比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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私は、あの子に救われたのです。


妖怪星人編――㉓ 足柄山の金太郎

 バキッ――と、貞光が首に巻く数珠、その玉の一つに罅が入る。

 

(――封印が、外れかけている?)

 

 表情を険しく引き締める貞光は、金時が向かったであろう洞窟を――高い木の天辺から見遣る。

 

(それほどの相手か。妖怪――土蜘蛛は)

 

 罅割れた数珠は一粒――恐らくは四肢の一本は『龍化』しているであろう、四天王の末弟。

 

 碓井貞光は――坂田金時という少年と出会った、その日を回顧する。

 

(あの男を我らが源氏一門へと引き入れたのは、他ならぬ私だった)

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 それは、源頼光という男が当代一の妖狩りとして全国へ名を轟かせ始めた頃。

 

 足柄山に妖怪が出没しているという現地人からの要請を受け、京から向かったのが碓井貞光だった。

 

 そして、深い山中で貞光は山小屋を発見する――その中に、一人のやつれた山姥(やまうば)が居た。

 

 山姥の名は――八重桐(やえぎり)と言った。

 

 武装した貞光という大男を一目見た時、八重桐は全てを悟ったのだろう。

 わざわざご足労を掛けて申し訳ないと頭を下げると、貞光を小屋の中に招き入れてもてなした。

 山姥というには余りにも美しい所作、そして覚悟を決めたその態度に、貞光も腰を下ろした。

 

 八重桐はそんな貞光に感謝し、そして、こう繰り出した。

 

――私には、息子がいるのです。

 

 その言の葉を皮切りに、山姥は己の生涯を語り出した。

 

 八重桐は、元々平安京に住んでいた。とある彫刻師の娘だった。

 彼女の父は、それはそれは腕のいい職人で、その生涯において何体もの素晴らしい仏像を作り上げていた。平安京でも評判の男だったが――とある日、そんな彼の下に検非違使が訪れ、親子に向かってこう言った。

 

 貴様が作った仏像が、夜な夜な動き出し、罪なき民を襲っている――と。

 

 男は何かの間違いだと訴えたが、実際に男が仏像を納めた寺院を巡っても、そこに男が彫った像はなく。

 

 やがて、男は目撃する――自分が生み出した仏像が、意思を持ち、独りでに動き出して、男が手に持たせた法具で人を殺めている姿を。

 

 己が生み出した、己の手で作り上げた仏像が――妖怪となった、その姿を。

 

 男は娘を連れて逃げた。

 検非違使の追手を必死で振り切った親子は、やがて男の腕に心酔していた寺の僧によって匿われることとなった。

 

 娘は必死に父を慰めた。

 父にそんなつもりはなかったことは分かっている、きっと妖怪がたまたま父の仏像に乗り移っただけだ、父は悪くない、みんなきっと分かってくれる――だが、そんな娘の言葉は、父には届かなかった。

 

 男は既に魅入られていた。

 

 虐殺を働く己の仏像の姿に。

 自分が作り上げた作品に――命が吹き込まれる、その外法の奇跡に。

 

 やがて男は、匿われた寺院の蔵の中で、再び仏像を彫り始めた。

 娘の声も届かぬままに、これまでの最高傑作を生みだした父は――闇に向かって祈った。

 

 どうか再び私の『子』に――命を吹き込んでくだされ、と。

 

 どうか、どうか、私の『子』を――妖怪にしてくだされ、と。

 

 そして、祈りは通じた。

 男の願いを叶えるべく――闇の中より現れた、その黒き影は。

 

 真っ黒な――愉悦の笑みを浮かべて。

 

 男の『子』を――()()()()()()()()

 

 この上なく醜悪な――()()()()()()()()()()()

 

 娘・八重桐が目を醒ましたのは、身体を造り変えるような激痛から解放されたのは――真っ暗な蔵が真っ赤に染まった後だった。

 

 自らを妖怪へと変えた黒き影は消え去り、自らを妖怪へと貶めた父は――山姥と堕ちた自分が食い散らかしたのだと気付いたのは、ぐちゃぐちゃに転がる父であっただろう死体と、べとべとに汚れた己の手と口が証明していた。

 

 娘は絶望した。

 この世のモノとは思えぬ絶叫を上げながら蔵を、寺を――平安京を飛び出した。そして、宛てもなく日ノ本を彷徨い続けた。

 喉が渇き、湖へ顔を突っ込んで――自分の顔が醜い老婆へと変わっていること知って、八重桐は再び絶望し、絶叫した。

 

 それからは、ずっと真っ暗な日々だったと、八重桐は語った。

 

 妖怪が跋扈する山の中を彷徨い、自分を襲う妖怪から逃げ回り、同胞だった筈の人間に怯えられ――悲しみの余り、荒れ狂う感情を抑えきれなくなり、無辜の民を襲って食べてしまったこともあったとも独白した。妖怪の中には、こんな自分を受け入れて、優しくしてくれたモノもいたとも。

 

 そして、絶望することにも飽きてしまった、とある日――八重桐は、とある妖怪の集落で小耳に挟んだという。

 

 足柄山(あしがらやま)という霊峰には――『天』の国と繋がる神秘への入り口があり、そこに居る『神』という存在と謁見出来れば、どんな願いも叶えてもらうことが出来ると。

 

 その笑ってしまうような流言飛語は、既に絶望するにも疲れて一歩も動けなくなってしまった八重桐の足を――再び動かす唯一の希望となった。

 

 山姥は、何日も、何か月も、何年も、足柄山を彷徨い続けた。

 あるかも分からないそんな扉を、存在しているかも怪しい『神』とやらに縋り続けて。

 

 ひたすらに俯きながら、もはや慣れ親しんだ絶望に暮れながら、行く先も見えない真っ暗な山の中を――ただただ最高に都合のいい、甘い甘い『奇跡』だけを求めて。

 

 だからこそ――なのか。それとも、何の救いでもなく、ただの偶然なのか。

 

 山姥は――その『奇跡』の瞬間に立ち会うことが出来た。

 

 八重桐は言う。その日は、酷い嵐の夜だったと。

 人間達はおろか、普段は縄張り争いを繰り広げている足柄山の凶悪な妖怪達も出歩かないような、この世の終わりとも思える嵐の中。

 

 その日も死んだように徘徊を続けていた彼女は――『()()()()()()()()()()、『()()()()()()()()()()()

 

 引き寄せられるように、雷が落ちた場所に向かって山姥が駆け付けると――何かを(くぐ)るような、空気の感触が変わる一瞬を経て――それは目の前に現れた。

 

 そこには――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 八重桐は語る。それは何故、あんな近くまで行かなくては気付かなかったのか不思議なほどに大きな怪物だったと。

 否――怪物ではないのかもしれないと。その存在は、余りにも自分とは存在感(スケール)が異なる生物で。

 

 正しく、住む世界が違う、存在する次元が違う――恐怖よりも、まずは拝謁出来たことに感謝を覚えるような、神々しさを放っていたと。

 

 山姥は、それを見た瞬間、地に伏せり、頭を下げた。

 一目見て、それが――『神』だと悟り、八重桐は感涙に咽び泣いた。

 

 

――ほう、まさか、この神秘郷(ばしょ)に迷い込むことが出来るものがいるとはな

 

 

 それは『声』ではなく、自分の心に直接『思考』を流し込むような御業だったと、八重桐は語った。

 

 この『龍』は、『言語』というものを必要とすらしていない。

 そう悟った八重桐は、反射的に――願っていた。

 

 偉大なる『赤龍』に対して『畏れ』を感じながらも、それでも、止めることは出来なかった。

 

 八重桐は、ただその願いの為に、屍者のように死地である足柄山を徘徊し続け、こんな場所にまで迷い込んだのから――あるいは、この女のその惨めな執着こそが、圧倒的な絶望と未練こそが、この女と赤龍を引き合わせたのではと、貞光は思考したが。

 

 とにかく、八重桐は、『赤龍』を――『神』に等しいと悟った存在を前に、己を抑えることが出来なかった。

 

 八重桐は――偉大なる『高位存在』へ祈った。

 

――どうか、私を……人間へ戻してください。

 

 その心に直接届けられた一言一句を記憶していると八重桐は言った。

 だが、恐らくは受け取る側の存在が理解できる言語へ無理矢理に変換して聞こえるがために、八重桐には意味不明な言葉も多く含まれていた。

 

 

――ふむ。『星』の度重なる要請に対し、顔を立てる意味での形だけの『表世界』への来訪であったが、まさかこんなことになるとは。此度の『地球人』は、中々に面白い。

 

 

――なるほど。『器』に『異物』を『混入』され、『星人化』されているのか。使い古された手法ではあるが、手っ取り早く数を増やすには有効的な手段だ。少し探ってみれば、随分とこの『陸地』は、この『種族』に犯されている。それ故の『星』の要請か。強力な『星人狩り』も生まれているようだが……。なるほど。では、こうしようか。

 

 

――娘よ。結論から言えば、貴様を完全に『現地球人』、つまりは『人間』に戻すことは出来ぬ。だが、貴様を一時的にならば『人間』に戻すことが可能だ。とある条件を呑んでもらうことになるが。

 

 

 八重桐は条件とは何だと『思った』。

 遥か高みから『人間』を見下ろす『高位存在』は答えを『届けた』。

 

 

――『赤龍()』の『子』を『(はら)め』、『人間』。

 

 

 八重桐は顔を上げて見上げる。

 

 そこには偉大なる高位存在が――『人間』ではない、紛れもない『龍』が、感情の見えない瞳で彼女を見ていた。

 

 

――我が『赤雷』を胎内へ宿し、『子』として産み落とせ。そうすれば、その『赤雷』が貴様の胎内にいる間は、貴様は『人間』へ戻れるだろう。

 

 

 八重桐は、己の下腹部にそっと手を添える。

 巨大な『赤龍』は、『人間』の感情など一切考慮せずに思考を届け続けた。

 

 

――矮小なその身に我の『赤雷』を宿すのは多大なる苦痛を伴うだろうが、『子』として産み落とすまでの間ならば持つだろう。我の『赤雷()』を継ぐ『人間』との『半血』が生まれることになれば、『人間』側にも大きな戦力となる。

 

 

――『星』にとっても好都合だ。『支援』も受けることになるだろう。我もこれ以上、『星』の聞き苦しい懇願からも解放される。互いにとって、利のある『契約』である筈だ。

 

 

 どうする、決めるのはお前だ――そう問われた八重桐は。

 

 莫大なる――感謝のみで、その心を埋め尽くした。

 ありがとうございます――そう言って、深々と、まるで『神』に感謝するように、平伏して。

 

 

 山姥は――『赤龍』の『赤雷』によって、その身を焼かれ。

 

 やがて、目を醒ますと――その身は麗しい『人間』の『娘』へと戻り。

 

 その子宮に――『()()()()』を宿していた。

 

 

 八重桐は語る。幸せだったと。

 

 人非ざる存在の、『高位存在』たる『龍』の子をその胎に宿して――この上なく、幸せな時間(とき)であったと。

 

 かの『赤龍』が告げていた通り、その妊娠期間――『赤雷』は女の身を蝕み続けたという。

 全身を駆け抜ける痛みで一歩も動けない日もあった。だが、八重桐はそんな痛みすらも愛しかったと笑う。

 

――山姥と堕ちたこの身が、妖怪となったこの身が、再び日の下を歩けるようになった。美しい肌も取り戻し、食人衝動もなくなって、そして、何より。

 

 子を――産むことが出来た、と。

 

 忘れていた、諦めていた、人間の女としての最上の幸せを、味わうことが出来たと。

 

――私は、母となることが出来たのです。

 

 奇しくも、それもまた――嵐の夜だったという。

 

 外では雷が鳴っていた。それが赤かったかどうかは――八重桐に確かめる余裕がある筈もなかった。

 彼女は、何とか風雨が凌げるといった程度の山小屋の中で――生涯で最も偉大な仕事に取り掛かっていたのだから。

 

 そして、そんな雷鳴を掻き消すような産声を上げて――その男は生まれた。

 

 雷に愛されし――『赤龍の子』。

 偉大なる『高位存在』の『赤雷()』を受け継ぎし――『星』に『祝福()』されし『生命』。

 

――『金太郎』。私の息子。私は、あの子に救われたのです。

 

 そう語る女は――山姥の醜い皺だらけの顔に、とても美しい笑顔を浮かべた。

 

 金太郎を生んだ後、子が成長していくにつれて、母は美しい人間の女から、醜い山姥へと戻っていったという。

 

 しかし、子は母を愛し続け――山姥はもう、絶望に身を落としたりはしなかった。

 

 金太郎は優しい少年に育った。

 赤龍の赤雷()を受け継いで生まれた『半血』である子は、妖怪が跋扈する足柄山を、まるで野山を駆け回る普通の少年のように遊び倒した。

 

 僅か十才で足柄山の主であった大熊の妖怪を素手で相撲を取って負かして『山の主』となった。

 空を飛ぶ緋鯉に捕まり滝を遡って遊んだりもした。

 

 山姥は、そんなすくすくと育つ我が子の成長を、愛しく慈しみ――幸福を享受した。

 

 だが――『赤龍』の子を宿すという偉業は、八重桐の身体に深刻な重傷を与えていた。

 

 金時が、大熊との相撲に勝ったという報告を母に届けた時――八重桐は、山小屋の中で倒れ伏せていた。

 息子は急いで母を背負い、箱根の湯まで連れて行ったが、いくら湯治をしようと八重桐の容態は回復しなかった。

 

 やがて年月を重ねるにつれ、八重桐は動ける時間はどんどん短くなり、醜い身体もさらに瘦せ細っていったという。

 

――私は、もう十分に生きました。この世に思い残すことは、もう、たった一つだけ。

 

 己の生涯を語り終えた山姥は――恐らくは、かつて『赤龍』にそう願ったように。

 動かすのも辛い身体を起こし、ゆっくりと、平伏して――頭を下げ、願う。

 

 死に逝く己に残された、たった一つの、最後の願いを。

 

――どうか、息子を。よろしくお願いします。

 

 妖怪・山姥は、その醜い顔を――優しい、母の顔に変えて。

 

――優しい子です。強い子です。困っている誰かの為に、戦うことが出来る子です。

 

 少し得意げに、自慢げに、息子のことを語る、その表情は。

 

――きっと、人様の役に立ちます。みんなを守る、英雄になれます。

 

 とても――とても――美しく。

 

――だから、どうか。妖狩り様。あの子を。どうか、私の、息子を。

 

 この山姥は、恐らくは長らく人を襲っていない。

 そして、何もしなくとも――遠からず内に死ぬだろう。

 

 だからこそ、貞光は――顔を上げた山姥の首を刈った。

 

 死を覚悟していた女を。

 恐らくは、その赤雷の後遺症に苦しみながらも――息子を託すに相応しい存在が訪れるまで、きっと戦い続けてきた母を。

 

 最も美しい表情を浮かべている時に――殺してやるべきだと思ったのだ。

 

(妖怪ではない――だが、人間でもない。『高位存在』――『龍』との『半血』。敵にするには恐ろしく、味方にするのも――また、恐ろしい)

 

――…………母ちゃん。

 

 いつの間にか、外は嵐になっていた。

 

 山小屋の前には、小さな山小屋の扉よりも大きい、顔も見えない程に大きく成長した青年がいた。

 

 青年は、大きく成長した己の身体よりも遥かに大きな――大熊の死体を引き摺っていた。

 

 恐らくは、その大熊こそが、この足柄山で出没しているという現地人の要請のあった、人に目撃されてしまう程に暴れていた妖怪なのだろう。

 

 それを退治した、病床の母の住まう足柄山を騒がしていた元凶を退治した青年が家に帰ると――母は殺されていたというわけだ。

 

 見たこともない、武装した僧――『人間』に。

 

 

 これが碓井貞光と――後に坂田金時となる青年との出会い。

 

 足柄山の金太郎が、頼光四天王の坂田金時となる――その原点(オリジン)となった物語だ。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 その後――碓井貞光は、ボロボロに死に掛けた状態で、同様に死に掛けた状態の金太郎青年を引っ張って、己が主の前に連行した時、こんな言葉を貰うことになる。

 

――他人様に誇れるような『生い立ち』でないのはお互い様だ。だからこそ、我々は強い『芯』がないと容易く折れてしまう。この子がそれを見付けることが出来るのか、あるいはそれに気付けるか。

 

――託されたのは、お前だ、貞光。

 

 

 

「……しっかりと、導け。覚悟を持って、見守れ。……そして、いざという時は――」

 

――責任を取るのが、『大人』の役目だ。

 

 貞光は、そんな在りし日の回想を終えて、罅割れた数珠を手に取り――激戦が繰り広げられているであろう、洞窟を見遣る。

 

(……頑張れよ、金時。『英雄』に、なるんだろう)

 

 私に、()()()()()()()()――そう、かつて、彼の母の首を刈り取った大鎌を。

 

 地に倒れ伏せ、バラバラに砕け散った骨獣に――妖怪・狂骨に向けて、大樹の天辺から、碓井貞光は冷酷に言う。

 

「『息子』がどうやら苦戦しているらしい。貴様の主は、どうやら本当に強いようだ」

 

 ()()()()()()()――人間の目は、まるでそう言っているかのようだった。

 

「あんな啖呵を切った後で恥ずかしい限りだが、やはり私もそこに向かおうと思う。未熟な『息子』の加勢に向かいたい。――だから、終わらそう」

 

 来る――来る。

 あの命を刈り取る鎌が――容易く『私』を終わらせる一撃が。

 

「――――――ッッッ!!」

 

 狂骨は、ある筈もない心の臓が震えるのを錯覚する。

 

 全てを結集させた。可能な限り最大の骨獣を組み上げた。

 

 それを全て――あの大鎌が、終わらせた。

 

「ふ、ふざけるなぁッ! お、お前は何者なんだッ! こんなことが――『人間』に出来るわけがないだろうッ!!」

 

 この――化物がッッ!!。

 骨獣の鎧を失い、剥き出しとなった骸骨は、大樹の天辺から飛び降りてくる貞光に向かって叫ぶ。

 

 だが、動けない。

 ご丁寧なことに、貞光は骨獣と一体化した狂骨の周辺部分は無傷で残しながら、骨獣の四肢を破壊した。動かせる手足を失った狂骨は、ただ叫ぶばかり。一体化を解除する力も残されていない。

 

 降ってくる人間は、そこまで冷たく計算しながら、一方的に妖怪を甚振ったのだ。

 

(――終わる? 終わらされるのか、私は……。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だッ!! まだ、私は――私は――()()()辿()()()()()()()()ッッ!!)

 

 それは――走馬燈と呼ばれる回顧だったのかもしれない。

 

 狂骨は一瞬で己の中の過去に遡った。

 

 真っ先に蘇るのは――己の全てを変えた出会い。

 全てを破壊し、全てを造り変えた――怪物との邂逅。

 

 

 

 その日、妖怪・狂骨は――『伝説』と出会った。

 

 日ノ本二大妖怪勢力の一角・『狐』の部隊長として、狂骨はとある一体の妖怪を勧誘に訪れていた。

 

 その妖怪は、前々から勢力の首脳陣から注視(マーク)されている妖怪であり、何としても己が勢力に迎え入れるか――それが出来なくば、排除するか、その方針が纏まっていない妖怪だった。

 

 狂骨は、その妖怪の対処を自ら志願した。

 彼は見抜いていた――これからは『狐』の時代だと。

 

 十年前の大江山にて、『鬼』は終わった。

 頭領・酒吞童子は健在だとしても、かの茨木童子を筆頭に三体もの四天王を失い、個体数としても大きくその数を減らした。その上で、未だに同族()以外の妖怪を勢力に引き入れようとしていない。

 

 それでも、酒吞童子の力が圧倒的である以上は勢力としても健在かと思えたが――ここにきて、件の鬼に匹敵する最強が現れた。

 

 狐の姫君――その存在を直接目にしたことはないが、かの姫君が滅ぼしたという村を、狂骨は見たことがある。

 

 その光景を見て確信したのだ。

 あの酒吞童子と同格という触書は――決して虚飾ではないことを。

 

 勢力の頂点同士の力は互角――ならば、この大妖怪時代において、配下の妖怪の種族は問わないと公言している『狐』こそが、これからの妖怪を統べるに相応しい存在だ。

 

 妖怪とは、すなわち鬼のことである――そのような時代は、十年前に終わっていることは誰の目にも明らかだ。

 

 ならば、一早く、この『狐』勢力に取り入り、内部での立身出世を目論む方が、よほど賢い。

 

 自分は正解を選び取れるだけの智がある――と、その日まで、狂骨は疑っていなかった。

 

(まさか千体もの部下を与えられるとは思ってはいなかった。正直、過剰であるとは思うが――つまりは、上層部はそれだけ、その『何とか』という妖怪に重きを置いているということ。この妖怪を取り込めれば、それだけ私の評価も上がるだろう)

 

 少し智があれば、そう遠くない未来に『狐』と『鬼』で覇を競う決戦が起こり得るであろうことに辿り着くのは容易い。そんな時代において『孤』を選択するのは愚か者としかいいようがないだろう。

 

 多少腕に覚えがあろうとも、所詮は時代の趨勢も読めぬお山の大将に過ぎない。時代の流れを見る目を持っている自分に御せぬ相手ではない――と、狂骨は高を括っていた。

 

 翌日――引き連れていた千体もの妖怪が、たった一体の妖怪によって崩壊させられるまでは。

 

――つまらねぇ。

 

 その妖怪は、ただそれだけを吐き捨てた。

 

 事実、その妖怪は――最初から最後まで、醒めていた。

 

 千体もの妖怪を引き連れて、己を取り囲むように狂骨らが現れた時も。

 滔々と、得意げに、狂骨が上から目線で己を『狐』に勧誘している時も。

 その演説を遮ったことで、四方八方から無数の妖怪に飛び掛かられた時も。

 

 どんどんと――その赤い巨躯から、熱を失うように、灰色に冷め切らせて。

 

 狂骨はたった一体だけ生き残った。

 

 否――狂骨の存在は、ただの一度たりとも、この妖怪の複眼に捉えられてすらいなかった。

 

 その他の千体もそうだ。

 ただ、自分に群がってくる『虫』が鬱陶しかったから――払っただけに過ぎない。

 

 この妖怪には、たった千と一体の雑魚など、敵とすら映っていなかったのか。

 

(――こんな、規格外が……存在するのか?)

 

 時代の趨勢? 二大勢力? 生き残る道? ――()()()()()、と、言わんばかりの唯我独尊。

 そして、それを世界に許されるだけの――圧倒的な、単純な、純粋な『強さ』。

 

 己が身一つで、荒れ狂う時代の狭間を乗り越えようとする――その美しき在り方に。

 

 狂骨という妖怪は――魅入られた。

 

 かの『狐の姫君』の、傾国の魅了を、打ち破る程に――()()()

 

『我が名は狂骨!! 見ての通りの――凡骨なり!!』

 

 昨夜までは確かに同胞だった死体が埋め尽くす地獄の中で、狂骨は叫んだ。

 

 灰色に冷め切った背中に向かって、己が全てをぶつけるように。

 

『卑小なる我が身は、凡庸なる我が命は、貴殿の退屈すらも紛らわすことは出来ない! しかしながら! この凡骨に! 御身と共に在ることを許していただけるのならば! 必ずや! お約束致す!!』

 

 それは命乞いにあらず。ただ、余りにも眩い『強さ』に狂わされた妖怪の、哀れな願望。

 

 ただ――この『伝説』の、行末が見たい。

 

 いつか、この大きな妖怪に――並び立ち、そして。

 

 余りにも狭い世界しか見ることの出来なかった自分では、決して見ることが出来なったであろう――その景色を、見てみたいと。

 

(――辿り着くのだ、その『視点』に!! 最早、時代の趨勢など、勢力内での立身出世などどうでもよい!!)

 

 だから――生きるのだ。生き残るのだ。こんな所で死ぬわけにはいかない。

 

 私はまだ――何も見えていなかったのだから。

 

『必ずや! 御身の退屈を晴らして見せまする!! その美しき体躯が、燃えるような赤色を取り戻すような! 御身と同じ『景色』を共有できる『強者』を見つけ!! 引き合わせて御覧に入れます!! 必ずや!! この狂骨(凡骨)が!! 御身の下へと!!』

 

 その灰色の背中は、凡骨の言葉に――振り向かなかった。

 

 だが、殺しもしなかった。そんな価値もないと言わんばかりに去っていく妖怪――土蜘蛛の背中を。

 

 狂骨は、同胞の死骸を踏み潰し――追いかけていった。

 

 そして――今日、この瞬間に至るまで。

 

 ずっと、ずっと――追いかけ続けて。

 

 それでも――まだ。

 

 

「私は!! まだ!! 辿り着いていない!! 何も!! 何も!! あの御方に!! 示せていないのに!!」

 

 まだ――死ぬわけにはいかない。

 

 そう吠える骸骨の――今度こそ、正真正銘の、命乞いを。

 

「――知るか、()()

 

 貞光は、一切構わず、その大鎌で刈り取った。

 

「……酷い顔だ。しかし、すまぬな」

 

 大口を開けながら死に絶える狂骨の、切り離された頭部を、片手でわし掴んだ貞光は。

 

 冷たい眼差しで一瞥し、そして――。

 

「――残念ながら、貴様は、死に顔を尊重するにも値しない」

 

――容赦なく、握り砕いた。

 

「……つまらない妖怪(おとこ)だった。だが、これで後顧の憂いは消えたな」

 

 貞光は、地に転がった骨を踏み砕き――前だけを向いた。

 

「待ってろ、金時(息子)。今、行くぞ」

 

 この時、貞光は知らなかった。

 

 無事に森を抜けて援軍を呼んでくれると信じて送り出した、同胞達の下に。

 

 信じられない危機が、迫っているということに。

 




用語解説コーナー㉓

・龍

 この世界において、隔絶した『高位世界』に棲息する『高位存在』。

『星の意思』と直接的に意思疎通をすることが可能であり、『表世界』との関ることは滅多にない。

 ひとたび表世界へと姿を現せば、その邂逅は伝説となり――かの存在を討ち果たしたものは、例外なく英雄となる。

 人間でも、妖怪でもない、その存在を目にしたものは――かの『高位存在』を、きっと『神』として崇めたであろう。
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