夕暮れ時のシャットダウン   作:沖合なせ

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それは、四十五秒に満ちた邂逅

 綺麗だ。

 

 それだけが頭をよぎる。

 それだけが頭を反復する。

 他のことは何も考えられない。

 

 それほどには、ただひたすら美しかったのだ。

 

 ガラス玉のような碧眼、真っ白い肌、薔薇のように赤い唇、その全てが美しく、けれど人形のように整いすぎたその顔からは、おおよそ人間味が感じられない。

 

 そう感じてしまっていることが、何故か無性に悲しかった。

 洞窟の中には風が吹きすさぶ。彼女の赤い髪が風にたなびいた。

 まだだ。まだ彼女は俺に気付いていない。だから今ならまだ引き返せる。

 

……無意識にそう思った時。

 薄暗い洞窟へ、燃えるような緋色の光が差し込んだ。

 朱に染まった彼女の姿は、ある種の神々しささえも放っていて。

 

 それこそ、まるで――――

 

「おい、何の用だ?」

 

 気づけば透き通った碧眼が、まっすぐ俺の双眸を見据えていた。

 どうやら夕日は、侵入者の存在をばらしたらしい。

 もう、引き返せない。引き返すことができない。何とはなしに悲しい気分になった。

 緋色の光はすぐに消え、洞窟は本来の薄暗さを取り戻す。

 

「……なんで……」

 

 彼女は突然、そう呟いた。

 目を大きく見張り口を手で覆いながら、そう呟いた。しかし残念なことに、俺はその独り言のような問いに答えることができない。

 何を聞かれているのかわからないから、当然といえば当然だが。

 

「『なんで』って、どういうことだよ?」

 

 問いに問いで返された彼女は、しかしその無礼に怒りもせず俺の目元を指差して返答とした。

 彼女の意図ははかりかねたので、指差しの意味を考えるのはやめて、目元を触って確かめることにした。ゴミでもついているのかと思いながら触れた指先は、湿った感触にいきあたる。

 

 

 頬を一筋の雫が伝っていた。

 

 

 自然に、当然のことのようにその雫は頬を流れる。

 心当たりのないその悲しみに、ただただ動揺するほかなかった。

 拭いても拭いても流れ落ちる涙。溢れ出るそれを止める方法を、俺はまだ知らない。

 

 だからこれといって言えることといえば、薄暗い洞窟の中では、嗚咽だけが響いていたという、ただそれだけなのだ。

……

…………

………………

「で、何の用なんだ?」

 

 透き通った碧眼は依然として、俺の双眸を見据えていた。

 そこでようやく、本来の用件を思い出す。

 

「悪魔、お前を退治しに来た」

 

 静かに言い切った。

 俺が行き場のない悲しみに苛まれた時、彼女は静かに放っておいてくれた。声をかけるでもなく馬鹿にするでもなく、一人にしてくれた。

 

 それが本当にありがたくて、だから本当に言い切りたくない言葉だった。

 それでも俺は彼女に感謝する前に彼女と敵対する存在であるべきなのだ。……悲しいことに。

 

「そうか」

 

 彼女は興味なさげにそう返した。

剣を抜く。そうすることが正しいと思ったから。

 

「……ありがと、な」

 

 同時に感謝の言葉を述べた。そうすることがやっぱり正しいと思ったから。

 

「そうか」

 

 彼女はまたも、興味なさげにそう返す。剣先を彼女へと向けた。彼女も剣を抜く。

 あぁもう。戦いたくないなぁ、くそ。

 

 

          ✳

 

 

 どこまでも立ち込める暗闇。

 ここがどこで、なぜ俺はここにいるのだろうか。どれだけ進めばこの暗闇から抜け出せるのだろうか。わからない。……何もかもわからない。

でも、何もかもわからなかったとしても、歩けばどこかにはたどり着く。当たり前だが、動かなければどうにもならないものも、動けばどこかにはたどり着くのだ。

 

 だからとりあえず、ただ歩けばいい。何も考えず、前を向いて歩けばいい。

 すっと前に光が差した。思わず目を細める。

 ほら、思った通りだ。さぁ、背筋伸ばして、胸を張って前へ行こう。

だって俺には、それくらいしかできないのだから。

……

…………

………………

「ねぇ、知ってた? シュウ兄」

 

 そこには小さい頃の俺とシュウ兄がいた。子供の頃の夢なのだろうか。

 シュウ兄は答える。

 

「へぇ、よく知ってるね。誰から聞いたんだい?」

 

 その質問に昔の俺は、身を乗り出して答える。

 

「キンさん! キンさんがね、あくまとは一切関わらない方がいいっていってたんだ! あくまは弱い人をいじめていたぶる悪いやつなんだって!」

 

 悪魔。神に反逆し天界を追放され、下界へと堕とされた天使、堕天使。

 

 遠い昔、神は人間を深く愛した。その愛は眷属である天使よりも深かったという。当然の成り行きとして天使は悔しがり、怒った。そうして皮肉なことに、嫉妬に身を焦がした一部の天使たち──ハツユキという天使を頭とした一団──は神への反逆を決めてしまう。かくて天使による反逆は起き、神はそれを鎮圧後、ハツユキと生き残った彼女の仲間を下界深くへと堕とした。それが堕天使、つまり悪魔の先祖だ。

 

……ずっと。

 

ずっと、悪魔は『悪』だと教えられてきた。弱い人間を虐げ、踏みにじる『悪』。

 堕天使の末裔であるがゆえに貼られたレッテルは、悪魔と人間を対立させるまでに至っていた。

 

 本当に悪いのは堕天使の末裔ということだけで悪魔を迫害する人間の方ではないのか。そんな考えが頭をかすめる。

 

「違う! それは違うよ!」

 

 その怒号が一瞬、今の俺へと向けられたもののように感じた。

 そんなこと、あるわけないのだが。

 

「それは違うんだよ。本当に悪いやつなんてこの世界にいないんだ。ただ、ただちょっと心がひねくれているだけなんだよ。……本当に心が汚い者なんてこの世界にはいないんだ」

 

 本当に悪いやつなんてこの世界にいない、か。シュウ兄らしい綺麗事だ。

 そんな訳ないことはきっとシュウ兄自身も気付いているのだろう。それでも”いない”と言い切れるシュウ兄は強い。

 久しぶりにシュウ兄に会いたくなった。

……

…………

………………

 レースのカーテンから差し込む朝日で、目が覚める。

つい先ほどまで見ていた夢を思い出そうとしたが、それは指の間から溢れ出る水のごとくすり抜けて、思い出せなかった。

 

 眠気が残る頭を切り替えるため、伸びをして、それからベッドを出る。そのまま流れるようにベッドメイクを済ませて、リビングを目指して階段を降りていた時、珍しく家にノックの音が響き渡った。

 急いで玄関へ行き扉を開けると、案の定、小柄な女の子がちょこんと立っている。

 

「早いな、シオンは。俺なんかまだ眠いし。まぁとりあえず、おはよ」

 

 ごく普通の朝の挨拶。

 幼さが残るあどけない顔に、呆れの色が混ざった。

 

「早いって……。もう十二時ですけど? お昼ですよ。さしあたっては“遅うございます”ですかね」

 

 ジト目でそんな突っ込みがやってくる。

 

「はいはい。遅うございますね、シオン様」

「え、襲う? こんなしがない少女を襲うだなんて、勇者様はケダモノですか? 怖いなぁ」

 

 はぁ、とため息をついた。まったく、どうしようもない。

 それから肩をすくめて、家の中を親指で示す。

 

「それよか、なんか用あるんだろ。とりあえず中にでも入るか?」

 

 家の前で立ち話というのも相手への失礼にあたるだろうしな。

 

「……弱冠十三歳の少女を家に連れ込んで、何をするつもりでしょうか? やだなぁ、こわ〜い」

 

 自らを抱くようにして震える少女。

 さらには“きゃ〜”なんて悲鳴まで上げ出す始末だった。

 

「はいはい。で、実際のところは?」

 

 今度はこちらが半眼で突っ込んだ。

 まったく立場が入れ替わったかのように、今度は少女が肩をすくめる。

 

「そうですね、入れさせてもらうことにしましょう」

 

 ドアを全開にしてシオンを中に招くと、少女を椅子に座らせて二人分のココアを作った。

 片方を渡して、マグカップの半分ほどを飲む。

 

「ありがとうございます」と、礼をいって受け取ったマグカップに触るでもなく、シオンは肩までかかる長い髪を指に巻きつける。わかりやすい癖で、この動作をするときは大抵何かに困っている時なのだ。

 

「どした?」

 

 えっ、と声をあげながらシオンは、うつむいていた顔をあげた。

 それからさらに数秒考えこむ仕草を見せ、ようやく口を開く。

 

「……昨日、近くに用があって例の洞窟の前を通ったんです」

 

 少女はマグカップを手でもてあそびながら、ぽつりとそう語った。

……そういうことか。

 

 つまり昨日、俺が例の洞窟に入るところ、それか出てきたところをシオンは偶然見たのだろう。それで俺が心配だったから家まで来てくれた。

 あの洞窟の近くにはこれといって特に何もなかった気がするが、何のようだったのだろうか。いや、それは今関係ないか。

 しかしそれよりも、どう誤魔化そう。

 

 村の掟では例の洞窟に入ってはいけないことになっている。それこそ俺はもう村人ではないのだからその掟に従う必要もないのだが、それはわざわざ危険な洞窟に自ら入っていく理由とはならない。なによりシオンを説得できない。

 

「その時偶然、勇者様が洞窟に入っていくのが見えたんです」

 

 案の定、か。

 シオンは髪を巻きつけていた指を離した。ぱさっと髪がほどける。

 

「人違いだろ。第一、そこへ行く理由もないしな」

 

 これが一番妥当な返答。

 用意していた回答で即答した。

 

「……そうだと、いいんですけど……」

 

 浮かない顔でそう呟いていたのは聞こえなかったことにした。

 シオンはカップの中のぬるくなったココアを一気に飲み干す。

 

「人違いなら良かったです。それではボクはそろそろ帰りますね」

 

 ん、と背伸びをして、椅子を立ちながらシオンはそういった。

 

「そっか。……じゃ、また今度」

 

 その言葉に、今までの雰囲気を打ち消すためなのか、シオンはわざとらしく頬を膨らませてみせた。

 

「少女を一人で返すなんてろくな性格してませんね、勇者様は。“送ろうか?”なんて提案の一つや二つ、してみてはどうです? ……まぁ、今日は別に大丈夫ですけど。一人で考えたいこともあるので。……では、それじゃ」

 

 ふふっと柔らかく笑うと礼儀正しく一礼して、少女は帰ってしまった。

 一人で考えたいことというと、十中八九疑っているのだろう。俺が洞窟に入った、と。

 

 きっとこれ以上あの洞窟に行くべきではないのだろう。どこからバレるかわからない。

 といっておいて、それでも俺はまたあの洞窟へ行くのだろうが。約束をしてしまったのだから、仕方がない。

 まんざらでもないそんな約束を。

 

 

 そうして、彼女との出会いに想いを馳せる。

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