比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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ありがとうな。人間を、好きになってくれて。


お前達と、出会えてよかった。


寄生星人編――⑤

 

 ギィしゃぁぁぁぁぁぁ!!!! ――という、擬音というにも耳触りな雑音の如き奇声を放ちながら、その化物集団は黒衣達を、そして『彼女』を取り囲んだ。

 

 そう、それらは、紛うことなき化物だった。

 見かけだけは人間のような化けの皮すら被っていない。

 

 全身は見たこともない醜悪な緑色の鱗で覆われ、魚のような死色の双眸とぽっかりと開いた口、そして(えら)を持っていた。

 そんな存在が二足歩行で、思い思いの武器を両手で携えている――が、その手は、この陸上においては明らかに不要と思えるような立派な水かきを備えている。

 

 醜悪――その一言に尽きた。

 これまで数多くの星人を滅ぼしてきた黒衣達も思わず眉を顰める程の――明確に表情を崩したのは団子髪の黒衣だけだったが――目を背けたくなるような、醜い怪物。

 

 そんな存在が十や二十では足りない多数を持って自らを取り囲む中、濁り眼の黒衣は右手にXガンを、左手にガンツソードを構えて周囲を見渡しながら、決して緊張感を感じさせない言葉調子で『彼女』に問い掛けた。

 

「はッ――なぁ。これはさっきの三つにカウントしないで欲しいんだが……アンタら寄生(パラサイト)星人は、こんな化物にも化けられるのか?」

 

 可能だ――が、それはあくまで可能だというだけだ。

 寄生(パラサイト)星人は、対象の脳を乗っ取り、食らうことで寄生する。それは、理論上は脳を持つ生物にならば何にでもなれるということ。現に『彼女』はこれまでに犬や猫、牛や虎といった動物に寄生した同族や、数は本当に少ないが、他の星人に寄生した同族と出会ったこともある。

 

 だが、そもそもの習性として、寄生星人は知能に引き寄せられて、生まれる場所――初めての寄生先を決める、というのが『彼女』の推論だ。故に、この地球という惑星で最も繫殖している知的生命体である人間に寄生するモノ達が圧倒的に多い。

 

 そして、人間以上に自分達と違うモノに対して排他的な他の生物達は、例え運良く寄生出来たとしても、即座に集団的に排斥される憂き目に遭う。よって、そのような境遇の寄生(パラサイト)星人は総じて長くは生きられない。寄生(パラサイト)星人が他の星人達に嫌われているのは、そんな理由もあるのだ。

 

 勿論、『彼女』程のイレギュラーな個体ならばそんな状況でも生き残るだろうし、始めは人間に寄生した個体が成長した後に別の星人の身体に乗り移ったというケースも考えられるだろうが――だが、そんなありえるかもしれない程度の可能性を探るよりも、目の前の状況を遥かに強い説得力で説明することが出来る可能性がある。

 

 つい先程、『彼女』は人魚姫と一戦交えたばかりなのだ。

 この半魚人達は、ほぼ間違いなく――彼女と同じ目的の軍勢。

 

 寄生(パラサイト)星人など全く関係ない、寄生(パラサイト)星人など及びもつかない――格の違う怪物達。

 

「シャシャシャシャ! おい、そこのドブ川のように濁りきった眼の人間! まさかとは思うが……今、オレ等をそんな寄生虫(ムシケラ)共に乗っ取られるようなザコ扱いしなかったかァ? 人間(オメェラ)と一緒にするんじゃねぇよ――この下等種族が」

 

 軋むような音とともに、豪快に木々が倒れ、巨大な道が出来た。

 薙ぎ倒された木と、ザッと両側に避けた半魚人達で舗装された道を、ゆっくりと歩きながら現れたのは、その巨大な道に見合う程の――大柄な魚人だった。

 

 振るう。振るう。振るう。

 三メートルに届かんばかりの巨体が振るうのは、その倍はあろうというサイズの――(ノコギリ)だった。

 シャシャシャと残虐に笑いながら、森林を伐採し、自然を破壊する魚人は、その姿を現しながらも道路には下りず、下等な人間を見(おろ)すように、人真似に縋る化物を見(くだ)すように――笑う。

 

 その魚人は他の半魚人達とは明らかに異なっていた。

 体色は緑ではなく海のような青色。鱗も触れるだけで切れてしまいそうな鋭さを持っている。

 

 そして、何よりもの特徴は――黄色と黒色による警戒色の刺青のような紋様。

 それが体中を模様のように駆け巡っていて、周囲の半魚人よりも遥かに醜悪で、何よりも凶悪だった。

 

 一目見るだけで、相まみえるだけで、歴戦の黒衣達は感じ取った。

 明らかに格が違う。この化物は、ボスクラスの――怪物だと。

 

 そして、それは――『彼女』も、同じだった。

 

(――――ッ!? まさか……『鬼鮫』のジャック!? ……人魚姫だけじゃなく、マーマン族の三巨頭まで出てくるなんて……本当に半魚星人は、全てを懸けて、人間に戦争を仕掛けるつもりなの――っ?)

 

 己の最悪の予想への現実味が容赦なく増していくことに、『彼女』は更なる絶望を感じる――が。

 

 ()()()()は、どんな怪物を目の当たりにしようと、目の前にしようと、変わらず不気味に不敵だった。

 

「はっ。悪いなぁ、お魚さん達。あんまりゾロゾロと湧くもんだから、思わず“雑魚(ザコ)”扱いしちゃったよ。ゴメンな。プライド傷つけちゃった? ――お鮫ちゃん」

 

 ミキ――ミキミキ、と。

 何かに罅が入る音が響き、そして、また一本の大木が倒れ伏せる。

 

 だが、この両者は――濁眼の黒衣と、警戒色の魚人は。

 凶悪な表情を浮かべたまま、ただ両者だけを――笑いながら、見据えていた。

 

「――全く。“ガンツ”の標的画像が当てにならないのはいつものことだが……つまりはコイツ等が本命ってわけな」

 

 濁り眼の黒衣は言う。

 

 彼等が黒い球体より指令(ミッション)を受けて、この千葉の地へと転送されて真っ先に行ったのは、いつも通りのエリア画像の確認。

 

 その時、近くにはこの四人のメンバーが居て、そして、とあるアホの子を除いた三人は直ぐに疑問を抱いた。

 

『……なぁ。今回の標的(ターゲット)は、一応は寄生(パラサイト)星人ってことになってたよな』

『…………ああ』

『…………そうね』

『だよなぁ………だったら、どうして――()()()()()()()()()()()()?』

 

 今回の指令(ミッション)は、スタートから明らかにおかしかった。

 

 まず、制限時間が設けられていない。

 いつもは一時間のタイマーを表示するページは、【-:--:--】と表示されているだけだった。

 

 続いて、エリアの広さだ。

 基本的には広くても一キロメートル四方ほどの大きさで区切られている筈の戦争エリアは――今回、通常時よりも遥かに広大で、そして何よりも不思議だったのは、その半分が海であることだった。

 

 これまで数多くの場所で戦争を行ってきた黒衣達だったが、その殆どが市街地や住宅街であり、山や田舎ですら珍しいのに――海を戦場(ステージ)とした戦争(ミッション)は、少なくとも彼等は初めてであり、いつもと変わらないのは開戦(スタート)の時間帯が夜だということだけだ。

 

 そんな設定を用意されたにも関わらず、標的(ターゲット)はこれまで何度となく戦い、そして対して苦戦もせず圧勝してきた、あの部屋ではボーナスステージ扱いを受けていた寄生(パラサイト)星人である、と。

 

 明らかに不自然だ。何かがおかしい。

 これだけの前代未聞――確実に、それに相応しい異常事態が起きている。

 

 故に濁眼と醜男と眼鏡の黒衣は、まずは情報収集を行おうと決めた。

 制限時間はない。ならば、まず行うのは正確な現状の把握――当然だと。

 

 訳も分からず、敵も味方も教えられず、何の説明もされないまま、見たことも聞いたこともない化物がうじゃうじゃと蠢くステージに無慈悲に放り込まれる――こんなクソゲーのプレイヤーにさせられたあの日から、これは最早習性と呼べるほどに、身体に頭脳にインプットされた行動だった。……若干一名、そんな重い荷物など知らないとばかりに、気の向くままに行動し続けて、何故かまるで死なず、自分達と遜色ないハイスコアを叩き出し続ける(アホの子)もいるが。

 

(……そんで、一発目に出会ったのが『コイツ』で……いい感じに何も知らず、その上で話も通じそうで……別角度から有益な情報が手に入ると思ったんだがなぁ。……それに――)

 

 濁り眼の黒衣は、ちらりと、混乱しながらも半魚人達から普通自動車を守れるようなポジションに動く『彼女』を見遣り、そして背後の醜男に問う。

 

「――イチロー。これが本隊か?」

「……正直、余りにも赤点が多すぎて判断が難しい――が、未だ、海の中で動かない軍勢がいる。恐らくは、コッチが本隊だ」

「ほう。つまりはつまり、コイツ等は捨て駒扱いの特攻隊というわけか」

「一番槍を買って出た先陣と称してもらおうか。俺等はこのままお前等を突き殺し、そのままテメェラに勝たせてもらう」

 

 巨大鋸を肩に乗せる警戒色の魚人の言葉を、濁り眼の黒衣は鼻で笑う。

 

「ハッ。勝つ、ね――どうやって? 俺等はお前等の親玉を――つまりはボスキャラをぶっ殺せばいいわけだが、お前等はどうすれば勝ちなんだ? 俺等真っ黒いのを全滅させたらか? それともこの国の総理大臣でも殺したら満足かい?」

「シャシャシャシャシャ! オレはそんな安い男じゃねぇよ。なぁに、オメェラが散々やってきたことだ」

 

 そう言い、警戒色の魚人は――獰猛に、笑う。

 

 獲物を眺める、鮫のように笑う。

 

 

 そして、山が、林が、全てが、震えた。

 

 

――LUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!

 

――GLAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!

 

 

「――ッッ!!」

「な、なにっ!? なんなのッッ!」

 

 警戒色の魚人の背後から、何か途轍もないものが飛び出してきたかのような錯覚――否。

 見えないが、何も視界には現われていないが、それでも何かが起きているといった確信――肯。

 

『彼女』は、気付いた。そして、混乱した。

 

(――ッッ!? 雄叫びが――()()()!!??)

 

 確かに、聞こえた。

 それは余りにも凄まじく、鳴き声や雄叫びというよりは最早衝撃波に近かったが、確かに聞き分けた。化物の聴力は聞き分けた。

 

 あの、『彼女』の夢を終わらせた、温かい夢から醒めさせた、真っ黒な怪物の極寒の雄叫びの――他に、もう一種類。

 

 別の、異なる、けれど同じくらい凄まじい――絶望の、怪物の、出現。

 

(……あんなモノが……あんな化物が――二体!?)

 

 絶望――絶望――絶望でしかない。

 あんなものを敵に回して、勝てる筈がない。そう、例え、それがあの黒衣でも。

 

(――そう、そうよ。……半魚星人は、あくまで黒衣に――人間に、戦争を仕掛けている筈。『私』は――)

 

 関係ない、部外者だ。巻き込まれた、被害者だ。

 その立場を使って上手く立ち回れば――この三方を敵に囲まれた窮地でも、見逃してもらえるのでは。逃げ出してしまえるのでは。

 

 黒衣と半魚星人を戦わせ、その隙を突いて、運転席に飛び乗り、逃亡する。大丈夫だ。逃げるのは得意技だ。それだけが特技と言っていい。ずっと、ずっと、『彼女』は逃げ続けてきたのだから。

 

 そう言い聞かせ、ゆっくりと、右足を引いて一歩下がろうとした――その時。

 

「終わりだよ――()()()()は」

 

 警戒色の魚人が――突き付ける。

 

 真っ直ぐに、巨大鋸の切っ先を、黒衣に――『彼女』に、向けながら。

 

黒衣(オメェラ)は、ここで絶滅だ――そんで、()()()()()()()()寄生星人(ムシケラ)

「――っ!!?」

 

 仲間に入れてもらえると思ったわけではない。容易く見逃してもらえると思っていたわけでもない。

 

 だが、まさか、ここまで明確に敵意を――殺意を、向けられるとは、思っていなかった。

 

「……あら。随分と嫌われているのね。あなた程の有名星人と出会っていたら、忘れる筈はないと思うのだけれど」

「アァ、確かに、オレとテメェは初対面だ――が――シャシャシャ! この状況でそんな口が叩けるたぁな! 大した雌だ!」

「――ッ!?」

 

 そう言って――ギロリ、と。

 

 目の色を変えて、瞳の形を――鋭く、楕円に、変えて。

 

 ブチ切れた――猛獣を、露わにして、魚人は寄生虫に言う。

 

「オレ達の兄貴(リーダー)を、()()()()()()()()()()()()()、よくもまぁ嘯けるもんだ。……そんでもって、聞かせてもらったぜ。()()()()()()()

 

 強く、大きく、一歩。

 

 その巨躯なる威容を見せつけるように、足を踏み出した警戒色の魚人は――獲物を前に、敵を前に、告げる。

 

「お前ら寄生(パラサイト)星人に対しても、我ら半魚星人は――()()()()()()。人魚共の了解は取っちゃあいねぇが、問題ない。テメェみてぇな愚かな化物は、あの人魚姫は一番大嫌いなタイプだ」

「――――ッッ!!」

 

『彼女』は――震える。

 

 それは、あの『鬼鮫』に明確な殺意を向けられたから――()()()()

 

 自分のせいで、自分の愚かな欲望のせいで――全ての寄生(パラサイト)星人の同族が、海における最大派閥の、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(……そん――な――)

 

 彼等のリーダーを――あの、『海王』を、虚仮(コケ)にした?

 バカな。有り得ない。そんな大物と会ったこともなければ、関わったことすらあり得ない。

 

 違う。何かの間違いだ。

 早く誤解を解かなくては。説得を、いや無理だ。あの『鬼鮫』がこちらの話を大人しく聞くとは思えない。

 

(…………どうして……こんな……ことに――)

 

 その時、一人の男が、ザッと同じく、一歩を前に踏み出した。

 

「――ハッ。盛り上がってるところ悪いが、俺等のことを忘れてもらっちゃあ困っちゃうぜ」

 

 濁り眼の男に続くように、眼鏡の黒衣が、団子髪の黒衣が、並び立つ。

 

「わざわざ海から上がって来てもらって恐縮だが――絶滅すんのはお前らだ、魚共。お前らは今日、大嫌いな陸の上で死ぬんだよ」

 

 その少し後ろで醜男の黒衣が巨大な黒槌を構える中――濁り眼の黒衣は、その瞳から冷たい何かを迸らせながら、言う。

 

「――人間を、ナメんじゃねぇ」

 

 一触――即発。

 

 空気が極限まで張り詰め、今、まさに――黒衣と半魚星人の、壮絶な死闘となるであろう戦争が勃発しようとしている。

 

 先の一瞬――『彼女』は、見た。

 あの醜男の黒衣が頻繁に目を向けていた、右手の液晶画面。

 濁り眼の男との会話から、あの地図画面の赤い点で表示されるのが標的(てき)であり、位置関係から青い点が黒衣(なかま)であると推察される。

 

 そして――『彼女』も、明確に赤い点で表示されていた。

 

 つまりは、黒衣の標的(てき)だ。

 さらには、半魚星人の標的(てき)でもある。

 

 三つ巴の戦争。

 だが、これは、明らかに拮抗していない。

 

 黒衣(きょうしゃ)と、半魚星人(きょうしゃ)の争いに、巻き込まれた寄生星人(じゃくしゃ)

 

 その命運は――確定的に、明らか。

 

「――フッ。シャシャシャ。面白れぇ。だったらもう、四の五はナシだ」

「――ああ。とっととやろうぜ。後がつっかえてる」

 

 

――さあ、戦争(ゲーム)を始めよう。

 

 

 濁り眼の男の宣言から、周囲を取り囲んでいた半魚人達が、一斉に気勢を――。

 

 

――そして、幾つかの、呻き声を上げた。

 

 

「――――何?」

 

 獰猛な愉悦を浮かべていた警戒色の魚人から――表情が消える。

 黒衣達も戦闘に備えていた無表情が、徐々に困惑に変わっていった。

 

 その間も、何かを裂くような音と、半魚星人の呻声が続き、警戒色の魚人が何事かを問う――前に。

 

 ギャァァァァアアア!! ――と、黒衣達を取り囲んでいた最前線の内の一か所が、吹き飛ぶように穴が開いて。

 

「な、なに――!?」

 

 団子髪の黒衣の戸惑う悲鳴のようなものに答えるように――ダンッッ!! と。

 

 

 普通自動車の天井に、一人の少年が降り立った。

 

 

 真っ白なTシャツにジーンズ。

 背はスラリと高い細身で、髪はオールバックで目つきは鋭く、年齢は高校生であろう、何処にでもいる普通の少年――否。

 

 異様に赤い触手のように、先端が刃に変形している右手を伸ばしていなければ、何処にでも溢れているであろう少年は。

 

 その特徴一つで、この場の全てのもの達に、己が化物であると知らしめていた。

 

 すくっと立ち上がった少年は、車の天井から、黒衣と半魚星人から庇うように『彼女』の前に降り立つと、右手を人間のものへと戻し、横に広げ――言う。

 

 何処にでもあるTシャツ、何処にであるジーンズを――ズタボロにした姿で。

 オールバックの髪を振り乱しながら、なおも鋭いその眼光を光らせて。

 

 人間のような右拳を握り締めて、ある日突然化物になった少年は言う。

 

「――この人は、殺させない」

 

『彼女』は、自らが化物の世界に引きずり込んだ、巻き込んでしまった同胞の名を呟いた。

 

 少年が化物になった日――『彼女』が贈った、その名前を。

 

「…………シン」

 

 そして、尚も、呻き声と流血音、悲鳴と怒声は響き続けた。

 

 見渡せば――見付けた。

 

 半魚人と戦いながら、傷つけながら、傷つきながら――それでも、懸命に、命を懸けて、命を捧げた『彼女』の元へと辿り着こうと戦う化物達が。

 

 OLが、オタクが、ギャルが、外人が、老婆が、アスリートが、イケメンが、教師が、探偵が、眼鏡が、仲居が、リーマンが、ガリ勉が、委員長が、帰国子女が、ショタが、アーティストが、イクメンが、不良が、刑事が、サングラスが、板前が、コックが、師範が、メイドが、ウサ耳が、ヤブ医者が、職人が、ニートが、探検家が、武士が、アルバイトが、犯人が――傷つき、倒れ、そして立ち上がりながら、戦っている。

 

「……あなた、たち――」

 

 どうして――そんな声にならない呟きに答えるように、背を向けたままの高校生は言う。

 

「守る為です」

 

――守る為に、生きなさい。

 

「守る為に――あなたを守る為に。ボク達は、ここにいます」

 

『彼女』は、ただ、涙を流すことしか出来ない。

 

 黒衣と、半魚星人と、寄生星人。

 

 遂に勃発した戦争は、正しく三つ巴の様相を呈し――流血と悲鳴と、落涙を以って幕を開けた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 合戦――目の前の光景を言い表すならば、きっとそんな言葉が相応しいのだろう。

 

 黒と――緑――そして、こんな戦場に余りにも不似合いな色とりどりの制服達。

 そんな三種三様の戦士達が、ぐちゃぐちゃに混ざりこんで、鮮血と悲鳴を絶え間なく生み出し続けている――そして、その度に、死んでいった。

 

 単純な数だけでいえば、緑色の半魚人が圧倒的に多い。

 寄生(パラサイト)星人達の数は多いというわけではないが、少なくとも三十人以上は揃えられていた。

 

 そんな中、黒い衣を纏う星人狩りの人間達は――たったの四人。

 

 だが、すぐそばで合戦を見遣る『彼女』の目には――いや、きっとこの光景を目にした誰もがこう答えるだろう。

 

 この戦場において――他色を圧倒しているのは、黒であると。

 

「いっくよぉーー!!」

 

 醜男がその巨大な黒槌を宙へと投げる。

 そして、それを跳び上がった団子髪の黒衣が、空中で柄を両手で掴み――緑色で染まった地帯に向かって容赦なく振り下ろした。

 

 グチャァッッ!! という異音と共に、半魚人達が真緑色の液体へと変わる。ぶわっと広がる血液の匂いに、しかし団子髪の黒衣は動じず、黒槌を振り下ろした体勢のまま声を張り上げた。

 

「あおのん!」

 

 彼女の叫びに擦過するように、団子髪の黒衣の顔直ぐ横を、一筋の風が吹き抜ける。

 

 その風は――黒く、鋭い、一本の矢だった。

 黒い矢は前方の半魚人の心臓を寸分違わず射抜き、断末魔の叫びも許さず絶命させる。

 

「……心臓の位置は人間と同じ、か。話が早くて助かるわね」

 

 眼鏡の黒衣は淡々とそう呟きながら、太腿のホルスターから黒い矢を取り出し、黒いアーチェリーに番え、放つ。

 構えは一瞬。まるで流れ作業のように正確無比の射撃を振り撒き続ける彼女は、自らの――そして黒衣の同胞達に緑を近づけさせない。

 

 一本の矢は頭に突き刺さり、一本の矢は心臓を貫く。

 時には敢えて腕や足を射抜き、バランスを崩させて仲間の止めの一撃をアシストする。

 

 その姿は、正しく狩猟者(ハンター)で――そんな、彼女の背後で。

 

「はぁッ! はぁぁぁぁぁッッッ!!!」

 

 膨れ上がらせた、漆黒の筋肉の鎧を。

 昂ぶらせ、鳴らし――振るう。

 

 半魚人の頭を片手で鷲掴みにし、力任せに、振るう。

 その化物そのものが武器となり、凶器となり、振るわれる。

 

 殺意と、生存本能。

 生物の原初かつ根源的な感情を、一切抑えることなく、ただ振るう。

 

 まるで化物のような、生まれ持った醜悪な容姿。

 だが、その姿は、この中の誰よりも――強い意思を感じさせる暴威。

 

 この場のどんな生物よりも、貪欲に生存を渇望する――人間の持つ、意思の力。

 

(…………これが………黒衣の……狩猟(たたかい)

 

 噂はどんな場所でも聞こえてきた。

 至る所で囁かれる逸話は、いつだって彼等のことを伝説的に語っていた。

 

 それは、まるで、怪しげな都市伝説のように瞬く間に広がっていって――。

 初めて真正面から目の当たりにする、漆黒の衣を纏う人間達の戦争は――それらの噂話が、都市伝説が、まるで脚色されていないことを物語っている。

 

 世界の三分の一を占める海の世界。その頂点に君臨する最大派閥の半魚星人。

 ()の星人が満を持して送り出してきた精鋭たる筈の先陣部隊を、たった四人で蹂躙している黒色。

 

 只の黒い衣を纏っているだけの、紛れもない、人間達が。

 一方的に、息を乱されることもなく、ただ返り血だけをその身に浴びて、圧倒的に、容赦なく化物を狩り尽している。

 

 この眼で見るまで信じられなかった。この眼で見ることで確信できた。

 絶対に敵に回してはいけない――例え、他の何者を敵に回すことになろうとも。

 

 黒だけは――絶対に。

 

「――――っ?」

 

 そして、その時、奴が見当たらないことに気付いた。

 たった四人しかいない筈の黒衣の――数が合わない。

 

 最も目が離せず、最も警戒しなければならない筈の、あの黒色は――。

 

(――あの男は、一体――――ッッ!?)

 

 瞬間――火花が舞った。

 眼前に唐突に迫った漆黒の刃――が、同じく眼前に、唐突に現われた真っ赤な触手の刃によって防がれた。

 

『彼女』を襲った男と、『彼女』を守った少年は、『彼女』の前で、刃を交わしながら言葉を交わす。

 

「…………何の真似ですか?」

「ハッ。決まってんだろう、素敵右手の青少年くん。人間(おれ)が、化物(おまえら)に剣を向ける理由なんざ――ぶっ殺す以外の何でもねぇ!!」

 

 拮抗している刃を、敢えて力を抜き、バランスを崩し――そこからトリッキーな動きで剣の持ち手を入れ替え、左手で突くように切っ先を突き出す濁眼の黒衣。

 

「――っ!? ――ッッ!!??」

 

 そして濁り眼の黒衣は強烈に突き出したガンツソードを、空中で浮かせるように――()()()

 

 悪魔のような笑みを浮かべたまま濁り眼は、ぐるりと身体を回転させる挙動を取る。

 その異様な動きに混乱を覚えずにはいられないシン――だが、そんな少年の困惑が治まるのを待たず、濁り眼の男はその回転の勢いそのままに、右の手で再び剣を取り、切り裂くように振るった。

 

「――っ! シン!」

 

 キィン! ――と何とか刃に当てたものの後ろにたたらを踏むシンは、背後の『彼女』に支えられて、何とか倒れ込むのを堪える。

 

 距離が出来た両者。

 シンは右手の刃を構えたまま、不敵な笑みを浮かべる濁り眼の男に言う。

 

「…………殺す、ですか。もしかしたら、あなたはこの人を見逃してくれるかもと思ったんですが」

「甘いな。甘いぜ。マックスコーヒーよりも甘い。確かにその女は俺のタイプだが、こうなった以上、化物共は無差別に討伐(ターミネート)でいかせてもらう」

 

 ニヤニヤと笑う男を、シンは右手の刃を眼前に構えて、無表情で睨み付ける。

 濁眼の黒衣は、漆黒の剣を手の中でくるくると弄びながら、軽薄に嘲笑うように言った。

 

「…………」

「言っておくが、他の奴に同情してもらうとしても無駄だぞ。俺等はそれなりに場数を踏んでる。いざとなれば、それが人間の姿をしていようと可愛らしい子猫だろうと幼い子供だろうと、容赦なんてものは簡単になくせる奴等が、此処には揃ってる。運が無かったと思って潔くその生命を諦めな」

 

 ちらりと、シンは、『彼女』は、他の黒衣を見る。

 確かに彼等は半魚星人を積極的に狩っているが、それはあくまで奴等の数が多く、寄生(パラサイト)星人が黒衣に手を出していないからだ。これは寄生(パラサイト)星人の他の同胞が黒衣に散々に()られているという事実があることと、やはり半魚星人の数が多いことが理由だと考えられる。

 

 一時的に、黒衣対半魚星人、寄生(パラサイト)星人対半魚星人になっているが、こうして濁眼の黒衣が『彼女』を迷わず狙ったように、一つのきっかけがあれば、容易く黒衣と寄生(パラサイト)星人の間も双方向矢印が引かれることになるだろう。

 

 シンは『彼女』を背に庇いながら、濁り眼の男に言う。

 

「……この人に、まだ聞きたいことがあったのでは?」

「ミッションに関しての情報は、こうして本命が現れた以上、殆ど用済みだ。……まぁ、他にも個人的目的の為に確かに聞きたいことはあるんだが、それは別に急ぎじゃねぇんでな」

 

 濁り眼の男は、邪悪に言う。

 正義の味方にあるまじき、悪魔的な笑みと共に。

 

「ここで死ぬなら、また別の“合格”を探すまでだ」

 

 そして、濁り眼の黒衣から――真っ黒な殺意が吹き荒れる。

 

「まぁ、とはいえ。俺もやっと見つけた合格をあっさり殺すのは忍びねぇ――だから、あっさりとは死ぬなよ、美人さん。万が一、この場を生き残れたら、アンタは文句無しで満点だ」

 

――だから、頑張って生きろよ。さもなくば俺が殺すからな

 

 そう言って、笑う、嗤う――濁りきった、瞳の、黒衣に。

 

『彼女』は思わず――両腕で己を掻き抱いた。

 

 怖い。恐ろしい。

 あの真っ黒な黒鯨や、少し先に佇む『鬼鮫』も恐ろしいが――『彼女』にとっては、やはり、この男が、世界で最も恐ろしい。

 

「――――ッッ!!」

 

 だが。

 

 それでも。

 

 そして――そして――そして。

 

「――っ!? 社長!?」

 

 ぐいっ、と、『彼女』は、シンを退けて、濁り眼の黒衣と対峙する。

 

 濁り眼の黒衣はそれを見てニヤリと笑い――それを見て、『彼女』は思った。

 

 ああ――嫌いだ。

 

 この男のニヤけた笑い顔が嫌いだ。この男の濁った眼が嫌いだ。

 

 この男の神経を逆撫でする物言いが嫌いだ。この男の捩子曲がった根性が嫌いだ。

 

 この男の猫背が嫌いだ。この男のアホ毛が嫌いだ。この男のこの男がこの男に嫌いだ嫌いな嫌いが嫌いを嫌い――――――ッッッッ。

 

 嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い。

 

「私は――『私』は――【私】は」

 

 真っ白な右手を、真っ白な刃へと変える。

 

 瞳を凍らせ、言葉を凍らせ――氷のような、殺意をぶつける。

 

「――あなたのことが、嫌いです」

 

 この男は――怖い。

 

 何よりも怖く、誰よりも怖い。

 

 きっとこの男は天敵で、宿敵で、外敵で、怨敵で、敵で、敵な、敵だ。

 

『彼女』の全てを見透かして、『彼女』の全てを脅かす。

 

 だから何よりも恐ろしく、そして――大嫌いな程に憎らしい。

 

 故に、怖いけれど、恐ろしいけれど――それでも――絶対に。

 

――逃げては、駄目だ。

 

 この男から逃げたくない。この黒から逃げたくない。この敵から、逃げたくない。

 

「あなたのことが――嫌いだ――ッ――『私』は――――ッッ」

 

 凍った傍から燃えていき、それを更に冷たく凍らす。

 

 凍えるような殺意を、凍らせ、凍らせ――研ぎ澄ます。

 

「――なら、生き残って、俺を殺してみろ」

 

 対して、濁り眼の黒衣は、不敵に笑う。

 

 ぐつぐつと、どろどろと真っ黒に燃える殺意は、ただ男の口元を歪ませ、瞳を濁らせ――男の周囲の空間を腐らせるかのようだった。

 

 美しく澄んで研ぎ澄まされた殺意。醜く濁って腐り果てた殺意。

 

 化物は氷のような無表情で。人間は炎のように揺らめく悪感情で。

 

 殺意を凍らす化物と、殺意を燃やす人間。

 

 今、その宿敵同士がぶつかろうとしていた――その時。

 

「―――っ!」

 

 シンが、社長を庇って無理矢理にでも間に割り込もうとするよりも――前に。

 

 

「あぁ、ウザッてぇ」

 

 

 今にも爆発しそうな苛立ちを込めた、その小さな呟きが、一部の者達の耳に届き――その全員が、動きを止め、視線を向けた、その先には。

 

 巨大な鋸を高々と振りかぶり、高く高く、乱戦が行われてる道路上に跳び出した、警戒色の巨躯なる魚人の姿があった。

 

 

「下等種族共が――調子に乗ってんじゃねぇぞッッ!!!」

 

 

 混沌極まる三つ巴の戦争に、『鬼鮫』の異名を持つ紛れもない怪物が、余りにも豪快な一撃を持って参戦する。

 

 同胞達が巻き込まれるのも構うことなく、最も密度の高い密集地へと叩き込まれたその一撃は――道路に稲妻を走らせ、轟音と共にアスファルトを爆発させた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 まるで本当に爆弾が爆発したのではないかと思う程の、馬鹿げた一撃。

 これには流石の黒衣達も――否、すぐさま強烈な一撃が来ることを予測し、戦闘を中断して四人全員が的確に回避してみせたことこそ、流石というべきか。

 

 兎にも角にも、警戒色の魚人の挨拶代わりの参戦の一撃により、乱戦は一時中断し、全員が衝撃を堪えることと、体勢を立て直すことを要求された――ほんの数秒。

 

 シンは、自らのリーダーである『彼女』を説得しなければならなかった。

 

 この数秒を、逃すわけにはいかないと行動に出た。

 

「――社長!」

「シン。私は大丈夫。とにかく、この隙に――」

 

 あの濁眼の黒衣を――と。

 彼の『鬼鮫』も、他の黒衣達も脅威だが、それでも『彼女』は一番の脅威はあの黒衣だと確信し、この隙を逃してなるものかと、土煙で視界が塞がれる中、この煙すら利用してやろうという思考に即座に切り替わっていた。

 

 あの『鬼鮫』の一撃を前にしても――と、ようやっとシンが知る社長らしくなってきたと感じながらも、それでもシンは表情を引き締め、『彼女』に言わなければならなかった。

 

 この社長はこんな風にいつも凛々しく、いつだって頼もしく。

 自分達は、そんな社長に憧れて、ずっと守られてきたけれど――と、迫り上がる何かを堪えながら、『彼女』の両肩を掴んで、目を合わせる。

 

「――? シン、何を――」

「――社長」

 

 シンは――笑顔で、告げた。

 

 

「――逃げてください」

 

 

 その表情の、感情は――やはり、『彼女』には、分からなかった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「―――――え」

 

 瞬間、凍り付かせていた殺意が、研ぎ澄まされた殺意が――雲散霧消する。

 

 この場で死ぬ覚悟は固めていた。

 シンが、彼等が、彼女等が――『彼女』の同族達が、スマイルカンパニーの寄生(パラサイト)星人達が、この戦場に現われた、その瞬間から。

 

 どうして皆がここに来たのか、この場に現われたのかは分からない。

 が――それでも、この場にいるというそれだけで、既に事態は取り返しのつかない程に詰んでしまっている。

 

 ならば、『自分』に出来ることは、もうたった一つしかない。

 こんな『自分』を守る為にやってきたという救えない彼等を、たった一人でも多く救うこと。

 

 とにかく一人でも。たった一体でも。

 

 既に半魚星人から宣戦布告され、そして黒衣の標的(ターゲット)としても名を覚えられた寄生(パラサイト)星人。

 

『彼女』は諦観していた。

 これは、きっと、今に始まったことではないけれど。

 

 それでも、身体は勝手に戦闘状態へと切り替わり、思考は彼等を救うことに自動的に向いた。

 今までずっとそうしてきたように、『彼女』はそうするつもりだった。

 

 その先が破滅でも、ほぼ確実な死亡でも、どうやら『自分』は動けるようだと、他人事のように思考しながら――。

 こんな状況で、高望みなど出来る筈もなく、きっと自分はこの戦争の序盤も序盤であっさりと脱落することになるだろうという計算結果を既に叩き出しているが故に、特定の希望の同族を生き残らせるように誘導することなど不可能だと分かっていても――それでも。

 

 生き残るなら。生き残ってくれるなら。

 出来ることなら――この少年を、と。

 

 自分が巻き込んでしまった少年を。こんなことになる筈のなかった彼を。

 

 我らが同族の中でも誰よりも無関係な彼を。

 我らが同族の中で、誰よりも生きるべき彼を、誰よりも死ぬべきでない彼を。

 我らが同族の中で、誰よりも――人間な、彼を。

 

 人間であるべき彼を。人間であるべきだった彼を。

 

 こんな依怙贔屓は、長たるモノとして、化物を率いる化物としては、あまり誉められる思考ではないのかもしれないけれど。

 

(…………こんな『私』を、あなたはどう思うのかしらね)

 

 唯一、この場にいない『彼』を思いながら、『彼女』は心中で微笑んでいた。

 

 この少年を特別扱いする『彼女』に対し、好きなようにすればいいと言いながら、決まってその日はいつも以上の無口になる『彼』を。

 なんだかんだ言いながら、『彼女』と同じくらい、またはそれ以上にこの少年を可愛がっていた『彼』を。

 

 この場にいないことにほっとし、この場にいないことを寂しくも思う、『彼』を。

 

(…………最期に、あなたに会いたいと思うのは――きっと、『私』が化物だからなのでしょう)

 

 あの時――『彼』を置いて、雪ノ下家へと向かったのは、『彼女』だ。

 窮地に怯える同族達に背を向けて、陽だまりの人間達の元へと引き寄せられたのは、『彼女』だ。

 

 なのに、こんなことを、今わの際で願うだなんて――ああ、醜い。

 

 だから『私』は化物で、化物な、化物なのだ。

 

「――――ッ!」

 

 ギリッ、と。

 歯を食い縛り、この葛藤と憤怒すら、目の前の宿敵への殺意へと変えて。

 

 死の覚悟と共に刃を振るおうとしたその瞬間、頭上から唐突な破壊が振り下ろされてきて――。

 

 

「――逃げてください」

 

 

――どうか生き残って欲しいと願った少年の、真っ赤な触手のような右手によって、放り投げ出されていた。

 

 

「――――え」

 

 

 呆然と、あれほど凍らせていた殺意すら見失って、気が付いたら普通自動車の運転席に叩き込まれていた。

 

「――っ!?」

 

 運転席側のドアは『彼女』が吹き飛ばしたので、『彼女』はシートに衝撃と共に受け止められる。

 

 フロントガラスの向こう側には、未だ濛々と立ち込みながらも徐々に薄くなっている土埃と、こちらに背を向ける何処にでもいる普通の少年だった化物。

 

「――シン!」

 

 ただ、名前を叫んだ。

 少年を化物にした日――人間社会とは別の世界で生きる顔として、『彼女』が贈ったその名前を。

 

 あの少年にとって、()()()()()()()()()()()()、その名前を。

 

「――――っっ!」

 

 そんな、当たり前のことに。彼をずっと、化物として呼んでいた、人間としての彼を殺した元凶たる『自分』に。

 

 こちらを向いて、眉尻を下げて微笑む少年を見て、ようやく思い至った、愚かなる化物の『彼女』は。

 

 だが、何の感情(おもい)も口にすることは出来ず、それよりも前に、そんな『彼女』に何も言わせないとばかりに、シンと呼ばれ続けた少年は言った。

 

「……副社長から託されたんです。アナタを守れ――と。アナタの夢を守れと」

「…………私の、夢……?」

 

 その『彼女』の呟きは、余りにもか細く、フロントガラスの向こう側の少年に届いたのかは分からないが。

 

 シンたる少年は、ただ真っ直ぐに『彼女』を、『彼女』のその向こう側を指さした。

 

「――アナタにはもう、守るべきものがある筈です」

 

 それは数時間前、危機に瀕する同族達に背を向けた醜い化物が、逃げるように言い残した言葉で。

 

「――守る為に、生きてください」

 

 それを、今、『彼女』は――そんな自分を守る為に駆けつけた、同族達に背を向けられながら、言い返された。

 

「――――っっ!! ――――ッッ!!」

 

 思わず車外に飛び出し掛ける――が、何かに引き擦り込まれるように、その目は後部座席に残していた存在へと向けられる。

 

 陽光は、豪雪は、陽乃は――雪ノ下家は、未だ眠るようにぐったりと倒れ伏せていた。

 

 そんな彼女を、彼を、彼女を――人間達を見て、『彼女』は。

 

「………………………ぁぁッ! ぁぁぁッッッ!!」

 

 シートに両拳を叩きつけ、前を――フロントガラスの向こう側を見る。

 

 煙が晴れようとしている。

 

 シンの意図を理解出来ない『彼女』ではない。

 こんな混沌たる戦場で、脱出のチャンスなど二度も訪れない。

 

 これが最初で、恐らく最後の、一縷の望み。

 

 再び涙を流す『彼女』の、ぼやけた視界で――その時。

 

 シンと呼ばれた少年は、笑っていた。

 

 それは、『彼女』が、そう思いたかっただけなのかもしれないけれど。

 

 

「ありがとうな。人間を、好きになってくれて」

 

 

 その時、『彼女』は、改めて自分は化物なのだと自覚した。

 

 

「お前達と、出会えてよかった」

 

 

 こんな言葉を聞いて。こんな言葉を貰って。

 

 こんなにも思い切り、あの少年の笑顔に向かって、アクセルを踏み切っていたのだから。

 




 彼は、巻き込まれた少年だった。

 こんなことになる筈ではなかった少年だった。

 誰よりも無関係で、何の罪もない、只の少年だった。

 生きるべき少年だった。死ぬべきではない生命だった。

 彼は――人間だった。

 人間であるべき彼は、人間であるべきだった彼は――シンという化物は。

 自分を化物にした化物に、きっと――人間のような笑顔で。


「ありがとうな。人間を、好きになってくれて」


「お前達と、出会えてよかった」

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