この小さな世界で愛を語ろう   作:3号機

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活動報告にも書いた資格試験が終わったと思ったら、今度は風邪を引きました。

皆さんもお気をつけて……。





Chapter15「エンジニア」

 IS学園の食堂で、一年一組の生徒たちがパーティーを楽しんでいた、ちょうど同じ頃。

 

 東京都は千代田区、永田町二丁目に建つ内閣総理大臣官邸の最上階、総理専用の執務室のデスクでは、現首相の司馬周平が、険しい面持ちで突然の来訪者を迎えていた。

 

 一九六八年生まれの五七歳。大阪の豪商の次男坊として生を受け、東京大学工学部へと進学。卒業後は産経新聞の記者として十年働いた後、政治の世界に興味を抱き、三四歳で日本最大派閥の自明党に入党。一年生議員の頃より辣腕を振るい、異例の速さで出世した傑物だ。総理大臣へ任命されたのは、八年前の四九歳のときのこと。四十、五十ははな垂れ小僧、六十になってようやく一人前、七十思うことが出来るようになる、という文化を持つ日本の政治史を見回しても、かなりの若さでの就任といえる。そのため、着任当初は他の老獪な大物政治家たちの傀儡政権になるのでは、などと危惧され、国民からの支持率は四十パーセントにやや届かない低い水準からスタートを切ることになった。就任から八年が経った現在の支持率は六三パーセント台と、なかなか良い数字を叩き出している。

 

 司馬内閣が国民からの支持を集めている最大の要因は、経済政策の成功だ。

 

 司馬が総理に任命された二〇一七年、日本の経済は、はっきり言って低迷していた。バブル経済の崩壊、失われた二十年、長引くデフレに少子高齢化。これらに加えて、ISの登場後、急速に進む女性優遇制度への対応にまつわる混乱が、国民と政府を苦しめていた。

 

 組閣後の最初の記者会見の場で、司馬は全国民に向けてこう言い放った。

 

「申し訳ありませんが、日本国政府は今日より税金の無駄遣いを始めます」

 

 衝撃的な文言とともに司馬が掲げた経済政策の柱は三つ。第一に、公共事業や社会保障、教育への投資。司馬は日本経済の低調ぶりの原因は、社会全体のお金の流れが滞っているからだ、と問題をシンプルに解釈した。日本の経済活動を活性化させるためには、とにもかくにも国民に“消費”を促し、お金を循環させねばならぬ、との考えから、彼は市場に金をばら撒くことを宣言した。

 

「ケインズも言っています。公共事業というものは、無駄であればあるほど良いのです」

 

 第二の柱は、消費税を含む減税政策。

 

 徴税という行為の目的の一つは、市場に流れるお金の量をコントロールすることだ。一般に社会全体がデフレの傾向にあるときは、お金の量が少ないので、減税政策をもってその流れが滞らないようにするべきだ。反対にインフレ傾向にあるときは、お金の量が多くなりすぎないよう、増税政策をもって余剰分を回収するべきである。

 

「消費税の導入以降、日本は常にこの逆をやってきました。公共事業を減らしたことで国民から雇用を奪い、収入を減らし、増税によって皆様から“消費”を奪いました。ただでさえ回っていないお金が、さらに回らなくなるような政策ばかりです。……ならば、その逆をすればいい」

 

「総理、その政策は根本的に矛盾しています」

 

 挙手をしたのは全国紙の旭日新聞の記者だった。

 

「公共事業や福祉にお金を使うということですが、減税政策を取れば、財源が足らなくなるのでは?」

 

 司馬はここでにやりと笑った。その質問を待っていたのだ、とばかりの、会心の笑み。

 

「勿論、国債で賄うのです」

 

 旭日新聞の記者は悲鳴を上げた。

 

「つまり、またこの国の借金を増やそうというのですか!?」

 

「借金の何が悪い!」

 

 当時四九歳の司馬は、裂帛の気合いを篭めて毅然と言い放った。

 

「そもそもきみたちは、借金とはどういうことなのか、その仕組みをちゃんと理解していますか? 誰かが借金をするということは、別の誰かの手に、そのお金が渡る、ということです。誰かの借金は、イコール、誰かの資産です。そして日本の借金の場合、債権者のほとんどは国民です。政府が借金をするほどに、国民である皆さんの懐に、お金が入るのです」

 

 政府が積極的にお金を使う。その財源は国債で賄う。そして、税金については減税する。この三本の柱を中核とする司馬内閣の経済政策は、「理想論に過ぎる」とか、「上手くいくはずがない」など、周囲からの反対意見を押し切って実行された。真っ先に取り組んだのは、公共事業への投資だ。

 

 司馬内閣の実力を測る試金石となったのが、IS学園の創設にまつわる諸問題だった。各国からの要請に屈する形で設立が決まったとはいえ、司馬内閣はこのビッグ・プロジェクトを政権の力試しに相応しいチャンスと捉えていた。首都・東京からも監視がしやすい関東地区に人工島群を建設し、そこに学園を開設する。建築業界のみならず、発電設備や、本土との連絡用のモノレールなど、様々な業界に莫大な内需を提供出来ると考えたのだ。彼らの目論見は見事にはまり、経済効果は凄まじいものとなった。

 

 IS学園を首尾よく開設させた司馬内閣は、その勢いのままに、経済政策の三本柱を推し進めていった。その結果、日本はこの八年間で、GDPの成長率は平均三・六パーセント、物価のインフレ率も毎年二パーセント超という、理想的な数字をたたき出すことに成功した。また、減税政策を取ったにも拘らず、景気が上向いたことで税収はむしろ増え、その税をもってさらに社会保障などのサービスを充実させる、というこれまた理想的なサイクルも完成した。この経済政策成功に基づく支持により、司馬内閣は八年以上にも及ぶ長期政権の掌握を可能としたのだ。

 

 さて、首相官邸の総理執務室には司馬総理の他に、藤沢正太郎内閣官房長官、池波遼太郎防衛大臣、そして内閣情報調査室のトップ……叶和人内閣情報官の姿があった。いずれも、司馬内閣の屋台骨を支える重要な人材だ。特に叶情報官は、司馬総理の実質的な右腕と内外より目されている人物で、司馬内閣が何か重要な決定を下すときには必ず、彼からもたらされた情報が判断材料に織り込まれている、とされている。

 

 内閣情報調査室は、日本が世界に誇る情報機関の一つだ。その存在意義と目的は、日本政府……すなわち、日本の国益にかなうか否かを判断する為政者に向けて、判断材料となり得る様々なインテリジェンスを提供することにある。関係者の間では、“内調”と略して呼ばれることが多く、また、海外の情報機関からは、“CIRO(Cabinet Intelligence and Research Office)”とも呼ばれている。前身となった組織は総理府内閣総理大臣官房調査室で、これは一九五二年の四月、第三次吉田茂内閣のときに誕生した。

 

 当時はサンフランシスコ講和条約の発効を目前に控えていた時期で、吉田総理は、GHQ撤退後の日本の情報収集機能をどうするべきか、頭を悩ませていた。日本にも総合的な情報収集機関が必要との考えを抱いていた吉田は、GHQ参謀第二部のチャールズ・ウィロビーや、彼の腹心ともいえるジャック・Y・キャノン少佐らに助言を求めた。ウィロビーらは、日本にもやはり米国のCIAに相当する機関が必要との意見を述べた上で、その組織のトップには、吉田の秘書官の一人で、警察出身の村井順が相応しい、とアドバイスした。以来、内調のトップには、警察庁の人間が就任するならわしとなっている。

 

 発足から五年後の一九五七年、第一次岸信介内閣での組織変更により、内調は内閣官房に置かれ、名称も、内閣調査室となった。それから二九年後の一九八六年、第二次中曽根康弘内閣による内閣官房の組織再編により、内調の名称は、“内閣情報調査室”と、現在使われているものとなった。併せて、この年から各省庁の情報部門のトップたちが一堂に会する“合同情報会議”が定期的に編成されることとなる。これにより、内調の存在意義と重要性がより多くの者に認められるようになり、この頃から、内調の権力や機能が、著しく強化されていく。主だったものを挙げると、

 

 一九九六年、災害などの有事の際の情報を二四時間体制で収集して一元化する、“内閣情報集約センター”が発足する。

 

 二〇〇一年一月、中央省庁の再編に伴って組織が格上げされる。内調のトップ・ポストとして、各省庁の事務次官級と同格の“内閣情報官”の役職が誕生する。

 

 二〇〇一年四月、人工衛星からの情報収集を行う“内閣衛星情報センター”が編成される。

 

 二〇〇八年、日本初の防諜機関として“カウンターインテリジェンス・センター”が設置される。

 

 二〇一三年十二月、日本初のスパイ防止法、“特定秘密保護法”が成立する。

 

……という具合だ。

 

 叶和人が内閣情報官に就任したのは、司馬内閣が成立した二〇一七年のことだった。

 

 一九七二年生まれの五三歳。子どもの頃から、将来は国の大事を担う仕事に就きたいと志望していた。大学進学に際して、北海道の片田舎から一念発起し上京。東京大学法学部を優秀な成績で卒業した後、九五年に警察庁に入庁した。入庁後は二年間のイギリス留学を経た後、埼玉県警の捜査第二課長や、警視庁本富士警察署長など、数々のポストを歴任していく。

 

 叶が司馬と出会ったのは、彼が四十二歳のときのことだ。当時、日本の政権を担っていたのは、第二次神部晋二内閣。叶は彼の秘書官に抜擢され、この時期に司馬との親交を深めた。

 

「叶さん、私はいずれ、この国の総理になってみせますよ。そのときは、ぜひとも、あなたに内調の情報官を務めてほしい」

 

 総理主催の食事会の席で、酒が入って赤ら顔の司馬が口にした言葉は、僅か三年の後、実現した。

 

 二〇一五年、白騎士事件の際の不手際を咎められ、神部内閣は解散。新たに第一次岡田文雄内閣が組閣するも、ISの登場によって混乱する世界を戦い抜くには力不足と、国民から早々に失望されてしまい、やはり解散となってしまう。

 

 ことここにいたって、次期総理について、与野党内の意見は一致した。『年寄りは駄目だ。この時代の大変革期に、総理大臣に求められる資質は柔軟性だ。時代の変化を柔軟に受け止められる、若い人材こそが相応しい』と。そこで候補に挙がったのが、当時四九歳の司馬だった。見事、総理の座を手にした司馬は、早速、叶と連絡をとった。当時、叶は、警察庁の外事情報部長という要職にあったが、司馬の求めに二つ返事で応じた。

 

 在任して八年あまり、叶は内閣情報官として日々、司馬に国内外の様々な情報を報告し続けている。それは新聞各紙の首相動静欄を見ても明らかだ。司馬内閣が発足してからというもの、司馬総理との面会回数が最も多いのが、当代の内閣情報官だった。

 

 その叶情報官から、「緊急でお伝えしたいことがあるので、首相官邸で待機していてほしい。わが国の国防に関わることなので、出来れば、防衛大臣と官房長官も同席してもらいたい」とのメッセージが、司馬総理のオフィスに届けられたのは午後六時のことだった。司馬はただちに藤沢官房長官と、池波防衛大臣を召喚した。午後七時十四分、インテリジェンス・ペーパーを携えてやって来た叶情報官の表情は険しく、待っていた三人は、何かただならぬ事態が起こったことを察した。

 

「我々の特命班が入手した情報です。例の男性操縦者の片割れ……鬼頭智之に関することです」

 

 叶情報官はあらかじめ人数分コピーしておいた紙資料を三人に手渡した。水溶性の特殊なA4用紙を、プラスチック製の綴じ具で束ねた小冊子だ。

 

 内調の組織は現在、内閣情報官をトップに頂き、ナンバー2の次長、ナンバー3の内閣審議官の指揮の下、七人の内閣情報分析官と、四つの部門から構成される。四部門とはすなわち、国内部門、国際部門、経済部門、総務部門で、叶が口にした特命班は、このうち国内部門に所属する。文字通り、内閣情報官からの特命事項を専門に扱うチームだ。現在はIS学園の動向調査……とりわけ、男性操縦者たちに関する情報の収集と分析を命題としている。

 

 インテリジェンス・ペーパーには、過日、IS学園で行われた、鬼頭智之の娘と、イギリスからの留学生で代表候補生でもあるセシリア・オルコットとの試合の経過が、詳細に記述されていた。

 

 小冊子を一通り読み終えた司馬は、表情を強張らせた。特に気になったページ――鬼頭智之が、娘のために手作りしたというレーザー・ピストル《トール》について詳解しているページ――をもう一度開くと、ソファに座る池波防衛大臣を見る。

 

「レーザー・ピストル《トール》。池波さん、防衛大臣として、この武器をどう見ます?」

 

「……内調の入手したこの情報が正しいとすれば、恐るべき兵器です」

 

 池波遼太郎防衛大臣は、東京は浅草生まれの六二歳。長身の美丈夫で、舞台役者のように姿勢が良い。手元に目線をやると、彼も自分と同じことが気になったらしく、《トール》についてのページを開いていた。

 

「内調の調べによれば、鬼頭智之が過去にこの種の兵器開発に関わったという記録はありません。そんなまったくの素人が、一週間足らずでこれほどの武器を作ってしまうとは……正直に申しまして、信じられません」

 

「やはり、それほどの武器ですか」

 

「はい」

 

「池さん、具体的にはどんなところが優れているんだい?」

 

 藤沢正太郎官房長官が訊ねた。山形県出身の六三歳。司馬内閣の女房役だ。池波とは、大学時代の先輩後輩の間柄で、余人を介さぬこういった場では、昔馴染みの呼び方と口調がつい出てしまう。

 

「まず、この大きさのレーザー発振器で、二・六メガワットものパワーを出力出来ることがすごい」

 

 諸元表によれば、《トール》の基本構造と見た目は、アメリカの老舗銃器メーカー……コルト社の、ウッズマンというスポーツ・ピストルを参考に設計されているという。一見して古臭さを感じさせるデザインの銃の全長は四六〇ミリメートル、重量は三・二キログラム。レーザービームの最大出力は二・六メガワットにも達し、《トール》はこのパワーを、最小で直径九・七ミリメートルの円の範囲内に集中させることが可能だという。その場合、中心部の温度は五万度にも達し、一秒間の照射で、鉄の板を六メートルも貫通させてしまうというから、すさまじい。

 

「レーザーに限らず、あらゆるビームの出力は、発振器の大きさに比例します。工業用なので、あまり参考にならないかもしれませんが、たとえば自動車のボディの溶接などに使われる一キロワット級のレーザーの発振器は、全長が三十~四十センチメートル程度のサイズで、重量は五キログラム程度といわれます」

 

「この《トール》も、全長から推測するに、レーザー発振器の大きさは大体それぐらいでしょうね。重量は、少し軽いですが」

 

 司馬総理が硬い声で呟いた。彼は工学部出身という異色の宰相だ。数学や自然科学が関連する分野に対する理解力は抜群である。

 

「つまりこの《トール》は、工業用の一キロワット級のレーザー発振器と同じか、それよりも小さな装置でありながら、その数千倍もの出力がある、ということですか」

 

「そうなりますね」

 

「他のIS用ビーム兵器はどうなんだ?」

 

「私の知っている範囲内でのことですが、現在、各国で実用化されている、あるいは、研究段階にあるどのビーム兵器と比べても、圧倒的にコンパクトで、高出力です。たとえば、イギリスが第三世代機向けに開発したレーザー・ライフル《スターライトmkⅢ》は、全長が二メートルにもなります」

 

 小冊子には、鬼頭陽子が戦った相手のISが使っていた武器として、その名前と諸元の記載がある。形状から推測するに、レーザー発振器の全長が一・六メートルを下回ることはないだろう。《トール》の四~五倍の大きさだ。それでいてビームの出力は、《トール》をやや上回る程度にすぎない。

 

「武器というものは、小さくて軽いほど、取り回しが良く、扱いやすい傾向があります。その点でも、《トール》は優れた武器と言えるでしょう」

 

「他には?」

 

「次に挙げるべきは、大容量バッテリー・パックの実用化によって、完全な外部電源作動方式を確立させていることでしょうね」

 

 池波大臣は資料に掲載された《トール》の三面図を示した。モデルとなった拳銃と同様、機関部に対し斜め後ろ方向に突き出したグリップの内部には、自動拳銃でいう箱型弾倉のように、小型のバッテリー・パックを装填するためのスペースが設けられている。このバッテリーから供給される電力によって、レーザー発振器が稼働する仕組みだ。

 

「私の知る限り、完全な外部電源方式を実現したレーザー銃は、この《トール》が初めての事例です」

 

「それは、なぜです? そもそも、IS用ビーム兵器は他に、どんな作動方式があるのですか?」

 

「レーザーに限らず、IS用のビーム兵器は、発振器を動かす手段によって、二通りの方式に分類出来ます。一つは、IS本体から電力を送ることで、発振器を作動させる方法です。これは、IS本体がエネルギー切れを起こさない限り、ビーム兵器を安定的に運用出来るというメリットが得られる反面、シールドエネルギーの消耗が増えてしまう、IS側にエネルギー供給用の特殊なバイパスを設ける必要がある、などのデメリットも抱えることになります。特にバイパスの問題は、この方式のビーム兵器の汎用性を低下させる要因にもなってしまいます。

 

 もう一つが、外部電源からの給電によって、発振器を動かす方法です。このやり方は、電源をバッテリーにするか、それとも発電装置にするかによって、さらに細分化されます」

 

「先ほどの池波さんの口ぶりからすると、世界的な主流は、本体からの供給方式ということになりますね」

 

「その通りです。これには勿論、理由があります」

 

 池波防衛大臣は総理の言葉に首肯した。

 

「バッテリー式にしろ、発電装置を使うにせよ、現在の科学技術では、外部電源方式を採用した実用的な銃の開発は難しいのです。実用化を阻んでいる最大の技術課題は、外部電源の大きさと、レーザーの出力の問題です」

 

「なるほど」

 

 司馬総理は得心した表情で頷いた。

 

「高出力のビームを撃つためには、相応のエネルギーの入力が必要です。外部電源でそれを用意しようとすると、どうしても、装置全体が大型化してしまい、武器としての取り回しが悪くなってしまう、ということですね?」

 

「さすがです、総理」

 

 ISのエネルギー・シールドに有効打を与えるためには、ビームの出力は最低でも一メガワットは欲しい。また、攻撃がはずれたときのことも考えて、照射可能な時間は、十秒程度は必要だろう。これだけでも、バッテリーや発電装置に求められる電力量は十メガワット。

 

「レーザービームのエネルギー効率は、発振方法によって大きく異なりますが、入力エネルギーに対して、出力出来るのは十~四十パーセント程度というのが一般的です。勿論、高効率なシステムほど装置が大型化・複雑化してしまうため、小型軽量・単純な構造が求められる武器には向きません。実際、IS用ビーム兵器のエネルギー効率は、十~二十パーセント程度の物が多数を占めます」

 

 真ん中あたりの、効率一五パーセントのシステムで考えてみよう。先ほど例に挙げた出力一メガワットのビーム兵器の場合、十秒間の稼働に必要な電力量はおよそ六六・七メガワット。実際には、自然放電や照準装置などの稼働に必要な電気のこともあるため、外部電撃に求められる性能は、八十メガワット……およそ二二・二キロワット・アワー程度だろうか。これほどの性能となると、バッテリーにせよ、発電装置にせよ、それなりの大きさが必要となってしまう。

 

 たとえば日産の電気自動車リーフに搭載されているリチウム・バッテリーは、六二キロワット・アワーの容量を持ち、重量が三〇〇キログラムもあるという。仮に同じ技術で二二・二キロワット・アワーのバッテリーを製作する場合、単純計算で重量は百キログラム以上にもなってしまう。ISのロボット・アームの膂力ならば問題にならぬ重さとはいえ、武器としての使い勝手は確実に悪くなる。発電装置の場合、さらなる大型化は必至だ。

 

「だからこそ、現代の技術では外部電源装置は諦めざるをえない……その、はずでした」

 

 改めて《トール》に搭載されているバッテリー・パックの諸元表に目線を落とす。それによると、バッテリー・パックの重さは僅かに四二〇グラム。それでいて、最大容量はなんと六八キロワット・アワーもあるという。リーフに搭載されているバッテリーよりも圧倒的に軽量でありながら、容量でも勝っている。充電回数については、運用データが乏しいためか、詳細は不明となっているが、仮にも、ISバトルの公式レギュレーション・チェックをクリアした武器だ。最低でも一〇〇〇回程度の充電に耐えられるはず、と推測された。

 

「レーザー発振器も、バッテリーも、これほどの性能をたったこれほどのサイズに詰め込んだ、その技術力……。鬼頭智之という技術者は、まさしく、これまでの常識を覆してしまったのです」

 

 外部電源方式の実用化は、もう一つ、重要な意味を持っている。ISからの給電に頼らないビーム兵器の実用化とは、すなわち、この《トール》はIS以外の兵器でも運用が可能、ということを意味する。

 

「私が最も驚いたのは、この《トール》の製作期間と、開発予算についてです。鬼頭智之はたった一人で、これほどの銃を、僅か六日間で二挺も完成させてしまいました。勿論、これは彼自身の技術力、そしてIS学園の持つ最新の工作機器を使えたからこそ可能な数字でしょうが、それでも、生産性に優れているという事実に変わりはありません。そして、その製作費用についてですが……」

 

 池波防衛大臣はそこで叶情報官を見た。

 

 内調の調査でも、鬼頭智之が《トール》を二挺作るのにどれほどの費用を投じたのか、具体的な数字は分からなかった。しかし、彼が学内にて口にしたいくつかの発言や、資金の流れなどから、およその推測は出来ていた。

 

「愛車のプリウスと、時計コレクションを何本か手放すだけで用意出来る金額とのことです。多くとも一千万円を超えることはないと推測されます。しかもこれは、最初の一挺を作る際にかかった、研究開発費を含めての金額です」

 

「単純な割り算で考えるべきではない、ということですね?」

 

 司馬総理の言葉に、叶は頷いた。

 

「内調では、一挺あたりの制作費は二百~三百万円の間ではないかと推定しています」

 

「新車のカローラくらいの金額ですね」

 

 司馬総理は溜め息をついた。

 

 つまり《トール》は、最強兵器ISに有効打をたたき込めるだけの性能を有すると同時に、IS以外の兵器でも運用可能な汎用性の高さを持ち、さらに大衆車クラスの金額で大量に量産することが可能ということか。

 

「……これはもはや、IS用の一武装という概念を超えた存在です」

 

 池波大臣が、恐ろしい、と感想を抱いたのも頷ける。

 

 ISの存在を前提とする現在の世界のミリタリー・バランスに、一石を投じうる存在……戦略兵器にも匹敵する武装だ。

 

 そして何より恐るべきは、これほどの武器を、たった一人で作り上げた、鬼頭智之という男の存在。

 

「総理」

 

 藤沢官房長官が、険しい顔つきで口を開いた。

 

「これほどの銃を作り上げた鬼頭智之という男。これまでは男性操縦者ということで重要視してきましたが、これほどの技術力が明らかになったいま、我々は彼に対するアプローチの仕方を変えるべきです」

 

 もしも、これほどの能力を持った人物が、特定の国や組織に与するようなことになれば。仮にそれが、日本国と競合するような相手だったとしたら。

 

 現にイギリスは、鬼頭智之懐柔のための工作をすでに開始しているという。インテリジェンス・ペーパーによると、娘の試合後、イギリスの第三世代機に使われている新技術……BTシステムに関心を抱いた彼は、英国政府に対して、BTシステムを完成させるための手伝いをさせてほしい、と自ら申し出たとのこと。イギリスはこれをチャンスと捉えたらしく、彼の申し出を受け入れると同時に、研究資金について多額の援助や、高級車をプレゼントするなど、露骨な懐柔工作に乗り出したそうだ。

 

「これほどの人材を他国に奪われてはなりません。我々日本政府も、鬼頭智之に対し懐柔工作を仕掛けるべきです」

 

「藤沢さん、具体的なアイディアはありますか?」

 

「鬼頭智之は技術者で、また、研究者でもあります。こういう人間は、自身の好きなことに集中出来る環境を与えてやることが、なによりも効果的だと考えられます」

 

「なるほど」

 

「細かい作戦については後でじっくり練るとして、差し当たっては、IS学園に対して、学園の設備を鬼頭智之が自由に使えるよう、要請をするべきでしょう。IS学園の持つ最新の機材は、彼のような人間の目には宝物と映じるはずです。それが、日本政府のおかげで自由に使うことが出来る、となれば、我々に対して好感を抱いてくれる可能性は高い」

 

「総理、私も藤沢官房長官の提案に賛成します」

 

 叶情報官が言った。日本人にしては珍しい、紺碧の眼差しが司馬総理の顔を見る。

 

「重ねて、内調の情報官として進言します。鬼頭智之本人以外に、彼の娘や、彼の両親、そして彼が所属するアローズ製作所に対しても、はたらきかけを行うべきです」

 

「会社に対して、ですか?」

 

「いざというときには、鬼頭智之に対する人質として使えます。それに、《トール》がこの大きさでこれほどの高性能を得た背景には、この会社の持つ、遼子化技術と呼ばれる特許製法が関係しています。鬼頭智之と同様、この会社の持つ技術も、他国に渡るような事態は避けねばなりません」

 

「なるほど。たしかに、叶さんのおっしゃる通りですね」

 

 司馬総理は頷いた。

 

「藤沢さん、明日までに、鬼頭智之に対する懐柔工作専門のチームを起ち上げてください。人選は、あなたと叶さんにお任せします」

 

「かしこまりました、総理」

 

 藤沢は頷くと、叶情報官を見た。

 

「早速、行動を開始します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インフィニット・ストラトス二次創作

 

「この小さな世界で愛を語ろう」

 

Chapter15「エンジニア」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クラス代表就任パーティーが開かれた日の翌日の朝、鬼頭智之とセシリア・オルコットの二人は、学生寮の食堂で朝食を摂った後、一年一組の教室へと向かう陽子らと別れ、職員室へと向かっていた。

 

 目的は、IS整備室の使用許可申請書を提出することだ。

 

 過日のハミルトン大佐との通信から二日後、鬼頭はBTシステムの開発に正式に協力することになった。その際、データ解析のため、セシリアのブルー・ティアーズにアクセスする権限を与えられたが、ISのような複雑な機械の集合体を分析するには、設備が整った環境が必要と考え、学園の整備室の使用許可を求めることにしたのだ。

 

 職員室に到着した二人は、早速、担任の千冬の姿を探した。残念ながら、彼女は職員会議を理由に席をはずしていた。代わりに、その場にいた真耶に事情を説明する。

 

「……というわけで、また、整備室を使わせてほしいのです」

 

「なるほど。この日から使いたいとかって、ありますか?」

 

「早ければ早いほど良いのですが」

 

「なるほど、なるほど……。分かりました。じゃあ、今日は第二アリーナの整備室を使ってください」

 

 鬼頭とセシリアは困惑した表情で顔を見合わせた。申請書を書く必要はないのか。しかも、当日のうちに利用許可が降りるなんて。

 

「山田先生、申請書は……」

 

「あ、書いてもらわなくても結構ですよ」

 

 念のため問いかけると、真耶は顔の前で右手を軽く振りながら応じた。

 

 訝しげな表情の鬼頭に、「実は……」と、言葉を重ねる。

 

「実は今朝、日本政府から、鬼頭さんの要求にはなるべく応えるよう努めてほしい、と要請があったんです」

 

「日本政府から、ですか?」

 

「はい」

 

「なんで、また……」

 

「さあ? 理由については、教えてくれませんでした。……逆にこちらが訊きたいくらいですよ」

 

 今度は真耶が、鬼頭に怪訝な表情を見せた。

 

「鬼頭さん、日本政府に対して、何かしました? 鬼頭さんへの接し方について、政府に新しい方針を決めさせるようなこと」

 

「お上からこんな好意的な対応を取られるようなことをした覚えはないのですが……」

 

「……もしかして、私たちのせいでしょうか?」

 

 真耶と二人、頭を悩ませていると、かたわらに立つセシリアが不意に呟いた。

 

「セシリア?」

 

「鬼頭さんがBTシステムの開発に協力してくれることになったのを知って、日本政府は危惧したのかもしれません。このままでは、鬼頭さんのような優秀な人材をイギリスに盗られてしまう! と。だからこそ、今朝になって突然、学園にそんな要請をしてきたのでは?」

 

「なるほど! それなら納得です」

 

「……こんなオジサンに、そこまでする価値があるでしょうか?」

 

 セシリアの推測に感心する真耶に、鬼頭は呆れた表情で呟いた。技術屋を始めてかれこれ二十年以上、この腕一つで食ってきた。勿論、技術力にはそれなりに自信があるが、されとて、自分にそこまでの価値があるとは思えない。

 

 すると、今度は真耶とセシリアの二人から、呆れた表情を向けられた。

 

「鬼頭さん、あなた、何を言っているんですか?」

 

「《トール》のような素晴らしい武器を作るだけの技術があって、無価値だなんてありえませんわ!」

 

「あれの性能を知ったら、誰だって鬼頭さんを欲しいと思いますよ」

 

「私が女王陛下であったなら、爵位を授けてでも、わが国に引き込もうとしたでしょう」

 

「そ、そうですか」

 

 静かな口調に篭められた物凄い迫力に、鬼頭は思わずたじろいだ。

 

 二人から向けられるきつい眼差しから逃れたい一心で、顔をそむけ、目線を泳がせる。ちょうど、会議を終えて職員室に戻ってきた千冬の姿を認め、ほっと安堵した。よかった。これで彼女たちからの追及をかわすことが出来る。

 

「織斑先生」

 

「む、鬼頭さんと、オルコットか。二人とも、どうしたのです?」

 

 声をかけられた千冬は、彼らのもとへやって来た。

 

「セシリアのブルー・ティアーズ解析の件で、整備室を使いたく、使用許可の申請をしに来たのです」

 

「なるほど。ということは、日本政府からの要請については?」

 

「聞きました。ありがたいことではありますが、突然のことなのと、向こうの意図が判らないせいで、喜んでいいやら、不気味に思うやらで、少し、戸惑っています」

 

 鬼頭の言葉に頷いてみせた後、千冬は束の間、悩ましげな表情を浮かべた。目の前の男に対し、これを話すべきか否か。たっぷり三秒、黙考した後、彼女は意を決して口を開く。

 

「実は、今朝の職員会議の議題のが、まさにそれに関することでした」

 

「というと?」

 

「日本政府はなぜ、今朝になってあんな要請をしてきたのか。IS学園はこの求めにどう反応するべきなのか。侃々諤々の会議でしたよ」

 

「それはまた……お手数をおかけしまして」

 

 ちら、と周りを一瞥すれば、己に対し、何やら恨めしげな眼差しを向けている教員の姿がちらほら認められた。一ヶ月半前にラファールを動かしてしまったあの日から、彼女たちには迷惑をかけてばかりだ。そろそろ、菓子折の一つでも振る舞うべきか。

 

「私には美味い酒をお願いしますよ」

 

 諧謔を口にした後、千冬は声をひそめた。応じて、鬼頭たちも声量を落とす。

 

「……先ほどの会議で、鬼頭さんについてあることが決まりました。正式な通達は明後日になりますので、いまはまだ、ここにいる人間以外には秘密にしておいてください」

 

「はい」

 

「鬼頭さんに対し、学園の施設の利用に関する、クラスBの専用パスカードが発行されることになりました。このカードがあれば、整備室など、いちいち許可申請をせずとも利用することが出来ます」

 

 パスカードは学園の施設の利用に関する特権だ。クラスBは本来、上級の教職員や、国家代表など一部の生徒にのみ与えられているライセンスで、整備室の他に、より専門的な機材が完備されている工作室や耐久試験室、解析室などを自由に使うことが出来る。

 

 千冬の言葉に、鬼頭とセシリアは顔を見合わせた。

 

 解析室にはデータ解析のための設備が整備室よりも圧倒的に充実している。これを使わせてもらえるのなら、BTシステムの研究が一気に進むことだろう。

 

「分かっているとは思いますが、これは日本政府からの要請に対する、IS学園側の回答です」

 

「はい」

 

 千冬の念押しに、鬼頭は頷いた。彼女の立場では言いづらい言外の意図を察し、彼は冷笑を浮かべながら言った。

 

「なるべくたくさん使って、IS学園はよくしてくれている、ということを、政府の方々に示してみせますよ」

 

「助かります」

 

「あと、もう一つお訊ねしても?」

 

「なんでしょう?」

 

「工作室や耐久試験室の利用が許可された、ということは、そういう意味と捉えて、構いませんか?」

 

 工作室はその名の通り、各種の工作機械を取り揃えている、学園最大のIS製造施設だ。収蔵されている機材の質は整備室の比ではなく、《トール》のような武器は勿論、技術者の能力と予算さえ十分にあれば、ISそのものを作ることさえ可能という施設である。

 

 一方の耐久試験室は、整備室や工作室で組み上がった部材を、耐熱性や荷重特性といった各種の耐久試験にかけるための部屋だ。同時に、生徒たちが作った新しい武器やパーツが、ISバトルのレギュレーションに違反していないかどうかをテストするための部屋でもある。鬼頭は《トール》の件ですでに、この部屋のお世話になったことがあった。

 

 専用パスの発行は、この二つの施設を自由に利用してよい、ということを意味する。技術者の自分に、これらの施設の使用権限を与えるということは、すなわち、

 

「学園長からの言葉です」

 

 千冬は鬼頭の質問には答えずに、事務的な口調で続けた。

 

「思う存分、やってください」

 

 それを聞いて、鬼頭は好戦的に微笑んだ。

 

 

 

 その後も専用パスの使い方についていくつか確認の質問をしているうちに、始業五分前の予鈴が鳴った。

 

 せっかくですし、一緒に行きましょうか、という真耶の言葉に応じた鬼頭たちは、教室に向かって、四人並んで歩き出した。

 

 やがて一年一組の教室に近づくにつれて、鬼頭とセシリアは、あっ、と声を上げた。

 

 予鈴が鳴って一分以上経っているにも拘らず、教室がなにやら騒がしい。教室の入り口を、見覚えのない背中が塞いでいる。どうやら他クラスの生徒が、入り口から教室内の誰かに向けて話しかけているようだ。応じる声から察するに、相手は一夏か。他にも、ざわざわとした戸惑いの声が多数聞こえる。大半のクラスメイトが、着座していないことは明白だった。

 

 繰り返しになるが、いまは予鈴が鳴って、教室で教員の到着を大人しく待っているべき時間だ。そして運悪く、自分たちの担任教師は、そういう規律の乱れている状態を、許せないたちだった。

 

 二人は、おそるおそる、千冬の顔を見た。世界最強の女傑は、案の定、険しい面持ちをしていた。鬼頭は慌てて口を開く。

 

「織斑先生」

 

「分かっています、鬼頭さん。あなたから指摘されて、私だって反省したんです」

 

 言いながら、千冬は出席簿で軽く素振りしてみした。

 

「体罰は、あくまで最終手段です。まず先に、口で言って聞かせます」

 

「……小声でこっそり、静かにしろ、とか、どけ、とかはなしですからね? それで言うことを聞かなかったから体罰というのは、駄目ですよ」

 

「……ちっ」

 

「織斑先生!?」

 

 わざとらしく舌打ちする千冬の反応に、セシリアが悲鳴を上げた。かたわらで眺めていた真耶は、コメディ・ショーを見ている気分になって、思わず苦笑した。

 

 かなり大袈裟に騒いでみせたにも拘らず、話に夢中になっているのか、入り口を塞いでいる少女は、鬼頭らの接近にまったく気づいていない。

 

 千冬は再度の舌打ちの後、わざと踵を鳴らしながら近づいていった。少女はなおも、気がつかない。

 

「何格好付けてるんだ? すげえ似合わないぞ」

 

「んなっ……!? なんてこと言うのよ、アンタは!」

 

 一夏の声に、少女が応じた、その瞬間だった。

 

「おい」

 

「なによ!?」

 

 聞き返すと同時に振り向き、愛らしい表情が硬化した。柳眉を逆立てた千冬の顔を、視界のど真ん中に捉えてしまった。

 

「ち、千冬さん……」

 

「織斑先生と呼べ。もうSHRの時間だ。いますぐ教室に戻れ。そして入り口を塞ぐな。邪魔だ」

 

「す、すみません……」

 

 すごすごと道を空ける。千冬の迫力に呑まれ、完全に気勢を失っていた。

 

 千冬が教室に入ったのを認めて、鬼頭たちもあとに続いた。セシリア、鬼頭、真耶の順番で入室する。

 

「あ……」

 

 鬼頭とすれ違った瞬間、少女が小さく声を上げた。

 

 はて、どうしたのか、と鬼頭は目線を彼女に向けた。すると、悄然としていた態度から一転、きっ、と睨み返される。入学式以来、お馴染みの態度。ああ、と彼は得心から小さく頷いた。彼女も、例の週刊誌の記事を読んだのか。

 

 せっかく静かになったのに、無駄な火種を起こして、千冬の機嫌を悪化させるのは不味い。鬼頭は気づかないふりをして、そそくさと自分の席へ向かった。

 

「またあとで来るからね! 逃げないでよ、一夏!」

 

 去り際、少女は言い捨てて、隣の教室へと駆けていった。その背中に、「廊下を走るな!」との声。鬼頭は名も知らぬ彼女のことを思い、無言で合掌した。千冬の「いますぐ教室に戻れ」という指示に対し、捨て台詞を残してから退室していくという、反骨精神あふれる対応に加えて、廊下を走る、というマナー違反。近い将来待ち受ける仕打ちを思うと、憐憫の情を抱かずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 午前中の授業をすべて終えた昼休み。

 

 一夏のもとを訪ねた鬼頭が確認すると、今朝の少女は彼の昔からの知り合いらしい。名前は凰・鈴音(ファン・リンイン)。中国からの留学生で、かの国の代表候補生だという。

 

「なんでも、学園には今日、転校してきたんだそうです」

 

「この時期にかい? 珍しいな」

 

 鬼頭は怪訝な表情を浮かべながら呟いた。

 

 IS学園は世界有数の難関校だ。転入試験は、入試以上に難しいと聞いている。どうせ四月に入るのなら、わざわざ狭き道を選ぶ必要はないと思うが。

 

「やっぱり、そう思いますよね」

 

「もしかしたら、機体の調整に手間取ったため、この時期の編入になってしまったのかもしれません」

 

 凰の転入時期について、セシリアがそう推測を述べた。一夏たちの言によれば、彼女はセシリアと同様、専用機持ちの代表候補生だという。なるほど、それならば入学の時期が遅れてしまい、転入という形をとらざるをえなかったのにも納得がいく。この時期に調整中ということは、やはり第三世代機か。

 

 ――中国の第三世代機というと、たしか……。

 

 空間圧作用兵器なる新技術を搭載した、近・中距離両用型のISと聞いている。二組のクラス代表は彼女に替わったというから、クラス対抗戦では一人、強力なライバルが増えた形だ。

 

 もっとも、クラス対抗戦を実際に戦う一夏の顔に、気にした様子は見られない。むしろ、思わぬ再会を果たした友人とのこれからの学生生活を思って、はしゃいだ気持ちさえうかがえた。

 

「……それで一夏、結局、あの女とはどういう関係なのだ?」

 

 不機嫌そうな態度を隠すことなく、ぶっきらぼうな口調で箒が訊ねた。

 

 鬼頭の見たところ、彼女は一夏に懸想している様子。見知らぬ少女と思い人とが親しげに話しているのを見て、悋気を覚えたらしい。

 

 そんな幼馴染みの態度に戸惑いながら、一夏は訥々と口を開く。

 

「小・中時代の友達だよ」

 

「小学生の頃から? 私たちの小学校に、あんなやつ、いたか?」

 

「転校してきたんだよ。ちょうど、箒と入れ違いみたいな形で。ほら、箒が引っ越したのは、小四の終わりぐらいのときだっただろ? 鈴が転校してきたのは、小五の頭だよ。で、中二の終わりぐらいの時期に、帰国したから……会うのは、一年ちょっとぶりだな」

 

「……冷静に考えてみると、すごい人間関係だね」

 

 一夏の説明を聞いて、陽子は思わず苦笑した。

 

 姉は世界最強のIS操縦者で、幼馴染みはIS開発者の妹。そして旧友は、中国の代表候補生で専用機持ち。いったい何の漫画の主人公だと言いたくなるほどに、彼を中心として見た人間関係はものすごいことになっている。

 

「そうか、ただの友達か」

 

「ああ。……いや、女子の中ではいちばん仲の良い友達だった、か?」

 

 眠っていた記憶を呼び覚まし、彼女と過ごした日々を思い返して、うむ、と頷く。箒が転校して以来、同年代の女子生徒のうちでいちばん仲が良かったのが鈴音だった。特に中学時代は、男友達の五反田弾や、御手洗数馬らと四人でよくつるんだものだ。そのときのことを思い出し、一夏は懐かしさから微笑した。

 

「まあ、それ以上の詳しいことは、メシ食いながら話すからさ」

 

 自身の返答にまた何か言いたげな様子の箒を、片手を突き出して制しながら、一夏は椅子から立ち上がった。

 

「とりあえず、学食行こうぜ。今朝の様子だとたぶん、鈴のやつ、俺たちが来るのを待っているだろうし、早いとこ行かないと、席が埋まっちまう」

 

「む、むぅ。たしかに、そうだな」

 

 黒板の上に取り付けられた円盤形の時計を、ちら、と一瞥して、箒も頷いた。

 

「智之さんはどうします?」

 

「私は、今日はちょっと、遠慮させてもらうよ」

 

 今朝、凰鈴音が自分に対してとった態度を思い出し、鬼頭は申し訳なさそうにかぶりを振った。

 

 一夏の言う通り、彼女が食堂で待ち受けているとすれば、悪感情を抱いている相手が食卓に同席してしまうことになる。それは彼女にとって、そして周りの人間にとっても、好ましくない事態だろう。

 

「BTシステムのデータ分析を、少しでも進めておきたくてね」

 

 これは方便ではなく本当のことだ。

 

 昨日、鬼頭親子が暮らす部屋に、国際便で小包が届いた。送り主はイギリス空軍のハミルトン大佐で、中身は連絡用のモバイル・パソコンだった。防諜機能を完備した、特別仕様の端末だ。中のデータをチェックすると、通信用のアプリケーションの他に、暗号化されたデータファイルが収められていた。

 

 鬼頭は早速、通信用アプリを起ち上げた。ノースウッドの、英軍の統合司令部と連絡をとる。ハミルトン大佐は、「そろそろ連絡のある頃だろうと思っていました」と、通信用端末の前であらかじめ待機してくれていた。彼から暗号化を解除するためのパスワードを教えてもらい、適用すると、現われたのはBTシステムの開発データだった。過日の通信の際に、大佐が、英国政府が提供出来るもの、として挙げた資料だ。鬼頭は早速、目を通し始めたが、なにしろ、英国屈指の技術者たちによる一年以上もの戦いの記録だ。到底、一晩で読み終えられる量ではない。

 

 今朝以降も、授業と授業の合間の休み時間など、空いた時間を見つけては、打鉄の記憶領域にコピーしたデータを検めているが、まだ半分以上も残っている。

 

「昼休みみたいにまとまった時間は貴重だからね。今日は、そのために使わせてもらうよ」

 

「私も、本日は遠慮させていただきます。鬼頭さんのお手伝いをしなければなりませんので」

 

「そっか。それじゃ仕方ないよな」

 

 一夏は残念そうに呟くと、次いで陽子を見た。

 

「鬼頭さんはどうする?」

 

「わたしはご一緒しようかな」

 

 陽子は、ちら、と父の顔を一瞥して頷いた。

 

「そういう専門的なことだと、わたしがいるとかえって邪魔になるだろうし。織斑君たちと、ご一緒させてよ」

 

「わかった。箒も、それでいいよな?」

 

「わ、私はべつに、それで構わない」

 

 思い人と二人きりになれぬことを残念に思ってか、頷きながらも、箒は小さく溜め息をついた。

 

 もっとも、同行の意思を示した女子は陽子以外にも多数いたため、どちらにせよ、一夏と彼女が二人きりになるのは難しかっただろうが。

 

 

 

 

 

 

 放課後、鬼頭とセシリアはブルー・ティアーズの稼働データの解析のため、第二アリーナ隣の整備室へとやって来ていた。この場所を指定したのは真耶で、なんでも、クラス対抗戦の準備のために、第二アリーナでの自主練習は今週いっぱい禁じられているのだという。必然、第二アリーナの整備室を使いたいという者は少なく、余人の目を気にすることなく作業に集中出来るはずです、との気遣いからの指示だった。

 

「やはり今度、山田先生たちには何か差し入れをせねばならないな」

 

「お菓子選びの際にはぜひ、私にも声をかけてくださいな。日本のお菓子に、興味があるので」

 

 整備室の戸を開けると、案の定、利用者は鬼頭たちの他に一人しか見当たらなかった。空中投影ディスプレイに映じる3Dモデルを凝視しながら、一心不乱にメカニカルキーボードを叩いている。ディスプレイに次々と出現するウィンドウ情報から察するに、スラスター関連の調整作業を行っている様子だ。

 

 ――邪魔をしては悪いな。

 

 鬼頭とセシリアは足音に気を配りながら、彼女から二ブロックほど離れた区画で作業を開始することにした。イヤー・カフスをはずしてもらい、外郭プレートの一部を剥がしてアクセス・ポイントを露出させる。解析用のコンピュータからのびる細いケーブルを二本接続し、データの吸い上げを開始した。

 

「セシリアはブルー・ティアーズに乗り始めて、どれくらいになるんだ?」

 

「稼働時間はざっと三〇〇時間は超えているかと」

 

 自身もまたコンピュータを操作しながら、セシリアが応じた。三〇〇という数字を聞かされて、鬼頭は思わず息を呑む。今更ながら、陽子はとんでもない相手と戦ったのだな、と実感した。

 

 鬼頭は空間投影ディスプレイを起ち上げると、データの抽出に要する時間を表示させた。

 

 三〇〇時間超もの稼働データの抽出は、IS学園が所有する最新の機器をもってしても、三十分はかかる見込みだ。その間に、データ解析に必要なソフトを起ち上げる。

 

「昨日、ハミルトン大佐からもらったデータだが」

 

「はい」

 

「まだすべてに目を通したわけではないが、BTシステムの基本構造については理解した。要するにBTシステムは、流動性エネルギーBTとイメージ・インターフェース、そしてBTエネルギーを媒介する攻撃端末の三要素からなるシステムなわけだ」

 

 イギリスが流動性エネルギーの存在をはじめて発見したのは、三年前のことだった。

 

 当時、英国のトップIS操縦者は、専用機のセカンド・シフトに成功。と同時に、ワン・オフ・アビリティーとして、発射後にビームを曲げるという、偏向射撃の能力を開花させた。英国は、次の第三次イグニッション・プラン用の第三世代機には、彼女が発現させたこの能力を武器として再現し、誰にでも扱えるようにして搭載することを目指した。その研究過程で発見されたのが、流動性エネルギーBTだ。

 

 BTエネルギーは、生物の意思の力によって形を変えたり、その場から移動したり、といった、流動性と表せる不思議な特性を持っていた。イギリスはイメージ・インターフェースの研究を進めることで、BTエネルギーにパラメータを入力する技術を確立。操縦者の意思一つで、IS本体にプールしているBTエネルギーを無人攻撃端末に移し、低出力レーザーの発振や三次元機動の動力源とすることを可能とした。

 

「肝の部分はやはり、イメージ・インターフェースだろう。資料を見ると、BTエネルギーは人の意思にかなり敏感だ。ちょっと気を散らしただけで、制御が効かなくなってしまう」

 

 資料によると、初期の頃などは《ブルー・ティアーズ》の試作モデルで急上昇する敵を追尾中に、視界に、ちらっ、と太陽が映じただけで、もうコントロールを失ってしまったという。改良に改良を重ねた現行型でさえ、BT兵器の操作中は、他の行動がほとんど取れない有り様だ。

 

「まずはIS本体の機動と、BT兵器の操作を同時に行えるように改良したいね」

 

 ポイントは思考ノイズの除去と、柔軟性の付与だ。BT兵器を動かしつつ、他の動作も可能にする。そんな仕組みを用意してやる必要がある。

 

「ですが、そんなことが可能でしょうか?」

 

 頷きながらも、セシリアは不安そうな表情で訊ねた。いかにこの男の頭脳が優れているとはいえ、これまで、母国の技術者たちが成し遂げられなかったことが、はたして可能だろうか。

 

 鬼頭は完爾と微笑んだ。

 

「やる前から諦めるのはよくない。かの経営の神様も言っている。楽観的に構想せよ。しかし、準備は悲観的にせよ。そして実際に行動するときは、楽観的な気構えでいろ」

 

 こういう技術的な課題に直面したときの基本姿勢は、いつの時代も変わらない。後ろ向きな考え方は捨て、前向きな考え方を胸に抱いて、問題にぶつかっていく。

 

「ISはもともと、宇宙開発用のマルチプラットフォーム・スーツとして開発された」

 

「はい」

 

「宇宙開発……ということは、基本はロケットと同じさ。アメリカに留学していた頃、ヴェルナー・フォン・ブラウンと一緒に、アポロ計画に従事したというエンジニアと、二時間ほど、会談の機会を得たことがある」

 

 かつて人類を月へと到達させた、偉大な技術者だ。第二次世界大戦中はドイツのためにV-2ロケットを開発し、大戦後はアメリカ合衆国のためにジュピター・ロケットや、サターン・ロケットを開発した。この変節がために、批判されることも多い人物だが、技術者として己の欲に忠実な生き方を貫き通したことに、鬼頭はある種の畏敬の念を抱いていた。

 

「彼によると、フォン・ブラウンはロケットの本質を次のように認識していたそうだ。ロケットとは、ロケット・モーターではない。外装でもない。プログラミングなのだ、とね」

 

 噴射を制御し、燃料をコントロールし、大気圏を脱出し、再突入角度を計算し、着陸地点を選定する。ロケットの本質とはなるほど、プログラミングなのだ、と大いに納得させられた。あとは、入力したプログラムを実行する上で最適なハードウェアを作るだけだ。

 

「同じ宇宙開発用を源流とするISの技術もそうさ。まずはプログラミング、次いでハードウェアの開発。やるべきことははっきりしている。あとは、出来る、と信じて、やるだけだよ」

 

 ブルー・ティアーズからのデータの抽出が終わった。空間投影ディスプレイに、三〇〇時間オーバーのデータが次々と表示される。鬼頭はそれらを、楽しげに眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Chapter15「エンジニア」了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時計の針は、狂う。

 

 これは過去起きた出来事なのか、それとも未来に待つ災厄なのか。

 

 あるいは、いま現在起こっている、事件なのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大阪府大阪市、中央区は大手前にある、大阪府警察本部本庁舎は、他県の県警本部が置かれている建物と比べて、一風変わった見た目をしている。大阪城公園南西角の馬場町交差点に面する形で建てられたこの建物は、南東部分が内側に弧を描くようなカーテンウォールで出来ており、交差点の対角線側からその全容を眺めてみると、なんともユーモラスなセンスを感じさせるのだ。二〇〇七年竣工という、比較的新しい庁舎。大阪万博東芝IHI館のデザインを担当したことで知られる建築デザイナー……黒川紀章の、晩年の作品だ。

 

 都道府県警本部刑事部の直轄という扱いの機動捜査隊のオフィスも、大阪府警の場合は当然、この本庁舎内に置かれている。

 

 この日、第一機動捜査隊で班長の立場にある岡本正康警部は、自身のデスクで捜査資料と睨み合いをしていた。

 

 いま目を通しているのは、先日、北区天神橋近くの貸倉庫で発見された、女性の変死体についての死体検案書だ。第一発見者である貸倉庫のオーナーからの連絡でまず岡本の班が現場に駆けつけ、初動捜査を担当したあのヤマの女性だった。事件はその後、刑事課に任されることとなり、彼らは女性の死因を他殺によるものと判断、現在は殺人および死体遺棄事件として捜査している。

 

 機動捜査隊は通常、初動捜査のみを担当し、本格的な捜査は他の専門の部署に任せることになっている。天神橋の変死体の件は、すでに岡本の手から離れた案件だが、彼は個人的な興味から、事件を担当する刑事課の同期に頼み込んで、捜査資料のコピーを手に入れたのだった。というのも、今回発見された死体は、岡本がこれまで見てきたどの他殺体よりも、無残な殺され方をしていたためだ。

 

 彼女は、全裸の状態で倉庫内に放置されていた。全身に注射針の生々しい痕があり、両耳と両手の指をすべて切断され、そして下半身がなかった。何か爆発物を使って吹き飛ばされたらしく、現場には下肢を形作っていたであろうパーツが無残に飛び散り、転がっていた。普通、殺しの道具に爆発物を使うにしても、こんな殺し方はしない。こんなにもむごたらしい殺し方をわざわざ選んだ犯人は、どのような人格の持ち主なのか、岡本は気になってしまった。

 

 資料のコピーを譲ってくれた同期の言によると、刑事課ではいまだ、犯人像の特定さえ出来ていないという。現場に選ばれた倉庫から回収出来た証拠品は少なく、また手がかりに乏しかった。女の口を塞いでいたガムテープ。手足を拘束していた粘着テープ。廃材置き場から拾ってきたかのようなボロボロのアームチェアーの破片群。ナショナル・ブランドの目覚まし時計の部品……。いずれも、犯人の特定に役立つ物ではない。念のため、科学捜査研究所に鑑定を依頼したとのことだが、向こうの担当者も、あまり期待しないでほしい、との返答だったという。

 

 証拠品から犯人に辿り着くことが難しいとなれば、残る手段は、被害者の身元と、死体の状況から、一歩々々近づいていくしかない。このうち、被害者の身元については、刑事課の精鋭たちが、歯形や顔写真を手がかりに、市内の歯科医を片っ端から回っているというから、近いうちに特定されるだろう。ならば自分は、と岡本は死体検案書を読み解くことにしたのだった。

 

「死亡時刻、四月十五日の午前零時から午前三時の間」

 

 岡本は病理学者の報告を声に出して読んだ。

 

「死体の損傷部位は、両耳、両手の十指、背骨、頭蓋骨の右側頭部、心臓と肺、鳩尾から下の下半身全部と多数見られるが、このうち、内臓と下半身の損傷以外はすべて、血液凝固の具合から、死亡する二時間前以内に負った傷と推定される。また、被害者の体内からは、多量の麻酔薬の成分が検出された」

 

 つまり、被害者の女性は死の直前まで、手酷い拷問を受けていたわけだ。資料を握る岡本の拳が小さく震えた。

 

「直接の死因は、爆傷による心肺の停止と、内臓損傷による大量失血の複合と推測される」

 

 岡本は頭の中でその光景を組み立てていった。犯人はまず、被害者に対し後ろから襲いかかった。何か鈍器を使って背中を叩いて背骨を砕き、倒れたところを、今度は右側頭部を叩いて気絶させた。気を失っている間にアームチェアーに縛りつけ、全身に麻酔薬を注入した。被害者は触覚をほとんど奪われた状態で、まず右手の親指から小指までを順番に切り落とされた。犯人はしかし、失血による死を許さなかった。相手は指を一本切り落とすごとに、高温の物体を押し当てて傷口を焼き塞いだ。おそらくは、焼きごてのような道具を使ったのだろう。犯人は右手の指を全部切り落とした後、次いで左手お親指から小指までを順番に切り落とし、そして被害者の両耳を削ぎ落とした。勿論、傷口にはすべて、焼きごてを押しあてた。十分、気がすんだところで、最後に爆弾を使って、彼女の下半身を吹き飛ばした。

 

 問題は、どんな爆発物を、どのように使ったかだ。岡本の関心は、続く記述に寄せられた。

 

「犯行現場より回収された被害者の小腸の一部から、不完全燃焼状態の火薬が検出された。科学捜査研究所に鑑定を依頼したところ、黒色火薬と判明する。このことから、被害者は直腸内に、黒色火薬による爆弾を詰め込まれて殺害された、と推測される」

 

 まともな神経の持ち主ではない。普通の人間は、そんな想像力を持ちえない。この事件の犯人は異常者だ。これは、狂人の手による犯行だ。……そう思う一方で、岡本は、「今回の事件は、冷静なる狂気をもって実行されたのだ」とも、思った。

 

 問題は、犯行に使われた爆発物だ。黒色火薬は、言うまでもなく最初期の爆薬だ。今の時代、もっと高性能な火薬はたくさんある。たとえばTNT。トルエン酸を主成分とし、爆轟速度は黒色火薬の十七倍超、ガスの発生量も、三倍近い開きがある。確実な殺害を期するのなら、こちらを使った方がよい。犯人はなぜ、黒色火薬にこだわったのか。考えられる可能性は二つ。

 

 一つは、黒色火薬しか入手出来なかったという可能性だ。銃刀法や火薬類取締法など、各種の法整備が充実しているこの日本で、火薬類を非合法に調達したり、材料を揃えたりするのは難しい。それは高性能火薬ほど顕著で、TNTなどは、限られたごく一部の業者を除くと、アンダーグラウンドかつダーティな組織の手助けが必要だ。

 

 しかし、そんな日本でも、黒色火薬だけは例外だ。火薬そのものはともかく、材料だけならば、比較的容易に取り揃えることが出来てしまう。調合も、高校卒業程度の化学の知識があれば、危険は伴うが出来てしまう。また、時間はかかるし、威力も弱いが、市販の花火などから火薬をかき集め、量をもって殺傷力を増す、という手段もある。今回の事件の犯人も、本当は高性能火薬が欲しかったが、その入手が出来なかったために、黒色火薬で妥協したのか。

 

 もう一つは、高性能火薬を入手することは可能だったが、警察の捜査を攪乱するため、あえて黒色火薬を選んだという可能性だ。先述の通り、日本で高性能火薬を非合法に入手するのは難しい。正規の業者をだまくらかすにせよ、非合法な組織の協力を仰ぐにせよ、そういった入手ルートは大抵の場合、公安警察の監視下にある。悪用すれば即、足がついてしまう。

 

 その点、黒色火薬は調達手段が豊富なために、警察も徒手空拳では入手ルートの特定がしづらい。先述の市販の花火からかき集める、という可能性まで考慮した場合、それこそ、ネット通販を含めた世界中の花火取扱店を捜査対象とせねばならない。

 

 ――警察の捜査を遅らせるために黒色火薬を選んだのだとしたら……狂人の発想力と、高度な知性を併せ持った人間ということになる。

 

 たとえるならば、トマス・ハリスのミステリー小説『羊たちの沈黙』に登場する、ハンニバル・レクターのような人物か。岡本は、将棋の駒のように角張った顔を強張らせた。もしも犯人が、本当にそのような人物であったとしたら、

 

「恐るべき相手だ。大阪府警の総力をもって立ち向かわねば、この事件は迷宮入りになる」

 

 そんなことは許さない、と岡本は決然とした眼差しで、死体検案書を睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 




SF日本社会が舞台で、日本政府に与する立場の暗部組織が登場するのなら、内調との関わりへの言及は、避けては通れないと思うの。


なお、内調の人たちはまったく気づいていないけど、クルマ好きの鬼頭を懐柔するのは、結構、簡単だったりします。

目の前でGT-Rのキーをちらつかせれば、彼、ホイホイ着いてきます(笑)。


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