この小さな世界で愛を語ろう   作:3号機

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久しぶりの初投稿です。

今回、実験的な構成を試みました。

しばしお付き合いいただければ幸いです。





Chapter30「聲」

 

 四月の末から五月上旬にかけての大型連休期間が終了して、二週間後の月曜日、午前五時半。

 

 普段よりも早い時間に目を覚ました鬼頭智之は、IS学園の制服に袖を通すと、まだベッドの上で夢の世界に意識を預けている愛娘を起こさぬよう、静かな動作を努めながら、そうっ、と寮の自室を後にした。そのまま真っ直ぐ学園の校舎へと向かい、午前六時の正門開放とほぼ同時に入館する。目指す場所は、教室ではなくアリーナだ。BT・OS《オデッセイ》の新機能が、ひとまずの完成を見たのは昨日の午後九時のこと。その時点で校舎の完全退館時間が近かったために、昨晩は試運転までこぎつけることが出来なかった。それを、今朝のうちにすませようという腹積もりだ。

 

 早朝から始めるのは勿論、人の少ない時間帯だからだ。事前の計算では、周囲に実害をもたらすような効果はないはずだが、なんといっても新機能。実際に動かして、はじめて分かること、気づくことは多いはず。その際、周りに及ぼしてしまうかもしれない迷惑のことを考えると、利用者の少ない時間帯を狙うのが、モア・ベターだろうと思われた。

 

 鬼頭は学生寮からだと比較的遠い場所にある第三アリーナに足を運ぶことにした。朝の時間は貴重だ。いかに向上心旺盛なIS学園の生徒たちとはいえ、寮からの移動時間が長いアリーナを、積極的に選ぶ者は稀だろうと推理してのことだ。

 

 目論見通り、第三アリーナはほぼ貸し切り状態だった。ピットルームの一つに辿り着いた鬼頭が、施設の利用状況について、室内に設けられたコントロール・パネルからアクセスすると、専用機持ちの上級生二名のみが使用中という表示。念のため空間投影式ディスプレイを起ち上げ、アリーナ内の様子をモニターしているカメラの映像を転送させても、炎と冷気、それぞれの得意技をぶつけ合う二人以外の姿は見られない。観戦席も同様だ。これならば、万が一の事態が生じたとしても、周囲への被害は最小限に留められるだろう。

 

 数少ない共同利用者が、二人とも専用機持ちというのもラッキーだ。接触機会の少ない上級生とあって、ディスプレイに映じる二人は、ともに面識のない相手。しかし、彼女たちの身を覆う機体のことは、よく知っていた。

 

 娘ともどもIS学園の世話になることが決まった日以来、ISについての知識を、とにかく何でもいいから頭の中に叩き込まねばと、IS関連の書籍や雑誌を手当たり次第に読み漁ってきた。そのうちの一冊に、彼女たちの機体と、その操縦者について紹介している特集記事が掲載されていたのを憶えている。

 

 すなわち、アメリカ製の第三世代機『ヘル・ハウンド』と、同じく第三世代機でギリシア製の『コールド・ブラッド』。操縦者はそれぞれ、三年生のダリル・ケイシーと、二年生のフォルテ・サファイア。二人とも単に専用機持ちというだけでなく、生国の代表候補生に選ばれるほどの実力者たちだ。不測の事態が起こりうる可能性大なる試運転の場においては、これほど頼もしい存在はいない。彼女たちであれば、何か異変が生じたとしても、上手く対応してくれるだろう。

 

 無論、この考え方は一方的な期待だ。いざそういう事態が起こったとして、自分の思い通りに動いてくれなかったとしても、彼女たちを責めることは出来ないが。

 

 鬼頭は満足そうに頷くと、ピットルームから、隣接する更衣室へと移動した。ずらり、と並んだスチールロッカーの中から、『26』番を選ぶ。どのロッカーにしようか、視線を、ぐるり、と巡らせた際に、真っ先に視界に映じたのがその番号だった。

 

 26という数字から、クルマ好きの鬼頭はすぐにRB26エンジンのことを連想した。R32~34型までのスカイラインGT-Rに搭載されていた、歴史に残る名機だ。奇妙な縁を感じた彼は、引き寄せられるように『26』番ロッカーの前に立った。

 

 更衣室に設置されているロッカーはすべて、電子ロック式の錠前によって開閉が制御されている。取っ手部分のすぐ側に、接触型のセンサースクリーンが設けられており、そこを指で触れると、指の静脈パターンが記憶されて、使用可能になる仕組みだ。登録されたデータは開閉二回ごとに消去され、みたび使うにはまた登録をやり直す必要がある。誤って閉めてしまったときなど面倒だが、ISという軍事機密の塊を扱う上では、こうした防犯上の措置は不可欠だ。

 

 鬼頭は右手の親指から中指までを、解錠パネルのセンサー部に同時に押しつけた。静脈パターンは、一本だけだとセキュリティの精度が落ちてしまうため、最低三本を登録する必要がある。スクリーン・パネルの裏側で、マイクロ・レーザー発振器が作動し、血管のパターンを走査した。センサーの上部に二つ並んでいる、赤と緑の小さなランプのうち、緑色の方が点灯する。ロッカーの使用許可が下りたサインだ。鬼頭は戸を引き、中に手荷物を放り込んだ。

 

 防犯装置こそ特殊な造りをしているIS学園のロッカーだが、それ以外の構造は、一般的なオフィス用のスチールロッカーと大差ない。その寸法は、縦の長さが一七九〇ミリ、横幅が三一五ミリ、奥行きはたっぷり五一五ミリもあり、大柄な学生鞄も易々と飲み込んでくれる。中にはハンガーが二個あり、鬼頭は早速上着のジャケットとカッターシャツを引っかけた。あらかじめ着込んでおいた、群青色のISスーツが露わとなる。スラックスも脱いでツーピース仕様のISスーツ一枚だけの装いとなった彼は、忘れ物がないことを確認してロッカーの戸を閉めた。センサー上部のランプのうち、緑の方が消灯し、代わって赤い方が点灯する。これにより、このロッカーは鬼頭が登録した三本指をセンサースクリーンに押しつけるまで、開かなくなった。

 

 ピットルームに戻った鬼頭は、ISハンガー前の開けた場所に移動した。一夏たちの第三世代機と比べれば小柄な『打鉄』だが、それでも、身長一七五センチメートルの自分が着込めば、二メートルを超す巨躯に加えて、身幅も相当な大きさになってしまう。ある程度のスペースを確保した上でなければ、IS展開時の衝撃で周りの物を吹き飛ばしてしまう恐れがあった。

 

 鬼頭は念のため辺りに目線を向けてクリアリングをすませると、両の足を肩幅に広げてその場に立ち、瞑目した。頭の中に、愛機たる鎧甲冑の姿を思い浮かべ、そのイメージを、右手中指の指輪に向けて集中させる。より正確に表すのなら、指輪の中で眠る、ISのコアに向かって。

 

 金色の三角形が、鬼頭の意識の高まりに応じて、ぼんやり、と発光し始めた。

 

 眠っていたコアが目を覚まし、思い描いた具足姿を顕現させるべく、男の体を量子の光で覆い隠す。

 

 ――こうしていると、まるでグリーンランタンだな。

 

 海外留学中に現地で愛読していたアメコミの主人公のことを思い出し、鬼頭は光の粒の中で苦笑した。あのヒーローも、スーパーパワーの源は不思議な力を秘めた指輪だった。

 

「In brightest day, in blackest night. No evil shall escape my sight.

 

 Let those who worship evil’s might. Beware my power… Green Lantern’s light!」

 

 輝ける日の下も、漆黒の夜の闇も。わが瞳は、悪の存在を逃さない。

 

 闇の力を崇める者どもよ。畏れよ、わが光、グリーンランタンの光を!

 

 茶目っ気たっぷりに言い放つや、光の粒子が弾けた。

 

 鬼頭の四肢を、機械造りの甲冑が覆い隠す。

 

 銀色の鎧武者の装いとなった鬼頭は、まず空間投影式ディスプレイを起ち上げた。画面いっぱいに、機体各部のステータス情報を表示させる。

 

 新機能の試運転を前に、機体に異常があっては困る。正確なデータが採れないことは勿論だが、新機能を稼働させたことによるエラーと、もともと発生していたエラーとが化学反応的事態を起こして、大きな事故につながってしまうことがいちばん恐い。

 

 鬼頭は、少しのエラーも見逃すまい、とステータス・ウィンドウを注意深く検めた。特に、新機能を追加したばかりの、OS周りのことで不具合が生じていないかを見ていく。

 

 やがて、どこにも問題はなし、と判じた鬼頭は、ひとまず安堵の溜め息をついた。しかし、すぐに顔の筋肉を引き締め、ピット・ゲートへと機体を移動させる。

 

 ゲートの前に立つや、再び空間投影式ディスプレイを召喚した。ゲートの開閉システムにアクセスして、開放を要求する。返答はすぐによこされた。きっかり五秒後。開閉を知らせる警告ブザーが、ピットルームの内と外に向かって、甲高く鳴り始めた。これからISが発進するから、ゲートの側に近づくな、と知らせる合図だ。

 

 縦に、横に、と、四重構造の隔壁シャッターが次々に開いていく。

 

ゲートが完全に開放されるや、すかさずハイパーセンサーで、進路上の安全が確保されているかを確認した。よし、と頷き、鬼頭は機体を浮遊させた。スカート・アーマー背面部にマウントされているロケット・モーターは噴かさず、PICの力のみでもって、前へと進む。急速度で変化する視界。第三アリーナ内へと、飛び出した。

 

 安全のためだろう、鬼頭が飛び出したゲートとは真向かいに位置する、別のゲート付近に退避していた先客達がこちらを振り向いた。第三世代機としては珍しい、曇天色の重装甲に身を包んだダリル・ケイシーが、驚いた表情を浮かべて身を強張らせるのが見えた。両肩部の近くで浮遊する、狩猟犬の頭部を模したアンロック・ユニットが、操縦者の心情を反映してか、鬼頭を睨んで、ぐるる、と唸る。

 

 はて、自分のなにをそんなに警戒しているのか。アメリカ政府から、自分について何か言われているのか? 鬼頭は内心首を傾げながら、自身を見つめる二人のもとへゆっくり近づいていった。やはり、PICの作用だけで距離を詰めていく。

 

 直前に見た映像の様子から、彼女たちが模擬戦をしていた公算は高い。まだ誰もいない時間帯、いまは二人だけの世界だ、と気分よく、のびのび戦っていたところを、自分の入場がために中断させてしまった可能性がある。

 

 ――新機能のテストを始める前に、一声かけておくべきだ。

 

 悪意の有無によらず、自分の行動の結果、誰かに不利益が生じてしまったのであれば、謝罪するのは当然だ。たとえ相手が気にしなかったとしても、それが筋というものだろう。

 

 またそうでなかった場合でも、自分がこれからやろうとしている実験の内容を考えると、彼女たちにも事前に話をしておくべきだ。

 

 やがて十メートルの距離まで近づいた鬼頭は、オープン・チャネル回線で話しかけた。

 

「おはようございます」

 

「お、おう」

 

「……っス」

 

 世界にたった二人しかいない、特別な立場にある男からの声がけだ。ともに緊張した様子で、かたやダリルはゆっくりと頷き、かたや、癖の強い黒髪を三つ編みに結んでいるフォルテ・サファイアは言葉短く応じた。ダリルの『ヘル・ハウンド』とは対照的に、こちらのISは装甲部の被覆面積が少ない、鬼頭のよく知る第三世代機らしいシルエットの機体だ。その代わり、特殊兵装を搭載していると思しき二基のアンロック・ユニットは、機体本体と同じくらいに大きい。氷の結晶の意匠がいくつも組み合わさって構成された、大型のシールドだ。更識楯無のミステリアス・レイディに似た容姿をしている。

 

 相手の緊張をほぐすべく、鬼頭は努めて明るい声音とにこやかな表情を心がけながら、二人の顔を交互に見た。

 

「突然の声がけですみません。私が入場したせいで、お二人のお楽しみを、邪魔してしまったのではないか、と思いまして」

 

「お楽しみ、って……」

 

 鬼頭の呟きを反芻し、なぜか頬を紅潮させるフォルテ。おや違ったか、と、鬼頭は意外そうに口の中で呟いた。二人とも活き活きと戦っていた姿から、単に技を競い合っているというだけでなく、てっきり、仲の良い友人同士のコミュニケーションも兼ねている、と感じたのだが……いや、待てよ。

 

 ――彼女たちは、海外からの留学生だ。

 

 国際色豊かなIS学園ではあるが、学園内での公用語は基本的に日本語だ。日本人の鬼頭たちは勿論、欧州生まれのセシリアなども普通に日本語を口にしている。そんな環境への慣れから、彼女たちのバックボーンに目を向けないまま、自然と日本語で話しかけてしまったが、留学生にとって、比喩表現は本来難しいもののはずだ。

 

 比喩metaphor とは、その言語を操る者たちがどんな歴史を歩んできたか、どんな風俗・文化を形成しているか、ということに起因するもの。たとえば欧米人は、キリスト教に由来する比喩をよく口にするが、非キリスト教圏の人間にとって、これは分かりにくい。同様に、日本にやって来て一年とか、二年とかの彼女たちでは、理解の及ばぬ状況はまだまだ多いと考えられた。

 

 自分が口にした、「お楽しみ」が何を示しているのか、単に分からなかっただけなのかもしれない。鬼頭は一つ一つの表現に気をつけながら、改めて言う。

 

「ここに来る直前、館内の様子をモニターしているカメラの映像を見ていたんです。そうしたら、お二人が模擬戦をしているように見えました。だから、私のせいで中断させられたのではないかと思いまして」

 

「あ、ああっ! なるほど、そういう意味だったっスか」

 

 フォルテは得心した様子で手を叩いた。かたわらのダリルも、粛、と頷く。

 

 二人は顔を見合わせ、目線のみで意思疎通。アイ・コンタクトによる相談は終わったのか、まずフォルテが先に口を開いた。

 

「それについては、そこまで気にしないで大丈夫っス。たしかに先輩とバトルしていましたけど、あれは半分、お遊びみたいなものっスから」

 

「ああ。ちゃんとした模擬戦を始める前に、お互いの機体に不調がないか、動きを確かめ合っていただけさ。軽いウォーミング・アップってところだ。いつ中断しても問題はなかった。あんたが気にすることはないよ」

 

「ははあ、そうでしたか」

 

 自分が邪魔をしたわけではないと知って、鬼頭は安堵から相好を崩した。と同時に、やはり日本語の取り扱いには注意しなければな、との思いを新たにする。二人とも、このIS学園で最低でも一年以上日本語を使い続けているはずなのに、その言葉遣いははっきり言って下手くそだ。フォルテは発言の内容如何に問わず、文末をですます調で締めくくろうとする悪癖が身についてしまっているようだし、ダリルにいたっては、傳法な男言葉に加えて、自分と相手との関係性から言い方を変える、という日本語の基本的な使い方がなっていない。これでは、先の「お楽しみ」が何を意味する言葉なのか、分からなかったのも仕方ない。

 

 今度、千冬たちに正しい日本語の使い方講座の開講を提案してみるか、などと考えながら、鬼頭は彼女たちとの会話を続けた。

 

「自己紹介が遅れましたね。私は……」

 

「知っているよ。トモユキ・キトウだろ?」

 

「ははあ、ご存知でしたか」

 

「当然だろうが」

 

 ダリルは呆れた表情で鬼頭を見た。

 

「いまや世界でいちばん有名な男だぜ、あんたは。知らない方がおかしいだろ」

 

「そういえば、そうでしたね」

 

「下手な大統領とかよりも、よく知られた顔と名前だと思うっス」

 

 世界一有名な男のらしからぬ反応に、フォルテは、くすくす、と微笑んだ。かたわらで浮遊するダリルよりも前に出て、鬼頭に対し右手を差し出す。氷晶盾で装甲化された籠手の先端で、五本指タイプのマニピュレータがゆったりと開いている。

 

「ギリシアの代表候補生、フォルテ・サファイアっス。ISの登録名は『コールド・ブラッド』」

 

「オレはダリル・ケイシーだ。こいつは『ヘル・ハウンド』」

 

 フォルテに次いで、ダリルも右手を差し出してきた。こちらも、五本指タイプのマニピュレータを備えるロボットアームだが、つま先の部分に、鋭利なブレードが取り付けられている。鉤爪。手それ自体を凶器とする構造は、白兵戦能力の高さを想像させた。

 

 鬼頭は差し出された二つのロボットアームを交互に見つめた。

 

 ともに欧米文化圏の出身者だ。人間関係を円滑にスタートさせるためには、握手が欠かせない。鬼頭もまた『打鉄』のロボットアームを前へと動かした。がっしり、と力強く、連続して組み交わす。

 

「改めて、鬼頭智之です。よろしくお願いしますよ、ケイシー先輩、サファイア先輩」

 

「あ~……その、先輩、っていうのはやめてくれよ」

 

 握手をほどいたダリルは、面はゆそうに唇を尖らせた。

 

「学年はたしかにオレたちの方が先輩だけどよ」

 

「父親世代の男の人から先輩呼ばわりされるのは、なんというか、居心地が悪いっス」

 

「普通に、ダリル、って呼び捨てしてくれればいいさ」

 

「私も呼び捨てでお願いするっス。あ、呼び方はフォルテでも、サファイアでも、どっちでもいいっスよ」

 

 日本語が拙いなりに、気を遣ってくれているのだろう。ファーストネームで呼び合う慣習に乏しい日本人にとって、フォルテの申し出はありがたい。鬼頭は微笑を浮かべながら首肯した。

 

「分かりました。ミス・サファイアに、ミス・ダリル。私のことも、好きに呼んでください」

 

「OKっス。ミスタ・トモユキ」

 

「それにしても、あんたがアリーナに来るなんて、珍しいじゃないか」

 

 男性操縦者向けの改修が施されている『打鉄』を、好奇心に満ち満ちた眼差しでしげしげと眺めながら、ダリルが言った。

 

 彼女の口から飛び出した、珍しい、というフレーズに違和感を覚えた鬼頭は、意外そうに呟く。

 

「珍しい、ですか?」

 

「二人目の男性操縦者は訓練嫌い。研究室に篭もってばかりで、アリーナには滅多に顔を出さない。暗い室内でいったい何をやっているのやら。きっと怪しい研究に没頭しているに違いない。いまに何かしでかすぞ、ってさ。生徒たちの間じゃ、結構有名な噂だぜ?」

 

「べつに訓練が嫌いというわけでは」

 

「あん? 怪しい研究ってところは、否定しないのかよ?」

 

「そこはまあ……事情を知らない方々からすれば、そう思われても仕方のないことをしている自覚はありますので」

 

 IS業界の発展を目指しての研究ではない。災害用パワードスーツの開発と普及という、個人的な野望を叶えるための研究だ。自分がISについて学ぶのは、それ自体が目的ではなく、あくまでも、夢を叶えるための手段の一つにすぎない。災害用パワードスーツを開発する上で、ISの研究以上に有効と判断される手段があるのなら、自分は迷わず、そちらを選ぶことだろう。

 

 己のそうしたあり方や行いが、IS学園の生徒たちの目に、奇異なものとして映じてしまうのは仕方のないことだと鬼頭は考えていた。なんといっても、倍率一万倍超という難関を承知で、IS学園を進学先に選んだ娘たちだ。多くは、IS中心の世界観に生きていると考えてよいだろう。そんな彼女たちにとって、ISのことをぞんざいに扱っている(ように見える)自分の振る舞いは、さぞや奇妙奇天烈と見えてしまうに違いない。

 

 週刊ゲンダイの特集記事や、女尊男卑思想を由来とする男性操縦者への悪感情もある。

 

 帷幄に篭もって謀に胸を躍らせる自分の姿が、怪しく見えてしまうのもやむなしといえた。

 

「あ、でも、安心してくださいっス。その噂、新年度が始まったばかりの頃は、結構信じている人もいたっスけど、いまじゃごく一部のミサンドリストくらいしか、信用していないっスから」

 

「そうなんですか?」

 

 鬼頭は怪訝な表情を浮かべて訊ねた。四月の始め頃と、五月の下旬に差し掛かろうかといういま時分。はて、この一ヶ月半程度の間に、少女たちの変心を促すようなことがあっただろうか。

 

 真剣に考え込む表情がおかしかったか、フォルテが苦笑しながら言う。

 

「きっかけは、クラス対抗戦っス。あのときの館内放送で、流れが変わったっス」

 

「あんたのことを悪し様に罵っていた連中のほとんどはさ、例の週刊誌の記事とか、噂話を鵜呑みにしている奴らばっかりで、実際にあんたと話したり、あんたたち家族のことをよく調べたりした上で、鬼頭智之って男は人間の屑だ、って判断したわけじゃない。情報に踊らされていただけの、馬鹿な奴らだったんだよ」

 

「みんな、あの館内放送ではじめて、ミスタ・トモユキの声を聴いたっス。それで、あれ、ヘンだな? って。噂話で語られる人物と、なんか違うな、って。そう思ったっスよ」

 

「そういう心理状態になったところで、追い撃ちしてきたのが、先週の日本政府からの発表だ」

 

 鬼頭は得心した表情で頷いた。先週月曜日に行われた、藤沢正太郎官房長官による定例記者会見での光景を思い出す。

 

 午前の部での出来事だった。冒頭発言にて「今日は国民の皆様にお伝えしたいことが三件あります」と、知らせた後、官房長官は手元のペーパー資料をゆっくりと読み上げていった。曰く、新しい法律の施行が決まりました。曰く、厚生労働省内で人事の変更がありました。曰く、鬼頭智之の、ゴールデンウィーク期間中の行動記録について説明します。記者たちは手元のメモ帳から等しく顔を上げた。官房長官は、鬼頭智之が所用をすませるため、黄金週間の初日と二日目に、名古屋にひそかに帰郷していたことを明かし、久しぶりの故郷での時間をたいへん楽しく過ごした、と説明した。

 

 藤沢長官の発言を一言一句聞き逃すまいと意識を集中させていたジャーナリストたちは、等しく総毛立った。男性操縦者の言行録について語る長官の口調が、たいへんに挑発的であったからだ。

 

 ――これは牽制だ。日本政府には男性操縦者たちの身の安全を保障する力がある。お前達に、これと同じことが出来るか!? と、男性操縦者の身柄を狙うすべての国家、組織に対して、挑戦状を叩きつけているのだ!

 

 会見では鬼頭智之が観光ホテルのスイートルームで夕食に舌鼓を打っている写真も紹介された。写真の中の鬼頭は笑っていた。非常にリラックスした様子で、夕食の席を用意した人間たちへの信頼がうかがいとれた。これもまた、日本政府と鬼頭智之は蜜月の間柄にあることを国内外に知らしめるための材料と考えられた。

 

 記者会見終了後、政府の意図を汲んだプレスリリースは、海外へと速やかに発信された。

 

 報道を受けた各国の動揺ぶりは凄まじかった。男性操縦者をどう扱うべきか、いまだ結論を下しかねている国が多い。そんな情勢下では、藤沢長官の発言は劇薬として作用した。日本政府はすでに、男性操縦者確保のために動き出し、大きなリードを得ている。この事実をどう受け止めるべきか。そして、我々はどう行動するべきなのか。各国は決断を迫られた。

 

 そんな中、いち早く反応したのが英国政府だった。彼らは緊急で記者会見を開き、日本政府がそうしたように、自分たちと鬼頭智之との親密さをアピールした。すなわち、英国の第三世代型IS『ティアーズ』型に搭載されている特殊兵装BTシステムの研究開発を、鬼頭智之と共同で進めている旨を、世界に向けて公表したのである。

 

 従前、鬼頭と英国政府が互いの心理的距離感について再定義を果たしたことを知る人間は限られていた。両国の関係者を除けば、IS学園の一部の教職員や、各国の情報機関、その背後にいる政府の人間などがそうだ。べつに隠し事をしていたわけではない。かといって、進んで公言する必要もないだろう、との認識を、関係者一同が共有していたがために発生した事態だった。聡明なはずのIS学園の生徒たちが噂話に踊らされてしまったのも、解析室や工作室に好んで篭もる鬼頭が何をやっているのか、その実際を知らなかったことが大きい。

 

 イギリス政府の発表は、世界にさらなる混乱と動揺を生じさせた。日本政府だけでなく、イギリスも男性操縦者の身柄確保に向けて本格的な動きを開始している。この事実を知った各国の政府や研究機関は、以降、自らの内から湧き出でる焦燥感との戦いを余儀なくされた。これ以上、もたもたしていると、バスに乗り遅れてしまうのではないか。我々も男性操縦者の確保に向けて、動き出すべきではないのか。確保とまではいかずとも、男性操縦者という存在に対するスタンスについて、いい加減、方針を決定するべきではないのか。織斑一夏の発見からすでに二ヶ月近くが経っているのだぞ……。

 

「まあ、そういう面倒くさい話は、いまはいいさ」

 

 代表候補生の立場から、そのあたりの詳しい事情を聞かされているだろうダリルは、心底、どうでもよさそうに言った。

 

「重要なことは、日本とイギリスの発表で、あんたが普段、研究室に篭もって何をやっているのかを、みんなが知ったってことだよ。あの発表で、噂話はトドメを刺された。いまじゃあんな噂、信じている方がおかしい、って認識だよ」

 

「とはいえ、ミスタ・トモユキがアリーナに来ることが少ないのは、事実っスから」

 

「ああ、だから、珍しい、ってさ」

 

「なるほど」

 

「で、こんな朝早くから、どうしてここに?」

 

「実験です。昨晩、この機体のBTシステムに新機能を実装させたので、その試運転に」

 

「なるほど、だからこの時間ってわけか」

 

 試運転の一言から鬼頭の意図を察したダリルは、得心した様子で頷いた。

 

 どんな機能かは知らないが、昨日、取り付けたばかりということは、コンピュータ・シミュレーションはともかく、実際に動かすのは今日が初めてのはず。不測の事態が起きた場合に、周囲への被害が最小限に抑えられるよう、人の少ない時間を狙ってやって来たというわけだ。

 

「どんな機能なんっスか?」

 

「イメージ・インターフェースの機能を拡張したものです」

 

 「これはセシリアの『ブルー・ティアーズ』を見て思ったことですが」と、鬼頭は前置きした。

 

「見た目の派手さから皆さん勘違いしがちですが、BTシステムの真骨頂は、無人攻撃端末によるあらゆる方向からの攻撃などではありません。無人端末に、そうした繊細な動きを可能とさせるほどの、イメージ・インターフェースの造り込みの精緻さにあります」

 

 人間の脳波という、二十~七十マイクロボルト程度の出力しかない電気信号を増幅して、あれほど力強く、それでいて細やかな動きを可能とさせているのだ。鬼頭が考えた新機能は、この増幅する力を、逆方向に利用出来ないか、というものだった。すなわち、

 

「自らの思考波ではなく、相手の思考波を増幅し、受信する。これにより、相手の思考を読むことが出来るようになるのでは? と、考えたのです」

 

「なっ!?」

 

「おおお~! すごいっス!」

 

 フォルテが両目を興奮に輝かせた。ISバトル競技の多くは、一対一の試合形式で行われるものが多いから、相手の考えていることが分かる、というのは非常に強力な武器となりえる。

 

 他方、そのかたわらでダリルは頬の筋肉を強張らせていた。相手の思考を読むことの出来る機能だって? 自分のような特殊な立場の人間にとって、非常に都合の悪い機能ではないか。

 

「……具体的には、どういうものなんだよ?」

 

「まず、思考を読み取りたい相手に向けて、ターゲット・ロック用のビームを発射します。これはBTエネルギー特有の流動性、可塑性を利用した不可視の光線で、物理的な破壊力は皆無ですが、壁などの遮蔽物を透過して直進する性質を持っています。この光線が人体に命中すると、その瞬間、BTエネルギーは形を変え、目には見えない細かい粒子となって、その人物の周囲で一定時間滞留します。このBT粒子が、対象となった人物の思考波を増幅し、電気的な信号として発信。信号を受け取った『打鉄』のISコアがそれを処理し、操縦者に相手が何を考えているのか伝える、という仕組みです」

 

「そのロック用ビームっていうのは、どこから発射するんだ?」

 

「どこからでも。この『打鉄』にはBTエネルギー伝達用の特殊なバイパスを、全身に増設してあります。指先からでも、足のつま先部分からでも、なんだったら背中からだって発射出来ますよ」

 

「……えげつねえな、それ」

 

「可視光線じゃない、っていうのも厄介っスね。知らないうちに喰らっていて、知らないうちに考えを読まれているとか」

 

 むぅ、と眉をひそめながらフォルテが呟いた。この男の性格からいって考えにくいが、ISバトル以外にも、色々と悪用出来そうな機能だ。

 

「ビームの速度や射程は?」

 

「スピードは光速の約二十パーセント。射程距離は、常温常圧下、遮蔽物のないクリーンな環境で、最大でおよそ四〇〇メートルといったところです」

 

 フォルテの唇から感嘆の溜め息がこぼれた。競技の種類にもよるが、多くのISバトルでは、直径二〇〇メートルの円形のアリーナ・ステージを試合の場と定義している。逃げ場はほぼないと考えられた。

 

 光速の二十パーセントという速さも脅威だ。PICの恩恵により、1G環境下での超音速機動を可能とするISだが、回避は困難だろう。

 

「あと、気になるのはどの程度思考を読めるのか、っスよね。さすがに相手の考えていること、一から十まで完璧に、ってわけじゃないでしょうし」

 

「そうですね」

 

 鬼頭は微笑を浮かべながら頷いた。

 

「この新機能で受信可能なのは、フロイドの言う、“意識”レベルの思考だけです」

 

 精神分析学の始祖と知られるジグムント・フロイドが提唱した数々の理論の中でも、特に有名なのが、局所論と、それをブラッシュアップした構造論からなる、人の心の“つくり”についての考え方だ。フロイドははじめ、人間の心には、意識、前意識、無意識の三つの領域がある、という局所論を唱えた。すなわち、普段から意識している心の部分……意識。普段は意識していないが、注意を向ければ意識に上がってくる心の部分……前意識。自分では意識出来ない、自分の知らない心の部分……無意識、という三層構造の考え方だ。これに、イド(エス)・自我(エゴ)・超自我(スーパーエゴ)という、三つの心的組織の考え方を加えたのが、フロイドの研究の真骨頂とされる、構造論である(第二局所論とも呼ばれる)。人間の心は本能エネルギーの貯蔵庫であるイド(エス)と、道徳心や良心を司る超自我(スーパーエゴ)、両者の調整役たる自我(エゴ)によって構築されており、この塊が三層領域の中に存在する、という考え方だ。

 

 構造論の詳細については、専門の書誌に譲るとしよう。

 

 とにかく、鬼頭はこの構造論の考え方をベースに、BTシステムの新機能を構築した。

 

 人間の脳内では、自覚出来ないだけで、信号の頻繁なやり取りが常に行われている。無意識下で行われているそれらの思考までいちいち拾っていては、いかなISコアの処理能力といえ、計算が追いつくまい。

 

 なにより、無意識下の思考というのはほとんどの場合、意識するほどの重要性がないからこそ、その領域にとどめられているとも言える。BTシステムの運用目的や、自分がこの機能に託した想いからすると、そこまでの深い追究は不要と考えられた。

 

「人間の思考を読む、というのは、実はBTシステムの開発にたずさわる以前から研究してきたことでした。ご存知かもしれませんが、私は日本のロボット・メーカーに勤務しておりまして、いまは災害救助用のパワードスーツの開発を担当しています。思考を読む機能は、もともとそのパワードスーツに搭載するつもりで、仕組みを作りました」

 

「災害用パワードスーツに、思考を読む機能が必要なんっスか?」

 

「少なくとも、私は必要だと考えています」

 

 たとえば大地震。地下深くで炸裂した莫大なエネルギーは地表を揺らし、そこで暮らす人々の安寧をいとも容易く脅かす。

 

 たとえば土砂崩れ。大雨によるものにせよ、人の手による開発が原因にせよ、ひとたびそれが発生すれば、一立方メートルあたり一・三トンからの質量が、恐るべき速さで牙を剥く。

 

 あるいは危険物の爆発や引火。ガソリンやりんといった物質は、正しく扱えば、我々の生活を豊かにしてくれるが、心得を知らぬ者がいい加減に取り扱えば、恐るべき反作用でもって襲いかかる。

 

 世界のどこかで、そういった災害や事故が起こる度、涙を流す者がいる。痛みに苦しむ者がいる。その中には、倒壊した建物の下敷きとなり、生き埋めの状況に陥った者もいるだろう。思考を読む機能は、そんな彼らを助けるための武器である、と鬼頭は言った。

 

「……なるほど、瓦礫の下敷きになっている人たちの、私はここにいる! 早く助けて! って、思考を読むわけっスね」

 

「生き埋め状態からの救出が難しいのは、救助する側も、される側も、情報量が限られた中で、困難に立ち向かわなければならないことがいちばんの理由だと思います」

 

 救助する側は、どこにどれだけの人数が埋まっていて、そのうちの何人が切迫した状態なのか、まだ余裕があるのか、すでに手遅れなのか、といった情報が限られている状況の中で、捜索と救出にあたらねばならない。また救助を求める側も、自分がいまどういう状況に身を置いているのか、ほとんど分からない中で、心身を蝕む心細さと戦いながら、救助の希望を信じて生にしがみつかなければならない。

 

「心の声を聞くことが出来れば、誰が、どこに埋まっているのかがすぐに分かります。加えて、この機能を搭載しているパワードスーツは、災害時の運用を前提に設計されたレスキュー用のスーツ。生存者を見つけ次第、ただちに救助活動を開始することが可能です。救助の効率を、ぐっと高めることが出来るでしょう」

 

 生存者を自ら捜索し、自ら救助出来る。レスキュー用パワードスーツの最大の利点だ。捜索用の機材と救出活動用の機材が別々だと、こうはいかない。生存者を発見できても、すぐには救助を始められない。

 

 鬼頭の話を聞いているうちに、フォルテは胸の内が、わくわく、と熱を帯びるのを自覚した。

 

 彼女が生まれ育ったギリシアは、日本と同様、地震災害の多い国だ。アフリカプレート、エーゲ海プレート、ユーラシアプレートが複雑に衝突し合う境界帯に位置している。歴史書を開けば過去の事例に事欠かず、マグニチュード六以上の大規模地震も珍しくない。フォルテ自身も、二〇二〇年のエーゲ海地震を経験している。トルコ西海岸イズミルの近くを震源とするマグニチュード七・〇級の地震で、トルコは勿論、エーゲ海対岸側のギリシアにも多大な被害を及ぼした。特に酷かったのが建物の倒壊で、死傷者の数は両国合わせて一一〇〇人を超えたほどだった。

 

 もしもあのときに、鬼頭の言う災害用パワードスーツがあれば、どれほどの人々を救えただろうか。

 

 実現したらどんなに素晴らしい未来が待っているだろう。これまでは救えなかった命が助かる未来。諦めざるをえなかった命を、諦めなくてよくなる未来。きっと、いまよりもたくさんの笑顔があふれる世界になるに違いない。

 

「試運転って、言っていたけどよ、何をするつもりなんだ?」

 

「文字通り、試しに動かしてみるだけです。どこか適当な方向に向けてBTビームを発射し、声らしいものが聞こえてきたら、すぐに機能を停止させる。そのときの様子を、後で分析する。それだけです」

 

「あれ? すぐに止めちゃうんっスか?」

 

「心の声を聞く、と表現すると、たいへんな発明のように聞こえますが、やっていることそれ自体は、相手のプライベートな部分に、無遠慮に触れる、ということですから。許可をもらっていない相手に、それ以上のことは出来ません」

 

 まずは新機能が正常に作動してくれるかどうかだけを試す。相手の思考をどこまで読み取るか、などの性能部分についての検証は、次回以降、正式な協力者を得た上で、その人物を対象に行うつもりだった。実験の内容も、ハイパーセンサーの可視範囲外で絵札を見てもらい、それを鬼頭が言い当てる、というような、思考の内容をこちらである程度誘導出来るようなものとすることを考えている。

 

 鬼頭の発言に、フォルテはなるほど、と得心した様子で頷いた。思考を読み取り、居場所を突き止める。災害現場のような有事においては有用な機能だが、平時においては悪質なストーカー行為ととられかねない機能だ。自分の知らないところで、自分のことをよく知りもしない人間に、頭の中をのぞき見られる。考えただけで、ぞっとした。

 

 と同時に、朝の早い時間帯を選んだのはこれも理由だったかと、別なところでも得心する。放課後など利用者の多い時間帯だと、鬼頭が意図しない相手にBTビームが命中してしまい、思考を読んでしまいかねない。この男もそれは本意ではなかろう。

 

「事情は分かったよ」

 

 胸の前で両の腕を組みながら、フォルテが呟いた。『ヘル・ハウンド』のロボットアームはゴツゴツとした見た目に比して意外にも小柄だ。人間がとる日常動作の多くを、そつなくこなすことが出来る。彼女は腕を組んだまま、エメラルド色の目線で鬼頭を睨んだ。

 

「それで、いまから始めるのか?」

 

「ええ、そのつもりです」

 

「そうか。……なあ、」

 

「はい」

 

「気を悪くしないでほしいんだが」

 

「なんでしょう?」

 

「オレ、場所を変えるわ」

 

「先輩?」

 

 強面で言い放ったダリルを、フォルテが憮然とした面持ちで見つめた。アメリカからやって来た代表候補生の少女は、構わずに続ける。

 

「いくらそのつもりがない、って言われてもさ、完全には信用出来ねえよ。なんせ、オレとアンタは今日が初対面なんだ。頭の中をのぞき見られるかもしれない、なんて気持ちの悪さを抱えたままじゃ、訓練に集中出来ない」

 

「……当然ですね」

 

 ダリルの言に鬼頭は同意を示した。

 

 自身に対する疑心を、不快とは思わなかった。逆の立場であれば、自分もきっと同じように感じただろうし、不安を素直に口にしてくれたことは、かえってありがたい。自分たちのような技術屋がつい陥りがちな、自らの腕っ節を過信するあまり、実際にその道具を取り扱うユーザーの事情を軽視しがち、という姿勢を牽制してくれる。

 

 勿論、ダリルがこの場からいなくなることを残念に思う気持ちはある。

 

 彼女が側にいてくれたなら、事故への警戒もほどほどに、こちらも思う存分試運転に挑めたのだが、と思う。

 

 だが、それらの打算はもとよりこちらの勝手な期待にすぎない。期待はずれに終わったからといって、文句を口にしてよい道理はない。

 

「悪いね」

 

「いえ、お気になさらず。ミス・サファイアはどうされます?」

 

「今日は先輩と一緒に、って約束だったっスから」

 

 フォルテは悩ましげに呟いた。

 

「ミスタ・トモユキの新発明は気になりますが、今日はおいとまするっス」

 

 日本語が不自由なわりに、難しい単語を知っているな、と、思わず口元がほころんだ。

 

 各々辞去の挨拶を告げて、二人は鬼頭から離れ、入場時に使ったと思われるピット・ゲートの方へと向かっていった。

 

 その後ろ姿を見送った後、鬼頭は気を取り直して機体をアリーナのど真ん中へと移動させた。それから垂直に上昇し、シールド・バリアーの天蓋すれすれの高さをとる。試合中の設定ではないため、バリアー天井は地上一五〇メートルの高さで展開されていた。眼下を、ぐるり、と見回して、自分以外の機影がないことを確認すると、意識を、背中のBTエネルギー・タンクへと傾けた。頭の中に車のキィの姿を思い浮かべ、鍵穴に差し込み、ひねる。

 

 ――BT・OS《オデッセイ》、ファースト・ギア、イン……!

 

 機体の制御OSを、『打鉄』にプリインストールされているものから、自らの手でこしらえた特別なものへと切り替えた。背面タンクにたっぷり溜め込んでいたBTエネルギーが解き放たれ、血管のように張り巡らした特殊バイパスを通じて、全身に満ち満ちていく。急激なパワーの上昇。余剰エネルギーの一部が光へと変換され、装甲表面部より、煌々と排出された。

 

 ――……ううん。やはり、色は変わってしまうか。

 

 黄金色に輝く自らを俯瞰して、鬼頭は表情筋を強張らせた。発光現象のため分かりにくいが、機体の外殻部の表面色が、《オデッセイ》を起動する前とは変わっている。それも、光の熱で塗装が剥げ落ちて、素材本来の色が剥き出しになった、とかではなく、薄墨色から、すみれ色のストライプが所々入ったシルバーグレイへと、まったく別な色に変色していた。

 

 過日の無人ISとの戦闘時にも見られた変色現象だ。コンピュータ・シミュレーション上ではなく、実際に《オデッセイ》を動かしてはじめて判明したことだが、BTエネルギーをIS本体に流すと、このような副反応が生じるらしい。鬼頭はあの日以来、《オデッセイ》を起動させる度に、この現象と遭遇していた。

 

 ――いったい何なんだろうな、これは?

 

 BTエネルギーが原因なのは間違いない。しかし、BTエネルギーがどういうふうにはたらいた結果、このような現象が起こるのか。変色現象をはじめて確認した日からもう一ヶ月が経過しているが、作用の原理については、いまだに突き止められないでいた。IS学園が保有する最新の設備が通用しないというだけでなく、BTエネルギーの発見者たち……ブルー・ティアーズの開発チームの技術者でさえ、皆目見当がつかないという。

 

 発光現象はコンマ二秒の間続き、終息した。

 

 鬼頭はステータス・ウィンドウを開くと、機体のコンディションを検めた。変色現象により『打鉄』に異常が生じていないか、入念に確かめる。結果はまったくのクリーン。見た目の変化以外に、問題点は検出されない。変色による影響がいちばん大きいと考えられる塗装さえ、性能の変化は見られない。

 

 ――本当に何なのか、これは。

 

 変色現象のことは一旦脇に置き、鬼頭は頭の中のシフトレバーを二速、三速へと叩き込んでいった。その度に、《オデッセイ》OSにかけられているリミッターが解除される。

 

 《オデッセイ》フル・リミッター……レベル1。

 

 《オデッセイ》第一リミッターを解除……レベル2。有線式BT攻撃端末《ミニ・ティアーズ》が、セミ・アクティブ・モードへと移行する。

 

 続けて第二リミッターを解除……レベル3。掌部分からBTエネルギーを放出し、武器に纏わせる機能が起ち上がる。

 

 そして第三リミッター。昨晩、完成したばかりの新機能を縛る拘束具を、解除する。頭の中のシフトレバーを、四速に入れた。

 

「これは……ッ!?」

 

 驚きの声が、唇から迸った。白銀の鎧甲冑が、再度、黄金色に輝きだしたのだ。鬼頭の総身を包み込むように、光の粒子が踊り狂う。

 

 予期せぬ二度目の発光現象だった。しかも、今度は原因が分からない。

 

 一度目の発光は、BTエネルギーの解放による急激なパワーの上昇をコンピュータが処理しきれず、持て余したエネルギーの一部が光と変じた結果だ。しかし、二度目のこれは違う。前後の状況を顧みるに、きっかけはOSのリミッターを解除したことだろうが、それ自体は、エネルギーの増大をもたらすようなアクションではない。エネルギーの総量自体は、変わっていないはずなのに。

 

 ――何が起きている? 何が!?

 

 鬼頭は再びステータス・ウィンドウに目線をやった。自己診断プログラムを走らせ、機体に変化が生じていないか調べる。切れ長の双眸に、みるみる険が宿っていった。ストライプの色が、またもや変色している。やがて光が消え、露わとなったのは、燃える夕日のようなあかね色。

 

 異変はそれだけに留まらなかった。一回目の発光現象では変色のみの変化だったが、今回は数値の上でも明確な違いが発生している。特殊バイパスを通じて『打鉄』の全身を循環しているBTエネルギーだが、エネルギー溜まりとでも表現するべき配分の偏りが生じていた。両の腕と、両の脚。BTエネルギーの集中により、四肢のトルク値に向上が見られている。

 

 ――正確には、ロボットアームの性能が機械的に向上したわけではない。思考波に敏感に反応するBTエネルギーが特定の部位に集中したことで、他の部位よりもパワーを引き出しやすくなっているんだ。

 

 その代わり、エネルギー配分に偏りが生まれたことで、他の部位への供給が薄くなっていた。その分、入力に対する反応速度が、鈍くなってしまっている。

 

 試みに、右のロボットアームで拳をつくり、前へと突き出した。腰を回し、肩を回しながらの右ストレート。気持ちの悪い手応えに、思わず顔をしかめてしまう。

 

 頭の中でイメージした動きと、実際の挙動との間に、大きな隔たりが見られた。イメージ・インターフェースの応答性が、明らかに低下している。先ほどまでは、こう動こう、と考えたら、その瞬間にはもう、稲妻の速さで機体が反応してくれたのに、動作の出だしが、ずいぶんとゆっくりになってしまった。その一方で、ロボットアーム自体の出力や動作速度は向上しているため、結果的に、イメージ通りのスピードで、イメージよりもずっと重いストレートパンチを繰り出せてしまった。この不思議なちぐはぐ感に、鬼頭は目眩さえ覚えた。

 

 ――これは、パワー重視の即席チューンが、自動的になされた、ということか……?

 

 人間の思考波に応じて姿形を変える、BTエネルギーの特性によるものか。

 

 ストライプの色が青紫色のときは、BTエネルギーが全身にバランスよく配分され、イメージ・インターフェースの応答性が飛躍的に高まった。これにより、鬼頭の『打鉄』はベテランのIS操縦者に匹敵するほどの高い運動性を獲得した。

 

 対して、ストライプの色が赤いときは、咄嗟の運動性や柔軟性よりも、直線的な機動性や、膂力が増している。変色現象と同様、BTエネルギーによる予期せぬ副反応だった。

 

 ――さて、どうするか……。

 

 診断プログラムの伝えるところによれば、ストライプ・カラーの変色と、エネルギー配分の偏り以外に異変は見られない。その二つにしても、操縦者の安全を害するような不具合とはいえない。ただ、これらは『打鉄』に搭載された簡素なセンサーによる簡単な診断結果。実際のところは、解析室など設備の整った場所で仔細に調べてみなければ分からない。

 

 ――この状況で、新機能のテストを続けてよいものか。

 

 いや、よいはずがない。開発者の自分でさえ予想外の異常が起こっているのだ。検出機器に反応がないからといって、新機能に、どんな影響を及ぼしているか分からない。こんな状態でテストを行ったところで、まともな成果は得られまい。

 

 今日は試運転を取りやめて、発光現象の影響が他にないか、じっくりと検分するべきだろう。この状況を冷静に俯瞰する、鬼頭の怜悧な部分がそう訴えていた。

 

 その一方で、しかし、とも彼は思う。自然と思い浮かぶのは、アリーナから退出していったダリルらの顔だ。彼女たちの貴重な練習時間を台無しにしておきながら、ここでテストを中断してよいものか。それに、たとえバイアスありきのデータであったとしても、それはそれで得るものがあるはず。追究をするべきではないのか。

 

 ――……究極、新機能がちゃんと動いてくれるかどうか、確かめるだけのテストだ。

 

 正常に動作してくれれば、その瞬間に終了する。動いてくれなかった場合も、そうと分かった時点で終了する。異変による影響は些少だろう、と予想される内容ではある。

 

 自己の正当化を自らに言い聞かせるためか、鬼頭は、うむ、とやや大袈裟に頷いた。

 

 右腕を前へと突き出し、掌を開く。掌底のあたりに意識を集中しながら、鬼頭はハイパーセンサーで周囲を、ぐるり、と走査した。おっ、と適当そうな人物の姿を見つけて、冷笑を浮かべる。ハイパーセンサーの人感機能が、第三アリーナと校舎とを結ぶ舗装路を箒で掃く用務員の姿を補足した。IS学園では珍しい、男性の職員だ。二、三度、学園内ですれ違い、そのときに挨拶を交わしたことがある。姓はたしか、轡木といったか。珍しい字面だったので、よく憶えていた。

 

 相手が掃除の真っ最中、というのは、鬼頭にとって都合がよかった。何かの作業中というのは、表層意識に占める思考の割合が、その作業に関連することが大部分だと予想される。相手のプライベートな部分に踏み入ってしまう危険性は、少ないだろうと考えられた。

 

 鬼頭は胸の内で、試運転の被験者たる男性用務員に向けて謝罪の言葉を述べた。

 

 かの人物に向けて、腕を伸ばし、掌をかざす。頭の中に思い浮かべるのは、例によって、全身を装甲強化服で覆ったアメコミヒーローの姿だ。

 

 ――《オロチ・システム》、起動……!

 

 全身を循環しているBTエネルギーのうち、掌の部分に集まっているものに、指令を送った。鬼頭の思考波に反応して、BTエネルギーが姿を変える。力を持たず、熱も持たず、破壊という現象を振りまかない。人の心を捕らえること、ただそれだけに特化した、目には見えないエネルギー・ブラストを形作る。

 

 並行して、鬼頭はハイパーセンサーの視覚機能に新たなプログラムを走らせた。通常の可視光線に加えて、X線や、ガンマ線に分類される波長域の光線も視認出来るよう、デジタル補正による着色が自動的になされるようにする。これにより、鬼頭だけはBTビームの軌跡を見ることが出来るようになった。

 

 最後に、彼は『打鉄』の量子格納領域にインストールされている、各種の計測機器が正常に作動しているかどうかをチェックした。仮に新機能が正常に動いてくれたとしても、そのときのデータが採れていなければ意味がない。

 

 やがてすべての準備が終わったことを認めた鬼頭は、意を決したように小さく頷くと、不可視の光線を発射した。

 

 掌から。

 

 そして、全身の、其処彼処から。

 

 上へ、下へ。

 

 右へ、左へ、と、あらゆる方向に向けて。

 

 鬼頭の視界には緑色に映じる、総数九六発ものBTビームが、無防備なる心を求めて飛び去っていった。

 

「なに!?」

 

 動揺する悲鳴が、鬼頭の唇から迸った。

 

 掌からだけのつもりが、肩やら、肘やらからの暴発。

 

 明らかに、正常な稼働とはいえない。

 

 鬼頭は慌ててシステムのスイッチを切ろうとし、しかし、すぐにもう手遅れだと悟った。つい先ほど、他ならぬ彼自身が口にしたことだ。ターゲット・ロック用のBTビームは、光速の二十パーセントという速さで飛んでいく。

 

【一番ビーム、エネルギー消失しました】

 

【二番ビーム、エネルギー消失しました】

 

【三番ビーム、エネルギー消失しました】

 

【四番ビーム、着弾しました。定義照会を開始します。……人間と認められず。ロックを解除します】

 

 耳膜を、次々と、情報の奔流が殴打した。

 

 発射された九六発の照準用BTビームには、ホモ・サピエンスについての定義があらかじめインプットされている。ある程度の大きさを持った動物に着弾したビームはその瞬間に形を変え、対象を取り巻くように滞留、いっそう細かく定義の照会を行う。そうして人間の定義を満たしていると判断された相手にのみ、新機能……オロチ・システムは反応する。

 

【一三番ビーム、着弾しました。定義照会を開始します。……人間と認められました。ロックを継続。オロチ・オペレーションを開始します】

 

【三二番ビーム、着弾しました。定義照会を開始します。……人間と認められました。ロックを継続。オロチ・オペレーションを開始します】

 

【三四番ビーム、着弾しました。定義照会を開始します。……人間と認められました。ロックを継続。オロチ・オペレーションを開始します】

 

【六六番ビーム、着弾しました。定義照会を開始します。……人間と認められました。ロックを継続。オロチ・オペレーションを開始します】

 

【八六番ビーム、着弾しました。定義照会を開始します。……人間と認められました。ロックを継続。オロチ・オペレーションを開始します】

 

 九六発のうち、八四発は標的の姿を見つけられないまま飛び続け、エネルギーを使い尽くして消滅した。

 

 九六発のうち、七発はそれなりの大きさをした動物の姿を補足するも、その後の精査の末に人間ではないと知って消滅した。

 

 九六発のうち、五発は人間に命中し、光の粒子へと変じて思考波送信のための準備を開始した。

 

 すなわち、鬼頭が試運転のターゲットと見定めた轡木用務員、まだピットルームにいるダリルとフォルテ、彼女たちと同様、早朝の空いている時間を狙ってアリーナに向かっている見知らぬ女生徒、一部の熱心な生徒たちのため、こちらも朝早くからアリーナの管制室に詰めている若い教員の、計五名だ。BT粒子は早速、彼らの頭の中を覗き込み、そうして得られた情報を、鬼頭に向けて送りつけた。

 

【草が伸びてきましたねぇ。そろそろ草刈り機を引っ張り出さないといけませんか】

 

【草刈り機。倉庫。いつ探しに行くか】

 

【あぶねえところだったぜ。ったく、なんて恐ろしいことを考えやがるんだ、あの男】

 

【天才ってやつは、どいつもこいつも……】

 

【先輩、さっきから何かヘンなんっスよね。らしくないっていうか】

 

【この様子じゃ、いちゃいちゃ、は期待できないなあ】

 

【思った通り、この時間なら空いていそうだわ】

 

【うう……、更衣室までが遠い】

 

【昨日のお見合い相手、顔はよかったけど、いちいち上から目線の態度で、話していてまったく楽しくなかった……。二度目はないわね】

 

【お母さんたちがうるさいから婚活しているけど……はあ、もうやめたい】

 

 苦悶に震える悲鳴が、鬼頭の唇から迸った。

 

 イメージ・インターフェースを介して、頭の中に流れ込んでくる、声、声、声。

 

 思考波に反応した精神感応エネルギーはみたび姿を変え、操縦者にしか聞こえない聴覚情報という形で、轟然と、そして一気に、鬼頭の脳を滅多打った。

 

 ――ぐ、ぐ、ぐ……っ。このっ、数、はぁ……!

 

 聞こえてきた声は、五人分どころではなかった。

 

 少なくとも、その倍数は脳に流れ込んでいた。

 

 フロイドの構造論が主張する、意識領域から声。

 

 それに加えて、無意識領域からの声。

 

 本来ならば、拾うはずのない声。

 

 オロチ・システムが正常に機能していない、暴走状態に陥っているのは明らかだった。

 

 想定よりもはるかに膨大な情報量に殴打され、グロッキー状態になった鬼頭の脳は、喉は、悲鳴で震えた。

 

 ――こ、れは……、こらえ、られん……!

 

 額に大粒の脂汗を浮かべながら、鬼頭は絶叫した。

 

 額に汗が浮かんでいる事実が、ISの生体保護機能を上回るほどの心的ダメージを受けている証左だった。

 

 耳の奥が痛い。

 

 頭蓋を、金槌で、幾度も、幾度も、叩かれる。

 

 けれど、頭骨は砕けず、延々と、痛みだけが、際限なく積み重なっていく。

 

 そんな苦痛が、鬼頭の脳髄を刺激した。

 

 ――し、システムを、切らなければ……!

 

 莫大な情報量に脳を揺さぶられ、激しい痛みに苛まれながら、鬼頭は、オロチ・システムの機能を停止させるべく、意識を集中させた。

 

 集中しようとして、失敗した。

 

 脳を駆け回る痛みのあまり、イメージ・インターフェースを動かすだけの集中が、出来なかった。エラー、エラーと、表示が続く。

 

 それならば、と鬼頭は目の前に空間投影式のディスプレイと、キーボードを出力した。スクリーンにはオデッセイOSの現状を表示させ、手動操作でもって、稼働状態プログラムを停止させようとする。

 

「ッ!」

 

 キーボードを叩く寸前、縦揺れが、鬼頭の体を襲った。

 

 直後に襲ってくる、落下の感覚。

 

 みるみる減少していく、高度計の数字。

 

 見れば、PICが稼働をやめてしまっている。勿論、頭部の痛みによる事態だ。猛烈な痛みは、ISを動かす上で最も重要な機能に向ける意識さえかき乱していた。

 

 ――不味いっ!

 

 浮遊力を失った機体は、このままでは墜落してしまう。

 

 体勢を立て直そうにも、そのための集中が、出来ない。

 

 万事休すか。

 

 落下の衝撃を覚悟したそのとき、

 

「コールド・ブラッド!」

 

 耳膜を揺さぶる声に反応して振り向くと、視界に、アリーナから退場したはずの、フォルテの姿が映じた。

 

 前へと突き出された右腕から、白銀に輝くエネルギー弾を射出する。

 

 ラグビーボールほどもあろう大振りの光弾は、こちらに向かって、真っ直ぐ飛んできた。

 

 相手の意図を察した鬼頭は、奥歯を噛みしめ、そちらに向けて懸命に手を伸ばした。

 

 手動操作でもってシールド・バリアーをカットし、エネルギー砲弾を、進んで受け止めにいく。

 

 白い光弾は鬼頭の右腕に炸裂し、霧散し、白い“もや”へと姿を変えて、『打鉄』の総身を包み込んだ。

 

 機体の表面を監視している温度計の数字が、減少を開始する。

 

 同時に、高度計の変化が、僅かに、緩やかなものとなった。落下速度の減速。フォルテのISに搭載された、第三世代特殊兵装の攻撃が『打鉄』のPICに作用した結果だ。

 

 『コールド・ブラッド』には、分子の運動を沈静化し、最終的に物体の運動を停止させてしまう、凍結能力と呼ばれる特殊兵装が搭載されている。レーザー核融合発電技術の研究中に、副産物的に発見された技術を兵器転用したものだそうで、研究途上の現時点でさえ、最大出力で使用すれば、時速六〇キロメートルで爆走するレオパルド2戦車を十秒足らずで完全停止までもっていけるという。

 

 フォルテが『打鉄』に向けて発射した凍結弾は、そんな最大出力にはほど遠い、咄嗟の一撃であった。

 

 おそらくは鬼頭の身に襲いかかった緊急事態を見て、慌ててピット・ゲートから飛び出したのだろう。集中もそこそこに放たれた一発には、鬼頭自身が直撃を受け入れたとはいえ、ISほどの高速運動体の落下を即座に停止させうるほどの威力はなかった。せいぜいが若干の遅速。しかし、鬼頭はそれで十分だと考えていた。

 

 フォルテが凍結弾を発射したのとほぼ同時に、ともに視界に映じるダリル・ケイシーが、イグニッション・ブーストを使用するのが見えたためだ。

 

 バック・ブラストの赤い尾を引きずりながら、『ヘル・ハウンド』は遅速の僅かな隙を衝いて鬼頭に急接近。背後に回り込むと、脇の下に腕を通し、身動きとれぬその背中をしかと抱き支えた。高度計の数値の変動が、ぴたり、と止まる。

 

「ったく、何やってんだよ」

 

「……お手数をおかけしまして」

 

 耳元で囁かれた、憤り混じりの呆れ声に、鬼頭は乾いた声で応じた。

 

「お二人は、どうして……?」

 

「ピットルームであんたのことをモニターしていたら、様子が変だったからな。念のため、もう少しこの場にいようか、って相談してたら、これだ」

 

「なる、ほど」

 

「……例の、新機能の不調か?」

 

「おそらくは」

 

「じゃあ、そんな体に悪そうなモン、さっさと切っちまえよ」

 

「そうさせてもらいます」

 

 ダリルの腕に抱かれながら、鬼頭は空間投影式のキーボードを操作した。

 

 オロチ・システムの動作を管制するプログラム・コードをモニターに表示させ、緊急停止用のコードを入力していく。その間にも、耳の奥ではみなの胸の内が容赦なく響き、彼の集中を阻害した。必然、キーボードを操作する指運びは、遅々としたものになってしまう。

 

 それでも、鬼頭は気力を振り絞り、キーを叩いた。

 

 そうしてついに、最後の一押しをするところまで辿り着く。

 

 ――ようやく……。

 

 この苦痛から、解放される。

 

 額を脂汗で光らせながら、しかし安堵に唇を綻ばせる鬼頭は、キーボードに触れ――、

 

【……父さん】

 

「……なに?」

 

 聞き覚えのある声が脳幹を揺さぶり、弾け、オロチ・システムの機能停止とともに、消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インフィニット・ストラトス二次創作

 

「この小さな世界で愛を語ろう」

 

Chapter30「聲」 了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴールデンウィーク最終日の午前八時半。

 

 「パワードスーツ開発室のみんなで日帰り旅行に行きませんか?」という、桜坂室長からの誘いに応じた滑川雄太郎が、集合場所として指定されたアローズ製作所本社ビルに足を運んでみると、従業員用駐車場に、一台のマイクロバスがアイドリング・ストップ状態で待機していた。トヨタの四代目コースターだ。上下にブラックアウトしたフロント・ウィンドーの向こうで、大型の免許も持っている、桐野美久がハンドルを握っている。車体側面に並ぶ窓は、観光バスのように広々としており、座席にはすでに、見慣れた顔ぶれが腰かけていた。どうやら、自分が最後の一人らしい。

 

「おはようございます、滑川さん」

 

 バスのステップを降りて出迎えてくれたのは、仁王の顔つきの桜坂だった。プライベートな日とあってか、分厚い胸板を黒いポロシャツで覆った、ラフな装いだ。彼は滑川のもとに歩み寄ると、彫り深い強面に柔和な笑みを浮かべてみせた。

 

「待っていましたよ」

 

「おはようございます、室長。今日は、このバスで?」

 

「ええ」

 

「バスにもレンタカーがあるとは知りませんでした」

 

 滑川はナンバープレートに、ちら、と目線をやった。いわゆる“わ”ナンバーだ。

 

「借りられるのはバス本体だけですけどね」

 

「というと?」

 

「美人の添乗員さんはいない」

 

「それは残念だ。……今日は、どちらへ連れて行ってくれるのです?」

 

 滑川は目線を左右に散らして人の姿がないことを確認した上で、なお念のため声を潜めて訊ねた。

 

 今回の小旅行は、自分の持つ超常の力の正体について、開発室のみんなには真実を伝えておきたい、と桜坂自身が企画したものだ。アローズ製作所を監視する内閣情報調査室の耳目を嫌った彼は、旅行という体でみなを連れ出し、おそらくはされるだろう追跡をかわした末、余人を交えぬ静かな環境で、胸襟開いてじっくり語る、という計画を立てた。そのため、行き先については直前まで誰にも明かしていなかった。

 

 

 無事当日を迎えたことだし、そろそろ教えてくれてもよいのでは? 目線で問う滑川に、桜坂も囁き声で応じた。

 

「千葉県の、九十九里浜です」

 

「九十九里、ですか?」

 

 千葉県東部の刑部岬から太東崎までに及ぶ、日本最大級の砂浜海岸だ。全域を千葉県立九十九里自然公園に指定されており、日本の白砂青松百選、日本の渚百選に選定されているが、それ以上に、滑川には自然と連想する事柄がある。

 

「たしか、室長の生まれ故郷の……」

 

「ええ。一応は、そういうことになっています」

 

「なっている?」

 

「ま、そのあたりの事情も含めて、現地に到着したらお伝えしますよ」

 

「はあ……しかし、行き先が千葉となると、バスではちと厳しいのでは?」

 

 名古屋から千葉までは四〇〇キロメートル以上もの距離の隔たりがある。東名高速をスムーズに進めたとしても、五~六時間はかかるだろう。日帰りバス旅行の行き先として、適当な場所とは思えない。ましてや、内調の追跡をかわしつつ、となれば、半日かけても辿り着けるかどうか……懸念する滑川に、桜坂は完爾と微笑んだ。

 

「ま、そのあたりのことは任せてください。ちゃんと考えていますから」

 

「はあ」

 

「ささ、バスの中へ。皆さん待っていますよ」

 

 桜坂は滑川の背中を軽く叩いた。室長に促されるままステップを上り、運転席に座る美久と挨拶を交わす。その段になって、あれ? と、気がついた。自分に続く足音が聞こえない。後ろを振り返ると、ちょうど桜坂がスライド式のドアを閉じようとしているところだった。

 

「室長?」

 

「滑川さん、いいんです。桐野さん、私がドアを閉じたら、ロックをお願いします」

 

 桜坂は運転席の美久を見上げて言った。彼女が首肯したのを見て、車体のわりに意外に小ぶりなドアを、えいやっ、と引きずり閉める。それから、彼はバスの乗降口に背を向けて、おもむろに歩き始めた。その後ろ姿を目線で追いかけると、マイクロバスが停車している区画から十メートルほど離れた場所に停まっている、銀色のアリオンを目指しているのが分かった。滑川が駐車場にやって来たときから停まっていた車輌だ。肩を怒らせながらの歩き姿から、ああ、そういうことか、と得心する。

 

 

 

 滑川が察した通り、アリオンには内閣情報調査室の職員たちが乗っていた。運転席でステアリングを握り締め、マイクロバスに鋭い目線を向けるのは、過日、鬼頭の墓参りを助けた高品だ。他方、助手席で暢気に新聞紙を広げてみせるのは、パワードスーツ開発室の面々もお馴染みの城山悟。彼らは朝早くからレンタカー屋で中型バスを借りた桜坂の行動を不審に思い、ずっとその背中を追いかけていた。尾行の手法は大胆不敵なもので、超人たる桜坂に気取られることなく追跡するのは難しい、として、わざと姿を見せながら、というもの。ゆえに、バスを離れた桜坂が、踵を返してこちらに向かってきたのを見ても、二人の動揺は薄かった。それどころか、彼らは追跡対象が近づいてくるのを見てこれ幸いと、ヒンジドアをわざわざ開いてみせた。

 

「今日はよい天気ですね」

 

 銀色のドアに手をかけながら雲量一分未満の快晴を仰ぎ、城山悟はにこやかに微笑んで仁王顔の超人と向かい合った。

 

「まさに絶好の行楽日和だ。……皆さんで、どちらにお出かけに?」

 

「それを、あなた方に教える必要がありますか?」

 

「あなた方の警護をする身としては、教えていただけると助かります」

 

「警護、ねえ……」

 

 桜坂は冷笑を浮かべた。

 

「私には、監視のように見えますが?」

 

「解釈はそちらにお任せしますよ。……それで、どちらに?」

 

「お教え出来ません。知りたければ、尾行でも何でも、お好きになさい」

 

 語気荒々しく言い放つや、桜坂はアリオンに背中を向けた。

 

「まあ、我々の後を、ついてこられるならば、ですが」

 

 桜坂は両腕を胸の前へと突き出した。拳を軽く握り、手首の位置で十字にクロスすると、肘を曲げて胸元に引き寄せる。瞑目し、深々と、息を吸った。呼気とともに意識を気海丹田へと深く沈め、腰を中心に、全身へと気力を漲らせる。

 

 ムン! と、念を篭めた。

 

 瞼を閉ざした桜坂とは対照的に、内調の二人の眦が、愕然と、大きく見開かれた。

 

 二人の視線が向かう先で、マイクロバスが、ふわり、と、浮き上がった。

 

 比喩ではない。まるで見えない腕に持ち上げられているかのように、乗客含めて四トンになんなんとするコースターが、地上一メートルの高さまで浮かび上がった。

 

 過日、目の前の男が最強兵器ISを素手でもって破壊したところを間近で見ていた城山も、さすがにこれには驚きのあまり言葉を見失う。その隣で、高品が唇を震わせた。

 

「なっ、あっ、こ、これは、いったい……何が!?」

 

「ううん……サイコキネシス、的な?」

 

 対して、桜坂の口調は平然としたものだ。

 

 瞼を開け、背中を向けたまま、二人に言う。

 

「もう一度言いますね。……追えるもんなら、追ってみな」

 

 超人の足裏が、小さく、地面を蹴った。

 

 六尺豊かな巨躯が、まるで重力など存在しないかのように浮かび上がり、地上四メートルの高さで静止する。

 

 足場のない空中に立ちながら、彼は右手をコースターにかざした。マイクロバスが、ゆっくりと高度を上げていく。地上六メートルの高さまで到達したところで、超人は空を踏み、僅かな密度の地面を蹴り飛ばし、コースターへと近づいた。車体の下に回り込むと、両腕で、全長六メートル超のシャシーを支え持つ。最強兵器を粉砕するパワーを秘めた両腕だ。二の腕の筋肉が、隆、と盛り上がる。

 

「それじゃあな!」

 

 眼下の二人に、露悪的な笑みを叩きつけ、超人は両腕、両足、そして心臓に、力を篭めた。

 

 マイクロバスと、それを支える桜坂は、毎秒三〇〇メートルの速さで垂直に上昇した。地上からの眼差しを遠ざける、四〇〇〇メートルの高さに到達したところで、上昇をやめる。

 

 超人の耳膜を、バス内の絶叫が叩いた。動揺する同僚たちに胸の内で謝罪しつつ、桜坂は空を駆け出した。

 

 

 

「……超人とは、聞いていた」

 

 みるみるうちに小さくなっていくマイクロバスのシルエットを仰ぎながら、内閣情報調査室の高品は茫然と呟いた。

 

「最強兵器を、素手で破壊するような怪物だと……だが、それでも、人間という生物の延長線上に位置する存在だと思っていた。ISを砕くほどのパワーを持っている。しかし、レーザービームのような攻撃は出来ない。地上を音速の速さで駆け抜けることが出来る。しかし、空は飛べない。出力が段違いなだけで、腕を伸ばしたり、足を曲げたり、身体の機能そのものは、人間と変わらない。そう、思っていた!」

 

 しかし、実際には違っていた。

 

 念の力でもって四トンもの質量物を宙に浮かせ、自らも空中を自在に歩いてみせた。人間という生物から、明らかに逸脱した身体機能の数々を、彼は有していた。

 

「超“人”なんかじゃない。あれは、人間じゃない。……何なんだ、あれは!?」

 

「……神様だよ」

 

 震える声に、城山は淡々とした口調で応じた。

 

 もはや黒点としか見えぬマイクロバスを見上げる同僚の横顔を、高品は怯えた眼差しで見つめた。

 

「だから言ったろ? あの方は、神様だ。このくそったれな世界を救うためにやって来た、神様なんだよ」

 

 熱を孕んだ呟き。

 

 天を仰ぐ眼差しに何か危険なものを感じて、高品は、思わず胴震いした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





ダリルとフォルテ、フライング登場。

この二人については、原作の描写の仕方に色々思うところがあり、かなり独自色を強めにしております。

ご不快に思われた方がおりましたら、申し訳ありません。
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