比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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あなたはきっと、蝦夷を一つにする為に生まれてきたのだ。


妖怪星人編――55 妖怪の国

 

 平安京と平安宮を分ける境界――朱雀門前。

 

 そこでは正に、この世のものとは思えない――あるいは、この世の終わりと思えるような光景が繰り広げられていた。

 

 降り注ぐ、幾筋もの赤雷。

 赤き稲妻が局所的に、まるで雨のように降り注いで、怪物を閉じ込める檻を形成しているかのような、そんな猛威の中を。

 

 全身を赤く染め上げた灼眼の赤鬼が、その小柄な身体で隙間を縫うようにして、赤雷の迷路を突破した――出口に向かって、置かれるように放たれていた、水平に奔る本命の巨大な赤雷を。

 

「らぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあいッッッ!!!!」

 

 その小さな――炎を纏った拳で、赤鬼は地面に向かって叩き付けるように堕とす。

 

「……………」

 

 左手に氷の剣を、右手に炎を纏わせる赤鬼。

 金時は、それを冷たい眼差しで見遣っていて。

 

「今度はこっちの番だなッッ!!」

 

 喜色満面の――狂色満開の顔で、悪路王は神通力を振り撒く。

 

 金時と悪路王――四天王同士の戦場の周辺は、既に。

 雷が降り注ぎ、豪雨が吹き荒れ、突風が巻き起こり、炎が瞬き閃いて、地面は大きく揺れる――天変地異の宝庫と成り果てていた。

 

「ははははははははははははははは!!」

 

 あの世の光景をこの世に無理矢理引っ張ってきたかのような、正に地獄絵図を。

 

 遂にその手に掴んだ、己が小さな身体全体に巡り始めた、鬼神魔王・大嶽丸(おおたけまる)から受け継いだ『外なる力(神通力)』に酔いしれ、溢れるがままに放出する悪路王に向かって。

 

 金時は、左手で鉞を担ぎながら――龍へと化わった赤い右手で、くいっと手招く。

 

「――来るなら来い」

 

 その挑発に――悪路王は歓喜する。

 

「上等だッッ!! 今、行くぞっっ!!」

 

 悪路王は豪雨の中、右拳の炎を一層に激しく燃やし、左手に携えた氷の剣を輝かせ、突風に押し出されるように、自分が振らせる雷の中を突っ切り、己が割った地面を踏みしめて――金時へと迫る。

 

 一瞬の接近。

 まるで瞬間移動をしているかのように目の前に現れ、氷の剣を振るう悪路王の跳び蹴りを――金時は上体を反らすだけで躱す。

 

 しかし、悪路王は止まらない。

 次いで炎の拳を、そして間髪入れずに氷の剣を振るい、金時はそれを上体の動きだけで躱す――が。

 

 遂に、一歩。

 悪路王の猛攻に押されて、金時の足が、一歩、後ろに下がる。

 

「そこだっ!」

 

 その一瞬を、悪路王は逃さなかった。

 突如として水平の攻撃から、上下の動きへと軌道を変えた赤鬼の左手――氷の剣が、金時の鉞を弾き飛ばす。

 

 獲ったッッ!! ――と、勝利を確信し、表情を歪めた悪路王が、そのまま次いで右手を、炎の拳を金時の隙だらけのどてっ腹に繰り出そうとして――。

 

 ドスっっ――と。

 

 重い一撃が――何の変哲もない、燃えてもいない、ただの人間の左拳が。

 

 小柄の赤鬼の身体を浮かすように、どてっ腹に突き刺さっていた。

 

「……気持ちのいい(酔い)は醒めたか?」

 

 そして、まるで現実を受け入れられないかのように、混乱に染まる悪路王の顔面を――次いで、龍の拳が突き抜ける。

 

 重すぎる拳は一瞬で悪路王の意識を奪い、そのまま吹き飛ばされ、叩き付けられた地面の硬さと衝撃に、沈んだ意識を再び浮上させる。

 

 ハッと、己を取り戻した悪路王は、全身を駆け抜ける激痛を無視して、何とか体勢を変えて着地を決めると――既に、目前には赤雷を纏った鉞が迫っていた。

 

「ぬおッッ――!?」

 

 己が弾き飛ばした筈の鉞。

 それを一瞬で回収した金時が、赤雷を付与して投擲したのだと、そう理屈で理解するよりも早く、反射的に、その場しのぎで悪路王は氷の剣で鉞を再び弾く。

 

 その鉞の――すぐ後ろに。

 

 坂田金時本人が、目前にまで迫っていたことに、最後まで気付かずに。

 

「な――――」

 

 元から弾き飛ばされることが前提の二段構え。

 赤雷は己の姿を隠す只の目晦ましに過ぎないと、そう理解する間もなく。

 

「――これが、『力』の使い方だ」

 

 金時は、そう冷たく告げながら――巨大化させた『赤龍の右手』を振りかぶり、そのまま悪路王の小柄な体を地面へと押さえつけて。

 

 今度こそ、これまでの見せかけのそれではない、正真正銘の攻撃用に『力』を込めた赤雷で――赤鬼を()いた。

 

「ぐぅぁあああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 氷の剣や炎の拳で容易く対処できていたそれではない――紛れもなく超常にして頂上の、『高位存在』由来の『力』の奔流に成す術なく呑み込まれながら。

 

 悪路王は、その言葉を聞いた。

 

「――『人間』が使う『呪力』にしろ、『妖怪』が使う『妖力』にしろ、どれだけ凄まじい『摩訶不思議』を起こせようと、結局はそれは戦闘の為の『武器』に過ぎない。……俺や、お前が振るう、『超常由来の力』も、根本は同様だ」

 

 どれだけ凄まじい『力』であろうと――それはあくまで『武器』に過ぎないと。

 

 把握し――掌握し、自分のその手で、自由自在に操れなくては何の意味もないと。

 

 金時は、赤雷を纏った鉞を、引き寄せるように、繋がった雷を手繰り寄せるように手元へ戻しながら、仰向けに地に抑え付けられる赤鬼を冷たく見下ろしながら言う。

 

「お前の()()は何だ? 炎の拳と氷の剣――何故、相反する性質のそれを同時に使う? 炎の拳を使うなら、どうしていつまでも雨を降らせている? 風を操れるなら、それを移動の加速に使うなりしたらどうだ? わざわざ地を割って自分も動き辛くする意味は? 敵に当てもしない、行動を誘導するわけでもないのに馬鹿みたいに降らせている雷は、一体どんな意図があってのものなんだ?」

 

 これまで数多くの強敵と相対してきた戦闘の天才は、余りにお粗末な悪路王の『力』の使い方に――否。

 

「お前は、その『力』をまるで使えていない」

 

 その、身の丈にあっていない強大な力に、ただただ無様に振り回されている様を――見下げ果てながら、言う。

 

「お前に、その『力』は相応しく(もったい)ねぇよ」

 

 赤鬼の身体を冷え切らせるような、坂田金時の冷たい眼差しと声色に。

 

 荒れ狂っていた天地――豪雨も、落雷も、地割れも、突風も、ゆっくりと収まっていく。

 

 だが――しかし。

 

「…………うるさい」

 

 赤き龍の掌の下で。

 

 ぐつぐつと、まるで溶岩が煮えるように。

 

 赤く、赤く――熱く、熱く。

 

 燃え、滾り――噴火する、()()があった。

 

「うるさいっっ!!」

 

 悪路王は、全身を発火させる。

 

 噴き上がった炎は下から金時を照らした――が、赤鬼を押さえつける『赤き龍の掌』は、まるでビクともしていない。

 

「……今のもだ。それだけの力――本来の大嶽丸の神通力ならば、この程度の拘束を弾き飛ばすことなど造作もない筈だ。にもかかわらず、こうしてお前が無様に俺を見上げることになっているのは」

 

 お前が『力』を引き出せていない、何よりの証拠だ――と。

 

 脆弱な『器』を壊さないようにと、無意識に加減してしまっている、何よりの証拠だと。

 

 悪路王という『器』が、阿弖流為の『力』の容れ物に相応しくない、何よりの証拠だと――そう、金時が言葉にするよりも早く。

 

「うるさい! うるさい!! うるさい!!!」

 

 ドゴン! ドゴンッ!! ドゴンっっっ!!! ――と。

 

 まるで爆発するように、何度も何度も噴火するように、龍の掌を揺らす炎の煌めきは――やがて、遂に。

 

()()()()()()()()()()()()()()っっっ!!!」

 

 涙する赤鬼の咆哮と共に、何かを破り――貫く。

 

 龍の掌を吹き飛ばした火炎は、何よりもその器こそを焼いて――赤雷に灼かれた赤鬼の小柄の身体を、更に赤く、血のように赤く染め上げる。

 

「……俺は、この力に相応しい器じゃない。……俺は、相応しくない。……俺は、選ばれし者じゃ……ないっ!」

 

 泣いた赤鬼は、その涙を赤く染めながら、真っ赤に濡れた瞳を、金時に向けて言う。

 

「俺は――『器』じゃない。分かってんだよ……そんなことは」

 

 そんなことは、とっくの昔に、誰に言われるまでもなく――ずっと、ずっと、思い知っていたと。

 

 嘲けるように吐き捨て、口元に笑みすら浮かべながら。

 

 小さな赤鬼は――ちっぽけな、自分という鬼のつまらない歴史を回顧する。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 この子は――『特別』よ。

 

 生まれてからずっと、その小さな鬼はそう言われながら育った。

 

 特殊な出自があるわけではない。

 むしろ、生まれはどこにでもいる凡百の妖怪だった。

 

 その鬼は蝦夷(えぞ)と呼ばれる辺境の地で生まれた。

 当時の日ノ本を支配していた朝廷が存在した奈良から遠く離れた僻地であるそこは、いつからか人里で生きられぬ異形の怪物達が集まる土地となっており、種々雑多の妖怪が、それぞれの領地を見えない線で分かちながら暮らす集落と化していた。

 

 小さな鬼は、そんな中の一つの集落の片隅で、ひっそりと暮らす平凡なる妖怪夫婦から生まれた。

 

 両親達は鬼と呼ぶには余りにも頼りない、か細い生命力を辛うじて保っているような妖怪であったが――そんな彼らの間に生まれた小さい鬼は、正に桁違いの妖力を持っていた。

 

 鳶が鷹を生んだ――そう両親は小さな鬼を囲みながら、嬉しそうに笑った。

 

 しかし、子が生まれて間もなく、父親はとある集落同士の紛争に巻き込まれて亡くなった。

 

 当時の蝦夷では珍しいことではなかった。

 

 妖怪が集まる土地とはいえ、姿形は勿論、時には言語すらも異なる妖怪が、ほど近い距離の中で見えない国境を引いて暮らしていたのだ。

 

 蝦夷という地が人里にて、妖怪が集う魔の土地という街談巷説として広まってからは、蝦夷に住まうというだけで人間の恐怖を糧とすることが出来るようになった。その為、力が増し、より好戦的になる物の怪達も増えていった。

 

 結果――集落同士が小競り合いを起こすことが頻繁になり、それが紛争として発展することも、珍しくなくなっていった。

 

 こうして、力無き妖怪が、それに巻き込まれて亡くなることも――この魔の地では、ありふれた日常の一コマであった。

 

 母は大いに嘆き悲しんだが、まだ幼児といっていい年齢だった小さな鬼は、悲しみに暮れるよりも――このか弱い母を守らなければと使命感に燃えた。

 

 既に小さな鬼は、己を生んだ母よりも、そしてそんな母を脅かすものを打ち倒せる程には強かった。

 

 身体が弱い母。心が脆い母。

 そんな母を守れることは子にとって誇りだったし――そんな天賦の強さを持つ息子を生むことが出来たことを、また母も誇りに思っていた。

 

 この子は――『特別』だと、母は言った。

 この子はきっと、大いなる使命を果たす為に、天が我らに授けて下さったのだと――母は言った。

 

 何よりも争いが嫌いだった母は、父を奪った争いを、憎んですらいた母は、いつも、いつも、己を守る強き子に向かって言った。

 

 あなたはきっと、この争いの絶えない蝦夷を一つにする為に生まれてきたのだと。

 

 そして、そんな偉大なる子の母になれて、私は本当に幸せだと。

 

 弱く脆い母は、己の弱さに逃げ続けた母は、そう息子に言い続けて。

 強く賢い子は、己の強さに頼り続けた子は、そんな母に――こう、言い続けた。

 

「分かった。なら、俺が母さんの願いを叶えてやる」

 

 そう胸を叩いて笑って言えば――母は必ず喜んでくれたから。

 

 平和とは、蝦夷とか――心の底から、どうでもいいけれど。

 

 自分にとっては――母こそが全てだから。

 

 優しい母。善良なる母。

 弱き母。自分が守ってあげなくてはならない母。

 

 母の笑顔が、母の感謝が、母の生存が――小さな鬼にとっての全てだった。

 

 

 だから、その日――鬼の子は全てを失った。

 

 

 その日も、いつもと変わらない日だった。

 いつも通り、隣り合うとある集落同士が下らない小競り合いをして――それが小さくない紛争に発展して。

 

 偶々近くにいた、無関係の弱き妖怪が――それに巻き込まれて、あっけなく死んだ。

 

 いつもと違うのが、巻き込まれたのが、病床の母が寝ていた家であり。

 

 食糧を持ち帰った鬼が帰った頃には――全てが、蹂躙された後だったという、ただそれだけの話だった。

 

 その日――二つの集落が、蝦夷から跡形もなく消失した。

 

 更地となったその場所では、それから何日も、何日も、小さな鬼が泣き続けていたという。

 

 己の身体を真っ赤に染めて、血の涙を延々と流す――小さな赤鬼。

 

 そして、その日以来、蝦夷では新たな街談巷説が広がり始めた。

 

 争いが起こると、どこからともなく。

 

 血塗れの、血の涙を流した真っ赤な鬼が現れ――両成敗とばかりに、争いそのものを根絶せんとばかりに、その全てを蹂躙するという、そんな怪談が、妖怪の間に流布し始めたのだ。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 赤き鬼は蝦夷で猛威を振るった。

 

 全てを失った鬼は、失意のままに、失望のままに――それでも縋るように、亡き母の願いを叶えようとした。

 

 争いが絶えない蝦夷を、妖怪同士で争い続ける蝦夷を、一つにする。

 

 復讐の炎に身を焼かれる鬼は、それでも、母の願いを叶えようとしたのだ。

 

 母が天から授かったと褒め称えていたその強さでもって、大いなる使命を果たす為に得たのだというその力任せに――争いをなくそうとした。

 

 しかし、その拳に込められていたのは、平和への願いか、母への愛か――それとも、只の憎しみだったのか。

 

 結局、争いはなくならなかった。

 どこからともなく現れる赤鬼に怯えながらも、彼らは、その恐怖を糧に、争いを止めることではなく、武器を下ろすことではなく、まるで身を守るように――更なる武装を重ね着て、争いの為の争いを続けて。

 

 いつまで経っても争いはなくならず、いつまで経っても彼は――母の願いを叶えることは出来ず。

 

 蝦夷はバラバラに分断を続けて――いつしか赤鬼は、拳を解き、天を見上げて。

 

 自分は――天に選ばれた存在ではないのだと理解した。

 

 己は、天からの授かりものなどではなかったと――己を責め立てるように降る雨に、全身を串刺しにされるような絶望と共に、痛感した。

 

 膝を着いた赤鬼は――そんな、降り注ぐ雷雨の中で、出遭ったのだ。

 

 紛い物の天賦ではない、本物の――天からの贈り物を。

 

 遥かなる天から流星のように落下してきた――これまで出会ったどんな妖怪とも違う、その大鬼は。

 

 いつものように争う村々を見つけ、力づくで押さえつけようとして――それでも争いは止まらず、絶望に膝を着いた赤鬼ごと、制圧してみせた。

 

 小競り合いから紛争に、そして戦争へと発展しかけていた争いの渦中へと飛び込み――そして、無傷で平定してみせた。

 

 その圧倒的な強さと、その包み込むような笑顔と、その余りにも大きな――『器』で以て。

 

 戦争一歩手前まで争い続けていた村と村を――大きな一つの村とした。

 

 その巨大な黒鬼は、大嶽丸(おおたけまる)と名乗った。

 

 赤鬼は、天から降ってきた、その大きな黒鬼に――夢を見た。

 

 彼こそが、母がずっと求め続けた、蝦夷に平和を齎す鬼だと。

 

 バラバラに分断され、至近距離で争い続けた魔の地を、一つに纏め上げる――本物の『王』だと。

 

 その日、再び――赤鬼は全てを失った。

 

 己にとって全てだった母。

 そして、そんな母から唯一残された願い――夢。それすらも、己よりも相応しい『器』が現れた。

 

 この子は――『特別』よ。

 この子は、蝦夷から争いをなくすために、天が授けた贈り物なのよ。

 

 そんな母の言葉を、たった一日で否定してみせた黒鬼に――赤鬼は真正面から戦いを挑んだ。

 

 自分の全てを奪った鬼。

 真の意味で天に選ばれた存在――『特別』な『器』。

 

 赤鬼は戦う前から理解していた。

 この戦いに意味はない。己はこの黒鬼には勝てない。

 

 自分の強さは紛い物で――『本物』ではない。

 母の夢を、願いを叶えるのは、自分ではなくコイツだと理解しながらも、赤鬼は何度倒されても、黒鬼に向かって拳を振るい続けた。

 

 戦いは三日三晩に及び、悪路王は満身創痍の瀕死にされたが、大嶽丸には終ぞ、拳を一発叩き込むのが精一杯だった。

 

 そして遂には拳が握れなくなり、立っていられなくなり、膝を着いて頭を垂れて――赤鬼は、懇願した。

 

 どうか、蝦夷を――俺達を、導いてくれ、と。

 

 それは己の唯一残さ阿弖流為(アテルイ)れた柱を折る行為で、赤鬼にとっては命を差し出すに等しかったけれど――もう、赤鬼に、他に残された選択肢はなかった。

 

 拳よりも、身体よりも、何よりも心が――黒鬼の『器』に打ちのめされていた。

 

 黒鬼は、そんな赤鬼の言葉に――こう告げた。

 

――俺様は『漂流者』だ。お前が言う、天からの遣いだとはそんな大層なもんじゃねぇ、只の行き先を見失った迷子みてぇなもんだ。

 

 だから、お前が行き先を示してくれるなら、俺様はそこに向かって、ただ進もう――そう言った黒鬼は、膝を着いて起き上がれなかった赤鬼を引き上げる。

 

――だが、一人で歩くのはつまらねぇ。お前も責任を持って同行しろ。そうすんなら、俺様がお前の行きたい所に、何処へだろうと連れて行ってやるよ。

 

 ガハハと豪快に笑いながら、呆然とする赤鬼に黒鬼は言う。

 

――そうと決まれば、まずは改名だな。もしかすると大嶽丸の名を使うのは後々面倒なことになるかもしれん。この星に『漂流』できたのは俺様だけだと思うが、念には念を入れておこう。新天地での第一歩と思えば、そんな始まりも悪くない。

 

 話の流れについて行けない赤鬼に、黒鬼は問う。

 お主の名は何と言う、と。

 

 赤鬼は、亡き父と母が己に残してくれた、ただ一つ残った――それを言う。

 

 父と母以外は誰も知らなかった、誰にも名乗ることのなかった、己が名前を。

 

「……阿黒(あくろ)阿黒」

 

 赤鬼に黒と言う名を付けた、当時はどうしてと思った己が名前も、こうして黒鬼と出遭ったことで全てが変わった、まるでこの未来を暗示していたかのようだと、呆然と思いながら。

 

――阿黒。いい名だ。俺様もお前の名から一字を貰うこととしよう。

 

 そんな黒鬼の言葉に、赤鬼――阿黒は、ただ漠然と――予感していた。

 

――阿弖流為(アテルイ)。これが今日から俺様の名だ。

 

 阿黒よ、俺様は、全てを変えるぞ――大いなる蝦夷の自然を眼下に見下ろしながら。

 

 せっかくの新天地だ。大いに楽しもうではないか――そう言って、ガハハと豪快に笑う、余りにも小さい己とは、比べ物にならない程に大きい鬼の背中を見て。

 

 阿黒は――予感していた。否――確信していた。

 

 本当に、全てが変わる。

 この男の『来訪』が、恐らく蝦夷を――そして、日ノ本を変えると。

 

 阿黒は、ぶるりと震えて、いつしか再び強く――その拳を握っていた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 正しく、快進撃だった。

 

 大嶽丸――阿弖流為は、本当に瞬く間に、蝦夷を一つの国にした。

 肌の色はおろか姿や形も違う、言語どころか言葉すら発せないモノ達もいる、寿命も生命力も、戦闘力も存在力も、ありとあらゆるモノが異なる――ただ、()()()()()と、その一点のみが共通するモノ達を一切合切纏めて、己が下に集めてみせた。

 

――なぁに。みんな、俺のカワイイ『子』達だ。家族になるのは当然だろうが。

 

 阿弖流為はそうガハハと笑い、己の巨大な『器』でもって、その全てを見事に受け容れてみせた。

 

 阿黒は、そんな男の背中に、己もまた魅入られながら、後ろではなく横に立つ為に、背中ではなく片腕となる為に、その力を振るい続けた。

 

 どれだけ阿弖流為のカリスマが凄まじくとも、種々雑多な妖怪勢力を一つに纏めれば、少なからず綻びは生じる。

 

 これまで狩るモノと狩られるモノだったものを同列に扱うことに不満を持つモノもいるだろう。

 己が天敵となるモノと仲良くしなければならないことに不安を持つモノもいるだろう。

 これまで本能のままに暴れていたのに、牙を収めなければならないことに耐えきれないモノもいるだろう。

 

 そんな不穏分子を――阿黒は『恐怖の赤鬼』として少なからず名を馳せていたことを利用して、妖怪王国『蝦夷』の治安維持装置として、ヘイトを集める憎まれ役として己を据えた。

 

 これまで獣同然に生きてきた、妖怪という怪物達。

 それを一つの国として、一つの組織として、一つの家族として纏め上げるならば、必要以上に厳しい戒律の元、枠から外れようとするモノを取り締まる存在が必要だった。

 

 本能に忠実なる妖怪にとって、それは正に憎悪の対象となり得るモノだ。

 そんな存在を傍に侍らせて御してみせる阿弖流為のカリスマは更に輝くが、当の阿黒に集まるのはその綺麗な白を保つ為の垢そのもの。

 

 阿弖流為はそんな阿黒を気遣ったが、阿黒はこれでいいと己の在り方を変えようとしなかった。

 

(これでいい。元々、成り立つことが奇跡の国なんだ。だからこそ、理想以上の綺麗な目標が必要だ)

 

 形が重要なのだ。

 阿弖流為は綺麗でなくてはならない。白でなくてはならない。

 

 だからこそ、生じてしまう垢は――黒は、自分が背負わなくてはならない。

 あの美しい黒鬼を白くする為に、黒になれない赤鬼の自分が――黒を背負うのだ。

 

 そんな両輪の鬼の手によって、遂に――奇跡の国は実現した。

 

 辺境に追い詰められた只の限界集落であった蝦夷は、やがて全国から妖怪が集まる王国となり、阿弖流為は奇跡の王として、妖怪勢力を纏め上げる存在となる――が。

 

 そんな存在を、そんな奇跡を、『人間』が――平城京が、許す筈もなかった。

 

 一つになろうとしている妖怪――当然、それを危険視した平城京は、やがて辺境である蝦夷に軍を派遣することを決定する。

 初めは妖怪退治により名声を得ようとする小物らが自らこぞって志願したが、阿弖流為はそれらを鎧袖一触に退ける。

 

 それを繰り返すこそ幾度。

 やがて誰もが、予想外の蝦夷の強さに恐れをなし、妖怪という存在に対する恐怖そのものが高まり、更に妖怪が強大になっていく中――平城京は、遂に、その切札を投入すること決断した。

 

 その『人間』の切札たる男の名は――坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)

 初代征夷大将軍に任じられた、紛れもない――『英雄』である。

 




用語解説コーナー55

・蝦夷

 現在の東北地方に位置する、辺境の地。

 日ノ本を統べようとする大和朝廷に属することに抵抗した民族が住まう地域で、『野蛮のモノ』という俗称として蝦夷と名付けられた。

 この世界では全国津々浦々から行き場を失くした妖怪達が吸い寄せられるように集まる妖気の吹き溜まりであり、それぞれの妖怪達が勝手に自分達の種族が暮らす集落を形成し、見えない国境線を幾つも引き合い、日々小競り合いを続けていた。

 そんな世界に、突如として黒い流星が落ちる。

 バラバラだった蝦夷を、負け犬の集合体であった蝦夷を、終わらない醜い争いによって自滅しようとしていた蝦夷を――その圧倒的な強さと器で以て、一つに纏める『王』が現れた。

 彼は、自らを――阿弖流為と名乗った。

 蝦夷の首長・阿弖流為――この星に降り立った、『本物の妖怪』であった。
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