過去最大の文章量ですが、お楽しみいただければ幸いです。
ぐるぐる。
ぐるぐる、と、時計の針は回る。
正しき方向へ。
ときに、誤った方向へ。
回る。
回る。
回り続ける。
「……不味いな」
誰かの呟きが、世界のどこか、虚空にて生まれ、また虚空へと消える。
すべてのものが存在せず、それでいて、すべてのものが存在する。
矛盾をはらんだ空間、光を飲み込む黒と、光を灯す白とが互いに牽制し合い、繚乱している位相に、男の声が響く。
「こんな滅茶苦茶な動きをしていたら、そのうち、壊れるぞ」
進んでは戻り、進んでは戻る。
本来、一方向に向けて絶えずかかっていなければならないトルクが、気まぐれに、逆向きへとかかっている。
自然の摂理に反した動きを強要された終末時計のムーブメントからは、いまや悲鳴のような異音が絶えなくなっていた。
「なんとかしないとなぁ」
危機意識の篭められた呟きが、虚空で生まれ、虚空へと消えていった。
国際IS学園とアローズ製作所の本社が、謎の無人ISの襲撃を受けた、翌日の夕刻。
霞ヶ関の首相官邸、総理大臣用のオフィスでは、日本の防衛、治安維持、司法を監督する立場にある男達が、一堂に会していた。すなわち、司馬周平内閣総理大臣、藤沢正太郎官房長官、池波遼太郎防衛大臣、さらには法務大臣の上田秀彦、国家公安委員長の中島秀人の五名だ。内閣情報調査室の叶和人情報官からの要請で、彼らは閣議の後もこの部屋に留まり、情報官がやって来るまでの間、議論に花を咲かせていた。議題は、今年度に採用した、新人警官の教育にまつわる問題だ。五三歳の中島秀人国家公安委員長からの問題提起で、彼は、今年度は特に女性警官の教育が上手くいっていない、と嘆いた。
「女性優遇制度を推進する野党の要請に応じる形で、この数年、警察も女性職員の採用を増やしてきました。今年度の採用で、警察官全体に占める女性警官の割合は、とうとう三十パーセントの大台を超えたわけですが……」
「はっきり言って異常な伸び率だね、中島さん」
険を帯びた表情で指摘したのは、上田秀彦法務大臣だ。居並ぶ面々の中では最も小柄で、ぎょろり、とした目つきの鋭さが爬虫類を思わせる風貌の持ち主。一九五九年生まれの六六歳で、首相をはじめ、若手の多い司馬内閣内では年長の部類に入る。
「平成最後の国勢調査が行われたのが二〇一五年だったね? その直後にISが登場して、女性活躍推進法がさらに強化されたわけだが、あのときの調査では、女性警察官の割合は全体の九パーセントぐらいと記憶しているよ。それがたった十年で三倍以上だ。そのペースじゃあ、それだけの女性警官が仕事をしていくための仕組み作りが間に合わないだろう」
「はあ、まさしくその通りで」
「女性隊員の増加と、それを迎えるための体制作りの問題は、自衛隊の方でも難儀していることですが……」
中島委員長に同情した眼差しを向けるのは、勿論、池波防衛大臣だ。ISの存在がイコール軍事力の要とされる現代社会において、女性自衛官の社会的地位は年々向上しており、それを理由に、入隊後の訓練の厳しさなど深く考えないまま志望する者が増えている。こうした軽い気持ちで自衛隊の門を叩く者たちにまつわる問題は、ここ数年、防衛大臣の頭を常に悩ませる厄介事だった。池波の本音としては、そういった輩は入隊時の面接や身体検査などで不適格者とふるい落としたいところだが、女性優遇施策のもと改正された、新しい女性活躍促進法が定める女性採用枠の義務化の条項がために、それもままならない状況にある。
それでも、警察よりはまだましだろう、と池波は考えていた。警察と比べた場合、自衛隊の任務や、兵科などの組織構造はシンプルだ。女性には明らかに不向きな仕事や兵科というのがはっきりしているから、それ以外のところにポイントを絞って、受け入れ体制を作ればよい。
しかし、警察は違う。たとえば刑事課一つとっても、相手取らねばならない犯罪者の類型は多種多様。盗犯、強行犯、知能犯、暴力犯、銃器や薬物を扱う犯罪者、国際犯……といった具合だ。当然、それに伴って、職務の内容も細分化されているから、女性警察官に不向きな仕事、というのが分かりにくい。限られたリソースを要所々々に集中することが難しいため、組織全体として女性警官の受け入れ体制を整備していく必要があるが、増加ペースの方がこの動きを上回っているため、あちらこちらで破綻が生じていた。その代表格が、警察学校でのいじめ問題だと、中島は口にする。
「警察学校という空間は、ただでさえ高ストレス環境です。いじめの問題は昔からありましたが、ここ数年は全国的に、その認知件数が異常な伸びを見せています。詳しく調べてみると、そのほとんどが女性同士のいじめによるものでした。年々増加傾向にある女子生徒への、ケアの仕組み作りが間に合っていません。神奈川県警の警察学校など、初任科教養の進行に著しい遅れが生じるほどの大事になっているようです」
「警察学校内にも、いじめ相談室のようなものはあるのでしょう?」
司馬総理が訊ねた。
中島委員長は頷いたが、
「勿論です。ですが、いじめの申告件数の増加に対して、対応が追いついていません」
「産業保険医やカウンセラーの数を増やすというのは……」
「それで解決するような単純な問題でもないでしょう」
藤沢官房長官の呟きに、池波防衛大臣が反応した。
「勿論、それも解決策の一つなのは間違いありませんが。すでにいじめという直接の問題が起こってしまっている以上、まずそれに対処するのは私も賛成です。ですが、泥縄式の対処法では、また同じことが起こるだけです。いじめが起こりづらい環境をいかに整備していくか、これこそが重要でしょう」
「正論だがね、池さん。それはとても時間のかかることだよ」
「その通りです。じっくり時間をかけてやるべきことです。女性の採用枠を増やすことも、そのための体制作りも。……本来ならばね」
池波は重たい溜め息をついた。
二〇一六年四月に施行された女性活躍促進法は、ISの登場をきっかけとした、女性の社会的地位の向上を目指す運動の高まりに応じる形で、一年も経っていない二〇一七年二月に改正・施行された。第一次司馬内閣が組閣する直前まで、日本の舵取りを担っていた岡田文雄内閣のときのことだ。その内容は社会に急激な変化を強いるものであり、当時の池波は、「改正をするにしてももっとよく考えてからするべきだ」と、改正法の施行開始を急ぐ与党勢力に対し、議論にかけた期間の短さを糾弾する反対の立場を取っていた。
「池波さん、自衛隊の方では、いじめ問題は……」
「こちらでも認知件数は増えていますよ。ですが、そちらほどの伸び率ではありません。訓練への影響も、最小限に留められている、と判断しています」
「自衛隊はまだ、女性自衛官の割合は、全体の十パーセントぐらいでしたか」
「はい。もっとも、二〇一八年時点で掲げていた、二〇三〇年度の目標値が九パーセントでしたから、これでも驚異的な伸び率での達成はありますが」
中島委員長と池波防衛大臣が言葉のキャチボールに勤しんでいると、執務室のドアがノックされた。
司馬総理が入室を促すと、「失礼します」と、背広の肩にハンガーが入ったままかと思えるほど背筋を伸ばした叶情報官が顔を見せた。かたわらに、内調職員と思しき男を一人連れている。司馬総理をはじめ、居並ぶ大臣たち全員がはじめて見る顔だ。彼の方もこれだけの顔ぶれの前に立つのは初めての経験なのか、その面差しは緊張から強張っている。
「総理、お待たせしました」
叶情報官は踵を打ち鳴らして腰を折った。応じて、後ろで鞄持ちをしている部下の男も、しゃっちょこばったお辞儀をする。司馬総理は柔和な笑みでもってそれを迎えると、二人に執務室のソファーを勧めた。
「お待ちしていましたよ、叶さん。緊急で、報告したいことがある、ということでしたが?」
「その前に、彼のことを紹介させてください」
叶情報官は一緒にやって来た部下の男を示した。
「内調職員の城山悟君です。総務省からの出向者で、内調では主に国内部門の仕事を担当してもらっています」
「城山です」
城山はソファーから立ち上がるとまた一礼した。
「彼には、当事者の一人として今回の同行を許可しました」
「当事者?」
池波防衛大臣が怪訝な表情で聞き返した。
「それはどういう意味でしょう? 今回の召集は、叶情報官の要請によるものと聞いていますが……」
池波大臣は執務室に集まった面々の顔を見回した。防衛大臣の自分に加えて、警察庁のトップたる公安委員長や、法務大臣まで招聘されている。国家の安全保障に関わる重大な問題が起こったのは間違いなさそうだが、それに、一介の内調職員がどう関係してくるのか。
「その通りです。日本国の今後に関わる、大事件が起こりました」
叶情報官のこの発言に、日本国の命運を自由に出来る立場にある男たちの顔は等しく強張った。内閣情報調査室のトップとして、平素より国防にまつわる大小様々なインテリジェンスに触れているはずの彼をして、大事件などと形容するほどの事態。いったい、どんなびっくり箱がひっくり返されてしまったのか。
「城山君、パソコンの準備をお願いします」
叶情報官の言葉に応じて、彼の隣に座った城山悟が、持っていたブリーフケースを開けた。中から取りだしたのは、モバイルPCだ。今年の二月に発表されたばかりの最新機種で、空間投影式ディスプレイを出力する機能が備わっている。城山はデスクの上にモバイル端末を置くと、OSを起ち上げ、空間投影式ディスプレイを起ち上げた。
「これから皆さんには二つの映像記録を見ていただきます。どちらも、昨日撮影されたばかりの映像で、編集は一切加えられていません。
一つ目の映像は、昨日、IS学園で撮影されたものです」
内閣情報調査室がIS学園にスパイを送り込んでいることは、大臣たちにとって周知の事実だ。なにしろIS学園は、稼働状態のISを常に三十機以上も保有している超強力な軍事組織。そんなものが、アラスカ条約によってどこの国にも帰属することなく存立している上、日本の首都・東京にほど近い位置にあるのだ。万が一の暴走に備えて、スパイを送り込むのは当然の措置といえた。今回の映像記録も、その諜報員が送ってきたものだろう。
「映像を見ていただく前に、何が起こったかという、事実だけお伝えしておきます。スパイからの報告によれば、昨日の午前十時十七分のことだそうです。IS学園にアンノウンが一機侵入し、攻撃を仕掛けてきました」
「攻撃だと!?」
藤沢官房長官が声を荒げた。驚愕の言葉を実際に口にしたのは彼一人だけだったが、他のみなも、同様の衝撃に打ちのめされている様子だった。
「アンノウン、ですか? しかし、そのような存在を補足したという報告は、私のもとに届いていませんが……」
アンノウンとは正体不明を意味する言葉で、軍事の世界では国籍不明機を指す言葉でもある。叶情報官が口にした言葉の意味を軍事用語と解釈した池波防衛大臣は、険しい面持ちで疑いの言葉を呟いた。本当にそのようなアンノウンが現われたとしたら、航空自衛隊のジャッジ・システム(自動警戒管制システム)が反応していなければおかしい。
ジャッジ・システムは航空自衛隊が運用している、日本の空を守るための強力な武器だ。強力なSS(レーダー・サイト)が日本沿岸や離島にも置かれ、日本の領空をくまなく睨んでいる。このSSが正体不明機をキャッチすると、そのデータはただちに航空方面隊防空司令部に送られ、コンピュータ処理される。解析の結果、その機体が国籍不明であり、かつこちらの呼びかけにも応じない場合は、アンノウンと認定される。なおも無線によるコンタクトが続けられ、それでも正体の判明しないときは不明機とされ、スクランブルの対象となる。ただちに待機しているスクランブル部隊に発進命令が出される、という仕組みだ。スクランブル発進に要するレスポンス・タイムは、数分から数十分単位。
もっとも、十分以上かかってしまうと、要撃が間に合わないケースもある。マッハ以上の速力で飛行する機体は、あっという間に本土上空に到達してしまうからだ。
これをいかにして最短時間で最寄りの基地から発進させるかが、管制群司令所にいる要撃管制官の仕事であり、腕の見せ所だといえる。
中部地区――関東甲信越から近畿までを含むエリア――の要撃管制を行っているのは中部航空警戒管制団で、司令部は埼玉県の入間基地に置かれている。傘下の警戒群は八個群に分かれており、IS学園のある首都圏エリアをカヴァーしているのは、千葉県峯岡山に置かれているレーダー・サイトだ。しかし、池波の把握している限り、昨日はそんな報告はなかった。本当に、そんな存在がいたのか?
「池波大臣が疑問に思うのも当然でしょう。ですが、これは事実です。アンノウンは突然、IS学園上空に現われると、当時、学園のイベントで試合中の第二アリーナ内に侵入。施設に対し、攻撃を開始したのです」
「待ってください。もしかして、アンノウンというのは、ISですか?」
「そうです。詳細は、映像でご確認ください」
司馬総理の質問に、叶情報官は首肯した。居並ぶ大臣達が顔を見合わせる。
「空自のジャッジ・システムをもすり抜けた、正体不明のIS……」
「高度なステルス能力を持ったISということか!?」
「池さん、そういう相手であれば、ジャッジ・システムが突破される可能性は……」
「十分にありえますね」
ISは人間が身に纏うパワードスーツだ。航空機などと比べて圧倒的に小さく、もとよりレーダー反射面積が少ない。その上で高度なステルス機能を搭載されているとなれば、いかに空自の精鋭たちといえ、見逃してしまうこともあろう。
「なるほど、叶情報官が国防の危機と評したのも頷ける話だ」
どこかの国か、あるいは企業が、極秘裏にステルス能力を持ったISの開発に成功した。その性能をテストするために、IS学園を襲撃した。もしもこのISが量産されれば、世界のミリタリー・バランスが崩壊することになる。最強兵器ISを、誰にも気づかれることなく、戦略的要地に送り込むことが出来るようになるからだ。極端な話、世界中の要人達を人質に取ることだって出来てしまう。
ところが、藤沢官房長官の呟きを、叶情報官はやんわりと否定した。
「それも勿論ありますが、それ以外のことでも、です」
「というと?」
「アンノウンは最終的にIS学園側の反撃に遭い、撃墜されました」
「さすがはIS学園だ」
藤沢長官は頷いた。
「あそこには世界最強のブリュンヒルデがいるからな。他の教員たちも、世界のトップ・ランカーたちでかためている。たとえ相手が未知のISであろうと、容易く撃退したんだろう」
「いいえ、そうではありません」
「うん?」
「アンノウンの迎撃にあたったのは、IS学園の教員たちではありません。例の、鬼頭智之です。城山君」
すでにモバイル端末の準備を終えていた城山が、記録映像のファイルを選択して、動画の再生を開始した。一畳ほどもある大型のスクリーンに、激闘の様子が映し出される。
件の第二アリーナで激しくぶつかり合う二機のIS……織斑一夏が駆る『白式』と、中国の代表候補生、凰鈴音の操る第三世代機、『甲龍』。試合ははじめ、特殊兵装《衝撃砲》で攻めたてる甲龍が優勢であったが、やがてその攻略法をものにした白式が反撃を開始。形勢が逆転したところで、第二アリーナの天井シールドが破壊された。
試合場に現われたのは、異形のISだった。全身を覆い隠している分厚い装甲。人体の造りを無視したシルエット。防衛大臣の池波をして、過去に見た憶えのない姿をしていた。アンノウンはIS学園側の呼びかけに一切応じることなく、試合の真っ最中で、シールド・エネルギーを大きく減らしていた白式と甲龍に襲いかかった。そこに割って入ったのが、鬼頭智之の『打鉄』だった。
『大人には、子どもを守る義務がある』
その言葉とともに、IS学園の子どもたちを襲ったアンノウンに向かって、挑みかかっていった。最初は苦戦している様子だった。当然だ。彼が身に纏う打鉄は第二世代機。弱っていたとはいえ、最新の第三世代機を相手に互角以上に戦ってみせたアンノウンとの性能差は、ISバトルに詳しくない者たちの目にも明らかだった。
しかし、英国の第三世代機用特殊兵装を研究する過程で彼自身が開発したという、新装備を起動させたときから、状況はまるで一変した。
「……私の記憶違いでなければ」
有線式攻撃端末を駆使した多方向からの時間差攻撃でもって、アンノウンの全身に設けられた姿勢制御スラスターを次々に破壊していく二人目の男の勇姿を眺めながら、司馬総理は呟いた。
「鬼頭智之がまともにISバトルをするのは、今回の戦闘が初めてのはずですが……」
「はい。IS学園に潜伏中のスパイからも、そのような報告があがっております」
「しかし、とても初めての男の動きとは思えんな」
藤沢官房長官は唸り声を発した。防衛大臣の池波も頷く。
「スパイからの報告によれば、この打鉄の機体制御には、鬼頭智之が独自に開発したOSが使われているそうです。《オデッセイ》といって、これは英国の第三世代機……ティアーズ型の特殊兵装に採用されている、BTエネルギーの制御に特化したOSだそうです。詳しい説明は省きますが、機体制御をこのOSに切り替えることで、機体の性能をより引き出しやすくなるとのことです」
「というと? 具体的には、どのような?」
「この新型OSはまだ試作段階で、十分なデータが出揃っていないため、スパイの推測も含まれた数字になるのですが……」
叶情報官は内心の動揺を悟られまいと、あえて淡々とした口調で呟いた。
「件のスパイは、IS学園に生徒として通っています。彼女の言によれば、ISコアとの先天的な相性といった要素を除くと、ISは稼働時間がものを言う世界だそうで、ごくシンプルに解釈すれば、パイロットの稼働時間が長いほど、ISコアのパワーや、機体の性能を引き出しやすくなるのだそうです。
今回のアンノウンとの戦闘で彼が見せた動きを、我々のスパイは、最低でも二〇〇時間はISを稼働させた者でなければ発揮出来ないパフォーマンスだ、と評しました。その一方で、アリーナの使用ログなどを解析した結果、IS学園入学後の鬼頭智之のIS稼働時間は、累計でも十時間に達していないことが判明しております」
「つまり、その《オデッセイ》というOSが、まだ素人に毛が生えた程度の経験値しかない鬼頭智之を、一瞬にしてベテランの操縦者に変えてしまったわけか」
「……なるほど。叶さんがわが国の国防に関わる問題と判断した理由が、見えてきましたよ」
防衛大臣の要約を受けて、司馬総理は、ははあ、と得心した様子で頷いた。
「以前の《トール》のときと、同じ、というわけですね? 鬼頭智之は、装置のスイッチを入れただけで、初心者を熟練のパイロットに変えてしまうOSを開発してしまった。これにより、我々はますます、彼の身柄や技術の流出を警戒しなければならなくなった。そう、おっしゃりたいわけだ」
「まさしくその通りです」
試作段階ゆえに、細かいところではまだまだ問題だらけのシステムだという。しかし、もしも将来、この《オデッセイ》OSが実用化されれば、軍事の世界に革命が起きることになるだろう。スイッチ一つで初心者を熟練の操縦者に変えてしまえる装置。これは、訓練効率を大幅な引き上げる可能性を秘めたシステムと言い換えられるためだ。
どんなに強力な最新装備も、それを扱う人間の練度が不十分な状態では、その性能を十全に発揮することは出来ない。それでいて、軍隊の装備は多機能化・複雑化が年々進んでおり、教育にかかる金銭的な、そして時間的なコストも、増大の一途を辿っている。ISなどはその典型であり、IS操縦者の数が国家の軍事力とニアイコールで結びつけられる現代において、人材育成の問題は、各国政府が最重要課題と等しく捉えていると考えてよかった。
鬼頭智之の開発したOSは、その問題を劇的に改善する可能性を秘めた存在だといえた。たとえば、ある操縦技術をマスターするのに、普通ならば三日かかったとする。それが、鬼頭智之の新OSを使えば、一日で達成出来るようになったとすれば、どうか。そのOSを採用した国は、他国の三倍の速さで操縦者を育成出来るようになる。訓練期間が三分の一ですむということは、従来と同じだけ時間をかければ、他国の三倍の人数を育成出来ることを意味する。
「IS学園は、十六~十八歳までの若者を、三年かけて、一流のIS操縦者へと育成することを目的としています。勿論、これは知識面も含めてのことですが、鬼頭智之の新OSが完成すれば、少なくとも操縦技術については、かなりの時間短縮につながるはずです」
「このことが他国にも知れ渡れば……いや、もう知られてしまった、として考えるべきでしょうなあ」
藤沢官房長官の呟きに、司馬総理は頷いた。
IS学園の設備を使って得られた知見は、情報の開示と共有がアラスカ条約によって義務づけられている。また、それでなくとも、学園には各国情報機関の訓練を受けたスパイたちが生徒として多数入り込んでいると考えられた。鬼頭智之の新OSとその性能については、彼女たちの口から語られてしまったと考えるべきだ。鬼頭智之の勧誘合戦は、これまで以上に熾烈なものとなるだろう。斯様な状況に対し、日本政府は今後どう行動するべきなのか。司馬総理は険しい面持ちで溜め息をこぼした。
「鬼頭智之の件については理解しました」
口を開いたのは、中島公安委員長だった。警察出身の叶情報官とは、顔馴染みの間柄だ。
「叶さん、もう一つの映像とは?」
ステルス機能を搭載した正体不明のISに、鬼頭智之の開発した新型OS。この二つは、国防に多大な影響を及ぼす問題でこそあれ、警察庁や、法務省まで出しゃばらねばならぬような事案ではない。中島は、叶が見せたいと言ったもう一つの映像にこそ、自分や、上田法務大臣が呼ばれた理由があると推測した。
叶情報官は頷いた。日本人としては珍しい、紺碧色の眼差しが重鎮たちの顔をゆっくりと見回した。叶はいつの間にか乾いていた口の中を唾で潤すと、静かに口を開いた。
「……二つの目の映像については、正直なところ、内調でもどう受け止めるべきなのか、判断がつきかねている、というのが実状です」
「内調が、ですか?」
司馬総理が驚いた様子で訊ねた。情報分析の専門家たちが、どう判断してよいか分からないなんてことが、ありえるのか。
「はい。悔しいことに、ですが。ただ、この映像に収められていた内容についての議論を後回しにすれば、日本国の……いいえ、下手をすれば、我々の暮らすこの世界、そのいまこの瞬間が、危うくなりかねない。そう思い、今回、総理たちに集まっていただいた次第です」
司馬総理たちは顔を見合わせた。内調のみならず、これまでに警察機構の要職を歴任してきた猛者たるこの男をして、この発言。いったい、自分たちはこれから何を見せられるのか。
「映像を流す前に、状況について、順を追って説明します。IS学園がアンノウンの襲撃を受けていたまさに同じ時間帯、ここにいる城山君は、愛知県名古屋市にある、アローズ製作所の本社にいました」
アローズ製作所。その名を聞いて、疑問を口にする者はこの場にはいない。みな、国家にとって重要人物として、鬼頭智之についての基本的な情報は頭の中に収められていた。
分からないのは、城山悟が鬼頭智之の勤務先になぜいたのか、ということだ。
当然、その疑問については、叶情報官がすぐに晴らしてくれた。
曰く、城山悟は鬼頭智之に対し懐柔工作を行う特命班……通称、KT班の一員だという。班内における主な仕事は、会社という切り口からアプローチ法を考えることで、彼は鬼頭智之が直接勤めている、パワードスーツ開発室に注目した。件の開発室では現在、災害救助用のパワードスーツを開発しており、内調ではその将来の顧客候補に、全国の消防署が選ばれるだろうと予測していた。消防庁は、総務省の外局だ。総務省出身の城山は、往時に築き上げたコネクションを駆使することで、消防庁の職員たちに、開発中のパワードスーツの見学をしたい、という欲求を抱かせることに成功した。見学会を催すことで、鬼頭智之本人や、アローズ製作所からの好感を買おうと考えたのだ。見学団には城山自身も参加し、そこで、事件と遭遇したという。
「後に判明したことですが、IS学園がアンノウンに襲われたのと、まさに同時刻のことだったそうです。アローズ製作所本社ビルを、IS学園を襲撃したのとまったく同型のISが襲いました」
「……なんですって」
数々の反対意見を押し切って経済政策を押し通してきた、豪胆なる司馬総理大臣をして、顔面蒼白とならずにはいられぬ発言だった。
直後に、「ありえない!」と、声を荒げたのは、中島公安委員長だ。
「襲われたのがIS学園であれば、防衛大臣のもとに連絡が届いていないのも納得出来ます。アンノウンは空自のジャッジ・システムをすり抜けてきた。その上、学園側で撃退に成功したため騒ぎにはならず、池波大臣のもとにも報告はなかった。そういう理屈が成り立ちます。しかし、アローズ製作所の場合は違う。
私の記憶では、この会社の本社ビルは名古屋市内にあったはずです。人口密集地域の上、一民間企業に過ぎないアローズ製作所には当然、IS学園のような防衛能力はありません。そんな場所がISに襲われたとなれば、施設の大規模な破壊や、死傷者の発生は免れられないはず。自衛隊はともかく、管轄の愛知県警が気づかないはずがありません。しかし、私のもとには、そのような報告はまったく……」
「それが、いたのです」
叶情報官は、やけに平坦な口調で呟いた。驚き、目を剥く中島に、酷薄なる言葉を叩きつける。
「アローズ製作所には、最強兵器ISを退けるだけの。いや、最強兵器を撃墜するほどの、戦力がいたのです」
「撃退したというのか!? 最強兵器を、一民間企業が!?」
藤沢官房長官の言葉に、叶情報官は頷いた。
「最初に立ち向かったのは、鬼頭智之が設計を担当した災害用パワードスーツのプロトタイプだったそうです。アンノウンを相手に、一分以上も粘るなど善戦したようですが、最終的に、中破相当の損傷を受け、戦闘からは脱落しました。
問題は、その後です。パワードスーツに代わって挑みかかったのは、生身の人間でした。パワードスーツ開発室の、桜坂室長です。彼の放ったパンチはISのシールドバリアーを貫通し、本体に届くと、先ほど皆様にご覧いただいた、あの重量級のボディを何メートルも吹っ飛ばしたとのことです」
重臣達は驚きから、返す言葉を等しく見失ってしまった。
到底、信じがたい話だが、インテリジェンスのプロフェッショナル集団の長たる人物の発言だ。諧謔や、嘘を口ずさんでいる可能性は低い。とすれば、彼の口にした内容は、一字一句たがわず、実際に起こった出来事なのだろう。
「ここにいる城山君は、その一部始終を現場で目撃した人間なのです」
「これから流す記録映像は、私が撮影したものです」
城山悟は緊張に頬を紅潮させながら言った。
「内調で開発した、マイクロカメラが内蔵された特殊な腕時計で撮影しました」
城山は自身の左腕に巻かれたタグ・ホイヤーを示した。一見した限り、普通のキャリバー5だが、ヒューズを回すとカメラが起動し、撮影を開始するのだという。
「小さい分、画質は悪いですが」
「……映像を流す前に、一つ聞かせてください」
上田法務大臣が城山を見た。
「城山さん、あなたはその場所で、何を見たのですか?」
「……神です」
城山は冷笑を浮かべながら応じた。
「地上に降りた、神の姿を目撃しました」
記録映像は、件の災害救助用パワードスーツの性能披露会から始まっていた。災害現場に見立てた瓦礫の道を、乗用車を抱えながら力強く進んでいく、二体の機械の鎧。池波防衛大臣が感嘆の溜め息をこぼし、中島公安委員長が腰を浮かして前のめりになった直後、実験場の天井が崩落した。穿たれた大穴から現われたのは、叶情報官が事前にブリーフした通り、IS学園を襲撃したアンノウンと同型のISだった。
アンノウンは実験場内に停車していたプロフィア・トラックを攻撃した。追撃を仕掛けようとするアンノウンに飛びかかる、災害救助用パワードスーツのプロトタイプたち。最強兵器の容赦のない反撃の前に、まず旧型機がリタイアし、新型機の方も徐々にダメージを蓄積させていく……が。
「……なんてことだ! ISを相手に、ああも戦ってみせるとは……!」
藤沢官房長官の驚きは、みなに共通する思いだった。
戦闘を目的に作られていないパワードスーツが、最強兵器ISを相手に、粘り強く持ちこたえている。現実離れした光景に、一同は思わず唸り声を発した。
「あれも、鬼頭智之の設計という話でしたね?」
「その通りです」
「……ますます、手放すわけにはいかない男だ」
司馬総理が呟いた直後だった。さらなる衝撃的光景が、男達の網膜を殴打した。
アンノウンの猛攻を前に追いつめられたパワードスーツを救ったのは、生身の男だった。六尺豊かな、堂々たる体躯の持ち主だ。顔の造作は彫り深く、ひとつひとつのパーツこそ精悍だが、全体としては厳めしい、仁王のような面魂を形作っている。男は憤怒の形相で異形の襲撃者を睨みつけると、かたく握った拳を、最強兵器のボディへと叩きつけた。男の鉄拳は、シールドバリアーを容易く突き破り、装甲表面に接触。オレンジ色の火花が散り、アンノウンの巨体は吹っ飛んだ。その場から三十メートル以上も離れた壁に激突する。
司馬総理たちは等しく唖然とした。質の悪いアクション映画のような、説得力を感じられない映像だった。
しかしこれは現実の出来事なのだ。司馬は喉を鳴らして唾を飲み込み、深々と息を吸った。頭の中に新鮮な酸素を送り込み、脳をクリアな状態にした上で、改めて映像に目線をやる。
よろよろ、と立ち上がったアンノウンが、男に向けて、荷電粒子砲をぶっ放すところだった。現代に現われた仁王象は、分厚い胸板でもって、ビームの奔流を受け止めた。びくともしない。男はそのままの状態で、ずんずん、と進み、相手との間合いを詰めていった。正拳突きが、再度ボディを打つ。鉄拳は相手の装甲を粉砕し、腹部に突き刺さり、内部のメカニズムを破壊しながらなおも深度を増し、やがて、反対側の装甲をぶち抜いた。
司馬内閣の重鎮たちは、卒倒してしまいたい欲求と戦いながら、臍下丹田に気合いを篭めて、記録映像を見続けた。やがて桜坂某なる人物の連続殴打により、アンノウンがまったく動かなくなる。動画はそこで止まった。映像が終わった後も、しばらくは誰も口を開かなかった。
「……なるほど、叶さんをして、分析に困るわけだ」
映像が終わって最初に発言したのは、司馬総理大臣だった。彼は重たい溜め息をついた後、現内閣における実質的なナンバー2との呼び声も高い情報官の顔を見た。
「ありがとうございます、叶さん。たいへん興味をくすぐられる、情報でした」
司馬は叶たちをねぎらった。すると、池波ら閣僚たちの顔つきが引き締まる。首相の発言は、この場における内調の仕事が終わったことを意味すると、察したためだ。
内閣情報調査室の仕事は、日本の舵取りを任された為政者たちに、判断材料となる様々なインテリジェンスを提供すること。これに対し、自分たち閣僚の仕事は、受け取ったインテリジェンスをもとに今後の行動指針を打ち立てること。ここから先は、自分たちの職域である。
司馬は閣僚たちの顔を見回した。
「皆さん、いま流された二つの映像を見て、各々感想や意見はあるでしょうが、まずは私に発言させてください。いまの二つの映像からは、大きく分けて、四つの問題が見て取れます。
第一に、アンノウンの正体について。空自のジャッジ・システムをすり抜けるほどのステルス性能を持ったISが、同時に二機も、わが国の領空や領土を侵害した。これはたいへんな問題です。いったい誰が、何の目的で、送り込んできたのか。我々はこのISについて、性能や、正体について詳しく知る必要があります。叶さん、破壊したISの残骸は?」
「IS学園を襲った方の機体は、学園側で回収されたようです。アローズ製作所を襲った方は現在、我々内調で回収し、管理しています」
「パイロットの方はどうです? 尋問は可能な状態でしょうか?」
「いいえ。パイロットの回収は出来ませんでした」
「……死亡した、ということでしょうか?」
「いえ。詳細はまた後日、報告書の形で提出しますが、今回、遭遇したアンノウンは、無人機でした」
「……なるほど」
はたして、叶情報官の発言を受けた司馬総理大臣の表情に、変化はなかった。これまた衝撃的な事実には違いないが、先ほど見た桜坂某の活躍ぶりに比べれば、驚きは少ない。
ただ、危機感を煽る内容には違いなかった。どこかの国、あるいはどこかの企業が、秘密裏に無人ISの開発に成功し、わが国を脅かしている。この安全保障上の問題を解決するためにも、回収した残骸の調査は急務と考えられた。
「叶さん、回収した残骸の調査と分析をお願いします」
「了解しました」
「人員は足りているでしょうか? 内調はこのところ、織斑一夏や鬼頭智之のことで、急激に仕事が増えているはずですが」
「正直に申し上げて、十分とは言い難い状況です」
「総理、防衛省の情報本部から、何名か、人員を回しましょう」
池波防衛大臣が言った。情報本部は防衛省の情報機関と位置づけられている組織で、定員が二〇〇〇人を超える、日本最大の情報機関だ。内調とは協力関係にあり、人材交流が積極的に行われている。実際、内調の主力部隊の陣容は、防衛省と警察庁からの出向組が大半を占めている。
「ISの分析であれば、内調職員よりも、我々の方が得意でしょうから」
「叶さんも、それでよろしいですね?」
「助かります」
「よろしい。では、第二の問題……鬼頭智之に対する政府のアプローチ方について考えましょう。
以前、彼がレーザー・ピストル《トール》を開発したときもそうでしたが、今回彼は、新型OSと、ISを相手に一分以上も持ちこたえてみせた災害用パワードスーツという二つの発明品でもって、我々を驚かせてくれました。私としては、これで鬼頭智之が国外に流出することは、ますます許すわけにはいかなくなった、と考えていますが」
「私も総理の意見に賛成です」
池波防衛大臣が言った。応じて、藤沢官房長、中島公安委員長も頷く。
「鬼頭智之の発明品を我々が使うかどうかはさておいて、彼の技術を、絶対に国外に流出させてはなりません。あの新型OSなど、使い方を誤れば、世界中の軍事的緊張を刺激する結果となりかねません」
「警察庁のトップの立場からも、総理の意見には賛成です。彼の技術は、我々日本政府が厳重に管理するべきだと考えます。もしも、軍事情報の管理にルーズな国に流出したとなれば、そこから、世界中のマフィアやテロリストたちに情報が渡り、転じて、わが国の治安維持にも大きな影響を及ぼしてしまいかねない、と考えます」
「では、鬼頭智之に対しては、いままで通り……いえ、いままで以上に、積極的な懐柔工作を仕掛けるべき、ということになりますね」
「その方がよろしいかと」
「では、鬼頭智之に対する基本方針は、これまで通り、ということでいきましょう。
さて、三つ目の問題は、アローズ製作所へのアプローチ方についてです。これまでは、鬼頭智之が勤務する会社ということで注目してきましたが、今回のこの映像により、アローズ製作所自体にも、政府として積極的に関係を持っていくべき価値があると判明しました」
最強兵器ISを相手に、一分以上も粘ってみせたパワードスーツ。現在、国連で研究中のEOSなどと比べても、明らかに高性能と見受けられる。設計を担当した鬼頭智之の頭脳は勿論だが、その考えを現実のものとしたかの会社の技術力もすさまじいの一言だ。
しかもこれは災害救助用で、まだプロトタイプの段階にすぎないという。仮にこれを戦闘用に再設計し、洗練を極めたならば、いったいどれほどの性能に仕上がるだろうか。
ISコアの総数が限られている現状にも拘わらず、数少ないISに軍事力のほとんどを依存しているのが、現代の軍隊だ。この歪な構造を是正するために、各国ではISに頼らない軍備の拡充に努めている。その最たる例が、国連主導の国際共同開発という形で研究を進めているEOSだろう。
アローズ製作所の開発したパワードスーツは、こうしたIS依存体質の現代の軍隊のあり方を根本から変えうる可能性がある、と工学部出身の司馬総理は睨んでいた。ISの膂力による殴打を繰り返されても、一分以上も耐えてみせた耐久性。ISのシールドバリアーをも貫通するほどの、高出力のレーザー発振器。記録映像を見た限りでは格闘戦能力にも秀で、悪路走破性にも優れている様子だ。オートフィット機構に由来する、乗り手を選ばない汎用性の高さも、司馬の目には魅力的と映じる。
また城山に訊ねたところ、アローズ製作所ではこれだけの性能を持ったパワードスーツを、一着一千万円ほどで販売するつもりだという。戦闘用とすることで、仮にこの値段が三倍まで値上がりしたとしても、軍用品として考えればまだ安いと感じられる単価だ。現用の一〇式戦車が一輌あたりおよそ一五億円だから、これの購入予算を二輌分転用するだけで、百着近く賄えてしまう計算になる。四輌分転用すれば、陸上自衛隊の普通科の一個中隊の全員に、スーツを着せてやることが出来る。
災害救助用として設計され、かつプロトタイプのいまでさえ、あれだけの高性能だ。戦闘用に再設計した場合の、スーツ一着あたりの戦闘力は、過小に見積もっても歩兵一個小隊に相当しよう。陸自の普通科の一個中隊の定数はおよそ二百名だから、全員がスーツを着れば歩兵二百個小隊……すなわち、中隊五十個分の戦力だ。陸自では大隊は置かず、中隊が四~六個集まって連隊を構築するのが通常だから、連隊十個分の戦力とさえ、言い換えることが出来る。
災害救助用というだけに留めておくのは勿体ない。アローズ製作所には、ぜひ防衛産業の仲間入りをしてもらわねば、と司馬は考えた。そのためには、政府からの積極的なはたらきかけが不可欠だ。
司馬総理大臣はみなの顔を見回した。誰からも、反対意見はあがらない。アローズ製作所を防衛産業界に引き入れるメリットは勿論のこと、やはりその技術力が政府のあずかり知らぬところで流出した場合のリスクを考えると、否とは言い難かった。
「上田さん、日本国の総理大臣としては、アローズ製作所とは友好的な関係を結びたいと考えています。しかし、政府が表立って関係を持とうとすると、企業に対する国家権力の介入だなんだ、と野党などを刺激してしまいかねません。法務省の方で、上手いやり方を考えてもらえないでしょうか?」
「……やってみましょう」
叶情報官が自分をこの場に呼び寄せたのは、このためだったか。上田秀彦法務大臣は力強く頷いた。日本の法秩序の維持者の面子に懸けても、法に触れぬやり方を見出してみせよう。
「そして最後に……」
司馬総理は、そこで一旦、口を閉ざした。瞑目し、どんな言葉を使って自分の考えを口にするべきか、しばし黙考する。やがて、かっ、と瞠目し、日本国の未来について重大な責任を背負う立場にある男は、自らを奮い立たせるような語調で言い放った。
「アンノウンを撃破した、桜坂なる人物について、です。正直に言って、私はいまこの目で見たものが信じられない。彼のような人間が、この世に存在するなんて……だが、これは事実だ。現実に起こっている事件なのだ。現実に起きていることである以上、我々も、現実的な対処法を考えねばなりません」
「……前例が、ないわけでもありませんしね」
藤沢官房長官の言葉に、司馬総理も頷いた。織斑千冬、篠ノ之束の名前が、自然と思い浮かぶ。
「とはいえ、我々はまだ、かの人物について、何も知りません。そういう状態では、有効なアプローチ手段など、思いつくはずもない。よって、内調による調査は不可欠ですが……そんな状態でも、これだけははっきりしていることがあります。彼と敵対すること、それだけはやってはならない」
司馬総理の断言に、城山悟や叶情報官を含む全員が頷いた。最強兵器ISを、素手でもって破壊するほどの戦闘力。あんなものと敵対することだけは避けたい。
「情報の乏しい現段階では、調査をしながら様子見……監視にとどめておくのが、無難な対応ではないでしょうか?」
「賢明でしょう」
中島公安委員長が言った。
「ただ、この桜坂という男の調査を、内調にばかり任せるのは負担が大きいと考えます。警察庁の方でも、信頼出来る人間を何人かあたらせましょう」
「恐れながら……」
ラップトップ・パソコンを片付けながら、城山悟が発言した。みなの視線が、彼に集中する。
「城山さんと言いましたね? なんです?」
「総理から正式な命令が下ったからには、この桜坂氏にも、コードネームをつける必要があります」
「コードネームというと、たとえば、鬼頭智之をKTと呼んでいるように、ですか?」
城山は頷いた。
「どうでしょう、この場でその名前を決めてしまうというのは?」
「城山君、それは内調の方でやっておくべき仕事だろう」
叶情報官が城山に注意した。閣僚達の貴重な時間を割くような仕事ではない、と考えたためだ。
ところが、そんな叶に、中島公安委員長が「いや」と、話しかける。
「この人物については、警察庁の方でも調査をする予定です。内調との情報共有の利便性を考えると、コードネームは私と叶情報官、双方が揃っているこの場で決めてしまった方が、むしろ時間の節約になる、と言えるでしょう。……城山さん、そう言うからには、もう案があるのでしょう? 言ってみてください」
「はい。……ウルトラマン、というのはどうでしょう?」
「ウルトラマン?」
中島公安委員長はちょっと驚いた表情を浮かべた。その名を聞いて真っ先に思い浮かぶのは、日本が誇る偉大な映画監督が生み出した、ヒーローの姿だ。
「ウルトラマンというと……あの、ウルトラマンですか? 円谷プロの?」
「はい。人知を超越した力の持ち主という意味で、ぴったりだと思ったのですが……」
「ふうん。面白いじゃないか」
藤沢官房長官が笑った。
「ウルトラマンなら、私も子どもの頃に見たことがある。我々人類にとっては、宇宙からやって来たということ以外まったく不明の、謎のヒーロー。なるほど、正体不明のこの男にぴったりの名前じゃないか」
「……では、今後この人物のことは、ウルトラマンと呼称するようにしましょう」
司馬総理は叶情報官と中島公安委員長の顔を交互に見た。
「叶さん、中島さん。このウルトラマンについて、どんな些細なことでもよいので、情報を集めてください。彼がいつ、どこで生まれ、どんなふうに育ち、どんな価値観を得て、現在にいたるのか。特に価値観は重要です。彼が何を大切にし、何を軽視しているかによって、我々のとるべき行動も変わってきます」
総理の指示に、叶情報官は首肯した。
日本の中枢で、世間には明かせぬひそやかな蠢動が、始まろうとしていた。
インフィニット・ストラトス二次創作
「この小さな世界で愛を語ろう」
Chapter27「懐かしき街並み」
鬼頭智之と更識楯無を乗せたA109ヘリコプターは、海岸線の形に沿うような飛行ルートをとりながら、愛知県を目指して巡航していた。内陸部を飛ばないのは、地上からの非発見率を少しでも減らすための配慮だ。また、襲撃に遭ったときにすぐ海上へ退避するためでもある。
楯無の言によれば、高速で巡航するヘリコプターにちょっかいを出せる手段は、対空ミサイルや、大口径の対空機関砲など限られている。人口密度の高い日本の内陸部で、これらの兵器が使用された場合、周囲に甚大な被害を与えかねない。対空ミサイルなんて住宅密集地域でぶっ放された暁には、最悪、死者が出かねない。そうした観点からも、内陸部を飛行することははばかられた。
A109のキャビンで、鬼頭は高品を名乗る同乗者の内調職員から、この後の予定について簡単なブリーフを受けていた。勿論、ローターの回転音などノイズがやかましいヘリの室内ゆえ、両者の会話はヘッドセットを介したものとなる。
『当機はこれから愛知県警の本部を目指します』
ヘッドセットから聞こえてきた高品の言葉に、鬼頭は得心した表情で頷いた。これも、人目を嫌っての配慮だろう。
自分たちが乗り込んだこのA109の機体側面には、警視庁、の文字がペイントされていた。愛知県警のヘリポートを利用しても、珍しがられることはあろうが、違和感は少ないはず。注目を集めずにすむだろうと考えられた。
『ただし、愛知県警の人間で、鬼頭さんが今回名古屋に帰郷することを知っている人間は、署長をはじめ、ごく一部の人間だけです。ヘリポートの管制官など、ほとんどの職員は、誰かは分からないが国家にとっての要人がやって来る、ということしか知りません。そこで、鬼頭さんにはこれから変装をしてもらいます』
『……変装、ですか?』
ヘッドセットを介しての会話に特有のタイムラグのため、鬼頭が返答を口にするためには、ワンテンポ置かなくてはならなかった。
『生憎、化粧の類いは苦手なのですが……』
『……ご安心ください。変装のための道具は、こちらで用意しています』
高品はそう言うと、座席の下からブリーフケースを取り出し、自らの膝の上に置いた。黒い合皮製で、ファスナーで開閉をするタイプの鞄だ。プルタブをつまみ、互い違いにくっついた無数の銀色の歯のつながりをほどくと、中に手を突っ込む。取り出したのはアルミ製の眼鏡ケースだった。蓋を開け、中に入っていた眼鏡をつまみ出す。
黒色のサングラスが姿を現した。レイバンのアビエイターに似た、スマートないでたちをしている。
――変装用の小道具にサングラスとはまたベタな……。
高品にサングラスを手渡された。つるを持ってみて、おや? と小首を傾げる。右側頭部のこめかみのあたりをかすめる部分に、とても小さな出っ張りが見受けられた。触ってみると、その部分だけ妙にざらついた手触りをしている。高品に目線を戻すと、彼は微笑んだ。
『内調で開発した、変装用の特殊なサングラスです。一部のISなどに採用されている、光学迷彩技術の応用で、そのサングラスをかけた状態で接触式のボタンに触れると、首から上に、別人の顔が投影されるようになっています』
『……なるほど』
まるでジェームズ・ボンドの世界だな、と鬼頭は思わず苦笑した。察するに、このサングラスを作ったのは、和製Q課といったところか。
鬼頭はサングラスをかけてみた。そんな特殊なギミックが内蔵されているとは思えぬほど、軽い感触。なるほど、これなら長時間の着用も苦にならないな、と感心しながら、件のざらざらボタンに触れてみた。ちちち……、と静かな駆動音。おっ、起動したかな、と思い、隣に腰かける楯無を見る。
楯無ははじめ、少し驚いた素振りを見せていたが、やがてにやにやと笑い出した。嫌な予感。
『……うん。どう見ても、ジョージ・クルーニーにしか見えませんね!』
『……それは別の意味で大騒ぎになるのでは?』
別人の顔を、ということで、実在の誰かをモデリングしたのだろうとは察していたが、有名人をモデルにするのはスパイとしてどうなのか。
『ご安心ください。ジョージ・クルーニーは、モデルの一つにすぎません。他にも何人か、別の顔データがインプットされていますので』
つるの接触式ボタンをもう一度撫でると、今度は普通の日本人顔が投影されたらしい。楯無の笑いは、つまらなそうに止まってしまった。
――どんな顔になっているのか、かけている本人が分からないのは、欠陥じゃないだろうか……。
時速二五〇キロメートル前後で巡航するA109は、茅ヶ崎、小田原、真鶴を通って、神奈川県を抜けた。静岡県は、伊豆半島を海岸線通りに進むと時間がかかりすぎるので、時速三百キロ・オーバーの高速で、熱海から沼津へと内陸部を横断する。その後はまた海岸線通りの飛行ルートを取り、焼津、榛原、浜岡、湖西から愛知県は渥美半島へと進入した。半島最端の伊羅胡岬に到達すると、そのまま海上を進んで知多半島へと移動する。南知多、常滑、知多と進み、金城ふ頭から、名古屋港へ至った。窓の外から見下ろす懐かしい景観に、鬼頭の口角は綻んだ。
名古屋市に到達したA109は、名古屋港水族館の上空をフライ・バイすると、中川運河へと入り、そのまま川沿いに北上していった。運河の始まりである、運河町の上空までやって来たところで、高品が『ここまで来れば、県警本部までは指呼の距離です。一気に飛ばしましょう』と、言い、ヘリは再び時速三百キロの速さで県警本部を目指した。
鬼頭たちが県警本部北館屋上のヘリポートに到着したのは、午前八時三十分のことだった。本来は災害などのときにしか使えない、緊急用の離発着場だが、今回の帰郷のために、特別に開放してもらったのだ。お忍びでの来訪とあって、ヘリポートには誘導員の他に人の姿はない。もっとも、地上十一階建てのビルの屋上だから、その方が普通なのだろうが。
A109は高層ビルの屋上に設けられた小さなヘリポートに、ゆっくりとアプローチしていった。シャープな鼻先を若干下方に向けて着陸位置を狙い定めると、姿勢を水平にとり、ホバリングしながら、徐々に高度を落としていく。やがて、トン……、と静かな揺れがキャビンの鬼頭たちを襲い、降下が止まった。
『……さすがは警視庁選りすぐりのパイロットたちだ』
内調職員の高品が感嘆の溜め息をこぼした。曰く、着陸時の衝撃をほとんど感じさせないのは、パイロットの腕っ節によるのだという。
『見事だ』
高品の言によれば、ヘリはこのまま警視庁にとんぼ帰りするらしい。鬼頭は操縦席で肩を寄せ合う二人に「ありがとうございます」と、声をかけた。ヘリのパイロットたちは、上司から鬼頭とはなるべく会話しないよう厳命されているのか、一瞬、彼の方を振り返ると、にこり、と微笑みを返すのみだった。
キャビンを降りた三人は、誘導員たちの脇をすり抜けると、ビル内に入った。屋上へと続く階段の踊り場には、公務員らしい、かっちりとしたデザインのスーツを着た壮年の男性が一人待ち構えていた。見覚えのある顔だ。名古屋で暮らしていた頃、地元のニュース報道や中日新聞などで何度か見たことのある、愛知県警の現本部長だった。
「お待ちしておりました」
本部長は最敬礼でもって一行を出迎えた。「少し不便ですが、非常階段を使って、外の駐車場まで行きましょう」と、三人を、普段は人の出入りが乏しい場所へ案内する。警察官には朝も夜もない。早朝といえど、県警本部には多くの人が出勤していることから、ありがたい配慮だった。
十一階層分の階段を下り、三人は本部長の案内の下、北館脇の駐車場に向かった。八台ある駐車スペースには、覆面パトカーと思われるセダン・タイプの他に、黒塗りの三代目アルファードがアイドリング状態で待機していた。トヨタの高級ミニバンで、国内Lクラスミニバン市場の頂点に長年君臨する、絶対的王者のような存在だ。クラウンなどの高級セダンの法人需要が年々減少している中、それに代わるショーファードリブンとしての価値も高い。車内空間が広く、シートも上級ミニバンらしく快適性に優れ、装備も充実しているから、車内でちょっとした会議だって開けてしまう。
三代目アルファードが登場したのは二〇一五年のことだが、数次にわたるマイナーチェンジの度に、乗り心地や快適性は着実に向上している。現行の四代目がデビューして久しいいまなお、中古車市場での人気も高い車種だった。
隣を歩く楯無が、「アローズ製作所まで、あれに乗って移動してもらいます」と、囁きかけた。
なるほど、良い選択だな、と鬼頭は感心した様子で頷いた。要人護送ということで、センチュリーでも出張ってきたらどうしようかと警戒していたが、素直に、良いチョイスだと思う。
クルマ好きとして、また一人の男として、センチュリーの後部座席に憧れる気持ちはあるが、あれは街中では目立ちすぎて、お忍びでの行動には向かない。その点、アルファードならばそこら中を走っているから目立たないし、ミニバンだからボディガードなどの人員もチーム単位で乗り込める。
高品がアルファードについて説明する。
「見た目は普通のアルファードですが、要人護送用に、改修されたクルマです。窓は偏光仕様になっていて、外からは中の様子が見えないようになっています。
窓にもボディにも、防弾処理が施してあって、九ミリの拳銃弾に耐えられます。ただし、同一箇所に銃弾が集中した場合、ボディは四発まで。窓は三発まで耐えられますが、それぞれ五発目、四発目は貫通します」
「走行中の車体のまったく同一箇所に銃弾が集中するような事態は考えにくいですから、非常に優れた耐弾性と言えますね。耐クラッシュ性能は?」
「時速六十キロメートルの速さで、硬い壁に衝突した場合で、シートベルトを使用した乗員全員が怪我をしないよう設計されています」
「そいつはすごい!」
「ただ、これらの改修のために、車両重量がかなり増加しています。市販仕様のパワートレーンではパワーが不足してしまうため、三・五リッター・エンジンに過給器を取り付け、ECUチューンを施して、馬力とトルクを高めています」
市販車に搭載されているエンジンは通常、安全マージンをたっぷり確保した上で販売される。エンジン・コントロール・ユニットengine control unit(ECU)は、エンジンの動作を管制するマイクロ・コントローラーのことをいい、通常はやはり、安全性や信頼性を優先したセッティングがなされている。ECUチューニングとは、この設定を変更したり、後付けパーツによってその動作に介入することを指し、たとえば、燃費性能を優先した動作についての制御を少しだけ犠牲にしてパワーを向上させる、といったことが可能となる。
「……参考までに、どの程度パワーを上げたのです?」
「最高出力は四〇〇馬力、トルクは、五六キログラムまで高めてあります」
「素晴らしい!」
同じトヨタのエンジンでいえば、四・七リッターや、五・〇リッターなどの排気量がある、URエンジン級のパワーだ。車輌重量二・七トンのレクサスLXに搭載されている五・七リッター・3URエンジンが三七七馬力、五四・五キログラムだったはずだから、仮にこのアルファードの車重が三トンだったとしても、それなりの加速が期待出来るだろう。
「特別仕様車はこの一台限りですが、市内にはこれとまったく同じ見た目、同じナンバープレートのアルファードが他に四台待機しています。市内での移動は、追跡車がいるという前提で、これらの車輌で攪乱しながら行います」
「なるほど」
それもアルファードだから出来る作戦だと言える。同様の作戦をセンチュリーでやろうものなら、あまりにも奇っ怪な光景から一般通行人に写真を撮られ、SNSなどに挙げられ、たちどころに人口に膾炙してしまうに違いなかった。
鬼頭たちの接近を認めてか、アルファードの後部スライドドアがおもむろに開いた。
ぽっかりと口を開けた二列目の後部座席に腰かける、意外な顔を見て、鬼頭は思わず立ち止まる。
「お久しぶりです。……ええと、鬼頭主任、ですよね?」
変装用の特殊なサングラスを使っているためだろう、あらかじめ聞かされていた服装の人物が本当に鬼頭智之かどうか戸惑っている松村陽平は、自信なさそうに訊ねてきた。パワードスーツ開発室の一員で、チーム内ではショック・アブソーバなどの足回りを主な担当とする技術者だ。銀縁眼鏡をかけた細面の男だが、気骨隆々たる人物でもある。
鬼頭は辺りを一瞥して、自分たち以外の人影がないことを確認すると、一瞬だけ、サングラスをはずしてみせた。それを見て、松村の顔に安堵の笑みが浮かぶ。
「お待ちしていました、鬼頭主任」
「松村さん、どうしてここに?」
「室長から、出迎えに行くよう指示を受けたんです。併せて、会社までの道中、主任にこの一ヶ月ほど会社であった出来事について、簡単にでよいので説明するように、と」
「なるほど」
「松村さん、それ以上の話は、車内でお願いします」
楯無が険を帯びた表情で松村を睨んだ。
松村は、自分とは倍以上も年齢差のある少女の身の内より滲み出た凄絶な威圧の気配に驚きながら、「そうですね」と、応じた。鬼頭もサングラスをかけ直すと、粛、と頷く。
松村が三列目のシートに移動して、鬼頭たちはアルファードに乗り込んだ。特別仕様車の内装は、市販モデル最上位グレードのエグゼクティブラウンジを基調としているらしい。二列目のシートに鬼頭と楯無が座り、高品は三列目に腰かけた。最前列の運転席と助手席には、すでにスーツ姿の男達が腰かけている。こちらを振り返り、一度だけ黙礼。内調職員のようだが、名乗る気はないらしい。
二人とも、いかつい体格がスーツを風船のようにぱんぱんに膨らませていた。目つきもギラついている。内調には防衛庁や警察庁からの出向者も多いと聞いているが、その筋の猛者たちだろうか。スーツの下には、拳銃を隠しているに違いない。全員が乗り込んだのを見て、運転手の男が頭上に設けられている操作パネルに手を伸ばす。電動スライドドアが、ゆったりと閉まっていった。さすがは上級ミニバン、動きがいちいち上質で、静かだ。
パーキングブレーキを解除する。ゲート式のシフトレバーを手前に引いて、Dの位置に合せた。改造されたV型六気筒エンジンが、重たい車体をゆっくりと動かし始める。
愛知県警の本部長が、黒塗りの高級ミニバンに向かって挙手敬礼をした。彼からは見えぬと分かった上で、助手席の男、そして高品が答礼する。やはり、二人は警察出身の内調職員なのか。疑問に思う鬼頭を乗せて、アルファードは名古屋の街へと躍り出た。
◇
同時刻、IS学園。
ゴールデンウィーク初日のISアリーナは、第一、第二といった番号問わず、賑わいを見せていた。
言うまでもなく、IS学園は世界中からトップクラスの若き才能を集めた教育機関だ。生徒たちはみな向上心旺盛で、大型連休の期間といえど、学園の校舎から若者たちの声が消えることはない。むしろ、連休期間を利用して実家に帰省したり、旅行に行ったり、といった者たちが島にいない分、数少ない訓練用ISの貸出申請の競争率が低下すると見込んで、この機会こそチャンスとばかりに、足を運ぶ生徒は多かった。
「寮から遠い位置にあるアリーナなら、少しはましだろうと思ったのに……」
そんな目論見を胸に第三アリーナにやって来た鬼頭陽子は、ピットゲートをくぐり抜けたその先に広がる光景を、ぐるり、と見回して、小さく溜め息をついた。広々とした造りのISアリーナだが、高速で空中を飛び交うISが十機近くもいると、さすがに手狭に感じてしまう。
「皆さん、考えることは同じ、ということですわね」
陽子に続いてピットゲートから飛び出してきたセシリアが、苦笑しながら言った。訓練機の『ラファール・リヴァイブ』を身に纏った彼女のかたわらに寄り添うと、先客達の動きを見て呟く。
「三年生の方々ばかりですね」
「そうなの?」
「はい」
「それって、学年別個人トーナメントが近いからか?」
背後から声をかけたのは一夏だった。かたわらに、『打鉄』を展開・装備した箒を連れている。今朝方、食堂で朝食をともに囲んだ際、「今日はこの面子で合同訓練をしようぜ」という一夏に賛同して、四人は第三アリーナにやって来たのだった。
一夏が口にした学年別トーナメントは、六月の末に控えるビッグ・イベントだ。先日のクラス対抗戦とは異なり、完全自主参加の個人戦で、学年別で区切られている以外は、参加制限など特に設けられていない。とはいえ、三年生は各国の軍隊や企業からのスカウトが懸かっており、基本的には全員が参加するのだという。この時期の三年生がやたら、ぴりぴり、しているのは毎年の風物詩のようなもの、と、山田真耶が授業中にこぼしたのを覚えている。
セシリアは一夏の言葉に頷きながら、
「学年別トーナメントは私たち一年生にとっても重要なイベントです。目端の利いたスカウトマンは、一年生の頃から、有望株を見逃さない、と言いますし」
「うん。わたしたちも頑張らないとね」
「おう。それじゃあ、始めようぜ」
「うむ。まずは近接格闘戦の訓練だな。一夏、刀を抜け」
「お待ちください、箒さん」
うきうき、と一夏と刀を合わせようとする箒を、セシリアが制止した。
「お一人で突っ走らないでくださいな。合同訓練なのですから、何をするかは、話し合って決めませんと」
「む。……ならば、どうする?」
「私の意見としては、基本的な空戦機動の習熟を軸に、訓練プログラムを組んだ方がよいと思いますが」
不満げな箒の目線を、顔を傾けてかわし、セシリアは陽子を見た。
「わたしはセシリアに賛成かな。アブソリュート・ターンとか、理論は分かるんだけど、実際にやれ、ってなると、あんま自信ないし」
「くっ。一夏はどうなのだ!?」
「お、俺? 俺は……そうだな……」
白式のロボットアームを器用に動かして、胸の前で腕を組みながら一夏は思案した。
「俺も、空戦機動の練習をしたいな。白式、高機動型だし。大型スラスターの使い方とか、もっと工夫出来るようになりたい」
「一夏、お前はどっちの味方なのだ?!」
「いや、味方も何もないだろうがよ」
一夏は呆れた表情で言った。白式という愛機の特性を考えた上での結論だ。箒の方が好きだから彼女の意見を支持する、というような場でもないのだし。
「白式には一撃必殺の『零落白夜』があるんだ。お前の場合、わーっ、と近づいて、がーっ、と攻め立てて、一撃当てればいいのだから、複雑な空戦機動なんて、必要ないだろう」
「いや、だからこそ相手も距離を詰められないよう逃げようとするだろうから、その、わーっ、の部分をどうするかって、わりと重要なことだと思うぞ」
「ええいっ。いちいち細かいことにばかりこだわりおって。男らしくないぞ、一夏!」
「……あれ、これってジェンダー的な考え方の問題なの?」
「違うと思いますわ、陽子さん」
二人のやり取りを見守っていたセシリアは思わず溜め息をついた。
「箒さん、ご自身の思い通りにならないからって、癇癪を起こすのはやめてくださいまし」
「なっ! わ、私は……!」
「どうしても近接格闘戦の訓練から始めたいというのなら、私と模擬戦をしましょう。勝った方が今日の訓練内容を決める、ということでいかがでしょう?」
「……ふん。いいだろう」
応じるや、すぐさま『打鉄』の設定を、仮想戦闘モードに切り替える。空間投影式の立体CGで形作られた近接ブレード《葵》が出現し、正眼に構えた。スカート・アーマー背部にマウントされたロケット・モーターを噴かしながらセシリアに肉迫。八相に振りかぶった大刀を、袈裟掛けに振り抜く。
応じるセシリアも、立体CG製のショートブレードを展開し、初太刀を受け止めた。剣身を体ごと斜めに傾けて、受け流す。と同時に、剣撃の勢いを利用して間合いを取るや、右手にレーザー・ライフル《スターライトmkⅢ》を展開。素早くトリガーを引き絞り、近距離からの銃撃を浴びせかけた。レーザー光線が箒の体を貫通し、仮想シールド・エネルギーの表示を減らしていく。
「うわあ、始まっちゃった」
「セシリアも、あれで好戦的なところがあるからねえ」
突如として始まったISバトルの様子を眺めながら、一夏と陽子は揃って苦笑いした。
「終わるまで、待っていようか?」
「だな」
「その間、どうしよう?」
「やりたいことをやっていればいいんじゃないかな? それとも、俺たちも模擬戦でもやるか?」
口に出して、そういえば、と、一夏は気がついた。クラス代表決定戦以来、陽子やセシリアとは何度も訓練をともにしているが、彼女とISバトルをした記憶がない。この際、良い機会だからと、軽い気持ちで提案してみる。
「織斑君と、かあ……」
一方の陽子は神妙な面持ちで彼の提案について考えた。
一夏の白式は、近接ブレード一振りのみを武器とする、高機動型・近接格闘型の機体だ。戦闘となれば当然、自分に対して、猛然と突撃してくることだろう。
男性たる一夏が、雪片弐型を振りかぶりながら、自分の身に、迫り来る。
男が、暴力を振りまきながら、襲いかかってくる。
あの男が、
かつて、父と呼ぶことを強いられたあの男が、拳を握り、幼い自分の体に、にじり寄ってくる。
その光景を想像した陽子は、思わず、ぶるり、と胴震いした。
生体保護機能を完備したISを身に纏っているにも拘わらず、寒気を感じてしまった。
陽子は、震える喉を懸命に締め上げると、硬い声で言った。
「……せっかくの提案だけど、遠慮しようかな」
「そっか。じゃあ、また機会があれば、頼むぜ」
「う、うん」
一夏は残念そうに呟くと、武装の展開と収納の反復練習を開始した。
白式に搭載された唯一の武器の展開に要する時間を、コンマ一秒でも減らしたい。鍛錬に勤しむ真剣な横顔を、ちら、と眺めながら、陽子はひっそりと溜め息をついた。
――いつか、織斑君とも戦えるようになるといいな。
◇
愛知県警本部を飛び出してから最初のうち、アルファードはアローズ製作所のある名東区とは、反対方向へと向かっていった。どういうことか、と隣の席の楯無に訊ねると、これも攪乱作戦の一環だという。なるほどなあ、と頷き、鬼頭は後ろの席の松村に言った。
「彼らは彼らの仕事を進めるようです。我々も、我々の仕事を始めましょう」
「そうですね」
松村は頷くと、足元に置いたビジネス鞄から書類を取り出した。A4のコピー用紙の右端をホチキスで留めた、簡素な造りの小冊子だ。表題のところに、『四月期にあった出来事のまとめ』と書かれている。
「主任がIS学園に発った後、会社で起こった出来事を、日付ごとに簡単にまとめたものです。まずはこれに目を通してください」
「ふむ」
小冊子を受け取り、膝の上で広げた。エンジンを強化しているにも拘わらず、エグゼクティブラウンジをベースとしたシャシーは、車内に揺れをほとんど伝えない。小さな文字を読み進めるのに、難儀は感じなかった。
やがて最後のページを読み終えた鬼頭は、今度は逆向きにページをめくっていった。読んでいて特に気になった項目に辿り着くと、松村に仔細を訊ねる。
「四つ、お訊ねしても?」
「はい。なんでしょう?」
「このページですが、トムと土居君、そして桐野さんが入院した、とありますが、三人の容態は……?」
「ご安心ください。三人とももう退院して、仕事に復帰しています」
「……ああ、よかった」
鬼頭は安堵の溜め息をこぼした。開発室の双璧たる人物の心情を思い、松村はさらに言う。
「三人とも後遺症はなし、と医師からも太鼓判を押されています。ただ、田中君だけは他の二人よりも怪我の程度が酷かったので、しばらくは週一での通院が欠かせないみたいですが」
「なるほど……。では、二つ目の質問ですが」
「はい」
「三人が怪我を負うことになった原因についてです。XI-01と02を使った実験中に、事故があった、とありますが」
小冊子には、隕石がドーム型試験場の天井をぶち破って砕け散り、その破片がXI-01と02を載せた状態のプロフィアに降り注いで車内の三人を傷つけた、とある。たいへんな事件だ。それなのに、自分はこの報告書を読むまで、そんな出来事があったなんて知らなかった。毎晩のように連絡を取り合っている桜坂は、そんなこと一言も口にしなかったし、重軽傷者が三人も出た大事件にも拘わらず、メディアがこのことを取り上げた様子は、自分の把握している限りない。
「事故の詳細と、メディアがこんな大事件を取り扱わない理由を教えてください」
鬼頭の問いに松村は頷いた。舌先で言葉を選ぶようにしながら、ゆっくりと話していく。
「まず、事故の詳細からお話しします。あの日、我々は本社のドーム型試験場で、XI-01と02を使った性能比較試験を実施していました。試験場内には、桐野さんが運転するプロフィアがあり、そのコンテナの中には、01スーツを着た田中君と、02スーツを着た土居君がいました。他のメンバーは、観客席と分析室に分かれて、試験の様子を見守っていました。
事故が起こったのは、試験を終えた田中君たちが、給電のため、プロフィアのコンテナに戻って、スーツと充電器を接続した直後のことでした。突然、大きな音とともに天井が崩れ、試験場内に、無数の、黒い雹のようなものが降り注いだのです。後に分かったことですが、これは隕石の破片でした」
ものの本によると、地球には毎日百トンもの地球外物質が流入しているが、そのほとんどは、非常に小さな、塵のような微粒子であったり、多少の大きさがあったとしても、大部分が大気圏突入時の摩擦熱で燃え尽きてしまう。ために、地表まで到達する隕石は年間五百個程度でしかなく、さらにその大部分は、地球表面の七割を占める海に落ちると考えられていた。残り三割ぽっちしかない陸地の、さらにほんの一部でしかない日本に、ある程度の質量を保った状態で落ちてきたのは、ある分野の研究に熱心な科学者たちにとってはたいへんな僥倖と言え、他方で、落下地点に社屋を構えていたさる企業の社員たちには、滅多に起こらない不幸にぶち当たってしまったな、と慰めの言葉をかけてやるほかなかった。
「これは後々隕石の破片を回収して分かったことですが、わが社のドーム型試験場の屋根にぶつかる直前まで、隕石は長さ十七センチ、最も長いところで横幅十二センチの、細長いピーナッツのような形状を保っていたようです。それが、試験場の屋根に衝突し、内部の構造物を貫く過程でひび割れ、内側の天井をぶち抜いた瞬間に、ばらばらに四散してしまった。その後は、室長の言葉を借りれば、クラスター爆弾のようにプロフィアに降り注いでしまったのです。ほとんどの破片は、プロフィアのボディをぼこぼこに凹ませるだけに留まりましたが、先の尖った一部の破片のうち、急な角度で進入してきたいくつかがコンテナを貫通して、バッテリー給電中で身動きの取れない二人を襲った、というわけです」
「……すさまじい話ですね」
「私はそのとき、モニター室にいましたが……死人が出なかったのが不思議なくらいの、大惨事でした」
悄然と呟いた松村に、鬼頭は頷いてみせた。
「私に、報告がなかったのは……」
「室長から止められました。開発主任はいま、IS学園という慣れない環境で、心身ともに高ストレスにさらされている。そんな彼に、自分たちのことでこれ以上の心労を与えたくはない。この件については、自分たちの方で一段落つくまで、主任には伝えないように、と」
「その心遣いは嬉しいが……」
鬼頭は溜め息をついた。自然と、仁王のように厳めしい面魂が思い浮かぶ。
「……それでも、私は話してほしかったです。あなたちの感じた苦痛や恐怖、苦労を、分かち合いたかった」
「すみません」
「いえ……メディアへの対処は、どうしました? 隕石落下なんて大事件を、隠し通せるとは思えませんが」
「その件については、私たちが協力しました」
隣の席に座る楯無が口を挟んできた。なるほど、と鬼頭はまた頷いた。彼女らは情報のプロフェッショナルだ。マスコミ工作は、お手の物か。
鬼頭は知らぬことだが、楯無が協力する内閣情報調査室の国内部門には、マスコミ担当と呼ばれる特命班が、新聞、出版、テレビなどのメディアごとに分かれて存在している。彼らは、各メディアに太いパイプを持ち、情報の収集だけでなく、ときにメディアを通じての情報操作を行うセクションでもある。世論形成を得意とする、内調の秘密部隊といえる。
「アローズ製作所はいま、鬼頭さんの勤務先として、ただでさえ世間からの注目を浴びている企業です。『これ以上、妙な目立ち方はしたくない』と、桐野社長から、協力を打診されまして」
楯無の言葉を受けて、鬼頭は表情を硬化させた。彼女の語る内容に、違和感を覚えたためだ。
楯無の話は一見、筋が通っているように思えるが、桐野利也という人物の性格を考えると、どうにも納得しづらい。己がISを動かせることが分かったときでさえ、自分を抱えることのリスクを承知の上で、雇用し続けるという決断を下したほどの豪胆さを持った人物だ。悪目立ちしたくない、なんて弱気な発言をするだろうか。
鬼頭は楯無の赤い瞳を、じぃっ、と見つめた。応じる彼女は、にこにこと笑いながら、なおも桐野社長らしからぬ発言と態度を口にして、説明を続ける。
――この件は、後で桜坂や、出来れば社長ご自身の口から聞く必要があるな。
自分の娘と同じ年頃の少女だ。彼女の言を疑いたくはないが、なんといっても暗部組織の人間。その発言は、常に本当のことを口にしている、とは考えない方がよいだろう。嘘か真かをしっかり吟味した上で、発言の意味を咀嚼しなければなるまい。
――ただ一点だけだ。いま、彼女に対して信を置けるのは、俺の身を守るために側にいてくれている。その一点だけと、考えなければ。
鬼頭は再び後ろの席の松村を振り返った。
「三つ目です。隕石落下による、被害状況は?」
「田中君たちの怪我を除けば、まずドーム型試験場。屋根と天井に穴を開けられてしまいましたから、修復工事が終わるまで、しばらく閉鎖されることになりました。次に、我々開発室の損害ですが、XI-01は大破。現在、修理中ですが、新しく作り直した方が時間コストの節約になるのではないか、というほどのダメージです。XI-02は中破ですみました。そういう状況ですので、現在、開発室では、02スーツの方を優先的に修理しています。見込みでは、五月中頃には、テストを再開出来る状態に復元出来るだろう、という状況です」
なるほど、だから01スーツを着たトムの方が大怪我を負ったのか。
「プロフィアの方はどうです?」
「廃車にするか、修理するかで、現在みんなで相談中です。当日は試験のため、他に社用車のプロボックスが一台と、アルトワークスが一台出ていました。このうちプロボックスの方はエンジンルームに破片が直撃し、こちらは一発廃車となってしまいました」
廃車と聞かされて、表情を曇らせないクルマ好きはいない。鬼頭は小さく溜め息をつき、なんとなく窓の外に目線をやった。中央分離帯を挟んで対向車線を走る白いプロボックスと、ちょうどすれ違うところだった。無性に悲しい気持ちに襲われた。しかし、同時に思い直す。それほどの損失を被りながらも、死者が出なかったのは、松村の言う通り、まさに僥倖だった。いまはそれを喜ぶべきだろう。
気持ちを切り替えた鬼頭は、「最後の質問なんですが……」と、口を開いた。
「この報告書ですが、作成者は桐野さんですか?」
「……やっぱり、分かりますか?」
「そりゃあ、ねえ……」
鬼頭は苦笑して、小冊子に目線を落とした。その日に起きた出来事が、日付ごとによくまとめられている、かなり完成度の高い報告書だ。ただ、同じ会社に勤務する先輩社員として、百点満点を与えてやるわけにはいかない部分も見受けられる。日ごとの末尾に、彼女らしい、しかし、大多数の人間にとっては不要と思われる情報が記載されていた。この種の報告書における情報の過多は、忌むべき過飾だ。これさえなければ、百点をくれてやれるのだが……。
「四月七日、この日は室長と三時間三二分二五秒お話ししました。六八回、目が合いました。一緒の室内にいた時間は十二時間一五分二一秒でした。
四月八日、この日は室長と二時間五一分三二秒お話ししました。八一回、目が合いました。一緒の室内にいた時間は十時間五分三秒でした。
四月九日、この日は室長と四時間二九分二八秒お話ししました。九三回、目が合いました。一緒の室内にいた時間は十四時間三五分二二秒でした。新記録。……こんなことを、日付ごとに書かれては、誰が書いているのか、一目瞭然です」
「ですよねえ」
「えぇ……」
隣の席で、IS学園最強の生徒が頬を引き攣らせていた。見回せば、高品や前の席の二人も、顔の筋肉が硬化している。
「あ、あの、その桜坂室長……さんは、そのう、同じ部署の女性社員から、ストーカー被害に遭われているのですか?」
後部座席の高品が、おずおず、と訊ねた。
鬼頭と松村は平然とした態度で「そうですよ」と、口を揃えて言った。
「警察に、相談とかは……?」
「……内調のあなた方であれば、とうの昔に調査済みだと思いますが」
鬼頭は小さく溜め息をついた。いまもきっと、名東区の本社ビルでたいへんな思いをしているだろう親友の顔を思い浮かべて、目元を掌で覆い隠す。いかん、いかん。涙がちょちょぎれそうだ。
「わが社の社長の名前は、桐野利也と言います。そして、桜坂に重い愛を向けている女性の名前は、桐野美久と言います」
「桐野? あっ……(察し)。ふーん」
会社員は辛い。給料袋を人質に取られては、出る所にも、出られないのだ。
「この話は、もうやめましょうか。……おっ」
話題を変えようとした鬼頭は、再び窓の外に目線をやって、思わず驚嘆の溜め息を漏らした。
いつの間にか隣の車線で、トヨタのWiLL Viが並走している。二一世紀の新たな消費スタイルへの適応と、新市場創出を目指す異業種合同プロジェクト……WiLLブランドの一つとして販売されたコンパクト・セダンだ。かぼちゃの馬車をイメージして作られたスタイリングが、相変わらず唯一無二の個性を醸し出している。残念ながら短命に終わってしまった車種だが、車社会の名古屋では、まだちらほら見かけることのあるクルマだった。急速に、名古屋に帰ってきた実感が湧いてくる。
「ふむ。眼福だな」
名古屋では見かける機会もある、というだけで、全国的には、いまや珍しいクルマであることに違いはない。鬼頭は右折レーンを進んでいく愛らしいクルマに熱視線を送った。楯無たちの手前、両手を合せることこそしなかったが、拝むような気持ちだった。
「……やはり、名古屋は良いな。色々なクルマが走っているから、こう、ぼんやり眺めているだけで、楽しい気持ちになる」
「主任は相変わらずですねえ」
少年のようにはしゃぐ鬼頭に、松村は微笑んだ。鬼頭は苦笑しながら、
「そう言うきみも、並走しているのがガンマだったら、同じようにはしゃいでいただろう?」
「そりゃあ、勿論」
スズキがかつて生産していたレーサーレプリカだ。鬼頭がクルマ好きなように、松村はオートバイをこよなく愛する男だった。
車社会の名古屋だが、実はバイクの交通量も相当に多い。そもそも、愛知県と県境を接している静岡県は、ホンダ、スズキ、ヤマハと、世界四大オートバイ・メーカーのうち三社の発祥の地でもある。戦後初のビッグレース……名古屋TTレースも、名古屋で開催された。愛知県には、オートバイ文化に対する寛容さが、長い年月をかけて醸成されているのである。
松村の趣味は、ジャンク・バイクのレストアだ。休日には愛車のエブリィに乗って中古車販売店を巡り、なるべく汚いバイクを探す。気に入ったバイクはトランポして家に持ち帰り、修理して、ぴかぴかに磨き上げて、思う存分乗り回す。それを何よりの楽しみとしていた。彼は現在、四台のオートバイを所有しているが、うち三台は元ジャンク・バイクである。チョイノリ、スーパーモレ、四〇〇カタナ。新車購入は、ハンターカブだけだ。
いまでこそクルマ好きを自認する鬼頭だが、自動車の免許を取得していない高校生の頃は、オートバイに乗っていた。愛車はバンディット二五〇で、当時は貧乏だったから、なるべく自分の手で整備をするようにした。機械いじりは楽しい。松村がジャンク品のレストアに入れ込む気持ちを、彼は我がことのように理解出来た。
そんなことを話していると、対向車線側を、一台のバイクが鋭く走り抜けていくのが見えた。あまりにも先鋭的で、特徴的なデザイン。空気の層を切り裂く、刃のようなスタイリングに、鬼頭と松村は、目線を奪われた。男達の唇から、興奮した声が漏れ出る。
「いまのは……」
「GSX1100! しかもファイナルエディション・モデル!」
「WiLL Vi以上に珍しいバイクだ」
「はい。まさに眼福でした」
鬼頭たちは顔を見合わせて笑った。日本のモーターサイクル史に燦然と輝く名車中名車、その最終生産型を目撃したのだ。興奮を抑えきれない。
スズキのGSX1100が人々の前に姿を現したのは、一九八〇年に開かれた、ドイツ・ケルンモーターショーでのことだった。かつて誰も見たことのない鮮烈なスタイリングに、人々の心は真っ二つに割れた。その先鋭的なデザインを肯定的に見る者。否定的に見る者。中間はない。普段は日和見主義を信奉する者たちでさえ、どちらかにつかずにはいられない。まさに賛否両論。その鮮烈なデビューは今日、“ケルンの衝撃”と、ライダーたちの間では語り継がれている。
GSX1100という名車を語る上で、やはり見た目の特徴に触れぬわけにはいかない。西ドイツの工業デザイナー、ハンス・ムート率いるターゲットデザインが図面を引いた斬新ないでたちは、二一世紀を迎えて久しいいまもなお、先端モデルと評してよいだろう。
まず目を惹くのは上半身だ。それ以前のスズキ車……いや、オートバイの常識からは想像できないほど前へと鋭く突き出したアッパーカウルと、そのカウルと一体化しているかのような、やや長めのフェーエルタンク、そして一連の流れを締めくくるバックスキンタイプのシートという、デザイン上の連続性は、それだけで一つの世界観を演出している。一方、下半身はというと、最高一一一馬力を誇る空冷四ストロークDOHC四気筒・エンジンが、上半身の流線型とは反対に、無骨に露出しているのだ。一見、ミスマッチとも思える上下のアンバランスさだが、これがかえって美意識を刺激する、独特のスタイリングを演出していた。
「美しいねえ」
「はい。それ以外の言葉が、見当たらない」
「本当に美しい。……綺麗だ。カタナは」
「!?」
隣に座る楯無が、驚いた表情で鬼頭の顔を見つめた。日本刀の如く美しいオートバイの後ろ姿を見送る男の横顔は、うっとりとしていた。
「はい。まさに日本の誇りです。カタナは」
「松村君の家にも、あるんだったね。カタナ」
「はい。四〇〇カタナですが。可愛い、可愛い、俺の嫁です。……本当に可愛いくて、良い娘なんですよ、俺のカタナは!」
「良いなあ……私も久しぶりに、バイクに乗りたくなってきたよ。……今度、機会があったら、カタナに跨がらせてくれないかい?」
「またがっ……!」
「駄目です。あれは、俺のカタナですから」
「うぇっ、うぇえ……!?」
「ちょっとぐらい、いいじゃないか。私も久しぶりに、この両の太腿であの可憐なボディを力強く挟んで、激しいピストンに喘ぐエンジンの音色を堪能したいんだが」
「ぴ、ぴぃ……」
「何度でも言いますが、駄目です。カタナを鳴かせて良いのは、俺だけです」
「独占欲が強いなあ」
「欲じゃありませんよ。これは愛です」
「愛か」
「愛です」
「カタナのことが?」
「大好きです!」
「ふふっ、妬けるなぁ。……ところで更識さん、先ほどから顔が赤いようですが、体調不良ですか?」
「……お二人とも、わざとやってません?」
ふと目線を隣の席にやれば、頬を紅潮させた楯無が、恨めしげな目線を向けてきた。
言っていることの意味が分からず、鬼頭と松村は顔を見合わせ、揃って首を傾げた。
「一旦、あのパチンコ店の駐車場に入ります」
三列目のシートに座る高品が、フロントガラスの向こう側を見ながら鬼頭たちに言った。応じてそちらに目線をやると、段々と近づいてくる交差点の向こう側に、『新台入荷』の垂れ幕が真新しい、大人のための遊戯施設の姿が見えた。四階建ての立派な建物で、同じ背丈の立体駐車場が並んで建っている。
「駐車場内にはすでに、先ほどお話しした、攪乱作戦用のアルファードが一台待機しています。進入後は二台が時間差で出ていくことで、尾行者の目を欺きます」
交差点を抜けてすぐ、アルファードはウィンカーを左に出した。運転手がステアリングを切り、三トン近い重量の車体が、第二車線から第一車線へと移る。男はなおもウィンカーを左に出し続け、件の立体駐車場へとまたステアリングを切った。
立体駐車場の出入口はゲート式で、発券機と精算機、安全バーから構成されたオーソドックスなシステムを採用していた。運転手の男はアルファードを発券機のかたわらに寄せると窓を下げ、駐車券を引き抜いた。安全バーが上へと持ち上がり、黒塗りのショーファードリブンはゆっくりと駐車場内に進入していった。
「そういえば……」
そのとき、松村が、唐突に思い出した、というふうに口を開いた。
「鬼頭主任に、個人的にお願いしたいことがあるんでした」
「なんでしょう?」
「室長のことなんですが」
「桜坂の?」
「はい。実は先日、室長が腕時計を新調したんですよ」
「ほほう」
時計好きの鬼頭の目が輝いた。いったいどんな時計なのか、と早くも気になり出す。
「私は時計に詳しくないので、どこのメーカーが作った、何というモデルなのか、といったことは分からないのですが、なんというか、そのう……はっきり言って、非常に不細工なデザインをした時計なんです。それだけでなく、ケースは小さいし、ベルトも細いしで、室長の太い手首に、まったく似合っていない。あまりのミスマッチぶりに、見ていて気持ちが悪くなるほどなんですよ。出来れば元の腕時計に戻してほしいんですが、私の語彙力では、上手く伝えられそうにないんです。それで、時計好きの主任の口から、室長に注意していただきたい、と思いまして」
「……なるほど」
松村の話を聞いているうちに、鬼頭は段々と胡乱な目つきになっていった。桐野社長といい、この松村といい、今日は“らしくない”話を聞かされてばかりだ。
開発室のほぼ全員から一本気な性格の人物である、と評される松村は、たしかに、自身の考え方に対するこだわりが、ときに強すぎるきらいもある。しかしながら、自分自身がそういう人格の持ち主である、という自覚ゆえ、他者にもまた、自分と同じようにこだわりがある、ということも理解していた。自分の趣味嗜好のために、相手の趣味嗜好を否定する。そういうことを嫌う人物のはずだが。
鬼頭は松村の目を、じぃっ、と見つめた。発言の内容をそのまま鵜呑みにするのは危険だと判断し、言外に篭められた意図を把握するべく、彼の言動や、態度を分析する。
注目するべきは、桜坂の腕時計が新調された、という情報。そして鬼頭のことを、時計好き、と、周知の情報をわざわざ強調した点。ほどなくして、一つの推論にいたった彼は、ははあ、と得心した表情で頷いた。
――これは、桜坂と松村さんからの、二段構えの暗号メッセージだ。
アローズ製作所に到着したら、まず桜坂の腕時計に注目してほしい。そこに、自分たちが本当に伝えたい情報がある。おそらくは、そういったことを言いたいのだろう。
自分に何か伝えたいことがあるのに、直接、言葉で表現しないのは、他人の耳目を嫌ってのことに違いない。アルファードには自分と松村の他に、内調の職員たちが同乗している。すなわち、スパイ機関の人間だ。そういった輩の耳に入れたくない話。そのための、暗号メッセージ。松村陽平という男の為人を知り、かつ時計好きの自分だからこそ、気づくことの出来る暗号表現。
「……そういう事情であれば、了解しました」
鬼頭は、努めて平然と微笑んでみせた。
「私も、桜坂の新しい時計には興味がありますから」
語彙を増やせばかえってぼろが出てしまいかねない。鬼頭はあえて言葉短く言い切ると、目線を窓の外に向けた。自分たちのアルファードの隣を、同じく、黒塗りのアルファードがすれ違っていった。
Chapter27「懐かしき街並み」了
名古屋市名東区のアローズ本社ビルを、謎の無人ISが襲撃した日の翌日。
同じく名東区にある東名古屋病院の休憩室の一つで、桜坂と酒井は、入院中の土居に、彼らが病院に担ぎ込まれた後の出来事を説明した。
一連の経緯を聞き終えた土居は、頭の中で桜坂たちの言葉を何度も咀嚼した後、やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……室長の話を、自分なりに整理してみたのですが」
「うん」
「まず、昨日、我々を襲ったISは無人機で、その残骸は内閣情報調査室の連中が回収していった。なぜそんなことになったかというと、昨日の見学団の中に、内調のスパイが紛れ込んでいたから。内調は男性操縦者である鬼頭主任の歓心を買うための懐柔工作の一環として、わが社に接触を図った。そして昨日、あの場所で、我々とともに事件に遭遇し、その後処理を請け負うことになった。
昨日のあの場所に内調職員がいたことによって生じた問題は、大きく分けて二つ。一つは、我々の開発したパワードスーツに、ISと戦う力がある程度備わっている事実が知られてしまったこと。そしてもう一つが、室長の力の存在を知られてしまったこと。
我々のことや、無人ISの存在が世間に知られれば、たいへんな騒ぎになる。このことを恐れた内調は、愛知県警や消防局に連絡して、事件を秘密裏に処理した。昨日の事件による被害は、隕石の落下による事故として処理され、しかも世間には公表しないことを基本方針として話がまとまり、桐野社長もそれに納得した。……ここまでは、こういう理解でよろしいでしょうか?」
「ばっちりだ」
仁王の顔の桜坂は頷いた。
「補足することもない。続けてくれ」
「はい。……昨日の一件で、内調は我々のパワードスーツの性能と、アローズ製作所が長年隠してきた、最大の秘密を知ってしまった。これにより彼らは、鬼頭主任のこととは関係なしに、我々アローズ製作所に関心を持つようになった。
昨日の夕方以降、アローズ製作所の本社ビルには、複数の内調職員が常駐するようになった。建前としては、今回の事件でアローズ製作所と政府は秘密を共有する関係となったから、今後は連絡を密に取る必要がある。そのための連絡要員の派遣である、ということだが、実際は我々に対する監視役なのは明白。彼らは特に、パワードスーツ開発室と、桐野社長の社長室に、足繁く通っている状態にある」
「その通りだ。補足すると、内調は俺や、俺たちのパワードスーツに、軍事利用の可能性を見出した公算が高い」
最強兵器ISを相手に一分以上も渡り合ってみせたパワードスーツと、それどころか、生身でもって戦いを挑み、勝ってしまった超人。
内調の存在意義は情報収集と分析であり、その情報を基にどんなアクションを取るかは内閣の考えることだ。とはいえ、内調職員も人間あることには変わらないから、仕事の際には感情によるバイアスがかかる。彼らが現内閣の閣僚たちに対し、特に戦闘力を強調した報告をする公算は高かった。その結果が、アローズ製作所に対する、監視員の派遣だろう。
「日本政府からアローズ製作所に対して、正式なメッセージなどアプローチはいまのところない。現時点ではまだ、内調のみが自分たちの判断で動いている、という段階だろう」
「なるほど」
「監視員たちの目的は、第一に、俺や、俺たちのパワードスーツについて、より詳細な情報を集めることだろう。第二に、それほどの戦力を持っている俺たちアローズ製作所が、日本政府に対して、敵対的な行動を取ったり、過激な思想を持った集団でないか見ることだと考えられる」
「あと、多分ですが、もう一つ目的がありますよね?」
土居は神妙な面持ちで言った。
「将来的にアローズ製作所と友好な関係を築くための、布石作りも」
「そうだろうね」
土居の発言に、桜坂は頷いた。自分が内閣の人間だとして、内調から斯様な情報をもたらされたとしたら、少なくとも敵対だけはするまい、と思うだろう。最強兵器を素手でもって破壊した男と、驚異の性能を有する強化服を開発出来るほどの企業。敵に回せば、日本にとって大きな脅威となるに違いない。むしろここは、それほどの力を持った組織であれば、その力を上手く利用しよう、と考えて作戦を講じた方が得策だ。
内調も司馬総理ならそうするだろうと考えて、アローズ製作所に人員を派遣したものと思われた。
「我々に、特別室をあてがったのも……」
「だろうね。俺たちに、貸しを作りたい思惑があるんだろう」
「同時に、我々を監視したい思惑もあるはずです」
見舞いの品が入った紙袋をぶら下げる酒井が言った。
「この病院を指定したのは、見学団にも参加していた内調職員の、城山悟でした。この病院は彼らの監視下にあるものと考えた方がよいでしょう」
「でしょうね。我々のこの会話も、盗聴されていると考えた方がいい」
そう言いながら、桜坂はスーツの内ポケットから黒革のビジネス手帳を取り出した。カレンダーのページをめくっていき、最後の方にある、自由メモのページを開いて二人に見せる。ワイシャツの胸ポケットに引っかけておいたパーカーのボールペンを握ると、メモ欄にペン先を滑らせた。
「俺個人としては、内調……というより、政府がパワードスーツに興味を持ってくれたことは、売り込みの大きなチャンスだと考えます。軍事利用……兵器としてのパワードスーツであれば、まとまった数が売れるでしょうから」
『我々が作りたいのは災害救助用のパワードスーツだ。軍事利用なんて、絶対に認められない。それでなくても、アローズ製作所を軍需産業になんて、してやるわけにはいかない。俺自身も、この力を利用させるなんて、真っ平御免だ』
発言とは正反対の筆記。酒井と土居は、室長の意図を察して頷いた。酒井もポケットから手帳を取り出し、メモ欄のページを一枚千切って、ペンと一緒に土居に渡す。
「そうですね。内調の方々とは、我々も友好的な関係を築きたいものです」
『相手は政府です。我々が嫌と言っても、自分たちの言うことを聞くよう、圧力をかけてくると思われますが?』
「社内に外部の人間を常駐させ、その接待に励む。正直、不愉快なことではありますが、桐野社長も、大きな商談のためと考えれば、納得してくれるでしょう」
『面従腹背を基本方針に、水面下で反抗作戦を考えましょう。事は俺たちだけでなく、アローズ製作所の社員全員に関わる問題です。みんなの身の安全と、社会的立場を保全しながら、我々の我を通す。難しいことですが、やるしかありません』
「鬼頭主任には、このことは?」
『そうなると、鬼頭主任の協力は不可欠ですね』
「あいつには、必要以上のことは伝えないでおきましょう。ただでさえ現役JKに囲まれて、なにかと気苦労の多い環境だ。これ以上、心労の種を増やしたくない」
『そうですね。幸い、いまのあいつはアローズ製作所の外にいる。内側の俺たちには出来ないことを、あいつは出来る』
「必要以上のことというと?」
『ということは、昨日の一件や、我々の置かれている状況などは、すべて伝える?』
「無人ISに襲撃されたこととか、内調の監視下にあること、なんかですね。そういうネガティブな情報を排除して考えると、残るのは、政府が俺たちのパワードスーツに興味を抱いてくれている、っていう、ポジティブな情報です。あいつもきっと、喜んでくれるでしょう」
『そうです。滑川さんのことを伝えなかったときとは、状況がまるで違いますから』
「言ってしまえば、パワードスーツは鬼頭主任の子どものようなものですもんね」
『問題は、どうやって伝えるか、ですよね。IS学園への通信は、多分、監視の対象でしょうし』
「開発室の発足から今年で三年目……いよいよ、という感じですね」
『事の次第をデータとして保存した記憶媒体を、直接、手渡すしかないでしょう。一度、鬼頭主任をこちらに呼び戻すことは?』
「これからです。これからが、俺たちパワードスーツ開発室の正念場ですよ」
『あいつはいま、男性操縦者という立場ですから。島の外に出るのは難しいかもしれませんが、やってみましょう』
桜坂の言葉に、二人は力強く頷いた。自分たちの夢を実現させるためのライト・スタッフとして、彼が選んだ男たちは、実に頼もしい面魂をしていた。
「ところで、なんですが。お二人とも、ゴールデンウィークの最終日あたりの予定って、もう決まっていますか?」
「いえ、私は特には……」
「俺もです」
「もしよろしければ、その日に、開発室のメンバーで、ちょっとした旅行に行きませんか?」
提案を口にしながら、桜坂は手帳のメモ欄にボールペンを走らせた。
『事ここに至った以上、もう隠し事は出来ません。俺の力と、正体について、開発室のみんなには、説明をしておこうと思うのですが』
メモ欄を見せられた二人は、はっ、とした。しばらく考え込むふりをした後に、
「ええ」
「ぜひ、行きましょう」
その答えを聞いて、仁王の面魂が完爾と微笑んだ。
楯無さんの本名が明かされたときから、このネタをやりたくて、やりたくて、仕方なかった。
あと、アルファードについては最新型が、予定通り二〇二二年にデビュー済みということでお願いします。
……もし延期とか、計画なくなったりしたら、どうしよう(震え)。
おふざけ回は次回で終わりの予定です。
ただ、筆のノリ次第では、もう一話くらい増えるかもしれません。
この男、調子が良いと、文章量がどんどん増えてしまう悪癖を抱えておりますゆえ。
次回もお付き合いいただければ幸いです。
あ、あと、次回のあとがきの際に、なんでこのおふざけ回を挟んだのか、の説明をしようかと思います。
ギャグがやりたくなった、という理由は勿論あるのですが、いちばんの理由は勉強のための時間稼ぎをしたかったから。
原作二巻の内容に突入する前に、ドイツの歴史と、ドイツ人とは何者か、ドイツ的とは何なのか、ということについて、勉強する必要を感じたので。
この勉強の成果、活かせるといいなあ。