れを泣きながら惜しむ男の子に向けながら言った。

 

「…………」

 

 そんな新米の言葉に、途端に口を閉ざす二人の座敷童。

 やがて「……決まっているわ」と、一人の少女が、その問いに答えた。

 

「私達、座敷童が去るということは……そういうことよ」

 

 はっきりとした明言は避けた。だが、それは、それこそが答えだった。

 避けられない、変えられない――運命は決まっていると。

 

 幸運を齎す妖怪・座敷童は――不幸を置き去る妖怪でもある。

 愛を失うことを何よりも恐れる妖怪である座敷童は、住み着いた家を、住み憑いた場所を追い出されるということに本能的、概念的な恐怖を抱く。

 

 故に、座敷童を追い出した家庭、町は、これまで与えられた幸福以上の不幸を招き寄せてしまう。

 

「彼等には、これまで以上の不幸が襲うでしょう。……これ以上の、これ以下の惨状があるのかは……別にしてね」

 

 そう、一人の座敷童は、辺り一面を眺めながら呟いた。

 

 ここは平安京――その平民街――とある貧民街。

 妖怪である彼女達には、辺り一面をうっすらと漂う妖気が見える。まだ、日は高く昇っているのに。

 

 少女と男の子の別れを、近くを通る人達も痛ましげに見詰める。大人達ですら、その瞳の端に涙を浮かべて。

 

 感受性の強い、常識や先入観の弱い子供達が妖怪や幽霊を見てしまうことは多々あることだが、大人達ですら座敷童である少女の姿をはっきりと捉えている。

 

 これが、今の平安京の現状。

 日の高い昼間ですら妖気が漂い、魑魅魍魎が子供達や霊感の強い人間以外にも視認できる程に――妖怪に犯された(みやこ)

 

 邪気に満たされた、滅びゆく都――それが、平安京の終わりゆく現状だった。

 

「分かるでしょう? これほどに絶望に満ちた、愛なき土地――私達、座敷童には、とてもじゃないけど耐えられない」

 

 座敷童とは、本能的に愛を求め、愛を与える妖怪。

 だからこそ純粋に愛を求め、愛を与える人間の子供達に好かれやすく、また救われている存在。

 

 しかし、今の平安京は、全国各地から押し寄せる魑魅魍魎、そしてそれらを討伐すべく殺気立つ陰陽師や武士との戦いにより治安は最悪に悪化。

 街は(すさ)み、邪気に満ち、凶悪な妖怪による被害が日々甚大で、人々はこれ以上なく絶望しきっている。

 とてもではないが座敷童の住める土地ではなくなってしまった。

 

 例え、自分達を友と慕う、貧困に喘ぐ無垢なる子供達に、更なる不幸を置き去りにしてしまうと分かっていても――もう、一刻たりとも、この終わりゆく都に滞在することは、本能的に耐えられない。

 

「……………」

 

 童女は、そんな先輩座敷童の言葉を、ぽっかりと空いた洞のように黒い瞳で聞いていた。

 

 やがて、男の子との別れを済ましてきた座敷童が、自分達の方へと帰ってくる。

 

「……もういいの?」

「ええ……ありがとう、私の我儘を聞いてくれて」

「本当よ。子供達にとって、座敷童(わたしたち)なんて幼い頃の夢のようなもの。その殆どが思い出とすら残らないのに」

「それでも……あの子は、私のことを本当の姉のように慕ってくれた……純粋な愛をたくさんくれた存在だったから。……もう、私はあの子に、何もしてあげられないから……」

 

 少女は泣きじゃくりながら家路につく男の子を、本当に愛おしそうに見つめた。

 座敷童は、死して、幽霊となり、座敷童となったその時から見た目の年齢は変わらない。

 だからこそ、少女の年齢が本当に少女なのかは分からないが、その目は姉が弟を見るような、あるいは母が子を見るような、そんな愛情で満ちているように、童女には思えた。

 

 少なくとも、自分にとっては、昔も今も、一度たりとも向けられたことのない――瞳だ。

 

 いや――いや。

 

 かつて、一人。

 

 たった一人――だけは。

 

「それで? あなたはどうするの? 新人さん」

 

 一番(外見年齢が)年上の座敷童が、まっすぐに蹲る童女を見下ろした。

 

「私達は、これから蝦夷(えぞ)へと向かうわ。かつての日ノ本における妖怪の本拠地であり、未だに人間よりも妖怪の方が数が多い、魔の地。……正直、とても危険だけれど、私達にとっては、そこにいるだけで妖怪としての最低食糧である『畏れ』は手に入る。最低でも死ぬことはないでしょう。現地妖怪に襲われなければね」

 

 少なくとも、この平安京にいるよりはずっと、生き残る目はある――そう、彼女は語る。

 それは、幼い少女には相応しくない瞳で。それは、長い年月を生き抜いてきた歴戦の面構えで。

 

「あなたはどうするの?」

 

 彼女は、もう一度、童女に問うた。

 童女はその瞳に目を合わすことすらせず、ただただ目を瞑るように蹲るばかり。

 

「……正直、こんなご時世に座敷童として生まれ変わった貴女に、同情する気持ちはある。……いいえ。こんなご時世だからこそ、あなたのような『魂』が増えているのかしら。……けれど、私がいくら同情しようとも、現実は何も変わらないわ。……だから、一度だけ聞いてあげる」

 

 少女は童女に手を差し伸べる。

 固い表情で、悲しそうな瞳で、長い年月を子供の姿で過ごした妖怪は、生まれたての座敷童に向かって言う。

 

「私達と一緒に来る?」

 

 その、最初で最後の、同族からの救いの手に。

 

 童女は――。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 生まれたての座敷童――死にたての座敷童。

 彼女はひとりぼっちで、荒れ果てた平安京を歩いていた。

 

 既に日は暮れようとしている――逢魔が時――妖怪が活動を活発化させ始める時間帯。

 童女が見渡す限りでも、人間達の姿は既になく、心優しい現地在住妖怪達も次々と姿を消していっていた。

 

 もうすぐ――戦争が始まる。

 鬼と狐の、妖怪と人間の、今日も街を壊し、無力な一般人が最も被害を受けることになる小競り合いが始まる。

 

 毎夜毎夜のそれは最早、この平安京に住まう、全ての人間、全ての妖怪にとって日常となりつつある非日常。

 童女は、一人逃げ遅れたように、ぽつんと立ち止まって、夕陽から目を背けるように俯く。

 

(……わたしは間違ったのかな。……わたしも、逃げた方がよかったのかな)

 

 きっとそれが正解だということは分かっていた。

 あの手を取ることこそが、自分が生き残る上での最も賢い道だということも。

 

 だけど童女は――その手を取ることが出来なかった。

 

 愛を求める妖怪として、この絶望が充満する街を嫌悪し、恐怖してしまう感情はある。

 だが、生まれたての、死にたての座敷童として――未だ座敷童として、完全に覚醒していない童女にとっては、良いか悪いか、きっと悪い方なのだろうが、その拒絶感も他の座敷童程には感じていないようだった。

 

「……………」

 

 童女はゆっくりと顔を上げる――そして、逃げずに、夕陽を見上げた。

 

 血のように赤い夕陽。

 それを童女は、眩しそうに、痛そうに、目を細めて見つめる。

 

 童女は、生前の記憶をよく覚えていない。

 それは座敷童としてはままあることらしい。それはつまり、覚えていられない程に辛い生前を、記憶に残すことを拒絶するような過酷な前世を持つ座敷童が多いということを意味している。

 

 その例に漏れず、童女も何のエピソードも記憶していない――だが、ただただ辛い生前だったことは覚えている。

 

 どうして自分が死んだのかはよく覚えていない。

 いつ死んだのかも、どこで死んだのかも、なぜ死んだのかも、全く覚えていない。

 

 ただ一つ覚えていたのは――自分が愛されてなかったということだけ。

 痛いと、寂しいと、怖いだけが全てで――だからいつも、渇いて、飢えて、欲しがっていた。

 

 だから――自分は――きっと――――座敷童になったのだ。

 

「…………会いたいな」

 

 童女は思わずといった風に、夕陽に向かってぽつりと呟いた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 あの日も、こんな夕焼けの空だった。

 

 川のほとり――いつの間にか、ここに立っていた。

 

 何も分からない。何も覚えていない。

 死んだ記憶もなく、いつの間にか生まれていた――生まれ変わっていた。

 

 その時は、まだなんでもない、どこにでもいる只の幽霊だったのかもしれない。

 何が未練なのかも、自分が幽霊だという自覚もない、彷徨える『魂』。

 あやふやで、今にも消えてしまいそうな、不確かな存在。

 

 そんな状態で何も知らないままに唐突に世界に放り出された童女は、漠然と心に残る悲しさ、恐怖に涙を浮かべながら呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。

 

「おい。何、泣いてんだよ」

 

 この時、不安げに立ち尽くす童女に最初に気付いたのは、良識ある大人でも、妖怪でも陰陽師でもなく、貧民街で暮らす少年達だった。

 何の力もない生まれたての幽霊に最初に気付くのは、実は人間の子供や赤ん坊であることが最も多い。

 

 人間は元々、この世ならざるもの――後の世にて黒い球体に星人と名付けられることになる存在――に対し、とても鋭敏な感覚を持って生まれてくる。

 成長するにつれ、常識や先入観などを養っていくにつれ、その感覚は鈍くなるが、妖怪という存在が当たり前に周知され、闊歩するこの平安京において、この地に暮らす子供達の見る目は、正しく専門家のそれと比べても遜色がない程に優れていた。

 

 あまりに優れ過ぎて、目の前のそれが只の子供なのか、それとも妖怪なのか、区別がつかなくなってしまう程に。

 

「聞いてんのか。お前、どこの子供だ? もう夕暮れだぞ。こんな時間に出歩いちゃいけないって親に教わんなかったのか?」

 

 立ち尽くす童女の肩を突き押して、倒れ込ませながら少年の一人は言った。

 やがて少年達は尻餅をついた童女を取り囲み、口々に責め立てる文言を浴びせかけた。

 

「――っ、――――ッッ」

 

 少年達にとっては軽率な行動をとっている知らない子供を注意しているつもりだったのかもしれない。だがそれは、自己の存在すらあやふやだった当時の童女にとっては、とても恐ろしいものに思えただろう。

 

 未だ確立していない自分という存在を、否定され、責め立てられる言葉の数々は、険しい瞳は、三百六十度取り囲まれて発せられる夥しい暴言は、まるで世界から拒絶されているかのように思わされた筈だ。

 

 自己を――自分を。

 

 徹底的に――否定されているように、感じた筈だ。

 

「――やめろッ!!」

 

 正に、その時だった。

 少年達で作られた壁を――とある別の少年が突き破って現れた。

 

 他の少年達と同じようにみすぼらしい服装だった。

 どこにでもいるような、平々凡々な容姿。ぼさぼさの黒髪で、瘦せこけていたその少年は、恐らくはリーダー格であろう少年の胸倉を掴みながら馬乗りになると、烈火の如く怒った表情でこう叫んだ。

 

「自分達の不安をッ!! どうしようもなく怖いっていう感情を!! 自分よりも弱い子にぶつけるのはやめるんだっ! 男だろうッッ!!!」

 

 その言葉に、リーダー格の少年はまるで図星を突かれたように顔を真っ赤に染めると「――ッ! うるさいっ!」と言って馬乗りになったその少年の頬を殴った。

 

「――っ! ふん――ッ!」

 

 だが、その少年は怯まず、間髪入れずにリーダー格の少年の額に頭突きをすると――。

 

「――こっちだ!」

 

 童女の手を取ってそのまま彼らを置き去りに走り出す。

 取り巻きの少年達は咄嗟に追おうとしたが、額を抑えたリーダー格の少年が「――っ! もういい!」と叫ぶと、誰も追ってくることはなかった。

 

「――ふう。ここまで来れば、もう大丈夫」

 

 そう言ってほとりから離れた場所まで辿り着くと、少年は童女から手を離す。

 童女の口から「……ぁ」と小さい声が漏れたが、それには本人も少年も気付くことはなかった。

 

「……ごめんね。怖かったよね。だけど、彼等のことをどうか恨まないで欲しい。……彼等も、毎日を生きるのに必死で……明日が見えない日々がずっと続いていることが不安で……何かに当たりたくなっちゃうんだ。……彼等も……僕も、まだ子供だから」

 

 そう言って少年は頭を押さえて「()が出ちゃった。……僕も人のことは言えないよなぁ」と笑う。だけどそれは笑顔じゃないと、童女は当たり前のように気付いた。

 

「あ、あの……」

「だけど、彼等が言っていたことも一理ある。こんな時間に外を出歩いたら危ないよ。一人で帰れるかい? ここら辺では見ない顔だけど」

 

 童女は何かを言い掛けるが、少年の笑顔と――そのボロボロの服を見て、口を噤む。

 そして、ゆっくりと頷いた。

 

「……そう。それじゃあ、気を付けて。……そうだ! 君、名前は? 名前はある?」

 

 少年の言葉に、童女は奇妙な感覚を覚えた。

 けれど何故かその笑顔を直視することが出来なかった詩希は、あわあわと慌てながら、必死で空っぽの自分の内側を覗き込み――そして。

 

「あ、あなたが――あなたが、決めて」

 

 やはり――なかった。

 何もない、空っぽの洞だった。

 

 記憶もない。過去も見えない童女は――やはり、かつての名前も、思い出せなかった。

 

 だからこそ咄嗟に、反射的に出てきた言葉だった。

 変なことを言ってしまったと焦った童女が――この時は、名もなき彷徨う魂だった童女が、思わず顔を上げると。

 

 そこには、とても複雑な、悲しそうな、それでも笑顔を浮かべる少年が居て。

 

 少年は、涙を浮かべる童女に、こう贈った。

 

「――詩希(シキ)、というのはどうかな?」

 

 童女は――詩希は、呆然と少年を見上げた。

 瞳から落ちる一滴の涙が、橙色の光を反射して煌めく。

 

 少年は詩希に、夕焼けの空を見上げながら、だれともなく呟くように語る。

 

「座敷童――という妖怪がいるんだって。子供達に紛れて遊んで、いつの間にか家庭に居着いて、その家に幸福を齎す……妖怪」

 

 真っ赤な夕陽が徐々に落ちていき、暗く怖い夜がやってくる。

 少年は、その先に潜む何かを見据えているかのように、静かに、ゆっくりと語っていく。

 

「……妖怪は恐ろしいもの、悍ましいものだと、誰もが言うけど……だけど、恐怖を与えるだけじゃない。幸せをくれる妖怪も――いい妖怪も、いるんだよ。……それはきっと、人間と同じ。怖いだけの存在なんて――存在しない。……きっと」

 

 少年は童女を見下ろして言う。

 それはまるで、何よりも――自分に向かって言い聞かせているような。

 

「もうすぐ夜が来る。だけど必ず朝も来る。怖いだけの存在なんかない。だからきっと、今は辛くても、怖くて、寂しくて、悲しくても――きっと、来るから。楽しくて、嬉しくて――幸せな時が」

 

 きっと――来るから。

 少年は、童女に向かって、複雑な、子供らしくない――けれど、ある意味でとても子供らしい、夢を見る笑顔で言う。

 

「詩希――座敷童のシキ。妖怪にちなんだ名前なんて嫌かと思うけど……きっと君に、幸福を招いてくれると思う。……どう? 受け取ってもらえるかな?」

 

 童女は――詩希は、この時、確かにこう思ったのだ。

 

 わたしは、座敷童になりたいと。

 

 この人の――座敷童に、なりたいと。

 

「わたしは……詩希」

 

 この人に、幸福を齎す存在になりたいと。

 

「座敷童の――シキ」

 

 この優しい少年を――自分に愛をくれた存在を。

 

 幸せにしたいと――きっと、そう願ったんだ。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そのすぐ後だった。

 路地裏に消えていった少年の後を追う間もなく、自分の目の前に三人の座敷童が現れた。

 

 その時、自分が――座敷童になりかけていることを知った。

 幽霊から座敷童になる方法は明らかになっていない。だが詩希は、その最低条件である、愛を求める子供の幽霊であることは満たしていた。

 

 自分の正体を教えてもらったのと同時に、先輩の座敷童達から告げられたのは――平安京からの脱出計画だった。

 今、この平安京は座敷童の住める場所ではない。だからこそ、戦争が本格化する前に、この平安京から速やかに脱出し、蝦夷へと亡命しなくてはならないと、彼女達は言った。

 

 けれど、詩希は――座敷童にとっては死の都である、この平安京に残ることを選んだ。

 

 その理由は、何度も考えたけれど、何度も何度も考えても、たった一つだった。

 

「……あの人に……会いたい……」

 

 自分に名前を与えてくれた。自分に愛を与えてくれた。

 ずっと欲しかった温もりをくれた。ずっと求めていた――救いをくれた。

 

 幸せになってと、初めて願ってくれた少年を――幸せにしたい。

 

 その為に、きっと自分は――座敷童になったのだから。

 

「…………でも、一体、どこに行けば」

 

 童女にとって、この平安京は広過ぎる。

 少年と初めて会った場所に、こうして幾度も足を運んではみるものの、あの日以降、少年に会えたことは一度もない。

 

 そして、時間もない。

 先輩座敷童達が教えてくれたように、この平安京は終わりゆく都だ。

 

 鬼と狐、そして人間の三つ巴の争いは、日々激化の一途を辿っている。

 何かをきっかけに、いつ決定的な戦争の火蓋が切られることになってもおかしくない。

 

 そうなれば、ただでさえ限界を迎えているこの貧民街など、間違いなく真っ先に崩壊してしまう。

 

 タイムリミットは刻一刻と近づいている。

 だからこそ、早く見つけなければ――と、焦る詩希の前に。

 

 少年は――その日、唐突に現れた。

 

「あ! みつけ――」

 

 詩希は、絶句する。

 その少年は、ふらふらと通りを、誰にも気付かれることなく歩いていた――まるで、幽霊のように。

 

 瘦せこけていた身体は更に細くなっていて、詩希はパッと見で枯れ木を連想した。

 童女を救ってくれた笑顔の面影は最早どこにもなく、何もかもが抜け落ちたような無表情で、瞳はよく先輩座敷童から空洞のようだといわれた自分よりも深く昏い真っ黒な球のようで。

 

 そして、詩希が何よりも衝撃を受けたのは――その頬。

 あのリーダー格の少年に殴られた時などとは比較にならない、思わず目を覆いたくなるような、痛ましい、痛々しい――青痣があった。

 

 それはまるで、渾身の殺意を込められて殴られたような――その人間全てを否定するかのような傷だった。

 




用語解説コーナー②

・幽霊

 死んだ人間の魂が、器を持たずに彷徨っている状態。

 未練や執着を残している場合が多く、未練を解消すれば成仏し、執着を捨てきれなければ悪霊となってしまう。
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