赤い月が傾き始め、長い夜の終わりを予感させ始めていた頃。
旧土御門邸――黒炎上跡にて、四人の武者が、その男の到着を待っていた。
「――あ、来ました! 金時です!」
そこには、黒焦げとなった裸身の少女を抱える一人の男の姿があった。
だが、男の姿は一定ではなかった。
爪が生え、牙が生え、翼が消えて、尾が消える。
人でありながら龍であり――龍でもなく人でもなかった。
その異様な有様に季武は言葉を失い――碓井貞光が、一歩前に出て、彼を真正面から出迎える。
「――
「……………」
貞光の言葉に、金時は何も答えない。
ただ、腕に抱いたぐったりと動かない酒吞童子を、更に強くギュッと抱きかかえて、俯きながら、肩を震わせる。
そして、その子供のように震える大男の肩に、貞光はポンと手を置いて労う。
「――よくやった。お前は――俺達の誇りだ」
金時は、そんな貞光の言葉にも顔を上げることは出来ない。
貞光もまた、自分の手を乗せた金時の肩が――龍のそれに変化したことに、何も言うことはなかった。
「――ともかく、これで全員が揃ったな」
源氏の棟梁たる
「貞光、季武――金時。そして――
頼光は、金時よりも少しばかり早く、この黒炎上跡に先着していた綱の方を振り向き、そして再び全員を見渡して、言う。
「これより――酒吞童子の封印を開始する。各自、五芒星の頂点たる持ち場に着いてくれ」
黒炎上跡の敷地内に描かれた
赤き月へと届いた『黄金の手』の根元たる広大な庭の中の、茨木童子の『右腕』の掘り出し跡を中心に描かれたそれの、円の中に描かれた星の頂点たる五点に、頼光四天王と頼光本人が配置されることで――封印は開始される。
「金時。お前は、酒吞童子を中心に寝かしてくれ。その後、空いた点の場所に――」
そう金時に指示を出そうとする頼光の前に、坂田金時はゆっくりと近寄って。
少年を見下ろすように、彼の顔を真っ直ぐに見据えた金時は――酒吞童子を抱えたまま、「……棟梁」と、大きな体を縮こませながら、絞り出すように声を出す。
「――――俺も、酒吞と一緒に封印してくれ」
唐突な金時の言葉に、貞光も季武も、綱も、それぞれの持ち場に向かっていた歩みを止めて――目を向ける。
何も言わず、ただじっと見つめて続きを促す頼光の視線に、金時はぽつりぽつりと、懺悔をするように呟きを漏らす。
「……見ての通りだ。俺は、棟梁との――先代とも約束した忠告を破って、一線を越えちまった……それどころか、その奥にまで足を突っ込んじまったんだ。正直、いつ自我を失って、完全な龍になっちまってもおかしくねぇ。今もこうして、龍とも人ともいえねぇ、不安定な状態から立て直せないでいる。……こんな俺は――もう、アンタ達の傍には、いられねぇ……ッ」
だから――俺を、と。
こんな醜い怪物の居場所なんて、もう何処にも有りやないと。
そう告解する金時の、赤い龍の鱗に覆われた肩を、貞光がそうしたように、頼光もまた、少し背伸びをして俯く大男の肩に手を乗せる。
「……我々も、酒吞童子ほどの怪物を、何の代償もなく封印しようと目論んでいたわけではない。酒吞童子を封印する際には、その封印を千年間維持する為、我々もその結界の内側に入って術式を発動し続けることになる――つまり、お前に言われるまでもなく、我々は酒吞童子と共に封印されることになるだろう。お前だけではない」
我々も一緒にだ――その頼光の言葉に、金時は遂に、その情けない顔を上げることになり。
「な、なんで!? 棟梁達も一緒に!?」
「この術式が五芒星の頂点を全て埋めてこそ発動することが出来る――つまり、五人で行う必要がある。それに――」
頼光は、金時の不安定な心を現すように、龍と人間の間を行き来するように状態が安定しない金時の身体を見ながら言う。
「……金時。お前のその姿は、我々のせいだ」
「ち、違うッ! これは、俺の中途半端さが――俺の弱さがッ!!」
「そう――弱さ、それこそが原因だ。しかし、それはお前だけじゃない。お前を含めた我々――全員が、弱かった。その結果こそが全てなのだ」
酒吞童子という怪物を、誰一人として、打倒することが出来なかった――弱さ。
それ故に、坂田金時に全てを任せ、全てを押し付けた結果が――今、この状況なのだと。
「お前だけに背負わせるつもりはない。お前一人だけ行かせるつもりはない。情けない敗北も、苦い勝利も――その代償も、重みも、共に背負わせろ。――我々は仲間だ」
源頼光の名と、その重責を背負い続けてきた少年は――大きな戦士の身体を背伸びをしながら抱き締める。
「――よく戦った。こんなになるまで、よく頑張ったな。……
――誇り高き、英雄だ。
己が主の、その暖かい言葉と抱擁に――金時は、何も言えず、ただ一筋の涙を流した。
「……………」
そして、術式の中心に酒吞童子を横たえて、そのさらさらの髪を僅かに撫でて、その寝顔を露わにさせて。
金時が最後に、一つ空いた頂点の持ち場に立った後。
五芒星の五つの頂点に、頼光四天王と、源頼光の配置が完了し――棟梁たる少年が宣言する。
「いくぞ、皆。……封印――――開始だ」
その合図の言葉と共に、五色の呪力が五芒星に流れ込み。
黒炎上跡を包み込むように――
+++
頭に置いていた手が弾かれる。
精神世界から追い出され、現実へと意識を帰還させた烏天狗は――ぐらりと、己の身体がふらつくのを感じる。
(――これは……『魂』が大きく削られている。取り込んだ筈の『
剥き出しの『魂』を傷つけられる危険性。
もし、烏天狗が覚や天邪鬼を取り込んでおらず、肉付けされていない烏天狗一体分の『魂』のままで挑んでいたら――二度と自我を取り戻せない廃人となっていたかもしれない。
(妖力も
面白い――と、烏天狗は笑う。
もう動けない筈の身体を、指一本動かせない程に痛めつけた身体を――そして。
徹底的に砕き、折り、壊した筈の心を――奮い立たせて、立ち上がる青年を見て。
「一体の妖怪――烏天狗として、私はアナタに挑みましょう」
不屈の戦士よ――そう不敵に笑う烏天狗に、青年は、ふらつきながらも、地を這うような、低い声で唸る。
「……汚い足で、僕達の家に上がるな。……母上から……妹から――離れろ、妖怪!!」
僕達の――家から、出て行けッッ!!! ――叫びながら、青年は『力』を振るう。
屋外へと吹き飛ばされながらも片翼で以て空へと逃げる烏天狗を、追いかけるように屋根と上る青年。
当然ながら――自力ではない。自分の力ではない。
いくら激昂しようと、心と体を奮い立たせようと、徹底的に蓄積された負債は健在で、青年は自力では指一本動かせない重体のままである。
だから――借りる。だから、助けを求める。
己の身体を明け渡し、何も出来ない自分の代わりに、何でも出来る『
臆面もなく、己の家族が殺された復讐を他者に委託し――代行させる。
英雄の『魂』を――『慿霊』させる。
『一体、これは何という因果なのだろうね』
青年の身体に『慿霊』した『英雄』は、無残に破壊された平安京の街々に目を細める。
『私が守れなかった平安京……そして、あの大江山にて、私と共に戦い、そして家族を失った青年の身体を借りることになるとは』
まるで、私が使命を果たせなかった末路を、これでもかと突き付けられているような気分だ――そう己の身体を使って呟く『英雄』に、青年もまた、己の口を使って答える。
『……君の家族を殺し、君の家族を壊したのは、ある意味で私といえる。そんな何も出来なかった情けない男に、君は体を貸すことを了承できるのか』
「――僕が、あなたに対して、複雑な思いを抱いていないといえば……嘘になります」
かの英雄が始めた戦争――『大江山の鬼退治』が無ければ。
青年の家族は武器など手に取らず、武士になどならず、身の程知らずの戦争に参加して――死ぬこともなかった。
だが――武器を取り、武士となることを選んだのも、そして戦って、負けて、死んだのも、最終的には、彼等が選んだ生き様で、死に様だから。
「なので、全てをあなたに押し付けるつもりもありません。そして、あなた様が――僕が知る限り、最も強い英雄であることも、また事実だから」
ですので、思う存分、その御力をお貸し下さい――そう呟く青年の言葉に続いて、再び青年の口が勝手に開き、声を発する。
青年の中にあるもう一つの『魂』が、青年が助けを求めた英雄が答える。
これもまた、因果か――と。
『……よろしい。我が部下や、我が弟に全てを押し付け、黄泉の国でのうのうと、この非業の大禍を眺めるだけの卑怯者とならずに済む道を用意してもらえたと、言祝ぐべきであろう』
微力ながら、『人間』達の勝利の助力となれるのならば。かつて私が守れなかった戦士の家族というのも、そう考えれば、今宵の妖怪大戦争にて、我が『魂』を預ける『器』に相応しい――そう、静かに語りながら青年は、屋根へと上る際に拾い上げていた、名も無き戦士の遺品たる量産品たる刀を手に取り、その切っ先を妖怪へと向ける。
(やはり、既に『慿霊』を済ませているようですね。だが、だからといって『
つまり、『
そして『英雄』の魂との会話から、恐らくは青年が、任意の『英雄』の魂を自ら選択して降ろしているのが伺える。
『そういうことだ、妖怪よ。待たせたな――』
「ええ、楽しみましょう。我々の――」
最後の戦いを――その言葉と共に、烏天狗の身体が分裂を始めた。
無数の烏へと変化した烏天狗が、黒い風となりながら青年に向かって一直線に飛んでいく。
青年は――青年の身体を借りた英雄は、名も無き戦士から借り受けた刀を、一度、鞘へと納め。
黒い風との交錯際に――きん、と、一瞬で抜刀して、再び刃を鞘へと戻す。
そして、数瞬遅れで幾筋もの剣閃が舞い、無数の烏が次々と斬り裂かれていく。
生き残った烏が再び一ヶ所に寄り集まって烏天狗の姿形を取り戻していくと――烏天狗は肩の辺りを押さえながら呻く。
(今の技は――あの魔の森の決戦で目の当たりにした……なるほど、平安武士たる青年が、その強さを最も信じて、身体を預けることが出来る英雄)
十年前、青年の初陣たる『大江山の鬼退治』にて、かの酒吞童子と死闘を繰り広げてこの世を去った、『神秘殺し』と謳われた大英雄。
「源頼光――その
青年の身体を借りる『英雄』は、己が技に耐え切れずに砕けた刀の鞘を丁寧に地面に置きながら、屋根に突き刺さっていた、やはり量産品たる槍を引き抜く。
そして、烏天狗が放つ突風をものともせずに、その隙間を縫うようにして槍を投擲する。
(――ッ! 『慿霊』は、あくまで依代たる青年の身体に魂を下ろす異能。つまり、青年の身体能力で再現不可能な技は出せない筈。その上、今の青年の身体状況は正しく満身創痍。にも、関わらず――)
先程の居合斬りも、投槍も、とてもではないが人間業ではない。
それを、源頼光という英雄は――身体の負荷を最小限にした、圧倒的な技術で以て可能にしてみせる。
今も安全圏たる空中から攻撃を仕掛ける烏天狗に、屋根の上から、あるいは飛び降りて道の中から、倒れた戦士の傍らから、落ちている武器を素早く拾い上げて、剣だろうと槍だろうと、弓矢だろうと何だろうと、瞬時に使いこなして、的確に烏天狗を撃ち落とす一撃を狙ってくる。
(――片翼では高度を出せない以上、空中も安全とはいえない。ならば――)
接近戦を仕掛けるしかない。
一撃でも重い攻撃を叩き込めば、満身創痍の身体だ――間違いなく、こちらの勝利が確定すると。
烏天狗は懐の巻物から
それを『頼光』は、再び近くに落ちていた刀を拾い上げて迎え撃つ。
「ふふ――そう来ると思いました――よッ!」
烏天狗は『頼光』が構えた瞬間に、錫杖を持った手と逆の手で扇を
それに咄嗟に対応しようとした『頼光』が、攻撃を加速した突進に合わせようと振りを鋭くすべく刀に呪力を流して――。
『――――ッ!?』
英雄の一振りの途中で耐え切れず、刀は振りの途中でバラバラに砕けてしまう。
「そう! それはそこらの低級戦士の武器たる量産品でしょう! 英雄の
烏天狗は咄嗟に『頼光』が強い呪力を流すように攻撃に緩急を加えた。
例え肉体は青年のそれでも、英雄の魂は呪力の
青年が未だ十しか引き出せていない
それを烏天狗は狙った。
英雄の豊富過ぎる実戦経験を逆手に取り、咄嗟に、反射的に、
貧弱な『器』と歴戦の『魂』による、ちぐはぐな
最も顕著な『慿霊』の弱点を突く、妖怪の目論見は上手くいった――が、その姑息な手段は、『英雄』は欺けても、『愚者』を止めるには至らなかった。
満身創痍のその身体を――更に、深く、致命的に傷つけるように。
流された強い呪力をそのまま留めて、己の拳が砕けるような攻撃を躊躇なく振るう――『愚者』の感情任せの一撃が、烏天狗の頬に突き刺さった。
『……無茶をする。もう元には戻らんぞ』
「構わない。どっちみち、ここでコイツを殺せなければ、僕に明日は訪れないんですから」
だから、もっと、もっと、雑に使い壊してください――と、青年は『英雄』に注文を付ける。
そして、曲がりなりにも『英雄』の拳をまともに受けた烏天狗は、ゴロゴロと屋根を転がりながら「……ふ……ふふ」と、ゆっくりと傾くように落ちてくる赤い月を見上げながら呟いた。
「ここで負けたら、明日は訪れない。正しくその通り。なればこそ――」
出し惜しみは、何の意味もありませんね――そう呟きながら、烏天狗は己の懐に手を伸ばす。
「魔の森の土産です。この戦争が始まる前に、道満様に料理をしていただいたのですが――間に合って本当に良かった」
烏天狗が立ち上がりながら、その新たな巻物を開く――そこから現れたのは、一体の傀儡だった。
既に命のない、只の人形。
しかし、その莫大な妖力は健在で――『頼光』は、一目でその妖怪の脅威を認識した。
もしかしたら、至高の領域にまで届き得る程の、歴史に名を刻む大妖怪となっていたかもしれない、その怪物の名は。
「――大妖怪・『
大妖怪・土蜘蛛。
それは確かに、青年では手も足も出ない程の格上だろう。
本来であれば同じ戦場に立つことすら許されない程の存在だ。
こうして満身創痍の中、碌な武具も持たず、しかも土蜘蛛の傀儡だけでなく、それを操る烏天狗を含めて、二体の妖怪を同時に相手取らなくてはならない――正しく、絶対絶命。
「……頼光様」
『――何だ、青年』
青年は、まるで――許しを請うように。
己の中の――『英雄』に告げた。
「――僕の全部を、あなたに捧げます。だから――」
僕の家族の――仇を取ってください。
そう言って、心の世界で――青年は、己の首に刃を突き立てた。
用語解説コーナー83
・慿霊時の呪力
人間の呪力は基本的にその素質を持つ者の肉体――『箱』に宿る。
つまり、青年がどれほど凄まじい『英雄』の『魂』をその身に下ろそうとも、かつての『英雄』の御業の全てを再現することは出来ない。
青年の貧弱な『箱』を壊さない程度の、青年の凡弱な『呪力』を持って可能なそれしか出来ない。
だが――『英雄』は、呪力の絞り出し方を心得ている。
数々の修羅場を潜り抜けた経験を、瞬間的な呪力操作を、英雄の『魂』は記憶している。
しかし、それでも――ないものは絞り出せない。
その『箱』に、相応の中身が無ければ、どれだけ上手く絞った所で――何も起きない。
それでも――刃は壊れた。
凡弱な筈の『箱』から、英雄が絞り出した――それは。
英雄の輝に比べたら遥かに見劣りするかのしれないが――それは。
それしかないと判断したらならば、それが家族の仇を討つ為だと確信したならば。
迷わずに己の首に刃を当てることが出来る、どこにでもいる凡人たる青年の――確かに存在した、光る可能性だったのだ。