この小さな世界で愛を語ろう   作:3号機

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IS学園の組織図と見取り図が欲しい。




Chapter34「ラウラ・ボーデヴィッヒ」

 

 

 

 米国製第二世代機の『スプリット・クロー』をはじめて身に纏った鬼頭陽子が、最初に覚えたのは過去の経験に起因する違和感であった。

 

 これまでに操縦したことのある『打鉄』や『ラファール・リヴァイブ』と比べて、機体を

重たく感じる。

 

 いいや、そんなはずがない。たしかに、『スプリット・クロー』は他の二機種よりも重量級の機体だが、それを苦に感じさせないためのパワーアシスト機能やPICだ。特にPICは、重力や慣性質量の作用を打ち消し、理論上ゼロに出来る装置。こいつが正常に機能しているうちは、重い、という事実はあっても、重たさ、という感覚とは無縁でいられるはず。それなのに、なぜ……? 自分の、勘違いだろうか?

 

 訝しげな表情を浮かべながら、陽子は教官役のセシリアの言に従って、左右の足を交互に前に出した。歩行は、ISを操縦する上でも最も基本的な運動動作だ。それだけに、操縦者にその手応えをダイレクトに伝えてくる。違和感は拭えないままだ。ますます困惑する陽子の顔を見て、セシリアが訊ねる。

 

「陽子さん、どうかしまして?」

 

「いや、うん……たぶん、わたしの勘違いだと思うんだけどさ」

 

 陽子は専用機『ブルー・ティアーズ』に身を包む級友に、あるはずのない違和感について説明した。すると、セシリアはおとがいにロボットアームの指を添え、真剣な面持ちで言う。

 

「陽子さん、それは勘違いや気のせいではないかもしれません」

 

「どういうこと?」

 

「まず、PICは慣性質量そのものをゼロに出来る装置ではありません。あくまでも、その作用をゼロにする装置です。その動作について、順を追って説明すると……」

 

 まず慣性質量が発生し、次にISコアが発生した慣性質量の大きさを計測、然る後、発生した慣性質量を打ち消せるだけの出力を発揮するようPICに命令し、最後にPICが機能して慣性質量の作用を打ち消す、という行程だ。慣性質量の発生からPICが機能するまでの間にはタイムラグがあり、その時間をどれだけ短く出来るかは、操縦者の技量やIS適性による。セシリアは、このタイムラグこそが違和感の原因だろう、と推察した。

 

「PICが作用するまでの第二行程です。発生した慣性質量の計測時間は、それが大きいほど時間もかかる。同じ運動動作でも、標準的な大きさの『打鉄』と、重量級の『スプリット・クロー』とでは、発生する慣性質量には差が発生しますから」

 

「……なるほど。PICが作用するまでのタイムラグの僅かな違い……動作までの鈍さが、重たさが違う、って感覚になったわけか。それなら納得かも」

 

「注目するべきは、陽子さんが『打鉄』や『ラファール』と比べて、重い、と感じたことだと思います」

 

 天才・篠ノ之束博士が開発したISコアの処理能力は絶大だ。機体ごとにタイムラグには違いが生じるといっても、それは数千分の何秒かという、極めて短い時間のこと。常人の感覚野、まして認知機能では、補足の出来ぬ事象だろう。平素ISの操縦に馴れていて、そういう神経が発達しているはずの専用機持ちの自分ですら、ほんの些細な違和感さえ覚えまい。

 

 しかし、陽子はそれに気がついた。このことが意味するのは、

 

「……つまり、わたしは敏感肌ってことか」

 

「違いますよ」

 

 とんちんかんな返答に、セシリアは呆れた口調で言った。

 

「このことは、陽子さんがIS操縦者として優れた才能の持ち主だという証左ではないかと、私は考えます。搭乗機の特性や、些細な変化に、感覚的に気づくことが出来る。ISに限らず、乗り物を操縦する上で特に重要な才能の一つが、育ってきているのでは?」

 

「そうかなぁ?」

 

 きっぱりと言い切ったセシリアとは対照的に、とうの陽子は懐疑的な面持ちだ。自分にそんな才能があるなんて、とてもじゃないが信じられない。

 

 過日のクラス代表決定戦以来、どうも彼女は、自分の力量について過大に評価しようとするきらいがある。人の何十倍と努力して代表候補生の地位を勝ち得たセシリアの評だけに、はじめのうちは陽子も、喜んで賛辞の言葉を受け入れていた。しかし、美辞麗句に馴れてくると、言葉の端々に見え隠れする期待の気持ちに気づくようになり、ちょっと待てよ、と自制心を働かせる日々が、いまでは続いている。

 

 自分とセシリアは、いずれ雌雄を決すると誓い合ったライバル同士だ。ともに、相手には強くあってほしい、という願いがある。特にセシリアの方は、自らの実力に対する自信の高さと、クラス代表決定戦の結果を不満に思う気持ちから、その傾向がより強いように思われた。自分の好敵手ならこのくらいは出来て当然。自分の好敵手が、この程度のはずがない。自分の好敵手は、もっと高みへと登れるはず。そんな願望を連日ぶつけられているうち、ある日、陽子は自分のことが恐くなった。セシリアから称賛の言葉を浴びせられる日々の中で、だんだんと、その気になっている自分に気がついたためだ。

 

 心理学の世界で、単純接触効果と呼ばれる現象だろう、と思う。はじめはそんなつもりなどまったくなかったのに、繰り返し、繰り返し、同様の刺激を与えられ続けると、だんだんとそんな気がしてくる。あるいは、刺激に対して好意的な感情を抱くようになる。陽子は、イギリスからやって来た代表候補生の言葉を聞いているうちに、だんだんと天狗になっていく自分に気がついた。自分ならこれくらいは当然、自分ならばいずれこれくらいのことは、という具合に、調子に乗り出したのだ。

 

 これはいけない。このままでは不味い。ISのように危険な兵器を扱う上で、増上慢は大敵だ。セシリアの言に対しては、一歩退いた上で受け止めなければ。

 

「今回違いに気づけたのは、たぶん、偶然だと思うよ? わたし、IS適性はBランクだし。とてもそんな才能があるとは思えないんだけど」

 

 先天的な才能は言うに及ばず、後天的に特別な訓練を継続している記憶もない。今回、タイムラグの差を違和感という形で補足できたのは、たまたま調子が良かったとか、そんな理由だろう。そう結論づけた陽子の反論を、瞳輝くセシリアは可憐な微笑でもって斬り捨てる。

 

「適性Bランクということは、AやSにいたるだけの、伸びしろがあるとも言い換えられます」

 

 買いかぶり、ここに極まれり。陽子の表情が硬化した。

 

「入学以来、陽子さんは私との決闘をはじめ、他の一般生徒の方々よりも訓練機への搭乗機会に恵まれていました。それも特定の一機種に偏ったものではなく、『打鉄』、『ラファール』、そして今日の『スプリット・クロー』と、ばらばらです。これら経験値データの蓄積が、機種ごとの微細な違いにも気づける鋭い感覚という才能を、開花させたと考えるべきでしょう」

 

「……そうかなぁ?」

 

 過剰に修飾された称賛の言葉を、陽子は自分ではない別の誰かに対するものと努めた。わぁ、すごいですねー。代表候補生のセシリアにそこまで言わせるなんて、その鬼頭陽子さんって人は。かっくいい……そう言い聞かせればこそ、多少、気恥ずかしさを感じる程度で、彼女の言葉を受け止められる。変に気負うことなく授業に集中出来るというものだ。

 

 機体の重たさに目をつぶれば、本日の実習内容は陽子にとってクリアは比較的簡単な課題といえた。装着前の点検、装着、起動、歩行。クラス代表決定戦をはじめ、これまでに放課後の自主練習で何度も行ってきたことだ。規定の距離を踏破したところで、次の者と交代するため膝を折り、その場にしゃがむ。

 

「ひゃあっ!?」

 

 そのとき、ハイパーセンサーの音感領域が、後方からの黄色い声を拾った。首を振らずに意識だけをそちらに向けると、網膜に声の発生源の様子が映じた。『白式』に身を包んだ一夏が、クラスメイトの岸里恵子を正面から抱きかかえている。どうやら先の驚きの声は彼女の唇から発せられたものだったらしい。抱き上げられた拍子に、反射的に叫んでしまったようだ。……いや、なにゆえ抱っこを?

 

「どうやら、前の方がISの装着を立った状態で解除したみたいですわ」

 

「それが何で抱っこに……ああ、そういうことか」

 

 言いかけて、その理由に思い至り、得心した様子で頷いた。

 

 ISのコックピットが高い状態で固定されてしまったのだ。一夏たちの班が選んだ『打鉄』は、比較的小柄なISだが、それでも、直立状態では一・六メートルの高さに、コックピットが位置することになる。平均的身長の十代女子が単独で乗り込むには、かなり苦労する高さだ。ゆえに、『白式』を装着した一夏が彼女を抱え上げ、搭乗を手伝う運びとなったのだろう。

 

 一夏は、左腕を背中に回し、右腕は両膝を下から支えた、いわゆるお姫様抱っこの形で恵子を抱え上げると、一メートルの高さまで、ふわり、と上昇した。身体を、ぴたり、と預けてくる彼女を落としてしまわぬよう、慎重に、優しい手つきで『打鉄』のコックピットに連れていく。搭乗に際しての注意事項を囁き合う両者の顔は、緊張からか、あるいは密着の気恥ずかしさからか、ともに紅潮していた。

 

 ハイパーセンサーの全周囲同時視覚機能が、妙な視線の集中を知らせた。見回すと、順番待ちをしている自分の班の者たちが、みな羨ましそうに一夏と恵子のやり取りを見つめている。美男子の一夏との急接近だ。あれが自分だったらなあ、という思いを禁じえないのだろう。

 

 もしかして、と思い、ハイパーセンサーの視野を広げてみた。案の定だった。他の班でも、二人の親密そうな姿に羨望の眼差しを向ける姿がいくつも見て取れる。シャルルの班など、「デュノアくん、あれ、やって! 私にやって!」と、おねだりする者さえいた。彼も一夏とは違うタイプの美少年だ。ああいうかわいい系の男性が好みの者にとって、密着の喜びは何ものにも代えがたいだろう。

 

 父の班はどうだろうか、とそちらに目線をやった。はぁ? と、思わず声が漏れ出た。その声に反応し、セシリアもそちらを見る。端整な美貌が引き攣った。

 

 両の腕を広げた夜竹さゆかが、『打鉄』を着る父に、「抱っこして、どうぞ」と、迫っていた。

 

 おみゃあら何をやっとりゃあすか、と内心ぼやかずにはいられぬ陽子だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インフィニット・ストラトス二次創作

 

「この小さな世界で愛を語ろう」

 

Chapter34「ラウラ・ボーデヴィッヒ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 米国製第二世代機の『スプリット・クロー』を指して、古いアメリカ車に例えた鬼頭智之の目に、フランス製第二世代機の『ラファール・リヴァイブ』は、やはり、彼の知るフランス車の姿と重なって映じた。

 

 他の二機種よりもデザイン性の高い見た目でありながら、その実、非常に堅牢な造りをした、初心者でも扱いやすい機体というのが、鬼頭のラファールに対する評価だ。そしてこれは、フレンチ車一般に共通する特徴でもある。

 

 ルーブル美術館やパリ・コレクション、カンヌ国際映画祭などの存在が示すように、フランス人は芸術文化に明るい国民性を持っている。その精神性の発露なのか、フランス人の作るクルマのエクステリアは、垢抜けていておしゃれなデザインが多い。ルノーのトゥインゴなど、思わず抱きしめたくなるような可愛らしさがある。

 

 それでいて、フランス車のボディの造り込みは非常に堅牢だ。フランスは世界有数の農業大国でもある。農道の多くは未舗装であり、舗装路にしても、馬車が主要な交通手段であった時代に整備された石畳だったりするため、荒れた路面が非常に多い。また、都市部では日本では考えられないような密度での縦列駐車が横行し、バンパーの擦り傷や凹みといった破損が絶えなかった。斯様に過酷な環境での走行を前提とするフランス車は、日本人の口から語られる一般的イメージとは異なり、非常にタフである。走行時の振動や衝撃、ねじれは勿論のこと、悪路への対策として高出力のエンジンを搭載する車輌が多いため、そのパワーをいなせる耐久性が車体には求められる。世界で最も権威がある自動車衝突安全性テスト『ユーロNCP』の隠れた常連が、フランス車なのだ。

 

 走行中の安定性の高さも、フランス車に共通する特徴の一つだろう。フランスを代表する自動車メーカーといえば、ルノー、プジョー、シトロエンの三社だが、彼らはみな走行性能の追求に余念がない。モータースポーツに熱心なルノーとプジョーは、そこで得られた知見を、公道を走る市販車にも惜しみなく投入している。特にプジョーの、弾力感に優れるサスペンションと自社製部品にこだわったダンパーからなる足回りは、“猫足”に例えられるほどしっとりとした乗り心地と、抜群の安定感を担保していた。またシトロエンも、独自技術のハイドロニューマチック・サスペンションが、高い衝撃吸収性を誇っている。足元が安定していればこそ、運転手は安心してステアリングを切ることが出来る。

 

 ラファールも、高速飛行時の安定性に優れるISだ。ボディ剛性の高さも重なって、経験の浅い一年生でも思いきった操縦が出来る。一般的には、大容量の拡張領域や運動性能の高さが注目されやすい機体だが、訓練機としてより重要な性能はそちらだろう、と鬼頭は考えた。

 

 ――マイルドな操縦特性は昔乗った、ルーテシアの五速MTのシフトフィールを思い出させる。機体を構成する要素の一つ々々を考えるほどに、フランス車の集大成のようなISだ。

 

 大容量の拡張領域はカングーやベルランゴを彷彿とさせる。カスタマイズやチューニングの方向性次第では、格上の第三世代機にも引けを取らない基本性能の高さはFF最速の座を競うメガーヌのようだ。部材科学の進歩により、高い剛性を誇りながらも軽量に仕上げられたボディは、さしずめA110といったところか。コンパクトにまとまった扱いやすいサイズ感は、プジョー208を引き合いとするのが相応しいだろう。

 

 ――やはり良い機体だ。『ラファール・リヴァイブ』!

 

 谷本癒子が乗るラファールが軽快な足取りで歩を進める姿を眺めながら、自身も鎧姿の鬼頭は完爾と微笑んだ。

 

 千冬の口から班分けが告げられてはや二十分が経つ。他の班では一人目の者が悪戦苦闘している中で、鬼頭の班はすでに二人目が呈示された課題を終えようとしていた。誰が乗ってもある程度の性能を引き出せる機体。工業製品として優れている証左だ。

 

 ――谷本さんも、さっきの娘も、つまずいたのは知識が求められる起動前点検だけだった。起動後の歩行課題は、難なくクリアしている。……本当に、ルーテシアのように易しい機体だ。

 

 やがて、癒子が十二個ある歩行課題のすべてを終えた。授業開始から三五分が経過していた。実機を使ったISの授業は、二コマ分の時間を費やして行われるため、残り時間は一時間と少々。

 

 このペースならかなり余裕を持って終えられそうだ。口の中で呟いた鬼頭は、他の班の進捗具合はどうだろうかと、かぶりを振らずにハイパーセンサーの三六〇度視界を精査した。セシリアの班は二人目の陽子が起動前点検を開始したところ、一夏の班は一人目の相川清香が歩行課題を半分終えたところだった。疑惑のシャルル・デュノアの班は、一人目がそろそろ終わろうかという頃合い。鈴の班には……あえて、目線を向けないよう努めた。

 

 最も遅れているのが、ラウラの班だった。なんと、いまだに一人目の者が起動に手間取っている。他の班に比べて、いくらなんでも遅れすぎじゃないか、と、しばしその様子を眺めていた鬼頭は、そのうち得心した様子で頷いた。ラウラが、班長としての役割を果たしていないためだ。

 

 一人目の娘は装着前の起動前点検で躓いていた。どうやら事前の予習復習を怠ってしまったらしく、途中まではパズルを解くように、すらすら、進めていたのが、不明点と遭遇してしまい、その先に進めないでいる。不勉強については、本人の不明なので擁護出来ないが、問題は、そんな状況にも拘らず、ラウラが動こうとしないことだ。

 

 今回の実習は、前の者が課題を終えない限り、次の者への交代が許されない内容だ。一人目で止まってしまうと、他の者たちの点数をつけられない。

 

 この状況で専用機持ちの班長に求められる仕事は、適切な補助だ。限られた時間内に全員が課題を終えられるよう、リーダーシップを発揮する必要がある。相手の立場に寄り添い、いったい何に困っているのかを考える。助言し、手伝い、なんとか課題を終えさせたら、そこで遅れた分をどう取り戻すか。そのために次の者、さらにそのまた次の者が早く課題を終わらせられるよう、どうアプローチするべきか。次の者の段でまた遅れが生じてしまったときはどうするのか。リーダーはひたすら、考えに考え抜かねばならない。

 

 ところが、いまのラウラはといえば、他人との関わりを拒絶するかのように胸の前で腕を組み、不機嫌そうな面持ちで、わたわた、と慌て困っている彼女を眺めているだけだ。助言の一つ、よこしやしない。

 

 実習の遅れに対するフォローを怠っているだけではない。

 

 班内のムードメーカーという点でも、ラウラは班長としてまともに機能していなかった。

 

 自分のせいで実習が遅れている。自分がみんなに迷惑をかけている。その自覚からいまにも泣き出しそうな一人目の娘。作業の進捗を苛々しながら待っている他の者たち。両者の間に漂う雰囲気は、悪くなっていく一方だ。それに対しても、ラウラは何らケアを行わない。

 

 他の班は違っていた。セシリアやシャルルは班員たちの困りごとに目敏く気づくと、すかさず声をかけ、相手の話に耳を傾けていた。自分たちが手伝うべきか否かを素早く判断し、適切な接し方を常に模索している。

 

 一夏もまた同様だ。専用機持ちとはいえ、つい先日までISとはほぼ無縁の人生を送ってきた彼の知識量は、一般生徒にも大きく劣る。そんな一夏が班員たちにしてやれることは少なかったが、それでも、自身の出来る範囲内での精一杯を尽くしていた。質問に対しては、明瞭な返答を口にすることは出来ずとも、相手と一緒に考え抜き、ときには他の班員たちを巻き込んで知恵を絞り出し合い、なんとか問題解決に向けた努力をしていた。そんな彼の班は、実習に遅れこそ生じてはいたが、雰囲気自体は悪くない。自分たちのために一生懸命頑張ってくれる一夏を見て、気分を害する気難しがり屋は、幸いにしていなかった。

 

 ――自分が織斑先生の立場なら、要領よく実習を進めているセシリアたちの班には“優”、一夏君の班には、努力点込みで、“良”の点数をつけたいところだ。

 

 少なくとも、“可”の評価は得られよう。しかし、ラウラの班は違う。このままでは全員、“不可”の評価さえ与えられずに終わってしまう。

 

 鬼頭は、自らが受け持つ班員たちの顔を見回した。すでに三人目の者が、歩行課題の七割ほどを終えている。その様子を見て満足げに微笑んだ後、鬼頭はあえて首を動かし、千冬の方に目線をやった。やはりラウラの班の様子を眺めて険しい面持ちでいる彼女と、目が合う。鬼頭が頷いてみせると、千冬は小さく頭を下げてきた。よろしくお願いします。ハイパーセンサーが、かすかな声を拾って聞かせた。

 

 鬼頭はISコアのコア・ネットワークにアクセスした。ラウラの専用機について、情報を走査する。

 

 目当ての情報はすぐに見つかった。黒いIS『シュヴァルツェア・レーゲン』。ドイツが第三次イグニッション・プランのために開発した第三世代機、レーゲン型の試作一号機だ。セシリアの『ブルー・ティアーズ』と同様、最新試験技術の塊であり、特殊兵装をはじめ新機軸の装備をいくつも採用しているという。搭載されているコアのナンバーは……、必要な情報を取得した鬼頭は、早速、ラウラの機体のISコアに向けてメッセージを発信する。

 

 プライベート・チャネルの回線番号を暗号化して記載したテキストデータだ。コア・ネットワークを経由しての通信は、相手のもとへ瞬時にメッセージを届けた。鬼頭からの通信を受け取ったラウラは、一瞬、驚いた表情を浮かべてこちらを一瞥し、中身を読むやすぐにその意図を察してくれた。

 

 ほどなくして、鬼頭の『打鉄』のISコアに、ラウラからプライベート・チャネルの通信許可を求めるメッセージが届けられた。回線のロックをはずすと、透き通った声が耳膜の裏側で響く。

 

『ヘア・キトー。こちらの声が聞こえていますか?』

 

『はい、フラウ・ボーデヴィッヒ。通信感度は良好ですよ』

 

 鬼頭は小さく頷くと、班員たちに目線を向けたまま小さく呟く。

 

『突然の通信に応じていただき、ありがとうございます』

 

『いいえ、こちらこそ』

 

『うん?』

 

『ヘア・キトー自らがプライベート・チャネルの回線番号を教えてくれた。このことを伝えれば、軍の高官たちも喜ぶでしょう』

 

 なるほど、そういうことか。自身の個人情報が高値で取引されている現状をいまだに受け入れらぬ鬼頭は、ラウラの口から飛び出したお礼の言葉に苦笑いした。

 

『それで、何の用でしょう?』

 

『失礼ながら、課題の進みが悪いように見えたので』

 

 鬼頭はあえて首を振ってラウラの班に目線をやった。今日顔を合わせたばかりの浅い付き合いだ。相手の沸点がどの程度かわからぬゆえ、慎重に、言葉を選びながら言う。

 

『何かトラブルでも起きたのかと』

 

『……まったく、情けない限りです』

 

 意外な返答に、鬼頭の双眸が穏やかな輝きを発した。この現状を恥と認識しているということは、班長の自覚がないわけではないのか。それなら、まだ挽回の余地はある。そんな鬼頭の予想は、ラウラの次の言葉によって否定された。

 

『一人の無能のために、他の全員が迷惑をしている。これが世に名高きIS学園の生徒の実態だったとは……期待はずれもいいところ。これが軍であれば、決して許されぬことです』

 

 情けないとは、そちらの方だったか。鬼頭は胸の内でひっそりとため息をついた。 

 

 どう言葉を駆使すれば、この娘に自分の意図を正確に伝えることが出来るだろうか。頭を悩ませながら言う。

 

『……その娘の不勉強が悪いのは、確かに、その通りでしょうが……フラウ・ボーデヴィッヒは、それを放置したままで、よろしいので?』

 

『む? どういう意味ですか?』

 

『このままだと、授業時間内に全員が課題を終えることが出来ません』

 

『そうでしょうね』

 

『つまり、このままだとフラウ・ボーデヴィッヒの責任が問われることになりかねません』

 

「なぜ!?」

 

 ラウラの赤い隻眼が驚愕から見開かれた。思わず声を発してしまい、周囲の驚く顔を見て、慌ててプライベート・チャネル回線の向こう側にのみ音声が伝わるよう、声をひそめる。

 

『なぜ、この者のために私が責を負わねばならないのです!?』

 

 ラウラは兵装点検から先に進めないでいる女生徒を睨んだ。周囲からの険を孕んだ眼差しと、自分のせいで遅れているという罪悪感から、すっかり憔悴した面持ちだ。

 

『当然でしょう。フラウ・ボーデヴィッヒ、あなたは班長なのですから』

 

 千冬から聞かされたラウラの経歴、為人を思い出す。現役軍人の彼女には、この告げ方が適当だろう。

 

『望んでついたわけではないにせよ、あなたは班長に任じられた。であれば、あなたは班長として仕事をしなければなりません。とりあえずやってみて駄目だった、というならまだしも、はじめからそれを放棄し、与えられた課題をこなせないでは、責任追及は当然です。もっとも、この場合の責任追及とは、懲罰を受けてもらうとかそういうのではなく、成績にマイナス点をつけられる、ということになるでしょうか』

 

『ま、マイナス……この私が、また落ちこぼれに……』

 

 ISを身に纏っているにも拘らず、ラウラの顔色は蒼白だ。唇からは見る見る朱色が失われていき、声も狼狽から震え出す。

 

『フラウ・ボーデヴィッヒ、あなた自身、先ほどおっしゃったことです。ここが軍隊であれば許されない。それはあなたも同様だ。織斑先生は十人で一班を作れ、と言いました。これは軍隊でいえば分隊の規模です。班長とはすなわち分隊長、班員はあなたの部下たちだ。

 

 いま、あなたが置かれている状況はこうです。分隊の全員が一丸となってかからねば落とせない陣地を前に、部下の一人――それも強力な分隊支援火器を任された者――が、整備不良から、さあ戦闘開始だ! というタイミングでマシンガンを壊してしまった。あなたはその者を叱ることも、マシンガンの修理を手伝うこともせず、ただじっと、相手のことを睨んでいる。他の隊員たちが、その者に罵声を浴びせている光景を前にして、何もしない。マシンガンが壊れたことを受けて撤退をするか、それでもなお戦いを挑みに前進するか。その判断と指示さえ下さない。このような不和を抱えた状態のまま、分隊は敵の攻撃を受けて戦闘に突入し、結果は当然敗北。戦闘後、あなたは上官から、分隊長として何もしなかったことを糾弾された。……いま、あなたはこれと同じ状況にある、と思ってください』

 

 一人の行動のために、他の全員が危険にさらされてしまった。その意味では、マシンガンの整備を怠った隊員と、その事態に対して何の行動も起こさなかった分隊長は同罪だ。分隊支援担当が手抜き仕事をしたからといって、分隊長が自分の仕事を放棄してよい理由にはならない。

 

 軍隊組織の例えを用いたことで、ラウラはようやく事の重大さを悟ったようだった。生き延びて、責を問われるのならまだましだ。最悪、ろくな戦果も挙げられないまま、分隊全員が戦死ということさえ考えられる。その場合、隊長として部下たちに何の指示も出さず、方針さえ示さなかった自分の責任は、分隊支援担当者の比ではない。

 

 とうとう黙りこんでしまったラウラに、鬼頭は追い討ちの言葉を投げかける。

 

『それに……』

 

『む?』

 

『織斑先生が我々専用機所持者を班長に選んだのは、おそらく、みなの手本となること、それが叶わずとも、サポート役として機能することを期待したからでしょう。我々専用機持ちは、一般生徒よりもずっとISの搭乗機会が多い。その知識と経験からなる能力を期待されているわけです。ここで何もしない、ということは、織斑先生からの期待を裏切ることにもなってしまう』

 

『教官の……』

 

 これがとどめの一撃となった。ラウラは唇を噛み、『どうすれば?』と、震える声で訊ねた。

 

『いまからでも遅くはありません。班長として、みんなが時間内に課題をクリア出来るようサポートを。……いまのところ、私の班の進み具合は順調です。いまのペースを維持できれば、あと一人か二人、構う余力を残せるでしょう。どうしても間に合いそうにないときは、こちらに回してください』

 

『感謝します、ヘア・キトー!』

 

 ラウラの顔に、可憐な笑顔の花が咲いた。腕組みをとくと、彼女の隣に並び座って、高圧的な口調で訊ねる。

 

「おい」

 

「ぼ、ボーデヴィッヒさん」

 

「どこで詰まった?」

 

「え?」

 

「どこで詰まったのか、と聞いている。途中までは上手くいっていたんだろう? それが動かなくなってしまった、ということは、そこにいたるまでの貴様の操作のどこかに問題がある。どの段階で先へ進めなくなり、それまでにどんな入力をしたのか、私に教えてみろ」

 

「え、ええと、止まっちゃったのは、パワーアシスト機能の稼働率チェックの項目で……」

 

 いざ教導の様子を眺めてみると、意外にも、ラウラの教え方は非常に丁寧だった。言葉遣いこそぶっきらぼうだが、相手に原因を考えさせ、最終的には自力での解決を促す理想的な手法をとっている。あの若さで最新の第三世代機を専用機として託されるほどのエリート軍人と聞いて、いわゆる天才肌の人物、出来ない人間の気持ちなど分からないのでは? と、懸念していたが、それは杞憂に終わったらしい。

 

 もしかすると、往時の千冬が自分にそうしてくれたことをなぞっているのかもしれない。だとすれば微笑ましいことだが。

 

「……む。鬼頭さん、どこを見ているんですか?」

 

 ラウラの班に気を向けているうち、自身の班では四人目の者が課題を開始しようとしていた。いかん、いかん、とかぶりを振り、鬼頭は唇を尖らせながら見上げてくる夜竹さゆかに言う。

 

「失礼。どうも全体の進捗具合が気になってしまいまして」

 

「……陽子のことが気になるのは分かりますけど、ちゃんと私のことも見ていてください」

 

 愛娘のことを気にしていると勘違いしたらしい。拗ねた口調で言うさゆかに、まさかラウラの方を見ていたとは言えない鬼頭は、素直に頭を下げた。

 

 そのとき、グラウンドの一画にて黄色い歓声が迸った。目線をやると、『白式』に身を包んだ一夏が、同じ班員の岸里恵子を抱きかかえ、それを見た周りがはしゃいでいる。どうやら前の順番の者がISを立った状態のまま装着を解除してしまったらしく、そのままでは次の者の搭乗が困難なため、一夏が抱きかかえてコックピットまで運ぶことにしたらしい。

 

 学内における一夏の人気ぶりを顧みるに、なかなか挑発的な行動だ。朴念仁の一夏のこと、本人は自分の行動が周りにどんな影響を及ぼすか無自覚なままやっているのだろうが、止める者はいなかったのか。

 

 ――篠ノ之さんは……止める気は、ないようだな。

 

 想い人の少年が自分以外の女子と親密そうにしている。平素であれば悲しい出来事も、いまの箒は特に気にしていない様子だった。いや、一夏の腕の中の彼女を羨ましく思ってはいるようだが、あわよくば自分も、という期待の方が強い様子だ。現金だなあ、と思わず苦笑がこぼれた。

 

 とんとん、と、ロボットアームを指で叩かれた。意識を向けると、かたわらに立つさゆかが両腕を広げ、「抱っこして、どうぞ」と、見上げている。……なにゆえ?

 

 鬼頭は着座状態でさゆかの騎乗を待つラファールを見て言う。

 

「わが班の場合は、必要ないと思うのですが?」

 

「折角だから、私は鬼頭さんに抱っこされて乗るのを選ぶぜ」

 

「何が折角なのか」

 

 ハイパーセンサーの全周囲同時視覚機能でセシリア班の方を見る。愛娘の冷たい眼差しが背中に注ぐのを感じて、鬼頭は小さく溜め息をついた。

 

 

 

 多少のトラブルは見られたものの、一年一組二組合同授業は、全班全員が無事に時間内に課題を終わらせることに成功した。実習で使った訓練機を格納庫へと移した鬼頭らに、千冬が午後の実習授業の予定を告げる。

 

「午後は今日使った訓練機の整備を行う。各人格納庫で班別に集合しろ。専用機持ちは訓練機と自機の両方を見てもらうので、そのつもりで予習しておくように。では解散!」

 

 連絡事項を伝え終えると、教師たちは足早に職員用更衣室へと向かっていった。次の授業の準備で忙しいのは、教員も同じだ。二人の後ろ姿を見送った後、今度は女子生徒たちが一斉に教室へ移動を開始する。残る男子生徒三人は、さて自分たちはどうしようか、と顔を見合わせた。やおら、そういえば自己紹介がまだだったな、と鬼頭がシャルルに話しかける。

 

「今朝は時間がなくて、挨拶が遅れてしまったね」

 

 鬼頭は西洋式に右手を差し出しながら言った。

 

「鬼頭智之だ。鬼頭でも、智之でも、きみの呼びやすい方で呼んでくれ」

 

「シャルル・デュノアです。ムッシュ・トモユキ」

 

 小さな掌が、右手を握り返してきた。やわらかい。やはり、男性の手とは思えぬ肉つきだ。

 

「僕のことは、出来れば、シャルルと呼んでください。ファミリーネームで呼ばれるのは、あまり馴れていないので」

 

「知っているかもしれないが、私はアメリカで四年ちょっと暮らした経験があるんだ。大丈夫。ファーストネームを呼び合う習慣に、抵抗はないよ」

 

「助かります」

 

「世界でたった三人しかいない男性操縦者だ」

 

 男性操縦者。あえてその形容を選んだ鬼頭は、対するシャルルの反応を鋭く見つめた。かすかに動揺する双眸。ははあ、なるほど。彼は口元に冷笑を浮かべて言った。

 

「お互い助け合っていこう」

 

「智之さん、着替えに行きましょう。ほら、シャルルも。俺たちはまたアリーナの更衣室まで行かないといけないからな。急がないと、休み時間が終わっちまう」

 

「え、ええっと……僕はちょっと機体の微調整をしてから行くから、先に行って、着替えててよ」

 

「いいのかい? 一夏君は大袈裟に言ったが、少しくらいなら待てるよ」

 

 鬼頭は金色のリングを小さく叩いて、空間投影式ディスプレイを出力した。現在時刻を表示させる。

 

「どのくらい時間がかかるかわからないので。先に教室に戻っていてください」

 

 先に更衣室へ向かってくれ、のみならず、教室に戻っていろ、とは。更衣室という素肌をさらす空間から男の目線を遠ざけようとする物言いに、鬼頭は思わず苦笑を浮かべた。トランスジェンダーにせよ、産業スパイにせよ、シャルル・デュノアの肉体が女性のそれであることはほぼ間違いなさそうだ。

 

「そうかい? なら、そうさせてもらおうか」

 

 鬼頭としても、うら若い乙女の肢体をしげしげと眺める趣味はない。彼に促されたから、という形で踵を返し、やけに連帯を嫌がるシャルルの態度に不思議がる一夏を連れてアリーナ更衣室へと向かう。

 

「あっ、そうだ(唐突)」

 

 アリーナへの道すがら、隣を歩く一夏が不意に口を開いた。

 

「智之さん、今日の昼休みなんですけど、一緒に屋上で食べませんか?」

 

「すまない。今日はもう、別の約束を入れてしまったんだ」

 

 鬼頭は申し訳なさそうに言った。

 

「二年生のフォルテ・サファイア先輩と、三年生のダリル・ケイシー先輩とね。昼食を一緒にする約束をしたんだ」

 

 

 

 

 生活協同組合(生協、COOP)とは、一般の消費者が組合員となって店舗を運営する購買組織だ。家庭の主婦を中心に組織された地域生協と、大学や企業の職場が運営する職域生協の二種類があり、IS学園内にある店舗は、当然後者に分類される。

 

 人工島IS学園での生活が少しでも快適なものになるように、と、学園内に日用品を取り扱う小売店舗を設置することは、学園の建設計画がスタートして間もない構想段階の時点ですでに盛り込まれていた。当初は、店舗運営費の削減と、留学生の多い環境下でのアンテナショップの役割を期待して企業誘致が望まれたが、この案はすぐに棄却された。民間企業を島内に常駐させた場合に生じると考えられるリスク……防犯と防諜の問題を、クリア出来ないと判断されたためだ。

 

 招聘されたコンビニやスーパーマーケットの店員にスパイが紛れ込む可能性を、どうしても払拭しきれなかった。それがどこかの国の諜報機関の人間というならまだしも、国家転覆を目論むテロリストだった場合、ISに搭載されている最新の軍事技術にまつわる情報が、無秩序に世界に拡散しかねない。また、業務を通じて得た、生徒たちのプライベートな情報をネタにした脅迫や強引な勧誘の懸念もあった。

 

 そこで挙がった対案が、学内に生協組織を設けることだった。生徒や教職員が自ら店舗を運営・管理することで、外部勢力の侵入を極力防ぐ。組合員同士がお互いを監視し合うことになるため、そちらの方面でのスパイ活動への牽制にもなるだろう、と期待されてのアイディアだ。防諜目的を起点に具体化された計画は、IS学園に対して影響力は持ちたいが、責任はなるべく負いたくない、という者たちからも支持を集めた。生協組織であれば、店舗内で生じた問題の責は組合員に帰属することになり、自分たちに累が及ぶことはない、と考えためだ。

 

 プロジェクトチームは早速、小売業の店舗経営のノウハウを持った人材を探した。政府とのつながりが深い鉄道会社系の百貨店から数名をスカウトし、公務員としての役職と立場を与えた上で、彼らの意見をベースに組織像を作っていく。店舗の広さはどの程度が適当か? 品揃えをどうするべきか? 仕入れ先は? 従業員への教育は?

 

「……自分たちで運営する、とは言いますが、多忙極まるだろうIS学園の先生方や、生徒の皆さんが店先に立つのは現実的ではありません。店の従業員には、はじめからそのための人員を職員として雇い、業務にあてるべきです」

 

「お店で働いてもらう彼らについては、出資金の比率を低く設定しましょう。その分、他の教職員や生徒さんの出資金比率を、高く設定するんです」

 

「どうせ国立の教育機関です。職員への給料も、学費も、出所は一緒、税金です。好きにやっちゃいましょうよ」

 

 生協らしく、運営費は出資金という形をとりはするものの、実質的には国家予算。事実上の、無制限予算だ。無限の予算のもと、好きに店をデザインできるとあって、彼らの目は輝いていたという。

 

 かくしてIS学園内に設置された生協は、店舗部分の床面積だけでも一三〇坪超という広々とした空間に、ゴンドラ棚が整然と並ぶ立派な店としてオープンした。品揃えは日配食品や加工食品を中心に、一万品目にも達している。かなり大きな規模のスーパーマーケット並みだが、これはIS学園に留学生が多いことに起因していた。多種多様な文化へ対応しようと熟慮した結果、バラエティー豊かな商品構成となったのだ。

 

 昼休み。学生生協の店内から外へと出た鬼頭は、ほくほく顔で手に持ったクラフト袋を見つめた。紙袋の中には、本日の昼食の主役たるビッグカツサンドと、デザートのフルーツサンドが入っている。今日は織斑君たちと食べるからと、いつも血糖値が云々小うるさい陽子が別行動なのをいいことに買った品だった。たっぷりの生クリームに包まれたいちごのサンドイッチは、どんな甘いひとときを自分にもたらしてくれるだろうか。いまから楽しみな鬼頭は、にやけ面が止まらな――――、

 

「はあい、パパ、ストップ~」

 

 店の外に出てすぐのことだった。店外で待っているよ、と、出入口の付近で立っていたダリルとフォルテの間に、生徒会長の更識楯無の姿を認めた。鬼頭の表情から、口角の緩みが消える。真一文字に唇を結んだ彼に、ダリルが気まずそうに言う。

 

「ワリぃ。あんたと一緒に昼食べることを話したら、『私も一緒に!』って、聞かなくてさ」

 

「かなり強引だったっス。……ところでミスタ・キトウ。いま、生徒会長が、とても聞き捨てならないことを言ったような気がするっスが!?」

 

 鬼頭を「パパ」と呼ぶ楯無を見て、フォルテが険を帯びた眼差しを叩きつけてきた。勿論、二人は親子ではない。それなのに、パパ呼びとは……! プレイか? そういう特殊な遊びなのか!?

 

「見損なったっスよ、二人とも! 軽蔑したっス」

 

「……フォルテちゃんは何を言っているのかしら?」

 

「……さあ?」

 

 応じる鬼頭の口調は硬い。目の前の女が、暗部組織の頭目と知っているがゆえの反応だ。

 

 スパイ機関の長たる彼女が自分に接触してきた。しかも、フォルテの言によれば、かなり強引に同席を求めたという。自分への要件あってのことなのは明白だ。いったい、何の用なのか。ついにこの身にも、各国の諜報機関による暗闘の火の粉が降りかかってきたのか。嫌な予感を覚えずにいられない。

 

 鬼頭の胸騒は、ある意味では当たっていた。

 

 楯無は男が握りしめる紙袋を一瞥すると、ニヤリ、と怪しく笑い、

 

「ささ、鬼頭さん。その紙袋を出してください。糖質チェックの時間です」

 

「……いま、何とおっしゃいました?」

 

「糖質チェックのお時間です♪」

 

 鬼頭は反射的にクラフト袋を抱きしめた。紙袋を体でかばいながら、震える声で叫ぶ。

 

「なぜ、そんな、残酷なことを!?」

 

「陽子ちゃんの目がないのをこれ幸いと、砂糖ドバーっ、なモノを買っていると思いまして。ささ、鬼頭さん。袋の中身を見せてくださいな」

 

「こ、断る! どうしてきみに見せなければならないのか!?」

 

「日本政府から、男性操縦者の健康管理に気をつけるように、と命じられておりますの。それに陽子ちゃんからも、『わたしがいないときに父さんが甘い物を食べすぎないか注意してあげてください』と、頼まれていますし」

 

「それはゴールデンウィークのときだけの話では!?」

 

 にゅっ、にゅっ。学園最強の女の手が、男の持つ紙袋を狙って素早く伸びた。

 

 執拗に繰り出される貫手の連続攻撃を、右手で紙袋をがっちりホールドした鬼頭は、前へと突き出した左手で迎撃する。弾き飛ばす。たたき落とす。払い除ける。すくい上げて軌道を逸らす。総合格闘技・日本拳法の防御の基本四動作でもって、腕の中の宝物を死守した。

 

 はじめはいたずらっぽく笑っていた楯無の顔つきが、次第に変わっていった。

 

 思いのほか手強い防御に驚くとともに、気分の高揚を自覚する。だんだんと楽しくなってきた。この堅牢な守備を突破してあの紙袋を奪取出来たならさぞや痛快だろう、という思いから、自然、攻撃の手は速さと鋭さを増していく。

 

 応じて、攻撃を防ぐ鬼頭の手も加速していった。巧妙に織り交ぜられたフェイントの数々には目もくれず、本命打のみに的を絞って、襲撃をブロックする。

 

 楯無の唇が、好戦的に口角を吊り上げた。

 

 ――本音ちゃんから、鬼とーさんは目が良いとは聞いていたけど、これほどとはね……!

 

 攻撃の速度や反応の速さは自分の方が勝っている。しかし、鬼頭は攻撃がやって来る場所にあらかじめ手を配置しておくことで、速度の不利を補っていた。こちらの目線の置き方や、肩の動き出しの様子などから攻撃がくる方向を予想しているのだろう。尋常ならざる動体視力だといえた。この防御を突破するには、もっと動作をコンパクトにまとめ、攻撃の前兆を、可能な限り相手に見せないようにする必要がある。備えの猶予を、与えてはならない。

 

 ――ううん。それだけじゃ足りないわ。

 

 わずかに十数手の攻防からも明白なことだ。この男は、そびえ立つ城砦である。

 

 準備の時間を奪うだけでは、堅牢な砦を突破することは難しい。それ以外にも、つけいる隙を作らねば。

 

 ――攻撃のリズムを、ずらす……!

 

 加速ではなく、あえての減速。猛スピードの連続攻撃の中、不意に放たれた、遅い一撃。突然のことに鬼頭は反応しきれず、早すぎるガードの直後を、楯無の手は悠々すり抜けて懐中の紙袋を奪い取る……その、はずだった。

 

 男の体が大きく揺れた。攻撃の途上、この遅い貫手を防ぐのは困難だと素早く判じた鬼頭は、上体を傾け、左肩を突き出して打突を迎撃。重い肩と軽い掌とがぶつかり、必然、掌の方が弾かれる。

 

 男を見る楯無の眼差しに、険が宿った。

 

 少女を見る鬼頭は、不敵に微笑む。

 

「――よく、いまのを防げましたね?」

 

「長年、時計を眺めているとね。拍の取り方が、上手くなるんですよ」

 

 攻撃リズムの急な変化に、すぐ対応することが出来た。鬼頭は得意気に胸を張る。

 

「……なんスか? この、無駄にハイレベルなやり取りは?」

 

「学園最強と互角とか、手を叩いて褒めるべきところなんだろうけど……戦っている理由がしょーもなさすぎる」

 

 究極、菓子パンの奪い合いである。称賛の言葉を口にするのは、なんとなく躊躇われた。

 

 そのとき、呆れた様子で呟くダリルとフォルテの背後で、ぱちぱち、と、手を叩く音が鳴った。

 

 揃って振り向くと、赤い隻眼を輝かせたラウラ・ボーデヴィッヒが、やや興奮した様子で拍手喝采していた。どうやらたまたま通りがかったところで、鬼頭と楯無の攻防を目撃したらしい。脇に、透明で四角いビニールのパックと、新聞部発行の校内新聞を抱えている。

 

「すごい! お見事です、ヘア・キトー!」

 

「……どうも」

 

 小さな声で、鬼頭は礼を口にした。

 

 称賛の言葉を嬉しく思うと同時に、争いのそもそもの理由を思い出して、途端、恥ずかしい気持ちに襲われる。楯無も同じなのか、いつの間にか取り出した扇子で口元を隠し、表情を見られぬようにしていた。

 

 いったいいつから見られていたのか? 態度から察するに、糖質チェック云々のやり取りまでは見られていないようだが。

 

 これ以上の追及を避けたい鬼頭は、話題を変えるべく口を開く。

 

「フラウ・ボーデヴィッヒも、これから昼食ですか?」

 

「はい」

 

「生協で調達ですか? せっかく転校してきたのですし、学生食堂など、ここにしかない施設を利用しては?」

 

「最初はそのつもりで、食堂に向かったのですが……」

 

 ラウラは眉間に皺を刻みながら、辟易と呟いた。

 

「周りの連中が、ぎゃあぎゃあ、やかましく、とてもではありませんが、落ち着いて食べられないと」

 

「ははあ、なるほど」

 

「軍の基地にも当然食堂はありますし、そちらもかなり騒々しい空間ではありました。ここの食堂はそれ以上です」

 

 よほど耳障りだったのか、不快感を隠さない口調でラウラは言った。

 

 対照的に、鬼頭は彼女の言を聞いて完爾と微笑む。現役軍人たちよりも精気漲る生徒たちの姿を思い浮かべ、やはり子どもは元気がいちばんだ、と心を温かくした。

 

「ミスタ・トモユキ、この子は?」

 

 二人の会話が一段落したのを見て、フォルテが訊ねた。

 

 鬼頭も、ちょうどいいタイミングだなと、みなの顔を見回して言う。

 

「紹介します。こちら、クラスメイトのラウラ・ボーデヴィッヒさんです。今日、転校してきたばかりなんですよ」

 

「……ドイツの代表候補生、ラウラ・ボーデヴィッヒです」

 

 制服に結われたリボンの色を見て、ラウラは丁寧な口調で自身の名前を口にした。現役の軍人だけあって、上下関係への躾は徹底されている様子だった。授業中の態度が無礼千万だったのは、相手が同じ年齢だったからか。

 

 ラウラの自己紹介に応じる形で、楯無らも順番に自らの素性を明かした。

 

 鬼頭のときと同様、名前は知っていても顔は知らなかったらしいラウラは、相手がいずれも専用機持ちの国家代表ないし代表候補生と知って驚いた様子で頷いた。と同時に、これほどの顔ぶれが揃ってこれからいったい何をするつもりなのか、と俄然興味が湧いてくる。

 

「ヘア・キトーたちは、これから何を?」

 

「フラウ・ボーデヴィッヒと同じですよ。このメンバーで昼食を。ただし、我々も食堂で、ではありませんが」

 

「というと?」

 

「IS整備室の休憩所に向かうつもりです。実は今朝、ISコアのことで、ミス・ケイシーらとちょっとした議論になりましてね。そこで生じた疑問を解消するため、食事の後すぐ作業に取りかかれるよう、整備室で食べようという話になりました」

 

 そこまで口にして、鬼頭は、はた、と思いついた。ダリルやフォルテと同様、ラウラも専用機持ちの代表候補生だ。ISコアについての知識や、扱いの経験は豊富なはず。彼女からの意見も得られるとしたら、昼食後の時間はきっと実り豊かなものとなろう。

 

 鬼頭はダリルとフォルテに目線を向けた。二人とも、こちらが口を開くより先にわが意図を察してくれる。

 

「まあ、こっちもあんたにことわりなく生徒会長の参加を許しちまったわけだしな」

 

「私は構わないっス」

 

 二人の返答に、うむ、と頷き、鬼頭は、「もしよろしければ……」と、口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Chapter34「ラウラ・ボーデヴィッヒ」了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴールデンウィーク最終日。

 

 海の駅九十九里のフードコート。

 

 超人の口から語られた異世界アース3の情景は、パワードスーツ開発室の面々らを等しく驚かせた。

 

 桜坂の言によれば、かの世界で発生した人類種もまた、アース1や2の人類と同様、文明を武器に繁栄を謳歌していたという。農業の発明が食料の安定した確保と備蓄を可能とし、人口は飛躍的に増加。伴って、集団組織を運営・維持していく上での効率的なシステムの数々が開発され、それらはやがて村や町、国家といった社会へ発展していった。

 

「アース1や2の歴史でいう、中世の終わりぐらいから、近世頭頃のヨーロッパ社会を思い浮かべてください。俺が召喚されたアース3は、ぱっと見、そういうところでした」

 

 勿論、注意深く目を凝らせば相違点はいくつも見て取れた。

 

 特に目についた違いは、《永遠神剣》に対する考え方だ。

 

 《永遠神剣》はアース3にもあり、しかも、アース2と比べてありふれた存在であった。使える人間が限られているのは変わりないが、数の多さから人口に膾炙しており、ために、かの世界における戦争の形態を決定づけてもいた。

 

 《永遠神剣》とは、アース1におけるISのような存在だという。

 

 ISの登場によってこちらの世界の軍事力のあり方が一変したように、向こうの世界では、強力な《永遠神剣》を何振保有しているかが、軍事力の最重要素であった。そして桜坂は、不運にもその《永遠神剣》を手に入れた後に、異世界に召喚されてしまったのである。

 

「驚いたことに、地球からの転移者は私一人だけではありませんでした。異世界からの来訪者というのは、アース3では何十年かに一度くらいの頻度で起こる、わりと日常的な現象らしくってね。向こうのとある国家でつけられていた記録に残っている分だけでも、過去三百年ちょっとの間に百人以上もの地球人が召喚され、そのうちの何人かは、《永遠神剣》を握らされたそうです」

 

 奇妙なことに、地球からやって来る来訪者たちからは、《永遠神剣》の意思と心を通わせられる稀有なはずの才能の持ち主が多く見出された。

 

 三百年前にこの事実を認識して以後、アース3の住人たちは、異邦者たちの発見と捕縛に躍起になった。全員ではないにせよ、強力な《永遠神剣》を使いこなせる可能性が高い彼らは、軍事的野心旺盛な国々にとって喉から手の出る存在だった。

 

 桜坂もまた、不幸な事故によって異世界に転移させられた、後ろ盾も富も持たない哀れな難民を保護するという名目で、国家権力の庇護下に置かれた。北方の大公国を自称する者たちは桜坂の首に縄をつけた。魔法の力で作られた拘束具で、国権に対し叛意を抱いたときや、命令に従わない場合に、全身に激痛が走る仕掛けが施されていた。

 

 折しも、アース3は戦国の世を迎えていた。およそ七十年前に分裂した巨大王国の後継を名乗る諸国たちが、土地と、そこに眠る資源を巡って血で血を洗う時代だった。公国は桜坂に戦争への従軍を命じた。彼が件のドラゴンと戦ったのも、公王から指示された軍事作戦だったからだ。ドラゴンの住み処には莫大な地下資源が眠っていた。

 

「戦争は、日を追うごとに激しさを増していきました。世界の情勢は最終的に、北の大国ラキオスの陣営と、南の帝国サーギオスの陣営とに二分され、私を拾ったダーツィ大公国は、帝国陣営に与することとなった。そのうち、戦いの中で公国は滅び、私は敗残兵をまとめて帝国へと落ち延びました。ラキオスとの最終決戦時、私はサーギオスの旗を仰ぎながら、剣を振るったんです」

 

「最終決戦……ということは、戦争は、終わったんですか?」

 

「私の認識の上では、ですが」

 

 意味深長に呟き、桜坂は冷笑を浮かべた。

 

「戦争の結末を、私は知らないんですよ。なんせ、私、最後の戦いで死んでいますゆえ」

 

 ひゅっ、と誰かが息を呑んだ。頬に突き刺さる驚きの視線を面はゆく感じながら、桜坂は言った。

 

「ラキオスも、サーギオスも、互いに総力を結集しての、大いくさでした。敵も、味方も。永遠神剣を持っている兵も、そうでない兵士も、みんな、次々に死んでいった。そういういくさでしたからね。私が死んだ後、どちらが勝ったのかは分かりませんが、負けた方にはもう、戦争を続ける余力はないでしょう。たぶん、あのいくさが、最終決戦です」

 

「いや、桜坂くん。それよりも」

 

 死んだとは、どういうことなのか。異世界での戦争で戦死したというのなら、いま、自分たちの目の前にいるきみは一体? まさか、幽霊とでもいうのか!?

 

「幽霊なんかじゃありませんよ。ほら、足もありますし」

 

 表情から酒井たちの驚愕を察した桜坂は、苦笑しながら応じた。

 

 

「なぜ私がいまもこうして生きているのか? 正直言って、私自身分かりません。たしかに死んだと……殺されたと、思ったんですがねぇ」

 

 あの戦いからどれほどの歳月が流れたか。いまなお鮮明に思い出せる、好戦の欲求に支配された面魂。あの決戦の際、己の前に立ちはだかったのは、ラキオス王国の最強戦力であった。桜坂と同様、アース2の地球からやって来た来訪者。アース3に数ある永遠神剣の中でも、特に強力な一振を振りかぶり進軍する彼に、自分は挑み、敗れた。戦略核にも匹敵するエネルギーに総身を焼かれ、肉体よりも先に精神を砕かれ、六十兆個の細胞そのことごとくを破壊されたはずだった。

 

 いかなる超常の原理がはたらいたのか、しかし、自分は生き延びた。

 

 もう取り戻すことはないと思われた意識が蘇ったとき、最初に感じたのは疑念だった。

 

 なぜ、自分は生きているのか? 四分五裂したはずの肉体が、原型を保っているのはどうしてか? それにここはいったい?

 

 気がつけば、桜坂は水面に背中を預けていた。体中を揉みしだく波の勢いや、口の中に入り込んでくる焼けるような辛さから、海に浮かんでいることを自覚する。

 

 天を仰げば、夜空には見知った星があった。アース3で夜空を見上げる度、恋い焦がれた懐かしき星。まあるいお月様。地球に帰ってきたのだ、と知った。

 

「ところがですよ。帰ってきたはずの地球で過ごしているうちに、だんだん、違うな、とね。ここは故郷のアース2ではない。別の並行宇宙の地球だ、って気がついたんです」

 

 最初に覚えた違和感は、《永遠神剣》の不在だった。《永遠神剣》と契約を結ぶと、他の神剣の存在感を知覚する能力を得る。数が少ないとはいえ、アース2の地球ではたしかに感じられた彼らの気配が、念願叶って帰還してからはとんと見なくなった。

 

 この時点で、桜坂はすでに一度並行宇宙間の移動という超常現象を経験し、かつその事実を認識している。ここはかつて自分が暮らした地球ではないのではないか? 並行宇宙に存在する、別の地球ではないのか? という疑念は、すぐに思い浮かんだ。

 

 次いで目についたのは、人名や地名、出来事についての、知識と実際のギャップだった。先ほどアース1の地球と、アース2の地球とに、歴史や文化、言語、固有名詞などの違いはほとんどない、と述べたが、あくまでも、ほとんど、だ。細かい部分での差異は、厳然と存在していた。たとえば、アース2の地球儀に、ルクーゼンブルク公国の名前はない。ルクセンブルクに似た名前ゆえ、はじめてその名を耳にしたときは単に聞き間違えただけだろう、と考えたが、ルクセンブルク大公国とは別に存在する東欧の小国と知って吃驚仰天した。彼が戦史マニアなのは、アース2の頃からだ。当然、ヨーロッパ世界の歴史についても詳しい。その自分が知らぬ国名、知らぬ歴史。ルクーゼンブルク公国なんて国は、故郷の地球には存在しなかった、と、はっきり、断言できる。疑念はますます、深まっていった。

 

 そうした小さな根拠の積み重ねが、桜坂に、自分のいまいる場所は、生まれ故郷の惑星じゃないのでは? という思いを強くさせた。

 

 だが、何にも増して決定的だったのは、リュウヤとの出会いだった。

 

「アース1にやって来た当初、私は、自分は単に地球に帰還しただけでなく、併せて、時間移動にも巻き込まれた、と、考えていたんです。私がアース2からアース3にジャンプしたのは、二〇〇八年の十二月のことでした。こちらの世界にやって来てからすぐ日付と年号を確認しましたが、それよりもずっと前だったんです。このまま安易に九十九里浜に戻ると、過去の自分と鉢合わせしてしまうかもしれない。そう考えた私は、日付を覚え間違えている可能性なんかも踏まえた上で、一月まで待ちました。そうして帰った故郷に、こいつがいたんですよ」

 

 桜坂は隣の席に腰かける、並行宇宙の同一存在へと目線をやった。

 

「はじめは我が目を疑いましたよ。自分とまったく同じ顔、同じ体型、同じ名前に同じ服の趣味! そのときは知りませんでしたが、後々調べてみたら、DNAの型まで、ぴたり、と一致していやがった。そんな、自分ではない、もう一人の自分が、自分の知らない生き方をしていた。ここは自分の知る地球ではない、と。これ以上ない、否定の形でした」

 

「……こいつとの出会いが衝撃的だったのは、私も同じです」

 

 アース1の桜坂が言った。

 

「はじめは勿論、信じられませんでした。別の並行宇宙に生きる、自分ではない自分なんて、信じられるはずがない。狂人に話しかけられている、と思いましたよ」

 

 どこかの病院から抜け出してきた統合失調症の患者が、自分とよく似た顔の相手を見つけた瞬間妄想の世界に囚われ、話しかけてきた。リュウヤは最初、桜坂との出会いをそう認識していたという。

 

 しかしながら、交流を重ねるうちに、マルチバースという考え方を、信じざるをえない、と思うようになった。

 

 理由はいくつかあるが、いちばんの根拠は、物的証拠としての桜坂の存在だ。

 

 統合失調症の妄想には、細部まで凝って造り込まれた、恐ろしくリアルなものがある。とはいえ、それらは基本的に頭の中で展開されるもの。それを裏付ける実物までこしらえるのは稀なケースだ。ましてやそれが、他の誰にも真似出来ない超常の力となれば、信じないわけにはいかなかった。

 

「互いを並行宇宙の同一存在と認めた後、我々は今後どうするかを話し合いました。アース2に戻る術がない現状、彼はここアース1で生きていかねばなりません。しかし、二人が同じ場所で暮らすのは、都合が悪い」

 

「同じ容姿の二人が同じ街で暮らす。考えただけで面倒くさい。二人いるところを知り合いに見られでもしたら、上手いこと言い訳を用意せにゃならん」

 

「そういう手間を嫌って、結局、我々は互いに別の場所で暮らすことにしました。もともとアース1の住人である私は、変わらずこの九十九里で」

 

「私の方は、折角なので、しばらくの間、日本中を旅して回ることにしました。戸籍や住民票なんかのデータは、《永遠神剣》の力を使って、ちょちょい、とね。そのうち、リュウヤが高校を卒業することになりまして。そのタイミングで、私もしばらくぶりにアカデミックな空間に身を置きたくなりました。行き先はアメリカのマサチューセッツ州、ボストン。そこで私は、鬼頭と出会ったんです。そこから先のことは、皆さんも知っての通り」

 

 アメリカ留学中に9・11同時多発テロ事件と現地で向き合い、災害用パワードスーツの開発と普及という夢を得た。大学を卒業後、自分たちの夢を叶えられる場所として、アローズ製作所の門を叩いた。当時の桐野秋雄社長や酒井たちからの薫陶を受け、技術者として、また人として、大きく成長させてもらった。パワードスーツ開発室発足の許可を得て、この場にいる、彼らを集めた。

 

 桜坂は自らの選んだライト・スタッフたちの顔をゆっくりと見回した。仁王の顔は、穏やかに笑っていた。

 

「……以上です。私の持つ超常の力の正体や、私が何者で、どこから来たのか。ご理解いただけましたでしょうか?」

 

 問いに対して、パワードスーツ開発室の面々は、等しく、すぐに答えることが出来なかった。超人の口から語られた言葉をどう咀嚼し、自分の中で消化すればよいのか。誰もが戸惑っていた。しばらくの間、言葉を見失ってしまう。

 

 桜坂の左手で、ロレックスのサブマリーナーがゆっくりと時間を刻んだ。

 

 無言の時間が一分ほど続いた後、最年長の酒井が、重たい唇を開いた。

 

「……いくつか、質問をしても?」

 

「どうぞ」

 

「以前、桜坂君は、超人の力を使うときは、身体を構築している物質の構造を作り替えている、と言っていたね。それも、《永遠神剣》の力なのかい?」

 

「そうです。我々《永遠神剣》の使い手……神剣士は、神剣の力を使うときに、超スピードで肉体を再構成します。それにより、人間のボディ・サイズや形状では、本来出せないパワーや、それを出力しても自壊しないだけの身体強度を可能としています」

 

「出力や強度を変えられる、というのは理解したよ。では、その再構成によって、見た目を変化させることは?」

 

「……まあ、ある程度なら」

 

 質問の意図するところが分からず、桜坂は訝しげな表情で答えた。

 

「鳥になったり、魚になったり、みたいな、人間とは別な動物に見た目を変えることは出来ませんし、男から女へ、性別を変えることも出来ません。中にはそういうことを可能とする神剣もあるかもしれませんが、少なくとも、俺が契約を結んだ神剣は出来ない。せいぜいが、この顔、この体つきをベースに、見た目上の年齢を操作するくらいです」

 

「再構成によって、細胞の劣化や傷を、なかったことには?」

 

「出来ますよ。っていうか、それが出来ないと、神剣士同士の戦いでは、すぐにやられてしまいまうので」

 

「つまり、桜坂君は外見も、中身も、若返りや老化を自由にコントロール出来る、ということだね?」

 

「まあ、はい」

 

「さっき、きみは時間移動にも巻き込まれた、と言っていたね?」

 

「はい」

 

「アース2からアース3へジャンプしたのが、二〇〇八年の十二月。アース3からアース1にジャンプして最初に確認した日付は、それよりもずっと前のことだった」

 

「ええ、そうです」

 

 二人の問答を眺める美久たちの顔が、おや? と、動揺した。二〇〇八年。何か、違和感が……駄目だ。桜坂のファーストネームと同様、深く考えようとすると、どういうわけか思考がまとまらない。これも、彼の身体から発せられているフェロモンのせいだろう。すなわち、二〇〇八年という年号の違和感について掘り下げることは、桜坂にとって不都合な事態ということか。

 

「いったい、いつだい?」

 

「はい?」

 

「きみは、いったいいつ頃から、このアース1にいるんだい? 外見も、中身も、年齢を自由に変えられる、きみは?」

 

 酒井の問いに、美久たちは、はっ、として異世界からやって来た超人の顔を見つめた。

 

 桜坂の年齢は、履歴書によれば鬼頭と同じ四五歳となっている。しかし、彼は老化現象を自由にコントロール出来る。加えて、その戸籍データは《永遠神剣》の力によって捏造されたもの。履歴書の数字は、信用ならない。

 

 酒井の問いに、今度は桜坂が返す言葉を見失うことになった。

 

 正直に答えるべきか、否か。

 

 超人は酒井の顔を、じいっ、と見つめた。やがて、深々と溜め息をつく。入社以来、自分の面倒を見てくれた彼だ。この人に嘘はつけないし、ついたところで、騙せるとは思えない。諦念の色も濃い表情の桜坂は、ゆっくりとした口調で、嘘いつわりのない事実のみを語った。酒井の顔色が変わる。いや、リュウヤを除く、全員の顔色が変わった。ある者は興奮から頬を紅潮させ、ある者は恐怖から青ざめ、ある者は、その返答に恍惚と笑みを浮かべた。

 

 赤い顔の酒井は、やおら椅子から立ち上がると、ぶるぶる、と震える唇から、吐き出すように声を発した。

 

「きみは……あなたは……ずっと、我々を見てきた。見守って、くれていたのですか?」

 

「見守るだなんて、上からなことは言いませんよ」

 

 仁王の顔が、完爾と微笑んだ。

 

「俺はただ、あなた方のそばにいただけです。さみしがり屋なんですよ、この男は。タイム・パラドクス防止のために、少なくとも二〇〇八年の十二月までは、故郷には戻れない。しかしその間、独りきりは嫌だ。だから、あなた方のそばにいた。すぐそばで、ともに生きた。待っていたんです。あなた方が、懐かしきアース2や3の人類と、同じところに来るのを」

 

「神様……」

 

 桐野美久が、陶然とした熱い吐息を漏らした。

 

 はじめて彼女と会ったときのことを思い出し、桜坂は苦笑を浮かべながらかぶりを振る。

 

「だから、違うってば。ここにいる男は、神様なんかじゃあない。たまさか、永遠神剣なんてモンと関わりを持っちまったせいで、バケモノじみた力を手に入れてしまったが……この男は、人間だよ」

 

 哀切を孕んだ声だった。永遠神剣と出会い、人を超えた力を手に入れた。異世界へ漂流し、そこで殺し合いをしいられた。ようやく帰ってこられた、と安堵していたその場所は、実は故郷の惑星ではなかった。今日この瞬間にいたるまでの経緯を追想する仁王像の顔は、悲しげだ。だが、アース1の人間たちを見つめる石炭色の瞳は、優しい輝きを灯していた。その眼差しを真っ向受け止め、酒井はいまにも泣きそうな顔になった。顔面神経を総動員して表情筋を引き締め、涙をこらえながら、感極まった様子で、彼は超人に向けて頭を垂れた。最敬礼。美久が、トムが、土居が……みながその動きに倣う。

 

 この場で顔を上げているのは、桜坂自身を含めて三人のみだ。

 

 顔を床に向けたまま、酒井が言う。

 

「……あなたと出会えたことを、光栄に思います。あなたは我々の、アース1人類の最良の友だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






マジでIS学園の組織図と見取り図が欲しい。

今回、売店を登場させたけど、ああいう特殊な環境下で存在を許される店舗ってどんなんだろうか、とか、考えるのがすごくたいへん。

……まあ、そういう細かい設定考えるのも好きなんだけどさ。

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