先日の異変以降、少し落ち着きのあったまだ穏やかに過ごしていた人里では言い知れぬ恐怖心に煽られて揺れ動かされているのは目に見えて進んでいた。
一枚岩ということではないが日を増すごとにそのように見えてくるのは人間としてだけではなく生物として当たり前の姿なのかもしれない。
目には見えるはずもなく着々と侵食を続けるその狂った性格へと変貌を遂げていた。もう誰にも止められないかもしれない。それだけ自警隊を含めた幻想郷の総意となる事もそう遠くはない未来で起こる事かもしれない。
「最近、寝れなくってな。どうしたものかね。」
一人の人里の住人がそう呟いていた。確かに目の下にはクマのようなものがあるのでいう分に間違っていないものと思われる。
「前にも言っていなかったか。いや、それは他の人だったような。」
それを聞いていた同じく人里の住人である男がそんな事を口にする。今日は試合を終えてひと段落ついたので少し休憩がてら地べたに座っている事にした。
「お前さんがどのように過ごしていたかは知らないが誰かに言ったことは確かだ。ん?そんなよく聞く話か。」
「最近はよく聞く話だな。アンタからしか聞いていないというならそれもそれで心配だがどうも可笑しい。」
「普通ならそんな事はない、はずだ。」
疑問に思いながらその先を急いでいるかのようにさっさと男は離れていく。何か気付いたことがあるのだろうか。それとも何か他の約束とか思い出したのか。それはどちらかは本人にしか理解できないことだった。
「ったく、何をそう焦るようなことがあるのか。」
残された男はそう言いながらひと段落ついたのでもう暫く地べたに座っているつもりなのだろう。だがその手から伸びる根がどこまで届くのかはまた別の話となる。
人里の東側。地面に降りた巫女と魔法使いはその場の空気を確かめるように息を吸ってから大きく長く吐いた。一旦区切りをつけたいだけなのだろうが実際のところはそうでもないと思われる。
「血生臭いがするぜ。」
「そのようね。何が起きているのかしら。」
「今日は来てくれて助かったぜ。」
魔法使いはそのように述べる。白いリボンのついた黒色のとんがり帽子がトレードマークの黒色の服装をしていて箒に跨っていた。それだけ聞くには気になる事もあるが此処では何も問題はない。
「何やら大きなものが動いているような気がするのよ。」
勘の鋭いらしい巫女はその言葉にはそう返す。赤いリボンを付けていて黒い髪が特徴的な赤い色の巫女服を着ている。どの様にそう感じたのかはきっと元々持っている妖気を感じるということに起因と思われる。本人としては要らないものだが無くては困るときもあるのでそのような時は十二分に発揮している。
「物騒な事件でも起きそうなのか。」
魔法使いは跨いでいた箒の柄を右手の中に収めると人里の中へと入っていった。別に飛んでいけないと言う規則はないが妖怪だと見間違えられると後々面倒になるのでそのようにしている。別に巫女と一緒にいるので何ともないだろうがそこは魔法使いの配慮という事なのだろう。
「ええ。何かは分からないけど確実に何か起きようとしているわ。死にそうな人が多く居るわよ。」
「何か原因は分かっているのか。」
魔法使いはそういう風に不審そうに恐る恐る聞いていた。怖いからということではないが不安なのだろう。そんな気がする。それに対して巫女はしばらくの空白の時間を作り上げていた。
「何も分からないわ。どうして自分から命を断とうなんていう考えに至るのか。そして魔理沙の言うように楽しそうにするのか。」
巫女はその様に遠くを見ながら答えていた。そして言い終えてすぐに地面の方を向く。其処には何もないはずだが何かある様に錯覚するほど一点をじっと見つめていた。
「そこが気になるか。私もそれは気になっていた。何か嫌な事でもあったのか。それともそうする様に操られていたのか。気になるところだぜ。」
魔理沙はその様に独り言のように言葉を連ねていた。何か意味があるようにもないようにも感じるが選択肢の一つとして頭の片隅に置いておくのも悪くはないと思える。巫女はそう思いながら表には出すような事なく先へと進んでいた。
「青年はこれを予感していたのかしら。」
巫女はそう呟いた。
二人は人里の中心地までは一切の会話をしていなかった。血生臭い匂いがすると言った魔法使いの一言は合っている。だが、それに見合うような光景ではなかった。いつも通りの風景で日常と何も変わらない生活を送っていた人里の人々は今日も変わる事なくそれぞれが行えることに従事していた。その光景がどうしても滑稽に見えてしまう巫女は話す気にはならなかった。
それに対してその雰囲気を感じ取っていた魔法使いは話しかける勇気を出せずにそのまま歩いていた。特に変わることのない光景。そして何か変わっているように見えてしまう人里。不信感を煽られている魔法使いは喉元で詰まっている言葉を出すような事は出来なかった。
「魔理沙、何か変じゃない。」
「そうだな。」
この緊張感あふれる空間を崩した巫女の言葉に魔理沙は素早く慌てたように答える。何か珍しい事もあるもんだな、程度で済ました巫女はあまり気にするようなことはなかった。
「誰の目を見ていても生きている様には見えないのよ。」
巫女は吐き捨てる様に小さな声で言っていた。それに答えようとする魔法使いの元にある男性が近づいていくる。その人の目は確かに狂気に満ちた眼光で目つきが悪い様にも見えなくもない。そしてギラギラとした手入れのされていない刃物を持っていた。
瞬時に判断した魔法使いは一歩だけ引く。その足元にはあるものが刺さっていた。当たらない様に投げたのだと思われる。
「何だぜ?刺すなら手に持っていた方がいいだろう。」
魔法使いは冷静に答えていた。そして何をされるか分からないので警戒する様に身を構えていた。
「殺せ。俺を殺してくれ。」
大きな声で悲観した様に言い放つその男性は膝から崩れ落ちながら懇願する様に手を合わせていた。祈りを捧げる様なその綺麗な姿には唖然としていた魔法使いだがすぐにおかしい事に気付いた。
「それは無理だぜ。人の命はそうそう簡単に捨てていいものじゃないぜ。」
「お願いだ。俺を殺してくれ。もう嫌なんだ。」
「何か嫌なことがあったのね。言いなさい、聞いてあげる。」
横から現れた巫女はその男性に目線を合わせる様にしていた。何か意味があるのかと聞きたくなるが特にないものだと思われる。それほどに一心にそうしてほしいとしか思っていない様で男性の方は何も反応は見せない、そして何か語ろうとしない。口を持たない怪物の様なその態度にはどうしたらいいのかな二人は分からなかった。
「もう良い。自分でやる。」
「辞めなさい。」
男性は投げていた刃物を手に取ろうとしていたがそれは巫女によって阻止された。気絶する様に地面に倒れこむ男性を見て一安心していた。だが、それ以上に不安なところが目に見えたのでどうするべきか思案する事にしていた。二人は目配せをしながら言葉とは違うコミュニケーションを取っていた。何か話す様なこともないのだろう。
「ウワァァァ!」
男性は急に立ち上がると自分の首に刃物を刺してグリグリと抉る様に動かしていた。その有様は見るに耐えないものである。自分から命を落とそうとした男性は見ていれば分かるほどに何の手の施しようもなかった。蘇生魔法が扱えるならまだしも誰も使えない。
その様子を見て二人は絶句という形で反応を見せていた。
だが、それでも人里はいつも通り機能している。巫女は後々考えるととんでも無いことだと気づいた。