何だ――コイツは。
「君は――何だい?」
燃え盛るリオンの爪を、悠々と受け止める着流しの男。
男は庇った子供を逃がしながら、己と同じくらいの背丈の、紅蓮の髪の美女に向かって言う。
「お前こそ何だ? 一体――何がしたい?」
何がしたい――そう問い掛ける男に、リオンは激しい苛立ちを覚える。
何がしたい? 何がしたいだと。
こんなこと――やりたくてやっているとでも思っているのか。
「何が――何がしたいだって? 決まっているだろう! 見れば分かるだろうが!! お腹が空いてるんだよ! 腹が減って仕方がないんだ! 空腹で死にそうだ! だから喰った! だから殺した!! ――誰だってやっていることだろう!!」
ここまでの道中――色んなものを食い散らかしてきた。
来日どころか来星したてのリオンにはそれらの細かい区別はついていなかったが――例外なく、完食してきた。
蝦夷という一国を食べ尽くしたのを皮切りに、彼女が歩く一直線上にあったものは、それが動物の集落であれ、無辜なる民が住まう村であれ、武士が守る関所であれ――全てだ。
その全てを彼女は、一切残らず、一食残さず、一体も食い残すことなく食い荒らさってきた。
「それで気付いたんだよ! 君みたいな姿形をしている――人間っていうんだっけ! 宇宙の匂いがしない、この惑星特有の味がする君達が、どうやら一番美味しいってことにね! どうせ食べるんなら美味しい方がいいだろう! だから食べるのさ! だから殺すのさ! ――僕は何か、間違ったことをしているかい!?」
「……そうか。よくわからんが、腹が減っているんだな、お前は」
その淡白な反応に、再び思う。
リオンは思わずにはいられない――何だ、何だコイツは。
(僕にとっては只の食事だ。でも――コイツにとっては、同族を殺した化物だろう?)
優秀過ぎる頭脳を持つリオンにはそのことは十分に理解出来ていた。
この惑星の住人である『人間』は知能を持っている。感情を持っている。
だからこそ、この男は同族の子供を殺そうとする自分を止める為に、無謀にも立ち塞がってきたのだと――そう理解していた。
それが気に食わなくて感情に任せて挑発するようなことを言ったが――しかし。
この男からは、己の一撃を受け止めたその瞬間から、その邂逅から、一貫して――怒りという感情が一切伺えない。
同族を無数に食い殺したと自白する自分に、何の罪もない子供を手に掛けようとした自分に――何の感情も見せようとしない。
(――いや、コイツ……もしかして――)
そう戸惑うリオンの爪を弾き返した男は、そのまま懐に手を忍ばせる。
新たな武器かと警戒するリオンに、男は懐から取り出した――葉に包まれた、握り拳大の握り飯を手渡した。
「――――は?」
「食え。腹が減っているんだろう。――人間などよりも、こっちの方がずっと旨い」
なにせ、龍神から貰った米だからな――そう、無表情で、血の匂いを放ち続ける謎の美女に向かって言う男に。
「己の名前も思い出せないのに、こんなことばっかりは思い出す。この俵は無限に米が出てくるという代物だ。だから遠慮するな。好きなだけ食え」
足りなければ、また炊いてやると、まるで飢えて蹲る子供にそう言うように――全身から返り血を垂らし、五指の爪に紅蓮の炎を纏わせる、見たこともない
この時代の日本人において、外国人というのは、それだけで宇宙人のようなものだろう。
リオンは本当に宇宙人なのだが、少なくともこの時点において、男にとってリオンは只の――化物であった筈だ。
燃えるように鮮やかな紅蓮髪、そして正しく紅蓮の炎を纏わせている両手、血走ったように輝く黄金の瞳、ぽたぽたと食事の痕跡を残す鮮血滴る鋭き牙――そして、生物として圧倒的に格上であることを、否が応でも突き付ける、その迸るオーラ。
妖力とも、呪力とも異なる――けれど、近くにいるだけで全てを変えてしまうような、凄絶なる覇気。
四方を壁に囲まれた領域に建てられた城――その一室に閉じ込められながらも、一つの惑星を支配してみせた、規格外の
彼女が襲った村の全ての住人が諦観と共に意識を手放した。
男が助けた子供も、親元に辿り着くことも出来ずに地に倒れ伏せていた。
そんな中でも――男は。
まるで何も感じていないが如く――恐怖も、畏怖も、まるでどこ吹く風が如く。
立ち尽くす女に向かって、握り飯を差し出し続ける。
「いらねぇのか。確かに具はなんも入ってねぇが、十分に旨い。騙されたと思って食ってみろ」
男は尚も、無表情でそう、女に言う。
女は――そんな男が。
生まれて初めて出会う、生まれてから出会ったどんな存在とも違う、そんな男のことが。
「――――っ」
「――ふざけるなよ、人間」
リオンは、男が差し出した握り飯ごと――その手を弾いた。
「……それ以上、口を開くな。僕はお前が――嫌いだ」
リオンのこれまでの生涯において、自分の思い通りに動かない存在はいなかった。
その頭脳で、その美貌で、その最強で――その全てを思い通りにしてきた。
全てが答えの分かり切った答案用紙のように薄っぺらくて。あらゆる存在が、彼女の掌から逃れられなかった。
唯一、彼女の思考の外から影響を及ぼしたのが、彼女の部屋の扉を開けた『あの女』だったが――彼女の存在は、彼女の放った言葉は、ずっとリオンが望んでいた、待ち望んだものだった。ある意味、彼女もリオンの望んだ通りに動いた存在と言っていい。
だが、この男は違った。
目の前のこの男は、ことごとくリオンの勘に障ってくる。
――やめろ。
リオンの食事という現実逃避を阻害して。
――お前は何がしたいんだ?
リオンが触れられたくない核心に無遠慮に触れた挙句。
――食え。腹が減っているんだろう。
リオンのことを、まるでかわいそうな子供をあやすように、あろうことか、施しを授けようとした。
「……こんな屈辱は初めてだ。僕を……この、僕を…………一体、誰だと思っている……ッ」
「…………」
男は地面に転がった握り飯を拾い、丁寧に砂を払って「……食い物を粗末にするな」と呟いて。
「……それは悪かったな。余計な世話を焼いた。……俺には、お前が」
泣きそうな、子供に見えたもんだからな――男はそう、ぶっきらぼうに言った。
瞬間――リオンの視界が、発火した。
真っ赤に染まり――紅蓮に染まり。
一度地面に落ちた握り飯を頬張る男に向かって、その殺意を――全力でぶつけた。
「――――死ね」
それは、紅蓮の女王が生まれて初めて抱いた、己の身を焼き尽くさんばかりの――殺意だった。
+++
それは、漆黒の魔人として生まれ変わるべく初めて抱いた、全てを焼き尽くさんばかりの――殺意だった。
「――――殺す」
平将門は、勢いよく立ち上がり、激情を押し殺そうとし――けれどもまるで殺しきれずに、食いしばった歯の間から漏れ出した、どす黒い殺意が形になったような言霊を吐き出す。
蘆屋道満や藤原秀郷と対面を果たした、あの日から、およそ数年が経過していた。
結局の所、経緯はどうであれ、坂東に戦乱を齎した将門は、完全に無罪放免となることは出来なかった。
しかし、その直後に行われることになった、朱雀帝の元服式に出された大赦令によって、将門の罪は流されることとなったのだ。無論、その背後には太政大臣にして摂政であった藤原忠平が関与していた。
忠平は、坂東を平定した暁には、平安京へと再び上京し、己が下に仕えよと、そう背中を叩いて再び将門を下総へと帰した。
そして将門も、これほどの大恩を返すにはそれしかないだろうと覚悟を決めていた。身体に合わぬ空気に生涯耐えねばならなくなるが、此度はそれほどの温情を頂いたと自覚していた。
幸いといえるか分からないが、将門の長子である
いずれ良門が一人前となった暁には、領主の座を譲り渡し、自分は京にて余生を過ごすのもよいかもしれない。
そうすれば、ずっと傍にというわけにはいかないだろうが、今よりもずっと頻繁に、あの『白狐の小屋』を訪れることも出来るだろう――と、そんな風に思いながら、坂東で穏やかな日々を過ごしつつ、良兼ら敵対勢力と睨み合い、小競り合いを続ける中。
突如――その報は、将門の下に届けられた。
己が側室の一人である、君の御前姫の口から。
「――――それは、確かか……君の御前」
君の御前――現在、坂東を舞台に。打倒将門に執念を燃やしながら内乱を繰り広げている平良兼の娘であり、この平氏内乱のきっかけともなった将門の従妹であり側室である女は。
険しい顔を引き締めながら、恭しく指を畳につけ、己の夫にして最愛の人に、一切の偽りなしと決意を込めて言う。
「――はい。桔梗姫が、彼女の実家の使いという者と密会している中、確かにそのような報告を受けている様を、この目で、この耳で確かめました」
君の御前の言葉に、しばらく黙考し――やがて、将門は、吐き捨てるように言った。
「……桔梗を、ここへ呼べ」
呼び出された桔梗姫は、己の横に座る君の御前、そして、己の目の前に座る将門の、突き刺さるような視線の中、ゆっくりとその口を開いた。
「……確かに、実家からそのような知らせが届いたのは事実です」
「何故――すぐに、我に申さなかった?」
将門の、空間そのものが歪むような覇気に――桔梗も、そして、それを直接向けられているわけでもない君の御前もが息を吞む。
桔梗は無意識に頭を下げながら「……恐れながら、申し上げます」と、必死に言葉を選びながら弁明する。
「……陰陽師・蘆屋道満殿に関して、怪しげな噂が京に流れた例は枚挙にいとまが無く――言ってしまえば、よくあることなのです。そもそもが存在自体が不確かな御方。顔や姿を見たことがあるという者もほんの僅かで――」
「そんなことは、どうでもよい」
将門は桔梗の言葉を両断する。
存在自体が不確かな――まるで怪談のような陰陽師。
怪しいこと、恐ろしいことの代替者。
不都合なこと、不気味なことが起こったら、まるで都合の悪いことを全てそいつのせいにする都合のいい存在として使用される名前。
それが平安京における蘆屋道満という存在だと、桔梗は言うが――将門からすれば、そんな妄言は聞くに値しない。
将門は、この目で見ている。
だからこそ、断言できる。
そのような街談巷説、道聴塗説――その全てを、最悪の形で実現し得る邪悪。
蘆屋道満は――そういった、怪異だと、知っている。
故に――将門は、再び、強く、桔梗姫に問う。
「蘆屋道満が――京に住まう白狐の怪異を、永遠の命を齎す贄として、帝に差し出す。そういった知らせを、おぬしは聞いたのだな」
おぬしの
将門は、桔梗へそう問い詰める。
はいか、いいえか、どちらかのみで答えよという圧に――桔梗は、ただ二文字を口に出すことしか出来なかった。
「…………はい」
桔梗がそう答えると同時に、将門は立ち上がる。それを見て桔梗が頭を上げて「――ですがッ!」と必死に声を上げる。
「蘆屋道満殿は! 存在自体が不確かで、正式な官位などは授与されていない陰陽師ではありますが――どういうことか、歴代の一の上や、帝からの覚えは目出度い方だといいます! ……どういう形であれ、完膚なきまでにこちら側に理があるのならば、まだしも……」
桔梗はそれ以上は口を濁した。
将門は嘘をつけない。
それ故に、こうして複数の女を室として迎えるに辺り、将門は正妻を含めたその全員に、己と結ばれる際に――京で愛を交わした、白狐の怪異については伝えてある。
お前達のことは妻として愛そう。だが、この世で一番の愛は、葛の葉という女狐に捧げてある――と。
君の御前や桔梗姫は、それでも将門という男を愛しているが故に、こうして傍で侍ってはいるが。
それでも――。
「――確かに、
将門は桔梗が濁した言葉の先を、はっきりと口にした。
しかし――それでも、瞳の中の炎は、些かも衰えておらず。
「妖怪は人間の敵である。京の人間からすれば、帝に永遠の命を齎すならば、道満を褒め称えこそすれ……それを害そうという者は――京に対する、そして帝に対する叛逆者に他ならない。そういうことだな、桔梗」
将門は愚かではない。
自分の衝動が、そしてこれから成そうとしていることが――どれほど理を欠くことであるかは理解している。
だが――と。
食いしばる歯が、握り締める拳が、決してこのまま腰を下ろすことを許容しようとしない。
「葛の葉が――
ほんの数度だが、顔を合わせ、言葉を交わし、肌を触れ合わせた将門は知っている。
葛の葉は、あの穢れなき白狐は、何もしていない。
ただ――人間達よりも遥かに昔から、あの場所で静かに生きていただけだ。
それを後からやってきて、四方を壁で囲み、澱んだ空気が充満する京を築いたのは――人間だ。
彼女達の暮らす住処を荒し、彼女以外の同胞を狩り尽くして蹂躙したのは、人間だ。
それでも彼女は復讐を成そうとすることもなく、じっと耐えて、息を潜めて暮らしていた――それこそ、その気になれば、平安京を火の海に変えることが可能な力を秘めながらも、それを振るおうとしなかった。
ただ――悲しいほどに、優しかったから。
争うという野蛮な行為に、耐えきれない程の繊細な心を――穢れなき白い魂を生まれ持っていたから。
それなのに――ただ、稀少で、高位な力を持っていると、それだけの理由で、そんな彼女すらも陵辱しようというのなら。
「
将門は、一筋の涙を流す。
それが人間を見限り、
桔梗の手よりも、君の御前のその言葉の方が、ほんの少し早く、将門の心に触れてしまった。
「ならば――アナタ様がなればよろしいのです。
その言葉は、きっと決定的だった。
平将門という男が。
世紀の大逆人として、永劫に消えぬ呪いの怨霊として――人あらざる魔人として。
後世にまで悪名を轟かせることになる――それは、きっと。
致命的な、踏み外しだった。
「平安京が、帝が、それほどまでに人間をやめてしまったのならば、腐りきってしまったのだならば――アナタ様が、変えるのです。アナタ様が、なるのです」
そう、自らの夫の、その一歩を踏み出す背中を押す。
自分の為に内乱を起こす羽目になってしまった最愛の人が、最愛なる人を助けに行けるように。
君の御前は――天に唾を吐く、余りにも罪深い言の葉を放つ。
「あなたがなるのです――新たなる
平将門は、君の御前の、その言葉を以て。
一歩を踏み出し、彼女達の間を抜けて――通り過ぎざまに、一言、果てしなき決意を持って放った。
「魔なる人であろうと、新たなる皇であろうと――そうならなければ救えないものがあるのなら」
そして、平将門という武士が、新たなる皇を――我こそが『新皇』であると宣言し。
瞬く間に坂東を支配しにかかるのが、この数日後のことであった。
こうして、一人の男は破滅へと走り出す。
己が身と魂を『魔』へと堕とし、腐りきった京を破壊する為に。
+++
そして――それを誰よりも早く察知した男達が、平安京に存在していた。
一人は、理知的な相貌に、深い遺憾の意を示している壮年の男。
「――道摩法師……とんでもないことをしてくれましたね」
現在の平安京を支える根幹ともいえる陰陽庁――その頂点である
陰陽術――現代日本においては妖怪変化と戦う魔法の術のようなイメージがあるそれは、しかしその本質は占術、そして天文学にある。
星の動きを見て、未来を占う――それこそが陰陽の神髄。
つまり、この京で最も天体を観測するに適したこの場所は――平安京で最も陰陽の研究に没頭する賀茂忠行の
そして――今宵、その不可侵の結界に、土足でずかずかと踏入って、怪しげな術式を組み上げて嗤う老人が現れたのだ。
「ふぇふぇふぇ。固いことを言うな、忠行よ。お主がガキの頃に色々と授けてやった恩を忘れたか?」
それに、儂も歴とした陰陽庁に務める陰陽師じゃ。この場所を使う権利はあろうよ――と、老爺はこの国で最も権威ある陰陽師の言葉を意に介さない。
平安京の公的な記録には一切その名を残していないにも関わらず、こうして闇の中で暗躍する老爺は――この国で最も美しい夜空の下で、一匹の白狐を戒め、捕らえていた。
「今宵は、実に良い月じゃ。そうは思わんか――のう、
老爺が杖で地面を叩く。
すると、そこから美しい波紋が広がり――月の下で、両腕を見えない何かで縛られて吊されている、白狐の美女は絶叫を上げた。
まるで臓物を引きずり出されるような悲鳴。
それに表情を歪めた忠行は、老人を責め立てるように言う。
「――ッ! こんなことに――何の意味があるというのですっ!」
「お主も知っておるじゃろう。儂が教えたことじゃからな」
美しい狐の妖怪。
それも尾を複数本宿す妖狐は――
生まれ変わりを果たす毎にその尾を増やしている。つまり、多くの尾を持つ妖狐ほど、より強力な転生の異能を持つ妖怪であるということだ。
「この白狐は――八尾。これほどの転生力を持つ妖怪など――永き年月を生きてきた儂とてお目に掛かったことがない」
果たして、どこまでこの狐の尾は増えるのか、想像もつかぬ、極上の逸品じゃ――と、老爺は嗤う。
異例の転生能力を持つ妖狐の臓物を取り出し――その驚異であり脅威の異能を簒奪する。
これは、その為の儀式なのだと、蘆屋道満は、まるで妖怪のように、醜悪に――嗤う。
「転生妖怪・葛の葉――その異能はを正しく、御伽草子に描かれた『永劫の命』そのものじゃ。それを帝に献上するのじゃよ。儂はこれでも、陰陽庁に勤める、平安京に仕える、帝の忠実なる臣下じゃからの」
「――そのような妄言が聞きたいのではない。そのようなくだらぬおためごかしで、アナタがそのように嗤うことはないことは知っている!」
私は、他でもない、アナタの弟子なのだから! ――忠行は宙に五枚の術符を浮かせ、一枚の術符を指で挟み込み、構えて言う。
「アナタがそのように嗤う時は、世界を滅茶苦茶にする時と決まっている!」
何を企んでいる、蘆屋道満! ――そう吠える賀茂忠行に、己に向かって殺意を向ける弟子に向かって、笑みを浮かべて。
皺だらけの老爺は――大いなる月を見上げて、うっとりと蕩けるように語る。
「……これから行うことは、ただの下準備じゃ。本番はもう少し先じゃと思っておったが――あんな『魂』を見せられては、儂のような年寄には我慢など出来そうにない」
魔人に、そして英雄に伝えよ――道満は、術符を五色に発光させる日ノ本で最高の陰陽師とされている男に向かって言う。
「
日ノ本で最も美しい夜空が広がるこの場所で、一年分の月光を浴びることで、この儀式は完成する。
転生を繰り返す毎に尾を増やす妖狐――その臓物は、不老不死の霊宝へと
本体である――
「これは魔人が姫を救い出す物語――あるいは、京を滅ぼす魔人を英雄が退治する物語じゃ」
お主の役割は、この言葉を奴等に届けること――ただ、それだけじゃ、と、その言葉を最後に。
賀茂忠行は、自分の領域であった筈の結界から吹き飛ばされ――二度とその場所に戻ることは叶わなかった。
自身最高の術ですら傷一つ付けることの出来なかった――日ノ本最高の陰陽師である己を、遥かに凌駕する陰陽師。
日ノ本最凶――そして、最悪の陰陽師・蘆屋道満。
「…………伝えねば」
ボロボロになった身体で、賀茂忠行は道満に言われた通り、奴の思惑通りに
(無論、京は滅ぼさせぬ!! 星を見れば、魔人とは誰か、英雄とは誰か――その正体を占うのは容易い! ならば、英雄にのみ――かの
そして、魔人が動き出す前に、この平安京に辿り着く前に――魔人を殺す。この平安の京の地を踏ませず、坂東の地で永遠に眠らせる。
だが、そうなれば――かの白狐は?
魔人に救い出されることなく、その永遠の命を果てさせ、不老不死の霊宝へと変えられるのを、黙って見過ごすのか。
あの蘆屋道満が、不老不死の霊宝を手に入れる――その先に、平安京の平和など、有り得るのか。
(……私では、あの法師には叶わない)
最高の陰陽師でも、最悪の陰陽師には勝てない。
最凶の陰陽師の思惑を打ち砕くには――規格外には、規格外を。
最凶には――最強を。
賀茂忠行は、這うように、真っ先に――己の邸へと戻った。
そして、そこには――全てを見透かすように、待ち構えていた少年がいた。
「……頼む、我が弟子よ」
師匠を止めるべく、男は己の弟子へと縋る。
ぱくぱくと、陸に揚げられた魚のように言の葉を残し、意識を失う師を――少年は、無表情に、ただ冷たく見据えていた。
師は弟子に――ただ一言、こう告げたのだ。
世界を――救え。
+++
世界が――終わる。
そう呟きながら、己の意識が失れようとしているのを――
赤い球体に蹂躙されていた、魔人・平将門の『胴塚』。
しばし呆然と立ち尽くした忠常は、それでもようやく辿り着いたのだからと、瓦礫の中を必死に捜索したが――将門の『胴』は、ついぞ発見することは叶わなかった。
隕石の落下によりどこかへ吹き飛ばされたのか――それとも、どんな高名な、そして伝説な陰陽師にすら破壊不可能だった魔人の胴体も、天からの落下物の衝撃には耐えきれずに、粉々に砕け散ったのか。
「――――ッ!」
その最悪の想像に、一族の悲願はおろか、坂東の未来すら失われる絶望の可能性に、忠常が歯を食い縛った――その時。
世界が――重くなった。
「ッ!?」
急激に重力が増したかのようだった――否、急激に、ではない。
この胴塚に足を踏み入れたその時から感じていた――この場所は、息がし辛いと。
(初めは、魔人の胴塚だから――特別な結界の中、神秘郷の中だからだと……思って、いたけど……)
気付いていた――でも、気付かないふりをしていた。
気付いてしまったら――向き合わないといけないから。
あの、異端で、異質で、異常な――世界観の異なる、あの赤い球体と。
(……あの、赤い球体の周囲が――最も、
この、異端な空気が。
この、異質な雰囲気が。
この、異常な――圧倒的な、圧力が。
世界を重く、世界を恐ろしく、世界を禍々しく変える――
そして――それが、膨れ上がっている。
みるみると、溶岩が流れ込むように容赦なく、世界を塗り替えていく。
異なる世界へと――変質させている。
(ざわめいている。森が。山が。神秘郷が。そして――世界、そのものが)
何処だ――元凶は。
世界をこんなにした犯人は。この赤い球体の、中に入っていたであろう『何か』は。
(もう此処にはいない。この膨れ上がっている『紅蓮』は、もうこの神秘郷の外を――世界を、
紅蓮――そう、紅蓮だ。
真っ赤な炎が燃えている。目には見えない、その赤く、紅く、緋い炎は――犯すように、世界を灼いている。
熱い――熱い――熱い。
(死ぬ――死ぬ――死ぬ)
世界が――終わる。
そう呟きながら、表情を歪めながら、失われようとする己が意識を保つべく、忠常は藻掻き――遂には転げ回っていた。
熱い。体が沸騰したかのように熱い――いや、沸騰しているのは、沸騰したかのように熱いのは、身体というより――
血――忠常の中に流れる、薄まっているとはいえ流れているといえる、将門の血。
沸騰しているかのように、熱く、熱く――反応している。
この『紅蓮』に――熱く、反応している――刺激、されている。
「――――将、門――様ッ!?」
その時だ。
両目を発光させていた、開眼していた――将門の『首』が。
この世界を変質させている『紅蓮』に反応したかのように、遂に、
口を開き、世界へ向けて――あるいは、『己』に向けて、咆哮した。
「―――――――――――ッッッッ!!!!!」
魔人の咆哮は、世界を――『胴塚』を隠蔽していた結界を、神秘郷を崩壊させた。
空間に――空に罅を入れて、そして、その抉じ開けた突破口から――突破した。
「――ッ!! うそ――ッ!?」
そして、咄嗟だった。
地面を惨めにのたうち回っていた忠常が、まるで打ち上げられるように――空へ向かって発射した将門の『首』にしがみ付いたのは。
忠常は、そのまま空を飛んだ。
神秘郷を飛び出し、下総の霊山を後にし、空中飛行を続ける中、忠常は渾身の力で目を瞑った。
飛行機はおろか、高層ビルの一つも建設されていない平安の日ノ本において、山よりも高所から眺める地面など恐怖以外の何物でもない。
咄嗟に将門の首にしがみ付いてしまったことを後悔する忠常だったが、胴も見付けられなかったのにここで首までも失ったら母にどれだけ怒られることかと現実逃避のように考えながら、必死に恐怖を誤魔化していた――が、再び、どくんと、己の身体が沸騰するのを感じる。
己に流れる魔人の血が、強く、強く――反応するのを感じる。
果たしてどれだけ空中飛行を続けたのか――そこは既に、見慣れた下総ではないことは確かだった。
初めての視点に困惑しながら、忠常は空から、その戦場を眺めた。
目には見えない『紅蓮』ではない。はっきりと見える、どこまでも広がる――紅蓮の炎。
真っ赤な大地。緋色の戦場。
紅き炎に灼き尽くされる世界には――三つの、人影があった。
一つは、見たこともない服に身を包んだ、紅蓮髪の美女――見るまでもなく分かる異質。『紅蓮』の元凶。一目で明らかな赤い球体の中身。招かれざる来訪を果たしている――異端者。
一つは、何も感じない、そこにいるかさえも確証を抱けない程に希薄な浪人――見えざる異質。確かにそこにいるのに、はっきりと姿形は見えるのに、まるで世界にいないかのように存在感がない。世界を犯す紅蓮の炎、その全ての標的であると過言ではない程に苛烈に煉獄を集中的に浴びせかけられているのに、その全てをいなしている。防いでいる。生き延びている――異端者。
そして、もう一つは――最後の人影は。
その異端者達から少し外れた場所にいた。紅蓮の炎の中にいた。
ゆっくりと、全身に紅蓮を浴びながら――その人影を形成していた。
だんだんと――まるで、燃やされた灰が積み重なるように。燃え盛る炎の中で。
赤い球体に吹き飛ばされ、粉々にされた――『胴体』が、『紅蓮』の力を得て、この世に再び顕現していた。
「――――あれは――――ッ!!?」
忠常がその衝撃の光景に絶句していると、ぐんっと、急激に再び重力が増した。
否――重力が増したのではなかった。急降下したのだ。飛行していた『首』が、一直線に地面に向かって落下していた。
そして、途中、降り落とされるように首から離れた忠常は、無様に地面に転がされていた。
末裔の手から逃れた『首』は、そのまま一直線に――紅蓮の美女と、墨色の浪人の間を突っ切って。
その首無し武者の元へと辿り着き――『胴体』と、再会を果たす。
こうして、魔人は――封印を解き、百年の時を経て、平安の世に復活を遂げた。
用語解説コーナー㉙
・平将門の妻たち
平将門の妻に関しては諸説あり、将門の同盟者である
この作品では、良兼の娘であり、平氏内乱の元凶となった娘を君の御前として将門の側室とし、正妻は別にいるという形にしている。
そして、将門の室として逸話が残っている有名な姫に――桔梗姫がいる。
彼女は将門の寵愛も深かったが、藤原秀郷とも内通しており、将門が秀郷に討たれる鍵となった女とされている。
この作品では、彼女は秀郷の妹となっている。
そして、彼女は将門との間に一女を設ける。それが春姫――如春尼であり、彼女は将門の従兄弟である忠頼に嫁ぎ、三子を産んだ。
その一人が、平忠常である。
本来の歴史では、関東の有力な武士として名を馳せ、祖父・将門のように『平忠常の乱』を起こし、そして祖父と同じように首を斬られ、歴史に名を残すことになる忠常であるが。
この世界では、母・如春尼と、そして一族の悲願を果たすように――歴史に名を残さずとも、誰も成し得なかった、偉業を成し遂げることとなる。それは本来の歴史以上の、悪行なのかもしれないが。