これからも拙作をオナシャス!
午後五時二二分。
IS学園第六アリーナ。
学園最大の規模を誇る闘技場の大空間を、いっぱいに使って展開された初心者用障害物コースを、鈍色の光線へと変じた鬼頭が駆け抜けていく。
身に纏うISは、無論、愛機の『打鉄』だ。BT・OSは起動させず、標準の運動制御プログラムを駆使して、PIC、各部の補助スラスター、スカート・アーマー背部のロケット・モーターを連携させている。前傾気味に体が正面を向いた飛行姿勢はどっしりと腰の据わった安定感があり、コーナーを始めとするコースの突然の変化にも遅滞なく対応してみせていた。
二セット目の伴走者として少し後ろを飛ぶダリルは、その背中を眺めながら、「上手いもんだ」と、口の中で呟いた。ISに乗り始めてまだ一ヶ月少々のルーキーにしては、なかなか堂に入った飛び姿だ。襲いくる障害物の数々にも、よく対処出来ていると思う。すでに一セット終わらせた後で、未見の障害物はもうなくなっているとはいえ、どこに何が配置されているのか分からないという状況は、変わらぬストレッサーのはず。それなのに集中を切らさず、冷静さを見失わず、出現した脅威の程度に応じて、その都度、適切な対応策が採れている。なんとも可愛げに乏しい、優秀な生徒だ。おかげで指導役の自分は、もう四周目を終えようかといういま時点になっても、助言らしい助言を何一つ口にさせてもらえない。
――一セット目は、まだ危なっかしさも目立ってたんだけどなあ。
専用機持ちたちによるIS訓練が始まって、速くも一時間半が経とうとしていた。
生徒会長の楯無が伴走者を務めた一セット目は、鬼頭も初めての経験ばかりで、低速から高速までの全速度領域への対応力が求められるテクニカルコースの攻略に四苦八苦していた。一周目から三周目までは、楯無が喉を休められた時間は僅かに過ぎず、鬼頭も額を大粒の汗で濡らしながら、一つ一つのポイントに対処していた。
状況が変わり出したのは、四周目を迎えた直後のことだ。
初心用コースのモデルになった富士スピードウェイは、スタートとゴールの前後に長大なストレートを持っている。同サーキットを象徴するロングストレートで、最大のオーバーテイク・ポイントだが、調子に乗ってスピードを出しすぎると、直後に待ち受けるヘアピンコーナーの攻略に苦労することになってしまう。オーバースピードで突入すればコースアウトは必至だし、逆にブレーキングのタイミングが早すぎると、その後は低速~中速のコーナーが連続するため、アクセルを開いての挽回が難しい。
ISレース用のコースも同様のレイアウトを採用しており、コースを攻略する上での難所の一つとされていた。
ISに搭載されているPICは、静止状態からいきなり最大速度まで加速したり、逆に最大速度から静止状態に減速したりを、理論上は、限りなくゼロ秒に近い間に行うことが出来る。イメージ・インターフェースの作用によって、こう、と意識した直後には、機体の加減速は完了している。この機能を駆使すれば、ヘアピンコーナーの攻略は、一見、難しくないように思えるかもしれない。しかし、現実にこれを行うのは、まず不可能だ。
超科学の結晶たるISだが、それを操るのは人間だ。操縦者の感覚は、静止状態からの超音速、超音速からの静止といった、速度の急すぎる変化に耐えられない。
高速道路を長時間運転した後に一般道を走ると、速度感覚の違いに戸惑うことがある。PICを使ってのゼロ秒減速・ゼロ秒加速は、それを何百倍にも強烈にした感覚の麻痺が、コンマ・ゼロ数秒という、気構えを練るには短すぎる時間のうちに襲いかかってくることになる。
人間の適応能力は段階的に発揮される。PICの加減速機能も、現実的には十分な時間――といっても、IS基準だから、それでもかなり短い時間だが――をかけての加減速が基本だ。ゆえに、ISレースでも陸のレースと同様、ハイ・スピードを維持した状態でロングストレートからのヘアピンをパスするのは難しいとされていた。
加えて、今回のレギュレーションは障害物競技。周回ごとにランダムに配置された障害の数々が、予期せぬタイミングで牙を剥いてくる。ブレーキングのタイミングを計って集中力を高めているところにロケット砲が襲いかかるなどの妨害を受ければ、集中は乱れ、必然、機体の挙動もおかしくなる。タイムへの影響は甚大だ。
四周目に突入した鬼頭の身を襲ったシュチュエーションは、まさにそういう事態であった。
これまでの三周の経験から、ハードブレーキングをかけ始めるポイントはここと思い定めていた彼が、目的のエリアに到達した次の瞬間、コースの両脇に対空砲の陣地が突然現われ、彼の行く手を塞ぐべく十字砲火を開始した。勿論、空間投影式のCGだ。発射される銃弾に当たっても、実際にシールドエネルギーが減少したり、機体が損傷したりといったダメージは負わない。しかし、仮想ダメージは受ける。演習モードと認識しているISコアが、命中部位とダメージ判定を即座に下し、仮想のシールドエネルギーを減少させる。ダメージによっては、その部位が損傷した仮定でパフォーマンスを低下させる。そうなると、挽回は一気に難しくなる。
対空陣地の出現は、鬼頭にとって、また伴走者の楯無にとっても、まったくの不意打となった。衝突事故予防のため五十メートルの安全距離をとって後ろを飛ぶ楯無が、対処法を教示する間もなく、鬼頭は十字砲火の中に突入していった。
このときの様子を見ていた外野のダリルたちは、この瞬間、この周回ついて、等しく同じ未来予想図を思い浮かべた。すなわち、十字砲火に襲われた鬼頭はPICを制御するための集中を大いに乱され、機体の挙動は不安定に。当然タイムに影響し、以後はそのロスをどう取り返すかで苦慮することになる。そんなシナリオだ。
ところが、そうはならなかった。二十ミリ弾の嵐の猛威の中に飛び込んだ鬼頭は、なんと、あえて増速したのだ。アン・ロック・ユニットの二枚の盾でバイタルパートを防御しながら真っ直ぐに進み続け、危険地帯の強引な突破を試みる。
専用機持ちたちの目に、その対処法は最適解とは映じなかった。しかし、不意打を受けてなお、鬼頭の集中力はいささかも動揺していないことに驚かされた。銃弾飛び交う危険地帯を最短時間で通過する。そのために、盾を操り、あえて加速する。これは、冷静な判断力なしには取りえぬリアクションだ。
次いで、ダリルたちは驚きの光景を目撃した。銃火の被害を最小限に留めることに成功した鬼頭だが、そのために、ブレーキングのスタート・タイミングを逃してしまった。むしろいっそうの加速により、このままでは、コースアウトは必至。タイムどころの話ではない。
コーナーへと突入した鬼頭の身体が、がく、と動揺した。直後、時速一八〇〇キロメートルから時速二〇〇キロメートルへ、一瞬で減速。ゼロ秒減速だ。男の脳神経を苛む、速度感覚麻痺の衝撃!
ダリルの隣で状況をモニターするフォルテが悲鳴をあげた。
画面に映じる鬼頭は、瞼を閉ざしていた。
速度変化による目眩は、視覚情報によるところが大きい。なるほど、あえて視界を閉ざすことで、感覚麻痺に翻弄されることを避けたのか。しかし、それでは――、
「どうやってヘアピンを!?」
十分な減速を果たした鬼頭は、のびやかにヘアピンコーナーを曲がってみせた。勿論、瞼は閉じたままだ。すかさず、待機状態のISたちがその飛行ラインを解析し、結果を操縦者らに伝える。直前三周目にクリアしたときと、九七パーセント以上が一致。ダリルたちは唖然とし、瞠目した。わずか三周分の経験と記憶を頼りに、頭の中にコースの姿を思い描き、PICを操作したというのか。
「ははあ、大体わかりました」
ヘアピンを抜けた鬼頭が、目を開けた。冷笑を浮かべながら、呟く。
「わかってきましたよ、このコースの飛び方が」
後ろを飛ぶ楯無の口数が目に見えて減り始めたのは、このときからだ。以降、鬼頭はコースの難所、障害の数々を、自らの力で突破していった。
一つ一つの飛行技術は、いかにも素人くさい、粗の目立つものだ。しかし、いまの自分の技量でタイムを揃えるためにはどうすればよいか。どんなことに気をつければ上手く飛べるようになるか。障害物のいなし方。コースの攻略法。この場所でこの障害物が現われたときの対処法。この難所にこの障害物が組み合わさったとき、いまの自分の力で突破するには、何をすべきか。そういったことを、常に頭の中で考えに考えながら飛ぶ彼は、周回ごとに、着実に上手くなっていくのが見て取れた。それどころか、経験に勝るダリルたちをして、驚くような飛び方を見せることさえある。
そうやって十周目を終えたとき、壮年の鎧武者はすっかり独り立ちしていた。
そして二セット目。伴走者のダリルはほとんど仕事のないまま五周目を迎えようとしていた。勿論、訓練後のレポート作成の一助とするために、後ろ姿の撮影は続けているが、閑居との戯れを自覚せずにはいられない。
そんな彼女が違和感を覚えたのは、五周目に突入してすぐのことだった。
――……何だ?
先行する男の背中を見つめながら、アメリカからやって来た代表候補生の少女は困惑した表情を浮かべて、口の中で呟いた。
――周回ごとに、飛びやすくなっているような……。
気のせいかと疑い、『ヘル・ハウンド』のログ・データにアクセスする。明らかに、タイムに有意な差が生じていた。いったいなぜ……? やおら一つの仮説に思い至ったダリルは、驚きから、こく、と喉を鳴らした。
――……まさか、ラインか?
後でその効果を検証するために、伴走者はなるべく鬼頭が飛んだラインをなぞるような機動を心がけている。
鬼頭のラインは周回ごとに微妙に変化していた。自分なりに、タイムを揃えるために最適なラインを探しているのだろう。このポイントで一秒遅れたときは、次のここをこのラインで飛ぶ。逆に一秒のアドバンテージを得てしまったときは、障害物避けを意識した安全なラインを選択する。そうした試行錯誤の結果が、ラインに反映されているように思う。
その飛行ラインが、段々と良くなっていることに気がついた。同じ一秒を詰めるためのラインでも、新しいラインの方がいくぶん飛びやすく、突然の襲撃にも備えやすい。そんな感想を幾度も抱き、偶然ではないと確信を抱く。
――マジかよ……。この男、この短時間のうちに、ライン取りの技術まで向上し始めてやがる!
飛行ラインの取捨選択なんてものは、普通、飛行技術そのものを身につけてから取りかかるものなのに。
――そういやクルマ好きって言っていたな。スポーツ走行の経験も、あるんだったか。
もしかするとモータースポーツの知識がラインの取り方に気を配る、という意識を当たり前のものとしているのかもしれない。
それにしてもなんと濃密な時間なのか。物覚えが良いなんて言葉では、とてもじゃないが称賛しきれない。一周飛ぶごとに、すさまじい勢いで成長している。これが、
これが、天才――、
「天才・鬼頭智之」
ゆっくりとその名を呟き、噛みしめる。噛みしめて、口角を吊り上げた。好戦的な笑み。
なるほど、日本政府やイギリス政府が歓心を買おうと躍起になるわけだ。これほどの男と知った上であれば、なるほど、一ヶ月前に実家の叔母が、盗聴の危険を冒してまでわざわざ連絡してきたのも頷ける。
――可能であれば、彼を勧誘してこい、か。はじめはつまらない仕事だと思ったけど、なかなかどうして……楽しそうじゃないかッ。
この男と轡を並べることが出来たなら。彼が自分たちのもとに来てくれたなら。さぞや面白い未来が到来するに違いない。世界を、しっちゃかめっちゃかに引き裂けるはずだ。
「なあ、キトーさんよぉ」
『うん? なんです!?』
コースの終盤、つづら折りのコーナーが三連続するテクニカルゾーンに突入した鬼頭が、障害物の炎の柱を懸命に避けながら応答した。
修羅場を掻い潜る男の背中を愉快に眺めながら、ダリルは言った。
「あんた、キャディラックのシートに興味はないか?」
インフィニット・ストラトス二次創作
「この小さな世界で愛を語ろう」
Chapter37「理解までの距離」
二セット目を終えて十五分の小休止を挟んだ後、三セット目が始まった。
今回の伴走者はラウラだ。ドイツからやって来た専用機持ちの少女は、第三次イグニッション・プランの有力な候補機と名高いISを展開する。先の授業ではじっくりと見る機会に恵まれなかった。出現した機械鎧を、鬼頭は興味深そうに眺め見る。
「ははあ、これがドイツのレーゲン型ですか」
第三世代機らしい、大柄な機体だった。手足を覆う駆動肢が、ごつごつと角張った面取りがなされた装甲で武装されている。かたわらには増速用のブースター・ユニットを内蔵していると思しきドラム状のアン・ロック・ユニットが二基浮かび、炎の尻尾を揺らす未来を、いまかいまかと待ちわびている様子だった。機体のベースカラーは黒鉄。
鬼頭はラウラの周りをぐるぐると歩き回りながら機体を観察した。ときに前から、ときに後ろから突き刺さる無遠慮な視線を、銀髪の少女はむしろ胸を張って受け止めている。鬼頭は『打鉄』のISコアをコア・ネットワークへとつなげた。ドイツの第三世代機、シュヴァルツェア・レーゲン。記録上のデータと、己自身の目で実機を見て抱いた感想とを比較し、考察する。
「かなり重厚な造りをした脚部ですね。まるで戦車のようだ」
「シールドバリアーを突破されたときの備えで、盾として機能するよう厚みを持たせているのです」
「なるほど。……ですが、それだけじゃないでしょう?」
「む」
「飛行パワードスーツのISに、こんな大きな足は本来不要のはず」
「では、何のためだと思います?」
「ううん……さては、火薬式の、大口径砲をお持ちなのでは? 大きな足は、その反動に耐えるためとか?」
「ご明察。さすがです」
「ロボットアームは、手首の部分と、肘の部分が、他の部分よりもやや大型化していますね。……プラズマ発振器と、その形状を固定する装置ですか? 近接用の、プラズマブレード・システム?」
「それも見ただけで分かりますか! そうです。その通りです」
「コア・ネットワークの記録と照らし合わせて、この見た目はそうじゃないかな、と思いまして。近接武器を、剣などの手持ち式の後付け兵装ではなく、腕部に直接固定式で実装しているのは、例の特殊兵装絡みですか?」
「そうです」
「ちょっと触ってみても?」
「ええ、構いませんよ」
「や、さすがにそれは駄目だろ。ボーデヴィッヒも構えよ」
『打鉄』のロボットアームをラウラの二の腕に伸ばそうとする鬼頭を、ダリルがたしなめた。
「む。ミス・ダリル?」
「キトーさん、あんた、いま、自分たちがどういうふうに見えているか、自覚あるか?」
「というと?」
「四十半ばのおじさんが、水着同然の恰好をした十代半ばの娘をねっとりとした視線でじろじろねめ回しているんだぜ?」
「ふうむ……」
ラウラへと伸ばしかけた手を引っ込め、鬼頭は自らのおとがいを撫でさすった。たっぷり五秒間の黙考の末、鬼頭は、かっ、と切れ長の双眸を見開く。
「変質者じゃないか!」
「そうだよ。そう言っているんだよ。その上で相手の身体に触るとか、完璧なセクハラじゃねえか」
「この天才、迂闊すぎる!」
気を取り直して、二人は空中へとその身を置いた。前のセットと同様、鬼頭が先行して飛び、伴走者のラウラがその飛行ラインをなぞる。一周目。ホームストレートからのヘアピンをクリアし、四連続の宙返りループが求められる直線エリアへ。
二つ目の宙返りを終えたところで、進行方向正面にトラップが出現した。鬼頭の唇から、「おっ」という、新鮮な驚きの声。このタイミングでは、はじめて見る障害物だ。
無人戦闘攻撃機『ゴルザーⅡ』。全長四メートルという小さなボディに、《スティンガー》対空ミサイルを四発も装備する高火力機だ。イギリスの『ハリアー』戦闘機をサイズ・ダウンしたかのような見た目をしており、『ハリアー』と同様、その場にとどまってのホバリング機動や、垂直方向への上下移動が可能。その運動性は、有人タイプの攻撃ヘリをゆうに上回る。最高速度も、この大きさでなんと時速六五〇キロメートルもある。
――またいやらしいタイミングで出てきたな。
無人航空機というカテゴリーにおいては、機体サイズに比して高性能な兵器だろう。しかし、自慢のスペックもISと比べれば玩具同然。通常の戦闘であれば、歯牙にもかからぬ相手だ。
だが、いまはISレースの真っ最中。しかも、コースレイアウトの都合で宙返りを強制されている。飛行ラインが制限されている状態でこれを相手取るのは、ちとしんどい。攻撃される前に撃ち落とすか。攻撃を避けてスルーするか。どんな選択をしても、タイムへの悪影響は必至だ。それが一秒となるか、二秒となるか。悠長に考えている暇はない。鬼頭はこれまでの周回の経験を基に、直感で判断――、
「っ!」
苦々しい舌打ちが、男の唇から漏れ出た。
ハイパーセンサーがもたらす三六〇度視界の片隅にポップアップが出現し、機体の内側で生じた変化を知らせる。BT・OS《オデッセイ》の起動。無論、鬼頭の指示を受けてのことではない。操縦者の窮地を察したISコアが、またぞろいらぬお節介を焼き始めたのだ。
第一リミッターが解除され、操縦系のはたらきに、BTエネルギーが介入を開始する。入力に対する機体の応答性が格段に増していく実感。『打鉄』の装甲表面部が一瞬のうちに煌めき、すみれ色のストライプが刻まれる……、
――そうは、させるか!
機体にまとわりつく光輝を振り払うように、鬼頭は『打鉄』を左右に大きく揺さぶった。飛行姿勢が乱れて遅速。直後、『ゴルザーⅡ』の翼下パイロンからスティンガー・ミサイルが二発、連続して発射された。依然、外見に変化のない『打鉄』を駆って、鬼頭はこれを真っ向迎え撃つ。
BT・OSの強制終了。PICへの意識を疎かにしてでも集中力を振り絞り、ISコアからの介入をシャット・アウトしたのだ。
機体の運動制御を再び通常のOSに任せた鬼頭は、アサルト・ライフルの《焔備》をすかさず展開。マッハ二の速さで襲いくるミサイルとの間合いを定義する。ハイパーセンサーが知らせるところによれば、発射されたミサイルに搭載されているのは近接信管。目標に直接命中せずとも、至近距離にいたったとシーカーが判断した段階で爆発してしまう。
三度目の宙返りに向けて機体を傾けつつあった鬼頭と『ゴルザーⅡ』との距離はおよそ二十メートル。迎撃に費やせる時間は短い。間髪入れずに、鬼頭はライフルのトリガーを引き絞った。射撃モードはフル・オート。銃口が、バババッ、と火を噴き、十二・七ミリ弾が空気を引き裂いて飛んでいく。
《焔備》の最大発射速度は一分間に一六〇〇発。当然、すさまじい反動が、銃を保持する両腕を殴打する。しかし、国産ISの最高峰と謡われた機体が装備するロボットアームは、キック・バックのエネルギーを見事に受け止めていた。代わりに、精確な射撃をライフル銃に保証する。
銃撃は吸い込まれるように二発のミサイルに命中した。推進装置を撃ち抜かれ、双子の飛翔体はともに失速。炎の尾を噴き出しながら落下していく。
ハイパーセンサーの三六〇度視界でその様子を、ちら、と一瞥し、鬼頭は正面に位置する『ゴルザーⅡ』にも銃火を浴びせかけた。
垂直離着陸能力、高速巡航能力、重武装など、小さなボディに各種の機能・性能を盛り込んだ、欲張りな機体だ。当然、これらの要素を搭載しても航空機として破綻しないよう、頑強に造り込まれている。
とはいえ、十メートル未満という近距離で五十口径弾を何発も叩き込まれては、さしもの堅牢さも役立たない。垂直尾翼が千切れ飛び、くるくる、と回転しながら墜落していった。地面に激突するとばらばらに四散する。変なところでリアルなんだな、と感心した。
障害を排除した鬼頭は、改めて宙返りに挑戦する。四連続の後半二回をクリアしたところで、何秒のロスだったのかを素早く確認。二・二五秒。さて、どこで挽回するか……。
『鬼頭さん』
コース脇で障害物の動きを管制している楯無から、通信が入った。比較的スピードを出しやすいゆるやかなコーナー地帯に到達した鬼頭は、増速に意識を割きつつ応じる。
「どうしました?」
『さっき、機体の挙動が乱れたような気がしましたが?』
「ISコアからの介入がありました」
対空機関砲の銃火を急降下で回避。と同時に、位置エネルギーを運動エネルギーへと交換した加速力で、ロス・タイムを埋めようと努める。自然、返答は言葉短く、端的となった。
「こちらの意思に反してBT・OSを起動させようとしたので、強制キャンセルを」
『なるほど』
楯無は束の間、沈黙した。少し考え込んだ後、おもむろに、自分の考えを口にする。
『では、今度はキャンセルしないでください』
「む?」
『次の周回に限り、同じ場所に、同じ障害物を設置します。そのときにまたISコアがBT・OSを起ち上げようとしたら、今度はその動きに、逆らわないであげてください』
「理由をおうかがいしても?」
『この訓練が目指す最終目的は』
「はい」
『鬼頭さんが、ISコアのはたらきを制御できるようになることです』
そのために、訓練を通してISコアとの相互理解を図る。ISコアに、鬼頭智之とはこういう男なのだ、ということを知ってもらい、自分もまた、愛機に積まれたコアの個性を知る。それをやりやすくするための、キープ・タイム・トレーニングだ。
同じコースを何十周とする中で、自分ならばこう攻略する、という場面を、幾度となくISコアに披露する。それを可能とするために、同じコースを何十周と繰り返すことで、操縦技術の底上げを図る。技術が磨かれれば、より多くの選択肢が鬼頭の前に呈示される。その中から、このときはこれ、こういう場面ではこれ、というふうに、自分の嗜好を知ってもらうのだ。
『そしてそれは、鬼頭さんに対しても言えることです』
「というと?」
『互いが互いのことを知ろうとするから、相互理解なんです。鬼頭さんの方も、ISコアの好みを知る必要があると思います』
連続宙返り地帯で『ゴルザーⅡ』に遭遇した鬼頭は、銃撃でこれを排除する、という作戦オプションを選択した。対して、『打鉄』のISコアはあのとき、BT・OSを起ち上げようとした。彼女には彼女なりの、あの状況における最適解があったのだ。
『鬼頭さんは、次の周回でそれを知るべきです』
勿論、それは鬼頭にとっての正解ではないかもしれない。しかし、それはISコアにとっても同じこと。
『ISコアにとっては、さっきの鬼頭さんの銃撃こそ、正解じゃないかもしれません。だからこそ、鬼頭さんは知るべきです。あなたの機体に積まれた、その子の考えを』
鬼頭の考え。ISコアの考え。
二つの意見を開陳し、議論し、二人のとっての、最適解を見つけ出す。両者納得のいく答えを、探す。それこそが、相互理解というものだ。
楯無の提案に、鬼頭は、応、と頷いた。
一周目が終わった。ロングストレート。ヘアピンコーナー。そしてまた、四連続宙返りのエリアへと突入する。二回目の宙返りを終えたところで、またも出現する『ゴルザーⅡ』。
鬼頭は視界の端を、ちら、と見た。先の反省か、BT・OSの起動を求めるメッセージ・ボックスが表示されている。
――よし、いいぞ。
今度は、こちらも素直に応じた。BT・OS《オデッセイ》が起ち上がる。と同時に第一リミッターを解除。『打鉄』の装甲に、紫色のストライプが走った。
――さあ、お前ならどうする?
その回答は、ハイパーセンサーに映じた。推奨される行動オプション。一瞥した鬼頭は、口元に冷笑を浮かべた。
「なるほど。面白い作戦だ!」
平素の自分であれば、真っ先に考慮の外に捨て置く作戦だ。効果はともかく、いまの自分には、それを実行に移すだけの技術がない。
しかし、BTエネルギーの補助により、機体の追従性が底上げされているいまならば。
鬼頭は武装を展開しないまま『ゴルザーⅡ』へと接近した。先の自分は、銃撃でもって障害を排除したが、この戦い方は、実は時間の消耗が激しい。攻撃の動作自体も無論のこと、その準備――武装の展開や、照準を合わせるための遅速などの――時間が発生してしまう。
タイム・ロスを嫌うのであれば、ここは速度を緩めることなく前進を続けながら、最小限の動きで攻撃を回避するのが正解だ。スティンガー・ミサイルの飛翔速度は最大でマッハ二・二。比較的小型のミサイルだから、運動性も高い。これをいかにして避けるか。さっきまでの自分では難しかった。しかし、いまの自分ならば。
『ゴルザーⅡ』が、スティンガー・ミサイルを発射した。装填している四発全弾を、ほぼ同時にランチャーから切り離す。四基の赤外線誘導装置が、鬼頭を狙って目を輝かせた。
対する鬼頭は、『ゴルザーⅡ』に向かって正面から突っ込んでいく。
必然、ミサイルも正面に向かって突き進む。
両者の間合いは、あっという間に煮詰まった。
ハイパーセンサーが、近接信管の作動音を感知した。すかさず、ISコアが起爆までの時間を算出する。〇・〇三五秒のうちに、避難せよとの指示。鼓膜に映じた視覚情報を脳で処理し、分析し、そうしてからようやく四肢の運動神経に信号を送って、筋肉を動かす。人間の認知機能、反射速度では、到底間に合わない短すぎる猶予。
だが、いま自分が操っているこの機体は。この身を包む鎧は、ISだ。あらゆる機器は、イメージ・インターフェースを中継した思考によって制御される。脳の神経細胞が情報のやり取りをする速度そのままの速さで、駆動肢やPICを起動させることが出来る。
――まして、いまのこの機体は……!
人間の思考波に反応して姿形を変える流動体……BTエネルギーは、思考波に篭められた想いや感情が強いほどに鋭く反応し、激しく運動する。
BTエネルギーのアシストを得た鬼頭の思考波は、電撃的反応速度で機体を動かした。
直進から真上へと、スピードを維持したまま、いきなりのポップアップ。
突然の方向転換に追従できないミサイルの群れは、雷管から電流火花が飛び散るのを止められないまま、『打鉄』のはるか下方で爆発した。
爆風の圧力と四方八方に飛散した破片の嵐が襲いくるも、すでに十分な距離が開けている。シールドバリアーで十分受け止めきれるパワーと数だ。鬼頭は難なくこれを凌いでみせた。
宙返りループの飛行姿勢へと移行する。そうはさせぬ、と『ゴルザーⅡ』が機首のチェーンガンを発射するも、むなしい抵抗だった。パープルの『打鉄』は、無人攻撃機が未来位置へと照準を合わせるよりも常に一瞬速く動き出し、攻撃のことごとくを回避してみせる。敵機の頭上を悠々飛び越えた鬼頭は、最終的に、直前の周回と比べて一・五秒以上のリードを得た状態で連続ループ地帯を突破した。
間髪入れずに、次なる障害物が彼らの前に現われた。無人車輌『メルバスST』が、アンダーステアを誘う巧妙な造りのコーナーで車列を形成し、待ち構えている。ピックアップトラックの形をした装甲車輌だ。高性能の火器管制装置を積んでおり、荷台に様々な兵装を積載・運用することが出来る。今回、鬼頭の進路を阻むトラックの数は四輌。うち二輌が荷台に連装式の対空機銃を積み、二輌は対空ミサイルの発射台を積載していた。
ハイパーセンサーに、またしてもメッセージ・ボックスが出現した。自分の提案を採用してくれた事実に気をよくしたISコアが、再度、彼女が効果的と考える作戦を呈示する。
宙返りエリアのときと異なり、今回は敵の数が多い。先ほどのように攻撃を回避しながらの通過は、運動性の向上した紫色のいまの状態でも困難だ。無理な突破を試みれば、たちまち一斉射撃を浴びせられ、タイムに大きく影響するだろう。ここは速度を落とし、こちらも銃撃を叩き込んで、一輌々々を確実に破壊してから通過するのが最もタイム・ロスが少ない上策。なるほど、と得心した鬼頭は、
「それも良いが、今度は、俺の作戦を見ていてくれ」
好戦的に微笑むと、鬼頭はBT・OSの第四リミッターを解除した。機体に稲妻のように走るストライプの色が、紫から赤へと変わる。膂力や直線的な機動性を引き出しやすい、パワー・モード。武装は展開しないまま、コーナー・エリアに進入する。
ISコアが呈示した作戦は、障害物の攻略という点に限っていえば、いまの自分の技量に許された最適解だろう。しかし、タイム・アタックに挑戦中というバック・ボーンを考えると、適当とは言い難い。
これより自分が挑むのは、富士スピードウェイのトヨペット100Rコーナーに相当する区間だ。スピードを上げすぎるとアウトに膨らみ、続くヘアピンの攻略が難しくなってしまう。かといって速度を落としすぎると、タイムへの影響が大きいという難所の一つ。精確な銃撃のためとはいえ、ここで飛行速度を落とすのは得策ではない。
――トータルで考える必要がある。障害物の攻略だけ一〇〇点でも、コースの攻略が五〇点では合計点は一五〇点だ。障害物の攻略八〇点、コースの攻略八〇点なら、一六〇点の結果が得られる。
アウト・イン・アウト。スポーツ走行の基本技術の一つを意識しながら、鬼頭は赤い『打鉄』を駆って空を滑走した。スピードは落とさず、飛行姿勢だけを変える。腰を中心に体を水平へと傾け、背中を上に、腹を下に。空中でうつ伏せの姿勢を取ると、二枚の物理シールドを下方へと回り込ませ、地上からの攻撃に備えた。
――赤の『打鉄』の直線的機動力でもって、一瞬のうちに、最短時間でこの区間を突破する。多少のダメージは受けるだろうが、これが、最もタイムへの影響が少ないやり方だ。
鬼頭はコースのアウト側に機体を滑らせ寄せると、コーナーを斜めに突っ切るように、一気に加速した。
応じて、対空ミサイルを積んだ『メルバスST』が、天頂部に載せたロングボウ・レーダーから誘導波を放つ。
ミサイルに対するロック・オン・アラートは、なんと反応しない。『打鉄』のスピードが速すぎるために、ミサイルのロック・オンがままならないのだ。この時点で、四輌のうち二輌は無力化された。
残る二輌が、連装機銃をぶっ放す。最大厚一三ミリの装甲板で被覆された重たい装甲車輌が、銃撃の反動で激しく身震いする。毎分八〇〇発の発射速度を誇る五十口径銃四挺の雄叫びは、はたして、威力を発揮しなかった。レーダー・システムによる照準が有効ではない相手だ。無人機だから、ガンナーが経験と勘で未来位置を予想するということも出来ない。必然、射撃は数撃ちゃ当たるといった、頼りのない弾幕形成にとどまった。命中弾は、僅かに三発。
その三発も、入射角が悪く、運動エネルギーの多くが削ぎ落とされた状態での命中だった。シールドエネルギーのダメージはほとんどない。物理シールドの方も傷一つつかないまま、鬼頭はコーナーをクリアした。
――どうだい?
続くヘアピンを睨みながら、鬼頭は胸の内でひっそりと呟いた。
――こういうのも、面白いだろう?
ISコアからの返答は、次の行動提案だった。見れば、ヘアピンの折り返し直後に、『ゴルザーⅡ』が二機と、『メルバスST』が二輌待ち構えている。空と陸からの両面攻撃。これに対抗するための作戦は――、
「……はっ」
思わず、笑みがこぼれた。これまでの善戦により、タイムには相当な余裕が生まれている。ここは時間を費やしてでも、あの四機を攻撃によって沈黙させ、安全を確保してから先へ進むべきだ。鬼頭好みの、そしてISコア好みの作戦だった。
「……すごい」
殺到する無人兵器たちの猛攻を軽々に凌ぐ鬼頭の後ろ姿を見つめながら、ラウラ・ボーデヴィッヒは茫然と呟いた。ISに乗り始めて一ヶ月少々のルーキーとは思えぬ見事な動きに、自然、背中に向ける眼差しが熱を帯びていくのを自覚する。
「素晴らしいです、ヘア・キトー!」
IS学園への転入が決まった日の記憶が蘇った。
第一空軍幕僚監部のエミール・バレニー少佐は、空軍指揮幕僚監部が置かれたボンの司令部に自分を呼び出すと、そこでIS学園への転入作戦を命令した。
「作戦の目的は二つです、少佐。一つは、第三世代機の開発に必要なデータ収集をすること。現状、わが国のレーゲン型の完成度は、他のイグニッション・プラン候補機に比べて数歩遅れと言わざるをえません。この遅れを解消するために、少佐にはレーゲン型の実働データの収集と、学園の保有する最新のIS技術、そして、他国の最新鋭機に搭載された技術を学んできてもらいたい。その際には、少佐もよく知る、織斑千冬に協力を仰ぐとよいでしょう。教官時代の彼女は、少佐のことを特に気に入っている様子でした。少佐が願えば、きっと好意的な返事をもらえるものと確信しています」
バレニー少佐の言に、ラウラは表情を輝かせた。また千冬に会えると思うと、胸が弾んだ。
しかし、彼女が明るい気持ちでいられたのは一瞬のことだった。次いでバレニー少佐が口にしたのは、ラウラにとって、心情的に、受け入れがたい内容の指示だった。
「もう一つは、男性操縦者たちの勧誘です」
世間の動静に疎いと自覚のあるラウラだが、二人のことはさすがに知っていた。あの忌々しき織斑一夏。そして、鬼頭智之。二人とも、男の身でありながらISを動かすことが出来る、世界にたった二人しかいない特別な立場の男たちだ。
率直に言って、ラウラは男性操縦者たちに良い印象を持っていなかった。織斑一夏は言うに及ばず、鬼頭智之についても、その存在を不快に思う。
ラウラにとって、IS操縦者の立場とは、気力体力ともに人よりも秀でる者たちが、努力に努力を重ねてようやく手に入れられる栄光の座だ。そんな聖域を、男である、というだけで汚されてはたまらない。まして体力のピークがとうに過ぎた中年男なんて……。
ところが、バレニー少佐より手渡された二人に関する資料に目を通して、その気持ちに変化が生じた。
織斑一夏の方は、どうしても読む気になれなかった。だから、鬼頭智之についての資料だけを熟読した。驚いた。レーザー・ピストル《トール》。BT・OS《オデッセイ》。どちらも今後のISバトルや軍事力のあり方に一石を投じる素晴らしい発明品だ。それを開発した人物だという。
ラウラは優秀な人間が大好きだ。優秀さや有能といった言葉には、価値がある。価値ある人間は、周囲からの尊敬を集め、能力の高さに相応しい社会的地位が与えられ、なにより、誰も彼もがその人物のことを愛してくれる。社会はそうあるべきだと、強い信念を抱いている。
資料を読んだ限り、鬼頭智之は、ラウラの考える優秀さの条件を完璧に満たしているといえた。軍からの命令は勿論だが、それとは関係なしに、会ってみたいと思った。
はたして、実際にわが目で見た鬼頭智之は、事前の期待をはるかに上回る好漢だった。
技術者としての高い能力と、それを示す実績の数々。それでいて、いまの自分に決して満足していない。常に新しいことに挑戦し、鍛錬に余念のない向学心の高さは、ラウラの胸の内を好感の気持ちでいっぱいにさせた。
――そればかりか、IS操縦者としても、これほどの男だったとは!
安全距離を隔てたその先にある男の背中を、ラウラはうっとりと見つめた。難所のコーナーを易々クリアする後ろ姿からは、操縦時間の合計が三〇〇時間オーバーのベテラン操縦者たちと比べても、ほとんど遜色ない飛行技術の抄が見て取れる。特別なOSの補助を受けていることを踏まえても素晴らしい技量だといえたし、そもそも、そのOSを開発した本人である。どちらにせよ、彼が有能であることの証左であった。
――技術者として素晴らしい能力を持ち、IS操縦者としても将来有望。これは、なんとしてもわがドイツに迎え入れたい人材だ。
鬼頭智之という男のことを知るにつれ、ラウラはいっそうその思いを強くする。
と同時に、彼の有能さを知るほどに、胸の内で、とある疑念がその存在感を増していくのを自覚した。
バレニー少佐からの資料には、『鬼頭智之は娘の陽子のことをたいへんに溺愛しており、彼を懐柔する際には、併せて、彼女の方にもアプローチをかけるのが効果的である』という旨のことが書かれていた。ラウラはこの記述を懐疑的に捉えていた。軍の情報収集能力を疑うつもりはない。だが、分析については的外れではないかと思う。鬼頭の関心を誘う上で、娘にまで手を出すのが有効だとは、どうしても思えなかった。なぜならラウラの目に、鬼頭陽子は有能とは映じていなかったからだ。
繰り返しになるが、ラウラは優秀な人間が好きだ。優秀な人間には価値がある。人から愛されるための理由がある。
翻って、鬼頭陽子はどうだろうか。この二日間、授業中の様子をひそかに観察してみたが、知識が特に豊富なわけでも、同級生たちと比べてISの操縦がとりわけ上手いというわけでもない。平凡という評価が真っ先に思い浮かぶ、そんな程度の娘だ。
入学当初の時期に、イギリスの代表候補生との試合で互角に戦ってみせた、という話も聞いてはいる。しかし、その試合を観戦していた者たちの多くは、主要因は優秀な武器の存在にあった、と評価していた。すなわち、レーザー・ピストル《トール》が高性能であっただけで、彼女自身が試合巧者だったわけではない、というわけだ。
以上のことを踏まえた上で、はたして、鬼頭陽子は優秀な人間だといえるだろうか。ラウラにはそうは思えない。彼女に、鬼頭智之ほどの男から愛を向けられるだけの価値があるとは、どうしても思えない。
――ヨーコ・キトーには、ヘア・キトーから愛される理由がない。ヨーコ・キトーにもアプローチをかけよ、という軍の立案した作戦は、そもそも前提を間違えているのではないか?
鬼頭智之は娘のことを深く愛している。この前提が間違っているとすれば、軍からの指示通りに動いても、彼の人物をわが国に引き込める公算は低いだろう。
ならば、自分はどうするべきか。鬼頭智之という傑出した才能をわが掌中におさめるためには、何をすればよい……?
「簡単なことだ」
前を飛ぶ鬼頭の背中を眺めながら、ラウラは破顔した。
「ヘア・キトーに、私の優秀さを……私という人間の価値を、見せつければいい。私が、彼から愛されるようになればいいのだ」
方針は定まった。
次いで考えるのは、そのための手段だ。
鬼頭に、自分という人間の持つ価値を示す。最も手っ取り早い手段は何がいいだろうか?彼が、陽子よりも自分を愛してくれるには、何をすればいい?
「それも、簡単なことだ」
ラウラは晴れやかに微笑んだ。
「ヘア・キトーの目の前で、ヨーコを倒す。私の方が、あの女よりも優れていることを示す。そうすれば、きっとヘア・キトーは、私を愛してくれるだろう」
静かながら、確信の篭もった力強い呟きだった。
熱い視線が向かうその先で、鬼頭は近接ブレードを左右に振り払った。二機の『ゴルザーⅡ』はすれ違いざまに主翼を両断され、揚力を失って墜落していった。
Chapter37「理解までの距離」了
三年と半年前。
ドイツ連邦共和国、ボン。
空軍指揮幕僚監部本部の、普段は使われていない会議室の一つに呼び出されたエミール・バレニー大尉は、上官の第一声に思わず眉をひそめた。コンラート・リーメンシュナイダー少将は、バレニーが籍を置く第一空軍幕僚監部のトップであり、士官学校時代からの恩師でもある。旧東ドイツ出身の彼は、民主主義由来のシビリアンコントロールの概念に懐疑的であり、しかもそのことを周りに隠していない。だから、少将の口から「いまから口にするのは、政治の話だ」と聞かされても、バレニーに驚きはなかった。ただ、場所をわきまえてほしい、とは思う。普段使われていない部屋とはいえ、立ち入りがまったく皆無というわけでもないのだ。軍の風紀の維持に厳しい教育課の同輩にでも聞かれて、厳しいお小言を喰らいたくはない。
「そこは安心しろ。今日、この部屋には誰も近づかないように知らせてある」
「それなら、まあ……」
「本題に入る前に、前提情報のすりあわせをしたい。バレニー大尉、貴官はわが連邦空軍のIS部隊と、他の欧州連合に属する各国が保有するIS部隊を見比べて、どう思う?」
「どう、とは?」
「他国と比較して、強いか、弱いか、ということだよ」
「……私はIS運用の専門家ではありませんので、素人意見になってしまいますが?」
躊躇いがちに言うと、少将は厳めしい声で応じた。
「構わん。きみの思ったことを、素直に教えてくれ」
「それなら……」
バレニーはゆっくりとした口調で、舌先で言葉を探しながら言った。
「率直に申し上げて、その強さは真ん中あたり、といったところではないでしょうか?」
「ははあ、真ん中か」
リーメンシュナイダーは冷笑を浮かべた。
「なぜ、その位置に?」
「わが国は国産ISの開発能力を持っています。その点で、開発能力を持っていない国よりも優位に立っているといえます。他方で、わが国には有力なIS操縦者があまりいません。その点で、たとえばモンド・グロッソ上位成績者を擁しているイギリスやイタリアよりも不利な立場にあるといえます」
篠ノ之束博士によるISの発表、そして『白騎士事件』の後、ドイツ連邦は、この新時代の超兵器の開発競争に乗り遅れてはならないと多額の資金を投入した。その甲斐あって、第一世代・第二世代機ともに、他国製のISと比べても引けを取らない機体自体は手に入ったと思う。その一方で、肝心のIS操縦者の育成には失敗した、というのが、軍の人事を監督する業務を担当するバレニーの評価だった。
たとえば、三年前の第一回モンド・グロッソ世界大会では、ドイツが選出した三名の国家代表は、うち二名が予選敗退。残る一人も、本戦の第一回戦で負けるというさんざんな結果に終わってしまった。三年後の今年行われる第二回大会の予選においても、現状、わが国は大した結果を残せていない。幸い、開催国特権で一名を本戦出場にねじ込むことが決定しているが、それもその後勝ち進められるかというと、厳しいだろう、とバレニーは睨んでいる。
「機体の開発に力を入れすぎました。セカンド・シフトやワン・オフ・アビリティーに代表されるように、ISの運用においては、機体よりも人の育成こそ重要だということに、我々は気づくのが遅れてしまった」
第一回モンド・グロッソにて覇者となった織斑千冬は、愛機『暮桜』の機体性能もさることながら、本人の技量と、なにより、彼女と『暮桜』の組み合わせが発現させたワン・オフ・アビリティーが強力だった。機体性能で上回る強豪たちを、『零落白夜』の一振で打ち倒していく姿に、当時少尉の階級だったバレニーはたいへんな感動を覚えたものだ。
「ISコアの総数が限られ、どこの国も簡単には機体数を増やせない現状、軍事的優位を保つためには、IS操縦者の育成が何よりも重要だといえます。この部分が弱いわが国のIS部隊の実力は、公平に見て、ヨーロッパの中では真ん中あたりといったところでしょう」
「的確な分析だな。私もそう思うよ」
リーメンシュナイダーはバレニーの意見に同意した。
「だが、それでは困るのも分かるな?」
「はい」
バレニーは首肯した。
「わがドイツ連邦は、EUの実質的な盟主の立場にあります。EUはもともと経済同盟としてスタートしましたが、いまや軍事同盟としての役割も担っている。その長たる我々は、経済的にも、軍事的にも、連合のどの国よりも優れていなければならない」
「その通りだ。その我々が擁するIS部隊の実力が、連合内でも真ん中あたりというのはいけない。早急に、改善する必要がある」
「そこで本題だ」と、リーメンシュナイダー少将は険を帯びた口調で言った。バレニーも表情筋を引き締める。
「大尉の言う通り、わが軍のIS部隊は人材育成の点で問題を抱えている。これを改善するいちばん手っ取り早い方法は、優秀な監督、あるいは教官を招聘することだろう」
軍隊に限らず、人間の営みが生み出したあらゆる形態の組織において、しばしば起こる現象だ。従前、弱体だった組織が、一人の名将が振るう辣腕によって生まれ変わり、素晴らしい活躍を世に広く示す。リーメンシュナイダーの言葉に、バレニーは得心した様子で頷いた。
「私もそう思います。……どうやら閣下の腹中には、すでに決まった名前がおありのようですが?」
「うむ」
「誰です?」
「チフユ・オリムラだ」
バレニー大尉は訝しげな表情を浮かべた。世界最強のブリュンヒルデ。教官役として、これ以上は考えられぬ逸材だ。しかし、どうやって? 伝え聞くところによれば、金品の魔力が通用する相手とは思えない。それに日本政府も、彼女ほどの人材をそう簡単に放出するとは考えにくいが。
「日本政府に対し、貸しを作ってやるのだ」
なるほど、その貸しの作り方が本題か。バレニーは耳目に意識を集中した。
「貴官も承知の通り、今年の第二回モンド・グロッソは欧州連合各国で開催されることになった。わが国ではワン・オン・ワンISバトルの本戦が行われる。前回大会優勝者のチフユ・オリムラは、その本戦に今年も確実に出てくるだろう。その本戦期間中に、事件が起きるのだ。
本戦観戦のためにやって来た日本国の要人が、何者かに拉致される。日本政府は当然慌てるだろう。そこに、独自のルートから犯人グループの居所を突き止めた我々ドイツ軍が、協力を申し出る。日本国は最初こそ拒むだろうが、究極、異国の地での出来事だ。最終的には、我々を頼らざるをえない。かくして彼らは、わが軍に借りを作ることになった。我々はそれを理由にチフユ・オリムラの軍への出向を要請する、という算段さ」
「二つ、質問が」
リーメンシュナイダー少将が語る作戦の概要を黙って聞いていたバレニーは、人差し指と中指を立てて訊ねた。
「日本政府からの要人を誘拐する、その犯人は何者です? まさか、わが軍の軍人を使うつもりでは」
「まさか」
リーメンシュナイダーは冷笑を浮かべた。
「当然、外部の人間だ。名前は伏せるが、連邦政府の官僚が、ペーパーカンパニーを何重にも挟んだ上で、そういうダーティな仕事が得意な連中に依頼する予定だ」
なるほど、政府のお偉方からもすでに承認済みか。この部屋に入室するなり、少将が政治の話だと口にした所以がだんだん分かってきた。
「二つ目の質問です。いま少将が口にしたシナリオでは、大会期間中に邦人誘拐を許す、ということになりますが、それについて、ドイツ警察は納得しているのでしょうか?」
バレニーはリーメンシュナイダーの話の中に、連邦警察への言及がないことが気になった。
スポーツの世界大会の開催中に事件が起こる。これは、ドイツ警察にとっては過去のトラウマ体験の記憶を刺激する事態のはずだ。
ドイツがまだ東西に分裂していた一九七二年、ミュンヘン・オリンピック事件が起こった。パレスチナ・ゲリラの『黒い九月』が選手村に侵入し、イスラエル選手団の二名を殺害。九名を人質にとった。当時の西ドイツ政府は人質救出作戦を敢行したが、作戦は失敗し、人質九名全員が死亡。警官も一名が死亡するという、最悪の結果となった。
リーメンシュナイダーの書いた脚本は、連邦警察がおよそ五十年前に負った心的外傷を抉るばかりか、事件後、二度とこのような悲劇を起こしはしないと努める彼らのプライドに、泥を塗りたくる行為だ。邦人誘拐を許すためには、警備の網をわざと緩めてやる必要がある。そんな作戦への従事に、連邦警察が承服するとは思えないが。
「無論、連邦警察にはこのことは伝えない」
連邦警察への配慮に欠けた酷薄な言葉に、バレニーは政治の意味を完璧に理解した。軍は政府と結託して、自分たちの目的のために、連邦警察を犠牲にしようとしているのだ。
「悪辣な誘拐犯たちは用意周到だ。彼らは、邦人誘拐の最大の妨げとなる連邦警察の動きを牽制するために、警察幹部の家族を人質に取るつもりなのだ。誘拐が決行されるその日、会場の警備を担当する警察官の数は、ほんの僅かに減少する。その分を補うために、警官の配置は変更され、警戒網には、厚いところと薄いところの偏りが生まれるだろう。奴らはそこを衝くつもりなのだ」
「誘拐が成功した後は、どうなさるので? わが国の警察は優秀です。ましてや、ミュンヘン・オリンピックのときとよく似た、世界的なスポーツ・イベントの最中での事件です。彼らは異変にすぐ気づき、対策を打つでしょう。それに、わが国には、GSG-9があります」
ミュンヘン・オリンピック事件の後、連邦警察が創設したカウンター・テロ専門の特殊部隊だ。一九七七年のルフトハンザ航空機ハイジャック事件では、救出作戦の実行前に殺害された機長を除き、人質九十名全員の救出に成功している。世界屈指の対テロ部隊の一つだろう。
「GSG-9は世界最強の特殊部隊の一つです。彼らの捜査能力と事件解決力が投入されれば、軍が介入する余地は――」
「GSG-9は動けない」
リーメンシュナイダーは断言した。
「これも名前は伏せるが、軍の戦力拡充に協力的なとある政治家の方が、その動きを牽制してくれる手はずになっている。テロリストたちに対し有効にはたらけるのは、たまたま連中に関する情報を掴み、念のためにと網を張っていた我々連邦空軍だけだ。……バレニー大尉」
「はっ」
「貴官には、邦人救出作戦実行時に、日本政府との連絡係を任せたい」
いざそのときにぼろがでないよう、いまのうちから演技の勉強をしておけ。
諧謔めいた発言の後、淡々と述べられる作戦の仔細を聞くほどに、バレニー大尉は表情を硬化させていった。
邦人誘拐作戦のターゲット。日本政府と織斑千冬に、最大限の貸しを作れる相手。織斑一夏の名前を聞かされた彼は、ブリュンヒルデと対峙せねばならないのかと、緊張から、こく、と喉を鳴らした。
◇
空軍指揮幕僚監部の本部でバレニー大尉とリーメンシュナイダー少将が密談を交わしていた、ちょうど同じ頃。
遠く彼方は東アジアの東端、日本国、愛知県名古屋市名東区の焼き鳥店にて、野太い悲鳴があがった。
「ひょえあああぁぁぁああぁぁぁっ」
「……どういう感情を篭めた悲鳴なんだ、それは?」
仕事帰りに立ち寄った焼き鳥店。一日の疲れを喉奥へと流し込んだビールの苦みで洗い流そうとしたその寸前のことだった。スーツのジャケットの内ポケットに差し入れていたスマートフォンの震えに気がついた桜坂は、端末を取り出して画面を見つめるなり、口を、あ、の形に開いた。喉蓋を塞いだ状態で吐き出された悲鳴は低音なれど妙に伸びやかで、音質からは封入された感情を察するのは難しい。
カウンター席の右隣に座る鬼頭智之は、そんな彼を見て呆れた口調で呟いた。
「お、驚きの感情だよ。いやあ、まさか、本当に当たるとは……」
「当たる? なんだ、宝くじでも当たったのか?」
ビールジョッキを、ぐびり、とやって、焼き上がったばかりの砂肝を頬張る。奥歯でかみしめる度に、口の中いっぱいにたれの味が広がった。
「ちげぇよ。ほら、今年はあるだろ? 第二回モンド・グロッソ。あれの観戦チケットだよ。ダメ元で本戦チケットの購入抽選会に参加してみた。二人分」
「なるほど、それが当たったと……二人分?」
「そそ。俺と、お前の分」
「なんでまた?」
「いや、だって、モンド・グロッソだぜ? 世界中から最新のIS――最新のパワードスーツが集まる、見本市みたいなもんだ。俺たちの目指す、夢の災害用パワードスーツの参考に出来るんじゃないかと思ってさ」
「……俺はドイツ語は喋れないぞ?」
今年のモンド・グロッソの本戦は、ドイツ開催だったはず。英語が通じる国だとは聞くが。
「俺は喋れる。通訳は任せろ。な、行こうぜ?」
まるで野球観戦にでも誘っているかのような軽い調子で、桜坂は言った。
鬼頭は、パスポートはどこにしまったのだったか、と頭の中で家の収納棚を漁りながら、「仕方ないなあ」と、応じる。
「ところで、何回戦目のチケットが当たったんだ?」
いまやモンド・グロッソといえば、オリンピック以上に世界中から注目を集める大イベントだ。予選会場の観戦チケットでさえ、抽選倍率は五十倍を超えると聞く。その本戦ともなれば、さぞや狭き門であろうが。
「決勝戦」
「……いま、何と言った?」
「いや、だから、決勝戦」
「……ひょえあああぁぁぁああぁぁぁっ」
「な? 分かっただろ? そういう悲鳴が出るの」
後で調べたところ、抽選倍率は一千倍を超えていた。そんな低確率を見事に、しかも二人分もチケットを掴んだ桜坂の豪運には、驚嘆するほかない。
「……桜坂」
「なんだ?」
「お前、今年死ぬんじゃないか!?」
「超人が運に殺されてたまるかってんだ!」
親友の身を本気で案じる鬼頭に、仁王の顔をした超人は憮然と答えた。
原作第二巻で織斑一夏誘拐事件の解決に協力したのはドイツ“軍”とはっきり明記されている。
普通、こういう事件への捜査協力って、警察がするものなんじゃ……。
原作ではさらっと流されているけど、あの事件はかなり闇が深い(確信)。