比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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――お前が笑ってくれたのは、あの時だけだったな。


妖怪星人編――75 少女の笑顔

 

 茨木童子が初めて彼女と出逢ったのは、この世のものとは思えない、神話のような戦場だった。

 

「………………何だ、これは」

 

 これまで周囲から突然変異種と呼ばれて畏れられ、どんな妖怪と殴り合っても負け知らずであった茨木童子(いばらきどうじ)ですら、己の目を疑う光景だった。

 

 八つ頭の大蛇と、八つ頭の大蛇が殺し合っていたのだ。

 

(――八岐大蛇(ヤマタノオロチ)。今や妖怪界に置いてですら伝説扱いの怪物。……二体いるなんて、伝説ですら聞いたことがないが)

 

 こうして、他でもない自分自身の眼で見た光景でなければ一笑に付して終わりだっただろう。

 

 そもそもかの茨木童子ですら、二頭の激突の余波だけで辺り一面の何もかもを吹き飛ばす戦場を、離れた場所から傍観するだけで精一杯なのだから、並大抵の妖怪では目撃することすら出来ないだろうが。

 

「――――っっ!!」

 

 突然変異種たる赤鬼が、己の眼を開くことのみに奮闘しながら傍観していた戦争は――やがて劇的な決着を迎えた。

 

 一頭の龍がもう一方の八つの頭を全て噛み砕き、問答無用で殺し伏したのだ。

 

(――勝負あり、か。結局、何がなんだか分からなかったが……凄まじいものが見れたな)

 

 慢心していたわけではない――が、日ノ本は広い、上には上がいると、気が引き締まる思いだった。

 これまで己に匹敵する妖怪すら見たことがなかったが、こうして神話級の怪物同士の決闘を目撃出来たのだ。

 

 強さを追い求める武者修行の旅としては最高の経験(みやげ)が出来たが、流石の赤鬼もまさか八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に勝てるなどと思い上がっているわけではない。

 見つからない内に退散しようと、茨木童子は戦場を後にしようとして――。

 

「――――ん?」

 

 決闘が終わった戦場にて、勝ち残った八岐大蛇が突如――動かなくなった。

 

 まさか相打ちかと、茨木童子が足を止めて戦場を覗き込む――と。

 

「――――ッッ!!」

 

 八岐大蛇の胴体部分から――可憐な少女が飛び出した。

 

 あれほど巨大であった八岐大蛇の身体が、その飛び出した裸身の少女に吸い込まれていく。

 

 美しい体の少女だった。

 凹凸はなく、手足も細い。まるで病弱な娘のようだが、その体皮は濡れているかのように輝いていて。

 

 パチっと、黄金色の瞳を開ける。

 

 それは、遠くの崖上から決闘を目撃していた――茨木童子に向けられていて。

 

「………………だれ?」

 

 距離は離れている筈なのに、その小さな呟くような声はしっかりと届いた。

 

 だが、茨木童子はそれを言葉として聞き取れなかった。

 それは少女が茨木童子が理解出来る言語を話していなかったから――ではなく。

 

「………………ッッ!!」

 

 ただただ――その少女の美しさ、可憐さに、息を吞む程、思わず思考が真っ赤に染まる程に、見惚れていたからだった。

 

 これが、茨木童子という鬼を変えた――あるいは妖怪の、もしかしたら日ノ本をも変えたかもしれない出逢い。

 

 歴史の転換点――運命の出遭いだった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そんな、最早どれだけ昔のことであるかも忘れた邂逅を、茨木童子は柄にもなく思い返す。

 

 今は、一瞬の思考のずれも許されない、極限の戦闘の最中であるというのに。

 

 一条戻橋(いちじょうもどりばし)の上で閃光がぶつかり合う。

 黄金と白銀。

 茨木童子の『右腕』と、渡辺綱の『鬼切』が、夜闇に絵画を描くように軌跡を残す。

 

「やるな――茨木。期待はしていたが、まさかここまでとは思わなかった」

 

 綱の言葉に、茨木童子は舌打ちだけを返す。

 そんな茨木童子に、綱は尚も楽しそうに、神速で刃を振るいながら言葉を重ねる。

 

「晴明殿の式神として過ごした十年間は、しっかりとお前の成長に繋がったようだな。十年前の大江山の時よりも、お前は遥かに強くなっているぞ」

「――――ッッ!!!」

 

 茨木童子が、より強く右腕を振るい、鬼切を弾く。

 

 十年――十年間。

 

 永き年月を過ごす鬼にとって十年間など、瞬きに満たない時間なのかもしれない。

 数百年の停滞の時を過ごしながら、たった十年間でこれほどまでに強くなれてよかったなと、綱はそんな意味で宣ったのかもしれない。

 

「――ふざけんじゃねぇ」

 

 そんな言葉に、茨木童子はそう返す。

 

 確かに――茨木童子は強くなった。

 十二神将『勾陳(こうちん)』として、安倍晴明によって放り込まれた数々の修羅場は、大江山四天王として部下に指示を出す立場だった頃とは計り知れない戦闘経験を茨木童子に与えた。

 

 至高の領域へ辿り着き、これ以上は強くなれないだろうと、漠然と頂上を見た気でいた茨木童子に、更なる一歩の踏み出しを与えた。

 

 こうしている今、あの渡辺綱(わたなべのつな)と、『右腕』一本で戦えていることが、その何よりの証拠だ。

 

 鬼を殺す概念武装とも言える『鬼切』を弾ける手段を得たとはいえ、それはあくまで『右腕』のみ。それ以外の箇所に刃を入れられたら、茨木童子の屈強な躰は容易く豆腐のように切り刻まれる。

 

 故に、茨木童子は右腕一本で戦うしかない。

 それこそ、己の右腕を刀のように見立てて、目の前で笑う日ノ本一の剣豪と剣戟を交わさなくてはならないのだ。

 

 十年前ならば、既に敗北していただろう。

 安倍晴明の式神として、十二神将『勾陳』として過ごした十年間が、この瞬間の呼吸を茨木童子に許しているといってもいい。

 

 だが――その十年間は。

 

 茨木童子が酒吞童子との誓いを破り、その傍を離れた――許されざる十年でもあるのだ。

 

「お前が――お前と安倍晴明が与えたこの十年が俺に与えたものは!! この煮えたぎる憎悪と憤怒だけだ!! 『鬼殺し』!!!」

 

 黄金の右腕を振るいながら、それでも脳裏に蘇るのは、やはり――あの頃の光景。

 

 ひょんなことから共に行動をすることになった――否、どうしても傍に居たくて、少女の傍に付き纏っていた、あの頃。

 

(酒吞(しゅてん)――お前にとって、あの頃の俺は、なんか付いてくる変な奴って認識しかなかっただろうな。……あの頃のお前は、今以上に妖力操作が下手糞で……それこそ、あの頃のお前が垂れ流していた妖力に耐えられて、傍にいることが出来る奴なんざ、日ノ本中を探しても俺しかいなかっただろうから)

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 だから、いつも――ふたりきりだった。

 

 あの八岐大蛇のような神話の怪物など滅多に存在しない為、誰も彼女が歩く場所には近付けなかった。

 

 故に、茨木童子は――ずっと、少女を観ていた。

 無口な彼女に頻繁に話し掛けてみるが、誰かと共にいるということに、己に話し掛けられるということに、そもそも慣れていないのか、その殆どに返答はなかったが。

 

 それでも、偶に返してくれる小さな小さな呟きに、茨木童子は胸を締め付けられるような熱さを感じた。

 

 少女は――強かった。余りにも、強過ぎる程に。

 少女は――美しかった。余りにも、美し過ぎる程に。

 少女は――完璧だった。余りにも、完璧過ぎる程に。

 

 そして、少女は――――孤独だった。

 まるで生まれる星を間違えたが如く、少女の周辺はぽっかりと浮いていて、生きる世界が異なっているかのようだった。

 

 茨木童子は――それが、本当に、苦しくて。

 

――お前は、どこから来たんだ?

 

 ある日――そんな、馬鹿なことを聞いた。

 

――分からない。

 

 少女は、本当に長い時間を空けて、茨木童子の方を見ることもせずに、ぽつりと、誰よりも己に向けているかのような呟きを漏らした。

 

 分からない――本当に、少女は何も分からないようだった。

 

 どうして、みんな、そんなに弱いのか。

 どうして、みんな、そんなに醜いのか。

 どうして、みんな、そんなに――不安定なのか。

 

――私は……みんなとは、違うから。

 

 少女は何でも持っていた。

 

 みんなが持っていない強さも、美しさも、何もかもを持っていて。

 

 だから――少女は、ひとりぼっちに呟いた。

 

――私には……何にもない。

 

 そんな、世界からぽっかりと浮いているような、無表情に、無感情に呟く少女が。

 

 茨木童子には、まるで――わんわんとひとりぼっちで泣いている幼子かのように見えて。

 

――お前は酒が好きだろ。

 

 茨木童子は、そう言って少女に瓢箪を渡す。

 

 少女の気を引きたくて、色んな言葉を投げ掛けた。

 少女のご機嫌が取りたくて、色んな食べ物、色んな飲み物も与えて――その殆どが塩対応だったけれど。

 

 唯一、酒だけはお気に召したようで、少女の顔が輝いたことが、何よりも嬉しくて覚えていた。

 

 それだけじゃない。

 朝が弱いことも知っている。

 食べ物に好き嫌いはないけれど、量は凄まじく食べることも知っている。

 

 戦いは好きじゃないことも知っている。

 

 そして――ひとりが寂しいって、思っていることも知っている。

 

――ほら、何もなくねぇじゃねか。

 

 茨木童子は少女の頭を撫でる。

 

 少女は無表情で、無感情に見えるけど――違う。

 

 つまらないって思うし、つまらないって顔をする。

 寂しいって思うし、寂しいって顔をする。

 

 酒を呑んで、美味しいって思うし――美味しいって、顔を輝かせるし。

 

 お前よりもずっと弱い――俺の手を、振り払わないでいてくれる。

 

――お前に名がないっていうんなら、俺がやる。お前は今日から、酒吞童子(しゅてんどうじ)だ。

 

 露骨に自分にちなんだ名を付けながら、茨木童子は少女に笑いかけた。

 

――お前に縁がないっていうんなら、俺がやる。お前は今日から、俺の『家族』だ。

 

 茨木童子は宣う。

 

 たくさんの同胞が集まる家族――日ノ本で一番の家族を作ってやると。

 

――お前は日ノ本最強の鬼、酒吞童子だ。

――…………鬼?

――そうだ。お前には立派な角がある。誰よりも強い力がある。ならお前は、誰が何と言おうと立派な鬼だ。

 

 八つ頭の大蛇になれるとかは関係ない。

 鬼の条件は、何よりもその強さだと。

 

 そして、誰よりも強い少女は、この国の鬼の頭領(かしら)になれると――茨木童子は語る。

 

――みんな、お前の(もと)に集まるんだ。

 

 鬼の頭領になれ、と、茨木童子は言う。

 そうすれば、お前はいつでも――ひとりじゃない。

 

 お前の下に集まった、その全ての鬼が、お前の家族だと。

 

 少女は、そう熱く語る赤鬼に、くりっとした大きな瞳を向けながら、首を傾げて問い掛ける。

 

――なら、茨木(いばらき)は?

 

 少女が茨木童子の名前を呼んでくれたのは、この時が初めてだった。

 

 思わず胸が高鳴り、舞い上がりかける。

 

 そ、そうだな――と目を背け、がしがしと後頭部を掻きながら、茨木童子は思い付いたように言う。

 

――なら、俺はお前の『右腕』になってやるよ。

 

 鬼の頭領として、一座の長となる酒吞童子の――いつでも、誰よりも傍にいると。

 

 そう、少女の右手に触れながら、少女と目線を合わせるように跪いて言う。

 

――ずっと傍にいる。俺だけは、何があっても。

 

 お前に、寂しい思いだけはさせねぇよ。

 

 そう、何気なく――けれど、誰よりも、己の中に深く、深く強く、刻み込んで。

 

 誰よりも――自分自身に、誓った。

 

――そっか。

 

 笑った――笑ってくれた。

 

 酒吞童子は、茨木童子の恥ずかしい台詞に、けれど、何よりも美しく、可愛らしい笑顔を浮かべてくれたのだ。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

(――お前が笑ってくれたのは、あの時だけだったな。酒吞)

 

 渡辺綱が幾つもの斬撃を同時に振り降ろす。

 

 思わず距離を取る茨木童子。回避しきれないと判断した筋だけを右腕で弾く――が、見抜けなかった一筋の剣閃を避けきれずに左腕に掠り傷を負ってしまう。

 

 その傷は癒えない。

 ダラダラと血が流れ続ける。

 負傷を再生する鬼と、再生しない人間――その常識が覆る。

 

 だが、茨木童子は構わず拳を握った。

 目の前の怪物は、こんな程度の痛みに顔を顰めていたら一瞬で(くび)を斬られる別格の強者だ。

 

 それでも――茨木童子の頭の中から、その顔は消えない。

 

 酒吞童子の、あの時の笑顔だけが、茨木童子の脳内を占めている。

 

(あれから、俺は個体主義だった『鬼』を纏め上げた。大江山に日ノ本中の鬼を集結させて、お前に『家族』をあげられたと思った)

 

 だけど、酒吞童子は笑ってくれなかった。

 鬼女紅葉(きじょこうよう)には少なからず心を開いてくれたようだったけれど、酒吞童子は変わらず常に茨木童子の傍から離れることはなかった――大江山は、酒吞童子にとっての家にはなり得なかった。

 

(だから、お前には嫉妬したものだ、坂田金時(さかたきんとき)。大江山をちょくちょく抜け出して、お前に逢いに行っていたと知った時は)

 

 酒吞童子が本当に求めていたのは、家族ではなかった。

 真に孤独を、根本的に埋めてくれるもの――少女が欲していたのは、『理解者』だったのだと。

 

茨木童子(おれ)は――酒吞童子(おまえ)の、理解者には……なれなかったな)

 

 分かっていた。

 酒吞童子が手を伸ばす先に――茨木童子はいないことも。

 

 あくまで茨木童子は『右腕』であり、右側にしかいない――酒吞童子の目線の先には、いないのだということも。

 

「だが――それが、どうした……ッッ!!」

 

 斬撃が渦を巻く。

 

 縦横無尽に振るわれる斬撃の嵐に――茨木童子は、その巨体を飛び込ませる。

 

(例え、お前が俺を求めていなかったとしても。俺がお前の求めるものになれなくても――それでも、俺は、あの日の誓いを忘れない!!)

 

 全身に裂傷が走る。

 癒えない傷が、止まらない出血が生じても――その足を止めず、茨木童子は『右腕』を振りかぶる。

 

 例え、他の何を犠牲にしてでも。

 

 酒吞童子の為に作った家も、集めた家族も――『大江山』を見捨てることになろうとも。

 

 この身が、傷だらけになろうとも――生涯消えぬ、傷跡を背負うことになろうとも。

 

「俺はもう二度と!! 酒吞童子をひとりにはしない!!!」

 

 光り輝く『黄金』の右腕が――遂に、渡辺綱の胴体に届く。

 

 そして、振り抜かれる。

 光の柱が迸るが如き右拳が、当代最強の剣豪の刃を掻い潜り――撃ち抜かれた。

 

(だから――待ってろ、酒吞)

 

 お前の右腕が――お前の家族が、今すぐお前の下に駆け付けるから。

 




用語解説コーナー75

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)

 こうして――日本神話に名を残す、八首の大蛇の怪物は。

 水神であり山神――正真正銘の、神であった龍は。

 異星から襲来した――新たな龍によって殺された。

 神殺しを果たした龍は、お前は鬼であると、そう名付けられて。

 己の故郷も正体も何もかもを忘れて――少女は、酒吞童子(酒吞童子)となり。

 今も尚――伝説は、紡がれ続けている。
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