比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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愛してます。だから、どうか愛してください。


妖怪星人編――④ 夢の光景

 

 そして、再び――夜が来る。

 

 自分が水死体の如く漂流していたという川のほとり。

 青い顔をした男に冬の川に放り込まれたその場所に、詩希は鴨桜と士弦と共にやってきていた。

 

「――で、ここからその男に、お前さんは真夜中の川に放り投げられた、と」

「…………はい」

 

 鴨桜と詩希が川を覗き込む傍らで、士弦は辺りを見渡していた。

 

(……確かに、この辺りは貴族領からも離れている。毎夜毎夜、『狐』や『鬼』の下っ端妖怪共が遊びに来る場所としては、正にうってつけの穴場ともいえるな)

 

 空白地帯ではあるものの、どこにとっても旨味の少ない場所。

 大きな戦場の舞台にはなり得ない――故に、ずっと小さな争いが終わらず、いつまで経っても平和にならない場所。

 

 最前線だけが、戦場の全てでは無いということを、改めて突き付けてくる場所。

 

(いつだって一番の被害者は、巻き込まれる無関係な一般人……か)

 

 勢力図のどこにも属さない、無色で無力な――部外者達。

 

(……まぁ、そういう意味で言うなら、俺等も正確にはこっち側なんだが)

 

 鬼にも狐にも属さない、かといって第三勢力とは口が割けてもいえない程度の規模の妖怪組織。

 

 そんなちっぽけな存在でありながら、この平安京は俺の庭だと、そう大言壮語を宣う男がいる。

 

「なるほど――気に入らねぇ」

 

 士弦の背後で、鴨桜はそう吐き捨てた。

 そして、童女の頭をぐわしと掴んで「――んで? お前はどうしたい?」と尋ねる。

 

「……どう……って?」

「もう恩返しとやらはいいのか?」

 

 鴨桜の言葉に、詩希はぶるりと身を震わす。

 

 詩希の脳裏に過ぎるのは、あのピクリとも動かなくなった――平太の姿だ。

 

「……おい、鴨桜――」

「士弦。黙ってろ」

 

 何かを言い掛けた士弦の言葉を止め、鴨桜は再び詩希に問い直す。

 

「お前はその平太とかいう人間に、恩を返したかったんじゃないのか」

「…………でも…………でも…………」

「甘えるな。()()()()()――()()()()()

 

 鴨桜は童女の頭を掴みながら、しゃがみ込んでその潤んだ瞳を真っ直ぐに見据える。

 

「妖怪となったからには、その本分は遂げろ。――死んでもだ」

 

 詩希――座敷童の、シキ。

 居着いた家に幸福を招く――妖怪。

 

「…………」

 

 鴨桜の真っ直ぐな視線から目を逸らし、何かを堪えるように唇を噛み締める詩希に。

 士弦は小さく溜息を吐いてから、「……座敷童ってのは、何も幸福を与えるだけじゃないよな」と語る。

 

「――え?」

「昨夜の話を聞く限り、お前は間違いなく、()()()()()()()()()()形だ。つまり――」

 

 士弦は一度ちらりと鴨桜を見る。

 これでいいんだろ、と、そう言うように。

 

「――その平太が、まだ生きているとすれば。今頃、座敷童を追い出した、そのぶり返しを受けているんじゃないか? 不幸という形でな」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 詩希は一目散に貧民街を駆けていく。

 昨夜、平太の父に引き摺られた時と同じ道を逆走するように。

 

 もう日は沈み、夜を迎えている。

 いつ、いつものように、妖怪達が現れるか分からない。

 

 否――妖怪はいる。

 他ならぬ自分と、『百鬼夜行』を名乗る新たなる恩人達が。

 

 詩希はちらりと後ろを振り返る。

 童女の全力とはいえ走っている自分を、まったく歩調を変えずに、しかし全く引き離されることなくついてくる桜と黒の斑髪の青年。

 

 まるで気が付いたらそこにいるかのようだ。

 これが、人知れずに他者の家に忍び込むという、ぬらりひょんという妖怪の血が成せる技なのだろうか。

 

(……いや、正確には、ぬらりひょんと人間の半血……半妖……らしい、けれど)

 

 その辺りはよく分からない。

 彼らは前提として昨夜、正確には今朝に知り合ったばかりの妖怪だ。

 目が覚めてからも詩希は自分の事情を話すばかりで、彼等のことは殆ど何も聞くことは出来なかった。

 

 ぬらりひょんと人間の混血種――鴨桜。

 その鴨桜と一緒に自分を助けてくれたという、首元に布を巻いた茶髪の男――士弦に関しては、何の妖怪なのかすらも聞かされていない。

 

 見ず知らずと言っていい二人。

 だが、見た目は人間そのものなので、貧民街の人間達も、こんな時間に突如として現れた不審な人間という目は向けても、分かりやすくパニックになってはいない。

 

 だが、それも時間の問題だろう。

 もういつ『狐』か『鬼』――戦争参加組の妖怪達が現れ、いつものように暴れ出すかは分からない。

 

(……昨日のあんな状況で……この上更に、不幸を呼び寄せているとしたら――)

 

 間違いなく、平太の家が最大の被害を食らう。

 昨夜、徹底的に終わってしまったのに――未だ、終わる余地が残っていたらだが。

 

(……わたしは、どうしたいのだろう……)

 

 もし万が一、平太がまだ生きていたとしたら。

 一体どうしたいのだろう。何をする為に、こうして全力で駆けているのだろう。

 

 住む場所を追い出された座敷童が不幸を齎す。

 これは運命の流れに手を伸ばして引き寄せる幸福とは違い、自動で発動してしまう、座敷童としての特性だ。

 

 つまり、もし仮に、詩希が間に合ったとして。

 まだ平太の家は取り返しがつく状態だったとして――その取り返しは、詩希が取り返せるものなのだろうか。

 

 あれだけ頑張っても。

 どれだけ手を伸ばしても――何も変えることなど出来なかったのに。

 

「――――ッッ!!」

 

 それでも――。

 

 妖怪なら、その本分を果たせ。

 詩希の後ろを、ピタリと、まるで監視するかのようについてくる――半妖の言葉が、詩希の脳裏を過ぎる。

 

 それでも――逃げるわけにはいかない。

 

 これは、詩希という座敷童の、運命そのものなのだから。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そして、辿り着いた詩希が見た光景は――平和だった。

 

 平和と、幸福――そして、愛だった。

 

「…………嘘」

 

 詩希は右を向いた。次に左を向いた。後ろを向いた。

 そして、前を向いた。それを直視した。

 何度見ても、何度も見直しても――それは、そこにあった。

 

「……ここに間違いないんだな?」

「俺には、不幸な家なんてどこにも見えないんだが」

 

 詩希にも見えなかった。首を振った。

 

「……違う。ううん、違わない。ここ、ここなの。平太の家は――でも、これは」

 

 違う。

 詩希は、その言葉をごくんと飲み込んだ。

 

 場所は、住所は間違いなくここだ。

 ずっと居着いた家だ――居憑いた家だ。

 幸せにすると誓った家庭だ。でも、幸せに出来なかった――家族だ。

 

 不幸にしてしまった――筈だ。

 昨夜、ここは妖怪同士の小競り合いに巻き込まれた。倒壊した。

 家庭は――決定的に、致命的に、崩壊した筈だ。

 

 なのに――だから――これは――。

 

「――夢?」

 

 これは、実現しなかった、夢の光景だ。

 

 時刻は夜。真っ暗な夜。

 明けない夜だからこそ、見ることの出来た――夢。

 

「……取り敢えず、中に入らせてもらうか」

 

 入るまでもないと、詩希は思った。

 他の家は妖怪に狙われることを危惧して、日が沈むと同時に全ての灯りを消している。いつもの光景だ。蝋燭一本灯されていない。月明かりが当たることさえ恐れて息を潜めている。

 

 だが、その家からは、温かい灯りが漏れ出していた。

 そして何より、戸の向こうから――笑い声が、聞こえてくる。

 

 温かい、胸を締め付けるような、笑い声。

 詩希が居着いた、取り憑いていた間には、ついぞ聞くことの出来なかった――温かい、家族の団欒が。

 

 それでも、直視しなくてはならない。

 どれだけ有り得ない幻想でも――壊したくない、夢の光景だろうと。

 

 これは、詩希が。

 一人の未熟な座敷童が招いた――運命の末路なのだから。

 

「――おや。お客さんかい。こんな夜更けに珍しい」

 

 それは聞いたこともない優しい声だった。

 初め、詩希はそれが誰の声なのかも分からなかったくらいだ。

 

 戸を開けたのは鴨桜だったが、彼は開いた戸の中に、自分よりも先に詩希を押し込んだ。

 まるで――これを見届けるのはお前の仕事だと、冷たく、容赦なく告げられているようだった。

 

 だからこそ、その声を発したのは誰か、詩希はしっかりと目視した。耳だけで無く目で判断出来た。だからこそ、声だけでは判断できなかったが――その目で、その現実を受け止めなくてはならなかった。

 

 否――現実では無く、夢。

 彼女が現実に出来なかった、夢の光景の真実を。

 

「…………ぁ」

 

 その優しい声色は、この家の主から発せられたものだった。

 この家を守ってきた男。この家庭を守り切ることが出来なかった男。昨夜、童女を殺意を持って川へと放り込んだ男。

 

 毎晩、毎晩、息子を殴り続けていた――彼の、父親。

 

「あらまぁ、可愛いお客さんね」

 

 続いて、やはり優しい声色を持って声を発したのは。

 詩希が泣き声とヒステリックな叫び声しか聞くことの出来なかった存在。

 

 何もかもを包み込むような笑顔を向けてくる女。この家を優しく見守り続けた女。昨夜、自身の息子が動かなくなった後も己が目を覆い続けていた女。

 

 毎晩、毎晩、息子を責め立てることしかしなかった――彼の、母親。

 

「平太のお友達かな?」

「そうかしらね。平太、女の子が尋ねてきたわよ。あなたのお友達?」

 

 そう言って、彼の両親は彼の名を優しく呼ぶ。

 

 綺麗に並べられた、質素ながらも人数分が揃った食事。

 父と、母の、その間に並べられた食事の前に座っていた少年が、くるりと振り返ってこちらを向いた。

 

「――――おかえり。詩希」

 

 詩希は、その瞬間、(くずお)れ、泣きじゃくった。

 

 彼が自分を見てくれたから。名付けた名を呼んでくれたから。

 それもある。それもあるが、嬉しかった以上に――悲しかったからだ。

 

 だって、この夢のような、温かい空間で。

 綺麗で、眩くて、目が潰れそうな――幸せな空間で。

 

 ただ一人、少年だけが。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 少年は左瞼が腫れ上がっていた。少年は左腕が変な方向に曲がっていた。

 少年は右手の指が折れていた。少年は右足が青く内出血を起こしていた。

 

 それは、昨夜の最後の記憶。

 平太という少年が自身の父親に痛めつけられ、ピクリとも動かなくなった――息を引き取り、命を失った――死を迎えた、その最期の瞬間と、全く同じ姿だったから。

 

「気付かないのか? 新米座敷童」

 

 泣き崩れる詩希を跨ぐようにして、鴨桜がその家の中へと足を踏み入れながら言う。

 

「この家には、恐ろしい程に高密度の――『力』が満ちている。俺にはそれくらいしか分からねぇが、ちゃんとした座敷童が見れば腰を抜かすんじゃねぇか? お前さんの話を聞く限り、これが全部――いわゆる、『運命の流れ』ってやつだろうからな」

 

 正直、息が詰まりそうだ。

 そう言いながら、鴨桜は懐からドスを取り出す。黒い柄に白い刃の得物を抜く。

 

 瞬間―――家屋の中のあらゆるものが。

 物は数える程に少ないが、その全てが――()()()()()()()()()()()()()

 

 鴨桜はその全てを瞬く間に切り伏せる。

 そして、まるで動じることなく言葉を続けた。

 

「正直、入るまで気付かなかったってことが信じられないくらいだ。だが、それは逆に言えば、それだけ密度が濃いということだとも言える。……これだけの特異点だ。ここで小競り合いしてたっていう『狐』と『鬼』の下っ端の目が節穴だったとしても――鎧武者(式神)を巡回させている陰陽師が、何も気付かないとも思えない」

 

 だとすれば、時間はもうねぇ――そう言いながら、鴨桜は足を動かす。

 再び飛来する障害物。それを鴨桜は一歩も足を止めずに弾き飛ばして、進む。

 

「ま、待って! 何をするの!?」

「決まってんだろ。事態は、既に俺等が想像しているよりも遥かに深刻かもしれねぇ。一刻も早い対処が必要だ」

 

 それでも、もうとっくの昔に手遅れかもしれないが。

 鴨桜は舌打ちをする。せめて、昨日のあの時点で動いておくべきだったと。

 

(……そうすれば、せめて……コイツだけは――)

 

 ドスを振り回す青年を、ただただ優しい微笑みで眺めるばかりの両親。

 それを見て、鴨桜は目を細め、舌打ちをする。これはつまり、()にとってこの人間達は、とっくの昔に自分を守ってくれる存在ではなくなっているということを、この上なく表していた。

 

 この、夢のような光景の中でさえ。

 そんなことを望まなくなってしまう程に。

 

 鴨桜は、そんなある種の哀れみと共にドスを向ける。

 夢のように痛々しいこの世界の中で、ただ一人、今にも死んでしまいそうな程にボロボロの少年に。

 

 こんな夢の中でさえ、自分に一切の救いを与えなかった少年に。

 

「――ッ!! やめてぇ――ッ!?」

 

 詩希は思わず駆け寄ろうとするが、それを士弦は容赦なく押さえつけた。

 湿った土の上に押しつけられた童女はそれでも口を開き、叫びを上げる。

 

「なんで――どうして――」

「どうして? お前も、とっくに分かってんだろ?」

 

 鴨桜は童女を振り向くことすらせず、首元にドスを突きつけられても微笑む少年を見据えて、言う。

 

()()は――コイツが作り出した、夢の光景だ」

 

 少年は、ただ静かに微笑んだ。

 ボロボロに痛めつけられた格好で、とても痛々しい笑みを浮かべた。

 

 それを見上げた詩希は、再び瞳に涙を浮かべて、呻く。

 

「……どう……して――」

「それもお前は分かっているだろう」

 

 現実を認めようとしない――目の前の夢の光景を受け入れようとしない童女に、やはり、青年達は容赦なく突きつける。

 

 残酷な夢の真実を――現実を、突きつける。

 詩希を押さえつける士弦は、瞑ろうとしている童女の目を開かせるように言った。

 

「この家に充満した、座敷童の――詩希(おまえ)の、力だ。お前ががむしゃらに手繰り寄せ続けた、運命の流れ。――それを、平太(アイツ)は使ったんだ」

 

 詩希は――地面に向かって、顔を埋めるようにして突っ伏す。

 

「…………っっ!」

 

 自分は、ただ只管に、我武者羅に、運命の流れを無理矢理に手繰り寄せ続けた。

 どれだけやっても平太は幸せになれなくて、どれだけやっても毎日毎日平太は痛めつけられて。

 

 それでも、自分は他に方法を知らなかったから。

 だからずっと、ずっとずっと、この家に運命の流れを引き寄せ続けた。

 

 それが、この家の中に充満している、膨大な『力』の正体だとすれば――。

 

 だけど――だけど。

 

「……彼は……平太は! ただの人間です! わたし達とは違う! 妖怪じゃ無い、ただの人間で――そんなこと、こんな妖怪みたいなこと、出来るわけが」

「だから――()()()()()()()()()()()()()

 

 その時、鴨桜は初めて、振り返って言った。

 

 詩希を見るその瞳は――とても冷たく。

 童女は言葉を、熱を失い、絶句した。

 

「――――え」

 

 それは目を背けていたわけでも、逃げていたわけでも無い、まるで想像の範囲外のことで。

 士弦は「……何を驚いている?」と、童女を押さえつけながら口元の布をずらしつつ言った。

 

「人間として死んで、幽霊となり――妖怪となる。他でもないお前が、()()()()()()()()()()と、身を持って証明しているだろう?」

 

 そうだ――そうだ。

 他でもない詩希自身が、幼くして死亡し、幽霊として彷徨い、座敷童として新たなる生を与えられた存在だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()だ。

 

 ならば――ならば?

 

「……そうだよなぁ、平太。……お前――全部、分かってんだろ?」

 

 鴨桜はドスを少年の首元に突きつけながら。

 容赦ない冷たい瞳で――けれど、どこか、哀れむように言う。

 

 少年は――痛々しく、微笑みながら。

 

「……よかった。優しそうな、()で」

 

 鴨桜に向かって、そう呟き。

 詩希に向かって、優しく、笑った。

 

「―――――――っっっ!!」

 

 その笑みを見て――自分を救ってくれた、あの時とそっくりの笑顔を見て。

 

 詩希は再び涙を溢れさせて、立ち上がろうともがく。

 だがそれを士弦は許さず、再び力尽くで押さえつけた。「離してっ! 離して!」と詩希は暴れ出した。

 

 そんな詩希に苦笑を漏らす平太に、鴨桜は再び問い掛ける。

 

「お前の両親は? どうなった?」

「……僕が幽霊として目覚めた時には……もう……」

 

 平太の両親は、互いを殺し合うようにして死んでいた。

 互いの首を絞め合うようにして事切れていた。

 

 それが座敷童を追い出したことによる不幸によるものだったのか。我が子を殺して逃げ場を失った感情を互いにぶつけ合った末路だったのか。それとも全てから逃げ出して楽になる為の心中だったのか。

 

 真相は分からない。真っ暗な闇の中だ。

 それを悲しむことは平太には出来なかった。それを言うならば自分だって死んでいるし――殺されているし。何より、分かり切っていたことだった。

 

 ずっと平太には分かっていたことだ。

 こうなることも。こう以外、なることはなかったということも。

 

 だから、幽霊として生き返った平太が思ったことは――そうしようと、思い立ったことは。

 死んでから一番に思ったことは――恩返しだった。

 

 自分を生んで育ててくれた両親へではなく、ずっと、ずっと――自分を愛してくれた存在への。

 

 ()()()()()()()()()()()()()――()()()()()()()()()()()

 

「………………わた…………し?」

 

 詩希は、呆然と呟く。

 そんな座敷童に、平太は優しい瞳で言った。

 

「ごめん、ずっと気付いてあげられなくて。だけど、ずっと気付いてたよ。誰かが――何かがが、ずっと、ずっと、僕の幸せの願ってくれていたことは」

 

 真っ暗な物置の中が、ある日から寒くなくなった。

 ずっとくうくうと鳴っていたお腹が、ある時からあまり鳴らなくなった。

 

 辛く、冷たく、寂しい夢の中で――ずっと、ずっと、聞こえるようになった。

 

 どうか、どうか――しあわせになって。

 

 その言葉に、どれだけ僕は――救われたか。

 

()()()()――()()()()()()()()()()()()()

 

 詩希は、声にならない叫びを漏らす。

 何も言葉にならなかった。結局、自分は存在を完全に隠すことすら出来ない、何も出来ない半端物の座敷童だった。

 

 そんな存在に、あろうことか、彼は。

 

「――ありがとう。ずっと傍にいてくれて」

 

 童女の叫びが、夢の空間に響き渡る。

 鴨桜は、誰にともなく呟いた。

 

「…………だから、これか」

 

 ()()()()()()()()()()()

 ずっと傍に居た存在が自分に願い続けた、けれど生前にはついぞ叶えてあげられなかった願い。

 

 だからこそ、平太は作り上げたのだ。

 死んで、幽霊になって、まず一番に作り上げたのが――この絵に描いたようにしあわせな世界。

 

 温かく、眩い――けれど、自分だけは外れた世界。

 自分ではなく、誰かの為に作った、しあわせに満ちた夢の世界。

 

「………………だから……これか」

 

 鴨桜は、目の前で痛々しく微笑む少年に向かって言う。

 

「平太。お前は――死ななくちゃならねぇ」

 

 ドスを煌めかせながら告げる鴨桜に、しかし平太は動じない。

 まるで全て分かっているかのように痛々しい微笑みを崩さない。

 

 代わりに叫んだのは、未だ涙を流し続ける詩希だ。

 

「どうして!? なんで死ななくちゃならないの!? 人間から座敷童になったっていうならわたしも同じなのに!」

「別にその出生が問題じゃない。それに正確に言うなら、コイツは座敷童にすらまだなっていない」

 

 鴨桜はやはり振り向きもせずにそう告げる。

 

「座敷童は生前に愛されなかった子供の幽霊が、愛を求めてなる妖怪なんだ。……コイツは、()()()()()()()()。その前提を満たしていない」

 

 詩希は思わず平太を見る。

 平太は何も言わず、何もかも分かっているかのように――何もかもを受けているかのように、ただただ壊れたように、微笑むばかり。

 

 鴨桜は、そんな平太を睨むようにして言う。

 

「俺と士弦は、昨夜、詩希を拾う前にお前に遭っている。だが、お前は昨夜生き返ってから、ここを一歩も動いていない。違うか?」

「……ええ。()()()()、あなた達とはこれが初対面です」

「あれは生霊だ。強すぎる思念が生み出す分身体。死した直後に、座敷童でもないにも関わらず運命の流れを操り、夢を具現化する。そして生霊を飛ばす。それも全て――ここにいる、詩希の為だ。そうだな?」

 

 幽霊として生き返り、まず真っ先に彼がしたことは。

 生霊を飛ばして詩希の安否を確認し、家屋に充満した座敷童しか操れない筈の運命の流れを使用しての、詩希が思い描いた夢の具現化だった。

 

 只の幽霊の身の上で。死んで、生き返って、何もかも分からないはずの状態で、何もかも分かっているかのように――全てを成し遂げた。

 

 それも――全て。

 

「…………わたしの、ため?」

 

 詩希は呆然と呟く。

 そんな詩希に、ボロボロの少年は、眩いばかりの笑顔で言う。

 

「……嬉しかった。温かかった。……だから、恩返しがしたかったんだ」

 

 安心したように――夢が叶ったかのような笑顔で、言う。

 

 あ――と、詩希の口から声が漏れた。

 この夢のような光景も、生霊を飛ばしてまで探しにきてくれたのも。

 

 おかえり、詩希――と、そう言って迎えてくれたのも。

 

(……わたしに……座敷童のわたしに……帰る場所を、作ってくれる為)

 

 ぽろぽろと、涙がこぼれる。

 温かい。本当に、なんて、温かい――愛だろう。

 

「……大丈夫。この人達は、優しい人達だから。……詩希を助けてくれて、本当にありがとう。……だから、どうか――」

 

 しあわせに、してあげてください。

 そう言って平太は、鴨桜が突き出すドスを掴む。

 

 詩希は再び絶叫する。

 嫌だ。嫌だ。もう平太に――死んで欲しくない!

 

「ダメぇ!! どうして!? どうして平太がまた死ななくちゃいけないの! 死んだら――もう生き返れないでしょう!!」

 

 嫌だ。嫌だ。死んでしまうのは絶対に嫌だ。

 詩希の脳裏に昨夜の記憶が過る。だって、死は、あんなにも――怖い。

 

 死ぬのは誰だって――妖怪だって、幽霊だって、怖いのに。

 

「言っただろう。コイツは座敷童じゃない」

「言ってない! どうして座敷童じゃないと死ななくちゃいけないの!? 幽霊だっていいじゃない! どうして――平太が死ななくちゃいけないの!!」

 

 それをまだ、誰も説明してくれていない。

 納得なんて出来るわけがないと童女は二人の青年を睨み付ける。

 

「…………」

 

 本来、こんな童女に何もかもを説明する必要なんてない。

 事態は既に一刻を争う――刻一刻と悪化の一途を辿っている。

 

 だがこれは、この未熟な座敷童から始まった事件だ。

 これは、座敷童のシキが歪めた運命の物語だ。

 

 故に、鴨桜は詩希をここまで連れてきた。

 自分の行いが、自分の願いが引き起こしたものを、最後まで見届けるのが、妖怪・座敷童としての本分を全うすることだと思ったからだ。

 

 だからこそ、ここで何も説明せずに、何も分からないままで終わらせるのは違うだろう。

 

 百鬼夜行を継ぐ者として。妖怪大将を引き継ぐ者として。

 昼と夜を、人と妖を繋げるものとして。

 

 鴨桜は、自分の本分を全うしなくてはならない。

 

「――幽霊とは、本来、自覚なく形なく、現世を彷徨い歩く存在だ。だが、自らが幽霊だと自覚したものは、その形を強制的に格付けされる」

 

 土地に縛られる地縛霊。

 ふらふらと漂う浮遊霊。

 しかし、それも一時的な格付けだ。

 

 長期間に渡って成仏出来なかったそれらは――やがて悪霊という明確な妖怪へと変わる。

 

「つまり、正確に言えば悪霊だけが妖怪であり、それ以前の幽霊とは、人間と妖怪の狭間の存在だ。だが、だからこそ、明確に形のないそれらはとても――危うい。それこそ、容易く世界の理に手を触れてしまう程に」

 

 人間でも、妖怪でもない存在。

 人の血と妖怪の血を引く半妖は――人でも妖怪でもなく、人でも妖怪でもあるものは、言う。

 

「さっきも言ったが、本来ならばそう時間も掛からないうちに形が定まるから大きく問題視はされない。だが、お前は別だ、平太。お前は不安定な状態で、あまりにも大きな『力』を浴び過ぎた」

 

 挙げ句の果てには、それをここまで使いこなす始末だ。

 鴨桜は、この小さな家屋の中に充満する『力』を――運命の流れを見上げる。

 

 うねりを上げながら渦巻くそれは、世界の理すらも歪めかねない、莫大な奔流。

 とてもではないが、一人の少年の幽霊という脆く小さな『箱』の中に収まるようなものではない。

 

「だが、お前はもう、この『力』に手を伸ばしている――手を触れている。使用している。既に、お前とこの『力』の渦には、明確に繋がりが生まれているんだ」

 

 そもそも、一人の座敷童が集め続けた膨大な運命の流れの、正にその渦中にて死亡し、幽霊となった少年だ。

 出自からして、この『力』との繋がりはあった。その上、明確にその流れに触れ、扱った平太には、今、この瞬間にも刻々と『力』が注がれ続けている。

 

 死んだばかりの、生き返ったばかりの少年の幽霊という不安定な『箱』の中に、世界を歪めかねない程の莫大な『力』が注ぎ込まれ続けると――どうなるか。

 

「可能性は――危険性は二つだ。一つは、とんでもない力を持った悪霊になるというもの。それこそ、『狐の姫君』や『鬼の頭領』といった、日ノ本を揺るがす程の大妖怪にな。だが、これはお前がその力を完全に我が物とした場合だ。希望的観測ってやつだな。――そして、もう一つの可能性。実現確率が高い危険性。こっちの方がだいぶ現実的で、このままだと十中八九その通りになる」

 

 鴨桜はそう冷たく伝える。

 だがそれは、目の前で諦観と共に微笑む少年にではなく、背後で未だもがく童女に向けて言っているように聞こえた。

 そして、鴨桜は、既に立たせている人差し指に続いて、その細長い中指を立てながら言う。

 

「完全に妖力に飲み込まれる。その結果、お前という『箱』は崩壊し、この不安定な『力』を現実に具現化する為の触媒となる。そして、溢れ出した『力』は、ただ暴れ狂うがままに世界に放出され――災害となる。……己の力を暴走させる幽霊というのは、稀にいる。不安定な状態だからこそ起こり得る霊の災害化――つまりは霊災だ」

 

 世界の理を歪ませる程の『力』――それが、『霊災』という形で現実世界へと放出されたら。

 間違いなく平安京は火の海に沈む。『狐』や『鬼』がどうこうする前に、この片隅の貧民街から都は崩壊を迎える。

 

(……だが、それですらまだ希望的観測だ)

 

 暴走するのが只の力ならば、まだマシだ。

 ここに渦巻いているのは、只の力ではなく、座敷童が蒐集し続けた運命の流れ――世界の理に触れ、改変することすら可能とする『力』。

 

 それも既にこうしてしあわせな光景の具現化という形で、行使された履歴を持つ『力』だ。

 ただ単純な破壊力という面だけじゃない。もし、この改変力を持ったまま――超巨大規模の霊災と化されたら。

 

(京や日ノ本だけじゃねぇ……この世界そのものも、どうなっちまうか分からねぇ)

 

 正に、世界を滅ぼし得る存在。

 鴨桜は冷たく、ボロボロの少年を見据えながら告げる。

 

「……お前は、この世界にいちゃいけねぇ奴だ」

 

 お前は死ななくてはならない。お前は生きていてはいけない。

 

 そう容赦なく、真っ直ぐに告げられた少年は。

 

 何もかもを諦めているかのように――当然の事実を告げられたかのように、微笑む。

 

「――分かっています」

 

 ボロボロの少年は、今にも死んでしまいそうな少年は――正に一度死に、生き返った途端に再び殺されそうになっている少年は、笑う。

 

 ずっとそうしてきたように、何もかも分かっているかのように、何もかもを諦めているかのように笑う。

 

 ずっとそうしてきた。

 ずっとそう――言われてきた。

 

 死ねと、消えろと、何もかもお前のせいだと。

 隣で微笑む父親から。隣で見詰める母親から。

 

 それはまるで、世界そのものからそう責め立てられているかのようで。

 

「僕はずっと、そう――望まれてきましたから」

 

 誰からも愛されなかった少年は――遂には、自分さえ、愛せなくなった少年は。

 

 だからこそ、今度こそ、己に決定的な(終わり)を齎してくれる、その刃を手繰り寄せる。

 

 運命の流れすら掴んだ、その痩せ細った小さな手で、優しく己が喉元へと。

 

「だから、僕を殺してください」

 

 平太の、その微笑みには、死を目前にした恐怖の感情は一切なかった。

 

 死は、あんなにも怖い筈なのに。

 恐ろしくて恐ろしくて堪らない筈なのに。

 

 そこにあるのは、圧倒的な諦観と、悲しいまでの謝意で。

 

 ごめんなさい。

 生まれてきてごめんなさい。生き返ってごめんなさい。

 

 けれど、その奥底には、まるで燻った火種のように――仄かに。

 

「………………」

 

 鴨桜は、最期に一つだけ問い掛けようとして。

 

「――――やめてぇぇえええええええええええ!!!」

 

 宙に――浮いた。

 

「ッ!?」

 

 それはまるで、ぐいっと引き寄せられるような――強引に、()()()()()()()()()()()浮遊感だった。

 鴨桜は若く、まだ青年と呼ばれるような年齢で、決して筋骨隆々の偉丈夫ではないが、間違いなく成人男性の体格をしている。

 

 だが、そんな鴨桜を手繰り寄せたのは――間違いなく、童女だった。

 

 詩希――座敷童のシキ。

 運命の流れすらその手中に納める妖怪が、手も使わず――否、この部屋に充満する莫大なる『力』に手を伸ばし、操り、鴨桜を己が元へと手繰り寄せたのだ。

 

 少しでも鴨桜を平太の傍から、平太の喉元に突き立てられていたドスの刃を遠ざけようとして、弾き飛ばした。

 

「鴨桜っ!」

 

 士弦は飛来してくる鴨桜を受け止めた。

 それ自体は容易かったが、思わず二人揃って尻餅を着いてしまうくらいの勢いはあった。

 

 結果として、拘束が外れる。組み伏せられていた童女が自由になる。

 

 そして、自由になった童女は、一目散に少年の元へと駆け寄った。

 瞳一杯に涙を浮かべて、歯を食いしばり、そして思い切り殴りかかるように一切ブレーキを踏むことなく――少年に抱き着いた。

 

 ついさっきまで組み伏せられていた童女が、今度は少年を押し倒すようにして抱き締める。

 強く、強く抱き締める。

 まるで、どこにもいかないでと、引き留めるように。

 

「…………詩希」

 

 平太は、何もかもを知った風に達観していた少年は、何も分からず呆然としていた。

 

 詩希が鴨桜を吹き飛ばしたことも、己が喉元に刃が刺さっていないことも――己が身体を包み込む、温かさも。

 何も、何も分からないといった風に、無様に童女の背中の上で己が手を持て余す。

 

 童女は、そんな少年の首元に顔を埋め、耳元で囁きかけるようにして言う。

 

「……やめて……やめてよ……。生まれてきて……ごめんなさいとか……。生き返って……ごめんなさいとか……。……殺して……とか……っ! そんなこと……そんなこと……言わないでよ……っ!」

 

 詩希は、そのまま押し倒した平太の顔を挟むように両手を着いて、ぽたぽたと涙をこぼしながら叫ぶ。

 

「わたしは……嬉しかったっ! あなたに出会えて! 名前をもらえて……本当に嬉しかったの! あなたがわたしを生かしてくれた! なのに――何で、あなたは、そんなことを言うの!?」

 

 どうして――そう言って自分に跨がったまま、ぐしぐしと涙を拭う童女を、少年はただ呆然と見上げるがままだった。

 

 分からない。何もかも分かっているつもりだった。

 世界の仕組みも、救いのなさも、未来の暗さも――だからこそ、ずっと諦めて、笑って生きてきた。

 

 だから、分からない。だって、知らなかったから。

 自分の頬に、ぽたぽたと落ちてくる雫が当たる。

 

(……あたた……かい……)

 

 そっと手で拭ったそれは、感じたことのない温度だった。

 いや、遠い昔、もはや夢にすら見なくなった程の――手が届かなくなった遠い遠い過去に、似た温度で包まれていた気がする。

 

――平太。

 

 自分の名を、名付けてもらった名を、優しく呼ぶ声が、何処からか聞こえた気がした。

 

 それは目の前の童女が言ったのか――それとも。

 自分を温かい笑顔で見詰める両親が、そっと過去から囁いたのか。

 

「……どこにも、行かないで……っ」

 

 詩希は、ぼろぼろに崩れた顔で、平太の胸の上に手を置いて願う。

 親からすら死と消失を望まれた少年に――どうか生きてと、そう望む。

 

「あなたがいなくなったら、わたしはずっと……()()が寒い。……痛くて……苦しくて……ずっと――寂しい」

 

 それはずっと抱えてきた胸の痛み。

 どれだけ時が経とうとも、どれだけ周囲に仲間が増えても――きっと消えることのない傷として残り続けるだろう。

 

「だから生きて! ずっと一緒に居て! もっともっと、温かくして!」

 

 詩希は――絶対に逃がさないと、平太を再び強く強く抱き締めながら言う。

 

「愛してます。だから、どうか愛してください」

 

 ずっとずっと、手が届かなかった童女は。

 絶対に――手放さないと、自分を救ってくれた少年の手を握り、己が望みを押しつける。

 

「幸せにします。だから――どうか、幸せになってください」

 

 平太は知らなかった。否、ずっと――忘れていたのだ。

 

 世界には、こんなにもあたたかい温もりがあることを。

 

 それが身を、心を包み込むと、こんなにも、痛みも悲しみも寂しさも――全て、消し去ってくれるのだということを。

 

 これが、愛されるということだと。

 

(……あぁ。そうか。……だから……――)

 

 平太は、ずっと彷徨わせていた両手を、ゆっくりと童女の背中に回す――包み込むように。

 

 ようやく、探していたものを、見つけたように。

 

(…………あぁ。そうか。いいんだ。願っても。望んでも。……なら……出来ることなら――)

 

 ボロボロの少年は、両親からも世界からも、死を、消失を願われた少年は。

 

 たった一人、どうか生きてと願ってくれた童女を抱き締めて。

 

 誰よりも――自分に向かって。

 

 心からの願いを、口にした。

 

 

「僕は――幸せになりたい」

 




用語解説コーナー

・運命の流れ

 数ある妖怪の中でも座敷童のみが知覚し、触れることが出来る、世界を改変する力。
 幸福な流れは世界に幸福を作り出し、不幸な流れは世界に不幸を作り出す。

 星の力――龍脈を流れる莫大な力の流れを本流としており、支流として座敷童の異能でそれを手繰り寄せる。

 本来であれば一定の現象を引き起こした後に雲散霧消するものだが、稀に莫大な量の流れを一ヶ所に集めることで凝集し、一つ世界改変力の塊となることがある。
 過去に例のないことだが、世界の改変力をとめどなく強化することで、理論上は世界の理すらも超越した奇跡を起こすことも可能である。


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