懐かしい風の香りがする。そしてその中に青年は溶け込むように歩いている事にした。何か目的があるようにもないようにも見える。黒髪の笠をかぶっている青年は慣れた足取りで山道を歩いていく。
先ほどのにとりと雛が居た川からは随分と距離を歩いたような気がする。周りに川というものはなくて森林の中で一本の木になっているような風景だった。ただ上を向くと空が普通に見えたりよくよく隙間を見ると川が見えたりする程度。
気持ちいい風が木の葉の間を通りそれを浴びた木の葉たちが歌を唄い出している。小さな声だったが誰も居ないのでよく耳にの中に入ってくる。青年はゆっくりとした足取りで山道を歩いていくが空に誰かいるのを感じてその場で立ち止まる事にした。
妖怪の山と言われている山では天狗が基本的に上の立場にいる。その種は多くいるとは思うが天狗の中でも一番下っ端とされている白狼天狗。飛行能力は有していないが身体能力が一段と高く平坦な道であれば飛行出来る烏天狗にも負けを劣らないと思われる。青年のな勝手な予想なので本当のことはよく分からないがそう思われる。白狼天狗は飛べない代わりに木を飛び越えて誰かいないかを探している。一人だけは動かずに目で探しているが基本的に掻い潜ることは難しい。
「お前さん、一人かい。」
青年がいる事に気づいたのか一人の天狗が降りてきた。青年は笠の中に顔を隠しながら近くに来るのを待っていた。
「一人だ。」
青年は適当に答える。一人である事には間違いないが勘違いをされているようなのでそう言っておく。別にどのように話が転ぼうとも問題はないようにしていた。
「そうか。最近お尋ね者がいる事は知っているか?」
その天狗は優しい声で聞いていた。迷い人を参拝の道へと戻す時のような声をしている。青年は平然とした表情をして答える。
「その事は知っている。だが、人相というのは全く知らない。」
前に聞いた事はあるがここでは敢えて答えるような事はしなかった。
「人相か。笠を被っていて黒髪で白色の着物を着ていて腰に二本の剣を持っている。丁度お前さんに特徴が当てはまるんだ。」
その天狗は非常に悩ましい表情をして青年に説明をしていた。青年の今の服装だと黒色の上着を脱げばそうなる。その為にもしかしたらそうなのではないか、と思い始めたのだろう。その程度で青年もぶれるような事はないが気にする事も分からなくもない。
「そうか。だが、例えば白色の髪をしていて赤い鼻のある一本底の下駄を履いている人がお尋ね者だとすると貴方はどうだ。」
「お前さんも言わん事も分からんでもない。まぁ、今回のところは何もしない。時間をとって悪かった。」
その天狗は青年の言い分にぐうの音も出なかったのだろう。致し方がなくここから立ち去ろうとしている。青年は特に何かを感じたりするような事はなかった。
「いや、その事は良い。お勤めご苦労だ。」
青年はもう行こうとしている天狗にそのように言葉をかけていた。天狗は嬉しそうな表情を浮かべていて感謝の意を伝えるとまたどこかへと行ってしまった。意外と功を奏しているらしい。
青年はまた別の事として天狗との一件は気にする事はなかった。再び足を進め出した青年は山の奥地を進む事にした。行きたい場所があるがこの調子でたどり着けるのかはまだ分からない。ここから誰かが現れる可能性もないわけでもない。
そんな訳で歩いて頂上を目指していた青年だが先ほどの天狗よりかは一回り大きめな天狗が三人ほど現れていた。そして青年の行く道を妨害するように立っていた。青年はどうしたものかと素通りをしようと何食わぬ顔で通ろうとしたがその肩を掴まれて三人の前に立たされていた。別に抵抗する意味もなさそうなのでさっさと終わらせていくつもりなのだろう。
「お尋ね者か。」
三人の天狗のうちの代表格のような人が青年に話しかけていた。謝罪一つもないのかと青年は思ったがそれを表に出すような事はやめておこうと思った。面倒だ、それに限る。
「身なりは似ている。先ほどの天狗に聞いて初めて知った。」
青年は赤い鼻をしている白色の髪をしている天狗との話を思い出していた。別に特別何か話したわけでもないとは思うがなんとなく覚えている範囲で話す事にした。
「ふむ。ならば、同行願おう。お前の言った通り怪しいからな。」
天狗は急に強気に言いだしていた。三人相手に抵抗するような事はないのだろうとたかをくくっているらしいがそれはどうだろうと青年は思っていた。別にここで退けていても良いのかもしれないが無駄な戦闘は避けたかった。
「怪しいだけで捕まえるなら哨戒としての仕事ぶりは良さそうだが。それはどうだろうな。」
青年は急に低く身を構えるとその場で立ち止まる事にした。まさかの事態となっていたがそれでも良いのだろう。天狗たちは叩き斬る気しかなさそうなので余裕そうな表情をしていた。
「抵抗するという事は何かあるのだろう。知っている事があるなら話してみたらどうだ。」
「いや、話す事はない。貴方達に困っている暇はない。通してもらいたい。」
「本当はしたくなかったが痛めつけてやるよ。一回痛い目見ないと学習しないようだ。」
真ん中にいた青年と話していた天狗は腰に携えていた刀を抜いて構えていた。対して青年は呆れた表情をしてどうしたものか考えているようで何か特別しているような事はなかった。何もないようにも見えるが何かあるのだろう。ある白狼天狗なら分かっていた。
「好きにしろ。」
青年は軽く答えていた。
天狗もその言葉を聞いてニヤリと笑うと走りだして青年に刃を向けていた。やる気満々らしいので青年は素早く剣を抜いていた。
そして剣を納める。濃口に唾が当たるカチン、という音を立てているだけで他の音は何も聞こえなかった。
「貴方達に構っている暇はないと言っただろう。」
青年は納めた剣の柄を触りながら目の前で腹を抱えて横たわっている人を回り込むように通り過ぎていた。何が起こったのかは全く分かっていなかったが後ろにいた二人もどうしたら良いのかな分かっているようではなかった。にをしたら良いのかさえ分からない。そんな訳でわなわなとみっともない声を上げて何処かへ行ってしまったので青年は追いかけるような事はしなかった。