比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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期待していますよ。未だ『無色』である青年よ。


妖怪星人編――㉔ 無色の青年

 一羽の凶兆(カラス)が、その報せを届けた。

 

「おや、狂骨が死に(負け)ましたか」

 

 烏天狗は上空で受け取ったその報せを聞いて「でしょうね」と呟く。

 

勝敗(結果)は目に見えていた。問題はその後の碓井貞光の動向なのですが――」

 

 その戦いを見張らせていた烏から、貞光が真っ直ぐに金時の援護へと向かったと聞き――烏天狗は笑みを深める。

 

「――重畳。()()は上手く効いているようですねぇ」

 

 本来であるならば、虎熊童子ほどの存在(イレギュラー)魔の森(戦場)に迷い込んでいれば――頼光四天王たる貞光に、その存在を察知できぬ筈がない。

 

 だが、今宵、烏天狗が森に放った『虎』は――『傀儡』。

 

 かつて大江山四天王として名を馳せた虎熊童子の『死体』を、烏天狗の『主』が秘密裏に回収し、心を失った『身体』のみが駆動するように細工した『傀儡』に過ぎない。

 

 史上、最も智に――邪智に長けた鬼である天邪鬼が実現させた『絡繰鬼』とも、また違う。

 

 それを扱う『心』はなくとも、生前の『力』のみならば『十割』のそれを『再現』することが出来る――『魔』の『術』。

 

 生命の理すらも冒涜する恐るべき『禁忌』――だが、それは、あくまでも『死体』であるが故に、()()()()()()()()()()

 

 妖怪であればどんな下級妖怪であれど、どれほど妖力を扱う術に長けた妖怪であれど、僅かながらは発する筈の妖気を、生前どれだけの大妖怪だったとしても、微塵も、欠片も――まるで死んでいるように発さない。

 

 例え、妖力がなければ不可能な身体能力を『再現』しようとも。

 火を吐こうとも、風を起こそうとも、水を操ろうとも、土を盛り上げようとも、雷を落とそうとも――微塵も、欠片も、一切だ。

 

 正しく、理を無視する外法の業。魔によって引き起こされた奇跡。

 

「……『あの御方』は、正しく――『魔王』だ」

 

 烏天狗は、『魔王』謹製の傀儡――あの御方曰く、『魔屍(ゾンビ)』の不条理さに笑みをこぼすと。

 

(……無論、どれだけ不条理でも、魔のものでも、それが『術』であるが故に――『()()()())

 

 それに、あの青年は気付くことが出来るのか――烏天狗は、高みから笑う。

 

「期待していますよ。未だ『無色』である青年よ」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 全身を駆け巡る激痛に――却って、何もかも遠くなった。

 

 仲間たちの悲鳴が、後輩たちの絶叫が、深い海の底にいるかのようにくぐもって聞こえる。

 

 現実感が湧かない。恐怖も感じない。額から流れる血が片目を塞ぎ、目の前の光景が今なのか夢なのか分からなくなる。

 

 何だ――僕は今、()()()()()

 

 ここはどこだ? 魔の森? それとも――あの、大江山?

 

 どっちでもいいか。どっちでも同じだ。

 

 ここは――『鬼』の棲む、地獄だ。

 

「――なら、やることは、一つだ」

 

 ここで死んだふりをしているのもいいだろう。今にも死にそうだってことは嘘じゃないんだから。数刻後には嘘じゃなくなっているかも、ふりじゃなくなっているかもしれない。

 

 それでも――立ち上がるんだ。

 

 立ち上がって――悪足掻け。

 

 黙ってたって数刻後には死んでいるかもしれないけれど、だったら最後まで喚き散らすのが礼儀だ。

 

 僕はもう――あの頃とは違う。

 あの頃と同じように無力でも、あの頃とは立場が違う。責任が――背負っている、重みが、命が、違う。

 

 僕はもう、守ってもらえる立場じゃない。ただ自分の命だけを可愛がっていればいい分際じゃない。

 

 死体の中で死んだふりをしていればいい青春は終わったんだ。

 

 立ち上がれ。悪足掻け。血を拭って――両目を開けて、目の前の現実を直視しろ。

 

 貴様(ぼく)が守るべき部下が泣いているぞ!

 

「――総員! 陣形を組めッ!!」

 

 僕は喉から血を吐き出すように――指示を繰り出す。

 戦場の、地獄の全ての視点を、死にかけの身体(ぼく)に集めて、力を振り絞って――槍を天に向けて上げる。

 

「やることは変わらない! 目指す場所は、何も変わってなどいない! 妖怪を退治し――生きて帰るんだ! その為に! 泣くのはやめろ! 喚くのもおしまいだ! 武器を取れ! そして――戦えッ!」

 

 今にも死にそうな指揮官の言葉ほど頼りないものはないだろう。

 事実、僕の言葉を聞いても、皆どうしていいのか分からず――命を預けきれず、困惑するばかりだった。

 

 だから僕は、何度でも言う。

 そして――示す。誰よりも体を張って、先頭に立って、死に損ないの命を張るのだ。どうせ僕には、僕ごときには、ただそれだけしか出来ないのだから。

 

「もう一度言う! やることは変わらない! 対大型妖怪用の陣形に隊列を組み直せ! その時間は――僕が稼ぐ!」

 

 一歩踏み出す毎に、全身に激痛が駆け巡る。

 たった一撃――まともに攻撃を受けただけで、『弱者』のこの身はこんなにも情けなく悲鳴を上げている。

 

 頼むと。よしてくれと。お願いだから――あんな怪物に、立ち向かうのは、やめてくれと。

 

 誰よりも己の身の程を知っているこの身体は、全身で警告を発している。

 

 なるほど。頭と違って賢い身体だ。だけど、愚かな(ぼく)はそんな身体(賢者)からの有難い警告を無視して、無理矢理に動かしてしまう。

 

 一歩、一歩、激痛でぼんやりとした頭を強引に覚醒させながら――目の前の『鬼』に向かって、強がって笑う。

 

「――死に損ないは、お互い様だ。そうだろう――『虎熊童子』」

 

 僕の言葉に、虎熊童子は答えない。

 かつては巻いていなかった目を覆う包帯――いや、()()か――で、何も見えていないかのようだ。

 

 獣のような唸り声をあげるばかりで、攻撃方法は――ただ己に近づく、あるいは最も近くにいる人間に向かって襲い掛かり、その剛腕を振るうばかりの単純な行動のみ。

 

 ……考えろ。考えろ。考えろ。僕のような選ばれなき弱者のすべきことは、まずそれだ。

 

 さっきみたいに感情に任せて特攻しても、当たり前のように吹き飛ばされるだけ。

 僕には英雄のように怪物の攻撃を反射的に回避することなど出来ない。僕如きに怪物の攻撃なんて見切れるわけがないんだから。

 

 だから、考えるんだ。どんな攻撃が来るのか予測し、計算した上で回避行動を取れ。

 

 たった一発受けただけで死に掛けているこの身体。後一発でも受けたら間違いなく――死ぬ。

 

 それは駄目だ。死ぬならせめて――使命を遂げてから死ね。

 

 家族が――母が、妹が、僕の帰りを待ってるんだ!

 

「――行くぞッッ!!!」

 

 どうせ不意打ちなど通用しない。だから僕は、何よりも僕自身が覚悟を決める為にそう声を上げて走り出す。

 

 恐怖を無理矢理に抑え込み、半ば現実逃避するように過去を回想して――現実を直視して、気付いた。

 

 あの大江山の『虎熊童子』の一撃は――()()()()()()()()()()()

 僕如きが一撃を受けて、未だこうして息をしているのがなによりの証拠だ。

 

 目の前の虎熊童子は、白い体皮に獣毛、そして顔面は黄と黒の縞模様――間違いない。大江山で碓井様と卜部様を追い詰めた、()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 この最終形態の虎熊童子は、頼光四天王の、本物の英雄ですら二人掛かりで倒したんだ。

 そんな怪物の一撃が僕のような弱者を粉々に出来ない筈がない。

 

 何かある筈だ――目の前の虎熊童子が、弱体化している理由。

 

 弱体化といえば、こうして無様に雄叫びまで上げて駆けているのに――僕がまだ死んでいない理由はなんだ?

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()辿()()()()()()()()()()()()()

 

「ウォォォォ!!!!」

「ッ!?」

 

 その思考に辿り着いた瞬間――僕は立ち止まった。

 急停止した僕の目の前を、虎熊童子の張り手が空を切る。

 

「――――ッッッ!!」

 

 やっぱりだ。コイツは、()()()()()()()()()()()

 ただ、己に近づいた()()に反応して動くだけの――()()

 

「――――いや、傀儡、か……ッ」

 

 やはり――『虎熊童子』は死んでいる。

 この『鬼』は、とっくに自由意志を失っている。只の『屍体(したい)人形』だ。

 

「………………っ」

 

 分からない。

 どうして、あの『虎熊童子』がこんな有様になっているのか。

 

 どうして、こんなところに放たれたのか。

 どうやって、あの『虎熊童子』を――こんな『傀儡』にしたのか。

 

「……………ッッ」

 

 ……分かっている。

 コイツは、『鬼』だ。化物――妖怪だ。何人もの人間を殺した。同情なんて出来る訳がない。

 

 でも――だけど。

 

「――――――ッッ!!!」

 

 ()()()()()()()退()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――隊長!」

「……ッ! 完全に隊列が組み終わるまで手を出すな! 無闇に手を出さなければ攻撃されることはなさそうだ!」

 

 己と一定距離に近付いてきたものを自動で迎撃する――そんな仕様ならば、拠点防衛や門番としては使い道があっても、こんな何もない森で放つわけがない。

 

 なら、別の可能性として考えられるのは、脅威と判定したものを敵対象として襲い掛かる、もしくは完全な操作仕様で操っている術者がどこかにいる、くらいか。

 

 後者なら、こうしている今、自分達に襲い掛からない理由が分からない。

 操作に不慣れなのか、僕達の出方を伺っているか――相手に動きがない以上、この可能性はこれ以上、考えることがない。

 

 なら、ここは前者と仮定して考えるべき。

 この可能性において、先程僕が一定距離まで近づいて迎撃された理由は――単純に、あそこまで近づいてやっと、アイツにとって僕が目に入るくらいの脅威になったから?

 

「……まさか、ここにきて僕の『弱さ』に助けられるとは」

 

 思わず笑ってしまう。きっと、僕が『英雄』だったら――この『鬼』は今すぐにでも襲い掛かってきたのだろう。

 

「――なら、今だけは――僕も『英雄』にならなくちゃ」

 

 槍を強く握り直し、その穂先を怪物へと向け直す。

 

 弱者のままならば、このまま一歩も動かなければ――安全なのかもしれない。

 だけどそれも根拠薄弱だし、膠着状態が続けば『敵』も手を打ってくるだろう。操縦者じゃなくても、この『鬼』を『魔の森(ここ)』に放った『誰か』は確実にいるのだから。

 

 だから――なろう。

 

 コイツの脅威対象に。この『鬼』を退治出来る――『英雄』に、今だけでも。

 

 この槍は、『呪具』ではあっても『呪装』じゃない。

 英雄の為に作られた唯一無二じゃない。只の支給された量産品だ。

 

 渡辺綱様の『髭切』とは違う。碓井貞光様の『烈鎌』とは違う。

 卜部季武様の『冥弓』とも違う。坂田金時様の――あの、『轟鉞』とも、違う。

 

 そして、全ての妖を滅ぼすと言われている神秘殺し――源頼光様の『童子切安綱』などとは、比べ物にならない凡具だ。

 

 そうでいい。凡人には凡具がお似合いだ。それに、凡具は凡具でも、込められた呪力は超一級品。

 

――君は、面白い『運命』をしているね。

 

 なんといっても、あの――()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 

 奇跡を起こす――その条件は、整っている。

 

「なら、後は凡人(ぼく)が――奇跡を起こす(英雄になる)だけだ!!」

 

 隊列が整ったという部下の声を背中で聞き、ぼくは手信号で合図を送る。

 

 ある筈だ――虎熊童子を傀儡(こんな)にした何かが。

 屍体を動かしている何らかの仕掛けが施されている筈だ。

 

 そう考えた時に、あからさまに怪しいのは――不気味に呪文が書かれた、目の周りを覆っている術布。

 

「………よし」

 

 あれを外す、もしくは破る、あるいは燃やす――とにかくあれをどうにかすればっ! 事態は前に進む! そう信じる!

 

 術布が何らかの『枷』で、外れたら狂暴化! 超強化! もしくは本来の力を取り戻す! なんてことになったら――その時はその時だ!!

 

「とにかく動け!! 前に進め!!」

 

 うだうだ考えるのは終わりだ! これ以上うだうだと悪い可能性を考えたら何も動けなくなる! 今はとにかく目先の目標だ!

 

「――放てっ!」

 

 先程の合図で準備させた弓――それを一斉に虎熊童子に射出する。

 

「ラァァァァアアアアアアアアアアアアイ!!!」

 

 虎熊童子がその巨大な手を振るう。それだけで部隊の一斉掃射は一本たりとも鬼の身に届かず吹き飛ばされるが――最前席でそれを見た僕は、何とか見逃さなかった。

 

 全身隈なくばらばらに放たれた矢だったが、虎熊童子は確かに――顔面を庇うように腕を振るった。

 

「なら――やっぱり、そこだっ!」

 

 怪物が大きく手を振るった、その直後。

 最も隙が大きい瞬間を見計らって、僕は虎熊童子の脅威判定範囲内――危険領域へと足を踏み入れる。

 

「ガアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 身が竦む。反射的に硬直する。

 間近で感じる、己に向けられる妖怪の敵意に――折れそうになる、心を。

 

「――――ッ!!」

 

 唇を噛み切って、死力を振り絞って、奮い立たせる。

 槍を強く握り締めて――向き合う。

 

 鬼と。怪物と。圧倒的な――恐怖と。

 

 虎熊童子は外側に掻くように振った左腕ではなく、残った右腕で拳を作り――そのまま僕に向かって槌のように振り下ろす。

 

 凡人の目になど止まらない、捉えられない一撃。

 喰らったら今度こそ僕如きなど地面の染みにされるであろう必殺。

 

 弱者の限界――運命。

 

 それを――僕は。

 

 否――()()は、変える。

 

「――――今だッッ!!! 出せっっ!!」

 

 虎熊童子の――動きが、()()()

 

 反射的に目を向ける――弱者の僕の槍などよりも、離れていてもよほど脅威的な()()へ。

 

 矢を掃射した部下達の半分が次弾を装填する中、残りの半分は、()()を掲げる者の護衛へと回した。

 

 隊列の最後尾で掲げられるそれは――『英雄の力』。

 

 いざという時はそれを使えと渡されていた、とっておきの切札。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 部隊に同行した陰陽師が、ほんの少し呪力を込めて発動し――雷を、瞬かせる。

 

 それで十分――僕の脅威(そんざい)など掻き消してくれる。

 

 作戦通り――だけど。

 

弱者(ぼく)を――嘗めるなよ」

 

 あらかじめ発動していた、もう一つの小細工。

 晴明様謹製の術符、時間差で効果を発動させるように、突撃前に陰陽師に呪力を込めてもらったそれが――槍の穂先に火を纏わせる。

 

 悔しいかな、こんなに大きな隙を作っても、僕の未熟な腕では確実に捉えきれるとは限らない――だけど、これなら確実に燃やすことは出来る!

 

 その時、ようやく脅威認定が更新されたのか、虎熊童子が僕の方を向くが――もう遅い!

 

 かえって狙いやすいくらいだ――その趣味の悪い術布を!

 

 今――外してやる!

 

「――――っっっ!!! ウォォォォォォォォォォォ!!!!!」

 

 

 次の瞬間――僕はまた吹き飛ばされていた。

 

 

 全身を貫く激痛、死の気配に包まれながら意識を失う直前に――僕は見た。

 

 僕が伸ばした槍の穂先が術布を燃やし、剥がして――()()()()

 

 その中にあった、本来は二つの眼球がある筈の場所に、まるで埋め込まれたかのように存在した――()()()に。

 

 槍の穂先が届いた瞬間、穂先を弾き――そして、その石は発光した。

 

 その光と共に衝撃が僕の身体を貫き、吹き飛ばされる――その最後の瞬間に、僕は見たんだ。

 

 虎熊童子の白い体皮を覆っている黒い獣毛が――眩い金色に輝いているのを。

 

 まるで目覚めのように咆哮を上げる鬼の声を聞きながら――僕は、確かに、それを見たんだ。

 

――その時はその時に考えればいい!

 

 馬鹿か、僕は。

 

 失敗した弱者に――次なんて、その時なんて……存在しないのに。

 

 

 そして僕は――意識を真っ暗に失った。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 その『人』は、いつも――その皺だらけで醜悪な顔に、美しい微笑みを浮かべながら言った。

 

――『英雄』になりなさい。

 

 その『人』は、いつも――何かを殴り飛ばして血が滴る拳を、優しく包み込みながら言った。

 

――あなたの『力』が強いのは、困っている誰かを助けるため。

 

 その『人』は、いつも――自分よりもどんどん大きくなるその身体に、誇らしげに触れながら言った。

 

――あなたの『躰』が大きいのは、怯える誰かを守るため。

 

 その『人』は、いつも――怒りで真っ赤に染まる金髪を、愛しく撫でながら言った。

 

――あなたの『赤雷()』が耀くのは、暗く沈んだ世界を救うためよ。

 

 その『人』は――母は、いつも、『怪物(オレ)』に言った。

 

――だから、あなたは。

 

――『英雄』になりなさい。

 

 その『人』は、いつも。

 

 優しく、誇らしげに、愛しく――美しく。

 

 まるで――それは。

 

 妖怪(わたし)のようにはなるなと、言わんばかりに。

 

 

――誰からも愛される、『英雄』になりなさい。

 

 

 それは、紛れもない。

 

 深く、深く与えられた、重い――想い。

 

 きっと、この世の何よりも――強い。

 

 母から、息子への――強く刻み込まれた、『(呪い)』だった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 真っ暗に閉ざされた世界に、眩い赤雷が轟く。

 

 迸る緋光。そして、遅れて降り注ぐ――赤い、血。

 

「―――――ハッ、いってぇな!!」

 

 くるくると血の雨の中を舞うのは、吹き飛ばされた、巨きな――腕。

 

 土蜘蛛の最大の武器である六腕――それを五腕とする、本体から切り離された一腕だった。

 

「ハァッ! ハァッ! ハァッ! ハァッ!」

 

 だが、腕を吹き飛ばされた土蜘蛛は笑い、腕を吹き飛ばした金時は――膝を着いた。

 

 その英雄の右手は、渾身の赤雷を繰り出した右手は『赤き龍』と化しており、更にここまで『赤雷』を乱発した結果、その『龍化』は既に右肩まで『侵食』していた。

 

 髪も、眼も、その美しい金色が妖しい赤色へと、右側のそれが『変色』している。

 

 強力な力を放った後に来る、その揺り戻しのような『反動』に――『龍化』の衝動に、抗うことが出来ない。

 

(だが、『赤化』した土蜘蛛には、もはや生半可な肉弾戦なんか通じねぇ。唯一、分かり易く効果があるのが……この『赤雷』。だが、この『力』に頼り過ぎれば――)

 

 この『赤雷』は――『龍』の力。

 それに頼り過ぎれば、『高位存在』の力に縋れば縋るほど――この躰が人間ではなく、『龍』へと近付くのは自明の理。

 

「…………ッ!」

 

 着いた片膝を上げられず、噛み締めた唇から血が垂れるのも拭えない金時に。

 

「何を恐がってんだ、オメェ」

 

 そう問い掛けるのは、吹き飛ばされて宙に舞っていた己が腕を、まるで枝木を弄ぶかのように手に取った土蜘蛛。

 

「強ぇ奴はこれまでもいっぱいいたが、俺の腕を吹き飛ばした奴なんざぁ、俺の長い戦いの歴史の中でも、お前で『二度目』だ。俺は『鬼』じゃあねぇからな。すぐにくっつけることも出来ねぇ。俺にとっちゃあ『腕』ってのは妖力の源だ。また生やすのはすげぇ大変なんだぜ。つまり――お前は偉業を成したんだ。誇っていい。てぇのに――なんだぁ、そのツラは?」

 

 土蜘蛛は、未だ立ち上がれない金時に向かって笑って言う。

 

「その『龍の力』を使うことに――負い目でも感じてやがるのか?」

 

 ()()()()()――そう吐き捨てる土蜘蛛に、金時は、瞠目する。

 

 その土蜘蛛の言葉に、そして、その言葉と共に――土蜘蛛が、新たに()()()()()()()()()()()()()ことに。

 

 再び吹き荒れる、赤い血の雨。

 その中で土蜘蛛は、未だ無様に片膝を着く金時に向かって言う。

 

「その『赤雷()』は紛れもねぇ、お前自身の力だろ。お前の正体がなんだろうが、俺にとってはどうでもいい。テメェが『人間』だろうと! 『龍』だろうと! どんな姿に変わり果てようが、テメェってヤツは何も変わらねぇ! 腕が六本だろうが、五本だろうが、四本だろうが――俺が妖怪・『土蜘蛛』であるように!」

 

 土蜘蛛はそう吠えると、そのまま二本の己の腕を――己の口の中に突っ込んでいく。

 

 金時が呆然とその様を見ている中、ごくんと、土蜘蛛は完全にそれを飲み込むと――()()()、と、大きく、強く、不気味に脈打つ音が響く。

 

「……言ったよなぁ。テメェで二度目だ。俺が腕を奪われるのは。そんで、これも言ったなぁ。俺にとって、妖怪・『土蜘蛛』にとって腕は、妖力の塊ってことも」

 

 かつての、とある『鬼』との死闘において、腕を捥がれた土蜘蛛は、腕に溜め込まれた妖力をむざむざ失うくらいならと、咄嗟にそれを呑み込んだ。

 

 すると、土蜘蛛自身にも想定外の事態が起きた。

 普段は貯蔵庫として莫大に溜め込まれた『腕』の妖力が、攻撃や防御や挙動時にしか使用されなかったそれが――全身を血のように巡っていったのだ。

 

 妖怪・『土蜘蛛』は、己が腕を『妖力』として取り込むことで――その姿を化える。

 

 最大の武器である『腕』を失うことで、より醜悪に、より凶悪に、より暴悪に――より最悪の、妖怪へと生まれ化わる。

 

「――だが、これも――紛れもない『土蜘蛛(俺様)』だ」

 

 土蜘蛛は――笑った。

 二本の腕を失い、四本腕の妖怪として――生まれ化わった、その姿で。

 

 先程までも、大妖怪として相応しい凄まじさだった妖力を、莫大に膨れ上がらせた――『第二形態』。

 

 残された四本腕はより太く、より禍々しく、より無骨になった――まるで武士の鎧のように。

 巨大だった体躯は一回り小さくなったが、その体色はより黒みがかった、固まった血のような不気味さを醸し出している。

 

 金時は――笑った。

 力無く、何かを諦めたように。

 

「…………やるしか、ねぇのか」

 

――英雄になりなさい。

 

 かつての言葉が、再び金時を蝕む。

 

 分かっている。ここで『龍の力』に更に深く手を伸ばせば、自分はきっと『英雄』ではなく、目の前の『妖怪』と同じく――『怪物』へと近付いてしまうのだろう。

 

 誰からも愛される英雄となる為には、自分は綺麗な人間でいなければならない。

 

 だが、この『怪物』は言った。

 どれも、全て――自分なのだと。

 

(――その通りだ)

 

 例え、どれだけ否定しようとも、どれだけ目を逸らそうとも『坂田金時』は『金太郎』であるという事実は変えられない。

 

 妖怪で溢れる霊峰・足柄山で生まれ育ち、赤龍の赤雷を身に宿しているという事実は――変えられない。

 

 龍の血を受け継ぐ『半血』であるという事実は変えられない。

 

 どれも自分だ――紛れもない、坂田金時の真実だ。

 

(だったら、遅かれ早かれだ)

 

 どうせ自分は――()()なっていたんだ。

 

 金時は、そう力無く笑って。

 

 何かを諦めたように――立ち上がった。

 

 そして――人間のままの、左腕に、『龍』の右手を伸ばして――。

 

 

「諦めるな。それが――『英雄』のすることか、金時」

 

 

 真っ暗な洞窟の、唯一の出口から――その声は届いた。

 

 かつて、嵐の足柄山で、彼の全てだった母親を殺した男の声。

 

 足柄山だけが全てだった彼の世界を破壊し、外の世界へと連れ出した男の声。

 

 真っ暗な夜の世界が全てだった彼に、明るい世界があるということを教えてくれた――『英雄』の、声。

 

「――貞光の、旦那……」

 

 何かを投げ出そうと、諦めようとしていた金時を引き留めるように――『龍化』した右肩を掴んで、貞光は言う。

 

 託された息子を、決して諦めないと伝えるように。

 

「――よく頑張った」

 

 そして、後は任せろと、そう言わんばかりに前に出て、背中を見せる貞光に。

 

 金時は――笑った。

 そして、膝に力を入れて、胸を張って立ち上がって、貞光と並び立って言う。

 

「子供扱いするんじゃねぇ――クソ親父」

 

 そして――そして。

 

 二人の『英雄』を前にして、第二形態と化した土蜘蛛は。

 

 四本腕の、四つの拳を鳴らして――やはり、笑う。

 

「一対一じゃなきゃ卑怯だとか冷めたことを言うつもりはねぇさ。強ぇ奴は、何人だって歓迎する」

 

 どっからでも、かかってこい――四本腕を広げる妖怪に。

 

 駆け付けた『大鎌』の英雄と、立ち上がった『鉞』の英雄は。

 

「――行くぞ」

「――おお!」

 

 並び立ち、走り出す。

 

 妖怪退治――いつも通りの、『英雄』の仕事を成す為に。

 




用語解説コーナー㉔

・童子

 かつて茨木童子は、全国津々浦々に点在していた『鬼』という妖怪を、一つの勢力として纏め上げた。
 その初期から彼の元で、共に勢力作りに邁進したのが、茨木童子に心酔していた古くからの同胞――『童子組』であった。

 その後、大江山において『童子』という名は称号に近いものとされ、童子を名乗ることが大江山の鬼としての最大の栄誉となっている。
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