比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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さらばだ――英雄。


妖怪星人編――84 世界の終わり

 

 その少年にとって、強さとは生まれつき身に付いているものだった。

 

 血の滲むような修行などしたことがない。特別な血統に生まれたわけでもない。

 

 だが――少年は強かった。

 異常な程に、周囲から、隔絶していた。

 

 まるで、世界に選ばれたかのように。まるで、星に選ばれたかのように。

 

 しかし――その代償というべきか。その代価というべきか。

 

 少年には――感情というものが極端に薄かった。

 喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみも――その全てが、まるで遠い何処かの出来事のように、実感が湧かなかった。

 

 当然――愛も、知らなかった。

 

 だから少年は――善悪の区別も理解出来ず、ただ、周囲の人間の顔色ばかりを窺った。

 

 人が笑うといいことで、人が泣くとわるいことなのだと学んだ。

 

 故に、少年は人々の涙を止める為の旅に出た。

 

 何でもいいから、自分の強さを何かの為に使いたかった。

 

 自分の強さの理由が欲しかった。

 これはきっと、自分が何かをすべきだから与えられたもので。

 

 その何かを成し遂げれば――もしかしたら。

 

 自分もきっと――それを知ることが出来るのだと信じて。

 

 そうして少年は――俵藤太(たわらのとうた)となり。

 やがては青年へ――藤原秀郷(ふじわらのひでさと)となって。

 

 いつしか――怪異殺しと、そう呼ばれるようになった。

 

 だが、彼は――何時までも、何処までも、ずっといつまでも強かった。

 古今東西、ありとあらゆる怪異を殺して屠って回ったが、彼よりも強いものは何処にも存在しなくて。

 

 怪異を殺しても、滅ぼしても、退治しても――いつまでも、どこまでも、終わりはなくて。

 

 強さはいつまでも磨かれていくばかりで――彼が求めた感情は、探した愛は、どこまでも遠くて。

 

 成果の上がらない旅に、いつしか疲れ果てた時。

 

 怪異殺しは――魔人と出遭った。

 

 生まれて初めて対面する――己よりも強大な怪異。

 

 やっとだ――そう、思った。

 

 自分の強さは――きっと、この魔人を滅ぼす為に渡されたものだ。

 

 この魔人を止めれば、この戦いが終われば――きっと。

 

 きっと――その後は。

 

 

 俺は――――どうすればいいのだろう。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 黄金の太刀が砕け散る。

 

 これまで数々の怪異を切り裂いてきた――怪異殺しの宝具が、敗北した。

 

(――敗北……? 敗ける……負ける? この俺が――俺は、敗けるのか?)

 

 生まれた時から隔絶して強かった彼も、初めから最強だったわけではない。

 時には当時の自分よりも強大な敵と相向かう時もあった。だが、彼は負けると思うことはなかった。

 

 諦めずに戦い続ければ――彼は必ず勝利できた。

 思考を止めなければ、いつしか弱点を見抜いていて、窮地を切り抜く方策が思い付いた――最終的には、彼はいつも勝者だった。

 

 だが――この時。

 

 生まれて初めて――時を越えて初めて。

 

 真っ暗な――恐怖の、中にいた。

 

(黄金の太刀が砕けた――黒炎を防ぐ唯一の手段――触れたら対象を燃やし尽くすまで消えない炎――もう一撃も喰らえない――不死身――殺す手段がない――――彼女らが不死の呪いを解くまで――――それはいつまでだ――――そもそも可能なのか――――あとどれくらい時間を稼げば――――その為には――取れる手段は――――突ける弱点は――――ない――――ない――――方法の――――可能性も――――勝機も――――ない――――?)

 

 敗ける――――?

 

 俺は――――敗けるのか?

 

 暗い視界の中で、黒炎が瞬く。

 

 顔を上げる。

 

 そこには、漆黒の魔人がいる。

 

 黒い炎を纏う怪異。

 不死身の魔人が、こちらを炎の眼で睨んでいる。

 

 敗ける――殺される。

 

 死ぬ――――ああ、そうか。

 

 これが――恐怖。

 

 これが――――感情か。

 

 ようやく、感情が――英雄に、追い付いた。

 

「うわぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 なりふり構わず、飛び込むようにして黒炎の薙刀を回避する。

 余裕も誇りもない無様な姿に、魔人は怒りすら露わにして追撃する。

 

【どうした!! 随分と情けない姿を見せるではないか――英雄!!】

 

 英雄――怪異を殺して周遊するうちに、いつしかそんな風に言われていた。

 

 なろうと思って英雄になどなったわけではない。

 望んでなどいない。与えられた――押し付けられた。

 

 見ず知らずの誰かに渡された、人並外れた――人間の枠から外された力で。

 

(そういった意味では、俺もお前と同じだった。望んでもないのに、知らない内に――お前は魔人へ、俺は英雄にさせられていた)

 

 京四郎は、はっきり言って――憎んでいる。

 恐怖という感情を理解した今、その気持ちを、その感情を、はっきりと己の内に自覚することが出来る。

 

(俺は――ずっと恨んでいた。この力を与えた何者かを。勝手に与えたくせに、何も教えてくれないソイツを。力の使い方も、力の使い道も――使命も、責務も、何も教えてくれない、その何者かを)

 

 だが、将門は――恨んでいないと言った。

 その者に対する愛は――膨らみ上がり、大きくなるばかりだと。

 

(愛――愛とは何だ! 愛があれば、この恐怖を――この地獄を、乗り越えることが出来るのか!?)

 

 武器もなく、ただ無様に逃げ回りながら、瞳に涙すら浮かべながら、京四郎は懇願した。

 

 この力を与えた何者か――世界だか星だか知らないが、自分を英雄にした何者かよ。

 

(もし、俺に何かをやらせたくて、こんな力を与えたのなら――とっとと出てきて、教えてくれ! 俺に何をさせたい!! 何の為に――俺を英雄にした!?)

 

 何も分からず、まるで子供のように、京四郎は逃げ回った。

 

 その余りにも無様な姿に――怒りを通り越して呆れ果て、失望したように、魔人は踵を返す。

 

【……もうよい。これ以上は、何の意味もない】

 

 魔人はそのまま足を――『祠』の方角へと向ける。

 

 一瞬、助かったという思いを抱いてしまった京四郎だったが――すぐに、自分は魔人を『祠』へ向かわせない為に戦っていたのだと、思い出して。

 

「ま――」

【待つものか。最早、貴様に――】

 

 この私を、引き留める理由も――価値もない、と。

 

 将門は振り向くことなく――黒炎の大波を引き起こす。

 

 これを回避する為には、魔人に背を向けて大きく後退するしかない。

 

 だが、それをすれば、この黒炎の大波が引いた頃には、既に魔人は『祠』を潜っているだろう。

 

「――――」

 

 京四郎の――英雄の、足が止まる。

 

 どうしようもないのではないか、十分に戦ったのではないか、やれることはやったのではないか――これまでの生涯で、一度も自問してこなかった文言が次々と脳裏に浮かぶ。

 

(仮に、この黒炎の波を乗り越えた所で――どうなる? もう、俺には魔人と真っ向から戦う手段などない。ならば、ここは引いて――生き残って――)

 

 それで――どうなる?

 

 ここで生き残って、ここで死に損なって。

 

 自分は――何の為に、生きていくんだ?

 

「――――――」

 

 将門と自分は、この時代の異物。

 そう言ったのは己ではなかったのか?

 

 生き残るというのなら、既に反則のように生き残っている。

 死に損なっているというのなら、既に例外のように死に損なっている。

 

 今、ここで使わないで――どこに使い道があるというのだ――この命は。

 

(怖い――怖いな。死ぬのは怖い。だが――)

 

 それは――当然なのだ。

 生きているのだから。死にたくないに決まっている。

 

 皆、誰しもが、この身と心を震わす恐怖と戦い続けてきた。

 死ぬかもしれない。勝てないかもしれない――敗けるかもしれない。

 

 そんな恐怖と戦って、乗り越えて、戦い続けてきたから――人は、その者を英雄と呼ぶのだ。

 

(何で英雄にした――か。随分とまあ、傲慢なことを考えていたな)

 

 ああ――そういう意味では、自分はそもそも、英雄などではなかった。

 

 ただ、何者かから与えられた強さをひけらかしていただけの子供だった。

 

 随分と時間が掛かったけれど――百年程、掛かってしまったけれど。

 

(この妖怪大戦争を勇敢に戦い抜いている、後輩達を見習って――俺もそろそろ)

 

 英雄になろう――京四郎は、覚悟を固めて。

 

 黒炎の大波の中に、真っ直ぐに突っ込んでいった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 黒炎の大波に京四郎が呑み込まれていく様を――魔人は冷めた眼差しで見詰めていた。

 

 百年前の日ノ本。

 あの時代を生きた男達で、俵藤太――藤原秀郷という名前を知らない者はいない。

 

 否、百年後の現代においても、妖怪変化と戦う者達ならば、彼の英雄の名前を知らないものなど存在しないだろう。

 

 なにせ、彼は――怪異殺しにして、龍殺し。

 生涯無敗を誇る最強の英雄――だった。

 

(それが、こんなにも呆気なく――あんなにも無様な最期を迎えることになるとはな)

 

 最強であり、無敵。

 そんな英雄だからこそ――初めて出遭った、己よりも強大な相手には、あんなにも脆い。

 

 平将門は、己の中にある失望から目を逸らすように、再び前に――『祠』へと足を進めようと前を向く、と。

 

 

 そこに、黒炎を纏った京四郎がいた。

 

 

「な――――!?」

 

 硬直する魔人に、いつの間にか将門を追い越していた京四郎は、黄金に光る拳を叩き込む。

 

 世界から選ばれた力――星に選ばれた戦士たる力。

 

 異物を排除する渾身の力を、全てその拳に込めて――放つ。

 

「うぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 魔人の胴体に英雄の拳が突き刺さる。

 星の力、英雄の呪力、そして黒炎――全ての力を凝集させた拳は、『祠』へと近付いていた魔人を大きく吹き飛ばす。

 

 黒炎の大波が辺り一面に広がり、そこは既に黒炎の湖と化していた。

 

 その中に放り込まれた魔人を見ながら――京四郎は、力無く微笑む。

 

(――――これが、俺の……生涯最期の……攻撃だ)

 

 黒炎の大波に対し、京四郎は何の小細工もしなかった。

 

 触れたら対象を燃やし尽くすまで消えない炎を、その身に浴びながら、ただ真っ直ぐに突っ込み、大波を貫いて魔人の前に回っただけだ。

 

(呪力で一応は体を覆ったから即死は逃れたけれど……案の定、黒炎は呪力の鎧を貫いて、俺の身体を侵食し始めている。出来るかもと思って拳に体に纏わり憑いた黒炎を集中させたりしたけれど、右拳から段々と身体の方にも回ってきた。やはり、この黒炎は、俺の身体の全てを燃やし尽くすまでは消えない仕様みたいだな)

 

 恐らくは右拳を切り落としても無駄だろう。その傷口からこの黒炎は発火するに違いない。

 対象を燃やし尽くすまで消えない炎というのは、そういうことだ。

 既にこの黒炎に一度触れてしまった以上、京四郎の身体は黒炎の燃やし尽くす対象となってしまっている。

 

(――結局、俺は……魔人を止めることは出来なかったな。時まで越えたのに、情けないったらない)

 

 今の一撃は魔人にも相当なダメージを与えただろうが――魔人は不死だ。

 すぐさまにダメージも黒炎も回復して戻ってくるに決まっている。

 

(不死の呪いが解けるまで足止めするって約束も果たせなかった。……このまま魔人が『祠』の中に入って、葛の葉と再会を果たせば――魔人の不死の呪いは永劫に解けなくなる)

 

 羽衣が京四郎に残した真実。

 それは、魔人が葛の葉と再会し、不死の呪いを解く為の『鍵』を取り込んでしまえば、魔人の不死を解く為の条件が魔人を殺すことになってしまう。

 

 死なない魔人を殺せるようにする為には魔人を殺さなくてならない――正に矛盾だ。

 結果、永遠に呪いは解けなくなってしまう。

 

 それを防ぐ為にも、羽衣が不死の呪いを破壊するまで、ここで魔人を足止めしなくてはならなかったが――それはどうも、出来そうにない。

 

(なんとも締まらない、中途半端な結果だ――それでも、最後の一撃くらいは)

 

 英雄らしいことが出来たかな――と、京四郎が力無く笑っている中で。

 

 黒炎の湖から、黒い炎を噴出する魔人が上がってくる。

 

【今のは――見事な一撃だった】

 

 死が迫って来る。

 もう、自分には魔人の攻撃を防ぐ手段がない。

 

 先程までのように逃げ回っても、既に黒炎に侵された身体は、すぐに死を迎えることになるだろう。

 

 ならば――最後くらいは。

 

 宿敵に対して堂々と――英雄らしい姿で相対しようではないか。

 

【許せ――俺は、お前を見下げ果てていた】

 

 魔人が黒炎の薙刀を作り出す。

 まるでそれは、介錯を務めるように、命を奪うのではなく、伝説を終わらせる為の刃であるように感じた。

 

【さらばだ――英雄】

 

 魔人の刃が振るわれる。

 

 英雄は、恐怖を乗り越えて――きっと自分は、生前に出来なかったことをやり遂げた、そんな達成感すら感じながら。

 

(そういえば――感情は、知ることは出来たけれど)

 

 愛とやらは、最期まで、知ることは出来なかったなぁ――と、そんなことを思いながら。

 

 目を瞑り、迫る死を迎え入れるように――。

 

「何やってんの。ダメだよ。折角、更にカッコよくなったのに――ここで死ぬなんてもったいない」

 

 君だけは、生きなきゃダメだよ――そんな言葉が、いつの間にか背後にいた誰かに、抱き着くように、耳元で囁かれて。

 

 黒炎の刃が届くよりも先に――がぶりと、首元に届いた、牙があった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 少しは世界を知っているつもりだった。

 

 世界は理不尽で、世界は暗くて、世界はいつだって――どうしてこんなことにってことばっかりで。

 

 暗くて、辛くて、苦しくて、切ない。

 

 だけど――それでも、暖かい出遭いがあるのだと知った。

 

 自分を抱き締めてくれる、自分を救い上げてくれる――そんな存在と出遭えるのだと知った。

 

 自分の手はちっぽけで、出来ることなんて本当に限られていて。

 

 敵を倒すことも出来ない、武器すら握ることの出来ない――無力な、(こども)で。

 

 だけど――それでも。

 

 自分の中に、それを覆す力があるのならば。

 

 世界で一番大事な存在が、そんな素敵な力をくれたというのならば。

 

 ならば――僕は。

 

 その力を――夜を明ける為に使いたい。

 

 他の誰でもなく――自分自身の、願いの為に。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 圧倒的な力だった。

 

 安倍晴明の最強の式神『十二神将』筆頭である『貴人』――羽衣(うい)

 

 妖怪任侠組織『百鬼夜行』総大将――ぬらりひょん。

 その右腕であり、かつて四国の妖怪組織を纏め上げた逸材――刑部。

 雪女の里である雪隠郷における『三白』が一角の後継者――白夜。

 さすらいの用心棒として妖怪界にその名を轟かせる一匹河童――長谷川。

 

 そして、経験は浅いが輝く才能を持つ二代目派閥たる面々。

 ぬらりひょんの息子――鴨桜。その傍付きである士弦、月夜、雪菜。

 

 総勢――九体。

 揃いも揃って曲者揃いの九体もの妖怪が、一斉に攻撃を仕掛けて、一蹴された。

 

 手も足も出ないとは、正にこのことだった。

 

 羽衣の狐火も、白夜の氷弾も、長谷川の水砲も、まるで届かず。

 刑部の牙も、士弦の糸も、雪菜の氷刃も、月夜の爪も、見事に弾き返され。

 

 そして――姿を気取られない、殺意すらも気付かせない。

 ぬらりひょんの奥義も、鴨桜の白刃も――狐の尾は、全てを防いだ。

 

 九尾の妖狐。

 その力を取り戻した――妖怪王の器は、百鬼夜行を瞬く間に壊滅させた。

 

「口程にもないとは、正にこのことですねぇ」

 

 死屍累々。

 そう称するしかない地獄絵図が、目の前に広がっていた。

 

 立っているのは、立つことが出来ているのは、九本の尾を広げる――化生の前しかいない。

 

 いや、その狐以外に――もう二体の妖怪。二人の――童。

 

「……何で――」

 

 山小屋の影に隠れていた少年は、そう呆然と呟きながら、一歩、前に出た。

 

「だ、ダメ! 平太、駄目よ! 出てはダメ!!」

 

 必死に平太の服を引っ張って詩希が止めようとするが、まるで引き寄せられるように、平太は化生の前に向かって言う。

 

「何で……こんなことを、するんですか?」

 

 己の目前に、尾が届く範囲内にむざむざと現れた無力な少年に。

 

「ん――今、何か言ったの? ボウヤ」

 

 化生の前は、その妖しい笑みと――濃密な妖力を向けて問う。

 

「ひっ――っっ」

 

 それだけで、詩希は尻餅を着き、ガタガタと震えて動けなくなる。

 

 当然だ。

 狐の姫君――化生の前の、覚醒した今の妖力は、あの百鬼夜行の幹部達ですら、恐怖で動けなくなる程の濃度。

 

 何の戦闘経験もない、妖怪になりたての只の童が、直接向けられて抗えるようなものではない――その筈、なのに。

 

 平太は、歯を食い縛って、一歩だけ足を引いて――けれど、それだけで、尻餅も付かず、膝も折らず、顔すらも上げてみせながら、化生の前に向かって叫ぶ。

 

「なんで――こんなひどいことが出来るのかって聞いてるんだ!!」

 

 その叫びを受けて、詩希は瞠目し――化生の前もまた、目を見開く。

 

(……へぇ)

 

 只の『(いれもの)』だと思っていたけれど。

 座敷童でもない状態で、只の幽霊である状態で、莫大なる『運命の流れ』をその身に宿す『器』として在るこの少年には――何かあるのかもしれないと、化生の前は会話に乗ることにした。

 

「なんでって、聞いていなかったの? 『羽衣(おねえちゃん)』を取り込んで、ついでに『願望機(あなた)』も手に入れて――世界征服をするのが私の目的ですよ」

「……それは聞いていました。でも、僕には、それがあなたの本当の願いのようには思えない」

 

 へぇと、今度は口に出して言って、化生の前は屈みながら――そして、先程まで大人妖怪達を蹂躙していた九本の尾で包み込むようにして、平太と顔を合わせる。

 

 詩希が叫びそうになるが、化生の前は一本の尾の先端を詩希へと向けて黙らせ、平太に向かって優しく問い掛ける。

 

「どうしてそう思ったの?」

「――あなたの言葉には、嘘があったからです」

 

 嘘――その言葉に、化生の前はピタリと、その動きを止める。

 

「……嘘? 何を根拠にそう思ったの?」

「明確な根拠があるわけじゃないです……。でも、あの言葉だけは、間違いなく嘘だと断定できる」

 

 葛の葉――いえ、化生の前さん。

 平太は強く、勇気を込めて、そう呼んだ。

 

 その瞳に――そして、確固たる意志で、口に出した言葉に。

 

「あなたの……本当の願いは――」

 

 化生の前は、その時――確信した。

 

 この子は――()()だ。

 例え、願いを叶える器だとしても――それを、木っ端微塵に破壊してしまうことになっても。

 

 ここで殺さなくてはならない。今、ここで、消さなければならない。

 

 平太という、どこにでもいる、ありふれた座敷童もどきの幽霊は。

 

 きっと、将来――()()()()()()()()()()()

 

 そう考え、詩希に向けていたそれも戻して、計九本の全ての尾で以て、平太を母と同じように圧し潰そうとして――。

 

「――――やめろ」

 

 死屍累々と化した戦場の中で、ゆっくりと――鴨桜が立ち上がった。

 

 既に満身創痍であり、まともに立ち続けることも出来ないが、それでも――その目は、ギラギラと血走らせながら、化生の前を睨み続けていた。

 

「鴨桜さんッ!」

「あら? あなた、まだ息があったの?」

 

 平太が叫び、詩希の瞳にも希望の光が灯る。

 

 まだ――終わっていない。

 もしかしたら、ここからどうにか出来るのだろうか。

 

 物語のような奇跡が起きて、一発逆転の展開が起きるのだろうか。

 

 そんな童女の希望を、化生の前は一笑に伏せる。

 

「無理しない方がいいんじゃないかしら。どうせすぐに死ぬのだから」

「――――え?」

 

 詩希の戸惑いの言葉にも取り合わず、化生の前は淡々と告げる。

 

「まだかろうじて息があるのは、あなたと――あなたのお父様くらいかしら。お姉ちゃんはこれから私が取り込むから辛うじて生かしてあるけれど、他の奴等はみんなとっくに死んでいるわよ」

 

 詩希は、まるで錆び付いた人形のように、辺りを見渡す――血の海のように、真っ赤に染まった世界を見渡す。

 

 刑部、白夜、長谷川。

 百鬼夜行の幹部として圧倒的な実力と経験を誇っていた妖怪が死んでいる。

 ピクリとも動かず、それでも最後まで抵抗し続けた末路か、全身がぐちゃぐちゃになった状態で無残に死んでいる。

 

 士弦、雪菜、月夜。

 常に鴨桜の隣にいた驚異的な潜在能力を誇っていた若き卵達が死んでいる。

 赤き月が昇る前、今朝にも一緒に話をした彼も、言葉を交わした彼女も、笑顔を向けてくれた彼女も、恐怖に表情を歪めて泣き喚いた顔のまま残酷に死んでいる。

 

 死んでいる――死んでいる。

 

 本当に、疑いの余地なく――容赦なく、亡くなっている。

 

(な、なんで――なんで――)

 

 分かっていた筈だ。

 確かに、自分達は守られてばかりだったけれど、それでも、この夜、ずっと――地獄と化した、平安京の中を逃げ回っていたのだ。

 

 分かっていた筈だ――これが戦争だということ。

 あれだけ死んでいたではないか。人も、妖怪も、区別なく、慈悲もなく、そこかしこで死んでいたではないか。

 

 何故――自分の周りの世界だけは、平穏無事で済むと思っていた?

 戦いが起きても、苦戦したとしても、たとえ大怪我を負ってしまっても。

 

 それでも死ぬことはないと――何処かで、そんな風に高を括っていたのか。

 

 自分にとって大事なものは、みんなが大事にしてくれるのだと、そう平和にも思い込んでいたのか。

 

(大事――そっか。もう、とっくに――)

 

 詩希にとっては、平太こそが全てで――それだけが、自分の守りたい世界だと思っていたけれど。

 

 いつの間にか――世界は広がっていて、大事なものは増えていて、なくしたくないものが、多くなっていて。

 

 でも――それに。

 

 なくなってから気付くという――ありふれた、それは悲劇だった。

 

「ああ。だからテメェも殺してやる」

 

 鴨桜は、真っ暗な声で、同じくらい淡々と――感情を感じさせない、殺意だけが詰まった声で返す。

 

 大事なものをぐちゃぐちゃにされて。

 なくしたくないものを全部奪われて。

 

 それでも――これ以上は奪わせないと、とっくの昔に取り返しがつかなくなっていることに、だからこそ、抵抗して。

 

「これ以上……俺の大事なものに手ぇ出すんじゃねよ!!」

「子供ね。これが戦争だということに、自分の言葉がそのまま自分に返ってくることに、まるで気付いていないのかしらね」

 

 どんな育て方をしたの、お父さん――そう、化生の前は、静かに、ゆっくりと立ち上がりながら、それでも、鴨桜と同じく、その目は殺意に満ちている眼差しを己に向ける、ぬらりひょんへと問う。

 

 だが、ぬらりひょんは、鴨桜のように言葉は返さず、ただ殺意の篭った眼差しを化生の前に――そして、そのすぐ傍に居る、平太へと向けた。

 

(な、なんで――何で、平太を)

 

 そんな目で見るのかと、詩希は恐怖と戸惑いを覚えるが――平太は、ぬらりひょんのその視線に気付いているのかいないのか、視線を化生の前に、鴨桜に、そして羽衣にと、せわしなく移しながら、己の思考を纏めようとしている。

 

「まぁ、でも、子の不出来は親の責任ね」

「……それは……何じゃ?」

 

 新しい自己紹介かの? ――ぬらりひょんの言葉に、化生の前は表情を無くし。

 

 次の瞬間、ぬらりひょんの身体を狐の尾が貫いた。

 

「親父ぃぃぃいいいいいいいいいいい!!!」

 

 間違いなく致命傷の攻撃を喰らった父の下に息子が駆け寄ろうとするが、ぬらりひょんは「――――来るなッ!!」と、血と共に咆哮を吐き出し。

 

「テメェは、テメェの家族を守りやがれっっ!!」

 

 家族を守れと、そう父親に命じられた息子は。

 

 歯を砕かんばかりに噛み締めて――その力を入れた足の方向を、父から、童と、急転換させて。

 

「――――ッッ!!」

 

 父と同じく、どてっ腹にどでかい風穴を、狐の尾によって開けられた。

 

 平太を守るように、狐からの盾として、その身を捧げながら。

 

「――――鴨桜……さん…………ッ」

 

 ごふっ、と。鴨桜の口腔内に血が溢れ、零れたそれが、平太の顔に掛かっていく。

 

 だが、平太は、表情を歪めるばかりで――それを拭おうともせず、鴨桜に向かって謝罪の言葉をぶつけていた。

 

「……ごめん……なさい……鴨桜さん」

 

 化生の前が無表情に、そのまま鴨桜ごと平太を殺そうとするのを「――待ちなさいッッ!!」と、羽衣が血まみれで立ち上がりながら叫び止める。

 

「彼等を殺す前に――私を取り込みなさいな!! あなたの優先目的は私でしょう!! さもなくば――あなたが彼等を殺している間に、私はこの身体を木っ端微塵に吹き飛ばして死ぬわよ!!」

 

 羽衣の言葉に、表情を消していた化生の前は「……それもそうね」と口元だけ微笑んで言う。

 

「何を企んでいるかは知らないけれど、あなたを取り込んだ時点で、あなた達の勝機は間違いなく潰える」

 

 奇跡でも起こらない限りね――と、化生の前は、それでも平太を冷たく見据えながら。

 

 鴨桜の身体から尾を引き抜き、そのまま羽衣の下へと向かう。

 

 倒れ込む鴨桜の身体を平太は受け止め、支えようとするが、支えきれずに膝を着いて、そのまま鴨桜の血を全身で浴びることになる。

 

「……ごめんなさい……鴨桜さん。僕が、もっと早く――」

 

 でも、僕は――そう言って、血色の涙を流す平太に。

 

「…………悪いな、平太。……結局、俺は――お前に何もしてやれなかった……ッ」

 

 必ず守ると誓いながら、結局――出来たのは、こうして肉の壁になることだけ。

 

 もう二度と、冷たくなる家族の身体を、平太に抱かせないと誓ったのに。

 

 それでも、鴨桜は――今度こそは、この言葉を贈ると、最期の力を振り絞って。

 

「………平太。――――――生きろ」

 

 鴨桜は、決して、お前のせいだとは言わなかった。

 

 なんでお前だけと――呪わなかった。

 

 血塗れの身体を押し付けながら――少しでも、温もりを残そうとするかのように。

 

 愛を――伝えるように。

 

「――――幸せになれ」

 

 そして、妖怪大将を継ぐモノ、ぬらりひょんの息子――鴨桜という半血の若者は。

 

 平太を抱き締めたまま――眠るように、息を引き取った。

 

 羽衣をも取り込むことに成功したのか、化生の前の高笑いが響く中で――平太は、鴨桜の影に隠れたまま、自分の手を握ってくれている詩希に向かって言う。

 

「……………詩希」

「……なあに?」

 

 詩希は、ただ、ギュッと強く、平太の手を握る。

 

 鴨桜の胸の中に顔を埋めたままの平太が、強く、強く、自分の手を握り返してくれるのを感じながら、努めて優しい言葉を返す。

 

「……僕は、ずっと、ずっと考えていたんだ。僕の中にはどうやら、何でも叶える不思議な力があって。……どうすれば、この力を、最も上手く使えるのかって」

「…………うん」

 

 座敷童見習いの詩希が、平太を救う為に手繰り寄せ続けた――『運命の流れ』。

 

 やがてそれは、世界の法則すらも歪める力となり、遂には妖怪王を狙う狐の姫君にすら目を付けられるものになってしまった。

 

 それでも――肝心な平太自身には、その力の使い方も使い道も分からなくて。

 

 でも――これが、とても重要なものだとは理解出来たから。

 

 この戦争中、ずっと、平安京の中を逃げ回りながら、平太は己の中の力に対して分析を続けていた。

 

 それでも――結局、答えは出なくて。

 

 出した答えに――向き合うことが出来なくて。

 

 自分自身で、それを選び取ることが、どうしても――出来なくて。

 

「……でも、いいのかな? 選んでも。詩希がくれた、こんなにもすごい力を――僕の、身勝手な……傲慢な、願いを――叶える為に、使ってしまっても」

 

 僕が、望む――幸せな未来を、手に入れる為に。

 

 世界を――歪めて、しまっても。

 

「――もちろんだよ」

 

 詩希は、血塗れで、涙塗れの平太に――花が咲くような笑顔を向ける。

 

「私は、平太を幸せにするために――ずっと、そう願って、それだけを思っていたんだから」

 

 だから――いいの、と。

 

 詩希は平太を肯定する。

 平太の願いを、平太の欲望を、平太の傲慢を、平太の自己肯定を――その全てを許容する。

 

「あなたが生きていていいって。あなたが幸せになりたいって。そんな風に思える世界を創る為だったら」

 

 私は――何でもするよ、と。

 

 そう言って、死体に隠れながら、ふたりの童は抱き合い。

 

「……ありがとう。力を貸して、詩希」

「いいよ。私の全部――平太にあげる」

 

 ずっと、ずっと、一緒だよ。

 

 そう言って、ふたりは――幸せになる為に、口付けをした。

 

「――――ッ!!?」

 

 化生の前がそれに遅まきながら気付き、鴨桜の死体に――その中にいる童を殺す為に尾を飛ばすが間に合わない。

 

 こうして――『箱』は、その蓋を開いた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そして――世界が、歪み始める。

 

 

 

 

 




用語解説コーナー84

・黄金の拳

 星に選ばれた戦士の中でも、藤原秀郷と安倍晴明は、正しく枠から外れた特別製の戦士である。

 安倍晴明には明確な役割を『星』は与えたが、秀郷には特別な干渉はせず――ただ、その戦士としての格別な性能のみを与えた。

 その『力』は、正しく怪異に対する人間の『切札(ジョーカー)』である。
 どんな怪異であろうと、その退治方法をすぐさまに導き――『高位存在』たる『龍』殺しにすら至った彼は、正しく反則たる戦士だった。

 そして、彼は最後の瞬間――魔人の黒炎すら操作するまでに辿り着いた。

 もし、何か一つ、因果が違えば。

 母なる『星』が、『人間』の切札として用意した彼という戦士が――魔へと堕ちる、そんな世界線が存在したのかもしれない。

 もし、そんな未来が訪れてしまったならば――それは、どんな鬼よりも、どんな妖怪変化よりも、どんな怪異よりも。

 もしかすれば、龍よりも、魔人よりも恐ろしい――『星人』へと、成り果ててしまうのかもしれない。
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