金時が初めて赤雷を発動させたのは、金太郎であった最後の夜――嵐の夜。
足柄山の
共に足柄山で育ち、子供の頃から相撲を取っていた大熊。
大熊は、泣きながら暴れ狂っていた。そんな奴じゃなかった。確かに凶暴な面もあったけれど、弱き者には優しい、濃い妖気が集まり強力な妖怪が生まれやすい霊峰であった足柄山を、その大きな器で収めてきた偉大な王だった。
だが、嵐が近づくにつれて、大熊が我を忘れたように暴れることが多くなった。
遂には人里まで下りてしまうこともあって、このままでは妖狩りと呼ばれる人間が足柄山に足を踏み入れることになると、人間の事情にも詳しい山姥の母の言葉を聞いて、金太郎はその腰を上げたのだ。
しかし、旧知の金太郎の声にも、大熊は耳を貸すことはなかった。
話し合いは殴り合いになり、遂には殺し合いになった。
相撲では何度も勝利を収めたこともあった金太郎だったが、本気で殺意を迸らせる妖怪とはこんなにも恐ろしいのかと息を吞んだ。そして、大熊の鋭い爪が、躱し切れずに金太郎の身に届きそうになった――その瞬間。
金太郎は――天から赤雷を振り降ろした。
無意識だった。無我夢中だった。
その結果に――その力に、誰よりも驚愕したのは他でもない金太郎だった。
訳も分からず、ただ目の前に転がる友達だった大熊の死体だけを前に、嵐の中、呆然と佇んでいた金太郎は。
とにかく友を弔ってやらねばと、母の意見を聞こうとそのまま死骸を引き摺って家へ戻った。
その力の正体を教えてくれたのは、帰った家で待ち構えていた――母を殺した男だった。
金太郎は自分の正体を、この時、母から聞いたという男から初めて聞いた。
赤龍の子。
それが自分の正体らしい。
あの赤雷は――龍の力。
人間でもない、妖怪でもない、高位存在の大いなる権能。
母は常々言っていた――英雄になりなさいと。
母は知っていた――息子が普通の人間ではないことを。
母は知っていた――自分の息子がいずれ、世界の命運を左右するような役目を背負うことになると。
(――オレは、どうだ? 何も知らなかった。ただ、いつも傍に母ちゃんがいて、御山で面白おかしく過ごして――オレは)
どうなりたかった? 何をしたかった?
英雄になりなさいと、母は言った。
困っている人を救いなさいと、母は言った。
英雄になれると、父のような男は言った。
お前は強いと、父のような男は言った。
(――赤雷。赤龍の権能。そんな“血”を流すオレは――何をすべきか。何をしたいのか)
バケモノと、人は言った。バケモノと、妖怪は言った。
人間でもない。妖怪でもない。
なら――オレは、何になればいい。
――なら、お前が助けてくれ。
「――――――」
初めはきっと、母がそう望んだから。
続けたのはきっと――みんなが、喜んでくれたから。
笑顔になった。礼を言ってくれて、慕ってくれて――受け入れてくれた。
生まれ育った御山を下りて、何もかも分からなかった自分を。
人間からも、妖怪からも、バケモノと呼ばれる“
嬉しくて、むずむずして――笑顔になった。
そして、これを守る為の力なのだと思えたら――自分の
坂田金時という――バケモノのことを。
少しは誇らしく、好きになれそうな気がしたから。
だから――オレは。
「オレは――英雄になる」
坂田金時。赤龍の子。
真っ赤な鱗の侵食は進み――更に醜く、半身が龍に犯されていく。
金時は、笑う。
そんな自分を――誇るように。
誰かを救う為の力として――右手に赤雷を宿し。
雷雲すら存在しない天から――高位存在の権能を呼び寄せる。
「――
+++
その――
「――安心しろ、お前は強い」
その――
「十分に英雄って名乗るに値すると思うぜ」
「だが――それ以上に、俺様が強くなりすぎたってだけだ」
果たして、どれだけ時を稼げただろうか。
時間にして、数分か、数十分か。
それだけでも――歴史に名を残す偉業として相応しい程に、今の土蜘蛛は、余りにも強過ぎた。
小さくなった体は、英雄の目にも残像しか捉えられず。
生えた尾は予想外の角度から襲い掛かり。
速さに慣れた眼は発光で潰され。
全身のあらゆる場所から強靭な糸を射出し。
二腕に凝縮された莫大な妖力はそれだけで世界を歪めるかの如く――重い。
最大の武器である大鎌すら真っ二つに折られた貞光は――首根っこを細い腕に掴まれながら、片手で持ち上げられ、呻く。
「……確かに、お前は強いさ――妖怪。だが、この勝負――」
それでも――貞光は笑う。負け惜しみではなく――己が勝利を確信して。
土蜘蛛も気付いていた。
貞光を持ち上げながら、ゆっくりと――それを見る。
金色に発光する自分よりも眩く、暗い洞窟内を照らすその存在は、目を向けるまでもなかった。
半身を赤い龍と化えたその男は――その右手に赤き轟雷を携えていた。
そして、それは――予兆に過ぎない。
この地に大いなる破壊を齎す、天から『高位存在』の一撃を振り下ろす、その奇跡を起こす為の、下準備でしかない。
「……当然、気付いているさ。あんだけバチバチやってればな」
だが、俺様は妖怪だぜ――そう、土蜘蛛は、英雄の首を締めながら言う。
「こうしてお前を生かしている限り、奴は攻撃を発動出来ない。なら、話は簡単だ」
そして、土蜘蛛は貞光を締める右腕とは逆の手――最後に残された左の掌を、身動きの取れない金時へ向ける。
「お前がこうして命懸けで時間稼ぎして、俺様を引き付けてるってことは――身動きが取れねぇんだろ、アイツ。それだけ集中力が必要なことだよなぁ――奇跡を起こすってのはよぉ!」
土蜘蛛が糸の弾丸を射出する――それよりも前に、金時は笑い。
貞光は――折れた大鎌の柄を握り直す。
「――拙僧は、君や金時のように殴り合いが得意な人間ではない。が、これでも一応は僧――
陰陽師ほどではないが、
貞光は自身の大鎌の柄に様々な種類の術符を巻き付けている。
握る場所を変えることによって、都度異なる術符に呪力を流し、狙った効果を伴った攻撃を繰り出すのが貞光の基本戦法だ。
だが、貞光がここで発動した術符は――攻撃の種類を変えるものではない。
貞光は大鎌が破壊された時、吹き飛ばされる刃にこの術式の術符を貼り付けていた。
そして、大鎌の刃は今――金時の背後の壁に突き刺さっている。
「――――ッ!!?」
掴んでいた貞光の首が――鎌の刃に代わり、瞠目する土蜘蛛。
そして、貞光は――大いなる力を呼び寄せるべく赤く耀く右腕を掲げる金時の背中に向かって、言う。
「――やれ、英雄」
金時はその言葉を受けて――ニヤリと微笑み、赤き右手を振り降ろす。
「これで――終わりだぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!!!!!」
+++
それは黒い空が、その色を変えようとしている頃だった。
偉大なる太陽――それが昇り切るよりも早く。
雷雲なき夜空に、赤き雷がその姿を現した。
それはまるで鉄槌のように、あるいは世界を切り裂く斧が如く、大いなる高みから一直線に振り下ろされる。
大地を揺るがす轟音すら置き去りに――とある島国の小さな洞窟を目掛けて落下していった、その赤雷は。
それは、『高位存在』の大いなる意思すら無視して――引き起こされた
あるいは、とある小さな神様が、とある一人の少年を思って手繰り寄せ続けた、世界すら歪める力――
こうして――物語は。
予測不可能な、未知の世界へと――繋がっていく。
+++
世界を引き裂くような、大地を揺るがすような、大いなる奇跡が振り降ろされた轟音。
どんな妖怪すら、どんな怪物すらも、塵一つ残らず消滅させるような赤雷。
それが何処かに落下した衝撃を――金時は、崩落もせず、天井に穴も開かず、未だ健在な洞窟の中で、聞いた。
「…………
全身から力が抜けていく。全てを出し尽くした途轍もない疲労感が襲い掛かる。
自分は確かに赤雷を呼び寄せた。大いなる一撃を齎した筈だ。なのに――。
(――――
外れる――なんてことは、あり得ない。
そもそも自分が呼び寄せたのだ。いうならば、自分の腕を、この身に流れる赤龍の血を避雷針とすることを前提とした奇跡だ。
後は自身目掛けて降り注いだ赤雷をこの龍の右手で掴み、操り――土蜘蛛にぶつける、その手筈だった。
なのに――赤雷は、金時に向かって降り注ぐことすらせず。
何処か、ここから遠くはない、けれどまるで無関係な見知らぬ地に――落雷した。
「有り得ねぇだろ!! なにが――どうなってやがるッッ!!!???」
奇跡が起きなかった現実を疑う咆哮――その無意味な叫びで、最後の力を、使い果たしたように。
「――――ッッ!!??」
金時は膝から崩れ落ちる。最後の矜持で倒れ伏せることだけは堪えたが――全身が鉛のように重い。体を持ち上げることすら出来ない。
「……金時……――ッ!? ゴホっ、ぐはっ!!」
「っ!!? 貞光の旦那ッ!?」
立ち上がれない英雄の背後では、もう一人の英雄が喀血し倒れ伏せようとしていた。
金時が赤雷を呼び寄せる間、単身で最終形態の土蜘蛛を相手取っていた貞光は、既に限界だった。致命傷に近い傷を負っていたのかもしれない。
それでも――奇跡は起こらなかった。
大いなる一撃は降り注がず、英雄は二人とも力尽き――そして、妖怪は――。
「――――」
金時は気付く。そうだ、自分は失敗した。
落雷をこの場に落とせなかった以上、土蜘蛛は未だ健在の筈だ。
なのに――どうして動けない自分達は、失敗した英雄は、こうしてまだ生きている?
「………………」
土蜘蛛は、未だ健在な洞窟の天井を見上げながら、だらんと腕を下げて――大鎌の刃を握り砕きながら、ぽつんと呟く。
「……情けねぇぜ。実際に落ちてきたわけでもないのに、その照準が自分に向けられているってだけで……その莫大な力が近付いてきただけで――
情けねぇ――死因だ。
土蜘蛛はそう呟きながら、力無く笑い、金時を見る。
「刻限が近付いてたのは分かってた。だから、俺様の勝機は、落雷が落ちなかった、
「……土……蜘蛛?」
未だ何も把握できていない金時に――勝者に。
敗者たる妖怪は、それを告げる。
「英雄――テメェの勝ちだ」
瞬間――何処からともなく、一本の矢が飛来する。
金時はそれを辛うじて目で追えた――土蜘蛛は反射的に、その矢を左の掌で防ごうとして。
土蜘蛛の左手は――容易く、大きく後ろに弾かれた。
「っ?!」
あの金時の鉞すら弾き返した土蜘蛛の皮膚が、最終形態にまで強化されて更に強靭となっている筈の土蜘蛛の身体が、たった一本の矢で、ボタボタと血を流し、だらんと力無く動かなくなっている。
土蜘蛛は、そんな自分の左手を感情のない瞳で見詰めていると。
「――驚かないということは、もう気付いているんだね。既に――
金時はその声の方向に反射的に目を向ける。
そこには烏帽子を被り、弓を構えた若々しき没落貴族がいた。
眠そうに半分閉じられた眼は、けれど鋭く、五本目の腕を失った妖怪を見据えている。
「季武の小僧! どうしてここに!?」
坂田金時や碓井貞光と同じく、頼光四天王に名を連ねる男は「僕はお前よりも年上だ。小僧と呼ぶな餓鬼」と金時を一瞥することもなく吐き捨て、真っ直ぐに土蜘蛛だけを見据えている。
「ちょっと事情があってね。予定よりも早く到着することが出来たんだ。お前達の部下が頑張って森に道を作ってくれてたしね。だから――こうして、間に合った」
僕達は――ここに辿り着けた。
季武はそう言って、道を譲る。
彼の後ろから現れたのは――『鬼』の面を被った鎧武者だった。
一切正体が分からない、兜を被り、甲冑を纏い、鬼面で顔を隠した武者だった。
決して大男ではない。
土蜘蛛はおろか、金時や貞光よりも一回り小さい、実年齢よりも遥かに若く(幼く?)見える季武と同じくらいだろうか。
だが、その鎧武者が登場した途端――金時の胸に、安堵の念が満ちる。
ああ――もう大丈夫だと。
何故なら――来てくれたのだから。
まるで、英雄――のように。
「――源頼光……かの神秘殺しのお出ましか」
金時ら頼光四天王の長にして――平安最強の神秘殺し。
この日ノ本においても紛れもない最強の一角が、同胞達の最大の窮地に駆け付けた。
「……時間切れ、か」
土蜘蛛は全てを悟ったが如く――天を仰ぐ。
暗い洞窟の中では見えないが、きっと昇り始めているであろう――太陽を睨み付けるように。
『――貴様の負けだ、妖怪』
鎧武者は、右の篭手の人指し指を土蜘蛛に向ける。
『例え、コイツらをここまで追い込む貴様がどれだけの強者であろうと、夜が明けた以上――この私に勝てる妖怪など存在しない』
鬼の面の中で、頼光は鋭い眼光を放ちながら告げる。
土蜘蛛は、この日ノ本で最も妖怪を殺す術に長けた男を前に――それでも、最後に残った右拳を握る。
「……なるほど――これが、俺様の生涯最後の戦いか……ッ!」
土蜘蛛は獰猛に笑い――爆発するように、妖力を急激に膨れ上がらせた。
それは夜明けを迎えた妖怪とは思えぬほどに、正しく蝋燭が最後の火を燃え上がらせるような、今わの際の耀き。
(……なるほど。これが流浪の大妖怪・土蜘蛛。死に瀕して尚、これほどまでに凄まじい妖力を放つとは)
季武は目を細める。不意打ちとはいえ自分の矢の一撃で片腕を吹き飛ばすことが出来たのは、それだけ――金時と貞光の奮闘により弱らせることが出来ていたからだろう。
彼等の戦いは、決して無駄ではなかった。
それを察したように――頼光は二人に向かって言う。
『――貞光。そして、金時。二人とも、よく戦った』
自分達の敬愛する主からの褒め言葉に、貞光は息絶え絶えながらも笑みを浮かべ、金時は露骨にほっとする。妖怪ごときに何を手こずっていると拳骨を食らうことも覚悟していたからだ。
『金時のその半身に関しての説教は、京に帰ってからにしてやろう』
無論、全てが許されたわけではなかった。
金時が表情を消して冷や汗をだらだら掻きながら力無い笑いを漏らす中で――土蜘蛛は更に一段と、妖力を膨れ上がらせる。
「神秘殺し――我が生涯を締め括る相手として一切の不足なしッッ!!!」
かつて六本あった腕も、残すはたった一腕のみ。
その一腕を大きく、太く、強く膨れ上がらせ、空間が歪む程の莫大な妖力を纏わせる。
貞光も、季武も、金時すらも思わず息を吞む中――その神秘殺しは、静かに一歩を踏み出しながら、腰の刀へと手を伸ばす。
『我が四天王の奮闘、決して無駄にはしない』
部下の手柄を掠め取るようで心が痛むが、美味しい所を頂くとしよう――そう呟きながら、ゆっくりと腰を落とす。
『――来い、妖怪』
「行くぞ――人間ッッ!!!」
土蜘蛛の言葉に、頼光はふと口角を緩める。
(――
季武はそれに気付いて目を見張る。
あの頼光が、妖怪に対して、
金時と貞光をここまで追い詰め、頼光にこの技を使うことを選択させた妖怪――土蜘蛛。
(すごい……男だ)
季武は、決してその瞬間を見逃すまいと、眠そうに半分閉じられた瞳に力を入れる。
「我が生涯に、まつろわぬ闘争の日々に、一片たりとも悔いはない!!!」
土蜘蛛が最期の特攻を敢行する。
その覚悟を決めた言葉とは裏腹に、彼は最後まで、己が勝利のみを目指していた。
凄まじい――突撃。
それは、まるで雷光のようで、地を蹴った轟音が、この距離でも遅れて聞こえるほどだった。
貞光も、金時も、その動きを捉えることは出来なかった。
目を凝らしていた季武も――その目ではっきりと捉えることが出来たのは、己が主の太刀が、振るわれるその瞬間のみだった。
気が付いた時には――全てが終わっていた。
土蜘蛛の拳は、振るわれることすらなかった。
頼光と土蜘蛛――両者の立ち位置が、いつの間にか逆転していて。
チャキ、と。妖刀・童子切安綱が、鞘へと
一拍の遅れの後――幾重もの斬撃が閃き――そして。
大妖怪・土蜘蛛の――最後の腕が、宙を舞った。
「…………ああ――」
楽しかったぜ――その言葉を、最期に。
土蜘蛛の身体に幾重もの剣閃が走り、その巨体はバラバラに斬り刻まれた。
決着は一瞬。
ここに、平安最強の神秘殺し・源頼光の伝説に――『大妖怪・土蜘蛛退治』が新たに加わって、今宵の『魔の森の決戦』は幕を閉じた。
+++
激闘は終わった。
金時が大きく息を吐き、貞光が切れそうになる意識を必死で繋ごうとしている中――それに気付いたのは、細めた眼を更に細めていた季武だった。
「――消滅、しませんね」
その言葉に金時も気付く。
通常、絶命した妖怪の肉体はボロボロと崩れ始める。
特殊な術式などを使用しない限り――それは生前、どれほどの大妖怪であっても例外ではない、が――。
「――つまり、土蜘蛛は未だ死んでいないってことか? ……こんな、肉片になっちまっても」
金時は悍ましいというよりは、少し悲しげに言う。
強過ぎるというのは、ここまで残酷なことなのだろうか。
あの凄まじい最期に泥を塗られているような気がして、金時は小さく唇を噛み締めた。
「とはいえ、流石のコイツも、この状態で日光に晒せば完全に消滅するだろう。そんな顔をするくらいなら、お前がソイツをそうやって弔ってやれ」
自分も相当に死にそうな貞光が金時に向かってそんなことを言う。今にも倒れそうな貞光の元に季武が肩を貸しに行くのを見遣ると、金時は「……ああ。そうだな」と、土蜘蛛の肉片を拾い上げようとして――。
「――いえいえ、それは余りにも
戦いが終わった戦場に――そんな怪しげな声が響くのと。
突如――洞窟の入り口から
「な――ッ!」
「――――ッ!!」
そして、満身創痍の貞光、貞光に肩を貸していた季武が動けないのを尻目に。
土蜘蛛の肉片を拾い上げようとしていた金時は――見た。
「――――ふふふふふ―――ふふ――――ふふふふふふふ――――ふふふふふふふふふふふふふふふふふ――」
闇の中から、無数の――烏天狗が突っ込んでくる様を。
(――烏――天狗――――ッ!?)
その異様な様に金時が硬直する中――唯一、動けたのは、鬼面を被った平安最強の鎧武者。
『――何奴だ』
空間を呑み込もうとしていた濃密な闇と無数の烏天狗。
それを頼光は、童子切安綱の一振りで吹き飛ばした。
闇が晴れる洞窟内――そして、金時達を見下ろすように黒い翼で宙に漂うのは。
「流石は平安最強の神秘殺し。お見事でございます」
一体のみ、健在の烏天狗。そして――その烏天狗の手には、一本の巻物が広げられていた。
「ご安心を。私は戦いに来たわけではございません。――こうして、戦士を迎えに来ただけでございます」
烏天狗の言葉に、季武が地面に目を向けると。
「――! 土蜘蛛の肉片がなくなっている」
「何!? じゃあ、まさか――」
金時が烏天狗を見上げると、烏天狗は既に巻き終えた巻物を、虚空に開けた漆黒の窓に向かって突っ込みながら、笑みを浮かべて語っていた。
「坂田金時様には既にお話させていただいておりますが、私の今宵の目的は妖怪・土蜘蛛の始末にありました。皆様方には大変感謝しております。とある事情により巻物に空きが出ましたのでどうせならと回収に参りましたが――まさか、こんな有様とは思いませんでした」
しかしまぁ、我が主ならば
(――
そして、考え込みながら――目にも止まらぬ速さの斬撃を宙にいる烏天狗に向かって放つ。
胴体を真っ二つにされる烏天狗だが、「……頼光の棟梁……たぶん、無駄だ」と金時が言う。
「ここにいるアイツは本体じゃない。土蜘蛛を封じた巻物もどっかに送っちまった以上、今、浮かんでるアイツをどうこうしても意味はない」
「その通りです。ですが、誤解なきよう。再度申し上げますが、私は戦いに来たのではありません。讃えに来たのです」
いつの間にか復活している烏天狗は、巻物を手放して自由になった両手で、ぱちぱちと手を叩いて――その言葉通り、讃える。
「こんぐらっちゅれーしょん。今宵の戦い、皆様方――英雄様の、完全勝利でございます」
そして、
貞光は、季武は、頼光は――金時は、殺意を込めて、睨み付ける。
「
「……そんなことを、俺達がはいそうですかって信じると思ってんのか」
金時は鉞を杖のようにし、渾身の力を振り絞りながら――立ち上がる。
「テメェは――何なんだ? 『狐』勢力に
『それに加えさせてもらえば、貴様が先程使った術式――“虚空の窓”』
金時の言葉に続けながら、頼光は鬼の面の中から真っ直ぐに烏天狗を見据えながら言う。
『あれは――
そして、頼光も――金時と同じく、問い掛ける。
『貴様は――何者だ?』
英雄たちの濃密な詰問と殺気を受けながら――烏天狗は、飄々と答える。
「私が何者か――そのようなことは、これから起こる時代の転機には、大きな戦争においては、小さくつまらない些事でございます」
これは、今宵の
「今宵、この魔の森の前哨戦の裏側で、狐の姫君・玉藻の前は、鬼の頭領・酒吞童子と
「「「『―――――――――っっっっ!!!』」」」
烏天狗のその言葉に、英雄達は揃って息を吞んだ。
二大妖怪勢力の首脳会談。
そして、その目的が、共同戦線を張る為の――同盟の締結。
「――――なんで、そんな――」
「……それが百歩譲って、本当だとして――どうしてそれを、我々に明かすのだ?」
絶句する季武。額に汗を掻きながら聞き返す貞光に、烏天狗は「ですから申したでしょう! 今宵の前哨戦での勝利への褒賞だと!」と高らかに、歌い上げるように言う。
「それに――問い掛けたかったのです。これより始まる大戦に対し、重要な登場人物であるあなた方に、覚悟の程を、問い掛けたかったのです」
烏天狗はそう言いながら、ニヤニヤと笑いながら――坂田金時を、真っ直ぐに見据えながら、問う。
「あなたは戦えますか? もう一度――鬼の頭領・酒吞童子と」
今度こそ、その手で、あの鬼を、殺せますか――そう、問い掛けた、烏天狗に。
「――――――ッッ!!!!」
金時は宙に浮かぶ烏天狗に向けて――今度こそ、洞窟の閉ざされた天井を突き破り、赤雷を落とす。
「……テメェに、言われるまでもねぇ」
それは、土蜘蛛はおろか、ここにはいない烏天狗の本体にぶつけても殺しきれないような小さな規模の赤雷だったが、金時はまるで、己が身を叱咤するように――何かを殺すように、落とした赤雷に誓う。
「オレは――英雄になる! 今度こそ! 誰にも負けねぇ! 最強の英雄に! その為なら、狐の姫君だろうが――何だろうが、殺してやるよ!! 妖怪は!! 一匹残らず!! このオレが絶滅させる!!」
突き破られた洞窟の天井から、一筋の朝日が差し込む中で、金時は――英雄は、吠える。
「酒吞童子を倒すのは――この坂田金時だ!!!」
赤雷が晴れた後、新たな烏天狗の残像は現れなかった。
――期待していますよ、英雄の皆様。
ただ、遠ざかるように、その声だけは洞窟内を残響していた。
――どうか、よい戦争を。
そして、烏天狗の気配が完全に消え、妖怪がいなくなった朝日が差し込む戦場で。
妖怪を殺す英雄を束ねる武者は、戦いを締め括る、最後の命を下した。
『――帰還するぞ。我らが平安京へ』
そして――向かう。新たな戦争へ。
「…………」
金時は、赤き龍の拳を握る。
近付いている――全てを終わらせる戦いが。
全てに
+++
こうして、平安京の『外』で、真っ暗な森と洞窟の中で繰り広げられていた『前哨戦』は幕を閉じた。
そして、英雄達が帰還する平安京――そこから遠く離れた、この魔の森よりも遥か先の、京の目の届かぬ僻地にて。
関東平野に広がる武士の国――坂東にて、それは目覚め始めていた。
そして、赤き雷と激突した――赤き流星もまた、京から遥か離れた地に墜落を果たしていた。
坂東の地にて、目覚め始めたモノ。
そして、星の外から飛来した、赤き流星の中から飛び出すモノ。
妖怪大戦争の最後の
第四章――【魔の森の土蜘蛛】――完
用語解説コーナー㉖
・土蜘蛛
土蜘蛛とは、元々、朝廷に服従しなかった「まつろわぬもの」への蔑称だった。
政府は、自分達に従わない彼らをまるで人ではないが如く扱った。死して尚、五体バラバラにして封印し、蘇らないように呪った。そうして、彼等は何時しか妖怪となり――土蜘蛛という、怪物となっていった。
土蜘蛛とは、「土隠(つちごもり)」から来ていて、彼らが穴式住居に住むものたちであったという説があるが――それもまた、自分達が追いやった彼らを蔑する為に、朝廷が広めたものだったのかもしれない。
本来の歴史の頼光伝説では、京の土蜘蛛として登場する、鬼の顔に虎の胴体に蜘蛛の手足を持つ獣頭蜘蛛身の妖怪である土蜘蛛だが――この世界では、突然変異のように戦闘特化個体が生まれた。
既に土蜘蛛という妖怪は彼以外は絶滅していて――まるで、土蜘蛛という、支配への拒絶概念の結集体のように、「まつろわぬもの」としての究極体として、彼は長き逃走ならぬ闘争の日々を生き残り続けた。
狐であろうと、鬼であろうと――そして、人間であろうと。
彼を服従させることは出来ず、彼を支配することも出来なかった。
大妖怪・土蜘蛛は、その生涯の最期まで支配と戦い続けて、ナニモノにも服従することなく、その偉大なる命を燃やし尽くした――と、誰もが思った。
その僅かな残り火を、とある烏が、気紛れに掻っ攫うまでは。
烏が、蜘蛛を、果たしてどのように弄ぶのか。
それはまだ、この時点ではまだ誰も知らない、回収未定の伏線である。