比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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これは悪夢だ。


妖怪星人編――76 悪夢

 

 妖怪・(さとり)は、心を読む妖怪であった。

 

 相対するだけで他者の思考を、その奥に隠された感情をも読み取ることが出来る。

 言ってしまえばそれだけの妖怪だが、しかし――それはまだ、覚という妖怪の異能の、ほんの表面、一部分に過ぎなかった。

 

 烏天狗(からすてんぐ)が、覚に加え、菅原道真公の影法師を取り込んだ天邪鬼をも取り込んだことにより――その妖力が大幅に増大した結果。

 

 桁違いの出力を得た覚の異能は、思考や感情に加え、対象の記憶までもを読み取ることも出来るようになった上――。

 

 他者の頭に直接触れることで――精神操作をも可能とするまでに至った。

 

「ぐぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 もはや身動きも取れない程に痛めつけられ、指一本動かすことが出来ない青年の心に、烏天狗は土足で入り込む。

 

「どんなに屈強な戦士も、どんなに強靭な英雄も――心を鍛えることは出来ない。それどころか、どれだけ肉体が無傷でも――心が壊れてしまえば、その人間は死んでいるのと同じなのです」

 

 ばちっ、バチィィ、と。

 烏天狗の掌から雷が瞬く。地に伏せる青年の脳を、鬼の妖力が凌辱する。

 

(恐ろしい異能だ。我々『三羽烏』の中で、あなたこそが最も恐ろしい妖怪としての資質を秘めていたのかもしれませんねぇ。覚よ)

 

 三羽烏の中で最も賢く、最も有能で――最も欲が薄かった妖怪。

 欲望――妖怪として最も必要なその資質のみが欠けていた結果、この場に残っているのは烏天狗となっているが、もしかしたら、何かが少しだけ違えば三羽烏を統一していたのは覚だったのかもしれない。

 

(ならば、彼の分も、私が存分に楽しむとしましょう)

 

 潜っていく――潜っていく。

 無遠慮に、不躾に、青年の心の中へと一羽の烏が潜り込んでいく。

 

「がぁぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 脳に妖力の雷を注ぎ込まれていく青年は、やがて、激痛を忘れて――夢の中へと、堕ちていく。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 気が付けば、そこは家の中だった。

 

「――――え?」

 

 小さな家だ。

 出世の見込みを失った父が、思いつきで武家へと転身し――木っ端微塵にその夢を砕かれ、何もかも失った負け犬の家だ。

 

「………………なんだい。いつの間にか、戻ってきていたのかい」

 

 この家にはもう、母と、妹と、僕しかいない。

 男衆は自分以外の全員が大江山で死んだ。

 

 もう、この家の復興の見込みはない。

 そんな現実をこの上なく残酷に突き付けられた時――母は寝床から動けなくなった。

 

 あの大江山から――既に十年。

 母は一度も、自らの意思で起き上がっていない。

 

「どうせ、アンタも死ぬんだよ。いつかあっさりと殺されるんだよ。何を頑張るんだい。何と戦っているんだい。どうせ、いつか――みんな死ぬんだよ」

 

 それが母の口癖だった。

 毎日、毎日、まるで呪いのように僕に言い聞かせ続けてきた。

 

 それは、もう頑張らなくてもいいと、励ましているようで。

 それは、もう戦わなくていいと、引き留めているようで。

 

 それは、お前のせいで、もう何もかも終わりだと、責め立てているようでもあった。

 

「母上! またそうやって悲観的なことを言う! 私も母上も兄上も、まだこうして死に損なっているのですから、それでも生きなくてはいけないんです! ちゃんと起きて、ちゃんと食べなければ、それこそ本当に死んでしまいますよ!」

 

 壊れてしまった母から逃げるように、日夜『外』に任務に出掛ける僕の代わりに、家と母を支えたのは紛れもなく妹だった。

 

 十年前、父や叔父達が死んでしまったあの日は、両手の指で足りる程度の歳だったのに、あの日から今日に至るまで、動こうとしない母の介護、毎日の食事や掃除、洗濯などの家事やご近所付き合いに至るまで、全て妹がそつなくこなしていた。

 

 偉大な妹だった。頭が上がらない。

 任務を終えて家に帰る度に、感謝の言葉よりも先に謝罪の言葉が先に出てしまう僕に対しても、妹は溌剌と叱るのだった。

 

「兄上は立派です! その手で誰かを守る仕事をしているのですから! だから、家のことは私に任せて下さい! もし、任務よりも我が家を優先するようなことがあれば、それは私に対する侮辱です! 逆にお尻を蹴って追い出しますからね!」

 

 そう言って米を茶碗に山盛りにして渡してくる妹に、僕は苦笑しか返せなかった。

 

 あの頃は小さかった妹も、十年も経てば立派な女だ。

 嫁に出てもおかしくない。いや、兄として妹のことを考えれば、介護や家事から解放させて、婿探しをしなくてはならないのだと思う。

 

 だが、あれから十年が経ち――僕はすっかり、母と向き合う方法を忘れていた。

 妹を介してしか、碌に会話すら出来ていない。

 

 僕は、任務(しごと)に没頭することで、俸禄(おかね)を稼いでくることでしか――家族と向き合えない。

 

 家族の為に戦っているのだと、口ではご立派なことを宣いながら――目を背けているだけなのかもしれない。

 

 十年前、僕の家族(いえ)は終わったのだという現実を、僕はまだ――受け止めきれないだけなのかもしれない。

 

「――――――――」

 

 ザザ――と、()()()()()()()

 

 暗い。

 か細いながらも蝋燭の灯りがあった先程までとは違い、今度の景色は只管(ひたすら)に真っ暗だった。

 

 場所は、同じ――我が家、だと、思う。

 

 無残に破壊され尽くしている。

 扉は吹き飛び、床は割れ、少ないながらも購入した家財は見る影もない。

 

 そして、何より――匂いだ。

 妹が作ってくれる暖かい夕餉の匂いがしない。

 

 代わりに、つんと鼻をつく――嗅ぎ慣れた、血の匂いがする。

 

「………………ないだい。ようやく…………戻ってきていたのかい」

 

 いつも敷かれていた布団もぐちゃぐちゃだった。

 染み込むように真っ赤に血で染まり――その上に、跪いた胴体と、胴体から切り離された、母の頭があった。

 

「――――は、母上ッッ!!!???」

 

 思わず駆け寄ろうとしたが――足が止まった。

 

 落ちて、転がって、尚――口を開く母の顔が、憎悪の表情を、僕に向けていたから。

 

「なんで、アンタは生きてるんだい? いつまでも、無様に生きてるんだい? 何で頑張らないんだい。何で戦わないんだい。なんで、いつも――アンタだけが生き残るんだい」

 

 母の言葉に、心臓が握り潰される。

 

 呼吸が出来ない。死にそうになって、僕は――母から逃げるように背を向ける。現実から逃げるように背を向ける。

 

 けれど――逃げられない。

 振り向いた先に。逃げようとした先に。

 

 槍に身体を貫かれた――妹がいた。

 

 ごふっと、血を吐いた妹は、血のような言葉を、僕に吐く。

 

「兄上。まだそうやって楽観的なことを思うのですか。私も母上も、もうこうして死んでしまいましたよ。起きることも、食べることも出来ない――本当に死んでしまったのですよ」

 

 何もかもから目を背け、逃げ続ける兄を――強く、賢く、美しい妹は許さなかった。

 

 体を貫かれ、血を吐き散らしながらも、その瞳は真っ直ぐに――兄を責め立てるのを忘れなかった。

 

「兄上は無様です。その手で誰も守れない――家族の一人も救えない」

 

 妹が一歩、僕に向かって近付く。それだけで、破壊され尽くされた我が家に、新たにボタボタと大粒の血痕が生まれた。

 

 僕は、そんな妹から、大きく一歩――逃げ出した。

 

「どうして、家のことは私に任せてきりにしたのですか? 家族よりも任務が大事だったのですか? 私の嫁入り(しあわせ)よりも、自分の妖怪退治(しごと)の方が大事だったのですか?」

 

 それは、私に対する迫害です――妹の言葉に、僕は首を横に振ることしか出来ない。

 

 違う――違うんだ、妹よ。

 僕は、お前のことを何よりも大事に思っていた。

 

 お前の強さが誇らしくて、お前の美しさが誇らしくて。

 

 だから――僕は。

 

 僕より強いお前に、僕よりも偉大なお前に。

 

 ずっと、ずっと――甘えて、いたんだ。

 

「なんで! どうして! なんで守ってくれなかったの!! どうして助けてくれなかったの!!」

 

 妹が僕に向かって、何かを投げつける。

 

 それは――血がべったりと付着した、空っぽの、茶碗だった。

 

「あなたが家族(わたしたち)を殺したのよ!! 自分だけ生き残って!! この――」

 

――人殺し!!

 

 妹の言葉は、僕の心臓と肺を貫いた。

 

 呼吸が出来ない。全身の血流が止まったように――寒い。

 

 違う、違うと、僕は無様に首だけを横に振り続けて、妹から距離を取るように下がる。

 

 そして、そんな僕を抱きかかえるように、母の胴体が僕に抱き着き――足下から母の頭部が見上げて、僕に向かって呪いを唱える。

 

「人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し」

 

 もう、身動きも取れない僕に――正面から妹も吐き捨てる。

 

「人殺し! 人殺し! 人殺し! 人殺し! 人殺し! 人殺し!」

 

 人殺し。人殺し。人殺し。人殺し。人殺し。人殺し。

 

 人殺し。人殺し。人殺し。人殺し。人殺し。人殺し。

 

「違う! 違う!! 違う!!! 違う!!!! 違う!!!!!」

 

 僕はもう目を瞑り、耳を塞ぎ、母の死体を振り払って、妹の死体を突き飛ばして――終わってしまった、我が家から逃げ出す。

 

「違う! こんなのは違う!! こんなのは何かの間違いだ!!!」

「いいえ、何も違いません。これは、あなたが見ようとしなかった、あなたが目を背け続けた現実です」

 

 いつの間にか、逃げ続ける僕の横を烏が並走するように飛んでいた。

 

 ぐらぐらと歪み揺れる世界の中で、耳を塞いでいるのに、まるで脳に直接語り掛けるように、その烏の声だけがやけに鮮明だった。

 

「違う! 違う!! 違う!!! これは夢だ! 幻だ! 僕の心を折る為に、お前が見せている悪夢なんだろ!!」

「そうであって、そうではない。――よろしい。では、連れて行きましょう」

 

 見苦しいアナタを。どこまでも無様に逃げ続けるアナタを。

 

 きちんと終わらせてくれる、その地獄まで――その言葉と共に、パチンと、指を鳴らす音が響く。

 

「………………」

 

 目を――開ける。

 

 そこは、烏の言う通りに地獄だった。

 黒い流星が落下してきたあの時のように、僕は烏天狗に背中を掴まれている。

 

 英雄に捥がれた為に片翼となった為か、あの時程の高度ではないにしろ、妖怪大戦争で破壊し尽くされた街が十分に見渡せた。

 

 肉体的にも、精神的にも嬲られ続けた僕は――遅まきながら、それに気付く。

 

「――――――ッッ!!!!!」

 

 身体が一瞬で冷たくなる――そんなわけがないと、反射的に、また逃げようとして。

 

「そうはさせません。もう、現実から逃避する時間は――夢の時間は終わったのです」

 

 とん、と、崖から突き落とすように、再び烏天狗は僕を堕とした。

 

 指一本動かせない僕は、そのまま受け身を取ることも出来ず――その家へと落下する。

 

 既に僕が落とされ、壊すまでもなく、徹底的に破壊し尽くされた――僕の、家に。

 

「違う……違う……」

 

 落下の衝撃に悶える間でもなく、僕の頭は混乱しきっていた。

 

 分かっていた――上空から見渡した、その時から。

 

 慣れ親しんだ町。何度も足を運んだ区。

 

 夢の中でも、帰った場所。

 

 何もかも壊れ切った、何もかも終わり切った、この場所が――僕の家であるということくらい。

 

「嘘だ……嘘だ……嘘だ」

 

 ピチャ、と。

 生温かい液体が、無様に這いつくばったまま動けない僕の顔に付着する。

 

 指一本動かせない、顔の向きも変えられない僕は――もう、目を瞑ることも出来なかった。

 

 ずっと敷かれ続けた布団。

 その上で、見るも無残な表情で絶命する――母の死体と、目が合った。

 

「あ――あああ――――うわぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 ただ一つ、僕に残されたもの。

 足も手も動かない僕に残された、最後の現実逃避の手段――ただただ絶叫し、目の前の現実を拒絶しようとする。

 

 違う――違う――違う――違う!!!

 

 嘘だ――嘘だ――嘘だ――嘘だ――嘘だ!!!

 

 これは悪夢だ。

 

 僕の心を折る為に、烏天狗が見せている悪夢だ!!

 

「そうだ! そうだ!! そうだろ!!?」

「違いますよ」

 

 烏天狗はそう冷徹に言い、僕の身体を引っ繰り返す。

 

 見上げる妖怪の顔は、言葉の冷たさとは裏腹に――どこまでも、愉悦の感情に満ちていて。

 

 僕の身体に――それを乗せるように放り投げる。

 

「動けないようなので、私が運んで差し上げました。早くお兄さんに見てもらいたいでしょうから」

 

 自分の、とっても綺麗な――死に顔を。

 

 そんな烏天狗の言葉通り、それはとても綺麗だった。

 

 醜悪な恐怖の表情を浮かべていた母とは違い、まるで眠るように――傷一つなかった。

 

 けれど――死んでいた。

 

 そのまるで力が入っていないずっしりとした重さも。

 

 お腹の辺りから流れ落ちている、彼女の血の感触も。

 

 疑いの余地なく――現実だった。

 

「―――――――」

 

 僕の家族が死んでいた。

 

 逃げようもなく、終わっていた。

 

 僕が守りたかったものは。僕が必死に戦っていた理由は。

 

 もう――どうしようもなく。

 

 徹底的に、壊れていた。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 ぶつん、と。

 

 何が――切れる音と共に。

 

 僕の大事な何かが――儚く壊れる音がした。

 




用語解説コーナー76

(さとり)

 生前は三羽烏のリーダー的ポジションであった烏。

 その能力は非常に優秀で、戦闘能力は殆ど皆無であったにも関わらず、その頭脳と弁舌能力で筆頭幹部にまで上り詰め、『狐』勢力と『鬼』勢力の同盟の締結、妖怪大戦争の全体図の作成など、此度の『計画』の要となる重大任務を見事に成し遂げた。

 あくまで頭脳と弁舌で戦ってきた妖怪の為、その異能は思考と感情の読み取り程度にしか育たなかったが――彼の異能の真髄は『心』への干渉であった為、極めれば精神操作、精神支配といった領域にまで届く可能性を持っていた。
 そうなれば、果ては彼の声を聞くだけで、彼の操り人形を量産するといった領域にまで辿り着く可能性もあり――彼に妖怪に相応しいだけの欲望、『野心』さえあれば、妖怪王の座に挑むだけのポテンシャルすらあった。

 烏天狗は、その莫大なる妖力で以て、無理矢理に直接接触での精神支配の領域にまで辿り着いているが、この異能を獲得したばかりで習熟度は未熟である為、声での支配までは辿り着くことは出来ないでいる。
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