比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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僕はあなたを救わない。あなたが僕達を救わないように。


妖怪星人編――㊸ 愛に狂う鬼

 

 赤き月を、その鬼は仰ぎ見た。

 

「…………」

 

 否――正確には、その方角から出現した、自身に匹敵する強大な妖気へと顔を向けた。

 

(…………なに?)

 

 生まれながらにして最強であった彼女は、自身の強さというものに恐ろしく無頓着だった。

 彼女の強さの基準は常に自分自身――だからこそ、彼女にとって他者とは、()()か、()()()の、たった二つに、その殆どが分類された。

 

 強者というものを、彼女は片手の指で数えられるほどしか知らない。

 

 戦闘力という面で彼女に認識されたのは、かつての自身の右腕と、ついこの間に対面した狐――そして。

 

『――余所見とは、余裕だな』

 

 呆けるように立ち尽くす少女鬼――『鬼の頭領』・酒吞童子(しゅてんどうじ)の喉元に向かって、その名刀は振るわれる。

 

 童子切安綱(どうじきりやすつな)――数多の妖怪を屠り続けてきた、もはやその刀そのものが怪異を殺す概念といっても過言ではない――紛れもない『怪異殺し』。

 

 そして、その名刀を振るうは、こちらも当代において、あの安倍晴明と並び称される『最強』――もう一人の、妖怪の天敵。

 

 殺せぬ(あやかし)は存在せぬと言われた『神秘殺し』――源氏の棟梁・源頼光(みなもとのらいこう)

 

 源頼光は、酒吞童子が『強者』として認識した、数少ない存在。

 茨木童子や化生の前と並ぶ強者と認めた存在――だが、それは。

 

 ()()()()()()()()()()()()――。

 

『――――ッッ!!』

 

 明確な隙をこれ以上なく完璧に突いた一撃。

 名刀の力を完全に引き出した、神秘殺しの渾身の一撃を。

 

 小さな少女鬼は、たった一本の爪で、それを身動き一つせず、瞬きもせずに受け止めた。

 

「…………やっぱり…………お前…………はるかに…………()()

『―――ッ!!』

 

 酒吞童子が――目を見開く。

 

 たったそれだけの動作で、無数の妖気の刃が頼光に襲い掛かった。

 

『――――ぐっ!』

 

 絶え間なく降り注ぐ必殺の嵐。

 酒吞童子から()()()()規格外の妖気が、少女鬼が敵意を向けた、ただそれだけで、何の技術も術式もなく、刃となって対象に襲い掛かる。

 

 彼女は、この驚異の現象を、ただ()()()()と、それだけの感情を抱いたというだけで対象に振り撒くことが出来る――振り撒いてしまう。

 

 こんなものは酒吞童子にとって攻撃ですらない。

 だが、最強の鬼が不快感を抱く、ただそれだけで、この場は生存不可能な地獄と化す。

 

 頼光はその斬撃の雨の中を、童子切安綱を振り回すことで何とか生き延びる。

 常人には視認不可能な程に刀を高速に操り、寸分の狂いのない達人技で以て振るう。

 

 だが、それでも、ずずずと、その両足は少しずつ、少女鬼から遠ざかっていく――遠ざけられる。

 

 遠い――手を伸ばせば届く程の距離が。

 目の前の『最強』が――恐ろしく、遠い。

 

(――――()()……ッ!)

 

 分かっている――自分が、弱いということは。

 

 強くなったつもりだった。高みへ登り詰めたつもりだった。

 

 大江山の鬼退治から――十年。

 ()()()()()()()()()――十年。

 

 強くなった――つもりだった。

 

 だが、求めた『最強』は、目指した『最強』は――見ろ、その爪を構えてすらいない。既にこちらを、見てすらいない。

 

 再び余所見を――赤き月へと、目を逸らしている。

 

『――――ッッ!!』

 

 それでも――届かない。

 童子切安綱が重い。無数の斬撃を弾き返し続けて、見る見る内に腕が鉛のように重くなっていく。

 

 弱い――弱い――弱い。

 

 そんなことは――分かっている。

 

(――()が、()()に及ばないことなんて――分かっているッッ!!)

 

 だが――それが、どうした?

 

 そんなことは前提だ。十年前、あの瞬間から、分かり切っていたことだ。

 

 分かった上で、僕は――源頼光をやってるんだ――ッッ!!

 

『僕は――源頼光に――ならなくちゃいけないんだよ――ッッ!!!』

 

 それが――託された者の責務。

 

 命の使い方――定めた、使命だから。

 

 だから、例え斬撃の嵐の中だろうと、隔絶するような断崖絶壁が立ち塞がっていようと――足を進めぬ、理由にはならないッッ!!

 

 この歩みを止める――諦める、理由になんてならない!!

 

『うぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!!!』

 

 進む――進む――進む。

 鉛のように重い童子切安綱を振るい、鉄を引き摺るように重い足を前へと進めて。

 

 最強が放つ壁を、妖気の刃の中を――源頼光になると、『最強』へと至れと託された鎧武者は、その刃を、再び少女鬼へと届かせる。

 

()を見ろ――『最強』!!』

 

 瞬間――酒吞童子の目が見開く。

 

 今度は――届いた。

 頼光が振るった童子切安綱は、今度こそ、余所見をしていた『最強』の身体を斬り裂いた。

 

 右肩から左腹に向かって――真っ二つにせんと、その小さな身体に一閃を走らせる。

 

 身体が千切れかける。鮮血が噴き出す。

 

「――――ふうん」

 

 だが――すぐさま、再生する。

 鎧武者の奮闘を嘲笑うかのように。弱者の努力を、嘲笑うかのように。

 

 しかし、確かに――酒吞童子は、源頼光を、()()

 

「――――死ね」

 

 五爪が振るわれる。鬱陶しいという拒絶ではない。明確に殺意を以て――『敵』へと向けられる最強の、()()

 

 先程までの妖気の刃の嵐とは比べ物にならない恐怖を感じながら――それでも、頼光は、冷たい汗を流しながら笑った。

 

 最強が、見ている。

 最強が、自分を――敵として、見ている。

 

 十年前のあの日、大江山でのあの日に、影から見ていることしか出来なかった『最強』が――自分を個体として認識すらしていなかった『鬼』が、自分を。

 

 誰もが認める『最強』であった『源頼光』と、死闘を繰り広げ――そして、殺した、あの『酒吞童子』が。

 

 自分を、敵として、殺すべき対象として、認識している。

 

『――ッ! 遂に――辿り着いたぞ!! 酒吞童子!!』

 

 源頼光は童子切安綱を振るう――自分には重い名刀、相応しくない『怪異殺し』を。

 

 この鬼を、今度こそ殺す。

 

 そうすれば――自分は――。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 響き渡る轟音。そんな『最強』の激突を――その侍は見ていた。

 

「十年……()()()は、強くなった」

 

 ずっと自分達の背中に隠れて、後ろを付いてくることした出来なかった子が。

 

 目の前で『兄』を失い――その小さな身には余りにも重すぎるものを託された。

 

 震える身を鎧で包み、怯える心を『鬼』の面で隠して――子供は大人へと、そして『最強』へとならなくなった。

 

 強くなった――本当に強くなった。

 今では貞光も、季武も、金時も、心からアイツを源氏の棟梁と、己の主だと認めている。

 

 浅草寺の牛鬼も、魔の森の土蜘蛛も、例え奴等が十全の状態で相対することになっていたとしても、今の『源頼光』ならば間違いなく勝利することが出来るだろう。

 

(……それでも、やはり――酒吞童子だけは、別格か……)

 

 酒吞童子。

 突如として現れた変異種。迷い込んだ妖怪王の器。

 

 生まれながらにして、余りに歪な形で完成された――純正の『最強』。

 

「アイツも頑張ってはいるが――今はまだ、『最強(こちら)』には辿り着いていない」

 

 本来ならば、この局面(クライマックス)には間に合わせなくてはならなかったが――それには、十年という時間は、余りに短すぎた。

 

「酒吞童子との戦いは、『源頼光』にとっては避けられない試練――だからこそ、やらせてはみたが……死なせてしまっては本末転倒というもの」

 

 託されたのは――アイツだけではない。

 

 我が主に――無二の『弟』を託された身としては、ここで再び『源頼光』を『酒吞童子』に殺されるわけにはいかない。

 

「――俺は、『兄貴』なのだから」

 

 だからこそ――と。

 

 渡辺綱は、純白の白い鞘から――炎刀を抜いた。

 

 燃え盛る赫き刀。魔性を――この世界で最も鬼の血を吸った、鬼を殺す為に特化した魔剣。

 

 名刀・『髭切』――否、妖刀・『鬼切』。

 

 その炎を、その切っ先を向けられるのは――既に満身創痍である、虫の息の鬼女だった。

 

「呆気なくて申し訳ないが、もう終わらせようか――紅葉」

 

 鬼女紅葉(きじょこうよう)

 茨木童子が不在の今、大江山四天王において一番の古株であり、四天王筆頭を務める鬼。

 

 酒吞童子の補佐役を代行し、実質的な『鬼』勢力と纏め役として機能してきた幹部は。

 

 同じく四天王筆頭であり、纏め役であり、補佐役をこなしてきた――頼光四天王が一人、渡辺綱(わたなべのつな)に。

 

 手も足も出ず、完膚なきまでに敗北し――今、正に、息の根を断たれようとしていた。

 

 ごふっ、と、喀血しながら紅葉は笑うしかない。

 

「――強過ぎでしょ。馬鹿じゃない、アナタ」

 

 人間の化物(バケモノ)――そう彼を称した紅葉は、己が言葉が微塵も間違っていないことを、これ以上なく己が身で痛感していた。

 

 渡辺綱は言う――『鬼』は弱くなったと。

 

 確かに、十年前の『大江山の鬼退治』にて、『鬼』は壊滅的被害を受けた。

 四天王を三体失い、構成員の大半も退治された。

 

 何よりも、この大江山の敗北によって、人間達の『鬼』への畏れが大きく軽減した。これにより妖怪としての『鬼』は、全盛期に比べて、確かに弱くなったことだろう。

 

 しかし、それでも、四天王としては、頭脳面を買われた天邪鬼は除いても、新たに四天王入りした悪路王は、阿弖流為を継ぐ者を自称するだけあって、かつての虎熊童子に勝るとも劣らない戦闘力を持つ。最後に四天王入りした碧に至っては、かつての四天王である星熊童子を倒して四天王入りしている。決しては遜色はない。

 

 それでも――と、鬼女紅葉は思う。

 全盛期を知るモノ、そして、あの――『大江山の最終決戦』を知るモノとして。

 

 届かない――と、遠い――と、絶望する。

 

 あの場に立っていた、奴等は――()()だと。

 

(『源頼光』……『酒吞童子』……『茨木童子』……そして――『渡辺綱』)

 

 地獄と化した大江山。

 その頂上に辿り着いた、四体の怪物。

 

 自分と、坂田金時と、そして『源頼光』を継ぐことになる子供は――影から、ただ見ていることしか出来なかった。

 

 それほどまでに――隔絶していた。

 あの四体しか足を踏み入れることの出来ない領域と、あの時の大江山の頂上――最終決戦場は化していた。

 

 選ばれし『最強』のみが呼吸を許される極限の世界。

 あれを生き延びた武者からすれば、確かに、自分や天邪鬼は只の雑魚にしか見えないだろう。

 

 隔絶した世界に辿り着いた『最強』に対抗できるのは、同じ領域に住まう『最強』だけ――だが、それでも。

 

「…………随分と、カッコよくなったわね。……その刀」

 

 紅葉が見詰めるそれは、妖刀・『鬼切(おにきり)』。

 十年前、紅葉が知るそれは――このような炎を纏ってはいなかった。

 

「ああ。お前たち自慢の『右腕』の――その()()を斬り落として辿り着いた、新たなる領域。獲得した――『(ちから)』だ」

 

 ふっ――と、紅葉は、今度こそ声に出して笑った。

 笑うしかない。目の前の『最強』はこう言っている。この期に及んで、更に強くなったのだと。

 

(『茨木童子』の血と炎――それを吸って、奴はあの炎を手に入れた。……それだけじゃない。あの大江山で、源頼光よりも、坂田金時よりも――誰よりも鬼を殺した、その戦果が、浴びた血が……あの名刀を、鬼殺しの妖刀にした)

 

 百鬼殲殺――十年前の大江山で、百の鬼を殺したとされる渡辺綱。

 その伝説を持って、彼の名刀は――鬼殺しの呪を、業を手に入れ、妖刀となった。

 

 妖刀・『鬼切』。

 その刃を身に浴びた、自分だからこそ分かる。

 

(……私は、間もなく死ぬ。……そして、この刃は――例え、酒吞童子でも、滅ぼすことが可能かもしれない)

 

 十年前の大江山にて、安倍晴明の術式を持って強化していた『源頼光』ですら、例え何度その身を切り刻もうと、終ぞ退治すること叶わなかった『最強』――不死の鬼たる『酒吞童子』をも。

 

 もしかすると――十年前、この妖怪大戦争(クライマックス)よりも先んじて、大江山へと乗り込んできたその真の理由こそが。

 渡辺綱に、この妖刀を与えることだったのかもしれないとすら、鬼女紅葉は思う。

 

 あの全てを見透かしたような、陰陽師の顔を思い出して――。

 

「―――フッ」

 

 鬼の女は、だらんと、腕から力を抜いて笑う。

 

「……覚悟を決めたか?」

「あら? お優しいのね、『鬼殺し』ともあろう御人が」

「なに。お前とはそうは言っても十年以上の付き合いだからな。辞世の句を詠むくらいの時間は用意してやろうと思っただけだ」

 

 まぁ、貴様ら鬼に、そのような風流があるとは思えんが――そう言って、妖刀を持つ手に力を込めた綱に、「…………そうね。私は風流は解さないけれど――それでも」と、髪を振り乱すように顔を上げ、そして。

 

 穏やかな、美しい笑みを浮かべ、言った。

 

「『人間(あなたたち)』と違って――命に代えても、守りたいものくらいはあるのよ」

 

 その笑みを見て、綱は一瞬で表情を消し、即座に紅葉に向かって一歩で詰め寄る。

 

 だが――。

 

「――あなたが『兄』なら、私は『姉』なの」

 

 託されたのは『人間(おまえたち)』だけではない。

 

 酒吞童子(アイツ)を頼むと、『(アイツら)』を頼むと、そう身に余る重い『置き土産(おもい)』を託されたのは――。

 

(…………本当に、ひどい男)

 

 それでも――十年。

 ずっと、ずっと、その言葉を守り続けることが出来たのは。

 

「――可愛い『妹』を守るのが、『お姉ちゃん』ってもんでしょう――!!!」

 

 鬼女紅葉は、美しく――凄惨に笑う。

 

 そして、その美しい顔を――醜悪な、怪物へと化えた。

 

 己が命に代えても、目の前の鬼殺しから――可愛い『最強(いもうと)』を逃がす為に。

 

 愛した『(おとこ)』からの、身勝手極まりない、大切な誓いを果たす為に。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 愚かな女だった。

 

「――肌の色が恥ずかしい? 何言ってるんだ、(みどり)も立派な青色よ。だから私は、あなたを(あおい)と名付けたんだから」

 

 そう言って、その女は泣きじゃくる子鬼の頭を撫でた。

 

 この世で最も偉大な血を継いでいるのに、それに見合う強さを全くと言っていいほど引き出せず、毎日他の鬼達に甚振られて泣いていた元・人間の子供を、そう言って慰めてくれるのは、その鬼女だけだった。

 

 子鬼は思った――何て、愚かな鬼だろうと。

 この鬼女はきっと長生きすることは出来ない。きっとすぐに死んでしまう。

 

 だって、その鬼女は――余りにも、優し過ぎたから。

 

 誰よりも損な役回りをさせられ、誰よりも苦労を背負わされ――きっと、誰よりも報われない。

 誰も彼女を省みない。甘えるだけ甘えて、押し付けるだけ押し付けて――きっと、そのまま、あっさりと死んでしまうのだろう。

 

 そんな鬼女の優しい笑顔を、碧色の子鬼は、きっと生涯忘れない。

 

「だから僕は――お前を絶対に許さない!!!」

 

 あの頃よりも少しは大きくなった(あお)の子鬼は、弾丸のように隻腕の鬼に向かって飛び掛かる。

 的確に顔面に突き刺さろうとしていたその膝を、残された左腕で防ぐ鬼に――至近距離から子鬼は叫ぶ。

 

 すぐさま着地し、足で地を捉えて身体を回転させる。

 その螺旋の回転力を拳に乗せて、目の前の巨躯に向かって右拳を振るう。

 

「よくも――姉さんを不幸にしたな!!」

 

 碧の渾身の拳は、茨木童子の腹筋のど真ん中に突き刺さる。

 しかし、それに構わず碧は左拳を握り、そのがら空きの身体に向かって振るう。

 

「お前が逃げ出した後、全てを背負ったのが姉さんだ!! お前が全てを押し付けた――お前が姉さんを追い込んだんだ!!」

 

 少年は、ただ只管に拳を振るう。力任せに、溢れ出る激情をぶつけるように。

 

 岩をも砕く鬼の拳が、巌のような巨躯に叩きこまれていく。

 

「知っていたんだろう!! 姉さんの気持ちを!! 分かっていたんだろう!! 自分が――『茨木童子』がいなくなれば!! 姉さんが!! 母さんが!! 大江山が――『(あの場所)』が、どうなってしまうかってことくらい!!」

 

 碧は未熟だった自分を、何も出来なかった自分を、餓鬼だった自分を棚に上げて、ただただ目の前の男に全てをぶつける。

 

 全てに対する怒りを――全てから逃げた、裏切り者へ。

 

 涙を流しながら、血塗れの拳を、何も見えない視界の中で――全てを受け止めると、そう言った男へ。

 

「何か言えよ!!! クソ先輩!!!」

 

 返答は拳だった。

 

 たった一発。

 数えきれない程の拳を喰らいながらもビクともしなかった男は、たった一発の拳で少年を吹き飛ばした。

 

「が――ハ――――ッッ!!!」

 

 あれほど喚き散らしていた碧は、絶叫すら出来ず、呼吸すら封じられて宙を舞う。

 

 そんな少年に、伝説の鬼は――ただ冷たく、見下し、告げる。

 

「――言いたいことは、それだけか。餓鬼(ガキ)

 

 碧は蹲りながらも見上げる。

 

(……傷一つ……ない……ッ。茨木童子には、酒吞童子(母さん)のような回復力はない――つまり、僕の渾身の拳は、この男には傷一つ負わせることが出来なかったってことか……ッ)

 

 その鬼は、吹き飛ばした碧を追うことすらせず、一歩も動かずに起き上がれない碧に言う。

 

「俺達は――『鬼』だ。欲望のままに暴れ、感情のままに行動する。自身の失敗を、苦悩を、懊悩を、他者のせいにするなど言語道断だ。己が被る不利益は、全て、己が力不足によるもの。それが――『鬼』というものだろう」

「…………それを……他でもない……お前が言うのか!! 『茨木童子(いばらきどうじ)』!!!」

 

 鬼を――そうしたのは。

 

 欲望のままに暴れて、感情のままに行動し。

 ただただただただ――獣のように振る舞う、そんな(ばけもの)を。

 

 纏め上げて、一つの勢力に――家族にし。

 

 鬼を――『鬼』としたのは。

 

「他でもない――貴様だろうがッッ!!!」

 

 激痛が走る身体を、激情によって叩き起こす。

 

 そして、そのまま一歩も動いていない茨木童子の元へと駆け出して、その小さな体を跳躍させて顔面に蹴りを入れる――その交錯の一瞬。

 

 碧の足は空を蹴り――茨木童子の拳は顔面を射抜いた。

 

「―――ッッ!!」

 

 無論、自分で自分の顔面を殴ったわけではない。

 大人の拳が子供の顔を――容赦なく殴りつけたのだ。

 

「ああ。何度でも言おう。――『(おれたち)』は、間違えたのだ」

 

 だから、それを正すのが、俺の役目だ――そんな言葉を、碧は真っ白な頭で聞いていた。

 

 通じない――己の全てが通じない。

 

「…………ッッ」

 

 分かっていたつもりだった――それでも、ああ、なんていう壁だ。

 

 なんて高い。なんてぶ厚い。

 

 自惚れていたつもりはない――分かっていた、つもりだった。

 

 それでも超えると、越えてみせると、その穴を埋めると――そう信じて、強くなってきたつもりだった。

 

 だが、いざ対面すると、その存在感だけで――心が折れそうになる。

 

 これが『茨木童子』。

 伝説の鬼。最強の一角。酒吞童子の――『右腕』。

 

 憧れ続けた――()()()()

 

「――――っっ!」

 

 だからこそ――認めるものか。

 

 そんな鬼の口から出る言葉を。裏切りを。否定を。

 

(僕が欲しかったものを――喉から手が出る程に欲したものを、全部持っていた癖に……っ! その全てを捨てた男を、その全てを裏切った鬼を――ッッ!!)

 

 少年鬼・碧は。

 吹き飛ばされ、地に伏せながらも。

 

 震える膝に拳を入れて――何度でも立ち上がり、吠える。

 

「それでも僕は――『茨木童子(おまえ)』にだけは、負けられない――ッッ!!」

 

 青鬼は――笑う。

 

 笑う――笑う――笑う。

 

 絶対に超えられない高い壁を前に――それでも、絶対に飛び越えてみせると、鬼のように笑ってみせる。

 

 血塗れのように真っ赤に――笑ってみせる。

 

「………………」

 

 そんな後輩を、伝説の赤鬼は、一歩も動かずに――冷たく、見据える。

 

「僕が何を言っても響かないようですね、先輩。赤鬼の癖に血も涙もない裏切り者だ。ですが、同様にあなたの言葉も、僕には何も響かない。陰陽師の式神に成り下がって、『人間』に懐柔された、哀れな負け犬の言葉にしか聞こえない」

「…………ならば、どうする、後輩。俺を無理矢理に大江山へと連れ帰るか?」

「ご冗談を。()()()()()()()()()()()()()()(ぼくたち)()()()()()()()()

 

 その時、初めて茨木童子の表情が僅かに変わった。それを見て、碧は――ハッと、吐き捨てるように笑って。

 

「僕の願いは変わらない。あなたはもう――必要ない」

 

 ()()()()()――()()()()()()()()()()

 

 ははははははははははははは――と真っ赤に笑う青鬼を、隻腕の鬼は黙って見詰める。

 

「ころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころす!!!! 僕は救う!! お前が見捨てた『鬼』を! 鬼女紅葉(ねえさん)を! そして酒吞童子(かあさん)を!!」

 

 ボクはスクウ!!! ――そう叫びながら己が指を頭部から引き抜く碧。

 

 そして、かつて綺麗だと言われた(あお)色の体皮を――不気味な真っ黒へと変えていく。

 

 頂点に君臨する鬼。

 余りにも寂しい玉座に座り続ける鬼。

 碧に血を与えた母なる鬼。

 

 かつて茨木童子が救い――そして、見捨てた、あの鬼のように。

 

 何度でも言おう――血塗れの黒鬼は、そう宣言する。

 

「――僕はお前を殺す。僕はなってみせる。あの方にとっての右腕に。新たなる茨木童子に――そして」

 

 ()()()()()()()に。

 

 ははははははははははははは――と、黒鬼は笑う。

 

 ころすころすころすころすころすころすころす――と、小さな鬼は、泣き笑う。

 

「……………」

 

 その姿は、似ても似つかないのに、茨木童子は――在りし日の幻影を見た。

 

 後は任せて――と、鬼女は笑った。

 

 行かないで――と、少女は泣いた。

 

 黒鬼となった青鬼は――許さないと、そう笑い、泣いている。

 

 何も言わない赤鬼は――ただ残った左の拳を握る。

 

(――これが俺の、戦争か)

 

 だからこそ、男に許された言葉は一つだった。

 

 覚悟は――十年前。

 あの陰陽師の手を取った、その瞬間から固めている。

 

「――――来い。俺は、その全てを受け止めてやる」

 

 ああ――そうだ。俺は『鬼』を救わない。

 

 その為に、全てを裏切り――あの日、あの『人間(バケモノ)』の手を取ったのだから。

 




用語解説コーナー㊸

・鬼の体色

 基本的には『赤鬼』と『青鬼』に分類される。

 力が強い鬼が赤鬼になり易い傾向にあり、青鬼は力は弱い傾向にあるものの特殊な異能を持っていることが多い。

 碧はその特殊な出生により緑に近い(あお)色だった。

 黒の体色を持つ鬼は、酒吞童子ととある鬼のみであり――碧は、酒吞童子の血をその身に流しているが故に、その体色を黒色へと変えることが出来た。

 その黒色の意味を――まるで理解することなく。
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