この小さな世界で愛を語ろう   作:3号機

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ようやくここまで辿り着きました。

本作の構想が思い浮かんだとき、いちばんに書きたいと思ったシーン、

彼に言わせたいと思った言葉。

ようやく、披露できる……。


Chapter21「この小さな世界に、その愛の言葉は響く」

 

 第二アリーナ・Aピットルーム。

 

 突如として闘技場内に侵入した正体不明のISが、一夏たちに向けて攻撃を開始したのを見て、山田真耶は、自身の顔から血の気が引いていくのを自覚した。

 

 闘技場内の各所に仕込まれている観測機器によれば、謎のISが発射したビームは、荷電粒子砲の一種とのこと。秒速一万四千キロメートルものスピードで発射された陽子の奔流は、アリーナの遮断シールドをも突き破るほどの威力を有しているという。そんな恐ろしい武器が、自分の生徒たちに向けられている。その事実を認めたくない気持ちから、体が脳への血流を鈍らせているものと考えられた。

 

 しかし、真耶はこのIS学園の教師だ。どんなに受け入れがたい現実でも、生徒たちを守るために、直視する必要がある。

 

 臍下丹田に、えいやっ、と力を篭め、真耶は抱えていたタブレット端末を起ち上げた。この機器には、ISのプライベート・チャネルとまったく同じ機能、同じ性能の通信装置が搭載されている。回線の周波数を織斑機、凰機に合わせると、彼女は黙然と話しかけた。

 

『織斑くん! 凰さん! 今すぐアリーナから脱出してください! すぐに先生たちがISで制圧に行きます』

 

『――いや、先生たちが来るまで、俺が食い止めます』

 

 やや間を置いてからよこされた返答の内容に、真耶は思わず息を呑んだ。

 

 応答の最中にも、謎のISは連続して荷電粒子砲をぶっ放し、一夏たちを追いつめている。

 

『あのISは遮断シールドを突破してきました。それほどの攻撃力を持った相手です。先生たちが来るまでの間、誰かが相手をして足止めをしなきゃ、観客席のみんなが危ない!』

 

『お、織斑くん!?』

 

『い、一夏、アンタ何言って!?』

 

『それよりも、鈴を! 白式はまだ、シールドエネルギーが二割くらい残っています。けど、甲龍は!』

 

 一夏の言う通りだった。

 

 つい今しがたまで、一夏の白式と激しい試合を繰り広げていた鈴のISは、シールドエネルギーの残量が僅か二ポイントしか残っていない。機体自体も損傷著しく、右腕のロボットアームにいたっては、手首から先を切り落とされてしまっている。兵装も、エネルギー残量の問題から、衝撃砲はもう使えないだろうし、近接武器の《双天牙月》も、予備を含めて非連結状態の青竜刀が一振のみという有り様だ。戦力未知数の相手と戦えるような状態ではない。

 

 しかも、謎のISは心なしか、甲龍の方を狙ってビームを発射することが多いように見えた。白式に向けて一発撃つ間に、甲龍の方には三発は撃ち込んでいる。いまのところ、なんとか命中せずにすんでいるが、このままではジリ貧だろう。

 

『さっきからピット・ゲートにアクセスしているのに、反応がないんです! なんとかして、鈴を!』

 

『織斑』

 

 真耶のかたわらに立つ千冬が口を開いた。真耶が、ちらり、と振り向いたその横顔には、彼女にしては珍しい、焦燥の色がうかがえる。タブレット端末を操作して、白式と甲龍にデータを送信した。

 

『いま、そちらに第二アリーナのステータス情報を送った。確認しろ』

 

『……受け取りました!』

 

 袈裟がけに振り抜かれた豪腕の一打を、《雪片弐型》を斜に構えることで受け止め、流しながら、一夏が応じた。大型モニターに映じる少年の顔が、忌々しげに硬化する。

 

『遮断シールドが、レベル4にロック!? 館内の扉も全部、解除不能って……千冬姉っ!』

 

『織斑先生だ。そうだ。おそらく、そのISの仕業だろう』

 

 千冬は苛立たしげな口調で応じた。

 

 外部からのハッキングにより、遮断シールドのみならず、ピット・ゲートを含む館内すべての扉が閉鎖されてしまった。これでは、闘技場内の二人は勿論、観客席の生徒たちの非難も出来ない。教員部隊による、救援を送り込むことも……。

 

『現状、凰をその場から非難させることは不可能だ。現在、三年生の精鋭がシステムクラックを実行中だが、それが終わるまで、なんとしても凰をまもっ――』

 

「織斑先生」

 

 千冬の言葉は、途中で遮られた。打鉄を身に纏った鬼頭が、硬い表情のまま声をかけたためだ。

 

「何です、鬼頭さん?」

 

「つまり、遮断シールドと扉のロックを解除すればよいのですね?」

 

「え、ええ」

 

「なるほど。では、私に、第二アリーナの管制システムにアクセスする許可をください」

 

「……解除、出来るのですか?」

 

 千冬は鋭い眼差しで鬼頭の顔を見上げた。かたわらの真耶も、驚いた表情で男の顔を茫然と見つめる。

 

「システムの状況を見てみないことにはなんとも」

 

「……分かりました」

 

 千冬は小さく頷いた。

 

 いまでこそ、スポーツ競技としての立場を確立したISだが、その本質は兵器であり、軍事力だ。兵器の扱い方を教えるこのIS学園は、準軍事組織といえる。そして学園では現在、非常時の指揮権を世界最強の女傑、ブリュンヒルデへと委ねる仕組みが構築されていた。

 

「許可します」

 

 千冬は、有事における最高責任者としての立場から、鬼頭の申し出を聞き入れることにした。第二アリーナを管制するシステムの構造をさらすことは、防犯上問題だが、いまは非常時だ。人命には変えられない。

 

 それに対し、鬼頭は「ありがとうございます」と、小さく頭を下げ、ロボットアームから両腕を引き抜き、空間投影式のディスプレイと、キーボードを出力した。キーボードを軽やかに叩きながら、打鉄のISコアを、この第二アリーナの管制システムに同期させる。ディスプレイに表示させた情報を読み込むこと、たっぷり十秒。鬼頭は、ゆっくりと口を開いた。

 

「三十秒、時間をいただけますか?」

 

 千冬からの返答を待たず、鬼頭の指先は、クラッキングに向けて早くも動き始めていた。

 

 その問いかけに、教師二人だけでなく、セシリアや陽子も驚く。IS学園の精鋭プログラマーたちが、総掛かりで挑んで、解除に苦戦しているのを、まさか、そんな短時間で……。

 

 空間投影式ディスプレイに視点を固定したまま、鬼頭は言う。

 

「状況としては、第二アリーナの各種設備のコントロール権が、我々から外部の何者かへと移っている状態です。原因は、管制システムに打ち込まれた、ウィルス・プログラムのせいですね。これを駆逐するためのワクチン・ソフトをいまから作り……いえ、作りました」

 

 ここまでで十八秒弱。作成したワクチン・ソフトを、打鉄のISコアを介して、第二アリーナの管制プログラムへとばら撒いた。空間投影式ディスプレイに、コンマ・〇〇〇〇〇一秒ごとに増殖していくウィルス・プログラムを、それ以上の速さでワクチン・ソフトが除去していく様子が映じた。慌てて、千冬と真耶は各々手元のタブレット端末に目線を戻した。館内の非常扉、防火壁、消火装置などのコントロールが、次々と千冬たちのもとへ戻っていく。

 

「あと、十秒お待ちください」

 

 タブレットの画面を食い入るように見つめる二人に、鬼頭は言った。

 

 その宣言通り、十秒後には、館の全設備のコントロール権が取り戻された。

 

「織斑先生」

 

「ええ。鬼頭さん、ありがとうございます」

 

 千冬は頷くと、タブレット端末の通信装置をアリーナの中継室へとつなげた。

 

『こちらピットルームAの織斑だ。中継室、聞こえるか? 聞こえたら応答しろ』

 

『あ、は、はい。こちら中継室ですっ』

 

 本日の試合の審判役を務める教員の声。心なしか、安堵しているように聞こえるのは、つい先ほどまでは通信機能すら使えなかったためだろう。それが復旧したということは……。よし、と頷き、千冬は彼女に指示を出す。

 

『館内のコントール権はこちらが取り戻しました。全館放送で、生徒たちに対して避難指示を出してください』

 

『わ、分かりましたっ』

 

「……さて」

 

 千冬が中継室に指示を出すのを見届けた後、鬼頭はディスプレイとキーボードを閉じた。両の腕を再びロボットアームへと通し、さも当然のように、ピット・ゲートへと向かう。

 

「き、鬼頭さん!?」

 

 それに気がついた真耶が、慌てて彼に声をかけた。

 

「どこへ行くつもりですか?」

 

「決まっているでしょう」

 

 打鉄を着込んだ鬼頭は、ロボットアームの人差し指でピット・ゲートを示した。

 

「闘技場内へ。二人を助けに行かなければ」

 

「だ、駄目です! 危険すぎます!」

 

「そうです、鬼頭さん。さすがにそれは許可出来ません」

 

 中継室との通信を終えた千冬が、鬼頭を睨んだ。

 

「あなたのおかげで、ピット・ゲートのコントロール権もこちらに戻りました。織斑たちについては、隙を見てゲートを開き、避難させればいいだけのことです。わざわざ、あなたが向かう必要はありません」

 

「……先生方の部隊の準備が整うまで、あとどの程度かかりますか?」

 

 鬼頭の鋭い問いかけに、千冬と真耶は揃ってばつの悪い顔をした。

 

 彼の言う通り、教員たちが突入部隊を編成し終えるまでには、最低でもあと八分、時間が必要だろう。

 

「あのISは、試合中で最大強度まで出力を高めた遮断シールドを突き破るほどの攻撃力を持っています。アリーナの外に出て、暴れられたりしたらたいへんだ。二人をアリーナから脱出させた後も、誰かが中に残って、足止めをするべきです」

 

「お父様っ、それなら、私が」

 

 待機状態のブルー・ティアーズを耳元で輝かせながら、セシリアが言った。最近、ISに乗り始めたばかりの鬼頭よりも、代表候補生で、専用機との付き合いも長い自分の方が適任だ、という判断からの発言だ。

 

 また、イギリス国において、代表候補生は軍の士官候補生と同じ扱いを受ける。こうした非常時に備えた訓練も、日頃から積んでいるという自負があった。

 

 しかし、鬼頭はセシリアの申し出に対し、あえてかぶりを振った。

 

「セシリア、きみはここにいなさい」

 

「な、なぜっ!?」

 

「誤解しないでくれ。べつに、きみの力量や、立場を軽んじているわけではないよ。ただ……」

 

 鬼頭は完爾と微笑むや、ロボットアームから右腕を引き抜いた。その場にかがみ込み、セシリアの頭を、そっと撫でさすった。

 

「きみにとってはごっこ遊びの類いなのかもしれないが、いまの私は、きみの父親役だ。娘のきみを、危地には送り込めない」

 

「お、お父様……」

 

 鬼頭はかがんだままの体勢で、千冬と真耶を見た。身長差が縮まったことで、二人の顔が先ほどよりもよく見える。二人とも、彼が口にした論理の正しさを理解しつつも、感情が納得出来ないといった、不満と不安の入り混じった顔をしていた。そんな彼女たちに、鬼頭はもう一度、深々と頭を垂れた。

 

「織斑先生、山田先生、お願いします。私に、子どもたちを助けさせてください」

 

「……わかり、ました」

 

 千冬は、苦渋に満ち満ちた、忌々しげな表情で頷いた。

 

「救出と足止めを、許可します」

 

「ありがとうございます」

 

「ですがっ、危ないと思ったときには!」

 

「ええ。勿論、分かっています」

 

 ちゃんと戻りますよ、と言葉短く応じて、鬼頭は立ち上がった。みたびロボットアームに腕を通し、今度こそ、と一同に背中を向ける。

 

「父さん!」

 

 いくさ場に向かおうとする男の背中に、愛娘が声をかけた。ハイパーセンサーのおかげで、振り返らずとも、どんな顔をしているのかは見えていた。

 

 彼女は、泣きそうな顔をしていた。

 

 あの扉の向こう側に待つ戦いの激しさと、厳しさを思い、不安から、泣き出しそうになっていた。けれど、

 

 ――さっき、父さんは、子どもたちを、って言った。織斑君や鈴の名前を呼ばずに、子どもたちって……。

 

 二人のことをそう呼んだ父の心情を理解しているがゆえに、彼女は、鬼頭の歩みを止めようとはしなかった。

 

 陽子は拳を握った右腕を前に突き出すと、親指……俗にお父さん指と呼ばれる指を立てて、声援を送った。

 

「思う存分、やっちゃって!」

 

「……勿論だ」

 

 鬼頭は力強く頷いた。

 

「スーパーマンの出番だ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インフィニット・ストラトス二次創作

 

「この小さな世界で愛を語ろう」

 

Chapter21「この小さな世界に、その愛の言葉は響く」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日の物理学の定義によれば、物質とはすべからく原子でできており、原子は、陽子、中性子、電子によって構成されている。このうち、陽子はプラスの電気を、電子はマイナスの電気を持っており、こうした電気を持っている粒子のことを、荷電粒子と呼ぶ。荷電粒子には、電圧をかけると高速で運動するという特徴があり、例えば、陽子におよそ百万ボルトの電圧をかけると、音速の四万倍以上ものスピードで飛び出すことが判っている。こうした荷電粒子の特徴を最大限に活かした兵器が、荷電粒子砲だ。いわゆる粒子ビームの一種で、荷電粒子の高速運動に一方向への指向性を持たせ、発射するのである。

 

 数あるビーム兵器の中でも、荷電粒子砲の魅力はその破壊力だ。僅か一グラムの陽子でも、音速の四万倍の速さ……秒速一万三六〇〇キロメートルの速度で発射されれば、その運動エネルギーの総量は、およそ九二ギガジュールにもなる。今日、最もポピュラーな拳銃弾といえる九ミリ・パラベラム弾の銃口初速時の運動エネルギーがおよそ五〇〇ジュールだから、その一万八五〇〇発分に相当するエネルギーだ。TNT火薬で換算した場合では、およそ二二トン分が爆発したときに発生するエネルギーに相当。爆弾倉をめいっぱいにしたB-29爆撃機が二機、超スピードで突っ込んでくるようなものだ。

 

 また、物質の“もと”である原子をさらに構成する“もと”である以上、当然のことだが、陽子は小さい。一グラムの陽子とは、およそ六千垓個だ。これを粒子ビームとして発射するということは、物凄く小さな弾丸を恐ろしい速さで撃ち出す散弾銃のようなもの。“点”ではなく、“面”に対する破壊効果が期待出来る。

 

 このように破壊力に優れる荷電粒子砲だが、兵器として見た場合、欠点もある。大きなものは、主に二つ。

 

 一つ目の問題点は、粒子加速器の小型化が非常に難しいことだ。荷電粒子には磁場の影響により偏向してしまう、という厄介な特性がある。そのため、地球上では地磁気が、宇宙空間では太陽風などの荷電粒子束が、ビームの直進を妨げる要因となる。これを防ぐためには、質量の大きな荷電粒子を用意すればよいが、その実現には、粒子加速器に最低でも十ギガワットの給電能力が必要だ。十ギガワットといえば、世界最大の原子力空母ニミッツ級に搭載されている原子炉が、百秒近く発電に努めてようやく用意できるほどのエネルギーである。このことが、荷電粒子砲の小型化を困難にしていた。

 

 二つ目の問題点は、射程の短さだ。荷電粒子砲を地球上で使用すると、ある一定距離まではエネルギーの減衰がほとんどないのに、ある距離を超えると、急激に勢力が失われてしまい、ついには完全に停止してしまう、ブラッグピークと呼ばれる減退の問題が発生する。いかに強大な破壊力を有していようとも、発射の際に十ギガワットものエネルギーを費やしておいて、射程が数百メートル程度では、費用対効果は低いと評さざるをえない。

 

 これら二つの問題点のために、従来、荷電粒子砲の分類は、実際の戦場には持ち込みづらい、実験室止まりのSF兵器とされてきた。

 

 そんな状況を一変させたのが、ISの登場という大事件だった。

 

 ISの動力源たるISコアの出力は、荷電粒子砲の運用に必要とされる給電能力の問題を、あっさりとクリアしてしまった。また、篠ノ之束博士が開発したナノマシンの技術は、粒子加速器の小型化という問題をもある程度解決に導いた。射程の短さも、IS自体がマッハ一とか、マッハ二といった機動力を持っているために、運用法の工夫により、問題にならなくなった。射程が短いのならば、届く距離まで近づいて撃てばよい、というわけだ。事実、いちばん最初に開発されたISとされる『白騎士』も、荷電粒子砲をそのように扱っていた。

 

 こうした理由から、荷電粒子砲はISが運用する場合に限り、実戦的な兵器としての地位を確立させた。

 

 その圧倒的火力は、ISバトルにおいても猛威を振るう、危険極まりない武器とされていた。

 

 

 

 ――そんなヤバい武器を、あのISは二門も装備して、しかも連発してきやがる!

 

 第二アリーナ闘技場。

 

 突如として現われた謎のISより放たれた砲火の嵐をなんとか避けながら、一夏は、この場から鈴を逃がすにはどうすればよいか、懸命に頭をはたらかせていた。

 

 自分との試合の結果、鈴のISのシールドエネルギーは、たった二ポイントしか残っていない。荷電粒子砲の直撃を一発でも受ければ、大ダメージは必至だ。絶対防御も、シールドエネルギーがエンプティの状態では、どこまでアテに出来るか分からない。最悪の場合、操縦者が死ぬことだってありえるだろう。

 

 ――鈴が死ぬ? そんなこと、させてたまるかよ!

 

 一夏は直径二〇〇メートルの闘技場をいっぱいに使って、白式を縦横無尽に機動させた。見た目が派手々々しい、アクロバティックなマニューバを多用することで、相手の意識を自分に集中させようと努める。

 

 しかし、謎のISはその誘いをことごとく無視した。彼女は一夏に向けて一発撃つと、彼がその対処に手間取っているうちに、鈴に対しては三発発射、というように、甲龍のことを執拗に狙った。いまのところ上手くかわしてくれているが、このままではいずれ……、

 

 ――クソッ!

 

 撃たれてばかりでは埒が明かぬ、と一夏は敵性ISに向けて斬り込んでいった。

 

 ウィング・スラスターを断続的に噴かすことで、緩急のついた、かくかく、とした変則的なマニューバをとる。照準を定めさせない動きで迎撃の砲火を翻弄しながら、じりじりと間合いを詰めていった。地上に棒立ち状態の敵のもとまで、あと五メートルに距離に迫る。スラスターの力を振り絞り、相手の左斜め前方より突進をかけた。地擦りにとった大刀で、相手の左脚を鋭く払い上げる。

 

 これに対し、敵ISは、その巨躯からは想像しがたい機敏な動きで、一夏の接近を、するり、と、一夏から見て左に避けた。全身に搭載された姿勢制御用スラスターがなめらかに駆動し、巨体が、一夏の非利き手側へと回り込む。一夏は咄嗟に刀を引き戻し、胸元をガード。すれ違いざまにぶん回された右腕による、鞭のような打撃をブロックする。白亜の鎧武者の体は衝撃で吹き飛び、地面を転がった。追い撃ちへの警戒から、一夏は身を硬くする。しかし、予想した攻撃は、いつまで経ってもやってこない。当然だ。一夏を吹っ飛ばしたことで、その脅威はひとまず除かれた、と判断したらしい敵ISは、こちらに背を向け、両腕の荷電粒子砲を鈴へと向けていた。

 

 ――アイツ……ッ! 

 

 PICによる制動力を振り絞って立ち上がる。《雪片弐型》を八相にとり、背後から袈裟懸けに襲いかかった。

 

「鈴を、やらせるか!」

 

 後方からの攻撃に反応し、敵ISが振り返る。回転と同時に振り抜かれた長い両腕が、振り下ろし途中のブレードの横っ面を連続して引っぱたく。刀を弾かれ、がら空きになった胴体めがけて、鋭いフックが二発、炸裂した。内臓を圧迫する強烈な痛み。またも吹っ飛ばされた一夏を、今度はその軌道上に回り込んでいた鈴が受け止めた。掌の部分を失った状態でも、抱き留めるくらいのことは出来る。

 

「一夏っ、大丈夫!?」

 

「ごほっ……あ、ああ。……これくらい、大したことないさ」

 

 鈴の腕の中で咳き込む。苦悶に痙攣する表情筋を一喝し、なんとか、微笑んでみせた。微笑んだつもりだった。幼馴染みの少女に心配をかけまいと、まだまだ余裕だぜ、という演出のために浮かべたつもりの微笑は、実際にはいびつな表情としてあらわれ、鈴の胸をかえって苦しませた。

 

 ――あたしのせいで、一夏は、こんな……!

 

 甲龍の各種センサーを駆使して、腕の中の白式と、それを着る一夏の状態を走査する。

 

 幼馴染みの少年と、彼が纏うISは、外傷こそ目立っていないものの、その内側はすでに激しく疲弊していた。先の試合における見えない攻撃に引き続き、秒速一万四〇〇〇キロメートルという超々スピードの射撃を避けるため、短時間のうちに幾度も無理な連続稼働を強いられたスラスターは、いつ不具合を起こしてもおかしくないというほどに、高熱を帯びていた。それでも避けきれず、何発かの被弾を許した結果、機体全体のパフォーマンスは、平常時の六割程度にまで低下している。シールドエネルギーも、残り六〇ポイントを切ってしまった。

 

 操縦者の一夏自身の疲労も濃い。謎のISを睨みつける眼光からは、はじめに見られた力強さが徐々に失われつつあった。息づかいも荒々しい。肉体の疲労を、ISの生体保護機能だけではカヴァーしきれていない証左だ。

 

 ――こんなに、傷ついて……。

 

 シールドエネルギーがエンプティ寸前の自分を守るために、一夏は無理をしている。

 

 自分の存在が、幼馴染みの少年の負担になっている。

 

 その事実は、少女の心を深く傷つけていた。しかも彼は、ISに乗り始めてまだ一ヶ月弱の初心者だ。代表候補生としてのプライドも、もうズタズタだった。

 

 いまにも泣き出しそうな彼女に、一夏は、痛みから苦しげに歪んだ残酷な微笑を浮かべながら囁く。

 

「……そんな顔、するんじゃねえよ」

 

 両肩を支えてくれている腕を、そっと振りほどいた。

 

 《雪片弐型》を、正眼に構える。

 

 肉体も、機体も、疲弊していたが、戦う意思は、まだ潰えていなかった。

 

「待っていろ、鈴。すぐに、終わらせてやる」

 

 シールドエネルギーの残量からいって、バリアー無効化攻撃を使用出来るのはあと一回。次こそは、と決然と意気込み、一夏は背後の幼馴染みに向けて言い放った。

 

 やれるものならやってみろ、とばかりに、異形のISは、そのタイミングで荷電粒子砲を二門同時に発射。一夏と鈴は、左右に別れてこれを避けた。

 

 右へと飛んだ一夏が、謎のISめがけて、正面から、猛然と突進する。応じて、敵ISも両腕を振りかぶり、身構えた。

 

 左へと飛んだ鈴は、せめて援護を、と残り少ないエネルギーを振り絞り、左腕の衝撃砲《崩拳》を起動させた。素早く砲身を形成し、照準を定める。小銃弾ほどの大きさの衝撃弾を十発、フル・オート射撃で発射した直後、『シールドエネルギー残量ゼロ。試合終了、試合終了。あなたの負けです、マスター』と、シールドエネルギーが空っぽになったことを知らせる警報音が頭の中に鳴り響いた。そういえば“試合中”という設定のまま、変更するのを忘れていたな、と思わず苦笑した。シールドエネルギーがエンプティとなったことで、甲龍は省エネ・モードへと移行。全機能が消沈する。

 

 甲龍の左腕より発射された見えない拳が、敵ISのエネルギー・バリアーを連続で殴打した。

 

 残り僅かなシールドエネルギーから必死に絞り出しただけあって、衝撃弾一発あたり威力は、対人用のライフル弾程度でしかない。当然、シールドエネルギーに対するダメージは少なかったが、もう打ち止めだと思われた見えない攻撃が突然襲ってきたことに驚いたか、一夏を迎え撃とうとしていた敵ISの動きが、僅かに遅速する。

 

 ――鈴のやつ、無茶を……でも、これで!

 

 目標まであと五メートルの距離に迫った一夏は、そこで、上体を小さく前後に揺らした。

 

 先ほどの試合で鈴にもしてやった、フェイント機動。一瞬、動きが遅滞したと思った次の瞬間、猛然と急加速! 相手の内懐へと、一気に間合いを詰める。

 

 ただでさえ鈴の射撃によって反応が鈍っていたところに、急減速からの急加速という、タイミングずらしのテクニック。急に目の前に現われた一夏の動きに、敵ISは、即座に対応出来ない。自慢の長い腕も、目的を見失い、宙で遊ぶばかりだ。

 

「おおおっ!」

 

 裂帛の気合いとともに、光り輝く大刀を、一文字に振り抜く。

 

 零落白夜の一撃が、相手の胴をしたたかに打ち据える……その、はずだった。

 

 ――緊急警報。味方機、ロックされています。

 

 白式のハイパーセンサーが、緊急警報を知らせた。

 

 自機の危機を知らせる警報ではない。

 

 仲間の危機を知らせる声だ。

 

 そしてこの場において、自分の味方は、一人しかいない。

 

 ――鈴!?

 

 敵ISは、必殺の打ち込みについて防御も回避も不可能と判断するや、ならば最期の一矢とばかりに、鈴のISに向けて、右腕の荷電粒子砲の砲口を傾けたのだった。

 

 シールドエネルギーが空っぽで、回避運動のためのスラスター稼働もままならない、いまの甲龍に向けて。

 

 ――クソッ!

 

 非常用エネルギーを少しでも節約するためだろ、鈴は機体を地上に降ろしていた。

 

 一夏はまだ打ち込みの中途にある《雪片弐型》の軌道を、強引に変えた。

 

 荷電粒子砲の射線を変えるべく、下から上へ、相手の手首を狙う。

 

 方針の急な転換についていけないロボットアームが、手の内を乱した。

 

 大刀からは刀勢が失われ、のみならず、バリアー無効化攻撃を可能とする白銀の光さえもが霧散する。

 

 鈴を助けるにはどうすればよいか。一瞬の迷いに費やした時間が、零落白夜の発動に必要なエネルギーを食い潰してしまったのだ。

 

 構わず、一夏は《雪片弐型》を擦り上げた。

 

 伸びやかさを喪失した太刀行きが、酒瓶のように膨らんだ手首を打ち据えた。

 

 上方へと押し上げられ、向きを変えられた砲口から、陽子の奔流が迸る。開放状態の天井めがけて発射された粒子ビームは、射線上の荷電粒子と次々に衝突、エネルギーを喪失しながら細い糸のように成り果て、やがて消失した。

 

 幼馴染みの窮地をひとまず救えたことに安堵する一夏だったが、次の瞬間、彼の表情は硬化した。

 

 敵はもう『零落白夜』を使えない、と状況の急変を認識した敵ISが、左腕を鞭のように振り抜いて、一夏の胴体を鋭く殴打した。

 

「っ! ごっ」

 

 肺を押し潰される圧迫感。生体保護機能がはたらいていてなお感じる痛みに、思わず苦悶の呻きが漏れた。

 

 体を“く”の字に曲げた状態で動きを止めてしまった一夏の側頭部に、今度は右腕が振り下ろされる。咄嗟に、両腕でブロック。運動量を殺しきれず、弾き飛ばされてしまった。またしても地面を転がり、滑る。

 

 追撃への警戒から、一夏はすかさず立ち上がろうとした。しかし、出来なかった。パワーアシスト機能が、十分なはたらきをしてくれず、起き上がりの動作は、IS同士の戦闘の最中とは思えぬほど、緩慢なものになってしまっていた。いったい、どうして……? まさか、故障だろうか?

 

 疑問に対する回答は、白式のISコアが教えてくれた。現在のステータス情報をチェックして、愕然としてしまう。シールドエネルギーが、僅かに五ポイントしか残っていない。

 

 ――エネルギー不足による、パワーダウン!?

 

 一夏は普段からシールドエネルギーの分配管理を、コンピュータによる自動制御機能に任せていた。

 

 残り少ないエネルギーを効率的に運用するため、白式のISコアは、いま現在いちばんパワーが必要とされる機能にリソースを集中させていた。すなわち、絶対防御をはじめとする、各種の操縦者防護システムだ。そのため、パワーアシスト機構へのエネルギー供給が滞っていた。

 

 慌てて、パワーアシスト機構とPIC、スラスターへのエネルギー供給を優先するよう手動で操作するも、そのときにはもう、敵ISは地面を蹴り、宙へと飛び立っていた。

 

 ――やられる!?

 

 警戒感から、身を硬くしてしまった。

 

 咄嗟の反応が、次の動作を遅らせた。

 

 敵ISは一夏ではなく、鈴の方へと向かっていった。

 

 尋常ならざる執着だった。

 

 ――不味い!

 

 シールドエネルギーが僅かに残っている状態の白式ですら、パワーアシスト機能のパフォーマンスの低下が著しい。

 

 シールドエネルギーがエンプティ状態のいまの甲龍では、敵の攻撃を凌げない!

 

 これまで何度も荷電粒子砲を防がれた反省からか、異形のISは鈴に対し白兵戦を挑んだ。

 

 スラスターを使えない甲龍では、あっという間に間合いを詰められてしまう。

 

 鈴の目前まで迫ると、左右から、フックの連続攻撃。

 

 代表候補生の意地か、一振のみの《双天牙月》を左右に素早く振ってぶつけ、初撃をなんとか耐え凌ぐ。

 

 しかし、抵抗もそこまでだった。

 

 エネルギー不足のロボットアームの膂力では、連続攻撃の勢いを完全には受け止められず、衝撃で、青竜刀を取り落としてしまう。

 

 この隙を逃すまい、と、三発目のフックを叩き込むべく、敵ISの右腕が弓のように引き絞られた。

 

「鈴、逃げろ!」

 

「いいやッ!」

 

 そのとき、一夏の悲鳴を、臍下丹田より絞り出された気合いの一喝がかき消した。

 

「そこを動くな!」

 

 異形のISが右腕を振り抜かこうとしたその直前、灰色の砲弾が、マッハ一・六の速さで、右側方より飛びついた。

 

 超音速領域からの体当たり攻撃。ISにしか出来ない技の一つだ。

 

 謎のISの巨躯をもってしても吸収しきれぬほどの衝撃が全身を駆け巡り、その身を突き飛ばす。闘技場内と観客席とを隔てるエネルギー・バリアーに激突、墜落、もうもう、と、土煙が上がった。

 

「二人とも、無事かい?」

 

「智之さん!」

 

 鈴のもとに降り立ったのは、灰色の打鉄を身に纏った鬼頭だった。ようやくパワーアシスト機能の調子を取り戻した一夏が、慌てて駆け寄ってきた。

 

「どうして、ここに?」

 

「決まっているだろう? きみたちを、助けに来たんだ」

 

「……余計な、お世話です」

 

 助けられた鈴が、苛立たしげに言った。

 

 一夏によって、鬼頭個人に対する悪感情を実は持っていないことが明かされた彼女だが、一度、あんな態度をとってしまった気まずさからか、すぐには態度を改められない様子だ。いや、もしかすると、本当は自分に対し、何か思うところがあるのかもしれないが。

 

「あんたみたいな大人の手なんかなくたって、あたしと、一夏の二人で……」

 

「凰さん」

 

 鈴とまともに言葉を交わすのは、一週間ほど前に学生寮の自室で会話したとき以来のことだ。あのとき、自分の心にすっかり根付いてしまった彼女への苦手意識を自覚しながらも、鬼頭は努めて平静な口調で話しかけた。

 

「いまは、そういった個人的な感情は抑えるべき場面だよ。代表候補生のきみなら、いまがどういう状況なのか、分かるはずだ」

 

「……」

 

 鈴は鬼頭の顔を睨みつけた。

 

「きみの甲龍はシールドエネルギーが空っぽの上、近接武器を喪失。ロボットアームも片方、掌を失っている。織斑君の白式も、シールドエネルギーはほぼ空に近い状態だ。必殺の『零落白夜』も、その状態では発動出来まい。

 

 翻って、敵のISはシールドエネルギーがまだたっぷり残っている。アリーナの遮断シールドを破るほどの攻撃力を持つ、荷電粒子砲も健在だ。他にも、未知の兵装といった戦力を隠しているかもしれない。こんな相手に、いまの状態の君たちが挑むことの無謀さが、分からないきみではないはずだ」

 

「鈴、智之さんの言う通りだ」

 

 鬼頭と鈴の間に、一夏が割って入った。

 

「俺の白式もヤバいけどよ、お前の甲龍はそれ以上だ。ここは、智之さんにも協力してもらって、三人で……!」

 

「いいや、君たち二人は、ピットルームに戻りなさい」

 

「なっ!?」

 

 鬼頭の言葉に、一夏は目を剥いた。かたわらの鈴も驚いている。

 

 まさか、たった一人であのISと戦うつもりなのか。

 

「む、無茶ですよ。智之さんだって、見たでしょう? あのISの火力は、半端じゃない! 三人がかりで……」

 

「そうよ! それに、逃げろ、って言ったって、ピット・ゲートが……」

 

『織斑、凰』

 

 Aピットルームにいる千冬から、プライベート・チャネルによる通信が入った。

 

『鬼頭さんのおかげで、アリーナの管制権がこちらに戻った。いまからピット・ゲートを開放する。お前達はすぐに飛び込め』

 

『千冬姉! でも、鬼頭さんは……』

 

『織斑先生、だ。……教員部隊の準備には、もう少し時間がかかる』

 

 その言葉を耳にして、一夏は、はっ、とした。

 

 淡々とした口調にも拘わらず、彼には姉の声が悲鳴のように聞こえた。彼女にとっても、鬼頭一人を送り出したのは苦渋の決断だったのだ。

 

『その間、誰かが、あのISをこの場に拘束する必要がある。……その先は、言わせないでくれ、一夏』

 

『千冬姉……ああ、分かった』

 

 一夏は悔しげに頷くと、鬼頭の顔を見た。

 

 あのISを頼みます。そう口にしようとして、おや、と怪訝な表情を浮かべる。

 

 鬼頭の打鉄の姿を最後に見たのはIS実習の授業でのことだが、はて、こんな姿だったか。なにやら、違和感を覚えてしまうが……。

 

「織斑君」

 

 自身の顔を見つめたまま黙ってしまった一夏の様子を不審に思った鬼頭が口を開いた。「どうかしたかい?」と、訊ねると、一夏は少し慌てた様子でかぶりを振った。

 

「あ、い、いえ、なんでも……。その、智之さん」

 

「うん」

 

「あのISを、頼みます」

 

 一夏はいまだ土煙が立ちこめる中、ゆっくりとした所作で立ち上がった謎のISを睨んだ。いったい何が彼女の琴線に触れたのか、自分たちの会話する様子を、興味深い、とばかりに眺めている。

 

「うん。任せなさい」

 

「……どこから、その自信が来るんですか?」

 

 力強く頷いてみせた鬼頭に、鈴が刺々しい口調で言った。重ねて、胡散臭そうに訊ねる。

 

「っていうか、鬼頭さん、そもそも、ISで戦えるんですか?」

 

「私の技量について、不安が?」

 

「当然でしょ。だって、鬼頭さん、つい一ヶ月前にISを動かせることが分かったっていう、はっきり言って素人じゃないですか。放課後の自主トレとかも、あんまりやってないみたいだし、公式戦の記録もない。そんな人の技量を、信用なんて出来るはずないでしょ」

 

「ふむ。たしかに、その通りだね」

 

 はっきり言う娘だなあ、と鬼頭は思わず苦笑した。

 

「そして残念なことに、きみの不安は的中している。IS操縦者としての私の力量は、代表候補生のきみは勿論、織斑君にも、きっと負けているだろう」

 

 稼働時間がものを言うのがIS競技者たちの生きる世界だ。技術者としての研究と解析にばかりかまけ、ISを身に纏っての訓練は最小限にとどめている自分と彼らとでは、経験値が違う。

 

 肉体面においても、十代半ばの彼らと、今年で四六歳になる自分とでは、体力の差が大きい。与えられている機体も、第二世代機と第三世代機とでは、文字通り隔世の差がある。

 

「まず間違いなく、ここにいる三人のうちで、いちばん弱いのは私だ」

 

「それなのに、なんでそんなに自信あり気なんですか? ……ううん、そもそも、何であなたが?」

 

 Aピットルームには、イギリスの代表候補生もいたはずだ。なぜ彼女ではなく、鬼頭が出張ってきたのか。

 

「簡単なことさ」

 

 鬼頭は完爾と微笑んだ。

 

「きみたちが子どもで、私が大人だからだよ。大人には、子どもを守る義務がある。……それにね」

 

 言い放つや、彼は異形のISを鋭く睨みつけた。かたわらに立つ子どもたちは、その横顔を見て、ぶるり、と胴震い。鬼頭の双眸は、怒りに燃えていた。一夏たちが初めて見る、鬼の形相だった。

 

「……あのISは、きみたちを傷つけた」

 

「と、智之さん……」

 

「この鬼頭智之の目の前で、子どもを傷つけたんだ!」

 

 激昂。普段の彼からは考えられない、荒々しい口調と、爛々と兇暴な輝きを宿す眼差し。

 

「二度と失うものか。二度と、間違えるものか!」

 

 脳裏に、智也の顔が浮かんだ。

 

「やつは、俺の手で、スクラップにしてやる!」

 

 鬼頭は吼えた。牙を剥いて吼えた。悲憤の咆哮だった。

 

 

 

 

 

 

 このとき、鬼頭は一つ、失念していることがあった。

 

 ピットルームにいる陽子や箒にも自分たちの会話が聞こえるように、と、彼はこれまでの会話をすべて、オープン・チャネル回線を使って流していた。

 

 ところで、第二アリーナの闘技場は、つい先ほどまで一夏と鈴が激しい試合を演じていた場所だ。

 

 トラッシュ・トークも立派な戦術の一つと、本日の第二アリーナでは試合中に限って、

闘技場内でオープン・チャネルを使って交わされた会話の内容はすべて、観客席や廊下に設けられたスピーカーからも出力されるよう設定されていた。そして、その設定でロックされた状態のまま、謎のISによる管制システムのハッキングを受けたのである。

 

 その後、鬼頭の作ったワクチン・プログラムによって、第二アリーナのコントロール権はIS学園側に戻ったが、中継室にいる教員たちは、このとき、小さなミスを犯していた。館内の生徒たちに向けて避難指示を発することを優先するあまり、スピーカーのモードを、“試合中”の設定から変更するのを忘れてしまったのだ。廊下に設置されたスピーカーから、闘技場内にいる鬼頭たちの声が聞こえてきたとき、彼女たちはようやく、自分たちのミスに気がついたが、そのときにはもう、手遅れだった。

 

 まだ避難途中の生徒たちが多く残る館内に、彼の声は、高々と鳴り響いてしまったのだ。

 

『この鬼頭智之の目の前で、子どもを傷つけたんだ!』

 

『二度と失うものか。二度と、間違えるものか!』

 

『やつは、俺の手で、スクラップにしてやる!』

 

 鬼頭智之という男に対して好意的な者も、嫌悪感を抱いている者も、はては無関心の者の耳にも、その声は届けられた。

 

 悲しみに満ち満ちた、憤怒の咆哮は、少女たちの胸を、等しく苦しくさせた。

 

 

 

 

 

 

「さあ、二人とも、行ってくれ」

 

「智之さん……はい!」

 

 一夏は鬼頭の言葉に頷くと、かたわらに立つ鈴を抱えて、上昇を開始した。千冬からの指示に従い、一路、Aピット・ゲートへと急ぐ。

 

 さすがにそれは見過ごせない、とばかりに、それまで三人の会話を黙って眺めていた敵ISが、右腕の荷電粒子砲の砲口を一夏たちに向けた。

 

 ビール瓶のように膨らんだ前腕部の内側で、百万ボルトの電圧がスパークする。猛加速を余儀なくされた荷電粒子の奔流が、少年たちの背中めがけて発射された。

 

「やらせん!」

 

 打鉄の物理シールド二枚を手にした鬼頭が、荷電粒子砲の射線上にその身を割り込ませた。

 

 超高速で運動する荷電粒子の大軍が、第二世代機最高の防御力を誇るシールドに炸裂する。すさまじい運動エネルギーの衝突と高熱により、耐貫通性スライド・レイヤー装甲製の盾は、急激に防御力を喪失していった。

 

 鬼頭は両腕の盾を体ごと僅かに傾けた。

 

 ごくごく小さな物質とはいえ、荷電粒子もまた、質量を持った存在だ。盾の傾きに沿ってビームは流れ、地上へと着弾した。

 

 その間に、一夏たちはピット・ゲートの向こう側へと退避に成功した。

 

 ハイパーセンサーの作用により、謎のISを正面にとらえたまま、背後で起こった出来事を把握した鬼頭は、まずはこれで一安心、と安堵の微笑を浮かべた。

 

 しかしすぐに表情を引き締め、眼下の敵ISを油断なく見据える。と同時に、目の網膜に直接ステータス・ウィンドウを投影、攻撃を受け止めた物理シールドの状態をチェックした。

 

 ――第二世代機最高の防御力を誇る打鉄のシールドが、一発でこのザマとは……!

 

 物理シールドは二枚とも、損耗率八割超という無残な状態だった。打鉄のシールドは、破壊される前に修復することで継続戦闘能力を高める、というコンセプトのもと、設計されている。自己修復機能を限界まで高めたナノマシンの集合体……耐貫通性スライド・レイヤー装甲十六層を、他の装甲素材と重ね合わせたチョバム・アーマー構造としていた。それが、十三層目まで突破されている。ナノマシンの復元機能も、完全に止まっていた。

 

 見た目上のダメージも酷い。熱線を受け止めて間もない装甲板は赤銅色に焼けただれ、荷電粒子の突撃によって、微少な大きさのへこみが無数に生じてしまっていた。

 

 ――もう一発の攻撃も受け止められそうにない。恐るべき攻撃力だ……!

 

 警戒しなければならないのは、荷電粒子砲だけではない。

 

 第二アリーナのコントロールを取り戻すためのワクチン・プログラムを作っていた間も、鬼頭は一夏たちと、謎のISとの戦いを観察していた。

 

 機動性の高さが強みの白式から接近戦を挑まれても、ひょい、と身をかわしてしまう、巨体に似合わぬ運動性の高さ。リーチの長い両腕は、鞭のように振り回すことで、鋭い打撃を叩き込んでくる。荷電粒子砲を抜きに考えても、非常に恐ろしい相手だ。

 

「……ふむ、困ったな。いまのままでは、勝てそうにない」

 

 己がアリーナのコントロールを取り戻そうと動き始める以前から、一分以上も観察させてもらった。

 

 やつに対する作戦は、頭の中ですでに出来上がっている。

 

 問題は、そのプランを実行に移すには、自分と、自分のISの性能が不足していることだ。

 

 鬼頭の打鉄は、男性操縦者の保護を最優先にした改修が施されている。標準仕様の機体と比べて防御力に優れる反面、運動性や機動性が僅かに劣っていた。拡張領域の容量も小さいため、たくさん武器を積んでの火力増強も難しいという、およそ競技向けではない機体だ。加えて、操縦者の自分は経験に乏しく、年齢も四六歳と、体力面でも不安を抱えている。

 

 このまま正面からぶつかっていっても、勝てる公算は低い。教員部隊の到着まで、時間を稼ぐことも出来まい。

 

「……やむをえんな」

 

 鬼頭は、しかし好戦的な冷笑を浮かべてみせた。

 

 彼我の戦力差について冷静に分析をし、自らの不利を正しく理解してなお、切れ長の双眸は、闘争心に満ち満ちていた。

 

「ぶっつけ本番なんて、技術者としては恥ずべきことだが……新装備の、実験台になってもらうぞ!」

 

 

 

 

 

 

 Aピットルームへと退避した一夏と鈴は、すぐにISの展開を解除すると、大型モニターに険しい面差しを向けている千冬たちのもとへと駆け寄った。

 

「千冬姉っ、智之さんは!?」

 

「……織斑先生、だ。安心しろ。無事だ」

 

 千冬は弟の顔を、じろり、と一瞥した後、目線をモニターに戻した。闘技場内の各所に設置されている記録カメラのうち、十六台とつなげられた大画面には、鬼頭と謎のISの姿を、それぞれの向きからとらえた映像が同時に映し出していた。そのうち、鬼頭の姿を正面からとらえているカメラの映像を見て、一夏は、うぅっ、と息を呑む。荷電粒子砲の直撃を受け止めた物理シールドが二枚とも、無残な姿へと変わり果てていた。

 

『……ふむ、困ったな』

 

 壁に直接取り付けられたスピーカーから、鬼頭の声が響いた。

 

 オープン・チャネルを有効にした状態での呟きだ。

 

『いまのままでは、勝てそうにない』

 

「織斑先生、突入部隊の準備はいつ終わるんですか?」

 

 一夏のかたわらで寄り添うように立つ鈴が訊ねた。ISの装着を解除したことで試合の疲れが一気に襲ってきたか、顔色が悪い。

 

 千冬はタブレット端末を操作した。謎のISを鎮圧するため、着々と準備を進める同僚たちの状況を画面に表示させる。アリーナの遮断シールドを易々とぶち抜くほどの火力への警戒から、防御力重視の装備をラファールにインストールしているところだった。彼女は誰にも聞かれないように、とひっそり溜め息をついた。

 

「あと五分はかかる」

 

「そんな!」

 

 千冬の返答に、一夏は悲鳴を上げた。物理シールドが使い物にならないいまの状態の打鉄で、あの脅威のISを相手に、そんな、五分ももたせられるのか!?

 

 青い顔をする一夏の隣では、鈴も辛そうな表情を浮かべている。千冬たちの邪魔をしてはならぬ、と少し離れた場所からモニターを見つめる陽子と目が合い、泣き出したい気分に襲われた。鬼頭が闘技場内に駆けつけたのは、自分や一夏を助けるためだ。彼女の父親の身がいま危ういのは、自分たちのせいだといえた。

 

 鈴は急に、陽子の視線が恐くなった。

 

 彼女の眼差しから逃れたい一心で、慌てて顔をそむけた。

 

 そむけたその先に、モニターをじっと見つめるセシリアの横顔があった。人種の壁を感じずにはいられない、彫りの深い端整な美貌に、こんな状況にも拘わらず、自然と目線を吸い寄せられた。けれども、眺めているうちに、だんだんと腹が立ってきた。

 

 イギリスからやって来た代表候補生の少女は、この緊急事態にあって、ひどく落ち着いているように見えた。打鉄の盾がぼろぼろになったのを見ても、頬の筋肉が、ぴくり、ともしない。鬼頭との付き合いは、自分よりも長いはずなのに……。仮にもクラスメイトだろう。心配じゃないのか。この薄情者め。

 

 いやそもそも、この女はなんでここにいるのか。IS操縦者としては初心者に過ぎない鬼頭が危険な戦場へと赴いているのに、代表候補生の彼女が、なんでこんな、安全な場所で! 同じ代表候補生の自分は、助けに行きたくても、行けないのに……!

 

「ねえ……」

 

 険を帯びた声が、自然と唇をついて出た。

 

 そんな声をかけられてなお、振り向いた彼女は、相変わらずの澄まし顔。鈴は、これは八つ当たりだ、と自覚しながらも、言の葉を紡ぐことをやめられなかった。

 

「はい?」

 

「アンタ、イギリスの代表候補生よね? なんで、こんな場所にいるのよ? なんで、あの人のところに行かないのよ!? なんで、そんな平気そうな顔を……!」

 

「……平気そうに、見えますか?」

 

 それまで不変の顔つきを保っていたセシリアの表情が、静かなる怒りから軋んだ。端整な美貌の持ち主だけに、柳眉を逆立て、こちらを睨むその顔は、背筋が凍るほど恐ろしかった。鈴は息を呑み、口をつぐみ、失言だった、と己を恥じた。

 

「鈴さんには、いまの私がそう見えたのですか。……私の演技力も、なかなかのものですわね。バフタ賞を狙えるでしょうか?」

 

「あ、その……ご、ごめん……」

 

 セシリアは鈴のことを軽く睨むと、目線をモニターに戻した。

 

「いえ……私も、失礼な態度を取ってしまいましたわね。すみません」

 

 セシリアは面差しをモニターへ向けたまま鈴に言った。

 

「私が行かなかったのは、第一に、お父様に止められたからです」

 

「お父様?」

 

「鬼頭さんのことです。鬼頭さんと、陽子さんと、私の三人だけのときには、そう呼ばせてもらっておりますの」

 

 「今日、織斑先生たちにはばれてしまいましたが」と、セシリアは付け加え、苦笑した。

 

「ですが勿論、それだけが理由ではありません。最初、お父様からここにいるように言われたとき、私は反発しました。どう考えても、IS操縦者としての技量は、お父様よりも私の方が上ですし、お父様はいまだ世界でたった二人しか見つかっていない男性操縦者。万が一のことあっては、困ります。だから、ここは私が行くべきだと……。でも、その後、思い直したんです」

 

 セシリアは、鈴と一夏を交互に見た。

 

「織斑さん、鈴さん、改めて述べますが、お父様は……鬼頭智之は、まぎれもなく、天才です」

 

「オルコットさん? いったい、何を……」

 

「特にその観察眼は、鋭い、とか、優れている、といった言葉では言い表せないほど、恐ろしいものがあります。そんなお父様が、ご自身の戦力と、あのISの戦闘力、彼我の戦力差について、見誤るなんてことは、考えられません。お父様は、自分と、相手の力の差をよく理解した上で、闘技場に飛び込んでいったのです」

 

「……ええと、悪い。俺の頭じゃ、理解出来ない。結局、何が言いたいんだよ?」

 

「つまり、絶対に勝てる、との確信を抱いた上で、飛び込んでいった、ということです」

 

 セシリアは力強い口調で断言した。なおも不安そうな顔をする一夏が、「で、でも、智之さんはいま、勝てない、って……」と、応じると、彼女は自信たっぷりに言った。

 

「織斑さん、よく思い出してください。お父様は、こう言いましたわよ」

 

 そのとき、壁面のスピーカーからの鬼頭の声と、セシリアの声が、奇しくも重なった。

 

「いまのままでは、勝てそうにない」

 

『……新装備の、実験台になってもらうぞ!』

 

 反射的にモニターへと目線を向けた一夏は、ああっ、と驚き、瞠目した。

 

 モニターに映じる、鬼頭の打鉄。先ほど闘技場内で覚えた違和感の由来について、いま、ようやく気がついた。

 

 鬼頭の打鉄は、過日、IS実習の授業で最後にその姿を見たときから、外見がやはり変わっていた。彼の打鉄には、標準仕様の機体にはない装備として、ブレスト・アーマーがあるが、その背面部分が、以前と比べてごちゃごちゃしている。まるでランドセルを背負っているかのように、縦長の四角い箱のような装置が三基、横に並んでいた。

 

「オルコット」

 

 モニターに映じる鬼頭の顔を見つめながら、千冬が口を開いた。

 

「鬼頭さんのBTシステムの研究は、どの程度進んでいる?」

 

「……昨晩、BTエネルギーによって稼働する攻撃端末と、その運動を制御する特別なOSの試作品が、完成したところです」

 

「テスト運用は?」

 

「まだです。昨日は、装置とOSを完成させてすぐ、織斑さんのISの整備を始めましたので、テストをする時間がありませんでした。一応、コンピュータ・シミュレーションくらいは、行いましたが」

 

「そのときの結果は?」

 

「まずまず、といったところでしょうか。BT適性がさほど高くないお父様ですが、開始十五分で、タイフーン戦闘機を撃墜してみせましたわ」

 

『……BT・OS《オデッセイ》、レベル1、アクティブ!』

 

 あらかじめ打鉄にインストールしておいたOSプログラムを、音声入力でもって起動させる。

 

 背中の箱の中に閉じ込めておいたBTエネルギーが解き放たれ、打鉄の全身へと流入、隅々にまで行き渡っていった。エネルギーの急な流入により、灰色の装甲が光り輝く。

 

 流動性エネルギーは、やがて落ち着きを取り戻した。

 

 発光現象がおさまり、再び露わとなった打鉄の姿を見た一夏たちは、思わず唸り声を発した。

 

 BTエネルギーが全身に満ち満ちた結果がもたらした、副次的な効果だろう。薄墨色に近かった機体色が白みを増して、シルバーグレイへと変わっていた。のみならず、機体の各所に施されていたストライプの色も、すみれ色へと変色し、ほのかに発光している。

 

『さあ、オジサンと遊んでおくれ』

 

 モニターの中で、鬼頭が微笑んだ。

 

 好戦的な笑みだった。

 

 謎のISが、荷電粒子砲を内蔵した右腕を鬼頭へと向ける。

 

 あふれ出した光芒が、第二ラウンドのゴングとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Chapter21「この小さな世界に、その愛の言葉は響く」了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 名古屋市消防局の職員たちを中心とした見学団の受け入れを決めたその日、桜坂たちパワードスーツ開発室のメンバーは、では彼らに何を見てもらうか、ということについて、侃々諤々の議論が交わされた。消防庁は将来のお得意先候補の第一位だ。受け入れを決めた以上は、わが社の製品について好印象を胸に帰っていただきたい。彼らが見たいと考えているものと、自分たちが見てほしいと思うもの。それを徹底的に分析し、両者のギャップを埋めてやらねば。

 

「消防局の方々は、昨年の国際ロボット展でのXI-01のパフォーマンスを見て、我々の仕事に関心を持ったんですよね?」

 

 会議の席で最初にそう確認したのは、チーム最年少の土居昭だった。最近になってようやく作業着姿が板につくようになってきた二六歳。開発室における主な仕事は、パワーアシスト機構の調整作業だ。高校、大学と、器械体操に励んだスポーツマンで、体力は抜群。パワードスーツのアクターを任されることも多い。

 

 土居の問いかけに対し、チーム・リーダーの桜坂は頷いた。これから活発な意見交換をするにあたって、まずは前提条件の確認と、共有をする必要がある。

 

「そうです。おそらく、先方のお目当ては、ロボット展で私が口にした、XI-02の方でしょう。いま開発中のXI-02の性能は、このXI-01をはるかに上回る予定です、と言ってやりましたから」

 

 昨年の十二月に国際ロボット展が開催された時点では、XI-02はまだ組み立て作業を終えたばかりで、とても展示出来るような状態ではなかった。桜坂は代わりにXI-01を会場に持っていき、観客たちの前で、スズキのアルトワークスを持ち上げてみせる、というパフォーマンスを行った。アルトワークスは軽自動車規格のスポーツカーに分類されるクルマで、比較的軽量な部類だが、それでも、車重は六五〇キログラムもある。XI-01がそれを軽々と持ち上げたとき、観衆は等しく、どっ、と沸き立ち、重ねて、桜坂が前述の言葉を口にすると、まだ見ぬXI-02への期待から目を輝かせたのだった。

 

「展示会で見たXI-01と比べて、XI-02がどれほどの性能を持っているのか。そこが気になっているに違いありません」

 

「どうします? XI-01と02とで、相撲でも取らせますか?」

 

 右手に包帯を巻いた滑川雄太郎が、諧謔混じりに言った。たしかに、そのやり方ならば、どちらがより優れた強化服なのか、勝敗という形で一目瞭然だろうが。

 

 桜坂は苦笑しながら、

 

「良いアイディアだと思いますが、さすがに、大切なスーツを傷つけるようなプランは避けたいですね」

 

「それに、消防局の方々が興味を持ってくれたのは、災害救助用のパワードスーツです。相撲に強い強化服ではありません」

 

 チーム最年長の酒井仁の言葉に、二人は頷いた。酒井はみなの顔を、ぐるり、と見回し、言葉を重ねる。

 

「まずは彼らがパワードスーツにどんな性能を求めているのかを考えましょう。その次に、我々が見せたいと考えている性能について洗い出しをし、合致するものを見せる、というふうに、見学プログラムを考えては?」

 

 まず顧客のニーズについて考え、それに対し、自分たちは何を提供出来るかを考える。あらゆる商売の基本原則だ。桜坂も、「それでいきましょう」と、応じた。

 

「我々のパワードスーツを日本の消防局が購入する場合、まず、配備先はどこか考えられるでしょうか?」

 

「そりゃあ、レスキュー隊だろう」

 

 土居の言葉に、彼よりも三つ年上の田中・W・トムが反応した。

 

 レスキュー隊とは、正式名称を特別救助隊といい、人命救助活動を主要な任務とする消防の専門部隊のことだ。全国の消防本部や、消防署などに配置されている。その活動範囲は広く、火災や交通事故、労災事故といった、日常生活の中で起こる災害や、洪水や土砂崩れなどの自然災害、水難事故、山岳救助、そして震災などの大規模災害まで、あらゆる人命救助事案を担当している。

 

「俺たちが作っているのは、災害“救助”のための、パワードスーツなんだからな」

 

「さらに付け加えるのであれば……」

 

 トムの言葉を、桜坂が引き継いだ。

 

「パワードスーツの生産数が少ないうちは、特別高度救助隊から優先的に配備されるでしょうね」

 

 特別高度救助隊は、ハイパーレスキュー隊とも呼ばれる、より高度な救出救助能力と機材を有する、人命救助の精鋭部隊だ。全国の政令指定都市に配置されており、愛知県の場合は、ハイパーレスキューNAGOYAの愛称で知られる部隊が五個、置かれている。これら第一から第五までの各方面隊は、それぞれが異なる災害への装備・任務を与えられていた。

 

「実際、見学団の中には、ハイパーレスキュー隊の隊員も含まれる予定だそうです」

 

「ハイパーレスキュー隊の任務は……」

 

「第一方面隊が震災や水難救助、第二方面隊が低所災害と地下災害、第三方面隊が高所災害、第四方面隊が交通災害、そして第五方面隊が、NBC災害や船舶火災、石油コンビナートなどの施設で発生した災害に対応しています」

 

「いま挙げられた災害状況のうち、XI-02の装備がまだ対応していないのは、水難救助と高所災害、そして船舶火災ですね」

 

 滑川技師が言った。主にスーツのパワーユニットの設計を任されている彼は、設計主任の鬼頭や、室長の桜坂を除けば、この部屋にいる他の誰よりも、自分たちのスーツの性能限界を熟知している。

 

「これらの環境への対応は今後の課題にするとして、今回の見学会では考えないものとしましょう」

 

「これらの環境でまず共通するのは、足場の悪さでしょうね」

 

 そう言ったのは、銀縁めがねをかけた細面の男だった。松村陽平、三五歳。勤続十三年目の中堅社員で、開発室では、ショック・アブソーバーなど、パワードスーツの足回りの造りを任されている。

 

「地震の被災地や、火災の現場では、窓ガラスが割れたり、建物が倒壊するなどして、足元には大小形も様々な障害物が、其処彼処に散乱している状況が考えられます。また、地下災害の場合は、地上と違って光源の乏しい環境下での運用が考えられますから、見通しが悪い、という意味で、足元には注意が必要でしょう。そして山岳救助などの任務は、そもそも人を寄せつけない環境で求められることが多い」

 

「つまり、悪路踏破性を中心とした機動力をまず見せるべきと、そう言いたいわけだね?」

 

 最年長の酒井仁が訊ねると、松村は首肯した。

 

「ハイパーレスキュー隊がパワードスーツにまず何を求めるか。彼らの立場から考えると、機動力ではないかと私は考えます」

 

「なるほど、ハイパーレスキュー隊の立場で考える、か」

 

 金髪のトムが、良いアイディアが思い浮かんだ、と膝を叩いた。

 

「それなら、耐久性なんかのサバイバビリティも重要ですよね。ハイパーレスキュー隊の出動が求められる状況って、たぶん、普通のレスキュー隊では対処出来ないような、特殊な状況か、過酷な環境だと思いますし。そういう環境下でも、装着者の命を確実に保障する、防護に関する性能は、良いセールス・ポイントになると思います」

 

「通信機能の充実ぶりなんかも見せたいところですよね」

 

 今度は土居が難しい顔をしながら呟いた。

 

 たしかに、どんなに優れたパワードスーツも、一着だけでは、出来ることには限りがある。他のパワードスーツや、強化服を着ていない一般の消防隊員、後方の指揮車やポンプ車、はしご車といった支援車輌との緊密な連携が、スーツの性能を実質二倍にも、三倍にも高めてくれることを考えると、それを可能にするための手段として、通信機能が充実していることは、先方にとって重要な要素と考えられた。

 

 ただ、これはXI-01との比較を見せる、という意味では難しい。XI-01は、パワードスーツ開発に必要な基礎技術の修得を第一の目的に開発されたスーツだ。量産化を視野に入れたXI-02と違い、通信機器については、必要最低限の装置しか積んでいない。この性能についてXI-02と比較することは、市販の乗用車とF1カーの乗り心地を比べるようなもの。比較という試み自体が、ナンセンスといえた。口ずさんではみたものの、土居が難しい表情を浮かべてしまうのも当然のことだろう。

 

「XI-01との比較を見せる、というのは、あくまでも一案ですよ」

 

 いまの時点で、見せ方まで考え出したら、活発な議論は成立しない、と考えた桜坂が、すかさず土居に声をかけた。

 

「見せ方については、後でいくらでも工夫のしようがあります。いまは、向こうが何を見たいか、そして我々は何を見せたいか、あるいは、見せられるのか。それだけを考えて、発言してください」

 

 桜坂の言葉に勇気づけられたか、土居は頷くと、続けて発言した。

 

「では、稼働時間の長さはどうでしょう? 現場の隊員にとって、パワードスーツがどれくらいの時間、活動出来るかは、死活問題だと思うのですが?」

 

「良いアイディアだね」

 

 主にパワーユニットの設計を担当している滑川雄太郎が言った。

 

「それなら、パワーアシスト機構と絡めた演出も可能だろうし」

 

 遼子化技術の導入によって、XI-02に搭載されているバッテリーは、従来の製品よりも大幅な小型化・大容量化が果たされている。加えて、XI-02のパワーアシスト機構は、新素材を使った人工筋肉により、XI-01よりもハイ・パワーだ。それなのに、稼働時間は延びているとなれば、見学団に対して、好印象を与えられるだろう。

 

 その後も、開発室の精鋭たちの唇からは、有用な意見が様々に口ずさまれた。

 

 桜坂はその一つ々々を丁寧に聞き取り、手元のノートにメモしていった。やがて、アイディアの数が二十個を超えたところで、ストップをかける。

 

「あまり数が多すぎても、見学プログラムにまとまりがなくなってしまう。アイディア出しはここらで終わりにして、次はこの中のうち、何を、どのように見せるかを考えましょう」

 

 XI-02の現状の完成度を踏まえた上で、先方が見たいと思う性能のうち、何を見せられるか。どういうふうに見せていくか。基本方針はXI-01との比較を見せることだが、最も効果的な見せ方は何か。比較をさせづらい性能については、データを示すことになるだろうが、その際に、工夫を凝らすことは出来ないか。

 

 もの作りを得意としながらも、マーチャンダイジングは苦手としている技術者たちは、しかし、かえってそれが自由な議論を生んだ。日が暮れる頃には、見学プログラムの骨子が出来上がり、あとは細かい肉付けをするのみ、というくらいまで進んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 IS学園でクラス対抗戦の第一回戦が繰り広げられている、まさにその頃。

 

 名古屋市名東区のアローズ製作所の本社ビルでは、桜坂が名古屋市消防局からの見学団十一名を出迎えていた。互いに自己紹介を終えると、彼は一行を、本社ビルの隣に建つ、球場ドーム型の試験場へと案内する。アローズ製作所自慢の全天候対応型の試験場ではすでに、改造プロフィアが待ち構えていた。

 

「細かいデータについて、口頭で長々と伝えるよりも、まずははじめに、パワードスーツの動いている姿を見てもらうのが効果的だろう、と思いましてね」

 

 一行を野球ドームでいう観客席の場所へと案内したグレイスーツの桜坂は、あらかじめその場で待機していた酒井にも手伝ってもらいながら、彼ら全員に一冊の小冊子を手渡した。XI-02の持つ機能や性能、将来の運用例についてまとめられた資料だ。早速、一同、揃って目を通し始める。その間に、桜坂は酒井の手からモバイルPCとヘッドセットを受け取った。端末を起動させ、モニタールームへと通信をつなげる。本日、モニタールームで指揮を執るのは滑川技師だ。

 

「滑川さん、こちらの声は届いていますか?」

 

『こちら滑川です。桜坂室長、感度は良好です』

 

「いま、見学団の皆さんを観客席にお連れしました。そろそろ始めましょう」

 

『了解です』

 

 ヘッドフォンから聞こえてきた声に頷くと、桜坂は消防局よりやって来た男たちの顔を見回した。

 

「では皆さん、そろそろ始めようかと思うのですが?」

 

「はい」

 

 名古屋市消防局総務部の青山課長が一同を代表して頷いた。

 

「よろしくお願いします」

 

「では……滑川さん、プロフィアの桐野さんに指示を」

 

『了解です』

 

 モニタールームの滑川から、プロフィアの運転席に座る桐野美久へと指示が下される。ウィング・タイプのコンテナの右側面部が、ゆっくりと開いていった。給電装置と接続された状態のXI-01とXI-02の姿が、吊り下げ式の全般照明の下、露わとなる。見学団は口々に、おおっ、と感嘆の溜め息を漏らした。その様子を満足げに眺めながら、桜坂は口を開く。

 

「七年前、千葉県市原市の消防隊に、スクラムフォースが配備されましたよね?」

 

 令和元年五月二四日、千葉県市原市消防局で、新たな特殊装備小隊が発足した。通称を、スクラムフォース。無人の消防ロボット四機を、指令システムを搭載した指揮車輌から操作し、消防活動にあたらせるという、まったく新しい消防システムの運用を任された部隊だ。

チーム結成の契機となったのは、平成二三年に起こった東日本大震災。このとき、市原市消防局の管内にある石油コンビナートで、LPG貯蔵施設が爆発炎上するという事案が起こった。ただちに消防隊が消火活動に赴いたが、あまりの放射熱のため、火点になかなか接近出来ないという事態と遭遇した。この教訓のもと、生身の人間では近づきづらい場所には、消防ロボットを送り込む、という研究がスタートした。

 

 完成した消防ロボット・システムは、それぞれ役割の異なる四機のロボットを、指令システムを積んだコンテナから操縦する、というものだった。コンテナを搬送するのは、いすゞ自動車の“ギガ”トラックで、勿論、ロボット・システムの運用に必要な改造を施されている。シングルキャブの後方に発動発電機を装備し、その後ろにコンテナを積載するという構造上、若干、オーバーハング気味になっているのが、外見上の特徴だ。

 

「あれを参考にしましてね。スクラムフォースのギガと同様、あのコンテナ内には、パワードスーツを運用するための装備全般が搭載されているのです」

 

 まずXI-01が、次いでXI-02が、ぶるり、と胴震いをした。給電装置との接続を絶ち、コンテナから地上へ、ゆっくりと移動する。スーツアクターは、XI-01がトムで、XI-02が土居だ。

 

 XI-02が地面に着地したとき、見学団の男たちは等しく目つきを鋭くした。以前、展示会で見たXI-01よりも、ずいぶん小型で、人型に近い、洗練されたフォルムをしている。はたして、あの小柄な見た目のスーツに、どれほどの性能が与えられているのか。

 

「この試験場は東京ドームに範をとって設計されています。みなさん、一塁のあたりをご覧ください」

 

 桜坂の声に従って、一同は目線をそちらに向けた。二台の自動車が、二メートルくらいの間隔を開けて駐車している。片方は、先の展示会でXI-01のパフォーマンスに使われた、八代目のアルトワークスだ。軽量化に命を懸けている、などと揶揄されるスズキの軽自動車の中でも、特に軽量な車で、車重は僅かに六七〇キログラムしかない。ボディ・カラーは赤。開発室所有の社用車だが、ベースマシンのアルトではなく、スポーティ・モデルのワークスなのは、設計主任が室長を、研究に必要なんだ、と口説き落とした結果だった。

 

 直線基調の顔つきがいかついもう一台は二代目プロボックス。トヨタ自動車が製造する商用車のベストセラーで、アローズ製作所本社ビルも、八台を所有している。白いボディの車体側面には、緑がかったペンキで、“アローズ製作所”と記されていた。

 

「まずは以前の展示会のときのおさらいです。あれを持ち上げる姿を見てもらいましょう」

 

 パワードスーツを装着した二人は、少し変わった形をしたバーベルのもとへと向かった。ずしん、ずしん、と地面を鳴らすXI-01のかなり前方を、軽快な足取りのXI-02が進んでいく。

 

「歩行速度にはだいぶ差があるな」

 

 そう呟いたのは、ハイパーレスキューNAGOYA第一方面隊から派遣された田神忠昌だった。一昨年、特別高度救助隊に配属されたばかりの二六歳。若さと勇敢さを併せ持つ俊才は、己があのパワードスーツを着たところを想像しながら、その挙動に目を光らせる。

 

「パワーアシスト機構には、新素材を使った人工筋肉を採用しているということだが、それだけで、あんなに差がつくものなのか?」

 

「良いところに気づきましたね」

 

 田神の呟きに、桜坂は完爾と微笑んだ。

 

「XI-02の開発にあたって、我々は特に、足回りの設計に力を注ぎました。なにしろ、XI-02の重量は、スーツだけでも九二キログラム。いまスーツを着ている土居さんは、身長一七八センチ、体重六四キログラムの美丈夫です。トータルの重量は一五六キログラム以上にもなります。これだけの体重による運動を支えねばなりません。

 

 単に人工筋肉の出力が優れている、というだけでは、パワードスーツは俊足を得られません。強力なパワーで地面を蹴った際にかかる衝撃を殺すショック・アブソーバー。一歩ごとに崩れる姿勢バランスを瞬時に調整するオート・バランサー。これらの装置が、XI-02に軽快かつ滑らかな足取りを提供しているのです」

 

 二人が、自動車のもとへと歩み寄った。まず、XI-01を纏ったトムが、プロボックスの前に立つ。ハインラインのSF小説から飛び出したかのような巨体がその場にしゃがみ込み、バンパーの部分を、両手で、むんず、と掴んだ。パワーアシスト機構の出力を最大に振り絞り、持ち上げようとする。車体の前半分が宙に浮き、次いで後ろ半分を浮かせようとするが、なかなか持ち上がらない。

 

「XI-01のパワーアシスト機構は、ベンチプレス八〇〇キログラムの膂力を誇ります。それに対し、プロボックスの車重は一トン・オーバー。勿論、時間さえかければ、一瞬、持ち上げることくらいは可能でしょうが、一分一秒を争う救助の現場で、そんな悠長なことは言っていられません」

 

 モニタールームの滑川から、やめ、と指示があったか、XI-01はプロボックスのリフトアップを諦めた。車体前半分をゆっくりと地面に下ろし、場所を、XI-02へ譲る。先輩スーツに比べれば、圧倒的にスリムなシルエットの強化服が、プロボックスの前に立った。

 

 土居は先ほどのトムと同様、その場でしゃがみ込んだ。バンパーを両手で掴むと、えいやっ、と持ち上げてみせる。観客席から、野太い歓声。XI-02は両腕と肩を使って、車重およそ一・二トンのプロボックスを垂直に立ててみせた。

 

「XI-02に使われている人工筋肉は、二トン重のベンチプレスを可能としています。プロボックス程度の重量であれば、あの状態のまま、ヒンズースクワットが出来ますよ」

 

 XI-01が、隣でアルトワークスを抱え上げた。持ち上げることこそ成功したが、こちらはそれだけでも苦しそうだ。ヒンズースクワットなどのパフォーマンスは、とてもじゃないが望めない。

 

「二塁側をご覧ください」

 

 一塁の位置から二塁へと続く道のりには、ひしゃげた鉄骨やコンクリート片、ガラスの破片や樹皮といった、大小様々、また形状様々な、瓦礫に見立てた障害物が、ところ狭しと散乱していた。震災の直後をイメージして作られた悪路が、実際の野球場よりも長大な、二十メートルほど続いている。コースの中程には高さ三十センチほどの瓦礫の山があり、ここで足を取られると、かなり危険と考えられた。

 

「重量物を抱えた状態で、あの悪路を何秒で走破できるか、タイムを計測してみましょう」

 

 まず、アルトワークスを抱えた状態のXI-01が挑んだ。全身の人工筋肉を悲鳴で軋ませながら、すり足気味の挙動で悪路に挑む。

 

 最初の一歩を踏み出してすぐ、つま先が、瓦礫に引っかかった。人工筋肉のパワーで強引に蹴り上げ、進もうとするも、なかなか速度が上がらない。それでもなんとか、十メートルを突き進み、最大の難所、高さ三十センチの山に辿り着いた。コンクリート片を蹴り除けながら右足を高く上げ、山の頂上を踏む。一トン近い荷重により、山が崩れ、足を取られた。たまらず、XI-01は尻餅をつく。衝撃でアルトワークスを取り落としそうになるも、慌てて両腕の人工筋肉を収縮させ、なんとか、その事故だけはこらえた。

 

「いまのは、パワードスーツの操縦に馴れている、うちの社員だからこそ、落とさなかったのです」

 

 悲鳴をあげた見学団の顔を、桜坂は見回した。

 

「装着者の訓練が不十分な場合、あの状況ではほぼ確実にアルトワークスを取り落とし、大きな事故を起こしていたでしょう」

 

 雪崩を起こした斜面に尻餅をつくトムは、車輌を抱えたままの状態では、立ち上がるのは困難と判断した。一旦、アルトワークスをゆっくりと下ろし、まずはパワードスーツを起立させることを優先する。それから、改めてアルトワークスを抱え上げ、コースの残り半分を進んだ。二十メートルを歩ききったのを見て、モニタールームの滑川たちが、ストップウォッチを止めた。

 

『室長、タイムは四三秒です』

 

「……四三秒だそうです」

 

 モニタールームからの声を、桜坂はそのまま伝えた。

 

「では、次にXI-02の動きをご覧ください」

 

 モニタールームから、ストップウォッチのボタンを押し込んだことを知らせる合図。プロボックスを垂直に持ったままの状態で、XI-02を身に纏った土居は地面を蹴った。

 

 一歩目から、観客席からは動揺の声が上がった。膝を高く掲げ、振り下ろす、まるで短距離走のような走法。たしかに、あの走り方なら速いだろうが、その分、足裏が接地した際の衝撃は、XI-01のすり足とは比べ物になるまい。それなのに、

 

「見ろ! すいすいと進んでいるぞ!」

 

 不安定な足場など、ものともしない。高性能なショック・アブソーバーとオート・バランサーの賜物だ。肩で抱えるプロボックスも、安定している。

 

 やがて、コース中腹の小山に差し掛かった。ハイパーレスキュー隊の田神の口から、ああっ、と悲鳴が迸る。

 

 XI-02はプロボックスを抱えたまま地面を勢いよく蹴ると、ぴょん、とジャンプして、山を乗り越えた。さすがに今回ばかりは、着地時に僅かに腰を沈めて衝撃を殺すのに時間をかけるも、ロス・タイムはコンマ数秒程度。プロボックスを取り落としそうになることもなく、平然と走行を再開する。二十メートルを走りきり、ストップウォッチのタイマーが止まった。

 

『タイムは六・九秒です!』

 

「六・九秒! ご覧いただけましたか!」

 

 仁王の顔の桜坂が、完爾と微笑んだ。

 

「一・二トンもの重量を抱え持った状態で、しかもあんな走法で、あの瓦礫の道を走りきるのに、七秒もかかっていないのです!」

 

「プロボックスを抱えた状態で、あの速さなら……」

 

 千種消防署の署長、四八歳の室井隆が呻いた。一・二トンもの重量を抱えた状態で、二十メートルの悪路を走破するのに要した時間が六・九秒ということは、時速十・四キロメートル。もし、プロボックスを持っていない、フリーハンドの状態であれば、どれほどの機動性を見せてくれるのか!?

 

「今回は、わが社の開発したパワーアシスト機構の性能も見てもらうために、こんな派手なパフォーマンスをしましたが……」

 

 桜坂は微笑した。

 

「以前、フリーハンドの状態で同様のテストを行った際には、XI-02は、一・五秒のタイムをたたき出してみせました。時速四八キロメートルの速さです」

 

「……ちょっと待ってください」

 

 声を荒げたのは田神忠昌だった。彼は手元の資料をめくりながら言う。

 

「この資料には、XI-01が、整地された水平な道で、最高速度が時速五十キロメートルとあります。XI-02は、悪路でそれに近い数字がたたき出せるということですか!?」

 

「その通りです」

 

「では、同様に、整地された水平な道では!?」

 

「最高、時速一〇四キロメートル!」

 

 桜坂は力強く応じてみせた。

 

「これが、我々の開発したパワードスーツです!」

 

 あえて芝居がかった所作で言い放った桜坂を前に、見学団は色めき立った。二トン重ものパワーを持ち、整地された道ならば時速一〇〇キロメートル・オーバーの速さで疾走出来る。圧倒的な性能だ。現在、国連が開発中だというEOSよりも優れているのではないか。

 

 そんな中、ひとりだけ渋い顔をしている男が挙手をした。

 

「一つ、よろしいでしょうか?」

 

 右手を掲げたのは、総務省職員の城山悟だった。今回の見学団には、消防庁の予算がよくよく考えてみれば不要な買い物に費やされるのではないか、という懸念から同行しているようだ。

 

「何でしょう、城山さん?」

 

「資料によれば、XI-01、02ともに、装甲には超々ジュラルミンが使われているということですが……」

 

 一九三六年に日本の住友金属工業が開発した、強靱なアルミニウム合金だ。第二次世界大戦の名機、ゼロ戦に採用されたことで有名な素材でもある。

 

「装甲材料にこれを採用したのはなぜでしょう?」

 

「軽量かつ強靱な金属素材と考えたからです」

 

 城山の質問に、桜坂は、さらり、と応じた。

 

「スーツの重量を少しでも軽くするためには、装甲には軽量な金属素材を使うべきと考えました。超々ジュラルミンは高い引っ張り強度と耐圧力性を持った素材で、また、比較的安価に調達が可能です。スーツの製造コストを抑える意味でも、これ以上の素材はない、と考えました」

 

「桜坂室長、皆さんは、アルミニウムが、熱に弱い金属だということはご存知ですか?」

 

「それは勿論、知っていますが……」

 

 桜坂は怪訝な顔をした。城山は重ねて言う。

 

「アルミニウムの融点は約六六〇度。超々ジュラルミンの場合、強度などの性能を維持出来るのは、一五〇度くらいまで、とされています。ところで、皆さんは火災の現場の温度が何度くらいになるのか、ご存知でしょうか?

 

「……いいえ」

 

 城山の言わんとすることを察して、桜坂は硬い表情でかぶりを振った。

 

「何が燃えているのかにもよりますが、建物が全焼するような火事の場合、温度は六〇〇~九〇〇度にもなります」

 

「そんなになるんですか!?」

 

 桜坂は隣に立つ酒井と顔を見合わせた。かなりの高温なんだろう、とは薄ら想像していたが、まさかそれほどとは……!

 

 驚く桜坂に、城山は言う。

 

「誤解しないでいただきたいのですが、私は何も、XI-02にケチをつけたいのではありません。実際、御社が開発したパワードスーツの性能は素晴らしい! ですが、それだけに、装甲素材の選定というただその一点、ただその一点だけに問題があるというのは、惜しいと思わずにいられないのです」

 

「……酒井さん」

 

 桜坂は、かたわらに立つ酒井の顔を見た。彼は開発室でいちばん素材に詳しいエキスパートだ。

 

「いま、城山さんから寄せられた意見を加味した上で、災害救助用パワードスーツの装甲に相応しい金属素材は、やはり、チタンでしょうか?」

 

「……そうですね」

 

 チーム最年長の酒井は、硬い表情で頷いた。

 

「アルミほどではないですが、チタンも軽金属の一種で、しかも、アルミよりも強度に優れています。化学的にも安定した性質を持ち、腐食などにも強い。融点も、一六六八度あります。……活性金属なので、あまりにも高い温度と高圧にさらされると、強度低下を起こしてしまいますが」

 

 チタニウムを主材料とするチタン合金は、もともと航空宇宙用に開発された。航空機の外板によく使われるジュラルミン合金は、先ほど城山が指摘した通り、熱に弱いという欠点がある。これが民間の旅客機などであればあまり問題にならないが、戦闘機のような超音速が求められる飛行機では、この弱点が浮き彫りになる。すなわち、音速を超えるような速度域では、空気との摩擦熱がものすごい高温となり、アルミ合金では耐熱性が不足してしまうのだ。たとえば、マッハ二・七の速度域では、機体表面の温度は二百度にも達し、アルミ合金だと急激に強度が劣化してしまう。

 

 その点、チタンならばその心配がいらない。そもそも融点が高い上に、熱伝導率の低い金属なので、熱くなりにくいのだ。金属疲労も起こりにくく、亀裂が生じても、それ以上拡大しにくい。航空宇宙用としては勿論、災害救助用パワードスーツの外板としても、理想的な金属素材といえた。

 

 ただし、欠点もある。アローズ製作所のような、営利団体では無視出来ない、とても重大な欠点が。

 

「ただし、チタンは高い」

 

「ええ」

 

「昔に比べれば、技術進歩によってだいぶ安く、生産出来るようになりましたが、それでも、アルミに比べればかなり高価な素材です。これを装甲板に使うということは、当然、製造原価が上がってしまいます」

 

「そうなんですよねえ」

 

 桜坂は重苦しい溜め息をついた。

 

「チタンを使うと、スーツ一着あたりの単価が、一千万円を超えかねない」

 

「……ちょっと待ってください」

 

 先ほど質問を口にした城山が、今度は震える声で言った。

 

「私の聞き間違いでしょうか? いま、チタンを使うと、一着あたりの単価が一千万円を超える、とおっしゃったように聞こえましたが……」

 

「……ええ、そうですよ」

 

 訝しげな顔で頷くと、城山は息を呑んだ。

 

 彼が何に対してそんなに驚いているのかが分からない桜坂は、ますます怪訝な表情を深める。

 

「ま、待ってください。あなた方は、あれほどの性能を持つパワードスーツを、一着いくらで売るつもりだったのですか!?」

 

「……我々の夢は、我々の作ったパワードスーツを世界中に普及させることです」

 

 城山に胡乱げな眼差しを向けながらも、桜坂はしっかりとした口調で応じた。

 

「とはいえ、我々も商売ですからね。普及のみを考えて安く売っては、たちまち破産してしまう。損益分岐点を考えると、一着あたり、八百万円ちょいくらいを理想と考えていましたが……」

 

 桜坂の発言に、城山のみならず、見学団の十一人全員が絶句した。

 

 あれほどの性能のパワードスーツが、プレミアムカーくらいの値段でしかないだと!?

 

 驚く一同の顔を見て、桜坂はしかめっ面になる。

 

「……やはり、高すぎますかね?」

 

 販売価格が高額すぎると、パワードスーツ普及の妨げになることを理解しながらも、自身の呈示した値段がすでに法外に安いと気づいていない桜坂は、溜め息をついた。

 

 ドームの屋根が外から、荷電粒子砲の一撃によって突き破られたのは、その直後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




本作の主人公、鬼頭智之は大人です。

大人なので、十代の一夏たちとは友達にはなれませんし、彼の方から恋愛関係になりたいと思う可能性も低いです。

あくまでも大人として、子どもである彼らに接します。

だから、大人として彼らを守ろうとします。

子どもを傷つけるものに、彼は容赦なく牙を剥きます。




さて、次回はいよいよ主人公の初戦闘シーン。

さぁ、無人IS解体ショーの始まりや!






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