比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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この星から、出て行きなさい。


妖怪星人編――㉘ 箱入り姫の星出

 

 そこからの人生は、この後の物語は、まるで雪崩のようだった。

 

 自分ではどうにも出来ない何かが、まるで運命とか時代とか、そういう大きすぎるスケールの何かが、自分という主人公(なにか)を無視して勝手に話を進めているかのように、一方的に進んでいった。

 

 将門によって殺された兄・平国香の代わりに氏長者となっていた平良兼は、先代の氏長者への仕打ちを理由に将門の領地へ攻め込んできた。

 絶対的だった兄が死に、地元の有力者だった将門の室の元婚約者の父も失脚して、良兼はふっと湧いた好機に欲が出たのだ。

 

 これで将門をも打倒すれば、坂東は我が物となる。

 そう舌なめずりをし、腕力自慢だった弟・良正、そして、一族きっての才覚の持ち主であった亡き国香の長子・貞盛をも戦力に加えて――制止する貞盛の言葉にも耳を傾けずに、三千の兵を率いて挑み掛かり。

 

 たった一日で、僅か三百の兵を率いた平将門に敗れ去った。

 

 屈辱であった。

 一族きっての腕っ節を誇る良正と将門の一騎打ちを特等席で眺めていた良兼は、己が陣営の勝利を疑っていなかった。

 

 あの巨体を誇る良正が、黒き馬に跨がる将門に――腕一本で宙吊りにされる様を目の当たりにするまでは。

 

 魔人だと、良兼は思った。

 人間ではない。化物だ。怪異だ。彼奴(きゃつ)は妖怪ではないのかと心から疑った。

 

 良正はまるで掻っ攫われるかのように馬上から引き剥がされ、そのまま黒馬を走らせる将門に腕一本で宙吊りにされた後、無造作に捨て置かれるかのように投げられ、落馬した良正は首の骨を折って死んだ。

 

 その死に顔は、まるで信じられないものを見たかのように、恐怖と酸欠で真っ青に染まっていた。

 

 良兼はその目と合った瞬間に、甥である将門に見据えられた瞬間に、背を向けて一目散に逃げ出した。

 兵も部下も子も捨て置き、ただ我武者羅に死にたくなくて逃げ惑った。

 

 そして、どうにかこうにか逃げ延びた良兼は――震えた。

 恐怖、そして、それ以上の――屈辱で。

 

 兵法も何もかも捨て去り逃げ惑う良兼など、将門にとっては屠るのは容易かった筈だ。

 

 なのに見逃された――まるで、何度来ても同じことだと、そう良兼を見下すように。

 

 事実、そこからの平将門の隆盛は凄まじかった。

 三千の兵を三百の兵で破り、しかも民上がりの兵を一兵たりとも捨て駒にしていない。

 

 己の領地の民にも優しく、害されたら我が事のように怒ってくれると。

 気が付けば坂東の土豪達が続々と将門の元に集まり――まるで一つの国家のようになっていった。

 

 そこに目を付けたのが、将門が殺した例の元婚約者の父と、そして平良兼だった。

 

 平将門に朝廷への叛意在りと訴え、朝廷の軍を持って奴を捕らえろと求めたのだ。

 坂東の勢力を己が下へと集め、京への対抗勢力を作り上げていると。

 

 時は正に日ノ本中で平安京への不満が立ち込めていた全盛であり、瀬戸内では藤原純友という海賊が横行していた時機だった。

 

 それもあって朝廷は、事の真偽を確かめるべく、張本人である将門へ平安京への招待状を送りつけた。

 

 平将門はそれに素直に応じた。己が身に隠し立てるような黒い思いは何もないと。

 

 こうして、将門は久方ぶりに――平安京へと足を踏み入れることとなった。

 

 凱旋、である。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 追放、であった。

 

――出て行きなさい、ここから。

 

 この星から、出て行きなさい――そう言われて、彼女は家出を決行した。

 

 家出というか、星出というべきか。

 彼女は住み慣れた、棲み慣れたその星から、飛び出すように宇宙船に飛び乗ったのだ。

 

 箱入り姫――彼女はそう言われていた。

 生まれついて誰よりも美しく、誰よりも賢く、誰よりも強く――誰よりも化物だった彼女は。

 

 ただ、そこにいるだけで――その部屋にいるだけで、その星の全てを支配していた。

 

 その星は、いわゆる他種族国家だった。

 複数の『星人』が一つの惑星を分け合い、共存し、運営していた。

 

 その中でも彼女は――最強だった。

 彼女の種族は、数こそ圧倒的に少なかったものの、その星に暮らす他種族よりも、他の星人よりも圧倒的に強かった。

 

 それ故に、まるで隔離されるように限定的なエリア内で同種族のみで暮らし、他の種族は彼女達にまるで供物を捧げるように同族を餌として定期的に送り込みながらも不干渉を貫き、時折発生する他の星からの侵略者との戦い――『星人戦争』時には、戦力として、切り札として、応援を依頼され、それに応えるという契約の元に、共存は成り立っていた。

 

 筈――だった。とある『悲劇』が起きるまでは。

 

 結論を先に言うと、その『悲劇』を経て――彼女は、全てを支配した。

 正に、圧倒的な化物(イレギュラー)だった――『奇跡(キセキ)の子』と、そう呼ばれていた。

 

 彼女は賢かった。

 隔離された箱庭においても更に隔離された『子供部屋』の中からさえも――星一つを簡単に支配してしまうくらいに。

 

 彼女は美しかった。

 余りにも危険だと分かっているのに、彼女の美貌を目撃してしまった戦士達が、無数の傀儡という名の手足となってしまうくらいに。

 

 そして、彼女は、余りにも――強かった。

 強さ。そのたった一つのパラメータで、その全てが許されてしまう程に――生まれながらに、ただそこにあるだけで、彼女は只の最強だった。

 

 その星は、彼女というイレギュラーによって成立し、そして、彼女というイレギュラーによって崩壊の危機を迎えていた。

 

 ただ圧倒的に天才で、ただ圧倒的に美しい、ただ圧倒的に最強な――彼女というイレギュラーの機嫌一つで、ぐらんぐらんに揺れ動いてしまう、そんな危うい世界に作り変えられてしまった。

 

 それでも、彼女はその星に住まうどんな生物よりも、どんな星人よりも、賢く、美しく、強いが故に――絶対で。

 

 だからこそ、その星に住まうほぼ全ての星人が、己達の運命を、命運を、静かにゆっくりと諦めて、彼女という存在に委ねようとしていた――そんな時だった。

 

 鉄壁の如く締め切られた彼女の子供部屋の扉を物理的に開け放って、巨大過ぎるベッドで死んだように寝転んでいた、身体だけは大きく、そして美しく育った彼女に向かって――ビシッと、とある女が叱りつけたのは。

 

――出なさい。出て行きなさい。この部屋から。この城から。この国から。そして、この星から。

 

 その女性は――美しかった。

 星を揺るがす彼女ほどではなかったが、国を振り回すには十分過ぎるほどの、見る者の目を奪う、心を奪う美貌を誇っていた。

 

――世間知らずの小娘に振り回されるのは、もううんざりなの。あなたは知るべきよ。世間を。そして、世界をね。

 

 既に、その星に住まう全ての者が何も言えなくなっていた彼女に、それでも、この女だけは、はっきりとぶつけた。

 

 余りに賢く、余りに美しく、余りに強い――彼女というイレギュラーが星を支配して、果たしてどれだけの年月が経ったのだろう。

 既にこの星は、彼女が気まぐれに変えた仕組みで動いていて。既にそれは、彼女以外の誰にも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、複雑で、繊細なルールの元に運営されていて――けれど、それは余りにも完璧な、触れるだけで壊れてしまいそうな、見事な調和を生み出していた。

 

 だからこそ、世界は彼女を恐れた。

 自分達が理解出来ないルールで完璧に整えられた世界――それはつまり、彼女の機嫌一つで、世界は、この星は、理解不能な、解決不可能な、致命的なエラーを容易く発生させてしまいかねないということだからだ。

 

 故に、この星の住人は、彼女に対して、既に何も言えなかった。

 

 何も言うことも出来ず、何も思うことも出来ず――子供部屋のベッドの上で、彼女は余りにも完璧な独裁を敷いていた。

 

――大人を嘗めないで。あなたが崩した均衡なんて、あなたが作り上げた調和なんて、いくらでも整え直してみせる。

 

 彼女の余りに完璧な操縦(コントロール)は、その指示を送られた者が、本来の自分では不可能な仕事(パフォーマンス)を容易く可能にした。

 

 だからこそ、世界は彼女を恐れた。

 自分では絶対に不可能な仕事を前提として成り立っている世界――それはつまり、彼女の魅了(アシスト)無しの自分では、自力操縦(マニュアル運転)の自分では、この繊細な調和が成り立っている世界に、次の瞬間にも致命的なエラーを齎してしまいかねないということだからだ。

 

――大人が情けないことを言わないで。彼女は、あくまで彼女があなた達の性能(スペック)で可能なことをさせているだけよ。出来ないことをやらせているわけじゃない。出来るまで練習しなさい。鍛錬なさい。それでも出来ないというのなら、こんな世界はあなた達の、私達の身の丈に合っていないものなのよ。潔く手放しなさい。

 

 彼女という最強は、彼女という化物は――彼女という、奇跡(イレギュラー)は。

 

 彼女という存在以外の全てを震え上がらせてきた。

 どんな外敵からもこの星を守り続けて――それ以上に、この星に住まう誰もを恐怖させてきた。

 

 この世界は――彼女を恐れた。

 

 だからこそ――だからこそ。

 

 世界は彼女に恭順し、世界は彼女を隔離し、世界は彼女を――この狭い、子供部屋の中へと閉じ込めた。

 

 この星は――彼女を恐れた。

 

 だからこそ――だからこそ。

 

 星は彼女に依存し、星は彼女を確保し、星は彼女を――この狭い、何もない星の中へと閉じ込めた。

 

 この世界に――この星に。

 

 この国に、この城に、この部屋に――この『箱』に、閉じ込めた。

 

 だからこそ――そんな『箱入り姫』に、女は、言った。

 

――私を嘗めないで。私に情けないことを言わせないで。アナタの尻拭いくらい、いつでもやってみせるわよ。

 

 こうみえても、一つの国をめちゃくちゃに振り回してみせた女なのよ――女性は、まるで檻に閉じ込められるように、ベールの中のベッドから出ようとしない彼女に向かって、挑発的に言い放つ。

 

――悔しかったら、アナタも見学してきなさいな、社会ってものを。こんな狭い『箱』に閉じこもってないで、その目で、その耳で、その足で、その手で、その牙で、味わってきなさいな。……ちょうど、おすすめの場所があるわよ。

 

 女性は、その狭い部屋の窓を――きっと彼女が、ずっとずっと眺めてきたであろうその窓から見える、青い惑星を指差した。

 

――いいところよ。わたしはそこで、色んなことを学んだ。温かさも、冷たさも。愛も、恋も、憎しみもね。きっとアナタも、虜になるわ。

 

 あなたのことも、きっと――受け入れてくれる()()もいるわ。

 

 女性はベールを開けて、彼女を真っ直ぐに見据える。

 自分以外の誰もを、たった一目で魅了してきた彼女の美貌を直視しても――女は、小さく微笑むだけだった。

 

 誰もが彼女を天才と讃える。誰もが彼女を最強と崇める。誰もが彼女を、化物と恐れる。

 

 けれど、その女は違った。

 女には――彼女は、只の、寂しそうな、女の子にしか見えなかった。

 

 だから女は、彼女が誰かに言って欲しかったであろう言葉を告げた。

 

 それはきっと――女がいつか、誰かに言って欲しくなかった言葉だった。

 

――いってらっしゃい。あなたには、行くべき場所があるんだから。

 

 それでも、何処に行こうとも何も変わらないと、拗ねるように言う彼女に、女は挑発的に言う。

 

――なら、また世界征服でもしてみなさいな。()()とは違い、()()はそんなに上手くはいかないとは思うけどね。

 

 それでも――それでも、また、閉じ込められるようなことになったなら。

 

――その時は、今度は私が、迎えに行ってあげるから。

 

 余りにも天才であったが故に――何もかもを見限っていた彼女は。

 余りにも最強であったが故に――何もかもを見下していた彼女は。

 

 余りにも、化物であったが故に、生まれて一度も負けたことのなかった彼女は。

 

 この時、初めて――負けを認めた。

 

――いってらっしゃい。リオン・ルージュ。

 

 箱入り姫と、ずっと揶揄されていた彼女は――もう、誰も呼ばなくなったその名をもって、背中を押されて。

 

 その勢いそのままに、部屋を飛び出し、城を飛び出し、国を飛び出し――星を飛び出した。

 

 赤くて丸い宇宙船に飛び乗って、青くて丸い惑星へと飛び込んで。

 

 

 真っ赤な雷に撃ち抜かれて――知らない何処かへと墜落した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 女は目を覚ました時、お決まりの台詞を恥ずかしげもなく呟いた。

 

「ここは――どこだ?」

 

 そして体を起こし、頭を押さえた所で、再び非常にテンプレな言葉を零した。

 

「――僕は、誰だ?」

 

 非常にありきたりで、つまらないことだが――彼女は記憶喪失だった。

 

 が――しかし。

 

 何処かの間抜けな男と違って――女は天才だった。

 

 それ故に、直に全てを思い出す。

 

「ああ――思い出した。そっか、僕、家出したんだっけ」

 

 女は立ち上がり、宇宙船から飛び出して、そのまま闇雲に歩き出した。

 

 神秘郷の不可視の結界を、まるで天蓋ベッドのベールを潜るみたいな気安さで突き破って、そのまま美味しそうな匂いのする方へと大ジャンプした。

 

 そして、そのまま隕石みたいに落下し、空腹に突き動かされるがままに――辺り一面に転がる、妖怪達を喰らった。

 

「――いただきます」

 

 

 こうして、妖怪の国――()()()()()()()

 

 

「えっと……あの女に挑発されるがままに星を飛び出したのがいつのことだっけ……で、宇宙船がなんかにぶつかって制御不能になって……あれ? 僕、いつ宇宙船から出たんだっけ? ここ、どこだっけ? どれくらい歩いたんだっけ? どれくらい食べたんだっけ?」

 

 僕は、何をしに、()()に来たんだっけ? ――紅蓮の髪の美女は、妖怪達の屍が、蝦夷に住まう全ての妖怪が、真っ黒な灰となって消えていく中で。

 

 黒灰に包まれながら――それでも、太陽を浴びることだけは無意識に避けながら、差し込む日光を、久しく認識していなかった己が天敵を、まるで睨み付けるように眺めながら。

 

 ひとりぼっちで、途方に暮れる。

 

「…………嘘つき」

 

 こうして紅蓮髪の美女は、星から飛び出した箱入り姫は、来星初日に、あっという間に一つの国を滅ぼした。

 

 己の名も思い出せなかった女が、己の名を思い出す前に――朝飯前とばかりに、一つの国を食べ尽くした後。

 

――行ってきなさい。あなたには、行くべき場所があるんだから。

 

 それでも、まるで何かを求めるように、足を止めず、そのまま夜になり太陽が沈むと、彼女は山を下り、人里に下りた。

 

 食べても食べても――腹が減った。

 

 何かを求めるように、何かを探すように徘徊する紅の美女は、すれ違う全ての生物を喰らって回った。

 

 違う。違う。違う。

 違うっ! 違うっ! 違うっ! 違うっ!!

 

(僕は、こんなことがしたくて飛び出したのか? 僕は、こんなことを求めて、あの部屋を飛び出したわけじゃない!!)

 

 自由に――なりたかった。

 

 理解出来なかった。

 

 何故、みんなもっと賢くやらないのか。

 何故、みんなあんなにも醜いのか。

 何故、みんなどうしようもなく――弱いのか。

 

 理解出来なくて、意味が分からなくて――だから、教えてあげたんだ。

 こうすればもっと賢く、こうやればもっと美しく、こう出来れば――もっと強くなれるって。

 

 でも、そうしたら、みんなが彼女のことを恐れた。

 拒絶し、隔離し――気が付いたら、閉じ込もっていた。

 

 箱の中の世界はすごく息苦しくて、だけど、自分がこうすることを、誰もが、何もかもが――望んでいたのは分かっていたから。

 

 リオン・ルージュという化物は、こうしているべきなのだと、理解出来たから。

 

 そうすれば平和で、そうすれば穏やかで――それこそが、調和のとれた世界だと。

 

 これが、簡単に導き出される――ひどくつまらない、正解だと。

 

――あなたは知るべきよ。世間を。そして世界をね。

 

「――――っっ!!! こんな世界ッッ!! 知ったところで――ッッ!!」

 

 ほれみたことか。分かっていたことだ。

 

 世界はこんなにも脆い。

 リオン・ルージュという化物が、自由なんてものを求めた所で――。

 

 一体、何処の誰が――受け入れてくれるっていうんだ。

 

「――やめろ」

 

 その時――涙と共に振るわれた紅蓮の爪が、受け止められた。

 

 自分が八つ裂きにしようとした子供を庇うのは――地味な色の着流しの男だった。

 

 墨色の髪。すらりとした長身の体躯。

 端正な顔立ちだが――何よりも目を引くのは。

 

 紅蓮の爪を受け止めた――彼女の瞳と同じ、黄金の太刀。

 

「やり過ぎだ」

 

 彼女のことを叱ってくれた二人目は――何の変哲もない、只の人間の男だった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 男を初めて叱ってくれたのは――この国の権力の頂点に君臨する覇者だった。

 

 やり過ぎだ――と。

 

 何をやっておるのだと、そう大きく溜息を吐く太政大臣に、男は下げた頭を上げることが出来なかった。

 

 藤原忠平(ふじわらのただひら)――かつて短い期間ではあったが、将門が京にて主と仰いだ権力者は、遂には右大臣から太政大臣となっていた。

 

 将門はこの殿上人にいつか我が剣にと目を掛けてもらっていたが、早々に京を後にして何も返せなかったばかりか、此度の反乱疑惑である。恩人に仇を返すような事態になってしまったことを、将門は心から苦しく思った。

 

 そんな不義理な男に対しても、忠平は京で最も豪勢な屋敷――つまりは我が家への滞在を許してくれた。

 忠平もどっぷりと平安京の闇に浸かっていて、出世欲に身も心も明け渡したような男だが、それでも、貴族特有の平民や武士を見下すような狭量さはない。

 

 使える男なら平民だろうと武士だろうと――それこそ妖怪であろうと利用する、そんな狡猾さを持ち合わせている怪物だった。

 

 だからこそ、だろうか。

 忠平は坂東の野蛮な獣だと揶揄されていた将門も、そして従兄弟の貞盛も積極的に重用した――京を後にした将門と違い、貞盛の方は未だにこの男の下で順調に栄達の道を歩んでいる。

 

 将門の凱旋を歓迎するという宴には、その姿を現すことはなかったが。

 

「…………」

 

 忠平は、悪いようにはしないと、将門に言った。

 坂東の平氏一族の内乱も、きっかけは相手方だという弁明を理解してくれたし、何より将門の方に朝廷への叛逆の意思がないことは、こうして面を合わせて伝わったと、そう言ってくれたのだ。

 

 だが、瀬戸内の海賊の方は、はっきりと平安京に対して害意を抱いていることは明らかだし、藤原純友(ふじわらのすみとも)は自らそう宣言している。そして、将門の処罰を求めた良兼らは、京の治安維持部隊であり罪人を裁判する権限も持つ検非違使庁に、それはもう熱心に平将門という男の危険性を訴えているという。

 

 故に、坂東の地に帰ることが出来るのは少し先になりそうだと、忠平は将門に言った。そこには少しでも長く将門を京に滞在させ、今度こそ己の元に引き込もうという魂胆が見え隠れしていたが、こちらは藤原忠平という「(いち)(かみ)」に庇ってもらう立場だ。嫌だとは言えなかった。

 

 そして、宴が落ち着き、京が寝静まった頃。

 

 ひっそりと屋敷を抜け出した将門の足は、かつて迷い込んだ森林の方角へと向いていた。

 

 大きく、息を吐く――あの頃と違い、吐いた息は白く色付いた。

 

 相変わらず、魔窟だと思う。この場所の空気は不味いと感じる。

 あの頃と何も変わっていない――否、あの頃よりもずっと、暗く、重く、沈んでいるように見えた。

 

 灯りが消えて、必死に眩く飾った化粧が落ちたかのような夜の京は、まるで本性が明らかになったかのように――薄汚い。

 

 まるで蝦夷よりも、よっぽど妖怪の住処であるかのようだ。

 今や西には大きな敵対勢力が生まれ、自身も東の敵対勢力となるのではと疑われている――終わりゆく京。

 

 やはり自分の居場所ではないと、十年以上ぶりの凱旋にも関わらず、将門がまるで心が躍らない風景に失望を覚えていると。

 

 まるで、将門が唯一残した心残りが、己が居場所を伝えるように――温かく光る。

 

 いつの間にか、将門は再び辿り着いていた。

 豪奢な屋敷から遠く離れた、本当に平安京の中なのかも疑わしい――秘境。

 

 十年以上の月日が経とうと、一日たりとも忘れたことはなかった。

 

 全てを覆い隠すような霧の中、それでも、平将門という男だけは足を踏み入れることを許されたかの如く、導くように仄かな灯りが足元を照らす。

 

 そして――女は待っていた。

 真っ暗な森の中で、美しい狐火が灯る山小屋の前で、まるで今宵、男が帰ってくることを知っていたかのように。

 

 ああ――と、将門は感嘆の息を漏らす。

 何もかもが変わり果てていく中で――彼女だけは、何も変わっていなかった。

 

 まるで、穢れていなかった。

 息を吞む程に美しい――真っ白なままの、白狐。

 

――(くず)()

 

 男は彼女の名を呼んだ。

 

――将門(まさかど)様。

 

 女は彼の名を呼んだ。

 

 そして、男は女を腕の中に閉じ込めて。

 妖怪は人間を決して解き放そうとしなかった。

 

 平将門と葛の葉は、この日、夜が明けるまで、互いを求め続けた。

 

 長き別離の時間を埋めるように。

 いつまでも、いつまでも――互いを感じられるように。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 夜が明ける直前――将門は神秘郷を抜け、平安京へと帰還した。

 

 そして、それを一人の老爺が見ていた。

 

「――昨夜は、お楽しみであったようで」

 

 ふぇふぇふぇと怪しく笑う老爺に、男は目を細めた。

 

 見たこともない老人だ。

 体躯は小さく、杖で己を支えている。頭髪も半分以上失っており、顔には深い皺が刻まれていた、見たことはないが、どこにでもいる爺だ。

 

 まるで寝惚けながらも家を出て、朝の散歩の途中に通りがかったかのよう――しかし。

 

 将門は、そんな老人と目が合った瞬間、腰に吊り下げた刀に手を添える。

 

 老爺の――血のように赤い瞳が、どうにも不気味に思えたのだ。

 

 貴殿は何者かと、将門は問うた。

 

 老爺は、再びふぇふぇふぇと笑い、いえ、何、ただただ見惚れていただけですよと、将門が出てきた林へと目を向ける。

 

「素晴らしい『力』をお持ちだ。正しく英傑の素質そのもの。その上、かの白狐の心を奪う『魂』をもお持ちとは。英雄にも、怪物にもなり得る逸材。……あぁ、本当に」

 

 面白い――そう呟き、くつくつと、噛み締めるように、老爺は笑う。

 

 男は遂に、刀を抜いた。

 老爺の放つ、異様な気配。赤く耀く瞳。何より、この老人は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――貴様、何者だ」

 

 将門は殺気と共に問うた。

 老爺は何も答えず、ただ不気味に笑うのみ。

 

 コイツは――危険だ。

 そう判断し、何より葛の葉を守る為、将門は未だ薄暗い平安京の中で刃を振るった。

 

「――やめろ」

 

 だが――それを、黄金の太刀が受け止めた。

 

「……コイツが気に食わないのはよく分かる。よぉく分かる。だが、これでもこの爺様は、平安京では少しばかり厄介な立ち位置にいるんだ。ここで殺しちまったら、ただでさえ危うい立場のアンタは終わっちまうぞ」

 

 将門は間違いなく殺す気で刃を振るった。

 しかし、老爺を庇うように突如として現れたその者は、ビクともせずにその一振りを片手で持った刀で受け止めたのだ。

 

 年齢は将門よりも少し若いか、同じくらいの歳の男。

 すらりと背は高いが、大男と呼ばれる将門よりは一回り小さい。体躯もがっしりとしているが細身だ。

 

 墨色の髪。涼やかな瞳。彫の深い将門とは違い、まるで少年のように端正な顔立ちだ。

 

「爺さんも、命が惜しければ他人を揶揄うのは大概にしろよ」

「ふぇふぇふぇ。すまんのぉ。これほどまでに才覚溢れる者を見たのは、お前さん以来じゃったものだから、年甲斐もなくはしゃいでしまったわい」

 

 将門は大人しく刃を引いた。

 それを見て、墨色の髪の男と、血色の瞳の老爺は、改めて将門と向き直る。

 

 では、老い先短い身じゃが、殺されとうはないので、あっさりと正体を明かそうかの――そう言って、老爺は将門に向かって名乗った。

 

「――儂の名はドーマン。蘆屋道満(あしやどうまん)。しがない、どこにでもいる、ただの陰陽師じゃ」

 

 そして、墨色髪の、黄金の鞘の太刀を刷く青年は――やがては終生の仇敵となる男に向かって名乗った。

 

「――俺は俵藤太(たわらのとうた)……じゃなかった。……えっと、秀郷(ひでさと)、そう秀郷だ」

 

 藤原秀郷(ふじわらのひでさと)――未来の英雄は、未来の魔人と対面し、そう快活に名乗ったのだった。

 




用語解説コーナー㉘

藤原忠平(ふじわらのただひら)

 藤原基経の四男であり、兄・時平の早世後に朝政を司った。
 ちなみに、基経は皇族以外で初めて摂政の座に就いた良房の義理の息子であり、時平は菅原道真公左遷の中心人物である。

 朱雀天皇の摂政、関白を務め、村上天皇の初期まで長く政権をその手中に収めていた。

 平将門は、平安京にいた頃、忠平の家人として仕えていた。

 彼もまた、藤原道長と同様、権力の頂に手が届く生まれではなかった。
 だが、長兄・時平は菅原道真との権力争いの末、勝利するも呪い殺されてしまう。

 その後、忠平は次兄・仲平を差し置いて、藤氏長者となった。

 権力の絶頂であった長兄の失脚、そして菅原道真という大怨霊の脅威をその眼に焼き付けた忠平は、その生まれから元々薄かった、己は選ばれたものであるという自惚れを捨て去り、あらゆる手段を用いて権力の座を維持することに固執した。

 その一つが、蛮族と忌避されていた坂東武士である将門や貞盛の重用である。

 忠平の最大の才こそが、その『眼』であった。
 
 道真を左遷させた長兄の余りに無残な末期を、長兄に加担していた者達が次々と呪い殺されていくのを、そして、絶対不可侵であった天皇の住まう殿に雷を堕とすことすら成し遂げた――菅原道真という怨霊の凄まじさを。

 そんな道真と友好的な関係を築くべく、かの男の凄まじさを見抜いてた己の眼に――こうして生き残り、そして頂まで出世することが出来たからこそ、忠平は全幅の信頼を置いていた。

 この世に絶対などない――それを深く刻み込んだ忠平は、ただ、己の眼で見たもののみを信じた。
 その結果、選ばれしものである長兄が成し遂げられなかった長期政権を実現させた。

 そして、そんな忠平の眼は――今、再び、見抜いていた。
 かつて菅原道真という男の器を見抜いた、その時と同じように。

 平将門。
 あの男こそは、かつてみた菅原道真と同様に――絶対を覆す、真の意味での、選ばれしモノだと。

 ちなみに、忠平の次男である藤原師輔の三男が、藤原道長の父である藤原兼家である。
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