門が式神に――朱雀門が十二神将・『
見事、およそ二百年以上もの間、真正面からの侵入者――妖怪の侵入を許さなかった朱雀門を潜った、歴史上初めての妖怪・
「――ほう。このような仕掛けが施されていようとは。朱雀門が起点であった以上、結界が張られたその日には、あるいは平安宮を作り上げたその時には、
そうは思いませぬか、
「はてさて。私には想像しかねますなぁ。何しろ私は、
「ふむ――然り」
振り返り、覚は烏天狗と向かい合う。
二体の妖怪は、共に妖しい笑みを浮かび合いながら、一歩、一歩、近付いていく。
「我らは、あの御方の代わりに動く『あばたー』に過ぎない」
「我らは、あの御方が代わりに動かす『きゃらくたー』に過ぎない」
やがて覚は歩みを止め――烏天狗はその首を掴む。
「これまでご苦労様でした。あなたはここで『
「ええ。あなたも――最後まで、しっかり勤め上げて下さい」
ぐっ、と烏天狗が首を掴む力を入れると、覚の身体は再び無数の烏と化し――烏天狗へと吸収されていく。
妖怪勢力『狐』の大幹部として、此度の妖怪大戦争の全体図を作り出し、最後の役目として平安宮の結界を破壊して、十二神将『騰蛇』を目覚めさせた所で。
安倍晴明の
「実に、実に――羨ましい限り」
そう言って、己が掌に最後まで残った黒い人形の術符を、ごくりと、噛まずに呑み込んだ烏天狗は。
「では、私も定時で上がるべく、残された
呟いて、そして、朱雀門跡の前で繰り広げられ始めた激戦――とは、見当外れの方向を見据えながら、闇夜に向かって背中の黒翼を羽ばたかせながら飛び立っていく。
「――取りあえずは、己が『役柄』に没頭し過ぎて、己が『役目』を忘れている、同胞にして同僚の、目を覚まさせることから始めましょうか」
幾つもの戦場が生まれ、戦火が文字通りの火柱として上がっている平安京。
烏天狗は、その中の一つ――戦火の火柱の発生源たる戦場を見据え、そして飛んで行った。
+++
天に邪する鬼は、鉢合わせた二人の四天王を見下ろし、そして――巨大な鬼の肩に立つ自分と、同じ高さから同様に下界を見下ろす妖怪を見遣る。
かつて、この
この京に巣食う貴族達が、酒吞童子よりも、阿弖流為よりも、何よりも恐れた稀代の大怨霊――。
(――『狐』もとんでもない隠し玉を用意していたものですね……。しかし、『
天邪鬼は「……お初にお目に掛かる。私は大江山四天王が一体、天邪鬼と申します」と、同じ高さにいる雷様に向かって声を掛ける。
「……そなたは、妖怪・雷様とお見受けられる。伝説に名高い大妖怪である貴殿と共闘できることは誠に光栄の至りですが……一体、いつの間に復活なされたので?」
小さな黒い雷雲に乗る、見た目は赤い鬼のような妖怪。
背に雷神太鼓と呼ばれる装具と、まるで何処かの誰かと同じように黒い布で目元を覆っているのが特徴の不気味な怪異は。
「…………」
まるで何も聞こえていないかのように、天邪鬼の言葉に応えない。
(……何らかの封印が施されている? それとも単純にこちらに興味がないだけですかね? ……退治された『本体』を何らかの術式で復活させたのか――あるいは、只の贋作か)
例えそうだとしても、平安京を瞬く間に火の海に変えた、その力は本物だ。
少なくとも『武器』として使用するならば、その破壊力は申し分ない。
(封印されているにしろ、操られているにしろ、
目を細め、天邪鬼がその手を雷様に向けようした――瞬間、その手が、突如飛来した矢によって弾き飛ばされた。
「――!」
天邪鬼は矢が飛んできた方に目を向ける――が、目を向けるまでもなかった。
その矢を射たのは――頼光四天王が一人、
四天王きっての弓矢の達人が、次弾を番え、こちらを真っ直ぐに視線で射抜いている。
天邪鬼は、瞬く間に襲い掛かってきた二射目を、血が滴る右手で構えた鉄扇で弾き返した――しかし、その威力は、鉄扇に生涯癒えることのない弾痕を穿っていった。その痕跡が、四天王たる戦士の実力をありありと物語っている。
(……この闇夜の中、この高低差のある距離の中で、これほどまでに正確に、これほどまでの威力の矢を射る、か。……『鬼の天敵』と肩を並べる、流石は頼光四天王というべきでしょうかね)
ずぼっ、と。
天邪鬼は己の右足を鎧将の右肩へと埋め込む。鎧将が呻き声を上げると、まるで何かを吸い取ったかのように、矢で射抜かれた天邪鬼の右手が――時を戻したかのように再生した。
「…………」
その光景を鋭い眼で見据えた季武は、尚も神速で矢を番え、連続で矢を射ていく。
「――だが、舐めるな、人間」
天邪鬼は引き抜いた右足で、そのまま鎧将の右肩を強く踏みつける。
それを合図と受け取ったかのように、先の呻き声とは打って変わった、まるで獣のような雄叫びを上げ――巨鬼が右腕を振るい、矢の弾幕を薙ぎ払う。
「――っ!」
そして、腕を、大きく、振り上げて――槌の如く、その握った拳を振り下ろす。
「平安京の
迫りくる巨大な丸太のような拳に――碓井貞光は、相棒に向かって吠えた。
「俺が――受け止める!!」
そして、その有言は実行された。
貞光等を血染へと変えようとしていた巨大鬼の拳を、貞光という人間は、己が身の膂力のみで支え切ってみせる。
不快げに表情を歪めた天邪鬼に、貞光は額に玉のような汗を吹き出しながらも――強く笑みを、浮かべて見せた。
「……そちらこそ、舐めるなよ、鬼。……デカいだけの妖怪など、これまでいくらでも……退治してきた……ッッ!」
貞光は、ぐぐぐと、折れかけた膝に力を入れ、それを徐々に、徐々に伸ばして――。
「偉そうに見下ろすな。お前が今日、この京の滲みとなれ」
――ガツン、と。巨大鬼の拳を地に叩き付けた。
「な――」
無論、貞光自身が潰されたわけではない。
己に向かって振り下ろされた拳を受け止めた貞光が、それを更に勢い良く、抑え込むような形で平安京の地面へと叩きつけたのだ。
そして、一時的に、巨大鬼を上回る膂力で、その鬼の動きを封じる――その、一瞬を利用して。
貞光は――跳んだ。
己を見下ろす鬼を見下ろすべく、更に高く、京の空を高々と飛んだ。
命を刈り取る――大鎌を振りかぶって。
「――っ!」
天邪鬼は直感で理解する――あれは、
二日前の夜に、己の左腕を薙いだ、あの『鬼殺し』が振るった『鬼切』のような。
跋扈する妖怪を排除せよと――そう天に命じられたかのような武装。
(――ッ! ふざけるな! 我は天邪鬼! 天を邪する鬼! 天の意思などに退治されてなるものか!)
そう怒るように、天邪鬼は己を高みから見下ろす貞光――その先の天に向かって手を伸ばし。
「私を――見下ろすな!」
天を堕とすように、その権能を発動させる。
妖怪の名は
大いなる意思を穢せと、そう命じられた名を持つ鬼。
天に
「――そう。
闇から覗く瞳が、そう不気味に笑っていた。
瞬間――ぐん、と、斜め下に引っ張られるように、貞光は通りの家屋の中へと墜落した。
重力は真下に働くものだと、そう
「我が名は天邪鬼――天を邪する鬼。ここで
己の身体を引っ張る、少なくとも天の力ではない何かを感じながら、貞光は――暗夜の中で、己を見下ろす赤い眼を見た。
失われた右眼。埋め込まれた隻眼にして赤眼。
敗北し、追い詰められ――取り戻した使命にして本性。
(……全く。綱の奴も詰めが甘い。敵を強くしてどうするのだ、全く)
そう溜息を吐きながら――碓井貞光は家屋の中へと墜落した。
+++
倒壊する轟音を聞きながら、天邪鬼は己の手を見遣る。
「……今のは――」
何かを取り戻した気分だった。
忘れている何かを。本来の、『何か』を。
そして、ふと周囲を見渡す――己を何処から見る視線を感じて。そして――見つけた。
「――ッ!!」
卜部季武。
彼もまた、貞光と同様に空を跳んでいた。
貞光が鎧将の拳を受け止めた時、彼はその姿を晦まし――背後へと回り込んでいた。
巨大鬼・鎧将の、その肩に乗る天邪鬼の――
その横で、ずっと不気味に、身じろぎ一つせずにぷかぷかと浮かんでいる雲に乗る妖怪の、太鼓の装具が埋め込まれた、無防備な背中に――真っ直ぐにその鏃を向けている。
(……確かに、新たなる大江山四天王だという天邪鬼が操る巨大絡繰鬼は脅威だ。しかし、より広範囲に、より甚大に破壊を振り撒いているのは、優先して退治すべきなのは――間違いなく、コイツ)
生まれた絶好の機会に、季武は震えそうになる手元を改めて引き締める。
有り得ない。有り得る筈がない――が、もし、この妖怪が、
退治された筈の、かの大怨霊が、その尽きぬ怨念によって再び顕現し、この平安京へとやってきたのだとしたら。
(
まるで、指令がなくなったかのように、何か条件を満たしたかのように、四天王と遭遇した瞬間から、ピタリと、その動きを止めているこの妖怪を。
再び、動き出す前に。伝説が、蘇る前に。
先程の天邪鬼への牽制のそれではない――確実に、一撃で、終わらせる為の一射を。
季武は、背後から無音で放った。
弦を離した音も、矢が放たれた音も、どのような原理による技術か不明な、まるで術のようなその一射を。
ピクリとも、これまで微動だにしなかった雷様は。
己を退治しようとする殺気を感じたかのように――
「――――ッ!!?」
だが、躱し切れなかった。
頼光四天王が終わらせるべく放った渾身の矢は、確かに雷様に届いた――しかし。
頭部を射抜く筈だった矢は、首の回転に僅かに軌道をずらされ――その黒い布の上に被せられていた仮面を吹き飛ばすに過ぎなかった。
現れたのは――人間の顔だった。
否、元――人間というべきか。
黒い布によって覆われたそれは、顔の形が人間のそれと酷似していると、そう辛うじて推察することが出来る程度だった。
だが、それで十分だった――正体が判明するには、十分だった。
何故なら、一枚の仮面を破壊した、たったそれだけで。
全てが、変貌したからだ。
妖怪が放つ妖気が――そして、生み出す、怨念が。
平安京そのものを、震わし、始めたからだ。
まるで――施されていた封印が、解かれたかのように。
『……懐かしい空気だ。相も変わらず、反吐が出る味だな』
睨まれたわけではない。殺気を返されたわけでもない。
だが、それでも、季武は――追撃の矢を打ち込むことが出来なかった。
何も出来ず、ただ無様に、地に下りただけだった。それも綺麗に着地など出来ず、まるで落とされたかのように――腰を落としていた。
それほどまでに、その妖怪が放つ妖気は――圧倒的だった。
自分は伝説しか知らない。実際に対面したわけでもない。だが、それでも――確信した。
今まで感じたことのない程に膨大な妖気。圧倒的な怨念。それこそ、正に――。
(――あの時の……大江山の……酒吞童子以上……ッ!!)
妖怪王の器すら上回る妖気――日ノ本史上、最も恐ろしい妖怪へと変貌した――
「……間違いない……本物であった……」
そう笑うは、天を邪する鬼。
しかし、その鬼の額には、確かに冷たい汗が流れていた。
倒壊した家屋から戦場へと戻ってきた碓井貞光は、それを見上げて、言う。
「……何故、蘇った――
菅原道真。
かつて藤原氏隆盛の時代に、学徒の身で宮中の頂点を獲得した者。
そして、宮中の――『藤原』の陰謀によって、その全てを失い――怨霊となったモノ。
人から妖怪へ――そして、その祟りを持って――神へと至った存在。
菅原道真。
正しく伝説として永劫に語り継がれし怪異を前に、貞光は――震える膝を左手で叩き、その大鎌を握る右手に力を入れた。
用語解説コーナー㊷
・雷様
ゴロゴロと天を鳴らし、怒りと共に雷を降らすと恐れられる大妖怪。
落雷と共に臍を奪い、その怒りが収まるまで雨の如く雷を降らし、全てを焼き尽くすと恐れられている。
この世界における雷様とは――たった一人の元人間、たった一体の大怨霊を指す。
人の身でありながら、その才覚と怨念により、悪霊となり――そして、神へと至った男。
歴史上、最も人間を追い詰めた――『人間』。
かの雷神の怒りが今――再び、平安京へと降り注ぐこととなる。