比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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オレがその妖怪を、さっさと殺しちまってもいいんだろ?


妖怪星人編――㉑ 飢えた蜘蛛

 

 誘い込まれている――坂田金時は、そう察して目を細めた。

 

 焚火(あかり)に群がるように殺到した強襲に対し、先手を打つ形で夜闇に突撃した金時だったが、逃げ惑う妖怪を追撃していく内に、いつしか森の中で孤立させられていた。

 

(どうする? 来た道を戻るか? ……いや、オレを孤立させることが目的なら、この先にはオレを討ち取れるという算段の罠か――もしくは、それだけ強力な妖怪を配置している筈だ。それを真っ向から食い破ってからでもいいだろう。あっちには貞光の旦那もいることだしな)

 

 元々は、この魔の森に棲み着いているとされる妖怪を退治しにきたのだ。それも、晴明が金時や貞光だけでは心許ないと、わざわざ頼光や季武も合流させようとしているほどの。

 

 上等だ――と、金時は鉞を担ぎ、そして――その一点を睨み付ける。

 

「――出て来い。妖怪がオレを見下ろしてんじゃねぇ!」

 

 瞬間、その高枝が衝撃と共に吹き飛んだ。

 

 一斉に数羽の鳥が飛び立つ。その中に、一際大きな――黒い影があった。

 

「ほほう。殺意を衝撃として飛ばすことが出来るとは――聞いていた以上に『こちら側』ですなぁ。坂田金時殿」

 

 ただでさえ少ない月明りを遮るように、金時の真上を飛ぶ影は、一応は人の形をしていた。

 両腕があり、両足がある――しかし、それは嘴を持っており、羽毛に塗れており、背中からは黒翼が生えていた。

 

 金時は鉞を帯電させながら「……誰だ、テメェ」と問い掛ける。

 

「我が名は、妖怪・烏天狗。『狐の姫君』にお仕えする、しがない下っ端妖怪でございます」

 

 妖怪が名乗るのと同時に――再び、虚空に衝撃が轟いた。

 物理的な衝撃を伴う殺気。今度は雷も添えて金時はそれを放ち、烏天狗がいた座標にぶつけたが――。

 

「頼光四天王・坂田金時殿。妖怪がお嫌いなのはお察ししますが、まずは話し合いましょう。その為に私は、貴殿を招待したのです」

 

 烏天狗は、いつの間にか金時の背後を飛んでいた。

 金時は「……『狐』の妖怪か。じゃあ、これは噂の『姫君』の企てってことかよ?」と、ゆっくりと振り向きながら、目を眇める。

 

 こいつは、強い。少なくともただの下っ端ということは有り得ないと。

 

(……妖気って意味じゃあ、そこまで強いものは感じねぇ……が、だからこそ、不気味だ)

 

 金時は警戒心を更に引き上げていると、烏天狗は「そうであるといえますし、そうでないともいえますな」と烏頭に笑みを浮かべながら言う。

 

「正直に白状いたしましょう、坂田金時殿。貴殿に――この先の洞窟に坐わす、とある妖怪を退治していただきたいのです」

 

 そう言って、烏天狗は闇夜の森の奥を指差す。すると、烏天狗が指さした先に――怪しげな種火が出現した。

 次々と、まるで道を照らすように、紫色の不気味な種火は森の奥へと続いていく。

 

「…………どういうことだ?」

 

 引き上げた警戒心を更に引き上げ、より強く烏天狗を睨み付ける金時。

 烏天狗はそんな覇気を受けながらも、涼しげにつらつらと言の葉を連ねる。

 

「貴殿はさきほど、私がここにいるのは狐の姫君の企みではないかと問いましたが、それに正確にお答えしましょう。我々の目的は――貴殿ら頼光四天王と、件の妖怪をぶつけることなのです」

「その妖怪にオレ達を潰させようってことか」

「無論、それに越したことはありません。しかし、貴方達がかの妖怪を退治していただいても、それはそれで我々としては歓迎すべきことなのです」

 

 烏天狗の言葉を理解しきれない金時に、烏天狗は「端的に申し上げるならば――」と、その人間のような指を立てながら言う。

 

「この先の洞窟にいる妖怪は、我々『狐』の配下の妖怪ではないのです。かといって『鬼』というわけでもない。今、この日ノ本において数少ない、どちらの配下にも属していない第三勢力――否、独立勢力の妖怪なのです」

 

 無論、そういった妖怪もいないわけではないのですが――と、烏天狗は。

 

 何かに引き摺り込むように、金時に向かって語り続ける。

 

「その妖怪は、無造作に放っておくには、無軌道に独立させておくには、余りに危険なのです。味方に引き入れられないのであれば――いっそ、殺してしまいたい程に」

 

 偏に――その妖怪が、強過ぎるが故に。

 烏天狗は、民衆の英雄が、()()()()()()()()()()()()()が、決して無視することのできない、その言の葉を打ち込むようにぶつける。

 

「…………」

 

 金時の鉞を握る手に力が入ったのを見逃さず、妖怪は更に深く、引き摺り込むように続けた。

 

「故に、私達『狐』といたしましては、貴方がたが勝とうが、その妖怪が勝とうがどっちでもよいのです。強いて言うならばできるだけお互い削り合っていただけるのが最上ですな。私達が漁夫の利をいただけるように」

「……なら、どうしてお前はここにいるんだ?」

 

 金時は、しばらく閉じていた口を開き、烏天狗に問い掛けた。

 

「お前はオレ達とその妖怪を潰し合わせたいらしいが、この森では明確に人間の被害が出ている。なら、遅かれ早かれオレ達はその妖怪を退治する為にここに駆け付けていた。お前達が何をしなくともな」

「それでは遅すぎるのです。後顧の憂いを断つには、今、この時機が最後でした。ええ、我々もそれに越したことはなかったのですが、あの妖怪が予想外に大人しく、そして、あなた達が予想外にもたもたしていた。だからこそ、我々が――私が一肌脱いだのです」

 

 烏天狗は言う。

 首を傾げる金時に――妖怪に相応しい、醜悪な笑みを持って。

 

「この森に人間達を引き込んだのは私です。あなたが言う、この森で続発している人間の被害は私が生み出した――殺し潰したものです」

 

 英雄(あなたがた)を、こうして招き寄せる為にね――バチィンと、今度は雷が放たれた。

 

 音をも超える、正しく光速の一撃も、烏天狗を射抜くことは出来ない。

 金時は瞬間的に血が昇った頭で、こうして自分の目の前にいる烏天狗は、妖怪が放った幻像なのだと把握していた。

 

 本体は――祓うべき悪は、今もこの森のどこかで、一方的に金時の姿を見据えている。

 

「それが、私と彼らとの契約なのです」

 

 再び現れた黒い影。

 月光を遮る烏は、雷を纏う英雄に向けて、滔々と語る。

 

「かの妖怪は、強き者との決闘に飢えておられる」

 

 その妖怪は――余りにも()()()()と。

 

「かの妖怪は強かった。それ故に、戦いを愛し、激闘を求め、死闘を生き甲斐としていた。しかし、それ故に――弱者との戦闘に、人間との戦争に、嫌気が差していたのです」

 

 その妖怪にとって、人間とは余りに弱く、余りに脆く――余りにつまらない存在だった。

 

 故に、彼はいつしか人間を襲うことも止めて――暗い洞窟に引き籠るようになってしまったと。

 

「それでも、彼が強過ぎる妖怪であるということは変わりない。そして、その強さ故に誰かに従う、仕えるということが致命的に向いていなかった。彼が求めるのは、あくまで強き者との戦闘のみ」

 

 そうして、『狐』の妖怪からの使者すら返り討ちにした彼は、四六時中、惰眠を貪り続けた。

 憎き太陽が昇る昼も、妖怪であるにも関わらず夜に起き上がることすらせずに。

 

 彼の強さに心酔し、彼に付き従うことを己が全てと定めたとある妖怪が、そんな現状を憂うようになるのは時間の問題だった。

 

「そこで私は、彼と、そして彼に仕える者と、とある契約を結びました。それこそが――彼と、そして彼の退屈を晴らすことの出来る強き者との決闘の場を整えること」

 

 そして、選ばれたのが――この日ノ本にて知らぬものはいない、妖怪退治の専門家(スペシャリスト)、民衆の英雄、英雄であり続けなければならない青年。

 

 坂田金時は、己を指差す烏天狗に向けて――再び雷光伴う殺意の衝撃を飛ばす。

 

「――あなたを送り届けた後は、私は先程のあの場に戻り、雑魚を掃除します。そうすれば碓井貞光殿も、あなたの援護に駆け付けるでしょう」

 

 闇夜を切り裂く閃光が晴れると、再び金時の後方の上空から妖怪の声が響く。

 一体、何体の幻影を生み出すことが出来るのか。金時は舌打ちしながら振り向いた。

 

「――ですからどうか、それまでは持ち堪えていただけると助かります。私の契約不履行になってしまいますので」

「……………」

 

 ザバッ、と、幻影が切り裂かれる。

 振り向き様に放っていた鉞が烏天狗の影を貫いたが、ゆらゆらと影は揺れるだけで、その醜悪な笑みは健在だった。

 

 くるくると回転しながら、この世界でたった一人の使用者の元へと帰ってくる鉞を、金時は影に背を向け――種火の道へと向かいながら受け止めた。

 

「――お前の口車に乗ってやる。お前の掌の上で好きなように転がってやるよ」

 

 この先に、その引き籠り妖怪はいるんだろう――と、金時は鉞を担ぎ、妖怪が齎した灯りのみが照らす魔の森へと足を踏み入れる。

 

 烏天狗の笑みがさらに醜悪に歪む中――金時は。

 

「だが、最後まで――お前の思う通りに行くとは思うなよ」

 

 闇に消える前に、一度だけ振り返り――妖怪に向かって「テメェ、さっき言ったよな」と、獰猛な笑みを浮かべて言う。

 

「オレがその妖怪を、一人でさっさと殺しちまってもいいんだろ?」

 

 烏天狗は、英雄のその言葉に――ニヤリと、楽しげに笑い。

 

「ええ――期待していますよ。『足柄山の龍鬼』殿」

 

 その禁じられた忌み名を口にした烏天狗に――金時は轟雷を落とす。

 

 本当に天から雷が落ちたのかと見紛う程の一撃を背に、金時は闇の森へと消える。

 

 恐らくはこれでも殺せていないであろう妖怪に、金時はぼそりと小さく呟いた。

 

「――精々、人間を見縊ってろ、妖怪」

 

 貞光の旦那だけじゃねぇ――と、金時は。

 

 無防備に晒す背中を、その大きな背中を、妖怪に向けながら言う。

 

 その背中を預けたのは、同じ四天王の英雄だけじゃない。

 

「――オレの仲間に、雑魚なんて一人もいねぇよ」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「――ふむ。これで雑魚は粗方、掃除し終えたか」

 

 僧衣を纏った骨の妖怪・狂骨は、背の高い枝の上でそう呟いた。

 

 眼下に広がるのは、無数の骸骨に囲まれた、同じく僧衣を身に纏った大男。

 

「貴様が、頼光四天王などと大層な呼び名を持つ人間――碓井貞光で相違ないか?」

「……いかにも。拙僧が碓井貞光だ」

 

 そうか、喜べ、人間――と、狂骨は骸骨の包囲網の一点、己が立つ高枝の真下を開けて言う。

 

「この先に、強者を求める御方が待っている。貴様は強いのだろう? ここを通ってよいぞ――許可する」

「……なるほど。それで雑魚、それで――掃除、か」

 

 貞光は狂骨の言葉に理解を示したように頷き、頭上の妖怪に問い掛ける。

 

「この強襲は、その待っている御方とやらに見合う強者を選別するもの、ということかな」

「正確には、ここに来ているという頼光四天王とやらを見つけ出す為のものだな。私には人間共の個体認識など出来ん」

 

 だから、こうして掃除をした――と、狂骨は言う。

 

 蠢く骸骨の群れ。その足下には、()()()()()()があった。

 

「…………」

「コイツ等は、魔の森(ここ)に迷い込んだ人間達の死体を、私が妖力を込めて傀儡にしたものだ。自由意志などない。ただの人形に過ぎない。こんなものに踏み潰されるような弱者、こんなものから逃げ出すような雑魚など――あの御方に捧げるに値しない」

 

 故に、もし、誰もここに残らなければ、頼光四天王とやらが混ざっていようと、全員を失格とするつもりだった――そんな狂骨の言葉に、貞光は何も答えなかった。

 

 今もざわざわと蠢き続ける骸骨に、踏み潰され続ける同胞へ、一度だけその目を向けた貞光は、高みから見下ろす妖怪に言う。

 

「それで、拙僧は合格を頂いたわけだ」

「とはいえ自惚れぬなよ、人間。あくまで雑魚ではないと判じたまでだ。我が主に見合う強者など、日ノ本広しといえど存在するとは思えぬが――我が主の退屈を紛らわすことくらいは出来よう」

 

 そして、せめて、あの洞窟から外に出る切っ掛け程度にはなってくれたら、と、狂骨は思うが、口には出さない。それを誤魔化すように「――分かったなら、さっさと行け。あの御方をこれ以上、待たせるな」と吐き捨てる。

 

 貞光は、そんな狂骨の言葉に。

 

 ゆっくりと、その手に持った――大鎌を構えて。

 

「――――――」

 

 一閃。

 体全体を使って、大きく横凪ぎし――骸骨の包囲網を切り裂いた。

 

(――――すまぬ)

 

 貞光は心中で、たった一言。

 自分が助けることが出来なかった人間に――切り裂いた骸骨なのか、それとも踏み潰された同胞へなのか、たった一言、誰にも聞こえることのない懺悔を零して。

 

 己を取り囲んでいた死の囲いを、()()()()()()()()()()()()()

 

「……何の真似だ」

 

 狂骨は人間の蛮行に、カタカタと鳴らした歯から低い声を漏らす。

 貞光は妖怪の質問に、かかっと不敵な笑みを漏らして返した。

 

「折角の誘いだが、断らせてもらおう。今、拙僧はその道を進むわけにはいかぬ」

「……怖じ気づいたか、人間。未だ姿すら見ぬ我が主に」

「如何様に受け取ってもらっても構わぬが、拙僧がすべきことは、おぬしの主というその妖怪の退屈を紛らわせることではなく――貴様をここで止めることだ」

 

 貞光は、骸骨の群れが晴れることで鮮明に露わになる、グチャグチャに踏み潰された同胞の死骸に目を細めて、己を見下ろす妖怪を見上げる。

 

「拙僧がここを離れたら――貴様、彼らの後を追うであろう?」

 

 貞光は、この骸骨の包囲網を形成される際、己と、そして地に転がる五名の同胞が身を挺して逃がした、残る二十五名の同胞を思った。

 

 自分を主の元へ送ったら――この目の前の骸骨は、残された仲間を、殺しに行くだろうと。

 

「――無論だ。万が一、貴様らの後を追いに戻ってこられて、我が主の戦いに水を差されでもしたらどうする? 駆除は徹底的にすべきだ。人間(ムシ)一匹たりとも逃がすことはせぬ」

 

 これは、我が主にとって久方ぶりの戦闘(ごらく)なのだ――そう語る狂骨に、己の肩に大鎌を戻しながら「――なら、拙僧の相手はおぬしだ。おぬしをここで止めることが、命を張った彼等に報いる、拙僧の務めだ」と言う。

 

「――下らぬ」

 

 骸骨の僧は、森の闇の中に妖力の糸を伸ばした。

 そしてグイッと引っ張り出すのは――無数の骨により形成された怪物だった。

 

 使用した()()は十、二十の人間ではないだろう。

 森の中で暮らす獣や、そして他種族の妖怪も含まれているようだ。

 

 背の高い木々で形成された森とはいえ、今までどこに隠れていたのだと思うような、それは巨大な骨獣だった。

 

「私程度、さっさと殺せると思ったか。先程も言ったが――自惚れるな、人間」

「……おぬしの話じゃあ、その主様(あるじさま)は弱者に用はないんだろう。ならば、拙僧が証明して見せよう」

 

 大鎌を構える僧兵は、その醜悪な怪物を前にしても、尚も不敵に笑って宣言する。

 

「ご自慢の切り札(とっておき)と、それを操るおぬし自身をあっさりと屠り――拙僧が貴様の主を退治するに相応しい強者だと」

 

 その、自分はおろか、己の崇拝する主すら軽んじるような僧兵の言葉への怒りを――狂骨の怒りを、代弁するように、骨獣は吠えた。

 

「――――――ォォォォォォオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 狂骨と同じく、震わせる声帯も発声器官も持たぬ筈の骨獣の咆哮。

 吹き散る唾液すらも幻視出来るような迫力のそれを真正面から受けても――僧兵の不敵は止まらない。

 

「……それに、案外、拙僧が出向くまでもないかもしれぬぞ」

 

 表情を浮かべる筈もない骸骨の面を、それでも苦渋に染めているのだろうと伝わる程の怒気を放つ狂骨に、貞光は言う。

 

「そちらにはもう金時が向かっている筈だ。アヤツが行くのだ。一人で片を付けていても、拙僧は何も驚かぬよ」

「たかだか人間一人に、我が主が――負けると?」

 

 嘗めているのかッッ!!! ――と、今度は骨獣と共に吠える狂骨に。

 

 嘗めているのはどっちだ――と、貞光は、笑う。

 

「妖怪ごときに、アヤツが負けるものか」

 

 金時は――強い。そう、笑みを消して断言し。

 

 そして、殺せッッ――と、己が作品に対して命ずる骸骨の僧に、命を受けて己に向かって襲い掛かってくる骨獣に。

 

 大鎌の僧兵は、民衆の英雄と同じ言葉を口にした。

 

「それに――あまり、人間を嘗めるなよ、妖怪」

 

 その必殺の大鎌を、数多の妖怪を退治してきた得物を――()()

 

「ッ!?」

 

 骨獣の突進を受け止め、両腕の筋肉を膨れ上がらせ――()()

 

 巨大な骨獣を、高枝の上から自分達を見下ろす、妖怪に向けて。

 

 これ以上――己の後ろで眠る、同胞の死骸を辱めまいとばかりに。

 

「拙僧の仲間に、雑魚などいない。我が身を盾に同胞を逃がした彼らも。そして――」

 

 己が役割を察し、その務めを果たそうと駆け出した彼らも――と。

 

「私の仲間を、侮辱するな」

 

 碓井貞光は――その静かな怒りを、決闘の号砲として放った。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 涙が横に流れる。噛み締めた唇から血が滴り落ちる。

 

 それでも――後ろだけは振り向かない。

 ただ、前だけを向いて――目の前の妖怪の壁を破るべく、その槍を突き出した。

 

 そして、妖怪の悲鳴を掻き消すように、僕は腹の底から怒声を発する。

 

「足を止めるなッ!! 味方の背中を守りながら進めッ!!」

 

 既に骸骨の群れはいない。

 目の前に立ち塞がるのは、種々雑多な小物妖怪の群れ。

 

 コイツ等ならば、陰陽師の呪力が込められた武器が通用する。

 単純な腕力が必要だった、あの人間の死骸の傀儡ではない。経験の浅い部下達の心に葛藤や躊躇を生むものではない――妖怪だ。

 

 それならば、僕たちは進める。

 武器を振るえる――殺せる。戦える。

 

「諦めるなッ! 生きて帰るぞッッ!!」

 

 骸骨の妖怪は、きっと貞光様が倒してくれる。

 魔の森の主も、きっと金時様が殺してくれる。

 

 だから、僕は、僕の出来ることを。

 脆弱な僕たちには出来ないことを――英雄は成し遂げてくれる。

 臆病な僕たちには出来ないことを――先輩たちは、引き受けてくれた。

 

 未来ある僕たちを。未来しかない若者(ぼくたち)を、逃がす為に、その身体を張って、その命を捧げてくれた、あの五人の英雄(せんぱい)たちの想いに応える為にも。

 

 僕たちは戦う――僕たちは、逃げる。

 

 この部下達(みらい)を守ることが、僕の妖怪退治(たたかい)なんだ。

 

「何としても生き残れッ! この森を抜けるんだッ! 朝になれば頼光様達がやって来るッ! あの方達を出迎え、援軍に送ることが、僕達の――辿り着くべき勝利だッッ!!」

 

 僕の声に、部下達は声を上げて応える。

 

 平安武士の――寿命は短い。

 僕の父のように、何の才覚も計画もなく、その道に足を踏み入れる愚者はもちろんだが――もっと単純な理がある。

 

 人間は――弱い。

 本来ならば、人間は妖怪になど勝てる筈もないのだ。

 

 神秘殺し・源頼光様や、妖怪の天敵・安倍晴明様。

 坂田金時様ら四天王の方々が――特別なだけで。

 

 異常な、だけで。

 人間は弱い。脆弱で、臆病で、涙が止まらないほど悲しいことに、血が出るほど悔しいことに――弱い。

 

 皮膚が刀を弾くほどに固く、人間の身体を容易く貫く牙や爪を持ち、常識が通用しない特性を備え、澱んだ妖気と人間の恐怖だけを材料に無限にその数を増やす――妖怪に、人間なんかが勝てる筈もない。

 

 それでも――きっと、死にたくなかったから。

 だからこそ、その知恵という武器だけで、陰陽術や呪力というものを見出し、編み出し、鍛えて、その身を守る(すべ)を手に入れてきたけど。

 

 一部の英雄を除いて――その頼りない武器を振るうには、扱うには、人間という生き物は余りにも、弱すぎて。

 

 だからこそ、その数をみるみる内に減らした。

 陰陽師も、平安武士も――妖怪に立ち向かう、勇気ある者達こそが、率先して死んでいった。

 

 今も、僕らの為に道を繋いでくれた、偉大なる先輩が骸骨に蹂躙されたように。

 

 いつの間にか、大江山の鬼退治の時に――父や一族の屍の中に隠れて無様に生き延びた、僕のような臆病者が。

 

 この一団の首脳会談に()()()()()()()()()()()

 この未来ある新参者(わかもの)達を、その背中で()()()()()()()()()()()()()

 

 人間は――弱い。

 

「…………ッ!」

 

 重い。余りにも重い。

 身の丈に合っていない重責だ。嫌な汗が止まらない。槍を持つ手が無様に震える。

 

 僕は――英雄じゃない。

 いつ死んでもおかしくない凡人だ。

 この予め呪力の篭った武器がなければ妖怪を殺すことも出来ない――どこにでもいる、ただの人間だ。

 

 あの人のようにはなれない。あんな大きな背中を見せることは出来ない。

 

 それでも――僕は。

 

「陰陽師を中心に円を作れッ! 彼が術を発動する時間を稼ぐんだッ! その術の発動を合図に、一気にこの包囲網を抜けるッ!!」

 

 強く――なりたい。

 

 父を、祖父を、叔父を――誰一人として、一族を守れなかった僕だけれど。

 

 それでも、まだ、僕には家族がいる。

 帰りを待つ母が――守るべき、妹がいるんだ。

 

 脆弱な僕だけれど、臆病な僕だけれど、余りにも頼りない――小さな背中の僕だけれど。

 

 せめて、家族にとっては――英雄でありたい。

 立派とはいえなくても、相応しい当主でありたい。

 

 いつか、僕こそが一家の主だと、胸を張って、大きな背中を見せたいから。

 

「――戦えッッ!!!」

 

 渾身の力で、槍を突き出す。

 妖怪の頭部が吹き飛び、鮮血が舞う。そして、背後から合図の声が響き、倒れ込むように道を開けた。

 

 炎を纏う突風が吹き抜ける。

 陰陽術によって放たれた呪力の奇跡によって――妖怪の包囲網に穴が空けられる。

 

「今だっ! 妖怪に止めをなんて考えるなッ! 朝が来ればコイツ等は闇に帰る! 今は一人でも多く生き残ることを考えろっ!」

 

 僕は先陣を切るように、その穴を抜け、森の闇の中に突っ込んでいく。

 

「走れっ! ――生きろっ!!」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 その弱き人間達の奮闘を――その妖怪は文字通りの高みから見下ろしていた。

 

「……………なるほど」

 

――オレの仲間に、雑魚なんて一人もいねぇよ

 

 漆黒の翼を持つ妖怪・烏天狗は、かの英雄の言葉を反芻して、素直に感嘆していた。

 

「あくまで念の為でしたが、なるほど、戻ってきて正解だった。私が連れてきた雑兵では、彼らは止められそうにない」

 

 幹部ですらない烏天狗が連れて来ることが出来る妖怪などたかが知れているとはいえ、れっきとした『狐』勢力の戦闘要員だ。

 

 彼らと狂骨の『死骸傀儡』を持って数の力で強襲を掛けて、雑魚を排除し、四天王だけを『土蜘蛛』へと献上する計画だったが――。

 

「……ここで彼らが森を抜け、源頼光らを()()()()()引き連れて戻ってくるようなことがあれば、流石の土蜘蛛といえど厳しいでしょう。無論、私としてはそれでも一向に構わないのですが――」

 

 烏天狗は、烏頭に醜悪な笑みを浮かべる。

 本来ならば磨り潰す予定だった人間共だ。金時も契約通りに土蜘蛛の元へと送り届けた――ならば、少しくらいは、()()()()()()()()()()()()

 

(――私にとっては、()()()()()()()()()()ですからね)

 

 そして、烏天狗は、羽織っていた着物の懐へと手を伸ばして――とある巻物を取り出す。

 

 まるで陰陽師が式神を封じるような、術符によって封をされているそれを――開く。

 

 眼下で集団を率いる、その名も知らぬ一人の青年へと目を向けて。

 

「さぁ――これで計らせていただきましょう。あなたの――」

 

――英雄としての、可能性(うつわ)を。

 

 そして、頼りない月光が照らす暗き森に。

 

 一体の『鬼』が――愉悦の笑みと共に放り込まれた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 その場所は、月明りすら拒む闇で満ちていた。

 

 しかし、その場所に一歩、男が足を踏み入れると、これまで森の中をそうしてきたように、道標の妖しい種火が、ぼっぼっぼっと洞窟内を照らしていく。

 

 その火はやがて、洞窟の最奧の寝床にまで届いた。

 一段高い場所にあるその寝床の両端に用意された篝火に、一際大きな炎が咲く。

 

 妖しく照らされるのは、巨大な(シルエット)だった。

 何本もある腕を頭の下に敷き、見るからに退屈そうに横になっている。

 

 まだ眠りたいのに、無理矢理日光をぶつけられたように。

 その影は不機嫌を隠そうともせず、ゆっくりとその巨体を起こす。

 

「――狂骨。起こすなって言ったよな。少なくともあと千年くらいはよぉ」

 

 ガシガシと、一番上の左腕で頭を掻く。

 その怪物には――左腕が三本存在した。

 

 右腕も三本。二本の足を含めると――八本の八肢(あし)を持つ、その怪物は。

 

「――つれねぇこと言うなよ。こっちは引き籠りのガキと遊んでくれって頼まれたから嫌々来てやってんだぜ」

 

 その狂骨って奴は知らねぇけどな――そう、背に浴びせられる声に「――アァ?」と振り向くと。

 

 眼前に――雷光が迫っていた。

 

 怪物は反射的に、あるいは鬱陶しそうにその雷を頭を掻いた手で受け止めて――弾かれた。

 

「――――ッ!?」

 

 弾いたのではない。弾かれたのだ。

 それは怪物が思っていたよりも、その挨拶代わりの雷の威力が高かったことを示していた。

 

 ビリビリと、雷という意味だけでなく、衝撃という意味で痺れている己の掌を見詰める怪物は――その醜悪な相貌を来訪者へと向ける。

 

 ぎょろぎょろとした複眼が、巨大な牙が――その男へ向けられた。

 

「…………テメェ、誰だ? オレぁ――土蜘蛛(つちぐも)だ」

 

 ゆっくりと、だが確かに――歓喜の色を滲ませて。

 

 その寝台から巨大な足を下ろして、名乗るに値する不躾な侵入者を歓待する。

 

 己よりも一回りも二回りも大きい、この広い洞窟を一気に狭く感じさせる迫力を放つ怪物――妖怪に。

 

 鉞を担いだ英雄は、妖怪に名乗る名などないと、いつものように告げようとして――笑う。

 

「オレは金太郎――いや、源頼光が臣下、四天王が一人――坂田金時」

 

 英雄は――人間は。

 

 同じく、歓喜に震えながら、堂々と名を返した。

 

「――――ッ!!」

 

 それは久しく感じることのなかった――紛うことなき、昂りだった。

 

 全身の血が沸騰するような興奮。妖怪への憎悪よりも勝る――圧倒的な、歓喜。

 

 ああ――今の自分はきっと、見るに堪えない表情をしているのだろう。

 

 英雄足らんと、英雄にならなければならないと――己を律する理性を吹き飛ばす、己に刻まれた根源。

 

 ()()()()()()()()()()()()()と戦える――殺し合うことの出来る、昂揚。

 

 そして、初めて出会えた――その歓喜を、分け合うことが出来る、同類の存在に。

 

 坂田金時は、笑う。そして――。

 

「行くぜ、妖怪(バケモノ)――ッ!!」

「――来いや、人間(バケモノ)ッ!!」

 

 地を蹴り、跳び上がり、鉞を振りかぶる。

 大気を震わす雷光を纏わせ、それを落雷の如く振り下ろした。

 

 迎え撃つは、三発の右拳。

 巨大な体を存分に捩じり、それを大砲の如く振り放った。

 

 激突――洞窟の隅々まで衝撃を走らせた、その邂逅は、この上なく示していた。

 

 

 出会うべくして出会った――けれど、けして出会うべきではなかった。

 

 彼らは、きっと、そんな妖怪(バケモノ)と、英雄(バケモノ)だったのだと。

 




用語解説コーナー㉑

・妖怪第三勢力

 この時代の妖怪勢力は、『鬼』と『狐』に大きく二分されている。

 だが、かといって全ての妖怪が、この両者のどちらかに属しているというわけではない。

 鴨桜ら『百鬼夜行』も無論だが、平安京の闇の中で息を殺して潜んでいる『平和主義者』たちもそうだし、日ノ本の地方各地の神秘郷に隠れ潜んでいるものらも存在する。

 そんな中で土蜘蛛は、第三者ならぬ一匹狼を貫いている。
 鬼からも狐からも隠れ潜むことなく、その姿を堂々と晒して、その強さを威風堂々とひけらかしていた。

 鬼のみを同胞とする『鬼』は彼に干渉しなかったが、所属妖怪を問わない『狐』は当然ながら彼にコンタクトを取り、スカウトを行った。

 が――見事に返り討ちにされた。

 そんなわけで、土蜘蛛は『狐』から要警戒対象としてブラックリストに載せられ、どうにかしてこいと烏天狗に指令が下った。

 そんな彼が選んだ手段が、魔の森に頼光四天王を招き寄せての、決戦のセッティングであった。
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