この小さな世界で愛を語ろう   作:3号機

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四ヶ月ぶりの初投稿です。

原作二巻のお話しの前に、つなぎのお話しを。

なお、本話からしばらく、おふざけ回となります。






Chapter25「開かれた戸」

 

 

 

 五月の大型連休期間を翌週に控えた、ある日の昼休み――。

 

 鬼頭智之はIS学園本校舎の一階にある教職員室を訪ねていた。担任の千冬か、もしくは副担任の真耶に用あってのことだ。「失礼します」と、朗々と喉を震わせながら戸を開き、切れ長の双眸でもって室内を見回すと、目当ての二人はすぐに見つかった。それぞれのデスクで書類仕事に精を出していた彼女らは、IS学園では耳にすること自体が珍しい男の声に反応して、ほとんど同じタイミングで顔を上げた。

 

 ――二人ともいてくれたのか。好都合だな。

 

 鬼頭は他の人の出入りの妨げにならぬように、と教室に入ってすぐの待機スペースへと移動した。その位置から二人に向かって会釈し、「いま、お時間よろしいですか?」と、声をかける。彼女たちは二、三言葉を交わした後、まず千冬が席を立った。ブック型の情報端末を左手で抱え持ち、こちら側には来ないでください、と右手でジェスチャーしながら向かってくる。

 

 その間に、真耶が机の上を急いで片付け出すのが見えた。おそらく、自分に見られては都合の悪い書類か何かを広げていたのだろう。後で確認したところ、案の定、三限目の授業で配られた小テストの採点作業を二人で行っていたとのこと。なるほどなあ、と得心した。

 

「鬼頭さん、どうされました?」

 

「織斑先生、実は、お願いしたいことがあって来たのですが……」

 

 待機スペースで千冬を迎えた鬼頭はそこで一旦舌先を休めると、ちら、と彼女のデスクに目線をやった。書類の束がうずたかく積み上がり、五十センチ級の山々が連なる紙の大連峰を形作っている。おそらくは何日も溜め込んでいた物を一気に片付けている最中だったのだろう、と推察した彼は、その邪魔をしてしまった意識から、「お忙しいときにすみません」と、用件よりも先に謝罪の言葉を口にした。すると、今度は謝られた千冬の方が、かえって申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 

「鬼頭さん、いえ、それは……」

 

「ああ、鬼頭さん。それは違うんですよ」

 

 遅れてやって来た真耶が、どうにも歯切れの悪い千冬の言葉を引き継いだ。彼女の隣に並び立つと、鬼頭に向かって可憐に微笑む。

 

「山田先生、違うとは?」

 

「織斑先生の机の上が“ああ”なのは、いつものことですから。特別、忙しくしていたところに鬼頭さんがやって来たとか、そういうことではないので安心してください」

 

「山田先生、余計なことは言わないでよろしい」

 

 千冬は自分の隣に並んだ真耶の横顔を軽く睨んだ。世界最強の称号を持つ女傑の双眸より放たれた鋭い眼光線が、まだ学生らしさの抜けきれない童顔な同僚教師の頬を、じりじり、と焼く。真耶は苦笑しながら、「はぁい、織斑先生」と、頷いた。どうやらこの手のやり取りは、二人の間では頻繁に行われていることらしい。おそらくは慣れからだろう。頬に押し当てられたプレッシャーにも拘わらず、後輩教師の顔に、緊張の色は薄かった。

 

 むっつり顔の千冬はなおも何か言いかけて、鬼頭の視線に気がつき、口をつぐんだ。弟に次いで発見された二人目の男性操縦者は、自分たちのやり取りを興味深そうに眺めていた。

 

「……なんですか?」

 

「いや、失礼ながら、意外だな、と思いまして」

 

「何がです?」

 

 羞恥心から思わず刺々しい口調になってしまう千冬に、鬼頭は苦笑しながら応じた。

 

「普段の様子から、そういった部分でも自分に厳しい、隙のない方だと勝手に思い込んでいたので……。苦手だったんですね、片付け」

 

 世界最強のブリュンヒルデにも、そんな普通の女性らしい弱点があったのか。驚くと同時に、微笑ましく思った。平素の強面ぶりがすさまじい千冬だけに、普通ならば欠点でしかないそれも、鬼頭の目には愛らしいギャップと映じていた。

 

「……昔から、細々とした作業は苦手なんですよ」

 

 千冬はぶっきらぼうな口調で応じた。気恥ずかしさを振り払うように、ごほん、とわざとらしい咳払いを一つ。「それで……」と、口調を改め、切り出した。

 

「お願いしたいこと、というのは?」

 

「はい」

 

 鬼頭は頷くと、白いジャケットの内ポケットから黒革の手帳を取り出した。高橋のビジネス手帳だ。最初の方のページを開き、四月と、五月のカレンダーを二人に見せる。

 

「来週から始まる、ゴールデンウィークについてなんですが……」

 

 二〇二六年の黄金週間の期間は、国民の祝日に加えて土曜日、日曜日の休みが上手く噛み合わさったことで、人によっては最大で十二連休、IS学園でも六日連続の休みが保証されていた。鬼頭はそのうち最終日を含む四日間を示した。

 

「このあたりで、二日か、出来れば三日間、外泊の許可をいただけないかと思いまして」

 

 全寮制で、かつ人工島に校舎と寮を構えるIS学園では、プライベートな理由による島外への移動や外泊には、学年主任からの承認を得る必要がある。ISはあらゆる分野の最新技術が結集して作られた、技術情報の塊だから、アラスカ条約に定められていない違法な流出を防ぐために、教員たちは生徒一人々々の出入りに対しても、常に監視の目を光らせていた。

 

 具体的な手続きは、まず学級の担任を務める教員に申請書を提出し、記載事項に不備や問題がないか、そしてなにより、申請者の為人をチェックしてもらう。それをパス出来たら、今度は学年主任による最終的な審査を受ける、というダブル・チェック方式だ。もっとも、一年一組に在籍する鬼頭の場合は、担任の千冬が同時に学年主任も兼務しているため、ファースト・チェックの担当者は副担任の真耶となるが。

 

 鬼頭の用件を知った千冬と真耶は、途端、揃って顔の筋肉を強張らせた。目の前の男に対し、要望を叶えてやれないことへの申し訳なさと、自分の立場をわきまえてほしいのだが、というたしなめの気持ちが同居した、複雑な眼差しを向ける。

 

 他方、鬼頭は二人のそんな表情を見て、やはりな、とひっそり嘆息した。自分がこの話題を口にすれば、二人がそういう顔をするだろうとは、あらかじめ予想されたことだった。

 

「やはり、難しいでしょうか?」

 

「ええ」

 

 千冬は苦々しい口調で呟くと、申し訳なさそうにかぶりを振った。

 

「残念ですが。いまや鬼頭さんは、世界にたった二人しかいない、特別な立場にあるお方なのです」

 

 織斑一夏の発見からすでに二ヶ月が経過していた。この間、他にもISを動かすことの出来る男性がいるのではないか、という調査は世界中で実施されてきたが、鬼頭に続く第三の男は、いまだ発見の兆候さえ見られない。

 

 斯様な情勢下において、彼ら男性操縦者の存在は、物質面においても、精神面においても、世界の最重要人物といえた。彼らの身体を子細に分析すれば、他の男性でもISを動かせるようになるかもしれない。そうでなくとも、男性操縦者を自国で抱えることが出来れば、外交上の強力なカードとなるだろう。内政面においても、たとえば民主主義の国であれば、女性優遇政策を推進するほどに低下していく男性有権者からの支持を、復活させるためのカンフル剤として機能してくれるかもしれない、など……。そうした企みを懐に抱え持ち、男性操縦者たちに欲望の熱視線を向ける者たちは、各国の政府機関や国営・民間問わず様々な企業、様々な研究所、はては宗教団体と、枚挙に暇がなかった。

 

 また、そうした連中とは反対に、鬼頭らの存在を疎ましく思い、この世界から排除したいと考えている者もいる。たとえば、ある種の原理主義的思想に取り憑かれた、一部の女性権利団体などがそうだ。

 

 自らを新世代のフェミニストなどと豪語して胸を張る彼女らの有り様は、宗教結社のそれに近い。すなわち、ISの生みの親である篠ノ之束を信仰し、女尊男卑の考え方を教義とする集団だ。彼女らにとって、男女の社会的立場の天秤が一方の側に鋭く傾いているいまの時代は、まさにわが世の春。そんな女のための時代を切り拓いた篠ノ之束は、砂漠の丘に立った羊飼いも同然の存在であり、ISは神たる束が自分たちに授けてくれた、神聖なる神の鎧といえた。そしてそのために、彼女たちは、男の分際で神の鎧を身に纏うことの出来る男性操縦者のことを、不倶戴天の敵と見なしていた。

 

 神聖なる神の鎧を、汚れた血で犯したおぞましき存在。それだけでも許しがたいことなのに、有識者曰く、彼らの身体を調べれば、他の男どももISを動かせるようになるかもしれないという。そんなことは決して許されない。やつら男性操縦者は、女のための社会の存立基盤を根底から揺るがしかねない危険極まりない存在……神の築いたいまの世を討ち滅ぼそうとする、悪魔も同然の輩だ。手遅れになる前に、わたしたちの手で、打ち倒さねば!

 

 事実、織斑一夏の身柄をIS学園で引き受けることが公表されて以来、学園にはこの種の団体からの抗議と、引き渡しを要求する連絡が後を絶たないという。男性操縦者の保護だなどと、いったい何を企んでいるのか。お前達は、ようやく訪れた女のための時代を終わらせるつもりなのか。お前達には男性操縦者の身柄を任せておけない。あの悪魔の子の罪は、わたしたちの手で裁く。だから、お前達は大人しくその身柄をこちらに渡せ……といった具合だ。

 

「いまの愚弟や鬼頭さんの一挙一動は、そうした連中から常に見張られている、と考えてください。彼らの中には、暴力的な手段や、非合法な活動をも厭わないような、出自からしてダーティな組織が少なくありません。そんな輩からの注目を集めているいま、あなたが学園の外に出るのは、非常に危険なことなのです」

 

 硬い口調で言い放った千冬に、鬼頭も険しい面持ちで頷いた。もとより、自分や一夏がIS学園に通っている最大の理由は、千冬が口にしたような邪な企みの数々から身を守るためだ。学園のあるこの島から出ることの危険性は、彼も重々承知している。

 

 自分たち男性操縦者は、たとえるなら世界でたった二個体しか見つかっていない珍獣のような存在だ。世界中の誰もがその姿を一目見たいと思い、あわよくばこの手に収めたい、と考えている。そんな二人の身を守るIS学園は、いわば動物園の檻であり、この鉄柵がために、誰も手を出せずにいるのだった。

 

 それが、肝心の二人が自らの意思で檻の外に這い出てくれる、となればどうなるか。

 

 目的のためならば手段を選ばぬマキャヴェリストたちをして、IS学園に対し手を出しづらいのは、言うまでもなく、その軍事力を脅威と思うがゆえだ。なんといっても、相手は最強兵器ISを常に三十機以上も保有している組織。また同時に、最新の軍事技術を研究している機関でもある。情報の流出を防ぐため、十重二十重のセキュリティ体制が築かれていた。これらをかいくぐった上で、さらに三十機以上ものISを打ち破らねばならぬことを考慮すると、男性操縦者たちを学園の外に連れ出す作戦は、現実的ではない。しかし、鬼頭たちの方から学園の外に出てくれるとなれば、誘拐の難易度はぐっと低くなる。少なくとも、学園の保有するIS軍団との対決は回避出来る。

 

 おそらくは様々な組織が好機と捉え、誘拐の計画を練り、競って実行に移してくるだろう。

 

 しかも、相手のそういった動きに対し、IS学園側には有効な対抗手段がない。

 

 IS学園の誇る世界屈指の軍事力は、正面からの戦いには強いが、要人警護や人質救出といった、いわゆる特殊作戦の実行者としてはその強みを活かしづらい。学園の外では、アラスカ条約の定める運用規定が足枷となり、戦力の自由な展開が出来ないためだ。

 

 特殊作戦の多くは、戦闘がないか、生じたとしても小規模であったり、民間人が普通に生活しているエリアに近い場所が戦場となりがちだったりで、ISの投入は過剰戦力と見なされやすい。迂闊な使用は、現場の指揮官や操縦者自身の立場をかえって悪くする恐れがあった。

 

 だからといって、ISの存在を抜きに考えた場合、IS学園の戦闘力は半減以下にまで落ち込んでしまうだろう。そもそもIS学園は、優秀なIS操縦者を育てるための組織だ。人員も、装備も、すべてそのために用意されたもの。特殊作戦を実行可能な人材に乏しかった。

 

「敵にとっては攻めやすく、我々は守りづらい。男性操縦者が学園の外に出れば、そういう状況での戦いを強いられることになります」

 

「島の外に出るべきではないし、わたしたちも出させない。鬼頭さんの自由を奪ってしまって申し訳ありませんが、それが、いちばんの安全策なんです」

 

「……日本政府からも、そうするよう言われましたか?」

 

 鬼頭が訊ねると、真耶は辛そうに眉根を寄せながら悄然と頷いた。男の薄い唇から、残念そうに溜め息がこぼれる。

 

「やはり、そうでしたか」

 

「鬼頭さん」

 

「実を言えば、おそらく無理だろうなあ、とは予想していたんです」

 

 千冬と真耶は等しく息を呑んだ。そう口にした鬼頭の双眸に、深い悲しみの色を見出したためだ。見ているこちらの胸が締めつけられてしまうほどの、痛々しい瞳だった。

 

「ただ、それでも諦めきれなかったと言いますか、もしかしたら、という思いを捨てきれませんでした」

 

「鬼頭さん……」

 

 悲しげに強張った顔を見つめているうちに、真耶は沈痛な気持ちがいつしか自身の胸の内をむしばんでいくのを自覚した。いったい何がそんなに悲しいのか。外泊したい理由とは、それほどのものなのか。彼の表情を変えてやりたい。その悲しみを、取り払ってやりたい。そのために、自分に出来ることはないか。外泊そのものは許してやれずとも、せめて彼の気持ちに寄り添う術はないか……。真耶は舌先で言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。

 

「鬼頭さん」

 

「はい」

 

「そんなにも島の外に出たい理由って、何なんですか?」

 

「山田先生、それは……」

 

 その問いかけは答えを聞くべきではないし、そもそも口に出してよい質問でもない。中途半端に同情心を見せたところで、我々に出来ることは何もない。名を呼ぶことで言外にたしなめようとする千冬に、しかし、真耶は毅然と応じた。

 

「いいじゃないですか、織斑先生。鬼頭さんの様子を見てください。外泊したい……いいえ、外泊しなければならない、よほどの理由があるんだと思います」

 

「理由を聞いたところで、我々に出来ることは……」

 

「はい。ないかもしれません。でも、もしかしたらあるかもしれません。外泊そのものは許してあげられなくても、このIS学園の中で、それに近いことをしてあげられるかもしれません。たとえば、何か大切な買い物をしたい、というのなら、通信販売の手段を探したり、お店の人をこの学園に呼んであげたり……それくらいのお手伝いくらいは出来るはずです」

 

 そのためには、鬼頭が大型連休を利用してやろうとしていること、やりたいと思っていること、その目的、その理由を知る必要がある。

 

 真耶は柔和な笑みを浮かべながら、鬼頭に話しかけた。

 

「鬼頭さん、外泊の目的は、いったい何なのですか?」

 

「……名古屋に帰って、いくつか、すませたい用事があるのです」

 

 真耶の話し方に合わせて、鬼頭もゆっくりと言葉を選びながら応じた。

 

「細々としたものを除けば、大まかには四つあります。まず、会社の方に顔を出したいと考えておりました。建前とはいえ、私は技術研修のためにIS学園に派遣された身です。そろそろ一度、この学園で学んだことを会社のためにアウトプットしたいと思いまして」

 

 パワードスーツ開発室のメンバーとは、携帯電話やノートパソコンといった各種の通信機器を駆使して頻繁に連絡を取り合っていた。ただ、通信機を介してのやり取りでは、伝えられる情報量に限りがあるし、なにより、一度に会話出来る人数が限られてしまう。開発室以外の同僚たちの顔も見たい。やはり対面で、それもある程度一堂に会した上で意見交換の場を設けたかった。

 

 鬼頭の言葉に相槌を打ちながら、真耶は、どうすれば目の前の男の希望を叶えられるか、と頭の中で素早く算段を練っていく。いちばん現実的な解決策は、件の開発室のメンバーをこの島に呼び寄せることだろうが、はたしてそれは可能か、否か。先方の人数は? 学園に求められる態勢は? ボディ・チェックや手荷物検査はどこまで行うべきだろう? 人員だけでなく、彼のチームが開発しているという災害救助用パワードスーツの試作品といった、資材の持ち込みがあった場合はどう対応する? ……そうした、島への上陸に際して生じるだろう問題要素の一つ一つを細かく分析し、総合的に判断した上で、上陸計画の素案を練り上げる。これで上層部を説き伏せることが出来るだろうか、と自問し、いいや、これではまだ弱い、とかぶりを振った。もっと細部を煮詰めなければ。もっと説得材料をひねり出さねば……。丸い眼鏡の向こうで、むむむ、と眉尻がつり上がる。

 

 そんな思案顔を嬉しく思いながら、鬼頭は続けて、故郷に帰りたいと思う二つ目の目的について口を開いた。

 

「二つ目の理由は、堂島弁護士の事務所を訪ねるためです」

 

「堂島弁護士というと……」

 

 その名前に、真耶だけでなく千冬も反応した。たしか、鬼頭と元妻たちとの間で繰り広げられた裁判を、二度にわたって彼とともに戦った弁護士の名前だ。重ねて、そういえば、と思い出した千冬が口を開く。

 

「そういえば、週刊ゲンダイの例の記事のことで、訴訟の依頼をしていたんでしたね」

 

「ええ」

 

 鬼頭は首肯した。言うまでもなく、今月初旬に発刊された、週刊ゲンダイの特集記事にまつわる案件だ。

 

 件のバックナンバーは、自分と晶子の関係について捏造記事でもってあることないこと全国的に吹聴してくれた。これを不満に思った鬼頭は、顔馴染みの弁護士に編集部を名誉毀損で訴えるよう依頼したのだ。

 

 週刊ゲンダイ編集部に対し、鬼頭と堂島弁護士が練った作戦の基本戦略は、準備にはたっぷり時間をかけ、攻めるときは一気呵成に、というものだった。

 

 出版不況が叫ばれる昨今、年々発行部数を落としているとはいえ、相手は腐っても四大マスメディアの一角、それも全国誌を刊行出来るだけの体力を持つ大出版社だ。組織の規模や資金力、各方面への人脈といった組織力の脅威は勿論のこと、世論形成の手腕に長けている。怒り任せに吠え立てたところで勝算は低いだろうし、中途半端な態勢でつついたせいで、かえって手痛い反撃を引き出してしまう事態まで考えられた。

 

 このような相手といかにして戦うか。鬼頭たちは入念な下準備と大胆な行動力こそが勝利の鍵である、と意見を一致させた。すなわち、相手が言い逃れのしようがないほどの十分な量の証拠資料を揃えた上で、反撃の暇を与えぬよう一気に畳みかける作戦だ。勿論、ここでいう証拠とは、記事の内容には嘘偽りが含まれていること、その嘘によって鬼頭親子が精神的にも、物質的にも深く傷つけられたことを証明する、という意味だ。

 

 証拠資料の作成は難航した。週刊誌の内容は捏造だと証明しうる最も有力な証拠は、晶子たちとの間で行われた過去二度の裁判の記録だが、陽子の心情を思うと起用しづらい。

 

 そこで二人が考えた次善の策は、鬼頭の高校時代の級友だった加藤耕作の行方について調べることだった。週刊ゲンダイの特集記事に記載のあった、本誌記者の独占取材に応じてくれたという情報提供者と思われる人物だ。彼を捕まえることが出来れば、記事の内容は出鱈目であるということ、そもそも提供した情報自体が嘘だったことなどを証言させられるかもしれないと期待された。

 

 ところが、これが一向に見つからない。

 

 加藤の所在について、二人は探偵の松村祐輔に調査を依頼した。これまた、晶子との裁判のときにお世話になった人物だ。陽子の親権を取り戻して以来、連絡をとるのは四年ぶりのことだったが、向こうも鬼頭のことを覚えていてくれた。

 

 松村探偵の調査能力は相変わらず素晴らしかった。依頼をしてから僅か三日で、太陽光事業に失敗した後の加藤の足取りを調べてくれた。会社を清算した後、愛知県岡崎市にある家電修理の会社に再就職した彼は、借金の返済に追われながら、安アパートで独り細々と生活していたという。それが、最近になって突然、アパートを引き払い、行方をくらませた。

 

『この加藤耕作が、鬼頭さんたちの推理通りに情報提供者だとすれば、逃げたのかもしれません』

 

 男性操縦者たちに関する情報は、どんな些細なものであれ、日本政府の管理下にある。政府の意に反してこれを広めた場合、国家権力組織からの追及を受けることになる。……インターネット上では、そんな都市伝説のような噂がまことしやかに囁かれているという。

 

『真に受けた、とはさすがに考えにくいですが、万が一のことを恐れて、足がつかないよう住居を引き払ったのかもしれません。そうだとすれば、厄介ですよ、これは』

 

 スマートフォンのスピーカーから聞こえてきた松村の声は硬かった。元警察官の彼は、逃走中の犯人が捜査員の追跡をかわすために、一ヶ所にとどまらずホテルを転々とする手口を警戒していた。

 

 出版社編集部にとって、情報提供者は大切な金の卵だ。これを逃がすためならば、資金の提供は勿論、ホテルの手配など協力は惜しまないだろう。松村もいまは市井に暮らす一民間人。大手出版社の支援を受けながら逃走しているかもしれない一個人を探すのは難しい。

 

『全力を尽くしますが、基本的には、加藤耕作の存在なしで、訴訟プランを練った方がいいと思います』

 

 そんなやり取りを交わしたあの日から、もう二週間が経っている。その間、松村からは四度調査報告書を受け取っているが、内容はいずれも芳しくなかった。級友の行方は、依然としてつかめていない。

 

「……それで、これはいよいよ、覚悟を決める必要があるな、と。昨晩、堂島弁護士と話し合いましてね。加藤の証言は得られないものとして、作戦を考えましょう。その話し合いをしましょう。出来れば、直接お会いして。……という、話になったのです」

 

「なるほど……」

 

 鬼頭の言葉に、今度は千冬が思案顔になった。

 

 週刊ゲンダイとの係争問題は、IS学園にとっても無視出来ない話題だ。これがどう解決するかによって、学園も今後の立ち振る舞いを考える必要がある。

 

「……そういう話し合いであれば、是非とも進めてほしいですね」

 

 一転して協力的な態度を見せる千冬の横顔を、かたわらに真耶は軽く睨んだ。掌返しが速すぎませんか、と無言のうちに棘のある感情をぶつけられた世界最強の女傑は、素知らぬ顔でブック型の情報端末を操作した。

 

「それで、他に用事は?」

 

 堂島弁護士をこの島に迎えるとしたら、いつ頃が都合がよいか。カレンダーをチェックしながら、千冬は話の続きを促した。

 

「三つ目の用事は、かなりプライベートなものです。名古屋に置いてきた資産のうちいくつかを整理して、現金化したいのです」

 

「……もしかして、《トール》の開発費ですか?」

 

「はい」

 

 千冬の質問に、鬼頭は首肯した。

 

「桜坂から借りている金を、早く返さねば、と思いまして」

 

 過日のクラス代表決定戦に臨む娘のためにとこしらえたレーザー・ピストル二挺の制作費は、大半が親友の桜坂から借金をして用意したものだった。本当は全額自分の資産から捻出したかったのだが、この島から出られぬ身では資金の移動を上手く行えず、やむなく、彼に頼ることになってしまった。その金額、およそ四百万円。脅威の新兵装の開発費用としては破格の安さだが、一般人がすぐに用意出来るような額でもない。

 

「試算では、名古屋に置いてきた愛車と、時計コレクションをいくつか。それから、昔、少しばかり手を出した株券を売却すれば、用意出来るはずなのですが」

 

 言葉を絞り出す度、自身の内側で憂鬱な気持ちが膨らんでいくのを自覚した。クルマにせよ、時計にせよ、すべて思い出深い品々ばかりだ。《トール》を作ったこと自体に後悔はないが、彼らを手放すための契約書にサインする瞬間のことを思うと、気落ちせずにはいられない。

 

「そういう事情じゃ、イギリス政府からもらったお金を使うわけにもいけませんしね」

 

 がっくり肩を落とす鬼頭の顔を見る真耶の瞳は、同情心に曇っていた。

 

 内閣情報調査室が監視している彼の預金口座に、英国の複数の企業から二百万ポンドもの大金が振り込まれたのは一週間ほど前のことだ。吃驚仰天した日本政府からの要請で、いったい何事か、と訊ねた真耶たちに、鬼頭はBTシステムの研究を手伝うことになった経緯を説明した。彼曰く、二百万ポンドは当座の軍資金として、イギリス政府が用立てたものだという。当然、真耶たちIS学園は、鬼頭が代弁した英国政府の言い分について疑義を抱いた。

 

 ISを含む現代兵器の多くは、技術の進歩によって年々高性能化・多機能化が進んでいるが、それに伴って、開発費や生産に必要な設備への投資、調達費、運用費といったコストもまた増大の一途を辿っている。たとえば、ISの登場以前は世界最強の航空戦力とされた米国のF-22ラプター戦闘機は、開発費だけで二二七億ドル、一機あたりの調達費は一億五千万ドル、プログラム全体では六七三億ドルもの予算がかかっている。

 

 ISは、そんな莫大な予算を費やして開発された第五世代戦闘機すら圧倒する超兵器だ。小柄な見た目に反してまごうことなく最新技術の塊であり、当然、その開発費は高額である。最新の第三世代機ともなれば、少なくとも百億ドル単位の資金が必要だろう。

 

 これらの数字と比べると、二百万ポンドという金額はなんとも頼りない数字だ。大金には違いないが、IS開発の予算としては端金といえる。勿論、鬼頭の参入は計画外のことだから、すぐに用意出来たのがそれだけだった、というだけのことなのかもしれないが……そうではないとしたら。

 

 研究開発費というのは十中八九建前だろう、というのが、日本政府とIS学園の見解だった。二百万ポンドという数字も、貴重な男性操縦者の関心を買うための工作資金と考えれば納得がいく。事実、英国政府は大金の他に、高級車のプレゼントも約束したという。懐柔工作なのは明白だった。

 

 そうした考えを伝えると、鬼頭は苦笑しながら、「まあ、そうでしょうねえ」と、呟いた。天才と呼ばれる彼だ。二百万ポンドの贈呈に篭められた意図など、とうに見抜いていた。

 

 もっとも、彼の場合は逆に、二百万ポンドという数字を多すぎる、と感じての判断だったが。二百万ポンドもの大金を個人に預け、その使い途を託すなど、国家が下す判断としては常軌を逸している。これはきっと、そういうことに違いない、と彼は考えた。

 

 鬼頭は、なればこそこの金を研究以外のことで使うわけにはいかない、と己を律していた。それ以外の用途で使ってしまえば、その事実を根拠に、英国政府からのアプローチを拒みにくくなってしまう、と考えたためだ。

 

 イギリス政府への協力は、セシリアのことと、BTシステムに使われている技術をXI-02にも導入出来ればな、という下心からのこと。少なくとも、いまはまだ、かの国との関係について、必要以上の親密さは不要と、彼は考えていた。

 

 鬼頭の話を聞きながら、真耶は、困ったわね、と口の中で呟いた。イギリス政府からのお金が使えないとなると、やはり、鬼頭には個人資産を売却してもらう必要がある。しかし、そのためには方々に足を運ばねばならない。彼の身の安全を考えると、これは避けたいことだが。

 

「鬼頭さんが、よろしければですが……」

 

 悩ましげに眉をひそめていると、かたわらの千冬が口を開いた。何か良案が思いついたのか、と先輩教師の横顔に向ける視線には期待の気持ちが篭もる。

 

「IS学園で《トール》を買い取り、そのお金で返済する、というのはいかがでしょう?」

 

 千冬からの提案に、鬼頭は目を丸くした。

 

 たしかに、それならば大切な愛車やコレクションを手放さずにすむし、なにより、IS学園にいながら資金の都合をつけられるが。

 

「ですが……よろしいのですか?」

 

 二つの意味を篭めての発言だった。一つは、IS学園はこのことを承知しているのかどうか。千冬の独断だとすれば、彼女の立場を危うくするやもしれないし、そもそも、取引自体が成立しない公算が高いが。

 

「そこはご安心ください」

 

 はたして、千冬は毅然とした態度で応じた。

 

「《トール》の買い取りについては、以前から学園で話し合われていたことでした」

 

 真耶を見ると、彼女も小さく首肯した。

 

 先日のクラス代表決定戦では、たった一週間ぽっち特訓を積んだだけの初心者が、専用にチューンされた最新鋭機を駆る代表候補生を相手に善戦してみせた。あの試合を観戦していた者の多くは、その理由を陽子が握る武器にある、と解釈したらしい。あの日以来、学園の兵装管理部には連日、《トール》の貸出を求める声が何十件と届くようになった。しかし、肝心のレーザー・ピストルが二挺しかない現状では、そのすべてに応じることは難しい。

 

「それで対策として、先日の職員会議で、鬼頭さんに《トール》の増産を依頼するのはどうか、という提案が取り上げられました。勿論、タダでやってくれ、とは言うのではなく、ちゃんと適正な価格での買い取りを保証する取引としてです。最初の二挺についても、きちんと買い取らせていただきます」

 

 そのときの会議では、鬼頭のことをまだよく知らない一部の教員から、《トール》という銃には本当に大金を支払うだけの価値があるのか。カタログ・スペックが高いだけで、実戦では使い物にならない、欠陥品ではないのか。ISバトルのレギュレーション・テストをクリアしたとはいうが、そこに不正はなかったのか、などの反対意見があり、また契約内容も詳細が決まっていなかったことから、一旦は取り下げられたが。

 

「鬼頭さんの方も乗り気だということが分かれば、この話は一気に進むことでしょう」

 

「なるほど、そんなことがあったのですか。……しかし、よろしいのですか? 《トール》にそんな値段をつけていただいて?」

 

 二つ目の懸念事項がこれだった。自分は兵器開発についてはまったくの素人だ。そんな人物の作品に、数百万円もの値段をつけてよいものか。勿論、一技術者として、《トール》の出来栄えには絶対の自信を持ってはいるが。

 

「《トール》の性能を考えれば、当然の対価です」

 

 不安を口にすると、千冬は呆れた声で言った。

 

「むしろ数百万円は安すぎるくらいです。あの銃の性能なら、一挺につき一億円の値段設定でも、適性とは言えないでしょう」

 

「持ち上げてくれるのは、嬉しいですが……」

 

 鬼頭は思わず苦笑した。一億円といえば、アヴェンタドールを新車で買って、そのお釣りでさらにウラカンまで購入出来る金額だ。いくらなんでも、褒めすぎだろう。

 

 しかし、千冬はかぶりを振って言う。

 

「主に戦闘機などが装備しているAIM-120 空対空ミサイルは、最新版で一発につき一億円以上します」

 

「む?」

 

「より小型で、射程も短いサイドワインダーですら、一発五千万円前後します。ですが、これらの兵器では、ISを撃墜することは出来ません。それに対し、《トール》にはISのシールドバリアーを貫通し、有効打を与えるだけの威力があります。それを考えれば、一挺数百万円なんて値付けは安すぎますよ」

 

「……なるほど。言われてみれば、たしかに、その通りですね」

 

 千冬の言から自身の浅慮を思い知らされた鬼頭は、深々と溜め息をついた。

 

 最強兵器ISを傷つけられる性能の武器。我ながら恐ろしい物を作ってしまった、と今更ながら背筋が寒くなってきた。しかもそんな脅威の性能の武器に、自分は法外に安い値段をつけて満足しようとしていた。その浅はかさに、目眩さえ覚えてしまう。

 

 最強兵器ISに有効打を与えられる武器が、安く、大量に出回れば、世界にどんな影響を及ぼすか。国家転覆を企むテロリストが《トール》の性能を知り、安く手に入ると知ったら何を考えるか。そういう想像力が欠けていた。

 

 と同時に、別の理由からも目眩を覚えた。先ほどから、二百万ポンドだとか、五千万円だとか、一生のうちに何度遭遇出来るかも分からない金額ばかりが、耳の奥へと頻繁に飛び込んでくる。これが兵器開発の世界のスケールか、と思うと、やむをえぬことだったとはいえ、恐ろしい世界に来てしまったものだ、と慄然とせずにはいられなかった。

 

「……《トール》の買い取り金額については、また今度話し合いましょう」

 

 数字に対する驚きの気配を鋭敏に感じ取った千冬は、そこで話題を打ち切ることにした。ISとの関わりが長いせいで、つい忘れがちになってしまうが、軍事の世界に身を置いていない人間にとって、五千万とか、一億といった桁は、あまり耳馴染みのない数字だろう。目の前の人物も、一ヶ月前まではただの一般人だった。金額規模のあまりの大きさに打ちのめされているいまの精神状態では、正確な判断を下せないではないか、と彼女は危惧した。

 

「それで、四つ目の目的についてですが……」

 

「最後は、さらにプライベートな用事なんですが……」

 

 一度開きかけた口を、また閉じた。さて、本当にこれを口にしてよいものなのか。

 

 千冬たちが相談に乗ってくれたおかげで、これまで話題にした三件については、IS学園に身を置きながらでもどうにか出来そうだ、と解決の筋道を立てることが出来た。しかし、最後に残した望みに関してだけは絶望的だ。相談するまでもなく、IS学園にいては絶対に叶わないとわかりきっている。ために、言葉にするのを躊躇ってしまった。

 

 いま思えば、帰郷を望む理由は四つある、と素直に答えてしまったのは失敗だった。自分の力になりたい、と言う真耶の厚意が嬉しくて、つい正直な気持ちを吐露してしまったが、あそこは三つと嘘をつくべきだった。二人とも、心根の優しい人物だ。決して叶わぬ望みを聞かせれば、力になれぬことへの申し訳なさから、表情を曇らせてしまうに違いない。

 

 ――これを聞かせれば、彼女たちを傷つけることになる。ここは、前言を翻して、話を打ち切るべきだろう。

 

 顔の強張りも険しい鬼頭は少しの間逡巡し、やおら、うむ、と頷いた。

 

「……いえ、これはやめておきましょう」

 

 四つ目の用事についてだが、改めて考えてみたところ、特に必要ないと思い直した。そう口にしようとして、

 

「なんですか? ここまで聞かせてもらったんですから、教えてくださいよ」

 

 プライベートなこと、という言葉から、わたしたちには言いづらいことなのかしら、と解釈した真耶が、思い悩む背中を押してきた。隣に立つ千冬も、はじめは乗り気でなかったくせに、「この際です。懸念事項はすべて洗い出しましょう」と、言ってくる。

 

 再び口をつぐんだ鬼頭は、さて困ったぞ、と苦い表情を浮かべた。純粋な善意からの言葉なのだろうが、それだけに、こうやって逃げ道を塞がれてしまうと、非常に断りづらい。

 

 ましてや千冬は世界最強のブリュンヒルデ。その鋭い眼光が相手では、中途半端な誤魔化しや下手な嘘は通用しまい。

 

 ――場の雰囲気を悪くしてしまうが……やむをえんな。

 

 ひっそりと溜め息をこぼした後、鬼頭は重たい唇を動かした。

 

「智也の、墓参りに行きたいと思いまして」

 

 口にして、やはり言うべきではなかった、と後悔した。二人の表情が、みるみる硬化していく。

 

 陽子の親権を取り戻した後、鬼頭は智也の墓を三重県の伊賀上野市から、名古屋に移していた。以前は、祥月命日の度に、とはいかずとも、なるべく時間を作って足を運ぶようにしていたが、娘ともどもこういう立場になってしまい、いままでのように頻繁には通えなくなってしまった。そこで、次の大型連休を利用したいと思ったのだが。

 

「鬼頭さん、それは……」

 

「ええ、分かっております」

 

 気の毒そうに見つめてくる真耶が何か言いかけたのを、鬼頭はゆっくりとかぶりを振って制した。

 

 このIS学園に身を置いている限り、絶対に叶えられない望みだ。他の生徒たちも通っているこの島に、まさか墓を移転させるわけにもいかない。こればかりは、諦めるほかないだろう。

 

「いま言ったことは忘れてください。実現は困難と思っていたことが三つも、可能かもしれないと希望を得られた。本当に感謝しております」

 

 叶えられない一つではなく、叶えられそうな三つに目を向ける。二人の顔の強張りが少しでもほぐれたらな、と話題の方向性を変えようとしたところで、昼休みの終了五分前を知らせる予鈴が鳴った。タイミングが悪いなあ、と口の中で呟く。

 

 昼休み明け最初の授業を担当するのは、千冬ほどではないが、時間厳守にかなりうるさい教員だ。彼女が教室に到着した時点で着席していなければ、大目玉を食らってしまう。

 

 相談に乗っていただき、ありがとうございました。次の授業があるので、失礼します。

 

 感謝の言葉とともに会釈をして、鬼頭は職員室を後にした。

 

 去り際に、ちらり、と見た二人の表情は硬く、そして暗いままだった。

 

 

 

 職員室を退出する鬼頭の背中を見送った後、表情筋の重たい織斑千冬は、深々と溜め息をついた。長い黒髪を忌々しげな手つきでかき上げると、悄然と吐き捨てる。

 

「……まったく、自分の浅はかさが嫌になる」

 

 鬼頭が四つ目の望みを口にするのを躊躇っていた理由に今更思い至り、千冬は自らの頬を張りたい衝動にかられた。自分たちを傷つけまいとした彼の気遣いを、他ならぬ千冬たち自身が台無しにしてしまったのだ。なぜすぐに気づくことが出来なかったのか。

 

 そればかりではない。鬼頭が口にするまいとした望みの内容についても、なぜ察してやれなかったのか。

 

 少し頭を働かせれば分かることではないか。鬼頭智之という人物の来歴を思えば、当然の要求ではないか。

 

「……鬼頭さんがこのIS学園に通うようになって、もうすぐ一ヶ月になるな」

 

「はい」

 

 かたわらに立つ真耶が頷いた。

 

「娘さんと一緒にいる姿が、私の中ですっかり当たり前の光景になっていた。そのせいか、忘れていたよ」

 

「わたしもです」

 

 帰り際に男が垣間見せた悲しげな顔を思い浮かべ、真耶の大振りな双眸は暗く沈んだ。自然、胸の奥で鈍痛が芽生える。大振りな双眸を辛そうに濡らしながら、彼女は言った。

 

「あの人は、陽子さんだけの父親ではなかった。智也さんのお父さんでもあった」

 

「亡き愛息の菩提を弔いたい。父親であれば、当たり前の望みだ。なぜ気がつかなかった。なぜ見落としてしまった……」

 

 悔しげに呟いて、唇を真一文字に結ぶ。奥歯を噛みしめながら、千冬は自らを責めた。

 

 迂闊としか言いようがない。鬼頭智之という男を構成する数々の要素の中でも、最も重要なことを見落としてしまった。彼がこれまでにどんな人生を歩んできたのかなんてことは、内調をはじめとする各情報機関が用意したたくさんの資料に目を通して、知っていたはずなのに。

 

 ――これでは一夏のことを笑えないな。

 

 人懐っこい性格をしているくせに、他人からの好意となると途端、察しが悪くなる弟の顔を思い出して、千冬はまた嘆息した。もしかして姉である自分に似たのだろうか、と思い、また憂鬱な気分に襲われてしまう。

 

「織斑先生」

 

 苛立ちの原因は、もう一つある。鬼頭が口にした最後の望みに対し、力になってやることの出来ない我が身の不甲斐なさだ。無力感に打ちひしがれているのはどうやら真耶も同じようで、後輩教師の声からは覇気が感じられなかった。

 

「お墓参りの件ですけど、本当に、わたしたちに出来ることはないんでしょうか?」

 

「……智也君のお墓をIS学園に持ってくるのが、いちばん簡単な手段だが」

 

 鬼頭の性格を考えれば、そんな提案に乗るとは考えにくい。IS学園で学ぶ他の生徒たちの心情を配慮して、断ってくるに違いない。

 

「そうなると、やはり名古屋に赴くしかないが……」

 

 問題は、警護態勢をどう構築するかだ。IS学園から名古屋へ行くまでと、名古屋に着いてからの行動計画、そして再びIS学園に戻るまでの、少なくとも三段階に分けて、セキュリティ・プランを練る必要がある。当然、IS学園単独でのプラン作りは不可能だ。先刻、鬼頭にも言った通り、学園にはそのための人材が不足している。日本政府と連絡をとり、現地の警察機構や、場合によっては自衛隊などとも連携を取る必要がある。

 

 しかし、それをやると政治の問題が首をもたげてくる。

 

 IS学園の建設費や運営費用の多くは、日本政府より拠出されている。当然、学園に対する影響力は他のどの国の政府よりも強く、たとえば、学園の教職員には日本人を多く採用させたり、織斑一夏の専用機を日本の企業に作らせたりなど、学園側にしばしば便宜をはからせている。

 

 その一方で、IS学園は原則として、国家の内政や外交、国家間の係争問題には不介入の立場をとるよう、アラスカ条約で定められてもいる。ために、日本政府との蜜月関係は秘匿する必要があった。仮に、世間から日本政府の関与は明らか、という悪評が立ってしまうような事態が起きたとしても、絶対にその事実を認めてはならない。最低でも、公然の秘密程度にとどめておかねばならない。

 

 鬼頭智之の警護態勢確立のため、日本政府に協力を要請すれば、かの政府との関係を学園自らが公表する形になってしまう。在学生徒たちのうち、留学生の多くは母国の軍隊や諜報機関より、スパイ活動を命じられている公算が高い。この事実が彼女たちの耳に入れば、IS学園や日本政府の立場が危うくなってしまう。

 

 ――絶対に、それだけは避けねばならん!

 

 日本政府を頼るわけにはいかない。IS学園単独で、警護態勢を整えなければならない。しかし、それは何度も口にしたように無理な話だ。IS学園には、特殊作戦向きの人材が乏しい。そも、マン・パワーが絶対的に不足している。不足している分の人員を、日本政府の方で埋めてもらう必要がある。

 

 堂々巡りの結論に陥った千冬と真耶は、揃って憂鬱な面持ちになった。

 

 真耶にいたっては、現実の無情さに改めて打ちのめされ、途方にくれた挙げ句、普段なら絶対に口にしないような都合のよい願望を呟いてしまう。

 

「……どこかにいませんかね? IS学園とは関わりなく、日本政府にはたらきかけることが出来て、それでいて鬼頭さんに味方してくれるような人が」

 

「そんな都合のよい人間がいるわけ……」

 

「ここにいるぞぉ!」

 

 職員室の電動スライドドアがシームレスに開け放たれた。ティーンエイジャー特有の甲高い音色ながら、言葉の端々に、年齢不相応な色気を感じさせる艶っぽい声に反応して、二人揃って振り返る。二人揃って、あっ、と口を開けた。

 

 入室してきたのは、空色の髪をした女生徒だった。暦の上では間もなく初夏が到来する季節だというのに、制服の上に白緑色のベストを着ている。インナーシャツの襟を留めているネクタイの色は黄色。二年生の学年色だ。ローファーの踵を鳴らしながら二人の前に立つと、ルビー色の瞳がいたずらっぽく笑ってみせた。

 

「お前は……」

 

「お話は聞かせていただきました!」

 

 千冬が下の句を口にするよりも早く、二年生の少女は朗らかな口調で言った。

 

 どこから取り出したのか、入室時には手ぶらだった右手は、いつの間にか扇子を握っている。口元を隠すように広げると、扇面には図柄ではなく、『委細承知』と、毛筆でしたためられたと思しき四字熟語が書かれていた。

 

「鬼頭智之さんの警護の件、私たち更識にお任せください」

 

「……そういえば、彼女がいましたね」

 

「ううむ……」

 

 IS学園の生徒でありながら、学園の意思とは別な行動を取れる立場にある人物。それでいて、日本政府にも顔が利く。しかも、本人も腕っ節が立つ上に、特殊作戦全般に明るいときている。今回の件を任せるにあたって、これ以上は望みようがないというほどに、非常に都合のよい人材だ。

 

 唯一の懸念事項は、性格にややくせがあるということだが……はたして、鬼頭智之という堅物人間と会わせて、どんな化学反応が生じるか。

 

 まだ彼女に任せるかどうかも決まっていない段階ながら、そのときのことを想像し、千冬たちはまた揃って溜め息をついた。顔を見合わせ、互いに笑い合う。溜め息ばかりの一日だな、と自嘲する、鏡会わせの嘲笑だった。

 

 

「……ところで更識、お前、授業はどうした?」

 

「……アッハッハッ。……見逃してはいただけませんでしょうか?」

 

「立場上、そういうわけにもいかんのだ。ていっ」

 

 職員室内に、打撲の快音が響き渡った。

 

 脳天めがけて振り下ろされた鋭い一撃、その一部始終をかたわらで眺めていた真耶は、「相変わらず出席簿が出す音じゃないよねぇ」と、呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インフィニット・ストラトス二次創作

 

「この小さな世界で愛を語ろう」

 

Chapter25「開かれた戸」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クラス対抗戦が開かれた日の翌日――。

 

 放課後の到来とともに一年一組の教室をひとり飛び出した鬼頭は、IS解析室へと急いでいた。

 

 目的は勿論、昨日の戦闘データの解析だ。無人ISの襲撃というアクシデントは、みんなが楽しみにしていた学園の行事を台無しにしてしまったが、他方で、鬼頭に対しては《ミニ・ティアーズ》や《オデッセイ・システム》の実戦における稼働データという、貴重な資料を提供してくれた。これを子細に分析すれば、BTシステム完成のための研究をかなり前進させられるだろう。

 

 ――さんざん迷惑をかけてくれたんだ。これぐらいは役立ってもらわねばな。

 

 通学鞄を手に廊下を進む鬼頭の口角は緩んでいた。

 

 昨晩、自室にてざっと目を通しただけでも、かなり有力なデータと見て取れた。設備の整った解析室で丹念に検めれば、いったいどれほどの成果が得られるだろうか。

 

 あのISのために、一夏や鈴は傷つき、アリーナにいた多くの生徒が恐い思いをさせられた。その事実を踏まえた上でなお、不謹慎とは思いつつも、楽しみに思う気持ちを抑えられない。

 

 胸弾む鬼頭は、やがて解析室のある第三校舎への渡り廊下までやって来た。

 

 出入口に近づいたところで、はた、と立ち止まる。

 

「……しまった」

 

 苦々しい呟きが、唇からこぼれ落ちた。

 

 いまになって、忘れ物の存在に気がついた。もう十年以上愛用しているモバイルPCだ。昨晩、戦闘データの分析のために机の上で開いて、放置したまま学校に来てしまった。

 

 さてどうするか、と鬼頭は一瞬、躊躇した。

 

 所詮、IS登場以後の技術革新が起こる前に発売された旧型モデルだ。IS学園の持つ最新の機器と比べれば、天地ほどの性能差がある。なくてもデータの分析に支障はないだろうが、使い勝手の良さから十年も手放せないでいる品でもある。データ分析のような地道な作業の場合、使い慣れた道具というのは、ときに性能差を覆す武器となる。

 

 取りに戻るべきか、否か。

 

 少し考えた後、鬼頭は踵を返した。やはり、使い込んだ道具の良さというのは、何物にも代えがたい。来た道を引き返し、第一校舎の正面出入口を目指す。

 

「おや?」

 

 知った顔を見つけたのは、目的の正面出入口に差し掛かったときのことだった。

 

 手入れの行き届いた黒髪が、こちらに背を向け、揺れている。

 

 クラスメイトの夜竹さゆかだ。ちょうど、正面出入口を出るところだった。両手で文庫本を開き、紙面に目線を落としたまま、器用にも歩を進めていく。

 

 眉をひそめた鬼頭は歩調を速めた。あっという間に距離を詰めるや、後ろから声をかける。

 

「時間を惜しんで読書したいという気持ちはよく分かりますが……」

 

 IS学園では珍しい男の声に、小さな方が揺れた。立ち止まり、振り向いた彼女に、鬼頭は苦笑を浮かべてみせる。

 

「ながら歩きは感心しませんよ、夜竹さん」

 

「鬼頭さん」

 

 ちら、と手元の文庫本に目線を向けた。天の部分の裁断が粗っぽく、スピンが糊付けされている。新潮社に特有の造りだ。だとすれば、ページ上部の真ん中あたりにタイトルが記されているはず……ああ、やはり、そうだった。

 

「……河合隼雄ですか。心理学に興味が?」

 

「え? あ、は、はい。……ええと、なんで、河合隼雄の本って?」

 

「失礼ながら、本のタイトルが見えてしまいまして」

 

 鬼頭は文庫本を指差した。

 

「『こころの処方箋』、若い頃に読まされた本です」

 

「なるほど、それで。……読まされた?」

 

「入社してすぐの頃に、当時の社長から、『社会人たるものこれくらいは読んでおけ』と、三〇〇冊ばかり、本をリストアップされまして」

 

 当時のことを思い出し、鬼頭はほろ苦い微笑を口元にたたえた。

 

 先代社長の桐野秋雄は教養主義の権化のような人物だった。いわゆる昭和教養主義が最も熱を帯びていた昭和十年代に、多感な青年期を迎えた彼は、以降もその時代特有の情熱を抱えたまま大人となり、アローズ製作所を興した。先代社長の時代、社長室の書架には会社資料の他に、何百冊という古典文学、哲学書、社会学の本などが並んでいたものだ。

 

「『こころの処方箋』はそのうちの一冊だったんですよ。河合隼雄は他に、ユング心理学の解説本や、……陽子たちが産まれてから、児童心理に関する本なんかを読みましたね」

 

 懐かしいなあ、と、呟いて、鬼頭は文庫本に目線を落とした。紙の黄ばみ具合から考えるに、かなり古い版だろう。図書室で借りてきた本だろうか。

 

「夜竹さんは、どうしてこの本を?」

 

「……入学前は、こういうジャンルの本は、読んだことがなかったんですけど」

 

 目上の相手に対し、言葉遣いが失礼にならぬように、と、さゆかは慎重に口を開いた。

 

「今年は、織斑君が入ってきましたから」

 

「というと?」

 

「女子校育ちなもので。恥ずかしながら、同じ年頃の男の子と、どう接していいのか、分からなかったんですよ。それで、男女の性差からくる、考え方の違いについての本を読むうちに」

 

「色々な心理学の本を読むようになった、と。なるほど」

 

 鬼頭は得心した様子で頷いた。なんとも可愛らしい理由だ。思わず頬が緩んでしまう。

 

「これから帰って、ゆっくり読書というわけですね?」

 

「はい。……鬼頭さんは、いま、お帰りですか?」

 

 鞄を持っている姿を見ての判断だろう。鬼頭は苦笑を浮かべて、かぶりを振った。

 

「いえ。これから、IS解析室に向かうところだったのですが」

 

「ですが?」

 

「寮に、忘れ物をしてしまいまして。……いけませんねえ。年を取ると、こういうことが多くなって困る」

 

 鬼頭は小さく方をすくめた。

 

「行き先も同じ場所ですし、よろしければ、寮までの道すがら、話し相手になっていただけませんか?」

 

「私がですか?」

 

「ええ。おじさんが頭をひねりにひねって思いついた、ながら歩きをやめさせるための作戦にはまっていただけると非常に助かります」

 

「まあ」

 

 諧謔を孕んだ口調で言う鬼頭に、さゆかも口元をほころばせた。

 

「そういうことなら、私も、鬼頭さんの術中にまんまとはまってみせましょう」

 

 鬼頭とさゆかは肩を並べて、学生寮へと続く道を歩き始めた。

 

 平素はあまり接点のない二人だが、いまは読書という格好の話題がある。道すがら、話の種は尽きなかった。

 

「え!? 鬼頭さん、《ヒルガードの心理学》持っているんですか?」

 

 視界の片隅に学生寮の姿が映じ始めた頃合いで、さゆかの唇から甲高く驚いた声が漏れた。

 

 心理学入門の決定版と評される一冊だ。初版は一九五三年の出版だが、半世紀以上にわたって加筆修正が繰り返され、今日でも世界中の大学で現役の教科書として採用されている。心理学に関心を持ち始めたさゆかが、いま一番読みたいと思う本の一つだが、学園の図書室には蔵書がなく、残念に思っていた。専門書だけあって、《ヒルガードの心理学》は高額な書籍で、高校生の身では気軽な気持ちで手を出しづらい金額なのだ。しばらくは読めそうにないな、と悔しく思っていた矢先に、意外な人物の口からその名が飛び出したことで、さゆかの胸は期待に弾んだ。

 

「ええ。私が持っているのは、古い第一六版ですが」

 

 名古屋からIS学園にやって来る際に、暇潰し用にと島に持ち込んだうちの一冊だ。しかし、最近はアローズ製作所の仕事だけでなく、BT兵器の研究でも忙しくなってしまったため、肝心の余暇時間自体がめっきり少なくなってしまった。

 

 このままではせっかくの良書も棚の肥やしで終わってしまう。鬼頭は微笑とともに口を開いた。

 

「古い版でよれけば、読みますか?」

 

「いいんですか?」

 

「ええ、勿論」

 

 学生寮に到着した二人は、依然として肩を並べながら、鬼頭の自室である1122号室へと直行した。

 

 部屋の番号が示す通り、鬼頭親子に与えられた部屋は寮の上層階の奥まった場所にある。階段を上り、長い廊下を踏破してドアの前に辿り着くと、まず鬼頭が一歩前に出た。ジャケットの内ポケットから金属製の鍵を取り出すと、ノブの直上に配された円筒錠の穴に差し込む。オートメーション化が進んでいるIS学園だが、学生寮の錠前は、古式ゆかしいシリンダー・タイプが採用されている。がちゃり、と回して解錠し、次いでドアノブを握った。円筒錠の鍵穴からキィを抜き取ると同時にドアノブをひねり、ゆっくりと押し開く。

 

「お帰りなさいませ。ご飯にします? お風呂にします? それとも、わ・た・し?」

 

 物凄い速さで、鬼頭はドアを引き閉じた。ドアノブを力強く握りしめたまま、板戸に額を押し当てる。ひんやりとしていて心地よい。この冷たさが、自分にきっと、冷静な判断力を与えてくれるはず。ゆっくりと深呼吸をひとつして、顔を上げた。後ろを振り向き、唖然とした様子のさゆかに笑いかける。

 

「……いけませんねぇ。年を取って、幻覚まで見えるようになってしまった」

 

「いえ、あの……鬼頭さん、わたしにも見えました、よ?」

 

「いいや! あれは幻覚だ!」

 

 そうでなければ困る。自分と陽子の暮らす部屋に、あんな、あんな……!

 

「あんなフリルたっぷりのエプロン一枚だけを身につけた裸の女性がいるなんて、あってはならぬことだ!」

 

 そうだ。いまこの目に映じたのは幻覚だ。なぜだか、さゆかの網膜にもくっきり像が刻まれているようだが、とにかく、あれは幻覚なのだ! その証拠に、ほうら、もう一度ドアを開けてみれば消え――、

 

「お帰りなさいませ。私にします? 私にします? それとも、わ・た・し?」

 

 空色の髪がまぶしい少女が、白い素肌に、これまた白いエプロンを一枚のみという、刺激的な装いで立っていた。胸当ての端からこぼれ見えるまあるい脇乳が、なんとも扇情的である。

 

「…………はぅっ」

 

「え? あ、あら……?」

 

「鬼頭さん!?」

 

 急なめまいに襲われた鬼頭は、たまらず、その場で両膝をついてしまった。さらには両手さえも床につき、四つん這いの状態のまま、身を震わせる。すかさず、後ろに控えていたさゆかが腰を落とし、その背中を撫でさすった。

 

 鬼頭は、なんということだ……、なんということだ……、と、繰り返し、口の中で呟いた。

 

 ――なんということだ……よく見れば、陽子たちと同じ年頃の娘ではないか!

 

 おそらくは学園の生徒だろう。全体的に彫りの深い顔立ちをしているものの、よく見ればまだあどけなさを残した造作をしている。露出がまぶしい手足も、臍下丹田に、ぐっ、と気合いを篭め、しげしげと眺めてみれば、張りのある、きめ細やかな肌をしていた。若さ漲る、ティーンエイジャーに特有の肌質だ。

 

 そうと知った鬼頭の胸の内では、激しい後悔の念が湧き上がった。

 

 男の自分が暮らす部屋に、年頃の娘が、破廉恥な格好をして待っていた。

 

 これは、つまり、そういうことなのだろう。

 

 鬼頭は背中をさするさゆかに、「もう大丈夫です」と、声をかけると、ゆっくりと立ち上がった。気を抜くと倒れてしまいそうになる体を二本の足で懸命に支えながら、ほとんど全裸同然の装いの少女の顔を、真っ直ぐに見据える。

 

 鬼頭の一連の反応が予想外だったか、空色の髪の少女は、困惑した表情で彼を見つめ返した。

 

 やがて鬼頭は、喉の奥から絞り出すように、震える声で言い放った。

 

「若者たちの間で……」

 

「え?」

 

「性文化についての考え方が、乱れに乱れている、と……テレビのニュース報道や、新聞の記事などで、知ってはいるつもりでした。しかし、それは所詮、知った気になっていただけだった! テレビの向こう側で起きている出来事、自分たち家族には関係のない出来事と、心のどこかで、そう思っていた……。今日、こうして、実際にそういう若者の姿をこの目で見て、そのことを思い知らされた!」

 

「え? あ、い、いや、それは違っ……!」

 

「何が違う!? その格好のどこが違うというのだ!?」

 

 絶叫が、鬼頭の唇から迸った。学生寮の廊下に、男の悲憤の咆哮が響き渡る。直後、ざわざわ、と、喧噪が其処彼処で生じた。空色の髪の少女の顔が、みるみる青ざめていく。

 

「ちょっ、鬼頭さん! あまり大声を出さないでください……!」

 

「実際に、性についての考え方が乱れきっているきみの姿を見て、自分が情けなくなった! きみたち若者をそういうふうにしたのは誰だ? そんな世の中を生み出したのは誰だ!? 決まっている! 俺たち大人だ! 俺たち大人が、きみたち子どもと真剣に向き合ってこなかった結果が、こんな世の中を産んだんだ!」

 

 一度だけでなく、二度三度と轟く太い悲鳴を、さすがに怪訝に思ったか。いったい何事か、と、寮の自室にすでに帰宅していた何人かの生徒が、慌てた様子で戸を開けて、声のした方を振り向いた。鬼頭と、さゆかと、空色の髪の少女の姿を見て、等しく悲鳴を上げる。

 

「きゃー! 痴女よ、痴女!」

 

「鬼頭さんが痴女に襲われている!?」

 

「ええっ!? わたしのお父さんがハニートラップに遭っているって!?」

 

「あっ、おい待てぃ。昨日、鬼頭さんはみんなのお父さんって、淑女協定で決めたでしょうが!」

 

 一人の悲鳴が、呼び水となった。自分たちの生活圏に、あられもない姿をした痴女がいる。その事実を知らされて、少女たちの口からは次々に悲鳴があがった。

 

 これは不味い。いったん、この身を隠さねば。

 

 空色の髪の少女は部屋の奥へと身を翻そうとし、その手を、鬼頭に掴まれた。

 

「なっ! は、離してください!」

 

「すまない……! 本当にすまない! きみは悪くないんだ! 俺たち大人が……俺たちが情けなかったばかりに……!」

 

「……やだ、この人、意外に力強い。ああ逃れられない!」

 

 細い手首を握る男の手は力強く、振りほどくことは難しかった。

 

 少女の手を取る鬼頭の目には、眼前の彼女と、陽子の姿が重なって映じていた。愛娘は幸いにして、性について偏った考え方を育むことなく今日まで成長してくれた。しかし、もしかしたら何かのきっかけで、彼女もこうなっていたかもしれない。それを思うと、この社会に生きる大人の一人として、世にはびこる若者たちの性の乱れという問題の責任を痛感せずにはいられなかった。謝らずにはいられなかった。謝罪の言葉を聞かせたい。叶うならば、自らを傷つける前に考えを改めてほしい、という切なる想いが、鬼頭に彼女の手を握らせていた。

 

 鬼頭が自身の感情の扱いを持て余している一方で、手を掴まれている側の動揺もまたすさまじかった。

 

 名を、更識楯無という。IS学園に通う二年生の娘で、とある事情から、鬼頭親子への接触を以前から切望していた。ところが、彼女自身が彼らのもとに足を運ぶためには、それまでにクリアしておかねばならない問題が多く、その解決に今日まで時間がかかってしまったのだ。それら障害の数々に一応の決着をつけ、ようやく会いに行くことが出来ると胸を弾ませていた彼女は、しかし、よせばいいのに、ここで悪戯心に囚われてしまった。鬼頭智之を驚かせたい考えから、親子の部屋に忍び込み、水着の上に薄手のエプロン一枚という際どい格好をして息をひそめ、帰宅と同時に出迎えて、彼らの反応をじっくり見てやろう、という企みを計画したのである。

 

 企てを実行する上で最大の障害となる、部屋の鍵をどうやって解錠するかという問題は、学園内における彼女の特別な立場が解決してくれた。学園にたった一席しかないポストに由来する権限を用いることで、合鍵を比較的容易に入手することが出来た。かくして、鬼頭親子のプライベート空間への侵入に成功した楯無だったが、実際に鬼頭と顔を合せてみれば、目論見とは反対に彼女の方が驚かされるはめになった。

 

 慌てるとか、頬を赤らめる、といった、事前に彼女が予想していた反応を、鬼頭智之は一切示さなかった。切れ長の双眸を悔しげに潤ませながら、むしろ自分の身を案じてきた。いったいどういう思考過程を経てそんなリアクションに及んだのか。考え込んでしまったのが、不味かった。思索にふけった僅かな一瞬のうちに、事態はどんどんと悪化していった。

 

 鬼頭の悲痛な叫びを呼び水に、近くの部屋で暮らす生徒たちがわらわらと顔を出してきた。異性の目には扇情的で、刺激的と映じる装いも、同性の目には痛々しい姿と見えてしまう。羞恥から言葉を失っていると、今度はあろうことか痴女呼ばわり。しかも、複数人からそう認識されてしまった。これは不味い。騒ぎが大きくなりつつある。ここは一年生の学生寮だ。このままでは“彼女たち”に自分の醜態を知られかねない。そんなことになったら……。一刻も早く、この場から逃れなければ、と踵を返そうとした直後に、手首を掴まれた。

 

 当然、楯無は振りほどこうとした。ところが、押しても、引いても、びくともしない。単純な腕力では敵わぬと、日頃鍛えた武芸の体捌きをもって相手の重心バランスを崩し、その隙に抜け出そうと試みるも、それさえも素早く対応され、封じられてしまう。

 

 ――あ、あれ? これ、本格的に不味いんじゃあ……。

 

 急速に、顔から熱が奪われていくのを自覚した。血の気が引いているのだ。

 

 焦りが、四肢の働きを鈍らせる。冷静な判断力が、失われていく。

 

 こうなっては仕方がない、とエプロンの前掛け部分のポケットに忍ばせておいた扇子へと手を伸ばした。握り手の尾部にくくりつけてある、ダイヤ型のアクセサリの感触を確かめる。待機状態のISだ。これだけは使いたくなかったが、と表情に苦渋を滲ませながら、意識を集中させ――――、

 

「あ、会長だ~」

 

――ようとしたところで、間延びした声に、かき乱された。

 

 鬼頭ともどもそちらを振り返れば、鬼頭らと同じ一年一組に在籍する布仏本音の姿があった。独特な時間感覚や感性の持ち主で、いつもおっとりとした雰囲気を身に纏っていることから、一夏より、のほほんさん、とあだ名されている人物だ。かたわらに、楯無とよく似た顔立ち、よく似た髪色をした、一年生の女子生徒を連れている。眼鏡のレンズの向こう側でショックを受けた様子の瞳と目が合い、楯無は、あ、終わった、と、口の中で呟いた。

 

「ほ、本音、会長って?」

 

 鬼頭に手首を掴まれながら茫然としている破廉恥女と、彼女の素性を知っているらしい本音の顔を交互に見て、さゆかは、震える声で訊ねた。

 

 他方、たったいま寮に帰ってきたばかりで、いまがどういう状況なのか、さっぱり飲み込めていない本音は、平素ののほほんとした口調で応じた。

 

「会長は会長だよ~。IS学園の、生徒会長」

 

「……マジ?」

 

「まじまじまじ~ろ」

 

「…………」

 

 廊下に飛び出してきた女生徒たちのうち、何人かが、愕然と膝をつき、両手を床についた。

 

 肩を震わせ、声を震わせて、彼女たちは口々に叫んだ。

 

「……失敗した! 進学先選びをミスった!」

 

「IS学園に進学出来れば将来安泰じゃなかったの!?」

 

「それがこんな……こんな、痴女が生徒会長をしているような学校だったなんて……!」

 

 学生寮の廊下に、希望を胸にIS学園の門を叩いた女生徒たちの、悲痛な悲鳴が轟いた。

 

 しかし、そんな彼女たちの声も、いまや楯無の耳膜を震わせるにはいたらなかった。

 

 自身の社会的地位の失墜よりも重大事が、彼女の目の前で起こっていた。

 

 本音の背後で体を強張らせ、楯無に対し、怯えと、侮蔑の入り混じった眼差しを向ける眼鏡の少女が、小さく、口を開いた。

 

「う、嘘……」

 

 かそけき声だった。しかし、黄色い喧噪の渦中にあって、楯無だけは、その声を明瞭に聞き取ることが出来た。心理学でいう、カクテルパーティー効果だ。彼女の脳は、他のどんな音情報よりも、少女の声を最優先で処理するよう努めていた。

 

「そんな……お姉ちゃんが、二回り以上も歳の離れたおじさんに、水着エプロンなんてエッチな格好で襲いかかる、痴女だったなんて……!」

 

「…………うん。死のう」

 

 楯無は、どんな気難しがり屋も思わず微笑み返したくなるような、満面の笑みを浮かべながら呟いた。

 

 それまではどんなに力を篭めても、ぴくり、とさえしなかった鬼頭の手を、いとも容易く振りほどくと、学生寮の廊下の壁に、頭を打ちつけ始める。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

 慌てて、鬼頭が後ろから羽交い締め、その愚行を制止した。

 

「待て! よすんだ! きみの気持ちはよく分かる! みんなから見られて、今更ながら、自分の行いを恥ずかしく思ったんだろう!? 自分の存在を、消してしまいたくなったんだろう!?」

 

「やだ! 小生やだ!」

 

「その恥ずかしいという気持ちは、大切なことなんだ! 自らの愚行を、恥、と思える、その気持ちさえあれば、きみは何度だってやり直せるんだ!」

 

「離して、離して!」

 

「いいや、離さない! 大人として、離すわけにはいかない!」

 

「あ゙あ゙あ゙も゙お゙お゙お゙や゙だ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!」

 

 放課後を迎えたばかりで、学生寮に戻っている生徒が少ない時間帯だったのは、彼女にとって、不幸中の幸いだったといえよう。

 

 IS学園の生徒会長、更識楯無の我を忘れた絶叫が、学生寮に轟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Chapter25「開かれた戸」了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 謎の無人ISが、アローズ製作所パワードスーツ開発室を襲った日の翌日の昼過ぎ。

 

 名古屋市名東区は梅森坂にある、東名古屋病院の廊下を、仁王の顔立ちの桜坂は部下の酒井仁とともに歩いていた。向かう先は、昨日の一件で怪我を負い、精密検査のため入院することになった部下たちの病室だ。負傷した三人は全員、別々の病室があてられており、見舞いにやって来た二人は、まず開発室唯一の女性スタッフである桐野美久が入院する部屋を目指していた。

 

 三人の治療を担当した医師たちからは、治療の経過について、すでに一通りの話をうかがっている。謎のISと直接戦ったトムと土居の二人は、重傷ではあるものの、比較的意識ははっきりしているという。他方、美久の怪我は、三人のうちでは最も軽傷ではあったが、頭を打ちつけていたため、後遺症が心配された。見舞いの品が入った紙袋を揺らす桜坂と酒井の足取りは、せかせかと忙しかった。

 

 エレベータで目的の階層に到達した後、長い廊下を歩くことおよそ三分。ようやく、美久の待つ病室が見えてきた。彼女の病室には、総務省職員の城山悟のはからいにより、脳神経外科の病棟の特別室があてがわれていた。一泊一万円以上もする個室で、一般の病室よりも広々とした間取りと、上等な内装で飾られた部屋だという。患者のプライベートを守るため、他の入院患者用の病室からは少し離れた場所にあり、見舞いにはやや不便な位置だといえた。

 

 二人並んで、ドアの前に立つ。VIP待遇者の特権で、誰が入院しているのかを示す表札を掲げていない部屋の引き戸は、なるほど、たしかに一般病室よりも上質な造りをしているように見受けられた。桜坂が一歩前に出て、ドアを三度ノックする。しばらく待ってみたが、返答はなかった。

 

 桜坂と酒井は顔を見合わせた。留守でしょうか? 中で何か作業をしていて、そちらに集中していたせいで、たまたま聞こえなかっただけかもしれませんよ。目線だけでの会話を終え、念のため、今一度ドアの方を向く。再びノックしようとしたところで、

 

「!?」

 

 超人の耳膜が、かすかな音を拾い上げた。

 

 引き戸の僅かな隙間から漏れ聞こえる、苦しげな、呻き声。まさか、頭が痛むのか!?

 

 顔を青くした桜坂は、慌ててドアノブに手をかけた。酒井が止めるよりも早く、FRP製の重い扉を、ぐっ、とスライドする。

 

「桐野さん、失礼します!」

 

 声を荒げながらドアを開き、特別室に足を踏み入れた桜坂は、そこで茫然と立ち止まった。

 

 まるで上等なホテルの一室のようだった。日当たりのよい、十六畳ほどもある広々とした部屋に、テーブルやアームチェアといったインテリアが配置されている。患者の乗降性が配慮された背の低いベッドは、向かって右側の壁に、ぴたり、とくっつけられており、その上で、桐野美久は、独り、身悶えしていた。なんか見覚えのある枕に顔を埋め、右手を股の間にしのばせながら、くねくね、と体を揺らしている。っていうかアレ、二ヶ月前になくした、俺の枕やん。

 

「室長! 室長! 室長! 室長ぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!

 

 あぁああああ…ああ…あっあっー! あぁああああああ!!! 室長室長室長ぅううぁわぁああああ!!!

 

 あぁクンカクンカ! クンカクンカ! スーハースーハー! スーハースーハー! いい匂いでふぅ…くんくん。

 

 んはぁっ! 天使様の愛用の枕、クンカクンカしてるよお! クンカクンカ! あぁあ!

 

 ハムハムもすりゅぅ! ハムハムするのお! ハムハム! ハムハム! 室長の皮脂がくっついた枕ハムハム! ハムハムじゅるじゅる……きゅんきゅんきゅい!

 

 昨日の室長かっこよかったよぅ!! あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!! ふぁぁあああんんっ!!

 

 作者がやる気を取り戻してよかったですね、室長! また活躍できますよ! あぁあああああ! かっこいい! 室長! ドジっ子かわいい! あっああぁああ!

 

 いよいよ原作第二巻のお話しに突入ですよ…いやぁああああああ!!! にゃああああああああん!! ぎゃああああああああ!!

 

 ぐあああああああああああ!!! このお話しはただの二次創作!!! 公式じゃない!!! 小説にも、アニメにも、よく考えたら…

 

 室 長 は 存 在 し な い ? にゃあああああああああああああん!! うぁああああああああああ!!

 

 そんなぁああああああ!! いやぁぁぁあああああああああ!! はぁああああああん!! ファンタズマゴリアぁああああ!!

 

 この! ちきしょー! やめてやる!! 現実なんかやめ…て…え!? 見…てる? 部屋の出入口のところから、室長が見てる?

 

 お見舞いの品の入った紙袋をぶら下げた室長が私を見ている! 室長が私を見ている! 気の毒そうな眼差しで私を見ているわ!

 

 ああっ、室長がさめざめと両手で顔を覆ったわ!!! 私のことで、泣いているわ!!! よかった…世の中まだまだ捨てたモノじゃないですねっ! 

 

 いやっほぉおおおおおおお!!! 私には室長がいる!! やりましたよソゥ・ユート!! ひとりでできるもん!!!

 

 あ、元はエロゲー二次創作出身の室長おおおおおおおおおおおおおおおお!! いやぁあああああああああああああああ!!!!

 

 あっあんああっああんあレスティーナ様ぁあ!! ア、セリアー!! エスペリアぁああああああ!!! オルファァぁあああ!!

 

 ううっうぅうう!! 私の想いよ室長へ届け!! 龍の大地の室長へ届け!」

 

 がらがらがら。ぴしゃん。

 

 無言で引き戸を閉じた桜坂は、ドアノブを力強く握りしめたまま、板戸に額を押し当てた。ひんやりとしていて心地よい。この冷たさが、自分にきっと、冷静な判断力を与えてくれるはず。ゆっくりと深呼吸をひとつして、顔を上げた。後ろを振り向き、気の毒そうな眼差しを向ける酒井に微笑みかける。

 

「……先に、土居君たちの病室に行きましょうか」

 

「そうしましょう」

 

 来た道を引き返し、土居たちのいる整形外科のエリアへと向かった。二人についても、城山は特別室を用意してくれたという。

 

 やはり奥まった場所にある病室を目指して歩いていると、

 

「あれ、室長に、酒井さん?」

 

 途中の休憩所で、備え付けの週刊誌を読む土居の姿を見かけた。いかにもな内装の特別室ではかえって落ち着かず、ゆっくり体を休められない、と公共のスペースにやって来たのだという。

 

「土居君、横になっていなくて、大丈夫なのかい?」

 

 体中の其処彼処に巻かれた包帯や、リント布が痛々しい土居の姿を眺めて、桜坂は沈痛な面持ちで訊ねた。

 

 土居は、「じいん、とした痛みは、まだそこら中でありますけど」と、前置きした上で、

 

「歩くのもしんどい、ってほどではないんですよ。……俺たちのXI-02の装着者保護機能は優秀ですよ。最強兵器を相手にあれだけ痛めつけられても、翌日にはこうやって、自力で歩いたり出来るんですから」

 

と、快活に微笑んでみせた。強がりを感じさせない笑顔に、桜坂は安堵の溜め息をこぼす。

 

「そうか……。大事がないようで、よかった」

 

「室長たちは、お見舞いに来てくれたんですか?」

 

 二人の持っている紙袋を見ながら、土居が訊ねた。

 

 桜坂は首肯すると、

 

「本当は、先に桐野さんの方の様子を見てから、土居君たちのお見舞いをするつもりだったんだが……」

 

「だが?」

 

「色々あってね。先に、きみたちの方に顔を出すことにしたんだよ」

 

 窓の外に広がる世界へと視線を向けながら、桜坂は乾いた口調で呟いた。屈託を孕んだ眼差しで遠くを見つめる室長の様子を不審に思い、土居は訝しげな表情で酒井を見た。

 

「何があったんです?」

 

「桐野さんなんだが、その、ベッドの上で、室長が二ヶ月前になくしたという枕を抱えて、そのう、自慰を……」

 

「ベッドの上で枕を……!?(驚愕) 抱えて……!?(嫉妬)」

 

「うん。たぶん、変態だと思うんだけどね」

 

 推理するまでもなく、明らかなことだった。

 

「そ、そんなことよりも、だ」

 

 これ以上、彼女のことを考えても憂鬱な気分が深まるだけだ。桜坂は話題を変えることにした。

 

「今日、きみたちを訪ねたのは、見舞いもそうなんだが、話をするためでもあるんだ」

 

「話、ですか?」

 

 膝の上で週刊誌を閉じた土居は、険の帯びた面持ちで桜坂を見た。

 

 仁王の面魂の超人はゆっくり頷くと、

 

「昨日、きみたちが病院に運ばれていった後の話だ。あのISを撃破した後、何があったのか。俺たちパワードスーツ開発室の今後はどうなるのか。そして、日本政府との間で、どんな取り決めをしたのか」

 

「日本政府と? それは、いったい、どういう……?」

 

「昨日の見学団の中に、総務省の職員と、県警からの参加者がいただろう。どうやらあの二人は、内閣情報調査室の人間だったらしい」

 

 その名を聞いて、土居の顔が強張った。

 

 公安警察や法務省の公安調査庁と並ぶ、日本の情報機関だ。あの場に、内調からのスパイがいたということは、つまり、

 

「そうだ。俺の力のことを、日本政府に知られてしまった」

 

 忌々しげに唇を歪め、桜坂は吐き捨てるように言い放った。

 

「そのためにね、政府の連中とわが社とで、秘密の関係を結ぶことになったんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




原作の一夏たちって、わりと気軽に島の外に出ているけど、あの裏にはきっとたくさんの人たちによる影働きがあると思うの。



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