この小さな世界で愛を語ろう   作:3号機

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今回、人によってはだいぶ不快に感じる描写を書いてしまいました。

具体的には、ちょっときつめの暴力と性描写があります。

この部分に関して、R-18タグの追加も考えましたが、司馬遼太郎などの一般小説でも普通に描写されることではあるので、タグの追加は見送りました。

本話を読んで、不快感を催された方がいましたら、申し訳ありません。

拙作に登場するとある人物の悲しみと苦しみを読者に伝えるためには、絶対に不可欠だ、と判断し、書きました。



件の部分は本話冒頭にあります。

もしも、そういったシーンを読みたくない、という場合は、

PC環境であれば、キーボードの「Ctrl+F」か、ブラウザ機能から「ページ内の検索」を、

スマホ環境であれば、ブラウザ機能から「ページ内の検索」を実行し、「目を覚ました」と、入力してください。

該当部分を飛ばして読むことが出来ます。



全文を読んでいただけるのであれば、作者にとって、これ以上の喜びはありません。

前置きが長くなりましたが、それでは、どうぞ。



Chapter11「得たもの」

 男の腕は太く、そして力強かった。

 

 対する女の腕はあまりに細く、必死の抵抗は虚しかった。

 

 男は逃げようとする女の背中に躍りかかると、後ろから首に腕を巻きつけた。喉を圧迫された女の唇から、押し潰されたような悲鳴が漏れる。それを無視して、男は奥の六畳間へと、小柄な彼女を引きずり込んだ。

 

「チクショウが! チクショウが!」

 

 男の顔は、怒りで歪んでいた。毛むくじゃらの手が女の下肢を襲い、物凄い力で下着を引き裂いた。女は、今度こそはっきりと悲鳴を上げたが、助けを求める悲痛な叫びは、「うるせぇぞ!」と、男の怒声にかき消された。ひぃっ、と怯えから硬直したその瞬間をつき、男の手が、今度はブラウスの胸元へと伸びる。ボタンがはじけ飛び、薄い乳房が露出した。女は、まだ十代も前半と思しき子どもであった。

 

 男の粘り気の強い唾液が、少女の顔に降りかかった。野獣のように変じた顔面を、夢中で殴りつけるも、男は構わず子どもの胸にむしゃぶりついた。

 

「やめて! やめて、お父さん!」

 

 少女は泣いていた。男は彼女の体を突き飛ばすと、フローリングに倒れ込んだ小さな体の上にのしかかった。左手で首を絞め、右手で露わになった乳房を掴んだ。男の爪が食い込み、糸のような血の筋が白い肌を伝った。

 

「陽子っ、陽子っ」

 

 陽子は両足をばたつかせた。男の右手が股間に落ちて、薄らとした茂みを引きちぎった。激痛が陽子の下肢を襲い、彼女は意識が遠のくのを覚えた。男が、苛立ちながらトラウザーズを下げる。

 

 醜悪な形の男性器が露わになった。

 

 男は、陽子の体を割ると、喉をゴロゴロ鳴らしながら腰を振った。男を知らない少女の体が、陵辱から逃れようと無意識のうちに悶えた。男は、乳房にむしゃぶりつくと、腰を律動させた。花が散り、鮮血が、幼女の体からしたたり落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悲鳴とともに、目を覚ました。

 

 IS学園の学生寮。

 

 ベッドの上で跳ね起きた鬼頭陽子は、周囲を見回し、部屋の照明が落ちて暗いことや、汗に濡れた毛布の不快感から、先ほどまで見ていたのは夢で、いま自分の意識がある場所こそが現実だと認識する。

 

 荒い呼吸を整え、安堵の溜め息をついたところで、ぶるり、と胴震いした。

 

 身の内と外とでのたうち回る悪寒から自らを抱きしめ、細い肩を撫でさする。

 

 大丈夫。ここに、あいつはいない。あいつはいないんだ、と、自身の心と体に言い聞かせるように、何度も呟いた。

 

「陽子……」

 

 声のした方を見れば、隣のベッドに横たわる父が、心配そうにこちらを見つめていた。

 

 いまの悲鳴で起こしてしまったか、と陽子の表情が強張る。

 

「あ、と、父さん……そ、その、ごめんね。起こしちゃったよね」

 

「いや、それは構わないんだが……」

 

 鬼頭は上体を起こし、ベッドに腰かけた。枕元のスタンド照明を操作して、常夜灯をつける。娘の顔を見て、表情を硬化させた。灯りの乏しい空間でなおはっきりと分かるほどに、陽子の顔色は悪かった。

 

「どうした? 恐い夢でも見たか?」

 

「う、うん……」

 

 陽子は悄然と頷いた。

 

「その、あのときのことを、夢に見てさ」

 

 愛娘を見つめる切れ長の双眸が、険しさを宿した。あのとき。目の前の少女が、自身の悲鳴で目を覚ますほど衝撃を受け、思い出しただけでいまでも震えが止まらぬほどの恐怖を伴った体験。鬼頭の知る限り、それは一つしかない。

 

「……あの男のことか?」

 

 これ以上、彼女を過去の記憶に対する恐怖を刺激してはならぬと、鬼頭は舌先で言葉を選びながら、慎重に口を開いた。

 

 はたして、陽子は「うん」と、小さく首肯した。

 

「今日、セシリアにあんな話をしたせいかな。久しぶりに見ちゃった」

 

 義理の父からレイプされたときの記憶。

 

 四年前に自分と再会した直後は、毎晩のように悪夢にうなされ、苦しめられた。心療内科に足繁く通い、投薬治療に努めた甲斐あって、最近はその頻度も減っていたが、セシリアへの事情説明が、また呼び水となってしまったか。

 

「馬鹿だよね。こうなるかもしれない、って分かっていたのに、意地張ってさ。セシリアに、事情を説明したいだなんて。あんな……」

 

「父さんはそうは思わないよ」

 

 鬼頭は完爾と微笑んだ。

 

「父さんのことで、セシリアにいつまでも誤解したままでいてほしくない。そんなふうに考えて、お前は行動してくれたんだろう?」

 

 過去の記憶を掘り起こすことは、陽子にとって、辛い行為だったはずだ。現にいま、彼女は過去のトラウマ体験の記憶を自ら刺激したがために、悪夢に苦しめられている。

 

 しかし、それでも彼女は行動してくれた。こうなるかもしれない、と承知の上で、自分のことを想い、セシリアに、自分たちの過去について話す決心をしてくれた。

 

「そんなお前のことを、父さんは誇らしく思うよ」

 

 鬼頭は自身のベッドの毛布をはだけた。

 

「久しぶりに、一緒に寝ようか?」

 

「……もう高校生にもなるのに、恥ずかしいんですが」

 

「父さんからすれば、お前はいくつになっても可愛い赤ん坊のようなものだよ」

 

 おいで、と鬼頭はベッドを軽く叩いた。

 

 深々と溜め息をついた後、陽子は、おずおず、と隣のベッドに移動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インフィニット・ストラトス二次創作

 

「この小さな世界で愛を語ろう」

 

Chapter11

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クラス代表決定戦の翌日。

 

 一年一組の教室、朝のSHRの時間――。

 

 

 織斑一夏は茫然とした表情で、黒板に白いチョークで書かれた文字列を眺めていた。『クラス代表 織斑一夏』。教室の後ろの方からでも見やすいように、と大きな字で記述された情報の内容を理解するのに、たっぷり二秒はかかった。文字を書き終えた山田真耶は、チョークを粉受けの部分に置くと、嬉々とした表情で教え子たちのほうへと振り返った。

 

「では、一年一組代表は、織斑一夏くんに決定です。あ、一繋がりでいい感じですね!」

 

 真耶がそう宣言すると、クラスの女子たちの口からは黄色い歓声があがった。ほとんど者が、この事態を歓迎している。暗い面持ちなのは、とうの一夏のみだ。

 

「先生、質問です」

 

 挙手をした一夏を、真耶は指名した。

 

「はい、織斑くん」

 

「昨日の試合では三人とも一勝ずつで、代表決めは一旦保留になったはずですが、なんで俺がクラス代表に決まっているんでしょうか?」

 

「それは――」

 

「それはわたくしと陽子さんが辞退したからですわ!」

 

 真耶の言葉を遮ったのはセシリアだった。がたん、と騒々しく立ち上がる。教室の隅でその様子を眺めていた千冬の米神が、一瞬、ひく、と動揺した。それに気づいた鬼頭が、まあまあここはひとまず話を聞きましょう、と苦笑しながらジェスチャーを送る。

 

「昨日、試合が終わった後、クラス代表をどうするべきか、二人で相談しましたの」

 

 その相談の席に自分も入れてほしかったなあ。一夏は胸の内でひっそりと溜め息をついた。

 

「それでですね、クラス代表には織斑さんが相応しいのではないか、と二人で結論づけまして」

 

「はあ!? な、なんで?」

 

「まず、わたしが相応しくない理由についてなんだけど……」

 

 セシリアの言葉を、陽子が引き継いだ。こちらは、粛、とした所作で立ち上がると、一夏への期待と申し訳なさが同居した、複雑な微笑を彼に向ける。

 

「ぶっちゃけ、わたしがクラス代表決定戦に参加した理由って、セシリアを痛めつけてやる! って、理由だったからね。もともとクラス代表になりたくて、立候補したわけじゃなかったし、そんなやる気のない人間が、そういう責任ある立場になっちゃいけないと思うの」

 

 教室内の何人かが、おや? と、怪訝な表情を浮かべた。セシリア。はて、昨日まで陽子は彼女のことを、オルコットさん、とファミリーネームで呼んでいたはずだが。いつの間に、ファーストネームで呼び合う仲となったのか。

 

「それに、わたしは専用機持ちじゃないしね。月末のクラス対抗戦もそうだけど、そういうイベントのときに、少しでも勝率を上げようと思ったら、クラス代表は専用機持ちである方がいいと思うの」

 

 責任感云々でいえば、自分だってそんなものないぞ! と、一夏は内心情けなく胸を張る。それに、専用機持ちというのなら、

 

「専用機持ちなら、オルコットさんだってそうだろ?」

 

「……そのことについてなのですが」

 

 陽子の説明を、セシリアが引き継いだ。端整な美貌が、寂しげな表情を作っている。

 

「実はわたくし、専用機や代表候補生の資格を、失うかもしれないのです」

 

「なっ!」

 

 驚愕から顔を強張らせたのは、一夏だけではない。三人のやりとりを眺めていたクラスメイトたちも、茫然と彼女の顔を見つめた。

 

「覚えておいででしょうか? 一週間前、わたくしは日本国や、この国に住む皆さんに対して、差別的な発言をしてしまいました。それだけでなく……」

 

 セシリアは鬼頭親子に目線をやった。近い将来への覚悟について、すでに昨日のうちに聞かされていた二人は、沈痛な面持ちで誇り高き少女の眼差しを受け止めた。

 

「陽子さんたち親子に何度も酷い言葉をぶつけてしまいました。自分の勝手な思い込みで、智之さんの人格を否定するような発言までしてしまいました。イギリス国の代表候補生という立場にある身で、不適切な言動だったと思いますし、それ以前に、人として、最低な行為をしてしまったと思います。

 

 ……わたくしは今回の出来事における自分の一連の行動について、英国政府に対し、包み隠さず報告するつもりです」

 

 決然と口ずさまれた宣言に、教室内は騒然となった。

 

 代表候補生という責任ある立場でありながら冷静さを欠き、衆目の前で他国の文化を乏しめ、挙げ句、人種差別ととられかねない発言までしてしまった。そればかりか、世界でたった二人しかいない男性操縦者とその家族に対し、数々の罵詈雑言を浴びせた。

 

 そんな報告を受けた英国政府が、この代表候補生の少女に対しどんな処分を下すか。ここにいるのはみな、IS学園の入試を突破してきた才媛らだ。容易く想像できた。最悪の場合、数々の特権的待遇をことごとく剥奪された上での、強制送還も考えられる。

 

「そういうことですので、わたくしはクラス代表になるわけにはいけませんの。たとえば明日、この学園からいなくなるかもしれない人間を、そんな立場には置けないでしょう?」

 

 こう言われては、一夏も閉口せざるをえない。再来週のクラス対抗戦の当日になって突然、強制送還が決まる、という事態も考えられる。そんな無責任なことは出来ない、というセシリアの気持ちは理解出来た。

 

「……オルコットさんは、それでいいのかよ?」

 

 反論をやめたのは、クラス代表就任についてのことだけだ。これについてはもう、諦めた。仕方がないと、納得しよう。

 

 しかし、こちらの問題については得心出来ぬ、と一夏は声を荒げた。

 

「オルコットさん、自分で言っていたじゃないか。自分は代表候補生、六十億人の中から選ばれた、エリート中のエリートだ、って。俺はまだ、ISのことはよく分からないけど、その立場になるために、オルコットさんがとんでもなく頑張ったんだろう、ってことぐらいは分かる」

 

 昨日の試合で思い知らされた、自分とセシリアの技量の差。あれほどの力を得るために、彼女はどれほどの汗を流してきたのか。セシリアがこれからやろうとしていることは、そうしたこれまでの努力を、自ら無為にしかねない行動だ。自分で自分を傷つける、自傷行為とさえとれる。端から見ていて、気分の良いものではなかった。

 

「わたくしのことを、心配してくれているのですか」

 

 セシリアは可憐に微笑んだ。女尊男卑の思想に染まっていても、自身に向けられる好意や憂慮の気持ちを曲解するほど、性根を腐らせてはいないつもりだった。

 

 ――わたくしは彼についても、誤解していたのかもしれませんね。

 

 ISを動かすことの出来る男性という、物珍しさから、このIS学園の門を叩くことを許された人物と蔑んでいた。彼の存在のために、IS学園で学びたいと願い、何年も何年も勉学に努めてきた、顔も知らない誰かの入学枠が一つ潰されたのだ、と思うと、怒りを覚えずにはいられなかった。

 

 かつて鬼頭智之という男性に対しそう抱いていたのと同様、セシリアの織斑一夏への心証は、会う前から最悪だった。

 

 しかし、

 

 ――目を見開いて、素直な気持ちで……。

 

 事前情報を一旦、思考の外に追いやった上で、改めて、織斑一夏という少年を見る。

 

 なかなかどうして、気遣いのできる紳士ではないか。彼からのいたわりの眼差しを、セシリアは心地よく思った。

 

「ありがとうございます、織斑一夏さん」

 

 ですが、とセシリアは決然とした眼差しで彼を見つめ返した。

 

「もう決めたことなのです。あなたのおっしゃる通り、わたくしも、ようやく手に入れた代表候補生の立場や、専用機を失うのは辛いです。ですが、我が身の可愛さから、自分のそういう駄目だった部分、いけないことをしてしまった事実から目をそむけ、曖昧なままにしておくことの方が、わたくしは嫌なのです」

 

 イギリス政府と連絡をとらなければ、自分の立場は守られよう。しかし、そうすることによって、鬼頭たちに対する屈託を胸の内に抱えたまま過ごすことの方が辛いと、セシリアは感じていた。

 

「イギリス政府への報告は、わたくしが今後もこのIS学園で胸を張って生活するために必要な、ケジメなのです。わたくしの決断を、尊重してくださいな、織斑さん」

 

 一夏はなおも翻意を促す言葉を口にしようとして、束の間、唇をもごもごとさせた後、諦めた表情で溜め息をついた。自分ごときの頭では、このエリート様を変心させられそうな言葉が思いつかない。

 

「……分かったよ。納得出来ないけど、納得する」

 

「よし。では、クラス代表は織斑一夏で決定とする」

 

 教室の隅に立つ千冬が、凜、とした声で言い放った。教え子たちの顔を見回して、「異存はないな」と、睨みを利かせる。ほぼ全員が、はーい、と返答した。

 

 クラス一丸となった唱和が鳴り響く中、鬼頭親子だけが、セシリアの笑顔を辛そうに見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 一限目の授業が終わった。

 

 イメージ・インターフェースの仕組みを学んだ鬼頭は、事前学習では得られなかった充足感から、ほくほく顔で、新たに仕入れた知識の使い道について思いを馳せた。教科書を片付けた彼は、代わって机の上に広げたノートに、思い浮かんだアイディアを次々書き込んでいく。イメージ・インターフェースの技術を災害用パワードスーツに転用することは可能か否か。実現が難しいとすれば、それはなぜなのか。技術的なハードルには、どんなものが考えられるか。様々な角度から、その実現性について検証する。

 

 隣の席に座る陽子は、そんな父の仕事の邪魔をしては悪い、と立ち上がり、セシリアのもとへ向かった。昨日の話し合いの後、彼女たちの心の距離感は、急激にその隔たりを埋めていた。

 

 談笑を始めた二人を一瞥した鬼頭は、こちらも会話の邪魔をしては悪いな、と手元のノートに意識を集中する。XI-02のスケッチを素早く描いた後、イメージ・インターフェースの搭載に必要な機器をどうレイアウトするか、楽しげな様子で頭を悩ませた。

 

「あ、あの……!」

 

 ひとり思考実験を楽しんでいると、遠慮がちに声をかけられた。

 

 顔を上げた鬼頭は、怪訝な表情を浮かべた。例の週刊誌が発刊されて以来、このIS学園で、自分に話しかけてくれる者は限られている。しかし、目の前に立っていたのは、彼が想像したどの人物とも違っていた。ショートヘアーが活発そうな印象を抱かせる彼女は、たしか……、

 

「……相川清香さん、でしたか」

 

「あ、はい。そうです」

 

 名を呼ぶと、彼女は、緊張した面持ちで頷いた。一年一組の出席番号一番、スポーツ観戦とジョギングが趣味だと、入学式の日に行われたSHRで、自己紹介していたのを覚えている。陽子より頭一つ分以上背が高く、IS学園の派手な意匠の制服を、りゅう、と着こなすプロポーションの持ち主だった。表情筋が強張っているのは、週刊誌に書かれたDV男を前にしたことによる恐怖からか。いやしかし、それならばそもそも話しかけないのでは……? と、鬼頭は訝しげに口を開いた。

 

「私に何かご用でしょうか?」

 

「え、ええと、用というほどのことでもないんですが、ちょっと、聞きたいことがありまして……」

 

 年上の男性を相手取ることに、慣れていないのか。丁寧な言葉選びに懸命になるあまり、たどたどしい口調になってしまうのを、鬼頭は微笑ましく思った。彼はようやく口元に微笑をたたえ、

 

「何でしょう? いやそれよりも、私と話していて、大丈夫ですか?」

 

「大丈夫、とは?」

 

「ほら、例の週刊誌の記事のことで、私と話していて、気分を害してはいないかと思いまして」

 

「あぁ……」

 

 相川清香は得心した表情で頷くと、小さくかぶりを振った。

 

「平気です。わたし、あの記事の内容、信じていないので」

 

 意外な返答だな、とひっそりと驚いた。

 

 入学初日の様子から、クラスの半数以上が週刊誌の情報を信じ、自分に対する敵意を抱いていると考えていたが。

 

「そりゃあ、入学式のときはお二人のことをよく知りませんでしたし、もしかしたら悪い人なのかな、って少し警戒してしまいましたけど……、この一週間、お二人の様子を眺めているうちに、週刊誌に書かれていたことは嘘だな、って確信しました」

 

「それは、ありがたいことですが……なぜ?」

 

「だって二人とも、すごく仲良いじゃないですか」

 

 清香は、ころころ、と笑ってみせた。

 

「DV男が元妻から無理矢理親権を奪い返した、なんてお話、二人を見ていたら、信じられませんよ」

 

 それを聞かされて、鬼頭はようやく破顔した。娘との仲が良い。うむ。良い響きだ。

 

「なるほど、それは……嬉しいですね」

 

「それで、おうかがいしたいことがあるんですが……」

 

「はい」

 

 いまの自分は機嫌がいい。大抵のことには答えよう。

 

「昨日の試合で、娘さん……陽子さんが使っていた、レーザーピストルなんですけど」

 

「《トール》のことですか」

 

 その名を口にした途端、教室内の幾人かの目線が、自身に向けて集中するのが分かった。どうやらみな、何気ないふうを装ってその実、自分たちの会話に聞き耳を立てていたらしい。そうしているところに、聞き捨てならない単語が話題にのぼったことから、思わず演技を忘れてしまった、といったところか。

 

 鬼頭は一旦、彼女たちの存在は意識の外に置き、清香との会話を続ける。

 

「あれがどうかしましたか?」

 

「はい。あの、《トール》って、今後、わたしたちが訓練機を借りるときとかでも、貸し出しされるんでしょうか?」

 

「……なるほど」

 

 鬼頭は得心した様子で頷いた。

 

「たしかに、昨日の陽子の言い方では、みなさんに誤解を与えてしまったかもしれませんね」

 

 昨日の試合中、陽子は《トール》を指して、自分のためにこしらえられた銃だ、と称した。この発言、たしかに間違いではないが、聞く人によっていくつも解釈が生まれてしまう、上手い日本語ではなかった。

 

 たしかに自分は、《トール》を陽子のための銃として設計した。彼女がグリップを握ったときに百パーセントの性能が発揮出来るよう調整し、彼女が試合で搭乗する訓練機でも扱えるよう、汎用性の高い武器として設計した。しかしこれらの要素は、彼女にしか扱えない、ということではない。

 

 陽子は専用機持ちではない。当然、彼女のために作った《トール》は、専用機用武装としての登録が出来ない。実際、鬼頭が昨日までに完成させた二挺は現在、IS学園の武器庫にて、貸出申請さえ通れば、誰でも借りられる状態で保管されていた。

 

「……ですから、貸出申請さえ通すことが出来れば、みなさんでも使うことが出来ますよ」

 

「でも、いまのところ二挺しかないんですよね。倍率高いだろうなあ……」

 

 清香は小さく溜め息をついた。

 

 昨日の試合を観戦していた者の多くは、初心者の陽子が代表候補生のセシリアと互角に渡り合えたのは、《トール》の性能によるところが大きい、と考えている。

 

 あれを使えば自分たちも代表候補生と戦えるかも! という期待から、拳銃の奪い合いが生じるのは必至と、彼女はにらんでいた。

 

「智之さん……」

 

 そのとき、二つ前の席で二人の会話を聞いていた一夏が声をかけてきた。

 

「あの、《トール》、もうちょっと数を増やすことって、できないですか? 俺もクラス代表になった以上、来週末のクラス対抗戦、やるからには勝ちたいですし、そのときに《トール》が使えたらな、って思うんですけど……」

 

 一夏の言葉に、清香も、うんうん、と首肯した。彼女としても、《トール》の絶対数が増えることは大賛成だ。

 

「……作ってあげたいのは、山々なんだが」

 

 鬼頭は深々と溜め息をついた。

 

「それはちと難しいのだ」

 

「ええと、理由を聞いても?」

 

 清香の問いに、鬼頭は「情けない話なんだが」と、重たげに口を開いた。

 

「相川さん、織斑くん、私は現在、アローズ製作所という、企業の所属だ」

 

「はい。全国レベル有名な話ですよね」

 

「ロボットのメーカーでしたよね」

 

「しかしこのアローズ製作所は、ISを商品として扱う企業ではない。つまり、私がこのIS学園で作るIS用の装備の開発費用は、アローズ製作所からはびた一文たりとも捻出されていないんだ」

 

「……え? まさか、あの……え?」

 

「も、もしかして《トール》って……」

 

「製造にかかった費用はすべて、私のポケット・マネーから捻出されている」

 

 切々とした呟きに、教室内の空気が凍った。クラスメイトの何人か――鬼頭に対して敵意を抱いている者たちでさえも――が、気の毒そうな眼差しを彼に向ける。

 

「実を言うと、予備バッテリーの製作が間に合わなかったのは、時間がなかったから、というだけじゃない。二挺作った段階で、予算が尽きたんだ」

 

「ち、ちなみにあの二挺だけで、おいくらかかったんですか?」

 

「具体的な金額については、きみたち子どもの前でしたくないなあ」

 

 不意に、鬼頭は窓の外へと目線をやった。雲量が一分以下の快晴。青々と晴れ渡った空のまぶしさも、己の心を慰めてはくれぬ。

 

「とりあえず、名古屋に置いてきたプリウスと、時計のコレクションをいくつか、来月中に処分しなければならなくなったよ。……苦労して貯金して買った物だったんだけどなあ、パテックフィリップのカラトラバ……」

 

 お気に入りの時計を手放さねばならない未来を憂い、鬼頭はまた、げんなりと溜め息をこぼした。

 

 落ち込む彼は、自身に向けられていた同情の眼差しのうち、幾人かのそれが、愕然としたものへと変じたことに気がつかなかった。

 

 

 

 

 

 

 その日の放課後。

 

 昨日、一夏たちとの試合が行われた第三アリーナでは、ブルー・ティアーズを身に纏ったセシリアが、ひとり訓練に励んでいた。

 

 訓練の内容は、BT兵器を用いたコンバット・シューティングだ。空間上に投影したコンピュータ・グラフィックの仮想標的を、BT兵器のみを駆使して何分で全滅させられるか、そのタイムを計測するというもの。

 

 英国空軍の研究チームが、ティアーズ型専用に開発した訓練プログラムだ。BT兵器の扱いについての習熟度を、計測タイムという形で定量化し、その短縮をもって、操作技術の向上と見なす。およそ一年前、セシリアは《ブルー・ティアーズ》のプロトタイプを使ってこの訓練プログラムに挑み、他の誰よりも優れた成績をたたき出した。訓練の様子を見ていた空軍の高官らは、大喜びで彼女の肩を叩くと、ブルー・ティアーズの第一次運用試験者への推薦状をその場でしたためた。

 

 ブルー・ティアーズのOSには現在、標的の種類や数に応じて、三十六段階の難易度に分けられた訓練プログラムが登録されている。プログラムを走らせると、ハイパーセンサーの視界に仮想標的の姿が映じ、タイムの計測が始まるという仕組みだ。最も簡単なステージの内容は、この種の射撃訓練では定番の風船標的が十二個というシンプルなもの。他方、いちばん難しいステージでは、標的の数は八十にも達し、しかもそのすべてが、機動パターンも運動性も異なる動体という仕様だった。

 

 第三アリーナにやって来たセシリアは、まずはウォーミングアップだ、と上から十六番目の難易度の訓練プログラムを開始した。時速四百キロで空中を徘徊する小型の無人攻撃機十六機を三分足らずで沈黙させると、今日は調子が良いですわね、と一気に難易度を上げる。

 

 選択したのは上から三番目の難易度のステージだった。標的の数は全部で六十個。実際にイギリス軍に配備されている兵器群から、選りすぐりのデータが次々出現し、セシリアに襲いかかることになっている。

 

 まず出現したのは、小型の無人攻撃機二十機と、中型機四機からなる大編隊だった。直径が二百メートルしかないISアリーナの空を瞬時に埋め尽くし、機銃やロケット弾、ミサイルをぶっ放しながら、セシリアのもとへと殺到する。

 

 仮想標的は、ただ撃たれるだけの存在ではない。隙あらば攻撃し、ブルー・ティアーズのシールド・エネルギーを削ろうとするよう行動設定されている。勿論、実体を持たないCG画像のため、攻撃を受けたところで、実際のダメージはない。しかし、訓練プログラムの走査中は、被弾箇所の機能が低下するよう設定されているため、セシリアは攻撃と同時に、防御についても気を回さねばならなかった。

 

 セシリアのブルー・ティアーズは、まず機銃とロケット弾の嵐を三次元垂直移動で悠々かわした。回避後はすぐに水平飛行へと移り、BT兵器《ブルー・ティアーズ》の一番機から四番機までを射出。背後に回り込もうとするミサイルの群れへと差し向ける。

 

 無人機の装備するミサイルは、総じて小型だ。推進装置のパワーは小さくとも、軽量だから素早く、そしてよく動く。

 

 しかし、セシリアの放った《ブルー・ティアーズ》はそれ以上に機敏だった。

 

 四機のBT兵器は、五十発近い誘導弾の群れに向かって、正面からぶつかっていった。糸のような細さの低出力レーザーを連続で発射し、四発、八発と、一射ごとに、確実に脅威の芽を摘んでいく。半数近くまで撃ち落としたところで、ミサイルの群れとすれ違った。即座に散開、反転し、誘導弾の炎の尻尾を追いかける。追いかけながら、レーザーを撃った。四発、八発とまた数が減っていく。

 

 やがて最後の一発を処理すると、セシリアはBT兵器の矛先を上空の無人機群へと向けた。今度はさらに、ミサイルを搭載した五番機、六番機も追加で射出する。低出力レーザー・タイプが四機と、誘導弾装備型が二機の、合計六機。これが、ブルー・ティアーズが装備するBT兵器のすべてだ。

 

 二四機もの大編隊は、その四分の一の数しかない《ブルー・ティアーズ》によって、あっという間に駆逐されていった。まず中型機四機に低出力レーザー・タイプが群がり、殺到し、瞬く間に炎上させた。残る小型機たちは必死に回避運動をとったが、PICにより完全な三次元機動を可能としているBT兵器が相手では、逃げられるものではなかった。二十機を全滅させるのに、三分とかからなかった。

 

 無人機をすべて撃ち落とした直後、間髪入れずに、今度はアリーナ内にストーマー戦闘車輌が四輌と、最新モデルのランドローバーが八台出現した。どちらも英国陸軍で制式採用されている兵器だ。

 

 ストーマーは一九五〇年代に開発されたスコーピオン軽偵察車を改良した装甲車輌だ。もとは工兵部隊向けの装備として開発されたが、手頃で扱いやすいサイズだったことから、様々なバリエーションが生まれた。スターストリーク対空ミサイルを八発搭載した対空モデルはその一つで、六角柱状の車体上部に積まれた発射装置が異彩を放つデザインをしている。ランドローバーはすべてトラック・タイプ。荷台には対空機銃を積み、四輌の対空仕様ストーマーを守るように輪形陣を形成していた。

 

 突如として出現した戦闘集団は、早速、上空のセシリアに向けて攻撃を開始した。

 

 銃弾の風を切る音が、ブルー・ティアーズを飲み込む。

 

 合計三二発もの対空ミサイルがつるべ撃ちされ、蒼の少女を追いかけた。

 

 セシリアは一旦、BT兵器を呼び戻すと機体に接続し、しばし回避行動に専念した。

 

 BT兵器の制御には多大な集中力を要する。いまのセシリアの技量では、BT兵器で攻撃を行いながら、同時に自らは回避運動を取る、というような器用な真似は難しかった。

 

 下方より襲いくる銃弾の嵐の中へと、セシリアはあえて機体を突っ込ませた。何発かの銃弾が命中し、シールド・エネルギーを削り取るが、致命的なダメージにはいたらない。地表すれすれの高度まで到達すると、水平飛行に移行。ランドローバー軍団が射角の変更に手間取っている間に、《ブルー・ティアーズ》六機を射出した。一番から四番機までを、ストーキング行為をはたらく不埒なミサイルどもの迎撃にあて、五番機と六番機で、陸戦部隊を叩き潰す。

 

 炎上、炎上、また炎上! 火力を集中させるため、なまじ密集隊形をとっていたことがむしろ被害を拡大させた。炎の舌が隣の車輌へと伸びて誘爆。動揺から身動きとれずにいるところを、《ブルー・ティアーズ》の五番機と六番機が容赦なく追い撃つ。先にランドローバーを片付け、次いでストーマーを始末した。労せずして地上の目標十二個を壊滅させた彼女は、残るミサイルの処理に専念した。

 

 ミサイルをすべて処理し終えたところで、新たな標的が出現した。小型無人機の編隊が、またもセシリアの頭上に現われる。と同時に、今し方全滅させたはずの地上部隊も復活した。十二機の小型無人機と四輌のストーマー、そして八台のランドローバーが、空と陸の両面攻撃を仕掛けてくる。

 

 ――いつもながら、デタラメな光景ですわね。

 

 上空より降り注ぐ機銃掃射をホバリング移動で避けながら、セシリアはひっそりと溜め息をついた。

 

 この訓練を行う度に思うことだ。直径が二百メートルしかないISアリーナ内に、これほどの戦力が集結している光景は、現実感に乏しい。

 

 寡兵でもって多数の敵を相手取る場合、まず考えなければならいのが、優先して叩くべきはどの敵か、ということだ。より脅威と思われる方から先に叩くのか、それとも弱い方から叩くべきなのか。今日のセシリアは前者を選んだ。地上の標的は同士討ちを避けるため、火力を集中しきれないでいる。他方、空中の無人機どもは、機銃、ミサイル、ロケット弾と、持てる火力のすべてを、お構いなしに撃ち放ってきた。セシリアは上空に向けて、《ブルー・ティアーズ》たちを飛ばした。六機の武装妖精たちは、無人機の周囲を機敏に飛び回り、レーザー、そして誘導弾を撃った。たちまち、頭上で十二個の花火が花開いた。

 

「これで……終わりですわッ!」

 

 号令一過、十二機の無人機を撃破した《ブルー・ティアーズ》たちは反転し、地上の標的を撃ち抜くべく急降下した。

 

 

 

 最後に残ったストーマーの動力装置を、《ブルー・ティアーズ》三号機の放ったレーザーが撃ち抜いた。

 

 機関部を熱線でズタズタにされた装甲車は、ガガガガガン、と激しい胴震いをした後、機能を停止した。

 

 これにより六十個の標的すべてを撃破。タイマーの針が静止する。

 

 記録を見たセシリアは驚いた。十分二四秒。自己ベストを三十秒近くも短縮出来ている。はて、前回同じコンバット・シューティングをやったときの自分と、今日の自分。いったい何が違うのか。

 

 原因について考えを巡らし、セシリアは思わず苦笑した。

 

 そうだった。今日の自分は、このブルー・ティアーズを、乗り納めのつもりで駆っている。

 

 鬼頭への態度についての一件で、明日にはこの機体をイギリス政府より取り上げられてしまうかもしれない。ブルー・ティアーズを操縦出来るのは、これが最後の機会かもしれぬ。そう不安に思えばこそ、いまのうちに思う存分動かしておこう、普段以上に機体の挙動に気をつけた丁寧な操縦を心がけよう、という心持ちで、セシリアは今日の訓練に臨んでいた。

 

 イメージ・インターフェースに代表されるように、ISの性能は操縦者の精神活動次第で大きく化ける。

 

 近く待ち受けている将来への不安から生じたそんな気の持ちようが、コンバット・シューティングの成績に反映された公算は高かった。

 

 ――思えば、この子とも決して短い付き合いではありませんものね。

 

 自身の周囲に浮かぶ《ブルー・ティアーズ》たちを、セシリアは愛おしげに撫でた。

 

 オルコットの家を守りたいという一心で手に入れた、代表候補生という立場。そのために費やした努力が、形をなして自分のもとにやって来てくれたのが、このブルー・ティアーズだとセシリアは思っている。いわば自身の半身のような存在と捉えていた。

 

 そんな彼女と離れ離れになってしまうかもしれない。セシリアにとってこれは非常に辛いことだった。しかし、他ならぬ自分でそうすると決めた道だ。

 

 せめて悔いが少なくすむように、と乗り納めのつもりで今日、この場にやって来たわけだが……まさか、ここに来て自己ベストを更新してしまうとは。

 

 ――これでは、余計に離れづらくなってしまうじゃないですか……!

 

 セシリアは小さく溜め息をついた。

 

 そのとき、閉めっぱなしの状態だったBピットのゲートが、ゆっくりと開いていった。アリーナ内にやって来たのは、ISスーツの上に灰色の打鉄を纏った鬼頭だ。セシリアの姿を認めると、真っ直ぐこちらに向かってくる。

 

「ここにいたのか、セシリア」

 

「お父様? わたくしを探していたのですか?」

 

 セシリアは昨日許されたばかりの呼称で、鬼頭の名を呼んだ。

 

 陽子以外の娘からそう呼ばれることにまだ慣れていない彼は、面はゆそうに苦笑する。

 

「ん、ああ。そうなんだ。実は、きみに渡したいものがあってね。いまから控え室に戻れるだろうか?」

 

「あ、はい」

 

 セシリアは可憐に微笑んだ。

 

「ちょうど少し休憩を取ろうかと思っていましたの」

 

 二人は並んでBピットルームへと向かった。その飛行中、セシリアは隣を飛ぶ鬼頭の姿を一瞥して、内心、驚いていた。

 

 初心者にも扱いやすい打鉄とはいえ、専用機を受領してまだ一週間しか経っていないはずなのに、ずいぶんと様になる飛び方をしている。そういえば昨日の試合でも、落下する陽子のもとへと駆けつける際、彼はイグニッション・ブーストと思しき空戦機動技術を使っていた。本来は中級者向けの、急加速の技術なのだが。

 

 ――MI6の調べでは、MITを首席で卒業した天才的な頭脳の持ち主、ということでしたが……。

 

 なるほど、この覚えのよさは、たしかに天才と呼んで差し支えないかもしれない。

 

 ピットルームに到着した二人は、揃ってISを待機モードへと移行させる。光芒が彼らの体を包み込んだかと思うと、一瞬にして戦闘用の装甲が消失した。各々二・五メートルはあろう高さにいきなり放り出された鬼頭たちだったが、IS解除時に生じるPICの特殊な力場のおかげで、落下速度は非常に緩やかだった。ほぼ同時に、ふわり、と着地する。

 

 ピットルームで二人が来るのを待っていた陽子が、そんな彼らのもとに歩み寄った。

 

 ISによる生理機能のサポートがなくなったことで、どっ、と汗が噴出し始めたセシリアに、純白のハンドタオルと、スポーツドリンクの入ったペットボトルを手渡した。

 

「はい、これ。お疲れ様」

 

「あら、ありがとうございます」

 

 玉の汗をタオルで拭い、ボトルの封を切って一口含む。こく、と小さく喉を鳴らして、一つ深呼吸。セシリアは自分が落ち着くのを待ってくれている鬼頭に向き直った。

 

「それで、渡したい物というのは?」

 

「ああ……陽子」

 

 ISスーツには、ポケットなどの収納スペースがない。あらかじめセシリアへの贈り物を鬼頭から預かっていた陽子は、学生鞄のポケットをまさぐった。リップクリームくらいの大きさの、黒くて四角いスティックを引っ張り出す。はい、と差し出されたスティックを見て、セシリアは目を丸くした。

 

「これは、USBメモリ?」

 

 ISが発明される以前の世界において、比較的ポピュラーな規格だった記録媒体だ。渡したい物とは、これのことか。中にはいったい何が?

 

「この中身を、イギリス政府の人間……あるいは、きみをこの学園に送り込んだ、直接の上司のような人物でもいい。とにかく、政府にコンタクト出来る人間に、渡してほしいんだ」

 

「中にはいったい何のデータが入っているんですの?」

 

「一つは暗号化されたデータだ。もう一つは、まあ、言うなれば嘆願書だな」

 

「嘆願書?」

 

「そう。鬼頭智之はたしかにセシリア・オルコットに無礼な態度を取られた。しかし、そのことについてはもう、怒っていない。だからセシリア・オルコットに対しては、寛大な処置をお願いしたい。……そんな感じのことを書いておいた」

 

「お父様……!」

 

 セシリアは茫然と鬼頭の顔を見つめ返した。故国イギリスを離れて一万四千キロ、極東の島国で出会った新たな父は、完爾と微笑んだ。

 

「勿論、安っぽい同情心から書いたわけじゃないぞ。セシリアにはこれからもずっと、この学園にいてほしいから書いたんだ」

 

「わたしも」

 

 鬼頭の隣に立ち、陽子はしかめっ面でセシリアを見た。

 

「セシリアには、まだこの学園にいてほしい。あんたとは色々あったけどさ、全部、わたしのことを思ってくれての行動だったわけだし……。それに昨日の試合、あんな勝ち方じゃ、わたしが納得できない」

 

 陽子は好戦的に笑ってみせた。

 

「わたしがいまよりもずっと強くなったとき、改めて再戦させてもらう。そんでもって、誰からも文句があがらないくらい、完膚なきまでにたたきのめしてあげる。そのときのために、セシリアにはIS学園にいてもらわなきゃ困るし、ブルー・ティアーズが相手じゃなきゃ、意味がないの」

 

「そういうわけらしい」

 

 鬼頭は、USBフラッシュメモリを受け取ったセシリアの手を、そっと両手で包み込んだ。

 

「ごっこ遊びとはいえ、私はきみの父親になったんだ。娘が大切に思うものを、私にも守らせてくれないか」

 

 セシリアが彼の前で、代表候補生という立場に懸ける想いや、ブルー・ティアーズの存在をどう捉えているかなどを語ったことはない。しかし、普段の態度や言動から、彼女がそれらをとても大切に思っているであろうことは、容易に推察できた。

 

 ――この人たちは、あんなにも憎々しい態度をとっていたわたくしのことを、ちゃんと見ていてくれたのですね……。

 

 感極まったセシリアは、思わず涙ぐんだ。

 

 受け取ったUSBメモリを、大切そうに抱きしめ、

 

「ありがとうございます、お父様。必ず、お渡ししますわ」

 

と、朗らかに笑って応じた。

 

 

 

 

 

 

 IS学園の学生寮の部屋は、寮長室などの一部の例外を除いて、基本的に全室が二人で一部屋を使う相部屋の仕様となっている。

 

 訓練を終えたセシリアが学生寮の自室に戻ると、室内にルームメイトの姿はなかった。

 

 学習机に貼り付けされていた書き置きのメモによると、夕食を摂るために寮の食堂に向かったらしい。ちょうどよかった、と内心ほくそ笑んだ彼女は、自身のクローゼットの中から、黒革のブリーフケースを取り出した。学習机の上にそっと置き、ケースの蓋を開けて、中身を取り出す。

 

 出てきたのはメーカー・ロゴのないモバイル・パソコンだった。英国本国との連絡用に、と空軍より支給された特別製の端末だ。OSにはなんとブルー・ティアーズの機体制御用に使われているのと同一の物が積まれており、緊急時のバックアップ用としての役割も与えられていた。勿論、ハードの性能に合わせて、リミッターをかけてはいるが。

 

 イギリスの首都ロンドンと、日本の首都東京との間には、およそ八時間の時差がある。

 

 電源ボタンに指を引っかけたセシリアは、ちら、と枕元の置き時計に目線をやった。

 

 関東地方の人工島群に建設されたIS学園にある時計の針が、午後七時を差し示している現在、ロンドンの隣町……ノースウッド近郊にあるイーストベリー公園に設置された時計の表示は、午前十一時となっているはずだ。そしてイーストベリーには、英国の陸海空三軍を指揮する、ノースウッド統括司令部がある。

 

 パソコンを起ち上げたセシリアは、早速、テレビ通信用のアプリケーションを起動した。データ通信の相手は、ノースウッド司令部に勤務する、空軍の軍人だ。十秒ほどのコールの後、モバイル・パソコンのディスプレイに、鷲鼻が特徴的な四十半ばと思しき男性の顔が映じた。空軍大佐のジョージ・ハミルトンだ。フォークランド紛争があった一九八二年生まれの四四歳。セシリアをブルー・ティアーズの運用試験者に推薦した軍人たちの一人で、IS操縦者を予備役と見た場合の、彼女の直接の上司にあたる。

 

「一週間ぶりですわね、ハミルトン大佐。そちらはいま、こんにちは、の時間帯でしょうか」

 

『こんにちは、だね。オルコットくん。どうしたんだい? まだ定時連絡には早い頃だが』

 

 セシリアは一週間に一度、ブルー・ティアーズの運用データを報告するため、ハミルトン大佐への定時連絡が義務づけられている。前回、彼とコンタクトを取ったのは、射撃練習場で陽子と会話した翌日のことだ。なるほど、定時連絡には一日早い。

 

『何か、緊急の要件だろうか?』

 

 ハミルトン大佐の顔は緊張していた。予定外の連絡の理由を、何かよからぬことでも起こったのか、と想像したためだ。そんな彼の顔をじっと見つめながら、セシリアは内心申し訳なく思った。すみません、中佐。あなたのご想像の通り、わたくしにとって、そしてイギリス政府にとって、よくないことが起こって……いえ、起こしてしまいました。

 

 言いづらさから重たく感じる唇をゆっくり開き、セシリアは意を決して言った。

 

「申し訳ありません、大佐。問題が発生しました」

 

『……ふむ』

 

 ハミルトンの目つきが険を帯びた。ヨーロッパ屈指の空軍力を誇る英空軍にあって、特に精強と誉れも高き第九飛行隊のファイター・パイロットの出身。聡明な彼は、セシリアの様子からすぐに、何かただならぬ事態が生じている、と察した。

 

『詳しく話してくれ』

 

 悄然と頷いたセシリアは、入学初日から今日までにあった出来事を子細に語った。代表候補生という、いまの地位と名誉が失われてしまう恐怖に怯えながらも、衆目の前で公然と他国の文化を批判したこと、人種差別ととれる発言をしてしまったこと、イギリス政府も関心を寄せる男性操縦者二人とは険悪な仲となってしまったことなど、自身の立場を危うくしうる情報をすべて、あますことなく説明してみせた。

 

「……以上が、わたくしと鬼頭智之さんたちとの間に起こったすべてです」

 

 懺悔を終えたセシリアは、それっきり口を閉ざし、ハミルトンの言葉を待った。

 

 大佐はセシリア以上に重たそうな唇を、ゆっくりと動かした。

 

『大変なことをしでかしてくれたな!』

 

 大佐の口調は忌々しげだった。よくも推薦者の俺の顔に泥をかぶせやがって、と顔中の筋肉が怒りで震えていた。

 

 国家代表や代表候補生といった存在は、文字通りその国を代表する人物、所属国のアイコンだ。少なくとも世間はそう見るし、国としてもそうした役割を期待して、人選には力を入れている。そんな立場にある人間が、他国の文化を侮辱したり、極東の猿などと人種差別と解釈できる発言を口にしたりすればどうなるか。彼女に対する批判は、転じて、彼女を代表候補生に任命した国へと波及しかねない。そして国は、いったい誰が彼女を代表候補生、さらにはティアーズ型一号機の試作運用試験者に推薦したのか、と犯人捜し始めるだろう。

 

『英国の代表候補生ともあろう者が、なんということを……しかも、よりにもよって例の男性操縦者たちとの間で問題を起こすとは!』

 

 ハミルトンが特に問題視したのがそこだった。

 

 イチカ・オリムラの存在が明らかとなって、もう一ヶ月以上が経過している。彼ら男性操縦者たちに対し、英国政府としてはどのような態度で接するべきなのか、英国議会ではいまだに結論を出しあぐねていた。

 

 国家が何か政治を行うとき、行動の基準となるのが、損得の概念だ。その政策を実施することにより、どんな利益が生まれ、どんな損失が発生するか。その利益は、損失を上回るのか否か。これが、あらゆる政治の基本だ。

 

 そういった観点から男性操縦者たちへの対応を考えた場合、英国の利益を最大化するためには、どう接するべきか。友好的な態度でもって接近し、数々の特権的待遇をチラつかせた上で、彼らに英国籍を取得してもらうべきか。いや彼らには日本人のままでいてもらい、一定の距離感を保った状態で、しかし付き合いには親密さを求めるべきか。前例のないことだけに、議員たちの誰もが納得のいく結論を得るには、長い時間が必要だろうと考えられていた。それなのに、セシリアは……!

 

『議員たちの出す答えがどう転ぶにせよ、そのときのために、男性操縦者たちとは、少なくとも敵対だけはしてはならない。この国を発つ際に言われたことを、よもや忘れたわけではあるまい。この件は、議会で取り上げられることになるぞ』

 

 ハミルトンは歯噛みした。

 

『最悪の場合、きみは専用機の剥奪、代表候補生の立場を失うことになりかねん』

 

「……覚悟の上です」

 

『その覚悟に巻き込まれる我々のことも考えてくれたまえ!』

 

 セシリアをブルー・ティアーズの試験運用者に推薦したのは、己一人だけではない。空軍大学のグランビル校長や、陸軍のフォスター第一装甲師団長らにも、累は及ぶだろう。

 

 ハミルトンは溜め息をついた。まだ陽の高い時間だが、スコッチを一杯やりたい気分だ。

 

『報告は以上かね?』

 

「いえ、実はもう一つありまして……」

 

 まだあるのか、とハミルトンは辟易とした表情を浮かべる。しかし、その面差しはすぐ怪訝なものへと変わった。

 

「トモユキ・キトウから、わたくしの上司にあたる人物に渡してほしい、と電子データを預かっております」

 

『トモユキ・キトウから?』

 

 クラス代表決定戦の後、セシリアとは和解したと聞いているが、はて、自分にいったい、何用なのか。

 

 セシリアはモバイル・パソコンのUSBスロットに、鬼頭から手渡されたフラッシュメモリを挿入した。中を検めると、テキストファイルが二つ入っている。セシリアはモバイル・パソコンにインストール済みのアプリケーションから、電子メールの送受信を管理する特殊なソフトウェアを起ち上げた。英国情報部が開発した、通信暗号化ソフトだ。このソフトを用いて送受信された電子メールは自動的に暗号化され、二四時間ごとに変更される解除コードを適用しなければ、メール本文は勿論、添付ファイルの閲覧も出来なくなる。

 

 「いま、送りますね」と、セシリアが呟いてから一分ほどの後、ハミルトンが操作する端末に電子メールが届いた。暗号ファイルになっていることを確認し、解除コードを適応、メールを開く。添付ファイルはやはり二つ。二つともテキストドキュメント・ファイルで、世界中のありとあらゆるパソコンで閲覧可能なファイル形式で保存されている。一つは誰でも閲覧可能なフリーの状態だが、もう一つは暗号化処理が施されており、いまのままでは中身を知ることが叶わない。

 

 ハミルトンは念のためセキュリティ・ソフトを起動させ、二つのファイルを走査した。安全性を確認した後、とりあえずフリー状態のテキストファイルを開く。

 

 中身は全文が英語で書かれた嘆願書だった。作成者の名前は、トモユキ・キトウ。内容は要約すると、セシリア・オルコットとは色々あったが、自分たちはもう怒っていないので、彼女への処分は寛大な心でもって実施してほしい、というもの。

 

 本物だろうか? という考えが、ハミルトンの頭の中に一瞬浮かび、すぐに消えた。セシリア・オルコットが我が身の可愛さから偽の嘆願書を用意したとは、時間的に見て考えにくい。また、嘆願書を構成する英語はすべて、米語の作法に則って使われていた。日本の英語教育の主流は、第二世界大戦の以後はアメリカ式になったと聞いている。日本人たる鬼頭の書いた文書だ、と言われても違和感はない。

 

 そしてなにより、嘆願書の最後の方に書かれた、この文章……。これは、セシリアでは書けないものだ。

 

『……オルコットくん、きみはこの嘆願書の中身を読んでみたかい?』

 

 セシリアはかぶりを振った。

 

「いいえ。これは鬼頭さんが大佐にあてた文章です。わたくしが勝手に読んでいいものではない、と思いましたので」

 

『では私が許可する。読んでみたまえ』

 

 その言葉に従い、セシリアは嘆願書と銘打たれたテキストファイルを読み始めた。読み進めるにつれて、鬼頭がいかに自分のことを想ってくれているのかを感じ、嬉しさから目頭が熱くなるのを自覚する。しかし、目線がやがて端末書の末尾のあたりでとまると、セシリアの美貌は硬化した。

 

「こ、これは……!?」

 

『以上のことから、セシリア・オルコットに対しては寛大な処分をお願いしたい。彼女から代表候補生の地位、そして専用機を取り上げないでほしい。この後に続く、文章が問題だ。……オルコットくん、トモユキ・キトウという男は、政治というものを理解しているようだな』

 

 鬼頭からの嘆願書は、次のように続いていた。

 

【――勿論、こちらもタダでそうしてほしい、などとは申しません。あなた方が抱え持つ事情は、分かっているつもりです。

 

 セシリア・オルコットを代表候補生に推した、あるいは任命した責任から、あなた方は彼女を厳しく罰しなければならない立場にあるはずだ。そうしなければ、信賞必罰という観点から、組織が成り立たなくなってしまう。そんなあなた方に、セシリアへの処分を減免してほしい、と聞き入れがたいお願いをする以上、こちらも相応の対価を支払うべきだ、と考えております。

 

 そこで私は、あなた方に取引を持ちかけたい。

 

 イギリス政府はセシリア・オルコットに対して、代表候補生資格や専用機の剥奪といった処分を下さない、と約束していただけるのであれば、今度は私が、あなた方に対してお約束しましょう。

 

 現在、貴国が第三次イグニッション・プランの主力機候補の座を目指して開発を進めているティアーズ型。その最大の特徴にして最強の武器である特殊兵装……BTシステムを完成させるためのお手伝いをする、と――】

 

 そこまで読み終えて、セシリアは喉を、こくり、と囁かせた。

 

 鬼頭の持つ技術力の凄まじさは、昨日の試合で実証済みだ。自分も彼の作った武器で戦えるのか、彼が手を加えたブルー・ティアーズをこの身に纏えるのか、と思うと胸が高鳴った。

 

 嘆願書をおこすのに際して、鬼頭はこの手紙を読むのはどんな人物だろうか、と想像力をたくましくさせたに違いない。

 

 嘆願書の続きは、ハミルトンのような《トール》の存在を知らない者たちへのメッセージから始まった。

 

【――ご存知かもしれませんが、私はアローズ製作所という、ロボットのメーカーに、技術者として二十年以上勤めています。これまでに、災害用ロボットを中心に、当社の様々な製品の開発に携わってきました。現在は、災害用パワードスーツの開発チームで、設計主任の立場にあります。貴国のお役に立てるだけの力はある、と自負しております。

 

 ……そうは言っても、あなた方からすれば私はどこの馬の骨とも知れぬ身。日本政府の保護の下、徹底した情報管理により、あなた方の目には、経歴不詳の怪しい人間と映じていることでしょう。そんな相手から、最新兵器の開発のお手伝いをします、などといきなり言われても、よろしく頼む、とは応じられないでしょう。

 

 そこで、私の技術者としての実力を証明するため、資料を作成しました。この嘆願書と一緒に送られた、テキストドキュメントの中をご覧ください。暗号化処理を解除するためのパスワードは、“Jaguar XJ”。貴国で生産されている車の中でも、私が最も好きなメーカーと車種の名前です】

 

「ハミルトン大佐、テキストファイルの暗号化を解いても?」

 

『うむ。許可する。私はもう開いている。……先に言っておくが、驚くなよ』

 

 セシリアはモバイル・パソコンのキーボードを操作し、ジャガーXJと、入力した。イギリス車を代表するロイヤルサルーンの名が錠前を解錠し、テキストファイルが開かれる。

 

 まずディスプレイに映り出されたのは、二次元的に描かれた何かの図面だった。どうやら何らかの機械装置の内部構造を表しているらしく、この部分にはこの部品を使う、その部品の寸法はこう、といった情報が細かく書き込まれている。二、三秒、画面とにらめっこをしていたセシリアは、やがて息を呑んだ。図面が表している機械の正体に気づいた彼女は、動揺した眼差しをハミルトン大佐に向けた。画面の中の小さな大佐は、粛、と首肯した。

 

「た、大佐……まさかこれは……!」

 

『そうだ。これはBTシステムの中枢装置……イメージ・インターフェースの中核部分の内部構造図だ』

 

「どうして……、どうしてこれをお父様が……!? まさか、ブルー・ティアーズの情報が盗まれたのでは……!」

 

『お父様?』

 

 セシリアの口から飛び出した発言を訝しく思うも、ハミルトンはそれ以上の追及をしなかった。彼は動揺する彼女に向けて、『落ち着きなさい』と、語りかけた。

 

『図面をよく見たまえ。たしかに、イメージ・インターフェースの内部構造を示す物だが、よく見ると細部が異なっているだろう』

 

 言われて、セシリアはモバイル・パソコンの小さなディスプレイに映じる図面を子細に眺めた。

 

 ……なるほど。たしかに、ハミルトンの言う通りだ。自分も見慣れたブルー・ティアーズに搭載されているイメージ・インターフェース装置とは、使われている部品の寸法などが微妙に異なっている。基本的な構造こそ共通しているが、脳波誘導に不可欠な脳波増幅装置の造りが色々と粗い。この装置でも、BT兵器を動かすことは可能だろうが、同時に動かせる最大数は四基が限界だろう。

 

『ページをスクロールしてみなさい。恐るべきことが書いてあるから』

 

 大佐の言葉に従い、次のページへとジャンプした。……なるほど、たしかに、ハミルトンの言う通りだった。

 

【――この図面は、先日行われたクラス代表決定戦の際に見たBT兵器の動き方から、おそらくこういう構造になっているのではないか、と想像して引いた物です。これをもって、私にはこの図面を作成する能力がある。ISのことやBT兵器についての知識と技術があることの証明になればな、と思います】

 

 たった二試合、見ただけで。これほどの精度の図面を、しかもたった一日で書き上げたというのか。キーボードを叩くセシリアの手が、じんわり、と汗ばむ。

 

『この想像で書き上げたという図面と、実際のブルー・ティアーズに搭載されている装置の図面。詳細な分析はコンピュータにかけねばならないだろうが、ざっと目を通した感じでいうと、一致率は七十パーセント前後といったところであろうな』

 

 英国でも選りすぐりの技術者たちが何十人と集まり、三年以上に及んだ基礎研究の末にようやく試作品の完成までこぎつけ、昨年の暮れにやっと機体に搭載することができた、BTシステムの試作一号機。しかし鬼頭智之は、僅か十数分程度の試合を二回、観戦しただけで、自分たちの研究にもう追いつこうとしている。

 

『恐るべき男だ。そして、これほどの頭脳と技術を持った人物と判った以上、我々はこの取引に応じざるをえん!』

 

 鬼頭智之は、イギリスが第三次イグニッション・プランに向けて開発を進める虎の子、BTシステムについて、もうかなりの部分を理解してしまっている。そんな彼が、第三次イグニッション・プランで競合する国……たとえばドイツあたりと、この先友誼を結ぶようなことがあれば……、

 

『わが国の最重要軍事機密であるBTシステムの詳細が、競合する相手国の開発陣に、筒抜けとなってしまう。それだけは、絶対に避けねばならない!』

 

 ハミルトンが、鬼頭智之は政治というものをよく理解している、と評したのは、つまり、そういうことだった。

 

 取引を提案しつつ、しかし実際にはすでに逃げ道を塞いでいた。取引という形態にこだわったのは、こちらの面子を守るため。こちらに借りを作らせ、心理的にも物質的にも優位な立場に立つため。

 

 なんと強かな男なのか、とハミルトンは内心舌を巻く。英国政府という巨大な、そして強力な組織を相手に、たった一人で、こんな戦い方を挑み、しかもわが方を翻弄するとは……。単に気力と体力に秀でているだけの人物では、ここまでのことは出来まい。これほどの傑物は、ジョージ・ソロス以来ではあるまいか!? 

 

 ――トモユキ・キトウ……、いったい、どんな男なのか……。

 

 叶うならば自分も日本へ赴き、彼と会ってみたい。彼と話し、どんな為人をしていて、どんな哲学を持っているのかを知りたい。

 

 と同時に、ハミルトンはこうも思った。それほどの男が、なぜ、セシリア・オルコットにこうも執心しているのか。件のクラス代表決定戦の後、鬼頭ら家族とは和解した、とこの代表候補生の少女は言っているが、その際に、彼と彼女の間で、何かあったのではないか……?

 

 理由はどうあれ、これで自分たちは迂闊にセシリアを罰せられなくなってしまった。

 

 鬼頭智之の能力が判明してしまった以上、彼とはなるべく友好的な関係を保つべきだ。鬼頭が執心するセシリアの扱いには、慎重を期さねばなるまい。

 

 ――おそらくは我々がそういうふうに考えて行動せざるをえなくなるだろう、と思い、あの嘆願書とBTシステムの図面を送ってきたのだろう。

 

 やはり恐るべき男だ、とハミルトンは胸の内で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Chapter11「得たもの」了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は少し遡って、クラス代表決定戦の日の夜。

 

 愛知県名古屋市、東区は白壁町にある、名古屋拘置所――、

 

 

 

 

 

 

 弁護士の東山紀子は曇り気味の夜空を仰いで小さく舌打ちした。

 

 西の空に夕日が沈みきって、もう久しい時間帯だ。思ったよりも面会時間が長引いてしまい、拘置所の玄関を出るが遅くなってしまった。この分だと大阪へ帰るのは何時ぐらいになるだろうか、と彼女は表情を忌々しげに歪めた。

 

 ――あの女、無駄話ばかりして、面会を長引かせて……。

 

 一週間前に東区内で起きた、アローズ製作所勤務の会社員、滑川雄太郎に対する傷害事件の加害者として収監されている女囚の顔を思い出し、紀子はまた舌打ちした。

 

 女囚は、大阪で強い影響力を持つ女性権利団体『カキツバタの会』の末端構成員だった。同じく会員の紀子とは、過去に二回だけ一緒に食事に出かけた間柄。普段の生活圏から遠く離れた名古屋の地で、犯罪者として拘束される。そんな状況の中で心細さを覚えていた彼女は、知り合いの顔を見るなり歓呼の声を上げた。緊張から解放された彼女は、それまで感じていた不安の反動から、とにかく紀子に話しかけた。口ずさまれた言葉のほとんどは、拘置所の食事は不味いだの、女の私を逮捕するなんて警察はどうかしているだの、生産性に乏しい内容であり、紀子としては、現状を改善していくための話し合いをするつもりで臨んだ面会は、蓋を開けてみれば三時間以上、無駄話に付き合わされただけの時間という形で終わってしまった。

 

 ――頭の弱い人間というのは、これだから困る。

 

 無駄口ばかり多くて、話が先に進まない。こちらの時間を無自覚に奪い、悪い感情ばかりをあおり立ててくる。

 

 洗脳をするにはそちらの方が都合がよかったとはいえ、人選にはもっとこだわるべきだったな、と紀子は過去の自分を罵った。

 

 

 

 東山紀子が弁護士といういまの生き方を意識するようになったのは、小学六年生のときのことだった。

 

 幼い頃より成績優秀だった彼女は、自身の将来のあり方について、比較的早いうちから、こう、と決めていた。弁護士の道を選んだのは、収入は勿論のこと、社会的に高い地位が約束されている、と感じたためだ。やがて関西大学の法学部に入学した彼女は、そこでも優秀な成績を修め、弁護士試験にも難なく合格、首席で卒業するにいたった。

 

 紀子の将来設計が狂い出したのは、この直後のことだ。

 

 大学を優秀な成績で卒業する一方で、彼女は就職活動に失敗してしまった。はじめのうちは弁護士事務所に狙いを定め、有名無名問わずその門を叩いたが、一つも内定が取れず。大学四年生も十月に差し掛かると、なりふり構わなくなり、一般企業の面接も受けた。しかし、ここでも惨敗。結局、無職のまま大学卒業の日を迎えてしまった。

 

 自分はなぜ就職に失敗したのか。どうして誰も自分を必要としてくれないのか。思い悩んだ紀子は、あるとき、何気なしに眺めていたテレビの画面から、答えを見出した。第二回モンド・グロッソ準決勝戦の生中継。画面に映じるイタリア代表のアリーシャ・ジョセスターフと彼女のISを見て、はた、と気がついた。

 

 そうか。自分が就職活動に失敗した原因は、これだったのか。自分が女だから、彼らは採用を拒んだのか。

 

 白騎士事件の後、世界は急速に女尊男卑の考え方を受け入れていった。しかしこの時代はまだ、変わりゆく常識に対し抵抗する者たちも少なくなかった。そうした旧時代の考え方に固執する愚者どもが、優秀な女である自分を採用することで、自分たちの立場が脅かされる、と警戒したがために、己はふるい落とされたのだ。紀子はそう確信した。

 

 実際のところ、紀子のこの考えは、半分正解で、半分誤っていた。たしかに、大いなる変革の波にさらされた企業たちはこの頃、日ごと地位が向上していく女性の扱いをどうするべきか悩み、その対応に追われていた。新卒女子社員を採用することで、新たな悩みの種を抱え込むことを嫌った彼らは、紀子に限らず、女子社員の採用に関して慎重になっていた。

 

 しかしそれ以上に、企業たちは紀子の人格面での重篤な問題に注目し、それゆえに採用を見送ったのだった。紀子には思い込みの激しいところがあり、よく言えば気骨稜々、悪く表現すると、他人の意見を聞き入れない、融通のきかなさがあった。一般企業においては、彼女のこうした性格はチームの和を乱すことになりかねないし、弁護士の世界においても、自分の考えよりもまずクライアントの気持ちを優先せねばならないことから、紀子のような人物は扱いづらい、と判断された。 

 

 自分の受けた仕打ちの本質を理解した(と思い込んだ)紀子は、怒りに燃えた。こんな世の中は間違っている。この私が、変えてやらねば、という考えに支配された彼女は、当時大阪府内で勢力を拡大しつつあった『カキツバタの会』の門を叩いた。

 

 カキツバタの会の会長は、紀子と同様、女であることを理由に社会から虐げられた者だった。彼女は、女性はもっと社会に出て輝くべきだ、という信念を胸に、ISの登場以前から女性の地位向上を目指して活躍する人物だった。紀子はこの考えに共感、彼女の活動を手伝いたいと思った。

 

 『カキツバタの会』に入会した紀子は、早くも不満を抱える羽目になった。

 

 入会したばかりの紀子は、当然ながら組織の人間としての実績がまだなく、組織内での地位は低かった。任される仕事は雑用がほとんどで、自分は優秀な人材である、と自負する彼女にとって、この待遇は我慢ならなかった。なんとか手柄を挙げることは出来ないか、と思い悩んだ彼女は、ある日、恐るべき企みを思いついた。

 

 自分と同様、『カキツバタの会』の中でも末端の構成員で適当な人物を言葉巧みに操り、何か事件を起こさせる。その後、弁護士の自分が彼女を助け、『カキツバタの会』に対しては、組織の人間を守ったことをアピールする。この自作自演により功績を挙げ、組織内での地位向上を目論んだのだ。

 

 はたして、紀子の計画は上手くいった。上手くいってしまった。味をしめた彼女は、その後も同じことを何度か繰り返し、その度に組織内での立場を強くしていった。古参の会員たちも次第に紀子のことを頼るようになり、いまや彼女は、法律を武器に『カキツバタの会』を守る、組織の顧問弁護士のようなポストに収まっている。

 

 

 

 織斑一夏と鬼頭智之に関する報道がなされたとき、紀子は、またも自作自演作戦が使えるチャンスだ、と感じた。

 

 世界中が注目している男性操縦者たち。彼らの近しい人を、『カキツバタの会』の人間が、心ならずも傷つけてしまう。警察に捕まってしまう彼女だが、そこに自分が颯爽と登場し、救い出す。これによる地位の向上は、これまでの比ではあるまい。

 

 そう思って、会員たちの中でも特に頭が悪そうで、男性という存在に対し敵意を抱いている人物とにらんで、あの女を焚きつけたのだが。

 

 ――本当、馬鹿との会話は疲れるわね。

 

 紀子が密かに打ち立てた作戦計画の予定では、今日の面会で今後の方針をある程度かため、一週間のうちに彼女を無罪放免、釈放させるつもりだった。しかし、肝心の彼女が一向に話を前進させてくれず、不起訴処分こそ勝ち得たものの、いまだ拘置所からは出してあげられないでいる。

 

 ――無駄話に時間を費やせば、その分だけ収監される時間が長引くだけだってことに、どうして気づかないのかしら?

 

 思ったよりも長丁場になるかもしれないな、と紀子は深々と溜め息をついた。

 

 名古屋拘置所のある白壁町は、名古屋の繁華街……栄にほど近い。流しのタクシーも相当な数が走っており、紀子は手を上げて路肩に停めさせた。後部座席へと乗り込む。

 

 運転手が前を向いたまま、「どちらへ?」と、訊ねた。無愛想なしゃべり方だ。

 

「名古屋駅へ」

 

と、紀子が応じると、タクシーは静かに走り出した。名古屋市は日本が世界に誇る大企業、トヨタ自動車のお膝元だ。タクシーもハイブリッド自動車化が進んでおり、走行音は実に静かであった。

 

 紀子を乗せたタクシーが走り出すと、まるでその瞬間を待っていたかのように、近く路肩でハザード・ランプを、ちかちか、と点滅させていた青いカムリが、ウィンカーを右へ出し、ゆっくりと追跡を始めた。

 

 カムリのコクピットでハンドルを握る桜坂が、「見つけたぞ」と、ドスを孕んだ声で、小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




たぶん、ISの登場によって世界中の軍隊の軍備が、現実世界のそれよりも歪んでしまっていると思います。

具体的には、ISという新兵器の調達・運用・維持・研究開発コストが増えたことで、その分のしわ寄せが他の装備だったり、福利厚生の部分だったりにいっていると思われる……。

古い兵器を長く使うことで有名なイギリス軍も、まさか1960年代開発のスコーピオンファミリーを2020年代になっても第一線兵器として使い続けることになろうとは思うまいて。
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