Another Trigger 〜弓手町支部所属の攻撃手〜 作:匿名中
小学六年で正隊員となり、入隊直後に行われる対近界民戦闘訓練では11秒というスコアを叩き出したスーパールーキー、黒江双葉。
持ち前のセンスで個人ランク戦を勝ち上がり、僅か半年でマスターレベルに至った彼女は、当時A級八位であった加古隊の隊長である加古望によりその才能を買われ、ボーダーの精鋭であるA級隊員となった。
まさにスピード出世。主に高校生の隊員が多い中、中学生が、しかも女子が、という僻みはあったものの、加古に言われた「所詮負け犬の遠吠え、才能がない者の妬みよ。気分を害するのは当然だけど、むしろそこまで言われる自分を誇りなさい」という言葉に感化され、周りがどう言おうと気にしなくなった。
そんな黒江双葉だが、今日この日はいつも仏頂面である顔に不機嫌の色が強く浮かんでいた。
別に上の先輩らから陰口を言われていたことは気にしていない。大した実力もない者に言われる言葉など気に止めることもない。
不機嫌の原因は我らが隊長である加古が大学のチャラ男達の相手をするためにボーダーに来ていないことだった。
一時期は狂犬とまで言われていた黒江が唯一心を許し、今も一番懐いている加古望だが、彼女はその美貌のため大学のチャラい先輩らに色々と目をつけられてしまうことがあるらしい。一緒にいることが多い黒江もそれらに対する愚痴を聞いたことは一度や二度ではない。
もちろん、通常であれば加古もやんわりと断るか、キッパリと断ることぐらいするが、狡猾なことにそのチャラ男達は加古が世話になっている先輩の女性を使って誘ってきたのだ。
加古はマイペースを地で行くタイプであるが、世話になっている先輩のお願いを断るほど非常識ではない。
黒江への謝罪と今回でケリをつけるという意思表明をメールで受けた黒江は気にしないでくださいと返信したが、それは加古を気遣って送信したものであるため、実際は別。いつもなら挨拶する相手が黒江の様子を見て口を閉ざすぐらいには不機嫌に見えるほどだ。
そんなイライラを払拭するため、黒江は個人ランク戦ロビーにやってきた。白玉あんみつとミカンに並んでランク戦に勝つことが好きな黒江の最近のストレス解消は決まってこれだ。
簡単に言えば、嫌なことがあったから人に当たるといったものだが、第三者から見ればそれもただの模擬戦であるため特に問題はない。あるとすれば、対戦相手の心を折ってしまい、ボーダーを辞めた者も少なからずいるといった点だ。
もちろん、そんなことは憂さ晴らしが目的の黒江も本意ではなく、なるべく負けん気が強い相手や格上との対戦で勉強する者などを狙うようにしている。
さて、そんな黒江だが、今回ばかりは虫の居所が最悪に近かった。
彼女は早足に個人ランク戦ロビーにやってくると、辺りに目を向けることなく空いているブースへ入る。そして、パネルに目を向けて誰でもいいから個人ランク戦を行おうとして──
「?」
個人ランク戦の申し込みが来た。
たった今入室したばかりの黒江は、そのことに小さく首を傾げてその相手を見ると、顔をしかめた。
4000ptギリギリのスコーピオン使い。
おそらくC級から上がりたてのB級隊員だろう、と黒江は予測した。C級からB級に上がった者はそれまでほぼ同レベルの相手としか戦闘を行っていなかったため、格上の相手がどれほどのものか、物見遊山に挑んでくる者がけっこういることを黒江は知っていた。
また、それと同じぐらい黒江が女子中学生ということで舐めて挑んでくる者もいることも。
黒江は後者の方と判断して小さくため息をつくと、次いで申し込んできた相手に通話を行った。
不快であるが、今相手をボコボコにしてスッキリしたい黒江にとってはこういった相手はありがたい。だが、それでも不快なものは不快なのでいつもより念入りに叩きのめそうと画策し、彼女は通話が繋がったことに気づくと直ぐに口を開いた。
「十本以上の勝負なら受けます。それ以下ならやりません」
通話相手はすぐに答えなかった。
そのことに不機嫌であるものの、まさか声だけで私に気圧されたのかと鼻で笑いそうになったが、その前に返事があった。
『十本勝負で頼みます』
随分と落ち着いた声だった。
声色からしておそらく高校生の男子。
中学生にして高圧的な私の言葉に怒るわけでもなく、ただ淡々とした言葉だった。
もしかしたら、良い人なのかもしれない。
そう思った黒江であったが、自分から出した態度を今更収まるわけにもいかず、少し間を開けて答えた。
「……分かりました。ボコボコにされて、途中で嫌になっても知りませんから」
了解の意を伝えた後の言葉は、黒江なりに自ら矛を収めることを出来ないなりに彼を気遣っての言葉だった。
そうして通話を切り、彼に十本勝負の対戦申請を送る。
聞き慣れた機械音声が対戦の承諾、転送までの時間を伝えた。
対戦ステージは市街地Aだった。
黒江よりも先にそこに転送されてた男性は、次に転送された黒江の姿を見て、驚きに眉を軽く持ち上げるとジロジロと此方を見つめてきた。
黒江はその視線を、見た目で侮ってくる者たちと重ねて感じ取り、思わず不愉快な表情を浮かべて口を開いた。
「なんですか?」
すると、目の前の男性はわずかに申し訳なさそうな表情を浮かべ、次に頭を下げた。
「ジロジロ見て悪かった。マスターレベルのアタッカーが女子中学生だとは思わなかったんだ」
声のトーンとその姿勢を見て、黒江はその言葉が嘘ではないと判断した。加えて、目の前の男性が先ほど思い浮かべた人種ではないということも。
しかし、彼が初見で黒江を侮ったのは事実。黒江は小さく「そうですか」と呟くと、とりあえず一本取って思い知らさせてやろうと決心する。
そして始まった個人ランク戦十本勝負。
先程の言葉からして、彼は黒江のことを知らない。つまり、黒江がどのようなトリガーを使い、どのような戦い方をするのか知らないということだ。
それは黒江も同様だが、C級上がりたてと思っているためスコーピオンしか使わないだろうと予想し、剣技に関してはまだ自分の方が上だろうと考えている。
そして何より黒江が得意としているトリガー『韋駄天』。発動前にルートを決めることで相手の意識が追いつかないほどの高速で移動するトリガーは初見殺しにうってつけだ。
黒江はこれで最初の一本を取ろうと、彼の横を突っ切るような形でルートを設定。あとは彼が動いたその瞬間に、とそのタイミングを狙い──
「韋駄天」
彼の態勢が前にいったのを確認して、即座に発動。
設定したルートに引っ張られるような形で黒江の体が射出され、横に倒していた孤月の刃が彼の首を捉えた。
「(獲った)」
心の内でそう呟き、孤月が彼の首に接触。
その手応えを両手に受けながら、黒江の身体は停止する。
そして、身体の向きを反転させ、首が落ちているであろう男性の姿を視界に入れようとして。
「っ!?」
驚愕した。
視線の先の彼の首は落ちるどころか傷一つない。
代わりに先ほど斬りつけた首の位置にはスコーピオンが出現しており、それで防いだであろうことが予測できた。
予測できたが、黒江はそれを見て有り得ない、と小さく心の中で叫ぶ。
韋駄天の速度は自身のトリオン体の意識が追いつかないほど速いため、見てから反応するのは不可能に近い。これまでの個人ランク戦の中では斬られたことすら気付かない者だっていたのだ。
「(そんな…韋駄天に反応して、あまつさえ防ぐなんて……)」
そうして驚愕する黒江とは対照的に、目の前の男性も身を翻すと小さな声で言った。
「速いな。カウンターが上手く入らなかった」
それを聞いて、黒江は目の前の男性に向きながら、僅かに違和感がある自身の脇腹に視線だけを移して見た。
さっきまではなかった斬傷があり、そこから微々たる量ではあるがトリオンが漏れていた。
「嘘っ」
ここでようやく黒江は胸の内の思いを小さな声で吐露した。
そして、黒江の、視線を移した故の小さな隙。
それを見逃さなかった相手、樹神一葉は右手を後ろに引いて「お返しだ」と呟くと振った。
瞬間、右手の先から光の刃が黒江に向かって伸びる。
「っ! シールドっ!」
反射的にシールドを展開する黒江。
だが、そのシールドを迂回するように光の刃が曲がり、まるで鞭のようにしなって彼女の首を切り落とした。
「(マンティス……っ!?)」
『伝達系切断。黒江
無機質な機械音声がステージ内に響き、黒江は元のブースに転送された。
「あの速度には驚いたけど、案外簡単に取れたな」
一葉はそう呟くと、一つ息をついて続けた。
「あと九本。締まっていくか」
♦︎ ♦︎ ♦︎
視点は変わって、C級ランク戦ロビー。
主にC級隊員がB級に上がるためのランク戦を目的として作られた施設だが、正隊員同士の模擬戦や個人ランク戦を行うに適しているため、正隊員も結構な頻度でここを利用する。
もちろん黒江が今使用しているのもこれである。
次に特大モニターの話に移ろう。
モニターに映るのは主に注目の試合。C級同士の熱戦や正隊員同士の模擬戦などの内、システムが判断してモニターに映す試合を決める。
技術を見て盗もうとしている訓練生の大体はそこに映る正隊員の試合を見るのが常だ。他にも休憩がてらソファに座っている正隊員や息抜きに様子を見に来た正隊員なども観戦しているため、結構話し声などで賑わうスペースでもある。
そんなモニターの前に、年内でも類を見ない人数の集団ができていた。
「おい。あれって、A級の黒江双葉だよな? 負けてね?」
「相手は……なんて読むんだ? じゅしん?」
「それよりもポイント差だよ! B級の奴、4000ptだぞ!」
「げぇ、ポイント差約5000ptかよ! それは気の毒な……え、そのB級が勝ってんの?」
集まった人の数だけ声が上がる。
そうなれば騒ぎは一段と増し、その騒ぎに引きつけられた者がチラホラ見え始めた。
それは訓練生だけでなく、正隊員、A級すらも例外ではない。
「おーおー、なんか賑わってんな。なんだなんだ?」
「あ、おい。俺とランク戦するじゃなかったのかよ?」
個人ランク戦をすべく、ロビーにやってきたA級隊員の米屋陽介と出水公平。
その二人がモニター前の賑わう集団を視界に捉えると、米屋は興味ありげにそちらに走って行き、出水は走っていった米屋の後をため息をつきながら追う。
そして、二人はモニター前に辿り着くと、そこに流れる映像を見て「お、黒江じゃん」とこぼす。次いで黒江が何本獲ってるのか確認しようとしたところ、驚きで目を丸くした。
「まじか! 十本勝負で黒江が七連続負け!? 相手誰だよ!」
「読み方わかんねぇけど、少なくとも俺は聞いたことはねぇな。 しかもポイントが……4013pt!?」
「まじで!? B級上がりたてじゃん!」
次いで二人はモニターに映る試合を見る。
そこには韋駄天を巧みに利用しながら移動や回避している黒江の姿と、それをグラスホッパーで追いながら攻撃を繰り出す樹神の姿があった。
「いやぁ、あれはB級上がりたてじゃねぇだろ。動きが全然違うぞ」
「てか身体の動きが上手すぎねぇ? 風間さんと並ぶんじゃね、あれ」
ふと黒江が地上から三メートルほどの空中で右に直角に曲がると少しした辺りで韋駄天が終了し、急停止したと思うと振り向きながら孤月を振るった。
それがちょうど黒江を追おうと樹神がグラスホッパーで加速したタイミングと同じになり、見た限りでは反応しようにも対処できない攻撃だった。
「うまい」
それを見ていた米屋が無意識のうちに呟く。
しかし、樹神はそれに対して一瞬のうちにグラスホッパーを起動して、地面と平行に飛ぶ自分の直ぐ真下に展開すると、右の膝を曲げて触れる。
途端、推進力で前に引っ張られながらも樹神の体は下半身が持ち上がる形で上に飛び、次いで上半身もそれに続く。
孤月を紙一重でかわし、体を上下反対のまま黒江の真上を飛び越える瞬間、樹神の両手から孤月と同じぐらいの長さのスコーピオンを展開し、肩を斬りつけた。
対して、黒江はそれを予測していたかのようにシールドを傘のように曲げて展開、振るわれたスコーピオンを弾いた。
このシールドの形を第2戦から見ていたものは、マンティスによる歪曲斬撃を防ぐためのものだと気付く。今回の樹神はスコーピオンを両手に展開してるのでマンティスを使えないのにその形でシールドを展開したのは、直前まで何で攻撃してくるか分からなかった故だろう。
だが、樹神が先程の攻撃を避け、攻撃を繰り出してくるのは分かっていた。
となれば、その後の追撃も当然考えている。
モニターの中の黒江が何か鋭く叫んだ。
米屋、出水ともにそれが韋駄天の発動だと判断。実際その通りでモニターの中の黒江が凄まじい速度で射出された。
その軌道は樹神の足先を通り、次いで背中を登るようなルート。
正面から攻撃が来ると思っていれば、韋駄天の速度からしてどうしてもガードが間に合わない攻撃だ。
韋駄天の発動直前までスコーピオンを前に構えてカウンターを狙う樹神を見て、その場にいた実力者は黒江の勝ちを予測した。
しかし。
「はぁ!?」
黒江が真正面ではなく、樹神の少し真下に移動した瞬間、彼は左手のスコーピオンを即座に仕舞うと、グラスホッパーを起動。右手のスコーピオンはその掌から姿を消すと、左の踵からなにやら凹凸のある特徴的な刀で出現した。
樹神の後ろに周り、背中を狙う黒江。
彼女の構える孤月が樹神を真っ二つにせんと彼の下半身に肉迫した瞬間、左足が軽く後ろに振られ、孤月を大きく弾いた。
それを見て、理解する。
あの刀の凹凸は、孤月を大きく弾くために作られたものだと。
態勢は崩されつつも、韋駄天は設定された軌道を通り終えるまで止まることはない。だが、樹神の真上で停止したその瞬間、いつのまにか右足の下に展開されていたグラスホッパーを踏み、態勢を崩している黒江に向かって加速。
黒江は反射的にシールドを展開するが、それはトリオン体を防ぐものにはならず、樹神の体はシールドを通過した。
そして、樹神が黒江の背中に左手を置いたかと思うと、黒江の胸からスコーピオンが現れた。つまり。
『トリオン供給機関破壊。黒江
モニター内で無機質な機械音が響き、ロビーでは感嘆と驚きの声が上がる。
「B級、あれを読んでたのか?」
「読んでなきゃあそこまで早く動けないだろ」
「だよなぁ」
そんな風に騒ぐ訓練生とは別に、その戦いを見ていた実力者たちは真の意味で今の動きの凄さに驚いていた。
もちろん、米屋、出水も同様だ。
「今のマジかぁ〜。黒江が獲ったと思ったんだけどなぁ」
「まさかあれを
米屋が大きく仰け反りながら感嘆の声をあげ、出水が苦笑いを浮かべながら息をついた。
「槍バカ、お前だったら今の防げたか?」
「無理無理、あれは反応できね〜って。そーいう弾バカは?」
「お前が無理だったら俺も無理。近接は本職じゃねぇ。太刀川さんだったらなんやかんや防いでたかもなぁ」
笑みを浮かべながら無理と手を振る米屋に、出水はここには居ない隊長の姿を思い浮かべる。
そうなる前に太刀川さんなら斬ってるか、と出水が判断したその時だった。
「お、よねやん先輩といずみん先輩だ。こんばんわ」
横から自分たちの名を呼ぶ声が聞こえ、そちらを見やる。
そこには、黒江と同じ小学校であったためか、彼女と仲のいい緑川駿の姿があった。
「お〜っす、緑川」
「おぅ、久しぶり」
各々返事をする二人。
緑川はその二人の横にやってくると、モニターを見た。
「うわっ、アイツ八連敗してんの? やっば、相手誰?」
「知らね。ただ無名であそこまで動けて4000ptってことは、たぶん支部の隊員じゃね?」
そう言って視線を戻す米屋と出水。
モニターの映る勝負は既に九本目を開始しており、今度は黒江が自ら韋駄天によるヒットアンドアウェイの戦法による試合内容が行われていた。
孤月が届くギリギリのルートを通りつつ、韋駄天を小刻みに停止と発動を繰り返している。
米屋、出水、緑川も初めて見る動き。その練度と正確性を見る限り、よほど練習を重ねていたのだろうと三人は予測する。
緑川が得意とするグラスホッパーを用いた包囲攻撃『
だが──
「なーんであれを捌けるかねぇ」
出水が再度苦笑いを浮かべて呟く。
モニターの中の樹神は、黒江の攻撃そのことごとくを必要最低限の動きで防いでいる。
攻撃地点をスコーピオンを生やして弾き、足を後ろに引いて紙一重に躱し、腰を落として頭に振られた孤月を避ける。
その身体運びを見るに、今のままでは崩せそうにない。
それを理解した黒江は勝負に出るべく、一度樹神の真横五メートル先で停止すると、すぐさま韋駄天を起動。また先程のように軽く孤月が届くぐらいの軌道を描くと思いきや、樹神の二メートル先で停止。その勢いのまま孤月を真横に振った。
瞬間、孤月が伸び、間合いを拡張した。
『旋空』と呼ばれる孤月の専用オプショントリガーだ。
今までの流れの通りに動くのであれば、樹神はスコーピオンによる防御を図るだろう。
だが、初めて見せる旋空というトリガーを用いた攻撃。
十中八九意表を突いた。
だというのに、樹神は停止した黒江を見ると、彼女に向かって一歩踏み出して旋空を起動した孤月を振るう右手を掴んだ。
次いで、黒江の元に身体を入れると、一本背負いの要領で黒江の身体を持ち上げる。
宙で弧を描きつつ背を地面に叩きつけられる黒江。
叩きつけられながらも黒江は直ぐに無理やり離脱しようと韋駄天を使おうとするが。
『トリオン供給機関破壊。黒江
『っ!?』
黒江の敗北を伝える音声が響き、とっさにトリオン供給機関が存在する自身の胸を見やった。
そこには八敗目と同じように、スコーピオンが黒江の胸を貫いていた。
叩きつけの衝撃で気づかなかった黒江は悔しそうな表情を浮かべて、九度目となる敗北による転送を受けた。
「『
「黒江の右手を掴んだ時に、既に左足から伸ばしてたな。緑川、あれ出来る?」
「俺、
またもや米屋は面白そうに笑い、出水と緑川はモニターで淡々としている樹神を見ながら苦笑いを浮かべた。
次で最後の一本。
再度市街地ステージに転送されてきた黒江の表情はせめて一矢報いてやろうという意気込みが見られ、その試合を見ていた観客たちも最後の勝負を見届けようと息を飲んだ。
そして、始まった最終試合。
黒江は目の前にシールドを展開しつつ、旋空を放つ。観客の何人かはまたかと落胆の声を上げそうになるが、標的は樹神ではなかった。
樹神の真横に位置する住宅が斜めに斬り裂かれ、上の部分がずり落ちそうになる。
しかし、それだけでは到底完全に倒壊しない住宅。
それを完全に倒壊させるべく、今度は樹神を巻き込む形で三度旋空を放った。
樹神は最初の一撃に対して両手のスコーピオンで防ごうとしたものの、それが自分に向けて放たれなかったことで少し困惑してしまったため、一撃の隙に黒江を攻撃することが出来なかった。
次の三撃もスコーピオンで受け流すのみ。
そうした樹神にダメージは入らなかったが、住宅に十分すぎるほどの損壊を与えたため、大きな音を立てながら瓦礫となって樹神になだれ込んだきた。
それを見てすぐさま後ろに飛んで瓦礫の雪崩を回避する樹神だが、それによって韋駄天を起動して倒壊した住宅の下を通る黒江の姿を見逃してしまった。
そして着地の瞬間、ただ真っ直ぐに倒壊した住宅の元からさらに奥へ迂回してから、樹神の背中目掛けて韋駄天で突っ込んできた。
樹神はわずかな物音で後ろを振り向くが、その時は孤月が身体を貫く瞬間で──
『ぐっ!?』
目に見えて焦った表情を浮かべた樹神が振り向くように身体を回転、背中に出現した短いスコーピオンで孤月を僅かに弾くことに成功する。
しかし、そらせたのは僅かで樹神は右肩から先を斬り飛ばされた。
「おぉっ!」
この勝負で初めての大ダメージに、ロビーの誰もが驚きの声を上げた。
黒江も仕留めはできなかったが、右肩より先を斬り飛ばせたことを喜ぶように微笑を浮かべていた。
韋駄天が終了し、俺と瓦礫の雪崩の間に立つ黒江。
それを見て、樹神は左手を後ろに引いた。
黒江はマンティスが来ることをこれまでの戦闘の経験で判断し、自分の前から横を覆うようにシールドを展開する。
その時だった。
「いや、ほんと、まじか」
モニターに流れた映像を見て、米屋が苦笑いを浮かべた。
その理由は簡単で、黒江の後ろから彼女より少し小ぶりの瓦礫が飛んできたのだ。
その飛来の原因は、黒江の孤月を弾く時に右手で瓦礫の雪崩に飛ばしたグラスホッパーだ。あの瞬間、防ぐのに手一杯になるはずのあの場面で発動したグラスホッパーがここまで綺麗に当たるとは。
それによってシールドよりも前に押し出される黒江。そうなると彼女を守るものは何もなくなり、樹神の左手が的を定めたかのように振るわれた。
とっさに孤月を構えて防ごうとするも、流動的なマンティスを止めることは出来ず、彼女の胸に突き刺さる。
悲痛な表情を浮かべる黒江。しかし、その刃は正確に彼女のトリオン供給機関を貫き──
『トリオン供給機関破壊。黒江
いつもなら自分の勝利を伝えてくれる機械音声が、冷たい声で彼女の敗北を伝えた。
♦︎ ♦︎ ♦︎
「ふぅ、危なかった」
ブース内のベッドに腰掛けつつ、俺は一つ大きく息をついて呟いた。
今回の対戦相手だった女子中学生。その可愛らしい外見とは裏腹に、マスターレベルのアタッカーという腕前は本物だった。
最初の一本は彼女が驚愕によって動きが鈍くなったため簡単に取れたが、それ以降の彼女の動きは桁違い。戦闘中、彼女の行動に何度舌を巻いたか分からないほどだ。
「なにより、最後の地形を利用した攻撃は初めてだったな。今回はとっさに利用することでなんとかなったが、その前に大きいのを一発食らってしまった。課題だな」
ふと俺はブース内の時計を見た。
八時を五分ほど過ぎていた。
「まずい、時間掛け過ぎた」
弾かれるように立ち上がり、ブース内を出る。
本当なら飛び降りたかったが、何故か隊員の数が増えていたため飛び降りるスペースがなく、仕方なく階段を使って下に降りる。
階段を下り終えると、先程通ってきた道を戻ろうと駆け出した。
その途中、何やら俺を呼び止めようとする声が聞こえた気がしたが、妹たちの飯が先決なため、無視して全力疾走。
俺は正面入り口から飛び出し、グラスホッパーを起動して家へ向かっていった。
間に合いました。
と、いうことで個人ランク戦回でした。
次回の更新日は2月10日0時0分です。