ぼっちが異世界から来るそうですよ?   作:おおもり

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みなさん、お久しぶりです。
シルバーウィークはいかがお過ごしだったでしょうか。
私? 大学でしたが、何か?
何故大学は祝日登校があるのか……。
遅くなって申し訳ありませんでした。遅くなったわけはあとがきで語るとしましょうか。


私の中の……

 箱庭、某所

 

「……ん、ここは……箱庭か?」

 

 水の落ちる音とどこか肌寒い空気によって目が覚める。視界には、見覚えのない洞窟のゴツゴツとした岩壁が広がっている。

 

(知らない場所だな。箱庭じゃないのか……)

 

「思ったより、お寝坊だったわね」

 

 かけられた声に振り向くと、死んでから感覚的には、もう何年ぶりにもなる人物がそこにいた。

 

「……久遠、か?」

 

「久しぶりね、八幡君」

 

「お、おう、久し……ぶり? なぁ、久遠。お前の後ろにいるでかいやつ、何?」

 

 八幡が指差したのは、全体的に赤い配色の巨大な鉄人形だった。そして、飛鳥は八幡の言葉に心外そうな顔をする。

 

「『何』、だなんて、随分な言い方ね。私達の新しい同士だっていうのに」

 

 飛鳥の台詞に、八幡は一瞬頭が真っ白になる。

 

「なぁ、久遠。今、こいつが新しい同士って言ったのか?」

 

 八幡が尋ねると、飛鳥は誇らしそうに胸を張る。

 

「ええ、そうよ! 私達の新しい同士、“ディーン”よ!」

 

 そこまで言われて、八幡はようやく思考が追い付いてくる。

 

(ああ、そういうことか。つまり、ディーンは久遠の新しいギフトってわけか)

 

 自分が地獄に落ちている間に彼女に何があったのかは知らないが、どうやらここで何らかのギフトゲームに勝って手に入れたらしい。

 

「とりあえず、今の状況を聞いてもいいか?」

 

「それもそうね。私もここにいたら、いきなりエリアさん達が現れて、八幡君の持ってる鳥のギフトであなたを呼び戻してほしいってお願いされたの」

 

「あいつらに?」

 

 八幡が周りを見ると、いた。二人からやや距離をとった位置で、アウスが三人の姉にもみくちゃにされていた。

 

「お姉ちゃん達、久しぶり~」

 

「もう、アウス。起きてるんならちゃんと寝癖は直しなさい。女の子でしょ?」

 

 そう言って、エリアがアウスの髪を手すきし始める。アウスはそれをむず痒そうにする。

 

「う~、別にいいよぉ~」

 

 アウスが逃げようとすると、今度はウィンがアウスの肩をがっちり掴む。

 

「はいはい。すぐ終わるから、大人しくしていましょうね」

 

「は~な~し~て~よ~」

 

 それでもなお、ジタバタしようとするアウスにヒータがたしなめるように言う。

 

「でも、これからコミュニティのお屋敷で働くなら、身だしなみはちゃんとしないと」

 

 普段とは違い、やや強気のヒータや他の姉妹を見ながら、八幡はぼんやりとこの姉妹がちゃんとした姿で揃っているのは、そういえば初めてだったな、と考えていた。

 そんな彼の視線に気づいたのか、エリアは八幡の方に顔を向ける。

 

「申し訳ありません、御主人様(マスター)。この子ったら、昔からだらしなくて。やっぱり、ちょっと甘やかしすぎたかしら……」

 

 困ったように言いながらもどこか楽しそうなのは、久々に姉妹が全員揃っていることよるものなのだろう。懸命にはしゃぐまいとしているが、顔が先程からにやけっぱなしである。

 

「いや、別にそれは構わないんだが……」

 

 そこで気づく。自分の周りに光る何かが大量に漂っていることに。

 

「なぁ、これ何だ?」

 

「群体精霊っていうらしいんだけど、八幡君が来てからずっと貴方の周りを飛び回っているのよ。この子に訊いたら、八幡君の傍は居心地がいいんだそうよ」

 

 飛鳥が肩に乗っている地精を撫でる。

 八幡は気にしても仕方ないと思うことにし、これからどうするんだ、と聞こうとすると、それをアリスが後ろから抱きついて抑える。

 

「はいはい。病み上がり何だから焦らない焦らない。決戦は上の人達の交渉で二日後に決まったよ」

 

「それじゃあ、私達はそれまで待機ってことかしら?」

 

 飛鳥が聞くと、アリスは首を横に振る。

 

「いや、確かに本来であればそれがいいんだけど、やらなきゃいけないことがまだあるからね」

 

「やらなきゃいけないこと?」

 

 頭に疑問符を浮かべる飛鳥に、アリスは八幡を指差した。

 

「ちょっと、色々事情があってね。今の八幡は精神的にかなり不安定な状態なんだ。だから、それをどうにかするために、閻魔の試練で手に入れた“限定契約”を使ってギフトゲームを開催する。僕が媒介して八幡の深層心理を映せばいけるはず……。久遠さんは八幡のサポートを頼めるかな? 一応、先輩達もいるけど、サポートは多い方がいい」

 

「わかったわ。だけど、どういうゲームかはわかっているの?」

 

 飛鳥が聞くと、アリスは肩を竦める。

 

「正直、今の八幡の不安定な状態の精神状態じゃ、出たとこ勝負感が否めないね。僕じゃ把握は出来ても理解できない部分も多いし」

 

 つまり、どうなるかは蓋を開けてみなければわからない、というわけだ。

 アリスの不安を煽るようあ言葉を受けて、飛鳥は八幡を見る

 

「そんな状態で、八幡君は大丈夫なの?」

 

「基本的にその強さが武器みたいな所もあるからね。一応、まだもってはいるけど、このままだとさすがにまずいだろうね」

 

 そう、と言うと、飛鳥はアリスに向き直る。

 

「わかったわ。同じコミュニティの同士の危機。なら、喜んで手を貸すわ」

 

「それじゃあ、早速始めようか」

 

 パチンと、アリスが指を鳴らすと、全員の景色が暗転した。

 

 

 

 

 

          ♦

 

 

 

 

 

「……ここは」

 

 視界が暗転し、再び飛鳥が目を開けた時に見えたのは、迷路だった。

 恐らく、石材によって造られたであろうその自分の身の丈では絶対に越えられそうもない高く白い壁には、所々黒い色が混じっており、それが白い塗料で塗りつぶされている。

 何とも奇妙な迷路だ。

 飛鳥が周りを見回すと、八幡、エリア、ウィン、ヒータ、アウスも周りの様子を窺っていた。

 

「……あ、あれ」

 

 ヒータが何かを指差す。

 一同が彼女の指差した方向を見ると、そこには壁に貼り付けられた羊皮紙があった。

 

『ギフトゲーム名“私の中の……”

 

 プレイヤー一覧、比企谷八幡、久遠飛鳥、エリア、ウィン、ヒータ、アウス

 

 勝利条件 決着をつける。

 敗北条件 降参か、プレイヤーが上記の勝利条件を満たせなくなった場合。

 

 宣誓、上記を尊重し、誇りと御旗とホストマスターの名の下、ギフトゲームを開催します。 

  

                             “ノーネーム” 比企谷八幡 印』

 

「これは、どういうことかしら?」

 

 “契約書類”を読み上げた飛鳥が、全員に問う。

 

「『決着をつける』ってことは、何かと戦うってことよね? でも、どうすれば決着がつくのかしら」

 

 飛鳥の疑問にエリアも同調する。

 

「そうですね。ここに書いてあることだけでは、いくらなんでも情報が少なすぎます。恐らく、この迷路内に手がかりになるものがあるはずです」

 

 とりあえずはと、ウィンはヒータを見る。

 

「ヒータ、御主人様の精神状態から、この“契約書類”の意図する部分の類推、できる?」

 

 聞かれたヒータは静かに頷いた。

 

「えっと、まずは『私の中の……』って部分。たぶん、これは『比企谷八幡(ごしゅじんさま)の心の中の』って意味の言い換えだと思う。だから、『決着をつける』っていうのは、精神的な意味合いで、『ご主人様の心の中にある何かとの決着』って意味だと思うんだけど、それがどういう決着かは、ご主人様しかわからないんじゃないかな」

 

「なるほど……。どう思いますか、御主人様……御主人様!?」

 

 焦ったような声を上げるウィンに振り返ると、そこでは八幡が苦しそうに踞っていた。

 

「八幡君、大丈夫なの!?」

 

 飛鳥が駆け寄ると、八幡は胸を抑え、荒い息で何かを堪えるようにしていた。

 

「はぁ……はぁ……。大……丈夫だ。早く、終わら……せるぞ」

 

 八幡は無理矢理立ち上がり、覚束無い足取りで進もうとする。

 しかし、背後からエリアが八幡の首に首刀を入れる。

 

「失礼します、マスター」

 

「……っ!?」

 

 首刀を入れられた八幡は意識を失い、その場にドサリと倒れる。

 エリアは八幡の介抱をしながら歯噛みする。

 

「迂闊でした。ここがマスターの精神世界であるなら、マスターのことをもっと慮るべきでした」

 

 エリアの言う意味がわからず、飛鳥は困惑する。

 

「えっと、エリア。どういうことなの? どうして八幡君を……」

 

「久遠様、よく考えてください。不特定多数の人間に自分の精神世界に入られるということは、自分の心の中を不特定多数の人間に覗かれるということです。それも、自分の目の前でそれをされるのです。辛くないわけがないでしょう」

 

 なるほど、彼女の言う通りだ。自分の目の前でこれだけの人数に自分の心を覗かれるのだ。それがたとえ仲間であったとしても、抵抗があって当然だ。

 

「それで、八幡君は大丈夫なの?」

 

「精神的なストレスによるものなので、あまり大丈夫とは言えませんね。如何にマスターの精神が強靭であっても、度重なる精神の負担は相当なものでしょうし。出来る限り急いでゲームをクリアしましょう。幸い、マスターが気絶しても敗北にはなっていないようですから、私が背負っていきましょう」

 

 そう言って、エリアは八幡を背負うと、再び飛鳥の方を向く。

 

「久遠様。ここがマスターの精神世界である以上、私達のギフトはあまり強い効力を発揮できない可能性があります。ですから、久遠さんに多く負担をかける形になるかもしれません」

 

 申し訳なさそうにするエリアに、飛鳥はにこりと笑う。

 

「いいわ。八幡君は私達の(・・・)同士だもの。むしろ、こういう時こそ助け合いましょう」

 

「……ありがとうございます」

 

 エリアと共に、妹達も礼をする。

 

「では、時間もありませんし、進みましょう」

 

 

 

 

 

          ◆

 

 

 

 

 

 迷路を進み始めて、一行はこの迷路の奇妙な点に気づく。

 

「あれは何かしら?」

 

 飛鳥が不思議そうに呟く視線の先には、白い人影の様なものが、それぞれに思い思いの行動をとっていた。

 ある者は黒ずんだ迷路の壁を白く塗りつぶし、またある者は何かに怯え、またある者は何かに迷うような仕草で歩いていた。

 それらの人影の行動はバラバラであるものの、共通点もいくつかあった。

 一つは、その白い人影には、割合は違えど黒ずみがあること。もう一つは、その人影がとある人物に似ていること。

 その人物とは……。

 

「……八幡君、よね? あの人影の形って……」

 

 呆然とする飛鳥に、ウィンが考え込むような仕草をしながら言う。

 

「恐らく、御主人様を構成する一要素でしょう。ただ、あれが御主人様の中の何を指すかまではわかりかねます」

 

「そう。あれが、八幡君の……」

 

 飛鳥はどこか遠くの地にあるものを実際に見てみたら、自分が見聞きした知識と違っていたような気分だった。

 目の前の黒混じりの白い人影達は、何かに怯えたり焦ったり、飛鳥が今まで見てきた比企谷八幡という人物には、おおよそ結びつきようのないものであった。

 そんな思考に囚われていると、ズシンと、重い音が響く。

 

「……何の音?」

 

 そう言って顔を上げた飛鳥は、一定の感覚で響く重厚なその音が何かの足音だと気づいた。何故なら、顔を上げた時に見えた視界の先に、ちょうど迷路の壁と同じ大きさの牛人(ミノタウロス)が見えたからだ。

 飛鳥は、咄嗟にディーンを呼び出そうとギフトカードを取り出そうとする。しかし、それはアウスに腕を掴まれ、止められてしまう。

 

「ちょっと、何をするの!?」

 

 焦る飛鳥に、アウスはシーッと、口元に人差し指を立て、静かにするよう指示する。

 

「ちょっと~、静かに~。あれが何の能力を持ってるかわからないし~、心の均衡を護ってる存在の可能性もないわけじゃないし~、何よりここじゃ壁を壊しちゃうでしょ~?」

 

 アウスの間延びした喋り方は如何にも聞き手に危機感を抱かせにくいが、言うことは至極最もだ。

 あのミノタウロスがどういう存在かわからなければ、敵味方の判断すらできない。

 

「とりあえずは広いところに誘い込んで、様子見にディーンをけしかけてみる、というのはどうかしら?」

 

 飛鳥が提案すると、エリアが少し瞑目してから口を開く。

 

「そうですね。ここがマスターの精神世界であることを考えれば、それによって久遠様がこの迷宮、ないしはあのミノタウロスに敵として認識される可能性があるかもしれません。そうなると、このギフトゲームの攻略にも支障が出ます。なので、まずはこの中で一番速いウィンが様子を見て、攻撃してくるようならここまで誘導。私とヒータでウィンの支援をしながら足止め。アウスは久遠様の護衛。久遠様は陰からミノタウロスを観察してください」

 

「わかったわ。だけど、もしも貴女達が危ないと判断したら、ディーンを使わせてもらうわね」

 

「それで構いません。ですが、くれぐれも見つからないように注意してください」

 

 エリアに釘を刺され、飛鳥が無言で頷くと、エリアは八幡を飛鳥達に任せ、ウィンとヒータを伴って配置につく。

 広い道からウィンが先行してミノタウロスに近づき、エリアとヒータは少し離れた距離から追従する。ミノタウロスは、目的があるのかないのか、ただ重厚な足音を響かせながら、ゆっくりと歩いていた。

 

(これは少し、仕掛けてみる必要があるかしら……)

 

 ウィンは自身のギフトで風の刃を作り、ミノタウロスに向けて発射する。その瞬間、

 

『GEEEEEEYAAAAAAAAAaaaaaaaaa!』

 

「……え?」

 

 突如豹変したミノタウロスが、一瞬でウィンの懐に入り込んだ。

 

「――――――――――ッ!?」

 

「ウィンッ!?」

 

「ウィンを守りなさい、ディーン!」

 

「DEEEEEEEEeeeeeeEEEEEEEN!」

 

 飛鳥が呼び出したディーンが、ミノタウロスとウィン間に割って入り、如何にも破壊力のありそうなその拳を叩き込む。

 しかし、その拳はミノタウロスの持つ戦斧によってなんなく弾かれ、その勢いのままミノタウロスはディーンに戦斧による一撃を見舞った。

 

「ディーン!?」

 

「くっ……!? 久遠様、ディーンが足止めしている間に一旦逃げましょう! ギフトカードがあればすぐに呼び戻せますから、私達が安全な場所に一刻も早く退避しましょう」

 

「……わかったわ」

 

 エリアが八幡を、ウィンが飛鳥を背負い、ディーンがミノタウロスと戦っているその場から飛鳥達は逃走した。

 逃げる彼女らは、右ヘ左へと、しっちゃかめっちゃかに迷路を移動し、時に行き止まりに突き当たりながらも懸命に逃げた。

 そして、逃げた先にいたのは、虎だった。

 

「……綺麗」

 

 飛鳥は思わずそう口にしていた。

 気づけば他の者も逃げることを忘れ、その虎に見入っていた。

 魅入られていた。魅せられていた。そして、見惚れて、見蕩れてしまっていた。それ程、その虎は美しかった。

 白く艶やかな毛並みに鮮やかな黒い縞模様。

 一目で美しさと勇猛さを感じさせる佇まい。

 それは、さながら芸術品のようで、触れるに畏れ多く、殺すのは忍びなく、勿体なく思ってしまうものだった。

 完全に虎に意識を奪われた飛鳥達に対し、その虎はさして興味もなさそうに、あっさりと踵を返そうとする。

 

「ま、待って!」

 

 もっと見ていたくて、つい飛鳥は呼び止めようとしてしまう。

 しかし、虎は振り返ることもなく行ってしまった。

 

「一体何だったの?」

 

 呟いた飛鳥の言葉に答えられる者はいなかった。

 そして、逃走を再開した彼女達は、しばらく移動して、ようやく隠れられそうな場所を見つけた。

 

「……部屋、かしら?」

 

 それは恐らく、何らかの部屋があるだろう小さな建物が集まる扉群だった。

 

「どうなさいますか、久遠様。先程立ち止まってしまいましたし、また立ち止まっていれば、ディーンがどうなるかはわかりません。ですが、この扉が罠でないとも言えません」

 

 エリアが尋ねると、飛鳥は迷うことなく扉に手をかける。

 

「進みましょう。このままここにいても意味はないし、ゲームも解けないわ。今は、前進あるのみよ」

 

「かしこまりました」

 

 飛鳥が扉を押すと、その扉は重そうなわりに音もなくあっさり動いた。少なくとも、開けようとしていきなり何かが起きなかったことに内心安堵しながら、飛鳥は一気に扉を開いた。

 

 

 

 

 

          ◆

 

 

 

 

 

「……ここは?」

 

 そこには大量の本と本棚があった。本棚に綺麗に収められた本もあれば、飛鳥の身長までうず高く積まれた本。開きっぱなしで机に置かれたり、乱雑に放っておかれた本もある。

 そして、そこでは白い人影達が本を読んでいた。

 

「ここは……御主人様の知識や人格形成、見識の拡大などに関わった場所、というところでしょうか」

 

 なるほど確かに、と飛鳥は納得する。知識=本、というのは、実にわかりやすい図式だ。明快といってすらいいのかもしれない。 

 

「なら、ここにあの怪物のことがわかるヒントがあるかもしれないわね手分けして探しましょう」

 

「そうですね。ですが、くれぐれも人影を刺激しないよう。どうやら彼らは、こちらが何もしなければ大人しいようですし。まずは、ディーンを戻しましょう」

 

 言われて、飛鳥はディーンをギフトカードに呼び戻すとちらと、白い人影を見る。

 こちらに全く無関心で、静かに本を読み続けている。

 こちらは、実に彼らしいと飛鳥は感じた。

 彼も本拠でよくこうやって静かに本を読んでいた。読んでいる本はまちまちだったが、乱読というわけではなく、文学書が多く、十六夜と違って学術書や専門書はほとんど読んでいる姿を見ていない。

 このあたりは彼の好みなのだろうか。

 飛鳥は、同士の今まで見えなかった一面に対し、それを勝手に見ることを申し訳なく思いながらも、わくわくしながら辺りを見回していた。

 

「十六夜君や春日部さんも来られれば良かったのに……」

 

「……お二人も、ですか?」

 

 エリアが聞くと、飛鳥は頷いた。

 

「私なんかよりも、二人の方がずっと彼に近いのだし……」

 

 それは今までずっと感じていた事だった。

 比企谷八幡と久遠飛鳥の距離は、逆廻十六夜や春日部耀よりも遠い。

 それも当然だ。

 無理矢理に彼を引っ張っていける十六夜のような行動力も、友達になろうと少しでも近づこうとする耀のような勇気も自分にはないのだ。ただ漫然と、誰かを間に隔てた交流しかしていないのだから。

 久遠飛鳥それでいいのだろうか。

 同士として。そんな関係でいいのだろうか。

 

「大丈夫です」

 

「……え?」

 

 エリアの呟きに、飛鳥は反応する。

 

「マスターはそのようなことを気になさる方ではありませんから。飛鳥様が気に病まれるようなことはありません」

 

 穏やかに微笑むエリアに飛鳥も自然と心がかるくなる。

 

「そうね。その通りだわ。それに、今はそんなことを考えている場合でもないものね」

 

 まずは、ゲームのクリアが先決。

 そう決めて、飛鳥は辺りを見回す。

 周りには、種々様々な本が存在する。大きさも装丁もバラバラだ。

 しかし、その中に目立つものを見つけた。

 その本は最初は埃まみれで、てっきり黒一色の本だと思った。だが、埃を払ってよく見ると、それは何かによって黒く塗りつぶされた本であることがわかった。本の中にあるタイトル部分も入念に黒く塗りつぶされており、まるで封じ込めようとでもしているかのような有り様だった。

 飛鳥は、本を開いてその本の内容を見る。

 

 

 

 

 

          ◆

 

 

 

 

 

『第一の手記

 難しい。

 退屈だ。

 つまらない。

 なぜ自分はこのような本を読んでいるのだろう。

 別に賢しらぶるほど娯楽に飢えているわけでもないだろうに。

 他にも楽しいことなど山ほどあるだろうに

 …………やめろ。

 何だろう、これは。

 まるで自分のことではないか。

 今まで誰にも見せないように奥の奥に秘して秘して隠してきたものが暴かれていくような、己の本性を暴かれていくような不快感だ。

 やめろ。

 二度と覗くな』

 

『第二の手記

 驚いた。

 てっきり捨てたと思っていた。

 いや、そんなことはないだろう。

 これが本である以上、己の本棚にある以上、これは己がずっと秘してきた本性なのだから

 しかし、いつか自分はこれと向き合わねばならない

 己が何より秘して隠しておきたいこれと。

 今までずっと、見ないふりをして封じ込めていたけれど、いつかそれが出来なくなる時が来る

 その時自分は、どうなるのだろうか』

 

 

 

 

 

          ◆

 

 

 

 

 

「何かしら、これ?」

 

 まるで、何かの形式に則るかのように書かれたそれに、飛鳥は頭に疑問符を浮かべる。

 

「何かの感想なのかしら。それにしても妙ね、この本。途中から紙も全部黒塗りだわ」

 

 飛鳥が読んだその本は、『第二の手記』と称されたその途中から、まるでその先がないかのように塗りつぶされており、あたかも黒い紙であるかのようだった。

 

「あの……」

 

「何かしら、ヒータ?」

 

 ヒータは飛鳥が読んでいた本を指差す。

 

「たぶん、それ。途中までしか読んでないんだと思う」

 

 ヒータの意見にウィンはなるほどと、頷いた。

 

「途中までしか読んでないからそもそも何も感じようがない。だから、途中で全部終わったみたいになっているのね。とすると、これは御主人様がこの本を途中まで読んだ上で感じ、想ったこと。文字通り感想って事ね。飛鳥様、他の本も読んでみましょう」

 

「ええ、そうね」

 

 飛鳥達は再び本の捜索を始める。しかし、どの本も当たり障りのない感想しか記述されていなかった。

 そこで、飛鳥はふと、ある本に目が向いた。

 いや、それは本と呼ぶには装丁があまりにも粗く、紙束と呼ぶべき代物だった。じかも、うず高く積まれた本の一番下にあり、磨り潰すように上に本が積まれていたためにすぐに気がつかなかった。

 飛鳥はそれを他の三人と協力して上の本をどけ、それを取り上げた。

 その時気づいた。その紙束には、厳重な鍵がかけられていた。

 まるで、何者の目にも触れさせないかのように。

 しかし、だからといって、見ないわけにはいかない。

 周りを見渡す。

 すると、何かに怯えているかのような白黒の人影が手に何かを握りしめているのがわかった。

 飛鳥はその人影に近づき、その手の中にあるモノを取ろうとする。

 すると、人影はビクリと反応し、よりいっそう強く怯え始めた。

 その人影は決して強くはないが、それでも確かな力で鍵を取られまいとする。

 

「悪いのだけれど、私たちにはこの鍵が必要なの。渡してくれないかしら?」

 

 飛鳥が訊ねると、人影は怯えた様子で首を横に振る。

 

『見たら、きっと変わる……』

 

 変わる、とは一体何のことか。飛鳥にはそれがわからない。ただ一つわかるのは、彼がその変化を恐れているということだ。

 飛鳥は人影に自分の手を重ねる。

 

「あまり私を見くびらないでもらえるかしら。私はあなたの一面を見たぐらいで変わるつもりはなくってよ」

 

 人影は少し意外そうな顔をした後、恐る恐る鍵を差し出す。

 

「ありがとう」

 

 お礼を言うと、飛鳥は鍵を本の鍵穴に差し込む。

 すると、カチリと音がして鍵が開く。

 そして、飛鳥はその粗い装丁の本を開いてそれに目を通す。

 

 

 

 

 

          ◆

 

 

 

 

 

『ソレハオマエガイエタコトカ

 ソレヲオマエガイウノカ

 フザケルナ

 ジブンジシンノコトモナニモシナイクセニデキナイクセニ

 ヨケイナオセワダ

 ソノコトバヲオレニムケルノカ

 コロスゾ

 ニクイ

 ナニヲタニンゴトノヨウナカオヲシテイル

 ナゼミナイフリヲスル

 ソイツラノツミヲ

 ソノアサマシサヲ

 ソイツラハニクムベキテキダ

 ニンゲントシテノショウケイナドイラナイ

 スベテステサレ

 ソノリセイヲ

 スベテトキハナテ

 ニクメ

 ウラメ

 コロセ

 ナニヲマドウヒツヨウガアル

 ヒトトシテアツカワレヌノナラコチラガアツカウドウリナドナイ

 アラガウナ

 スベテユダネテイロ

 ソウスレバ

 スベテオワラセテヤロウ

 ナニモカモスベテ

 コワシツクソウ

 サァモウオノレノツミヲカゾエルジカンハオワリダ

 ツギハヤツラノツミヲカゾエルジカンダ

 ジカクシロオノレノケモノヲ

 トキハナテオノレノケモノヲ

 オソレルナ

 ソレラハスベテオマエノモトニアル』

 

 

 

 

 

          ◆

 

 

 

 

 

「…………」

 

 飛鳥は本を静かに閉じた。

 しかし、内心では今すぐ悲鳴をあげて本を投げ捨てたい気分だった。

 それをしないのは、一重に人影と、彼とした約束があったからだ。

 それでも、内心では恐れる心を止めることができない。飛鳥はまるで心臓を握りつぶされているかのような気分だった。

 何なのだ、あれは。

 あの本の内容などどうでもいい。

 しかし、あの文章から滲み出ていた怒り、悲しみ、嘆き、贖罪し、断罪し、全てを壊さんとする負の感情が、その想いが全て彼のモノであると言うことが信じられなかった。

 だが、だからこそ恐れていたのだろう。

 自身の中にあるあのような本性を誰かに暴かれることを。

 そして、それによって何かが変わってしまうことを。

 ならば、だからこそ自分はあれを見ても変わってはいけない。変わるわけにはいかない。

 飛鳥は、気を落ち着けるために深呼吸をする。

 

「貸してくれてありがとう」

 

 鍵を渡すと、人影はどこか安心したような顔で飛鳥を見て、小さく言葉を発した。

 

『……ありがとう』

 

 その言葉に、飛鳥は微笑むとしゃがんで人影に目線を合わせる。

 

「どういたしまして」

 

「ん、うん、ここは……?」

 

 後ろでする声に振り返ると、横たえていた八幡が目を覚ましていた。

 飛鳥はすぐに八幡に駆け寄った。

 

「八幡君、大丈夫なの?」

 

「ああ、久遠か。一応、もう大丈夫そうだな」

 

「そう。よかったわ」

 

 飛鳥が安堵すると、八幡はそれでと、彼女に視線を向ける。

 

「ゲームはどこまで進んでいる?」

 

 飛鳥は、これまでの事の顛末と自分達なりの推測を八幡に話した。

 話を聞き終わった八幡は、いかにも憂鬱な様子で天井を仰ぐ。

 

「なるほど、そういうことか。あー、くっそ。面倒だな」

 

「どういうことなの、八幡君。貴方には、もうこのゲームのクリア方法がわかっているの?」

 

「大体だけどな。お前らの予想はほとんど正解だと思う。たぶん、このゲームの鍵になるのは、お前らが見たミノタウロスと虎だろうな」

 

「そういえば……、あのミノタウロスの能力って一体何なの?」

 

 飛鳥が訊くと、八幡は気まずそうに目を逸らす。

 

「あー、それは……とりあえず、早くこれを終わらせねえと魔王の方が終わっちまう」

 

 露骨に話を逸らそうとする八幡に、飛鳥は怪訝そうな顔をする。

 

「……どうかしたの、八幡君? ちょっと変よ」

 

「……悪いんだが、できたら何も聞かないでくれ」

 

 頭を下げる八幡に飛鳥は戸惑ってしまう。

 同じコミュニティの同士として、困っていることがあるならば手伝いたいが、こんなふうに頭を下げて頼まれてしまえば無理に聞き出すこともできない。

 

「それで、八幡君はこれからどうするつもりなのかしら?」

 

「とりあえず、あのミノタウロスを探す。虎の方は一旦無視していい。片方ならついでにやってもいいが、両方を同時に見つけたら撤退だな」

 

「撤退? 戦わないってこと?」

 

「ああ。あの虎は今回のゲームのクリアの要じゃあるが、直接ゲームの解答になる訳じゃないからな。時間がない以上は優先度は下げていく。それに両方は相手にしてられないから、両方が一緒にいたら撤退する方向でいく。で、今回のゲームのクリアに直接関わってくるのはミノタウロスの方だからあっちを探す。ウィン、出来るか?」

 

「かしこまりました。それでは、外に出ましょう」

 

 ウィンに促され、全員は部屋の外に出る。

 外に出ると、ウィンは目を閉じて耳を澄まして集中する。

 そして、しばらく経つと二つの方向を指差す。

 

「どうやら、それぞれ近い位置にいるようです。ミノタウロスは北北東、虎は東北東にいます。どうしますか?」

 

「とりあえず、虎を避けていける迂回ルートで進んでミノタウロスに近づく。それさえできれば後はすぐに終わる」

 

 八幡の指示に精霊達は無言で頷き、周りを警戒しながら先行する。

 しばらく北側から慎重に進んで行くと、ウィンが怪訝な表情で歩みを止め、八幡の方を向く。

 

「ご報告します。虎の反応が消えました」

 

「消えた? ……いなくなったとかか?」

 

「いえ、先程は対象が動いた際の空気の振動と流れから把握していたのですが、途中で消えてしまったんです」

 

「……動いていない訳じゃないのか?」

 

 ウィンは強く否定するように首を横に振った。

 

「ありえません。たとえ精神世界といえど、そこで生物として存在を決められたなら、動かなくても心臓の鼓動やそれに連なる微細な振動による空気の揺れが起きるはずです。恐らく、虎は自由に転移ができるのだと思われます」

 

「そうか……。となると、迂回は無駄だな。悪いんだが、今度は最短で頼む」

 

「かしこまりました」

 

 ウィンはお辞儀をすると、進路を変えて再び先行する。

 しばらく行くと、全員がゾクリと鳥肌が立つような感覚を覚える。

 

「チッ! こっちの方が先に来たか……」

 

 八幡が睨むと、睨んだ方向の壁の向こうから虎が壁を軽々と超えて現れた。

 虎は唸ることもなく、ただ静かに八幡を見据えた。

 八幡はどこか諦めと後悔を滲ませたような表情で虎に向かって歩き出す。

 

「ちょ、ちょっと、八幡君!」

 

 飛鳥はそれを止めようとするが、エリアがそれを制する。

 

「申し訳ありません、飛鳥様。ですが、今はマスターを信じてはいただけないでしょうか」

 

「……わかったわ」

 

 やや不安そうだが、渋々了承する。

 八幡は虎の傍に来ると、そっとその頭を撫でる。

 その手は微かに震え、額には汗が滲んでいた。しかし、虎を撫でると、どこか悲しそうに微笑み呟いた。

 

「……悪いな、お前みたいになれなくて」

 

「……GULULU」

 

 虎は短く唸ると、スゥーっとその姿を消し、霧状になって“リセイノケモノ”の意匠に入り込んでいく。

 虎が完全に消えてから、八幡は鏡で意匠を見る。

 そこには、虎の意匠が鮮やかな銀色で輝いていた。

 八幡はもう用はないとばかりに飛鳥達のところへ戻ってくる。

 

「悪い、待たせた。さっさと行くぞ」

 

 すぐに行こうとする八幡に飛鳥は戸惑いながら訊ねる。

 

「えっと……八幡君、どういうことなの? 結局、あの虎は何だったの?」

 

 一瞬、八幡の顔が引きつるがすぐに何でもないかのように見せかける。

 

「あ、いや、ほら、今はこのゲームのクリアが先だろ」

 

「……わかったわ。でも、後でちゃんと説明してもらうわよ」

 

 八幡は苦虫を噛み潰したような顔になる。

 

「……わかった、説明する。ただ、条件がある」

 

「条件?」

 

「後で話を通しておくから、アリスの方から聞いてくれ。俺からは話せない」

 

 飛鳥は少し考える素振りを見せた後、ため息をついた。

 

「わかったわ。今はそれで納得しておくわ」

 

「ご主人様」

 

 二人の話が一区切りついたのを察したのか、ウィンが声をかける。

 

「それでは、当初の計画通りミノタウロスの方にむかいましょう」

 

 再度、ウィンがミノタウロスの位置を探る。

 すると、途端にウィンの表情に焦りが浮かぶ。

 

「ご主人様、ミノタウロスがすごい速さでここから遠ざかっています!」

 

「くっそ! やっぱりそうなったか……!」

 

「八幡君、やっぱりって……?」

 

「話は後だ。ウィン!」

 

「はい!」

 

 八幡の呼び掛けに答えたウィンの姿が消えると、八幡の髪の色が彼女と同じ緑がかった金色に変わる。

 

「エリア、こっちは任せる。いいか?」

 

 八幡が訊くと、エリアは少し驚いた表情見せ、すぐに穏やかに微笑むと己の主に優雅に礼をする。

 

「かしこまりました。いってらっしゃいませ」

 

「……行ってくる」

 

 瞬間、八幡の姿は煙のように消え去ってしまった。

 

「い、今のは一体……」

 

「“憑依”です」

 

「憑依?」

 

 口で言われても、そちらの方面に明るくない飛鳥は頭に疑問符を浮かべる。

 

「本来は霊などに意識を乗っ取られる場合がほとんどですが、マスターは常人よりも精神が強い上に私達もあの方の体を乗っ取るつもりは毛頭ありませんので、意識を本人に持たせたまま人間の肉体を介することで精霊種である私達により確かな実体を持たせ、より強力な能力を行使できるようにしているんです」

 

「つまり、普段よりもずっと強くなれるってこと?」

 

「はい。ですが、体への負担があるので憑依できるのは一人までです」

 

 どうやら、少し見ない間に強力な力を得たのは自分だけではなかったらしい。

 

「それじゃあ、後は彼に任せて私達はゆっくりさせてもらいましょうか」

 

 元よりこれは彼の戦いだ。自分が決着を着けてしまうような無粋を飛鳥は持ち合わせていない。ならば、この後のペスト達との戦いに備えて温存でもしておくべきだろう。

 

「……早く終わらないかしら」

 

 しかし、彼女も“ノーネーム”の問題児の一角。退屈は嫌いなのである。

 

 

 

 

 

          ◆

 

 

 

 

 

 一方、八幡はウィンを憑依させたことで風を操る能力を得て、高速でミノタウロスを追い、早くも追い付いていた。

 

「……GUAAAA」

 

 低く、警戒するように唸るミノタウロスを八幡はただ静かに見つめる。

 ミノタウロスはそんな八幡からジリジリと離れながらどこか怯えているような様子を見せる。

 そんなミノタウロスに八幡は一歩一歩近づいていく。

 

「GULUAAAAAaaaaaaaaaAAAAA!」

 

 近づく八幡を拒絶するように、ミノタウロスは己の戦斧を八幡目掛けて降り下ろす。しかし、八幡はそれを全く避けようとしない。ただ相手のするがままに任せる。

 

「……やっぱりか」

 

 降り下ろされた戦斧はすんでのところで止まっていた。ミノタウロス自身がそれを止めたからだ。

 八幡は戦斧を握るミノタウロスの手に触れる。

 

「今まで任せっきりで悪かったな。これからはお前も俺と一緒だからな」

 

 八幡が優しく言うと、ミノタウロスはどこか安心したようにその姿を薄くして消え去った。

 何かが自分の中に満ちていくのがわかる。そして、八幡の目の前に“契約書類(ギアスロール)”が現れる。

 

 

 

『GAME CLEAR

 “リセイノケモノ”

 “ジイシキノケモノ”

 以上のギフトが使用可能になりました』

 

 その内容を確認し終えた瞬間、八幡は光に包まれた。

 

 

 

 

 

          ◆

 

 

 

 

 

「やぁ、お帰り」

 

 どうやら、ギフトゲームはちゃんとクリアできたらしい。

 アリスが八幡に着やすく声をかけてくる。

 

「……ん? おお。って、あ……れ?」

 

 アリスに返そうとするも、これまでの疲労のせいか体の力が抜けていく。

 

「おっと」

 

 倒れる八幡を、アリスが抱き留める。

 そして、どこからか敷物を出して敷くと、そこに八幡を寝かせて自分も座り、彼の頭を自分の膝に乗せる。

 

「……すごい手際ね。八幡君は大丈夫なの?」

 

 一連の流れを見ていた飛鳥が感嘆交じりに八幡を心配そうに見る。

 

「一応は大丈夫だよ。ただ、ここのところの精神的な疲労が一気に出たんだろうね。むこうじゃウィラがいたからまだもってたけど、さすがに限界だったみたいだね」

 

 アリスが言うと、飛鳥はやや不満げな顔をする。

 

「それは、私達では彼の信用を得られないと、そういうことかしら?」

 

「いや、そうは言わない。ただ、立場の違いがあるだけだよ」

 

「立場の違い?」

 

「そう。君達が目指すもの、在ろうとする関係は“同士”であり“友”という、あくまで“対等”な関係だ。だけどね、彼とウィラの関係は僕らの“主従”関係とは真逆の“師弟”関係だが、同種の“上下”関係であり、彼が下にあるからこそ、その相手に己を委ねることができるんだ」

 

 対等ではないからこその出来ること。それは考えたこともなかった。

 同士だから、友と思っているから、彼の負担をどうにかできたらと思ったが、対等でないからそれができると言われてしまえば、飛鳥にはどうしようもない。

 

「……なら、私は何をしたらいいかしら?」

 

 飛鳥の問いにアリスはしばし黙考して、

 

「何もしなくていいよ、今は。とりあえず、明日君が戦うべき敵と戦うために休む。今君がすべきことはそれだけだよ」

 

「……それもそうね。でも、まだ大事なことが残ってるわ」

 

 そこで一拍置き、アリスに尋ねる。

 

「結局、さっきのギフトゲームは何だったの?」

 

「……うん、そうだね。君は彼のために頑張って来れたし、それじゃあ、後はネタばらしの時間といこうか。まず一つ目、あの白虎とミノタウロスが何かわかったかい?」

 

 何か、と問われても精々彼の中にある彼の一部であるという程度にしか認識していなかったため、具体的に何だったのかと問われても答えられない。

 そのため、飛鳥は首を横にふる。

 

「まず、比企谷八幡の構成する中でも大きいものは“理性”と“自意識”なんだ。それがギフトとなったものが“リセイノケモノ”であり“ジイシキノケモノ”なんだ」

 

「自意識はともかく、理性なのに獣なの?」

 

 飛鳥の言わんとすることはわかる。

 理性とは獣性、本能などとはほぼ対極にあるといっていい。ならば、なぜ獣なのか。

 

「それはその二つが比企谷八幡の剥き出しの部分だからだよ」

 

「……剥き出し?」

 

「あの迷宮にしたってそうさ。複雑な精神構造を表す迷宮が基本的に白いのは彼の純粋さやそうあろうとする潔癖さによる塗り替えによるもの。黒い汚れはそれでもなお隠しきれない自身の負の部分に対するどす黒い自己嫌悪だよ」

 

「それじゃあ、あの人影達は……」

 

「比企谷八幡の持つあらゆる一面。基本的な喜怒哀楽に関する事はもちろん“悪意への怯え”、“どうにもならない現実への焦り”、“落胆される恐怖”、“期待に対する不安”、“幻想を否定しきれないことへの嫌悪”。そんなあらゆる要素が異常な自意識によって生まれ、彼の中に溜まり爆発しそうなのを彼は己の強大な理性によって表に出さないように努めているんだよ」

 

「……そんなこと」

 

 飛鳥は内心で絶句していた。

 彼が常人よりも理性的だとはなんとなく思っていた。

 しかし、己の抱える闇のほとんどを生み出しつつも押さえ込み、あまつさえギフトとなるような自意識と理性など、それは最早人間と言っていいのかすらわからなかった。

 

「……人間だよ。彼は正しく人間だ。ただ人に怯え、自分を見せられないだけの普通の人間だよ。そして、このゲームは彼が自分自身の異常を受け入れ“普通”を見つめるためのものなんだよ」

 

「普通を見つめる?」

 

「そう。彼の中では自分は下にあり、他人は上にあるという価値観が根付いている。それがただ当たり前であるかのように。だけど、自分自身の全てを受け入れ、自身の価値観の異常性を知ったことで彼は自身の持つ価値観と同時に普遍的価値観も同時に得ることになる。それは今まで輝いて見えていたものが色褪せることになるかもしれない」

 

 そこで一旦言葉を切ると、いつしか瞳に覚悟の色を光らせたアリスは語気を強くする。

 

「それでも、彼は現実を知るべきだ。己の持つものを。己の望む道を」

 

「……それは、貴女達全員の意志なの?」

 

「詳しく聞いた訳じゃないけど、少なくとも僕達は彼に幸せになってほしいと願っている。それだけは確かだよ」

 

「貴女達は、本当に彼のことを大切に想っているのね」

 

 飛鳥が優しく言うと、アリスは飛鳥が今まで見たことないほど嬉しそうに笑った。

 

「うん、想ってる。僕達の認めた自慢の主だからね。僕達は最期まで彼に尽くし続けるよ」

 

「そんなに想って貰えるなんて、彼は幸福者ね」

 

「それはどうも。おっと、話がそれたね。迷宮の中にいたミノタウロスは“自意識”、白虎は“理性”をそれぞれ象徴している。さて、ここで一つ訊こうか。獣と人間の精神性が出てくる文学って、何か思いつくかい?」

 

「……“山月記”?」

 

 恐る恐る飛鳥が答えると、アリスは正解、と笑った。

 読んだことこそないもののそのような作品がちょうど自分の時代で高い評価を得ていたという程度の知識だったが、どうやら当たっていたらしい。

 

「八幡の世界だと学校の教科書に載ってるみたいだね。さて、人間の精神は時として相反する獣によって例えられる。彼の白虎やミノタウロスのようにね。そして、彼がそれらの獣を己の精神でも重要な位置付けにあるそれらの象徴として選んだのにも理由がある。さて、飛鳥さん。まず簡単な問題としてミノタウロスと迷宮といえば?」

 

「確か、ギリシャ神話にそういう話があったのよね? ……もしかして」

 

「そう。ミノタウロスは精神という迷宮にいる化け物であり、そこに潜む者としての象徴なんだ。時に顔をだし、奥へと這いずっていく化け物のね」

 

「……じゃあ、虎は?」

 

「そうだな……話が変わるんだけど『一匹狼』の語源って知ってる?」

 

 アリスの質問に飛鳥は怪訝そうな顔をする。

 

「ごめんなさい、知らないわ」

 

「狼ってよく独り者の象徴だと思われがちだけど、あいつらって基本群れで行動するんだよ。それで老いたり怪我で足手まといになって群れから離れた奴をそう呼ぶんだよ」

 

「でも、それだとその狼はすぐに死んでしまうわ」

 

 そうでもないさ、とアリスは首をふる。

 

「その狼が出ていった群れのやつらが獲物を弱らせて誘導してその狼が捕まえられるようにしたり、直接食べ物を持っていってやったり。群れがそいつを生かすんだよ」

 

「それが虎であることとどう関係するっていうの?」

 

「虎は基本的に一匹なんだけどね。例外は繁殖期の子育てやお相手ぐらいなんだ。そして、虎は子供が成長したら自身の縄張りから追い出すんだ。たとえ親い者であろうとも敵に回す徹底的な“個”であり、集団に生かされるのではなく独りでなお生き続ける孤高の強さ。それは彼にとって一つの理想なんだよ。そして、理想だからこそ潔癖や純粋の象徴である“白”い色。そして、ミノタウロスは“理性”の象徴であり”理想”の象徴でもある白虎の対極。つまりは理想の対極だ。さて、理想の対極といえば?」

 

 理想の対極。それはいたって単純な問いだ。

 

「……現実?」

 

「その通り。つまり、ミノタウロスは“自意識”の象徴であり、比企谷八幡の“現実”の象徴でもあったのさ。強く気高い虎に憧れたはずが醜く虚勢を張る弱々しいミノタウロスに成り果てた自分自身へのそれぞれの想いがギフトという形で実を結んだと言うわけさ。“理性”は圧し殺してでも自分を隠して合理性を取れる術を覚え、“自意識”は周りを恐れるあまりやられる前に潰すことを覚えた。それか二つのギフトの正体だよ」

 

「どういうこと?」

 

「相手が向ける自身への敵意、悪意に応じて対応し、自動で相手に反撃する。それが“ジイシキノケモノ”の能力なのさ」

 

 それはかなり強力なギフトではないのだろうか。

 飛鳥は八幡に目を向ける。彼の周りを郡群体精霊達が居心地良さそうに漂っている。気に入られたのだろうか。

 そう思ったところで、と言っても、とアリスが付け加えるように言った。

 

「誰に対しても発動する訳じゃないんだ。今のところは“人類種”、“人類種と契約又は隷属関係のある人類種以外”、“人類種由来の人類種以外”に限定される。まぁ、理由として八幡の元の世界に人類種しかいなかったからだろうね。だから、このギフトはこの箱庭でより強力になる。例えば……」

 

 比企谷八幡が“魔王”になるとか。

 アリスがそう言った瞬間、飛鳥がアリスを睨みつける。

 

「それは、彼が私達を裏切るという意味かしら」

 

 怒る飛鳥にアリスは顔色一つ変えない。

 

「そう怒るなよ。ただの戯れ言だと思って聞き流してくれよ」

 

 全くもって笑えない冗談だった。

 仲間が自分達を裏切る想像など、笑えないにも程がある。それも、“ノーネーム”にとって因縁のある“魔王”を引き合いに出してくるとは、センスの欠片も感じられない。

 そこでアリスはでも、と続けた。

 

「“魔王”は称号であると同時に手段でもある。八幡は目的のためなら、清濁を併せ持つぐらいの合理性と矛盾性を持っているから、もしかしたらがあるかもしれない」

 

「……そしたら、貴方達はどうするのかしら?」

 

「当然、彼についていくさ。だけど、“魔王”は必ず滅びる運命にある。僕としてはできる限りそういう手段はとってほしくない。だから、君達にはぜひとも我が主がそうならないようにしてほしい」

 

「そんなこと、言われるまでもないわ」

 

「そう。じゃあ、お願いするよ。さて、明日は早いし、君もそろそろ寝たらどうだい?」

 

 就寝を促すアリスに飛鳥はちょっと待って、と戸惑ったようにアリスに訊く。

 

「……貴女、そのまま寝るの?」

 

 話している間はあまり気にしていなかったが、アリスはずっと疲れ切って倒れてしまった八幡を膝枕している状態なのだ。

 しかしアリスは気にした様子もなく、堂々としている。

 

「流石に従者である僕が主である彼をほっぽりだすわけにはいかないだろう。それに、彼は明日実質二人も相手どらなきゃいけないんだ。だったら、今は少しでも疲れが取れるように楽な姿勢にさせてあげるべきだろう。それに僕は精霊だからね。全く疲れないとは言わないけれど、君達よりかは丈夫だよ」

 

 妙に釈然としないがある程度筋は通っているように感じられるため、反論ができない。よくわからない敗北感のようなものを感じながらも、飛鳥は渋々床に入る。

 ご丁寧に、男女の関係にややうるさい飛鳥でも大丈夫なようアリスが敷いた敷物は十分すぎるほどの広さがあった。

 

「それじゃあ、おやすみ。明日は君も頑張ってね」

 

「……貴女こそ、八幡君をお願いね」

 

「かしこまりましたお嬢様」

 

 八幡の頭を膝にのせているため上半身だけだが、それでもアリスは十分に恭しく礼をした。

 それを見ると安心したように飛鳥は目を瞑った。

 

 

 

 

 

          ♦

 

 

 

 

 

 飛鳥の寝息が聞こえてくる。精霊の姉妹達もここ最近ずっと八幡の体を維持していたため、今は休息のため眠っている。起きているのはアリスだけだ。

 アリスが指を鳴らすと、彼女の手にあの迷宮にあった本の一冊が現れる。鍵がかかっていたあの本だ。

 その本にはすでに鍵はかかっておらず、アリスはパラパラと本を捲っていく。それをずっと繰り返していると、本に何かが浮かび上がっているのだ。

 浮かび上がったそれはぐにゃぐにゃとしており、詳しくは判別できないが何かの文字であることだけは察せられた。

 そもそも、アリスはずっと疑問に思っていた。

 八幡自身が最初から持っていたギフトはどう考えても()()()()()()()のだ。

 確かに彼の精神性は並々ならぬものだろう。しかし、たかが十代後半の人間が立てられる功績などたかが知れている。それこそ普通の天才程度で収まっているはずだ。

 ならば、その穴を埋めているものは一体何だ?

 いや、兆候はあったはずだ。

 不当な罪状であるにも関わらず重すぎる懲罰。

 まるで魔王になることを勧めているかのようなギフトの方向性。

 そして、元の世界において理解され得ない彼自身。

 ……まさか。一つの仮説が彼女の中に浮かび上がった。

 もしもそうであるならば、彼よりももっと前に繋がっているはずだ。いや、そんなことは今はどうでもいい。このままここにいればいずれ彼は……。

 

「いや、止そう。どうするかは八幡が決めることだ。」

 

 そうなったら、自分達はどうするか。その腹だけ決めていればいい。

 それよりも今は目の前の事に集中しなければならない。

 明日のために、アリスは眠りについた。

 明日はいよいよ因縁の戦いだ。

 しかし、その戦いは結局のところ何の達成感ももたらさず、何の幸福ももたらさないことは、この時はまだ誰も予想していなかった。




はい、みなさん。お楽しみいただけましたか?
まずは、ギフト“リセイノケモノ”、“ジイシキノケモノ”の能力解説です。

“リセイノケモノ”
 能力
 ギフト発動中あらゆる感情を無視できる。たとえどれだけ嫌悪する行動であろうとも、求める結果に対して合理的であれば迷わずにできるようになる。
 ただし、あくまで一時的に感情を封じ込めて無視しているだけ。
 また、洗脳や行動の強制などの効果を持つギフトの効果を無効化する。

“ジイシキノケモノ”
 能力
 “人類種”、“人類種と契約、隷属している人類種以外の種”、“人類種由来つまり元が人類種である人類種由来の種”を対象に発動できる。
 相手の自分に対して攻撃の意思を向けた場合、攻撃をしようとした場合、その攻撃に自動で対応した上で反撃する。
 対応速度、対応能力は相手が自身に向ける負の感情の総量により向上する。

 能力はストーリーが進むごとに順次、変化、追加されます。
 さて、今回なぜこんなにも投稿が遅れたかというと、そもそも地獄編に問題がありました。
 その問題とは、この地獄編事態が実は思いつきとドジの重なりでできた産物だったからです。
 そのため、なかなか先に進みませんでした。
 さて、次回はついに決戦です。
 恐らく、あと1~3話くらいで2巻が終わると思います。
 次回はできるだけ早く投稿できるように頑張ります。

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