詳しくはあとがきにて
クラス対抗戦の当日の朝、試合会場となるIS学園第二アリーナは、第一試合開始の三十分も前から、喧噪で満たされていた。
第一試合の対戦カードは、織斑一夏対凰鈴音。かたや世界にたった二人しかいない男性IS操縦者と、かたや中華大陸が送り込んできた次代の超新星。第三世代機のプロトタイプを任されるほどの猛者という組み合わせだ。全校生徒どころか、学外の学園関係者も注目する好カード。噂の新入生同士の対決を見るために、アリーナの観客席は人、人、人の群れで埋め尽くされていた。全席満員だ。
「これは……すごい光景だな」
第二アリーナのAピット。一年一組のクラス代表と、そのサポーターたちが利用する控え室にと用意されたその部屋で、鬼頭智之は、ははあ、と溜め息をついた。
目線の先には空間投影ディスプレイが浮かんでおり、会場の様子を映し出している。六畳ほどもあろう大画面にも拘らず、視野の八割ほどが、人間の姿に占有されていた。
「自分たちは世界中から注目を集める存在だと自覚していたつもりだったが……認識不足だった。まさか、これほどの人が集まるとはなあ」
ディスプレイに映じる彼女たちのいちばんの関心事は、男性操縦者の戦いぶりだろう。ということは、今日の試合で戦うのが鬼頭だったとしても、同じように人が集まった可能が高い。
もしも、試合に出場するのが自分だとしたら……。鬼頭は思わず、ぶるり、と胴震いした。この衆人環視の中で戦わされる者の気持ちを想像し、げんなりとしてしまう。
「……織斑君、白式の調子はどうだい?」
鬼頭は待機状態の白式を検査装置にかける一夏に声をかけた。試合開始前の最終点検だ。ISは最も強力な兵器であると同時に、最も繊細な造りをした精密機器。高いパフォーマンスを保つためには、こうした保守点検の作業が欠かせない。
検査機器による走査の結果は、十六インチ・サイズの空間投影ディスプレイに出力された。内容をしっかりと読み込み、機体のコンディションに問題がないことを認めた一夏は、「問題なし、です」と、応じる。
「鬼頭さんが整備してくれたからですかね? 数値的には、いつもより調子が良いくらいですよ」
「そいつはよかった」
鬼頭は完爾と微笑んだ。ここ数日はイギリス政府と約束したBTシステムの開発研究に係りきりで、クラス対抗戦に向けて準備を進めるクラスの活動に、あまり関わることが出来なかった。そこで、せめてこれくらいのことはやらせてほしい、と対抗戦の前日に、試合前の最終整備を請け負ったのだ。
白式の開発元は、鬼頭の愛機でもある打鉄を設計したことで有名な倉持技研。同じ会社の製品とあって、設計上の共通する部分も多いだろう、と踏んでの申し出だった。案の定、白式の基本構造は打鉄と非常によく似ており、経験の浅い鬼頭の腕でも十分な整備を施すことが出来た。
「今回、白式をいじっていて気づいたんだが」
「はい」
「高機動型の機体だけに、スラスターをよく噴かすだろう? たぶん、そのせいだと思うんだが、推進系の消耗が、他の部位よりも著しかった」
今日の試合に向けて、放課後の特訓をみっちりこなした結果だろう。昨晩、鬼頭が白式を預かった時点で、その推進機器はISの自己修復機能だけでは修繕が追いつかなくなり始めていた。出力調整を管理する部品の消耗が特に酷く、このまま放置すれば、必要なときに十分な加速を得られず、それが原因で勝機を逃したり、敗因になってしまうのではないか、と懸念されるほどだった。前日とはいえ、機体を診断することが出来てよかったと、鬼頭は昨晩、整備室で一人安堵の溜め息をこぼした。
「本当は新しい部品と交換するのがいちばんなんだろうが、新品のパーツを組み込むと、機体に馴染むまでに、少なからず時間がかかってしまうからね。翌日に試合を控えていたし、ならし運転をする暇はない。だから、今回は同じ部品を使っていて、推進器よりは傷みの少ない別の部位の物と交換することで対応させてもらった。パワーを絞るときの感覚に違和感を覚えるかもしれないが、それも最小限に抑えられたと思う」
「ありがとうございます、智之さん」
機動性は白式というISの戦闘能力の核となる性能だ。推進機器がいざ重要な場面で十全に機能しないというリスクを避けられるのなら、多少の扱いづらさは我慢するべきだろう。
そのとき、観客席を映すディスプレイと連動しているスピーカーから、わあっ、と歓声が出力された。振り向けば、観衆の目線はみな一様に闘技場へと向けられている。
いったい何事かと、鬼頭は空間投影ディスプレイをタッチして、カメラのチャンネルを変更した。アリーナ会場の中央を撮影しているカメラに接続すると、巨大スクリーンいっぱいに、見知らぬISの姿が映し出された。東洋の龍を模した意匠が施された、棘付きの大型アンロック・ユニット二基の存在感が目を惹く機体だ。円筒形を基調としたデザインのアーマーが覆うのは、両腕と両足のみという、かなりシンプルな構成。ほっそりとした印象のスカート・アーマーには、球形の補助スラスターが二基くっついている。
「あれが、鈴のIS……!」
「中国の第三世代機、甲龍(シェンロン)か」
世界でたった二人しかいない、特別な立場の男たちは大画面に映じた鈴とそのISの姿を、食い入るように見つめた。
今日の試合に備えて、クラスメイトたちが手分けして収集してくれた情報によれば、近接格闘戦を得意とする、パワーに優れる機体だという。第三世代機にカテゴライズされる所以たる特殊兵装は、空間圧作用兵器《衝撃砲》。なんでも、“見えない砲弾”を撃ち込むことが可能なんだとか。
「……なんか、やたら攻撃的な見た目をしたISですね」
自信に満ち満ちた表情の鈴をしげしげと眺めていた一夏が、ふと呟いた。
隣に立つ鬼頭も、「そうだね」と、彼の意見に同意を示す。
「三国志を題材にしたビデオゲームにでも出てきそうなデザインだ」
「ああ、たしかに。呂布とか、関羽とかが着てそうなイメージですね」
「イメージといえば」
「はい」
「甲龍(シェンロン)という名前、どうしても、あの漫画の龍の姿が、思い浮かばないかい?」
「……智之さんもですか?」
一夏はしぶい顔になった。
「提案なんですけど」
「うん?」
「俺たちの間だけでも、あのIS、甲龍(こうりゅう)って呼びません?」
「……そうしよう」
「織斑、白式のチェックが終わったのなら、さっさと展開して、会場へ向かえ」
男二人で頷き合っていると、ブック型の情報端末を抱えた千冬が背後から声をかけてきた。Aピットルームには現在、この三人の他に、箒、セシリア、陽子、真耶の七人が詰めている。
「了解です、織斑先生」と、応じて、一夏は検査台の上に置いていたガントレットを右腕に装着した。みんなから距離を取ったところで、右腕を前へと突き出し、精神を集中する。
――来いっ、白式!
右腕のガントレットから、青白い輝きの光の粒子が迸った。少年の体を包み込むと、白亜の鎧へと変質し、その身を覆う。下肢。腕。肩。胸。装甲の形成が完了し、パワーアシストやPICといった各種の機構が動作を開始する。展開に要した時間は〇・六二秒。自己ベストを更新。白式だけでなく、自分自身のコンディションも好調だ。
「一夏」
ISの展開により、目線が高くなった一夏の顔を、箒が見上げた。
「勝ってこい……とは言わない。大切な、幼馴染みなんだろう? なら、お前のやりたいように、やってこい」
「箒……、ああ。わかった!」
力強く頷くと、一夏は勇ましい笑みを浮かべた。機体を傾け、ピット・ゲートへと向かう。
「それじゃあ、みんな、行ってくる」
出撃の間際、一夏は箒らに振り向くと、白式のロボットアームでサムズアップをして見せた。
ピット・ゲートが開放され、白い流星が飛び出していった。
インフィニット・ストラトス二次創作
「この小さな世界で愛を語ろう」
Chapter19「試合開始」
「……さて」
一夏の出撃を見送った後、鬼頭はおもむろに、制服の上着を脱ぎ捨てた。ネクタイをはずし、ワイシャツも脱ぐ。あらかじめ着込んでおいた群青色のISスーツが姿を現したところで、彼はかたわらに立つ千冬を見た。
「では、織斑先生?」
「……試合中、プライベート・チャネルで交わされるだろう二人の会話を聞くために、ISを使わせてほしい」
険しい面持ちの千冬は小さく溜め息をついた。
「そんな理由でISを展開するなんて、本来、規約違反なのですが……。日本政府からの要請のこともあります。私の監視のもとで、ということで、特別に許可します。絶対に私のそばから、離れないでください」
「はい」
鬼頭は頷くと、右手の中指でひっそりと輝く、黄金色の指輪に目線を落とした。意識を集中し、灰色の打鉄を身に纏った己の姿をイメージする。三角形の台座の部分から光の粒子が溢れ出し、鬼頭の体を鎧った。現代科学の粋を結集して作られた、機械仕掛けの鎧武者が顕現する。
一連の光景を間近で眺めていた箒は、おや、と怪訝な表情を浮かべた。
打鉄を身に纏う鬼頭の姿に、違和感を禁じえない。
はて、彼の愛機はこんな形だったかと、箒は首を傾げた。
◇
試合開始の十分前。
Aピットから勢いよく飛び出した一夏は、闘技場の真ん中で対戦相手の到着を待っている鈴の目の前に降り立った。二〇〇八年に公開された実写映画が有名なアメコミヒーローを意識した、腰を落とし、右手を地面に突き立てた独特な着地姿勢。顔を上げた彼が、ニヤリ、と勇ましい笑みを向けると、鈴もまた好戦的な微笑を浮かべた。
「へぇ……上手いもんじゃない」
「だろ?」
「ISに乗り始めて、まだ二週間ちょっと、って聞いていたけど?」
「練習したんだよ」
不敵に応じながら、一夏はゆっくりと立ち上がった。右手に意識を集中させ、《雪片弐型》を展開する。片手正眼に構えると、彼はその切っ先を鈴に向けた。
「かっこよく着地するための練習と、お前を倒すための練習をな」
『それでは両者、規定の位置まで移動してください』
闘技場内に、今回のイベントを運営する本部がある放送室からのアナウンスが響いた。一夏と鈴はほとんど同時に地面を蹴り、ふわり、と浮かび上がる。五メートルの距離を隔てた後、空中で向かい合った。
「鈴、プライベート・チャネルを。周波数は、白式に合わせてくれ」
開放回線で呼びかけると、鈴は怪訝な表情を浮かべながらも頷いた。ほどなくして、白式のISコアが、対峙するISのコアからの呼びかけを受信する。胸の内で、通信を許可、と呟くと、頭の中に、鈴の声が響いた。
『これでいい?』
『ああ』
『それで、どういうつもり?』
『試合開始まで、あと五分もあるからさ。お前とちょっと、話がしたくて』
『奇遇ね』
鈴の細腕を覆う右腕ロボットアームの掌が、淡い光を放った。量子格納領域から大型ブレードを展開。すかさず、白式のISコアが、相手の武装についてコア・ネットワークから情報を収集する。刀身が鈴自身の身の丈ほどもあろう、異形の曲刀《双天牙月》。柄の長さが拳四つ分もあり、左右の手をそれぞれつば元、柄尻へ持っていくことで、薙刀のように腰を入れた苛烈な一撃を可能とする近接兵装だ。
鈴は《双天牙月》の切っ先を、一夏の喉の高さへと掲げ、対戦相手の少年を威嚇した。
『あたしも、あんたとはずっと、話したいと思っていたわ』
鈴は一夏の顔を睨んだ。
『あんた、いったい、どういうつもりなのよ? 約束の意味について教えてくれ、って、あんたの方から言ってきておいて、あの日以来、あたしのことを避けてきたでしょ』
あの日とは、自分が鈴の前から逃げ出した、あのときのことだろう。その指摘通り、一夏はあの日以来、幼馴染みの彼女との接触を避けるよう努めていた。姿を見かければ相手が気づいていないうちにその場から立ち去り、向こうから話しかけられれば、いまは忙しいだの、クラス代表としての仕事があるだの言って、煙に巻いてきた。
中学時代に交わした約束の本当の意味について教えてほしい、とはこちらが頼んだことなのに、その自分が斯様な態度を取るのでは、彼女が腹を立てるのも当然だ。勿論、こちらとて何の理由もなしに、そんな不愉快な行動を取ったわけではないが。
『……それについては、悪かったな』
一夏は素直に謝罪した。自分の行動のために、友人に不快な思いをさせてしまった。そのことについては、謝るべきと判断したためだ。
『ただ、俺にも事情があったんだよ。それについて、いま、話させてくれ』
『事情?』
『なあ、鈴、確認しておきたいんだけどさ、お前、智之さんたち夫婦が何で離婚したのか、詳しい事情、知っているか?』
『……またあの男の話?』
鈴は忌々しげに顔をしかめた。
『そんなの知らないし、知りたくもないわよ』
『……そうか。知らないのか』
知らないのに、あんな言葉を叩きつけたのか。
彼のことを知ろうともせずに、一方的に攻撃したのか。
一夏は悲しげな表情で嘆息した。彼女自身の口から、こうもはっきりと言われては、これまで、いいやそんなはずがない、と、胸の内で否定し続けてきたことを、認めざるをえない。
彼女は、やはり、変わってしまった。
互いにまだ中学二年生だったあの日、自分のかたわらで微笑んでいた彼女は、もういないのだ。
鬼頭智之には離婚歴がある。
いまや鈴は、たったその一事のみをもって、彼がどうしてそんな決断を下すにいたったのかその事情を知らないくせに、また知ろうともしないくせに、彼のことを悪し様に罵り、その顔が昏く落ち込んだ表情になったのを見て、溜飲を下げる。そんな女になり果てた。
その態度はまるで、
まるで――、
――……ああ、そうか。
一夏は、得心した様子で頷いた。
過日、自分と鈴が、まともな会話を最後に交わしたあの日、己は、目の前の少女を恐いと思った。
変わってしまった幼馴染み。自分の理解の及ばぬ存在と化した彼女に対し、得体の知れなさから恐怖の感情が生起した、と思い込んでいた。
しかし、違った。
そう、違ったのだ。
いま、ようやく気がついた。
あのとき感じた、恐怖の由来。
それは、目の前の幼馴染みが変わってしまったことに対する失望などではなかった。
彼女自身が、かつてあんなにも嫌っていた存在にどんどん近づいている事実こそが、恐かったのだ。
『なあ、鈴』
プライベート・チャネルを使った通信では、伝えたいことをわざわざ口に出す手間は必要ない。伝えたい言葉をただ念じるだけで、イメージ・インターフェースがその思念を拾って、気持ちとともに、相手のISコアへと送信してくれる。
鈴は困惑した表情で一夏を見た。頭の中に響く少年の声からは、悲しみや寂しさといった気持ちが感じられた。いったい、なぜなのか。戸惑う彼女に、一夏は言う。
『小学生の頃のことだけどさ、憶えているか? お前、クラスの男子とかからさ、執拗にからかわれたり、いじめられていたよな』
『う、うん』
突然、話題を変えてきた一夏を訝かしみながらも、鈴は頷いた。
『忘れるわけ、ないじゃない』
その頃の記憶は、鈴にとって忌まわしくもあり、大切な思い出でもある。日本に来たばかりの頃、まだ日本語の扱いに不慣れで、新しい環境になかなか馴染めなかった。小学校ではクラスの男子生徒たちから、中国人であるということや、日本にはない独特な発音をともなう名前のことでよくからかわれ、やがてそれは、いじめへと発展していった。
いま振り返ると、その多くは子どものいたずら程度のことではあった。しかし、当時の自分には、それがとても苦痛に感じられたし、ときには、長じたいまでさえ酷いと思うような仕打ちもされた。
そんな自分を助けてくれたのが、《双天牙月》の切っ先を向ける、目の前の少年だった。
特に印象深い記憶は、出会ってまだ二週間くらいのときのことだ。クラスメイトの男子四人が、揃ってニヤニヤ笑いながら、「リンリンって、パンダの名前だよなあ」と、名前のことと、鈴が中国人であるということ、そして日本では有名な中国からやって来たパンダの名前を引き合いにして、からかってきた。いつものことだったので無視していると、そんな態度が癇にさわったのか、一人の男子が後ろから彼女を羽交い締めにし、別の男子が、その辺りに群生していた雑草をむしって、「ほら、パンダなら笹食えよ、笹」と、無理矢理食べさせようとしてきた。鈴が涙ながらに、嫌だ、やめて、と訴えると、加虐心を刺激されたらしい彼らはいっそういやらしい笑みを浮かべて、土のついた雑草の根を押しつけてきた。
そんなとき、いじめっ子を後ろから殴りつけたのが一夏だった。彼は四人を相手にたった一人で大立ち回りを演じた。いじめっ子たちはよってたかって一夏を蹴ったり叩いたりしたが、彼の反撃の方がいっそう苛烈だった。いじめっ子たちは、最後には等しく泣きわめいていた。
小学生男子の形成する独特な社会文化において、腕力の強さは重要な要素だ。凰に手を出すと、織斑がやばい。この事実を知らしめたことで、以来、鈴に対するからかいやいじめは激減していった。
両親の他に、この国には自分の味方なんていない、と思い込んでいた時期だけに、一夏が示してくれた強さと優しさは、幼い鈴の心に強い印象を残した。いじめを受けていたという記憶は消し去りたい思い出だが、同時に、あの苦い経験があったからこそ、その苦境から救い出してくれた一夏と仲良くなるきっかけが得られたもまた事実。鈴にとって当時の記憶は、忌まわしさと尊さが両立する、忘れがたい思い出だった。
『いじめに遭っていたあたしを、あんたが助けてくれた。あんたにとっては、当たり前のことだったのかもしれないけど、当時のあたしは、あんたがしてくれたことが、すごく嬉しかった。忘れられるはずが、ないじゃない』
『そうか。……なあ、鈴。お前、気づいているか?』
あの頃のことを、ちゃんと憶えている。何があったのか、という事実だけではなく、その頃に感じていた痛みや苦しみ、解放されたときの喜びも、しっかり憶えているという。
それなら、なぜ、
なら、なんで――!
『智之さんのことを、悪く言うときのお前……、あのとき、お前をいじめていた男子と、そっくりな顔をしているぞ!』
凰鈴音は中国人である。
たったその一事のみをもって、鈴がどんな人物なのか知らないくせに、また知ろうともしないくせに、彼女のことをからかい、いじめていた、あのいじめっ子たち。
そうだ。いまの鈴は、あの連中に、そっくりなのだ。
だから、恐れた。
鈴が、いちばん嫌っているやつらと、同じ存在へ成り果てた事実を認めたくなくて、しかも、彼女がすすんで“そう”あろうとしていることが、恐くなった。
これ以上、幼馴染みのそんな姿を見ていたくなくて、だから自分は、あの日、その場から逃げ出したのだ!
『なあ、鈴! お前、どうしてそんな――――っ』
切々とした感情を託し伝えられた一夏の言葉を、鈴は愕然とした表情で受け止めた。
指摘されて、ようやく気がついた。
たしかに、その通りだ。
いまの自分は、あのとき、自分をいじめていた男子たちと同じ……。
――……違う。
《雪片弐型》を正眼に構える一夏の表情が、恐怖に凍った。
自分を睨む鈴の顔つきが、憤怒の形相へと化していく。
『……あたしは、悪くない。あたしが、そうせざるをえなくなったのは、全部、あの男みたいな、大人たちのせい!』
『鈴……!』
『あたしは、悪くない!』
頭の中に、がんがん、と響く怒声。
しかしそれは、一夏には悲鳴のように思えた。
試合開始のブザーが鳴り響いた。
その音が途切れぬうちから、スラスターの出力を最大まで振り絞った甲龍が、牡丹色の砲弾となって白式へと突っ込んでいく。左手を鍔元に、右手を柄尻へと添えて、双天牙月を逆八相に振りかぶると、渾身の力をもって叩きつける。
対する一夏は、雪片弐型を下段にとり、体を斜めに傾けながら、刃渡り一・五メートルの大太刀を刷り上げる。
異形の青竜刀は白式の右肩のアーマーをかすめていった。見た目よりもずっと大質量の武器だったらしく、かすっただけなのに、物凄い衝撃が一夏の体を揺さぶった。
――ぐっ……この!
気を抜くと振動で暴れ出しそうになるロボットアームを、手首を締めてなんとか押さえる。手の内を崩すことなく放たれた下段からの斬り上げが、甲龍の右腕へと炸裂した。シールドバリアーを突破。実体ダメージ。たまらず、鈴は後ろに飛び退いた。そうはさせじ、と一夏も追う。
白式と甲龍とでは、単純な機動性は前者の方が勝る。両者の間合いは、あっという間に煮詰まった。
後退しながら、鈴は《双天牙月》をもう一振、量子格納領域から引っ張り出した。もう一本の双天牙月と柄尻同士を連結させ、ダブルセイバー・モードへと形態変更。バトンのように回しながら、追い打つ一夏の打ち込みの連打を、上下左右に弾き、防いだ。連続攻撃をいなされたばかりか、高速回転の運動量に翻弄され、雪片弐型が上へと弾かれてしまう。がら空きになる胴体。鈴の双眸が、ギラリ、と残忍な眼光を灯した。
肩部アーマーのかたわらで浮かぶアンロック・ユニットが、ばかっ、とスライドし、開いた。龍の顎の中で、中心部にはめ込まれた球体状のモジュールが、剣呑に輝く。
直後、衝撃が、白式の上体を襲った。
鈴の放った“目には見えない拳”が、一夏の体を打ちすえる。
一瞬、ぐらり、と暗闇に傾きかける意識。イメージ・インターフェースによってその稼働を制御されているスラスターから急速に勢いが失われ、遅速する。
鈴はその隙に、一夏の間合いから、するり、と逃れていった。
白式よりも高高度に身を置くと、また、アンロック・ユニットの球体を光らせて、“見えない拳”を発射した。
「ぐあっ」
どん、どん、どん、と滅多打ち。悲鳴を迸らせながら、一夏は地表へと叩きつけられた。うつ伏せの背中に降り注ぐ、不可視の追い撃ち。くそっ、と吐き捨てて、一夏は横転して攻撃の雨あられを避けると、回転運動の勢いを利用し立ち上がった。
上空の鈴を、鋭く睨む。
――いまのが……。
鈴の甲龍が、第三世代機に分類される理由の一つ。
空間自体に圧力をかけて砲身を生成し、余剰で生じる衝撃それ自体を砲弾として撃ち出す、特殊兵装《衝撃砲》!
――見えない砲弾……厄介な武器だな。
武装は近接ブレードが一振のみという割り切った仕様の白式だ。攻撃を叩き込むためには、とにもかくにも相手との間合いを詰めねばならない。ただ接近することでさえ難しいというのに、その上、見えない攻撃を凌ぎながらやらねばならないとは!
しかし、鈴を睨む一夏の顔に、想像していた以上の脅威に対する驚きはあっても、臆した様子はなかった。
敵ISが保有する戦力については、クラスのみんなが情報収集に協力してくれたおかげで、試合前からおおよそのことを把握出来ていた。勿論、《衝撃砲》なる兵装への対策も用意している。問題は、いざ実戦でそれが通用するかどうかだが。
いいや、と一夏はかぶりを振った。
《雪片弐型》を、脇に取る。
――通用する、しないじゃない。通用させるんだ!
今日の試合のために協力してくれた、みんなの顔を思い出す。情報収集に尽力し、未知なる兵器への対抗策まで一緒に考えてくれたクラスメイトたち。その特訓に付き合ってくれた箒とセシリア。自分も忙しい中、白式の整備に時間を割いてくれた鬼頭。自身の努力に加えて、彼らの助力を得ているのだ。通用させなければ、申し訳が立たぬ。
決然と頷くや、一夏はハイパーセンサーのモードを切り替えた。
◇
「私たち、大人のせい、か」
Aピットルーム。
打鉄を展開した状態の鬼頭は、悲しげに呟いた。
タブレット型の情報端末で試合をモニターする真耶が、その横顔を心配そうに見つめている。緊急時への備えから、プライベート・チャネルによる通信は、教員たちに限って、専用の情報端末を使うことで傍受することが出来る。当然、先ほどの一夏と鈴の会話も聞いていた。
会話の内容から察するに、どうやら鈴が変わってしまった原因は、自分のような大人にあるらしい。
自分たち大人がなした仕打ちのせいで、不幸を背負うことになった。
いまだ全容は見えてこないが、これまでに得られた僅かな情報を頼りに鈴の境遇について想像すると、以上の答えが導き出せる。
すなわち、彼女は陽子や、智也と同じ――、
「……何をやっているんだ、俺たちは」
短い言葉に篭められた、万感の想いを察して、幼い教員は泣きたい気持ちになった。
Chapter19「試合開始」了
クラス対抗戦の、一週間前――。
名古屋市名東区、アローズ製作所本社ビル。
パワードスーツ開発室に与えられた専用のオフィスで、強化服開発の指揮を執る桜坂のもとに、一本の電話がかかってきた。
室長用のデスクに置かれている内線機器の受話器を手に取り耳に押し当てると、『お疲れ様です。総務の河合です』と、甲高い女性の声が耳膜を震わせた。総務部部長の河合晴美だ。桜坂よりも五つ年上の五一歳。勤続二八年の大ベテランだ。熟女好きの桜坂は、彼女の声を聞いて思わず相好を崩した。
「お疲れ様です。パワードスーツ開発室の桜坂です」
『桜坂室長、いま、お時間よろしいですか?』
桜坂はオフィス内を、ぐるり、と見回した。開発室の精鋭たちは、各々自身の業務に集中している。この様子なら、いましばらくの間は、通話中に彼らから声をかけられるようなこともないだろう。
「ええ、大丈夫ですよ。それで、どうされました?」
『先ほど消防庁から広報課宛てに電話がありました』
「消防庁から?」
思わず口に出してしまったその呟きに、室内にいる何人かが反応して顔を上げた。消防庁といえば、将来、災害用パワードスーツを売り込もうと考えている最も有力な顧客候補の一つだ。はて、室長はいま、誰と、何の話をしているのか。
『はい。消防庁と総務省の職員何名かで、わが社のパワードスーツ開発室を見学したい、という申し出でした』
桜坂の大振りな双眸が、ギラリ、と光った。仁王の顔に険が宿る。
『いま、詳しい内容についてのメールを、室長の専用端末に送ったので、確認しておいてください』
「分かりました。わざわざありがとうございます」
受話器を置いて、早速、個人用端末にインストール済みの電子メール・ソフトを起ち上げた。受信フォルダをチェックすると、なるほど、たしかに総務課から未読であることを示すマークのついた電子メールが届いている。中身を検めると、そこには、名古屋市消防局の総務課課長の名前で、千種消防署の署長や、特別消防隊の隊員を含む消防庁の職員八名と、総務省の役人二名、そして警察庁の職員一名からなる一団での、見学申請に関する問い合わせが記されていた。一分ほど黙然と読み込んだ後、桜坂は立ち上がり、みなの顔を見回した。
「皆さん、そのままでいいので聞いてください」
朗々たる声が、広いオフィスの四隅にまで行き届いた。
「いま、総務部より連絡がありました。先ほど、広報課のところに、名古屋市の消防局から電話があったそうです。用件は、我々パワードスーツ開発室の仕事を見学させてほしい、との依頼でした」
「見学ですか?」
訊き返してきたのは開発室最年長の酒井仁だった。桜坂は頷くと、メールに記載されていた文面を読み上げる。
「そうです。ほら、昨年の十二月に、東京ビッグサイトでやったじゃないですか? 国際ロボット展」
一般社団法人・ロボット工業会と、日刊工業新聞社が主催する、ロボット専門の展示会だ。一九七四年の初開催以降、二年に一度の頻度で開催されている。二六回目を迎えた昨年の展示会では、アローズ製作所を含む九百以上の企業・団体が出展し、四日間の開催で来場者は二十万人突破という成功を収めた。
昨年のロボット展で、アローズ製作所は新型の重作業用ロボット二種類の他に、現在開発中の災害用パワードスーツの試作品として、XI-01のお披露目をしていた。当時、XI-02は組み立て作業が完了したばかりの頃で、とてもではないが、そんな規模の展示会に出展出来るような状態ではまだなかった。
XI-02と比べた場合、あらゆる性能が大きく劣るXI-01だが、それでも、ベンチプレス八百キログラムというパワーは、来場者たちの心に強いインパクトを刻んだ。
車両重量六五〇キログラム、スズキのアルトを軽々と持ち上げてみせるパフォーマンスに対する観客の反応は上々。桜坂が「このスーツは災害用パワードスーツの開発に必要な基礎の技術を修得するための物で、自分たちは現在、より高性能で実戦的なスーツの開発を行っている」と、口にすると、拍手喝采が巻き起こった。投資家たちからも、期待しているよ、との言葉を引き出すことが出来、室長と設計主任者はその晩、二人仲良く祝杯を傾けたという。
「あのときのパフォーマンスを、消防庁の職員も見ていたらしいんです。それで、我々の災害用パワードスーツに、強い関心を抱いたんだとか」
「やったじゃないですか!」
期待に満ち満ちた歓声を上げたのは金髪のトム・W・田中だった。
大口の発注や、世間への口コミ効果も期待出来る公的機関が、自ら、御社の製品に興味がある、と申し出てきた。
災害用パワードスーツの商品化は勿論のこと、自分たちの作った強化服を世界中に普及させる、と大望を抱く彼らにとって、消防庁からのアプローチは、まさに棚からぼた餅が落ちてきたようなものだった。
なにしろ、災害用パワードスーツの導入に、はじめから前向きな姿勢を見せている相手だ。マーケティングを挑む上で、これほどやりやすい相手はいない。見学会の結果如何によっては、日本中の消防車に、自分たちのパワードスーツが積み込まれる未来にかなり近づけるだろう。また、消防庁がアローズ製作所で開発中の災害用パワードスーツを高く評価した、となれば、国内外への宣伝効果も見込める。たとえば、日本の自衛隊などだ。もっとも、自分たちのパワードスーツの技術が軍事利用されることを嫌って、わざわざ日本の企業の門を叩いた鬼頭たちだ。軍事組織である自衛隊への売り込みは、いまのところ考えていないが。
「これはなんとしても見学会を成功させないといけませんね!」
そう言って張り切るトムだったが、険しい面持ちでパソコンのディスプレイを眺める室長を見て、彼は怪訝な表情を浮かべた。はて、自分たちにとってこれは喜ばしい事態のはずなのに、なぜ、そんな顔を?
「気分が乗らなさそうですね?」
室長の態度を不審に思ったのは、トムばかりではない。今度は滑川雄太郎が話しかける。
「室長は、見学団の受け入れに、反対なのですか?」
「いえ、そういうわけではないのですが……ちょっと、気になることがありまして」
「気になること?」
「見学を希望しているという十一人なんですが……」
桜坂はパソコンのディスプレイを回転させると、みなに画面を示した。
「消防庁から派遣される八人の目的は明らかです。将来、災害用パワードスーツを導入したとして、実際に運用するのは彼ら消防庁のスタッフですからね。技術ショーでその存在を示唆された新型のスーツが、どんな性能を持ち、開発がどこまで進んでいるのか、自分たちの目で確かめたい、と思ったのでしょう。
総務省から役人が送られてくる、というのも、まあ分かります。消防庁は総務省の外局ですから。消防庁が導入を検討している装備が、はたして、お金と時間をかけてまで採用するほどの価値がある物なのか見極めるために、人を送ることにしたのでしょう。
分からないのは、警察庁の職員とやらです。消防庁の見学会に、なぜ別組織の人間が関わってくるのか。その目的は何なのか。そのあたりのことが分からないというのが、どうも、ね。引っかかるんですよ。なんというか、すっきりしない。妙な気持ち悪さがある」
「では、見学の申し出は断るつもりなので?」
「いやあ、それはそれで、勿体ない気がするんですよねえ」
桜坂は悩ましげな溜め息をついた。
「向こうから見学を希望したい、と言ってくれている。こんな機会、そうそうありません。
それに、トムの言ったように、彼らを受け入れることで得られる利益は大きい。商売上の理由もそうだし、なにより、実際に消防や災害の現場ではたらく消防士たちから、ナマの意見を聞き取れる、また、とない機会です」
いま現在、パワードスーツ開発室ではXI-02二号機をどんな仕様とするか、デザインしている最中だった。これに、現場ではたらく人間の経験知を反映させることが出来れば、災害用パワードスーツとして、より完成度の高いスーツが作れるだろう。
「警察庁の職員とやらが何を考えているのかが不気味なだけで、見学会そのものを実施するメリットは大きいといえる。私個人としては、賛成ですよ」
「では!」
「ええ。日程の調整と、何を見せるか、計画を練りましょう」
室長の号令を受けて、オフィス内のライト・スタッフたちは慌ただしく動き始めた。
その様子を眺めながら、桜坂は、
――警察官が一人……まさかとは思うが、公安警察か、内閣情報調査室か……? もし、そうだとしたら、狙いは鬼頭絡みか、産業スパイ対策か……。
などと、渋い表情を崩さなかった。
――それとも、あれの所在について調べているのか?
またもやらかした捏造設定。
小学生の鈴に行われた“からかい(原作表現)”を拡大解釈しまくった結果、この有り様よ!
さて、当初の予定ではもっとバトル・メインの回でした。
しかし、一夏と鈴の会話のシーンを書き始めたら、キーを叩く指が止まらなくなり、その部分だけでも結構な文章量に……。
この上、バトルまで突っ込んだら3~4万字いきそうだったので、キリのよいところで区切りました。