比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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何も守れてないのは――テメェだろ。


妖怪星人編――㊹ 鞍馬の天狗

 

 京――日ノ本の中心たるこの場所は、かつて妖怪・天狗の(さと)だった。

 日ノ本有数の龍脈スポットである『鞍馬山』を本拠地とし、長きにわたり周囲一帯を支配下に置いていた。

 

 代々『鞍馬』の名を最強の天狗に継承させて、鞍馬山で修行を続けてきた鞍馬の天狗達は、鍛え上げ続けてきた異能である『神通力』で名立たる妖怪連中の御山への侵入を許さず――京を守り抜いてきた。

 

 それは、『人間』という怪物達が、奈良から長岡へ、そしてこの京へと都を移してきた時も同様だった。

 新たに人間達の都の対怪異戦力として設立された『陰陽師』との激しい戦闘の末に――それこそ戦争と呼ぶに相応しく繰り広げられた激闘の末にも、終ぞ鞍馬山の本寺への侵入は許さず、痛み分けた果てに。

 人間は天狗に平安宮への出入りを禁じた代わりに、天狗は陰陽師の鞍馬寺への侵入を禁ずる不可侵条約を結んだ。天狗は、そうやって人間と折り合いをつけることとなった。

 

 天狗は平安宮へと乗り込まない限り、平安京内を自由に飛び回ることが出来た。

 その地に住まう他の妖怪を、己が自由に支配することも出来た。

 

 いわば、人間は天狗を、陰陽師や平安武者と同じ対妖怪用戦力の一環として利用したのだ。

 だが、それはあくまで名目上は平等の条約であり、人間側が天狗へ協力を強いることはしなかった。

 

 平安京へ『鬼』がちょっかいを出してきたときも、とんでもない『怨霊』が襲い掛かってきた時も――天狗は静観に徹した。手を出さず、傍観した。

 

 人間達が敗れ、京を追われたその時は――と、虎視眈々と、息を潜めて、機を伺い続けた。

 本当の京の闇の支配者は自分達なのだと、京の妖怪の王は天狗だと、そう鞍馬山に住まう大天狗達は自負してきた。

 

 自負――そうだ。自分達は負けていない。

 奴等が我等を利用していると思っているように、我等こそが人間を利用しているだけだ。

 そもそも平安京などという盆地には興味はない――この御山さえ、鞍馬の寺さえ守れればいいと。

 

 そう、鞍馬の天狗達は、何年も、何百年も、そう己に唱え続けて――遂に、ある日、逃げられなくなった。

 

 目を背けることも、己等の自尊心を守ることも、出来なくなってしまった。

 

 十年前――『妖怪王』の器を持った『鬼』が、『人間』に敗れたと聞いた時――。

 

 そして、その数か月後――鞍馬山の結界を破り、乗り込んできた一匹の『狐』に、鞍馬山の血の海に変えられた、その時に――。

 

 ああ――自分達は、とっくの昔に、負けていたのだと。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 天狗が大きく扇を振るう。

 風を起こすことが出来る天狗という妖怪は、好んで扇を武器として選択する。

 

 それは羽扇であったり、鉄扇であったりと様々だが――戦火の平安京の空を泳ぐ青龍の前に現れた、殊更に巨大な大天狗が振るうそれは、軍配だった。

 

 軍配団扇――集団を指揮する証であるそれを、たった一人で龍へと挑む天狗は、闇夜の中で力一杯に振るう。

 

「――させるかよッ!!」

 

 それを、黒と桜の斑髪の青年が振るうドスが受け止めた。

 

「ッ!? 正気か、若造!」

 

 鞍馬山の大天狗――その最強の個体の証である『鞍馬』という個体名を受け継ぎし天狗の長は、目の前の若者の蛮行に目を見開く。

 

 天狗が数ある妖怪の中で、鬼と並ぶ程に勇名を誇るに至った最大の強みは――空を飛べることだ。

 

 制空権の確保は、こと戦闘や戦争において、それだけで勝敗を決するに至る程に重要な因子だ。

 卑怯(チート)と、そういっても過言ではないだろう。

 

 何故なら空を飛べないものにとって、相手に空を飛ばれるということは、己の攻撃が当たらないことを意味する。

 空を飛べる敵に、手の届かない場所から風などを起こされぶつけられたら、それだけで戦闘が一方的な虐殺となる。

 

 無論、妖怪とは怪物だ。

 空を飛べる敵に届く程の跳躍を以て、己の拳を届けるものもいるだろう――だが、それだけだ。

 

 跳躍と飛翔には、跳ぶと飛ぶには、それこそ泳ぐと溺れる以上の違いがある。

 飛べるものは空を泳ぐことが出来るが、跳ぶことしか出来ないものはその後――沈み、落ちるだけなのだから。

 

 だからこそ、鞍馬は目を見開いたのだ。目の前の若者の、正気を失ったのだ。

 空を飛ぶ己にドスを届かせたから――では、ない。

 

 翼を持たぬ者が、空を泳ぐ術のない者が――こんなにも無防備に、空を掻き回そうと団扇を振るった天狗の下へと、その身を投げ出してきたからだ。

 

 何の躊躇もなく――命綱すら巻かずに。

 

「あぁ? ――その目は節穴か、オッサン。ご自慢の鼻だけじゃなく、ちゃんとそのつぶらなお目目も使ってやらなくちゃ駄目だぜ」

 

 斑髪の青年――鴨桜(オウヨウ)が振るったドスは、鞍馬の軍配団扇を更に上方向へと弾き飛ばした。

 

 結果、龍と天狗が飛ぶ空よりも更に上空へ、鞍馬が起こそうとしていた突風は吹き荒れ、青き龍の飛翔には何の影響も及ぼさなかった。

 

 だが――それまでだ。

 空を泳ぐことが出来ない者は、大地からの引き寄せる力に抗う術のない者は、ただそのまま無様に溺れるように堕ちるのみ――。

 

「――ッ!?」

「言ったろ、ちゃんと見ろって。俺は命綱なんてちゃちなものより――よっぽど命を預けるに足るものを巻いてる」

 

 そのまま垂直に、真下に大地に引かれて落下する筈の鴨桜の身体は――龍の背中へと戻っていく。

 

 まるで引かれるように――引っ張られるように。

 

「……なるほど。首無――念糸(ねんし)か」

 

 鴨桜の側近・士弦(しげん)

 彼は『首無(くびなし)』と呼ばれる妖怪である。

 

 その常に巻かれている首布の下には――本来、あるべき首は無い。

 代わりに彼の胴体と頭部は――念糸(ねんし)と呼ばれる、見えない糸で繋がっている。まるで剣玉と呼ばれる玩具が如く。

 

 彼はその糸を体中のどこからでも伸ばすことが出来る。

 鋭く張ったその糸で敵を切断することも出来るし、このように味方を救うことも出来る。

 

「認めよう。その若さにしては大した技術だ。しかし――それでも」

 

 そう――何の意味もない。

 決死の覚悟で闇夜の中に飛び込んでも、それで天狗の『風起こし』を一度だけ弾けても、そのまま落下せずに龍の背中に生還できたとしても。

 

 何も変わらない。ただ死ぬのが、一秒だけ遅れただけだ。

 弾かれた団扇を再び振るえばいいだけ。こちらはたったそれだけの挙動に、何の決死の覚悟も、リスクを負うこともないのだから。

 

 そう考えて、考えるまでもなく振るおうとして――振るえない。

 

 引っ張られる――まるで重力のように。

 先程の無様な落下を見せた、翼無き者のように。

 

 龍の背中に――否。

 

「……なるほど。ここまでが貴様らの策か、餓鬼共」

 

 まるで見えない糸に引っ張られているかのよう――いや、正に、見えない糸で引っ張られているのだろう。

 

 鞍馬の団扇を持つ右手は、士弦の手から伸ばされた念糸が結ばれていた。

 

「――ただいま、っと」

「ふざけろ。開幕一番からとんでもない自殺行為に走りやがって」

 

 ちゃんと合わせてくれただろ――と、自分の腹から伸びる、緩んだ見えない糸を手に取りながら鴨桜は言う。

 

 士弦はそんな鴨桜に一瞥もくれず、残った別の糸――天狗の団扇を封じる糸を引くことに全力を注ぐ。

 

「――嘗められたものだ。こんな細い糸で、儂を縛ることなど出来ると思っているのか?」

 

 しかし、その全力も――筋骨隆々の天狗の片腕の力で容易く凌駕されてしまう。

 

「……くっ!」

 

 士弦は両腕で糸を引き、龍の背中に踏ん張って全体重を掛けて抵抗する。

 だが、鞍馬は何の踏ん張りも効かない空中に屹立し、ただ団扇を持つ右腕のみを引いている。

 

 そして、そのまま無理矢理に、その軍配団扇を振るおうと試みる。

 

「おい! もう持たない! 分かっちゃいたが、あの天狗は化物だ! 早くしろ! 雪菜! 月夜!」

「は、はい!」

 

 士弦の叫びに、死人のような白装束の女――雪女の雪菜が応えた。

 

 突然の大妖怪の襲来に目を丸くしていた青髪の少女は――しかし、己が主の右腕の言葉を受けて、瞬間的に表情を凍らし、その小さな口から冷気を吹き込む。

 

 そっと、まるで蝋燭の火を消すように、小さくすぼめた唇から繰り出した吐息は――瞬く間に、士弦の見えない糸をはっきりと視認させるかのように、その姿を顕現させる。

 

 見えない糸を――氷の道へと変化させる。

 

「――ぬう!」

 

 否、それは道というよりは、橋だった。

 遥か未来に完成するサーカスという雑技団にて、巨大な鉄の棒を持って渡るような、か細い吊り橋。余りにも頼りないが、息を凍らせるように美しいその橋は、確かに士弦と鞍馬の手を、その両者の手もろとも凍らせた。

 

 しかし、そんなものは一瞬だ。

 鞍馬が冷静になれば、凍らされた手の冷たさによって一瞬の混乱から覚めれば、すぐさま対処されてしまう――落とされてしまう、か細い糸。

 

 だが、その糸を、その一瞬の内に渡り切る一匹の黒猫がいた。

 

「にゃあ」

 

 小さな猫――どこにでもいるような、一匹の凶兆(黒猫)

 

 ただし、その黒猫の尾は、裂けるように二つに分かれていた。

 

 百鬼夜行『二代目組派閥』に属する黒猫――月夜。

 彼女は仙狸(せんり)という妖怪である。

 

 猫又。化け猫。

 長い年月を生きた猫が妖力を得て妖怪と化したもの。あるいは死して何度も蘇った猫が怪物と化したもの――『猫』に関する妖怪変化は多種多様に存在しているが、仙狸とは、その起源(ルーツ)ともいわれる妖怪だ。

 

 日ノ本から海を渡った大陸に存在する国家――中華。

 この時代では唐という国家が滅び宋という国が興ろうとしているように、かの国家は幾度も名を変え、滅んでは興りを繰り返し――日ノ本よりも遥かに長い歴史を重ね続けてきた。

 

 それは妖怪――化物――星人においても例外ではない。

 仙狸とは正しく、その魔の国から渡来してきた妖怪だ。

 

 遥か長い年月を生きた山猫が、特殊な力を得て妖怪となり、美男美女へと変化する術を身に着け、人間の精気を吸う怪物となったと言われている。

 

 妖怪・仙狸――月夜(つきよ)

 海を渡った化猫は、たとえ氷の糸の橋の上だろうと、京の闇夜の空だろうと恐れない。

 

「にゃははははは!!!」

 

 黒猫はいつの間にか、美しい少女と化していた。

 天狗が氷の糸の橋を落とすよりも早く、闇夜に溶け込み目視すら難しい速度で天高く駆け上がって――その爪を、翼を持つ者へと届かせる。

 

「――――!!」

 

 それは、少女の肉球が付いた小さな手では――爪ではありえない、もはや斬撃と称するが相応しい裂撃だった。

 

 天狗の筋骨隆々の精悍な肉体に――三筋。縦に走る傷が生まれ、巨体から血液が噴き出す。

 

「――まさか。鞍馬天狗に傷を――!?」

 

 青龍の背中から見上げる人間――藤原公任(ふじわらのきんとう)は、若手妖怪達が大妖怪に与えた一撃(クリティカルヒット)に驚愕する。

 

(――見事だ)

 

 その横で、藤原道長(ふじわらのみちなが)は、表情を変えず冷静に戦況を分析していた。

 

(首無。雪女。仙狸。そしてぬらりひょんの半妖。一体一体の妖怪としての格は、長らく京の空を支配してきた鞍馬の天狗とは比べ物にならないだろう。それに彼等は皆、妖怪としての全盛を迎えていない、鞍馬天狗の言う通りの若造だ。だが、それでも彼等は各々の特性を上手く組み合わせ、痛烈な先手を与えてみせた)

 

 流れるような一連のコンビネーションを見るだけで、それがよく分かる。

 彼等の溢れる妖怪としての才能。そして、互いに信頼し合う深い関係性。

 

 これまで個の力を振るうことに躍起になっていた妖怪という怪物の常識に囚われない、異なる色の力を組み合わせて生まれる未知の力を創り出す――新たなる時代を歩む若者達。

 正しく、百鬼夜行という妖怪組織を担っていくに相応しい――輝く未来を宿す卵達だった。

 

(……だが――)

 

 道長は目を細める。

 

 そう――卵。

 金色に輝くかもしれないが、可能性に満ち溢れているかもしれないが――現時点では、また殻は破れていない。孵化には至っていない。

 

 今は、まだ、青い。

 

「――なるほど。神通力か。子猫だと侮った。……いや、それは貴様ら全員に言えることだな。どいつもこいつも若造と――嘗めていたことを認めよう」

 

 その上で、もう一度、言わせてもらう――そう、己の身体から血が噴き出ているのも構わずに、歴戦の妖怪は言う。

 

 高みから見下ろす天狗は――大妖怪・鞍馬は、爪から己の血を滴らせる猫耳黒髪美少女に向けて、神通力を持って爪の斬撃を巨大化させた仙狸に向けて、軍配団扇を左手に持ち替えたことで空いた、大きな右の掌を向けて、言う。

 

()()()()()()。――本物の神通力とは、こういった異能(ちから)のことを言うのだ」

 

 その膨れ上がる殺気に、それを間近で向けられた月夜が、目を細めていた道長が表情を変え――そして鴨桜が、誰よりも早く相棒に叫ぶ。

 

「――ッ! 不味い! 士弦! 月夜を戻せ――早く!!」

 

 相棒の言葉に士弦が月夜に向けて糸を放つが、それが黒猫耳少女に巻き付く――よりも早く、月夜の全身から血が噴き出した。

 

「――――っっっ!!!」

 

 月夜が咄嗟に両手を交差して作った即席の盾――それを嘲笑うかのように、少女の柔肌に無数の裂傷が走っていた。

 先程の猫の引っ搔き傷。それを何倍にもお返ししたかのように、全身に浴びせたかのように、腕、腿、腹、背中――そして、顔にも。

 

 そして、裂傷だけではない。

 衝撃――突き飛ばすような、突き落とすような、突風が如き衝撃もその身に受けて、猫耳美少女は脆くも崩れ去った氷の糸の橋から、真っ暗な虚空へと放り出される。

 

「致命傷は避けたか。だが、これで文字通り身に染みたであろう。大陸からおめおめと逃げ出してきた負け犬――もとい、負け猫の神通力など、数百年もの間、鞍馬山の御寺で血の滲むような修練をこなし鍛え上げてきた、我等が鞍馬天狗の神通力の足下にも及ばぬ」

 

 そんな天狗の言葉に遅れるように、吹き飛ばされた月夜の身体にようやく士弦の糸が巻き付く。

 

 だが、月夜はそれに安堵の笑みを浮かべるのではなく――己を見下ろす天狗に、不敵な笑みを、向けてみせた。

 

「――偉そうな口を叩くじゃない。ご自慢の御山も御寺も、狐に奪われた――負け天狗の分際で」

 

 猫の言葉に――天狗は、表情を殺し。

 

「――死ね」

 

 念糸によって青龍へと引き寄せられる月夜に向かって、追撃の神通力の刃を容赦なく放った。

 

「――月夜ちゃん!!」

 

 雪菜が月夜を守るように、虚空に何枚もの氷の盾を創り出す。

 だが、いかんせん距離が離れていて、なおかつこの闇夜だ。それに月夜も高速でこちらに向かって移動しているし――何より、鞍馬の神通力の刃は、目に見えなかった。

 

 気が付いたら切られている。分かった頃には喰らっている。

 氷の盾は出来上がった瞬間に砕け美しい氷片を撒き散らすばかりで、月夜の瑞々しい身体に新たな裂傷が刻まれ続けるのを防ぐことは出来なかった。

 

「くっ――!」

 

 雪菜が目端に涙を浮かべ、唇を噛み締めながら見詰める先で、月夜はその小さな体を更に小さくしながら耐えていた。

 激痛の中でそれでも細い腕だけは伸ばして、見えない何かに向かって必死に抵抗する。

 

 神通力には、神通力を。

 しかし、鞍馬の言う通り、扱うのは同種の力でも、そこには歴然とした差があるのだろう。

 それに大陸由来の月夜の神通力と、数百年もの時間を日ノ本の霊山で独自に鍛え続けた鞍馬の神通力は、あくまで起源を同じにするだけで、今やまったく別の枝であるといっても過言ではない。

 

 やられる――そう、月夜と雪菜が絶望した瞬間。

 

「――諦めるな。そのまま氷の盾を生み出し続けろ」

 

 そう、肩に乗せられた手と共に、言葉で背中を押された。

 

 え――と振り返ろうとしたが、その時には背後から気配は消えていた。

 だが、それが誰の言葉で、期待であったのか、分からない雪菜ではない。

 

「――はい!」

 

 雪菜は再び前を向き、虚空に向かって、守るべき友達(なかま)に向かって手を伸ばす。

 

「はぁぁぁあああああ――――」

 

 生み出すは氷の盾の森。

 虚空一杯を埋め尽くすように、無数の氷の盾を創り出す。

 

 目に見えないのなら、どこから襲い掛かるのか分からないなら――全てを守ればいい。

 前後左右上下、全方位を氷で埋め尽くす。今の雪菜に出来る精一杯。ごっそりと体内から妖力が持っていかれるが、唇を噛み締め、ただ傷つく黒猫だけを見据えて意識を保つ。

 

「――無駄だ」

 

 しかし、鞍馬天狗は冷酷に告げる。

 氷の盾の森を更なる上空から見下ろし、不可視の刃を雨のように降り注がせ、無数の氷塊を一斉に砕ききっていく。

 

「いくら重ねようと、いくら創り出そうと、一枚一枚がこれほど薄く脆くては話にならぬ。――お前では、何も守れない」

 

 雪菜の表情が悲痛に歪む。

 だが、傷だらけの月夜は、きらきらの氷片の中で――にゃと、猫のように笑う。

 

「その伸びきった鼻が邪魔でよく見えてないんじゃない? 私は全然死んでない。親友の氷のお陰でね。それに――」

 

 ()()()()()()()()()――()()()()()

 

 そんな言葉が、鞍馬の名を継いだ天狗の、背後から聞こえた。

 

 振り返る――何も見えない。

 

 だが、確かにそこにいる筈だ。己を突き刺す殺気を感じる。

 しかし、その場所は真っ暗な闇が広がるだけだった。その認識の食い違いに、あり得ない違和感に脳が混乱する。

 

 そして――赤い月光によって、黒と桜の斑髪が照らされたのを認識した、その瞬間には――。

 

 白刃は、闇夜を切り裂くように、閃いていた。

 

 ドスが振るわれる。

 あの氷の盾の森は、守るためだけでなく、送るためでもあったのだと――コイツがここまで辿り着く為の足場でもあったのだと、そう遅まきながら理解すると同時に。

 

 軍配団扇が――鴨桜の白刃を、再び受け止め、防ぎきった。

 

「――――ッ! チィッ!!」

 

 渾身の一撃。会心の術式だった。

 妖怪ぬらりひょんの奥義。それを完璧に決めた筈だったのに――防がれた。殺せなかった。

 

 その事実に、届かなかったことに、何よりも自分自身に強く舌打ちをする。

 

「見事な術だった。殺気の覗かせ方も秀逸だ。しかし、いかんせん――太刀筋が素直過ぎる」

 

 完璧にその姿を捉えることが出来なくとも、反射的に掲げた団扇で防げてしまったのがその証拠だと。

 真にその技を繰り出すのならば、(とど)めの白刃すらも変幻自在でなければならないと。

 

「堕ちろ、未熟者」

 

 貴様には、まだこの高みは早いと、そう叩き付けるように、大天狗は力任せに団扇を振るう。

 踏ん張ることすら出来ない若き半妖は、成す術なく無様に吹き飛ばされていく。

 

 奥歯を噛み締める鴨桜。そして、その様を見下ろす歴戦の天狗は。

 

「――――!!」

 

 一拍遅れて、己の身体に走った剣閃に瞠目した。

 

(……何だ? いつ受けた? これほどの斬撃を――受けたことに気付かなかったというのか?)

 

 奴の術式は看破した。完全に捉えることは出来なかったが、白刃は確かに防いだ筈だ――ならば、いつ、この傷はこの身に付けられたのか。

 

「…………」

 

 敵ではないと思っていた。戦いにすらならないと思っていた。

 こちらは一、向こうは四――人間をその数に入れても六。それでも、話にならないと思っていた。

 

 だが、蓋を開けてみればどうだ。

 若造だと見縊っていた子供相手に、既にこの身に二度、みっともない傷を、無様な出血を許している。

 

 瞬く間に塞がる程度のそれだ。鍛え上げた肉体を隆起に傷を塞ぐことは出来る、負傷ともいえない掠り傷。

 だが――青い卵達に、この身に傷をつけられたという事実は覆らない。

 

 心底悔しそうに表情を歪め、ごほっと、交錯際にその身に流された神通力によって吐血する鴨桜。

 自分が奴に触れていたように、奴もこの身に触れていたのか――種は分からないが、この若い芽を、自分が計り切れていないのは確かだった。

 

「――――」

 

 一瞬、思案する。

 部下を束ねる立場にあったモノとして、家族を守らなくてはならない立場にあったモノとして――感じた可能性に、未来に、それを潰していいものかと、躊躇する自分がいるのを自覚する。

 

 だが――。

 

「――だからこそ、私は貴様等を摘まなくてはならない」

 

 天狗は再び、虚空に神通力の刃を生み出し――放つ。

 だが、それの矛先が向けられたのは、吐血しながら落下する鴨桜でも、既に青龍の背中に引き戻された月夜でもない。

 

「――っ!」

 

 これまで、この空中戦を支えていた士弦――彼が相棒を救うべく伸ばしていた念糸だった。

 

「いくら不可視であろうと、これだけ繰り出されれば、いい加減その対処も学ぼうというもの。糸を視覚ではなく、貴様の妖力で察知すればよい。己が武器を過信したな――首無」

「くっ!」

 

 そして、士弦の念糸を失えば――翼なき彼らに、天狗を相手に(そら)で戦う術などない。

 

「くそ! おい! この龍に鴨桜の元へ行くように命じろ! 落下する鴨桜を受け止めろと!」

「それは無理だ。言っただろう。青龍はただ目的地に我らを運ぶだけだ。攻撃をすることも、避けることもしない。ましてや特定の対象物を救うことなどな」

「そんな!?」

 

 士弦が何度も糸を放つ。雪菜が再び足場にと氷の盾を何とか生み出す。

 だが、それは鴨桜に触れるよりも前に、見えない神通力によって断たれ、砕かれる。

 

(――奴等の要は、この半妖。まずはこの若者を、コイツ等の前で確実に殺す)

 

 助けられない。

 士弦の、月夜の顔が苦渋に染まり、雪菜の双眸に涙が溢れる。

 公任が険しく表情を歪め――そして、道長は、何かを見定めるように目を細める。

 

「――終わりだ」

 

 止めとばかりに、鞍馬は落下する鴨桜に掌を向けて。

 

「やめろぉぉぉぉぉおおおおおおおお!!!」

 

 士弦の叫びを無視するように、神通力の衝撃波を鴨桜へと放った。

 それをまともに受けた鴨桜は――ぐんっと、砲弾のように、その動けぬ身体は平安京の大地へと向かって放たれて――。

 

 

――それを、闇夜から跳び上がってきた、大犬(おおいぬ)の背中が受け止めた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 突然、現れた天翔ける巨大な黒犬に、鞍馬も、士弦も月夜も雪菜も、公任も呆然とする。

 

 そして、ただ一人道長は、いつの間にか青龍の背中に乗っていた、新たなる妖怪達へと目を向けていた。

 

「……なるほどな。これが、君の――百鬼夜行か」

 

 龍の背中には、新たに二体の妖怪がいた。

 

 この黒い闇夜の中でゾッとする程に不気味に浮かび上がる白い女と、何故か片袖のみ着物を着ていてびちょびちょの身体に刺青のような絵を刻み込んである謎の爬虫類。

 

 刺青を入れた爬虫類は水かきの付いた手を、真っ白の着物の女はその病人のように白い手を――それぞれ宙を泳ぐ天狗へと向ける。

 

 爬虫類の手から、砲弾のような巨大な水の塊が連射される。

 白い女の手から放たれた冷気が――それを巨大な氷塊へと変えた。

 

「――むう!」

 

 そして、それは連射された。

 まるで未来の散弾銃という兵器のように、弾幕で視界が埋め尽くされる。先程の雪菜が作り出した氷の盾の森が、今度は氷塊の砲弾によって創り出されたような光景だった。

 

 妖怪・雪女。そして、妖怪・河童。

 彼等の突然の登場に気付いた士弦達が、驚きと共に声を上げる。

 

「長谷川さん! 白夜さんも!」

「……お母様――どうして、ここに……」

 

 つるりと、水かきの付いた手で頭頂部の皿を触り、眼帯のように顔半分に巻かれた包帯に覆われていない片目を細めて、妖怪・河童――長谷川(はせがわ)は士弦に言った。

 

「――決まっているだろう。不甲斐ない若造共の尻拭いだ」

 

 ふわりと、病人のように白く冷たい手で娘の頬を触り、真っ白に伸びきった髪の間から覗く両目を細めて、妖怪・雪女――白夜(はくや)は雪菜に言った。

 

「――決まっているでしょう。可愛い娘達のお迎えよ」

 

 そして、くしゃりと。

 ごつごつとした男の手を乗せて、闇夜に浮かぶ漆黒の翼を広げた天狗を見上げつつ、黒い猫耳の生えた頭を撫でながら――その妖怪は、月夜に言った。

 

「よく頑張ったな、黒猫。後は――儂等に任せるがよい」

 

 嵐のように襲い掛かった氷塊を突風の盾で防ぎ、それをも突き破ってきた氷塊を神通力で時を止めたように完全に受け止めてみせた天狗に、「――流石は鞍馬の大天狗だな」と黒犬は呟きながら、背に乗せた半妖――鴨桜の意識の覚醒を感じる。

 

「…………刑部、さん」

 

 妖怪・犬神――刑部(ぎょうぶ)

 四国地方に伝わる憑き神と呼ばれる妖怪の一種。

 

 地に顔だけ出して埋めた犬に、目の前に食糧を置いて飢えさせ、死の間際に首を落として――呪いとすることで妖怪となった化物(ケモノ)

 

 刑部はその力で四国を支配下に置いていた妖怪であり、百鬼夜行では唯一、総大将たるぬらりひょんと家族の杯だけでなく、義兄弟の契りも交わした男でもある――妖怪大将の『右腕』。

 

「目を覚ましたか、鴨桜。先程の“(げん)”――不完全ではあったが悪くなかった。攻撃をくらいながらも“(えい)”は決めたことも、成長を感じた」

「……条件は揃ってた。それで決めきれないんだから、俺の未熟だ。あんまり甘やかさないでくれ」

 

 鴨桜の身を起こしながらの言葉に、黒犬は「――ふっ。それを己で認められるようになっただけでも、やはり成長を感じるとも」と笑う。

 自由を極めている総大将に代わって、実質的に組織を運営している立場である刑部には、鴨桜も実の父親以上に頭が上がらない。

 

 だが、徐々に、鴨桜は――そんな組織の纏め役である刑部が、そして百鬼夜行の幹部たる長谷川や白夜がこの場に来ているという事実に、その覚醒した頭を巡らせて――。

 

「……何で、居るんだ」

「…………鴨桜。聞け、我々は――」

「何で! …………ここに……居るんだよ」

 

 既に鴨桜の言葉は刑部に向けられていなかった。

 

 黒犬の背に立って見上げる先に居る、青龍の背に立ってこちらを見下ろす男に向けらていてた。

 

 決してここに居てはいけない男へと――大事なものを預けて、任させた筈の。

 

 ()()へと――それは向けられていた。

 

「――――ッッ!!」

 

 鴨桜は、口元の血を拭い、溢れんばかりの怒りを込めて――叫ぶ。

 

「何でここに居んだよ――クソ親父っっ!!!」

 

 妖怪大将・ぬらりひょん。

 真っ黒な髪を、真っ暗な闇夜に流す男は、いつも通りの笑みを浮かべて、戦火の平安京を見下ろしていた。

 




用語解説コーナー㊹

・鞍馬天狗

 古来より京の鞍馬山にて神通力の修行に勤しむ天狗たち。

 鞍馬山、そしてその御山に建立された鞍馬寺は天狗にとっての聖地であり、この地で修行をした天狗は、在野の天狗と比べて別格の神通力、ひいては戦闘力を誇る。

 そして、当代で最も強力な力を持つ天狗に『鞍馬』の称号を受け継がせていて、当代の『鞍馬』は実質的な鞍馬山の、そして天狗という妖怪の長のような立場となる。

 かつて天狗は鬼に匹敵する知名度と勢力を誇っていたが、妖怪大戦争時には既に有力な勢力は鞍馬山総本山を残すのみとなっていて、その鞍馬山も狐の姫君の支配下に落ちている。
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