Another Trigger 〜弓手町支部所属の攻撃手〜 作:匿名中
自分が、ここまで他人に心を許したのは初めてだった。
母や弟らとは違う、また別の安心感を覚えたのは初めてだった。
これは、たかだかバイトの先輩だから、というわけではないのだろう。
彼が自分の中で大きくなったのは一体何時頃だろう、と。
駆け足で玉狛支部に向かっている烏丸はふとそんなことを思った。
運悪く初バイトが劣悪な環境で、勝手に外見に嫉妬して八つ当たりしてくる男の先輩らから、角が立たないように立ち回りながら守ってくれた時だろうか。
バイトを始めてしまったせいか、学校での勉学の遅れが出た際に相談すると、直ぐに時間を設けて丁寧に教えてくれた時だろうか。
彼が守ってくれてはいるものの、それでも嫌がらせに耐えかねた自分に、新たな環境の良いバイト先を紹介してくれた時だろうか。
………いや、違うな。
頭の中で彼との記憶を掘り起こしてはいるが、それでも自分の納得のいく答えにはならず、烏丸は思わず足を止めた。
もちろん、これらに対して感動を全く覚えなかったわけではない。
しかし、これらが自分のこの感情の起因ではないことは何となく理解していた。
──あぁ、そうか。
数秒ほど立ち竦んでいた烏丸は一つ息をつくと再度走り出し、そしてある記憶を思い出す。
それは、自分がバイトを始めて一年が経ち、新しいバイトにも慣れた頃、彼の事情をよく知る年配の店長から話を聞いた時だった。
『樹神くんは、第一次近界民侵攻で両親を亡くしているんだ。唯一の肉親であった祖母もついこの間逝ってしまった。親戚もおらず、一人で妹二人を守っていかなきゃいけない、頼れる人もいない、家のことも自分で回さなきゃいけない。
まだ高校生だろう。まだ遊びたいだろう。嫌なことばかり見えて、辛いだろうに………。それでも、あの子はああやって笑っている。ほんとに、強い子だよ』
あぁ、そうだ、この時、この日だ。
自分も自分なりに他に比べれば苦労している部類だという自覚はあった。
だからといって、誰かに愚痴るわけでもなく、重荷だと思ったこともなかった。
しかし、それでも、そのことが自分の足を引っ張り、苦労したことはないわけではない。
故に、良き先輩であった彼には相談に乗ってもらったり、助けてもらったりしたわけだ。
ただ、あの時、自分は彼に自分の事情ばかりを聞いてもらい、理解者になってもらい……いや、ならせてしまっておきながら、彼の事情を全く知らなかった。
今思えば、彼にとって自分は鬱陶しいことこの上なかっただろう。
明らかに自分より辛い状況にあるのに、それを理由に救ってもらっていたのだから。
そこまで考えると俺は居ても立っても居られなかった。
本当は嫌われているんじゃないか、恩ある彼の重荷になっているんじゃないか、と嫌な予想が溢れて止まらなくなっていた。
故に、俺はバイトが終わった夜の九時の帰り道、先行く彼の背中を追って、呼び止めて、口を開いた。
『俺、迷惑じゃないですか?』
何も脈絡もないまま、開口一番にこの言葉だったのは自分でも驚いた。
今思うと、俺は本当に心の底から不安に感じていたのだろう。
しかし、それを彼が分かっているはずもなく、急な質問に疑問符を浮かべている彼に、俺は一つ一つ説明した。
『なんだ、そんなことか』
説明が終わった直後、彼はなんてことないようにそう告げた。
俺があまりにも焦っていたからか、身構えて損したと小さく笑う彼は、本当にいつもと変わらない姿だった。
『たしかに辛いかどうかって聞かれたら、ちょっとしんどいよ。けど、帰ったら妹たちが笑ってるんだ。あんなことがあっても、真っ当に良い子に育ってくれてるんだ。それを思えば、これから先もずっと頑張れる』
満面の笑み、というわけではない。というより、彼が大きな声を出して笑うのを見たことがない。
しかし、それでも、彼の表情に浮かんだそれは、一年間一緒にいた中で最も優しい笑顔だった。
『京介、君のそれは至極真っ当な感情だ。それを綺麗事で上塗りする必要はない。ただ、その時は何のために頑張ってるか思い出してみろ。俺は、いつもそうしてる』
そう言われて思い出すのは自分の家族のこと。
自分よりも小さな弟たち、働きづめで休む暇もないのにいつも笑顔を絶やさない母と父。
そうだ、自分は、そんな家族の力になりたくて始めたんだ。
ふと彼の表情に安心の色が浮かんだ。
おそらく、俺の表情から俺がどう思ったのか分かったのだろう。
彼は一度息をつくと、再度口を開いた。
『さて、京介が俺の邪魔になってないか、だっけか?』
身体が一瞬硬直したのが分かる。
しかし、彼はそんなことを気にせず、続けた。
『家族のためにこんなに頑張ってる後輩のことを、邪魔に思うわけないだろ? 俺と一緒だ』
───この先、他の誰かにこの人以上の尊敬と憧れを抱くことはないだろう。
困ったような笑みを浮かべる彼の姿を見て、心の底からそう思った。
♦︎ ♦︎ ♦︎
烏丸京介という人間を知っている人間であれば、今私たちの表情と同様のものを浮かべたであろう。
およそ一年前にレイジさんに弟子入りして、その半年後に玉狛支部に加入。玉狛に入って日が浅いだけあって彼の本部への顔は広く、その甘いフェイスからファンクラブがあるのではと囁かれているほどの有名人だ。
もともと感情が表に出にくく、一年ほどの師弟関係からレイジさんのクールさを譲り受けた彼はほとんど無表情に近く、私はもちろんレイジさんも声の強弱はあれど無表情以外の顔を見たことがない。
そんな彼が笑みを浮かべているのを見て、驚くなという方が無理な話だ。
「最後に会ったのは大体一年前か? 正直俺のことは忘れてるもんだと思ってたよ」
「そんな訳ないじゃないですか。たった一年で忘れようにも、一葉さんから受けた恩義が大きすぎます。今でもバイト先で物寂しくなるくらいですからね」
「別に大したことしてないんだがなぁ……。それと、あの時は何も言わずバイトを辞めて悪かった」
「悪いと思ってるなら帰ってきてくれると嬉しいです」
「すまん、無理だ」
うん、見間違いではない。
唖然とする小南をそっちのけに、視線の先で穏やかに会話をする烏丸を見て、宇佐美はそう心の中で呟いた。
無表情がデフォルトである烏丸はその反面小南を嘘でからかうようなお茶目っ気があり、そのギャップにやられる女性も少なくない。
だが、もし今の彼を見れば、ほとんどの女性が一目惚れし、元々惚れていた女性たちはより一層彼に惹かれるだろうことが予想できるほど、今の彼の表情は柔らかく、温かいものになっていた。
本当に信頼しているんだな。
自分たちの知らない表情をしている烏丸を見て、宇佐美は思わず破顔した。
「それにしても、京介、ボーダー隊員だったんだな。知らなかった」
「こっちのセリフっすよ。俺、本部にもそれなりに顔出してましたけど、一葉さんの姿を一度も見たことなかったんで、ログ見た時はメチャクチャ驚きました。知ってれば防衛任務もご一緒出来たんですけど」
「まぁ、入隊した三日間だけだったからな、まともに本部にいたのって」
「一体何年前に入隊したんすか?」
「大体三年半ぐらい前かな? こっちでも俺は京介の先輩かな?」
「たとえボーダー歴が俺の方が上でも、先輩は先輩ですよ」
「そうか」
何気ない会話のように聞こえるが、そんなやりとりの中でも烏丸の表情はとても満足気なものだった。そして、それは樹神も同様のようで先程から全く用意したお茶に手を付けていない。
ふと思い出したかのように鳥丸が懐から携帯を取り出した。
「一葉さん、連絡先を交換しましょう」
「お、そうだな」
同じく携帯を取り出した樹神は電源を入れて烏丸に渡すと、烏丸はいつもの無表情フェイスに戻り。携帯を操作して連絡先の登録を始めた。
それを見て、宇佐美は小さく手を挙げて伺うような視線を樹神にやりながら、言った。
「樹神さん、私も登録、いいですか?」
「…………っ! わ、私もっ!」
「あぁ、こちらこそよろしく頼む」
宇佐美と小南の申し出に樹神は少し驚いた表情をするが、直ぐに微笑をもって答えた。
烏丸が登録を終え、二人に樹神の携帯を渡した時、宇佐美と小南はふと連絡一覧に視線がいった。
「(連絡先、すごく少ない……)」
影浦、荒船、村上、穂刈、北添、仁礼という知ってる名前が六つと樹神で始まる名前が二つ。そして、私の知らない名前が二つと、『博士』という名前が一つ。烏丸のも合わせて計十個の連絡先しかなかった。
烏丸から樹神の話を聞いていた二人は、その一覧を見ただけで胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
友達と遊ぶこともせず、バイトと学業に明け暮れ、妹二人の面倒を高校生という身分で請け負う先輩。
話だけだったからこそ、あまり実感が湧かない姿であったが、この一覧だけでも彼の苦労と努力が垣間見えた気がした。
ほんの少しだけ時間がかかりながらも、二人は烏丸と談笑を続けている樹神に携帯を返した。
彼は二人から携帯を受け取り、連絡先の一覧を見ると少しだけ雰囲気が柔らかくなった。
「? どうしました?」
そんな僅かな機微を感じ取った烏丸は、単純な疑問から樹神にそう尋ねる。
すると、樹神は少し恥ずかしそうに頬を掻きながら──
「いや、カゲたちの時もそうだけど、連絡先が増えるのが、嬉しくてな」
しみじみとそう言う樹神を見て、宇佐美、小南の両者とも反射的に樹神に詰め寄った。
「樹神さん! いつでも、ほんとにいつでも来て下さい! 社交辞令とかじゃなくて、ほんとに歓迎しますっ! レイジさんたちもきっと歓迎してくれますよっ!」
「そうよ! 今回は私だけだったけど、とりまるもレイジさんも、迅だって本部の奴らよりかは強いから、私とは別の良い経験ってやつが積めるわよ! 私も次は負けないしっ!」
とりまるとの会話よりもテンションの落差が激しいせいか、樹神は詰め寄ってきた小南と宇佐美を御するように両手を前に出し、少し驚いたように眉を上げる。
しかし、彼女らの言葉を理解するにつれ、その表情は嬉しさを僅かに隠さないようなものへと変わっていき、最後には穏やかに「ありがとう」と言った。
言いたいことは言ったと言わん気に胸を張る小南と宇佐美に、烏丸は内心ほっとする。
その心は、純粋に人の苦労や努力を見てくれる先輩達で良かったというものであった。
そんな彼に対して、樹神はなにかを思い出したかのように視線を烏丸に戻した。
「そういえば、京介。少し、ボーダーの人を紹介して欲しいんだが、頼めるか?」
「? はい、自分ができる範囲なら、喜んで。どんな人ですか?」
樹神よりもボーダー歴は少ない烏丸とはいえ、本部での交友関係はまさに天と地ほどの差がある。
それを小南との模擬戦前に宇佐美らと会話して知っていた樹神は、単純に頼みやすい烏丸にあるお願いを口にした。
「──────の人を紹介してほしい」
そんな彼の頼みに、烏丸は簡潔に「了解っす」と答えた。
♦︎ ♦︎ ♦︎
「次、予定が空いたら
「分かった分かった。予定が空いたら、ちゃんと連絡するよ」
「言ったわね! 言質取ったからね!」
「あぁ。約束する」
「……宇佐美先輩。小南先輩、ムキになってますけど、そんなにボロ負けしたんスか?」
「五十分で0勝の15連敗だからねぇ。こなみの性格ならああもなっちゃうよね」
「……まじっすか」
「まじまじのまじ。私が証人です!」
「一葉さん、次は自分ともお願いします」
「おう。こちらこそ、ぜひ頼む」
「お〜、短時間で仲良くなっちゃって」
目下、玉狛支部の玄関で樹神を見送る小南たちを見て、ボーダーの中でも二人しかいないS級隊員、迅悠一はぼんち揚を頬張りながらそう呟く。
場所は玉狛支部の屋上。外はほのかに暗くなり、あと数十分で真っ暗になるような時間であった。
迅はしばらくぼんち揚を口に運び続けたが、ついに中身が無くなると袋を傾けて残りカスを口にそそぐと、不意に後ろから声が上がった。
「行儀悪いぞ、迅」
声を聞いて、迅がゆっくりと背後に視線をやると、そこには屋上の扉から自分に歩み寄ってくるレイジの姿があった。
迅はいたずらが見つかった子供のような笑みを浮かべつつ、空となった袋を綺麗に折り畳んでポケットに入れる。そうする間にレイジは迅の横に辿り着き、改めて口を開いた。
「一時間ほど前に防衛任務から帰っていたんだろう? 樹神に挨拶はしないのか?」
言葉こそ柔らかいが、レイジの目付きは少しばかり鋭いものとなっている。同じく玉狛支部で働く者同士であり、さらに言えば相手は今の烏丸が過去に世話になった恩人だ。玄関で今も騒いでいる小南まではいかなくてもいいが、それでも挨拶ぐらいは交わしておくべきだろうとレイジは考えていた。
「う〜ん、そうするつもりだったんだけどねぇ……」
レイジの心内を見抜いてか、迅はどこか歯切れが悪そうにそう言うと、続けた。
「俺、まだ彼と会うべきじゃないっぽい」
「………なに?」
なんとなくそう言った迅に、レイジは今度こそ声に不快の色が宿る。
そんなレイジを見てか、迅は大げさに首を横に振ってみせた。
「いやいやいや、俺だって出来れば親交を深めたいよ。けど、こればかりは少し事情がちがうみたいだ」
「……つまり、
彼の物言いにようやくある程度の理解を得たレイジは、少し言葉を伏して尋ねる。
対して、迅は苦笑いを浮かべてゆっくりと頷いた。
「うん、俺のサイドエフェクトがそう言ってる」
いつもは自信満々に告げるその決め言葉が、今はあまりにも力がないことに、レイジはその事が本当であることと考えた。
二人の間に流れる無言の数秒。
次に口を開いたのはレイジだった。
「いつだ?」
「およそ半年後」
簡潔にそう告げた迅に対し、レイジは内心驚愕する。
迅のサイドエフェクトは『未来視』である。
確定した未来を見るのではなく、様々な可能性を孕んだ多岐に渡る未来を見ることを能力とし、その中から最善を選べるように対策を行うことで最悪を避けている。
これは彼個人だけでなく、ボーダーという組織の未来をも左右させるため、玉狛と仲が悪い最高司令官ですら重要なファクターとして彼を重宝している。
しかし、この能力は見たことない相手や遠すぎる未来は見ることができないという欠点があり、あまりにも多岐に枝分かれした場合は迅自身が読み逃す、ないしは突然にその未来が浮かび上がってくることがある。
そんな彼が告げた、半年後という遠い未来。
つまり、迅が見た未来は現在では
「迅」
「分かってる。可能な限り最善は尽くすよ。いつもとはちがって、半年もの長い時間があるんだ」
そう言う迅の視線は先ほどとは打って変わって真剣そのものであった。
レイジはそれを横目におさめると、次いで視線を下に向け、ちょうど玉狛支部と陸を繋ぐ橋を渡り切った樹神が見えた。
「迅」
「ん? なに、レイジさん」
「頼れよ」
視線はそのままに短くそう言うレイジに、迅は一瞬呆けるとすぐに笑みを浮かべた。
「うん、頼りにしてるよ」
その一言を皮切りに目下の小南らが玉狛支部に戻り、次いでレイジが屋上から去った。
もう辺りは暗くなり、街にポツポツと光が灯る。
そんな光景を見ていた迅を冷たい風が撫でた。
「彼と面と向かって会えるのは、一体いつになるんだろうな」
そうこぼした迅の視線の先には、既に樹神の姿はなかった。
今回もご愛読、ありがとうございました。
前回、次話投稿できるのは七月末と後書きで記しましたが、あることがキッカケで「あぁ、自分も執筆頑張らなきゃ」と思うようになり、暇になれば進んで執筆するぐらいになりました。
多分、うまく時間が合えば今月中にもう一話投稿できるかもです。
それでは、次回も当作品をよろしくお願いします。