比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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任せろ。オレがお前達を守ってやる。


妖怪星人編――⑳ 英雄の背中

 

 夜が怖くて嫌いだった。

 

 夜が怖い。闇が恐ろしい。黒という色が――僕はずっと大嫌いだった。

 

「いいんだよ、それで。お前はまだ、子供じゃねぇか」

 

 大きな掌――大きな背中。

 

 大きな人だった。大きな男だった。

 

 それは、ちっぽけな僕と違い、その大きな力で大勢の人達を救う――英雄の笑顔だった。

 

 夜は怖い。闇は恐ろしい。黒は――やはり、どうしても、嫌いだ。

 

 でも、この人の背中の後ろにいれば――どんな妖怪も怖くなかった。

 

「任せろ。何が来ようと、オレがお前達を守ってやる」

 

 そう言って、大きな(まさかり)を担いだ男は。

 

 ぐっと膝に力を溜めて、四方八方から飛び掛かってくる妖怪達に、その鉞と――黄金の雷を放った。

 

 それは瞬く間に闇を切り裂き――いつも、僕の心から、恐怖を吹き飛ばしてくれたんだ。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 日ノ本は乱れきっていた。

 

 財政は悪化し、それを補う為に貴族は重税を課して、民は困窮し更に貧しくなっていく。

 

 やがて懐が寂しくなった豪族達は、別の土地の豪族の元へ攻め入り――土地や財を奪うようになった。飢えた人間同士で争い、人同士で傷つけ合うようになった。

 

 そんな人間の負の感情が、妖怪達に栄養と付け入る隙を与え、夜の世界を見る見る内に侵食していく。

 

 それでも、人間達は争い合うことをやめなかった。

 かつて隆盛を誇ったものの、やがて地位や権力を失った、この国には山程いる没落貴族達――彼等は、自分達が仕える上司の命を受け、腕っぷしに自信がある者を集めて、武器や武具を買い揃えて、争い事の専門集団を組織した。

 

 それが――武士の始まりだ。

 これまで雅な芸術ばかりを磨き上げ、弓や剣などもあくまで芸事の一環としてしか身に付けてこなかった者達が――人を殺める為の技術として磨くようになった。

 

 当然、人同士の争いならば、より人を殺める技術が優れている方が勝つ。

 そうして強い武士を抱えている豪族は、その勢力を拡大化させていく。

 

 より強い武士を、より多く抱えていることが、より優れた豪族である――そんな図式が出来上がってくるのも時間の問題だった。

 

 そして、段々と武士の重要性が高まっていくにつれ――武士が政治的にも力を付けていくのも、また当然の流れだった。

 

 武士はやがて武士団となり――大きな集団となっていく。

 

 それは、豪族同士の勢力争いとは、表面上は無縁である筈の――平安京の内部でも同じだった。

 

 既に平安京の中でも妖怪が溢れ返るようになって久しい。

 自分達の身を守ることに関しては全力を注ぐことに定評のある貴族達が――武士に目を付けるのも、また必然だった。

 

 そんな流れの中で、平安京内での政闘に敗れて没落し、まともな手段では日の目を浴びることの出来ない家が、一縷の望みを掛けて武家となるという事例も生まれ始めた。

 有力貴族に武士として雇ってもらい、繋がりを得て、恩を売って――自らの家を再興しようと企てる、安易な家系。

 

 長々と語ってきたけれど、つまりは何を隠そう――そんな安易で安直な愚かしい家系が、他ならぬ僕の家というわけなんだけれど。

 

「武士なんて、やろうと思ってやるようなもんじゃねぇよ。オレが言うのもなんだが――命がいくらあっても足りやしない」

 

 目の前の男が――この日ノ本全土を見渡しても、間違いなく五本の指に入る武士がいうのだから、それはきっと正しいのだろう。

 

 事実、没落貴族から平安武士への華麗なる転身を決意した我が父は、初めての任務であっさりと妖怪に食われて死んでいるのだから。

 

 平安貴族の中でも誰もが知るような名門中の名門に、運良く――あるいは運悪く、か――雇ってもらうことに成功し、これで我が家にもようやく再興の目がとはしゃいでいた父だったが、本来ならばそこでおかしいと思うべきだったのだ。

 

 そんな名門中の名門が、我が家のような何の実績も碌な装備も人材もいない発足したてのなんちゃって武家に、どうしてお声を掛けたのか。

 

 つまり――それだけ人手が欲しい、武士と名乗るのならば猫の手だって欲しい程に、厳しい任務であったということ。

 

 なにせ、その任務とは――日ノ本最強の妖怪・『鬼』の本拠地へ攻め込むという大戦(おおいくさ)。『大江山の鬼退治』だったのだから。

 

「思えば、よくここまで大きくなったもんだ。あの時の泣き喚いていたガキが、今や立派な当主様ってんだから」

 

 男はそう言って僕の頭を撫でる。

 言葉とは裏腹に、この人にとっては僕はいつまでも子供らしい。

 

 それも無理のないことだ。第一印象が悪すぎる。事実、あの時の僕は子供だった。

 

 発足したての武家である我が家は、当然、抱えている人手も少なかった。

 だが、右も左も分からない新米武家だった我が家も、当然、その時の初任務が失敗の許されない大事なものだということくらいは分かっていた。

 具体的には、この任務での活躍が、そのまま我が家の命運を左右することくらいは分かっていた。

 

 だからこそ我が父は、この任務に当時十才になったばかりだった僕を急いで元服させて、槍を持たせて同行させた。我が家には妹はいても弟はいない。跡取りの替えがいない状態でそんな選択をした父は、今思い返しても相当に混乱していたのだと思う。そうでなければ何の伝手もなく、いきなり武家への転身など図る筈もないが。

 

 お告げを受けたのだ――と、それはもう満面の笑みでいきなり宣言し、父が家中を混乱の渦に叩き込んだあの日を、今でも鮮明に覚えている。

 

 思い返せば、あの笑顔こそが、父の生前に浮かべた最も晴れやかな表情だった。

 

 何せ――その後の父の姿は、泣き喚き、恐怖で壊れた哀れな末期しか記憶していない。

 

 初任務であった『大江山の鬼退治』――結論からいえば、我が家で生きて帰ったのは、当時十才の僕だけだった。

 

 語り継がれる伝説では『人間』側の大勝利だと伝えられているが、一応は当事者の一人だった僕から言わせてもらえるならば、あんなのは勝利でも何でもない。

 

 勝ったのは『人間』じゃない――『英雄』だ。

 

 僕の頭を撫でてくれている、この人のような――規格外の『英雄』が、規格外に強かっただけのこと。

 

「――金時様。それで、僕たちは何処へ向かっているんですか?」

 

 あの日――『大江山の鬼退治』のあの日。

 

 父の死体の下に隠れて無様に生き残った僕を見つけ出して救ってくれた英雄。

 

 当主である父を亡くし、付いてきてくれた僅かな家臣の殆どを失った状態で、十才で家督を継いで当主となった僕を、部下として雇い、家族を養うだけの財を与え続けてくれた英雄。

 

 あの日から――十年。

 

 僕は、あの日の英雄と同じ年齢になった筈なのに、ずっと追いつける気がしない程にずっと遠い背中を――だけど、ずっと、その温かく大きな手が届くところに置いてくれる、この人を。

 

 ずっと――見てきた。

 

 そして、ずっと、ずっと思う。

 

 坂田金時(さかたきんとき)様――もし、真っ黒に暗い、ゆっくりと終わりに向かっているこの日ノ本を、明るく救う英雄がいるのならば。

 

 それはきっと、この大きな人だろうと。

 

「――決まってんだろ」

 

 英雄は、快活に笑う。

 

 あの日と同じく、大きな鉞を肩に担いで。

 

 大きな背中を見せて、陽の光のような金色の髪を振って、僕らの闇を吹き飛ばし――明るく照らし出す。

 

「苦しんでいる人を、助けに行くんだよ」

 

 僕は、その人が大きく踏み出した一歩に続くべく、真っ暗な夜の森の中へ踏み込んでいった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 前後左右が闇に囲まれている中、焚いた火を囲んで野営をする。

 

 僕らは数十人もの武士を引き連れた集団ではあるが、火を焚いているのは集団の先頭である僕らだけだ。

 

 それは、僕らがこの集団全体の方向を決める首脳陣だからという意味もあるし――万が一、この火に妖怪が引き寄せられた時、真っ先に戦う囮の役割をするからでもある。

 

「大分、森の深い場所まで進んだが――目的の獲物の気配は感じねぇなぁ。どうなってんだ、貞光の旦那」

 

 首脳陣といっても、僕はただそこに同席しているだけ。

 たまたま、この人と付き合いが長くて、たまたま、僕がこの隊にいてずっと生き残っている古株だからってだけ。

 

 本当の首脳は――この隊の首であり脳は、この御二人だ。

 

 誰もが知る、老若男女に愛される英雄。頼光四天王が御一人。

 足柄山の金太郎こと、轟雷の(あやかし)狩り――坂田金時(さかたきんとき)様。

 

「焦るな、金時。ただでさえ、この森は深く、日中でさえ遭難者が絶えない。……こういう場所は、決まって厄介な妖怪がいるもんだ。夜が明けたら、頼光(らいこう)さんと季武(すえたけ)も合流する。そっから、四人で一斉に虱潰しだ。それで仕舞いだ」

 

 同じく頼光四天王の御一人であり、渡辺綱様と並ぶ古株である影の纏め役。

 碓氷峠(うすいとうげ)荒太郎(あらたろう)こと、大鎌の妖狩り――碓井貞光(うすいさだみつ)様。

 

 この御二人こそが、今回、この『魔の森』に出現したという謎の妖怪退治へと派遣された源頼光武士団の分隊の首脳である。僕はただこの御二人の話の間に入るだけの焚火管理係に過ぎない。

 

 御二人が話に集中できるように、焚き木を火の中に放り込む作業を続けていると、金時様は貞光様の言葉に「――そう、そこだよ、旦那」と意見を出した。

 

「そもそも、おかしいと思わないか。確かに、この魔の森じゃあ、随分と人間が行方不明になってる。それでも、それがどんな妖怪の仕業なのかは、未だに分かっちゃいねぇ。そんな妖怪相手にオレと貞光の旦那の二人がかりってだけでも奇妙なのに、そこに頼光の棟梁と季武の小僧まで加わるなんざ――」

「確かに、一見すると過剰戦力のように思えるな。これでは平安京に綱しか残らなくなる。金時はそれが不安か?」

「……いや、綱の兄貴に限ってそんなことは思わねぇよ。ただ――」

 

 貞光様は「というか季武を小僧呼ばわりするのをやめろ金時。おまえの方が年下で後輩だろう」といつも通り苦言を呈し、金時様が「オレの方が背も高いし風格も上だ」と聞く耳を持たずに首を振る中、神妙な顔で黙りこくった金時様に、貞光様は溜め息を吐きながら言った。

 

「確かに、この状況は何者かが意図して作り上げた可能性が高いな」

「!」

「……意図して?」

 

 貞光様の言葉に、金時様が目を見開く。

 僕の疑問の言葉に、今度は貞光様が焚き木をくべながら言った。

 

「そもそも、俺達の本来の仕事は平安京の――(みやこ)の守護だ。俺達はこうして都外の妖怪退治も請け負っちゃいるが、それは俺らにしか倒せない妖怪が出現した場合だけだ。……それでも、いつもなら四天王の誰かを派遣するくらいが常だった」

「……でも、今は綱様以外の全員が京の外へと駆り出されている」

「ああ。何よりも解せないのが、頼光様まで外に出ているってことだ」

 

 源頼光様は確かに平安貴族の出世街道からは外れているけれど、まちがっても僕の家のような没落貴族じゃない。

 京の外の実りのいい土地に荘園を持ち、むしろ財政難の平安京内にしか屋敷を持たない貴族よりもずっと潤沢な財を持っている。その上、ご自身が誰よりも強い力を持つ武士でいらっしゃる御方だ。

 

 何より平安京の実質的な頂点でおられる左大臣様・藤原道長様とも懇意な関係を築いている頼光様は、当然ながら滅多なことでは前線に立たれない。そんな軽い御身ではない。

 

 ご自身が所持する荘園との往復で京を出ることがあっても、今回のように京を手薄にしてまで妖怪退治に出るということは、今の御立場になってからは有り得なかった。

 

「例え、それほど凶悪な妖怪が出たとしても、出陣するのは季武の小僧と綱の兄貴であった筈で、都に残るのは頼光の棟梁の筈だ」

「――頼光様の御耳に届いたのは……妖怪・牛鬼(ぎゅうき)が出現したという報せだった」

 

 牛鬼だと!? ――金時様は腰を浮かせて驚愕する。

 僕は金時様が何故そんなにも驚いているかが分からず「……えぇと、牛鬼というのは――」と貞光様に問い掛けた。

 

「かつて頼光様が遠い東国の寺で遭遇して討伐したという大妖怪ですよね。それが再び出現したと」

「……ああ。頼光様はその報せを受けた瞬間に血相を変え、御供も連れずに一目散に飛び出していった。季武が何とか付いて行くことに成功したが……」

「……牛鬼が現れたっつうんじゃ、頼光の棟梁がそうなっちまうのも無理はねぇ」

 

 それで、どうなんだ? と、浮いていた腰を下ろしながら問う金時様に、どうとは? と貞光様が金時様の顔を見ずに問い返す。

 

「分かってんだろ。……どうなんだ? それは本物の牛鬼だったのか?」

「遠い遠い浅草寺(せんそうじ)まで向かった頼光様の御動向を俺が把握しているわけがないだろう――と、言いたい所だが」

 

 言葉を切った貞光様は、すっと己の懐を開けた。

 すると、そこから一羽の蒼い燕が飛び出して宙を舞う。

 

「それは、晴明の爺様の式神かっ!?」

「ああ。この燕が関東にいた頼光様からの伝令を届けてくれた」

 

 かの大陰陽師・安倍晴明様の式神ならば、牛車(ぎっしゃ)で数週間掛かる距離を飛び越えて届いたとしても何の不思議もない。

 

 燕が咥えて届けた一枚の手紙には、こう書かれていたらしい。

 

「頼光様曰く、浅草寺に現れた牛鬼は――『影』だったそうだ」

「影、ですか?」

「ああ。妖力がただそれらしい形に整えられて現出しただけの紛い物。当然、本物の牛鬼に及ぶべくもない。頼光様が現地に到着した時には、現地の武士達に抑えられていたらしい」

「――現地の武士に? 紛い物とはいえ、牛鬼の形を得られるだけの妖力の塊を……オレら以外の奴等がか」

 

 金時様は貞光様の言葉に驚きの表情を見せる。

 しかし貞光様は「――金時。妖怪と戦う力を持つのは、何も俺等だけじゃない」と諭すように言う。

 

「確かに、俺達は()()()()を持っている。だが、それは俺達が特別なわけじゃない。晴明様も言っていただろう。俺らのような力を持つ存在は、いつの世も存在している。そして――妖怪のような異形の存在がその力を増す時、より強く特別な力を持つ者が、より多く生まれてくるのだと」

 

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――貞光様は、己の手を見詰めながら言う。

 

 金時様も、また火を黙ってじっと見つめていた。

 

「…………」

 

 常人ならざる力を、妖怪と戦う力を持って生まれた――妖狩りの力をその手に宿す戦人(いくさびと)

 

 強き力を持つが故に、より多くの戦場を駆け続ける使命を持って生まれた者達。

 

 きっと、何も持たざる只人である僕には、想像もつかないものを抱えていらっしゃるのだろう。

 

 だから僕は、少しでもこの重い沈黙を打破すべく「……それで、頼光様達は東国からこちらへ向かっているのですか?」と話しを進める。

 

 僕の言葉に「――ああ。頼光様もそこで気付いたらしい。これは、何者かによる罠であると」と言葉を返してくださった。

 

「罠だと? それって、やっぱり――」

「ああ。よりにもよって牛鬼の紛い物を用意するということは、十中八九、頼光様を平安京から引き離す為の策だ。いくら頼光様でも、東国からここまですぐさま蜻蛉(とんぼ)帰りってわけにはいかないからな」

「ってことはよぉ。この魔の森の件も――」

 

 再び腰を浮かせる金時様に、「いや、この森で民の行方不明者が発生しているのも、先行隊として送り込んだ武士や陰陽師が姿を消しているのも確かだ。何かいるのは間違いない」と貞光様が制す。

 

「だが、これが俺達も平安京から引き剥がす策の一環っていうのも十分にあり得る話だ。つまり、俺達がやるべきことは――」

「――この森にいる何かを、できるだけ速やかに退治して、平安京へと戻るということですね」

 

 僕の言葉に「じゃあよぉ――」と、金時様が腰を下ろさずに、その黄金色の髪を掻き毟りながら言う。

 

猶更(なおさら)、ここでのんびりしてねぇで、さっさとその何とかを退治に動くべきなんじゃねぇのか、旦那。棟梁や小僧を待つなんて言ってねぇでよぉ。っていうか、棟梁達にもこんな場所に寄らねぇでさっさと真っ直ぐに平安京に戻ってもらった方がいんじゃねぇのか?」

「……そもそも、頼光様も季武様も、この前まで坂東(ばんどう)にいらっしゃったんですよね。何者かの策によって。平安京にしろ、この森にしろ、明日になんてやってこれるものなんですか?」

 

 金時様の言葉に続けて僕が疑問をぶつけると、「そこは問題ない」とまず僕の疑問に貞光様は答えて下さった。

 

「そもそも、この燕の式神を頼光様に持たせていたように、晴明様はこれが敵の策である可能性を見透かしていた。故に、こんなこともあろうかと、頼光様に長距離移動術式の術符を渡していたそうなのだ」

 

 大人数を運べるものではないらしいが、頼光様の独断専行が功を奏した形だな。頼光様と季武だけを運ぶならば問題ないらしい――と貞光様は言う。

 

「しかし、晴明様本人が扱うのとは違い、あくまで術式が込められた術符によるものだ。簡単な術ならばまだしも、ここから東国まで一気に人を移動させる術式だからな。術者本人ではない使用者が発動するとなるとそれなりに時間が掛かる。故に、早くてもここに来れるのは明日の朝となるらしい」

「だからよぉ、そんな大層な術式を使うんなら、なおさらさっさと平安京にまで飛んじまえばいいじゃねぇか。そもそも、こんな森の妖怪なんざぁ、オレと旦那だけでも――」

「――いや。そういうわけにもいかん」

 

 貞光様は、そこで初めて、子供を制する大人の声から――冷たい戦士の声へと変えていった。

 

 金時様が目を細め、僕が少し臆して唾を呑む中、貞光様は再び焚き木を放りながら言う。

 

「晴明様の御言葉だ。頼光様と季武を、俺等の援護としてこの魔の森へ送るのはな」

「……どういうことだよ。オレらだけじゃ勝てねぇってか」

「……分からん。少なくとも、すんなりとはいかない。()()()()()()()()()()だろう」

 

 ここで初めて、貞光様は立ち上がり、金時様と真正面から目を合わせた。

 そして、その身の丈以上の大鎌を抱えながら、淡々と言い聞かせるように言う。

 

「忘れるな、金時。頼光様や我々を京から引き剥がすという策が動いているならば、それは間違いなく近いということだ。『鬼』や『狐』が平安京へと攻め入る――かつてない妖怪大戦争の開戦の刻がな」

「…………」

「そして、我々はその戦争にて、五体満足で戦いの最前線を張る責務がある。こんな森の妖怪相手に負けることはおろか、大きな傷を負うことすら罷りならん。出来得る限り無傷で倒し、すぐさま京へと戻ることが使命なんだ」

 

 分かるな、金時――そう、貞光様は言う。

 

 常人よりも遥かに強い力を持つ――伝説の妖狩り。

 頼光様、そして四天王の皆様は、今では平安京に暮らす民の中で――間違いなく英雄として信仰されている。

 

 日々の暮らしに困窮し、妖怪に怯える毎日を過ごす中で、何もしてくれずに重税だけを課す貴族などよりも、直接彼等の前に出向いて、妖怪を祓って助けてくれるこの方々こそが――民衆にとっての英雄なのだ。

 

 そのことを、貞光様は理解している。

 自分達の代わりなど存在しない。自分達こそが、彼等の最後の希望なのだと。

 

 だからこそ、無闇な危険は冒せない。

 ここはまだ最後の戦場ではない。自分達は命を懸けるべき戦争は――これから勃発するのだと。

 

「夜明けを待ち、頼光様らと合流する。そして、明日の夜に決着をつける。これでよいな、金時」

「いや、よくねぇぜ、旦那」

 

 金時様の言葉に、目を吊り上げて怒声を放とうとした貞光様も――遅れて気付く。

 

 そして、貞光様が気付いて数秒して――僕でも気付いた。

 

「――――ッッッ!!!」

 

 いる――すぐ傍に。

 夜の闇の中に。

 

 自分達を取り囲む、森の黒い影の中にいて――こちらを、じっと、見ているのだ。

 

「あちらさんは、そんな悠長な策に付き合ってくれねぇみたいだぜ」

「……どうやらそのようだ」

 

 ならば、策は変更だ、金時――貞光様が、抱えていた大鎌を構える。

 

 金時様と背中合わせになり、鉞を肩に担いで笑う金時様に向かって言う。

 

「夜が明ける前に終わらす。そして、明日の夜明けにやってくる頼光様らと合流して――夜が更ける前に、平安京へと帰還するぞ」

「だからずっとオレは――」

 

 そして、金時様は。

 

 大きく跳躍し、雷を纏う鉞を、真っ黒な闇で満ちた森の中へと叩き付ける。

 

「――そっちのがいいって言ってんだろう、がッッ!!!」

 

 瞬間――雷光が伝播し。

 

 黒い夜闇を切り裂いて、妖怪退治の号砲とばかりに轟いた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 雷光が轟くのと同時に、一羽の鳥が飛び立った。

 

 それと同時に数十の妖怪達が人間達に向かって襲い掛かっていくが、鳥はそのまま逆方向へ――深い森の奥深くへと飛んでいく。

 

 闇夜に溶け込むその鳥は、(ふくろう)ではなく――(からす)だった。

 

 やがて、その烏は滑空しながら森の中へと入っていき――己を遣わせた主の元へと帰還する。

 

「――ご苦労でした。よい働きでしたよ」

 

 烏を迎え入れたのは、高い枝に腰掛ける烏頭黒翼の妖怪だった。

 黒い羽毛に覆われているが、その身体は屈強で、山伏のような服を纏い錫杖も所持していた。

 

 烏天狗(からすてんぐ)――そう呼ばれる妖怪は、遣わせた烏を労うと、自身と同様に背の高い枝に座る妖怪へと語り掛ける。

 

「どうやら、我々の目論見が外れ、明日にでも源頼光はここに到着してしまうようです。よって、予定とは異なりますが、既にかの一行への襲撃を独断にて開始してしまいました」

「…………話が違うぞ。烏天狗」

 

 否、その妖怪は枝に腰を掛けていなかった。

 どういった原理か、その妖怪は枝の裏側にまるで重力に逆らって立っているかのように、足裏を枝に吸い付けて、頭を下にする恰好で烏天狗の報告に遺憾の意を示す。

 

 その妖怪は僧衣を身に纏っているが、肉も皮も血も涙も失っている。

 剥き出しになっているのは骨ばかりであり、声帯すらないにもかかわらず、かたかたと歯だけを鳴らしながら、それでも意味のある言葉を発する。

 

 妖怪・狂骨(きょうこつ)は、感情を見せない骸骨の顔に、それでも不満を表しながら言った。

 

「本来の決行は明日の夜であった筈だ。我が手駒の数も十分ではない」

「この魔の森で亡くなった死体を、あなたが操る手駒として再利用するという案は非常に魅力的でしたが、作戦には臨機応変さも必要です。今でさえ、本来予定では一人であった筈の四天王が二人もやってきている。ここに更に四天王がもう一人、加えて源頼光まで加われば、いかに――かの、土蜘蛛(つちぐも)様といえど」

「貴様。我が主を愚弄するか」

 

 烏天狗の言葉に、いつの間にか背後へと移動していた狂骨は低い声で唸るように言った。

 己の首の後ろに突き付けられた鋭い骨の切っ先に、烏天狗は振り向く素振りすら見せずに言う。

 

「……その御言葉。やはり、今宵に至っても、我らが『姫君』を主と認めては下さりませんか」

「愚問よ。我が主はあの御方のみ。『鬼』だの『狐』だの、貴様らの好きに争うがよい」

「ですが、天下分け目の大戦は最早、目前。それは、あなた様にもよくお分かりなのでは?」

 

 それこそ、愚問よ――と狂骨は言う。

 

 眼球すら失った窪んだ眼で、ただ真っ直ぐに、己が信じる主だけを見詰める妖怪は、語る。

 

「例え、あの御方は日ノ本全土を敵に回してでも戦い続ける。相手が人間であろうと、妖怪であろうと。鬼の頭領であろうと、狐の姫君であろうと、伝説の陰陽師であろうと、最強の神秘殺しであろうとな。私はそれを傍でお支えするまで」

 

 狂骨は、いつの間にか自分達の足元、木の根元の地面を覆い尽くさんばかりに――骸骨の兵士を生み出していた。

 

 烏天狗がそれを見下ろしていると、狂骨は「――あの御方は、退屈しておられる」と語り続ける。

 

「手応えのない武士、歯ごたえのない陰陽師との戦いに、絶望のような飢餓に苦しんでおられる。いつしか静かな惰眠だけが癒しとばかりに洞窟に篭り切りになったあの方を、私は憂いているのだ。烏天狗」

「存じております」

「だからこそ、貴様の胡散臭い企みに乗ったのだ。それに応えて、貴様は頼光四天王という馳走を連れてきてくれた。感謝はしている。雑魚は些か余分だったがな」

 

 故に、これから雑魚を掃除する。貴様も手伝え、烏天狗――そう言って狂骨は、烏天狗の引き連れた部下妖怪が攻撃を仕掛けている一団に向けて、続いて己が生み出した骸骨兵団を仕向けた。

 

 一斉に骸骨達が走り出していく中、狂骨は尚も烏天狗に言う。

 

「貴様の目論見は知らん。己の『姫君』に付き従わない我が主と頼光四天王を潰し合わせるのが目的か、どうにかして我が主を己が陣営に引き入れたいのか――まぁ、好きにするがよい。我が主は貴様ら如きにどうにか出来るような御方ではない」

 

 狂骨の言葉に、烏天狗は何も返さず微笑むばかり。

 

 そして狂骨は、兵団の最後尾を務める、一際大きな骸骨兵の肩に飛び乗ると、未だ枝の上に座る烏天狗を見上げるようにして言う。

 

「だが、余り我が主を舐めるなよ。我が主が洞窟を出た際には、退屈凌ぎの相手に貴様の『姫君』を皿に載せてもよいのだぞ」

「――ご忠告、痛み入ります」

 

 最後まで笑みを崩さずに頭を下げる烏天狗。そんな彼に「……食えぬ奴だ」と吐き捨て、狂骨は闇夜の中へと消える。

 

 そんな狂骨を見送る烏天狗は――その笑みを、より醜悪に歪めた後。

 

「――さて。私も動きましょうか」

 

 漆黒の翼を広げて、真っ暗な夜の森の中へと飛び立っていった。

 




用語解説コーナー⑳

・頼光四天王

 源頼光に仕え、彼が特に重用した四人の武士の総称。
 渡辺綱、卜部季武(うらべのすえたけ)碓井貞光(うすいさだみつ)、坂田金時の四人。

 誰もがこの時代における最高峰の呪力を持つ英雄であり、文字通りの百人力の戦闘力を持つ。

 基本的には平安京の守護を請け負っている平安武者だが、彼らは他の武者と隔絶した力を誇る為に、日ノ本各地で彼らにしか退治出来ない妖怪が現れた際には、京を飛び出して地方出張に出掛けたりする。

 安倍晴明曰く、妖怪のような『異形のもの』の勢力が増していくにつれ、彼らのような化物と戦う力を持った強い人間が生まれるという。

 まるで、星が、己の上に蔓延る外敵を排除すべく、抗体を生み出すように。

 それを――人は英雄と呼ぶ。
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