比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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いままでも――ずっと。いつまでも――ずっと。


妖怪星人編――61 愛してる

 

 俺はもう、戦えない――そう、勝者の筈の田村麻呂が、首を失った阿弖流為(アテルイ)に向かって、そう両手を上げた。

 

「俺は鬼となった妻に変わらぬ愛を感じている。最早、お前達が妖怪であるというだけで、憎悪も、嫌悪も、抱くことは出来ない」

 

 憎まぬ相手に剣を向けられる程、俺は器用な人間ではない――そう、田村麻呂は言った。

 

 これまで幾度となく己を地に沈め、愛する妻を拐し、あろうことか妖怪()にしたモノに向かって。

 

 俺はお前が憎くないから戦えないと、そう本心から言ってのける――田村麻呂という男の()()()()()()()()()に。

 

「――は! はは! がはははははははははははははははは!!!」

 

 胴体から離れた首は哄笑し、そして、その首を首無しの胴体が掴み、そして乗せる。

 

 三明(さんみょう)(つるぎ)――最後の一振り。

 顕明連(けんみょうれん)――宙空に浮いたままのその脇差が、くるくると回転し、発光していた。

 

「この剣の権能は――無限の蘇生。この剣が俺のモンである限り、俺は何度でも地獄の淵から蘇る。鈴鹿御前も、かっぱらうならまずこの剣を盗むべきだったな」

 

 無限の妖力。無限の再生。

 それらの規格外(チート)を突破すべく一撃必殺を決めても、無限の蘇生(コンティニュー)を強制させる権能。

 

 改めて、阿弖流為という鬼の反則さを目の当たりにして絶句する鈴鹿御前であったが、田村麻呂はそれを見せつけられて尚――「流石だ、阿弖流為よ」とむしろ称賛するように微笑んでみせて。

 

「首を落とした程度で、お前が死ぬことはないと思ってはいた。敵にすると恐ろしいが――友としては、これ以上なく頼もしく思えるぞ」

 

 そう言って、田村麻呂は阿弖流為に手を差し出す。

 

「俺はお前の妻を攫った。俺はお前の女を鬼にした。そんな俺を、お前は友と、そう呼ぶことが出来るのか」

「お前は俺をいつでも殺せただろう? ならば、お前は妻をいつでも己の女とすることが出来た。それをしなかったのは――こうして、俺がお前の同胞に力を見せるまで待ち続けたのは、()()()()()()()()()()()()()()だと、これは私の思い上がりか?」

 

 田村麻呂は手を差し出しながら、周りを見渡す。

 そこには既に田村麻呂を見限った人間達は存在しなかったが――田村麻呂に向ける瞳が変わった、蝦夷の妖怪達が、田村麻呂と阿弖流為の戦争の決着の瞬間を見届けようとしていた。

 

 誰もが敵わなかった規格外の妖怪王。

 別次元の黒鬼に膝を着かせ、鈴鹿御前の援護があったとはいえ――その首を落とすまでに至った、唯一の存在。

 

 それが、『人間』という、自分達が見下し、そして畏れた存在という目の前の現実に、彼等は固唾を呑んでいた。

 

 阿弖流為は、望んではいた、だが、決して訪れることはないだろうと諦めてもいた、そんな未来を手繰り寄せた――紛うことなき、『英雄』に。

 

「やはりお前は――俺様が見込んだ通りの『人間』だった」

 

 その手を取り、強く握手し――友情を結んだ。

 

 立ち上がり、その手を強く結んだまま、阿弖流為は自分の部下達に、守るべき同胞達に向かって叫ぶ。

 

「――野郎共!! 宴だ!!」

 

 こうして戦争は終結した。

 

 数多くの犠牲を払い、取り返しのつかないこともあったけれど。

 

 それでも最後には、互いに手を取り合い、友情を結ぶことが出来た。

 

 誰もが夢描いた最高の終結へと辿り着くことは出来た。

 

 

 けれど、阿弖流為も、田村麻呂も気付いていた。

 

 人間と妖怪が手を取り合うことが出来た――この現場に、この終結(エンディング)の場に、『人間』は、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)しかいなかった。

 

 彼の部下達は誰一人おらず、この現場を目撃していないし、この終結に辿り着いてもいない。

 

 自分達は、遅かった――失敗したと。

 

 だが、それでも、この日、結んだ友情は、開くことのできた宴は本物だったと。

 

 二人は笑みを交わし、酒を交わしながら、その最後の宴を楽しんだ。

 

 そんな両者の姿を、鈴鹿御前は笑顔で、阿黒は無表情で見守っていた。

 

 

 

 

 

 翌日、平城京から伝令がやってきた。

 

 その内容は要約すれば、征夷大将軍・坂上田村麻呂の、平城京への帰還命令。

 蝦夷王を名乗る阿弖流為を連れてとの厳命と共に、差出人として書かれた名前は――和気清麻呂(わけのきよまろ)

 

(……和気清麻呂。新進気鋭の政治家として、正に頭角を現し始めたと評判の若者だったか)

 

 いつの間にか征夷軍に命を送ることが出来る程の立場になっていたのかという驚きもあったが、田村麻呂が目を細めたのは、阿弖流為を連れてという一文があったことだ。

 

 田村麻呂が阿弖流為と友諠を結んだのは昨日のことだ。

 少なくとも、平城京が田村麻呂への帰還命令を出したその時には、田村麻呂は連戦連敗で勝ち目がないという報せを受けていた筈だ。

 

 無理難題を言って田村麻呂に更なる大きな厳罰を加えるつもりだったのか――それとも。

 

 まるで見透かしているかのようなこの一文に不気味なものを感じながらも、田村麻呂が取れる選択肢は一つだった。

 

 受けるしかない。

 この命を断っても、田村麻呂が政敵にされるだけだ。阿弖流為を連れていかなくとも、今度は自分ではない将軍が蝦夷に派遣されるだけだろう。

 

 それでは意味がない。

 阿弖流為の願いを叶える為にも、ここでの答えは一つだった。

 

「――すまない、阿弖流為。俺の力不足だ」

「何を言う。お前でなくてはここまでこれなかった。ならば、これが天命というものだろう」

 

 恩に着る――そう言って、田村麻呂は全身全霊を懸けて、阿弖流為を守ると宣言した。

 

 人間の英雄が、妖怪の王を守ると宣言するその光景は、まるで夢のようだった。

 

 奇跡のようだった。

 きっと、この二人でなくては辿り着けなかった境地。

 

 同じ女を愛した男達が結んだ友情は、確かにそこにあって、とても美しくて――儚かった。

 

 その時、そこにいて、それを見ていた者達は――予感した。

 

 ああ――ダメだと。

 悪い予感を――絶望の未来を、確信した。

 

 赤き小柄な鬼は思いをぶつけた。

 行っては駄目だと。黒い鬼を説得しようとしたが――その思いは、聞き届けられなかった。

 

 紫の鬼女は縋った。

 お願いだから行かないでと。

 

 蝦夷の未来も、人間の世界もどうでもいい。

 

 私には、ただ、あなたがいればそれでいいと。

 

 あなたの為ならば何でもする。

 あなたの為なら何にだってなれると。

 

 だからどうかと。

 縋る女の唇を――英雄は己が唇で塞いだ。

 

 まるで全てを受け入れるように。

 

 あるいは――もういいと、拒絶、するように。

 

 必ず帰ると、男は言った。

 

 鬼となった鈴鹿御前は平城京へは連れてはいけない。

 だから、待っていて欲しいと、そう囁く田村麻呂。

 

 女は男の胸で泣き、頷いて――裏切った。

 

 もう二度と裏切らないと誓っていた男の言葉を、女は再び裏切って、平城京へと潜り込んだ。

 

 後ろ手に縛られた阿弖流為。それを引き連れる田村麻呂が通された――評定の場。

 舞台となった屋敷は結界が施されていて、内部に侵入することは出来なかったけれど、鈴鹿御前は塀の上から顔を出して。

 

 

 ()()を――見た。

 

 

 列席した平城京の首脳陣達。そんな彼等と、田村麻呂と阿弖流為の仲介をするように間に立つ白い若者――和気清麻呂。

 

 平城京の頂点に立つ彼等に向かって、田村麻呂は、懸命に訴えた。

 蝦夷にはもう平城京への敵対の意思はないこと。人間と妖怪は棲み分けが可能であるということ。

 

 そして、自分と阿弖流為は、友諠を結び――分かり合えたこと。

 

 人間と妖怪は、手を取り合い、分かり合えるのだということを。

 

 坂上田村麻呂は――同胞である『人間』達に向かって、懸命に、命を削るように訴えかけ続けた。

 これが自分の――最後の仕事であると、そう言わんばかりに。

 

 そんな彼の言葉に、熱に、引き寄せられそうになる首脳陣を――制するように、和気清麻呂は手を横に伸ばして。

 

 微笑みを――田村麻呂に向けて。

 

 何もかもを見透かしたような瞳の、男は言った。

 

「――坂上田村麻呂様。貴方は間違いなく『英雄』です」

 

 しかし、もう――『星の戦士』ではない。

 

 そう言って、指を鳴らし――結界の力を発動させる。

 

「お疲れ様でした。貴方の出番は、もう終わりです」

 

 結界の力は、阿弖流為の頂上にて超常の力――その全てを封じ込め。

 

 そして、坂上田村麻呂は、星に授けられたその力――その全てが、振るえなかった。

 

 阿弖流為と田村麻呂は、それでも懸命に戦った。

 ここが自分達の終着点だと理解しながら、それでも互いの為に――互いを認め合った、戦友の為に。

 

 しかし、それを嘲笑うかのように――和気清麻呂は、一切の容赦なく。

 

 坂上田村麻呂と阿弖流為――『英雄』と『妖怪王』を、この上なく無残に処刑してみせた。

 

 まるで何かを見せつけるように。まるで誰かに見せつけるように。

 

 妖怪王は、それでも豪快に、死の瞬間まで笑い飛ばし。

 

 英雄は――最後に、愛する女を見つけ、微笑みかけた。

 

 女は、結界に全てを跳ね返され、全てが己にのみ降り注ぐ絶叫を、平城京全土へ響き渡らせた。

 

 愛する者を奪ったモノ達へ、有らん限りの憎悪を込めながら。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 倒れ伏せる『騰蛇(とうだ)』を一顧だにせず、鈴鹿御前は歩みを進める。

 

 背後から轟音が聞こえる。

 小柄な赤鬼と現代の英雄――あちらの戦いも決着らしい。

 

 だが、そんなものに鈴鹿御前はまるで興味はなかった。

 

 阿黒――悪路王(あくろおう)の命の灯火が消えようとしている。

 あの鬼とも古い付き合いだが、感傷のようなものも微塵も湧かない。

 

 共に――あの時、死ぬ筈だったモノ達だ。

 無駄に生き恥を晒した、無様に生き延びてしまった敗者同士。

 

 先に逝くのか――やっと逝けるのか。

 浮かぶのは、そんな思いだけ。

 

(――羨ましいわね。……でも、私は、まだ逝くわけにはいかないの)

 

 まだ、やらなくてはならないことがある――と、今にも倒れそうな足を、引き摺るように前に進める。

 

 十二神将・『騰蛇』との激闘は、確実に鈴鹿御前の命の残量を毟り取っていた。

 

 身に馴染まない『妖狐』の力。身に余る『妖鬼』の力。とっくに寿命を迎えている筈の『人間』としての呪力。それらを限界以上に引き出した挙句、阿弖流為の『宝具』まで引っ張り出したのだ。

 

 とっくの昔に罅だらけで、今にも砕け散ってもおかしくなかった。

 

 それでも、鈴鹿御前は。

 一歩一歩に激痛を覚えながら。

 

 己の身体を灼く炎が、紫から蒼へと変わり――やがては消え去り。

 

 己の身体を彩る色が、紫から蒼へと変わり――やがては、懐かしい肌色に戻り。

 

 天を貫くような角が消え、六本の尾が、一本、また一本となくなって、やがては耳もなくなって。

 

 何もかも失って――それでも、ただ、愛だけを抱えて。

 

 あの頃のように、いつかの頃のようになって。

 

 それでも――鈴鹿御前は、朱雀門を潜る

 

 ただ――もう一度だけ。

 

 あの人に、会いたくて。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

――あなたには何も出来ませんよ。

 

 白い男は、血に塗れて地に伏せる女に、微笑みながらそう吐き捨てた。

 

「確かに、あなたが言うように、私があの両者を処刑できたのは、事前に私が念入りに作成した結界内だったからです。あなたの夫が蝦夷で阿弖流為を足止めし続けたお陰で完成した渾身の逸品です。まぁ、田村麻呂殿が『星の戦士』でなくなったのは、『星人(妖怪)』を愛した自業自得故ですが」

 

 つまりはあなたのせいです――遠くなっていく耳には、ただその言葉だけが届き、殊更に深く突き刺さった。

 

 私のせい――私のせいで、あの人は。

 

 あんなにも惨たらしく、死ななくてはならなかったのか。

 

「その通りです。あの両者は、そもそも自分の運命を受け入れていた。この平城京に来れば殺されると覚悟の上で、最後まで誇り高く在った。その誇りをあなたは汚したのです。その汚い血でね。あなたが本当に彼を助けたかったのならば、そもそも此処に来させるべきではなかった――中途半端だ、あなたは。その全ての行動が。その全ての選択が」

 

 あなたのその醜い姿が、何よりも雄弁にそれを物語っている――と、和気清麻呂は、あくまでも微笑みながら言う。

 

(……醜い。そうでしょうね。綺麗な『人』でもない……かといって正しい『鬼』でもない。中途半端――正しくその通りね)

 

 男を愛する一人の女でいたかったのならば、間違っても阿弖流為に嫁ぐことなどしてはならなかった。

 英雄の隣に立ちたい一人の戦士になりたかったのならば、間違っても鬼になどなってはならなかった。

 

 彼を死なせたくなかったのならば、友情(アテルイ)よりも(わたし)を選んでと、そう想いをぶつけるべきだったのだ。

 

「全くもって、無駄な行いだ。あなたは一体、何がしたかったのです?」

 

 そう、無駄だ。文字通り、無駄な足掻きだった。

 

 確かに和気清麻呂が坂上田村麻呂と阿弖流為を処刑できたのは、あの結界のお陰だろう。

 

 それでも、例え結界の外の夜道であろうと、鈴鹿御前では和気清麻呂を殺せないということは、一目見ただけで理解出来ていた。

 

 坂上田村麻呂と初めて出会った瞬間、一目で愛を覚えたように。

 和気清麻呂と初めて出遭った瞬間、一目で――畏れを、覚えたのだから。

 

 あの『英雄』と同じだけの衝撃を、この『人間』からは感じ取った。

 

 だから、こうなることは必然だった。

 

 それでも――私は。

 

 果たして――何が、したかったのか。

 

「愛する男と共に死にたいというのならば――望み通り、そうして差し上げます」

 

 鈴鹿御前(あなた)は別に、必要不可欠な役者(キャスト)ではない――そう言って、白い男は一枚の術符を、もはや身動きの取れない鈴鹿御前へと放る。

 

 そして、その落ち葉のような符が、鈴鹿御前へと辿り着いた瞬間――彼女の全身が、炎に包まれた。

 

 それは紛うことなく、彼女を冥府へと誘う荼毘(だび)であった。

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 恥ずかしい程の絶叫を上げながら、それでも彼女の心を包み込んだのは――身を焼く、命を溶かす燃焼に包み込まれながら、それでも心に浮かんだのは、安堵だった。

 

 死――奇しくも、あの白い男の言葉は、彼女に一時の安らぎを齎した。

 

 愛する男と共に死ぬ――あの人と、同じ場所へ、逝ける。

 

 それはとても甘美だ。

 もしかしたら、それこそを求めて、彼女は勝ち目のない戦いを、仇敵に向かって挑んだのかもしれなかった。

 

 あの人を失った世界に希望なんてなかった。救いなんてなかった。

 どうやって息をすればいいのかも分からない。自らを荼毘に付そうとしているこの炎の中の方が心地よいくらいだった。

 

「さようなら――裏切りの花嫁。どうか冥府では、夫婦仲良く暮らせることを祈っています」

 

 そう言って、白い男は去っていく。

 路上で燃え盛る女に背を向けて。最早、彼の世界では、鈴鹿御前という存在は登場人物一覧(キャスティングボード)から消失――焼失したかのように。

 

 しかし、鈴鹿御前は――瞬間。

 

 男のその言葉により、静かに眠りにつこうとしていたかのように瞑目していた、その瞼を持ち上げる。

 

 炎の中で、起き上がる。

 

(……そう。私は、ずっと裏切ってきた。誰よりも愛するあの人を――誰よりもずっと、裏切り続け来た)

 

 不倫をし、堕落した。

 敵方の王の妻となり、人間をやめて鬼となった。

 

 そんな女を抱擁し、そんな醜い存在を――美しいと言ってくれた。

 

 こんな私を、あの人はそれでも――愛してくれた。

 

 死の間際。

 

 あの人の最後の言葉をも裏切って、平城京へと忍び込んだ妻を発見し。

 

 しょうがないなといわんばかりに苦笑して――微笑んで。

 

 あの人は、私に、音の届かない中、優しい唇の動きで、こう言った。

 

 

――()()()、と。

 

 

「なら――私は……死ねない……ッッ!!!」

 

 ずっと夫を裏切り続けてきた妻を――それでも信じ、それでも受け入れ、それでも愛し続てくれた男の、最期の願いを。

 

 こんな私の安らぎの為に、こんな私の中途半端の為に、こんな私の――死にたいという、願望の為に。

 

 これ以上――あの人を、裏切ることなどあってはならない。

 

「生きなければ……私は――まだ」

 

 いつしか絶叫は止み、一歩も動かせなかった身体は、ふらふらと起き上がり、動き出した――それは、文字通りの、幽鬼が如くで。

 

 醜いと、白い男に唾棄された身体は、美しいと、愛する男に讃えられた身体は、ぼとり、ぼとりと、皮膚が爛れ焼け落ちていく。

 

 それでも――鈴鹿御前は、死ななかった。

 全身を焼かれ、跡形がなくなる寸前まで弱り切ったが――それでも、死ななかった。

 

 平城京を脱し、鈴鹿山へと辿り着いた。

 

 だが、死ななかっただけで、生き延びたかどうかは分からなかった。

 

 長い年月を掛けて、肉体的な消耗は回復したが――意識を失ったかのように、彼女は鈴鹿山から下りることはなかった。

 

 生きろと願われた。それを裏切れなかった。

 

 しかし、何をしたらいいのか分からなかった。

 愛する男を失い、生きる希望を失った彼女にとってはやはり、その世界で行う呼吸すらも責め苦だった。

 

 ただ死んでいないだけの日々。

 頑張って、死力を尽くして、死なないだけの日々を送っていた。

 

 果たしていつまで、この責め苦の日々は続くのか。

 何の希望もない生存を続ける、この苦行を、果たしていつまで続けなくてはならないのか。

 

 これこそがまさか、愛する者を裏切り続けた女に与えられた罰なのかもしれないとすら思い至り始めた頃。

 

 鈴鹿山に、一匹の狐が現れた。

 

 突如として出現した彼女は、ただ死んでいないだけの女に向かって、こう吹き込む。

 

――お前の仇は生きている。お前の愛も、また生きている。

 

 和気清麻呂も、そして、坂上田村麻呂も――()()()()()()()と、そう嘯く狐に。

 

 突如として立ち上がり、接近し、殺意の篭った眼光を、至近距離でぶつける鈴鹿御前に。

 

 その狐の女は、一切動じることなく、淡々と言う。

 

 死ぬのは、私の言葉の真偽を確かめてからでもよいのでは――と。

 

 こうしてまるで――狐に化かされるように、鈴鹿御前は口車に乗り、『狐』勢力の四天王となって。

 

 正体を隠す為と、衰えた力を補充する意味も込めて――彼女は『妖鬼』に続いて、『妖狐』となった。

 

 和気清麻呂が生きているのならば、あの頃と同じでは駄目だと、狐に言われるがままに、彼女は再び、己が魂を冒涜した。

 

 それはまるで自暴自棄ともいえる行動だったが――それは奇しくも、功を奏することとなる。

 

 

 

 来たる前夜祭――前哨戦となる、『土御門邸襲撃』において。

 あの『狐の姫君』の言葉を確かめる意味も込めて、半信半疑の口車の正体を確かめる意味も込めて、『狐』側の指揮官として乗り込んだ彼女は。

 

 今、再び――出遭ったのだ。

 

 仇――『安倍晴明』として、名と、顔と、正体を変えていた『和気清麻呂』と。

 

 愛――『千手観音』として、名と、顔と、身体と、生命と、器と、魂と、ありとあらゆるものを造り変えられていた『坂上田村麻呂』と。

 

 瞬間――彼女は。

 

 今、再び、世界を呪って――そして。

 

 

 そして――。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そして――――――――だから。

 

 

 だから――――私は。

 

 

「私は……私は――」

 

 許せなかった。

 

 あれほどまでに凄惨に処刑しておきながら。

 

 助命の確約を反故にして。彼の願いを踏み躙って。

 

 ずっと人間の為に戦い続けてきた英雄を――この上なく卑怯に、裏切っておいて。

 

 この期に及んであの男は、この世界は、あんなにも悍ましく、あの御方の生命を冒涜している。

 

 許せるものか――許せるものか。

 

「だから――私は――わた、し……は――」

 

 だから、助けるのだ。

 

 今度こそ私が、あの方を全てから解放する。

 

 あの男から、この世界から――解き放って、救って見せるのだ。

 

 それが、あの御方に出来る、私のせめてもの恩返し――贖罪。

 

 そうすれば私は――だから――――いいえ、違う。

 

「私は――ただ――――」

 

 目が霞み、耳が聞こえなくなる。

 

 足の感覚がない。歩みの感触が鈍く――全てが、遠くなる。

 

 ああ――いやだ、と、涙が流れる。

 

 それを拭うよりも、一歩進むことを選択し――鈴鹿御前は、遂に、朱雀門を抜けた。

 

 いやだ――まだ、待って。まだ――まだなの。

 

 そう、間近に迫ったものから逃げるように、彼女は震えながらもう一歩を踏み出す。

 

 全身が朱雀門を抜け、平安宮へと到達する。

 

 目的の人物――安倍晴明は、まだ遠い。彼はこの平安宮の最も深き場所にいる。

 

 しかし、それでも、ここが――彼女の終着点だった。

 

「―――――――あ」

 

 辿り着いた――鈴鹿御前を、迎え入れるように。

 

 ()()は、彼女の前に現れた。

 

 まるで――ずっと、傍に居たかのように。

 

 ふっと、静かに、彼女の前に降り立った。

 

「ああ…………ああ―――ッッ!!!」

 

 最早、何も聞こえない。

 

 全てが遠い世界で、それでも、彼女には一目で分かった。

 

 ありとあらゆるものが変わり果てた。

 妖鬼になった自分よりも、妖狐になった自分よりも、それでも人間を捨てられない――中途半端な、鈴鹿御前よりも。

 

 面影など微塵も残っていない。『魂』も『器』もこの上なく『変形』させられた――それでも、分かった。

 

 あの時と同じ――愛が、一目で、己が全てを支配した。

 

「ああ―――――会いたかった」

 

 彼女は両手を広げて歓待した――かの存在が、振り下ろす刃を。

 

 千手観音(せんじゅかんのん)――その無数の腕の一本が持つ宝剣が、彼女の身体を斬り裂く閃きを。

 

 彼女に死を齎す一撃を。

 

 彼女の願いを――叶える一撃を。

 

 愛する男だったモノから放たれる殺害を――愛する女はこの上なく愛おしそうに歓待した。

 

(ああ――でも)

 

 彼を救うことはできなかった。彼を助けることは出来なかった。

 

 彼と同じ場所に逝く――それが彼女の願いだったけれど、彼が救われていない以上、それは本当に意味では叶えることが出来なかった。

 

 鈴鹿御前は、坂上田村麻呂を、今、再び、裏切った。

 

「ごめんなさい――私だけ、救われて」

 

 斬撃を振り降ろした後、千手観音は、その姿勢のまま動かなかった。

 

 彼女に致命の一撃は与えたという判断なのか。それとも、既に跡形もなくなった筈の何かが――抗っているのか。

 

 鈴鹿御前は、そんな千手観音を、残った力の全てを込めて――抱き締めた。

 

 消えゆく命の、最後に残ったものを、せめてと彼に――届けるように。

 

 どんなに変わり果てた自分にも、彼はそう囁いてくれた――疑ったことはなかったけれど、今、正しく、あれは本物だったのだと、そう確信し、何より自分が救われながら。

 

「――――愛してる」

 

 いままでも――ずっと。いつまでも――ずっと。

 

 わたしは――あなたが救われることを、願い続けていますと。

 

 そうありったけの愛を込めて、鈴鹿御前は――息を引き取った。

 

 千手観音は、そんな彼女に、いつまでも抱き締められ続けていた――まるで、彼女を、抱き締めるように。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そんな、一つの愛の結末を。

 

 朱雀門の前で――坂田金時(さかたきんとき)は眺めていた。

 

「……………」

 

 前夜祭――前哨戦。

 土御門邸襲撃戦のことは、渡辺綱から聞いてはいた。

 

 中宮定子の霊を伴って清少納言が藤原道長を狙った土御門邸内部の戦いの他に、あくまで互いに、正しく前哨戦のような小競り合いではあったものの――土御門邸の庭園にて、渡辺綱と天邪鬼、そして、安倍晴明と鈴と名乗る妖狐の激突があったと。

 

 その鈴という妖狐は、今宵――かの『鈴鹿御前』であったということが明らかになったわけだが。

 

 問題なのは、鈴鹿御前は、その前哨戦にて――安倍晴明と一戦を交え、あの『千手観音』と相対していたということ。

 

 つまりは――その時。

 安倍晴明は、千手観音を、鈴鹿御前に()()()()()()()()ということだろう。

 

 彼女が、他ならぬその千手観音を追い求めていたのを、無論、全て――見透かした上で。

 

 朱雀門を抜け、平安宮へと足を踏み入れた、その瞬間――彼女を止める、つまりは殺すように、あらかじめ指令(コマンド)を与えていたのだ。

 

 無論、妖怪から人間を守る――それだけの面を見たら、正しい、合理的な処置だ。

 

 正しくて、正しい――『人間』の、行いだ。

 

 

――これが、『人間』のやり方だ。

 

 

 そう、金時の背後に立つ『影』が言う。

 

 薄い影は、まるで幽霊のようなそれは――悪路王が作り出した『分身』だった。

 

 阿弖流為が悪路王に託した神通力――その最後の能力。

 終ぞ悪路王が使いこなすことが出来なかったそれを、悪路王は――己を打倒した金時に、言葉を遺す為だけに、死力を尽くして発揮していた。

 

 

――お前は言ったな。お前は自分で、英雄になると決めたんだと。

 

 

「……ああ」

 

 金時は、確かにそう思ったのだ。

 

 始まりは、母の言葉だったのかもしれない。

 

 けれど、それは決して呪いではなくて、己は縛られてなどいなくて。

 

 足柄山を下りて経験した、人々との出会い、与えられたもの、そういったものによって培われた――間違いなく、己の中で芽生えた願いなのだと。

 

 自分は――自分の意思で、『人間』を守りたいのだと、そう願ったのだと。

 

 

――()()を見ても、お前はそう言えるのか?

 

 

 悪路王の影は指差す。

 

 千手観音を抱き締めるように永眠(ねむ)る、鈴鹿御前を。

 

 他ならぬ――『人間』の()によって。

 

 愛する男を救う為に、この上なく化物になった女と。

 この上なく化物にされ、愛する女を殺させられた男を。

 

 悪路王は――言う。

 

 

――それでもお前は、英雄になるのか?

 

 

 悪路王の残影は、囁くように、金時に言う。

 

 鈴鹿御前の半生を。

 千手観音の正体を。

 

 そして、それらを全て見透かし――全てを企んだ男を。

 

 安倍晴明という『人間』を――安倍晴明という化物を生み出した、『人間』という『在来種(いきもの)』を。

 

 

――お前は、愛することが、出来るのか?

 

 

「……………」

 

 金時は、言葉を出そうとして――まるで、呪いのように、その言葉は蘇る。

 

――『英雄』に、なりなさい。

 

 思わず怯むように身を震わせて、金時は、影を振り向かずに言う。

 

「それでも……俺は――」

 

 目の前の、惨状を見る。振り向かずに――前を見る。

 

 凄惨な地獄だった。

 戦争が始まり、たったの数時間で、ここまで無残に破壊された平安京。

 

 例え、それを引き起こしたのが――『人間』なのだとしても。

 全ての絵図を描いているのは、その『人間』なのだとしても。

 

 悲鳴を上げ、痛み、苦しんでいるのもまた――『人間』で。

 

「俺は――それでも、『英雄』になるんだ」

 

 英雄と、かつて呼ばれたモノの成れの果てを。

 

 哀れに固まる千手観音を――真っ直ぐに見据えながら、金時は言う。

 

 それでも――かつて、妖怪大戦争を終結させた、偉大なる英雄(せんぱい)に、向かって言う。

 

「――このふざけた戦争を止める。それが出来るなら、いくらでも……『英雄』にだって、なってやるさ」

 

 俺は、自分(テメェ)で、英雄になると決めたんだから――そう小さく、けれど力強く言った金時に。

 

 悪路王は――どてっ腹に風穴を開けて、倒れ伏せる悪路王の本体は、その背中を、霞む視界で眺めながら言う。

 

 その背中は――確かに。

 

 かつて、敬愛する『頭』を死地へと誘った忌むべき『英雄』に。

 

 それでも、自分が引き出せなかった『頭』の全力を、そして笑顔を引き出し、自分が立てなかった場所(となり)に立った、偉大なる『英雄』に、重なって見えて。

 

 ああ――また、勝てなかった、と。

 

 そう、眠るように、穏やかに息を引き取った。

 

「……………」

 

 呼応するように、分身もまた、瞑目しながら雲散霧消する。

 

 金時は、それを背中に感じながら、しばし、何かを噛み締める様に立ち尽くした後。

 それでも、まだ戦争は終わっていないと、泣いている人々の下へ駆け出そうとして――それを見付けた。

 

 見上げて、見付けた――真っ黒な夜空に浮かぶ、一羽の青く輝く燕。

 

 誰も彼もが死んで、門すら跡形もなくなった――『朱雀門跡の決戦』。

 

 その終結を、まるで見計らったような――見透かしたようなタイミングで、金時だけが残された戦場に、その燕はやってきた。

 

 青い燕――それが意味する所は、平安京最強の陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)からの伝令に他ならない。

 

「……………」

 

 龍の右拳を、そして、人間の左拳を握りながら、金時はその燕を迎え入れた。

 

 英雄を目指す男は、一つの戦争を乗り越えて――また、新たなる戦場へと向かう。

 




用語解説コーナー61

千手観音(せんじゅかんのん)

 安倍晴明が和気清麻呂から受け継いだ式神。

 日ノ本屈指の『英雄』を原材料に作成された傀儡人形であり、その戦闘力は十二神将を除けば晴明が所有する式神の中でも屈指である。

 事前に入力された指令を忠実に実行し、既に材料にされた『英雄』の意思は残滓すらも遺されていない――筈だった。

 だが、その怪異を殺害した瞬間――およそ千年に渡り稼働するだろうと白き『人間』が太鼓判を押した傑作は、己の中に大量に発生した『エラー』に動作不良を起こした。

 身体が動かなかった。
 与えられた指令を実行しなくてはならないのに、門を抜けようとする侵入者を排除しなくてはならないのに――その女を、振り解けなかった。
 
 その日――夜が明けるまで、その仏像は動けなかった。

 既になくした筈の心が上げる悲鳴(エラー)に――己が破壊されるのを感じた。

 その日――何かが死んでいくのを、仏像は感じた。

 そして、千手観音は――正真正銘の怪異へと成り果てて。

 千年先も、ただ与えられるがままに、指令に従い――その刃を振るい続ける。
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