結論からいえば、平太はどんな不可能なことも可能にする万能の願望機などではない。
むしろ、出来ることは限られている、極めて用途の少ない奇跡の箱だ。
なにせ――平太自身に関することにしか、その効力を発揮しないのだから。
よく考えてみれば至極当然のことだろう。
そもそもは、詩希が平太を幸せにする為に、手繰り寄せた運命の流れの結晶体なのだから。
詩希自体が決して洗練された座敷童ではなく、むしろ未熟極まりない座敷童見習いであることも加味すれば。
誰しもが簡単に望むように世界を変えられる願望機など実現できる筈もない。
だからこそ、安倍晴明や藤原道長は、戦争の後始末に平太を利用しようなどとも考えず、月の黒い球体に手を伸ばしたのだ。
他ならぬ平太自身も、この戦争の最終局面に至る前に、その事実には思い至っていた。
これまでに聞いた座敷童という妖怪の異能の仕組み、運命の流れとやらの性質を踏まえた上で――恐らくは、平太という存在に関することでしか、その奇跡とやらは発動しないのだろうと。
だが、しかし、それ故に――平太は思い悩んだ。
例え用途は限られているとはいえ、それでも奇跡の力には変わりない。
不可能を可能にするという、大層な名分の恐ろしい力を。
あろうことは、自分事などに使ってしまってよいのかと。
だからこそ、必死に考えた。
どうにか上手く帳尻を合わせて、使い方次第で、叶え方次第で、願い方次第で、もっと相応しい使い方が出来ないかと脳内で模索し続けた。
使い方によっては、この『力』はどんな状況も引っ繰り返せる切札になり得るだろう。機会はたった一度しかない。
それに――何より、自分なんぞが。
(僕なんかが――――――僕、なんかが)
ずっと、お前なんかと言われてきた。
お前のせいだと、お前のせいだと、存在を否定され続けてきた。
痛みと共に、罵倒と共に、自分の存在を否定され続けてきたのだ。
なのに――――だけど。
――――幸せになれ。
いいのだろうか――望んでも。
――いいんだよ。
許されるのだろうか――願っても。
――だって、その為の力なんだから。
こんなにも素晴らしい力を。こんなにも暖かい力を。
あろうことか、僕なんかの為に。
僕なんかの願望の為に。僕なんかの幸福の為に。
世界の法則を無視して――歪めてしまっても。
――ずっと、一緒にいるから。
右手が――暖かい。
この温もりがあれば、なんだって出来る気がした。
+++
「ならば、かかってきなさいな。私が此処を、あなた達の終着点にして差し上げましょう」
空間が歪むような、圧倒的な妖力。
その中に、紛れ込むように――――平太は、ほんの少し前の、過去へと帰還した。
空間が歪む――世界が歪む。
未来ではなく、
不可能を可能にし――世界の法則を捻じ曲げる。
運命の流れを――変える。
(……本当は、もっと相応しい改変点があるのかもしれない)
けれど、この力はあくまで平太自身に関する事象しか変えられない。
未来に渡る方法はいくらでもある。
安倍晴明が藤原秀郷や酒吞童子らにしようとしているように封印するという手もあるし、究極的なことをいえば光の速さを超える移動をすれば未来には行くこと自体は可能だ。
しかし、過去に戻ることは出来ない。
過去は無数の選択の末に出来上がっている代物だ。
故に無限の可能性が存在し、その中の一つの時点を恣意的に選択して渡ることは――正しく奇跡の御業だ。
だからこそ、例え、不可能を可能にする『箱』の力でも、どこまでの過去を遡れるかは分からなかった。
遠い過去になればなる程、逆行することになる可能性の枝は膨大となり、その中の一つの点に正確に渡るのは難しくなる。
故に――ここなのだ。
もっと相応しい
もっと悲劇を減らせることは可能なのかもしれない。
もっと、多くを、劇的に、救える変換点はあるのかもしれないけれど。
それでも、これは――平太の為の力だから。
平太の力で、掴み取らなくてはならないものだから。
だから、平太は――今度こそ、勇気を出して。
自分の力で――戦争を挑む。
「――――嘘、ですよね」
化生の前が抹殺を宣言し、羽衣が高らかに一行の戦意を高める鼓舞をする――その間に、挟まるように。
自らの小さな体を、戦場へと、乗り出すように。
平太は――真っ直ぐに、狐の姫君へと言った。
「え――――」
誰もが絶句する。
鴨桜が、ぬらりひょんが、羽衣が、そして化生の前が。
中でも詩希は、正しく顔面蒼白で――絶望と共に少年に手を伸ばしているけれど。
平太は、そんな詩希に、安心させるように笑みを向けて、その手を離す。
行ってくる、と。
自らの幸福を獲得する為の、生まれて初めての能動的な戦いに出る少年は。
必ずまた、この手を掴みに戻ってくると、そう笑みだけで伝えて――前を向き、足を進める。
「……嘘? 一体、なにが嘘だと言うのかしら、ボウヤ?」
平太、下がれっ! ――と鴨桜が叫ぶが、そんな平太に冷たい汗が流れた笑みだけを向けながら、少年は相向かう。
妖怪王の器。狐の姫君。
座敷童にすらなれなかった幽霊少年とは、天と地ほどに、地上と月ほどに
空間が歪むような妖力を前に、呼吸が詰まる――だが、平太は、それでも大きく息を吸う。
これまでずっと守られてきたのだ。ましてや一度は、この場に居る全員を見殺しにしてしまった。
空間が歪むくらいなんだというのか――こっちは、世界を歪ませて、此処に立っているんだ。
「明確な根拠があるわけじゃないです……。でも、僕はずっと、他人を観察して生きてきました。……結局、死んでしまったけれど。それでも、一つ、分かった……確かなことは――」
誰しも、必ず――嘘を吐く。
けれど――そこには、願いが込められている。
こうなればいいのに。こうでなければいいのに。
平太は、ずっと――そんな『弱さ』を、観察しながら生きてきた。
「あなたは、葛の葉を取り込んでから、やたら己を『葛の葉』だと自称することに拘っていた。まるで、そうしなくてはならないみたいに。まるで――そうしたくないと、思っているみたいに」
最強の妖怪の『弱さ』を、最弱の妖怪が暴く。
平太の言葉に、表情を消した化生の前が、唐突に尾を飛ばした――まるで口を封じるが如く。
だが、それを即座に平太を庇うように前に出た鴨桜の白刃が弾き飛ばした。
「ハッ! どうした!? 力の大きさの割には軽い攻撃だな、おいっ!!」
鴨桜さん! と叫ぶ平太に、鴨桜は背中を向けながら叫ぶ。
「よく分かんねぇが、お前の言葉は効いてる! ガンガンぶつけろ!! お前のことは、俺達が必ず守る!!」
化生の前が放つ追撃の尾を、今度は士弦の糸が、月夜の爪が、雪菜の氷壁が弾いた。
百鬼夜行の若頭組が、全員で平太を囲むようにして守る。
平太は、彼らの背中に鼓舞されるように、そのまま全力で言葉の弾丸を大ボスにぶつける。
「あなたは――『葛の葉』が怖いんでしょう。あの恐ろしい『母親』が――怖くて、堪らないんだ」
だけど、それでも、あなたは『葛の葉』でなければならなかった――そんな平太の口を、強制的に塞がなくてはならないとばかりに。
「黙れ、
化生の前が力任せに尾を振るう。
それを、背後からの攻撃が吹き飛ばした。
「――――っ!!」
犬神の爪が、長谷川の水弾が、白夜の氷刃が、化生の前を囲むようにして攻撃を仕掛ける。
しかしそれはダメージを与えようというものではなく、狐を牽制しようというもの。
今、化生の前を追い詰めているのは、無双の英雄の剣ではなく――無力な幽霊少年の言葉だった。
「あなたは、明らかに、『葛の葉』の『愛』を恐れていた。それでも、あなたは『葛の葉』にならなくてはならなかった。母を取り込み、葛の葉を継いだ以上は――妖力も、寿命も、記憶も――そして『愛』も。あなたは、何もかも、葛の葉にならなくてはいけなかったから」
「――――ッッ!!! それ以上――」
口を開くなッッ!!! ――そう叫ぶ化生の前の顔は、もはや恐怖に満ちていた。
自分よりも遥かに格下、自分が取り込んだ配下の下級妖怪達にすら足下にも及ばない低級怪異に――妖怪の王の玉座に腰を下ろし掛けていた怪物は、明確に恐怖している。
狙いが定まらない。身に付けたばかりの強大無比な力が上手く込められない。
それでも――怖くて。恐ろしい何かを消したくて――無理矢理に振り降ろした尾は。
自分のものではない――狐尾に止められた。
己を追い詰める恐怖の象徴を、守るように。
己と同じ九尾の妖狐が立ち塞がる――自分と同じ――『葛の葉』と、同じ。
「――――っっ!!」
己が恐れる『
「あなたは理解している。見ない振りをしているんだ。その、恐ろしくて堪らない答えを。認めてしまったら――全てが、終わってしまうから」
化生の前は葛の葉を取り込んだ。
それはつまり、妖怪・『葛の葉』の全てを引き継いだということ。
妖力も、権能も――そして、呪いも、繋がりも。
だが、化生の前にとって、それは誤算だった。
葛の葉が死に、それを化生の前が受け継ぐ――その、ほんのわずかな隙間で。
かの魔人が――意識を取り戻したこと。自我を取り戻したこと。
それはつまり、繋がりが一方通行ではなくなったということ。
葛の葉と将門の繋がりは――『葛の葉』と『将門』だからこその繋がりであり、『呪い』の絶対的な前提条件は、『愛』である。
もし、それを受け入れてしまったら。もし、それを自覚してしまったら。
魔人はそれを確実に認めない。そして、今の魔人は、それを確実に――察知するだろう。
だから――言うな。突き止めるな。私に、突き付けるな。
その恐怖を。その拒絶を。認めてしまったら。向き合ってしまったら。
だから――お願い、だから。
「……言わないで…………っ」
そんな、最強の妖怪の弱さを。
最弱の少年は――真っ直ぐに、指差し、暴く。
「――――
それは、きっと、平太だからこそ気付けた真実。
親という存在を恐れて、それでも親を愛そうとして――どうしても、出来なくて。
それでも愛さなくてはならなくて。そんな自分から、目を逸らさなくてはならなくて。
だけど――それでも。
いつかはそれを、突き付けられる時が来ると、誰よりも知っているから。
「
平太の隣に駆け寄ってきた詩希が、平太の右手をギュッと握る。
それを――化生の前が、はっきりと、目撃してしまった時。
化生の前の身体が、黒い炎に包まれた。
+++
黒い炎に包まれる――その激痛が、一瞬で消失した。
消火されていないのに、消失した。
感じるのは、自分の首の中に――自分の身体の中に――自分の生命の中に、ゆっくりと入り込んでくる牙の感触。
搾り取られている。吸い取られている。何もかもを、抜き取られている筈なのに――入り込んでくる。
自分ではないものが。世にも恐ろしいものが。
何もかもを塗り替えて、造り変えて――生まれ変わっていく。
自分と言う『器』が急速に満たされていく。
いや、中身が置き換わっていくというのが正しいか。
抜き取られて――満たされていく。
自分という『人間』が消え――別の『何か』が、生まれていく感覚。
これが――吸血。
吸血鬼の、生殖行動。
「――――ッ!!」
紅蓮髪の美女を首元に置きながら、京四郎は左手を差し出した。
黒炎に包まれた左腕。
否、既に全身が、こんな自分に抱き着いているリオンまでもが、全身漏れなく黒炎に包まれている。
焼かれ、黒焦げになり――そして、再生する。
再生している。人間のように瑞々しい肌が黒炎の中に生まれている。
人間のような左腕が、黒炎の薙刀を受け止め、握り砕く。
黒く燃え、黒く焦げ――そして、再生する、人間の腕。
人間ではない――何かの腕。
「――――」
首の右側にリオンが噛付いていたので右腕は振り抜けない。
だから左手を振るった。
黒炎の薙刀を砕いた左手を、その残骸を放り投げるように振るった。
それだけで、黒炎の湖に波紋を広げるような衝撃波が発生した。
自分に接近していた魔人が、再び黒炎の湖へ放り投げられる。
確かに京四郎は英雄だった。
呪力で強化していた肉体性能は常人の比ではない――だが、これは、更に、その比ではない。
英雄など比ではない何か――英雄などよりも遥かに凄まじく、悍ましい何かに。
今――京四郎は、生まれ変わっている。
英雄だった人間は死に――別の何かに、生まれ変わっている。
「…………おい、リオン。これは――何だ?」
「ぷはっ! ごちそうさま!」
あぁぁぁぁ――美味しかった、と。
リオンは、本当に恍惚に――けれど、どこか、影のある表情で、顔を上げる。
「生まれて初めてだけど、うまくいったね。……うん、本当に、運命だって思うくらい」
相性ばっちし――と、妖艶な微笑みを、京四郎の肩に顔を乗せながらリオンは言う。
「いや、勝手に満足してねぇで、説明をしろ。これは何だ――俺は、一体」
黒く燃える身体――白く再生する身体。
不死身の――身体。
俺は、何に堕ちた――と、己の身体から離れた紅蓮髪の美女に問う。
「何かと言われれば、吸血鬼だよ」
そう、あっさりと暴く。
たった一つの残酷な真実を。
逃げも隠れもせず――誤魔化しも慰めもせず、堂々と。
いっそ、おめでとうとでも、言うかのように。
「…………」
吸血鬼。
それがどういうものなのかは、京四郎は分からない。
深く知ろうともせずに、ただ殺してきた英雄は――怪異殺しとかいうくせに、世界のことを何にも知らない。
だが、鬼という字くらいは知っている。
それが怪物であるということを知っている。
それが化物であるということを知っている。
それが、人間ではないものを指す言葉なのだとは――知っている。
つまり――自分はもう、人間ではない。
英雄ではなかったことは分かった。時を越えて、百年以上も生き延びた分際で、いまさら常人面をするつもりはない。
だが――不死身になるつもりなどなかった。
後悔もあった。使命を遂げられない無力感も学んだ。
だが、だからといって、死にたくないとは言ってない。
不死身の魔人を止めに来たのに、自分が不死身になってしまって――どうするというのか。
「――何で、こんなことをした」
首筋を摩りながら――黒く燃え、黒く焦げ、それでも綺麗に再生する肌の中で、いつまでも消えない、いつまでも癒えない、その二本の牙がどっぷりと己の中に入った証である、その牙痕を摩りながら、京四郎は問う。
それは、これまで感情というものを知らなかった、これまで激情というものを知らなかった京四郎という男が、リオンに対して初めてみせる――怒りでもあった。
何で、こんなことをした。
なんてことを、してくれたのか、と。
「…………なんで、だろうね」
うーん、分かんないや――と、リオンは天を見上げる。
ゆっくりと、こちらに向かって落ちて来るような、赤い月を見上げる。
「生殖本能――なんてものでは、ないと信じたいけれど」
「ふざけんな」
「……うん、本当にそうだよねぇ。ふざけんなだよねぇ。――自分で滅ぼしておいて、いまさら絶滅させるのが怖くなった、なんて『弱さ』じゃ、ないとは思いたいねぇ」
いや、弱さじゃなくて――これこそ、逃避か。
そう呟きながら、リオンは。京四郎から、ゆっくりと距離を取る。
「――うん、ごめんね。本当にごめんね、京四郎。でも、君に――死んで欲しくなかったのは、本当だ」
それだけは、僕の、本物の気持ちだと信じたい――そう言いながら、更に一歩下がって、リオンは、真っ直ぐ前を指差した。
「言いたいことは、後でいくらでも聞く――恨みも、憎しみも、何なら殺意も、全部、ちゃんと受け止めるから。でも、今は――」
アレの相手をした方がいいんじゃない、と――リオンの指差す先には、黒炎の湖に佇む魔人が居て。
京四郎は、リオンから、魔人へと、その身体と目と意識を向けて。
「――ちゃんと、してきなよ」
言いたいことは山ほどある。恨みも、憎しみも、もしかしたら殺意も、あるのかもしれないけれど。
確かに、今は、やらなくてはならないことがある。
京四郎の物語は、あと、ちょっとだけ、続くらしいから。
だったら――果たせなくなった筈の責任を、もう少しだけ、全うしなくてはならない。
「…………」
京四郎もまた、黒炎の湖へと足を踏み入れていく。
全身が更に勢い良く黒く燃え上がる。
黒く燃えて、黒く焦げて――それでも綺麗に、再生する。
(――現実感がない。……実感が、ない。痛い筈なのに、苦しい筈なのに――それでも、何も感じないに等しい)
それこそ、深い水の中にいるかのようだった。
全てが遠く聞こえる。ぼんやりと歪んでいるようだ。
世界が、急に、歪んでしまったかのような。
「…………」
魔人はピクリとも動かない。まるで飾られた鎧武者のように。
京四郎もまた、重い足取りだった。
自分の身に起こったこと。自分の世界に起こったこと。
死んだと思っていた自分が生きていて。
終わったと思っていた物語が続いていて。
どれだけ時間が掛かったのかは分からない――それでも、きっと。
今度こそ、ここが終着点だと。
京四郎は――平将門の前に辿り着く。
【…………】
将門は、何も言わない。
黒く燃え――白く戻る男に、何も言葉を発さない。
だから、先に、京四郎が――口を開いた。
「――お前の勝ちだ、
黒く燃えながら、白く戻りながら、そんな自分を見詰めながら――京四郎は、力無く言う。
「人間は――人間のままでは、俺はお前に勝てなかった」
英雄として、魔人を、止めることは――出来なかったと。
黒く燃えながら、京四郎は白旗を挙げる。
「――それでも、俺はお前を止める。そんな資格は、もう俺には無いのかもしれないけれど」
元・英雄として――元・人間として。
英雄失格でも、人間失格でも――それでも、自分は、託された身だから。
時を越えて、魔人を止めろと――せめて、その願いには、応えたいと思うから。
もう、それくらいしか――報いることが出来ないから。
「――悪いな、将門」
京四郎は、平将門に、そう謝罪した。
罪を――謝った。
それは、もはや人間ではないくせに、自分も人間ではないくせに、人間面をして――魔人を止めようとする傲慢になのか。
それとも――真剣勝負に、男と男の勝負に、とんでもない
京四郎は、こう言っているのだ。
もう、
もう――
ここから先は只のエピローグで、只のモノローグ処理で、只のダイジェストで、只のナレ死だと。
物語は――ここで、終わりだと。
【――謝るな。卑しめるな。英雄よ】
遂に、その、重い口を開いた魔人は。
京四郎を、それでも――英雄と呼び、言う。
【それこそが――愛の力だ。愛の力で、魔を滅ぼす貴様は――】
紛れもなく――英雄だ。
そう、重く呟きながら――魔人は英雄に拳を放った。
「――――ッ!」
重い拳だ。黒炎の魔力が存分に乗った拳。
京四郎は顔面を抉られ、下顎を粉砕されて――だが、それも黒い炎の中で再生する。
復活した新品の下顎を――歯を食い縛って雑に使用しながら、京四郎もまた拳を返す。
「――――っ!?」
京四郎の拳は、これまでとは比較にならない威力だった。
先程の、あの時の己の全てを込めた拳でも吹き飛ばすことが精一杯だった魔人の胴体を――破砕した。跡形もなく、どでかい穴を開けた。
只の、反射的に放ったカウンターの拳でだ。
改めて――自分がどれだけの怪物になってしまったのかを自覚して、表情を歪めるが、すぐにそれは疑問に変わる。
魔人の身体が――再生しない。
これまでどんな大怪我も瞬時に回復していた将門の不死力が――低下している。
完全に回復しなくなっているわけではない。
身体にどでかい穴が開いても即死していないし、動いている――戦っている。
だが、明確に、その傷の治りは遅く――死は近付いている。
(『祠』の中に行った
不死身になってしまった英雄。
不死身でなくなり始めた魔人。
拳と拳の語り合いは、拳と拳の壊し合いは――着実に、明確に、終わりへと近付いていく。
「…………」
決着は――近い。
用語解説コーナー85
・葛の葉の呪い
平将門の不死の呪いは、葛の葉との愛で繋がっている。
愛する人に永遠に生きて欲しい――そんな愛で、葛の葉は将門に呪いを掛けて、そんな愛を受け入れたからこそ、将門はその呪いを享受している。
つまり、将門は愛する葛の葉の呪いだからこそ――魔人であることを受け入れて。
だからこそ――もし、その呪いの繋がる先の妖怪が、己は葛の葉ではないと、そう自覚してしまったら。
己が葛の葉ではないことに――己が葛の葉であることへの恐怖に、嫌悪に、逃げられなくなった時。
その呪いの黒炎は――果たして、何処に向かうのか。
そのたった一つの真実を――最強の妖怪の弱点を、最弱の妖怪もどきは暴き出した。
黒い炎が支配した戦争――その終わりは、もうそこまで迫っている。