比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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お前はもう――魔人だ。


妖怪星人編――㉚ 魔人が目覚める日

 

 何だこいつは――何なんだ、コイツは。

 

 何と――何と――目に障る、気に障る、癇に障る、癪に障る、しかし――コイツは――ッ!

 

(――――面白いっっ!!!)

 

 あれほど殺意に侵されていたリオンの表情は――今や、歓喜に染まっていた。

 

 殺そうと思った。

 膨れ上がった殺意のままに、燃え盛った憤怒のままに、それらを一切抑えずに、そのままぶつけて灰にしてやろうと思っていた。

 

 けれど――殺せない。

 まったく、これっぽっちも殺せない。

 

 手加減はしていない。否、無論、加減はしている。

 星一つ丸ごと支配するような力を、そのまま放出はしていない。世界を壊しかねない力だ、世界を壊さないくらいには、加減はしている。

 

 けれど、殺害という意味で、殺人という意味合いにおいては、リオンは己の全力を目の前の男にぶつけていた。

 

 殺そうとしている――十割の力で。

 骨一本、髪の毛一本すら残らず灰にしてやろうと、紅蓮の炎をぶつけている。既に地面の色が見えない程に炎を撒き散らし、辺り一面は灼熱の世界と化している。

 

 けれど――殺せない。

 死なない。目の前の男は、まったく、これっぽっちも、微塵も、死ぬ気配すら見せない。

 

 なんだ――なんなんだ――なんなんだ、コイツは。

 

「は! はは! ははは! はははははははははははははははは!!!!!」

 

 面白い。面白い。面白い。面白い!

 初めてだ。初めてだった。ここまでリオンについてこられた生物は。

 

 ここまでリオン・ルージュという最強を――受け止めてくれた存在は。

 

「まだだ! まだまだまだまだ――ついてこれるかい!! 人間!!」

 

 リオンは既に認めていた――自分が、あろうことか、人間という脆弱種を、認め始めていることを。

 

 吸血鬼たる己は、この戦闘が始まってから傷一つ負っていない。

 対して人間である奴は、既に満身創痍だ。傷を負っていない箇所を見付ける方が難しい。

 

 だが、死なない。微塵も死なない――気配すらない。

 

 何故なら、墨色の浪人は、何の力もない筈の人間の、その目は。

 

 まるで、一切、微塵も――死んでいないからだ。

 

 恐れていない。疑ってすらいない。

 自分の敗北を。死を――欠片も、想像すらしていない。

 

 だからこそ、リオンは笑う。

 

 そして、放つ――今、自分という化物が、この状況で放つことが出来る、渾身の一撃を。

 

 リオンは両手を宙に掲げる――そして、生み出す。

 それはリオンにとって最大の暴力、最強の権化、憧憬に近い嫌悪――そして、恐怖の象徴。

 

 すなわち――()()。この世で唯一、己を殺し得る存在。

 それを疑似的に作り出す。暗闇の世界を焼く弑逆的な紅蓮の炎。

 

 リオンはそれを、真っ直ぐに、躊躇なく、全力で――人間に向かって、放った。

 

「さあ――どう生き延びる!!」

 

 疑似的とはいえ放たれた、最強(リオン)を殺し得る最強(太陽)に。

 

 満身創痍の浪人は――真っ直ぐに迫ってくるそれに、一度だけ、溜息を吐いて。

 

「――全く、訳が分からん。何もかも分からんが……そうだな、一つだけ確かなのは」

 

 本当に、厄()だということだ――そう言って、墨色の浪人は、弛んでいた表情を、瞬時に鋭く引き締めて。

 

 腰に吊り下げた鞘に、一度、黄金の太刀を――ゆっくりと納刀し。

 

 そして、()()()()――眩く耀く、日光のように迸る、その黄金の太刀筋を閃かせて。

 

 ()()()――()()()

 

「――――」

「――――」

 

 女は――星人は――それを見て、大いに笑い。

 

 男は――人間は――表情を変えず、それを、静かに受け止めた。

 

 切り裂かれた太陽は、再び大地を紅蓮に染め上げる。

 

 地獄が加速し、炎上する。そして、誰よりも楽しそうに――吸血鬼は叫んだ。

 

「はははははははははははははははは!!! やるぅーーーーーー!!!!」

 

 人間は、振り抜いた黄金の太刀を再び仕舞って――大きく、真っ暗な夜空に向かって息を吐く。

 

 吸血鬼は、太陽を食らって尚、ふてぶてしく生存する人間に対し、言った。

 

「やるね、お前。さては、ただの人間じゃないな」

「……いや、俺は、ただの人間だよ」

 

 どこにでもいる、ただの死に損ないだ――そう、男が呟いた、その時だった。

 

 がしゃん、と。()()は姿を現した。

 

 胴体を――現した。

 鎧に包まれた胴体が、現れたのだ。

 

 幾本もの矢をその身に受けていた胴体が。幾筋もの剣閃を刻み込まれた胴体が。

 

 けれど、決して倒れない、力強い足並みで――現れたのだ。

 

「……何だ、コイツは」

 

 リオンはまるで燃え盛っている中、水を差されたように呟いた――()、と。

 紅蓮の炎の中から現れたその鎧武者に向かって。()()()()()()、と。

 

 それもその筈――何故なら、その鎧武者は、顔が分からなかったからだ。

 

 燃え盛る鎧武者には――『首』がなかったからだ。

 

 首無し武者は、それでも止まらない。

 一歩、一歩、灼熱を纏いながら、それでも――何処かへ向かって、歩き続ける。

 

「――――――」

 

 そんな鎧武者を見て――西洋ドレスの紅蓮髪の美女を見ても、一切の感情を動かさなかった男は。

 

 分かり易く――瞠目した。

 目を見開き、その表情にはっきりと驚愕を浮かべた。

 

 そして、浮かび上がってきた。

 全く何も思い出せなかった、真っ暗だった己の深奥から――急激に、何かが浮かび上がってくるのと――同時に。

 

 何かが、落下してきた。

 空高くから、まるで隕石のように、一人の子供と――そして、そして。

 

「――――っ!!」

 

 瞬間、だった。

 まだ完全には掴み切れていない――把握しきれていないけれど。

 

 それでも、急浮上しかけている、自分の中の何かが強烈に訴えていた。

 

(――――ダメだ)

 

 それをさせては。なんとしても防がなくては。

 

 自分は、その為に――こうして無様に、()()()()()のだから。

 

 でも――瞬間というならば、彼もまた――瞬時に動いてみせた。

 

 訳が分からなかったことだろう。

 突如として飛んでいった『首』にしがみ付き、紅蓮の地獄の中に放りだされて――それでも、彼は、動いて見せた。

 

 着地というには余りに荒々しい落下に、全身に激痛を覚えながらも。

 それでも――沸騰する血液にのたうち回ることもせずに、まず、真っ先に立ち上がった。

 

 そして――立ち塞がった。

 魔人の復活を防ごうとする英雄の前に――堂々と、両手を広げて、立ち塞がってみせた。

 

「させない――! だって、僕達は――」

 

 この瞬間の為に、生き続けてきたのだから――そう、決死の覚悟を固めた顔で、己の前に立つ子供に。

 

 男は――鈍った。

 あるいは、迷ったのかもしれない。

 

 そして、それが――取り返しのつかない、失策になった。

 

 百年の計画を、台無しにして余りある――大きな、失敗。

 

「っ!」

 

 それは一瞬だったのかもしれない。

 男は腰に――鞘に伸ばしかけた手を――前に伸ばした。

 

 そして、掴んだ――己の前に立ちふさがった子供を。

 容易く引き倒し、意識を奪った。時間にして一秒にも満たない早業。

 

 けれど、男は確かに迷った――子供を殺して道を開けるかどうか。

 だからこそ、鈍った。その()()を阻むという至上の使命を――何よりも優先するという決意が。

 

 一瞬の迷い。一瞬の躊躇。

 そして、それが――今、再びの()()()()()()()()()()()()()()

 

 英雄の目の前で――魔人の、『首』と、『胴』が、繋がる。

 

 再会する――『首』と『胴』が。

 

 そして、再開する。

 魔人の――復讐の、物語が。

 

『――――――――』

 

 紅蓮を掻き回す――漆黒の奔流。

 それは、異星から持ち込まれた、(がい)にして害なる『よくないもの』を吹き飛ばす、紅蓮に犯された坂東を救う魔人の力。

 

 妖気とも、呪力とも、紅蓮とも異なる――いうならば、()()

 人間でもなく、妖怪でもない――魔人へと至った、この国で平将門のみが振るえる救世の力。

 

 そして、破滅の力。

 漆黒の奔流を取り戻した魔人は、『首』と『胴』が繋がった魔人は――真っ直ぐに、前を向く。

 

 中心へと、その目を向ける。

 日ノ本の京、百年前から未だ腐り続ける病巣――憎き、平安京へと。

 

『――――長く、待たせた』

 

 黒き魔人は、己の身に纏う黒き奔流で以て――新たに黒馬を顕現させる。

 

 それは百年前においても、最後まで主人と共にあった、蝦夷の地にて神の化身と恐れられた黒馬の再現だ。

 

『行くぞ――』

 

 魔人は、まるでそこにあるのが当たり前とばかりに黒い魔力で形成された黒馬に跨り、そして――駆け出す。

 

『――もうすぐだ。葛の葉』

 

 そして、その進行方向上に――今、再び、立ち塞がる、英雄。

 

「――行かせない。そうだ、その為に、俺は……こうして――時を越えたんだ」

 

 満身創痍の墨色の浪人は、感情を持たない青年は――ここにきて、初めて、はっきりと決意の篭った顔を、魔人に向ける。

 

 そして名乗る――決闘に臨む、武士の如く。

 

 はっきりと、今、再び、己の名を――捨てた名を、百年前に置いてきた筈のその名を、ただ、一度だけ。

 

 目の前の、魔人にだけに――かつての己への、決別の遺志を込めて。

 

「俺は、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)。この名に懸けて、魔人(おまえ)(ころ)す。ただそれだけの男だ」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「俺は、お前を殺さないといけないのか。――平将門(たいらのまさかど)

 

 下総(しもうさ)下野(しもずけ)――共に蝦夷と隣接する坂東の地を統べる者達が、こうして二人きりで顔を合わせていた。

 

 場所は、互いの領地、下総と下野の間に跨る、とある森だった。

 広大といえるほどに大きなものではないが、こうして誰にも気付かれずに密会するにはうってつけの場所。

 

 平将門が、あの殺意を発炎させた夜から、新皇を名乗ることを決意した夜から、およそ数か月――彼は、坂東の豪族達を瞬く間に粗方支配し終えている。

 世紀の逆賊として名を馳せ、貴族を恐れさせ、平安京を震え上がらせていた。

 

 この坂東の地で、彼の色で塗り上げることが出来ていない地は、残るは目の前の男――藤原秀郷が居わす下野を残すのみとなっている。

 

 そんな睨み合う立場にある両雄が、何故、こんな暗い森の中で領主会談に臨んでいるかというと。

 

「――なるほど。……やはり、お主か」

 

 将門の室の一人であり、秀郷の妹でもある――桔梗姫の嘆願を、将門が聞き届けたからである。

 

 この日、この時間、この森にて――とある人物と会ってはくれないかと。

 

――どうか。どうか。この桔梗の我が儘を、聞いては下さりませんか。

 

 黒い憤怒に支配されている将門に対し、桔梗はそう、己の首に刃物を触れさせながら言った。

 

 流石の『新皇』も、愛する女の一人である桔梗にそこまでさせて、足を運ばないわけにはいかなかった。

 藤原秀郷という人物が現れたことも、桔梗が会談をセッティングしている時点で予想出来ていた人選だ。

 

 それに――平将門としても、藤原秀郷はどうしても矛を交わしたい男ではない。

 

 坂東に生きる者ならば誰もが知っている――藤原秀郷、そして俵藤太という伝説を。

 

「違うな。殺さなくてはいけないというわけではないぞ、秀郷殿。貴殿が、何もせず、ただ見逃してくれるなら――私は下野には一切足を踏み入れないと誓おう」

 

 そもそも将門が真っ先に京に向かわずに、向かうことが出来ずに、こうして坂東の地を力で征服していっているのかといえば、彼ら坂東の豪族達が、平安京へ牙を剥く将門を、平安京の命に従い鎮圧しようとしてくるからだ。

 

 既に個人的な因縁を持つ叔父・良兼らは粛清を終えていた。

 そもそもの『平将門の乱』の始まりの原因だった、将門に復讐の念を抱いていた、君の御前の元婚約者の父親・源護(みなもとのまもる)も、もうこの世にはいない。

 

 故に、将門にとって残る坂東の敵は、急激な勢力の拡大をみせた将門に恐れをなし、平安京から発令された将門討伐命令を断ることが出来なかった豪族だけだ。

 

 勢力を広げながらも、決して無駄な蹂躙は行わない。

 理不尽な圧政なども敷いることもせず、むしろ朝廷直轄の国司が長だったころよりもずっと民のことを考えた政治を行ってくれる将門のことを――『新皇』と認め、無条件で降伏し、それどころか諸手を上げて歓迎する者も多かった。

 

 平将門という男は――坂東という苦しむ地にとって、一種の救世主となりつつもあった。

 

 何も将門は、坂東の全てを力で手に入れたいわけではない。

 彼が求めるのは、彼が目指すのは、征服でも、栄達でもなく――救出なのだから。

 

 だからこそ――藤原秀郷という伝説と、何がなんでも戦いたいわけでは、当然ない。

 

「私もあれから調べた。私なりに――藤原秀郷という男をな」

 

 明け方の平安京で、初めて出会ったあの日から――伝説しか知らなかった男のことを、将門は徹底的に調べ尽くした。

 

「…………」

 

 あの時――目の前の男が、将門の刃を防がなかったら。

 

 あの時、蘆屋道満をこの手で殺すことが出来ていたなら――こんなことにはならなかったかもしれないと、そう全く思わずにいることは出来ないけれど、それは下らない()()()だと一蹴する。

 

 過去には戻れない。

 一歩進んだその瞬間から、背後は崖となり崩れ落ちる――道は常に、現在と未来にしか伸びていない。

 

 だからこそ、将門は語る。

 望むべき未来を掴む為に――目の前の大きな障害を、己が進むと決めた覇道から退かせるために。

 

 魔人は、語る――藤原秀郷という英雄を。

 

「貴殿は――英雄だ。紛れもない、天下に二人と存在しない万夫不当の大英雄。三上山の大百足、明神山の百目鬼――屠った妖怪は数知れず、築いた伝説は数え切れず。ああ、素晴らしいな、正しく英雄だ――だが、しかし、だ」

 

 将門は、そこで言葉を切り――鋭く、真っ直ぐに、秀郷を見据える。

 

 その視線を微塵も避けようとしない秀郷に、将門は力強く言った。

 

「お主は――決して、忠臣ではない。藤原秀郷――お主には、平安京に対する忠誠の心などない」

 

 違うか、英雄――という、魔人の言葉に。

 

「…………」

 

 英雄は、答えられない。

 

 藤原秀郷――彼は、俵藤太と名乗って、全国津々浦々を旅歩いた流浪人だった。

 

 その行く先々で、伝説級の妖怪を退治し続けていくうちに、いつしか彼自身が伝説となった。

 

 だが、一介の国司に過ぎない身分で、そんな自由奔放が許されるはずもない。

 一介の国司が、そんな自由と名声と力を持ち得るのを――平安京が快く思うはずもない。

 

 当然、京の貴族達は俵藤太という存在を握り潰そうとした。

 時には首輪をつけようとし、時には権力で脅して身動きを取れなくさせようとした。

 

 しかし、そんな圧力を、俵藤太は――ただ、圧倒的な力で跳ね返し、自由を謳歌し続けたのだ。

 

平将門(オレ)や瀬戸内の藤原純友が現れるまで、京にとっての恐怖とはすなわちお主のことだった。都での栄達に興味がない故に飴も効かず、かといって京の貧弱な武力などものともしないほどに強いが故に鞭にも怯えない。下野(じもと)に出没した強盗まがいの豪族すらも、彼らに理があると思えば京の命令にも背いて庇うお主のような存在は、さぞかし京にとっては目障りな存在であったことだろう」

 

 近年では、何かしらの心変わりがあったのか、放浪をやめて地元の下野に常駐し、京にも素直に足を運んで、藤原姓を受け継ぐなど軟化の様相も見せているが――将門はその辺りのことは口に出さず、ただ手を差し伸べる。

 

「そんなお主が、まさか京の側につくと――坂東ではなく、平安京を選ぶと、そう申すのか。英雄殿よ」

 

 将門のぐつぐつと煮えたぎるような熱さが込められている言葉を受けて、それでもただ口を閉ざし続ける秀郷に、将門は更に強く、鋭く、熱く語る。

 

「このままでは――坂東は滅びる。他でもない、平安京の――『人間』の手によって」

 

 故に――見逃せと、手を出すなと、そう主張する将門に。

 

 遂にその閉ざされた口を開いて、ただ一言――秀郷は小さく、重く、冷たく問うた。

 

「だから、坂東ではなく――平安京を滅ぼすのか?」

 

 他でもない、お前の手で――藤原秀郷の、その言葉に。

 

 愚かな男は――それでも、まっすぐに。

 

 揺ぎ無く、迷いなく、はっきりと――答えてみせた。

 

「――ああ。それが、(オレ)の道だ」

 

 秀郷は、その言葉を聞いて―静かに瞑目し。

 

 ゆっくりと、その口を開いて――。

 

 

「なら――やっぱり、俺はお前を殺さなくてはならない」

 

 

 ()()()()()()()

 

 言葉の刃――ではなく、物理的な殺傷性能を持つ小太刀が。

 

 平将門の背後から、真っ直ぐに襲い、人体の急所である肝臓を貫いた。

 

「な――ッ!」

 

 馬鹿な、と、将門は血を吐きながら驚愕する。

 

 この場には二人しかいない。平将門と藤原秀郷――二人きりの会談であった筈だ。

 

 当然、将門は周囲を警戒した上で、もっと言うならばこの決して大きくない森を一周した上で、秀郷が自軍を引き連れてなどいないことを確認した上で、慎重に慎重を期してこの会談に臨んでいる。

 

(伏兵がいたとしても、その接近にこの(オレ)が気付かない筈がないっ! どうやって忍び込ませた――そして、誰だ!? この刺客はッ!?)

 

 平将門に一切気取らせずにこんな暗殺を成し遂げてみせた者の正体を、将門は見た。

 

 己の背後を取り、真っ直ぐに鎧を小太刀で貫いてみせた刺客、それは――。

 

「――ッ!? 太――郎――っ!?」

 

 平貞盛(たいらのさだもり)

 かつて太郎、小次郎と互いを呼び合い、共に野山を駆け回った幼馴染が。

 

 共に京へと上り、切磋琢磨した親友が。

 

 彼の父を殺してしまったことで、終生の宿敵となってしまった従兄弟が――今。

 

 将門の命を奪う刃を、深々と彼の背中から突き刺していた。

 

「な――ぜ――」

「……秀郷殿から、この会談を開くと聞いた時から――夜が明ける前から、その茂みで息を殺していた」

 

 全てはお前を殺す為と、貞盛は震える言葉を漏らす。

 お前がどのように周囲を警戒するのか、この俺は知り尽くしている――だからこそ裏をかけたと、そう語る貞盛の目を、将門は見る。

 

 彼の目は、冷たい殺意を覗かせながらも――そこから一筋の、涙をゆっくりと流していた。

 

「……どうしてだ……小次郎――っ!」

 

 何故、こんなことになったと、そう悲痛に訴える貞盛を、直視できなくなったのか。

 

 将門は、その疑問と痛苦に血走った目を――相向かったままの、秀郷に向ける。

 

「――俺は、どっちでもよかった」

 

 将門は、殺意に呑まれた貞盛よりも冷たい――感情がまるで見えない、秀郷のその瞳を見る。

 

 感情が見えない――いや、感情がない――?

 

「どういう……こと……だ?」

「お前の言った通りだ、将門。俺には平安京への忠誠心などない。俺が欲しかったのは――ただの、自由だ」

 

 自由――そう言って、秀郷は何も持たない右手を、何も掴んでいない右手を開く。

 

「……俺はこの通り、欠落している人間だ。だが、何の因果か――()()()()()()()()宿()()()()()

 

 厳しい修行をしたわけでもない。特別な血統に生まれたわけでもない。

 

 だが、彼は――生まれながらに、最強だった。

 

 まるで――何かに選ばれたかのように。

 

「でも、俺にはこの最強は持て余す代物だった。何か使命を与えられたわけじゃない。京や帝に尽くすような忠誠心もない。それでも――正しく使いたかった。だから俺は、誰かの声に、誰かの叫びに、応える為に使おうと思った」

 

 死に近づく将門に向かって、秀郷はゆっくりと近付いていく。

 

 背後の貞盛、正面の秀郷に挟まれた将門は、その近付く――迫り来る死から、逃れることが出来ない。

 

「俺は日ノ本中を放浪した。困っている人がいたら、それを助ける為に最強(ちから)を振るった。……でも、それじゃあ駄目なんだって、教えてくれた奴がいるんだ。俺は領主なんだから、そういう立場に生まれたんだから――困っている人を助けたいなら、戦闘じゃなくて、政治で救えと」

 

 いつまでも『俵藤太』でいてはいけない。

 生まれ持った最強だけではなく、生まれ落ちた藤原という立場からも逃げてはいけないと。

 

 そう、たった一人の、俵藤太の弟子となることが出来た少年は言った。

 俵藤太は俺が継ぐからと、だからあなたは――『藤原秀郷』にならなくてはいけないと。

 

「だから――どっちでもよかった、俺は。下野を守ることが出来るなら、平安京でも、平将門でも、俺は――どっちでもよかった」

 

 ()()――()()()()()()()

 

 藤原秀郷は、そこで初めて――殺意を放つ。

 

 これまで数多くの伝説の妖怪を屠ってきた――伝説の英雄、怪異殺しの殺意を。

 

「――――っ!!」

 

 それは親友を背後から突き刺している貞盛すら震える程の殺気。

 

 だが、今まさに死を向けられている将門は、そんな英雄に向かって吠えたてる。

 

「……背後からの暗殺。二人だけの会談という偽りの情報で私を釣り出し、その上、自分の手を汚さず、貞盛を使っての騙し討ち――これが! 武士のすることか! 何が英雄だ! 恥を知れ!!」

「確かに、これは武士としては恥ずべき行いなのだろう。俺も、相手が武士ならば、こんなやり方はしない。……だが――」

 

 怪異退治ならば、怪異殺し(オレ)は、手段は選ばない――そう、静かに語りながら。

 

 藤原秀郷は――その黄金の太刀を抜く。

 

「…………()()、だと――?」

「分からないのか。気付かないのか。自覚はないのか。――だから俺は、テメェでは駄目だと言ったんだ」

 

 別に誰でもよかった。

 別に、どっちでもよかったのだ。

 

 天下万民を救うなどということは考えたことすらない。

 ただ目の前の困っている人を、己の手が届く範囲を救えればいいと思っていた最強の英雄は。

 

 己が治める下野に手を出さないならば、日ノ本を統べるのが平安京だろうと、平将門だろうと――何でもよかった。

 

 だが、蘆屋道満(ヤツ)の言う通り――平将門は、()()()だった。

 

 天皇だろうと、新皇だろうと、誰でも構いはしないけれど――でも、それでも。

 

「平将門――お前はもう、魔人(ダメ)だ」

 

 その時、ようやく――気付いた。

 

 この時、ようやく――平将門は、自覚した。

 

 自分の手が、真っ黒に染まっていることに。

 自分の瞳が、真っ赤に汚れていることに。

 

 自分の指が六本に増えていることに。自分の額に禍々しい角が生えていることに。自分の腕に鱗のようなものが生まれていることに。自分の尻に尾のようなものが生えていることに。自分の歯が全て牙になっていることに。自分の爪が刃になっていることに。

 

 自分が、黒く、黒く、黒く、黒く、黒く、黒くなっていることに。

 

 自分がもう――人間ではないということに。

 

 自分が、魔人となっていることに。

 

 この時、ようやく、平将門は――初めて、気付いたのだ。

 

(――いつからだ。いつから、こんなことなった――?)

 

 蘆屋道満が葛の葉を犯そうとしていると知った時からか。

 

 あの日、蘆屋道満と、藤原秀郷と出会った時からか。

 

 源護と、平良兼と事を構えた時からか。

 

 貞盛の父である平国香を殺した時からか。

 

 それとも――あの、美しき白狐と出会った――出遭った、その時から。

 

 平将門(じぶん)は、魔人と(こう)なる――運命(さだめ)だったのか。

 

魔人(おまえ)の存在を、怪異殺し(オレ)は看過することは出来ない」

 

 例え、こうなることが、あの最悪の陰陽師(蘆屋道満)の筋書き通りだとしても――秀郷は、瞑目し、黄金の太刀を振りかぶる。

 

 背後で貞盛の涙を堪える声を聞きながら、それでも将門は――醜く、足掻く。

 既に、これ以上なく、醜く堕ちてしまっているのに。

 

「――待てっ! 待ってくれっ! 私が道を誤ったことは認めるっ! もはや天下を統べる新皇などは求めない! それでも葛の葉は――()()()()()! ()()()()()()()()()()()()()()!!」

「……思い上がるな――魔人」

 

 英雄は、魔人の懇願を――両断する。

 

魔人(キサマ)に救えるものなど――何一つとして、ありはしない」

 

 そして、黄金の一閃が振り降ろされた。

 

 漆黒の魔人は、その日の光が如き神聖な閃きに切り裂かれ――そして。

 

 

 魔人は――()()()()()()

 

 




用語解説コーナー㉚

平貞盛(たいらのさだもり)

 
 坂東平氏の基盤を固めた時の支配者である平国香の長男にして、平将門の従兄である武将。

 将門とは従兄弟というよりは幼馴染の親友として育ち、互いに貞盛のことを太郎、将門のことを小次郎と呼び合う仲であった。

 成人すると将門と共に平安京へ上洛する。
 実直で堅物であり故郷愛の強かった将門と違い、華やかな京での都会暮らしに憧れを抱いていた貞盛は、時の権力者である忠平の信頼を勝ち取ると、京の見目麗しい姫君との逢瀬を楽しみながらも、順調に出世街道を邁進し、京での地位を盤石にする――が、そんなある日、故郷である坂東にて、己の実父である国香が、従弟である将門に殺されるという事件が起こる。

 しかし、父を殺されながらも様々な情勢を冷静に俯瞰し、また、従弟であり幼馴染であり親友である将門の大きな理解者であった貞盛は、感情的に仇討ちに走ることもせずに、何よりも故郷である坂東の平穏を第一に、各勢力の間を取り持ちながら落とし所を探った。

 だが、まるで何かの禍々しい思惑が働いているかのように、事態はみるみる内に悪化し――やがては「新皇」を名乗り、「魔人」と化した将門と戦わなければならなくなる。

 誰よりも将門のことを知る貞盛は、魔人討伐軍の双頭の一角として、目覚ましい活躍をし、何度も敗走の憂き目に遭いながらも、母方の叔父であり双頭のもう一角である藤原秀郷と共に最終決戦に繰り出し――「北山の決戦」にて、将門の額を撃ち抜く一射を放つこととなる。

 この貞盛の一射によって無防備に晒すことになった首を――藤原秀郷の黄金の太刀が両断し、戦争は終結した。

 従弟であり、父の仇であり、幼馴染であり、親友であり、理解者であった――魔人を討伐した、この功により、貞盛は官位を得て、念願であった京での立身出世を盤石のものとした。

 この貞盛の後の子孫こそが――平家の全盛期を築きあげた、かの平清盛であり。

 貞盛が憧れ続けた華やかなる平安京――その終焉を齎す武士の象徴を輩出することになる。
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