この小さな世界で愛を語ろう   作:3号機

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第三話です。

ようやく、原作キャラと絡ませることが出来ました。

あと、間接的ながらIS初戦闘シーン。


Chapter3「風が吹いてしまった日」

 一ヶ月と二週間前――

 

 

 

 

 

 織斑一夏の存在が発覚して以来、IS学園に勤務する職員はみな、一人の例外もなく多忙を極めていた。

 

 ISという存在が世に生まれて、まだたったの十年でしかない。当然、IS学園自体の歴史も浅く、生徒たちの育成や、学園を運営していくのに必要なノウハウの蓄積は、十分とは言いがたかった。日々の業務を普通にこなすことさえ負担は大きく、そこに加えて、今回の織斑一夏の一件だ。各国の政府、企業、マスコミからの問い合わせが嵐のごとく殺到し、職員たちを苦しめた。

 

 特に対応に苦慮したのが、織斑一夏に関する情報請求だ。

 

 ISを動かせるのは女性のみ。現在の女尊男卑社会が成立する上での、前提条件であるこの大原則を覆してしまった彼のデータは、どんなに些細なものであれ、喉から手の出る代物とされた。彼らはIS学園に、IS運用協定に定められた情報公開の義務をはたすよう要請した。

 

 ところが、IS学園側には、織斑少年について開示するほどのデータがまだない。

 

 彼の存在が発覚し、学園側でその身柄を確保してからまだ一週間しか経っていないのだ。

 

 データを取得する暇などなく、そもそも、前例のないことだけに、何から調べればよいかも判断しかねていた。要請に応じたくとも、必要な資料を用意出来ない。

 

 そうした事情を伝えたところ、日本以外の協定参加国――特にG7――から猛烈な抗議が返ってきた。

 

 情報開示に応じないのは、日本政府の指示でデータを隠匿しているからではないのか、とか。請求には応じられない、とは運用協定違反ではないのか、など……。

 

 IS学園は、また新たな頭痛の種を抱えることになってしまった。

 

 そんな状況の中、アローズ製作所なるロボット・メーカーからの技術協力の打診は、IS学園にとって非常に都合の良い依頼といえた。

 

 織斑一夏の名前を一切出さず、しかも、欲している技術の使い道は、災害用パワードスーツの完成度を高めるためだという。IS学園とはこれまで関わりのなかった企業だ。構成員や関連子会社などに、非合法な武装勢力や各国の政府機関と通じている者がいないか調査の必要はあるが、それさえ問題なければ、すぐにでも引き受けたい事案だった。いまはアローズ製作所の依頼に応じているため手が回せないと、IS運用協定違反という批判をかわしつつ、織斑一夏に関する要求に対して時間を稼ぐことが出来る。

 

 早速、IS学園は件の企業について調査を開始した。日本政府にはたらきかけ、暗部組織の人員にも動いてもらって調べえた結論は、非常に信用の置ける優良企業だということ。IS学園はすぐに彼らとコンタクトを取った。電子メールやFAXなどを駆使して何度かやりとりを重ねた後、三月の第一日曜日に、アローズ製作所から技術者が二人、見学に来ることになった。

 

 今日、ISはスポーツ競技の一種と定義されているが、その本質は兵器だ。少なくとも、IS学園はこの飛行パワードスーツを、世界のミリタリー・バランスを一変させてしまった危険極まりない存在と捉えている。電子の海でデータのみやりとりすことは、最新の軍事技術が流出してしまう危険性から憚られた。学園側はアローズ製作所に、直接足を運んでISを見てほしい。目で見て、技術を盗んでほしい。その足でデータを持ち帰ってほしい、と要請した。先方からの返答は、「最高の技術者たちを派遣します」だった。

 

 対するIS学園側は、いずれやって来る二人のエスコート役に、年若い山田真耶を任命した。IS学園のOG。学生時代には日本の代表候補生に選ばれたほどの実力者だが、教育者としてはまだ新人の部類。みなが多忙を極めるいまのIS学園にあっても、比較的手の空いている立場だからと抜擢された。

 

 真耶はアローズ製作所に、事前に誰が来るのか教えてほしい、と名前と顔写真の提出を求めた。

 

 表向きには、入館許可証を発行したいから、という理由だが、いちばんの筋合は、素性のさらなる追求をするためだ。IS関連技術の情報は、国防や世界情勢を左右しかねないだけに、こういった調査は繰り返し行い、精度を高める必要があった。

 

 

 一日と経たずに送付された二枚の顔写真を見比べて、真耶は、名前と顔が逆ではないか、と苦笑した。鬼頭などという、いかにもな姓のほうが、細面に切れ長の双眸という、知性の匂いを漂わせる容貌なのに対し、桜坂という、舌触りのやわらかな姓のほうが、鬼瓦のように厳めしい顔つきをしている。

 

 IS学園の調査部と、日本政府の暗部組織がまとめ上げた資料によれば、ともにMITを首席と次席のツー・トップで卒業した天才的な頭脳の持ち主だという。

 

 天才的……というフレーズを目にして、真耶は表情を曇らせた。個人的な経験に基づくイメージだが、いわゆる天才、鬼才などともてはやされる人間には、変人・奇人と評せざるをえない人物が多いような気がする。真耶の知る実例でいえば、IS開発者の篠ノ之束がそうであり、IS学園を除けば国内最大のIS研究施設である倉持技研の篝火ヒカルノがそうだ。

 

 ゆえに、写真の二人もそういった人格面での欠陥があるのではないか。そんな相手をどう案内すればよいのか。真耶は不安にかられてしまった。

 

 はたして、彼女の懸念は実現することなく終わった。

 

 ――この人が、鬼頭智之さん……。

 

 二週間後の三月の第一日曜日。廊下を歩く山田真耶は、隣を行くグレイスーツの男性の横顔を一瞥して、ひっそりと安堵の溜め息をこぼした。

 

 顔を合わせてまだ数分、交わした言葉も片手で数えるほどでしかないが、驚くほどに普通の人という印象だ。なるほど、たった数言の発言からも、頭脳の明晰さはうかがえる。しかし、篠ノ之束や篝火ヒカルノといった人物らに特有の、会話をするにあたって共有されるべき前提条件の不一致というものが感じられない。鬼頭の持つ常識や倫理といったものの価値観は、真耶の抱いているそれらと大差なく、話していて疲れないし、非常に心地が良い。

 

 学園内の施設を案内するにあたって、真耶は鬼頭に、「私に着いてきてください」と、お願いした。彼は了承し、自分の側を離れずくっついてくれている。これが篝火ヒカルノあたりなら、「いいや、それには及ばない。そんなことで山田先生の手を煩わせるのも心苦しいからね」なんて、軽薄な口調でもっともらしい台詞を口ずさみながら、勝手にそこらを歩き回った挙げ句、立ち入り禁止区域にも平気で進入していくに違いない。その結果、自分は先輩教員たちからこっぴどく怒られ、かえって手を煩わすことになるだろう。というより、実際にそういうことが過去にあった。

 

 翻って、隣を歩くこの男はどうだ。

 

 自分の言葉にちゃんと耳を傾け、言の葉に託された想いを汲み取って対応をしてくれる。自分のことを考えて、言動に気をつけてくれる。

 

 調査報告書に目を通したときとは一転、鬼頭の隣を歩く真耶の表情は明るかった。

 

「……では、まずISバトルを観戦させてもらえるのですね?」

 

「はい。ISのことを知るのに、これ以上の教材はありませんから」

 

 鬼頭の問いに、真耶は楚々と微笑み頷いた。

 

 事前にアローズ製作所が送ってきた見学内容の要望リストによれば、最優先で知りたいのはISの動力関連に使われている技術ということだが、個々の技術の前に、まずISという存在の全体を見てほしい、と彼女は考えた。

 

 鬼頭としてもそれは望むところだ。

 

 ISは現在実用化されているパワードスーツの中でも、最高の性能と完成度を誇る。使われているネジ一本々々の素性にさえ、彼は学ぶべき価値を見出していた。

 

 鬼頭は意気揚々と真耶に付き従った。

 

 

 

 

 

 

 一ヶ月前――

 

 

 

 インフィニット・ストラトスは元来、宇宙空間での活動を想定し設計されたマルチフォーム・スーツであった。しかし、制作者〈篠ノ之束〉の想いとは裏腹に、彼女が夢見る宇宙時代は到来の気配を一向に見せず、結果、スペックを持て余したこの機械は兵器へとカテゴライズされた。さらにその後は各国の思惑からスポーツへと落ち着き、今日、ISで戦闘をするといえば、戦場での槍働きではなく、専用アリーナ内で行われる、レギュレーションによって定められた試合のことを指した。

 

 そのISアリーナだが、IS学園内には、主として行われる競技種目ごとに、仕様が微妙に異なる施設が複数建てられていた。真耶の先導のもとやって来た第三アリーナは、そうしたうちの一つだ。ピットルームに案内された鬼頭は、リアルタイムモニターでアリーナ内の様子をうかがい見ていた。

 

 第三アリーナは、超音速飛行が当たり前のIS同士が、空戦機動を取りながら激しくぶつかり合うことを想定して造られている。その面積はアローズ製作所のドーム型試験場の比ではなく、サッカーの試合を複数同時に行えそうなぐらい広い。

 

 授業の一環か、第三アリーナではいままさに、一年生同士がISバトルを繰り広げていた。それぞれ、異なる形状のバトル・ドレスで、可憐なその身を鎧っている。

 

 一方の少女が着ているスーツは、鬼頭にも見覚えがあった。欧州情勢を解説する報道番組などで、お馴染みの顔だ。たしか名前は、

 

「ラファール・リヴァイブというISです」

 

 隣に立つ真耶が、手元の端末を操作して、空中投影ディスプレイに機体データを表示してくれた。

 

 ラファール・リヴァイブ。フランスのデュノア社が開発した第二世代型の量産機。第二世代機の中でも最後発に開発された機体で、その基本性能は無改造でも初期型の第三世代機と肩を並べうる。最大の特徴は腰部のスラスターベースで、ここには様々な機能を持った拡張ユニットを六~八基搭載することが出来た。作戦に応じて拡張ユニットを適切に組み合わせることにより、様々な状況に対応可能な汎用性の高さが最大の強み。軍用ISとしては、開発国のフランスだけでなく、十二ヶ国で制式採用されている。

 

「この、第二世代というのは……?」

 

「ISの世代区分のことです」

 

 「そこまで厳密に定義されたものじゃないんですけれど」と、前置きして、真耶は続けた。

 

「誕生して僅か十年の間に、ISは様々な形、様々な機能を持ったものが作られました。これらを分類する上で、主に使われている技術水準を判断基準にして設定されたのが、第一世代、第二世代といった区分です」

 

 曰く、第一世代のISは、ISそのものの完成を目指して作られた機体群だという。天才・篠ノ之束が最初に完成させたIS……〈白騎士〉に準ずる性能を目標に開発された。各国の企業、研究機関の尽力により、ISの基本フォーマットはこの時点で完成を見た。

 

 第二世代はこれに加えて、後付兵装による多様化を目指して生み出された。兵装そのものは勿論、それらを使いこなすための管制システムの質が飛躍的に向上したのが、この時期のISだ。

 

 そして、

 

「現在、日本を含むIS製造国では、第三世代機の実用化を目指した研究が進められています。実は第四世代機というのもあるんですけど……これはまだ机上の妄想話のレベルですね」

 

「なるほど。第三世代機の特徴は?」

 

「イメージ・インターフェースを利用した特殊兵装の実装が目的の機体です」

 

 イメージ・インターフェースとは、主にISの操縦システムに使われている技術だ。操縦者の思考……すなわち、イメージによって、ロボットアームを動かしたり、バーニアを噴かしたり、といった機体制御を行う。第三世代機ではこの技術を応用して、たとえば、操縦者の思考によって誘導されるミサイルなどの実装を目指しているという。

 

「ちょうどほら、いま、ラファールの娘と戦っている相手の機体が、その第三世代機ですよ」

 

 端末を操作し、モニターの画角を変更する。ラファールの少女の対戦相手……空色の髪と、ルビーの眼差しが印象的な娘の顔がアップで映じた。

 

 空間投影ディスプレイのほうに、データが表示される。

 

 一年生、更識楯無。

 

 IS登録名、ミステリアス・レイディ。

 

 リアルタイムモニターに目線をやって、まず抱いた感想は、目のやり場に困るな、だった。

 

 激しい空中戦を展開するISは、二機ともXIシリーズのようなフル・アーマー・タイプのパワードスーツではなく、アーマーは身体の一部しか覆っていない。ミステリアス・レイディの方は特にその被覆面積が狭い上に、ISスーツの水着のようなデザイン上の特性から、女性らしいボディ・ラインがどうしても強調されてしまっていた。

 

 しかし、照れの感情に一旦蓋をしてじっくり眺めているうちに、鬼頭の眼差しは鋭さを帯びていった。

 

 ミステリアス・レイディのアーマーは狭く、そして小さい。エネルギーシールドによる防御システムがあるとはいえ、戦闘の役に立つとは思えぬほど華奢な造りをしているように見える。しかし、すぐにその考えは誤りだと気づかされた。あのデザインは、意味があってのものだ。装甲部分の各所に取り付けられた球形の装置、そして全身にまとわりつく黒いリボン状のフレームが、ファンタジー小説さながらの現象を起こしていることに気がついた。

 

 対戦相手のラファールが、小脇に抱えたアサルト・ライフルで牽制射撃を叩き込みつつ突進。四基あるマルチ・スラスターのパワーを一方向に揃えた猛加速をもって、肉迫を試みる。接近戦で仕留める腹積もりだ。

 

 対するミステリアス・レイディは、周囲を浮遊する球形の独立可動ユニット……クリスタル・ビット三基を正面に移動。三角形を描くように展開するや、球形ユニットの隙間から透明な液体を噴射し、液体の三角シールドを形成した。

 

「あれは、水ですか?」

 

「はい。正確には、ナノ・マシンを混入した水ですが」

 

 空間投影ディスプレイの表示情報によれば、このナノ・マシンがISのエネルギーを水分子に伝達し、自由自在の運動を可能としているとのこと。球形の装置は、ナノ・マシンと水をプールし、ときに大気中の水分から水を作り出すウォーター・サーバ。リボン状のフレームは、水の運動制御を補助するための装置。なるほど、これがミステリアス・レイディを第三世代機たらしめている特殊兵装か。

 

 ラファールの放った弾丸は、水のヴェールで形成された三角シールドに行く手を阻まれ、その威力を失った。

 

 ラファールが抱えている小銃は、五五口径の〈ヴェント〉アサルト・ライフル。銃口初速は音速の三倍近くにも達し、弾丸質量もおよそ七十グラムもある。他方、ミステリアス・レイディのウォーター・シールドの厚みは、映像から判別する限り、一センチにも届いていないように思われた。水は重い物質だが、この薄さでは、正面きって飛び込んだ五五口径弾の運動量を止めることは不可能だ。それを可能にしたのは、やはりナノ・マシンの作用なのだろう。水のヴェールを激しく震動させた際に生まれる運動エネルギーをもって、弾丸の運動エネルギーを相殺したか。

 

 牽制射撃を完封してみせたミステリアス・レイディは、突撃するラファールを悠々迎え撃つ。四連装ガトリング・ガンを内蔵した騎兵槍を中段にとり、近接ブレードを振りかぶる相手に向けて突き出した。高周波振動する水が形作った螺旋槍……ドリルランス〈蒼流旋〉。

 

 疾風少女は咄嗟の機動で右へと避ける。すれ違いざまに斬撃を叩き込むも、今度は左腕部アーマーの肘部分から噴出した水のヴェールがこれをブロックした。受け止めた姿勢のまま、ミステリアス・レイディは右回転。柔術の要領で相手を放り投げ、体勢を崩した瞬間をランスで衝いた。激水流のドリルがラファールのエネルギーシールドを削る、削る、削る……。

 

 ISバトルの基本は、シールドエネルギーの削り合いだ。先にこれをゼロにした方が勝者となる。

 

 強烈な一撃をまともに食らってしまい、ラファールのエネルギー残量は見る見る減っていった。あっという間に、四割を切る。

 

 これ以上のダメージは受けられない、と、ラファールは必死に離脱をはかった。

 

 近接ブレードでランスを弾くや、マルチ・スラスターのパワーは全開、ミステリアス・レイディを正面に捉えたまま、全速力で後退する。そうはさせじ、と追いかける霧纏の淑女。

 

 ラファールはスラスターベースにマウントされた拡張ユニットの一つから武装を展開、箱形のユニットが上下に開き、リボルバー・タイプの連発式グレネード発射器が姿を現す。八連発グレネード発射器〈ディフェンダー〉が、ポンッ…ポンッ……、と火を噴いた。四十ミリ榴弾が、ヒュルヒュル、と風切り音を引き連れて飛んでいく。

 

 その弾速は、銃弾に比べれば圧倒的に遅い。しかし、威力は桁違いだし、制圧面積も広い。

 

 ミステリアス・レイディは前進の勢いを殺さぬまま、ランスに内蔵されたガトリング・ガンで迎撃を試みた。

 

 一発目、信管の作動前に撃ち落とす。

 

 二発目も撃墜に成功。

 

 三発目は失敗。信管が作動し、榴弾の破片が短水路プール半分もの面積にわたって爆散する。たまらず、水のシールドを展開しながら回避機動。追撃の足が鈍る。

 

 間合いを定義し直したラファールは、逃走の足を止めて拡張コンテナをさらに展開、ありったけの火力を動員する。七五ミリ対戦車砲一門、四連装対空ミサイル・ランチャー二基、ブルバップ式アサルト・ライフル二挺、二五ミリ七砲身ガトリング・ガン一門、そして〈ディフェンダー〉グレネード発射器が一基に、手持ちの〈レッド・バレット〉アサルト・ライフル一挺……。圧倒的火力をもって、水の防御を突破する作戦か。

 

 モニターに映じるラファールを見て、鬼頭は思わず唸った。

 

 あれほどの兵装を同時に運用出来るとは……いったい、どんな火器管制システムを積んでいるのか!?

 

 ラファールがミサイルを発射した。赤外線誘導式のIS用小型対空ミサイル〈ヴァイパー〉。二基のランチャーに積載された八発すべてを、まったく同時に切り離す。

 

 ヴァイパー誘導弾は高性能の赤外線シーカーを搭載しており、全方位からの攻撃能力を持っている。また、新型燃料とISの重力制御技術を応用した推進装置により、小さいながらも高機動と、最大十六キロメートルという長射程を実現していた。勿論、運動性も高い。

 

 正面から押し寄せるミサイルの群れを、ミステリアス・レイディは後ろに退きながら上昇、激しい空戦マニューバで回避する。しかし、誘導弾はすぐに反転、次々に追尾を再開した。八発のミサイルに追い立てられながら、前へ、前へと、相手への接近を試みるミステリアス・レイディ。

 

 ラファールは、そんな彼女の逃げ道を潰すべく、拡張ユニットの銃火器を一斉に発射した。鋭い嘶きを率いて殺到する銃弾の嵐の中を、ミステリアス・レイディは四肢のアーマーに積まれたウォーター・サーバから水のシールドを展開し、ブロックしながら突き進む。何発かの弾丸は水の防御をすり抜け、シールドエネルギーと前進の勢いを削っていった。遅速。背後のミサイルとの間合いが、徐々に煮詰まっていく。

 

 更識楯無の表情が、悔しげに歪んだ。

 

 クリスタル・ビットの一つを後方に投射。ミサイル群の前で、三六十度全方向に向かってスプリンクラーのように水飛沫を噴射した。

 

 直後、ミステリアス・レイディは爆発の衝撃音を背負った。パンパンに膨らんだ風船に針を刺したときに生じるような甲高い炸裂音が、百発、二百発と連続して鳴り響く。水滴の一つ一つに宿るナノ・マシンすべてが、内包するエネルギーを一気に解放、急激な温度の上昇により、水蒸気爆発を起こしたのだ。

 

 彼女が顔をしかめるのも無理からぬことだ、と鬼頭は同情した。

 

 かつてはSF映画や小説の中だけの存在であったナノ・マシンは、ISの登場による技術革新の恩恵の一つとして、昔と比べてかなりの低コストで大量生産が可能となった。とはいえ、これはあくまでISの登場より前の時代と比較しての話だ。いまだ製造コストが高いことに変わりはない。

 

 水蒸気爆発作戦では、水滴に混入させたナノ・マシンすべてを、ことごとく駄目にしてしまう犠牲を伴う。はてさて、いまの爆発でいったいいくらぐらいが失われてしまったのか。

 

 もっとも、損失に目をつぶった末のリターンは大きい。

 

 突如として空間中に出現した熱源の数々と、その消失。

 

 ミサイルの赤外線シーカーは幻惑され、コンマ四秒の間、行き先を見失う。

 

 ISにとって、コンマ四秒の猶予は大きい。

 

 ミステリアス・レイディはスラスターを全開、多少のダメージは覚悟の上で、火線の中を真っ直ぐ切り込んでいった。後方に投げたクリスタル・ビットを素早く手元に引き寄せ、三角シールドを展開、ランスのガトリング・ガンを叩き込みながら接近する。

 

 ミステリアス・レイディの放った銃弾が、ラファールのガトリング・ガンの機関部に命中した。爆発の警告表示。ラファールの少女は慌てて拡張ユニットごと装備をリジェクト。次の動作が、僅かに遅れる。肉迫。

 

 ミステリアス・レイディが、ランスを突き出した。脇を締め、腰の回転運動の勢いも十分に乗った重い一撃。

 

 場内に、試合終了のブザーが鳴り響いた。

 

 リアルタイムモニターに、『勝者 更識楯無』と表示される。

 

 試合の結果を見届けて、鬼頭は思わず、ほぅっ、と熱の篭もった溜め息をついた。

 

 モニターに次々と映じた魅力的な技術の数々、そして手に汗握る試合展開に、我知らず夢中になっていた。

 

「良いものを見せてもらいました」

 

 素直にそう思う。ミステリアス・レイディの特殊兵装は勿論だが、ラファールのほうも、素晴らしい性能を見せてくれた。ランスの突きに対して、あれほどの素早さで反応してみせた機体の応答性。あれだけの数の兵装の同時運用を可能とする火器管制システムの完成度……どれも素晴らしい技術だ。叶うことなら、どういう仕組みなのか分解してでも調べたいところだが。

 

 そんなことを考えていると、鬼頭たちのいるピットルームに、熾烈な戦いを終えたばかりのラファールが戻ってきた。

 

 二人がこの部屋にやって来たのは、試合が始まった直後のことだ。いままで気がつかなかったが、こちら側のピットからの出撃だったらしい。

 

「あ~! 負けた、負けた!」

 

 言いながらも、悔しさはあまり感じられない。むしろ、負け悔いなし、といった清々しささえうかがえる口ぶりだった。

 

 試合が終わったことでセンサーの機能を大幅にカットしていたのか、ラファールを纏った一年生の少女は、ピット・インをはたしてようやく鬼頭らの存在に気がついた。

 

「あれ、山田先生?」

 

「お疲れ様です、黛さん」

 

 ラファールを着込んだままの少女を見上げて、真耶が微笑む。

 

 黛と呼ばれた娘は気恥ずかしそうにロボットアームのマニュピレータで頬をかく仕草をしてみせた。

 

「さっきの試合、見てたんですか? うっわっ、情けないところを見られちゃったなあ~」

 

「そんなことありませんよ。良い試合でした」

 

 素直にそう思う。黛も、更識も、一年間の上達ぶりが嬉しい、見応えのある良い試合だった。

 

「成長しましたね、黛さん」

 

 万感の思いを託して呟いた。二人とも入学したての頃とは雲泥の差だ。

 

 真耶が彼女たちの前で教鞭を執った回数は多くはない。しかしながら、その指導に少しでも関われたことが、彼女には誇らしく、また嬉しかった。

 

「ありがとうございます。……でも、たっちゃんにはこの一年、結局勝てずじまいだったしなぁ」

 

 たっちゃん、とは、先ほど対戦した更識楯無のことだろう。真耶と違って二人のことをよく知らぬ鬼頭だが、愛称を口ずさむ声の優しさから、彼女たちがいかに親密な関係にあるのか察せられた。

 

「自分じゃあ、強くなった、って実感は湧いてこないや」

 

「黛さんは、たしか来年は……」

 

「整備科に進みます。たっちゃんはパイロット科だから、二年生になったら別々のクラスですね。だから今日の試合が、公式戦では最後の対決だったんですけどねぇ……」

 

 力及ばず、負けちゃいました。黛は無念そうに溜め息をついて、真耶の後ろに立つ鬼頭を見た。

 

「……ところで、さっきから気になっていたんですけど、そちらの方は? もしかして、山田先生の彼氏?」

 

「な、ち、違いますよぅ!」

 

 からかい口調の黛に対し、真耶は頬を紅潮させ、慌てた口調で否定した。どちらが年上か分からなくなる光景だ。真耶は鬼頭を示しながら、

 

「こちらは企業からの見学者の方です」

 

「鬼頭智之です。名古屋にある、〈アローズ製作所〉というメーカーからやって来ました」

 

 企業戦士の嗜みとして、名刺入れはすぐに取り出せるようスーツの内ポケットに忍ばせている。咄嗟に懐中へと手を伸ばし、すぐにやめた。女子高生相手に名刺を出し渋ったわけではない。ラファールを着た状態で名刺を渡されても、扱いに困るだろうと思ってのことだ。

 

「生徒の皆さんの邪魔にならないよう努めますので、今日はよろしくお願いします」

 

 鬼頭の名乗りに、黛は得心した表情で頷いた。

 

「企業の人でしたか」

 

 道理で。山田先生の彼氏にしては、オジサンすぎると思った。そんな胸の内が聞こえてくるような表情だ。

 

 鬼頭は思わず苦笑した。己がこの世に生を受けて、今年で四五年になる。今更、オジサン呼ばわりされたところでショックはないが、こう気遣われると、かえって気分が落ち込んでしまう。

 

「一年生の黛薫子です。IS学園にようこそ。握手は……ちょっとだけ待っていてくださいね」

 

 機体のダメージ・チェックを行うため、薫子はラファールをピットルーム内の診断装置のもとへと移動させた。すべてのISには自己診断機能が搭載されているが、試合の後など、より詳細なチェックが必要と思われる場合は、専用の機械を使うことになっていた。

 

 診断装置の見た目は、卵形の巨大なカプセルといった印象だ。ラファールを卵の中へと移動させた薫子は、昇降しやすいよう機体をその場に屈ませると、装着を解除し、床へと降り立った。操縦者が着たままだと、チェック・マシーンが誤作動を起こしかねない。

 

 機体から離れる際、「今日はありがとうね」と、薫子はラファールの脚部アーマー・ユニットの膝頭を優しく撫でた。

 

 その様子を見て、鬼頭は思わず悲鳴を上げた。真耶と薫子は揃って肩を震わせる。慌てて薫子のもとへと駆け寄り、「黛さん、手を離すんだ!」と、手首を掴んで機体から離した。少女の表情が苦悶に歪む。

 

 このラファールは先ほどまで音速前後の速度域で激しい空中戦を繰り広げていた。機体表面は空気との摩擦で、とんでもない温度になっているはずだ。素手で触れれば大火傷は必至――、

 

「……なに?」

 

 薫子の掌を見て、鬼頭は唖然とした。皮膚のただれどころか、赤くすらなっていない。これはいったい……。

 

「き、鬼頭さん。ちょっ、痛いです!」

 

 はっ、として、手首から手を離した。「す、すみません!」と、頭を下げる。咄嗟のことで慌ててしまい、かなり強い力で掴み、振り回してしまった。

 

「てっきり、火傷をしたのではないかと思いまして……」

 

「火傷って……ああ!」

 

 薫子は得心した様子で頷いた。

 

「それなら大丈夫です。ISは稼働中は常に、機体の表面に薄いエネルギーフィールドを展開しているんです。このフィールド層が断熱材の役割も果たしてくれるので、ISの機体表面は常に一定の温度が保たれているんです」

 

 そういえば、こんなにもラファールに接近しているのに、いささかの熱気も感じられない。リアルタイムモニターでの観戦がなかったら、試合直後の機体とは思えないだろう。

 

「そうだったんですか……」

 

 安堵の溜め息。額に浮かんだ脂汗をハンカチで拭い、鬼頭は深々と腰を折った。

 

「そうとは知らず、無駄に痛い思いをさせてしまいました。申し訳ない」

 

「いいえ。私のことを心配しての行動だったわけですし……、謝ってももらいましたしね。気にしていませんよ」

 

「……本当に申し訳ない」

 

 薫子の返答に、鬼頭はますます恐縮してしまう。愛娘とさして変わらぬ年齢の少女になんてことをしてしまったのか、と奥歯を噛みしめた。

 

「……それにしても」

 

 これ以上の失敗は犯すまい、と気持ちを切り替える。改めてラファールの偉容をしげしげと眺め、鬼頭は熱の篭もった口調で呟いた。

 

「ものすごい技術ですね」

 

 機体の温度を常に一定に保つ。ISに用いられている冷却システムの技術をXIシリーズにフィードバックすることが出来れば、稼働時間や最大出力の持続時間を大幅に延長出来るはずだ。

 

「触ってみても?」

 

 実際に触れて温度を確かめたくなった鬼頭は、かたわらの薫子、そして真耶に訊ねた。首肯を受けて、ラファールの膝頭へと手を伸ばす。国宝級の九谷焼にでも触れるかのように、おずおず、と指先でアーマーを撫でた。

 

「グゥッ!」

 

 耳の奥で、硬質感のある音が鳴り響いた。

 

 突如として意識のうちに流れ込んできた膨大な情報の奔流に、鬼頭の頭蓋は打ちのめされた。

 

 数秒前は知りもしなかったISの操縦方法や、現在装備している兵装、エネルギー残量といった情報の数々が、急速にインプットされていくのを自覚する。

 

 脳への強烈な負荷はやがて痛みを伴うようになり、苦悶の表情を浮かべた鬼頭は、目眩から思わずよろめいた。かたわらに傅くラファールを支えに、なんとかその場で踏ん張ってみせる。

 

「き、鬼頭さん!?」

 

 慌てた表情の真耶が駆け寄ってきた。

 

 うめき声を発する彼の背中をさすりながら、茫然とラファールを見上げる。

 

「う、嘘……ISが、鬼頭さんに反応して……!?」

 

「まさか、二人目の……」

 

 鬼頭とラファールを交互に見て、薫子も茫然と立ち尽くした。

 

 自分の身にいったい何が起こったのか。自分は何をしてしまったのか。苦痛から上手く頭がはたらかない鬼頭は、それでも事態を把握せねば、と顔を上げる。

 

 真耶たちの顔を見て、驚いた。

 

 見える。

 

 見えすぎている。

 

 こちらを心配そうに見つめる真耶の顔。薄化粧で隠された毛穴の蠢き、顔面細胞の内部構造、染色体の離合集散の様子さえもが、はっきりと見て取れる!

 

「ハイパー……センサー……?」

 

 視覚野に接続されたセンサーが直接意識にパラメータを浮かび上がらせ、周囲の状況を数値で表した。

 

 ハイパーセンサーと名付けられた機能の感度と精度が最大まで高められている、と“IS”自身から教えられて、鬼頭はようやく、我が身に何が起こったのかを悟った。

 

 

 

 

 

インフィニット・ストラトス二次創作

 

「この小さな世界で愛を語ろう」

 

Chapter3

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

 鬼頭智之はIS学園校舎内の応接室のソファの上で目を覚ました。

 

 昨日は帰宅を許してもらえず、携帯電話やモバイルPCといった外部との連絡手段を取りあげられた上で、この部屋で過ごすことを強制された。

 

 軟禁の理由は勿論、昨日、真耶たちの目の前でラファールを動かしてしまったためだ。

 

 IS学園は三週間前に織斑一夏少年を発見したときにもそうしたように、ISを起動させた鬼頭の身柄をただちに拘束した。ひとまず応接室に押し込め、今後の扱いについては、学園の理事会や日本国政府と相談した上で、結論がつき次第伝えるからと、それまでは部屋を出ないよう請うた。申し訳なさそうに腰を折る真耶の言葉に、彼は「仕方ありませんね」と、渋々従った。彼女の背後では、機関拳銃の安全装置をこれ見よがしに解除する女性教員が二人、こちらを睨んでいた。

 

 薄い毛布をはねのけた鬼頭はソファから起き上がると、部屋の壁に取り付けられたオーバル形の鏡をチェックした。

 

 各国政府の要人や企業の上役たちが頻繁に訪れるためか、IS学園の応接室に置かれた調度品はすべて、上質感と高級感を併せ持っている。ソファも同様で、ストレッサーな状況や慣れない寝具だったにも拘らず、彼が疲労感や倦怠感を自覚することはなかった。鏡に映じる顔も、無精髭のせいで疲弊しているように見えるが、顔色自体は悪くない。

 

「……髭を剃りたいな」

 

 己の顔を検めて、鬼頭は呟いた。顔も洗いたいし、口の中も粘ついているから歯も磨きたい。しかし、生憎、この部屋には洗面台がない。

 

 仕方なく、鬼頭はテーブルへと視線をやった。傷一つ見当たらない分厚い一枚板の上に、五〇〇ミリリットルのペットボトルが何本も並んでいる。昨晩、自由に飲んでよいと部屋に持ち込まれた物だ。鬼頭は未開封のミネラルウォーターを手に取ると、口の中に含み、転がして、飲んだ。口腔内環境の洗浄という意味ではあまり意味のない行為だが、気分的に口の中がさっぱりした。

 

 左手のボーム&メルシェを見る。現在の時刻は午前六時半。いつもならその日の朝刊を読んでいるか、朝食を作っているかしている時間帯だが、応接室に新聞配達のサービスなどあるはずなく、また食事も決まった刻限に持ってきてもらえることになっていた。それまでの間、どう過ごせば閑居と戯れずにすむかを考えて、鬼頭はビジネス鞄に手を伸ばした。昨日、名古屋駅の売店で購入した中古車情報誌を引っ張り出す。IS学園までの道中の暇潰しのために買った雑誌だ。

 

 クルマは時計弄りに次ぐ鬼頭の趣味だ。こういう雑誌は、ぱらぱら、とページをめくっているだけで、楽しい気持ちにさせてくれる。

 

 いまの愛車であるプリウスは、所有してから今年で五年目になる。走行距離は四万キロ弱で、エンジンはすこぶる快調。しかし、良さそうな物件があれば、買い換えるのも良いだろう。

 

 愛車選びの際に燃費性能やラゲッジスペースの広さといった実用性を重視するようになったのは、晶子と結婚し、子どもを得てからのことだ。それ以前は、走りの楽しさや、スタイルの流麗さなどを判断の基準としていた。離婚してもう八年になる。陽子も大きくなったし、いまのところ再婚の予定もない。久しぶりに自分の趣味全開で、クルマを選ぶのも良いかもしれない。

 

 そこまで考えたところで、鬼頭は自らを嘲笑した。

 

 そうした自由意志が許されたのは、昨日までの話だ。今日からの自分に、そんな贅沢は許されまい。

 

 二人目の男性IS操縦者。その存在を公表するか、否か。IS学園や日本国政府がどちらの対応を取るにせよ、鬼頭の自由が脅かされる未来が待っていることは間違いない。

 

 それが分かっていながら、なにを暢気に中古車選びなどしているのか。自分で自分に、呆れてしまう。楽観的に考え、悲観的に備え、楽観的に行動せよ、とは経営の神様・稲盛和夫の言葉だが、それにしたって、気楽に構えすぎだろう――。しかし、鬼頭はページをめくる手を止めなかった。止めてしまうと、よくないことばかり考えてしまいそうで、それが彼には恐かった。不安に心を支配されてしまうのを恐れた。

 

 そのとき、応接室の戸がノックされた。「鬼頭さん、起きていますか?」と、真耶の声。はて、朝食を持ってくる予定の時間まであと一時間近くあるが……。鬼頭は雑誌をテーブルに置いて、どうぞ、と応じた。

 

 ドアを入室した真耶は、顔色は悪く、目の下にはくっきりと隈が出来ていた。着ている服は昨日見た物とまったく同じ。おそらく、鬼頭がラファールを動かしてしまった後も帰宅せずに学園で業務に励んでいたのだろう。もしかすると、徹夜したのかもしれない。自分が原因だろうなあ、と鬼頭は彼女の美貌の衰えを見て心苦しく思った。

 

「どうしました、山田先生?」

 

 やって来た真耶は手ぶらだった。やはり、食事を持ってきてくれたわけではなさそうだ。もしかすると……と、悪い予感から表情を硬化させた鬼頭が訊ねると、案の定、彼女は次のように答えた。

 

「鬼頭さんの今後について、お話があります。私に着いてきてください」

 

「仕方ありませんね」

 

 この部屋に来ることになったときと同様、鬼頭は渋々頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 案内された部屋は、まるで刑事ドラマに登場する取調室のようだった。さほど広くない灰色の室内に、鉄格子を嵌めた窓が一つ。仮にも高等学校を名乗る機関の施設とは思えない息苦しさに満ち満ちていた。

 

 取調室の中央には、引き出しなど一切ない簡素な造りのデスクが置かれている。背もたれつきのパイプ椅子が二脚、机を挟むように配置されており、そのうち一つにはすでに先客が腰掛けていた。切れ長の双眸が鬼頭の顔を鋭く射抜く。知っている顔だ。鬼頭は思わず息を呑んだ。

 

「織斑、千冬! ブリュンヒルデ……!?」

 

 第一世代IS操縦者の元日本代表。オリンピックのIS競技版と評される世界大会〈モンド・グロッソ〉の第一回優勝者。世界最強の女傑……。思わぬ人物の登場に、鬼頭は度肝を抜かれてしまった。そんな彼に、織斑千冬は涼やかな声をかける。

 

「どうぞ、おかけになってください」

 

 動揺しながらも、着席した。鬼頭と一緒に入室した真耶は、千冬のかたわらへと移動。同時に、取調室の戸が自動で閉まった。次いで施錠音。状況から察するに、内側からは解錠出来ない仕組みだろう。

 

「知っているかもしれませんが、織斑千冬と申します。このIS学園で、教師をしています」

 

「……鬼頭智之です。ロボットメーカー・アローズ製作所で、パワードスーツの設計主任をやっています」

 

 何年か前にドイツで開催された第二回モンド・グロッソの決勝戦を、目の前の人物は突如として棄権、試合会場にさえ姿を現さなかった。その後は一年近い空白期間を経て突然の現役引退発表。以降行方をくらまし、世間ではちょっとした騒ぎにもなっているが、まさかIS学園の教員を務めていたとは……。そういえば、例の一人目の男性IS操縦者の姓も織斑だった。珍しい名字だし、親戚かもしれない。

 

 状況を把握するにつれて、鬼頭は平静さを取り戻していく。

 

「それで、私の今後について話がある、ということですが……」

 

「はい」

 

 織斑千冬は首肯した。つり上がった眦は、そこだけ切り取ると怒っているようにも見えるが、鬼頭の目にはなぜか、彼女が自らに強面でいることを課しているように映じた。

 

「単刀直入に申します」

 

 余計なエクスキューズに時間を取られずにすむのはありがたい。

 

「三日後、IS学園と日本国政府は、鬼頭さんがISを動かした事実を世界に向けて公表することになりました。公表後、鬼頭さんの身柄は、IS学園が預かることとなります」

 

「そうですか」

 

 自分でも奇妙に思うほど、平坦な声が唇からこぼれた。

 

 己を見る真耶の顔が、悲痛そうに歪む。

 

「あまり、驚いていないように見えますが?」

 

「そうですね。そうなるかもしれないな、とは考えていましたし、織斑一夏くんという前例もありましたから」

 

 驚きはないし、学園と政府の判断は妥当だと思う。

 

 織斑少年のIS学園への入学が決まったとき、学園はすぐにその事実を公表した。

 

 この報道がなされたとき、鬼頭は「やるなあ」と、学園とその背後に控える日本国政府の手腕を賞賛した。

 

 その時点では世界でたった一人しか見つかっていない男性IS操縦者の存在は、貴重なサンプルだ。織斑一夏はなぜISを動かすことが出来るのか。その謎に迫りたい、解明のため織斑少年の身柄を手元に置いておきたい、と思う輩は大勢いるだろう。その中には、暴力的な手段や、親しい人間を人質に取って言うことを聞かせるなど非人道的な狡知の駆使に躊躇いのない者どもも少なくないはず。

 

 そうした連中に向けてIS学園が投じた牽制球は、抜群の威力を発揮したに違いない。

 

 史上初の男性IS操縦者の身柄は、IS学園が保護することになった。学園自ら発信したこの情報により、官民問わず、世界中の様々な組織がIS学園へと熱い眼差しを向けるようになった。勿論その中には、アメリカのCBSやイギリスのBBCといった、世界屈指の放送局も名を連ねている。いわば世界中から監視の目を向けられている状態だ。

 

 このような状況の中で、織斑一夏に手を出せばどうなるか。拘引に動いた組織には、その成功に関わらず世界中から非難が殺到するだろう。最悪の場合、ISを使った報復作戦の標的とされかねない。自分が彼らの立場であったなら、少なくともいまは手出しを控えたいところだ。

 

 それでなくても、IS学園自体が要塞と呼んで差し支えのない防御力を有する組織だ。陽子の受験に際して、鬼頭もIS学園の受験案内のパンフレットには目を通していた。それによれば、IS学園では常に三十機以上のISが稼働状態にあるという。オーストラリア大陸を一日で灰燼と帰せる戦力だ。まともな神経の持ち主であれば、危ない橋をわざわざ渡ろうとは思うまい。

 

 孫子曰く、戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり、だ。相手に行動を起こさせない、行動を起こしづらい状況を作り出したIS学園のやり方は、この状況では最善策だろう、と鬼頭は評していた。二人目の男性IS操縦者に対しても、同様の措置を取ったとしてなんら不思議はない。

 

「IS学園と政府の判断は、正しいと思いますよ。ただ、私には家族がいます。織斑一夏くんと違い、会社勤めでもあります。そのあたりの事情をどうするのか、そこをはっきりさせないうちは、私も、はい分かりました、と応じるわけにはいきません」

 

 世界でたった二人しかいない男性IS操縦者の親類や友人、知人に同僚たちだ。鬼頭に言うことを聞かせるための人質に取られかねない。自分の身は勿論だが、彼らの安全についての保障はどうなっているのか。

 

「当然ですね」

 

 己の身辺調査については、すでにある程度終えているのだろう。千冬は疑問を口にすることなく頷いた。

 

「まず確認させてください」

 

「はい」

 

「IS学園が私を預かるとおっしゃりましたが、具体的にはどういう扱いになるのでしょう?」

 

「織斑一夏同様、IS学園の生徒として、籍を置いていただくことになります。いまのあなたの立場では、今後、ISと関わりなしに生きていくことは不可能でしょう。鬼頭さんには、当学園で三年間、ISの扱い方について学んでいただくことになります。

 

 ただ、鬼頭さんはすでに大学をご卒業された身ですので、一般教養は原則免除、IS関連の授業だけを受けていただく、という特例措置を取る予定です」

 

「なるほど。では、そうなった場合、家族とはどうなります?」

 

「まず、お嬢様についてですが……」

 

 千冬はそこで一旦言葉を区切ると、手元の小型端末を操作し、空間投影ディスプレイを呼び出した。入学試験の際に使ったデータだろう、陽子のパーソナルデータが表示される。

 

「……今年、当校を受験してくれていたとは思いませんでした。お嬢様には、来年度からIS学園の生徒になってもらいます。ただし、お嬢様に対しては最終学歴の問題で、特例措置は適応出来ません。お嬢様には一般教養の授業にも参加してもらうことになります」

 

 当然ですね、と鬼頭は頷く。むしろ、そんな手抜きをされようものなら、親としては学園の指導方針について国に訴えを起こさねばならぬところだった。

 

「お嬢様以外の親族については、政府の要人保護プログラムの対象になってもらいます」

 

「要人保護プログラム?」

 

 初めて聞く単語の並びに、鬼頭は怪訝な表情を浮かべた。

 

 証人保護プログラムなら知っている。アメリカ留学時代に、何度か耳にした言葉だ。米国の法廷や議会では、証言者を暗殺などの報復措置から護るために、しばしば発動する制度だ。制度の対象となった人間は裁判の期間中、合衆国連邦政府の国家機密として、住所の特定が難しい場所で、別人としての身分を用意された上で暮らすことになる。似たような制度だろうか。

 

「例えば、IS開発者である篠ノ之束の家族など、主に日本の国益上の重要人物と見なされた相手に適応されるプログラムです」

 

「具体的な内容は?」

 

「まず、いまの名前と立場を捨ててもらいます。その後は、友人・知人のいる可能性が低い土地に移動してもらい、政府が用意した、別人の名前と立場を使って暮らしてもらいます。勿論、住居や生活費は政府が用意しますし、身辺警護には警視庁選りすぐりのSPを着けます」

 

 なるほど、そいつは頼もしい、と安堵すると同時に、鬼頭は胸の内でこの場にいない彼らに謝罪する。自分がISを動かしてしまったせいで、不自由な生き方をさせてしまうな、と胸が痛んだ。

 

 特に申し訳なく思うのは両親だ。父・大作は今年で七五歳、時計ディーラーとしては引退してすでに久しく、鬼頭時計店も看板を下ろして七年になる。母の雪菜は七二歳、二人ともこの年齢で見知らぬ土地へ移り住むなんて、相当な負担になるだろう。老後のプランだって考えていただろうに。

 

 子どもとしては、両親には少々不自由な思いをさせてしまってでも、長生きしてほしいが……これは、子どもの側の傲慢にすぎない。

 

 思わず溜め息をつく鬼頭だったが、彼以上に沈痛な面持ちなのが千冬だった。彼女の言葉は、「ただし……」と、続いた。

 

「すべての親族を全員一度に、というふうには出来ません」

 

 別人の身分を用意する。言葉にするのは簡単だが、容易な仕事でないことは鬼頭にも想像出来る。パスポートや運転免許証、マイ・ナンバーなど、普通に使える物を、正規の手続きを経ずに作らねばならないし、経歴だって相当しっかりと造り込んでおかなければ、ふとしたきっかけで正体の露見へとつながってしまう。これを十人分、二十人分と用意する……たいへんな事業だ。

 

 SPの人選の問題もある。射撃の技術や捜査の手腕だけでなく、人格面にもこだわらなければならない。もともと、政府の要人というわけでもない鬼頭一族だ。彼らと好相性の人物を見つけ出す作業は難航するだろう。

 

「まずは一親等、次に二親等といった具合に、順次プログラムを適応させていく形になります」

 

「つまり、後回しにされた親族はプログラムが適応されるまでの間、常に怯えて過ごさねばならない、ということですか……」

 

 苛立たしげな口調を叩きつけられて、千冬は続く言葉を見失ってしまった。

 

 彼女の悲しげな顔を見て、鬼頭は、しまった、と唇を噛む。咄嗟に口にしてしまった言葉で、彼女の心を傷つけてしまった。

 

 織斑千冬はあくまで、IS学園と政府がよこしたメッセンジャーだ。彼女が口にした言葉はすべて、彼女自身の考えではない。目の前の女性に怒りをぶつけるのは筋違いだ。

 

「……失言でした。続けてください」

 

「最後に、勤め先の会社……アローズ製作所についてですが」

 

「はい」

 

「学園と日本政府としては、鬼頭さんにはいまの会社を都合退職してほしい、というのが本音です」

 

「……でしょうね」

 

 貴重な男性IS操縦者が、民間企業の一社員という現状は、日本政府の立場を考えると都合が悪いといえる。単純にデータ収集のためというだけでなく、外交上の強力なカードにもなりうる存在だから、常に身軽な立場でいてほしい、というのが彼らの本音だろう。すなわち、どこの国にも、そしてどこの組織にも所属してくれるな、ということだ。

 

 日本政府の支援下にあるIS学園も、基本的な考え方は政府と同じだ。むしろ直接警護する彼らの方が、鬼頭の退職をより強く望んでいた。行動原理に社則や業務命令などが含まれてしまう企業戦士よりも、そういったものに囚われない自由人の方が、警護がしやすい。

 

 問題は、IS学園や日本政府に対する世論だ。

 

 国家権力による民間企業への関与は最低限にとどめる、というのが、戦後わが国が採り入れた欧米型資本主義の考え方だ。

 

 政府側がアローズ製作所に圧力をかけた結果、鬼頭は会社を辞めさせられた、という構図になるのは不味い。少なくとも、表立って動くわけにはいかない。

 

 鬼頭には、なんとしても自主退職してもらわねばならなかった。

 

「……正直、どれも応と頷きたくない案ばかりです」

 

 家族に迷惑をかけ、親戚たちにも迷惑をかけ、おまけに二十年以上勤めている会社を辞めねばならない。この胸の内で、二十年以上育ててきた夢を、諦めねばならない。

 

 つくづく、なんということをしてしまったのだと、過去の行動を悔やんだ。

 

「ですが、いまや私に、自由意志など許されない」

 

 これからも、陽子と一緒に暮らしていくためには。家族や友人、同僚たちの身の安全を望むのなら。政府らの提案を、受け入れるしかない。

 

「分かりました。IS学園と日本政府の配慮に感謝します」

 

「鬼頭さん、では!」

 

「はい。来年度より、IS学園でお世話になりたいと思います。娘と両親への説明は……」

 

「勿論、こちらで行います」

 

「ありがたいが、私からも事情を説明します。学園へ通ってもらうことや、保護プログラムのことなど、納得して受け入れてもらえるよう口添えしましょう」

 

「助かります」

 

「ただ、会社のほうは、いまこの場では確約出来ません。退職願を提出しても、つき返される可能性があるので」

 

 日本政府やIS学園による姿なき介入があるかもしれぬことを考えれば、それは考えづらいが。

 

「いまはそのお返事だけで十分です」

 

 千冬の表情が、一瞬だけ変わった。肩の荷が少しずつだが軽くなっていく実感から生じた、安堵の気持ち。険を帯びた美貌が、はにかむ。こんな状況にも拘わらず、見とれてしまった。

 

 千冬は、すぐに表情を引き締めると冷淡な口調で言う。

 

「会社への説明ですが、学園からも人を派遣しましょう。鬼頭さんの口からは、なかなか言いづらいことでしょうから」

 

「助かります」

 

 二人は今後の具体的なスケジュールについて話し合った。陽子や家族への説明はいつにするか。会社への説明はいつにするか。IS学園は全寮制だ。入寮日はいつ頃を目処に引っ越し作業を進めていくか……。

 

 やがて一通りの話を終えた千冬は、疲弊した溜め息を一つこぼした後、

 

「私からは、今日のところは以上ですが、鬼頭さんの方は、何か?」

 

「……では、一つだけ」

 

「なんです?」

 

「これは、陽子の父親としての質問なのですが……」

 

 彼女から陽子の処遇について聞かされたときから、ずっと抱いていた疑問。それに付随して鬼頭の胸を苦しめる、不安。

 

 これだけははっきりさせておかねば、と鬼頭は面差しも険しく訊ねた。

 

「陽子は、IS学園の入学に必要な合格点に達していたのでしょうか?」

 

 もしかすると本来は不合格で、自分のことがあったから、特別に合格扱いとなったのではないか。

 

 もしもそうなのだとしたら、陽子には絶対に真実を知られるわけにはいかない。

 

 この数年間の努力は、いったいなんだったのか、ということになってしまう。

 

 はたして、千冬はかたわらに立つ真耶と顔を見合わせ、ともに微笑んだ。

 

 「安心してください」と、これまでに見たことのない――モンド・グロッソの優勝記者会見のときでさえ見せなかった――優しい顔で、鬼頭を見つめた。

 

「たとえ今回のことがなかったとしても、お嬢様には、IS学園に通ってもらうつもりでした」

 

「さすがに点数や順位まではお教え出来ませんが」

 

 それを聞いて、鬼頭はこの部屋に入室してからはじめて破顔した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Chapter3「風が吹いてしまった日」了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……う~ん。

 

 予定では一人だけじゃなくて、二人一緒に起動してもらうつもりだったのに……。

 

 あのメンヘラ・ストーカー女のせいで台無しじゃんか~っ。

 

 

 

 

 

 ああ、もうっ! ムカつくなぁ、あの女!

 

 あの人の優しさにつけ込んで、行動の自由を奪うなんて……同じ女として、許せないよ!

 

 

 

 

 

 ……まあ、でも! うん。ここはもっとポジティブに考えるべきだよね。

 

 少なくとも、鬼頭さんは、こっち側に引っ張ってこられたわけだし!

 

 

 

 

 

 

 さあ、鬼頭さん、舞台は整えてあげましたよ。

 

 そのIS学園には、最高の機材と、部材と、データと、その他諸々、全部……ぜ~んぶっ、があります!

 

 コストだとか、生産性だとか、誰が使うかとか、そんなくだらないことはもう、考えなくてよいのです!

 

 あなたは、あなたが作りたいと思ったものを、その欲望に従って作ればいいんです!

 

 あなたが最高だと思うパワードスーツを、作っちゃっていいのです!

 

 

 

 

 

 

 ……だから、見せてください、鬼頭智之さん。

 

 私の憧れの人。

 

 私と同等の頭脳を持っているかもしれない人。

 

 あなたの本気を、私に見せてください!

 

 あなたの存在を、世界に見せつけてください!

 

 

 

 

 

 

 




オリジナル兵装

G.E. Model 22〈ディフェンダー〉グレネード・ランチャー

口径  40mm×53
全長  1,050mm
重量  11,600g
装填数 8発

 アメリカのG.E.社が開発したIS用のリボルバー・タイプ・グレネード・ランチャー。

 ピストル式のグリップとライフル銃を思わせるストック、砲身下面にバーティカル・グリップを備えており、回転式弾倉は全長が300mmにも及ぶ。

 発射メカニズムは基本的にポンプ・アクション式で、バレル下面のグリップを前後にスライドさせると回転式弾倉が回るという仕組みだが、IS用の武器ということで重量制限が緩いため、自動回転機構(グリップのスライドが全自動化)も併せて搭載。実質、フル・オート射撃が可能である。

 NATOスタンダード・グレネードである、40mm×46ハイ・ロー・プレッシャー・グレネード弾、あるいは40mm×53ハイ・ベロシティ・グレネード弾を最大8発装填可能。



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