この小さな世界で愛を語ろう   作:3号機

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普段とはちょっと投稿時間を変えてみました。

反応の違いなんかを見てみたかったので。



ところで信じられるか?

20万字以上も書いて、まだ一巻の半分ぐらいなんだぜ?

ちなみに手元のオーバーラップ版の文庫は一ページあたり17行、一行最大40字。

一巻の半分というと130ページぐらいのところさ。

つまり、全行40字で換算したとしても9万字に届かねえんだ。

……文章構成力低スギィ!


Chapter10「この小さな世界で家族の愛の形について考えよう」

 クラス代表決定戦当日。

 

 IS学園、第三アリーナ――、

 

 

 

 

 織斑一夏とセシリア・オルコットの試合は、陽子との対決が終わって三十分後に開始された。

 

 Aピットから闘技場内に飛び出した一夏は、最新の第三世代機をその身に纏っていた。XX-01。和名を、白式。左右の肩部に展開稼働する高出力スラスターを装備した、機動性に優れる近接格闘型のISだ。和名が示す通り、打鉄を全体的に大型化したようなシルエットの鎧具足には、白を基調としたカラーリングがなされている。武装は近接ブレード一振のみという割り切った仕様で、二基のスラスターが生み出す圧倒的推進力をもって速やかに接近、一撃を叩き込み、離脱するという、ヒット&アウェイ戦法に最適化された機体と考えられた。

 

 対するセシリアは、休憩時間中に機体のエネルギー補給と、消耗した兵装を予備の物と交換し終えた、万全の状態のブルー・ティアーズで、一夏のISを迎え撃つ。

 

 両者はISアリーナの中央まで移動し、睨み合った。

 

 やがて試合の開始を告げるブザーが鳴り響き、二人はほとんど同時に動き出した。

 

「おおおっ!」

 

 刀身だけで一・五メートルはあろう近接ブレード《雪片弐型》を八相に振りかぶり、一夏はブルー・ティアーズに向かって突進した。猛烈な加速力! 対するセシリアは、冷静に軌道を読み解き、これを、ひょい、と避けた。円弧を描く回避機動の勢いを殺さぬまま背後に回り込み、急停止・急加速の技術を習得していない少年の背中を、狙撃モードのレーザー・ライフルで撃つ。高出力のレーザーはシールド・バリアーを貫通し、胴鎧の背面部に実体ダメージを叩き込んだ。一夏の端整な顔立ちが苦悶に歪み、ただでさえふらふらと安定しない飛行姿勢が大きく乱れた。追い撃ちを仕掛けるには絶好のチャンス。間髪入れずに、《スターライトmkⅢ》の射撃モードをバトル・ライフルへと変え、連射した。

 

 アリーナ内に、少年の絶叫が轟いた。

 

 

 

 

 

 

 Aピットルームでは、陽子、千冬、箒の三人が、両者の試合を観戦していた。

 

 陽子はこの次、戦うことになるかもしれない相手の手の内を探るべく、箒は、幼馴染みの少年の身を案じる気持ちから、リアルタイムモニターを食い入るように眺めている。

 

 モニターの中で、一夏は苦戦していた。白式の間合いの外から銃撃の嵐を浴びせてくるセシリアに対しなす術なし、防戦一方の試合展開から、抜け出せないでいる。

 

 そもそも、近接格闘型の白式と、中距離射撃型のブルー・ティアーズとでは相性が悪い。一夏が有効打を叩き込むためには、相手に近づかなければならないが、セシリアの方は間合いを一定以上保つよう努めているだけで、優位生を得ることが出来る。加えて、操縦経験の浅い一夏には、接近戦に持ち込むための技術がまったく足りていなかった。

 

 一夏の操縦技術は、はっきり言って未熟だ。空中を移動する際の飛行姿勢はふらふらと安定せず、素人目にも、無駄な動きが多い、とはっきり判るほど。白刃を煌めかせながら突撃していく姿は勇ましいが、機動は直線的で、読みやすかった。肩の高出力スラスターにしても、常に全開か、アイドリング状態かの二択なので、相手は加減速を織り交ぜたフェイントを警戒する必要がない。結果、一夏の突進は難なく避けられ、その度に反撃の射撃を浴びせられる、という光景が、試合が始まって以来、何度も繰り返されていた。

 

「織斑先生」

 

 モニターに目線を向けたまま、陽子が口を開いた。画面の両脇に表示されている、白式のステータスのうち、武装一覧の欄を示して訊ねる。

 

「……これ、織斑君に勝ち目はあるんでしょうか?」

 

 モニターの表示によれば、白式の武装は、近接ブレードが一振のみという、思いきった仕様だ。牽制用の射撃兵装は勿論、予備のブレードさえ搭載されていない。

 

 近接格闘戦の難しさは、一週間前の作戦会議の場で、桜坂から何度も指摘されたことだ。こんな玄人向けの機体を初心者の一夏にいきなり与えたところで、性能を十全に発揮出来るとは思えない。

 

 機体の相性で不利を抱え、操縦技術でも相手に劣り、おまけに待望の専用機は扱いづらい仕様という三重苦。こんな重荷を背負った状態で、一夏に勝ち目なんてあるのか。

 

 はたして、千冬からの返答は残酷だった。

 

「十中八九、負けるだろうな」

 

 身贔屓を一切感じさせない物言いに、陽子の隣に立つ箒が驚いた表情を浮かべた。姉として、弟の勝利を信じていないのか。

 

 千冬は公私の分別を徹底した、冷然とした声で続ける。

 

「実力で勝る方が勝つ。ISバトルに限らず、あらゆる競技スポーツに共通する真理だ。剣道家のお前なら、理解できるはずだが?」

 

「それは……しかし……!」

 

「でも、スポーツの世界には番狂わせ、っていうのがあるじゃないですか?」

 

 憤る箒の言葉を遮って、陽子が言った。

 

「少なくともわたしは、そういうこともある、って信じながら、今日まで準備してきました。……結果は、相手のミスに救われた形でしたけど、一応、勝ちは勝ちです。織斑君だって、それは同じはずです。織斑君に、ジャイアント・キリングのチャンスはないんですか?」

 

「……そうだな。だからこその、十中八九だ」

 

 千冬はリアルタイムモニターに表示された白式の諸元のうち、武装一覧、近接ブレード《雪片二型》の項目を示した。

 

「白式の近接ブレード《雪片弐型》には特殊攻撃が設定されている。バリアー無効化攻撃《零落白夜》。これを当てることが出来れば、織斑にも勝機はある」

 

「バリアー無効化攻撃?」

 

「それって、織斑先生が現役時代に使っていた……」

 

「そうだな。私のIS暮桜のワンオフ・アビリティーだ」

 

 目の前の女性をかつて世界最強の座に君臨させた特殊攻撃が、バリアー無効化攻撃《零落白夜》だ。

 

 文字通り、ISのシールド・バリアーの存在を無視した打突を可能とする機能で、これはISバトルという競技スポーツにおいて、絶大な威力を発揮する。シールド・バリアーが無効化されれば必然、『絶対防御』が発動する。この状態で攻撃が命中すれば、シールド・エネルギーは大幅に削がれることになるからだ。軽い一当てで一気に勝負が決まるという、まさに必殺の切り札といえた。

 

「勿論、弱点もある。《零落白夜》は強力だが、それだけに燃費が悪い。発動には多くのシールド・エネルギーが必要だ。初心者の織斑では、そういった細かいエネルギー管理は難しいだろう。それに、発動母機が近接ブレードだ。攻撃を当てるためには、相手に近づかなければならん。これも、扱いの難しいところだな」

 

「なら、安心ですね」

 

 箒はほっと胸をなで下ろした。

 

「一夏はこの一週間、わたしと剣の稽古に励みました。はじめはどうしてこんなにも弱くなってしまったのか、と頭を抱えましたが、いまでは昔の感覚をそれなりに取り戻せています」

 

 次々と明かされる新情報を、陽子は頭の中で整理していく。

 

 二人の会話から察するに、一夏と箒は剣道経験者で、箒は現役、一夏の方は、彼女と別れて以来、鍛錬を怠っていたということか。そしてこの一週間は、昔の感覚を取り戻すために連日、剣道の稽古に励んでいた、と……おや? ISの稽古は?

 

「それに対し、オルコットの体捌きからは格闘戦が得意という印象を受けません。いまの一夏の技術なら、オルコットに一当てするぐらい簡単でしょう」

 

「馬鹿者。それは近接格闘戦に持ち込めれば、の話だろう」

 

 接近戦をこなす技術と、接近戦に持ち込むための技術は、両方が揃ってはじめて威力を発揮する、いわば自転車の両輪だ。片方だけであっても、自転車は前に進むことは出来ない。

 

「十中八九と言ったのは、つまり、そういうことだ。織斑には一撃必殺の武器があって、それを当てることが出来れば、オルコットにも勝てるだろう。しかし、いまのあいつには、それを当てるための手段がないんだ」

 

「織斑君は、運も悪かったですね」

 

 ピットルームに設けられたIS用ハンガーで、先ほどの試合で陽子が着ていた打鉄のダメージ・チェックをしていた鬼頭が、三人のもとへやって来た。どうやら作業が一段落したらしい。かたわらでは、真耶がタブレット型端末を操作し、情報をまとめている。

 

「専用機の到着が遅れたために、この一週間、ISを用いての訓練が出来なかった。たとえ一時間……いや三十分でも、操縦経験があるのと、ないのとでは、実戦での動き方に大きな違いが出たでしょう」

 

「運が悪いと言えば、試合順もですよね」

 

 鬼頭の後に、真耶が続いた。

 

「鬼頭さんとの試合では、オルコットさんには明らかな油断がありました。所詮、相手は初心者にすぎない、と侮りからくる慢心があったのだと思います」

 

 そういえば、と陽子はこれまでの試合経過を振り返り、得心した様子で頷いた。

 

 目線の置き方や言葉遣いといった態度の端々から、舐められているな、とは感じていた。悔しいと思う反面、だからこそ、初心者の自分でも、代表候補生を相手に互角以上の戦いを演じられたのだ、と彼女は先の試合を分析していた。

 

 桜坂仕込みの作戦や、父謹製のレーザー・ピストルが効果的に作用したのも、セシリアがそういう心持ちでいてくれたからこそ。相手は初心者と油断しきっていたところに、強烈なパンチをもらって心の動揺が生まれた。そうしてできた精神の隙を上手く衝けたからこそ、自分ごときの腕でも、あそこまで追いつめることが出来たし、相手の反則によるものとはいえ、勝ちを拾うことも出来た。

 

「ですが、織斑君と戦っているいまのオルコットさんの態度からは、そういった慢心の類いは一切感じられません」

 

 セシリアとはまだ短い付き合いだが、プライドの高い人物だろうとは容易に想像出来る。あのような形とはいえ、初心者相手に敗北したことは、彼女にとってさぞや屈辱的な体験だったろう。一夏を睨む眼差しからは、素人相手に二度と無様をさらすまい、という強い意志がうかがえた。

 

 先の自分との試合では、あんなに多弁だったのに、一夏との対決では不気味なほど寡黙なままだ。余計な会話に気を回してなどいられない、ということか。

 

「試合の順番が入れ替わったのは、白式の到着が遅れたという予期せぬアクシデントのためでした。それさえなければ、織斑君も初心者相手で油断しているオルコットさんと戦っていたでしょう」

 

「山田先生、鬼頭さん」

 

 千冬は真耶の手の中のタブレット端末を示して訊ねた。

 

「鬼頭の打鉄ですが、ダメージの方はどうでした?」

 

「率直に言って、次の織斑君との試合は無理ですね」

 

 鬼頭は眉間にくっきりと深い縦皺を刻みながら言った。真耶も、手元のタブレットに打ち込んだ情報を改めて精読し、溜め息をつく。

 

「オルコットさんとの試合で、ダメージを受けすぎましたね。学園の設備をもってしても、修理には二日はかかるでしょう」

 

「……ということは、次のわたしと織斑君の試合は?」

 

「このままだと、織斑君の不戦勝だな」

 

 鬼頭は渋面を作る千冬を見た。

 

「織斑先生、他に貸出可能なISは?」

 

「残念ですが。すぐに用意出来る機体はありません」

 

「そうすると、厄介な事態になりそうですね」

 

 鬼頭は溜め息をついた。リアルタイムモニターに映じる二人の戦いぶりに目線をやる。相変わらず一方的な展開が続いていた。白式のシールド・エネルギーの残量は、三割を切っている。

 

「このままだと……」

 

 鬼頭が言いかけたそのとき、試合が動いた。

 

 このままでは埒があかぬ、と焦れた一夏が、多少のダメージは覚悟の上で、ブルー・ティアーズに向けて正面より突撃を敢行した。長大な《雪片弐型》は脇にとり、肩の高出力スラスター・ユニットを盾としながら向かっていく。

 

 これを迎え撃つセシリアは、ついに虎の子のBT兵器《ブルー・ティアーズ》を四機射出。砲弾と化した少年の身をあっという間に取り囲むと、前後左右に上下を加えた様々な方向から、光線を吐き出した。

 

「……やっぱ、ずるいよなあ、あれ」

 

 陽子が辟易とした表情で、うへぇ、と溜め息をついた。

 

 かたわらに立った鬼頭は対照的に、「やはり素晴らしい技術だ」と、知的好奇心に満ち満ちた輝く眼差しを向けた。

 

 《ブルー・ティアーズ》の低出力レーザーに焼かれながらも、一夏はセシリアとの間合いを詰めるべく、すべてのエネルギーを前進のため費やした。ここで防御や回避に意識を向ければ、その分だけ動きは遅速し、セシリアとの距離がまた開いてしまう。それを嫌ったがゆえの判断だ。

 

 カタログ・スペックによると、白式の機動性は四機の《ブルー・ティアーズ》をはるかに凌駕している。包囲網さえ突破出来れば、後ろから追いつかれる心配もないだろう。改めて、正面のセシリア一人に集中出来るはずだった。

 

 問題は、セシリアとの間合いを詰めるまでに、必殺の『零落白夜』を発動するだけのシールド・エネルギーを残せるかどうかだが、はたして……、

 

『――獲った!』

 

 なんとかBT兵器の包囲網から抜け出し、セシリアを自らの間合いの内におさめた一夏は、会心の雄叫びを上げた。

 

 脇に構えた《雪片弐型》の刃を立て、地擦り一閃。《スターライトmkⅢ》の砲口を切り落とす。対IS装甲用の白刃の切っ先が宙で円弧を描き、一夏はブレードを上段へと振りかぶった。一・五メートルの刀身が、白熱した輝きを宿す――――ワンオフ・アビリティー『零落白夜』。かます切っ先が振り下ろされんとした寸前、

 

 ブルー・ティアーズのスカート・アーマーから、何かが、射出された。

 

「五機目のBT兵器!?」

 

 陽子が、自分との試合では使われなかった切り札の姿に目を剥いた。

 

 しかもこのBT兵器は、先ほどまでの低出力レーザー・タイプではない。

 

 『零落白夜』の機能では無力化出来ない、実体弾……ミサイル・タイプだ。

 

 一夏の姿が、爆発の炎に包まれた。

 

 闘技場内に大型電光掲示板に、『勝者 セシリア・オルコット』の表示がなされた。

 

 千冬はそれを忌々しげに眺め、

 

「これで鬼頭が一勝、オルコットが一勝、そして次の試合で織斑が不戦勝だから一勝だな」

 

 三人の勝ち星の数が、揃ってしまった。

 

「クラス代表、どうしましょうか?」

 

 隣に立つ真耶も、困った表情を浮かべている。鬼頭が懸念した厄介な事態が、現実のものとなってしまった。

 

「……ところでお父様」

 

 教師二人が悩ましげに頭を抱えている他方で、陽子は鬼頭にひっそりと声をかけた。

 

「オルコットさんのことなんだけど……」

 

「どうした?」

 

「ほら、わたし、試合中にさんざん酷いことを言ってしまったじゃん」

 

 いま冷静に振り返ってみると、己を恥じずにはいられない。頭に血が上り、冷静さを失っていたとはいえ、彼女が知るわけもない智也のことまで口にして、罵声を浴びせてしまった。自分とて、彼女のことをよく知らないのに、他の女尊男卑主義者たちと、十把一絡げに扱ってしまった。

 

 セシリアにしてみれば、自身の理解が及ばぬことで罵られ、暴言を叩きつけられ、さぞや理不尽に感じたことだろう。

 

「それでオルコットさんに謝ろうと思うんだけど……」

 

 鬼頭に対し、数々の暴言を浴びせた彼女のことは許せないが、少なくとも、このことについては謝るべき、と陽子は考えた。

 

「そのときにさ、オルコットさんには、言っておこうかな、って思うんだ」

 

「……まさか」

 

「うん」

 

 表情を硬くした鬼頭を正面から見上げ、陽子は微笑んだ。笑いながら、華奢な肩が震えていた。

 

「父さんのこと、智也兄さんのこと、そして、わたしのこと、話せるだけのことは、話しておこうと思うんだ」

 

 なぜ、あんなにも罵られねばならなかったのか。謝罪の言葉を口にすれば、当然、相手はそれを疑問に思うだろう。自分はその問いに対し、答えを用意しなければならない。それをしないのなら、はじめから謝ろうなどと考えるべきではない。

 

 鬼頭は沈痛そうな面差しで愛娘を見下ろした。

 

 彼ら親子にとって、晶子との離婚が決まったあの日から鬼頭が再び親権を取り戻すまでの期間の記憶は、なるべくなら思い出したくない、いわば介抱に向かっている途中の心の傷だ。不用意に触れれば痛みに苛まれ、せっかくよくなり始めていたのがまた悪化してしまう。

 

 ――特に、陽子は……。

 

 自分と、陽子とでは、心に負った傷の深さが違う。己もまた妻と子を失ったが、彼女の場合はそれに加えて、義理の父に襲われた事実、実の母から見捨てられたショックがある。記憶の掘り起こし作業にともなう痛みは、己の比ではないだろう。

 

「それで、それでね……」

 

 事実、陽子の声は震えていた。過去の記憶を思い出すだけで、辛そうな表情を浮かべていた。

 

「その、オルコットさんと話すのは、わたし一人で、するからさ……お父さんには、そばにいてほしいんだけど」

 

「陽子。ああ、わかったよ」

 

 鬼頭は、硬い声音で話しかけた。

 

「父さんが、ずっと、そばにいてやるからな」

 

 せめて、この古傷の痛みが癒えるまでは。

 

 万感の想いを込めて、鬼頭は呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インフィニット・ストラトス二次創作

 

「この小さな世界で愛を語ろう」

 

Chapter10

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、一年一組のクラス代表については一旦、保留として、その日のお祭り騒ぎは解散となった。

 

 二試合を立て続けにこなしたセシリアは、さすがに疲弊した様子で第三アリーナはBピットルームに併設された更衣室を後にした。

 

 愛機ブルー・ティアーズは、待機状態たるイヤー・カフスの姿で、彼女の左耳を飾っている。

 

 ――今日はもう、部屋に帰ったらすぐにでもベッドに飛び込みたい気分ですわ。

 

 激しい運動による汗は更衣室に備え付けのシャワーですでに流し終えていたが、疲労感までは拭えない。

 

 夕食はどうしましょうかしら、などと考えながら、彼女は寮へと続く道のりを歩き出そうとして――、

 

「……あ、あら?」

 

「……どうも」

 

 いったい、いつからそこで待っていたのか。

 

 セシリアの行く手を遮るように、廊下のど真ん中で、鬼頭陽子が両腕を組み、仁王立ちしていた。

 

 フンス、と鼻息も荒々しい立ち姿は、本人としては迫力を出しているつもりなのかもしれないが、小柄な体格と童顔のせいか、小動物じみた愛らしさの演出の一助にしかなっていない。

 

 ――あら、可愛らしい……。

 

 つい先ほどまで熾烈な戦いを繰り広げた相手だということも忘れ、セシリアの口角は緩んだ。しかし、すぐに表情を引き締める。陽子のかたわらでは、彼女の父親が困惑した表情で立っていた。

 

「なあ、陽子……その、両腕を組む仕草なんだが……」

 

「父さん、何も言わないで。これは己の中の勇気を奮い立たせる、我々の業界では伝統のポーズなのです」

 

「我々の業界、って、いったい……」

 

「詳しくは『トップをねらえ』というアニメを見てください。そしていつの日かその技術力をもってわたしにバスターマシンを作ってください」

 

「う、うん。……ううん?」

 

 鬼頭は怪訝な表情で愛娘の顔を見た。件のバスターマシンとやらが何なのかは分からないが、なにやら、とんでもない頼み事をされたような気がする。

 

「というわけでオルコットさん!」

 

「ええと、何が、というわけ、なんですの?」

 

「ミス・オルコット、お気持ちはよく分かりますが、どうか、娘がいまから言う頼み事を聞いてはくれないでしょうか?」

 

「はあ……頼み事?」

 

「そう、長いお時間は、とらせないはずですので」

 

「はあ……」

 

「寮の夕ご飯の時間までには終わらせます。いざとなればわたしたち名古屋人のソウル・フード……エビフリャーを振る舞います! ……父さんが!」

 

「……娘よ、自分で作らないのか」

 

「わたしの料理スキルを侮るなぁ! わたしは、電子レンジでゆで卵を作ろうとして卵を爆発させたことのある人間だぞ!」

 

「……父さんはお前が嫁入りするときが心配でならないよ」

 

「そういうわけで!」

 

「……だから、何が、そういうわけ、なんですの!?」

 

「オルコットさんに、お話しがあります」

 

 陽子は、一転して神妙な面持ちと口調でセシリアに話しかけた。

 

 ようやく本題か。さっきまでの茶番はいったい何だったのだ、とセシリアも聞く姿勢を取る。

 

「さっきの試合で、わたし、オルコットさんにたくさん酷いことを言ってしまいました。そのことを謝りたいのと……それから、それから……」

 

「……陽子さん?」

 

 突然、舌の動きが鈍くなった陽子を怪訝に思いながら、セシリアはその先の言葉を促した。

 

 やがて彼女の前に立つ小さな少女は、決然とした口調で言った。

 

「父さんがなんで週刊誌の記事に対して反論しないのか、そのあたりの事情を、話しておこうと思って」

 

 セシリアの表情が硬化する。

 

 発言の内容に驚いたから、ではない。真実を語る。そう口にした陽子の額に、大粒の脂汗が浮いていたためだ。こころなしか、息づかいも荒い。堂々と胸を張っているように見えて、肩も震えている。

 

 ――なるほど、両腕を組んだそのポーズは、虚勢を張るため、ですか……。

 

 おそらくは、彼らが抱える事情とやらについて話すことは、彼女にそんな生理反応を催させるほどに精神的な負担を強いるのだろう。

 

 それなのに、なけなしの勇気を振り絞って、自分に話しかけてきたのか。

 

 セシリアの中で、目の前の少女に対する好意はますます募った。

 

「分かりましたわ」

 

 セシリアは頷いた。

 

 陽子の表情が、ほっ、と安堵から緩む。

 

「場所は、ここでいいですか?」

 

「……出来たら、わたしたちだけになれる場所がいいな」

 

 廊下では誰がやって来るか分からない。出来れば、この件については、余人を交えたくはなかった。

 

「でしたら……」

 

 セシリアは、一旦、離れることにしたBピットルームの扉を示した。

 

「あちらで、お話ししましょう」

 

 

 

 

 

 

 ピットルームの基本的な構造は、どの部屋も大差ない。

 

 セシリアはBピットルームの鍵をかけると、ISハンガーの脇に置かれたベンチに腰掛けた。拳三つ分ほどを隔てて、その隣に、陽子も腰を下ろす。鬼頭は、二人から少し離れた場所で、背中を壁に預けた。

 

「……お父上は、あれでいいのですか?」

 

「うん。父さんには、そばにいてもらうだけ。話自体は、全部わたしから、って約束なんだ。……わたしが謝るんだし、そうじゃないと、意味がないから」

 

 陽子は隣に座るセシリアに体を向けた。

 

「まずは最初に謝らせてください。セシリア・オルコットさん、わたしは先ほどの試合であなたに、酷い言葉をぶつけてしまいました。ごめんなさい」

 

 陽子はセシリアに向かって頭を下げた。英国人の彼女に、日本式の謝罪が通じるかどうかは分からないが、自分にはこれしか思いつかなかった。陽子なりの、精一杯の誠意の示し方だ。

 

 陽子が顔を上げると、セシリアの表情に、怒りの色はなかった。いやもともと、彼女は先の試合中における陽子の発言に対し、怒ってさえいなかった。

 

 彼女の中にあるのは、疑問だけだ。なぜ、鬼頭は週刊誌の記事は捏造である、としながらもそれを証明しようとしないのか。あの試合が終わった直後、彼は、陽子のため、と言っていたが、それはいったいいかなる理由なのか。セシリアは続く言葉を待った。

 

「そして、謝った以上は、答えなきゃならないよね。オルコットさんが思っているであろう、疑問に」

 

「ええ」

 

 セシリアは頷いた。

 

「そうしてくれると、助かります。そもそも、今日、わたくしたちがああして戦ったのは、それが原因なわけですし」

 

「うん。そうだよね」

 

 陽子は、目線をセシリアからはずし、鬼頭を見た。

 

 壁に背を預ける父は、声は発さず、唇だけ動かして、がんばれ、と言ってくれた。

 

 陽子は頷いて、訥々と、口を開いた。

 

「正直、わたしは父さんみたいに頭、良くないからさ。要点をかいつまんで、とか無理だと思う。だから、一から十まで、全部話すね」

 

「ええ。あなたの話しやすいようにしてくださいな」

 

「うん。ありがとう」

 

 陽子は、目線を床へと向けた。あの忌まわしい日々について思い返すとき、自分はきっと、酷い顔をしているだろうから。セシリアに、そんな表情を見せたくなかった。

 

「……まず、週刊誌の内容についてだけど、父さんと、あの女が離婚した、っていう部分は、本当のことだよ」

 

 あの女。実の母をそう呼んだ陽子の横顔を見て、セシリアは息を呑んだ。憎悪の篭もった面差し。顔を背けられてよかった、とひっそりと安堵する。

 

「でもね、離婚の原因は違うんだ。週刊誌には、父さんのDVなんて書かれていたけど……そんなことは、一切なかったよ」

 

 一口にDVといっても、色々なパターンがある。最もオーソドックスなものは暴力に訴えることだが、それ以外に、言葉で相手の尊厳を著しく傷つける、経済面で相手の行動を縛る、などだ。当時のことを思い返すが、少なくとも陽子が知る限り、鬼頭がそうした行為を母に迫った事実はない。

 

「離婚の直接の原因は、あの女の不倫だった」

 

「不倫、ですか……」

 

「……驚かないんだ?」

 

「まあ、ありふれた理由ではありますし……でも、なぜ、週刊誌ではDVなんてことになっているのでしょう?」

 

 火のないところに煙は立たない。直接、言葉にすることはなかったが、陽子を見つめるセシリアの瞳は言外の意図を雄弁に語っていた。

 

「さあ? 大方、いまみたいな女尊男卑の世の中じゃ、女の方を被害者にした方が、ウケがいいから、とかそんな理由じゃない?」

 

 問いに対し、陽子は素っ気ない口調で言う。

 

「あの女と、間男との関係はね、父さんと結婚する前から続いていたんだ。結婚してからも、あいつらは父さんが仕事をしているときとかに密かに、会っていた。わたしや、智也兄さんが生まれた後も、それは変わらなくて……酷いときには、まだ幼かったわたしたちを家に置いて、デートに出かけていたよ。……これはわたしも後で知ったことだけど、まだ生後六ヶ月とかのわたしと智也兄さんを背負って、ラブホに行ったこともあったみたい。あ、ラブホって分かる? 英語圏にはない文化って聞いているけど」

 

 次々と語られる衝撃の内容に、セシリアは、返す言葉を見失ってしまう。

 

 なんということだ。家庭内暴力の被害に遭っていたのは、むしろ、彼女たちの方だったとは……。しかし、それならば、どうして――、

 

「あの女の不倫と、ネグレクトの事実を知った父さんはね、その証拠を慎重に集めた上で、離婚と親権獲得のための手続きを始めたんだ。そうしたらあいつらは、自分たちのしたことも忘れて、そんなの認められない! って、裁判を起こしたの。……そして、父さんは、その裁判に負けたんだ」

 

「それは、なぜ……!? だ、だって、証拠があったのでしょう!?」

 

「うん。担当してくれた弁護士さんも、絶対に勝てる裁判だ、って太鼓判を押してくれていたよ。でも、父さんは負けた。あの女のもとに、予想外の援軍が駆けつけたせいで」

 

「援軍?」

 

「女性権利団体」

 

 淡々とした口調で紡ぎ出された言の葉に、背筋が震えた。感情の篭もらぬ呟きは、かえって恐ろしい響きを宿していた。

 

「それも、愛知県でもとびきり過激な思想を持った連中がね。わたしたちの裁判の話を聞きつけたんだ。そしてあいつらは、あの女に味方した。女の方が慰謝料を払うなんておかしい。子どもは母親と一緒にいるべきだ。そう言ってね。わたしたち家族を、滅茶苦茶にしていった」

 

 勝てるはずの裁判を、奴らは必敗のものとした。その結果、自分たち兄妹は鬼頭と引き離され、彼もまた慰謝料という形で、夫としての尊厳を著しく傷つけられた。

 

「でも、これは始まりにしかすぎなかったんだ。わたしたちにとっては、離婚した後の方が、地獄だった。父さんとの離婚が決まった後、あの女はね、間男と再婚したんだけど……」

 

 晶子が親権を欲したのは、陽子たちのことを愛していたがゆえ、ではない。二人に対して払われる、養育費が目的だった、と告げたとき、セシリアは絶句した。

 

「……なんなのです? なんなのですそれは!?」

 

「養育費目的で引き取ったあいつらに、わたしと智也兄さんへの愛情なんてなかった。あいつら……特に、男の方はね、仕事が上手くいかなかったり、無性にいらついたときとかに、わたしや兄さんに、暴力を振るったんだ」

 

 殴る。蹴る。叩く。突き飛ばす。

 

 父と引き離された後、智也は、これからは父に代わって自分が妹を守るのだ、と自らに誓いを立てた。幼い兄妹に降りかかる理不尽な暴力、そのほとんどを、彼はすすんで受け止めた。

 

「そんな生活が、二年ぐらい続いた頃に、ね。兄さんが、死んでしまったの。あの男に突き飛ばされたときに頭を打って、階段から落ちて。死に際に、陽子、陽子、ってわたしの名前を何度も呼びながら、息を引き取っていった」

 

「そ、それは……でも、それなら……!」

 

「行き過ぎた虐待の果ての殺人、とはならなかったよ。あいつら夫婦が二人で口裏を合わせてね。智也兄さんの死は、事故死として処理された。その上、あいつらは養育費の減額を恐れて、父さんには智也兄さんの死を伝えなかった」

 

 凄惨なる告白は、なおも続いた。

 

 智也の死後、二人の暴力は陽子一人に向けられるようになった。

 

 そして、

 

 そして――、

 

「一二歳のときにね、わたし、あの男から、レイプされたんだ」

 

 何かを叩く大きな音がして、びくり、と胴震いした。

 

 音のした方へと目線を向ければ、憤怒の形相の鬼頭が無言で、歯を食いしばりながら、壁を叩いていた。セシリアの目線に気づくと、はっ、として顔を覆い隠す。「すまん。続けてくれ」と、力のない呟きを耳にして、喉の奥が苦しくなった。

 

「……あのときは、本当に辛かったなあ。うん。人生でいちばん辛い時期だったね」

 

 なんとか平静を保とうとするも、声が震えてしまうのを、止められなかった。

 

 陽子を見つめるセシリア自身もまた、奥歯が、ガチガチ、と軋み鳴るのを自制出来ない。英国よりやって来た少女の面差しは、怒りと、悲しみとが同棲する、複雑怪奇な表情と化していた。

 

「痛くて、恐くて、あいつの気がすんだ後も、恐くて……。ほら、一二歳にもなると、もう初潮も来てるし、自分が何をされているのか、とか、分かっちゃうんだよね。だから、本当、慌てたよ。子どもができたらどうしよう、って。あいつ、ゴム使わなかったから」

 

「陽子、さん……」

 

「それでさ、慌てて、パニックになったわたしは、こともあろうにあの女に相談してしまったのです。お父さんにレイプされた。子どもができたらどうしよう!? って。そうしたらね、あの女ってば、こう、泥棒猫! って、グーで殴ってきたんだよね! 信じられる? 実の娘を、よりにもよってグーだよ、グー!」

 

 諧謔めいた口調は、言葉を重ねるほどに萎縮していく自分の心を、少しでも奮い立たせるための虚勢にすぎない。

 

 その証拠に、陽子の目尻からは大粒の涙が滲み出ていた。落涙を自覚し、喉をしゃくり鳴らしながら、それでも彼女は、懸命に言葉を紡いでいった。

 

「いま、振り返るとさ、あの瞬間が、いちばん、辛かったなあ……くぅ。よりにもよって、実の親から……それも、同じ女から、この泥棒猫、って。お前なんて、いらない、って拒絶っ、されたん、だ。本当、辛かったよ」

 

 晶子は、陽子を何度も殴打した。頬を叩き、腹を殴り、髪を鷲掴んで、顔を壁に叩きつけた。たまらず、着の身着のまま、財布も持たずに家を飛び出した陽子は、スカートのポケットの中に僅かに残っていた十円玉三枚を握りしめ、近所の公衆電話から、伊賀上野にある、加藤家と連絡をとった。

 

 智也の死をきっかけに正気を取り戻していた祖父たちは、事情を聞くとすぐ迎えにきてくれた。彼らは鬼頭と連絡をとり、かくして、事態は彼の耳にも入ることとなった。

 

 そこまで聞かされて、ああ、とセシリアは得心する。

 

 そうか。だから彼は、親権を取り返したのか。

 

 陽子を、

 

 愛する彼女を、守るために、かつて愛した女から、週刊誌に書かれたように、無理矢理、親権を奪い返したのか。

 

「その後起きたゴタゴタについては……正直、わたしはよく知らないんだよね。親権取得の再申請にまつわるあれこれとか、あの女たちへのお仕置きとか……刑事裁判の仕組みとか、当時のわたしにはよく分からなかったし、わたし自身、色々あって、それどころじゃなかったからさ。だから、結論だけ言うと、わたしはまた、父さんと暮らせるようになったの。そしてあの鬼畜どもは、兄さんを殺した罪と、養育費を不正に受け取っていた罪で、いまはムショ暮らしってわけです」

 

 それが、いまから三年前にあったこと。週刊誌に書かれていた内容の、真実。

 

 陽子は、そこで一旦舌と喉を休めた。目元に浮かぶ涙をハンカチで拭い、二度三度と深呼吸。いくらか気持ちが落ち着いたところで、再び口を開いた。

 

「週刊ゲンダイの内容のほとんどは捏造だってことを明らかにするのは、簡単だよ。いま言った裁判の資料や記録を取り寄せて、公開すればいいんだからね。でも、父さんはそれをしない。理由は……」

 

「……口にせずとも、よろしくてよ」

 

 沸々と湧き上がる怒りの感情が声に載らないよう気をつけながら、セシリアはかぶりを振った。

 

「裁判資料や記録の公開は、あなたがレイプされた事実を広く知らしめることになる。あの男……いえ、あなたのお父様は、それを嫌ったのでしょう?」

 

 セシリアは、壁際に立つ鬼頭の顔を見た。

 

 過日、射撃訓練場で聞かされた、桜坂なる男の言葉を思い出す。

 

 ――目を見開いて、素直な気持ちで、鬼頭智之という男の、ありのままを見る。

 

 そして、得心した。

 

 自分の過ちを認めるというのは忌々しいが、これは、認めざるをえない。

 

 情けない男などと呼んだのは、いったい誰だったか。

 

 陽子のことを本当に愛しているのならば、などと声を荒げたのは誰だったか。

 

 彼は、

 

 鬼頭智之は、

 

 陽子のことを、誰よりも愛している。

 

 そして彼女を愛するがゆえに、自身に架けられた汚名をそそぐという、安易な選択を良しとしなかった。

 

 自らが傷つき、陽子もまた傷つく。

 

 それを分かっていながら、それでも、その方が傷は浅いはずだ、と。痛みは軽いはずだ、と。信じて。茨の道を、歩むことを、選んだ。

 

 そんな勇気ある決断を下した男を、自分は何と罵った? 何と嘲笑した? セシリアは、自らを恥じずにはいられなかった。

 

 ベンチから立ち上がると、彼に向かって深々と腰を折った。日本式の謝罪。かたわらで座る陽子が、息を呑む。

 

「……ごめん、なさい」

 

 セシリアの声に、震えはなかった。感情を押し殺した声だった。

 

 鬼頭は壁から背中を離し、一歩、また一歩と、彼女のほうへ歩み寄っていった。

 

「あなた方がそんな事情を抱えていたなんて知らず……いえ、知ろうともせず、それでいながら、わたくしは、あなたたちに、たくさんの暴言を……。本当に、ごめんなさい」

 

「……ミス・オルコット、顔を上げてください」

 

 言われるがままに、顔を上げた。

 

 手を伸ばせば届く距離に、彼は立っていた。

 

 切れ長の双眸を間近で眺めているうちに、セシリアの美貌は悲しげに歪んだ。

 

 彼の瞳は、燃えていた。心の中が火事になっているのが分かった。こんなにも悲しそうで、こんなにも怒りに燃える瞳を、セシリアはこれまで見たことがない。

 

 これが、

 

 これが、鬼頭智之。

 

 そして、父親というものなのか。

 

 静かな感動に打ち震えるセシリアに、鬼頭は硬い声音で語りかけた。

 

「正直言って、腹が立っていない、と言えば嘘になります。よく知りもせずに好き放題言いやがってこの小娘が! ……という憤りは、いまもこの胸の内にあります。我ながら大人げないとは思いますが、許せるか、どうかで言えば、そんな謝罪の言葉一つでこの気持ちをなかったことには出来ません」

 

 厳しい言葉の雨。当然の仕打ちだな、とセシリアは黙ってそれらを受け止める。しかし鬼頭は、そこまで口にしたところで、一転して優しい……驚くほど優しい口調で、言の葉を続けた。

 

「ですので、新しく、始めていきましょう」

 

 鬼頭は、セシリアに向けて、そっと右手を差し出した。握手を求めるジェスチャー。一週間前にも彼から求められたが、そのときは一顧だにせず、断ってしまった。

 

 セシリアは茫然とした表情で、鬼頭の顔と、差し出された右手を交互に見た。

 

 鬼頭は涼しげにはにかんだ。

 

「そちらは、日本式で誠意を見せてくれました。今度は、こちらが、そちらの流儀に合わせる番でしょう」

 

 欧米文化においては、握手なしに人間関係は始まらない。

 

 過去の発言を許すことは出来ないが、新たに関係を構築していくことは出来るはずだ。

 

 なんといっても自分たちは、まだ始まってさえいなかったのだから。……鬼頭が彼女に見せる、精一杯の誠意だった。

 

「…………」

 

 セシリアは、自らの右手を、鬼頭のそれへ、おずおず、と伸ばした。

 

 指先が触れる。巌のように硬い掌の感触。この男手一つをもって、愛娘との生活を、ずっと守ってきたのか。これが、父親の手なのか。

 

「……ミス・オルコット?」

 

 鬼頭の声が、驚きから上擦ったものになった。

 

 はて、どうしたのか、と問いかけようとして、気がついた。

 

 涙だ。

 

 気がつけば、自分は落涙していた。

 

 どうして。なんで。自問に対する答えは、すぐに見つかった。

 

 陽子に好感を抱いていた理由。

 

 鬼頭を嫌っていた理由。

 

 こうではないか、と自分では思い込んでいた。

 

 しかし、違ったのだ。

 

 いま、鬼頭の手に触れて、それを思い知らされた。

 

 自分は、

 

 自分は、本当は……、

 

 ――わたくしは陽子さんに、嫉妬していたのですね……。

 

 

 

 

 

 セシリアが生を受けたオルコット家は、今日、イギリス国内では名門中の名門と扱われる、貴族の家名だ。その歴史は古く、起源はなんとノルマン朝の成立からさほど遠くない時代まで遡れるという。十四世紀に頻発した農民一揆や英仏百年戦争、十六世紀の宗教改革といった、歴史上の転換期の中でも名声と勢力を堅持し続けた力強い家系であり、産業革命の以後は、時代の流れを上手く読んで領主から資本家へと華麗に転身。いまや二十近い大企業を所有する、一種の巨大な財閥を形成するにいたっていた。

 

 セシリアの亡き母は、先々代のオルコット家当主――セシリアの祖父――に男児がなかったため、彼の死後、オルコット家の家名と爵位を相続することになった。

 

 母は、気性の激しい人だった。女尊男卑社会の到来以前から、女だてらにいくつもの会社を経営し、成功を収め、オルコット家の勇名をさらに響かせた傑物だった。家庭内では厳しい人だったが、セシリアはそんな母に憧れていた。

 

 対照的に、幼い日のセシリアは、父のことを蔑んでいた。名家に婿入りした彼は、母に対し多くの引け目を感じていたのだろう。とはいえ、それにしたって、との思いを抱かずにはいられぬほど、父は母の顔色ばかりうかがって生きていた。IS発表後、彼の弱々しい態度はますます顕著になっていき、母はそれがどこか鬱陶しそうで、いつの頃からか、彼との会話自体を拒むようになっていった。セシリアはそんな父の姿を情けなく思い、嫌っていた。

 

 幼少の頃からそんな二人の関係性を見せつけられてきたセシリアは、将来は父のような男とだけは結婚するまい、という自戒を胸に、今日まで生きてきた。思春期を迎え、彼女も人並みに恋愛というものに関心を抱くようになってからは、理想の男性像は? と、訊かれれば、父とは正反対の人、と答えるようにしている。

 

 セシリアの両親が亡くなったのは、彼女が一二歳のときのことだった。

 

 原因は越境鉄道の横転事故。いつもは別々に過ごすことの多かった両親が、なぜ、その日に限って一緒にいたのかは、いまだに分からない。ともかく、四十人近い死者たちのリストの中に、両親の名は刻まれてしまった。

 

 ジュニアスクールを卒業したばかりのセシリアに、二人の死を悲しむ暇は与えられなかった。

 

 母の死と同時に、オルコットの家督は長女であった彼女に委ねられることとなった。手元には莫大な遺産と、オルコットの資本を頼る企業の従業員たちの生活を保障しなければならない責任が残った。

 

 セシリアを取り巻く時間の流れは、それからは慌ただしく過ぎるようになっていった。

 

 オルコットの家を守るため、ありとあらゆる勉強に励んだ。その一環で受けたIS適性テストで、A+という成績をたたき出した。英国政府から国籍保持のために様々な好条件が出された。両親の遺産、そしてオルコットに関わるすべての人たちを守るため、彼女は即断した。第三世代装備ブルー・ティアーズの第一次運用試験車に選抜された。稼働データと戦闘経験値を得るため、日本のIS学園へとやって来た。そこで、彼女と出会った。

 

 鬼頭陽子。

 

 一目見た瞬間、自分と同じだ、と親近感を抱いた。

 

 情けない父親の存在のために、娘の尊厳が傷つけられている。

 

 鬼頭のことを許せない、と思った。陽子のことを放っておけない、と思った。彼女を助けることは、自分自身の魂の救済にもつながると思い、セシリアは鬼頭を憎み、攻撃した。

 

 しかし、それは誤りだった。

 

 いまになって、ようやく気がついた。

 

 本当は、とうの昔に理解していたのだ。

 

 鬼頭智之がどんな人物なのか。

 

 彼がいかに陽子を愛し、彼女から愛されているか。

 

 一目見た瞬間から、気づいていたのだ。

 

 でも、気づきたくなかった。

 

 陽子に対する嫉妬心を認めたくなくて、気づいていたけど、現実から目をそらし、認識を歪めた。

 

 セシリアは、本当は亡き父のことが好きだった。彼を愛し、彼に愛される。本当は、そんな親子になりたかった。けれども、なれなかった。母への憧憬が高じるがあまり、父の悪い部分ばかりが目についてしまい、彼との関係を良くしていこうなんて考えが、幼い日のセシリアの中には生まれなかった。父に対し、こうあってほしい、もっと強くあってほしい、と、望みを口にすることさえしなかった。彼との会話を嫌っていたのは、母だけではなかった。自分もまた、父との会話を避けていたことに、いまようやく気がついた!

 

 そして、どんなに焦がれたところで、もう、それは叶わない。父はもう、この世にいない……!

 

 陽子は、セシリアが理想と思う親子像の体現者だ。

 

 優しくて、愛に満ち、そして強い父親と、彼を慕う娘。

 

 セシリアが、本当はなりたかった親子の姿、その幸福に対する喜びを、全身で表していた。

 

 一目見た瞬間に抱いたのは、親近感などではなかった。セシリアは、自分が本当は欲しかったものを持っている陽子に、嫉妬心を抱いていたのだ。鬼頭に対する怒りもそうだ。彼に対してはむしろ、どうして自分たちはこう“あれ”なかったのか、と。その愛を自分にも向けてくれないものか、と憧れさえ抱いていた。

 

 ――自分にそんな黒い感情があるんだなんて、認めたくなくて、わたくしは、自分で自分の認識を歪めた……。

 

 陽子への嫉妬心は好感に。

 

 鬼頭への尊敬と憧れは憎しみに。

 

 この一週間、ずっと疑問に思い、そして憤っていた。

 

 どうして陽子は自分の気持ちを分かってくれないのか。なぜ自分の気持ちは伝わらないのか。伝わるはずがない。だってそれは、自分の、本当の気持ちではなかったのだ。

 

 そして、彼女への嫉妬心を自覚したとき、セシリアは思わず落涙した。

 

 自分の狭量さに対する情けなさ。いやそれ以上に、指先が触れたそのぬくもりの心地良さが、彼女に、在りし日の父と過ごした時間を、思い起こさせた。

 

 ――お父、様っ……。

 

 父が死んで以来、彼女ははじめて、彼のために涙を流した。

 

 

 

 

 

 突然、涙で頬を濡らすセシリアを前にした鬼頭親子の動揺は大きかった。

 

 この短い時間のうちに、彼女の中で、いったい何があったのか。

 

 互いに顔を見合わせ、さてどうしたものか。お父様、人生の先輩として慰めてあげてください。いやいや娘よ、同年代のお前の方が、繊細な乙女心を理解出来るのではないか。などと、アイコンタクトを交わす。

 

 しかし、そうしている間に、セシリアは端整な美貌を汚す滴りを指で拭うと、今一度鬼頭の顔を真っ直ぐ見つめて、今度こそ差し出された右手をしっかりと握り返した。

 

「はい! こちらこそ、よろしくお願いしますわ」

 

 可憐に微笑む。年甲斐もなく、陶然と見惚れてしまった。

 

 愛娘からの射るような目線に気づいた鬼頭は、軽く咳払い。崩れかけた相好を引き締め、こちらも完爾と微笑んだ。ところが、その表情はすぐに凍りつく。

 

「ところで、鬼頭さん。不躾ながら、二つほど、お願いしたいことがあるのですが?」

 

「なんでしょう?」

 

「まず、わたくしのことはセシリアと、名前で呼んでいただけませんか? 出来れば、呼び捨てでお願いしたいのですが」

 

「ええ、構いませんよ」

 

 アメリカへの留学経験を持つ鬼頭だ。ファーストネームで呼び合うこと自体に、抵抗感は薄い。

 

 問題は、次いで口にされたお願いの内容であった。セシリアは鬼頭に、次のように求めたのだ。

 

「それから、その……わたくしと陽子さん、それから鬼頭さんの三人でいるとき、もしくは鬼頭さんと二人きりでいるときに、その、お父様、と呼ばせていただけないでしょうか?」

 

「……はい?」

 

「ファッ!?」

 

 鬼頭が唖然とした表情を浮かべ、陽子がクッソ情けない悲鳴を口にした。

 

「な、ななな、何を言っとりゃあすか!?」

 

 ベンチから飛び上がった陽子が、思わず地元名古屋の方言を口にした。普段は周囲との会話をスムーズにこなすため、標準語で話すよう努めているのだ。

 

 彼女ほどではないが、鬼頭も困惑した様子で訊ねる。

 

「セシリア、ええと、それは、どういう……?」

 

「言葉通りの意味ですわ。周りに人がいない状況で、この三人だけか、鬼頭さんと二人きりでいるときに、鬼頭さんのことをお父様と呼ばせてほしいのです」

 

「プレイ!? どういうプレイなの、それ!?」

 

「……陽子、後でお父さんと二人で、普段、お前がどんな本を読んでいるかとか、どんなアニメを見ているかとか、お前の好きな動画投稿サイトの内容について、一緒に相談しような」

 

 驚きのあまり発言の内容がおかしなことになっている陽子に、ぴしゃり、と注意して、鬼頭はセシリアの顔を見つめた。

 

 この見目麗しい代表候補生の少女が、どういう考えから、先の発言を口にしたのか、MITを首席で卒業したこの男の頭脳をもってしても、理解出来ない。

 

「セシリア、どうして、そんなことを?」

 

「そこまで深い理由ではないのですが……その、陽子さんと、鬼頭さんの関係を見ていて、羨ましいな、と思いまして。それで、そうお呼びしたくなってしまいましたの」

 

「新しい関係を始めようと提案された後にこれ……はっ、まさかわたしから父さんを奪うつもりか!? や、やらせはせん! やらせはせんぞぉぉ!」

 

「陽子、少しの間、静かにしていなさい」

 

 鬼頭はセシリアの目を見た。真っ直ぐな眼差し。嘘を言っているようには思えないが。

 

「……セシリア」

 

「はい」

 

「私は、あなたの父親にはなれません。あなたの父親は、三年前の事故でお亡くなりになった、ただ一人しかいません」

 

「……ご存知でしたか」

 

「ええ。……私の友人の、桜坂という男が、調べてくれました」

 

 射撃場でのやりとりから、相手は名家の出身かもしれない、と思った桜坂が調べてくれた情報だ。目の前の少女は、いまから三年前に列車の事故で、二親を同時に失っているという。その境遇には同情するが。

 

「甘えの対象として、手近な大人を父親代わりにしたいという考えならば、他をあたっていただきたい」

 

「……甘える対象が欲しいという気持ちがあるのは、認めます」

 

 セシリアは、首肯した。

 

「ですが、決して手近な大人だから、という理由ではありません。鬼頭智之さん、わたくしはあなたをお慕いしています。そうであればこそ、あなたに、無理を承知でお願いしているのです」

 

 ついさっきまであなたのお父様のことが嫌いです云々言っていたのは誰でしたっけねぇ。

 

 セシリアの後ろでぶつぶつ呟いている陽子を無視し、鬼頭は切れ長の双眸を三白眼へと変え、なおもセシリアを見つめる。

 

 ……ふむ。やはり、嘘をついているようには思えない。

 

 この短時間のうちにどんな心境の変化が生じたのかは分からないが、彼女は本心から、自分のことを、父、と呼びたいと願っている。

 

 さて、自分はこの願いにどう応じるべきか。

 

 実のところ、鬼頭はセシリアのことをさほど嫌ってはいない。彼女は陽子のために怒ってくれた。前提となる情報には誤りがあったし、どういった理由から娘の味方になろうとしてくれたのかはいまだに分からないが、それだけは確かな事実だ。嫌えるはずがない。

 

 問題を自分とセシリアの二者間に絞って言えば、断る理由はなかった。あとは陽子がどう考えるかのみ。

 

 続く鬼頭の返答に、セシリアの表情は、ぱあ、と華やぎ、対照的に、陽子は、うへぇ、と溜め息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Chapter10「この小さな世界で家族の愛の形について考えよう」了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 愛知県名古屋市。

 

 東区は筒井町にある、東警察署――。

 

 

 

 刑事課へ続く廊下を、貝塚道夫巡査部長は肩を怒らせながら歩いていた。

 

 五年前に刑事課に配属された二八歳。身長一七六センチ、体重六四キロの、すらり、とした長身の持ち主だが、その実、合気道の達人として知られる人物だ。二十歳のときに警察官となって以来、これまでに十六人もの聞き分けの悪い犯罪者たちを、その腕っ節をもって制圧してきた武勇は、署内では有名な話だった。

 

 貝塚巡査部長は、自らの根城でもある刑事課の部屋に入室すると、一目散に課長のデスクへと向かった。

 

 大島洋二警部は、貝塚が憤怒の形相で自分のもとを訪ねてくるのをあらかじめ予想していたのだろう、特に慌てた様子もなく、彼を迎える。

 

 警察学校を優秀な成績で卒業した身ながら、誰に対しても良い顔をする悪癖が過ぎてどの派閥からも敬遠され、四六歳という年齢にも拘わらずいまだ警部どまりの人物だ。彼は息づかいも荒々しくデスクの前に立った貝塚に、人懐っこい笑みを向けた。

 

「貝塚くん、そろそろ来る頃だと思っていました」

 

「大島課長、先ほど、私の携帯電話に連絡があったのですが、先日起きたアローズ製作所の社員に対する傷害事件の捜査資料が、検察から突き返された、とはいったいどういうことなんですか?」

 

「いまあなたが口にした通りです」

 

 大島課長は淡々と告げた。

 

「我々は先の傷害事件の犯人を現行犯逮捕し、すぐに検察に送りました。加害者の自供を基に作成した供述調書、彼女が所持していた、薬品反応のあった瓶などの証拠も三日と開けずに提出しました。検察はこれらの捜査資料をよく吟味した上で、加害者の女性を不起訴処分としたのです。不要になったから、突き返してきた。それだけのことです」

 

「納得がいきません。なぜ、不起訴処分なのです!? 我々の捜査に、落ち度があったとでもいうのですか!?」

 

 およそ一週間前に起こった、名東区に本社ビルを持つアローズ製作所の会社員を襲った、傷害事件の加害者についての処遇の話だ。事件のあらましは、以下の通り。

 

 一週間前、アローズ製作所に勤める会社員の滑川雄太郎が、会社から帰る途中で、突然、見知らぬ女に声をかけられた。道を訊ねるふりをして近づいた彼女は、いきなり、持っていた薬瓶に入っていた液体を滑川に向けてぶっかけた。液体の正体は強酸性の薬物で、咄嗟に顔をかばった右腕が、重度の火傷を負ってしまった。女はそのまま現場から逃走した。滑川は無事な方の腕で携帯電話を操作し、一一〇番通報。警察官二名が現場に急行したところ、近くの公園の水飲み場で、薬瓶を洗っている怪しい女を発見した。職務質問をかけると、犯行を認めたため、現行犯逮捕にいたった次第だ。

 

 東警察署に移送された犯人は、そのまま貝塚たち刑事課に引き渡され、供述調書の作成や、所持品の調査などが行われた。

 

 被害者の滑川技師とその上司の桜坂某が被害届を提出したこと、傷害事件の起訴に十分な証拠が揃っていたことから、貝塚たちは犯人逮捕から二四時間と置かず、犯人の女を検察へ送致した。その後は検察へ提出するための捜査資料を、じっくり時間をかけて完成させ、提出。貝塚たちの仕事は終わり、あとは検察の処分を待つばかり……と、そう、思われた。

 

 ところがたったいま、とうの検察から、送ってもらった捜査資料が不要になったので返却したい、という旨の連絡が、貝塚の携帯電話にかけられた。

 

 当然、彼は電話の相手を追及した。

 

 不起訴処分とはどういうことだ。なぜ不起訴処分と判断を下したのだ? まさか自分たちの作った資料に不備があったから、などとは言うまいな!? しかし、担当の検察官は申し訳なさそうに謝罪を繰り返すばかりで、不起訴処分の理由を決して語ろうとはしなかった。

 

 そこで貝塚は、大島課長を訊ねることにしたのだ。

 

 自らを東警察署・刑事課のエースと自負する彼だが、所詮、自分は一兵卒にすぎぬとも自覚していた。しかし、指揮官の立場にある大島ならば、己の立場では得られぬ情報を入手出来るやもしれぬと、そう考えてのことだった。

 

「先に結論から言っておくと、たしかに、私は不起訴処分の理由について、検察から事の真相を教えてもらっています。ですがこれは、貝塚くん、あなた方現場の捜査員に伝えるには、あまりにも残酷すぎる真実だ。現場の捜査員の頑張りを、馬鹿にしているとしか思えない。口にするのも、おぞましい言葉だ。……ここまで言ったんだ。察してくれたまえ」

 

 貝塚巡査部長は忌々しげに表情を歪めた。

 

「……今回の傷害事件の犯人は、女でした」

 

「そうだね」

 

「つまり、そういうことですか」

 

「ああ、そうだ」

 

 女性権利団体。

 

 あの連中が、犯人の女を守るために介入してきたか。

 

 なるほど、課長が言葉にするのを嫌がったのも頷ける。現場の捜査員たちが汗水垂らして作成した調書や資料が、警察組織とは本来関わりのない人権団体の抗議で使われなくなる。馬鹿にしているにも、程がある。

 

「弁護士から電話があったらしいよ」

 

 大島課長は、疲れ切った口調で言った。

 

「加害女のために、はるばる大阪からやって来たらしい。今日、面会をして、今夜中にまた帰るそうだ」

 

 

 

 

 

 




捏造オルコット家の設定でした。


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