この小さな世界で愛を語ろう   作:3号機

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(第二巻の内容が)はい、よーいスタート(棒読み)






Chapter31「衝撃の発言」

 午前六時二五分。

 

 IS学園、第三アリーナ。

 

 ダリルの腕の中でオロチ・システムを解除した鬼頭智之は、背中を抱く彼女に振り返ると、申し訳なさそうに呟いた。

 

「すみません。このまま、ピットルームまで運んでいただけませんか?」

 

「自力飛行は難しそうか?」

 

「すみません。まだ少し、頭が痛むもので、PICを動かすだけの集中が……」

 

「ん。分かったよ」

 

 ダリルは鬼頭を抱えた状態のまま、彼の指示したピットルームへと向かっていった。当然、相方のフォルテもその後ろ姿を追いかける。

 

 ピットルームに戻った鬼頭は、ダリルの腕をやんわりと振りほどくと、その身を鎧う『打鉄』の装着を解除した。操縦者の保護機能が失われ、ただでさえ疲弊している心身に、これまで感じられずにすんでいた疲れが、一気に押し寄せる。鬼頭は、ふらふら、とした足取りで、いちばん近い位置に鎮座するベンチ椅子に歩み寄った。背もたれのないロビーチェアーで、座面にはウレタン製の薄いマットが敷かれている。鬼頭はそのど真ん中に腰を下ろした。ゆっくりと息を吐き出し、同時に、四肢を脱力させる。

 

 ガタ……ガタガタンッ、と機械の振動音が聞こえた。目線をやると、ISを解除したフォルテが部屋に備え付けの自販機を操作している。排出口から緑茶のペットボトルを取り出した彼女は、鬼頭のもとへ小走りに駆け寄り、「ゆっくり飲んでくださいっス」と、それを差し出した。ありがたく頂戴し、キャップを開けて唇を濡らす。こく、と一口、喉を鳴らしてから、また深々と吐息した。その様子を見て、同じくISを解除したダリルが口を開く。

 

「それで? いったい、何があったんだよ?」

 

「先ほどお二人にも聞かせた新機能……《オロチ・システム》の暴走です」

 

 お茶の入ったペットボトルを額に当てながら、鬼頭は悄然とした口調で応じた。自身、先のアクシデントはどういう事象だったのか整理するべく、ゆっくりと続ける。

 

「最初の異常は、《オロチ・システム》を起動するために、《オデッセイ》のリミッターを解除したときです。機体が突然発光し出し、機体色が変化する、という事態が発生しました」

 

「ああ、それはオレたちも見ていたよ」

 

 ダリルは、粛、と頷いた。

 

「ああは言ったけど、やっぱり、あんたのことが気になったからな。ピットルームで、ずっとモニターしていた」

 

「あの変色は、予期せぬ動作だったんスね。あれは何だったっスか?」

 

「詳しくは後で機体を精査しなければ分かりませんが、どうやら変色に伴って、全身を駆け巡るBTエネルギーの量的配分の調整が、自動的になされたようです」

 

 『打鉄』の全身に、血管のように増設されたBTエネルギー用の特殊バイパス。ストライプの色が紫色のときは、全身を均等な量、均等な出力で流れていたのが、変色した後は、ロボットアームの下腕部分や手首などの関節部、ロケット・モーターの制御用チップ周辺など、特定部位に偏るようになってしまった。その結果、イメージ・インターフェースからの命令に対する応答性に変化が生じ、機体そのものの運動特性まで変質してしまった。

 

「機体のストライプ色がすみれ色……バイオレット・カラーのときは、どちらかといえば運動性重視のセッティングでした。それが赤色になったときは、膂力や、直線的な機動力など、パワー重視に調整されるようです」

 

「パワータイプの赤と、スピードタイプの紫ってわけか」

 

「なんか、そんな感じで変身するジャパニーズ・ヒーローがいませんでしたっけ?」

 

「さあ? 私は寡聞にして聞きませんが……」

 

 口ずさんでから、しまった、と顔をしかめた。この言い回しでは、二人には通じまい。顔を上げると案の定、異国からの留学生たちは自分の言に対し目をぱちくりさせている。

 

 疲れのせいだろう、彼女たちへのそういった配慮が出来なくなっている。いかんいかん、と小さくかぶりを振り、鬼頭は続けた。

 

「次に異常が生じたのは、《オロチ・システム》の照準用BTビームを発射したときです。私は地上に向けて、掌から一発だけ発射するつもりだったのですが、いざビームを発射してみると、全身の其処彼処から方々に向けて、百発近いビームが、私の意思とは無関係に発射されてしまったのです」

 

「暴発した、ってことか? ……それで?」

 

「光速の二十パーセントの速度です。慌てて発射中止の命令を送りましたが間に合わず、五発がこのアリーナ周辺にいた人々に命中。BTビームは見えない光の粒子となって皆さんの周りで滞留し始め、即座に、私に向けて思考波の送信を開始しました」

 

「さっき言っていた、“意識”領域の声っスね?」

 

「それだけではありません」

 

 鬼頭は苦々しく唇を歪めた。

 

「先ほどの“あれ”は、明らかに、それよりも深い領域からの声をも拾っていました。BTビームが命中したのは五人なのに、その倍近い数の声が、同時に聞こえてきたのです」

 

「つまり、“意識”領域だけじゃなく、“無意識”領域の思考をも読み取った、ってことっスか?」

 

「おそらくは」

 

 鬼頭が首肯すると、代表候補生の少女達は揃って顔をしかめた。意識領域からの声が五人分と、無意識領域からの声が五人分。合計十もの思考波が、たった一人の脳の内側で、それも当人らは思考が筒抜けになっているとは知らぬがゆえの無遠慮さでもって、暴れ回ったということか。たいへんな苦痛を伴う時間だったに違いない。よくぞ正気でいられたものだ、と鬼頭を見る視線に驚きの色が浮かぶ。

 

「十人分の“声”に脳を打ちのめされた私は、ISの操縦で最も重要な、集中力を欠いてしまいました。《オロチ・システム》の停止どころか、ISをその場に浮かすことさえ出来なくなってしまった」

 

「なるほどな」

 

 ダリルは両の腕を胸の前で組みながら呟いた。圧迫により変形し、押し上げられた乳房が圧倒的な存在感を主張している。

 

「オレたちが異常に気づいたのは、ちょうどそのタイミングだったわけだ」

 

「お二人には感謝しています」

 

「暴走の原因は、分かっているっスか?」

 

「いえ」

 

 小さくかぶりを振った後、鬼頭は右手中指に嵌めた黄金の指輪に目線をやった。二人にも見てもらいやすいよう、空間投影式のディスプレイを六十インチの大画面サイズで出力する。併せて召喚したキーボードを叩き、鬼頭は宙に浮かぶスクリーンに、《オロチ・システム》の動作を制御するプログラムのソースコードと、実際の動作履歴のデータを並列表示した。代表候補生の少女達が、開陳されたデータを興味深そうに見つめる。

 

「勿論、詳しい分析は後で行いますが。……ログを見た限りでは、《オロチ・システム》は仕様通り、正常に動作したことになっているのです」

 

「……みたいっスね。ログ上では、BTビームもちゃんと一発だけ撃っていることになっているっス」

 

「それなのに、機体はこちらの命令を無視して、仕様にない挙動をとった。いったい、何が起こったのか……」

 

「……なぁ」

 

 空間投影式ディスプレイを険しい面差しでねめつけながら、ダリルが言った。

 

「仮説というよりは、思いつき程度の考えなんだけどさ」

 

「何でしょう?」

 

「《オロチ・システム》を起動させていたこのとき、ISコアの方はどんな動作をしていたか、ログを出してもらえるか?」

 

 《オロチ・システム》のプログラムは正常に動作していた。それなのに、機体の実際の挙動は、暴走と評さざるをえない動きだった。とすれば、暴走の原因は《オロチ・システム》の内部ではなく、外部にあると考えるのが妥当だろう。そうして考えたとき、一つの可能性に思い至ったダリルは、ISというパワードスーツの中核となる部分のデータを見せるよう鬼頭に要請した。

 

「なるほど、たしかにその可能性はあるっスね!」

 

 ダリルの意図を察したフォルテが、得心した様子で両手を叩いた。

 

 鬼頭は怪訝な表情を浮かべながら、言われるままディスプレイにISコアの動作履歴を表示し、直後、ああっ、と、驚きの声をあげた。ISコアからBT・OS《オデッセイ》、そして《オロチ・システム》に対して、実際の機体挙動に影響するほどの介入があった履歴が見られたためだ。ああやっぱり、とダリルは小さな溜め息をつく。

 

「ISコアが《オロチ・システム》のプログラムにちょっかいをかけたせいで、暴走が起こった。これが真相だね」

 

「どうして、ISコアがそんなことを?」

 

「あんたも知っているだろうが、ISコアには、オレたち人間でいう意識とか、心のような存在が宿っている。その心の部分が、かえって仇になった、ってことだろう」

 

「というと?」

 

「……ええと、日本語では、何て言や、いいんだったっけな?」

 

「英語でも構いません」

 

「none of your business.」

 

「ああ、そういう……」

 

 日本語でいう、余計なお世話。当人は相手のためを思って行った言動が、かえって足を引っ張るなど迷惑をかけている状態。今回の暴走事故も、『打鉄』に組み込まれているISコアが、操縦者のためを思っての結果だったか。しかし、そうだとすると、また別の疑問が生じる。

 

「しかし、なぜそんな心理状態に?」

 

「……こっから先は、オレの想像なんだけどさ」

 

「はい」

 

「あんたの『打鉄』は、機体の制御OSをBT・OSに切り替えると、途端に動きが良くなるよな?」

 

 より正確にいえば、BTエネルギーの制御リミッターを解除したら、だ。流動性エネルギーBTは人間の思考波に敏感だ。それを血管のように全身に張り巡らせた特殊バイパスに通すことで、機体の反応速度や、感度を高めている。ああしたい、こうしたい、という鬼頭の思考波を、BTエネルギーがまず感じ取って反応、イメージ・インターフェースの操縦索を刺激し、普段の彼では難しい反応速度や、パワーの出力を実現している。

 

 しかし、そういう原理を知らない者の目には、鬼頭のIS適性や操縦技術が、突然、ベテラン操縦者並みに急成長したように見えてしまう、とダリルは言った。

 

「つまり、誤解さ。ISコアは、あんたのIS適性や操縦技術を誤解してしまったんだ。だから、余計なお節介、ってやつを焼いた。自分の操縦者はすごいやつだ。そう思い込んでいるISコアの前で、初めてのテストだから、って、あんたはあえて控えめな動作をしようとした。BTビームを一発だけ、ってな。ISコアには、それが不満だった。自分の操縦者すごいやつなんだから、もっとたくさんのビームを同時に発射しても制御出来るはずだ。“無意識”領域からの声を増やしても、処理出来るはずだ。それにその方が、有効なデータをたくさん採れるはず。その方が、あんたのためになるはず! ……そう考えたISコアは、《オロチ・システム》の動作に介入した。

 

 けど、あんたが急成長した、っていうのは、あくまで誤解だ。BT・OSのおかげでそう見える、ってだけで、あんたのIS適性や、操縦技術は、そのままだ。だから、ISコアの介入によって暴走状態に陥った《オロチ・システム》を、あんたはコントロール出来なかった。突然の事態にあんたは動揺し、平常心を失ったところに想定以上の“声”に脳を叩かれ、集中を乱すことになった。……っていうのが、オレの考えだ」

 

「なる、ほど……」

 

 鬼頭は深々と溜め息をついた。

 

「それが事実だとすれば、まさしく、余計なお世話ですね」

 

「勿論、いま言ったのはあくまでオレの想像さ。実際にどうだったかは、後で詳細な分析をしなきゃ分からないけどな」

 

「……いまは、そうだ、という仮定の下、これからどうするかを考えるべきでしょう」

 

 操縦者のためを思って暴走状態を引き起こすようなISコア。こんな代物と、これからどう付き合っていけばよいのか。テストの度にこんなことを繰り返されては、まともなデータを採れないが。

 

「ISコアにも個性がある。その個性が、操縦者との相性を生む。あるISコアとは好相性の操縦者が、別のコアが搭載された機体に乗るようになってからは成績を落とす、っていうのは、よくある話さ」

 

「その『打鉄』に組み込まれているISコアは、相当な不注意者だと思うっス。BT・OSがどういうものなのか、誰よりも近くで見て知っているはずなのに、ミスタ・キトー本来の実力を誤解するとか、普通ならありえないっスよ」

 

「あんたみたいな細かい性格のやつとは、相性は悪いだろうなあ」

 

「……ISコアの動作に、リミッターをかける、というのはどうでしょう?」

 

 おとがいを撫でながら呟かれた案に、代表候補生の少女達は残念そうにかぶりを振ってみせた。

 

「いや、そりゃあ、無理だよ。ISコアは、完全なブラックボックスだ」

 

「そうっス。開発者である篠ノ之束博士以外には、いじることは不可能っス」

 

「このときどういう動作をしていたのか、っていうデータを後から調べることは出来ても、こういう動作をしてほしいからプログラムを追加する、っていうのは無理だ」

 

「白騎士事件以来、世界中の天才と呼ばれる科学者たちがそれに挑んで、ことごとく失敗しているっス。勿論、どうにか出来ないか、研究自体は続けているみたいっスけど……」

 

「ふうむ……」

 

 空間投影式のキーボードを叩き、ISコアの内部データにアクセスを試みる。すかさずディスプレイに映じた、エラーの文字列。アプローチ自体を拒まれてしまった。

 

 調べてみると、ブラックボックスを維持するために、それぞれ性格の異なるプロテクトが一万種類以上も張り巡らされていた。その中には、強引なアクセスに対する自律破壊プログラムも含まれている。これでは、迂闊に手を出せない。ISコアの中枢部分にタッチするためには、プロテクトを一つ一つ解除していくしかないが、いずれのプログラムもパスワードの類いが設定されておらず、プログラミングの内容を一から理解した上で、解除用のコードを再設定していくしかない、という難易度の高さだ。おまけに、使用されているプログラミング言語は、篠ノ之博士の独創と思しきまったく未知のものときている。これを突破するには、最新のスーパーコンピュータを数百台並べた上で、百年単位の時間が必要な事業となることを覚悟せねばならないだろう。

 

「篠ノ之博士自身は、どうやってコアにアクセスしているのでしょう?」

 

「なんでも、プロテクトを一斉に解除することの出来る、専用プログラムを持っているらしいぜ? こっちについても、これまでに色々な機関がその複製・再現を試みているが、上手くいっていない」

 

「なるほど。ISコアにリミッターを設定するためには、プロテクトを一枚々々剥がしていくか、その解除用プログラムを作るかの二択しかないわけだ」

 

 どちらも明るい未来につながる可能性を見出しづらい選択肢だ。

 

 試しに、目についたプロテクトの一つにアクセスし、どんな構築なのか、慎重に情報を暴いてみる。ディスプレイに次々と映じる、見知らぬ形をした文字の並び。その使われ方。眺めていて惚れ惚れとしてしまう、見事なア・プリオリ言語だ。こいつを解読するのは、一筋縄では――、

 

「……うん?」

 

 切れ長の双眸が、かすかに動揺した。

 

 この文字の形、どこかで、見た覚えがあるような……?

 

 ――分かりにくいが、鏡文字になっている、な。ええと、左右を反転して直すと、この形は……この、並び、は……、い、いや、まさか、なぁ……。

 

 偶然の一致か? いや、一文字二文字の形がたまたま似ているという程度ならともかく、すべての文字の形状、その使い方が一緒というのは、偶然とは考えづらい。彼女は、その言語のことを知っていた。そう考える方が、自然だ。

 

 背骨を、冷たいものが貫いた。

 

 顔から血の気が引き、どんどん冷たくなっていく一方で、背中が、かっ、かっ、と熱を帯び始める。応じて、一斉に開く汗腺。冷たい汗が、鬼頭の心胆を寒からしめる。異様な緊張状態。呼吸すらもが、しんどく思えてしまう。

 

 ――……そんなことは、ありえない。篠ノ之博士が、あの言語を知っているはずがない! 知っているわけが、ない、が……。

 

 自然と思い出される、青春時代の記憶。アメリカ留学時代に、桜坂と二人、研究室でうんうん頭を呻かせた日々。そのときに話題に出た、とある言語。そこから生じた、文字体系。

 

 篠ノ之束の作った人工言語は、それによく似ている。

 

 いや、似ているなんてものじゃない。

 

 完全なる相似形。それ、そのもの。

 

 それが、ISコアの中枢部を守るプロテクト・プログラムの言語に、使われている。

 

 ダリルたち曰く、プログラミング言語の解読には、世界中の言語学者、数学者たちが挑戦を試みては失敗を重ねているという。自分の視界に映じているこの文字が、本当に、あの言語系から生み出されたものだとすれば、なるほど、それも仕方のないことだといえよう。

 

 言語とは、自己の内側で生じた感覚や気持ち、考えを、外側に出力するためのツールだ。先に思考があり、次いで、言語が生まれる。すなわち言語を理解するためには、それを生み出した個人あるいは社会が、その言葉にどんな気持ち、考えを託したのか、知る必要がある。

 

 しかし、今回のこれに限っては、それは困難なことだ。この言語を生み出した彼らは、自分たち地球人とは発想が違う。文化が違う。歴史が違う。そんな彼らが生み出した言語を、彼らとの接触なしに解読するのは、まず不可能だ。

 

 ――……問題は、二つだ。一つは、篠ノ之博士はなぜこの言語を知っているのか、ということ。

 

 自分の知る限り、この地球上で、この言語の存在を知り、また使いこなせる人間は、自分も含めて二人しかいないはず。彼女はいかなる経緯で、この言語を知るにいたったのか。彼女はいったい、何者なのか。

 

 そして、いま一つの問題は、

 

「……時間さえかければ、いけそうだな」

 

「はぁッ!?」

 

「うぇえっ!」

 

 自分ならば、プロテクト・プログラムの内容を理解し、解除出来てしまいそうなこと。勿論、相応の時間は必要だろうが。

 

 さらりととんでもないことを呟いた鬼頭に、ダリルたちは驚きから目を剥いた。かすかに喉を震わせながら問いかける。

 

「い、いや、いけそうだな、ってアンタ……え? マジで?」

 

「いやあ、多分。……ええ、はい」

 

「おおう、天才っていう評判は、ホントだったんっスね」

 

 このことがために、またぞろ厄介事が舞い込んでこなければよいのだが。驚く少女たちの目線を頬に感じながら、鬼頭は苦々しく溜め息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インフィニット・ストラトス二次創作

 

「この小さな世界で愛を語ろう」

 

Chapter31「衝撃の発言」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同日、午前七時半。

 

 IS学園一年生寮の食堂は、朝からかしましい喧噪で満たされていた。

 

 数人からのグループが、あちらこちらでテーブルを占拠し、美味しい料理に舌鼓を打ったり、やいのやいのとはしゃいでいる。

 

 そうした様子を羨ましげに一瞥し、俺もあっちに混ざりたいなあ、と叶わぬ願いを口の中で呟いた後、織斑一夏は正面に座る幼馴染みの仏頂面を改めて見据えた。

 

 中国から再び日本を訪れた代表候補生の少女は、甘いだし巻き卵を咀嚼した後、これみよがしに重苦しい溜め息をついてみせる。一夏は呆れを孕んだ口調で言う。

 

「……それで? 昨日は上手くいったのか?」

 

「……この顔を見れば分かるでしょ?」

 

「相変わらず、か」

 

「相変わらず、よ」

 

 クラス対抗戦が終わってからというもの、過日の暴言について鬼頭親子に詫びたいと思っている鈴だったが、あれから三週間近くが経過したいまもなお、その願いを叶えられずにいた。いちばんの原因は鬼頭たちが彼女のことを避けているためだが、一夏の見たところ、幼馴染みの側にも問題があるのは明らかだ。

 

 遡ることゴールデンウィークの初日、学校にあっては鬼頭親子を一向に捕まえられない現状に焦れた鈴は、夕方の遅い時間に学生寮の私室へと足を運んだ。寮の部屋であれば逃げられまい、と企図しての行動だったが、その日は親子それぞれ部屋を空ける用事があり、運悪く空振りに終わってしまった。この結果自体は、同情心を誘うものだと一夏も思う。しかし、彼女は訪問時にミスを犯した。鈴は部屋の前で親子の帰りを待っていたが、一向に帰宅の気配を見せない二人への苛立ちから、思わず部屋の扉を蹴ってしまったのだ。しかもその瞬間を、よりにもよって寮長の千冬に見られてしまった。その時点で消灯時間間際だったこともあり、彼女は鬼よりも恐ろしいお姉様にこってり絞られた挙げ句、寮内での鬼頭親子への接触禁止をひそかに厳命されてしまったのである。

 

 千冬曰く、鈴の一連の行動は、事情を知らない者の目に、世界にたった二人きりの男性操縦者を害そうとする危険人物という印象を与えかねないという。

 

「私やお前は、凰鈴音という人物をよく知っているから、あれの行動原理にそんな意図はない、と断言出来る。しかし、あいつのことをよく知らない、他の教員や、生徒たちは違う」

 

 彼女たちはみな、鈴との付き合いが短い。凰鈴音という人物の為人をよく知らぬがゆえに、自身の視界に映じた姿をそのまま受け入れ、その印象のまま行動の是非を評価する。

 

 例えば、鬼頭親子が暮らす部屋の扉に蹴りを入れている様子を目撃されていたとしよう。きっと、彼女が内に抱え持つ葛藤や謝罪の気持ちには気づかないまま、もっと単純に、部屋の居住者たちに対し害意を抱いている、と判断するに違いない。

 

 加えて、いまの鈴は国家の代表候補生という立場にある。言動の裏側に、中国共産党の企みの気配を見出してしまう者は少なくないだろう。仮に、鈴の軽率な行動が原因で、中国政府は男性操縦者を害するつもりだ、などという噂が立とうものならば、祖国での彼女の立場が危うくなるのは容易に想像できた。

 

「鬼頭さんたちのことだけじゃない。なにより、鈴のことを守るための措置だ。理解しろ、一夏」

 

 過日、自分一人を寮長室にこっそり呼びつけた千冬は、鈴への処分に篭められた意図をそう説明した。さらに重ねて、彼女は学校で会う場合も、一夏なり箒なり、第三者の立ち会いのもとでするよう注文をつけた。その際には鈴のやつに協力してやれ、とも。

 

 それに対し、一応は頷いてみせた一夏だったが、その内心は、不味いことになった、と頭を抱えていた。これでますます、鈴が鬼頭親子に謝罪する未来が遠のいてしまった。

 

 普段の強気な態度からも明らかなように、凰鈴音という少女は自己肯定感の強い人間ではある。しかし、他人の目や意見をまったく気にしない、というわけではない。過去のいじめ体験のせいだろう、特に、衆目に晒されて恥をかいたり、他人に弱みを見られる、というような状況を極端に嫌う傾向がある。

 

 学校のような公共の場では、限られた人間だけの空間というのは作りにくい。かといって、事情をよく知らない余人の前では、彼女の性格が謝罪行為の邪魔をしてしまう。

 

 ――ヤバいな。とても面倒くさい状況だぞ、これ。

 

 余人の存在をなるべく排した上で、鈴のことを避ける鬼頭親子をなんとか捕まえて、謝罪の場を設ける。千冬から、さらり、と告げられた要求は、一夏の目に異常に高いハードルと映じた。

 

「昨日はどんなふうにやったんだ?」

 

「いつも通り、放課後に話しかけたわ。いま、時間とれないか? ってね。そしたら、今日は工作室に用があるから、って、断られた。その後は例によって引きこもり」

 

 専用機持ちかつ代表候補生という鈴の特別な立場は、重い責任と引き換えに、学園内における様々な特権が保障されている。アリーナの優先的使用権や、整備室の自由な利用などがそれだ。

 

 工作室は、そうした特権が及ばない一種の聖域だといえる。整備室が取り揃えている機材と比べて、より細分化された、専門性の高い機器が多数置かれており、必然、その取り扱いには高度な知識と、細心の注意力が必要とされる。保有する設備はいずれも高額であり、不心得者の入室を許して壊されでもしたら大損害。代表候補生であっても、専門知識の有無について確認がとれない限りは、入室厳禁とされている。

 

 そして生憎、鈴は工作室への入室許可証を持っていない。上手い逃げ場所だな、と一夏は

内心呟いた。

 

「今日の作戦は?」

 

「まずお昼ご飯に誘う。それから、人気のない場所に連れて行く」

 

「昼飯なあ」

 

「今朝、早起きして料理したのよ。酢豚の味を見てほしい、って頼むつもり」

 

「まず、そういう和やかな会話が出来るところまで、もっていくのが大変だと思う」

 

 というより、いちばんの難所だろう、と、一夏は口の中で呟いた。鬼頭智之という人物の性格を考えるに、こちらが誠心誠意を篭めて謝罪すれば、あちらも誠実な対応をしてくれる、と思う。暴言の内容が内容だけに、許しを得ることは出来ないかもしれないが、少なくとも、鈴ばかりが一方的に傷つくような結果とはなるまい。

 

 だがそれも、謝罪の場を首尾よく設けられればこそ。

 

 今事案における最大の難事は、鈴のことを避けようとする鬼頭親子をいかにして説き伏せて、彼女が考える謝罪に適した場所へ連れて行くか、そこにある、と一夏は考えていた。

 

 それだけに、鈴の口から飛び出した返す刀に、彼はいっそう呆れた面差しを彼女の顔に向けることとなった。

 

「そこはほら、アンタが間を上手く取り持ってよ」

 

「いちばん難しいところを人任せかよっ」

 

 セカンド幼馴染みの少女は、お前の役割はもう決定事項だから、と、言わんばかり。有無を言わせぬ強気な態度で微笑んだ。

 

「頼んだわよ」

 

「いや、俺はまだ、うん、とも、嫌だ、とも言って……」

 

「協力してくれる、って、言ったわよね?」

 

 発言を途中で遮られ、一夏は押し黙った。それを言われると、こちらは何も返せなくなってしまう。

 

 一夏は過去の己に向けて憤りを覚えた。大切な幼馴染みのお前のために、出来る限りのことをしてやりたい、だなんて、よくもあんな無責任な発言をしてくれたな! おかげで、いまの俺は大変な苦労をしょい込んでいるんだぞ!?

 

「上手くいったら、アンタにも酢豚あげるからさ。ほら、アンタ前に食べたい、言ってたでしょ」

 

 一夏は苦虫を噛み潰したかのように唇を歪めた。

 

 たいへん魅力的な報酬のはずなのに、ぴくり、とも胸躍らなかった。

 

 

 

 

 第三アリーナのピットルームでダリルらと三人、ああでもない、こうでもない、と頭を悩ませていると、左手首のボーム&メルシェが、いつの間にか午前八時を示していた。

 

 会話に夢中になりすぎて、時間の経過を忘れてしまった。シャワールームで汗を流すことを考えると、そろそろ動かなければ、朝のホームルームに間に合わない。

 

 慌てて自分たちのピットルームに戻っていく二人を見送った後、鬼頭は烏の行水をすませ、制服に着替えて更衣室を出た。教科書で重たい鞄を、ぶらぶら、と揺らしながら、一年一組の教室を目指して肩で風を切る。早足の甲斐あって、予鈴が鳴り始める十分前には到着することが出来た。

 

「あ、鬼頭さん、おはようございます」

 

「鬼とーさん、オハヨー」

 

「はい。皆さん、おはようございます」

 

 入室した鬼頭に最初に話しかけたのは、教室の出入口からいちばん近い位置の席に座る谷本癒子だった。彼女の机を中心に集まっていた布仏本音や、相川清香らもそれに続いて挨拶の言葉を口にする。

 

 なお、本音が口にした鬼とーさんとは、彼女なりの親愛を篭めた鬼頭のニックネームだ。もっとも、使っているのは名付け親の本人だけだが。

 

 彼女たちは癒子の机の上でA4サイズのパンフレットを広げて、何やら談笑していた。パンフレットに目線をやると、長身の少女がISスーツを着てポーズを取り、可愛らしくはにかんでいる写真が見える。どうやら、ISスーツのカタログ本のようだ。そういえば、今日が個人用スーツの申し込み開始日だったな、と思い出す。

 

 IS学園の生徒は全員、入学時に学校指定のISスーツを渡される。これはJASPO規格に則って縫製された、ある程度万人向けに作られたウェアで、身長や体型の違いなどは、Sサイズとか、Mサイズといった基準で対応することを前提としている。しかし、ISは操縦者とISコアがどういう関わり方をするか次第で、百人百通りの仕様へと変化するもの。ISスーツについても、各人に最もフィットしたウェアの着用が望まれる、と、学園はスーツのオーダー・メイドを推奨していた。その注文開始日が、今日なのだ。

 

 教室内を、ぐるり、と見回すと、其処彼処で、同じようにカタログ本を開いてわいわいやっている姿が見受けられた。その中には勿論、鬼頭の愛娘、陽子の姿もある。箒と額を付き合わせながらカタログを覗き込み、こっちが良い、いや性能ではこちらの方が、と言の葉を踊らせていた。

 

 日本政府よりすでにオーダー・メイド・スーツの支給を受けている鬼頭は、少女らの喧噪を微笑ましげに眺めながら自身の席へと向かった。「私たちにも織斑君の隣に座るチャンスを!」と、今月初めに行われた席替えの結果、彼の机と椅子は、教壇に最も接近している、最前列はど真ん中に移動している。机のサイド・フックに鞄を引っかけると、やはり席替えの結果右隣の席となった夜竹さゆかが話しかけてきた。

 

「おはようございます、鬼頭さん」

 

「おはようございます、夜竹さん。……きみも、スーツはオーダーを?」

 

 鬼頭はさゆかの机の上のパンフレットを見て訊ねた。すでに何枚もの付箋が、ぺたぺた、と貼られているところから察するに、候補を絞りきれず悩んでいる様子だ。

 

「はい。でも、なかなか、これだ! って、いうのが決められなくて」

 

「なるほど」

 

「ハヅキ社のリジー・プリヴェとか、可愛くて好みなんですけどね。そういえば、鬼頭さんのISスーツはどちらのメーカーが作ったものなんですか?」

 

 「カタログに載っていないモデルみたいですが」との質問に、鬼頭は、「たしか」と、口を開く。

 

「防衛省の技術研究所が作ってくれた特注品だと聞いています。男性用のISスーツなんて、これまでどこのメーカーも作ってきませんでしたから。日本政府の方で、急遽用意したんだとか」

 

「ツーピース・タイプって、珍しいですよね?」

 

「はじめは、皆さんのスーツと同じで、ワンピース・タイプの物を考えていたそうですが、男女の体つきの違いが問題になりましてね。着心地と、着脱のしやすさを考えて、ツーピース・タイプになったんです」

 

 この学園に来る前に、ワンピース・タイプの試作品を試着させられたことがある。女性用ワンピース・タイプを単にサイズ・アップしただけの酷い代物で、性差に由来する骨盤の位置の違いといった要素がまったく考慮されていなかった。着づらく、脱ぎづらく、おまけに動きづらいという三重苦が鬼頭の身を苛み、その様子を見た防衛省の職員らも、これは駄目だ、と判断。改めて、男性向けツーピース仕様のスーツが開発された、というのが詳しい経緯だ。

 

 ちなみにそのとき、フィッティング作業を横で見ていた陽子の口から、ぽろり、と飛び出した、「父さん、お腹出てきたね?」という呟きにショックを受け、以降シェイプ・アップに励んでいるのは、自分だけの秘密である。

 

「諸君、おはよう」

 

 さやかの持つカタログ本を一緒に覗き込みながら、これはどうでしょう、いやこちらも捨てがたい、などと意見を交わしていると、やがてホームルームの開始五分前を告げる予鈴のブザー音が鳴り響いた。ほどなくして教室の戸が開き、担任の千冬が副担任の真耶を引き連れて入室してくる。途端、ぴりり、と引き締まる、教室内の雰囲気。雑談の声は、ぴたり、とやみ、クラスメイトたちは粛とした所作で各々の席に着いた。

 

 教壇に立ち、教卓の天板に両手をついた千冬は、教室内を、ぐるり、と見回した。一人の欠席者もいないことを確認した後、相変わらずの凜然とした口調で言い放つ。

 

「今日からは本格的な実戦訓練を開始する。訓練機ではあるが、実際にISを使用しての授業になるので各人気を引き締めるように。各人のISスーツが届くまでは学校指定のものを使うので忘れないようにな。忘れた者は代わりに学校指定の水着で訓練を受けてもらう。それもない者は、まあ下着でも構わん――」

 

 言いかけて、口を閉ざした。教卓のすぐ真ん前の席に座る鬼頭と、目が合ってしまったためだ。

 

 IS学園で唯一、生徒であり保護者でもあるという特殊な立場にある男は、千冬が下着姿で実習をやらせることも辞さないと知って、厳めしい顔をしていた。基本的には、忘れ物をした方が悪い、と鬼頭も思う。しかし、だからといって、水着や下着姿で授業を受けさせるというのは、懲罰目的だとしてもどうなのか、と彼は批判的に考えた。公序良俗に反する恰好だというのは勿論だが、そんな裸同然の軽装で、兵器としての顔も持つパワードスーツを扱わせたりして、安全性は大丈夫なのか。いかに各種の防御機構があるといっても、危険すぎやしないだろうか。そしてなにより、そんなあられもない姿を、うちの娘に強いるつもりなのか。

 

「――というのは、さすがに冗談だが。その場合は予備のスーツを貸し出す。ただし、予備スーツには限りがある。忘れた者が多かった場合は早い者勝ちだ。早めに申請するように」

 

 やりにくい。千冬は口の中で呟くと、教室の出入口の側に立つ真耶を見た。

 

「では山田先生、ホームルームを」

 

「は、はいっ」

 

 千冬からの連絡事項は以上で終わりらしい。バトンを渡された真耶は先輩教師に代わって教卓の前に立つと、おっとりとした声音で言った。

 

「ええとですね、今日はなんと転校生を紹介します! しかも二名です!」

 

「え……」

 

「「「えええええっ!?」」」

 

 突然の発表に、教室内は騒然となった。みな一様に、驚きから表情筋を強張らせている。無理からぬことだ。千冬も、真耶も、前日まで転校生の存在を匂わせるような発言や素振りを、一切見せなかった。副担任の言は、噂話が大好きな十代女子の情報網をあっさりかいくぐり、不意打気味に彼女らの心を殴打したのである。

 

 とはいえ、少女たちが動揺に費やした時間はほんの僅かであった。噂話と同じくらい流行りものが大好きな女子高生たちは、転校生という新たなテーマに一転して興味津々。双眸に、ぎらぎら、と好奇心の炎を灯らせた。鬼頭も、

 

 ――IS学園の編入試験は、入試よりも何倍も難しいと聞く。それをまったく同じ時期に二人も受験して、両方ともが突破して転校してくる、なんて事態は考えにくい。十中八九、どちらか片方、あるいは両方とも、ワケありでの転校だろう。では、そのワケとは?

 

と、考えていた。

 

 最も公算が高いのは、自分たち男性操縦者を調査するためだろう。どこかの国か、研究機関が、突然現われたイレギュラーについて調べるため、急遽人材派遣を決定した、という可能性だ。次点としては、鈴音のように、専用機持ちの新入生が機体の調整に時間がかかってしまい、入学の時期がずれこんでしまった、というパターンが考えられるか。いずれにしても、接触に当たっては注意が必要だろう。

 

「静かに」

 

 ざわざわ、と騒がしい生徒達を、千冬が厳かに一喝した。世界最強の女の眼光が教室中をねめ回し、静まりかえったのを認めて、扉の方へと目線を向ける。

 

「よろしい。では、入れ」

 

「お二人とも、どうぞ」

 

 教師二人が声をかけると、圧縮空気の抜ける音をたてながら、スライドドアが開いた。IS学園の制服に身を包んだ二人が、静かに入室する。

 

「……は……?」

 

 教室の後ろの方から、呆けた声が鬼頭の耳膜を叩いた。おそらくは、谷本癒子の声だろう。

 

 無理もない、というのが鬼頭の感想だった。

 

 自分もまた、茫然とせずにはいられない。

 

 なぜなら転校生二人のうち片方が、自分や一夏と同じ、男子生徒用の特注デザインの制服を着ていたからだ。現われた“彼”は教卓の前に立つと、にこやかな笑顔を浮かべ、

 

「シャルル・デュノアです。フランスから来ました。こちらに僕と同じ境遇の方がいると聞いて、本国より転入を勧められ、やって来ました。三人目の、男性IS操縦者になります」

 

と、日本式に一礼した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インフィニット・ストラトス二次創作

 

「この小さな世界で愛を語ろう」

 

Chapter31「衝撃の発言」了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴールデンウィーク最終日の午前十時三五分。

 

 アローズ製作所パワードスーツ開発室一行を乗せた四代目コースターは、桜坂室長の生家があるとされる千葉県九十九里浜を目指して、千葉黄金道路を東に進んでいた。千葉県千葉市中央区と、千葉市の東に隣接する東金市とを結ぶ有料道路で、東金市からはさらに、国道126号線現道を経由して、東金九十九里有料道路へとつながっている。東金九十九里有料道路の終端は山武郡九十九里町真亀。ここまで来れば、九十九里浜は目と鼻の先だ。

 

 マイクロバスは時速八十キロメートルの快速で進んでいた。黄金週間の最終日とあって交通量は多いが、ありがたいことに、渋滞で二進も三進もいかない、という事態には陥っていない。名古屋を発ったのが八時半のことだから、ここまでは順調すぎる道程だと評せよう。

 

 名古屋市名東区のアローズ製作所本社を発った後、念力でもって空を飛ぶ桜坂は、同僚たちを乗せたコースターを背負いながら、まず岐阜県へ向かって北上した。最初のうちは、地上からの目を警戒して地上四〇〇〇メートルという高高度を飛んでいたが、人口密集地を抜けるにつれて徐々に落としていき、最終的には地上一〇〇〇~一五〇〇メートルのあたりをキープした。二〇〇ノットの速力で、北へ、北へと進んでいき、やがて飛騨の山々を眼下におさめた彼は、そこで東へと転進。長野、群馬、埼玉を経て、茨城県板東のあたりに到達した。人目のなさそうな適当な場所を見つけると、コースターを下ろし、以後は自らも乗員となって、千葉県へ南下するよう運転席の美久に指示を出した。この時点で九時四十分。さしもの内閣情報調査室も、この機動力の前では追跡は困難だろう、と予想された。

 

 なおその際、改めてバスに乗り込んだ桜坂は、事前のブリーフなしに突然空の旅へと招待された開発室一同より、かなり責められた。全員、シートベルトは着用していたが、本来ならばマイクロバスで味わうことのない加速Gと、地上よりも酸素の薄い環境に突然放り出されたことで、等しくグロッキー状態に陥っていた。「とりあえず三発殴らせてください」と、滑川雄太郎が力のない声で言ったのをきっかけに、暴力の嵐が吹き荒れた。「まあ待て。まあ待て。話せばわかる。話せばわかるじゃないか」「問答いらぬ。殴れ。殴れ」「三人に勝てるわけないだろ!」「馬鹿野郎お前、俺は勝つぞお前!(超人)」いい歳した大人たちが何をやっているのやら……(呆れ)。

 

 結局、みなが復調するまで十五分間の休憩を挟んだ後、コースターは移動を再開した。桜坂は、ずったぼろの雑巾同然に、いちばん後ろの席で横たわっていた。

 

 とはいえ、そこは最強兵器ISをも生身で破壊しうる身体能力を持った超人。ほどなくして回復すると、運転席の美久のかたわらに立ち、どの道を走るべきかのナビゲートを始めた。やがて千葉市に到達し、現在にいたる。

 

「先ほどは聞き忘れてしまったのですが」

 

 上下にブラックアウトしたフロント・ウィンドーから、追い越し車線側を走るS660の艶っぽい尻を眺める桜坂に、開発室最年長の酒井が話しかけた。

 

「なぜ途中から陸路に? いや、あのまま飛んでいてほしかった、というわけではないのですが」

 

 この際、目の前の人物が飛行能力を持っていたことについては、言及しない。勿論、驚きはしたし、一体どういう原理で飛んでいたのかなど気になることは多々あるが、いまこの場で口にすることでもないだろう、と思う。この男はかつて、名古屋から札幌までをたった一時間で踏破した。それぐらいやれたとしても、おかしくはない。

 

 しかしだからこそ、なぜ最後まで飛ばなかったことの方が気になってしまう。四代目コースターに搭載されているパワートレインは、四・〇リッター、直四直噴ディーゼル・ターボ・エンジン。低回転からしっかりトルクの出る名機だが、さすがに、二〇〇ノットものスピードは出せないし、コースター自体もそんな速度域は耐えられない。あのまま飛び続けていた方がずっと早く、目的地に到着できたと思うのだが。

 

「さっきは、内調の目がありましたから」

 

 この場に鬼頭がいたら大興奮だっただろうなあ、と、軽自動車界のスーパーカーを見送った後、仁王の顔の桜坂は苦笑して振り返った。

 

「実を言うと、苦手なんですよ。空を飛ぶことも、飛ばすことも。さっきはその必要があったのでそうしましたけど、本音を言えば、あまり多用したい能力じゃない。すごい疲れるんですよ、あれ」

 

 仁王の顔の超人は小さく溜め息をついてみせた。

 

「だから、もういいだろうな、って場所まで到達したら後は陸路で、っていうのは、最初から考えていたことだったんです」

 

「なるほど」

 

「いや、本当に、疲れるんですよ。これから飛ぶぞ。進路はこうで、高度はこのぐらい、速度はこれぐらい、って考えないといけないことが多いし、集中力も使う」

 

「……ああ、だから、私のときは、ジャンプだったんですね」

 

 コースターのステアリングを握る美久が、前を見ながら得心した様子で呟いた。

 

 彼女の発言から、自分と彼女が初めて出会ったときのことを言っているな、と連想した桜坂は、頷いてみせる。

 

「うん。あのとき言っただろう? 咄嗟のことだった、って」

 

「つまり、瞬間の判断が求められるような場面では、室長は飛べない?」

 

「そうですね。これから飛ぶぞ! って、気構えを練るための時間が必要です。……これは皆さんだって、そうでしょう? 泳げるからといって、必ずしも、泳ぎが得意だとは限らない」

 

 分かりやすい例えに、酒井は得心した表情で頷いた。と同時に、胸の内で寂寥感を孕んだ風が吹きすさぶのを自覚する。超人たる自分と、普通の人間とを区別した発言に、哀しい気持ちを覚えずにはいられなかった。

 

「室長」

 

 過日の無人IS襲撃事件ではXI-02を纏って戦った土居が口を開いた。コースターが山田ICを通過して間もないタイミングでのことだ。

 

「そろそろ、今日の旅行の目的地を教えてくれませんか? 九十九里とは聞いておりますが、具体的には、九十九里のどこなんです?」

 

「そうですね」

 

 桜坂は超人の感覚野でもってマイクロバスの内外を走査した。このバスは今朝借り受けたばかり車輌だ。内調の手の者たちが、細工を施せる時間はなかったと断言出来る。それでも念のために、と盗聴器の類いがないことを確認した後、彼は口を開いた。

 

「そろそろお教えしてもよいでしょう。ただその前に、前提となる知識を知っておいてほしいのですが」

 

「はい」

 

「土居君は……いや、皆さんは、ブライス・ドウィットという名前をご存知ですか?」

 

 桜坂は運転席の美久も含めた全員の顔を見回した。多くの者が困惑の表情を示す中、唯一、サブカルチャーに明るいトムが、おずおず、と挙手をする。

 

「ブライス・ドウィットですか? 論理物理学者の?」

 

「はい」

 

 桜坂は首肯した。

 

「その人です」

 

「田中君、その、ブライスという人物は誰だい?」

 

 酒井が訊ねると、トムはどう言葉を扱えば相手の理解を得られるか、神妙な面持ちで考えながら口を開いた。

 

「ホイーラー・ドウィット方程式っていう、量子重力理論を考える上での、主要な考え方の一つを考案した人物です。ただ、僕が彼のことを知ったのは、そっちの方じゃなくて、多世界解釈論という考え方の方でなんですが」

 

「それは、どういう?」

 

「世界の時間軸は絶えず分岐している。分岐が生じる度に、この宇宙には、我々が観測出来ないだけで、並行世界が生まれている、という考え方です。僕はネット小説をよく読むんですが、あちらの界隈では、この考え方を採り入れた作品が多数存在するんですよ」

 

「多世界解釈は、よく、樹木に例えられます」

 

 トムの言葉を、桜坂が継いだ。

 

「樹木も枝分かれという形で、たくさんの分岐点がありますから。たとえば我々が暮らしているこの世界を、いくつもの枝分かれの先に存在する、一枚の葉っぱだとしましょう。そのすぐ隣には、同じ枝から枝分かれして生まれた小枝から伸びている、別の葉っぱがあります」

 

 桜坂はそう言って、スラックスの右足の裾をまくり、履いている黒い靴下を見せた。

 

「今日、私は黒い靴下を履いています。これは今朝、箪笥を開けていちばん最初に目についた靴下を手に取ったためですが、仮にここで、分岐が生じたとしましょう。今日は黒い靴下という気分ではないから、白い靴下にしよう。そうやって生まれたのが、先ほど言った、隣の葉っぱと考えてください」

 

「……つまり、こういうことですか? 我々の暮らす葉っぱと、隣の葉っぱとに、ほとんど違いはない。ただ一点、室長の履いている、靴下の色だけが違う、と」

 

「そういうことです。ただこれは、分岐した時間が今朝という、極めて近いところだったから、その程度の違いですんでいるのです。これがもっと以前……枝の根元とか、幹のあたりとか、そもどの場所で種が巻かれたのか、といった、ずっと過去の場所で分岐した場合、世界の姿は、もっと大きく違うものになります」

 

 たとえば、本能寺の変で織田信長が死ななかった場合、現代日本はどんな姿をしているだろうか。たとえば、大東亜戦争で日本が勝った場合、現代世界は、どんな勢力図を描いているだろうか。少なくとも、酒井がよく知るこの世界とは、まるで違う様相を示すことだろう。

 

「……多世界解釈が、どういうものかは分かりました」

 

 一同を代表するように、土居が言った。彼はまた、一同の胸に等しく去来した疑問を、代表して口に出す。

 

「しかし、これが前提知識として必要だというのは、どういう?」

 

「それは――」

 

 口を開いた桜坂は、ちら、とコースターの背後へ目線を向けて、冷笑を浮かべた。

 

 マイクロバスが、東金ジャンクションを通過した直後のことだ。合流車線側から飛び出した青いカムリが、コースターの背後で右へと滑り、追い越し車線側につく。そのまま速度を上げ、コースターの隣に並ぼうとした。

 

「――うん。良いタイミングだ」

 

 桜坂は、「ちょっとだけ待ってください」と、土居の質問を一旦保留し、運転席の美久を見た。

 

「桐野さん、いま、隣につこうとしているカムリですが」

 

「はい、それがどう……っ!?」

 

 サイドミラーに目線をやり、青いカムリの運転席を認めた美久の顔が驚きから硬化した。桜坂は、そんな顔の強張りをあえて無視し、彼女の耳元で淡々と囁いた。

 

「いまからあのカムリが、このバスを追い抜きます。追い越したらすぐ、こちら側の車線に移動しますから、そうしたら、その後ろを追いかけてください」

 

「えっ、あ、は、はい……。し、室長、あの、運転手の方は……?」

 

「うん。まあ、それは後で」

 

 桜坂はステアリングを握る美久の肩を、ぽん、と優しく叩いて、乗客席側の酒井たちを見た。彼らに、右側の窓を示して言う。

 

「皆さん、あちらをご覧ください」

 

 指示されて、酒井たちは各々サイド・ウィンドーに近寄り、目線を外へとやった。後ろからやって来た青いカムリが、コースターを徐々に追い抜いていく。

 

 運転席を見やった彼らは、等しく茫然とした。大振りな双眸。黒々と太い眉。仁王の如き、いかつい面魂。彼らのよく知る顔が、そこにあった。やがて青いカムリはマイクロバスを追い抜き、直後、桜坂が予言した通りに左側車線へとスライドした。その様子を見届けた後、桜坂が自分たちの夢の実現に必要な人材だとかき集めたライト・スタッフたちは、室長の方へと振り返った。たったいま視界におさめた顔とうり二つ……、いやまったくの相似形としか見えない顔立ちを、まじまじ、と見つめる。

 

 多数の注目を面はゆく感じながら、桜坂はゆっくりと口を開いた。

 

「いま、我々が暮らすこの世界……葉っぱの名前を、仮に、アース1と呼びましょうか。私が生まれた世界をアース2。そして、私がこのアース1にやって来る直前までいた世界を、アース3と仮称させてください。その方が、説明しやすいのでね」

 

「桜坂君、きみは……」

 

 酒井が、震える声で、男の名を呼んだ。

 

 別な葉っぱからやって来たと自称する超人は、にやり、と冷笑を浮かべて言った。

 

「まあ、そういうことです。私はアース3からやって来た。あなたたちにとっては、異世界人です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




なろう小説界の強力兵器「異世界召喚」を、唐突にぶっ込んでみた。


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