その幼子の生活は、過酷を極めていた。
自分を厳しく鍛える父親と、宇宙を放浪し続ける過酷な旅は、サイヤ人という強靭な肉体を持っているからこそ幼子でも耐えられたのだろう。
「ブロリー!」
父親は、よく自分の名前を怒鳴りながら幼子に稽古をつけた。幼子には、どうしてそんなにも父親が自分を鍛えるかは分からない。
強くなるのは、嫌いではなかった。
それは、本能に刻まれているのだろう。強くなるために、己を鍛え続けるのは、嫌いではなかった。
強くなるんだ、君は、サイヤ人なんだから。
遠いどこかで、誰かが言った気がした。柔らかで、穏やかな何かが、自分にそう言った気がした。
その声が、そういうから、幼子は強くなることが嫌いではなかった。その声がなんなのか、分からなかったけれど。覚えていないほどに、遠い場所にそれがいるのはわかった。
どこだろうか、どこに行けば、あるのだろうか。そんなことを、良く考えた。
誰かを傷つけるのは、あまり好きではなかった。
その声は、強くなれよと言ったが、弱いものを弄れと言っていなかった。大体、弱いものを弄っても、幼子が強くなることはないのだ。
幼子は、強かった。少なくとも、戦った相手で、負ける様なことはそうそうなかった。
何よりも、誰かを打ちのめすときの、赦しを請う声に、誰かの泣き声に、幼子は何か、心の奥ががたがたと揺らされる。
遠い昔、そんな声を、自分は聞いた気がした。
誰かが、必死に、そう叫んでいた。
だから、その声を聞くと自分がひどくやってはいけないことをしている気分になる。
それは、いつかに暗闇で聞いた恐ろしい声よりもなお、不愉快で、耳を塞ぎたくなるようなほどに嫌なものだった。
弱いものを弄ることは嫌いだった。きっと、あの柔らかなものは、それを嫌う気がした。
父親は、それを甘さと言った。そうして、甘さを出した息子をひどく叱った。
サイヤ人には、そんな甘さは必要ないのだからと。
父親は、幼子に幾度も言った。
自分たちは、いつか、惑星ベジータを追われた。その復讐を、何時かお前はするのだと。
幼子にとって、惑星ベジータなんてもの、知らないのだ。
追い出されたと言っても、幼子は、放浪の生活しか知らないのだから、惑星ベジータでの復讐と言われても困惑しかなかった。
それだけしか知らないのだから、憎しみも、怒りも、持てなかった。
ただ、惑星ベジータに興味は惹かれた。
幼子は、ずっと、ずっと、昔から、柔らかい何かを知っていた。
柔らかくて、穏やかで、温かい何かを知っていた。
父から与えられた記憶はとんとない。けれど、確かに、昔、遠い何時かに自分にそれを与えてくれた誰かがいた。いた、はずなのだ。
幼子は、それに明確な名を付けられなかったけれど、その、柔らかで穏やかな何かが大好きだった。
昔、遠い昔、自分はずっと恐ろしい何かに苛まれていた。恐ろしくて、でも、それはちっとも自分から離れてくれない。怖くて、恐ろしくて、けれど、いつだってその恐ろしいものから、柔らかな何かが守ってくれた。
柔らかいそれが現れると、その怖いものは不思議と鎮まった。ほっとした。だから、その柔らかい何かが来るのが、待ち遠しかった。
優しいものをくれた、温かい何かをくれた、守ってくれた。
自分を、黒い何かが見つめていた。
会いたい、会いたい、会いたい。
幼子の胸には、いつだって、くうくうと穴が開いたように空々しかった。
幼子に友達はいなかった、戦うことしか知らなかった。
幼子の父親は、幼子に甘さの原因だと、全てを禁じた。
平気だった。それを持ったことも無いのだから、ないことを辛いと思わなかった。
けれど、戦う楽しさと、父親以外で埋まるはずの何かが、いつだってくうくうと音を立てていた。
そうやって、胸の奥がくうくうと音を立てると、幼子はよく体を丸めて自分の尻尾を抱えた。そうすると、なんだかひどく心が穏やかになった。
いつか、そんなふうにしてもらったことがある。そうしていると、胸の奥でくうくうと唸るそれが鎮まるような心地がした。満たされる気がした。
復讐には、興味はなかった。けれど、復讐を遂げれば、惑星ベジータに帰ることができるのだとしたら、それでいいとも思った。
なんとなく、生まれ育ったそこに、自分が会いたいと切望する柔らかななにかがいることが察せられた。
待ちわびていた、いつか、帰る日が来ることを。
強くなることを止めなかった。強くなれば、帰る日が近づく。強くなれば、あの、柔らかな何かは自分を褒めてくれるはずだ。
幼子には、上手く言葉に出来ない。けれど、切望した何かをまた与えてくれると思った。
けれど、ある日。
自分たちが生きていると悟られぬようにと宇宙の果てを転々としていた自分たちに、あることが知らされた。
会いたいと思った、何かも知らないけれど、それでも会いたいと思った柔らかな何かに二度と会えないことを悟った。
それに、どこか、幼子のどこかで、何かが砕けた。
惑星ベジータが、滅びた。
それに、幼子は、自分があんなにも切望したものが、同じようになくなってしまった。何かが、崩壊した。
何かがあふれ出したと、悟った時、視界が黄金に染まった。