強い。まごうことなき本物だ。
額の汗を右腕で拭いながら、はっきりとそう確信した。
それは、代々俺の剣術に伝わってきた言葉からもわかるように。
“一眼二足三胆四力”。
一に眼。視力や動体視力を含めた相手を見抜く力、あるいは自らを正確に分析する力。
二に足。相手の打突をかわすための足捌きや、チャンスで一気に間合いを詰めるための脚力。
三に胆。どんな相手にも臆さず立ち向かうことのできる精神力。
四に力。体力や筋力といった身体能力と、それを基にした技術力。
これらは剣術を修めるうえで特に重要な四つで、驚くことに目の前の彼女はこれら全てが例外なく一級品なのだ。必然、彼女自身が剣士として一級品となる。
それだけでも十分まずいのに、その上、彼女はかの悪魔なのだ。
つまり、魔法。
かつての天使たる悪魔であるからこそできる異能のことだ。怪我を治す『治癒』から空を飛ぶ『飛翔』まで様々な種類があり、そこにはもちろん『攻撃』の魔法も入る。
遠距離の『攻撃』魔法、そのせいでリーチの差が大きく、かといって距離を詰めると天才的な剣術がやってくる。
圧倒的形勢不利。
その状況に、なぜか喜んでいる自分がいた。
逆袈裟に斬りあげた刀は、さらりとバックステップでかわされる。それを追撃しようとはするが、『攻撃』魔法での牽制のせいで失敗に終わった。
お互いに息を整えて仕切り直す。彼女との間は三メートル少しで、魔法のみが届く距離だ。兎にも角にも距離を詰めなければこの刀は届かない。右手でぐっと刀を握り直す。
一思いに近づいた。そのままスピードを乗せて、思い切り頭上から振り抜く。
その渾身の一撃は、頭上で水平に構えた剣の刀身で、こともなげに受け止められる。
されど。
持てる限りの力を出した一撃なのだ。何の弊害もないわけがない。
一瞬、彼女が顔をしかめたような気がした。
もしかしたら。そんな淡い期待を抱きながら、弾かれた刀を袈裟懸けに振り下ろした。それはやはり反応され、防がれてしまう。
しかし。
──その手に、力はなかった。
間違いない。先ほどの斬撃で、彼女の手は痺れたのだろう。
最初で最後の好機。防がれた剣で鍔迫り合いに持ち込む。
力を出せない彼女を横目に無理やり押し切った。
彼女のバランスが狂い、驚いた表情で倒れ行く最中。真っ白い手がすっと顔の前へと突き出された。そこに、みるみるエネルギーがたまっていく。
……まずい。
『攻撃』魔法の特徴であるそれは、避けなければ死ぬことを意味していた。
勝ったと思い油断したタイミング、完全に虚をつかれた。それは最大の好機を棒にふっても仕方がないほどには完璧なタイミングで、だからその後の体勢など考える間も与えられなかった。脊髄反射でぎりぎり避けきれたのはいいが、バランスは完全に崩れてしまう。
彼女、ついで俺と背中から倒れる。咄嗟に受け身を取ろうとするが間に合わず、目の覚めるような痛みが背中を走った。
「ってて」
仰向けになりながら無意識に、そう呟く。
激痛のせいで、うまく立つことすらできない。
黒い洞窟の天井が、視界いっぱいに入ってくる。
……負けた。
策略。
手は痺れてなかった、そこが策略。
顔もしかめたのも、刀に力を入れなかったのも、驚いた表情さえも策略。
そうでなければ最後の完璧なタイミング、あれに説明がつかない。
つまり俺は彼女の策にはまっていることも知らず、手がしびれたから勝てるかもしれないと思っていたわけだ。
それに俺は受け身がとれず衝撃をそのまま背中に受けたけれど、彼女は策略故に想定内の転倒で受け身をとれたはずだ。
立てない俺と無傷の彼女。その差は歴然としている。
今日、俺はここで悪魔に殺される。
その事実は思ったより怖くなくて、それよりも負けたことが悔しかった。
才能では圧倒的に劣っていて、「けれどもしかしたら……」なんて淡い期待も打ち砕かれて。負けた自分がどうしようもなく不甲斐なくて、やっぱり悔しくて。涙がこぼれ落ちそうで。
でも、ここで泣いたらこの悔しさも涙と一緒にこぼれ落ちてしまいそうで、だからきつく歯を食いしばって我慢した。
「……はやくさせよ、トドメ」
それでも悔しさはひかず、つい彼女にそんな憎まれ口をきいてしまう。
我が身ながら見苦しいな、勝者にひがむなんて。
なんだか全てがどうでもよくなって、瞼をゆっくり下ろした。
「はぁ? 何いってるんだよ……」
その瞼は、しかし間髪入れず上げることになる。
とっさに右を向くと、同じように顔をしかめた美少女がいた。
どういうことだ? 受け身をとったのではないのか? 受け身に失敗したとか? まさか。じゃあなんで? ……策略じゃなかった? いや、それこそありえない。何度もいうようだがしかし、それではあの完璧なタイミングに説明がつかない。
もし反射的にやったというのなら、それはもうとんでもない────
あぁそうか、才能。
俺にとって“ありえないこと”も、才能が桁違いな彼女からしてみれば“常識”たりえるわけだ。
「はぁあ……」
思わず深いため息をつく。
二度負けた気分だ。やっぱり、悔しい……
「無視するなよ、おい」
突然の抗議の声、それに素で驚く。
「え?」
いわれてみればそうだ。彼女からすれば意味不明もいいところだろう。
“トドメを刺せ”なんて憎まれ口を叩かれたと思えば、今度は突然のため息なのだから。……自己完結してしまっていた。
「あぁ、悪い。えっとさ、さっきの『攻撃』魔法。あれって咄嗟に?」
一応の確認。返ってくる答えはもう、わかっていたが。
「『攻撃』魔法っていうと……あれか。あぁ、そうだ。反射的にな。で、それがどう関係するんだ?」
さらりと自然に、彼女はそう言い切った。
わかっていたとはいえ、やはりへこむ。
「はぁ。……いやさ────」
ありのままに全てを語った。
あの魔法が俺にとっては完璧なタイミングであったこと。
それが咄嗟にできるわけないと決めつけ、手が痺れたのは見せかけだと思い込んだこと。
彼女の痛みに苦しむ姿を見て、その才能の凄さに気づいたこと。
「そうか」
三度、彼女は興味なさげにそう返した。
人の危ういところには興味を示さないのだろうか、少しありがたい。
「ところで、お前……名前は何なんだ?」
────いいかい、ひとつだけ約束だ。悪魔にもし出会っても、絶対に本名を教えてはいけないよ。もし悪魔から聞かれたら? そうだね、その時はこう名乗るといい。
フローラ、と。
「…………フローラ」
なじみがないその人名を、気がつけば口走っていた。
誰というわけでもないその人名に、数秒きょとんとしていた彼女が今度は呆れた顔で口を開いた。
「なぁ、その……フローラとやら。なんでもかんでも信用するのはよくないぞ。特に悪魔。というか、悪魔に名前を教えちゃダメとか言われたことないか?」
悪魔に名前を教えてはいけない。
昔の教育が身についていて無意識に偽名を名乗った、とかかもしれない。
「もし教えたら、どうなるんだよ」
純粋に気になり、聞いてみた。
偽名であることは後でいえばいい。
「うん? あぁ、標的の顔と名前が一致していれば使える魔法が二種類あってな。まずは『操作』の魔法。自分の意のままにその名前の人間を操ることができる。どうだ、恐ろしいだろ?」
まさに今まで持っていた悪魔への『悪』のイメージにかぶるところがある。
もしも本名を教えていればどうなったことやら。
「そしてもう一つ」
そういって彼女は人差し指を上げた。
────家の書籍部屋。その奥深くにある埃をかぶった一冊の本。
そして、名前を知っていたら使える魔法。
『守護』の魔法、か?
「もう一つは『守護』魔法。これは条件付きで発動する魔法で、かけた相手が致死の攻撃を受けそうになった時、術者から魔力を送り強制的に『防御』魔法を展開させる。どうにも悪魔には似つかわしくない、他人を守る魔法だ。おかしいだろ?」
『守護』と『操作』。正反対の効果を持つ二つの魔法は、奇しくも両方とも名前を必要とするのか。
「さぁ、どうだか」
首をすくめて、つとめて飄々と答えた。
まだ今の俺には、おかしくないと断言することはできなくて。だから、とらえどころのない態度を装った。
そんな心中を察してか、彼女は曖昧に微笑む。
その笑みをぼんやりと見つめていて、ふと、そういえば偽名であることを伝えていなかった、と思い出した。
「そういえばさ、一応。……フローラってのは偽名だから」
剣術でも才能でも容姿でも。全てにおいて驚かされっぱなしで、だから一矢報いてやろうと当然のことのように告げた。
「………………は、はぁあ?」
少しの間があってから、オーバーなリアクションが返ってくる。
その思ったような反応にこっそり喜んだりした。
「さっき“悪魔に名前を教えちゃダメとかいわれとことないか”っていったろ? ありがたいことにさ、俺にもそうやって注意してくれる人がいたんだよ」
起き上がりながらそういった。
背中の痛みもいい加減ひいてきたらしい。
「なんだったら、俺に『操作』をかけてみてもいいぜ」
少しムキになりながら、そう言い放つ。
「あ、あぁ……」
彼女はそういうとわずかに眉をひそめ、それから黙って手を差し出してきた。魔法を使うには手を突き出さなければならないらしい。
わずかな間があって、俺の体を白銀の光が包み込んでいく。その光はまるで人を操作するための魔法とは思えないほど、幻想的で美しかった。それどころか、自らを誇り、気高くお姫様を守る騎士によく似た光だとすら思えてくる。
さらに何秒か経つと、その光は霧散した。
「な、偽名だろ? じゃ、俺は帰るから」
彼女に背を向ける。
「確かに……。まぁいいさ。私も名前を教えてやらないだけだからな。って、あ。ちょっと待て! 勝負はまだ着いてないだろう。…………まったく、それか約束しろ。勝敗がつくまでここに来ると」
執拗なほどの勝負へのこだわり。
答えはもう決まっている。
歩を止めて、振り返った。
「もとよりそのつもりだっての」