比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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願いを叶えるには――それに相応しい、苦難が伴う。


妖怪星人編――53 朱と黒の衝突

 

 久しぶり――母さん。

 

 安倍晴明(あべのせいめい)は、見透かすことが出来なかった筈の、計算外にして『計画』外の来訪者を、座り込んだまま腰も上げずに、微笑みながら出迎えた。

 

 平安京の最奥にて。

 貴族、中宮、帝――およそ平安京の全てを隔離保護した結界を背後に。

 

 今宵の妖怪大戦争の主役の一人であり大ボスの一角――『狐』勢力が姫君・大妖怪『化生(けしょう)(まえ)』を。

 

 平安最強の陰陽師にて、『人間』勢力の最大戦力である伝説の存在――安倍晴明は。

 

 ()()()――と、そう呼んだ。

 

 狐は、その『人間』からの言葉に――ふっ、と、微笑を、あるいは嘲笑を、携えて。

 

「私はあなたのお母さんではありませんよ?」

 

 優しく、あるいは、突き落とすように、そう嗤う。

 

「それとも、母恋しさに、狐の妖怪はみんなお母さんに見えるのですか? 妖怪の天敵と謳われる最強の人間も、所詮は男児というわけですか。いいお年なのですから、いい加減に母離れしてはいかがです?」

 

 その、妖怪の嘲笑に――「いいや――お前は、我が母だ」と、晴明も不敵に、笑う。

 

「お前は我が母――妖怪『(くず)()』の()()()なのだからな」

 

 瞬間――狐の笑みが凍った。

 

 妖怪の、笑みは消えて――人間の、笑みは深まった。

 

「どうした? 私にお前のことは何も見透かせないと――そう驕ったのか?」

 

 嘗めるなよ、妖怪――と。『母』と、そう呼んだ狐に対し。

 

 これ以上なく、獰猛な笑みを向けながら――人間は言う。

 

「我は安倍晴明。我が『星詠み()』は全てを見透かしている」

 

 安倍晴明の――『星詠み』。

 文字通り、星から与えられた千里眼の力。

 

 それは古今東西、この日ノ本の端から端まで、太古から未来まで見透かすことの出来る異能。

 

 狐の姫君・化生の前は、それを知っている。

 だが――それは――しかし。

 

「――そう。しかし、それには死角が存在する。全てを見透かす千里眼でも、視覚出来ぬ死角が存在する。だが、こうは考えなかったのか、狐よ。全てを見透かす私が、見透かすことが出来ぬ存在が現れたのならば、正にその()()()()()()()だと、私がそう見透かすことを」

「――っ!」

 

 狐の表情が、一瞬、強張る。

 その明確な反応にこそ、千里眼を持つ陰陽師は――その一瞬から、全てを引き摺り出すように見透かしてみせる。

 

「我が千里眼は星から与えられたもの――しかし、我が出生故に、この力は我に流れる『半血』、つまりは妖狐の力と深く結びついてしまっている」

 

 それはつまり、妖怪・『葛の葉』の力だ――晴明はそう、異能に頼らぬ、己が自身の頭脳から導き出した推理を朗々と語る。

 

 最強の人間・安倍晴明は、決して異能頼りの英雄ではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()、星の戦士として戦い続けてきたことによる、脈々と受け継がれて、積み重ねてきた経験値が、彼という最強の戦士を鍛え上げ、生み出したのだ。

 

「故に、この千里眼でも、妖怪・『葛の葉』の血を引くモノは見透かせない。どんなに優れた視力を持つ者でも、自分の姿は見透かすことが出来ぬように」

 

 しかし、それが『答え』だとすると、どうしても疑問と矛盾が生じる――そう語りながら、これまでずっと下ろしていた腰を上げて、ゆっくりと立ち上がながら、人間は妖怪を見下ろす。

 

「妖怪・『葛の葉』は、不死の力を娘――つまりは我が妹に授け、永劫の眠りへとついた。転生妖怪である『葛の葉』の当代は、()()()()()()()()()。つまり、葛の葉の力を持つモノは、私と妹、そして未だ『祠』にて眠っている葛の葉(はは)自身だけの筈。故に、真っ直ぐにこう問おう」

 

 お前は、()だ? ――問い掛ける晴明。

 

 だが、その『人間』の『眼』は、言外に告げている。

 

 不明な正体、有り得ざる存在、矛盾の謎に覆われた妖怪――その、真実を。

 

 この安倍晴明は――既に、どこまでも見透かしていると。

 

「妖怪・葛の葉は、その不死なる生涯において、遂に――愛する男に出遭った」

 

 これまで無限の生を堪能しながらも、死を経験したことのない生命は、しかし、その愛によって――初めて、『喪失』に怯えた。

 

 故に、自身の『不死』を手放してでも、己が愛した男に『不死』を与えようとした。

 

 その為に、己が異能である『不死』と愛する男を結び付け――そして、その力を、男との愛の結晶である、胎の中の『子』へと引き継がせようとした。

 

「しかし、そこで、当の葛の葉にも計算外の妨害が入る」

 

 何と、胎の中の子は――『双子』であり。

 しかも、その片割れは――あろうことか、『星の戦士』だったのだ。

 

「幸か不幸か、否――どちらに対しても不幸であったか。星の脅威たる妖怪王、その器たる『三体』の『真なる外来種』。その力を『星の戦士』たるこの私に引き継がすことが出来る筈もない」

 

 結果、双子に分割し、分け与えられる筈だった『真なる外来種』の『異能』の片割れは――弾き飛ばされた。

 

「正確には、その片割れのみ――『転生』したのだ。これまでその永劫の生において幾度も繰り返してきた通り、妖怪・『葛の葉』の本分に則ってな」

 

 そのことには、当然、晴明は気付いていた。

 だが、『葛の葉』由来の力は、晴明の『星詠み』でも見透かせないが故に、これまでその『片割れ』の動向を知ることは出来なった――が。

 

「まさか、これほどまでに分かり易く、己が存在をアピールしてくれるとは思わなかった」

 

 星詠みの力で獲得した未来の言葉を交えながら、晴明は笑みを持って言う。

 

「そうなると、確かに、お主は我が母ではないかもな。我らと共に、この世に転生――生まれ落ちたお主は、つまり、もう一人の――我が妹というわけだ」

 

 両手を広げて晴明は、狐の姫君に――遂に出遭うことの出来た、生き別れた己が妹に笑い掛ける。

 

「会いたかったぞ、妹よ。元気にしておったか? これまでどこをほっつき歩いておったのだ」

 

 こうして、見事に――異能ではなく推理によって、己が正体を見透かした安倍晴明に。

 

 狐の姫君・『化生の前』は――妖怪・『葛の葉』の異能、その片割れの転生体は。

 

 消した表情を取り戻し、仮面のような笑みを作って、己を見下ろす陰陽師に言った。

 

「――ええ。私もすっごく会いたかったわ、お兄様。聞いてよ、もう大変だったんだから」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 妖怪・『化生(けしょう)(まえ)』。

 その記憶の始まりは――石ころだという。

 

 気が付けば、石ころに転生していた。

 

(転生先が石ころだった件)

 

 三つ子の兄の影響か、そんな意味の分からない言葉が脳裏を過ぎったが、この時は兄のことも、妹のことも、母のことすらよく分からなかった。

 

 ただ、唐突に自我が芽生えた。

 しかし、自分が石ころであるということには変わりなく、身体を動かすことも出来ない。文字通り手も足も出なかった。手も足もなかったのだから。

 

 それから、どれだけの月日が経ったのかは覚えていない。

 長い、とにかく長い、気が遠くなるような、気が狂うような長い月日だったことは覚えている。

 

 何も出来なかった。

 声も出せず、身体も動かせず、だが痛みと苦しみを味わう感覚だけはあった。

 

 雨にも負けて、風にも負けた。

 来る日も来る日も、蹴られ、踏みつけられ、踏み躙られた。

 

 ただただただただ――憎しみが募った。

 覚えているのは、圧倒的な――屈辱の日々。

 

 そして、気付いたら、募り続けた恨みと憎しみは――呪いへと変質していた。

 

 周囲に呪いを振り撒く石として――『畏れ』を獲得したのだ。

 

 そうして、只の石ころは呪いの石となって――やがて『妖怪』となり、妖力を取り戻して。

 

 とある、天気雨の日。

 呪いの石は――『狐』の姿を取り戻した。

 

 そして――理解した。

 これが、妖怪・『葛の葉』の、繰り返してきた永き生涯だったのだと。

 

 生を終える度、呪いの石として天から降り注ぎ――己を踏みつける存在に対して憎しみを募らせ、『妖怪』となり。

 

 その恨みと憎しみを糧に猛威を振るい、そしてまた死して――再び無力な石ころとなる。

 

 こうして永劫とも思える月日を繰り返し、その『魂』に宿る妖力を――その『()』に宿す尾の数を増やし続けながら、無限に強くなる大妖怪。

 やがては全てを呑み込む『妖怪王』となりうる器にまで成長する可能性を持った怪物(ケモノ)

 

 妖怪・『葛の葉』――『白面金毛九尾(はくめんきんもうきゅうび)(きつね)』。

 

 己の中に記録がある。これまで葛の葉という妖怪が、どのように――この地球という星で、その生涯を繰り返していたのか。

 どのように妖力を――()()()()()()を取り戻していっていたのか。

 

 分かる。見返せる。閲覧できる――が。

 

(――これは、()だ?)

 

 そこに、実感がまるで伴っていない。

 まるで他人のアルバムを眺めているような、最も大事な――感情が、抜け落ちている。

 

 その上、妖怪・『葛の葉』として、最も大事な記憶が。

 最後の転生を果たす直前の――終わらない生涯の全てに疲れ切って、ひっそりと隠れ潜みながら眠りに着こうと辿り着いた――あの『祠』で。

 

 あの『(ひと)』と、出遭った、記憶が。

 

 芽生えた筈の、溺れた筈の、狂い悶えた筈の――『愛』が、思い出せない。

 

(……なるほど。そういうことですか。それだけは、例え『子』にだろうと、引き継がせるつもりはなかったということですね)

 

 例え、愛する男を死なせない為に、『不死』の異能を、妖怪・『葛の葉』としての力さえも引き継がせようとも。

 

 愛する男を愛したという記憶は、己を焼き焦がした感情は、誰にも引き継がせずに独占し眠りについたと――そういうわけだ。

 

(――ならば。私は――何だ?)

 

 妖怪・『葛の葉』の、苦悩と苦痛と苦難の――苦しみ一色の記憶を引き継ぎ。

 

 こうして誰にも、『母』にさえも望まれない転生を果たして。

 

 本来であれば、妖怪・『葛の葉』が迎えた『愛』という出口の記憶すら引き継がれず――再び、歩まなくていい永劫の旅に出るのか。

 

「……そんなこと、受け入れられるわけがないでございましょう」

 

 故に――妖狐は。

 己が妖怪に目覚めた証である、二本の尾を靡かせて、天気雨を浴びながら――人里へと降りていく。

 

 誰にも望まれない転生を果たし、誰にも――全てを見透かす『人間』にすら、存在を認知されていない非存在として、真っ黒な闇の中で暗躍を始めた。

 

(誰にも知られていないのなら、好きなようにやらせてもらう。誰にも望まれていないのなら、私が望むがままにさせてもらおう)

 

 そして、突如として現れた――『妖怪王の器』たる妖狐は、己を『化生の前』と名乗り、瞬く間に一大勢力を築き上げる。

 

 かつて蝦夷を支配下においた『大嶽丸(おおたけまる)』、大江山の鬼の軍勢を率いた『酒吞童子(しゅてんどうじ)』――二体の『妖怪王の器』――『真なる外来種』をも凌駕する、圧倒的な手腕で日ノ本の妖怪勢力を纏め上げたのだ。

 

「お母様が放棄なさるなら、私が代行して差し上げましょう。日ノ本三大化生の一角として――この惑星に流れ着いた『真なる外来種』が一体として、その本分を果たしましょう」

 

 その妖狐は、嗤う。

 

 母譲りの美貌を、妖怪らしく――妖しく怪しく歪ませて。

 

「我こそは、『白面金毛九尾の狐』なり。妖怪を纏め上げる王の器にして――この惑星を、呑み込むものなり」

 

 その『狐』は、本当に美しく。

 

 騙るように、演じるように――笑っていた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そんな『狐』の、どこまでが本当なのか分からない、化かすような昔語りを聞いて。

 

 自分が見透かすことの出来ていなかった、真贋の判断がつかない物語を聞いて――『人間』は、問う。

 

「――妹よ。お前の願いは何だ?」

 

 奇しくもそれは、この京の裏側で――狂い咲きの枝垂桜の下で、とある妖怪が彼女に問うたことでもあった。

 

「お前の正体は分かった。けれど、お前の目的は、未だ不明のままだ。母の――妖怪・『葛の葉』の――『白面金毛九尾の狐』の代役を務めることか。それとも――」

 

 兄は、生き別れの妹に――妖怪・『葛の葉』の、誰にも望まれていない転生体に向かって、冷たい眼差しと共に。

 

「未だ『祠』で眠り続ける『葛の葉()』の息の根を止めて――正真正銘、お前自身が、本物の『葛の葉』として……今度こそ、生まれ変わることか?」

 

 晴明は――そう、美しい狐に、問うた。

 

 狐は、化かすでも騙るでもなく――揶揄うように、笑って、言う。

 

「――あなたと違って、私はとっくに母離れを済ましていますよ、お兄様」

 

 恨みもなく、憎しみもなく。

 

 しいて言えば――憧れていると。

 

「憧れている?」

「ええ、娘らしく、母のようになりたいと、そう憧憬を抱いています」

 

 不死の力を手放してでも、妖怪王の器の座を放棄してでも――それでも手放せなかった素敵なものを、己も手に入れてみたいと、そう思う。

 

 流れ星に願うように、流れ星として流れ着いた『真なる外来種』を代行する『娘』は、こう願う――(こいねが)う。

 

「私も――『愛』が、欲しい」

 

 自分の中にぽっかりと空いた(うろ)――それを思うように、豊満な胸に手を当てながら。

 

 狐は――燃えるように、()()()()

 

「…………ほう」

 

 晴明が見据えるその先で、(あか)い妖気が渦を巻いていた。

 視認できる程の密度で練り上げられた妖力が体外に漏れ出し、全身を覆う。血管が浮き上がるように、妖力を体内で循環させる『回路』が刺青のように表面化している。

 

 まるで鎧を――否、妖力の皮膚を纏うかのように、朱い妖力が具現化を果たしている。

 それは、この平安京内で爆発的に膨れ上がっている、酒吞童子や菅原道真公のそれと比べても、全く遜色のない――正しく、この国の(あやかし)の頂点の座に手を掛ける、妖怪王を狙う器に相応しい力。

 

「『愛』――それを求めて、お前は『玉手箱』に手を伸ばすと?」

「ええ。『葛の葉()』に出来たのですもの――『葛の葉()』に出来ない筈がないでしょう?」

 

 そうでしょう、お兄様――と、手を伸ばすように、あるいは爪を伸ばすように、化生の前()は、安倍晴明()に向かってそれを放つ。

 

 化生の前が纏う朱い妖力――それ自体が、まるで意思を持っているかのように、晴明に向かって手を伸ばすように伸びていく。

 

 ただ莫大な妖力が、爪を立てて、牙を剥くように――『人間』に向かって、襲い掛かる。

 

「――――」

 

 晴明は、二本の指を立てて、短く『呪文』を唱え――それを迎え撃った。

 

「――――ッ!」

 

 化生の前の『朱い妖力の腕』は、目標を確かに掴んだ筈だ。

 だが、それは、晴明が張った円柱状の蒼い結界に阻まれ――。

 

 

 蒼い結界の中の晴明は、白い法衣に包まれた己が躰に――黒い呪印を走らせていた。

 

 

「…………安倍晴明――あなたは」

 

 その『呪印』を見た途端、化生の前の表情が変わる。

 

 化生の前の『朱い回路』と同じように、まるで、刺青のように――取り返しのつかない、もう、後戻りできない証のように。

 突如として皮膚を走るように出現した『黒い斑点』に構うことなく、晴明は不敵に笑って言う。

 

「……欲しいものがあるのは、兄も同じだ、妹よ」

 

 そして、正体が不明であるのもな――そう、儚く笑い、『人間』は言う。

 

 この国で最も、『人間』離れした、存在は言う。

 

「私は、お前以上に――『特異』なのだ」

 

 兄が教えてやろう、妹よ――そう、妖しく笑い、『怪物』は言う。

 

「願いを叶えるには――それに相応しい、苦難が伴うということを」

 

 そして――平安京・最奥にて。

 

 二つの最強が激突し――史上最大の『兄』『妹』喧嘩が勃発した。

 




用語解説コーナー53

・真なる外来種

 大嶽丸、酒吞童子、白面金毛九尾の狐の三体の妖怪王の器を指す。

 後世にて日ノ本三大化生として名を残すことになる、この三体の怪物は――真の意味で、『外来種』であり、妖怪星人の起源(ルーツ)となる『血』を流す特別種である。

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