比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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――ようやくだ。ようやく――叶う。


妖怪星人編――㉟ この世をば

 

 源頼光(みなもとのらいこう)にとって――藤原道長(ふじわらのみちなが)とは。

 

 安倍晴明は言った。全ては藤原道長の『夢』を叶える為だと。

 

 烏天狗と通じていたのも。かの妖怪に様々な術式を提供したのも――それによって『魔の森の決戦』を引き起こしたのも。数多の人間を危機に晒し、多くの犠牲を払ったのも。

 

 あの男は、全てはその為だと、いっそ誇らしげに、堂々と言ってのけた。

 

 貴方にも分かる筈です――そう、あの男は、言った。

 

 アナタにとって、藤原道長とは、何ですか?

 

(……私にとって、藤原道長とは――)

 

 鎧武者は――否、と言う。

 

 晴明屋敷を後にして、戻ってきた己の屋敷の、真っ暗な一室で。

 

 ゆっくりと、『鬼』の面を外した武士は――否、と呟きながら、ゆっくりと、回顧する。

 

「――『源頼光(みなもとのらいこう)』にとって……藤原道長……とは――」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

――遂に兼家(かねいえ)殿も逝ったか。天下を掴み、全てを手に入れられたあの方も、死ぬ時はあっさりだったな。

 

 

――とはいえ、長男・道隆(みちたか)殿の支配は強固だ。娘を一条帝に捧げることも成功し、此度の葬儀でも堂々としておられる。溢れる笑みを堪えるのに必死であろうさ。

 

 

――目の上のたんこぶならぬ、頭の上の親父殿がいなくなり、遂に訪れた己が天下だ。そりゃあにやけも止まらぬだろうさ。

 

 

 

――……外が随分と騒がしいな。まぁ、事実上の天下人の葬式だ。流言飛語が飛び交わない方が不自然というものだが。

 

 

――気が滅入るが、それでも責務はこなさなくては。兼家殿には世話になったからな。跡継ぎである道隆殿の器も、此度の葬儀で存分に見極めてくるとしよう。

 

 

――まぁ、偉そうなことをほざきつつも、我々はむしろ見限られぬように必死に媚びを売る立場なのだが。それでも、背中と命と家名を預けるのだから、それなりの御方であって欲しいと願うのは我が儘ではないだろう。兼家殿には遂に預けることの出来なかった刃を、預けるに相応しい御方であるとよいのだが。

 

 

 

――……ん? 僕も行きたい? そりゃあ無茶ってもんだぜ、坊ちゃん。確かにお前さんには、あの晴明の旦那から貰ったお守りがあるから結界に弾かれるってことはないだろうが……摂政の葬儀だ。お前さんの事情を知らねぇ陰陽師も参列するだろうし、勝手に忍び込んだのがバレたら、下手りゃあその場で祓われてもおかしく――って、おい、待て、この餓鬼!

 

 

 

――ほう。お主が噂の……()()()()()()か。

 

 

――なるほど。

 

 

――実に、面白い。

 

 

 

――ふふ。聞いてくれ、頼親(よりちか)。俺は今日、本物の武士となることが出来た。

 

 

 

――己が全てを捧げるに相応しい、主君に出会うことが出来たんだ。

 

 

 

――……あぁ。俺は、本当に幸せだ。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「――そうか。……そうだ。……そうだったな」

 

 確かに――分かっていた。

 

 源頼光にとって――藤原道長とは――。

 

 

 だが――しかし。

 

 

「――()()()()()()()()()

 

 ゆっくりと、一度外した『鬼』の面を、もう一度――被り直して。

 

 真っ暗な部屋の中で――『彼』は、呟いた。

 

 それでも、源頼光ならば、藤原道長の願いを叶える――その為だけに、きっと全てを捧げられた。

 

 でも――だけど。

 

 今の『僕』は――それだけでは、きっと全てを捧げられない。

 

『――ごめん。『兄さん』』

 

 だからこそ――行かなくては。

 

 そして、見つけなれば。新しい答えを。

 

 源頼光にとって――藤原道長とは――何なのか。

 

 何故なら――今は。

 

『『僕』が――『源頼光(みなもとのらいこう)』なんだから』

 

 そして、『鬼』の面を被った鎧武者は。

 

 ゆっくりと立ち上がり、真っ暗な室内に、赤い眼光を揺らめかせた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 黒炎上した土御門邸に代わり、新たに道長一族の居住地となった屋敷――『新土御門邸』は、黒炎上する前に晴明の指示によって用意していた頼光が道長に献上したものだ。

 

 その時は単純に風水の問題で引越しをするからと聞かされていたが――こうなった今では、どこまで計算済のことだったのか、頼光には分からない。

 

 だからこそ、それを知る為に、此処にやって来たのだ。

 

「……源……頼光……様?」

 

 屋敷の広大な庭に、突如として姿を現した『鬼』面の鎧武者に、一昨日の夜を思い出して身を硬直させた紫式部であったが、その姿は流石に何度か見たことのある人物のそれであった為、何とかゆっくりと口を開くことが出来た。

 

 しかし、その纏う異様な雰囲気に戸惑いは消えない。

 そもそも『鬼』面の鎧武者相手に異様な雰囲気も何もないのだが、紫式部の記憶にある源頼光とは、このような『鬼』面をいつも纏っていただろうか。

 

 妖怪退治の後などには身に着けていたのかもしれないが、道長の元を訪れ、土御門邸に足を踏み入れた後は、いつも面を外してにこやかに笑っていた気もする。自分が彰子の元に仕えるようになってからは顔を合わせる機会も減ったので、ここ数年は会うこともなかったが(故に一昨日の夜も渡辺綱に気付けなかった)――と、そんなことを考えていると、いつの間にか紫式部の横に立っていた藤原公任が、屹立し続ける頼光に声を掛ける。

 

「よう。久しぶりだな、神秘殺し殿。此度は我らが摂政殿に――いや、摂政は昨日辞めたんだったな。えっと、ついさっき宣旨が降りたから、太政大臣だ。我らが太政大臣殿の為に、こんな立派な屋敷を献上していただき感謝する。一昨日の綱殿の派遣の件も、重ねて礼を申し上げよう。……それで――」

 

 此度は、どのようなご用件で――と、あの公任が、言葉調子はいつも通りではあるが、表情は一切笑みを浮かべずに、冷たく問い詰める。

 

 やはり()()源頼光は、いつもの源頼光と比べても異様なのだと理解した所で、紫式部は思わず唾を呑み込んだ。

 

 公任と頼光、両者の間に張り詰めた空気が充満する。

 そして、公任の問いに対し、『鬼』面の鎧武者が何も答えないでいた所に――。

 

「――構わない。私が呼んだのだ。此度のこと、これまでのこと――そして、これからのことに対して。私から彼に、直接、礼を言いたくてな」

 

 戸惑う紫式部、警戒する藤原公任の背後から、その男のよく通る声が届いた。

 

 先程まで堅苦しい式典に参加していた反動からか、髪も下ろし、重々しい服も脱いでラフな直衣だけの状態で――どこか長兄・道隆を思わせるような柔和な笑みを浮かべながら、藤原道長は庭園に立つ源頼光を見下ろす。

 

「よくぞ参った。こっちに来い。――二人だけで話そう」

 

 その為に来たのだろう――そう語る瞳に、頼光は、赤く光る眼を合わせて応えた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

――ほう。お主が噂の……源頼光殿の弟君か。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

――なるほど。

 

――実に、面白い。

 

 

 初めて会ったその時から、ずっと、この男が恐ろしかった。

 

 家族以外で、生まれて初めて出会った――()()()()()()()()()()()

 

 そして、それでいて尚、微塵も畏れることなく、静かに、僅かに、その無表情を崩して――()()()()()()、その男が。

 

 藤原道長という男が、『■■』はずっと、怖かった。

 

 

 

「久しぶりだな。こうして話すのも。――『大江山』の後から、お主はめっきり顔を出すことも少なくなったからな」

 

 こうして道長は、二人きりになった途端、何の躊躇もなく核心に触れる。

 

 それが、『■■』の逆鱗であることも理解した上で。『■■』の激昂が、容易く己の首を吹き飛ばす死因となることを、全て理解した上で。

 

 一直線に、道長は問う。

 

「今のお主は、『源頼光』か? それとも――『■■』か? ()()()()()()()()()()()()()()? 私は全て、ありのままを答えよう」

 

 その為に来たのだろう、と。

 

 この藤原道長(わたし)を――見定めに来たのだろう、と、真っ直ぐに語る、この男が。

 

 ああ――と、『頼光』は思う。

 

 ゆっくりと、『鬼』面を外しながら。

 

 どんな妖怪よりも――藤原道長(この男)こそが、恐ろしいと。

 

「――どちら()、です。『■■』として――『源頼光』である為に。全てを知る覚悟を持って、アナタに会いに来ました」

 

 面を外し、()()()から、四天王にすら見せなくなった『素顔』を晒しながら、『源頼光』は――『藤原道長』と向き合う。

 

「今は――『僕』が、『源頼光』だから」

 

 道長は、その――『鬼』を見て。

 

 ()()と初めて遭遇したその時と、同じように、笑ってみせる。

 

「よかろう。私も、お主のように、全てを晒そう」

 

 そして、太政大臣となり、日ノ本の頂点に立った男は。

 

 平安最強の神秘殺しに、言葉通り、包み隠さず――己の漆黒の(ハラワタ)を晒す。

 

 その壮大で、荒唐無稽で――けれど、その実現に、後一歩のところまで迫っている絵巻を。

 

 とある馬鹿な男が、その手を愚直に天へと伸ばし続け――遂に月まで辿り着いた、その黒き野望の物語を。

 

 

「――俺は、月を手に入れる。その為に、全てを黒く燃やし尽くすと決めたのだ」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 道長は、本当に何かを誤魔化したり、はぐらかしたりしようとはしなかった。

 

 聞くに堪えない悍ましい話や、決して褒められない汚い手段に手を染めたことまで、包み隠さず頼光に自白した。

 

 だが、それでも、詳らかに全てを話してはいないのだろう。

 一人の愚かな男の人生(ものがたり)は、そう長い時間を掛けずに語り終えられることとなった。

 

 それでも、『頼光』は――何かが染み入るように、理解出来た。

 

(…………あぁ。()()か)

 

 全身を包み込むかのようだった。

 息苦しく、決して心地いいものではない。

 

 けれど――()()

 燃え盛るように熱い。熱く、熱く、それでいてゾッと凍えるように冷たい。

 

 これだ――この、『黒い炎』。

 黒く、轟々と燃える、炎のような野心。

 

 この熱さに。この冷たさに。この美しさに――きっと、皆、惚れたのだ。

 

(紫式部殿も、藤原公任殿も――安倍晴明殿も、そして、『兄さん』も)

 

 誰もがこの美しさの虜にされた。

 

 誰もがこの黒い野心に――藤原道長の魅力に、抗えなかった。

 

 全てを黒く燃やし尽くすことになるであろう悍ましき物語の――その結末を、見たくなってしまったのだ。

 

「――これが、我が野望の全てだ」

 

 語り終えた道長が、くるりと振り向き、『頼光』を見遣る。

 

 いつの間にか立ち位置が逆になり、頼光が道長を見下ろす形となっていた。

 

「既に我が長男・頼通(よりみち)の摂政への任命、そして三女・威子(いし)の後一条天皇様の中宮様への任命の宣旨は下りた。我が藤原氏は――これで全盛となった」

 

 これで、全ての準備は整った――道長は再び頼光に背を向け、だいぶくっきりと姿を現し始めた、天におわす()()満月へと、手を伸ばす。

 

「今宵だ――今宵、遂に始まり、全てが終わる。俺は月へと辿り着き、妖怪と雌雄を決し――この平安京は、滅びへと向かうだろう」

 

 その為に、貴殿の力を貸して欲しい――そう言いながら、振り向いた道長に向かって。

 

 ()()()()――と。

 

 面を外した剥き出しの鎧武者――『源頼光』は、その男の首に向かって、童子切安綱の切っ先を突き付けていた。

 

「それでも――『僕』は、アナタの全てを、認めることは出来ない」

 

 例え、安倍晴明が認めても。天皇も、中宮も、日ノ本の全てがこの男のモノでも。

 

 例え――かつての【源頼光】が、()()()【源頼光】が、認めた男なのだとしても。

 

 それでも――『僕』は。

 

 この黒き野望のその全てを、全肯定することなど、出来る訳がない。

 

「アナタの野望――そこには『民』がいない。いるのはどこまでも自分だけだ。その野望を、その漆黒を――その『結末』を! 見過ごすことは、『僕』には出来ない!!」

 

 だって――『僕』は託されたんだ。

 

 どうか『民』を救えと。どうか『都』を守護(まも)れと。

 

 あの『大江山』で、この『源頼光(なまえ)』と共に、この『童子切安綱(やいば)』と共に――『僕』は全てを、託されたのだから。

 

 どうか――と。だから――『僕』は。

 

 例え、こうして、『源頼光(あに)』が全てを捧げた男に、刃を向けることになろうとも。

 

「ならば――どうする?」

 

 道長の笑みに――『源頼光』を引き継ぎし武者は言う。

 

「――戦う」

 

 道長が晴明と共に整えた舞台は――既に完成している。

 

 今宵――妖怪大戦争は勃発する。

 それはもう避けられない未来だ。

 

 だが、その辿り着く結末は、まだ定まっていない。

 

 燃え盛る戦火から、襲い掛かる妖怪から、全てを呑み込む黒炎から――『民』を、そして『都』を守護(まも)るのだ。

 

 それこそが――『源頼光』の役目だ。

 

「アナタの野望を全肯定することは、『私』には出来ない。それでも、妖怪と雌雄を決する機会を作っていただいたのは感謝する。――『私』が今宵、『鬼』も、『狐』も、全ての妖怪を滅ぼし、妖怪との長きに渡る因縁に完全に決着を齎してみせる』

 

 ()()()()、と――『源頼光』は、『鬼』面を再び装着しながら、赤き眼光を耀せながら、童子切安綱を、天に輝く『赤き月』へと向ける。

 

『『私』は決して、平安京を諦めない。この地に住まう『民』も救い、『都』も守護(まも)り、『妖怪』に完全勝利する。――私が目指すその『結末』を、アナタの『野望』が邪魔をするというのならば』

 

 その時は――そう、『源頼光』が発しようとした、瞬間。

 

 藤原道長は、いつかの時と同じように、己の命を容易く刈り取る刃を前にしても。

 

 一切の恐怖を見せることなく、微塵も揺らぐことなく。

 

 童子切安綱の切っ先に対して一歩を踏み出し――己の首筋から赤き血が垂れるのも構わず、平安最強の神秘殺しに言う。

 

「その時は――この首を取り、『英雄』となるがいい」

 

 期待しているぞ、源頼光――赤き月に見守られながら、『藤原道長』と『源頼光』は、そう新たなる契約を交わした。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そして、遂に、終わりが始まる。

 

 

「――()()。準備は十全か?」

 

「無論。全ては滞りなく整っておりますれば」

 

 

 

「――()()。脚本は仕上がっているか?」

 

「書き上がっていませんとも。数多に散らばった伏線は、存分に舞台を掻き乱してくれるでしょう」

 

 

 ふ――と。

 

 かつて、主人公になると――そう誓った男は笑う。

 

「重畳。結末は誰にも分からないというわけだ」

 

 

 では、行こうか――道長は、そう呟きながら、先の見えぬ一歩を踏み出す。

 

 傍らに居た影は闇の中へと消え――道長は、真っ暗な夜を打ち消すような、華々しい宴の場へと。

 

 ずっと進め続けてきた――その最後の一歩を、踏み入れた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 土御門邸黒炎上から――二回目の夜。

 

 新土御門邸では、正しく浄土の世界のような、華々しい宴が催されていた。

 

 宮中の全ての貴族が集結したのではないかと思うほど、大勢の人々が、その男を褒め称えている。

 

 今宵は、現帝・後一条天皇に嫁いだ、道長の三女・威子が中宮となった祝いの席だ。

 

 一条天皇、三条天皇、後一条天皇――三代もの天皇の皇后を、自らの娘で占める『一家立三后』という未曾有の偉業を成し遂げた道長に、誰もが敬意を、嫉妬を、そして何より――恐れを抱いている。

 

 人間業ではない――人間の成せる、偉業ではない。

 

 誰も成し遂げたことのない、想像することすら許されなかった、栄華の極み。

 

 日ノ本を統べる頂に立った男は、己を褒めさやす言葉が飛び交う宴の空気を止めて――突如、庭園へと降り立った。

 

「……ん? 道長殿?」

 

 三条天皇に与し、そして敗れた右大臣・藤原実資(ふじわらのさねすけ)は――不気味な、血のように禍々しく、赤く耀く満月の光を浴びる道長に、ぞくりとした何かを覚えた。

 

 誰もが、赤き月に手を伸ばす道長に注目し、口を閉じる。

 

 そんな沈黙の中――後世に永久に残ることになる、その歌は詠まれた。

 

 

 

「この世をば――」

 

 

 

 この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

 

 

 

 その、余りにも傲慢で、余りにも不遜な(うた)に――実資は。

 

(――ッ!! この、男は――)

 

 最後まで、この宮中において藤原道長の敵であり続けた男は。

 

 黒き炎が如き野心に侵された世界の中で、最後まで歯向かい続けた男は――見た。

 

 歌を詠み、振り返った道長は。

 

 これまで鉄仮面のような無表情を崩さず、全てを恐怖で支配しきった男は。

 

 まるで――少年のように、きらきらと瞳を輝かせて、笑っていた。

 

 

 

 瞬間――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 それは旧土御門邸『黒炎上跡』から出現し、ぐんぐんと伸びていく――遥かなる、月へ向かって。

 

「――ようやくだ。ようやく――叶う」

 

 貴族達が恐慌する中、実資だけが聞いた。

 

 その男の――歓喜の、呟きを。

 

()()()。俺は、お前を――」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そして、赤き満月が耀く夜。

 

 

 一人の男が栄華を極め、その全てを、たった一つの野望の為に燃やし尽くした、真っ黒な夜に。

 

 

 日ノ本における、史上最大の星人戦争(ミッション)――妖怪大戦争は、開戦した。

 




用語解説コーナー㉟

藤原実資(ふじわらのさねすけ)

 藤原北家小野宮流の継承者であり、当代一流の学識人として名を残した男。

 小野宮流は、本来であれば藤原北家の嫡流であったが、兼家や道長が属する分派である九条流に権力の主導権を奪われ苦渋を呑んだ。

 それでも、道長全盛期に置いても己の中の筋を通す態度を貫き、道長の支配に最後まで抵抗した。

 道長も彼の才覚は認めていて、己に対する反抗分子の旗頭として彼を残し続け、最終的には従一位・右大臣にまで取り立て、実資は後世において「賢人右府」と呼ばれるようになる。

 史実においても、実資が書き残した『小右記』と呼ばれる日記は、平安時代の貴重な宮中の様子を知る資料として高い評価を得ている。

 しかし、そんな実資も、既に道長に対して完膚なきまでに敗北している。
 道長は己と折り合いの悪かった三条天皇と、己に対する反抗勢力の旗頭だった藤原実資を接近させ、道長に対抗せんとする勢力を一ヶ所に集め――これを徹底的に叩き潰した。

 長年に渡り道長と対等に渡り合ってきた実資と、この国の頂点たる天皇のタッグでさえも――道長には及ばない。
 三条天皇の凄惨な最期を見せつけられた宮中の貴族達は、道長に対する対抗意識を完全に失う結果となった。

 実資自身も、己だけが頼りだと縋りついてきた三条天皇に、これ以上ない敗北を味合わせてしまったことによって心を圧し折られ、既に道長に対する表立った反抗を行えなくなってしまった。

 こうして、道長は宮中を完璧に己の支配下に置き――その権力の全盛たる宴の場において、余りにも傲岸不遜極まりない歌を披露することになる。

 そして、それがまるで――呪言であるかのように。

 道長が、この世をばと、そう歌い上げるのと同時に――終わりは、始まる。

 妖怪大戦争は、今、ここに――幕を開けた。
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