比企谷八幡と黒い球体の部屋―外―   作:副会長

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嫌がらせだけは、させてもらう。


妖怪星人編――86 狐の呪い

 

 真っ暗な世界で、首から血を噴き出しながら死んでいく青年を――源頼光(みなもとのらいこう)は眺めていた。

 

 助けようとしても無駄だ。

 これはあくまで心の比喩の光景。青年の身体も、突如として現れた刃も、青年の心象風景の一部でしかない。

 

 だから、青年は――自害しただけだ。

 自分の心を、自分で壊した――自分で殺した、それだけのことだった。

 

(――そんなことが、可能なのか)

 

 心は体と違って実体がない。

 だから、どんな人間であっても、どんな英雄であっても、どんな妖怪であっても――それを自由自在には扱えやしない。

 

 守ろうと思って――守れるものではないし。

 

 壊そうと思って――殺そうと思って――そう出来るものではない、筈だ。

 

(……いや、この者の心は、とっくに壊れていた。とっくに殺されていた。これまでは、ただ、どうにか――繋ぎ止めていた、だけなのか)

 

 ばらばらに壊れていた心を、ずたずたに殺されていた心を――ただ、どうにか、繋ぎ止めていただけ。

 

 必死に掴んで、力任せに整えて、それっぽい形を、繕っていただけ。

 

 そして、青年は、今――それを離したのだ。

 

 手離した――だが、それは、捨てたのではなく、渡したのだ。

 

 覚悟を決めて――諦めではなく、疲れたからではなく――繋ぐ為に。

 

 殺す――為に。

 

 家族の仇を取る為に――自分自身を、殺したのだ。

 

(……こんな凄まじい戦士の、顔も、名前も――私は知ろうとしなかったのか)

 

 仮にも主であったのに。

 引き連れた部下を――こんな才を持った若者を、認知すらせず、見逃し、見殺しにした。

 

「――――ならば、せめて、今度こそは――主らしいことを、してやらねばならない」

 

 奉公には――御恩を返さねばならないと。

 

 源氏の棟梁は、本来の持ち主が自害した心の核に――己が呪力を注ぎ込む。

 

 主を失い、崩壊しようとしている精神世界で、暗闇を照らす光を放つ。

 

「見るがいい。お主が選んだ『英雄』が」

 

 名も無き青年の『心』――『才能』が。

 

 どれだけの輝きを放つことが出来る――『器』なのかを。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 烏天狗(からすてんぐ)はそれを一目で見抜いた。

 

 青年の身体――全身から噴き出す呪力が跳ね上がっている。

 

 それは明らかに青年の身体の許容量を超えた呪力量。

 心の世界に『同居』している状態ではありえない――本来、烏天狗がそれを目論んでいた筈の『占拠』が実行された証左――否。

 

(己の『操縦権』だけではない――『所有権』すら、手放したとでもいうのか!?)

 

 それも、他者に力尽くで支配されるわけではない――自らの意思で。

 

 自分で自分を殺し、自分の全てを――捧げたというのか。

 

「なんと――――面白いッッッ!!!」

 

 烏天狗は表情をこれ以上なく歪めながら、土蜘蛛の傀儡を差し向ける。

 

「しかし! いくらアナタが完全に所有権を握ろうとも、『身体(うつわ)』が只の凡人(にんげん)であることには変わりはない!! 『源頼光(おとうと)』に斬り刻まれた恨みを、今、ここで『源頼光(あに)』に返すのも一興でしょう!!」

 

 行きなさい、土蜘蛛(つちぐも)!! ――巻物から伸びる糸で傀儡を操りながら烏天狗は叫ぶ。

 

(――そうか。この妖怪を退治したのは……)

 

 見るも無残な骸と成り果てているが、その状態にあって尚――この土蜘蛛という妖怪が生前は途轍もない脅威であったことは容易に想像がつく。

 

 これほどの難敵を――見事に退治せしめる程に、あの『弟』が成長しているということか。

 

(未来は芽吹いてる。そんな後世に、死者が出しゃばり続けることなどあってはならない)

 

 だからせめて――この哀れな骸を道連れに、潔く退場するとしよう。

 

『残念ながら、それは不可能だ。こうして頼りない主が無様に死して尚――私の誇り高い『頼光四天王(かぞくたち)』は』

 

 頼もしく育ち続けている――そう言って、『頼光』は天に手を掲げる。

 

 それを見て、烏天狗も天を仰ぐ。

 

 赤い月が傾き始めている空には、黒い雲が浮かんでいた――バチ、バチと赤い雷が瞬くそれを見て、烏天狗は『頼光』に目を移す。

 

「――――まさか!?」

 

 そのまさかだと、『頼光』は笑う。

 

(あの『雲』を見上げるだけで――坂田金時(あのこぞう)が、どれほど凄まじい戦いを繰り広げていたのかが分かる)

 

 どれほど追い込まれ、どれほどの覚悟で――あそこまで踏み込んでしまったのかが分かる。

 

 恐らくは、目の前の土蜘蛛――それ以上の、遥かなる難敵と戦争を繰り広げていたのだろう。

 

(悪いな、金時。……お前の覚悟を、お前の力を、少しだけ借りるぞ)

 

 天に浮かぶ、赤雷を瞬かせる『赤乱雲(せきらんうん)』。

 本来ならば――金時が『赤龍化』を解いた時点で霧消するものだ。

 

 だが、それがああして、消えずに残っているということは――それほどまでに深い領域にまで『赤龍化』したか――あるいは。

 

(――――だが、そうだとしても。きっと――)

 

 救うだろう。

 自分では出来ないことだが、それでもきっと――救うことだろう。

 

 自分ではない――自分よりも遥かに強い、「源頼光(みなもとのらいこう)」が。

 

『自慢の『弟』達のことを、俺は誰よりも知っている。『赤雷』を生み出すことは出来ないが――それを僅かに導く術くらいは容易いさ』

 

 俺は『お兄ちゃん』だからな――そう微笑みながら『頼光』が使う呪力は、こちらに何かを呼ぶように振る、その右の掌のみ。

 

 そして、それを――渡すように。

 

 こちらに向かって来てくれた赤雷を導くように、投げ渡すようにして、その掌サイズの呪力を、同じくこちらに向かってきていた土蜘蛛に移す。

 

 そして――その呪力を、避雷針のように目掛けて。

 

『ありがとう――俺の誇り高き『英雄(おとうと)』達』

 

 赤雷が――降り落ちる。

 

 烏天狗達が足場としていた屋根と共に、土蜘蛛の傀儡も焼失――消失する。

 

 眩い雷光に目を潰され――気が付いたら、『頼光』は烏天狗の目前に接近していた。

 

(――――ッ!! 巻物が――!?)

 

 何処かで拾い上げていたのか、手に持った矢で貫かれている。鏃に込められた呪力が巻物を燃やす。これではもう土蜘蛛の再召喚は出来ない。

 

(いや、今はそれどころでは―――ッ!?)

 

 土蜘蛛の傀儡を召喚していた巻物を、左手で持っていた矢で貫く『頼光』。

 

 そして、もう片方の――右腕には、新たな刀が握られていて。

 

 英雄の魂が動かす名も無き青年の躰は、既に大きく――振りかぶっていた。

 

「や、やめ――ッ!?」

 

 そして、振り下ろす。

 

 何の力もない筈の只の刀は、『頼光』が最後に残した僅かな呪力を刀身に纏わせており、烏天狗の身体を大きく容易く斬り裂く。

 

「ぐあぁぁああああああああああああ!!!」

 

 紛れもない致命の一撃。

 どくどくと出血し、膝を着いた烏天狗は、荒い息で『頼光』を見上げる――が。

 

「…………」

 

 そこにいたのは――只の青年だった。

 

 何の呪力も感じない、只の抜け殻。

 手に持っていた刀も落とし、呆然と焦点の合わない瞳で、何もない場所を見詰めている。

 

「は……ははは! そう! そうでしょうとも!! 只の人間の身で、赤雷を落とし、巻物を貫き、妖怪を両断する――ここまでやってしまえば、英雄からの借り物の呪力もすっからかんになって当然というものです!!」

 

 つまり、呪力切れ。

 そしてあろうことか、『頼光』は完全に譲られた筈の所有権を――放棄した。

 

 これ以上は、心の核が壊れてしまうという直前で、青年の精神世界から離脱し、元の持ち主に返してしまったのだ。

 

「所詮は『英雄』! 武器の振り方しか知らない素人ですねぇ! 一度、心を壊してまで譲った所有権が――『魂』が! はいそうですかと渡された所で、元に戻るわけがないでしょうに!」

 

 例え、所有権を戻されても、元通りに戻されても――全てが元通りというわけではない。

 

 壊れた心は、殺された心は――もう元に戻らないというのに。

 

 残るのは――只の抜殻だけだというのに。

 

「ですが、正しく私にとっては僥倖ですね。この身体は限界だ。だが、目の前に、これ見よがしに『空き家』があるではないですか!」

 

 烏天狗は、ふらつきながら、壊れたように俯く青年の首へと手を伸ばして――。

 

 青年の手が――先に烏天狗の首へと届いた。

 

「は――」

 

 意味が分からず、呆然とする、烏天狗の――息の根を、止めるべく。

 

「――――っ――――ッッ――――っっっ!!!」

 

 烏天狗の首を締める青年の手が、更に強く、強く締まっていく。

 

「…………空き家………だと――――ふざけるな。ここは――」

 

 僕の――家だ、と。

 

 青年は、焦点の合わない瞳で、何も見えていないかのような目で。

 

 それでも、その手は――――仇を、求めて。

 

 殺さなくてはと、執念で、心を再び――繋ぎ止める。

 

「……………………」

 

 本当に――恐ろしい『英雄(ひと)』だと思う。

 

 身体を貸した代わりに手を貸してくれたけれど――それでも、止めは差さなかった。

 

 最後くらいは、自分でやれと。

 

 そう――後世(こども)を、甘やかさなかった。

 

 必要以上に出しゃばらず、未来に――託した。

 

(僕を――心を――もう一度、奮い立たせる為に……ですか?)

 

 大きなお世話だ。余計な気遣いだ。

 もう、とっくの昔に限界など超えていて、とっくの昔に――終わってくれても、よかったのに。

 

 それでも――甘やかさなかった。

 

 甘えるなと。これ以上、誰かに押し付けず――自分で、やれと。

 

 自分の手で――――仇を、取れと。

 

「――――っ――――――ッッ――――っっっ!!!」

 

 烏天狗は必死に抵抗するが、何も出来ない。

 

 最後に実は『頼光』がまだ僅かに残していたのか――それとも、妹と同じく、僅かばかりに兄にも才能があったのか、青年の手には、絞り出されたように微かにだが呪力が込められている。

 

 既に崩壊寸前だった烏天狗の身体では太刀打ち出来ない。

 ゆっくりと、しかし着実に――妖怪は死に向かっている。

 

 それでも――と、最後の悪足掻きなのか、片翼を羽ばたかせて羽根を飛ばすが、それを刃として青年を攻撃することも出来ない。

 

 ぺちぺちと、まるで無力に、青年の身体を叩くだけだ。

 

「――――ぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 己よりも大きな烏天狗を殺す為に、青年は顔を上げ、雄叫びを上げる。

 

 家族の仇の、最期の断末魔の表情を、己の中に刻み込む為に。

 

 そして、ゴキン、と、その瞬間は、呆気なく訪れた。

 

「――――――」

 

 烏天狗の首が折れる。首が折れれば、普通の妖怪は死亡する。

 

 身体が崩れていく。烏の黒い羽だけが宙を舞い、跡形もなく消えていく。

 

 青年の身体は、最後の力を振り絞ったが故か、腕を下ろすことも出来ず、首を締めた体勢のまま固まっていた。

 

 心が、ゆっくりと、壊れていく。

 

 精神世界の唯一の光源たる、心の核もゆっくりと消えていく。

 

 もしかしたら、もう自分は目覚めることはないのかもしれないと思った。

 

 それでも、仇の断末魔と、命を奪った触感。

 

 そして――家族と同じ場所で死ねるなら、それも本望かと、青年の瞳から光が消えた。

 

 赤雷が堕ち、天井は破れ、何もかもが真っ黒に焦げた世界で。

 

 誰もいなくなった家で。

 

 青年は――烏の羽に包まれながら、天を見上げて、口を開けたまま、まるで死んでしまったかのように、真っ暗に意識を失っていった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 化生(けしょう)(まえ)が――黒炎上する。

 

「がぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 己が『葛の葉』ではないと、はっきりと自認してしまったばかりに発生した――()()()()()

 

 化生の前は、葛の葉の『愛』を引き継げなかったのではない――引き継がなかったのだ。

 

 愛というものが、妖怪を――女を、どれほど醜く、恐ろしくしてしまうものなのかを、この上なく、突き付けられてしまったから。

 

 葛の葉を取り込み、葛の葉を継ごうとした――だが、どうしても、それを引き継ぐことが出来なかった。

 

 気持ち悪くて――恐ろしくて。

 

 それを、たった一人の幽霊少年に突き付けられた。

 

「がぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 黒い炎によって燃え盛る化生の前を目撃して、羽衣(うい)は「――ッ!! みなさん、離れてください!!」と指示を出す。

 

「あれは魔人の黒炎です! 対象を燃やし尽くすまで消えない炎――触れれば黒炎が移ります! 触れないで! 逃げて下さい!!」

 

 化生の前の、葛の葉への拒絶は、呪いの繋がりを通して将門へも伝わったのだろう。

 

 そして――それ故に、将門は。

 

 愛する人を失ったことを――受け入れて。

 

 仇を――討つことを決めた。

 

「……なるほど。つまり、あれは魔人の仇討ちということかの」

 

 ぬらりひょんと鴨桜は、羽衣の傍へと集まる。

 詩希と平太は士弦達が保護し、犬神が白夜と長谷川も避難させている。

 

「――で、どうすんだ? このまま放っておけば、あの狐は燃やし尽くされて死ぬのか?」

 

 鴨桜の言葉通り、このままいけば化生の前は死ぬだろう。

 

 不死の呪いはあくまで将門に対するものだ。

 呪いを施した張本体とはいえ、葛の葉は不死身ではない。それを取り込んだ化生の前も言わずもがなだ――しかし、羽衣は首を横に振った。

 

「ダメです。それは待てません。母たる葛の葉は不死身ではありませんが――不死ではあります。このまま化生の前を見殺しにしたら……あの子は『転生』してしまう恐れがあります」

 

 葛の葉は転生妖怪だった。

 死亡する度に新たに生まれ変わることで、結果的に不死の妖怪として永劫の時を生きてきた。

 

 葛の葉は己の『転生』の異能を改変することで、愛する人――『将門』に不死身の身体を与えたが、結果的に疑似転生体たる化生の前が生まれている。

 本体たる葛の葉を取り込んでいる以上――『転生』の異能が復活している可能性も零ではない。

 

「それは不味いのかの? 少なくとも、この場は乗り越えられるじゃろう」

「……いえ、それでは『魔人』の問題が解決しません」

 

 魔人の不死の呪いは、『葛の葉の妖力』が健在である限り解かれないのです――と、羽衣は険しい表情で唸る。

 

「このまま化生の前の転生を許せば、『葛の葉の妖力』を逃がすことになってしまう!」

「……つまり、『狐の姫君』が転生することになったとしても――その前に、『葛の葉の妖力』を回収しなくてはならないということじゃな」

 

 ぬらりひょんが、一歩前に出ながら言った言葉に、「……その通り、ですが……」と、歯切れの悪い呟きを漏らしながら羽衣は返す。

 

 そんな羽衣と、「……何をするつもりだ、親父」と眉根を寄せる鴨桜に。

 

 ぬらりひょんは、笑いながら、豪快に言う。

 

「ここまであんまし活躍出来とらんしの。――儂がいい所を掻っ攫うとしよう」

 

 そう言って、黒炎の中にぬらりひょんは飛び込んでいく。

 

「親父ッ!?」

「御頭っ!?」

 

 妖怪大将のその暴挙に、一様が揃って慌てたが、途端に、髪を振り乱すように暴れる化生の前の動きに同調して、彼女が纏う黒炎の勢いが増し――暴れ狂う。

 

 黒炎を躱すことに精一杯になる一同の心配を他所に――。

 

「――よう。随分と哀れだのぉ、『狐の姫君』」

 

 黒炎に囲まれながらも、ぽっかりと空いた小さな空白地帯に、いつの間にか立っていたぬらりひょんが、黒炎に苦しむ化生の前に語り掛ける。

 

【――――――ぬらりひょん】

 

 最早、かつての美貌は面影もない。

 

 どろどろに溶けた黒い炭のようになりながらも、その膨大な妖力故か、未だ死ぬことが出来ない化生の前は、黒炎の中からぬらりひょんを認識する。

 

「お主は笑っておったな。この戦争の序盤も序盤に、儂の家の自慢の桜の下で。儂の女を――儂の『愛』を。じゃが、どうじゃ?」

 

 今、お主は、あの時に笑った、『愛』によって滅びゆく――ぬらりひょんの言葉に、黒く燃える狐は何も返さない。

 

 そんな化生の前に、ぬらりひょんは「あの時、お主はこうも言ったな。儂にも、野望があるのじゃろう――と」と、続ける。

 

「確かに、儂はかつて身の程知らずの大望を以て、この京に足を踏み入れた。望みに見合った力を持っていた分、お主の方がマシなくらいの愚かさじゃった。しかしの、儂はお主よりも幸運じゃった。お主よりも、少しばかり早く――それに気付き、手に入れることが出来たのじゃ」

 

 それが――『愛』だと、ぬらりひょんは言う。

 

 黒く燃える狐に足りなかったもの――黒炎が届かない空白地点で立っている妖怪が手に入れていたもの。

 

 共に、黒く燃えるような野心を抱えていたながら、片や黒く燃え、片や白く残る――その両者を分けた命運は、『愛』だと、ぬらりひょんは語る。

 

「永劫なんてつまらんよ。野望といえるほど大層なもんではなくなったが……今の儂の願いは、とてもありふれたささやかなものじゃ」

 

 好きな女と幸せに暮らして、一緒に歳を取って、子供に看取られながら死ぬ。

 

 己の野望は、もうとっくの昔に――叶っているのだと。

 

「儂の勝ちじゃ、『狐の姫君』――妖怪の王の座なんぞ、欲しくもなんともないが。貴様がいらんというのなら、貰ってやってもいい」

 

 化生の前は、そう己に向かって不敵に、傲岸不遜に言い放つ妖怪に。

 

【……ふ……はは……ははははははははははははははははははは!!!!】

 

 笑う――笑う――笑う。

 

 黒く燃えながら笑う。黒く焦げながら笑う。――真っ黒に、死にながら、笑う。

 

【――そうね。私は――死ぬわね】

 

 死ぬ――終わる。

 

 化生の前は詰んでいる。『狐の姫君』の妖怪大戦争はここで終わる。

 

 死ぬのが怖くない筈がない。

 そもそもが化生の前自体が疑似転生体――いうならば、転生に失敗した結果、誕生した妖怪だ。

 

 転生にあたって『愛』という感情を引き継ぐことが出来なかった。

 結果、それが死因となって、此度の生を終えることになる。

 

 疑似転生体の自分が転生出来るのか。

 葛の葉であることを拒絶した自分に、葛の葉の異能である転生が発動されるのか。

 

 死んでみないと分からないことが多すぎる。

 恐ろしくない筈がない。

 

 それでも――化生の前は、笑ってみせる。

 

【私の負けね。認めましょう――――それでも】

 

 嫌がらせだけは、させてもらうと。

 

 目の前の勝ち誇っている憎き男に、とびっきりの――呪いを掛ける。

 

 妖怪・『葛の葉』は――そして、妖怪・『化生の前』は。

 

 呪いの石から生まれた――『呪い』の妖怪なのだから。

 

【ァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!】

 

 化生の前は己が纏った黒い炎を膨れ上がらせる。

 己の妖力の全てを混ぜ込み、己が最後の一撃とする。

 

(ぬらりひょん――あなたはこれが狙いだったのでしょう。私を挑発し、大技を使用させ、隙を作り出す。認めましょう、あなたは優れた妖怪だわ。その余りの挑発の上手さに――)

 

 私、かちぃーんと、きちゃった――そう、真っ黒に燃え焦げながら、生涯最期の笑みを作って、化生の前は己の妖力を爆発させる。

 

 愛――己が失ったもの、己が手に入れられなかったもの、そして、己を滅ぼしたもの。

 

 女を化物へと変え、男を魔人へと変えたもの。

 

 そして――妖怪に。

 

(アナタの、その笑顔が――心の底から、妬ましい)

 

 あんな風な、幸せな笑顔を、浮かべさせるもの。

 

(だから呪うわ。力の限りね――恨むべくは)

 

 あなたをそんな笑顔にさせた――『愛』を教えた『人』を恨みなさい。

 

【――――――――――】

 

 そして、化生の前は――爆発する。

 

 黒炎が放射状に広がる。

 

 それはこの小さな箱庭――『山小屋』を黒い炎で包み込む程の大爆発。

 

 化生の前――『狐の姫君』。

 

 愛を求めて、愛に失望して、愛に殺され、愛を手に入れることが出来なかった姫は。

 

 黒い炎に包まれながら、黒い炎を振り撒きながら――その愛されなかった生涯に幕を閉じる。

 

(――――願わくば)

 

 もし、転生が叶うのならば――来世では、どうか。

 

――お主よりも、少しばかり早く、手に入れることが出来たのじゃ。

 

 あんな幸せそうな笑顔を浮かべることが出来る、素敵な愛に、出会えますように。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 それは、瞬きの間の出来事だった。

 

 黒い炎の爆発が、神秘郷『山小屋』の全土に広がった――その瞬間。

 

 妖怪大将ぬらりひょんは、放たれ直撃した黒い炎を纏ったまま、一気に化生の前へと接近する。

 

(まさか全方位に振り撒くとは――猶予はない! この黒炎が皆を焼き尽くす前に――抜き取る!!)

 

 ぬらりひょんは気配を消す妖怪だ。

 その異能を極めれば、家主に気付かれずに屋内へと上がることも、知らぬ間に傷を与えることも、他者が己を認識するよりも前に命を奪うことすら可能になる。

 

 そして、ぬらりひょんは――化生の前に気付かれずに、体内に手を入れ、それを抜き取った。

 

(流石の儂も、体内に手を入れるとなると大きな隙が必要になる――が)

 

 結果的に、ぬらりひょんは抜き取ることに成功する――化生の前の中に鼓動する、『葛の葉の妖力』を。

 

 そして、それを抜き取られた化生の前は絶命し――その身体を小さな石へと変えていく。

 

「間一髪――と、いったところかの」

 

 あと一瞬でも遅れれば、化生の前は葛の葉の妖力ごと、その身体を石へと変えていただろう。

 

 間に合った――だが、それは化生の前も同じだった。

 

 全方位に振り撒いた『黒炎の大爆発』――それは神秘郷全土を包み込み、この空間に存在した全ての妖怪に黒炎を浴びせかけた。

 

 それは、呪いの妖怪・『化生(けしょう)(まえ)』――その生涯最期の、渾身の呪い。

 

 ぬらりひょんの、ありふれた、ささやかな幸せ――それを許さない、嫌がらせの呪い。

 

 その事実に、ぬらりひょん達が気付くのは、あと数十年先の未来。

 

 ぬらりひょんの妻――『桜華(おうか)』が亡くなる、その日である。

 

「これで――全部、終わりじゃな」

 

 今はただ、長かった戦いの終わりを、純粋に喜んでいた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 化生の前の躰が崩れ去り――そこには『石』だけが残った。

 

「あ、あれ? 私達――黒い炎をくらっちゃったと思ってたけど……」

「――――消えて、いるな」

 

 雪菜や士弦が自分の身体を見ながら呆ける。

 

 あの化生の前の最期の大爆発によって、黒炎は神秘郷中に広がり、この場にいる全員が黒炎を受けた。

 

 しかし、無論、傷や痛みはあるが、今はもう消えてしまっている――黒炎とは、一度触れると対象を燃やし尽くすまで消えない炎だということではなかったのかと、犬神ら大人妖怪達も羽衣の方を見遣ると。

 

「――最期の大爆発は、あくまで化生の前が己の妖力を黒炎という形で放出しただけの攻撃です。対象を燃やし尽くすまで消えないという性質は、あくまで魔人の黒炎が持つ性質ということでしょう」

 

 魔人の黒炎は化生の前の体を焼いていたそれだけで、大爆発と共に広がった先程の黒炎の殆どは只の妖力波に近いものだった。

 それも、死に瀕した状態での全方位攻撃であったこと――更に、発動直後にぬらりひょんが黒炎の発生源たる()()を抜き取った為に、僅かに含まれていた魔人の黒炎も重傷を負う前に消火されたということなのだろう。

 

 羽衣は、そう淡々と説明しながら、そのままぬらりひょんの下へと歩いていく。

 

「――よう。これだろ? 『葛の葉の妖力』ってのは」

 

 そう言って、ぬらりひょんはその手に持つ『心臓』を手渡した。

 

 どくん、どくんと鼓動を続ける『葛の葉の心臓』。

 それはまるで、こんな有様になっても未だ――『愛する人』との再会を諦めていない往生際の悪さを感じさせた。

 

(…………『お母さん』)

 

 羽衣は、それを直接触れずに尾で受け取って「……ありがとうございます」と告げると、そのまま全員を見渡すようにして言う。

 

「あなた達の協力のお陰で、化生の前――『狐の姫君』は退治出来ました。これより――魔人の『不死の呪い』の解除に移りたいと思います」

 

 葛の葉が平将門に施した――『不死の呪い』。

 

 それは、自身の『転生』という異能を捧げることで、只の人間であった平将門を『不死身の魔人』へと化した、呪いの妖怪・葛の葉における最上級の呪い。

 

「この呪いは、とある限定条件の上で成り立っているの。それは、『葛の葉の妖力』か、『不死の鍵たる生命』。そのどちらかが健在であること。つまり、『不死の呪い』を解くには、その両方を――」

 

 羽衣は、一度、そこで口を噤んで――再び、唇を湿らすようにして、口を開く。

 

「――排除する必要があります」

 

 その不自然な間に眉根を寄せながらも、鴨桜はそのまま羽衣の下へと近付いて言う。

 

「葛の葉の妖力ってのは、こうして親父が手に入れた。なら、その鍵とやらだが――」

 

 それはここにあるのかと尋ねる鴨桜は、既にその検討がついているようだった。

 

 ぬらりひょんも、平太も、またそれを察しているようで、真っ直ぐに――それを見詰める。

 

 詩希や雪菜などはまだ分かっていないようで首を傾げていたが――その光景を見た途端、目を見開いて、絶句した。

 

 羽衣は、尾に乗せていた心臓を――自らの口へと運び、摂取した。

 

「……………ッ!」

 

 咀嚼せず、丸呑みにする――文字通り、最後の晩餐が母親の心臓になることは、ずっと前から覚悟していた。

 

 ごくりと呑み込み、羽衣は真っ直ぐ――鴨桜の方を向いて言った。

 

「『不死の鍵の生命』は私です。私が生きている限り、魔人の不死の呪いは解けません」

 

 今の私を殺せば、『不死の鍵の生命』と『葛の葉の妖力』のどちらも――この世から排除することが出来ると、羽衣は言う。

 

「――鴨桜(オウヨウ)。あなたが私を殺してくれませんか?」

 

 そう微笑む羽衣の言葉を。

 

 百鬼夜行の若き後継者は――表情を消し、舌打ちをしながら受け止めた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 いつの間にか、そこにいた。

 

【……ここは――それに、この姿は】

 

 狭間(はざま)の世界。

 

 表の平安京でもなく――裏の怪異京でもない。

 

 どこでもあって、どこでもない。

 

 そんな世界に――蘆屋道満(あしやどうまん)は、老爺の姿で、囚われていた。

 

「長い戦いも、長かった物語も――ここが終着点(ゴール)だ」

 

 祭りの終わりだよ、道満――そう、若い男の声が近付いてくる。

 

 十字架に、まるで罪人のように両手足を縛られている道満も、首だけは動かすことが可能だった。

 

【――――晴明】

 

 安倍晴明(あべのせいめい)

 

 自分が完全にその身体を乗っ取り、勝利してみせたと思った男が、何もかも見透かしたような瞳で己を見詰めていた。

 

「――――夜明けの時だ」

 

 夜が明ける。朝が来る。

 

 終戦の、時が来た。

 




用語解説コーナー86

・狐の呪い

 今わの際――化生の前は、己の身体に纏った黒炎を、呪いの炎に変質させていた。

 正確には、魔人の黒炎に己の妖力を混ぜ込み――そこに、たっぷりと、呪いを込めた。

 黒炎の殺傷力ではなく、己の呪いを、目の前のぬらりひょんに、そしてついでに、その場にいる全員に――漏れなく浴びせかける為に。

 それは、ぬらりひょんの語った、ありふれたささやかなしあわせを奪う為の呪い。

 その呪いは、見事に嫌がらせの効果を、この上なく発揮し――およそ千年に渡り、ぬらりひょんを苦しめ続けることになる。
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